2011年01月10日

朝鮮半島、アメリカの「次の一手」は・・・

 北朝鮮による「大延坪島砲撃」をどう解析するのか、とりわけそこでのアメリカの動向をどうとらえるのかというテーマを「差し掛け」のまま年を越してしまいました。
 前のコラムを書いた後も研究会などでこの問題について討論、意見交換を重ねながら、年末ソウルに赴き、「砲撃問題」をめぐる韓国の「空気」に触れるとともに、ジャーナリストの大先達というべき人物や韓国メディアで仕事をしている知人(日本人)と会って話を聴いて戻りました。

 今回の韓国行では、なによりも「現場」である大延坪島に行くべく試みたのですが、12月23日に軍事境界線のすぐ南の地帯で行われた韓国軍の「史上最大規模の砲撃演習」とぶつかったため、仁川からの一日一便の船が「統制で運行中止」ということになり、仁川の埠頭まで行きながら島に渡ることが出来ずに戻りました。

 そこでアメリカの動きですが、年明けからアメリカのボズワース北朝鮮担当特別代表が韓国、中国、日本を歴訪しました。
 日本のメディアの中には、ボズワース氏の今回の三カ国歴訪について、北朝鮮に対する米国の「次の一手」を模索するものだと伝えたものもありましたが、結局、三カ国を訪れる中で何が話され、何が論点だったのか、さらにはその「結論」はどういうことになったのかはまったく明らかにされていません。
 各メディアも結局この点についてはぼんやりした推測記事を書くにとどまっているというべきです。要は、今回のボズワース氏の三カ国歴訪は何だったのかということがはっきりとは見えてこないというわけです。

 一方、ワシントンではクローリー米国務次官補が定例記者会見で、北朝鮮が1日、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」などを通じて韓国に「関係修復と対話の再開」を呼び掛けたことについて「ある程度は期待できる」としながらも「発言ではなく実際の行動を見守る」として「慎重な姿勢」を示したと伝えられています。そして、クローリー国務次官補は、ボズワース北朝鮮担当特別代表の韓国、中国、日本歴訪の目的について、「現状分析と打開策を関係国と協議するため」だと語っています。

 「打開策を協議するため」と言っているわけですから、その「打開策」について米国なりの腹案があったと考えられるのですが、メディアもこの点を突っ込んで解明しようとしたものが見当たらず、どうも不明確なままです。

 ところで、ここで触れられている北朝鮮による年明けの「関係修復と対話の再開」の「呼びかけ」はすでに知られているように、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」、人民武力部機関紙「朝鮮人民軍」、金日成社会主義青年同盟機関紙「青年前衛」の3紙による「新年共同社説」で述べられたものです。
そこでは「南北間の対決を1日も早く解消するため韓国当局は反統一的な同族対決政策を撤回すべきで、南北共同宣言(2000年6月15日合意)、南北首脳宣言(2007年10月4日合意)を履行する道に進まなければならない」として「民族共同の利益を第一に、南北間に対話と協力の雰囲気を築くため積極的に努力する必要がある」と主張する内容となっていました。

 そして、続いて5日には「朝鮮民主主義人民共和国政府・政党・団体連合声明」を発表し「実権と責任を持つ当局間の会談を無条件に早期開催することを主張する」として「対話と交渉、接触で緊張緩和と平和、和解と団結、協力事業を含め、民族の重大事に関するすべての問題を協議・解決していく」と主張しました。

 さらに8日には北朝鮮の祖国平和統一委員会が報道官談話を発表して、重ねて、南北当局間会談の開催を公式に提案すると同時に、南北赤十字会談、金剛山観光再開に向けた会談、開城工業団地をめぐる会談を1月末または2月上旬に開城で開くことを提案しました。

 まさに年明けから矢継ぎ早の「対話攻勢」というべきです。

 8日の「提案」をもう少し詳細に見てみると「対話の門を開き、北南関係を改善するための善意の措置として、閉鎖された板門店北南赤十字通路を再び開き、開城工業地区の北南経済協力協議事務所の凍結を解除する」、「北朝鮮側板門店赤十字連絡代表らが近く事業を再開し、経済協力協議事務所にも北朝鮮側関係者を派遣し、常駐させる」と述べるとともに「北南関係を改善し、和合と団結を図り、対話と交渉で問題を解決していくためのわれわれの立場は確固不動のもの」であり「提案には条件がなく、その真意を疑う必要もない」と実に「熱心」に主張しています。

 こうした主張以上に、私は、日本のメディアの報道では触れられていない「南朝鮮(韓国)の現政権発足後、一度も北南間の対話らしい対話ができなかったことは非常に遺憾で、慨嘆すべきことであり、われわれは現南朝鮮当局が任期5年を、北南対話を行わないまま無駄に過ごすことは望んでいない」というくだりに、これまでの北朝鮮の論調と少し違ったトーンを感じて注目しました。

 これらの「対話攻勢」に対して韓国側は、統一部の当局者が9日、「90年代以降、対南誹謗の主役だった祖平統(祖国平和統一委員会)が、前向きな対南対話提案をしたことは初めてだ」としつつ「形式や内容を総合的にみて、誠意ある対話提案とはみなし難い」と厳しい姿勢を崩していません。
 
 しかし一方では「北朝鮮が核問題と南北関係の発展に対し誠意ある態度をみせるならば、対話の扉は開かれている」ともしています。
 ここでいう「誠意ある態度」とは何かというところが重要なのですが、非核化に関しては「言葉ではなく行動で示すこと」、南北関係に関しては「韓国哨戒艦『天安』撃沈や延坪島砲撃に対し韓国国民が納得できるレベルの責任ある措置を取ることが必要」だと強調しています。

 一方、青瓦台(大統領府)の関係者は「祖平統は対話をする主体ではなく、扇動して宣伝をする機関。本当に対話をするのであれば、対話をする主体が南側のカウンターパートに通知し、提案しなければならない」と述べた(韓国・中央日報)ということで、北の政府レベルのしかるべきところから「正式提案」がなされれば検討することもありうるということをうかがわせる「含み」のあるコメントをしています。

 つまり「韓国政府当局者らが対応に苦慮している」(東亜日報)という指摘にもあるように、今回の北からの矢継ぎ早の「対話」呼びかけによって韓国当局内に微妙な「揺れ」が生じていることが伝わって来るということです。

 米韓両国の間で「6者協議の再開のためには、南北関係の進展が必要」ということで一致していると伝えられていることをいわば逆手に取って「先手を打ってきた北朝鮮の提案を無視し続けるわけにもいかない」(東亜日報)という状況が生まれているというわけです。

 韓国メディアのなかには、
 「対話には相手がある。手が触れてこそ音が鳴るように、片方の意思だけでは対話は成立しない。タイミングが合わなければならず、対話の目的と必要性にお互いが共感しなければならない。敵対的な関係では特にそうだ。不幸な対立状態を解消するために対話は必要だが、真正性が前提にならない対話は不信感を強めるだけだ。当然、慎重な姿勢が要求される。しかし慎重になり過ぎて対話の機会を逃してはならない。対話のためには慎重でありながらも開かれた姿勢が重要だ。」
 として「慎重な姿勢も時機を逸するべきでない」(中央日報2011.1.10社説)と主張するものも見られます。

 こうした「揺れ」がボズワース歴訪とどうかかわっているのか、あるいはまったくかかわっていないのか、重要なポイントだと思いますが、その点の解明はもう少し推移を見てみないとわからないと言わざるをえません。

