2010年08月18日

暑い夏、暗澹たる夏・・・

  またもやこのブログのコラムの間が長くあいてしまいました。本当に申し訳ありません。
 
 この間、「韓国併合100年」にかかわる国際シンポジウムをはじめいくつかの会合に足を運んでいました。そうしたことも含め書くべきことが山積です。

 それにしても「暑い夏」が続いています。

 これは気候としての猛暑ということだけではなく、この時期メディアでは「恒例」のように「戦争」にかかわるさまざまな記事や企画が相次ぐという意味で「暑い夏」と記したのです。

 8月6日広島、9日長崎、それぞれの「原爆の日」、そして8月15日「終戦の日」へと、戦争と歴史にかかわる記事や企画を読み、視聴しながらいささかの「失語症」に陥る日々となっています。

 戦後65年ということで、なのでしょうか、戦争にかかわる企画や記事がいつもの年より多く感じられます。
 しかし、私はこの時期になるといつも、語るべき言葉を失いがちになるのでした。

 語るべきことは重く、山のようにあるというべきです。にもかかわらず十年一日のごとく繰り返される「悲惨な戦争について語り継ぐ」という言説に、もはや同じ問いかけをする気力を失いがちになるのです。

 その問いかけとは「一体何が悲惨だと考えているのか、何をもって悲惨とするのか?」というものです。

 ある新聞出身のメディア研究者が「広島、長崎の『原爆の日』が来て、65回目の『終戦記念日』も過ぎた。各メディアは今夏も戦争を扱う企画に取り組んだ。それに対して『8月ジャーナリズムだ』と、マンネリ性を批判する声もある。しかし、国民、メディアが戦争と平和に思いをはせる季節を毎年共有するのは、戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣だと私は思う。」と書くとき、この人物の善意は疑わないにしても、私は、なんともいえない違和感を抱くのでした。

 この時期の戦争企画の連なりを「戦争と平和について思いをはせる」ことだとしてそれを「戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣」だとは、私は楽観的になれないのです。

 また、些細な揚げ足取りのように思われると心外なのですが、たとえば「8月ジャーナリズム」という批判があるというくだりで、ジャーナリズムという言葉をそんな安易に使っていいものかと考え込みます。

 とてもではありませんが「ジャーナリズム」などという水準に到達していないから問題なのだ!と、私は、思うのです。

 ここはこのメディア研究者の論考をとりあげて「ジャーナリズム論」について論ずるのが本意ではありませんから控えますが、ではこの間の企画や記事でジャーナリズムと言うにふさわしいものがどれほどあっただろうかと考えると、私は暗澹たる思いに駆られます。

 おちゃらけで言うのではなく、たとえばこの間の記事やテレビ番組で「戦争が起きるとこれほどの悲惨なことになるということを直視しなければならない・・・」というような言説にぶつかると、「さて、戦争は起きるものなのでしょうか・・・?」と問いたくなるのです。

 「戦争は起きるもの」なのでしょうか?!

 また「戦争を知らない世代が人口の過半を占めるようになって戦争の記憶が風化していく。戦争の悲惨さを語り継がなければならない・・・」あるいは「愛するものから引き離された若者同士が、戦場で殺し合いをさせられる戦争というもののおぞましさを改めて思った」というようなくだりに出合うと、ここには、何が悲惨で、何がおぞましいのかを正視する、あるいは正直に語る覚悟と格闘が欠落している!と思わざるをえなくなるのです。

 戦争と平和について語る際、戦争はあたかも「自然」に起きるもののごとく語り一般化するところから論理の退廃がはじまるのだと、私は思います。

「起きる」ではなく、「起こした」から戦争はあったのであり、起こした側があったからこそ戦争は「起きた」のであり、誰が、なぜ、起こしたのかという点について、ゆるぎない検証がなくては、戦争はいつでまでも総括されることなく生き延びるものだと思います。

 そして戦争を「起こされた」側こそがまさしく痛切に「おぞましい」と思ったでしょうし、それを阻むことのできなかった私たちの歴史こそが「おぞましい」と、私は思うのです。

 侵略されあるいは植民地支配された側の「悲惨」を認識できず、侵略への道を押しとどめることのできなかったジャーナリズムをこそ「おぞましい」と感じる感性を喪失した「ジャーナリスト」に何か教えを乞わなければならないほど私たちの言論は寒貧たるものになっているのでしょうか。

  戦争に一般的かつ抽象的な「悲惨さ」を持ち込むことから歴史への背信と本質からの逃亡がはじまるのだと、私は考えます。

 ジャーナリストが戦争について語るとき、この、なんとも単純にして自明の理を忘れることは一切許されないと私は考えます。

  問われているのはまさしく歴史に向き合う際の誠実さと歴史認識なのです。

 8月15日の「全国戦没者追悼式」で菅直人首相が「これからも、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継いでいかなければならない。」と語るとき、この人は「過去を謙虚に振り返る」とはどういうことであり、語り継がなければならない「戦争の教訓」とは何だと考えているのかと問い返したくなります。

 重ねて言いますが「悲惨さ」や「教訓」を抽象化して一般論にするところから論理の退廃がはじまるのです。

 戦争責任について踏み込まず、侵略の歴史について正対せず、どのようにして悲惨さを語り継ぐのでしょうか。

 風化などという持って回ったいい加減な言葉で事の本質を避けて通ることがジャーナリズムなのか、「8月ジャーナリズム」とはそれほど安直なものなのか、私は言葉を失います。

 戦没者を追悼するとき、大日本帝国の旗のもとに侵略され、蹂躙され、殺され、奪われた人々の悲惨はどう認識されているのでしょうか。

 「加害責任」という言葉をもってしても容易には語りきれない、おぞましい事実を、現実を、ジャーナリストは、そして私たちは具体的に知る必要があると思うのです。

 こう書いてくると、毎度のことですが、またもや自虐がどうのこうのという批判が寄せられるかもしれません。

 しかし、こうした歴史と真っ向から、しかも具体的に、真剣に向き合う営みを「自虐」などときいたふうな言葉であしらえば封じることが出来ると考えるほどの「空っぽな人々」にあれこれものを言われるいわれはないと言うべきです。

 言論とはそれほど容易いものなのか、いい加減なものであっていいのか。

 言論をバカにしてはならない!と言うべきです。

 そして、この時期、多くのメディアが言うように、もし戦争の記憶の風化がどうのこうのと言うのならば、そのように書き、語っている人々は、一度でも本当に戦争の実体とそして本質と正対したことがあるのかと厳しく問うてみなければならないと言うべきです。
 
 侵略という二文字がいかほどの膨大かつ深い実体を伴うものなのか、事実に即して真剣に向き合う必要があると、いま痛切に思います。

 と同時に、現在の言論状況を見るにつけ、あまりの事の重さと道のりのほど遠いことに気が遠くなる思いで、言葉を失ってしまうのです。

 冒頭に書いたこの時期の失語症とはこういう意味なのです。

 「韓国併合100年」にかかわるテレビの特集企画番組や新聞の企画記事も同様です。
 一見よく考えているようにみえる企画記事や番組にも深く問われるべき問題が隠れていると感じることがしばしばです。

 言葉のちょっとした違和感がはらむ本質的な問題の大きさと重さに、ここでも言葉を失ってしまいます。

 発表される前からメディアでもさまざまに取り沙汰された「韓国併合100年」を期に出された首相談話のニュースを見ながら、歴史と真摯に向き合うということはどのようなことなのかと、あらためて考えさせられました。

 談話では「日本政府が保管している」と言い、メディアでは「日本に流出した」と書く「図書」を「お渡しする」という表現がはらむ問題の根深さについて「日韓基本条約で請求権問題は解決しているということで『お渡しする』という表現を使った・・・」と解説して、何かを「解説」したと本気で考えているのでしょうか。

 「お渡しする」を問題にする前に「保管」していたり「流出した」という表現をどう認識しているのか、これまたおちゃらけではなく、まさかそれらの文物に足が生えて勝手に歩いて日本にやってきたなどとは思っていないでしょうね?と問い質したくなるのです。

 言論、ジャーナリズムにかかわる者は「ことば」あるいは表現には存在を賭した厳しさが求められると思い込んでいたのですが、そんなことはもはやこの国ではまさに「八百屋で魚を求める」類の、言っても詮無い事なのだろうかと、痛切に思うのです。

 「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。」

 まことにその通りありたいと、菅首相のみならず、私も思います。
 そうして「歴史の事実を直視する」と文物を「お渡しする」という表現の間にどれほどの隔たりがあるのか、それがわからないのであれば総理大臣などという地位に就く資格はないでしょうし、わかっていて人をたばかっているなら、それ以上にその職にとどまる資格はないと言うべきです。

 そのいずれでもないとするなら、メディアの行間に見え隠れするのは、外務官僚のなせるわざということになります。

 私は、長く忘れていた「法匪」という言葉を思い出しました。

 日韓基本条約で解決済みである、ゆえに「返還」という言葉を使ってはならぬ・・・などという「論理」はまさしく「法匪」以外の何ものでもないと言うべきです。

 もちろんそれ以前に、この談話で示されている「誠実に向き合いたい」というのは韓国に対してであり、朝鮮半島全体に対する責任が明確にされていないという問題の重大性については、もはや言葉を要しないと言うぐらいのものです。

