2010年04月30日
久しく書かなかった「お知らせ」を
中国国内を、あるときはアジア各国、米国へと飛び回って、各メディアのジャーナリストが顔色を失う徹底した現場主義で、自身の足と目と耳で取材、検証して中国社会の深層に迫る「暴動情報検証」、さらに日本で続々発行される中国関係図書を読み込んだ「読後雑感」は単なる書評というレベルをこえて、中国の現在(いま)を読み解く「現代中国論」というものでもあり、いずれも読み応えのあるものばかりです。
最新レポートの中でも「チャイナウォッチャーの立ち位置について」は、同時代人として、あるいは中国にいささかでも関心を抱き見つめ続けている者として、深く考えさせられる内容です。
私自身の運営するホームページの宣伝めいたことを書くのは気が引けてあまりここで取り上げてきていないのですが、読む価値のあるものを広く知らせないのは謙虚でもなんでもなく間違っているのだと思い、あらためてここに紹介することにしました。
今後はもっときめ細かくというか、頻繁に紹介していこうと考えます。
「今、チャイナ・ウォッチャーに課せられている任務は、『誤認情報の悪循環』を絶つことである。」という書き出しではじまる 「チャイナウォッチャーの立ち位置について」は、
http://www.shakaidotai.com/CCP099.html
また、ホームページTOPは
http://www.shakaidotai.com/index.html
です。
ぜひご一読いただきたいと考えます。
2010年04月29日
普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ
さてそこで、まずこれからです。
普天間−ワシントン核サミット−黄ジャンヨプ訪米、来日−金正日総書記訪中問題−天安沈没「事故」−韓国6月地方選挙−中国海軍演習−中井拉致担当相訪韓−金賢姫来日問題−小沢幹事長と検察審査会−上海万博開幕、そしてキャンベル国務次官補来日と日米同盟の今後、さらには東アジア共同体構想・・・。
なんだか「判じ物」めいた書き出しですが、最近の「国際ニュース」(国際と国内の区分けをすることに意味がないということは自明です)のあれこれです。
ところで、これらは本当に「あれ、これ」なのだろうか、否!断じてNo!これらが「一筋の糸」でつながっていることを見落としてはならない、というのが私の問題意識です。
そこでまず、普天間飛行場の移設問題からです。
沖縄では25日の日曜日に普天間飛行場の移設問題をめぐって大規模な県民集会が開かれました。9万人の人々が参加したという集会について伝えるテレビニュースを見ながら、普天間問題にかかわって、というより「沖縄の基地問題」について抱き続けているなんともいえない「違和感」が一層昂じたのでした。以下は注目して見たその日夕方のニュースのコメントです。
「アメリカ軍普天間基地の沖縄県外や国外への移設を求める県民大会が沖縄県で開かれ、仲井真知事は『集まった人たちの熱気が日米両政府を動かして、納得のいく解決策を用意してくれると確信している』と述べ、鳩山政権に対し、基地の県外や国外移設を実現するよう求めました。県民大会は、アメリカ軍普天間基地の沖縄県外や国外への移設を日米両政府に求めるため、沖縄県読谷村で開かれ、会場のグラウンドは参加者でいっぱいになり、周囲にも人があふれました。大会であいさつに立った沖縄県の仲井真知事は『戦後、基地だけは変わることなく目の前にあり、不公平で、差別に近い印象を持つ。沖縄の基地問題は沖縄だけの問題ではなく、きょう集まった人たちの熱気が日米両政府を動かして、納得のいく解決策を用意してくれると確信している』と述べ、鳩山政権に対し、基地の県外や国外移設を実現するよう求めました。また、大会では、普天間基地を抱える宜野湾市や、基地の移設が検討されている名護市の市長などが、基地の県外や国外への移設を訴えました。」
「政府は、今回の大会について、県民の声の表れの一つだと受けとめています。そして、県民の負担軽減を図ることができる政府案の具体化を急ぎ、速やかに、アメリカと移設先双方と正式な交渉に入りたい考えで、沖縄県内だけでなく、鹿児島県の徳之島に基地機能の一部を移す案などを検討しています。しかし、これまでの非公式の協議でアメリカ側は、一部だけの移設は運用上好ましくないという考えを示しているほか、徳之島でも大規模な反対集会が開かれるなど反発が強まっています。このため、政府内では、現行案を修正して陸上から遠ざける案や、浅瀬の沖合にくいを打ち込み、その上に滑走路を作る案なども検討できないかという意見も出始めています。」
「前原国土交通大臣は記者団に対し、『沖縄県民の皆さん方のご意向はしっかり受けとめなければいけない。鳩山総理大臣が、できるだけ県外にという思いで努力されていることは、たいへん結構なことで、われわれも後押しをしなくてはいけないと思う』と述べました。その一方で、前原大臣は『日米間の協定のたてつけでは、現在の辺野古に基地を移設するという考え方はそのまま生きている。私が今申し上げられるのは、あらゆる選択肢を想定して、日米同盟関係の実効性の確保と地元住民のご理解、これを両立する形で問題を解決するということに尽きる』と述べ、あらゆる選択肢を検討することが必要という考えを示しました。」
随所に重要なキィーワードともいうべきものがちらばっていて、本質的に問われるべき問題が潜んでいるというべきですが、翌日の朝刊各紙の紙面もおおむねこうした論調から外れるものではありませんでした。
おおむねと断ったのは、
「知事は『県内移設反対』を明言しなかったが、参加した県民の一部からは、大会の過熱ぶりが全国に誤ったメッセージを送り、同飛行場の移設はおろか、日米両政府間で約束された嘉手納以南の基地返還構想も頓挫(とんざ)するのでは…と懸念する声も出た。」
「この日、主催者の要請で大会参加者は黄色いものを身につけた。県内移設に反対する者にとって黄色は特別の意味を持つ。3月25日、高嶺善伸沖縄県議会議長が黄色の『かりゆし』姿で北沢俊美防衛相との会談に臨み、『サッカーにはイエローカードというのがある。県民の思いを込めて黄色いかりゆしにしました』と政府への抗議の意思を表明した。黄色は政府への反感を象徴する色なのだ。 ところが、仲井真知事は青いかりゆしで登場した。関係者によると、会場入りするまで黄色のかりゆしを着用していたが、直前に着替えたのだという。仲井真知事には『県内移設反対』を強く訴える意図がなかったことになる。」「知事は大会後、記者団に『いろんな方がいろんな考えを持っており、単純に表題通りではない』と述べた。県内移設に含みを残した発言で、反対を唱える市民グループ主導の“暴走”を牽制(けんせい)する思惑も見え隠れする。なお、主催者は大会参加者を9万人と発表したが、情報関係者は『実際には3万人前後だったようだ』と語った。」
と伝えた新聞もあるわけですから、少しばかりの留保が必要ということでしょう。しかし大体はこのテレビニュースの論調から大きく外れるものはなく、いわばこれがおおむねの「スタンダード」ということなのでしょう。
もっとも「9万人」ではなく「3万人だったようだ」と、主催者発表を否定するために持ち出したソースが「情報関係者」だというくだりには思わず苦笑いしてしまいましたが・・・。
ちなみに、この記者とどうやら親密な関係にあるらしいこの「情報関係者」とはどんな人物なのか教えてほしいものですね。
そんな「冗談」(本当は冗談だとは言えません)はさておき、この記事にある、仲井真知事には「県内移設反対を強く訴える意図はなかった」という指摘は大事なところだろうと思いますので、「記者の意図」がどうあれ、この記事も大いに参考になるというべきものでしょう。
さて、そこでなのですが、先週金曜日(23日)、アジア記者クラブの例会で、沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長の話を聴きました。もちろん普天間基地移設問題がテーマですが、この問題の実相、実体と本質がメディアで伝えられていないこと、識者たちの言説のなかでも真実に迫るものは少数であり、かつ、それらも片隅に追いやられているという現在の言論状況を、あらためて痛感しました。
伊波市長がこれまで何を語り、この問題にどう立ち向かってきたのか、活字では何度か読んできたつもりでしたが、肉声で語りかける場に足を運んだのは初めてでした。
メディアで真剣にとりあげられることが少ないとはいえ、実は、問題の実体、実相についてはすでにくりかえし語られているところです。要は、普天間飛行場の移設問題がいかに虚構の上につくりあげられた「問題」なのか、つまり日米同盟の深い闇=日本の米国への従属構造の闇によって「つくりあげられた問題」であるのかということです。
2005年10月の「日米同盟:未来のための変革と再編」から2006年5月の「再編実施のためのロードマップ」さらには同年7月の「グアム統合軍事開発計画」を精査してみると、米軍は、米国自身の世界戦略の見直しの必要性から、沖縄駐留兵力のほとんどを自らの決断でグアムに移転させる計画をすすめていること、そのためにほぼ1兆円になんなんとする日本の「カネ」が使われること、にもかかわらず、グアムに移って沖縄には存在しなくなるはずの「幻の海兵隊」のために代替基地が必要だという虚構がつくりあげられ、それをめぐって政権もメディアも、「本当のこと」には知らんふりを決め込んで「代替基地をどこにつくるのか!」「期限は5月末までだ!」と「大騒ぎして右往左往」という構図がくっきりと浮かび上がってくる、伊波市長の話でした。
その根拠となる膨大で詳細な調査資料は宜野湾市のWebサイトで公開されていますのでそこに譲ります。 http://www.city.ginowan.okinawa.jp から入って「普天間飛行場の危険性除去と海兵隊のグアム移転」そのほかです。
重要なことは、現在進行している「本当のこと」が国会でも国民にも共有されていないことだというわけです。
伊波市長は岡田外務大臣が沖縄を訪れた際にも直接ぶつけたが、「自分が聞いていることとは認識が異なる」といった反応で、日本政府もまた「(米軍のグアム統合計画は)正式な決定ではない」としているというのです。
しかし、伊波市長は事実に基づいて「海兵隊のグアム移転が司令部中心というのは間違いであり、沖縄海兵隊の主要な部隊が一体的にグアムに移転すること、そこには普天間飛行場の海兵隊ヘリ部隊も含まれる」ことを米軍サイドの資料を詳細にあげながら、引き算、足し算の単純な算数レベルの計算をするだけで沖縄にどうして「一万人規模」の兵員が残り、かつそのための基地が必要なのか、全く説明がつかないということを端的に示して見せたのです。
問題は、こんな「簡単なこと」がなぜ政府でもあるいはメディアでも検証されず、伝えられないのか、それが不思議でならないというわけです。
そしてそこに見えてくるのは、米軍には沖縄にいてもらわねばならないとする日本の「ひと群れ」の人々と、そうした人々と利害を共にする米国側のこれまた「ひと群れ」の人々がいて、それらの「深い闇」が存在しているということです。
