2010年05月07日

金正日総書記訪中終え帰国へ


 予想されていたことですが、きょう6日(もう暦がかわりましたので、昨日ですが)は金正日総書記の動向についての情報がガクンと少なくなりました。

 各メディアの報道も「・・・とみられています」「・・・の可能性もあります」「という情報もあります」という文体一色です。

 それらを比較してみると、メディアによって事実関係(の推測)がずいぶん違っていることに気づきます。

 こういうときは、つまり北京に入ってしまえば(釣魚台迎賓館に入ってしまうと)とにかく車の出入りを張るぐらいしかないわけで、動向がわからなくなることは当然のというか予想の範囲なのですから、無理してあやふやなことを報じる必要はないと、私などは、思うのですが、それでは現場では許されない、というか東京のデスクは許してくれないのでしょう。
 
 私は、こうした推測をあれこれ書くより、きょう(6日)は、もっと大事なことに目を向けておく必要があると思いました。

 一つは、アメリカの反響です。
 
 米国務省の広報担当、クローリー次官補が5日の定例記者会見で、「金正日総書記が6日に胡錦濤国家主席と会談するとの情報について『われわれは中国と考え方を共にしており、会談に期待している』」(共同)と述べたというのです。

 ただし、韓国の聯合通信が伝えた、
 「金総書記が中国にいる事実を把握しており、あす中朝高官の会談が開かれるものと承知している。われわれはこの会談を予想し、これに関する立場を中国と共有してきた」
 と伝えたのとは若干言葉のニュアンスが違っていますので、ここは原文での吟味が必要かと思います。
 
 しかし、いずれにせよこのクローリー次官補の発言は重要な含みをはらんでいると思います。

 もっとも、知ってか知らずか、どちらかは判然としませんが、この大事な部分がすっぽり抜け落ちてしまっている記事もあります。
 
 たとえば、「クローリー米国務次官補(広報担当)は5日の記者会見で、北朝鮮の金正日総書記と中国首脳との会談について、『北朝鮮が自身の義務と約束を果たし、挑発行為を停止することを望む』と述べ、金総書記が核放棄に向けた約束の履行などを表明することへの期待感を示した。」(「読売」)といった記事です。

 もう一つの重要なニュースは、今月15、16日の二日間韓国の慶州で日中韓3カ国の外相会議がひらかれることが今日(6日)発表されたことです。

 このタイミングでの日中韓の外相会議です。
 目には見えない熾烈な「火花」が飛んでいます。
 これこそ要注目です。

 また、もうひとつ加えると、韓国の反応が「八つ当たり状態」だと書いたのですが、これに李明博大統領がブレーキをかけたというのです。

 「韓中両国間に外交をめぐる対立はない」という内容の報道資料を韓国外交通商部が、わざわざ発表したということです。
 当然といえば当然のことですが、李大統領としても、これはまずいと考えたのでしょう。

 朝鮮日報は「今月3日、4日の両日、外交通商部のシン・ガクス第1次官と、玄仁沢(ヒョン・インテク)統一部長官が張金森駐韓中国大使と面会して中国の責任ある役割を求めるとともに、中国が金総書記の訪中について事前に通告しなかったことに対し遺憾の意を伝えたのとは、態度が大きく変わった。
 前日まで、駐韓中国大使を呼んで遺憾の意を表明していた同部と統一部が、突然方向転換したのは、大統領府内部の空気の変化と無関係ではないとみられる。」といささか不満げに伝えています。

 さて、きょう7日以降、今回の金正日総書記の中国訪問について、中国、北朝鮮両者の間でどのような発表がなされるのか、注目です。
 



 
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2010年05月06日

金正日総書記、北京へ


 金正日総書記は天津市内を視察した後そのまま車で北京に入りました。

 結局、中国初の高速鉄道には乗らなかったわけですが、不必要なことは一切しないという考え方が見えてきて興味深いものがありました。

 考えてみれば、いま、北朝鮮にとって高速鉄道(新幹線)は差し迫った政策課題としてあるわけではありませんし、そんなことに時間を費やするのは効率的ではないという考えがあったのでしょう。
 
 金正日総書記の実用主義というのでしょうか、実務に役立たないものには無駄な時間を割くことはしないという考え方が垣間見えて実に興味深く感じました。

 天津から北京市街に入って、長安街をフルスピードで走り抜けて釣魚台迎賓館に到着後、間をおかず人民大会堂に向かったということで、胡錦濤主席との首脳会談、あるいは晩餐会に臨んだという報道になっていますが、さらにあす(暦はもう今日ですが)時間をかけた首脳会談がおこなわれるのでしょう。

 内容について、すぐに発表があるわけではありませんが、その後、何が、どう「動く」のか注目です。

 それにしても、列車での長時間の移動、天津市内の視察、そして車での移動と、この3日間の物理的な「動き方」は、普通でも相当疲れるものだろうと思います。その意味でも、足が不自由だなんだとさまざまに取り沙汰されますが、この移動の様子からは健康の回復の度合いがかなりのものだと推し測られます。

 高速鉄道に乗らなかったことといい、列車と車での長時間の移動といい、目を凝らすと、何気ないあれこれからも、見えてくるものがさまざまにあるものだと感じます。

 さて、中朝首脳会談のその後、「事態」はどう動くのか、さらに目を凝らして見つめてみましょう。


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2010年05月05日

金正日総書記訪中、普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(7)


(承前)
 「戦略なき釈明の旅」(「毎日」)というレベルをこえて、ただただ唖然とする、ということばはこういう時のためにあるのかと思う鳩山首相の沖縄訪問でした。
 
 きのう、きょうと、各メディアで伝えられていることですから付け加えるべきことは少ないのですが、けさの新聞6紙のうち「“1周遅れ”気づいた現実」(「産経」)と「海兵隊の抑止力理解が『浅かった』」(「毎日」)という一面の見出しが、スタンスに幾分かの違いこそあれ、事態の本質を象徴的に表していると感じました。

 同時に「首相は在日米軍の役割を明確に説け」(「日経」社説)という論説、主張があらためて前面に出てくるようになったといえます。しかし検証されるべきは「場当たり連発『5月決着』絶望的」(「読売」)という点ではなく、「目算なき理想論 限界」(「東京」)ということをめぐってだろうと思います。

 何度も書いてきていることですが、突き詰めれば、問題は「抑止力」というとき、その前提に想定される「脅威」とは何なのかということでしょう。ここで問題にされる「脅威」とは何を指しているのか、本当に「脅威」を所与の前提とする思考でいいのか、これこそが厳しく問われなければならないのです。

 この間のコラムのテーマ設定を「普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ」としてきている問題意識はここにあるからです。そして金正日総書記の中国訪問がここにかかわって重要なファクターとなっているという認識なのです。

 この連関を、あるいは連環をきちんと認識しなければ起きていることの実体、実相がつかめず、事の本質が見えてこないというべきです。

 ですから、事によっては「次は・・・」という声も出ているといわれる仙石由人国家戦略相の言うような「(普天間問題が)片づかないからと言って政治責任を取らなければならない、そんなせせこましい話ではない」(「朝日」ハノイ発)などというのは言語道断というべきです。
 紙面には載っていませんが、仙石大臣はきのうハノイで「ちょっともつれた糸になっているようですけども。大きいといえば大きい、小さいといえば小さいというか、首相の描く21世紀のアジア、その中における日本のポジションということから考えていけば、この問題はおのずから解決できると思います」などと実にノーテンキなことを言っています。
 「大きいといえば大きい、小さいといえば小さい」とは聞き捨てならないことばだと、私は思うのですが、けさの新聞にはないので、記者たちは大したことだとは思わなかったのでしょう。
 四月の初め隅田川に浮かぶ屋形船で「番記者や官僚に囲まれて喜色満面」で「女性記者にぴったり寄り添ってカラオケで『銀座の恋の物語』をデュエット」(『選択』2010.5)したという仙石大臣。本当にこういう「感覚」の人が「ポスト鳩山」なのでしょうか。お寒いばかりの日本の政治状況です。

 なお、鳩山首相の沖縄訪問の陰に隠れてしまっているのですが、私は、きのうひらかれた普天間基地移設問題を巡る日米の「実務者協議」の重要性にもっと注目すべきだと考えます。
 日本側は外務省の冨田浩司北米局参事官と防衛省の黒江哲郎防衛政策局次長ら、米側からは国務省のドノバン筆頭次官補代理や国防総省のシファー次官補代理らという顔ぶれですが、きのうの5時間にわたる「協議」の内容がどのようなものなのか、メディアはきちんと取材して報じるべきだと思います。

 このメンバーは、4月22日にワシントンで同じ顔ぶれで、日米安保条約改定50年に合わせた「同盟深化に向けた実務者協議」を行っています。日米の「実務者」間ではすでに、「普天間問題」をどう処理するのかについて、ある「決着」をみているのではないか、そんな疑念が頭をもたげます。

 さて、「脅威の実体」が北朝鮮の存在であり中国の軍拡、なかんずく北朝鮮の核であるという認識で日米の防衛当局者の議論が重ねられたことはすでに書きました。であるがゆえにそこをこそ深く検証してみなければならないという問題意識で書き継いできていることも申し述べました。