 こういうことの表現をあれこれひねくり回すために外務省のキャリア官僚たちは驚くほどの高い禄を食んでいるのでしょうか。

 誠実であるとか真剣ということの意味が失われて久しいことに呆然とします。

 そして、ここにも菅内閣が生き延びる奇妙な構造が如実に表れていることに気づきます。

 どういうことかといえば、「こういうことを蒸し返せばさまざまに飛び火していく。たいへんな禍根を残すことになる・・・」といった、歴史修正主義の側からの「もうひとつの批判」を浴びることによって、本質的な問題を問われないまま生き延びる力を得るという構造です。

 まさに、こうした「批判」こそが、本質的な批判から菅内閣を守り生き延びさせる糧となっているという意味で、たとえば安倍元首相らこそが「補完勢力」になるという、奇妙な構造に気づく必要があるということです。

 政権交代によって生まれた民主党政権にとって代わるものがないという、いま私たちが目の当たりにしている悲劇の構造を直視する必要があると思います。

 それにしても、この時期の戦争と平和をめぐる企画報道や番組をひたすら年中行事のごとく繰り返すメディアのあり方にピリオドを打って、ジャーナリズムとしてどう生きるべきなのかを根源的に問い直すことをしないならもはや将来はない!といわざるをえません。

 「メディアが戦争と平和に思いをはせる季節を毎年共有するのは、戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣だ」などと気楽なことを言っていられるメディア、言論状況なのでしょうか、あるいは政治、社会状況でしょうか。

 「暑い夏」を暗澹たる夏にしないためにも、いま、まさに真剣に考えてみなければならないのではないかと痛切に思います。


posted by 木村知義 at 00:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年08月01日

おわびとお断り

 7月26日のコラムの掲載時、画像を取り込む操作などの関係からHTMLテキストをうまく使えず、文字を大きくして読みやすくすることができませんでした。
 行間や文字の大きさに不具合が起きてしまい申し訳ありませんでした。
 本日修正できましたので、26日付のページを一度破棄して再掲載しました。
 ご理解ください。
posted by 木村知義 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年07月26日

なんと愚かなことをするものだろうか

 前回のコラムからちょうど一か月になります。
 北東アジア、とりわけ朝鮮半島、中国をめぐる重要な動きがありながら、このコラムの筆を執るいとまがなく過ぎていました。
 その間このブログを休んで何をしていたのか、ということになります。
 この間、朝鮮半島問題をテーマにしたジャーナリストの研究会や日中関係にかかわる研究会などに出向いていましたが、7月10日に京都の立命館大学コリア研究センター主催の国際シンポジウム「新国際協調主義時代における東アジアと朝鮮半島」は非常に密度の濃い内容であるとともに、時宜にかなった有意義な討論の場になったと感じました。

 このシンポでは、前日東京の外国人特派員協会でも講演した米国のジョンズホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)コリアスタディーズ所長のJ.J.Suh氏が「天安艦沈没で揺らぐ東北アジア〜朝鮮半島はどこへ行くのか?」というテーマで報告しました。この中で、Suh教授は「天安艦沈没」を北朝鮮の魚雷によるものだとする李明博政権の「発表」に対して、矛盾点を詳細に指摘しながら疑義を提示しました。

 この報告を聴きながら、いささかの我田引水をお許しいただくなら、この間私がこのコラムに書いてきたことは決して間違っていなかったという確信を抱くことになりました。

 さて、きのうから日本海(東海)で米韓両国軍によるかつてない規模の合同軍事演習がはじまっています。正確には米韓両国軍に日本の幹部自衛官も加わったと言うべきで、その意味では米韓日3か国はじめての合同軍事演習と言うべきでしょう。

 この「演習」にはアメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」に加え韓国の駆逐艦や潜水艦など艦艇20隻、沖縄の嘉手納基地に配備されている最新鋭戦闘機「F22」をはじめ航空機200機、兵士8000人が参加、「両国の軍事演習としては最大規模」になることはすでにメディアで伝えられています。

 そしてこれにとどまらず、米韓両国が毎年実施している合同軍事演習「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」も、あわせて8万人余りが参加して、来月16日から11日間にわたって行われると伝えられています。

 少なくとも、今後数か月間、この地域は「臨戦態勢」あるいは「戦時態勢」下に入ることになったと考えるべきです。

 これらに対して、北朝鮮の最高権力機関である国防委員会は24日朝、声明を発表し、一連の演習を「史上最大規模の核戦争演習騒動であり、意図的に情勢を戦争の瀬戸際に追いやっている」と非難するとともに、「必要な任意の時期に、核抑止力に基づく報復の聖戦を始めることになるであろう」と警告を発しています。まさに「一触即発」の状況下にあると言うべきです。

 日本に暮らしている私たちにはすぐ身近なところで起きている事でありながら、この状況を的確にとらえることが難しいと言うべきですが、日本の自衛官が「オブザーバー」として参加するということにとどまらず、日本の横須賀港に配備されているj原子力空母ジョージワシントンや沖縄の嘉手納基地に配備されている最新鋭戦闘機「F22ラプター」などが参加しているということは、日本もまた今回の合同軍事演習に深く組み込まれている、つまり当事者として存在しているということを自覚しておく必要があると考えます。

 いまどき戦争などそんな簡単に起きるものではないという「気分」が支配的ですが、わたしはこの間の推移に歴史の暗い「符合」を感じて、予断の許されない状況にあるのではないかという思いを強くするのでした。

 それは、国連の安保理での協議をはじめ、「天安」沈没問題で韓国、米国の思惑通りに事態はすすまず、その焦りが両国に募っている事、メディが伝えるのとは裏腹に、今回の「天安問題」への世界からの米韓両国(およびそこに深くかかわっている日本)への視線が冷静かつ沈着な、「冷めた」ものであればあるほど、この問題の「決着」をどうつけるのかをめぐって、いわば「追い詰められた状態」に陥るという構造になっていることに懸念、あるいは危惧を抱かずにはおれないのです。

 同時に、これは「北朝鮮による犯行説」を無自覚に垂れ流してきたメディアにとっても、どう「オトシマエ」をつけるのかを迫るものとなってくることは言うまでもありません。

 「極秘情報」などにふれるポジションでなくとも、ごくごく「普通の感覚」さえ失わなければ、今回の李明白政権による「天安問題」についての「発表」や米韓両国の「立ち居振る舞い」に疑問や何らかの問題意識を抱くことは何も難しいことではない、ということはこの間の「公開情報」だけをもとにして考えてきたこのコラムをお読みいただいただけでも明らかだと思います。

 長くなりますから、いまここで詳細に引用することは控えますが、今回の問題に対する北朝鮮の声明や報道をつぶさに読み込んでみると、今回は絶対的な自信を持って韓米両国を追い詰めていくという「空気」が行間に感じられ、これまで伝えられてきた、従来のいわゆる「テロ事件」やなにやかやとは決定的に違うことに気づきます。

 いま注意を払っておかなければならない最も重要なファクターは韓国の李明白政権の「焦り」であり、米国の「揺れ」だというべきでしょう。

 その決定的な原因(の重要なひとつ)は中国の存在にあることは言うまでもありません。今回の「軍事演習」にしても中国の「存在」を無視して思い通りに進めることが出来なかったことは言うまでもありません。

 それゆえ、「一触即発」とはいえ、そんな簡単には間違いは起きないだろう、とは思いたいのですが、私には歴史の「暗い記憶」が蘇らざるをえないということも、正直なところなのです。

 その「記憶」あるいは暗い「符合」とは、米国のクリントン国務長官とゲーツ国防長官が韓国の柳明桓外交通商部長官、金泰栄国防部長官とともに板門店を訪れ、クリントン、ゲーツ両長官が軍事境界線(DMZ)最前線を「視察」した「光景」をめぐるものです。
以下の写真から何を読み取り、何を感じるのか、杞憂であればいいのだがという思いを禁じえません。
クリントン視察.jpg

クリントン視察3.jpg

クリントン視察2.jpg

  
 いうまでもなくはじめの3枚は今月21日午前のクリントン、ゲーツ両長官の板門店訪問と最前線の視察風景の写真です。米国大統領の訪問に随行したケースを除き、米国の外交・安保を統括する国務・国防長官がそろってDMZを訪れるのは今回が初めてのことでした。

 そして以下は、1950年6月18日、米国のトルーマン大統領の特使、J.Fダレスが韓国の申性模国防部長官、林炳稷外務部長官とともに「38度線」最前線を視察した際の写真です。

ダレス視察.jpg


 もうお分かりのように、この一週間後に朝鮮戦争が勃発しています。
 この視察の翌日ダレス特使は韓国国会で以下のような演説をしています。
「・・・諸君の民族的自尊心と、自衛はあくまでも自らの努力に依存するという原則に反しない限り―アメリカは諸君に対する物心両面の支援を惜しまないだろう。諸君は孤独ではない。人間の自由という偉大な理想のため、自らに課せられた任務に忠実でありつづける限り、諸君は決して孤立無援ではないだろう。・・・」
 このあとダレスは東京に向かいマッカーサーと会談したことが記録に残っています。

 今回のクリントン、ゲーツ両長官のDMZ「視察」について言うならば、米国側、韓国側どちらの「判断」なのかはわかりませんが、板門店の「軍事停戦委員会会議場」までは同行した韓国の柳明桓外交通商部長官、金泰栄国防部長官はDMZ最前線哨所での「視察」に同行することを避けたことが写真からもわかります。

 写真の比較から、辛うじてというべきか、60年前と比べると少しばかりの「自制」が働いたということなのでしょうか。

 しかし、だから大丈夫だと言う保証はどこにもありません。
 日本海(東海)での軍事演習にはじまって数か月続くであろう「合同軍事演習」下の朝鮮半島は一切の予断を許さない状況だと考えるべきでしょう。