一体誰が米軍を沖縄に「引き止め」それによってどのような利益を得るのか、それこそが重要なところなのでしょうが、それだけにこの琴線に触れる事実を報じることは、まさに命がけということになるのでしょう。
「海兵隊がグアムに行くのはアメリカの意志であり、アメリカはグアムにいる方が機動的に動けると考えている。しかし、日本は、海兵隊は去って行かないでくれと言っている。米国にとっては、基地というものは使わなくてもあったほうがいい。しかも日本政府がカネを出してくれるというのだからなおさらあったほうがいい!」というわけで、まあカネは日本が出すと言っているのだから、言った限りは基地でもなんでも造ってもらおうじゃないかというのが「普天間移設問題の日米合意」ということになるわけです。
伊波市長は「日本政府は(こうした本質を)知らないで(普天間の移設問題を)言っているのか、知らんふりをして言っているのかわからないが、普天間の部隊が全部グアムに行くのになぜ代替施設が必要なのかわからない」としたう上で「マスコミにも大きな責任がある。外務省や防衛省、政府の言うことをただそのまま書いているだけだ。グアムに行って取材すればすぐにわかることだ。」とメディアの在り方についても厳しく語りました。
いわゆる「密約」問題で「調査」を命じた(これが本当の意味で実体をあきらかにするものかどうかは別にしてですが)岡田外務大臣にかかわって伊波市長は「岡田外相に言いたいのは、『密約』を明らかにしようというのはいいが、それなら、いま7000億円ものカネを出してすすめている沖縄駐留米軍のグアム移転について国民に明らかにすべきではないか。それをせずに日米で示し合わせて要りもしない基地を造ろうとするのは、自分たちで『密約』をつくろうとしているようなものだ」と語ると会場から失笑が漏れたものでした。
これ以上何かを付け加える必要もないくらい完膚なきまでに事の実体と本質を語っていると思うのは私だけでしょうか。
それにしても「深い闇」にあるのは日米関係だけでなく、まさにメディアのあり方だというところに気づくと、問題の深刻さが一層増すのでした。
そして、さらに、それにしてもです。
「沖縄の負担を軽減させてあげたいという思いで努力している最中だ。難しいことは最初から分かっている。」(4.21「朝日」鳩山首相のコメント)という記事を目の前にするとき、この人の認識は一体どういうものなのだろうかと情けなくなります。
フィクションと「深い闇」にまみれた「普天間飛行場の移設問題」ですが、百歩譲ったとして「沖縄の負担を軽減させてあげる」ために取り組む問題なのでしょうか。
さらに、ぶら下がりの記者たちも、ここに何も引っかかることもなくメモして、ただ唯々諾々と記事を書いてよしとしているのでしょうか。
事態は、というより病はというべきでしょう、病はもはや回復しがたいところにまで来ているというべきではないでしょうか。
またもや、それにしてもです。
それにしても、このような認識の人物をわれわれは政権交代という「歴史的な出来事」?!で首相の座につけることにしてしまったのだと考えると、本当にことばを失います。
何度も何度も、それにしてもです。
それにしても「私は愚かな首相かもしれない。12月に辺野古に決めていれば、どんなに楽だったか計り知れない。」というのです。
これ以上何か書くべきことがあるでしょうか。
しかし、問題はこんな「愚か」なことでは終わりません。
ではなぜ沖縄の基地を残そうとするのか、その本質は何なのかということになります。
ここを深く考えていくことこそがいま重要なのだと考えます。
さらに書き継いでいくことにします。
2010年04月08日
固唾をのんで見つめたニュースの行方は・・・
3月末から固唾をのんで毎日のニュースを注視していたのですが、結局「あの報道」はなんだったのだろうかと思う毎日が過ぎました。もちろん、今のいまも、突然のニュースが飛び込んでくるのかもしれませんが、しかし・・・です。
「あの報道」とは「金総書記訪中へ 非公式 今月後半で調整」という見出しが躍った毎日新聞3月3日(水)朝刊のスクープをはじめ、その後いくつかのメディアでも伝えられた一連の金正日総書記の訪中観測記事です。
3月末までに「訪中」がなかったためか、次には、4月はじめにという観測が流され、先遣隊が中国に入ったという「情報」まで伝えられました。
金正日総書記の訪中があるとすれば中国の党、政府首脳との会見、会談が必須となるので、外国訪問が予定されていた習近平副主席の「日程」についての「質問」を中国外交部関係者に「当てて」探るという取材努力までしたあげく、金総書記の訪中観測をにべもなく「否定」されるなど、さまざまな「曲折」をへて、結局、大山鳴動して・・・の類に終わったというところです。
ただし、今のところ、と注釈をつけておかなければなりません。
朝日新聞は4月1日の朝刊で「韓国大統領府報道官は31日の記者会見で、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の訪中について『(近く実現する)可能性が高いとみて、鋭意注視している』と語った。北朝鮮は4月9日に国会にあたる最高人民会議の開催を予定しており、それまでの訪中の可能性を念頭に置いた発言とみられる。」と伝えています。
ただし、この記事では、末尾に「一方で、北朝鮮核問題の停滞や金総書記の健康問題などを理由に、訪中を疑問視する見方も依然残っている。」とそれまでの記述をちゃんと?打ち消す一行も加えるという、なんともややこしい記事になっていました。
で、8日の今日に至ると、この観測記事はもうハズレた、というべきですから皮肉なことに「訪中を疑問視する見方も依然残っている」という一行の方が正しかったというわけです。
ところが、今現在、Web掲載のみで紙面(私がチェックしているのは、「朝日」の場合は、朝刊は14版、夕刊は4版です)では見当たらないという不思議さは残しつつですが、ご丁寧にも続報として「韓国の情報機関・国家情報院の元世勲(ウォン・セフン)院長は6日、国会情報委員会で証言し、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の訪中時期について『(最高人民会議が開かれる)9日以前に行かないのであれば、12日に胡錦濤(フー・チンタオ)中国国家主席の外遊日程もあり、4月末になるだろう』と述べた。『25日から28日までの間とみることもできるのではないか』とも語った。同委に出席した国会議員が明らかにした。」(web版2010年4月7日3時0分)とフォローしています。
なにがなんだかわからなくなりますが、ということは、この報道に従うかぎり、少し日延べとなっているという程度のことなのかもしれません??
また、「非公式」訪中というわけですから、中朝両国の情報管理が行き届いていて?!実は金総書記はすでに訪中しているが、メディアにはキャッチできていないということも皆無とはいえないのかもしれません・・・??
しかし、常識的に考えると、一連の「金総書記訪中観測報道」はガセだった!というべきです。
もちろん、メディアの報道の揚げ足取りをするためにこれを書いているのではありません。血のにじむようなあるいは地を這うような取材の積み重ねを要求される「現場」の努力を一切顧みず、いわば安全地帯からあれこれあげつらうというような態度をとるつもりは、少なくとも、私には、ありません。
しかし、先月から、この動向を、まさに固唾をのむ思いで見つめていたのは私一人ではなかったと思うだけに、今回の一連の「北朝鮮報道」について、厳しい検証がなされてしかるべきだと考えます。
一体何がガセだったのか?!なぜガセになってしまったのか、スクープが嘘報だったのはなぜなのか?!どこにその原因があったのかを突き止めることができるのは伝えた記者本人であるはずです。
ことほど左様に「北朝鮮情報」といわれるものがいい加減で危ういということでは、我々がメディアの報道などをもとに何も判断できない、考えられないということになりますし、何を書いても「書き得!」、あとは野となれ山となれでは、ジャーナリズムの名に恥じる、もっとも唾棄すべきところにメディア自らが堕していくことになりかねないというべきです。
一連の報道に実のある検証がなされることを切に期待しておきたいと思います。
と、朝からここまで書いてきたところに朝刊が届きました。
「朝日」一面の「北朝鮮『6者』前向き 予備会合支持、米は慎重」という見出しに目が釘付けになりました。
ソウル発のこの記事では「北朝鮮が3月下旬に、核問題をめぐる6者協議の予備会合開催を呼びかけた中国提案への支持を表明していたことが分かった。」と伝えています。そして「米国が日韓など関係国に説明した内容を、協議筋が明らかにした」とソースも示しています。
「これを受け、米国も北朝鮮の高官の訪米に向けた調整などを始めたが、直後に起きた韓国哨戒艦沈没の影響などで慎重姿勢に転じ、予備会合の開催は固まっていない。」ともしています。
ただし、記事の中で北朝鮮が「中国提案への支持を表明していた」と表現しているところと「哨戒艦の沈没」とからんで米国が「慎重姿勢に転じ」としていることに、わたしはなんともいえない違和感を抱いたのでしたが・・・。
この「違和感」についてだけでも、何ページもの紙幅を費やして書くべき問題だと思うのですが、今回はそのために書き始めたわけではないので、簡単に2点だけメモするにとどめます。(なお、不思議なことに朝刊一面記事であるにもかかわらず、いまのところWebには掲載されていません。先ほどの、金総書記の訪中観測の「フォロー」記事とは逆のケースとなっています。)
1.北朝鮮は予備会合の当事者であって、中国提案への「支持」を表明する立場ではなく、それに「合意」あるいは「同意」するのかしないのかというべきです。支持を表明するというときは中国が北朝鮮の態度にというべきで、一見言葉尻をうんぬんしているように見えるかもしれませんが、この情報への違和感をぬぐえません。
2.米国が「慎重姿勢に転じた」理由にふれて、韓国の哨戒艦沈没と北朝鮮のかかわりを何気なく匂わせるというトーンには、記者が韓国の「協議筋」と記している情報源による情報操作の色合いがにじみ出ているというべきで、この情報を漏らした目的に「不純」なものを否定できないというべきです。
さしあたりはこの2点についてはきちんと検証されなければならないといえます。
特に後者については、今回の哨戒艦沈没にかかわってさまざまな「不手際」が重なったことから、窮地に立った李明博政権の「情報操作」がとりざたされている状況で、沈没と北朝鮮のかかわりを、あるでもなくないでもないという曖昧さの中に落とし込んでおきたいという「見えざる意図」が強く働いていることを見落とすわけにはいかないと思います。
わたしが接する韓国の人々の見方、感じ方からもこのことを強く感じます。さらにいえば、今回の哨戒艦沈没の原因は「単純であるがゆえに、より深刻だ」という観測もあります。