 したがって、あくまでも最低限の指標を挙げるとしてですが、再々度掲げるならば、
 普天間−ワシントン核サミット−黄ジャンヨプ訪米、来日−金正日総書記訪中問題−天安沈没「事故」−韓国6月地方選挙−中国海軍演習−中井拉致担当相訪韓−金賢姫来日問題−小沢幹事長と検察審査会−上海万博開幕、そしてキャンベル国務次官補来日と日米同盟の今後、さらには東アジア共同体構想・・・
 という「環」の連なりのなかで物事を深く考えてみなければならないという問題意識でいるのです。

 そのなかに位置付けた場合、金正日総書記の訪中が極めて重要な位置を占めることになります。
 「最終幕の緞帳が上がるのかどうか」というもの言いもしました。

 くどいようですが、多くのメディで蔓延し始めている「覗き見主義」で金正日総書記の訪中に注目しているのではありません。でなければ「固唾をのんで注目している」などとは書きません。
 
 もっとも「覗き見主義」にも涙ぐましいところがあって、きのう金正日総書記が大連郊外の経済技術開発区の視察に向かった折、あるテレビ局で、大連駅から開発区を通って金石灘までを結ぶ「快速軌道電車」と思われる電車のなかから、並行して走る一行の車列を撮っている映像が放送されるのを見て、たしかこの電車は20分おきぐらいの間隔だったと記憶していたのですが、よくぞタイミングを合わせたものだと感心するとともに、イヤハヤこりゃ大変だわい・・・と取材カメラマンに同情したものです。

 こんな意表を突くような「スクープ映像」??に出会うこともありますが、論調はといえば押しなべて横並びで、それぞれ別会社、別の記者が取材しているのにどうしてこんなに同じ論調ばかりになるのだろうかと不思議でなりません。

 その最たるものが、韓国の哨戒艦「天安」沈没事故と今回の訪中のタイミングについてのとらえ方です。

 「中国にとっては、北朝鮮の経済破綻を防いで体制を維持することは国益にかなう。韓国海軍の哨戒艦沈没で、北朝鮮関与が明白になり、訪中を受け入れにくくなる前にその実現を急いだ」といったものです。

 この「横並び」はどこから生じているのか、それをぜひ知りたいと思うのは私だけでしょうか。あるいはどこかで、誰かが、こうした「同じような論調」になるようにリードしているのでしょうか・・・。この「横並び」は大いに気になるところです。

 ひとつひとつの「できごと」をまさにひとつ、ひとつではなく「どういう連なりにあるのか」それを的確かつ正確にとらえていく、真のパースペクティブ(遠近法)を欠くと事の実体と本質を見失うことになると、これは繰り返しですが強調しておく必要があると感じます。

 さて、そんななかで、なぜ大連なのかということについても、北朝鮮北東部の都市羅先と大連を港湾というつながりで位置付ける分析がおおむねの論調となっていますが、私は、それは否定できないが「微妙な問題」もはらんでいると書きました。

 北朝鮮は「北東部の羅津港の開発にあたって大連をモデルとするためだったようだ」「専門家によると、北朝鮮は北東の中朝国境近くに港湾開発を計画している。そのために中国の港湾都市・大連との連携を模索しているという。」というのですが、ここでいう「連携」とはどういうものなのか、この「専門家」にぜひ聞いてみたいものだと思います。

 東北三省と大連、そして北朝鮮の羅先、この関係をどう位置づけるのかは日本の北東アジア戦略にとっても重要なファクターとしてあります。これほど単純に言うことが出来る問題ではないことを、まさかこの「専門家」が知らないはずはないと思うのですが。

 あるいは取材者がそれを知らないためにこの「専門家」から体よくあしらわれたということなのでしょうか。

 そんななかで、けさの「朝日」は国際面で「国境の中州開発提案も」「金総書記、中国資本を切望」として、今回の大連視察で「羅先開発の意志を示し、外資を誘う考え」とし、「今年1月、国家開発銀行の設立を決定。外資誘致を担当する朝鮮大豊国際投資グループが100億ドル(約9400億円)規模の誘致計画を立て、主に中国企業を対象に誘致を進めている。」としています。もちろん「中朝首脳が新たな開発協力に合意しても、実際に投資が進むかどうかは不透明」としながらですが、通り一遍の「横並び」記事にうんざりしていたところに、ようやく、なんとか読むべき記事が出てきたという感じです。

 ところで金正日総書記は直接北京へ、ではなく、天津を経由して北京に向かうということです。これを書いている時点(午後2時)では報道されていませんので断定はできませんが、天津から北京までは、北京五輪にあわせて開通した、最高速度350キロで突っ走る高速鉄道に乗ることも考えられます。天津を発車すればジャスト30分で国際空港のような北京南駅に到着します。そこからは釣魚台迎賓館もそれほど遠くはありません。

 一方、金正日総書記の訪中についての各国の反響ですが、韓国のメディアの中には「韓国政府が4日、哨戒艦『天安』の沈没が北朝鮮の仕業である可能性が大きい状況で、李明博大統領の訪中(先月30日−今月1日)直後に金正日総書記を迎え入れた中国政府に対し、懸念と抗議のメッセージを重ねて伝えたことが分かった。」と伝えたのをはじめ、「中国政府が北朝鮮の金正日総書記の訪中3日前に開かれた韓中首脳会談で、李明博大統領に金総書記の日程を知らせなかったことをめぐって、国内で不満の声が出ている・・・」といささか「八つ当たり状態」のものもあります。
 今回の金正日総書記の訪中問題を分析するうえで見落とせない要素だと思います。

 と、ここまで書いてきたところに、「台湾の銀行、債務返済求め北・朝鮮貿易銀行を提訴」というニュースが入ってきました。

 韓国の聯合ニュースが伝えたものですが、詳報を見てみると
 「台湾の兆豊国際商業銀行(MICB)は、2001年に朝鮮貿易銀行が借りた500万ドル(約4億7354万円)相当の元金と利子などの返済を求め、1月14日にニューヨーク州南部連邦地方裁判所に訴訟を提起した。これを受け、裁判所は先月15日に原告のMICBと被告の朝鮮貿易銀行に対し、今月7日までに訴訟状況の要約書と訴訟の進行計画書を提出すること、17日に裁判所に出頭することを命じる文書を発送した。聯合ニュースが4日に入手したMICBの訴状によると、朝鮮貿易銀行は2001年8月25日に総額500万ドルをMICBから借り入れ、2004年9月15日までに、元金と利子を3回に分けニューヨークのMICB口座に返済することを約束した。しかし、朝鮮貿易銀行はこれをまったく返済せず、MICBの督促が相次ぐと、2008年12月に利子10万ドル、翌年1月に利子6万2000ドル、2月に元金10万ドル、4月と5月にそれぞれ元金10万ドルと、合計46万2000ドルを返済した。それ以降は返済をしていないという。これを受け、MICBは残りの元金470万ドル、返済期限日までの利子と延滞利子約178万4300ドルの総額約650万ドルについて、返済を求める訴訟を提起するに至った。 」
 というものです。

「事態」はいよいよ台湾をもまきこんで「同時進行」しているというべきでしょう。
 
 専門家のそしてジャーナリストの真価、存在意義が深く問われます。
(つづく)
 
posted by 木村知義 at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年05月04日

金正日総書記訪中! 普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(6)

(承前)
  きのうは夕刊がないため、終日、とりわけ夕方から深夜までテレビニュースに注目して過ごすことになりました。
 
 これまでの、金正日総書記訪中時のルートとされてきた瀋陽経由、列車で北京へということではなく、丹東で一度車に乗り換えて大連への高速道路を走るということになりました。

 この高速道路は昨年夏、私も丹東から大連まで車で走り抜けたことがあるので、車列が行く様を思い浮かべながら、朝から昼にかけてのニュースを見続けました。

 ところで、なぜ大連なのか、もうすでにいくつかのメディアで指摘されているように、今年1月4日に特別市にすることが発表されるとともに金正日総書記が訪問して、ふたたびというべきか、注目を集めるようになった北東部の都市、羅先市の開発計画や投資問題との関連が考えられるのでしょうが、それは当然の「想定範囲」として、そこにとどまるのか、もう少し時間をかけて慎重に分析してみなければならないのではないかと感じます。

 羅先市(かつては羅津:ラジン、先鋒:ソンボン)の「開発」問題は、国連開発計画・UNDP主導の豆満江(図們江)流域開発構想に位置付ける形で1991年にいわゆる「経済特区」に指定されながら、実質的には海外からの投資や開発が進まなかったという経緯をたどっています。

 それが昨年、中国サイドで、長春、吉林、図們を一体として開発、振興をめざす「長春・吉林・図們開放先導地域」(長吉図開放先導地域)構想が国家プロジェクトとして正式に批准されたことに連動する形で羅先市の特別市指定に至ったと理解するのが自然だと言えます。

 すると、港湾都市、羅先の開発という問題は大連と通底するものがありながら、一方では、中国の東北三省の「出口」として大連とどう「すみ分ける」のかという微妙な問題もはらんでいると言えるでしょう。

 そうした視野で、さらに深い分析が必要になるのではないかと、これは初歩的な「感慨」ですが、感じます。

 もちろん、同じ港湾都市として、港の整備、運用状況を視察して参考にするということは当然のことでしょうからそういう観測を否定するものではありません。

 しかし同時に、この羅先市の特別市指定と前後して、国防委員会の決定で設立が決まった国家開発銀行とそれへの投資誘致などを担当する対外経済協力機関、大豊国際投資グループとのかかわりで、もう少し考察、分析を深めてみる必要があるのではないかと、まさに初歩的な「感慨」ですが、感じます。