 なんと愚かなことをするものだ、というのはこの間の北東アジアをめぐる「出来事」を見つめながらの、ため息の出るような私の「つぶやき」です。
 そしてその「愚かさ」がきわめて危険なものであり、この北東アジアという地域に暮らす私たちの平和と安全を深く脅かす事態を引き起こしていることに、言葉にしがたい深い憂慮を抱かずにはおれません。

 普天間−ワシントン核サミット−黄ジャンヨプ訪米、来日−金正日総書記訪中問題−天安沈没「事故」−韓国6月地方選挙−中国海軍演習−中井拉致担当相訪韓−金賢姫来日問題−小沢幹事長と検察審査会−上海万博開幕、そしてキャンベル国務次官補来日と日米同盟の今後、さらには東アジア共同体構想・・・。

 これらが「一筋の糸」でつながっているというのが私の問題意識だと書いたのは4月29日のことでした。

 「金賢姫来日」もまた、なんと愚かなことをしたものだ、という感慨を禁じえません。

posted by 木村知義 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月27日

砲声を聞くことなく

 1950年6月25日早朝、朝鮮半島で戦火が勃発してから60年を迎えました。
 日曜日の明け方のことでした。
 幸いなことに60年目の25日は、朝鮮半島に、少なくとも、砲声を聞くことなく朝を迎えることができました。
 しかし、では平和な朝を迎えたのかといえば、ほど遠いと言わざるをえません。

 そして、1953年7月27日、板門店で「休戦協定」が結ばれて以来、一時的な「休戦」状況がもう57年にもなります。
 「休戦」とカギかっこが必要なのは、議論の余地のないことでしょう。
砲弾が飛び交うことだけが戦争で、砲声が聞こえなければ平和だということにはならないことは誰もが知ることです。

 欧州における「冷戦崩壊」がいわれながら、この北東アジアの地では、まだ冷戦が続いています。
 
 まずこのことを私たちは思い起こさなければならないと思います。

 なにかというと「冷戦後の世界」と語り始めるわけですが、私たちは依然として冷戦の歴史を生きていて、この状況を根本的に転換するという歴史的な課題をあるいは使命を果たしていないということをしっかりと胸に刻まなければならないと思います。

 また、われわれの記憶を歴史に繋ぐというジャーナリズムの使命を考えるならば、朝鮮戦争をどう語り、この地に残る冷戦状況をどう変えていくのかをどのような言説でもって示すのか、深く問われるところだと考えます。

 戦後生まれの私にとって朝鮮戦争とは「歴史」であり、自らの肌をとおした痛みとして語ることはできません。
 
 しかし、年齢からいうと朝鮮戦争の休戦からは少し後なのかと思うのですが、子供のころ住んでいた家の近くに当時は進駐軍と言っていた米軍の病院施設があって、両脇に担架をセットしたヘリコプターが昼夜を分かたず発着を繰り返していたことがはっきりと記憶に残っています。
 大人たちの会話からは「イタツケ」とか、どことかから運ばれてくるけが人や病人だとかいうことが漏れ聞こえてきた記憶があります。

 幼少の子供にとって飛行機やヘリコプターというのはなんともいえないあこがれの「乗り物」のはずなのですが、夢を感じられない異様な「暗黒の風景」とでもいうのでしょうか、不思議なことに、明るい陽光の下での発着という印象が一切ないのです。
 ひんぱんに発着を繰り返すヘリコプターが少し傾きながら旋回して病院施設の白い塀の向こうに姿を消す間際に両脇の担架に縛り付けられている濃いカーキ色の毛布のようなもののふくらみが見えたことも、くっきりと、像として記憶に残っています。
 これまた不思議なのですが、そのことを思い出そうとすると、なにか鬱々とした記憶の塊に気持ちが暗くなるのでした。

 そんな記憶を胸に、各紙朝刊に目を通しました。

 25日の社説で朝鮮戦争を取り上げているのは「毎日」と「産経」、「読売」は前日24日の社説で取り上げました。ほかの3紙は、国際面に北朝鮮関連の記事が掲載されたりはしていますが「社説」には見当たりません。

 このテーマを取り上げないからといって責められる謂れはないのかもしれませんが、論調はともかくとして、少なくとも朝鮮戦争から60年ということは重いテーマとしてジャーナリストに意識されているものだと思い込んでいたものですから、私にとっては意外でした。

朝鮮戦争60年 「北」の根本的転換が必要(毎日)
朝鮮戦争60年 北は今も「好戦国家」だ 脅威に対し日韓提携が重要(産経)
朝鮮戦争60年 変わらない北朝鮮の脅威(読売)

 これが各紙社説の見出しです。これだけでおおむねの論調が見えてきますので、付け加えるべきことはそれほどありません。
 もっとも、この内容で「良し」としているということではなく、言い立てはじめるととことん語り尽くさなければならないので、控えるという意味です。
 ただ、三紙に共通する以下のような書き出しに、私はふと立ち止まってしまうのでした。

 「60年前の6月25日、ひそかにソ連の支援を受けた北朝鮮軍が韓国になだれ込み、朝鮮戦争が始まった。米国が国連軍を率いて韓国を助け、中国は北朝鮮に加勢した激戦である。」
 
 「北朝鮮がソ連(当時)や中国の支持、支援を得て韓国を奇襲攻撃した朝鮮戦争(1950〜53年)が始まって、25日で60年になる。」

 「北朝鮮軍が北緯38度線を越えて突如、韓国に全面侵攻した1950年6月25日の朝鮮戦争勃発から、明日でちょうど60年を迎える。」

 朝鮮戦争が南北どちらから仕掛けてはじまったのかということについて言えば、いまは北側から、ということが「定説」になっていますからこういう書き出しになるとしても不思議はないのかもしれません。

 また、「朝鮮戦争『北朝鮮侵攻』と中国紙が異例の記述」という見出しで26日の「日経」が以下のような記事を掲載しました。

 中国国営の新華社系列の中国紙「国際先駆導報」は25日付で、朝鮮戦争開戦60周年に関する特集記事を掲載し「北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、3日後にソウルが陥落した」と紹介した。
 義勇軍を派遣した中国は公式には開戦の発端が「北朝鮮の南進」だったとは認めておらず、異例の記述になった。
 記事は「北朝鮮の侵攻による開戦説が中国でも定説になっていることを示した」(中国メディア関係者)との見方が出ている。
 中国外務省の秦剛副報道局長は24日の記者会見で、開戦の経緯に関する質問に直接の言及を避けていた。

 依然として日本のメディアにとって「どちらが先に仕掛けたのか」ということが最大の「関心事」であることがうかがえます。

 しかし私は、昨年、身近にお話をうかがう機会を得た鄭 敬謨さんから何気なく投げかけられた「戦争はどちらかが鉄砲を撃つということではじまるのでしょうか、それが戦争の起源ということなのでしょうか・・・・。」という「問い」にハッとさせられたことを思い出します。

 それ以来、この言葉が胸の奥深くでこだまのように響き続けているのでした。

 鄭 敬謨さんについてはあらためて言うまでもありませんが、1924年ソウル生まれで、日本の慶応大学医学部予科をへて米国へ留学、エモリ大学文理科大を卒業後朝鮮戦争勃発と同時に当時の駐米大使張勉氏の勧めで米国防総省職員となり、板門店における休戦会談にも参加、「朝鮮戦争におけるアメリカの侵略性を内側からつぶさに体験」されたという経歴をお持ちで、1970年、当時の朴正煕政権から逃れるように日本へ、以来、文筆活動を以て韓国民主化運動の一翼を担ってこられました。

 昨年亡くなった金大中元大統領が東京から拉致された際、命がけの救出活動に奔走され、米国のキッシンジャーを動かして間一髪のところで金大中氏の救命を果たしたことは、知る人ぞ知る事実です。

 また1989年には韓国の文益煥牧師と平壌を訪問し当時の金日成主席と会談したことでも知られています。

 韓国の民主化のために精魂を傾けながら、「世界」をはじめ各紙・誌で舌鋒鋭く論陣を張るとともに「シアレヒム」(一粒の力)という学塾を主宰し多くの若い世代の育成にも力を尽くしてこられました。

 その鄭 敬謨さんからの一見何気ない問いかけに、私は、物事を根源的に考えるとはどういうことかということをあらためて考えさせられました。

 「ブルース・カミングスが『朝鮮戦争の起源』を、なぜ、1950年6月25日からではなく、それにさかのぼる1945年から書き起こしているのを考えなければなりません。なぜ戦争が起きたのかは、(戦闘の開始の)銃声がどちらからだったのかということだけで考えていると本質が見えてこないのではないでしょうか。」とおっしゃる鄭 敬謨さんの問いかけに、あらためて歴史を見つめる目、そこでの問題意識の深さを問われている気がしたものです。

 その鄭 敬謨さんには、4月に開いた「北東アジア動態研究会」でお話していただくとともに、先日もまた身近にお話をうかがう機会を得ました。

 そのなかで、私たちが知らないか、あるいは、もし知りうる人がいたとしてその重要性についてあえて無視しようとしたか、見落としている、ある「問題」について、あらためて、認識を迫られることになりました。

 それは、米国のトルーマン政権の外交顧問、J・F・ダレスのメモランダム(覚書)と国務省政策企画部長のジョージ・ケナンの「対朝鮮構想」です。

 ジョージ・ケナンといえば「対ソ封じ込め」政策の立案者として広く知られていますので、それがどうしたのかというところかもしれませんが、鄭 敬謨さんの話から、実は、彼は、朝鮮半島は日本の再支配に任せるべきだという、驚くべき「構想」の立案者であったことを知ることになったのでした。