北朝鮮にかかわる情報操作については、まさに魑魅魍魎というべき、ほの暗い世界が無限に広がっていることを知っておかなければならないと感じます。
さて、金総書記の訪中問題に戻るならば、なぜ固唾をのんでニュースを注視していたのかといえば、まさにこの「6者協議」の行方を見定める上で決定的というか、無視できない重要性を帯びているからです。
そこで、今回の「金総書記訪中」報道とかかわって、実はもっと大きな、注目すべき「スクープ」があったことを思い出さなければなりません。
「金総書記の訪中観測」にさかのぼる2月23日(火)の「朝日新聞」朝刊一面トップを飾った「改革開放 世襲反対 核放棄 中国、北朝鮮に圧力 昨春の核実験直後」という見出しの大スクープ記事です。
二面に続く解説記事では「『北朝鮮の経済体制は全面的に崩壊しつつあり、警戒する必要がある』中国共産党上層部は昨年12月16日、北京で政府系研究機関の研究者や当局者を集めた内部検討会議を開き、悪化する北朝鮮の経済状況を集中的に議論した。」というくだりにつづけて、北朝鮮のいわゆるデノミネーションの失敗や金総書記の三男ジョンウン氏への権力継承問題さらには1月に北朝鮮が発表した「国家開発銀行」の設立と外資導入問題にふれて書いています。
この国家開発銀行については「中国の北朝鮮大使館で経済を担当する外交官が、人民日報系の国際情報紙・環球時報の取材を受けて詳細に説明している。」として、その説明では「経済開放を本格的に始める第一歩で、核問題を含めた安全保障の解決にもつながる」としていると書いています。
しかし、続けて「ただ、こうした北朝鮮当局の主張に対し中国内には懐疑的な見方がある。中国共産党の対北朝鮮政策のブレーンの1人、張l瑰・中央党校国際戦略研究所教授は、北朝鮮が本気で開放政策を導入するのではなく、国連安保理の制裁で不足した外貨を一時的に補うのが目的だとみる。」として張教授は「北朝鮮の安全を保障するのは核兵器ではない。改革開放によって自国の経済を発展させることで、国民の支持を得ることだけだ」と批判している、と記事を締めくくっています。
二面の見出しだけを拾ってみると「中朝ひそかな攻防」「核放棄・改革開放の圧力」「中国6者維持へ策」「石油止め復帰促す」「本心見えぬ北朝鮮」「『装った開放』の懸念」というものです。
正直なところこの記事には驚きました。
何に驚いたのかというと、中国が圧力をかけているということにではなく(それで北朝鮮が動くかどうか、もっと率直に言うと、従うかどうかは別にして、「圧力を加える」ことは想像の範囲ですから驚きはしません)この記事に、中国の北朝鮮関係の研究者それも「対北朝鮮政策のブレーンの1人」とされる人物が実名で登場していることにでした。
昨年2月、北朝鮮情報を「漏えい」したとして日本でもよく名前の知られている研究者が身柄を拘束されたという情報が流れました。もちろん確認されたものではありませんが、この情報は中国が北朝鮮情報の扱いについて少なからずセンシティブになっていることを示したものとして注目されました。
私のつきあいのある中国人研究者は、情報を漏らしたのはこの人物ではないといったのでしたが、何らかの形で北朝鮮情報が洩れたということは事実でありそれに対して中国当局が厳しく調査していることはうかがえました。
また、北朝鮮情報を知りうる専門家、研究者は党の許しなしに党外の人物に北朝鮮問題について語ることは厳しく規制されているともいわれていました。
したがって、こうした記事に、しかも単なる北朝鮮関連記事というレベルを超えて、政権の継承問題や核開発問題で中国が北朝鮮に対して圧力をかけていると伝える詳細な記事の中に、北朝鮮の実情と真意は・・・という形で、中国共産党中央党校の研究機関の教授が実名でコメントするというのは異例のことであり、常識的に考えればなんらかの「お墨付き」がなければ勝手にはできない「わざ」だというべきでしょう。となるとこの記事が書かれた背景は一体なんだろうかということを考えざるをえなくなります。
さて、ここまで長々と書いてきたのは、いま書き続けているこのブログ記事に登場する韓国のオールドジャーナリストとの「対話」で、氏が、南北関係、北朝鮮の動向について、「李明博政権では動かすことができない。オバマ政権の現状を見ると米国も朝鮮半島問題に力を傾ける余裕などなく政権維持で精いっぱいだ。カギは一にかかって中国にある!」と鋭く断じたことに深くかかわるからです。
かつて韓国を代表する新聞の外信部に身を置き、責任ある立場で仕事を重ねたこのオールドジャーナリストは、俗にいわれるような、北朝鮮に影響力を持っているのは中国だ・・・といったレベルで語ったのではありませんでした。
もっと深く朝鮮半島の動向を洞察して、いま動きのとれない米国とまさに存在感を大きくする一方の中国という世界史的な構図の中で、北東アジアと朝鮮半島問題での中国の存在の重さとそれが果たすであろう「役割」さらにはそこで中国がめざすであろう「方向性」(意図)と選択肢について、深く考察、分析することこそが今後の北朝鮮情勢を判断するうえで不可欠になっているという、きわめて含むところの大きい、あるいは重い、示唆について語っているのでした。
金正日総書記の訪中問題とは、実は、この問題設定への「解」がほの見えてくるということであり、それゆえに固唾をのんで注視しているというわけです。
少し飛躍していうならば、北朝鮮と朝鮮半島問題への中国の決断とはどのようなものなのか、また北朝鮮はそれに対してどのような対策あるいは決断をもって向き合うのか、要はここに集約される問題が、多分、かなりの確率で見えてくるだろうと思うのです。
もちろんその際のアクターの一人は米国であることはいうまでもありません。朝、中、米と、中国を中にはさむ国際政治の「ゲーム」が見えないところで熾烈に戦われ、展開されているということ、そしてその方向性がそれほど時をおかず見えてくるということだろうと思います。
さて、残念ながら、この構図のなかでは韓国もそして日本もリアクターではあってもアクターではない、という実は深刻な問題が横たわっているというべきです。
韓国のオールドジャーナリストとの対話に読み取るべきことはそのことでもあると痛感したのでした。
さてそれにしても、メディアの伝える北朝鮮情報の危うさ、不確かさをのりこえる真剣な努力がなされないと、「リアクターからアクターへ」などと考えてみても、一歩たりとも踏み出せないことを、いま私たちは肝に銘ずるべきだと考えます。
その上で、朝、中、米の「ゲーム」の構図を真剣に見据えるならば問題の所在あるいは争点はもう明確に絞られているというべきです。
メディアが決まり文句のようにいう「米朝の溝は広くて深い」というような評論家然とした言説で事足れりというものではなく、なすべきことは明らかというべきです。
北朝鮮の主張への賛否や好悪をあれこれいうのではなく、問題は、北朝鮮の主張が何であり、米国が主張するのは何かというところを見据え論点のありかを明確にすれば、何をどうしようとも動かせないものは動かせないということがわかってくるのです。逆にいえば、何をどうすることで事態は動くのかがはっきりするというわけです。
そのためには北朝鮮が何を主張しているのかを冷静に見極める必要があります。
近いところでいうと、ひとつには朝鮮中央通信が3月16日付で報じた「備忘録」がありますし、もうひとつは3月末にバンコクで開かれたIPU列国議会同盟第122回総会での朝鮮最高人民会議代表団団長の洪善玉最高人民会議副議長の演説があります。
この演説で洪善玉副議長は「現在、朝鮮半島と地域の平和と安全保障で提起される根本の問題は朝米の敵対関係を終息させることである」として「米国の持続的な核の脅威に対処して自国の自主権と生存権の守護を目的にやむを得ず核の保有を選ばなければならなかったわれわれにとって、平和と安全保障問題は死活の問題として提起されている」「深い不信が根付く朝米の敵対関係を終息させる活路は、朝米間に平和協定を締結し、互いの信頼を築くところにある。6者会談が停滞しているのもまさしく、朝米間に信頼がないためである。」と述べています。
また、「備忘録」では3月に行われた米韓共同の軍事演習「キー・リゾルブ、フォールイーグル」を非難するとともに「米国の現民主党政府は、就任前から対朝鮮政策で『変化』を提唱した。しかし、それは虚構にすぎなかった。」「昨年、米国が非核化のための会談再開を請託し続けるので、まず朝米会談を行ってみて米国が朝鮮を圧殺しようとする意図を改めたのか確かめた後、多者会談にも臨む意向を明らかにする『最大の雅量』を示した」「新年には、平和協定締結で戦争状態に終止符を打ち、信頼を築いて非核化をはじめ朝米間の諸問題の解決を前進させることに関する提案も打ち出した。しかし、米国は合同軍事演習で核の脅威を極大化し、朝鮮大豊国際投資グループと国家開発銀行の活動に嫉妬して経済制裁のさらなる強化に進んでいる」と米国を非難しています。
そして「戦争か平和かという最も根本的な問題を抜きにして、朝鮮半島問題のいかなる解決も期待できない。米国は、核問題の軍事的・政治的根源である朝米間の戦争状態、敵対関係を解消して信頼を築くための実質的な措置を講じなければならない」と主張しています。
繰り返していいますが、北朝鮮側の主張をそのままよしとするのかどうか、あるいは好悪の感情を抱くかどうかということが問題なのではなく、この指摘と主張がなされているという現実をふまえて、では何をどうすれば事態を動かすことができるのかということです。
少なくとも、6か国協議を重ねてきた結果、このままでは北朝鮮としてはもはや得るものは何もないと断じているわけで、もし事態を動かそうという意志があるなら、残されるのは、米朝の直接対話による「戦争状態の終結」という道しか選択肢はないということです。
もちろん戦争もまたやむなしということであれば別ですが、朝鮮半島のみならず北東アジアにおよぶ「災厄」の甚大さを考えれば、事実上、そのような選択肢はありえないことは明白です。
とするならば、事はすでに煮詰まったというべきです。そのために、米国、中国がどう動くのか、それがいま試されているというべきです。
現実主義ということばを、いまこそかみしめて考えてみなければならないと思うのです。
また、そのような選択によってこそ、北朝鮮が主張することが本当なのかどうか世界注視の場で試されることになるという意味で、本質的に厳しく北朝鮮に迫るという構図をもたらすものだということです。
韓国の李明博政権のいう「グランドバーゲン」なるものこそが、一見耳にここちよく響きながら実は現実離れした、ある種の「観念論」にすぎないことがわかってきます。
交渉や協議というものは相手があることだということを忘れ自己の好悪や賛否でしか物事を考えられないとき、アクターであることを降りなければなくなる、それが国際政治の「ゲーム」というものです。
もし相手が気に入らないのなら、本質的に相手を追いつめるということはどういうことなのかという現実的な判断ができなければ勝負にならないというべきでしょう。