 しかし、私は、ここにきて米国内の「論調」が微妙に動いていることに注意を払う必要があるのではないかと考えています。

 そこで、昨年夏以降の米国からの要人や専門家、元高官らの訪朝についてまとめてみると、

・8月25日 ジミー・カーター元大統領が、今年1月、中朝国境を越えて北朝鮮に入国して身柄を拘束されていたアイジャロン・マリ・ゴメス氏の身柄「解放」のために平壌訪問。
 あくまでも「民間人」としての私的な訪問という立場を強調し、米国務省も「北朝鮮にいかなるメッセージも送る意図はない」としました。カーター訪朝をめぐっては、確認はされていませんが、これに先立つ8月9日から11日にかけて米国務省の特別チーム4人が秘密裏に平壌を訪問してゴメス氏の釈放を交渉したが失敗に終わったということが言われています。ここでいう秘密裏の「交渉」がどういうもので、何を意味するのかは依然明らかにはなっていません。

 その後、9月以降、米国の専門家や元高官の訪朝が相次ぎました。

・9月18日 米国カリフォルニア大学教授・同大学国際紛争・協力研究所のスーザン・シャーク所長一行。
・9月23日 米国のビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事の上級補佐官、クン・アンソニー・ナムクン氏。
・11月2日 米国コリア経済研究所のジャック・プリチャード所長一行。
・11月9日 米国スタンフォード大学のジョン・ルイス教授、シグフリード・ヘッカー元ロスアラモス国立研究所長ら一行。
・11月15日 米国センチュリー財団のモートン・アブラモウィッツ上級研究員を団長とする米国の対朝鮮政策専門家代表団
・12月16日 米国のビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事一行。

 このなかで、プリチャード氏はクリントン・ブッシュ両政権で朝鮮半島和平担当特使を務めた人物であることは言うまでもありません。米国務省のクローリー国務次官補は「プリチャード氏は訪朝のたびに感想や平壌で聞いた話を伝えてくる」と語っています。
 
 プリチャード氏は米国に戻った後、北朝鮮が2012年の完工を目標に寧辺地域に100メガワット規模の実験用軽水炉の建設をすすめていることを明らかにし、今回の訪朝で「平安北道寧辺地域を訪れたところ、かつて冷却塔があった場所の近くにコンクリートを注いで鉄筋を組む初期段階の工事が進行中だった。北朝鮮側の現場責任者は2003年11月に建設工事が中断された朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の咸鏡南道琴湖地区にある軽水炉の10分の1規模に相当する100メガワット級の軽水炉だと説明した」と語りました。

 また、シグフリード・ヘッカー元ロスアラモス国立研究所長らの一行が寧辺地域で「2000基(メディアによっては1000基余り)の遠心分離器が設置されたウラン濃縮施設を目撃した」と明かしたことが大きなニュースとなって世界をかけめぐりました。

 さらにリチャードソン・ニューメキシコ州知事が訪朝後北京に到着してすぐ、北朝鮮側が国際原子力機関(IAEA)の査察官受け入れや燃料棒1万2000本の売却および国外輸送に向けた協議に応じることを明らかにしたとして「北朝鮮は真剣な対話の用意があると思われる姿勢を示した」と語ったことは記憶に新しいところです。

 こうした米国からの専門家や元高官らの訪朝が頻繁におこなわれるなかで「大延坪島砲撃事件」が起きるのですが、カーター元大統領をはじめ訪朝から戻った専門家たちが米国メディアで注目すべき主張を重ねていたことは日本のメディアではほとんど伝えられていません。

 その重要なポイントを少し整理してみます。

 まずジミー・カーター元大統領の11月24日付ワシントン・ポストへの寄稿の要点からです。
・今年の7月1日、私は米国人アイジャロン・ゴメスの釈放を担保するためにピョンヤンを再び訪れるよう招待されたが、私のこの訪問では北朝鮮の最高位級の高官らとの実質的な話し合いを十分におこなう時間をとることが条件となった。彼らは1994年の枠組み合意と2005年9月に6者会談参加国が採択した規定に基づいて、朝鮮半島の非核化や戦争の終結を要望していることについて詳しく説明した。いかなる議論をも仲裁する権限のない私は、このメッセージを国務省とホワイトハウスに伝えた。
・中国の指導部はこの直接対話への支持を示した。
・北朝鮮の高官たちは同様のメッセージを最近訪れた米国人らにも伝え、ウラン精製のための先端設備への核専門家らのアクセスを許可した。同高官たちは私に、かなり遅いプロセスにあるウラン精製は1994年の合意に含まれていないが、この遠心分離機は米国との交渉のテーブルに載せることができると明らかにした。
・ピョンヤンは、米国との直接対話を行って、自国の核プログラムを終わらせる合意を完結し、すべてをIAEA査察下に置き、1953年の一時的な停戦協定に代わる平和条約を締結する用意があるという一貫したメッセージを送ってきている。
・私たちはこの提案に応えることを検討すべきである。
・残念な選択肢は、北朝鮮が最も脅威であると主張していること、すなわち政治体制転換のために米国がサポートする軍事攻撃から、北朝鮮が自国を守るために必要と考えるあらゆる行動を取ることである。

 カーター元大統領はこれより前、9月15日にも「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿して8月の訪朝について詳細に語っていました。
 
 そこでは、「私は最近の北朝鮮と中国への訪問で、ピョンヤンが米国と南朝鮮との包括的な平和条約締結と朝鮮半島非核化についての交渉を再開したいとの明瞭で強いメッセージを受けた。」とした後、1994年のいわゆる「枠組合意」の内容に詳細に触れて解説した上で「クリントン政権が到達した包括的合意はジョージ・W・ブッシュ大統領によって2002年に否認された。しかし、北朝鮮が燃料棒を再処理し2006年には核実験をしたにもかかわらず、米国、韓国、中国、日本、ロシアとの会談では好ましい進展が見られた。しかしそれ以来状況は悪化した。2009年に対話は止まり、同年に北朝鮮が2度目の核実験を行い、長距離ミサイルを発射した後、国連はピョンヤンに制裁を科した。北朝鮮も離散家族の再会を止めた。北朝鮮が今年の1月、自国内に進入した罪で告訴した米国人アイジャロン・ゴメス氏を拘留し、8月に南朝鮮の漁船乗組員らを拘留したことで、緊張はさらに高まった。しかし、いまピョンヤンからは、交渉を再開し非核化と平和への努力をうたった上述の(つまり「枠組合意」に盛られた:筆者注)基本条項を受け入れる熱いシグナルが示されている。」と述べています。

 そしてこの寄稿を「朝鮮半島の和解はアジアの平和と安定にとってきわめて重要であり、それは長い間未解決のままになっている。北朝鮮からのこれらの肯定的なメッセージは、遅れることなく積極的に追求されなければならず、そのプロセスを注意深く十分に確認しながら一歩ずつ進めるべきである。」と結んでいます。

 なお余談ですが、8月のカーター元大統領の訪朝時、金正日総書記が訪中したことで、多くのメディアが、北朝鮮側がカーター氏に「肩すかし」を加えた、あるいは「無視した」といった論調で伝えたのでしたが、7月に北朝鮮から訪朝の「招請」があってから米政府の訪朝許可が出たのが8月中旬になったことで、金正日総書記との会見が出来ないということを事前に北朝鮮側から知らされていたことも明らかにしています。(金正日総書記が訪中していたことは後で知ったとしています)

 この寄稿記事を目にしながら、メディアの「深読み」がいかにあてにならないのかが見えてきて苦笑したものです。

 カーター元大統領の寄稿と相前後して11月に発表された専門家たちの論稿からもう少し拾っておくことにします。

 ジークフリード・ヘッカース、タンフォード大学国際安全保障協力センター(CISCS)所長とロバート・カーリン客員研究員による11月22日付「ワシントン・ポスト」への寄稿から。