 「このことはほとんど知られていないでしょうね。第一、この構想自体が隠蔽されたままで、もしもこのことを知っていると言い切れる人がいるとすれば、それは寧ろ例外中の例外だといえるでしょう。しかし、過去に、メディアの方たちにもあるいは研究者のみなさんにも、再三このことをお話ししてきたが、きちんと取り上げて考えてみようという動きは皆無に近い。どうしてなのでしょう・・・。」

 鄭 敬謨さんはこう語りながら、ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』第二巻(日本未邦訳)から以下を引用して、どうですかと問いかけるのでした。

 「日本人の影響力並びに彼らの活動が再び朝鮮と満州に及んで行くような事態をアメリカが現実的な立場から反対しえなくなる日は、われわれが考えるよりは早くやってくるだろう。それはこの地域に対するソビエトの浸透を食い止める手段としては、これ以上のものはないからである。力の均衡をうまく利用するというこのような構想は何もアメリカの外交政策にとってこと新しいものではない。現今の国際情勢に鑑み、アメリカが上記のような政策の妥当性を認め、もう一度そのような政策に戻ることは、それが早ければ早いほど望ましいというのは、われわれ企画部スタッフの一致した見解である。」

 その原文を鄭 敬謨さんが主宰される「シアレヒムの会」の刊行物『粒』(RYU)から引用させていただくと以下のとおりです。(『粒』41号38P:2003年1月発行から)




 そして前後しますが、ダレスのメモランダムです。

 「アメリカは日本人が中国人や朝鮮人に抱いている民族的優越感を充分利用する必要がある。共産陣営を圧倒している西側の一員として自分たちが同等の地位を獲得しうるという自信感を日本人に与えなくてはならない」

 ダレスによってこのメモランダムが書かれたのは1950年6月6日。

 「朝鮮戦争が勃発するわずか二十日ばかり前の時点であったことに注意を払うべきです・・・」
鄭 敬謨さんが語りかけることの重みを、いま私たちはどう受けとめるのか、深く問われるところだと痛感します。

 また、上に引いた『粒』の発行が2003年であることからもわかるように、このことを再三語ってきたが、日本のメディアでも識者の間でも、真剣に受けとめて考えてみようという動きが皆無に等しい・・・という鄭さんの指摘は極めて重いというべきです。

 なお、最近の刊行物でいえば藤原書店発行の季刊誌『環』の41号〜特集「日米安保」を問う〜に、このことにかかわる鄭 敬謨さんの論稿も掲載されていますのでぜひお読みください。

 朝鮮戦争の特需によって日本は戦後復興を遂げることができたという程度の認識は広く語られるのですが、米国の世界・アジア戦略のなかで、ほかでもなく日本が朝鮮戦争の第一の「当事者」としてあったということへの認識は皆無といっていいでしょう。

 それどころか、新聞の社説がすべてだとは思いませんが、紙面に表れる言説、論考を読むと鄭 敬謨さんの危惧は、日本の言論の現状に対してまだ好意的に過ぎると言うべきだと、残念ながらですが、言わざるをえない、憂慮すべき状況だと感じます。

 たとえば、
 「朝鮮戦争は北朝鮮の創業者とされる金日成(1994年死亡)が、韓国併合を狙って引き起こした武力統一戦争だった。背後には当時のソ連や中国など国際共産主義勢力が控え、朝鮮半島全体の共産化はもちろん『その次は日本』を目標にしていた。
 そのため朝鮮戦争は日本にとっても重大な脅威だった。米国が国連軍として直ちに韓国防衛に馳せ参じたのも日本の安全保障を重視したからだ。
 朝鮮戦争を機に自衛隊の母体となった警察予備隊が創設された。日米安保条約が調印され、破壊活動防止法も公布された。いずれも日米の危機感からだった。在日米軍は今も国連軍を兼ねている。
 同時に、日本は韓国防衛の後方基地として決定的な役割を果たした。戦時物資の供給をはじめ、後方に日本があったからこそ、米国や韓国など自由陣営は共産勢力の韓国侵略を押し戻すことができたのだ。『朝鮮戦争のおかげで戦後日本の経済は復興した』とよくいわれるが、韓国も『日本のおかげで助かった』のである。この歴史的事実はしっかり記憶されなければならない。」
 
 あるいは、
 「この60年の間、朝鮮戦争に色濃く反映された東西イデオロギーの対立は冷戦終了とともに消滅し、世界は大きく変わった。」
 ゆえに、
 「好戦性、侵略性」をもった独裁国家北朝鮮を変えなければならない、あるいは、北朝鮮の「根本的な転換だけが平和と安定への道だという真実を、北朝鮮指導部は受け入れるべきである。」
といった論調、主張になるわけです。

 こうした新聞紙面の「社説」で語られる言説の背後にある認識を、私たちはいまどう受けとめ、どう考えるのか、厳しく、深く問われているのだと思います。

 もちろんこうした社説の「論調」とは別に、北朝鮮は変わらなければならないでしょうし、国民の生活を豊かにし、幸せをもたらすためにしなければならないことは多くかつ重い課題としてあることは確かだと考えます。

 しかし、そのことを語る前に、では、朝鮮戦争とその後の歴史のなかで、私たち日本の存在はいかなるものであったのかということへの検証と考察がなければ、国際的に説得力を持つ言説にはならないであろうということは明白です。

 否、それどころか、朝鮮半島への植民地支配がどのようなものであり、それが「第二次世界大戦」の戦後世界を、とりわけ北東アジアをどう規定したのかという、「朝鮮戦争の起源」に至る歴史への自省と深い検証がなくては、何かを語る資格はないと言うべきです。

 その際、鄭 敬謨さんが示しておられる、知られざる「ケナン構想」の重みをしっかりと認識してかからなければならないと言うべきで、その意味で、私たちは事実と歴史に対して謙虚にかつ真摯に向き合わなければならないと考えます。

 社説の筆を執る世代も大きく変わり、歴史に対する認識の浅薄さや問題意識の希薄さ、あるいは無知ゆえのことなのか、はたまたそうした「世代交代」とは無関係に、これが日本の言論状況の水準を示すものなのか、私にはにわかに判断がつきません。

 しかし、こうした社説を読みながら鄭 敬謨さんの危惧を反芻するとき、言論、言説の危うさは容易ならざるところに来ていると考えざるをえません。
 
 このコラムは、実は、25日の朝書き始めたのですが、所用で取り紛れて書き上げることが出来ずに27日(日)の朝を迎えてしまいました。

 けさの朝刊各紙にはG8、主要国首脳会議が北朝鮮を非難する首脳宣言を発したことを伝える記事が掲載されました。

 さて、これで「現状」の解決に向けて何かが動くのでしょうか。

 あるいは「北朝鮮非難のメッセージを=菅首相が提起―哨戒艦沈没事件」という見出しを前に、日本の立ち位置は本当にこんなことでいいのか、深い憂慮を抱かざるをえません。

 いまだ終わらない朝鮮戦争から60年。
 少なくとも、朝鮮半島に砲声が響かない朝を迎えて、しかし見えざる「砲声」が重低音のように響いています。

 アメリカの世界・アジア戦略のなかで、朝鮮戦争第一の「当事者」としての日本。
 さて、知られざる「ケナン構想」をどう受けとめるのか。
 いままた、私たちが問われています。



posted by 木村知義 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月16日

「内向きの思考」でなければいいのだが・・・

 4年ごとの「にわかサッカーファン」程度の知識と応援ぶりでワールドカップサッカーについて発言権があるのかどうかわかりませんが、ワールドカップの開幕にはそれなりに「興奮」して毎日のテレビ中継にかじりついています。
 
 一昨日の日本―カメルーン戦には力が入りました。
 開幕前に本田選手とヒデこと中田英寿氏が熱く語る特集番組を見て二人のサッカーに向かう姿勢というか、生き方に感動したこともあって、本田選手がゴールを決めた時には本当に胸が熱くなりました。
 
 で、昨夜帰宅して、さあブラジル―北朝鮮戦だ、しかしキックオフは確か夜中というか未明の午前3時半だかなんだったな・・・と思って新聞の番組欄を見て、どこにも記載がないので目を疑いました。

 何かの間違いではないかと別の新聞の番組欄も確かめてみるというバカなことをしてみたのですが、当然といえば当然ですが、どこにも見当たりません。

 近頃はやりの表現を使えば、エエッー!!マジカョとでもいう気分でした。
 「地獄のG組」「世界ランク1位、優勝候補の一角のブラジル」と「出場チーム中世界ランク最下位、44年ぶり出場の北朝鮮」戦だぞ!なぜだ?!と声を上げてしまいました。
 
 NHKをはじめ日本の放送局はなぜこの試合を中継しなかったのでしょうか。
 まさか、北朝鮮ということで「自粛」したということはないのでしょうね、などとあらぬことまで考えてしまいました。
 
 放送関係者にはぜひこの問いに答えてもらいたいと、思います。
 「なぜ、ブラジル―北朝鮮戦を中継しなかったのか、その判断はどういう考えにもとづくものなのか?!」と。
 