重ねていいます。この北東アジアで、またふたたびの戦争をしようというのなら別の選択肢があるかもしれないが、そうでないのであればとるべき選択は自ずとあきらかだというべきでしょう。
メディアもまたこのことを率直かつ正直に語らなければならないと思います。
すでに問題の所在は煮詰まり、動かし難く明白になっているということを直視すべきです。
2010年03月18日
(続)G20の韓国、もはや弱者ではない韓国に何を見るのか
「予想していたよりもメディアの掌握がすすんだ・・・」と、このオールドジャーナリストは顔を曇らせました。
李明博大統領と親密な関係にあるとされてきたキム・ジェチョル氏がMBCの新社長に選任されたのは、私がソウルに着いた前日のことでした。
キム・ジェチョル氏は高麗大学を出て1980年にMBC(文化放送)に入り東京特派員や国際部長、報道制作局長などを歴任して清州文化放送の社長を務めてきた人物で、「李明博大統領と親密なよしみで知られる・・・」とメディアが伝える存在でした。
こうした政権によるメディアの掌握に加えて、野党や市民団体など在野の反対勢力の後退、かつて力を持ったネットによる対抗世論の形成も弱体化したことなど、李政権に向き合う側の後退を深く憂う話が続きました。
「学生たちはどうなのですか・・・」という私の問いに対して、「いま若い世代は、どうすればよい企業に就職できるのか、いい暮らしをするためには・・・と、カネにばかり目を向ける風潮で、ある種の拝金思想が蔓延している・・・」と一層顔が曇るのでした。
ある意味では韓国の社会をけん引してきた学生運動の崩壊という時代を迎えていることを痛感しました。
韓国流あるいは李明博流の新自由主義が、いま、韓国社会を大きく変えようとしていることを感じます。
「軍事独裁政権からの民主化を目指してきた民衆が60%ほどの民主化で安住してしまった。昔の民主化運動の闘士たちも年をとって生活に追われている。民衆の力というのは一度失われると取り戻すことがとても難しくなる・・・」ということばに、いま韓国社会が直面している問題の重さを考えさせられました。
語の正確さということでいえば、開発経済学の厳密な概念規定から外れるかもしれませんが、私は今回の韓国行きで、「take off」ということばを思い出すことになりました。
「李明博エンジン」をふかして轟音とともにいままさにテイク・オフ(離陸)しようとして重力と上昇力が拮抗してせめぎあう中にある、そんな韓国社会というイメージが脳裏に浮かんだのでした。
引力を振り払うことができず失墜するのか、重力に勝ってそれらをねじ伏せるようにして飛び立つことができるのか、それはまだわからないのですが、ものすごい轟音の中に軋むような音や叫びが聞こえてくるように思ったものです。
それにしても、これまた学問的な市民社会論の定義づけがどういうものかは置くとして、少なくとも軍事独裁政権とたたかって民主化を手にしてきた韓国民衆の歴史を考えるなら、日本などよりずっと市民社会の礎がしっかりと組み上げられていると感じていた韓国社会に、こうした時代の転換点が訪れていることを考えると実に複雑な思いにならざるを得ないのです。
それはつまり、戦後日本の社会を激しく揺さぶった60年安保をへて高度成長に向かう中で労働組合がどんどん御用組合化していき実体的には企業経営の補完物でしかなくなり、ライシャワー路線といわれる、いまふうにいえばソフトパワーの「吸引力」に吸い込まれ、かつ蚕食されて、文化、学術、言論の「牙」がすっかり抜かれて「豊かで平和な社会」への道をたどった、まさに、日本の「いつか来た道」を髣髴とさせるものであるわけで、いうならば「成熟社会」にむかうということはなべてそういうものなのだろうか・・・という根源的な重い問いにぶつかるものでした。
韓国の地を初めて踏んだのが1992年と、実に「遅れてきた青年」とでもいうべき韓国との出会いの中で、時代とともに変化していく韓国社会を見つめながら、どれほど「近代化」の波が押し寄せても若いオフィスレディたちが街の屋台を囲んでトッポギをつつくうちは、私は、韓国は大丈夫だと思う・・・などと奇妙なロジックと表現で周りの人たちに韓国社会への思いを語ってきたのでしたが、今回、一年ぶりに訪れたソウルの鐘路の街角からはそうした「風景」が消えつつあることに気づいて愕然としたのでした。
鍾路の舗道からは屋台が消え、銀色に光るパイプで仕切られた花壇ともグリーンベルトともつかない空間が連なって実に無機質な歩道になっていることに、いまソウルに滞在してメディアにかかわる仕事に携わっている知人のことばで気づかされたのでした。
そこに屋台があって人が雑然と行きかい、屋台を囲む温もりのある風景がごく普通のこととして記憶に焼き付いている私には、そこにあって当たり前と思い込んでいたため、それが「消えた」ことに気づけなかったというわけです。
韓国社会はこれからどこへ向かうのか、深く沈潜する問いとして、胸の奥にこだますることになりました。
「しかし・・・」とそのオールドジャーナリストはことばを続けました。「野党もそして学生運動も、あるいは参与連帯など細々と頑張っているものをのぞけば市民運動も、いずれも力を失っている韓国だが、女性たちには期待が持てるのではないか。いま、生活に密着して、経済やいのち、そして環境を考え、さらに生活に根差した政治のあり方を考えて、韓国社会を変えていくのは生活者としての女性の力だといえるのではないか・・・」遠くを見つめるようにしながら洩れたことばには、ここからが本当に韓国社会の問われるところだという思いが強く込められていると感じました。
前のコラムに書いた韓国ドラマの続きに、再開発地域で追い立てを食う貧しい住民たちとともに歩む市長が「民主主義は政治や社会の問題ではない。人間が人間らしく生きるためのものだ」と若者に語りかけるシーンがありました。
李明博政権がめざす「もはや弱者ではない韓国」にむけて飛び立とうとするいま、韓国社会が問われることになる問題がこのドラマから見えてくる思いがしたものです。
そして、それは同時に、いま私たちがその前で立ち尽くしている「問い」でもあるのではないかと思うのでした。
さて、こんなふに書き綴っている間にも、いくつか韓国社会の現在(いま)について伝えるニュースが韓国国内で報じられています。そのうちのいくつかをメモしておきます。
8日公表の経済動向資料で韓国経済研究院(KDI)は「最近の韓国経済は回復速度が正常化し、全般的に安定局面に差し掛かっている」とした。
10日には李明博政権のチェ・ギョンファン経済知識部長官が国政成果評価討論会で「現政権が発足したのは世界不況の後遺症で難局が訪れた時期だったが、政府は死力を尽くし対処してきた。世界の評価は、韓国が前代未聞の経済危機から一番速く回復しつつあるという点で一致する。回復の段階で国民が底力を発揮することで、むしろ逆転する足場ができた。李明博政権のこの2年は、逆転の足場を築き、希望を芽吹かせる期間だった」と評価。
その一方で、企画財政部と統計庁が16日に明らかにしたところによると、昨年の1人世帯と農漁家を除く全世帯に中産層が占める割合は、可処分所得ベースで66.7%で、前年の66.2%よりはやや上昇したが、6年前の2003年(70.1%)と比べると3.4ポイント下落したことが報じられ、全世帯のジニ係数は、2003年の0.277から、昨年は0.293に上昇(格差が拡大)。所得上位20%の所得を下位20%の所得で割った5分位倍率は、2003年の4.44倍から昨年は4.92倍に高まった。所得が中位所得者の50%未満の人の割合を示す相対的貧困率も、同期間で11.6%から13.1%に上昇したことが明らかになった。
また前日、15日には、経済協力開発機構(OECD)がまとめた雇用動向で、韓国の1月失業率(季節調整値)は4.8%で、前月の3.6%から1.2ポイント上昇、上昇率は、調査対象22加盟国のうち最も高いことが伝えられる。
さらに、フォーブスの世界長者番付で韓国人11人がランクインしたこともニュースになっています。
ちなみに韓国人トップは資産72億ドルで100位に入ったサムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)前会長、次いで、現代・起亜自動車グループの鄭夢九(チョン・モング)会長が36億ドルで249位、サムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副社長が19億ドルで536位、教保生命の慎昌宰(シン・チャンジェ)会長とハンナラ党の鄭夢準(チョン・モンジュン)代表がそれぞれ16億ドルで616位、このほか、ロッテグループの辛東彬(シン・ドンビン)副会長と日本ロッテの辛東主(シン・ドンジュ)副社長がそれぞれ15億ドルで655位、新世界グループの李明熙(イ・ミョンヒ)会長が14億ドルで721位、現代自動車の鄭義宣(チョン・ウィソン)副会長が13億ドルで773位、LGグループの具本茂(ク・ボンム)会長とSKグループの崔泰源(チェ・テウォン)会長がそれぞれ11億ドルで880位。
韓国の「財閥経済」の面目躍如という顔ぶれが並んでいます。
さて、こうした李明博政権2年に見えてきた韓国社会の変化を背景に、オールドジャーナリストが「李明博政権には南北関係の改善と真面目に取り組む姿勢が見えない」と指摘した南北関係あるいは北朝鮮の動向について考えることが欠かせません。
きのう(17日)、韓国の聯合通信は北京発で、「北朝鮮問題に詳しい外交筋」が「中国最高指導者の日程を勘案したところ、25日から30日の間に金総書記が訪中する可能性が大きいとみている」と明らかにした、と伝えました。
そこでは「中国の指導部はこれまでも金総書記が訪中する場合には、中朝友好関係を踏まえ、その訪中期間に中国最高指導者の日程をほかと重複させることはなかったといわれる。また、金総書記訪中時の儀典責任者となる王家瑞対外連絡部長は、今月は海外訪問計画がない。20日からロシアやベイルート、フィンランドなどを公式訪問する習近平国家副主席も今月末に帰国予定で、これは金総書記と会う可能性を念頭に置いたものだという指摘もある。」とも伝えています。
ソウルで会ったオールドジャーナリストの話をふまえて、南北関係、さらには朝鮮半島はどう動くのかという視野で続きを書くことにします。
2010年03月10日
「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・B
〜G20の韓国、もはや弱者ではない韓国に何を見るのか〜
前回のコラムで、メディアでいわれる韓国経済の「V字回復」の実体について、鋭く、厳しい視線で語られる分析を紹介しましたが、もちろんそうした見方だけではありません。
一方には英フィナンシャルタイムズ(FT)が伝えた「韓国はもはや勝ち目のない弱者(underdog)ではない」と題したコラム(2月25日)にみられるように、韓国の経済回復を称賛するものもあります。