 この大豊国際投資グループの実質的なキィーマンである朴哲洙氏(中国国籍の朝鮮族といわれる)のプロフィルがもうひとつわからないので何とも言えませんが、このあたりの「目配り」も忘れてはならないのではないかと感じます。
(朴 哲洙氏は、1959年生まれ、中国延辺大学を卒業した後、北京対外経済貿易大学で修士取得とされています。)
 
 さて、大連の中心部にある富麗華大酒店(フラマホテル)に一泊した金正日総書記一行が北京に入ってから、胡錦濤主席をはじめ中国側首脳との会談に臨み、戦略的かつ一層実質的な「駆け引き」がはじまるのだろうと思いますので、きょう以降の「動き」から一層目が離せません。

 これまた「余談」の類ですが、ニュースに登場した朝鮮半島問題の「専門家」の解説を聴いていて、中には「オイオイそんなことでいいの!」と思わざるをえないものもいくつかありました。

 例を挙げると、まず一つは、今回の金正日総書記の訪中は「隠密にやりたいという北朝鮮の意向があって、世界中が上海に目を奪われている最中に、不意をついたように入った・・・」という珍妙な解説?があって驚きました。

 丹東の「中朝友誼橋」周辺、特に橋を目の下に望む中聯ホテルの宿泊客を移動させたり、周辺の警備体制を目に見える形で強化したり、あるいは丹東駅への立ち入りを制限したり、さらには大連の富麗華大酒店にあんな白い幕を張って、どこが「世界中が上海に目を奪われている最中に、不意を突いたように・・・」なのか、とまあこれは「お笑い」のような次元ですが、こんな専門家に解説をしてもらう方が不安になります。

 中聯ホテル周辺の警戒について言えば、映像から推測すると、フジテレビが鴨緑江を渡ってくる特別列車を友誼橋に向かって左の、河岸の「公園」あたりから捉えていたことを考えると、中国の公安はあえてこのあたりは「目こぼし」していたのかとも感じます。

 またTBSは橋の右側あたりで、そこは道路がカーブして友誼橋と並行する「断橋」(朝鮮戦争当時米軍の爆撃で破壊されたものを保存している橋で観光客に公開されている)の入り口につながるところですが、車で移動しながら撮影していたようなので、そちら側は規制が厳しかったのかもしれません。

 あくまでも放映された映像からカメラ位置を推測したかぎりではという限定つきですが、厳しい警戒といいながら、特別列車が渡ってくることを前提に、それなりに取材もさせるように「仕組まれていた」のではないかと感じさせるものではありました。

 もっとも特別列車が渡ってくる映像を撮っていない局もあって、そのあたりの事情は確認できていませんから、あくまでも映像からの推測であることを重ねてお断りしておきます。
 
 もうひとつ、専門家ならばここはもっと深く読むべきだろう!と思った解説は、なぜ今の時期の訪中かという問いに、要旨ですが、「近く韓国の哨戒艦『天安』の沈没事故についての調査結果が出るが、恐らく、北朝鮮の関与があったと証明される可能性が高い。事件の行方によっては韓国は国連安保理会に提起する。制裁という方向にいかないようにするには中国の役割は大きいので、事前に中国と詰めておく必要があったからだ・・・」という解説がなされたのでした。
 
 まさにこの「『天安』沈没事故」こそ、いま、深い分析を求められる重要な「問題」をはらんでいるというべきでしょう。
 もちろん韓国内の「主要メディア」(すべてのメディアではありませんが発行部数と歴史を誇るメディアを中心に)では北朝鮮の仕業であるとする断定的な論調になってきていますが、そういうときこそ朝鮮半島問題の専門家の鼎の軽重が問われるのだと、私は、思います。

 ところで、きのう朝から時系列でニュースを追っているうち、韓国の情報筋が、時間の流れに沿って、いかに早くかつ正確に金正日総書記の行動や旅のルートを把握するものかと痛感しました。

 ことばでは言い難い正確さで北の動きや情報をつかんでいることに、あらためて同じ民族同士であることの「絆」の強さを感じるとともに、水面下に息づく(であろう)南北の「つながり」にいささか「複雑」な感慨も抱きました。

 さて、一行がきょう中に北京入りするのかどうかはわかりませんが、南北関係に視線が及んだのを機会に、金正日総書記一行が北京に入るまでの時間を活用して、少しばかり南北関係の現況を見据えて考えておきたいと思います。

 といっても、これまで書き継いできている一連の問題意識の「流れ」とのかかわりで、最近読んで考えさせられた「論説」について少しふれるという形で述べておきたいと思います。
 私自身の「思い」について言えば、「天安」問題をはじめ韓国の李明博政権の対北政策や韓国内の状況について考えるところが山のようにあって、金正日総書記訪中という、目の離せない「動き」のある現時点では、それらをすべて書き継いでいく(時間的)余裕がありません。

 さてそこで、その「論説」とは、「News Week」誌に掲載された英国のジャーナリスト、エイダン・フォスターカーター氏の「韓国は『北方政策』を復活させよ」(原題は「Losing the North」News Week4月26日号 日本版は4月28日号に掲載)です。

 「一見すると韓同は好調だ。先進諸国が財政赤字と不況に苦しむなか、経済は今年5%成長すると予想されている。輸出額も昨年、イギリスを抜いて世界第9位になった。今年11月にはソウルで20か国・地域(G20)首脳会議が開催される。韓国が世界の強国と認められた証しと言っていい 。」にはじまるこの記事の中で、エイダン・フォスターカーター氏は「韓国政府が今、緊急に取り組まなければならないのは新たな『北方政策』だ」と主張しています。

 「韓国は07年、北朝鮮と造船や採鉱(北朝鮮には豊富な天然資源がある)を含む幅広い分野で共同事業を行うことに合意した。だが数週間後に大統領に就任した李は、すべてを捨ててアメリカの強硬派 と歩調を合わせた。本気で核を諦めなければ、何の見返りも期待で きない。―それが新しいメッセ一 ジだった。」

「北朝鮮との協力関係を終わらせるということは、韓国政府が今も自国の領土だと主張する半島の北半分への影響力を諦め、この土地を中国に譲り渡すということだ。 この幸運に中国はさぞ笑いが止まらないことだろう。中国企業は北朝鮮のインフラや鉱山に対して、韓国からの競争相手がまったくない状態で投資している。韓国の保守派はこれにいら立ち、このままでは北朝鮮は満州(中国東北部)の4番目の省になってしまうと不満を漏らしている。だがその責任は彼ら自身にある。韓国は1兆ドル規模の経済を持つのに、政府内の近視眼的な保守派は北の飢えた同胞にわずかな米を送ることすら批判する。太陽政策に掛かったカネはごくわずか。これで緩やかな再統一が実現できるなら、崩壊した旧東ドイツを抱え込んだ当時の西ドイツよりずっと安上がりだ。」(原文のママ)
 として李明博大統領は、盧泰愚大統領の「北方政策」と盧大統領が参考にした旧西ドイツの「東方外交」に学ぶべきだと述べています。

 続けて、
 「その第1の教訓は、国家とその指導者は短期間で成果を求めてはならないということ。太陽政策の効果は一朝一タには挙がらない。東万外交も、東ドイツを軟化させて崩壊を実現させるまで20年かかった。気に入らない政権に援助するのはしゃくに障る。だがそのおかげで東ドイツは援助頼みの体質に変わり、体制の腐食が進んだ。
 第2の教訓は、イデオロギ一や同義的(ママ、道義的の誤植か)な正しさがすべてではないということ。72年、リチヤード・ニクソン米大統領は、大量虐殺者と見なしていた中国の毛沢東の元を訪問して彼と抱擁した。そして時がたち、中国は変わった。」
 と書いています。

 言うまでもないことですが、ここに書かれていることのすべてに私が同感だということではありません。それを前提にして、しかし、いまの韓国の李明博政権に対してまさに「寸鉄人を刺す」論説だというべきでしょう。

 引用が長くなって恐縮ですが、なによりも論旨を損なわずに、ということを考えて、フォスターカーター氏の論説の最後のパートを引きます。

 「バラク・オバマ米大統領が同じように金正日と抱き合うことはないだろう。昨年の北朝鮮の核や、ミサイル実験は、米政府の友好姿勢に対する無礼な振る舞いだった。4月12、13日にワシントンで開催された核安全保障サミットで、北朝鮮はこれまでになく孤立させられた。だがアメリ力が強硬路線を続ければ、脆弱で危険な政権の暴発を招く危険がある。
 68歳になった金正日の健康状態は不安定で、北朝鮮はデリケートな後継問題に直面している。昨年のデノミネーション(通貨単位の切り下げ)の失敗で、経済の落ち込みも加速してしまった。
 韓国政府が北朝鮮に対する将来的な発言権を確保したいなら、李は我慢して北朝鮮との対話を再開しなければならない。1月にダボスで開かれた世界経済フォ一ラムで、李は金正日と前提条件なしでいつでも会うつもりだと語った。
 障害はあるだろうが、それこそ李がすべきことだ。そうでなければ彼はG20の議長としてではなく、北朝鮮を失った大統領として歴史に名を残すことになるだろう。」