 北朝鮮がどうのこうのという好悪の問題ではなく、ジャーナリストであれば、この試合に関心をもってしかるべき、と私は、思うのです。
 
 否、関心を持たないなどというのはジャーナリスト失格だとさえ考えます。

 しかも、北朝鮮代表には川崎でプレーする鄭大世と大宮の安英学という2人のJリーガーがいます。
 
 加えて44年前にはイタリアに勝って8強入りを果たし、世界をアッといわせたという歴史があります。
 もちろんその後世界の舞台から遠ざかってはいましたが、サッカーファンのみならず、ジャーナリストとしては関心を持ってしかるべきという今回のワールドカップ出場です。

 ある新聞の記事の一部を引用します。

 北朝鮮はW杯で輝かしい成績を誇る。66年イングランド大会に初出場し、強豪イタリアを倒して8強入り。国内のサッカー人気も高く、訪朝経験のある国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は「金正日総書記自らが、サッカーの発展に強い関心を持っている」というほど。日本と対戦した94年米国大会以来、予選への出場を見合わせ、食糧不足に伴う財政状況の悪化や、成績不振で金総書記が代表チームを解散させたなどの噂が飛んだ。再び力を入れ始めたのは、2002年日韓大会での韓国の躍進が起因とされる。
 代表の特徴は、準備期間の長さ。アジアサッカー連盟(AFC)などよると、W杯出場決定後、欧州とアフリカ遠征を断行し、今年はトルコや中南米、スイスで合宿を行い、南ア入りした。平壌近郊には4〜6面のピッチや宿舎、ジムを完備した国内合宿地がある。
 民族教育の影響からか国や代表チームへの忠誠心は高い。安は02年に初招集された際、当時所属した新潟のチーム事情で合流が遅れると、「代表より大事なことがあるのか」と練習着すら渡してもらえなかったという。
 FIFAランキングは、出場32チーム中最下位の105位。いまだ謎の多いチームとあって、8日に練習が公開されると100人近い報道陣が殺到した。同じG組のブラジルやポルトガル、コートジボワールだけでなく、ポーランドなど多くのメディアの注目を集めたが、報道対応は鄭大世ただ1人で、英語で「政治とスポーツは別。プレーで北朝鮮のイメージを変えたい」と意気込んだ。
 15日には強豪ブラジルとの初戦を迎える。「北朝鮮にはどこにも負けない勇気がある。奇跡は起こせる」と鄭大世の顔は自信に満ちている。
 
 さてこの記事は何新聞でしょうか?
 普段は北朝鮮に対して、きわめて!厳しい論調で知られる産経新聞の記事です。

 スポーツだから政治などと無関係に、などと間の抜けたことを言うつもりはありません。
 
 スポーツは政治そのものであり、オリンピックをはじめ、政治と無関係なスポーツの世界大会などありえません。
 
 スポーツは政治そのものです!

 だからこそ、なのです。
 ジャーナルな観点からしっかりスポーツを見つめる必要があるのです。

 そこには自身の好悪や言うところの世の中の「空気」に動かされず、しっかりとした視座が、視角がなければなりません。

 たかがブラジル―北朝鮮戦の中継がなかったからといって、そこまで言うのかと思う人がいるとしたら、まずサッカーファンとして失格というだけでなく、いま(現在)という時代を生きる一個の人間として、世界とそしてアジアとどう向き合うのかというところでその在り方が深く問われるというべきです。

 サッカーファンとして失格だと言われることぐらいは、単に趣味の問題ですから、サッカーなんか興味はアリマセン!と言い返せばそれで終わりです。
 しかし、この時代を生きる人間として…ということは、なかなか重く、厳しい問題です。

 もちろん、そこまで大げさに言うことはないだろう、という反論は承知の上です。

 しかし、産経の記事をしっかりと読んでみてください。

 わたしがワールドカップに関心を深め、「にわかワールドカップサッカーファン」になったのは、2002年の日韓共催のW杯大会の2年ほど前にさかのぼります。

 何かの折に、親しくしている編集者から「think2002」という勉強会をしているから顔を出してみないかと誘われたのでした。
 
 この会合はその名の通り、日韓共催のワールドカップについていろいろな角度から考える(think)ということであることはもちろんですが、この大会を機に、日本に住む外国人たちと日本人が手を携え、ネットワークを築いて世界から訪れる各国の人たちのために何か役立つことが出来ないだろうかという問題意識で重ねられている、すぐれて実践的な会合でした。

 国際サッカー連盟(FIFA)の理事を務める日本サッカー協会副会長の小倉純二さんやセルジオ越後さん、あるいは中田英寿選手の所属する事務所の関係者、さらにはJAWOC:FIFAワールドカップの日本組織委員会の関係者といった多くの人が、あるときは講師として、あるときは参加者の一員として集うこの会で私は単にサッカーについての知識を得ただけではなく、この時代に国をこえてスポーツの大会を開くということの意味と価値について深く学ぶことになりました。

 さらに、「在日」という存在、日本に住み、暮らす多くの外国人の多様な文化や価値観、ものの見方、そしてこの日本という国で外国人が日々生きることの困難と喜びについて、肌を通して知り、学ぶことになりました。

 そこで交流を深めることになったフリーランスのジャーナリスト姜誠さんが、その後「越境人たち 六月の祭り」(集英社刊)にこの「think2002」のこともふくめてすぐれたルポルタージュとしてまとめていますので、機会があればぜひ読んでいただきたいのですが、私にとっては多くのことを学ぶかけがえのない機会となりました。

 さらに加えて言えば、その姜誠さんからの声掛けで、その後、日本における多民族、多文化共生について考え、行動する「「在日外国人地域ボランティア・ネットワーク円卓会議」の議論にも、ささやかにですが、参加することになりました。

 姜誠さんに誘われて、ブラジル人学校や朝鮮学校などを訪問しながら、この日本国というもの、日本社会のあり方についてどれほど深く考えさせられたことか。

 あるいはこの活動の中で出会うことになった東京芸術大学の毛利嘉孝さんや法政大学の田嶋淳子さん、武蔵大学のアンジェロ・イシさん、さらにはそれぞれの先生方の下で学ぶ大勢の学生たちと一緒に考え、私は本当にいかほどのこともできなかったのですが、ともにイベントに取り組むことで、このニッポンも捨てたものではないぞという勇気を得たことは、私にとって貴重な体験となりました。

 当たり前といえば当たり前ですが、日本に住み、暮らす外国人の存在について考えるということはとりもなおさず、日本あるいは日本人という存在について考えることであり、日本のあり方について見つめ直すことであるということを、あらためて認識させられたのでした。

 つまり、私にとって、ワールドカップという4年に一度の「一大イベント」は、単ににわかサッカーファンになるということにとどまらず、世界を考え、日本を考える重要な機会の一つになるということなのです。

 さて、ブラジルー北朝鮮戦の中継はなぜなされなかったのか?

 私は、メディアにかかわる人々は真摯に考えてみるべきだと考えます。

 北朝鮮の試合だということにかかわる、何かの問題があるのでしょうか、あるいはどこか「ひっかかり」があるのでしょうか。
 その判断の依って来たる所は何なのでしょうか。

 「内向きの思考」でなければいいのだが…という危惧は杞憂でしょうか。

 それにしても、前半0−0で後半2−0となりながら、くいさがる北朝鮮がブラジルゴールのネットを揺らす一点を挙げ、さらにゴールポストの上を越えてしまいはしましたが、思い切ったミドルシュートを放った北朝鮮にハッとさせられたブラジル。

 ダイジェストではなく、中継で見たかった、と思うのは私だけでしょうか。
 たとえ夜中の3時半といえどもです!

 さて、日本のテレビ関係者はどう答えるのか。
 聞いてみたい!と思います。

 そしてもう一度問う!
 「内向きの思考」でなければいいのだが、と。
 ニッポンガンバレ!だけではすまないのではないかと。

 


 

 
 

 
posted by 木村知義 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月14日

追補、カギを握る中国・・・??

 「カギを握る中国・・・??」を書いたのは、深夜、きょう未明でしたので、朝刊に目を通す前でした。
 けさ届いた朝刊各紙を見て、いささか複雑な思いにとらわれました。
 う〜む、これは「追補」が必要ではないかと考えましたので、以下に補足します。
 問題は菅直人首相と中国の温家宝首相の「電話会談」についての報道です。
 日中間の懸案の「東シナ海ガス田の共同開発問題」などについては各紙の報道で大差ないのですが、昨夜(きょう未明)に書いたブログで焦点を当てた、「天安」問題をめぐる日中間の「連携」については、ささいな表現の違いだとして見逃すことのできない問題をはらんでいるのではないかと思いました。
 その部分にかかわる各紙の「表現」を吟味する意味で抜粋して引用してみます。(前後の文脈を切り取るとわからなくなるところもあるので、引用は前後を含みます。)

 朝日:菅直人首相は13日夜、中国の温家宝首相と約25分間電話協議した。両氏は東シナ海ガス田の共同開発について早期に条約締結交渉に入ることを確認し、韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。・・・

 毎日:韓国の哨戒艦沈没事件について、菅首相が「国連安全保障理事会での議論も始まるので、日中で連携し、国際社会の意志を示していくよう連絡を取り合いたい」と呼びかけ、温首相も「日中双方の緊密な連絡が重要だ」と応じた。

 読売:韓国海軍哨戒艦沈没事件を巡る対応については、日中双方が緊密に連絡を取り合っていくことで一致した。

 日経:韓国の哨戒艦沈没事件を巡っては、菅首相が「国連安全保障理事会で議論が始まる。日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合いたい」と提案。温首相は「緊密な連絡が重要だ」と語った。