このコラムはFTのアジア担当編集長のデビッド・フィリング氏が筆を執ったもので、フィリング氏は冒頭でキム・ヨナ選手の活躍にふれながら「隣国である中国と日本の陰に隠れ、ほかの国々からは無視同然の扱いを受けてきたせいで自らを『勝ち目のない弱者(underdog)』と見なすことに慣れてしまったこの国にとって、スポーツの国際大会で勝つことはことのほか重要だ。しかし、韓国が弱者だという見方は実態にそぐわなくなりつつある。この国の人口はインドの20分の1にも満たないが、経済規模はほぼ同じだ。製品輸出額は英国のそれを上回る。英国がまだモノを作っていることを知っている人にとっては特に、これは意外なデータだろう。サムスンが貧しい人向けのソニーだと思われていたのはそれほど昔の話ではないが、同社は昨年、売上高で米ヒューレット・パッカード(HP)を抜き去って世界最大のハイテク機器メーカーに上り詰めた。今年の利益は、日本の電機メーカー大手15社による利益の合計をも上回る可能性が高い」と指摘しています。
また、韓国電力公社コンソーシアムがアラブ首長国連邦(UAE)の原子力発電所工事を受注したことや、米国市場で現代(ヒョンデ)車がシェアを拡大している点を高く評価しながら「韓国は既に順調な成長軌道に回帰している」としています。
さらに、購買力平価ベースで韓国の1人当たりの所得が2万8000ドルと「宿敵である日本」と5000ドルの差しかないとして「今や、長年追い求めてきた裕福な国という称号にもう少しで手が届くところにいる」としています。
こうした韓国経済への評価と歩調を合わせるように、8日、聯合通信は、昨年の韓国経済は、経済協力開発機構(OECD)の30加盟国のうち3番目に高い成長率を達成したと伝えました。
それによると、
「OECDが8日までに各加盟国発表の国内総生産(GDP)速報値を集計した結果、韓国の昨年の成長率は前年比0.2%で、ポーランド(1.7%)、オーストラリア(1.4%)に次いで3位を記録した。GDP速報値が集計された国は21カ国だが、9月までのGDPなどを勘案すると、最終的に加盟国のうち成長率がプラスだったのはこの3カ国にとどまると予想される」として、主要7カ国・地域(G7)はそろってマイナス成長となったと伝えています。
また、韓国の企画経済部関係者は「昨年の韓国経済は国際的に見た場合、実に善戦したと評した」とも伝えています。
しかし私たちはこの経済成長率という数字ですべてを語ることの陥穽について、すでに、痛いほど学んできています。
それよりも、フィリング氏の書く、これまでは「常に中国と日本に隠れて無視同然の扱いを受けてきた」と自ら考えてきた韓国が、経済や国際政治の面で成長し、「弱者の地位を抜け出すことになった」という指摘に注目すべきだと感じるのです。
今回ソウルを歩いてみて、ここにこそ、まさに李明博政権が今何を求め、なにをめざしているのかの重要なカギがあると感じました。
今回の韓国行では、開館したばかりの展覧館、チョンワデサランチェ(「青瓦台の居間」)に足を運びました。


景福宮の北西の角、大統領官邸、青瓦台の前の公園の一角に開館したこのチョンワデサランチェは、パンフレットの表紙に「現代史が息づく歴史の現場」「国民とともに歩む開かれた広場」「健康で緑にあふれるグリーンスペース」という言葉が掲げられていますが、李明博大統領の広報館といった趣で、非常に興味深く見ることになりました。


一階から順路に従って二階まで見て回ると、最後の部屋はG20の会議場を再現した部屋になっていて、このチョンワデサランチェには、フィリング氏のいうように、韓国が世界の強国として存在感を示すところに至ったということを、李大統領の手腕とともに誇るメッセージが強く込められていることが伝わってきました。
また、「国民とともに歩んだ2年」と題した写真集も置かれてあり、「庶民派大統領」を強調する写真が並んでいますが、こうした展示や写真の数々を見ながら、一方で、韓国が、富国であり強国をめざす背後で今どのような社会を招きよせているのかに目を凝らし、深く吟味することも忘れてはならないと考えさせられたものです。


ちょうど写真集に掲載されている報道写真の展示も行われていた
そんな感慨を抱いているとき、偶然、目に入ってきた韓国ドラマで、ITを駆使した株取引で若き経営者としてのしあがり、新都市を創る野望に燃える青年が、再開発事業の邪魔になる住民たちの住まいを押しつぶしながら「貧乏人は、いつもそうなったことを他人のせいにする!貧困や自殺を他人のせいにするな。自分の無能さが原因なのに他人のせいにして文句を並べる。お前は金のある意味をわかっていない。金がないから庶民なのだ。韓国の人口は何人だと思うか?!5000万人だが、問題は富んだ500万人に入るかどうかだ。自分も500万人に入ろうとすればいいのだ!それもしない負け組が何を言っても無駄だ・・・・」と言い放つシーンに出くわしました。
まさにドラマは社会の現在(いま)を映す鏡だと感じたものです。
大先達であるオールドジャーナリストのことばの一つ一つをかみしめながら、政権が発展と成長を謳い上げる背後の、一見なかなか見えないところで、韓国流というか李明博流「新自由主義」の嵐がいま韓国社会を席巻していることを感じ、明洞の地下広場のホームレスや深夜、凍てつくような冷え込みの街路にうずくまる人々の姿を思い起こして、実にやりきれない思いになったのでした。
(つづく)
2010年03月07日
「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・A 〜国民の希望、キム・ヨナ、そして国民の絶望・・・〜 ソウルに着いた27日(土)の朝刊はいずれも、キム・ヨナ選手の金メダル獲得を一面トップで(一面全面を占めて)報じていました。


ハンギョレ新聞 2010.2.27 東亜日報 2010.2.27
一般紙は当然のことですが、経済新聞もキム・ヨナ選手が一面全面を飾っていました。
毎日経済新聞 2010.2.27 韓国経済新聞 2010.2.27
また、テレビは「国民の希望、キム・ヨナ」あるいは「クィーン・ヨナ、君こそ大韓民国だ!」というテロップを掲げて長時間の特集番組を放送しました。
国民にとってキム・ヨナ選手の金メダルが、いかに多くの人に喜びと感動、そして勇気づけられる「物語」をもたらしたのかを感じながらテレビを見ていました。
その夜は、一方で、李明博政権2年を特集する番組も放送されました。
そこでは李明博大統領は「よくやっている」と評価する人が49パーセントあまりという「世論調査」結果が示され、スタジオで視聴者を交えて識者が討論を重ねていました。
昨年の同じ頃と比べると、一見、李政権の支持率は格段に上がり政策も着実にすすめられているように感じさせるテレビ番組でした。
しかし、夜の繁華街に出てみると、昨年の同じ時期と比べると、にぎわいが回復していることは感じられるのですが、以前はソウル駅周辺の地下道に多くみられたホームレスの姿が、明洞周辺の地下街にも広がってきていることに気づきました。
日本人観光客の買い物でも知られるロッテ百貨店から出てきた地下広場では、夜、ボランティアの若者が温かい飲み物などをホームレスの人たちに配る光景がみられました。
段ボールの囲いをして横になる人はまだましなほうで、敷物もなくそのままコンクリートの上に横たわる姿も多く、ソウルの冬の寒さでは凍死する危険も大きいのではないかと心配になりました。
また、年配者だけではなく、若年層のホームレスが増えていることも気になりました。
深夜の街を歩いてみると、昼間には見えなかった韓国社会のもう一つの姿が見えてきて、日本のメディアなどで伝えられる「韓国経済の活況」はいかにも浅く、単なる一つの側面でしかなく、重要なところを見落としていることに気づかされるのでした。
このような韓国社会の実相を前にすると、キム・ヨナ選手を「国民の希望」と熱く語ることがまったく違った風景として見えて来るのでした。
つまり、多くの人びとの失望や絶望の深さゆえに、いま、何かに希望を見出したいという強い欲求が働いて、こうした言葉が生まれているのだということに気づかなければ、韓国社会の現在(いま)を見間違える恐れなしとはいえないということです。
実は、金浦空港に着いて、昨年と同じ銀行で円を両替した際、一年前より円高になっているはずなのに、受けとるウォンがほぼ20パーセントも少ない(ウォン高)ことに、なるほど韓国経済の「V字回復」だ!と驚いたのでしたが、街で目の当たりにした光景は、そうした、日本のメディアが伝える「V字回復」とは相当かけ離れたものだったというわけです。
加えて、ソウルの街中ですすむ再開発のすさまじさです。
さて、そこでまず、韓国の経済の現状について、一年ぶりにお会いした先達のジャーナリストの話と氏の論考をはじめとるする資料類をもとに「もうひとつの分析」について少しばかり書いておくことにします。
「まったく、日本の田中角栄時代の土建政治そのものですよ!」と吐き捨てるようなことばが出たのは、鐘路タワーといわれる斬新なデザインのビルの前の交差点に立って、再開発区域の囲いに視線を投げた時のことでした。
「政府はカネをばらまき、次から次と、土地と再開発などゼネコンのプロジェクトへ流れる。企業を支援することが雇用に結びつくとしているが、雇用には向かわず土地投機にむかうばかり。庶民の所得は増えず、物価は上がり、政府は失業者を百数十万人としているが実際のところ五百万人以上だろう。李政権は経済を回復させるというのが最大の公約だったが、富者はますます富み、貧者はますます貧しくなるばかりで、庶民の生活は苦しくなる一方だ。まさに格差の拡大を招いているだけだ。その間にも国家の財政は悪化して債務は増え続けるばかり。南北関係はやるつもりがなく、メディアを握りそれによって『世論』を支配し、民主主義はどんどん後退している。情報系統の支配が形を変えて蘇った。以前は中央情報部と保安司だったが、いまは検察と警察を活用する手法に変わっている。それにしてもメディアは政権に有利なことしか伝えなくなってきている。KBSに続いてMBCの社長も李政権の息のかかった人物になった。李政権の最大の支持メディアである朝鮮日報をはじめ各新聞も同じ流れにある。いまこの状況に抗っている京郷新聞、ハンギョレ新聞にしてもどこまで持ちこたえられるかというところにきている・・・」
席に着くと同時に堰を切ったように語りはじめたオールドジャーナリストの言葉には、朴正煕軍事独裁政権の苛烈な言論弾圧に抗して生き抜いてきた人生の重みと、いまだ衰えることのない、ほとばしるようなジャーナリスト魂がこめられていることを感じました。
いただいた資料のなかに、ハンギョレ新聞に掲載された仁荷大学経済学部教授のユン・ジノ氏のコラムがありました。
「世相を読む」というこのコラムでユン教授は、2月25日に就任から2年を迎えた李明博政権の「政策成果」について分析するとともに、今後の方向性について考察しています。
ユン教授は冒頭で、李明博大統領が選挙当時に掲げた「747公約」にふれながら「この2年間の経済実績はとるに足らない(貧弱な)ものだ」とし断じています。