・米国は、時間と周辺環境が北朝鮮を非核化要求に順応させるのを待ったが、北朝鮮は自らの計画を構築してきた。
・今必要なのは、北朝鮮との16年間の関係に関する徹底した再検討と、我々が彼らに対して最も良く解っている事実に対する分析、そして選択事項についての正直な評価である。
・北朝鮮に対し圧力を行使してくれると期待した中国が、むしろ関係強化に没頭しながら、時間が経つにつれ北朝鮮の核プログラム問題解決は益々難しくなっている。
・利害が重なる中国と北朝鮮が今後も政治、経済、軍事、安保分野で協力を強化する相当な証拠がある。
・対北朝鮮政策の新しい現実的な出発点は非常にシンプルである。それは、北朝鮮をあるがままの存在、すなわち自国の利益を有する主権国家として受け入れることだ。

 さらに訪朝した専門家ではありませんが、ジョエル・ウィット元米国務省朝鮮担当官の外交専門誌「フォーリン・ポリシー」12月13日付寄稿論文からです。

・ピョンヤンを無視するオバマ大統領の政策は「立証済みの失敗」であり、今、米国は「違った戦略」を試みるときである。
・北朝鮮を扱った経験のある人は誰でも北朝鮮が圧力のみによって封じ込められることがないことを知っている。
・北朝鮮に圧力はかけるが対話は拒むというオバマ政権の「戦略的忍耐」政策は、「朝鮮半島の平和と安全保障の構築、北朝鮮核プログラムの除去、兵器技術拡散の阻止」というすべてにおいて欠陥がある。
・米国が政策を変えなければ自国とその同盟国の利益に対する脅威は数ヵ月の間にさらに高まるであろう。
・有能な北朝鮮指導者は誰も北京の意のままにならない。
・中国が朝鮮を服従させるであろうという間違った考えに基づいた米国の中国頼みの対北朝鮮政策は誤りである。
・米国が政策を変えないならそれは「愚かなこと」であり米国には国益をまもるための現実的な戦略が必要である。

 また大延坪島への砲撃問題について、セリグ・S・ハリソン米国際政策センター・アジアプログラム・ディレクターは12月12日付「ニューヨーク・タイムズ」の「オピニオン」欄への寄稿で、

・最近の延坪(ヨンピョン)島での衝突のような南北間の衝突は「北方限界線(NLL)」という境界線がその原因であり、紛争解決のためにはこの境界線を「公平に、わずかに南の方へ引き直すべき」である。
・停戦協定の後、「南朝鮮が北に侵攻する可能性を制限する目的」で国連軍が「北朝鮮との合意なく軽率に引いた境界線」がNLLであり、これを引き直す権限は現在オバマ大統領にある。
・境界線の再設定は平和条約について米国、北朝鮮、中国が交渉する場を与えることにもなる。
・「停戦協定に代わるメカニズムの一つ」として、かつて北朝鮮側の軍スポークスマンが提案した「米・北・南の軍による共同安全保障委員会」が、非武装地帯での偶発的事故を防ぎ、朝鮮半島の軍縮と信頼構築を進めるという「三者による平和体制」案が有効である。

 ざっとポイントだけを挙げておくと、このような分析、主張が重ねられています。
 もちろん、これらの顔ぶれは米国における「親北朝鮮論者」だという批判があることも承知しています。
 しかし、これらの分析や、主張、論考を子細に読み込んでみるとそこに見えてくるのは、米国の対北朝鮮政策が「手詰まり状態」にあるということです。

 このような状況、局面にあるということを考えると、今回のボズワース氏の三カ国歴訪の狙いが何であるのかが、おぼろげながら見えてくるように思います。

 早晩、米国は動かなければならなくなる!
 この間の南北朝鮮の動きや米国内でのメディアから見える論調をふまえると、そう痛感します。

 もちろん、北朝鮮との戦争という選択を決断するならば、話は別ですが・・・。

 さて、アメリカの「次の一手」はどうなるのか。
 年明けの北朝鮮の「対話攻勢」の行方とともに、朝鮮半島をめぐる動きから目が離せない状況が続きます。


posted by 木村知義 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年12月21日

大延坪島「砲撃事件」を検証する(1)

 「気象条件、天候を見極めている」と伝えられた韓国の大延坪島海域での「砲・射撃訓練」がきのう午後実施されました。一昨日は青空の広がるおだやかな気候だったと伝えられていますが、きのうは濃い霧の立ち込める中で訓練が行われたことになりますから、どうやら天候は関係なかったということなのでしょう。今回は、中国、ロシアの「自制」をという働きかけを振り切って「訓練」に踏み切ったことになります。同時進行していた国連安保理事会の緊急会合も結局事態を打開する有効な「方策」に道筋をつけられず膠着状態というべきです。

 幸いなことにというべきですが、今のところ、懸念された北朝鮮側からの「応戦」もなく経過しています。北朝鮮側は「軍事的挑発にいちいち対応する一顧の価値も感じない」という朝鮮人民軍最高司令部の報道文を発表しました。

 そして、CNNが、訪朝中の米・ニューメキシコ州のリチャードソン知事に対して北朝鮮側が
(1)寧辺の核施設に対するIAEA監視要員の復帰
(2)保管核燃料棒の売却による国外搬出
(3)南北軍事的衝突防止の措置に取り組む
 の3点について、同意するとの立場を伝えたと報じたことがニュースになりました。

 実に巧妙な外交戦術だというべきでしょう。ほぼ2か月の間、北朝鮮はアメリカの専門家や「要人」を相次いで招き、米国からの訪朝ラッシュとなっていました。このあと米朝間で事態がどう動くのか、片時も目が離せません。

 もっとも、けさのある新聞の社説は「韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件によって自らの首を絞めた北朝鮮が、いつもの硬軟織り交ぜた揺さぶりで苦境脱出を図り始めた。日米韓をはじめ国際社会は、この戦術に幻惑されてはならない。北朝鮮の逃げ道をふさぎ、暴挙の責任をきちんと取らせることが重要である。」と主張しています。

 相変わらずの論調ですが、「幻惑されてはならない」としても「北朝鮮の逃げ道をふさぐ」ということはどういうことを意味するのか、この筆者はふかく吟味してみたのだろうかと考え込みました。
 
 さらに言うなら、その前提として、今回の「砲撃事件」の検証がどうなされているのか大いに気になるところです。

 ところで、先月23日の北朝鮮による大延坪島への「砲撃事件」以来、いったん「訪朝報告」の筆を置いて、研究会やさまざまな会合に足を運び、各分野の専門家やジャーナリストの分析を聴き、意見交換を重ね、こうした人たちが今回の事態をどのようにとらえ、分析しているのかに耳を傾けて考え続けていました。