 金正日総書記の訪中を見つめる「韓国の目」がどのようなものであるのか、それもまた朝鮮半島問題の専門家が解析、分析そしてなによりも思考を深めるべき問題としてあるのだと、これはフォスターカーター氏の論説を読んだ、朝鮮半島問題の「素人」の、私の、感慨です。
 
 金正日総書記一行の「動き」に目を凝らしながら、さらに考えてみたいと思います。
(つづく)



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2010年05月03日

金正日総書記訪中?! 普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(5)

(承前)
 さきほど、10時15分過ぎ、フジテレビで、金正日総書記が乗っているとみられる列車がけさ6時15分ごろ(日本時間)北朝鮮の新義州と中国の丹東の間の鴨緑江にかかる友誼橋を渡ったと映像つきで伝えられました。
 NHKニュースでは8時台に「北朝鮮と国境を接する中国の丹東に、定期旅客列車とは異なる列車が到着し、外交関係者の間では北朝鮮のキム・ジョンイル総書記が乗った特別列車ではないかという見方が出ています。」と、コメントと過去の資料映像で伝えていました。
 金正日総書記が中国に入ったことはまず間違いないと思われます。昼のニュースではさらに詳しい情報が伝えられるだろうと思います。

 「最終幕」の緞帳があがるかどうか、ただし、「最終幕」にも「第一場」から始まっていくつもの「場」があることだろうが、ということは今朝書きました。

 そこで、きのうに続いて書き継いでいく際に、押さえておく必要があるだろうと思ったいくつかの事項について、金総書記の訪中ということになりましたので、詳細はさてくとして、今現在の「成り行き」を見据える場合の重要なポイントになる、北朝鮮側の「立ち位置」について原資料に当たって見ておくことにします。

 なお、原資料ですから当然のことながら北朝鮮の公式的な言明です。
 ですからこのブログの読者の中には、北朝鮮側の「主張」だけを紹介するのかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし、米国政府が、少なくともオバマ政権発足以降、朝鮮半島問題について包括的かつ公式に表明した文書にはめぐり合っていませんので、ここは比較対照のしようがありませんから、仕方ありません。

 また、それよりなにより、北朝鮮が、いま、どのような主張を持ち、どこに立っているのかを過不足なく知ることは、金正日総書記の訪中を注視するとき、あるいは、その後の「展開」を考える際にも欠かせないと考えます。

 そこで、以下に4つの原資料を転記、掲載します。
 いずれも朝鮮中央通信=平壌―朝鮮通信=東京によるものです。

 まず、1月11日付の朝鮮外務省の声明です。

「朝鮮半島の非核化プロセスが重大な挑戦にぶつかって岐路に立たされている中、年が明けた。
 朝鮮半島の非核化は、東北アジアの平和と安全、世界の非核化の実現に貢献するため共和国政府が終始一貫して堅持してきた政策的目標である。
 共和国政府の誠意ある真しな努力によって1990年代から朝鮮半島の非核化に向けた対話が行われ、その過程に『朝米基本合意文』と9.19共同声明のような重要な双務的および各国間合意が採択された。
 しかし、それらすべての合意は、履行が中途半端になったり、丸ごと覆された。その期間に、朝鮮半島で核の脅威は減少したのではなく、かえって増大し、従って核抑止力まで生じるようになった。
 挫折と失敗を重ねた6者会談の過程は、当事者間の信頼を抜きにしてはいつになっても問題が解決されないことを示している。現在も、6者会談は反共和国制裁という不信の障壁によって隔てられ、開かれていない。
 朝鮮半島の非核化プロセスを再び軌道に乗せるには、核問題の基本当事者である朝米間の信頼醸成に優先的な注目を払わなければならないというのが、われわれの到達した結論である。
 朝米間に信頼を醸成するためには、敵対関係の根源である戦争状態を終息させるための平和協定がまず締結されるべきであろう。
 当事者が互いに銃口を向けている交戦状態からは、いつになっても相手に対する不信をなくすことができないし、非核化はおろか会談自体が順調に推進され得ない。戦争と平和という本質的で根源的な問題を抜きにしたどのような合意も、これまでと同じ挫折と失敗の運命を免れない。
 そもそも平和協定は核問題と関係なく、それ自体の固有の必要性から以前に締結されるべきであった。朝鮮半島に既に恒久平和体制が樹立されていたなら、核問題も生じなかったであろう。
 9.19共同声明にも平和協定を締結することに関する問題が言及されている状況から、その行動順序をこれまでの6者会談が失敗した教訓に照らし、実践的要求に合わせて前倒しにすればいいであろう。
 平和協定が締結されれば、朝米の敵対関係を解消し、朝鮮半島の非核化を速い速度で積極的に推し進めることになるであろう。
 朝鮮民主主義人民共和国外務省は委任により、朝鮮戦争勃発60年になる今年に停戦協定を平和協定に替えるための会談を速やかに始めることを停戦協定の各当事国に丁重に提案する。
 平和協定締結のための会談は、9.19共同声明に明記されている通りに、別途に行われることもでき、その性格と意義から見て現在進行中の朝米会談のように朝鮮半島の非核化のための6者会談の枠内で行われることもできる。
 制裁という差別と不信の障壁が除去されれば、6者会談そのものも直ちに開かれるであろう。
 停戦協定の当事国が朝鮮半島の平和と安全、非核化を心から望むなら、これ以上自国の利益を優先視して時間を滞らせずに、大胆に根源的問題に手を付ける勇断を下すべきであろう。」

 次に、この「声明」を受けた形で1月18日に発表された朝鮮外務省スポークスマンの談話です。

 「われわれの平和協定締結の提案は9.19共同声明を全面的に、完全に履行できる合理的な方途である。
 共同声明が履行されるには、この声明の生命である相互尊重と平等の精神が棄損されてはならず、行動の順序を歪曲することがあってはならない。共同声明には、非核化と関係正常化、エネルギー補償、平和体制樹立の問題が『調和を取って』実現されなければならないと明示されている。非核化が進ちょくしてこそ、平和体制樹立の問題を議論できるという合意事項はなく、専ら『公約対公約』『行動対行動』の原則だけが共同声明の唯一の実践の原則として明示されている。
 われわれは、米国側の事情を考慮して、6者会談で平和協定締結の論議に先立って非核化の論議を優先させる雅量ある努力を6年以上傾けてきた。2008年に国際社会は寧辺核施設の冷却塔が爆破されるシーンを目撃した。米国がわが国に対する敵性国貿易法の適用を中止し、『テロ支援国』リストから削除するほど、非核化プロセスは実質的な進展を遂げていた。
 にもかかわらず、平和協定締結の論議は開始すらされず、結果的に非核化プロセスは逆転してしまった。平和体制の論議に先立って非核化を進める方式は、失敗に終わったのである。信頼なくして非核化を推し進めるというのは、基礎なしに家を建てるのと同じであることを実践の経験が示した。
 われわれは6者会談に反対せず、それを遅延させる何の理由もない。
 参加国の間に信頼がなかったため、平和的衛星の打ち上げまで問題視することが生じた。信頼のある国同士は、衛星の打ち上げを問題視したことが一度もない。衛星の打ち上げを差別的に問題視した甚だしい自主権侵害は、核実験という自衛的対応を生み、それに伴った制裁はまた、6者会談の破たんを招くような不信の悪循環が生じた。
 このような不信の悪循環を断ち、信頼を醸成して非核化をさらに推し進めようとするのが、われわれの平和協定締結の提案の趣旨である。各当事国が平和協定締結のための交渉に臨み、対座するだけでも信頼の出発点はつくられるであろう。
 6者会談が再開されるには、会談を破たんさせた原因がどんな方法であれ解消されなければならない。数十年間の封鎖と制裁に慣れているわれわれに、今回の制裁は特別に事新しいものではない。しかし、われわれが制裁の帽子をかぶったまま6者会談に臨むなら、その会談は9.19共同声明に明示されている平等な会談ではなく、『被告』と『判事』の会談になってしまう。これは、われわれの自尊心が絶対に許さない。自主権を引き続き侵害されながら自主権を侵害する国々と向き合って、まさにその自主権守護のために保有した抑止力について議論するというのは話にならない。
 われわれは、各当事国が経験と教訓に基づいているわれわれの現実的な提案を受け入れるよう説得するための努力を引き続き真摯に傾けていくであろう。」