この「747公約」とは、7パーセントの経済成長、一人あたりの国民所得4万ドル、韓国を7大経済強国へというもので、経済大統領を掲げて選挙戦をたたかった李明博氏を青瓦台の主に押し上げる上で大きな効果を発揮したといえるものでした。
「経済成長率は2008年が2.2%、2009年は0.2%で平均1.2%水準にとどまっている。また、2009年末現在、一人あたりの国民所得は一万七千ドル(推定)水準で2005年の水準に後退した。名目GDP規模同様、2008年基準で世界15位と、とるに足らないものだ。株価指数が3000を突破するだろうと豪語したのも水の泡となった。747公約は失墜した。」
「もちろん、公正にいえば、とるに足らない(水準にとどまった)経済実績は、2008年の世界金融危機に主な原因があることは事実だ。政府与党は、むしろ景気回復の速度は他の国よりはるかに速かった点を主張した。しかし、すべてを経済危機のせいとばかり考えてはいられない。富裕層と企業にだけ恩恵が行く富者減税、大規模土木建設工事、主として投資による資源配分の非効率と成長潜在力の減退、社会福祉支出の現象と「職場(雇用創出)政策」の失敗など、いたるところで目につく、政策方向の設定と政策の失敗により、平凡な国民の苦痛が増している事実を無視してはならない。」
このようにユン教授は警鐘を発しています。
さらに続けて「所得分配と貧困指標はこの2年間で一斉に悪化した。所得配分の不均衡を示すジニ系数は、2007年の0.344から2008年には0.348に悪化し、相対的貧困率は、同じく17.5%から18.1パーセントに上昇した。我が国の全世帯の五分の一が相対的貧困状態にあるというわけだ。また失業者数は2008年1月の77万5000人から2010年1月には121万6000人と44万人も増加し、週に18時間未満の就業者、非経済活動人口の中の就業準備者、特別な理由なく休んでいる人など、事実上の失業者を合わせると実際の失業者は400万人をこえると推定される」と、韓国社会の深刻な格差拡大と失業者の増大の実態について語っています。
私たちが日本の経済誌や新聞記事などで接している「韓国経済のV字回復」とはまったく違った、もうひとつの韓国経済と社会の相貌が見えてきます。
「なによりも心配なことは分別のない財政支出により、これまで堅実な黒字を継続させてきた財政支出が2009年には10兆ウォン以上の赤字を出し、国家債務も急増して、2012年には470兆ウォンをこえるだろうという点だ。個人負債も同様に急増して700兆ウォンを突破したという報道もあった。「ペクス」(フリーター)400万人時代、700兆ウォンの個人負債、400兆ウォンの国家債務で、われわれは『747』ではなく『474』時代を生きているわけである。」と、
李明博政権の「747」公約をシニカルに批判し、
「結局現政府の経済政策は未来の資源を先に引き出して、富裕層支援、財閥支援、四大江整備事業(サプチル:シャベルを使って土砂をすくう)などにジャブジャブ使っている計算で、これは未来の世代に大きな負担をかけることになるのだ。2012年末にある大統領選挙では747ではなく474問題を解決するという公約を掲げて出る候補者が当選するかもしれない。しかし、誰が次の大統領になるにせよ、結局474公約は、やはり守られないという“うそっぱち”として終わることになるだろう。」と手厳しく問題を指摘しています。
私は日本で韓国がどう報じられているのか注意を払って見たり読んだりしていますが、ソウルに駐在している日本の記者たちはどうしてもっと深く韓国社会について取材しないのでしょうか・・・という、このオールドジャーナリストの問いかけに、私は答える術を持ちませんでした。
韓国の現在(いま)の「もうひとつの貌」をめぐって、考えさせられながら街を歩き、そして、この大先達というべきオールドのジャーナリストの話に耳を傾けたのでした。
(つづく)
2010年03月06日
「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・@
年明け以来、長くこのコラムを休んでしまいました。
この間、何人もの方々から、どうなっているのかというお問い合わせをいただきました。
また、お会いする機会のあった方からも、体調でも崩しているのかと尋ねられることもありました。
ご心配をおかけしたことをまず深くお詫びします。
研究会や会合などで忙しく過ごしていたことは確かですが、体調を崩すこともなく、ひたすら駆けずりまわっていましたので「長き不在」のわけは、なんらかの不具合があったということではありません。
むしろ、書かなければならないと思うことは積もり積もっていたというべきです。
しかし、またもやというべきか、こうして語り、メッセージを発して言説を重ねることの意味をひたすら考える日々となっていました。
「理論は灰色だ、現実は緑なす樹だ」と言ったのは、革命家にして理論家であるレーニンだったと記憶しています。
47巻にも及ぶ全集の並ぶ書棚を見るだけでも圧倒される膨大な論文を書き、論を重ねたレーニンが言うのですから、この一節の意味するところは実に重いと思ったことがあります。
私たちの言説が、ただ現象や事象についてあれこれの解釈をしてみせたり「おしゃべり」するだけのものであってはならないという強い思いに、ただただ立ち尽くす日々を重ねていたのでした。
何かを語ろうとする際、ここで言う「立ち尽くす思い」をどうのりこえていくのか、私にとって重い命題としてあり続けています。
とりわけ中国や朝鮮半島を中心とする北東アジアを見つめ、その動きと向き合って立つ時、こうした思いは一層重くのしかかってくるのでした。
また、私自身が長く身を置いてきたメディアのありようを見据え、考える時、単なる批評や評論ではなく、どのようにしてその「現実」を変えるのか、どのようにしてそのための実体ある力としていくのかを自身に問いかけることなく、何かを語ることに、深く逡巡する思いが募るのでした。
そんな思いを抱えながら、先週末から慌ただしくですが、韓国・ソウルを訪ねて戻りました。
ちょうど一年ぶりの韓国は、バンクーバーオリンピックのフィギュアで金メダルを獲得したキム・ヨナ選手の活躍に国中が沸き、李明博大統領が就任から2年、そして三・一独立運動の記念日「三・一節」を迎える時でした。
大先達というべきオールドジャーナリストにお会いして、韓国の現在について時間をかけて話を聴くとともに、時間の足りない分はこれらを読み込むようにと準備してくださった新聞や雑誌の記事、そのほかの論考などの資料をいただいて戻りました。
帰国してすぐ、まず経済にかかわる資料を翻訳して読み込んでみました。
そこからは「韓国経済のV字型回復」の虚構性が垣間見えてきます。また、6月の地方選挙の行方、そして与党ハンナラ党が分裂するかどうかが、韓国の行方を占う当面の焦点だと語る、先達のジャーナリストのことばが重みを持って迫ってきます。
コラムの「長き不在」を破って、そうした「現場」からのレポートを書くべく手を動かしはじめたのですが、ちょうどその時、重要な「呼びかけ」を受け取りました。
まずはそのことから記しておかなければならないと考え、内容を変更してこれを書いている次第です。
それは、高校無償化法案と朝鮮学校の問題です。
韓国に出かける直前、この問題がニュースで伝えられました。
結論からいうと、首相就任に際して「東アジア共同体」などというものを掲げた鳩山由紀夫という人は一体どういう思考構造を持っているのだろうかと驚くとともに、政権交代とは一体何だったのだろうかと、改めて考えさせられたのでした。
以下は「高校無償化法案」をめぐって、記者がメモした、先月25日夕刻の鳩山首相との「ぶらさがり」の一問一答です。
―中井洽・国家公安委員長が朝鮮学校は支給対象外とするように要請しているが、総理の見解はどうか。
「これはいま調整、最後の調整しているところと承っていますが、これはやはり、朝鮮学校の方々のどういう、いわゆる指導内容とかね、どういうことを教えておられるのかというようなことが必ずしも見えない中で、私はやはり中井大臣の考え方というのは一つ案だと考えております」
―具体的な対象についての総理の考えは。
「方向性として、そのような方向性になりそうだというふうには伺っていますが、最後の調整だと思います」
「最後の調整しているところと承っていますが・・・」「そのような方向性になりそうだというふうには伺っていますが・・・」などと、これが総理という立場にいる人間の言だろうかと唖然とするのは置くとしても、見識というものを感じることのできないこの「一問一答」はなんだろうと言葉を失いました。
すでに報じられているように、今回の「高校無償化法案」の骨子は2010年度から、
(1)公立高校の授業料をとらない
(2)私立高校生には公立高校授業料と同等額の年約12万円を助成する
というものです。
そして、国会での審議入りを前に、中井洽・拉致担当相が、在日朝鮮人の生徒ら(朝鮮籍、韓国籍の生徒がいます)が通う各地の朝鮮学校を対象にすることについて「制裁をしている国の国民だから、十分考えてほしい」と川端達夫文部科学相に要請したことで、朝鮮学校を対象とするのかどうかが論点の一つに浮上したものです。
鳩山首相の記者との一問一答を目にすると(私は「ぶらさがり」の現場にいたわけではありませんが、多分このメモにあるとおりなのだろうと思います)彼の掲げる「東アジア共同体」などというものになんらの哲学も思想もなく、そして歴史意識のかけらもなく語られていたことが白日の下に曝されてしまったというべきですが、そんなことをあれこれ論評してみたところで、それこそなんの力にもなりませんので、今は、やめておきます。
そこで、冒頭に書いた、私が受けとった「呼びかけ」と「共同要請」の本文を以下に記すことにします。
「共同要請」への賛同のお願い
◇私たちはこの間、外国籍の子どもたちの学習権を保障するためのさまざまな取り組みを行なってきました。そして昨年9月誕生した新政権に対しても、朝鮮学校や韓国学校、中華学校、ブラジル学校、ペルー学校など200校以上になるすべての外国人学校の処遇改善を求めてきました。
◇新政権が「高校無償化」制度を提起し、その中に外国人学校を対象としたことは、画期的なことです。しかし、朝鮮学校だけこの制度から除外しようとすることは、憲法および国際人権諸条約に違反するものであり、朝鮮学校に通う子どもたちの心を踏みにじるものです。
◇この共同要請書に、多くのNGO・市民団体・労組・諸団体および個人に名前を連らねてもらい、3月11日、政府に提出すると共に、海外の人権団体などに送付します。
○要請書に賛同される団体・個人は、3月10日正午までに、団体名か個人名を、英語表記を併記して、下記のEメールアドレスまでお知らせください。
school@econ-web.net(外国人学校ネット)
○また、賛同された団体は、各団体のウェブやMLで、この共同要請を広く発信していってください。
<呼びかけ>