 産経:菅首相は北朝鮮による韓国哨戒艦撃沈事件に関し「国際社会の意思を示していくように日中で連絡を取り合っていきたい」としたほか、「ホットラインを今後も継続し、戦略的互恵関係をさらに深めていきたい」と述べた。温首相は「日中双方の緻密(ちみつ)な連絡が重要だ」と応じた。会談では東シナ海のガス田開発の早期交渉開始でも一致した。

 東京:日本側の説明によると、菅氏は北朝鮮製魚雷との調査結果が出た韓国海軍哨戒艦沈没について「国連安全保障理事会での議論も始まる。日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請。温氏は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べるにとどめた。

 昨夜(きょう未明)のブログは通信社の報道をもとにして書きましたので、それも引いておきます。

 共同:日本側の説明によると、菅氏は韓国海軍哨戒艦沈没について「日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請した。

 時事: 一方、韓国哨戒艦沈没事件に関し、菅首相は「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請。温首相は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べた。 

 ちなみにNHKニュースでは「また、菅総理大臣が、韓国の哨戒艦の沈没事件について、『国連の安全保障理事会での議論が始まるので、日中両国が連携して国際社会の意思を示せるよう、連絡を取り合っていきたい』と述べたのに対し、温首相は「日中双方の緊密な連絡が重要だ」と述べました。」と伝えていました。

 私が、けさ朝刊を開いて「エッ!」と思ったのは、朝日の「両氏は東シナ海ガス田の共同開発について早期に条約締結交渉に入ることを確認し、韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。」というくだりにぶつかったからです。

 そこで各紙の報道を比較、精査してみなければと思って、読み比べてみると、読売もほぼ同趣旨の「韓国海軍哨戒艦沈没事件を巡る対応については、日中双方が緊密に連絡を取り合っていくことで一致した。」となっているのですが、それ以外は微妙に含みのある表現で伝えていることがわかりました。
(「連携」と「連絡」という言葉の使い分けも含めてどう言ったのか、そこには重要な「含み」があると考えるべきことは当然です。)

 ここでどれがどうだとあげつらうことは控えますが、上記の各紙各社の報道を比較、吟味してみると、ことほど左様に、危ういものがあると言わざるをえないものが見えてきます。

 どうでしょうか?!
 ブログで取り上げた、「天安」問題をめぐって、北朝鮮、あるいは朝鮮半島問題への中国のスタンスをどう読み解くのかという問題は「中国がカギを握っている」と軽く言ってしまえるほど容易いことではないことがわかるのではないでしょうか。

 ミスリードしてはならない!というのは言うほど簡単ではない、ということを、情報の受け手である私たちもしっかり知っておく必要があると、残念ながら、言わざるをえません。

 しかし、それにしても、昨夜の電話会談には外務省の薮中次官、斎木アジア大洋州局長をはじめ仙谷官房長官、古川、福山の両官房副長官も同席しているわけですから、官邸、もしくは外務省の発表だけを鵜呑みにするのではなく、情報のクロスチェックをしていれば「韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。」などという記事が出てくるわけはないと思うのですが、そんなことは承知の上で、あえてこうした記事に仕立てたのでしょうか。であるならその含意は何なのでしょうか。

 もし「天安」問題で日中が「緊密に連携していくことで一致」したというなら大ニュースではないでしょうか。

 さりげなく、こうしたミスリードをして、結局、国連の安保理で中国が韓国や日本に同調しないという局面になったとき、またもや中国を非難して終わるという始末のつけ方になるのでしょうか。

 私は、中国のスタンスが良いとか、どうとかいう議論をしているのではないということはお分かりになると思います。

 何気ない、あるいは一見些細な「表現の違い」のように見えるところに、実は重要な問題が隠されていることを見ておかなければ、日々生起する「出来事」の本質を理解できず、右往左往して、あるときにはこっちを非難し、またあるときには、あっちを断ずるというようなことになって、私たちが世界に対して、あるいは時代に対してどう向き合うべきなのかという本質的な問題を深めて考えることが出来なくなってしまうのではないかと危惧を抱くのです。

 さて、日中は「天安」問題で、本当に、「緊密に連携していくことで一致」したのでしょうか。
 
 この記事の筆を執った記者は、あるいはその原稿を受けたデスクは、いま、何を考えているのでしょうか。

 あるいは、そんなことは何も気になることもなく、今も忙しく取材に走り回っているのでしょうか、デスクとして記者から上がってくる記事に読みふけって?いるのでしょうか。

 なかなか、「病い」は深いと言わざるをえません。
 
 このブログの読者のみなさんには、昨夜(きょう未明)のブログと読みあわせて考えていただければと思います。
なお、昨夜書いたブログのアップ後に、中朝友好協力相互援助条約にかかわるコメントを補足、加筆しましたのでご了解ください。
 中段パートに(・・・)として表記してあります。


posted by 木村知義 at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

カギを握る中国・・・??

 国連の安全保障理事会に提起された「天安」問題では安保理常任理事国、中国の対応に世界が注目しています。

 中国は、一貫して、朝鮮半島の平和と安定の維持を最優先にするという姿勢を崩していません。

 先ごろ来日した温家宝首相が「中国は一方をかばうことはなく、公正な立場を堅持していく」と述べたことについてはすでにこのブログでも触れました。
 メディアはミスリードすることがあってはならないという問題提起もしました。

 その意味は、中国の首脳が語る「ことば」の意味を的確に理解、認識できているのかということを問うたことでもありました。
 
 菅直人首相は昨夜(13日夜)首相公邸で、中国の温家宝首相と就任後初めて電話で会談したということです。

 先の日中首脳会談で合意した「首脳間ホットラインの正式スタート」という位置づけだということですが、25分間の電話会談では日中の戦略的互恵関係を深化させる方針で一致するとともに、東シナ海ガス田共同開発問題で早期に条約締結交渉に入ることを確認したということです。

 そして、「天安」沈没事件に関しては、菅首相が「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請したのに対して、温首相は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べたと、各メディアで伝えられています。

 この「日中の緊密な連携が重要だ」という温首相のことばが「天安」問題について言ったことなのか、文脈からはにわかに判断できません。

 外務省もしくは官邸サイドが自らに都合よく解釈したと感じられないでもありません。

 いずれにしても、今回の「天安」問題への中国のスタンスはきわめて慎重なものです。

 韓国そして日本の要請、意向に沿わないということで中国の姿勢を非難する論調もなきにしもあらずなのですが、ここは地に足のついたしっかりした認識が必要になると痛感します。
 
 「中国の対朝鮮政策はその外交政策の一環であるが、地理的な関係と国際政治の敏感性のために、最も慎重なやり方と非公式ルールを経由する。中国の当面の最優先課題は経済の発展で、対外関係や外交政策なども、その方針に従わなければならない。従って中国周辺の政治環境の安定を守って、周辺諸国と友好関係を維持することは、中国政府の外交政策の基本原則である。」

 これは、ある中国の朝鮮問題専門家の、中国における朝鮮政策の形成システムについての研究論文の書き出しです。

 続けて、この論文では、1995年11月、当時の江沢民国家主席が韓国訪問の際に述べた「中国の朝鮮半島問題についての基本原則は、朝鮮半島の平和と安定を維持することにある。」ということが中国政府の対朝鮮政策の枠組みになったとしています。

 そして外交部と共産党中央対外連絡部などの各機関、部署で対朝鮮政策がどのように決められていくのかについて詳細に述べられています。

 また、そのいずれの「場」でも、「朝鮮半島の平和と安定の維持」が変わることのない原則でありすべての枠組みとなっていることが示されています。

 このことに対する過不足ない理解と的確な認識がないと、中国の態度や要人のコメントに対する「読み間違い」がしばしば起きてくるのだと思います。

 メディアをはじめ、私たちが、中国がどちらに「ついている」のかというようなことばかりに意識がいってしまうことで、的確な「読み解き」が不可能となってしまうことが、しばしば起きていることを痛感するものです。

 以前、このブログでもすこし触れたことがありますが、私の知る、中国の朝鮮半島問題の専門家は、公の場ではなく個人として朝鮮について語るときは、北朝鮮に対してきわめて厳しい、辛口のコメントになったりすることもありますので、正直なところ驚くこともしばしばです。

 ですから、わかりやすい言い方をすると、「北朝鮮にはうんざりだ・・・」といったニュアンスのにじみ出る話に遭遇することで、その人の本音が垣間見えるという印象を持つことになります。

 しかし、ひとたび公の立場になると、一致して、朝鮮半島の平和と安定を維持することが第一だということになります。

 私たちの認識が問われるのはここです。

 この中国の専門家たちの態度は、「適当に使い分けているんだな」といった次元の受けとめをしていると大変な間違いを引き起こしてしまいます。そういうことではなく、原則、枠組みは争いようもなくはっきりしているということをこそしっかり認識するべきで、そのことを見落としていると大変な判断ミスを犯すことになります。

 「うんざり」することは確かにある、しかし外交として臨む際にはそうしたことは置いて、あくまでも原則に則って考え、語りそして対処していくというわけです。

 このことの意味、あるいは重みを日本の我々は知っておかなければならないと、痛切に、思います。

 (私の知りうる中国の専門家、研究者たちの言説をもとに考えると、1961年に結ばれた中朝友好協力相互援助条約の「軍事援助条約」としての側面は、実質的には「名存実亡」という状況にあると考えられるということは、すでに、以前のブログで触れました。ちなみに、その際、旧ソ連と北朝鮮の間で結ばれていた条約もほぼ同内容だったが、96年に失効後、2000年にロシアとの間で軍事援助条項のない「友好善隣協力条約」に調印していることにもふれました。朝中、朝ロ関係の内実も時代とともに大きく変化している事を認識しておかなくてはなりません。)