 相前後しますが、1月16日付「民主朝鮮」紙の「朝米関係の根源的問題に手を付ける時が来た」と題する論説です。

 「既報のように、去る11日、朝鮮民主主義人民共和国外務省は委任により、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)60年になる今年に朝鮮停戦協定を平和協定に替えるための会談を速やかに始めることを停戦協定の各当事国に丁重に提案した。
 これには、朝鮮半島の非核化を含め朝米関係の改善で提起されるすべての問題を円滑に解決することで、朝鮮半島とひいては世界の平和と安全のための頼もしい保証をもたらそうとするわが共和国政府の政策的立場が反映されている。
 今回、わが共和国政府が朝米間の平和協定の締結に重大な意味を付与することになったのは、朝米関係の全過程の総括に基づいて一つの明白な結論に到達したことに関連する。
 これまで、わが共和国政府が朝鮮半島の核問題を平和的に解決して朝米間の敵対関係を解消し、朝米関係を両国人民の共通の利益に合致するよう発展させるため献身的に努力してきたことは周知の事実である。
 朝鮮半島の非核化問題を見ても、1994年10月21日に発表された「朝米基本合意文」をはじめ1993年6月11日の朝米共同声明、2000年10月12日の朝米共同コミュニケは、わが共和国政府が朝米間の核問題を解決して朝鮮半島で平和と安定を保障し、米国との敵対関係を解消するためどれほど真摯に努力してきたのかを歴史的に実証している。
 しかし、残念なことに朝米間に合意された問題は日の目を見ないし、朝米間の敵対関係は歴史の解決を待つ政治的な未解決の事案として残って国際社会の一様な憂慮をかき立てている。悪化の一途をたどってきた朝米関係は、わが共和国に対する核の脅威の増大を招き、こんにちに至っては核抑止力まで生じさせた。
 事態をこれほどまでに追い込んだ全責任は米国にある。
 米国は、わが共和国の自主権尊重と関係改善の意志を約束しておきながらも、色眼鏡でわが共和国を見たし、ブッシュ政府の出現以降は露骨な対朝鮮敵視政策実現の道に進んだ。米国大統領が自身の政策的立場を公式に表明する席上、わが共和国を『悪の枢軸』であると名指しで暴言を吐き、『核態勢見直し報告』(NPR)でわが国を「『先制攻撃の対象』に含めた事実は、朝鮮に対する米国の敵意がどれほど根深いものであるのかを世界にそのまま実証した。
 米国がわが共和国と絶対に共存せず、あくまで圧殺しようとする敵意を抱いている状況で、朝米関係が解決されないことは誰の目にも明白である。
 今まで朝鮮半島の核問題解決に向けて何度も6者会談が行われてきたが、挫折と失敗を重ねているのも、問題解決の直接的な当事者である米国がわが共和国に対する敵意を解消していないことから生じた必然的な結果であると見るべきであろう。
 信頼なしには、6者会談が数百回開かれたところで得るものは何もないということは火を見るよりも明らかな事実である。
 わが共和国が朝鮮半島の非核化プロセスに再び活力を吹き込むための先決措置として核問題の当事者である朝米間の信頼醸成に優先的な意義を付与した理由がまさしくここにある。朝米間に信頼関係が醸成されてこそ、相互関係問題が順調に解決される。
 朝米間の信頼関係醸成で朝鮮停戦協定を平和協定に替えることよりも効果的で建設的な代案はない。
 現在、朝鮮と米国は軍事境界線を挟んで銃口を向けた交戦状態にある。対話の当事者が互いに刀を持って握手するというのは話にもならないし、たとえ握手したとしてもそれは一つの見せ掛けにすぎない。真に和解し、関係を改善するには、対話の相手が互いに信頼できるよう刀を捨てるべきである。
 朝米が停戦協定を平和協定に替えれば、信頼醸成で根本的な革新が起き、懸案問題をめぐって虚心坦懐に意見を交換して合意点に到達する上でも良いし、朝鮮半島で平和と安定を実現する上でも決定的な突破口が開かれるであろう。
 朝鮮半島の非核化を含め朝米関係問題をめぐって当事者はもとより、関係国は今まであまりにも長い間入り口で堂々巡りを繰り返してきた。わが国に虎穴に入らずんば虎子を得ずということわざがあるが、これは問題解決の入り口で堂々巡りせずに根本問題の解決に肉薄すべきであるということである。
 非現実的な要求で時間を浪費してはならず、またそのような時も過ぎた。今は、誰もが朝鮮半島の平和と安全、非核化のために根源的問題に手を付けることにより、朝米敵対関係の清算で決定的な突破口を開くべき時である。
 朝鮮半島に強固な平和保障体系を樹立することで、朝鮮半島の非核化の実現に有利な条件を整え、地域の平和と安定を成し遂げていこうとするわが共和国政府の真摯な努力は広範な国際社会の支持を得るであろう。」

 さらに、「6者会談再開には朝米信頼醸成が急務」とする1月26日付の「民主朝鮮」紙の論説です。

 「挫折と失敗を繰り返し6年間も行われてきた6者会談は、関係各国と国際社会に深刻な教訓を与えている。
 現在までの6者会談の過程を総括してみれば、関係各国が非核化問題を論議したが、このような方式ではいつまでも問題が解決されないし、たとえ6者会談が再開されるとしても得るものは何もないということを示した。
 朝鮮半島の非核化は商取引ではない。
 全朝鮮半島の非核化を実現するには、問題発生の根源から解消すべきであるというのがわが共和国の原則的な立場である。
 すべての問題には原因と結果があるものである。核問題もそれを生じさせた歴史的な原因が存在する。
 1953年に朝鮮で停戦が実現し、朝鮮停戦協定が締結されたが、米国はわが共和国に対する敵対意思を捨てなかったし、朝鮮に対する軍事的威嚇と侵略企図を片時も中断しなかった。米国によって朝鮮半島の情勢を安定させ、平和を保障するための朝鮮停戦協定の諸条項が有名無実なものとなり、わが共和国がその生存のための決定的な手段を整えなければならない極端な状況まで生じた。
 現実は、信頼が醸成されてこそ非核化問題はもちろん、そのほかの問題も解決されるということを示している。
 朝米間に平和協定を締結し、信頼関係が醸成されれば、朝鮮半島に平和を保障する制度的装置がもたらされて戦争勃発の危険性も除去され、非核化の実現に向けた良い雰囲気がつくられるなど、すべての問題が順調に解決されるであろう。
 関係各国にとって、まず絡まったもつれを解いて提起される問題を一つ一つ順次解決していくことがより実利的であろう。
 6者会談参加国がどんな場合にも犯してはならない絶対禁物がある。6者会談は、主権国家が平等な資格で一堂に会して提起される問題の解決方途を模索する場であるだけに、会談の相手側の自主権をじゅうりんするような行為が絶対に許されてはならない。6者会談が再開されるには、会談を破たんさせた原因がどんな方法であれ、解消されなければならない。われわれが制裁の帽子をかぶったまま6者会談に臨むなら、その会談は9.19共同声明に明示されている平等な会談ではなく、『被告』と『判事』の会談になってしまう。
 6者会談に参加して非核化問題を討議しようと一方的な要求を提起するのは、常識以下の無礼な妄動である。
 何が問題の根源であるのかを見分け、その解決のための雰囲気づくりに努めるべきであろう。」

 重ねてですが、これらは北朝鮮側の主張の原資料です。
 評価や意見はさざまに分かれるかもしれません。
 しかし、北朝鮮が何をどう考えているのか、それを深く知ることからはじめない限り、現在の状況を動かすことはおぼつかないというべきです。
 普段、各メディアがそれぞれのスタンスから一部をピックアップして伝えることはあっても、こうしたオリジナルの形で読む機会はそれほど多くないと思います。

 状況の的確な把握と情勢分析には原資料を読み込むことが、まず第一歩ということになります。
 その意味で、金正日総書記の訪中がその後の事態の展開にどのような意味を持つのかを考える上で、熟読、吟味してみるべき重要かつ有用な資料だと考えます。

 もうひとつ、最近の報道の中から中朝間の経済面の協力、連携事業の「動き」についてメモしておきます。
(「日経」2月26日による)

 ○中国丹東市と北朝鮮新義州市を結ぶ橋の新設
 ○新義州の島を「経済特区」とし、中国企業を誘致
 ○北朝鮮が国境沿いの島などの開発権を中国企業に付与
 ○中国琿春市と北朝鮮羅先市を結ぶ橋の補修・建設や道路整備
 ○北朝鮮が平壌や開城などを外資に開放、中国企業が参入

 金正日総書記の訪中によって中朝間の「実務」的な関係がどうなるのか、これも同時に、「その後」を見る際の重要な指標になることは間違いありません。
 その意味でも、要注目!です。
 (つづく)
 
posted by 木村知義 at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

金正日総書記訪中?! 普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(4)

(承前)
 朝鮮半島をめぐる問題、とりわけ米朝関係を軸として「最終幕」の舞台が始まるのかどうか?!
 しかし、昨年末に到達していた「地点」から逆方向への「巻き戻し」が始まっていることを検証しなければ今起きていることの実体がつかめないという問題意識で書き継いでいるのですが、昨年末の「時点」まで書いたところで、状況に「追いつく」時間的余裕がなくなったのかもしれません。

 きょう未明にかけて共同、時事と新聞全紙が、金正日総書記の中国訪問が近い、もしくは、すでに中朝国境の丹東に入ったというニュースを伝えています。
 またNHKをはじめテレビ、ラジオもあさのニュースで伝えています。
 発端(のひとつ)は、昨日の夕方、韓国の聯合通信が伝えた「北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の中国訪問が間近に迫っているという兆候がとらえられていると、政府高官が2日に伝えた。」(2010/05/02 16:59)という速報だと考えられますが、日本の各メディアのなかには記者が丹東に入って取材し、丹東発で伝えてきているものもありますから、いくつかのソースで金正日総書記訪中がつかめたのかもしれません。