 同時に、私に可能な範囲でという限定詞つきですが、関連する情報を整理し精査してみるという作業を重ねていました。

 なによりもこうしたコラムでミスリードすることなく的確な論点を提示するために最大限の努力をしなければと考えているからですが、そんな折、ある大学の国際会議場でひらかれた東アジアにかかわる国際シンポジウムの会場で私のブログを読んでくれているという方に出会いました。
 「以前NHKに勤めていて、いまブログを書いている方ですよね・・・」と声をかけられてエッと驚いたのですが、こうしたシンポジウムやフォーラムの会場で時々顔を合わせる方でした。
 その方は「いまは平和主義ということに傾いているのですかね・・・」と切り出し、続けて「なんかそういう平和主義という思いに傾いて書いていませんか。これまではメディアで伝えられる事実を細かく積み重ねて語るというものだったので読んできたのですが、最近は、とにかく平和主義という『思い』で書いているように思いますね。思いを綴るというブログならば他にいっぱいあるわけですよね・・・」という指摘がありました。
 「ご指摘を戒めにして情報の精査の積み重ねで語るように心がけます・・・」
 「いやいや、まあまあ・・・」
 といった応答で終わったのですが、もちろん、どちらに立つのかと問われれば、私は平和主義の側に立つことは間違いのないところです。ですから、今回の「砲撃事件」を契機に緊張が高まった朝鮮半島−北東アジア情勢を前にして、在韓米軍も加わった南側と北側双方に最後の一線では理性が働くと信じたい気持ちはありながら、こうした緊張状態では不測の事態が起きないともかぎらないこと、加えて、過去の歴史を振り返ると、戦争というものはこんなふうにしてはじまるのではないかという深い危惧を抱いたことから、戦争に向かってはならないという思いを強くしながら書いたことは確かでした。

 しかし、そういう「思い」はそれとして、この方の指摘にあるように情報の精査とそれにもとづいて分析を深めることが重要であることは言うまでもないことです。またそのようにありたいと思うがゆえにここしばらく時間が必要だったとも言えます。

 この間、できる限りの報道記事や資料、文献を読み返すとともに専門家の話に耳を傾け、ジャーナリストの会合などで意見を交換して私なりの問題意識の整理をしてきました。

 その結果、当然と言えば当然ですが、まず北東アジアにおける米中の存在というものの大きさ、重さに突き当たることになりました。
 抽象的な言い回しをやめてはっきり言うなら、この地域においては「冷戦」がまさに「熱く」戦われていて一層先鋭化していることを改めて痛感する状況があるということです。誤解を恐れず言えば、結局米国の「敵」は中国であり、ある時は相互の依存関係を深め連携を強めるという側面があたかも主たるものとして立ち現われるけれども、矛盾の基本的な側面は「対立」であり「闘争」であるということをしっかり認識してかからなければ朝鮮半島情勢も含めて、現在の事態は見えてこないと痛感します。

 一例を挙げれば、ニューヨークタイムズに掲載された米国の新アメリカ安全保障センター上級研究員、ロバート・カプラン氏の論説「Obama Takes Asia by Sea」(11月11日掲載)などに象徴的にあらわれている、新たな「冷戦」の時代の顕在化とでもいうべき問題です。

 そこでカプラン氏は「冷戦時代の地域的な区分けはなくなった。中東であれ、南アジア、東南アジア、東アジアはいまや有機的な統一体の一部としてある」としたうえで、オバマ大統領のインド、インドネシアなどの訪問は「(そうした地域の区分けをこえた)地上と海上における中国の台頭」という「ひとつの挑戦」にどう立ち向かうのかということにかかわっているとしています。

 まさに中国をどう「封じ込めていく」のか、という意識が色濃くにじみ出る現在のアメリカというものを物語っているというべきです。

 「過去10年間、世界で最も人口の密集した地域であるアジアでは、中国の国際的影響力が増す一方、米国の影響力が低下しているとの見方が一般的だ」としながら「どの国も中国と敵対的な関係を築きたいとは考えていないが、同時に中国に独占されることを望んでいるわけではない。みな中国とのバランスを取る一環として米国の存在を歓迎している・・・」という米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長、ジェフリー・ベーダー氏の言説にもそうした現在の中国へのアメリカの問題意識が読み取れます。

 一年前にはホワイトハウスの「親中国派」として「中国の協力なしに米国が成功できるものは何もない」と発言していたベーダー氏です。こうしたいくつかの言説を追っていくと、新たな「中国封じ込め」の時代を予感させるものが見えてきます。

 ここで注意が必要なのは「新たな」というところです。旧来の古典的な「中国封じ込め」など最早できる話ではないことは自明ですので、新たな状況の下で、旧来とは「形」を変えたという意味で、ここを見落とすと事態の現象と本質的な部分を的確に切り分けてとらえることができなくなるのではないかと思います。

 米中双方が相互に依存もすれば対立もする、共同もすれば争いもするという複雑な状況の中で虚々実々のゲームが繰り広げられる時代に、いま、あるのだということ、その上で、双方にとって「敵」は中国であり米国だという構造は解消するどころか一層深刻に沈潜していっているということでしょう。

 「新冷戦」などという言葉を目にする現在の状況を的確に認識することができないと、いま目の前で起きているあれこれを正確にとらえることができず、ミスリードしてしまうことになるのだと痛感します。

 特に今回の「砲撃事件」を契機に、空母ジョージワシントンをはじめとする米国艦船を、とにもかくにも中国ののど元に突きつける形で黄海に「進出」させたことは、米-韓-日の軍事的な連携のかつてない深まりとともに、今後の米中関係、北東アジアの安全保障環境にとって重大な問題だと考えるべきです。

 よほど頭を「複雑」かつクリアーにしてかからないと事態を捉えそこなうのだと思います。

 そこで、北朝鮮による大延坪島への砲撃問題です。

 先日「血迷った金正日による砲撃を糾弾する!」「朝鮮戦争の再来を阻止せよ!」と大書された立て看板に出会いました。これまた冒頭に書いた国際シンポジウムを聴講するため出かけた大学のキャンパスでのことです。近寄って読んでみるとこの看板、いうところの「右翼」「保守」のものではなく、いってみれば「左翼勢力」のある組織の立て看板でした。なんとも「悩ましい問題」ではあるものだと、しばらくその立て看板の前で立ち尽くしたものです。しかし、戦争への危惧という点で濃淡の違いはありますが、メディアも含め、おおむねこうした論調が大勢であることもまた事実でしょう。

 さて、しかし・・・と私は立ち止まって考えるのです。
 今回の「砲撃」について精査、検証は十分になされているのだろうか、その実体が明らかにされ、本質的な問題の所在は剔抉されているのだろうかと。

 そこで、なぜ北朝鮮は砲撃に及んだのか、今回の砲撃事件についての論説、言説を大括りに整理してみると、
1.動かない米国を交渉のテーブルに引き出すため
2.金正恩への後継体制、権力基盤固めのため
3.金正日総書記の健康問題からの焦り、党内の権力闘争激化による
4.崩壊の危機に瀕する国内の矛盾への不満を外にそらして延命を図るため
5.北朝鮮軍部の暴走
 メディアや専門家の口から語られる論調はおおむねこうしたものだろうと思います。

 メディであれ、専門家であれ、自信たっぷりに断ずるのですが、ひるがえって考えてみると、それぞれ、そうであるようでもあるし、そうなのかどうかわからない、あるいはその全部かもしれない・・・とまあ曖昧なものだということに気づきます。つまり、あたかもそうであるかのように説明はされるのですが、その論拠となると確たるものがつかめず、なかには冷静に考えてみると、論理的になぜそうなのかが分からなくなる、あるいははっきりした説明ができないというものもあります。しかし、まあ、あの!北朝鮮の事だからそういうことだろうと、おおむね誰も異論を差し挟まないというわけです。

 まずよくわきまえてかからなければならないのは、誰も本当のところを確かめることができない北朝鮮情報であるがゆえに何でもアリという言論状況は依然としてここにも生きているということです。

 笑ってはいけないのですが、金正日はすでに死んでいると声高に言っていた朝鮮半島問題の専門家?がいましたが、それがバカバカしくも破たんしたと思いきや、今度は、金正恩は実は金正日の本当の子供ではない!あれは北朝鮮の国中から金日成に似た青年を探してきて金正恩だと言っているのだ・・・と言いはじめているというのですからもう何をかいわんやというべきです。こんな人物が朝鮮半島問題の専門家を名乗って大学の教壇にも立てるというのは一にかかって、どんなことを言っても、北朝鮮情報は最終的には確認の術がない、あるいは本当のところはわからないということによります。ことばは多少キツくなりますが、そうした状況に便乗して言論、言説の「商売」をしているといわざるをえません。