外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク(代表:田中 宏)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2−3−18−52 在日韓国人問題研究所
電話03-3203-7575(佐藤)
〒160-0023 東京都新宿区西新宿7−5−3 斎藤ビル4階 みどり共同法律事務所
電話03-5925-2831(張)
〒657-0064 神戸市灘区山田町3−1−1 神戸学生青年センター
電話078-851-2760(飛田)
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内閣総理大臣 鳩山由紀夫 様
文部科学大臣 川端 達夫 様
<NGOと市民の共同要請>
私たちは朝鮮学校を「高校無償化」制度の対象とすることを求めます。
私たちは、多民族・多文化社会の中ですべての子どもたに学ぶ権利の保障を求めて活動するNGOであり市民です。
新政権のかかげる「高校無償化」制度においては、政権発足当初より各種学校である外国人学校についてもその範囲に含むことが念頭におかれ、昨秋、文部科学省が財務省に提出した概算要求でも朝鮮学校などの外国人学校を含めて試算されていました。
ところが今年2月、法案の国会審議を目前にしたこの時期、新聞各紙では「中井拉致問題担当相が、4月から実施予定の高校無償化に関し、在日朝鮮人の子女が学ぶ朝鮮学校を対象から外すよう川端達夫文部科学相に要請、川端氏ら文科省の政務三役が検討に入った」(2月21日)、「鳩山首相は25日、高校無償化で、中井洽拉致問題担当相が朝鮮学校を対象から外すよう求めていることについて『ひとつの案だ。そういう方向性になりそうだと聞いている』と述べ、除外する方向で最終調整していることを明らかにした」(2月26日)と報道されています。しかし、日本人拉致問題という外交問題解決の手段として、この問題とはまったく無関係である日本に生まれ育った在日三世・四世の子どもたちの学習権を「人質」にすることは、まったく不合理であり、日本政府による在日コリアンの子どもたちへの差別、いじめです。このようなことは、とうてい許されることではありません。
朝鮮学校排除の理由として「教育内容を確認しがたい」との説明もなされていますが、これは、『産経新聞』2月23日付けの社説「朝鮮学校無償化排除へ知恵を絞れ」にも見られるように、朝鮮学校排除のために追加された名目にすぎません。
朝鮮学校は地方自治体からの各種学校認可や助成金手続きの際、すでにカリキュラムを提出していることからも、「確認しがたい」との説明はまったく事実に反します。また、日本のほぼすべての大学が朝鮮高級学校卒業生の受験資格を認めており、実際に多くの生徒が国公立・私立大学に現役で進学している事実からも、朝鮮
高級学校が、学校教育法第1条が定める日本の高等学校(以下「1条校」という)と比べても遜色ない教育課程を有していることを証明しています。
そもそも、1998年2月と2008年3月の日本弁護士連合会の勧告書が指摘しているとおり、民族的マイノリティがその居住国で自らの文化を継承し言語を同じマイノリティの人びととともに使用する権利は、日本が批准している自由権規約(第27条)や子どもの権利条約(第30条)において保障されています。また、人種差別撤廃条約などの国際条約はもとより、日本国憲法第26条1項(教育を受ける権利)および第14条1項(平等権)の各規定から、朝鮮学校に通う子どもたちに学習権(普通教育を受ける権利、マイノリティが自らの言語と文化を学ぶ権利)が保障されており、朝鮮学校に対して、日本の私立学校あるいは他の外国人学校と比べて差別的な取扱いを行なうことは、そこに学ぶ子どもたちの学習権・平等権の侵害であると言わざるを得ません。
「高校無償化」制度の趣旨は、家庭の状況にかかわらず、すべての高校生が安心して勉学に打ち込める社会を築くこと、そのために家庭の教育費負担を軽減し、子どもの教育の機会均等を確保するところにあるはずです。
朝鮮学校は、戦後直後に、日本の植民地支配下で民族の言葉を奪われた在日コリアンが子どもたちにその言葉を伝えるべく、極貧の生活の中から自力で立ち上げたものです。いま朝鮮学校に通う子どもたちには朝鮮籍のみならず、韓国籍、日本国籍の子どもたちも含まれており、日本の学校では保障できていない、民族の言葉と文化を学ぶ機会を提供しています。
このような朝鮮学校に対して、1条校と区別するだけではなく、他の外国人学校とも区別して、「高校無償化」制度の対象から除外する取り扱いは、マイノリティとして民族の言葉・文化を学ぼうとする子どもたちから中等教育の場を奪うものであり、在日コリアンに対する民族差別に他なりません。
去る2月24日、ジュネーブで行なわれた国連の人種差別撤廃委員会の日本政府報告書審査では、委員たちから「朝鮮学校は、税制上の扱い、資金供与、その他、不利な状況におかれている」「すべての民族の子どもに教育を保障すべきであり、高校無償化問題で朝鮮学校をはずすなど差別的措置がなされないことを望む」「朝鮮学校だけ対象からはずすことは人権侵害」などの指摘が相次ぎ、朝鮮学校排除が国際社会の基準からすれば人権侵害であることはすでに明らかになっています。
外国籍の子も含めてすべての子どもたちに学習権を保障することは、民主党がめざす教育政策の基本であるはずです。私たちは、朝鮮学校に通う生徒を含めたすべての子どもたちの学習権を等しく保障するよう強く求めます。
2010年3月10日
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さて、友愛などという、政治の場では口に出すのも面映ゆいスローガンを掲げる鳩山首相。
「友愛」の実のあるところを見せることができるかどうか、はなはだこころもとないのですが、ただ待っていても実現しそうにありませんので、ここは意を決して、この「呼びかけ」と「要請文」をできるだけ多くの人びとに読んでいただこうと思い、これを書きました。
このあと、ソウル・レポートを続けますが、まずはここまでにします。
2010年01月02日
ホームページをお読みください!
中国関連の書物についての「感想」も、書物の感想の形を取りながら、じつに鋭く興味深い「現代中国論」が展開されています。
お正月の、時間のあるうちに、ぜひ、ご一読ください。
Webのアドレスは以下の通りです。 http://www.shakaidotai.com/CCP078.html
2010年01月01日
考えるべきことは何なのか〜元日の社説を読んで考える思考のベクトル〜
日中も気持ちのいい日差しがふりそそぎ、ゆったりした気持ちで過ごせました。
しかし、朝から新聞五紙を並べて読み比べながら、どうも釈然としない問題につき当ってしまいました。
いま日本が、あるいは私たちが大きな転換期にあることはいうまでもないことですが、とりわけ今年は日米関係にかかわって、単に外交、国際問題にとどまらず、国内の社会あり方との連関で論を展開していく論調が目につきます。
企画記事もそうですが、社説にそれが顕著に表れているように感じます。
普段はそれほど熟読しないことが多いのですが、年の初めということもあり、各紙の社説をじっくり読んでみました。
まず、社説のタイトルを挙げてみることにしますが、産経だけは、普段の「主張」ではなく、一面に、「年のはじめに」として、論説委員長が筆をとって、「国思う心」が難局を動かす、と題した論説を掲げています。
それ以外の各紙はいつもどおり「社説」を掲載しています。
そこで社説のタイトルを見てみますと以下のような具合です。
激動の世界で より大きな日米の物語を(朝日)
ニッポン漂流を回避しよう 今ある危機を乗り越えて(読売)
2010再建の年 発信力で未来に希望を(毎日)
未来への責任 繁栄と平和と地球環境を子や孫に(日経)
それにWebで読んだ東京新聞の社説は、
年のはじめに考える 支え合い社会の責任
となっていました。
それぞれの問題意識の根底には、安全保障と日米同盟の問題が大きな位置を占めていることが見えてきます。
そこで、釈然としない問題とはどういうことなのかです。
たとえば、「続く地殻変動の中で、日本はどうやって平和と繁栄を維持し、世界の安定に役立っていくのだろうか」というくだりについては大いに問題意識を共有するのですが、その先に「いざというときに日本を一緒に守る安保と、憲法9条とを巧みに組み合わせる選択は、国民に安心感を与え続けてきた。そして今、北朝鮮は核保有を宣言し、中国の軍事増強も懸念される。すぐに確かな地域安全保障の仕組みができる展望もない。米国にとって、アジア太平洋での戦略は在日米軍と基地がなければ成り立たない。」と展開していく論理についてです。
あるいは「鳩山首相が言うように、米国依存を改め、対等な関係を目指すのなら、北朝鮮などの脅威に備えた自主防衛力の抜本的な強化が必須となる」と論を展開しているものありました。
いずれにしても、日本の周辺での脅威として中国や北朝鮮があるがゆえに、日米安保の重要性があるのだというわけです。
至極ごもっともとする論調が大勢を占める中で、わたしはやはり釈然としなくなってしまうのです。
北朝鮮や中国の存在が脅威だとするなら、軍事的にそれらを凌駕することを考えるのが「安全保障」ということになるのか、という問題なのです。
年のはじめから、そんなに愚直で素朴なことでいいのか!と叱られるかもしれませんね。
しかし、ここは普通の人間の、ふつうの感覚で、考えてみようと思うのです。
たとえ、普通の人間の普通の感覚をバカにされてもです。
あらためて、外交とは何か、であり、戦略とは何であるのか、です。
ここはあえて「素朴な話」にします。
脅威があるのなら、どうすれば脅威でなくなるか、脅威が減っていくのかを考えることこそが大事になるのではないでしょうか。
こんなことは赤子にでもわかる論理です。
しかし、あまりにも素朴すぎて、バカにされるのがオチということでしょうか・・・・・。
あるいは、「有事の際に米国が日本を守り、その代わりに日本が米軍に基地を提供する、という相互補完関係・・・」という文脈では、有事にならないようにどう努力するのか、という問題の立て方にどうしてならないのかということです。
あまりにもまともすぎてバカバカしい、ということであれば、そもそも外交とは何かという問題に答えてほしい、といわざるをえません。
「脅威があるから・・」・という論の立て方は一見もっともらしいのですが、そこから、その脅威をのりこえて脅威でなくなるように努力するにはどうすればいいのかという方向に思考を向けるのではなく、いまある前提を前提としてしかものを考えられないことが、その先を「狭く」してしまうのではないかと、わたしは釈然としないのです。
いってみれば、「いまある危機」を目の前にして考える、その後のベクトルが異なるのではないか、という疑問なのです。
転換期というなら、もう一度思考の根底にまで再検証の目を光らせて、考えるベクトルこそを見直してみることが必要なのではないか・・・?