 今回のテーマでの書き出しに

 普天間−ワシントン核サミット−黄ジャンヨプ訪米、来日−金正日総書記訪中問題−天安沈没「事故」−韓国6月地方選挙−中国海軍演習−中井拉致担当相訪韓−金賢姫来日問題−小沢幹事長と検察審査会−上海万博開幕、そしてキャンベル国務次官補来日と日米同盟の今後、さらには東アジア共同体構想・・・。

 と掲げて書き継いでいるのですが、冒頭に書いた「最終幕」の緞帳を上げることが出来るかどうか、その「最終幕」とはどのような意味を持っていて、そのための条件は何であるのかを明らかにしておく必要があると考えたのでした。

 事態がどう動こうとも、このことの重要性は変わらないと確信していますが、もし各メディアがこぞって伝えるように、金正日総書記の訪中が「一両日中」、もしくはすでに中国に入った、ということならば、昨日までに書いてきたことから上海万博開幕まで時間を一挙に飛ばして確認しておかなければならないことになります。

 そうは言っても、昨日引いた、昨年末の習近平中国副主席の「朝鮮半島問題は緊張緩和の兆しが出てきている」「新しいチャンスを迎えている」という重要な発言にみられる「緊張緩和」をよしとしない「逆ネジ」が、普天間問題と密接にからみ合いながら、強力な「巻き戻し」として働き始めたことを検証しておくことの重要性には何ら変わりはないと思います。
 
 その上で、なぜ上海万博の開幕に注目していたのかと言えば、北朝鮮の金永南・最高人民会議常任委員長が万博の開幕式に出向き、中国の胡錦濤主席と会談することになっていたからです。

 「読売」の伝えるところでは、この会談で胡錦濤主席は「中朝両国の友好協力関係を発展させることは我々の一貫する主張だ。重大な国際・地域問題で相互に支持し、意思疎通と協調を強化したい」と述べたとされます。
 「重大な国際・地域問題」が何を指すのかは言うまでもないことでしょう。
 この会談が、もし各メディアの伝えるとおりであればですが、金正日総書記訪中への最終確認のシグナルになったことは想像に難くないというべきでしょう。

 中国がどのような「解」を提示したのか、北朝鮮側はそれに対してどう「応じる」のか、事態は「最終幕」の緞帳を上げることになるのかどうか(もちろん「最終幕」に入ってもその「第一場」であるわけでいくつかの「場」を重ねることになるのですが)注目すべき「せめぎあい」がこれから繰り広げられることになるでしょう。
 
 「最終幕」というとき、今年が朝鮮戦争から60年という重要な節目の年であることを忘れることはできません。
 朝鮮半島に平和を呼び戻すことが出来るのかどうか、それが試される重要な時を迎えています。
 
 米国は「最終幕」の緞帳を上げることに踏み切るのかどうか、すべては中国がどのような「解」を示すのかにかかります。
 その意味で、金正日総書記の訪中問題を固唾をのんで見つめているのです。

 けさは、まず、きのうからきょう未明の「速報」にかかわって、最小限のポイントだけを押さえて書いておくことにします。

 なお、ちょうどこの連休時期、日本のジャーナリストのグループが平壌を訪問しています。もちろん正式の取材団としての訪朝ではありませんが、出かける前、メンバーのお一人と「重要な時期の訪朝ですね・・・」と言葉を交わしました。
 現地での「様子」も注目です。
 (つづく)



 
 
posted by 木村知義 at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年05月02日

画像の補正が終わりました

 乱れていた画像の補正が終わりました。
 掲載するときの画像ファイルの番号に重複があり、3月7日の記事の中の画像と入れ替わるという不具合が起きていました。
 
 「普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(3)」をアップしたあと午後から夜にかけてお読みいただいた方のなかには金ジョンウン氏にかかわる画像が入れ替わってしまった状態でご覧いただいたケースがあったと思います。
 アップした後の確認が遅れてしまい大変失礼しました。
 
posted by 木村知義 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

おわびです!

きょう午後掲載した記事の中で金ジョンウン氏関連の画像をアップしたのですが、その後、どういうわけかファイルが入れ替わってしまいました。ファイルの手直しをする間、きょうのブログ全体を削除します。しばしお待ちください。
posted by 木村知義 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(3)

(承前)
 いやはやというべきか、どのメディアで、一体何度報じられたのか、それをチェックするだけでも大層な手間になるのでそんな余裕はないのですが、直近のものだけを振り返っても、4月末の金正日総書記中国訪問の可能性を「朝日」が伝えたのは4月18日のことでした。
 その後、23日には共同通信とそれを引く形で東京新聞、24日には「毎日」と各紙があいついで金総書記の訪中の可能性について報じました。それらの記事の中には「先遣隊」が北京に入ったと伝えるものもありました。

 もっともその先遣隊が4月初めに北京入りと伝えていたのに後には下旬(20日過ぎ)に北京入りというわけで、こりゃ一体どうなっているんだろうかと読むほうが混乱したのですが、子細にチェックしてみると「先遣隊」は一度帰国してふたたび北京へと推測させる記事もあって、ホウそういうことですかと妙なところに感心して、いやはやそれにしてもスクープのつじつまを合わせるのは大変なんだなーと取材記者に「同情」したりもしました。

 何が「いやはや」なのかといえば、少し冷静に考えると、金正日総書記の4月末訪中という可能性は極めて低いか、ありえないということがすぐわかるはずだからです。

 これは「後証文」で言っているのではなく、これまでも何度か北朝鮮報道について書いてきたことを読みかえしていただければ、決して結果を見てからものを言っているのではないことをお分かりいただけると思います。

 そこで、笑ってはいけないのですが、とうとう金正日総書記の訪中問題は仕切り直しだ!という最終的な??結論を下す記事が4月29日に北京発共同で伝えられました。

「中国と北朝鮮の間で検討されていた4月末から5月初めにかけての金正日総書記の中国訪問が当面延期され、調整は仕切り直しされることが29日分かった。中朝関係に詳しい複数の消息筋が明らかにした。延期理由は不明だが、韓国の哨戒艦沈没をめぐる原因究明で北朝鮮の関与説が韓国内で強まり、核問題をめぐる6カ国協議再開や米朝協議の見通しに不透明さが増してきた情勢も考慮された可能性がある。」

 「当面延期」だというわけですから、きっともう少しすれば?金正日総書記訪中ということになるのかもしれません。しかしそれより重要なのは記事の後半ではないかと思うのです。

 これこそ取材しなければならない問題の本質であり気安く「延期の理由は不明だが」などと書いて事もなしということでは許されないのではないかと、私は思うのです。

 とはいいながら「韓国の哨戒艦沈没をめぐる原因究明で北朝鮮の関与説が韓国内で強まり、核問題をめぐる6カ国協議再開や米朝協議の見通しに不透明さが増してきた情勢も考慮された可能性がある。」という重要なくだりが書き込まれてあります。

 さて、ここでちょっと脱線ですが、この間の北朝鮮にかかわるスクープでもっと笑えないものは金ジョンウン氏の「近影」というものでしょう。

 4月20日の「毎日」の一面を飾った「衝撃」の写真なので覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。もしかするとこの写真だけでも当日の駅売りの「毎日」の売れ行きは群を抜いたのではないかなどと「下賤」な推測をしたものでした。「正銀氏初の近影」という6段抜きの見出しに「金正日総書記に寄り添い製鉄所視察」の横見出しで大きな写真が掲載されて大いに関心をそそられたのでした。記事のリードはこうでした。

「北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記(68)の最有力後継候補で三男の正銀(ジョンウン)氏(26)の写真を、朝鮮中央通信や朝鮮労働党機関紙・労働新聞など国営報道機関が3月初めに報じていたことが分かった。北朝鮮指導部に近い関係者や韓国情報機関の関係者が毎日新聞に証言した。北朝鮮の公式メディアが正銀氏の姿を伝えるのは初めてで、正銀氏への権力移行作業が本格化している様子が浮き彫りになった。」

 この写真を見たとき、私は単純というか馬鹿というか、いやこりゃすごいスクープだと思ったのでした。しかし記事の書き出しの部分で「北朝鮮指導部に近い関係者や韓国情報機関の関係者が毎日新聞に証言した。」とあるのと写真のクレジットに朝鮮通信とあるのでなんともいえない違和感が生じました。で、記事を子細に読んでみると、これは3月5日の労働新聞に載った写真であり、平壌の「ある衣類関連企業」で出されたという「指示」を根拠にして組み立てられた記事であることがわかりました。記事の重要なくだりです。

「『今日の労働新聞をしっかり見るように』
 3月5日、平壌のある衣類関連企業で、こんな指示が出された。職員の一人が上司に『何が載っているのか』と尋ねると、上司は『金大将(正銀氏の愛称)のお姿がたくさん掲載されている』と答えたという。
 指導部に近い関係者によると、この指示は朝鮮労働党の各機関を通して、幅広く伝えられ、『「3月5日の新聞」』を探し求める人が相次いだ』という。それまでベールに包まれてきた正銀氏の姿がお披露目された形だ。この報道以後、正銀氏の写真は掲載されていない。
 その日の労働新聞は、金総書記が咸鏡北道(ハムギョンプクド)の金策(キムチェク)製鉄連合企業所を現地指導したという記事を大量の写真とともに報じた。朝鮮中央通信が掲載前日に配信した写真には、ペンを持ちながらメモ帳を広げる正銀氏の姿が写っている。紺色のスーツとみられる服に赤のネクタイ、黒っぽいコート姿。正銀氏はほとんどのカットで金総書記の隣に立ち、現地の案内人の説明を一緒に聞いているように見える。」