 繰り返しですが、わかりやすく言えば、北朝鮮問題では何を言ってもかまわない!なぜならその真偽を確かめることができないからだ、というわけです。

 メディアで仕事をしてきた私にとって、そういう視点から日々の報道を見据えてみると実に心寒くなるものの枚挙にいとまがありません。

 この間出会ったジャーナリストから問い質されたのですが、夜の看板番組というべきテレビのワイドニュースで女性キャスターが、「北朝鮮の後継体制固めのために人を殺してもいいのでしょうか・・・」とか、「北朝鮮はいつ日本に攻めてくるのでしょうか・・・」と言ったとかを耳にすると、お笑いを通り越して、そんな人物が放送などという公共空間で仕事をしていていいのだろうかと空恐ろしくなるばかりです。(放送当日私は見ていないので私自身の見聞としてお話しできないのでこうした伝聞調になりました。)

 さて、「お笑い」はここまでにしましょう。
 
 そこで上記の5点です、問題は。
 私は今回の砲撃事件が起きた直後からどこかのメディアが取材して事実関係をきちんと詰めて伝えるだろうと思いながら待っていたのですが、結局誰もそれをしていない不思議さに釈然としないでいる問題があります。そこでもう一度事の「発端」(実はどこを発端と考えるのかということが重要な問題なのですが、ひとまず置きます)に立ち戻って事実関係を整理してみます。

 11月23日の北朝鮮からの砲撃は突然起きたことではないことを、まず、押さえておかなければなりません。この日行われていた韓国の「訓練」について、どういうわけか詳細に吟味、検証するメディアがないのですが、この訓練が「護国訓練」といわれるものと幾ばくかの「かかわり」があるというニュアンスで伝えられたことがあることをご記憶の方も多いと思います。

 そこで、ではこの「護国訓練」とは一体いかなるものなのかということになります。ここは韓国のメディアに依って振り返ることにします。

 「陸海空軍の合同作戦遂行能力を高めることを目的とする護国訓練が、(11月:筆者注)22〜30日に全国で実施される。合同参謀本部が16日に明らかにした。訓練には海兵隊、米軍も含め7万人余りが参加する予定だ。京畿道の麗州、利川、南漢江一帯で陸軍の軍団級対抗訓練が、黄海上では艦隊機動訓練が行われる。また、韓米空軍による連合編隊軍訓練や、黄海に面した西海岸では日本・沖縄に駐留する米海兵上陸機動部隊も参加する連合海兵上陸訓練が実施される。護国訓練は、1994年から中断されている韓米合同軍事演習『チームスピリット』を代替する訓練として、1996年から実施されている。軍団級機動訓練を中心としていたが、2008年からは陸海空軍間の相互合同戦力支援などを目的としている。」

 これは韓国の聯合通信が11月16日に伝えていたものです。
 
 大延坪島の韓国軍部隊が単独でほんの少し砲・銃撃訓練をしたといったレベルのものではないということをきちんと認識しておかなければ問題の所在を的確に掴むことはできないというべきです。

 ただし、「砲撃」のあった23日の聯合通信によると「国防部の李庸傑次官は同日、民主党幹部に非公開報告を行い、軍が延坪島の沖合いで実施した訓練は護国訓練ではなく、定期的に行っている射撃訓練だったと説明した。」と伝えていますから、韓国軍側は「護国訓練」とのかかわりを否定していることになります。

 加えて李次官は「韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLL(北方限界線:米軍・国連軍、および韓国側が定めた海上の軍事境界線:筆者注)より南側で砲撃を行った。北朝鮮側が午後2時34分に海岸砲20発余りを発射してきたため、韓国軍もK9自走砲で同49分ごろ応射。続いて午後3時1分ごろ2度目の応射を行ったという。事態は午後3時41分に収束した。」と説明したと伝えています。

 また、「合同参謀本部の金正斗戦力発展本部長(中将)も、与党ハンナラ党の緊急最高委員会に出席し、韓国軍の延坪島沖での訓練は護国訓練ではなく、海兵隊が毎月白リョン島で実施する砲撃訓練だったと報告した。ハンナラ党の安亨奐(アン・ヒョンファン)報道官が伝えた。」と報じています。加えて金本部長は「韓国軍は北側ではなく南側に向け砲撃していたが、北朝鮮が突然、韓国軍陣地に向け海岸砲を発射したと指摘。北朝鮮の攻撃は威嚇射撃ではなく、照準射撃とみるべきだと強調した。また、北朝鮮の挑発は、NLLの無力化、北朝鮮の後継体制固め、軍事的緊張を通じた南北関係の主導権確保などに向けた多目的布石だと分析した。」と聯合通信は伝えています。

 この記事から、北朝鮮からの砲撃があった直後、国防次官や韓国軍の高位の幹部が与野党をはじめ各方面に対して「護国訓練とは関係がない『通常訓練』だった・・・」と説明して回ったことが伝わってきます。護国訓練と関連づけられることをなんとか避けたいという思惑が透けて見えてきます。

 私は、今回の「砲撃事件」が起きた当初から、韓国軍の「訓練」とはどういうものだったのか、きちんとした検証が必要だと考えてきました。しかしこの点を深めて検証したメディアは皆無と言っていいと思います。とにかく「血迷った金正日」という論調一色になってしまいました。聯合通信の伝えるところを注意深く読むとわかるのですが「応射を行ったという」といった伝聞調で伝えています。ここは重要なところです。ほとんどのメディアはこうした最低限の「わきまえ」もなく、軍部の発表を前提としてなんの留保もなく、つまり取材者がなんの「裏取り」もせずに書き散らしているというべきです。

 ここが今回の「砲撃事件」報道の大きな問題だと、私は考えています。
 韓国軍の軍事訓練とは一体どのようなものだったのか、ここを明らかにしなければ、「北朝鮮による挑発行為」という言説は論拠自体が揺らぐことになります。あの北朝鮮だからやりかねない!では報道の使命を果たしたことにはならないのです。ジャーナリストはこここそが問われるところです。

 そしてすでにブログに書いたことですが、北朝鮮側は今回の韓国側の「訓練」に対して再三にわたって警告を発してきたこと、23日当日朝も8時20分に「38度線」に近い都羅山地域の韓国軍の「通信施設」に対して「領海に撃ったなら看過しない」旨のFAXを送ってきていることを、意識してか意識せずにかはわかりませんが、例外的な数少ないメディアを除いて、ほとんど伝えられていないことは忘れられていいことではないと考えます。

 ここで吟味されなければならないのは北朝鮮側が「領海」への砲・射撃を「看過しない」としている部分です。まさしく、NLLの存在、つまりNLLのラインそのものではなくその背後に横たわる朝鮮戦争以来の「歴史」(あるいは歴史的経緯)そのものを俎上に挙げているということです。

 ちなみに、昨日、韓国側の「射撃訓練」(私は、その実体が確認できないので、あくまでも「砲・射撃訓練」としているのですが)について伝えたテレビの夜7時のニュースでは、これもなぜかわかりませんが、NLLのみを画面に表示して「今回の射撃訓練はこの海域(つまり韓国側の海域)に向けて発射した・・・」と伝えていました。

 故意に北朝鮮側が主張する「境界線」を表示せずに伝えたとするならその意図は何なのかが検証されてしかるべきですし、もし無知でそうなったというなら放送に携わる資格はないというべきです。
このようなことがまかりとおることに、私はなんとも言葉を失います。