新年最初の「釈然としない」疑問です。
そして、もっと根源的には、たとえば北朝鮮の脅威とはどのようなことであり、台頭著しい中国の脅威とは何を指すのか、について詳らかにかつ論理的に語ることができなければ、脅威に対処するためのあれこれについて述べる資格などないというべきではないのか・・・。
所与の前提を前提としてしか認識できず、それに身の丈をあわせることしか発想できない人間に、歴史的転換期に言説を重ねる資格があるのだろうか・・・。
考えてみると、この「思考のベクトル」の問題は、実は本質的な問題だということが見えてきます。
さて、歩まねばならぬ・・・。
であるならば、何をどう考える必要があるのか。
それが深く、厳しく問われてきます。
そういえば、けさの社説に、
「メディアもまた試されていることを胸に刻みたい」
と結ばれているものがありました。
まさにそうなのだろうと思います。
今年最初の、私の「疑問」であり、同時に問題提起です。
2009年12月31日
「釜が崎」の人びとへの手紙
これを書きはじめた今、2009年も、もう3時間を切りました。
テレビからは「紅白歌合戦」の華やかな舞台の様子が届いています。
一年前の今頃、東京では、日比谷公園の「年越し派遣村」が大きなニュースになっていました。
湯浅誠氏が内閣府参与についたことで、昨年のような「問題」にならずにすんでいるのでしょうか。
少なくとも今年は、表面的には、去年のような大きなニュースにはなっていませんし、話題にもなっていないようですから、「静か」に過ぎているのかもしれません。
しかし、湯浅氏が政府の「貧困・困窮者支援チーム」の事務局長に座ったからといって、問題が解消したとはとても思えませんから、この「静けさ」は、私にとっては、不思議です。
もちろん、伝えられるところでは、全国の136の自治体が「官製派遣村」を開設して、職業や住まいなどの「生活相談」に乗るということですし、東京都は、28日午後から年明け4日まで、宿泊場所、食事の提供をするということですから、事態は、少しは改善されているのかもしれません。
しかし、重ねてですが、問題が根本的に解決したわけではないことはいうまでもありません。
25日に発表された完全失業者は331万人、完全失業率は5.2%で「4か月ぶりに悪化」と報じられました。
このところ電車に乗るたびに「人身事故」で一時運転が止まったり、遅れが出ていたりということに遭遇することが多くなっていました。
1日に何度もそういう事態に遭遇したり、あるいは、路線を乗り継ぐとそこでもまた、ということもしばしばでした。
そのたびにこの「人身事故」という無機質なことばに胸が痛んだものです。
率直にいえば、人が列車にむかって身を投げる、その光景が想像の中に浮かび、ことばがでなくなり、ただ気持ちが沈んでいく、そんな日が頻繁になってきていることに、やりきれない思いで気持ちが暗くなるのでした。
去年のようにメディアで「話題」にならないだけなのか、問題が本当に改善されているのか、それすら分からなくなっているということは、決して昨年より事態が良くなったとはいえないのではないかと、私は考え込むのです。
オーストラリアの思想家、テッサ・モーリス・スズキさんがかつてメディアにかかわる講演の中で、「無知の技術」という問題提起をしていたことを思い出します。
この講演は、戦争とメディアの責任をめぐってのものでした。
そこでテッサさんは、
「私たちは『情報技術』という言葉をよく使います。しかし、こうしたメディアと戦争の関係を考えますと、私は最近、非常に洗練された『無知の技術』が発達しつつあるのではないかと感じます。『無知の技術』とは、戦争の場合、人々を理解させるために情報が提供されるのではなくて、人々が理解できないように情報が提供されることです。あるいは国民の関心を喚起するために情報が与えられるのではなくて、国民を無関心にさせるために情報が与えられていることです。」
と述べています。
内閣府参与になった湯浅氏の事はしばしば話題にされ氏のインタビューなどが伝えられたとしても、結果的に、それが事態を目に見えなくしてしまうことになったとするなら、なんのための政府の役職なのだろうかと思わざるをえません。
これがテッサ女史のいう「無知の技術」の類でなければいいのだがと念じるばかりです。
昨年のいまごろのことを思い出して、そんなことを考えるのも、この時期、仕事を失い、寝る場所さえ確保できない野宿者を、夜通しの「越冬パトロール」で支える活動をしている大阪・釜が崎の人たちから「通信」が送られてきたことも強く働いているのかもしれません。
「派遣切り」が問題になるずっと以前から、「釜の人びと」(大阪、現地では「釜」:カマといえばそれだけで釜が崎と通じます)には日常のこととして、そうした苦しみが重くのしかかっていました。
ただ、報道されなかっただけです。
あまりにも「日常的」だったがゆえに、多くの人びとから、そしてメディアからも、見向きもされないという「境遇」に置かれていただけの事です。
もちろん、私もまた、偉そうなことの言えたものではありません。
それだけに、今年の『静けさ』が気になるのです。
湯浅氏が内閣府参与として政府の側に入ったことで、問題が改善したといえることを切に願うばかりですが、もしそうでないとするなら事態は一層深刻だと思います。
取材して伝えることを、欧米では、cover:カバーというのはよく知られていますが、今年のこの「静けさ」を、事態に蓋をして(coverして)見えなくなったのではないことを念ずるばかりです。
年の終わりに、いささかでもメディアにかかわりを持つ身であること、社会を見つめ、世界と時代について考え、ささやかであっても言説を重ねるおのれをふり返って、自戒をこめて書いているのですが、その意味で、「通信」を送ってくれたことへのお礼の気持ちをこめて釜が崎の人たちに書き送った書状を、最後に転記しておきます。
今年も残り少なくなって、慌ただしく過ぎて行きます。
先日は「通信41号」をありがとうございました。
(本当は「ございました」なんて言わずに、ありがとう、と大阪弁で言いたいんやけど手紙なんでそうもいきませんから、ちょっとよそよそしい言い方になります。)
世の中が休みになる年末年始は、釜のおっちゃんやおばちゃんにとって一層厳しい時期になることを思い出して、胸が痛みます。
いまは、多分、若い人たちも大変だと思います。
私のほうは仕事を辞して、素浪人風「たった一人の研究所」生活の一年が過ぎました。
「いばらの道だぞ!」という忠告をして下さった方もいました。 その通りであるだろうと思っていました。
「貧乏ヒマなし」を地で行くように、本当にお金儲けとは無縁のことばかりですが、毎日追われていて、会社にいたときも、普通より相当一生懸命働いていたつもりだったので忙しかったのですが、それ以上に忙しくて、なんでこんなんやろか、と呟いています。
しかし、少しずつですが、属した企業や経歴においてではなく、「素浪人」として自身を語ることばを獲得して、なにもない一人の人間として語ることができるようになってきたように思います。
それはいわば「原点への旅」という趣でもあります。
今年、私よりふた世代も若い、すぐれた知識人(友人と呼ぶことを許されるなら嬉しいのですが米谷匡史さんという人です)が編んだ谷川雁の書を手にして、その序章に置かれた「原点が存在する」を読みながら自身の歩んだ道を反芻しました。
『日米新安保条約』と冠された書物を握りしめてアジアと日本について真剣に考えはじめた中学生のころ。
その時亡くなった樺美智子さんのご母堂から、美智子さんが「出かけた日」そのままにしておかれてある部屋に案内された学生時代。
ジャーナリズムのあり方を深く考えさせられ、生き方を厳しく問われた父という存在・・・。
すべて、おのれの原点とはなんであるのかを問い返す営みだったと感じます。
今年秋、1970年以来「亡命」状態で日本に住み、アジアをそして世界と時代を見据え、舌鋒鋭く語り続けてこられた鄭敬謨氏と長時間にわたりお話する機会を得ましたが、その際、シアレヒム、「一粒の力」ということばと出会いました。
また、以前、仕事をしていた時期に折々励ましのことばをかけてくださった故岡部伊都子さんを偲ぶ会で、生前岡部さんが親交を結んだ韓国の詩人高銀氏のメッセージを紹介する役目を負ったのでしたが、その高銀氏の記したことばに「われら未完の歴史を完成の歴史に変えようとしながら、その未完の歴史の中を生きる苦難の光栄がいかに得難い貴重なものであるのか」というくだりがあります。
東アジアが依然として冷戦と分断の時代をのりこえることができずにいる現在、アジアとメディアのありようを見据えることをわが原点とし「未完の歴史を完成の歴史に変える」ために、「一粒の力」ということばを胸に、ささやかな営みではあっても努力を重ねたいと念じています。
「通信41号」を読みながら、世の中と人間にしっかり向き合っていかなければならないと、あらためて思い定めたのでした。
私にできることはあまりないのですが、釜のみなさんにとって、新しい年が少しでも希望の見える年になるように祈るばかりです。
みなさんも身体に気をつけてがんばってください。
2009.12.28記
ささやかなこのブログコラムも、新しい年を迎えると、3年目に入ります。
こころして、書き継いでいきたいと思います。
みなさんにとって、そして世界にとって、ぜひ良き年であるよう深く念じて、今年最後のコラムの筆を置きます。