 まるで平壌の現場で見てきたかのようにビビッドに書かれていて、もしこの記事の通りであればこの記者の取材力、ソースはスゴイもんだと・・・、しかしここまで読んで、半信半疑に、というよりこの記事は相当危ういなと思いはじめたのでした。

 このスクープについての書き出しに「笑えない」と、実に失礼なことを書いたのは、このスクープが紙面を飾って数時間後、韓国政府の関係者から「別人」だ、つまりこの写真の人物はジョンウン氏ではないという見解が示されたからです。

 韓国の聯合通信はご丁寧にも「毎日」でジョンウン氏だとされた人物はこの製鉄所の技師である可能性が高いとしてその人物の写真を配信したのでした。

 こんなことを書いていても読者にとっては何のことやら…という具合で消化不良のような心地悪さを残してしまうでしょうから、いささかの「掟破り」を覚悟の上で写真を並べて示してみます。ただし、両者の、つまり「毎日」、聯合通信の写真をそのままクリップするのはいかにも許されないので少し加工して一部分だけをここに「引用」します。
いろいろなブログ全盛の今、著作権への配慮などまったくお構いなしに写真などが流用、掲載されていますが本当はしてはならないこと、許されないことで、私のブログではこういうことは一切避けてきています。ですから本来はこの写真の提示は「掟破り」です。しかしこの記述だけでは何が何やらさっぱりわからんという不満だけが膨らむのではないかと思い、写真の一部を加工して提示することにしたものです。その点をご理解いただきたいと思います。

   

金総書記の左、ジョンウン氏とされる人物と聯合通信が伝えた製鉄所の技師

 もうひとつ余談ですが、「毎日」は、以前、これまた独自のスクープとして、金正日総書記の三男のジョンウン氏の漢字表記が「正雲」ではなく「正銀」だとし報じて以来この漢字表記を使ってきているのですが、朝鮮問題の取材に長く携わっている知人に聞いてみると「『きんさん、ぎんさん』じゃあるまいし、朝鮮で金正銀などと『きん』(金)、『ぎん』(銀)をとりまぜた名前を付けるものだろうか・・・」というのです。したがってここでは「ジョンウン」と発音を示すカタカナ表記を使っています。

 さて、「毎日」の写真が「世紀の大スクープ」か「大誤報」か、いまのところ確認のしようがありませんのでそこは確たるものではないのですが、いずれにしても、ことほど左様に、日本での北朝鮮報道は危ういものだということは確かでしょう。

 もう一つ、付け加えておくと4月30日の「朝日」朝刊がソウル発で「ノドン発射兆候 北朝鮮、来月中にも」と伝え、ソウル発の!!ニュースが韓国の「東亜日報」に転電されて韓国でも報じられたのですが、同じ韓国の聯合通信はすかさずという感じで
「政府当局者は30日、北朝鮮が中距離弾頭ミサイル『ノドン』の発射を準備している兆候はないと明らかにした。北朝鮮懸案に詳しいこの当局者は、北朝鮮が近く『ノドン』を発射する動きがあると日本のメディアが報じたことに対し、『「ノドン」レベルのミサイル発射を準備するとなると、動きが目立つが、政府当局はそのような動きはないと把握している』と述べた。」
と、「朝日」の報道を真っ向から否定する内容を伝えています。

 一体どうなっているのか、いい加減にしてくれよ!といいたくなりますが、北朝鮮をめぐる取材者は本当にしっかりと、かつ厳しく自分の足下を見直してみる必要があるのではないでしょうか。

 前に北朝鮮にかかわる報道、とりわけスクープがなぜガセになるのか、それぞれの記者の取材の努力は認めつつも、厳しく検証する必要があるのではないかと書きました。取材した記者こそが一番検証できるはずだとも。それは取材の方法やソースについての検証を言っているだけではありません。
 
 本論の金正日総書記の訪中問題に戻りましょう。

 冷静に考えて見れば、メディアで繰り返し伝えられた4月末までの金正日総書記の訪中というのは危うい、あるいはありえないのではないかと疑うのが論理的であり朝鮮半島問題をテーマにする者であれば常識的なところだと、私は、考えていました。

 失笑を買うことを承知であえて言えば、金正日総書記の訪中は、物見遊山で中国に出かけるというものではありません。そんなことは言わずもがなです。しかし訪中予測記事を見ていると、そのことへの認識と問題意識がどの程度のものかが疑わしくなるものでした。

 すでに書いてきていることですが、金正日総書記の訪中問題を、固唾をのんで見つめていたと言ったのは、今回の金正日総書記の訪中というのは、北朝鮮の核問題、とりわけ六か国協議の行き詰まりという状況をどう打破するのかに最終的な「解」を見出すものとならなければ実現しないものであるということ、したがって訪中問題の予測をするということは、その「解」が出る状況にあるのかどうかの「見極め」に深くかかわるということです。

 これまでの報道でも伝えられていることですから詳らかに振り返ることはしませんが、ここで、昨年12月の米国のボズワース北朝鮮担当特別代表の訪朝に記憶を戻す必要があります。

 後にオバマ大統領の親書を携えていたことが明らかになりましたから、大統領特使ともいうべきボズワース氏の訪朝で何がどう話し合われたのか、その詳細は依然として詳らかにされていませんが、おおむねのところは推測できるものとなっています。

 そして、このボズワース特別代表の訪朝と相前後して訪日した中国の習近平副主席の動きについては天皇との会見問題ばかりが注目されてあまり関心が払われなかったのですが、社民党の福島党首との会見で重要な発言をしたと、私は感じました。

 習近平副主席は福島党首に対して
「6カ国協議の再開や朝鮮半島の非核化について新しいチャンスを迎えているのではないか。朝鮮半島問題は緊張緩和の兆しが出てきている。日朝関係にも期待感があり、日本としても積極的な対話と協議をしてほしい。」
と述べたのでした。

 「朝鮮半島問題は緊張緩和の兆しが出てきている」「新しいチャンスを迎えている」というのです。

 これは習副主席の訪日直前のボズワース特別代表の訪朝を下敷きに、さらにさかのぼればボズワース特別代表の訪朝に先立つ10月の温家宝首相の訪朝という一連の「事態」を下敷きしていることは想像に難くないというべきでしょう。

 では金正日総書記が10月に訪朝した温家宝首相に対して述べたのはどういうことだったのでしょうか。
 
 記憶を呼び戻す必要があります。

「米朝関係が敵対関係から平和的関係へと移行することを条件に6カ国協議を含む多国間協議を行いたい」 と言ったのでした。

 そして紆余曲折があり、ボズワース特別代表の訪朝が発表され、それも当初の計画を2泊3日の日程に延ばして行われたのでした。
 
 習近平副主席の「緊張緩和の兆し」「新しいチャンス」という重要なキィーワードに注目してその後の事態の推移を見つめることになったがゆえに、私は、金正日総書記の4月末までの訪中はないという結論に至ったのでした。

 その論理的な構造が重要になってきます。
 4月8日のコラムで書いたことと円環のように繋がってくるのです。
(つづく)



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2010年04月30日

普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(2)

 (承前)
 「沖縄の負担を軽減させてあげたい」
 「普天間飛行場の移転問題」は、鳩山首相が、はからずもというべきか、漏らしてしまったような「施し」で取り組む問題でないことは言うまでもないことです。

 日本と米国のあり方を根底から問い直す、そして日本がアジアでどう生きるのかを問う問題として、日本国の総理大臣その人自身の問題としてあるのだというごくごく普通の感覚と問題意識があれば、こんな他人事のようなことばが出てくることはないでしょう。
 
 はからずもというときに、まさに本音が見えてしまうものです。恐ろしいものです。しかしながら、連日メディアで報じられる「ことば」を聴いていると、与党、野党を問わず、メディアに登場する多くの政治家たちからも、これと大差のない意識であることが透けて見えてきますから、事は深刻です。

 さて、そこで、沖縄の「基地」(この際、米軍基地とだけ限定的にいうべきではないので「基地」としておきます。当然、米軍と自衛隊との共同使用、共同作戦ということも視野に入れてのことです)は何のためにあるのかということに思考をすすめなければならないと思います。

 そんなこと、答えは簡単な話じゃないかという声が聞こえてきそうです。

 そう、まさに「脅威」に対する備え(抑止力)として「沖縄」はキィストーンをなしているというわけでしょう。

 私は1969年の4月から5月にかけて、復帰前の沖縄に出かけて以降沖縄に足を踏み入れることなく今に至っているのですが、当時は、米軍車両の黄色いナンバープレートに「Key Stone of the Pacific」と記されてありました。まさに沖縄が何であるのかを象徴するものだと、ベトナム戦争最中の嘉手納基地一帯をそして那覇軍港界隈を歩きながら、考えさせられたものです。

 ここで、まえのコラムで引いた、TVニュースで伝えられた前原国土交通大臣のコメントを思い出す必要があります。

 「沖縄県民の皆さん方のご意向はしっかり受けとめなければいけない。鳩山総理大臣が、できるだけ県外にという思いで努力されていることは、たいへん結構なことで、われわれも後押しをしなくてはいけないと思う」
 「日米間の協定のたてつけでは、現在の辺野古に基地を移設するという考え方はそのまま生きている。私が今申し上げられるのは、あらゆる選択肢を想定して、日米同盟関係の実効性の確保と地元住民のご理解、これを両立する形で問題を解決するということに尽きる」
 
 前半のコメントは、「負担を軽減させてあげたい」という鳩山首相と意識において大差ないことがわかり「大変結構なこと」?というべきなのでしょうが、そんな軽口はともかく、続く「日米同盟関係の実効性の確保と地元住民のご理解、これを両立する形で問題を解決するということに尽きる」ということになると、「日米同盟の実効性」、要は「脅威」に対する日米での備え(抑止力)が万全に機能するようにできるかどうか、それが「確保」できるかどうかが問題だと言っているわけです。

 結論から言えば、そんなことと「住民の理解」が「両立」させられたらたまったものではないのですが、そこは、いまはまず置いておくことにします。

 本当は置いておけないことであることはいうまでもありません!
 