 少なくともこの海域は南北の「境界」をめぐって「紛争」の続いている海域であり、両者それぞれが自己の領海と主張している部分が重なっていることを明示して伝えなければその放送局が掲げる「公平」「公正」を欠くというものです。

 もちろん、同様の理由で「朝鮮西海にはわれわれが設定した海上軍事境界線だけが存在する。南朝鮮当局が固執するNLLは、反北対決と北侵戦争挑発のための不法・無法の幽霊線である。」(労働新聞11月28日付論評)という主張にも無理があることは当然です。

 この海域には双方それぞれが主張する「境界線」が存在しており「領海」域が重なっているという事実を前提として考えるべきであり、その意味で、この海域では「何が起きても不思議ではない」紛争海域だということを十分認識してかからなければならないということです。

 つまり、事の「正邪」を断定することはそれほど容易ではないというべきで、それが「簡単」にできるのは、あの「許し難い金正日政権」であり「何をやらかすかわからない北朝鮮」だからということになるのです。

 これではジャーナリズムとはいえないことは明白です。

 「挑発行為」とは何かということが慎重に分析されなければならないことはいうまでもないでしょう。

 聯合通信が伝えたような規模と意味合いを内にはらんだ「護国訓練」が展開されているなかで、大延坪島の部隊だけが、それとは関係のない「いつもの訓練」をしていた、にもかかわらず理不尽にも北側は攻撃を仕掛けてきたというのでは、いかにも説得力に欠けるというべきでしょう。

 物事を考える際には立場を変えて、視点を変えて考えるという複眼の思考が不可欠です。そのためにも、好悪の感情や思い込みではなく、事実に基づいて、双方の主張や言説に分け入って冷静、冷厳に精査、検証することがなによりも必要だと言うべきです。
 
 しかも朝鮮半島をめぐる海域や韓国側の地上では今年3月(8日にはじまった)の米韓合同軍事演習「キーリゾルブ」以来、米韓合同あるいは韓国独自の軍事演習(訓練)がほとんど切れ目なく続いてきたということをどうとらえるのか、挑発行為とはどのようなことを言うのか、ここはしっかり考えてみなければなりません。
 
 立場を変えてみると同じ風景でも異なって見えるということは覚えておかなければなりません。
 とりわけジャーナリストは!

 さて、しかし!では民間人2人が死亡し民間人の居住地域に砲弾が着弾したことは許し難いことではないのか!という反論が、当然ながら、出てくると思います。

 前提として言っておかなければならないのは、私は、兵士であれ、民間人であれ、人の命が奪われることを「善し」とすべきではないと考えていますし、今回、4人の命が奪われたことは深く悼むべきことだと考えています。

 しかし、これもまた冷静に検証してみる必要があると考えるのです。

 すでに伝えられているように、民間人の死者は韓国軍の施設の工事をしていて死亡したということでした。この「軍の施設」についても明確な検証がなされず、軍あるいは韓国政府の発表をそのまま報じているわけで、どういう地域のどんな施設なのかが明確ではありませんが、韓国軍の基地を狙いすました「意外に正確」な砲撃だった(軍事ジャーナリストの田岡俊次氏)という、北朝鮮側からの砲撃の「正確さ」をふまえると、軍の基地内で働いていた民間人を、民間人であるというだけで「民間人に犠牲者が出たのは朝鮮戦争以来のことだ。血迷った、極悪非道の北朝鮮!」という論調に突っ走るのは、ある種の意図のこもった報道だと言わざるをえません。

 では民間人居住地域に着弾した問題はどうなのだということになります。家が破壊され、焼かれ住む拠り所を失った住民が出たことは確かです。同情を禁じ得ないことですし、まさに「何の罪もない民間人」の住まいに砲弾を浴びせるとは許せないという感情もその通りだろうと思います。ただし、ここでもジャーナリストは、なぜこうしたことが起きたのかという「問い」を抱くことが必要だと、私は、考えます。

 まだ確証はないのですが、砲撃した北朝鮮側の砲兵が持っていた大延坪島の地図は古いもので、軍の駐屯地が住宅地域に変わったことが記されていなかったという説(田中宇氏がニュースコラムで韓国人の知人からの伝聞として書いている)もあり、一方、上述の田岡氏は「ロケット砲の前後後方の誤差は大きく(北朝鮮側から見えない山越えの)南斜面の(韓国軍)陣地を狙った砲弾がふもとの集落に落ちることは十分ありうる。こうした『間接射撃』では着弾点を見て修正する観測手が必要で、無線機を持つ工作員が(大延坪島に)潜入していた可能性が高い」(カッコ内は筆者補足)としていることなどとのかかわりで、さらに精査、検証が必要だと考えます。

 もっとも北側が「自分たちが持っている地図は実は古かった・・・」などと認めることはありえないので、ここは検証の難しいところです。しかし、私は、今回の砲撃事件の直後北側が「延坪島砲撃で 民間人死傷者が発生したのが事実であれば、至極遺憾なことにほかならない」(11月27日朝鮮中央通信)と述べたことは、注目しておくべきことだと考えます。

 私の朝鮮半島問題とのかかわりはそれほど長く、深くはないことを前提にですが、私はついぞ、北朝鮮のこうした「遺憾の意」の表明は目にしたこともなければ、聞いたこともありません。正直なところ驚きました。もちろん、この言明の後段には「その責任は今回の挑発を準備しながら、砲陣地周辺と軍事施設内に民間人を 配置し『人間のたて』にした、韓国の非人間的な行いにある」という北朝鮮らしい「主張」が続いているのではあるのですが、それにしても「前代未聞」の率直さで「至極遺憾」と表明したことは過不足なく注視しておくべきことだと考えます。

 ちなみに、兵士2人の死亡について、韓国政府与党ハンナラ党の軍幹部出身の黄震夏国会議員が、北朝鮮による延坪島砲撃で戦死した韓国軍兵士についてある会合で「(砲撃の際)軍人の死者が出たというが、実際には戦死ではない。一人は退避壕からたばこを吸いに出て、破片に当たったもので、もう1人は休暇から帰隊する途中だった。戦闘に臨み、砲弾を撃っていた兵士は死亡しなかった」と漏らしたことが韓国の一部メディアで報じられ「舌禍事件」となっていることは、人の死にかかわる事なので笑っては不謹慎なのですが、苦笑いを禁じ得ないことでもあります。

 北からの砲撃という、兵士にとっては一応?戦闘状態であるわけですから、退避壕からタバコを吸いに外に出るなどということが軍規上も許されることかどうか、いずれにしても私には理解できないようなことが起きていた可能性があるということです。

 もちろん、だから死んでも仕方がないなどと考えているのではありません。しかし、要は民間人にしても兵士にしても、死亡という事実を前にただ「感傷」に走って北の極悪、非道を非難するということでは事の実体を伝えることにならず、ましてや本質的な問題を見落としてしまう恐れなしとは言えないということです。

 こうして情報の精査、検証を重ねながら今回の「砲撃事件」をどうとらえるべきかを考えてくると、ここまで述べたことに加えて、韓国の李明博政権の現況と米国の動向に分け入って考えてみなければならないことは言うまでもありません。
しかし、ここまででも十分に長くなっているので、頭を休める意味でちょっとしたコメントを引用します。

 「殴った」「殴られた」が争いとなる傷害事件はどちらが先に手を出したかわからないケースもある。相手が自分に危害を加える動作をしてきたので反撃行為をしたという場合、正当防衛として扱うべきかどうかが争点になることが多い。自分の身を守るために反撃していても、ある瞬間から過剰な攻撃となる。これは片方だけではなく両者に言えることで、両方とも傷害罪の加害者であって被害者でもあるという構図になる。・・・誤解を恐れずにもう少しわかりやすく説明すれば「けがの重い方が被害者になる」といった結末になるケースもある。