 加えて、米中関係というベクトルについても深い理解が必要です。

 いまは止まったままになっている六か国協議ですが、そもそもこの会合がどのようにして実現に至ったのかを、今こそ復習しておくべきだと考えます。

 第1回の六か国協議から戻ったばかりの、米国のNSC(国家安全保障会議)で枢要をなす人物が、当時訪米した日本の政治家に語った「面談メモ」があります。

 非公開を前提にまとめられたものですから、人物などについて明らかにすることは控えますが、すでに7年という年月を経ていることを考えて、許される範囲で、内容の一部について触れることにします。

 そこでは、どのようにして六カ国協議の開催に至ったのかを米国の立場から語ることからはじめています。

 「中国に対しては、ブッシュ大統領がテキサスのクロフォードで江沢民国家主席に、また2003年2月に、パウエル国務長官から胡錦濤国家主席に、米朝ではなく、地域の関係国全体が参加する多国間のプロセスにおいて、北朝鮮の核開発プログラムの検証かつ不可逆的な放棄をめざすという米国の方針を繰り返し説明するとともに、中国の積極的な関与を求めた。」

 「中国は、朝鮮半島の非核化という目的は共有しつつも、当初は米朝での対話を求めるとともに、中国が北朝鮮に対して有する影響力を過大評価しないでもらいたいという態度をとっていたが、2003年2月以降、この政策態度に明確なシフトが見られ、(六カ国協議に先立つ)2003年4月の北京での「3者会合」をホストするようになった。」

 「4月の3者会合は、米国としては、あくまでもinitial stepに過ぎず、日本と韓国の参加に向けた予備的会合という位置づけで臨んだ。従って、この3者会合では手の内は見せなかった。中国はこの会合では、ホストとしてふるまった。北朝鮮側は、中国が米国と北朝鮮のmediator(調停者)としてふるまってくれると期待していたようだが、中国は中立の第三者としての調停者ではなく、利害関係者、プラス、ホストとしてふるまった。」

 そして六カ国協議について、会議場の「片隅」でおこなわれた北朝鮮との非公式協議も含めて、何が論点となったのかを詳述したあと、参加各国についての米国としての「評価」を述べる中で、

 「中国はホストとして、レフェリー役を行う立場にあったが、北朝鮮の孤立化が明確になる中で、北に圧力をかけると同時に、北朝鮮を六カ国会合から逃がさないように、巧妙に退路を断つという役割を演じた。実際に、北朝鮮が、六か国会合の外にはずれることは困難であると認識するようになったのは、中国の功績が大きい。」
 
 「この六か国会合が、これまで安全保障問題について、十分な多国間の枠組みが存在しなかった北東アジアの安全保障の枠組みの嚆矢となりうるとの期待感をも示した。」

 六カ国協議から戻ったばかりのこの人物の息遣いが聞こえてくるようなメモですが、中国と米国の関係がどのようなものなのか、行間から実によく伝わってきます。

 なかなか複雑で、一筋縄ではいかない、手ごわいものです、米中関係は。

 その後の六カ国協議の展開、あるいはたどった道、そして「暗礁」に乗り上げて止まってしまっている現在の状況を考える際に、この「談話」から垣間見える中国と米国の関係について、冷静かつ的確な認識を持っておかないと、いま起きている様々な問題、もちろん「天安」問題をも含む様々な問題の、読み解きが的外れになる恐れがあるということを示しているというべきです。

 対立もし「協力」、連携もするという米中の国際政治に臨む際のリアリズムとしたたかさについて、しっかり認識しておかないと、物事の本質を見誤るということ、さらにはそこでの、中国の原則というものへの態度について、過不足ない認識が不可欠になるということです。

 こうしたところでの深い思考を欠くと、とんでもないミスリードをすることになるのです。

 さて、「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請したという菅首相。

 本当に、つまり官邸の発表どおりに、その「要請」を受けて温首相が「日中の緊密な連携が重要だ」と返したことばだとするなら、その含意が奈辺にあるのか、菅首相のそして官邸の、今起きている事態と局面への理解と認識は本当に大丈夫なのだろうかと、いささか考えさせられると言わざるをえません。

 中国の存在がカギを握ると、それは間違いのないことではあっても、それほど軽く言えるものではない!ということを肝に銘じておく必要があります。

 さて、これだけのことをふまえて、国連の安全保障理事会の行方に注目してみましょう。





 
posted by 木村知義 at 04:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

小島正憲氏の最新レポート 中国で多発するスト

 ホームページに掲載した小島正憲氏の最新レポートのご案内です。
 ご承知のように、中国各地ででストライキが多発しています。
 広東省の広州ホンダに部品を供給している工場のストで、自動車の生産ラインが止まったことが大きなニュースになりました。
 このところ中国各地で多発するストライキと賃金値上げの動きについては日本だけでなく世界のメディアでも大きく取り上げられるところとなっています。
 たとえば「News Week」の6月16日号は『暴発する中国』〜成長シナリオを狂わせる労働者の怒り〜というセンセーショナルなタイトルをかかげて特集を組んでいます。
 中国でいま、何かが起き始めているという予感がしますが、小島正憲氏は、自身が中国で工場を展開してきた経験にもとづいて、現場に赴いて、中国進出企業家の視点で今回のストライキを見つめ、レポートしています。
 果たして、「世界の工場」の終わりの始まり、なのか。
 小島氏のホットな現場からのレポートをご一読ください。  
 サイトは以下の通りです。

  http://www.shakaidotai.com/CCP106.html 


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2010年06月13日

続、単純なことが、一番難しい!

 「天安」問題の国連安全保障理事会での「扱い」が注目されています。
 
 6月の安保理議長国メキシコのヘラー国連大使は週明けにも安保理15カ国による「非公式協議」を行う意向を示していますが、韓国外交部は「民・軍合同調査団」が14日午後3時(日本時間15日午前4時)からニューヨークの国連本部会議場で安保理理事国を対象にした「説明会」を開催することを明らかにしました。

 「非公式協議」と韓国のいう「説明会」の関係がいまひとつ定かではありませんが、自由アジア放送(RFA)は「中国が天安艦国連説明会に欠席するようだ」と報じたということです。

 11日の「日経」はニューヨーク発で、
 「国連安全保障理事会は韓国の哨戒艦沈没事件への対応を巡り、関係国が10日にかけて水面下で折衝を続けた。事件を『北朝鮮の攻撃』と断定する韓国と、それを全面支持する日米に対し、ロシアは『北朝鮮が原因と特定できない』との立場をとり、中国も態度を留保。本格協議を前に活発化する駆け引きで『北朝鮮の攻撃』を認定するかどうかが大きな争点となりつつある。」として、
「事件がそもそも『北朝鮮の攻撃』でないということになれば、日米韓が唱える『北朝鮮への非難』には理解を得られなくなる。議論は“入り口”から激しい対立をはらむ展開となっている。」と伝えています。

 この記事でもふれられているように、韓国に赴いて調査に当たったロシアの専門家ティームは帰国後、北朝鮮の魚雷攻撃によるとした韓国側の「調査報告」について「説得力がある十分な証拠がない」としたということです。

 ロシア政府の政治的判断によってどのようなものになるのか、正式な発表までかなり時間がかかるという観測も出ていますので、まだ本当のところはわかりませんが、専門家ティームの調査を受け入れた韓国側にとっては「痛手」であることは間違いありません。

 ロシア政府の政治的判断によってと書いたのは、国連安保理の「空気」をどう読み込むのかという問題とともに、私は、もうひとつ、10日の韓国の衛星搭載ロケット「羅老」の打ち上げ失敗という問題がどういう影響を及ぼすのかにも注意を払う必要があるのではないかと感じています。

 海に沈んだ「天安」と宇宙をめざして空に消えた「羅老」に何の関係があるのだと思われるかもしれませんが、このロケット打ち上げ失敗にはロシアが深くかかわっています。

 ロケットの1段目はロシアのロケット製作会社クルニチェフが製作したもので、ロシアから輸入された1段目と韓国が開発した2段目を連結して「羅老」が作られました。

 今回の打ち上げにあたっても韓国とロシアの専門家が協力して取り組んだことをふまえて、ロシアとの契約に規定されている「失敗調査委員会」(Failure Review Board)が韓ロ共同で設置されることになるということです。

 昨年8月の一回目の打ち上げ失敗とあわせて5000億ウオン以上(搭載衛星の製作費は別)といわれる資金を投じてきた宇宙ロケットの打ち上げ失敗は韓国とロシアの関係にも微妙な影を落とすことになるのではないかと感じます。

 それはいかにもうがちすぎだと言われるかもしれませんが、もちろん、問題が複雑になることなく終わればそれに越したことはないと思います。

 さてロシアにかかわる「動き」に加えて、もうひとつ、今回の「天安」問題で、中国が韓国からの国際調査団への参加要請を断っていたということが伝えられました。

 これは北京発時事が伝えたものですが、このところ北朝鮮にかかわる問題ではメディアにたびたび登場する中国共産党中央党校国際戦略研究所の張l瑰教授が日本の「自衛隊佐官級訪中団」との会談で語ったというものです。

 張教授は「この事件は裁判ではなく、国際問題だ。証拠不十分で無罪になったらどうするのか。中国は北東アジアの平和と安定を乱すことはしたくない」と、「調査団」に参加しなかった理由を説明したということです。

 さらに張教授は「韓国と北朝鮮が互いの世論を抑えることができなければ、戦争になる可能性も否定できない。米国が空母を配備して、北朝鮮の核問題も含めて一気に解決しようとすれば、全面戦争になる」と警告したということです。