 さてそこで、問題は、ここでいう「脅威」とは一体何なのかということになります。

 いま、なぜ沖縄なのか、あるいは沖縄の海兵隊なのか、を問うとき、注目すべき報道があったことを思い起こす必要があります。

 もちろん、一般的にいわれるように中国、北朝鮮の存在をもって「脅威」とすることについても深い吟味が必要であることはいうまでもありませんが、いまは、そこにおさまらない、そこをこえたというか、さらに踏み込んだ「問題のありか」についてしっかりと考えておかなければならないということなのです。

 遡ることひと月、4月1日(木)の朝、「毎日新聞」の朝刊を手にしたとき、やはりここにきたかという、なんとも言い難い感慨にかられながら活字を追ったのでした。

 「海兵隊 北朝鮮核が狙い」と一面トップ6段抜きの見出しが躍る紙面では「なぜ沖縄に−米軍高官の『本音』」という横見出しに「オキナワになぜ米海兵隊が必要なのか−−。米軍高官が『抑止力』以上の『主たる理由』を日本側へ新たに伝えてきていることが関係者らの証言で明らかになった。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題の迷走は結果として米軍の『本音』を引き出し、鳩山政権の掲げる『対等な日米関係』を築く一歩になるのだろうか。」というリードが続きました。

 少し長くなりますが、重要な記事なので冒頭の部分を引用します。

 「東京・赤坂の米国大使館。2月17日午前、日米の防衛当局幹部による会合がひそかに開かれた。呼びかけたのは来日中の米太平洋海兵隊(司令部ハワイ)のキース・スタルダー司令官。アジア太平洋に展開する海兵隊の最高指揮官である。
 日本側から西原正・前防衛大学校長ほか研究者数人。防衛省陸上幕僚監部の番匠幸一郎・防衛部長と統合幕僚監部の磯部晃一・防衛計画部長も同席した。
 日本滞在中の司令官は多忙を極めた。合間を縫うように招集された極秘会合は制服組同士、普天間問題への日本国民の反応、自衛隊内部の雰囲気を探る意味合いもあった。
 司令官は普天間飛行場移設問題について、現行計画への理解を求め『公式見解』をひと通り述べた。通訳なしの英語だけで1時間の会合の最後、日本側出席者の一人がいらだちを抑えるように反論した。『そんな話は私たち安保専門家はわかっています。そういう説明ばかりだから海兵隊は沖縄に必要ないと言われるのです』
 同席者によると、司令官はしばし考えたあと、言葉をつないだ。『実は沖縄の海兵隊の対象は北朝鮮だ。もはや南北の衝突より金正日(キムジョンイル)体制の崩壊の可能性の方が高い。その時、北朝鮮の核兵器を速やかに除去するのが最重要任務だ』
 緊急時に展開し『殴り込み部隊』と称される海兵隊。米軍は沖縄駐留の意義を『北朝鮮の脅威』『中国の軍拡』への抑止力や『災害救援』と説明してきた。しかし、司令官の口から出たのは『抑止力』よりは『朝鮮有事対処』。中台有事に比べ、北朝鮮崩壊時の核が日本に差し迫った問題であることを利用したきらいもあるが初めて本音を明かした瞬間だった。出席者の間に沈黙が流れた。」

 この日の朝刊の一面と三面をフルに使って展開されている「転換期の安保」論は、いま私たちが目にしている「普天間問題」の本質をきわめて明確に提示したというべきです。

 ただし、
 「『沖縄の負担軽減、抑止力の問題も含めて、私が腹案として持っているものは現行案と同等か、それ以上に効果のある案だと自信を持っている』。31日の党首討論で、鳩山由紀夫首相は『負担軽減』と『抑止力維持』を両立させた新移設先の選定に自信を示した。だが、日本列島を取り巻く安全保障環境は急変を続け、見方もさまざま。普天間飛行場の移設先探しばかりが先行し、海兵隊の機能が日米間で具体的に検証された様子はない。」
 と、まさに「見方もさまざま」と書くように、この記事を書いた記者がどういうスタンスなのかはあいまいなのですが。

 そして三面です。

 「95年9月に起きた沖縄駐留米海兵隊員3人による少女暴行事件をきっかけに、日米両国は議論を重ね、海兵隊が持つ普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還で合意した。日本ではあまり知られていないが、米国内では沖縄の海兵隊の撤退論や海外移転論の研究が盛んになった。
 『沖縄の海兵隊基地をオーストラリアへ移した場合の影響は』。冨沢暉(ひかる)元陸上幕僚長は、米海軍系研究機関からたずねられた場面を鮮明に覚えている。96年7月、都内での昼食会に呼ばれた時のことだ。
 冨沢氏が衝撃を受けたのは、日本では話題にすらなっていなかった『沖縄海兵隊の撤退シナリオ』を、一つの研究機関であれ、米軍関係者が真剣に検討していたという事実だった。冨沢氏は今、振り返る。『当時、彼らは横須賀・佐世保の海軍基地を確保するためには、海兵隊基地の撤退やむなしとの感じだった。米軍はあらゆることを想定、研究する。日本側に真剣な議論はあったのか』
 日米両国は06年5月、在日米軍再編協議の末、普天間飛行場の名護市辺野古への移設や、司令部を中心に沖縄海兵隊8000人をグアムに移転することで合意した。海兵隊の撤退や海外全面移転論はひとまず終息したが、北朝鮮崩壊のシナリオが真実味を増し、中国は急速に軍備増強を進める。
 アフガニスタン攻撃、イラク戦争を経て、米オバマ政権が今年2月に発表した4年ごとの国防政策の見直し(QDR)では、『在日米軍の存在を確実にし、グアムを安全保障の拠点にする』ことを強調。外務省幹部は『「沖縄の海兵隊は不要か」と問われれば、安保環境の流れはむしろ逆、「必要」だ』と断言する。
 だが、鳩山政権が普天間移設の現行計画を見直し、新たな移転先を探し始めたことで、議論は再びくすぶり始めた。主要閣僚の一人は『5月までに移設先を決められなければ、海兵隊が全面撤退する事態はあり得る。海兵隊の実力部隊をグアムに移転し、現行計画でグアムに移ることになっている司令部隊を沖縄に残せばいいと思う。司令部を残すだけならキャンプ・シュワブ内で足り、自衛隊と連携できる』と語る。」

 ようやく「議論」が本質に近づいたというべきです。

 ただし、ここでも注意が必要なのは「日米両国は06年5月、在日米軍再編協議の末、普天間飛行場の名護市辺野古への移設や、司令部を中心に沖縄海兵隊8000人をグアムに移転することで合意した。」としながら、これで「海兵隊の撤退や海外全面移転論はひとまず終息したが、」と書くのですから、前のコラムで触れたように「知ってか知らずか、それはわからないが、メディアが『真実』を報じていない」という宜野湾市長の伊波氏の懸念がこうした記事でも現実のものとなっていると思わざるをえません。

 しかし、そこを割り引いたとしても、この「毎日」の記事は「画期的」だというべきでしょう。
 なお、画期的ということばは本来、プラスの意味で使うのですから、本当はこういうときに使うのは不適切なのでしょうが、それでもこの間の普天間報道では群を抜いているという意味で「画期的」だというべきでしょう。

 さて、ここまで考えてきて、ようやく問題は朝鮮半島、それも「核を振りかざす」?北朝鮮と「軍拡」著しい中国、なかんずく北朝鮮こそが問題なのだという、事の「本質」?!に突き当たることになりました。

 物事はすべて関連していて、連鎖の輪の中にあること、そしてそれらはすべて複雑に絡まりながら同時進行していること、しかし、それらは一見、ひとつひとつの出来事として私たちの目の前に立ち現われてくること、まさにそうしたことを如実に思い知らされることを、いまさらながら、この記事を読み進みながら痛感したものです。

 ですから、私たちは、本当に頭をシャープにして、賢くあらねばならない!でなければ事の実体、実相と本質を見失うことになると、これまたあらためて思うのでした。

 さて、そこで、では北朝鮮をどうとらえるのか、あるいは北朝鮮と核の問題をどう見据えるのかというところに思考をすすめなければならないというべきでしょう。

 そこで、ちょっと迂回してしまうのですが、金正日総書記の訪中問題をめぐる報道について考えてみることにします。(つづく)



posted by 木村知義 at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録