 さて、これは一体何だと思われますか?!
 実はひとしきり芸能ニュースをにぎわせ、朝のワイドショーの話題を占領した「海老蔵の大けが事件」についての、ある最高検検事経験者のコメントです。

 私はこれを読みながら、まるで今回の「砲撃事件」について言っているかのような錯覚に陥りました。

 北朝鮮の「許し難い挑発行為」と言っていればなべて事もなしというメディア、言論状況ですが、ここは冷静かつ冷厳に事態を見抜く力が問われていると考えます。

 一体なぜ今回の「砲撃事件」が起きたのか、その実体と本質は何なのかを、事実と情報を見落とすことなく精査、検証して考えてみなければ、あるいは、時流に身を寄せていれば安心、安全という態度で無自覚にメディアの報ずる論調を鵜呑みにしていれば大丈夫という感覚でいるなら、事の実体と本質は見えてこない!それほど事態は安穏としていられるものではないということを、まず私たちは知ることが必要だと考えます。

 このあと、この夏以来の米国メディアの情報の中に注目すべきものを見たということや韓国の李明博政権と対北政策の検証に論をすすめたいと考えます。したがって「訪朝報告」の中断がもうしばらく続きます。ご理解ください。



(つづく)
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2010年11月28日

よみがえる「朝鮮戦争」の悪夢・・・A

 すでに伝えられているように、きょうから、黄海で米韓軍事演習がはじまります。
 原子力空母ジョージワシントンをはじめイージス巡洋艦など米韓の12隻が参加していると伝えられる今回の米韓合同軍事演習は黄海で実施されるものとしては「最大規模」とされます。

 演習水域は米韓側が黄海の軍事境界線とする北方限界線(NLL)からかなり離れた韓国南西部沖に設定されていることで、「北朝鮮への過度の刺激を避ける配慮もうかがえる」と伝えるメディアもありますが、軍事演習の詳細は漏れてきませんから、実際のところはどうなるのかは予測ができません。

 この演習に強く反発している北朝鮮は、26日にも、祖国平和統一委員会が「さらに恐ろしい対応射撃を加えて敵の牙城を根こそぎ吹き飛ばす準備を整えている」と警告したのに続いて、きのうも朝鮮中央通信が、「(黄海に米韓の軍艦艇を侵入させるならば)結果は誰にも予測できない」と重ねて重大な警告を発しています。

 一方のオバマ政権は、さらに、地上部隊による追加の米韓合同演習も検討しているということが伝えられています。

 朝鮮半島はまさにいつなんどき「不測の事態」つまり戦争が起きても不思議ではない状況になっていると考えるべきです。

 問題は双方が緊張を高めるのではなくいかに自制できるのかという、ごくごく「あたりまえ」のことを愚直に実行できるかどうかが問われているというべきです。

 これもすでに伝えられていることですが、中国の楊外相は北朝鮮の北朝鮮の中国駐在大使と会ったのをはじめ、米国のクリントン国務長官、韓、日の外相と電話で「会談」、最大限の自制を求めたということです。

 加えて、中国の戴秉国国務委員が急遽きのう(27日)の午後韓国を訪問して金星煥外交通商相と「意見交換」しました。

 楊外相の韓国訪問を「延期」した中国が、外相よりレベルの高い戴国務委員を急遽韓国に赴かせたのはいかに事態を深刻にとらえているかの証左です。

 きのう、日本のメディアの中には、中国がこの海域での演習を「容認」しているかのようなニュアンスで伝えたものもありましたが、これはあきらかにミスリードです。

 中国が関係各国に「自制」を求めている意味を的確に認識できないメディアは失格です。

 ここは間違いの一切許されないところだと考えます。

 さらにいえば、いまこの問題の報道に携わっている人々が、60年前の「戦争」の歴史にさかのぼって事態を深くとらえることができているのかどうか、まさしくジャーナリストとしての、歴史への真摯な態度と具体的かつ深い認識が問われると、痛切に思います。

 「北朝鮮の暴挙」を懲らしめるためなら何をしてもいいのだという「空気」をかもし出す恐ろしさについてメディアに携わる者はきわめて厳格な省察が求められることを忘れてはならないと思います。
(「北の暴挙」についての検証、吟味はまだ尽くされたわけではないという留保を前提にですが)

 いまはどこに目を向けるべきかといえば、緊張をどう緩和していくのかにこそ向わなければならないというべきです。

 いま放送しているテレビ番組でも、きょうからの「演習」に対して「北が何を仕掛けてくるかわからない・・・」と語る姿が目に入ってきました。

 いま、何を、どう考えなければならないのか、本来は「簡単明瞭」なことなのですが、メディアの報道を目にすると、あるいはメディアで語る「識者」や「専門家」の話を聴きながら、実のところいかに難しいことであるのかを痛感します。

 なによりも、戦争を起こしてはならないという自制にむけて、言論も存在をかけて、いまこそ語らなければ、その存在意義を失うと思います。

 朝鮮戦争の「悪夢」をふたたび現実のことにしないために、言論は存在を賭けるべきだと、これは私自身への問いかけとしても、銘記しておきたいと考えます。

 28日朝の深い「感慨」として・・・。



posted by 木村知義 at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年11月24日

よみがえる「朝鮮戦争」の悪夢・・・

 きのうは仙台に出かけて午後ずっと会合に出ていたので北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃のニュースは速報時点では知らず、帰路、仙台駅のホームに上がったところでパソコンでニュースをチェックして知りました。
 
 後でわかったのですが、午後このニュースを知らせる電話が何度も着信していたのでしたが会合に出ていたので着信音を切っていたため気づかずに過ぎていたのでした。

 最初にニュースを目にした時点では、事の詳細はわからなかった(今もわからないことだらけですが)のですが、起こるべくして起きたというのが私の第一印象でした。とともに、いったん収まっても、きわめて深刻な状況が続くことへの懸念を深くしたのでした。

 すでに各メディアでは「北朝鮮の暴挙」への非難が湧き起こっていますが、ここは本当の意味で冷静に事の本質に踏み込んで考えてみることが必要だと思います。

 まず確認しておかなければならないことは、この海域は何が起きても不思議ではないところだという点です。

 北方限界線(NLL)をめぐる歴史的経緯についてはすでに、少しばかりというべきですが、メディアでも触れられています。

 共同通信はこのNLLについて以下のような「解説」を配信しています。

 「朝鮮戦争休戦協定調印後の1953年8月30日、国連軍司令部が陸上の軍事境界線を考慮して定めた黄海上の韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の境界線。99年6月にも北朝鮮警備艇が侵入を続け、同15日に韓国海軍艦艇との間で銃撃戦が発生、北朝鮮の魚雷艇1隻が沈没し、警備艇数隻が大破。北朝鮮は同年8月17日の板門店での在韓国連軍との将官級会談で、黄海の新たな境界線設定に向けた協議を要求、9月2日に北方限界線の無効を一方的に宣言した。」

 また毎日新聞は、
 
 「朝鮮戦争の休戦協定(1953年7月)で定められた軍事境界線は陸上に限定されていたため、在韓・国連軍は同年8月、黄海上に艦艇の行動北限として独自にNLLを設定した。92年発効の『南北基本合意書』は海上区域について『(境界線が)画定されるまで、双方が管轄してきた区域とする』とし、NLLを事実上認めた。だが北朝鮮は99年9月、NLLは無効だとして南側に境界線を設定し『軍事統制水域』を主張。過去にも銃撃戦があり『海の火薬庫』と呼ばれる。」