 「韓国と北朝鮮が互いの世論を抑えることができなければ」というところは、中国語でどういう表現だったのか確認できませんが、この通りの発言であったとすれば、含みの多いところだと感じます。

 北朝鮮の「世論」というものをどうとらえるのかというのは、難しい問題であることはいうまでもありません。

 以前、朝鮮問題についてのジャーナリストの研究会で「朝鮮新報」の平壌支局長を招いて話を聴いた際、「日本のメディアのみなさんは朝鮮は金正日総書記と労働党の指導の下、国民の意識をはじめなにもかも一色だと思っているかもしれないが、庶民にはさまざまな感情があり日本に対する考えもそれぞれにある。その意味で世論というものが歴然として存在していて、為政者の側もそれを無視してはやっていけないという側面もある。そのことを日本のメディアは全く見落としている。在日朝鮮人の新聞社として平壌に駐在しているわれわれは、朝鮮の庶民にも直接取材し、そうした人たちの気分や気持ちというものにも接している・・・・」という話を聴いて、少なくとも私はある驚きというか、発見があったと感じましたし、北朝鮮の動向を見つめる際に必要な「複眼の思想」とでもいうべきものの必要性について触発されたものです。

 とはいうものの、ここで張教授が何を念頭に北朝鮮の「世論」というものを持ち出したのかは、中国語の元テキストが不明だということとも併せて、読み解きは難しいものです。

 ところでこれを書いている時(11日朝書き始めて、ほかのことに時間をとられてまる二日中断して翌13日午後再開したのですが)実に興味深い記事に出会いました。

 私はブログの記事ではどうしても必要なときを除いて、できるだけ名指しでの批判は避けてきていますので今回も名指しで取り上げることを避けますが、ソウル駐在が長い、いわば韓国専門記者の「長老」とでもいう存在の人物によるコラムの一節です。

 「ところで、韓国で先ごろ起きた哨戒艦撃沈事件は『なぜ北朝鮮が?』と、動機などに分かりにくいところがある。そこでこれに『誰がいちばん得をしたか?』論をあてはめてみると、面白い。結論は『いちばん得をしたのは北朝鮮』で『犯人はやはり北朝鮮』となって納得なのだ。
 そう思わせられたのは先週、行われた韓国の統一地方選挙が、まさに北朝鮮の思い通りの結果になったからだ。
 選挙結果は内外の予想を裏切り与党惨敗、野党大勝に終わった。ソウル市長も危うく野党に取られるところだった。
 哨戒艦事件で北朝鮮に対する批判が高まっていたときだから、安保重視の保守派の政権・与党に有利と思われたのに、結果は逆だったのだ。」
 「選挙結果もこれありで、韓国では哨戒艦事件の北朝鮮糾弾はしだいにトーンダウンしつつある。戦争の覚悟がなく、平和志向の韓国は北に何度やられても『泣き寝入り』するしかない。」

 う〜ん・・・とうなりました。
 そうか、こういう「論理」が成り立つものなのかと、恐れ入りました。

 今回の韓国の統一地方選挙については別掲の柳 あい氏の論考に詳しいのでそちらを読んでいただきたいのですが、この選挙の結果を「北朝鮮の思い通りの結果」などと論評することは、思いつきませんでしたので、この「長老記者」のコラムには正直驚きました。

 今回の選挙結果に対して「八つ当たり」とでもいうしかない論調のコラムを前に、選挙を通じて示された韓国の人たちの民意というものにもう少し謙虚に向き合うべきではないかと、考えさせられたものでした。

 それにしても「戦争の覚悟」がない韓国は「北に何度やられても『泣き寝入り』するしかない」というのには言葉を失いました。

 今回の選挙直前の状況はといえば、少なくとも、李明博大統領の国民向けの「決意表明」と北の非妥協的な「声明」や「主張」などを考え合わせると緊張の高まりは極限に近づきつつあり、不測の事態もなきにしもあらずという状況になっていたことは確かだと思います。

 もちろん、だからといってすぐ戦争が起きると短絡して考えるのは誤りだとは思いつつ、しかし、かぎりなく、何が起きても不思議ではない状況に近づいていたことは否定できないと思います。

 今月25日に朝鮮戦争勃発から60年を迎えることまでが、なにか「不吉な暗喩」のように思われて「嫌な感じ」がしたものです。

 そんな状況に、戦争はNo!と鋭い「一撃」を下したのが、今回の選挙結果だったというべきでしょう。

 それは「戦争の覚悟」がないなどとあげつらうべきことではなく、韓国の多くの人々が、李明博政権に対して、戦争はすべきではないと明確に意思表示したというべきです。

 もちろん、いまでもまだ「不測の事態」がなきにしもあらずという状況を払拭できていないというべきですが、それでも60年前とは決定的に違うということを私たちに知らしめたと言う意味で、今回の選挙は歴史的な重みを持っていると言うべきでしょう。

 つまり、こうした民(たみ)の力というものこそが何にも代えがたい「抑止力」なのだということを如実に示したのだと、私は、考えます。

 ここに示された「民の力」の存在は、南北双方の為政者にとって、うっかりしたことはできないという意味で、無視できない「圧力」として重い意味を持ってくるでしょう。

 私が、信頼醸成こそが最大、最強の抑止力であり安全保障ではないのかと主張するのは、思想や体制の異なる関係であるからこそ、力で相手を抑え込むことに腐心するのではなく、何かあれば「相手からやられるかもしれない」という不信と猜疑に凝り固まってしまう状況を、少しずつでも、相互に溶かしていく努力こそが戦争を回避し、抑止することになるのだと考えるからです。

 その際、為政者同士の信頼醸成ということはもちろん大事ですが、なによりも「民(たみ)の意志」として戦争はすべきではないということを鮮明に示していくことが、信頼醸成に向けてのもっとも核心的な力になるのだと思いますし、それが有形無形の「圧力」として双方の為政者を規制していく力になるのだと思います。

 もちろん、「言うは易くして行うは難し」の喩えではありませんが、この単純なことが最も難しいことであることは承知しています。

 しかし、今回の韓国の地方選挙に示された「民意」というものを考えると、「戦争をする覚悟」以上に力強い「民の覚悟」を見せられたという意味で、このようにして危機は回避できるのかもしれないという「具体例」を見た気がするのです。

 重ねて言いますが、まだまだ予断を許さない状況が続いていますし、平和的に治まることを良しとしない「見えざる力」が働かないとも限りませんから、油断はできないとは思います。

 しかし、今回の選挙に示された「民の力」を無視して戦争に踏み出す者がいるなら、いずれにせよ「地獄への道」しか残されていないでしょう。

 その意味で、「天安」問題という不幸な状況下で行われた今回の韓国の地方選挙は、私たちに実に大きなものを学ぶ機会をもたらしたと言うべきです。

 安全保障あるいは抑止力について語るならば、軍事力をどう強化するのか、同盟関係をいかに緊密にするのかというベクトルではなく、どうすれば軍事力を必要としない状況をつくることができるのかについて真剣に考え、議論を深めることにこそ力を注ぐべきだと、私は考えます。

 もちろん、民の力といっても、最終的には為政者のあり方が問われてくることは言うまでもありません。だからこそ為政者を動かす「民の力」が問われると言うべきでしょう。

 今回の韓国の統一地方選挙から、私たちが学ぶべきことは実に重いと考えます。

 単純なことこそ、一番難しい!
 だからこそ、です。


posted by 木村知義 at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月11日

力強い友を得ました!

 このブログをお読みいただいているみなさんに、うれしい報告です。
 すでにご覧いただいたかもしれませんが、「韓国ニュースを読み解く」という新しいページを設けることになりました。
 ブログのカテゴリーを「韓国ニュースを読む〜日本から、韓国ニュースを読み解き、分析する〜」としました。
 韓国・朝鮮半島問題の研究で長いキャリアを重ねてこられて、折々私のブログについても意見を聞かせてくださっていた柳 あいさんが、以前からの私の願いを聞いてくださってこの「社会動態エッセンシャル」に筆をとってくださることになりました。
 一回目は「韓国統一地方選挙の歴史的意義」です。
 送られてきた原稿を読みながら、分析の的確さと今後についての問題提起に大いに触発されました。
 柳さんの一回目の記事の末尾にプロフィルを記しましたが、再度ここに記します。

 柳 あい 韓国・朝鮮半島問題研究者。
 1990年代に韓国の大学で教えながら学生たちと交わり、韓国社会の民主化過程をつぶさに見、肌で感じてきた。帰国後は日本と韓国との市民交流や市民を結んだ研究会活動と取り組む。翻訳家としても数多くの仕事を重ねている。

 柳さんは韓国の研究者や知識人との交流も深く、日本にあって韓国のニュースを読み解く際、そうした人たちとも意見を交わしながら分析されています。いわばニュースの背景、深層に迫る力を備えているといえます。

 私のささやかなブログですが、日本の言論空間の一隅を担っていきたいという志に共感を持ってくださって、今後協働していくことを申し出てくださったというわけです。

 韓国の大学の教壇に立ちながら、軍政から民主化へと歩みをすすめる韓国社会の変化をつぶさに見て、肌で感じ取ってきた経験に根ざした「韓国ニュースの読み解き」に期待していただきたいと考えます。

 ブログの中で、こうして協働する友人を得たことはとても心強く、幸せなことだと思います。

 ぜひ深く読み込んでいただきたいと考えます。
posted by 木村知義 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録