 としています。

 いずれにせよ、南北で「境界」の認識が異なる状況のなかで、これまでも衝突が起きて緊張関係が続いてきたということがわかります。

 そして、事態の本当のところの経緯はまだ明らかではありませんが、そんな「何が起きても不思議ではない」この海域で、韓国の陸海空軍が「軍事演習」を行っていたことは、見落としてはならない重要なポイントだというべきです。

 しかし、ある新聞が書くように「韓国は定期的に同海域で訓練しているうえ、北朝鮮が韓国の陸地を目標に砲撃したのも極めて異例だ。訓練への抗議を口実にして攻撃を仕掛け、内部引き締めを図るとともに、対話に応じない米国の姿勢に焦って朝鮮半島の緊張を高めることを狙った可能性もある。」といった分析で事が済むということでいいのだろうかという省察はメディアに皆無です。

 そのことに懸念を抱くのは私だけなのだろうかと考え込みました。

 そういう視角で振り返ってみると、韓国のこの「演習」に対しては、前日すでに北側から強い非難の表明がなされていたこと、そして23日午前8時20分、南北非武装地帯に近い都羅山に位置する韓国軍の通信施設に、韓国軍が予定している延坪島付近での「射撃訓練」に対して、北朝鮮の「領海に撃ったなら看過しない」という内容のファックスが送られてきて、北朝鮮側が強い警告を発していたことは、しっかりと押さえておく必要があると考えます。

 韓国側は、この「射撃訓練」では南西側にしか砲弾を撃っておらず、つまりは北朝鮮の陸地側に向けては砲・射撃していないとしています。

 しかし、目と鼻の先で繰り広げられる砲・射撃を、緊張関係のなかで対峙する軍人がどう感じるかは、想像すればそれほど難しい問題ではないと言えます。

 これを「挑発」と言わずしてなんと言うのか、と言うとまるで北側の「言い分」そのままになってしまうのですが、ここは冷静にとらえておくべき問題だと言うべきです。

 さらに、北からの砲弾が民間人の居住地域に着弾したことや韓国海兵隊の関連施設の建設工事に当たっていたとされる民間人に犠牲者が出たことで、一層北朝鮮への非難の声が高くなっているのですが、この島には韓国軍の「施設」(基地)があり、北からの砲撃はそこに向けてのものだったということが、死傷者の多数が兵士だったということでもわかります。

 こう考えてくると、まさに「戦争」が繰り広げられていたのだということが見えてきます。

 南北の「境界」をめぐって争いが続いている海域で、まさに一触即発の状況下で韓国軍による砲・射撃「演習」が行われ、それに対して北側から執拗な「警告」が発せられ、そのあげく北からの砲撃が行われたということです。

 さらに重要なことは、朝鮮半島周辺海域では、7月段階から米韓、あるいは韓国軍単独の演習(軍事訓練)がほとんど切れ目なく打ち続いていたということです。

 私は、7月26日のコラムで『なんと愚かなことをするものだろう』と書きました。
 ぜひ、以下の内容を、もう一度お読みいただきたいと思います。
 http://blog.shakaidotai.com/archives/201007-1.html

 残念ながらその時の懸念が、懸念では済まなかったことが昨日の「砲撃事件」で明らかになりました。

 さらに、このようにして戦争は「起こされる」のだという思いを強くします。

 そしてもう一件、5月23日のコラムで「天安艦事件」にかかわって、信頼する軍事問題研究家から、この海域とそこでの軍人の「行動」について鋭い示唆を得たことを書きました。

 今回の「砲撃問題」を考える際にもそこでの指摘は極めて重要だと思い返したものです。
 このコラムもあわせてお読みいただければと思います。
 http://blog.shakaidotai.com/archives/20100523-1.html

 「訪朝報告」が中断したままとなっている最中、今回の「砲撃事件」が起きました。
 「訪朝報告」と密接にかかわる問題だと痛感することから、こちらを先に書くことにしたものです。

 メディアが「挑発」と書くとき、何をもって挑発と考えるのか、そこがまず問われるのだと思います。

 そして、けさ、神奈川県のアメリカ海軍横須賀基地から、原子力空母「ジョージ・ワシントン」とイージス巡洋艦「カウペンス」が出港して、韓国周辺海域に向かいました。

 28日から、より規模の大きな米韓軍事演習が展開されます。

 一触即発という言葉が言葉だけではなくなる、まさに悪夢の再来を目の当たりにしないとも限りません。

 ここを冷戦の残る地域、ではなく「熱い戦争」の繰り広げられる地域にしてはならない!という思いがつのります。

 しかし、日に日にガバナンスの喪失の度を強める日本の現政権のこの問題への態度や、言うところの評論家や外務省OBとしてメディアで語る「外交専門家」の言説の危うさを目にするにつけ、悪夢が悪夢では済まない恐れを強くしてしまいます。

(つづく)

posted by 木村知義 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年11月17日

尖閣問題、小島正憲氏の論考、北後継問題、韓国知識人の発言、ホームページに

 「訪朝報告」が中断していて申し訳ありません。
 できるだけ早く書き継いでいくつもりですが、私自身が主宰する研究会で近く「訪朝報告」をすることになっているので、いま、その際に使う、現地で撮ってきたビデオの編集作業に追われています。
 「訪朝報告」については一時筆を置かざるをえない状況になっていますが、私の運営しているWebサイトの、韓国を代表する知識人白 楽晴氏の発言を紹介するページに、北朝鮮の「後継問題」にふれる発言が、また小島正憲氏の「凝視中国」のページに尖閣問題への論考が寄せられました。

 白 楽晴氏の発言(「京郷新聞」のインタビューについての「プレシアン」の記事)から、北朝鮮の「後継体制」についてどのような視点が必要なのか、注目すべき問題提起が読み取れます。

 また、小島氏の考察、論考は長く中国でのビジネスに携わってきた氏独特の「アイロニー」というか「反語的」エスプリがこめられていて読み応えのある内容だと感じます。
 
 尖閣問題と現政権の問題についてはこれまで何度か書いているので詳しく繰り返すことは避けますが、以下の2点だけはしっかりと認識しておくべきだと考えます。

 まず、近代国民国家の枠組みの下での領土あるいは国境問題というのは、日本にとってあるいは近隣のアジア諸国にとってはたかだか百年余りの時間軸の中での問題であること、したがって、近代の日本とアジアという視座からの深い吟味と検証なしに、どちらのものかを主張して争うということはいたずらに「劣情としてのナショナリズム」(求められる良きナショナリズムというものがあるのかどうか、あるとすればそれはどのようなものかについてはさらに深める必要があるということを前提にこういう表現をとるのですが)を刺激するだけに終始して何ものも生み出さないということ。つまり、今私たちが目の当たりにしている「領土問題」とはアジアにおける、とりわけ日本と中国や朝鮮半島をめぐる近代にかかわる歴史認識の問題であり歴史問題だということへの認識がなくてはこの問題の「解」を見いだせないということです。

 さらに、いったん領土問題を「問題化する」ということは、究極のところは、実力=戦争による解決しかないというところに行き着くこと、したがって戦争をも辞さないという「覚悟」なく「ちょっとやってみるか」といった程度の危うく愚かな「知見」でしてはならないことだということです。

 後者について言えば、現代においてはそのような道、つまり戦争への道は取るべきではないという意味において、選択肢としてはありえないということになるわけで、このことはなによりもしっかり認識しておくべきだと考えます。

 すでに書いたことですが、後世の人々の知恵に委ね今はふれないでおこうという、ケ小平の「狡知」ともいえる知恵の含意をあらためて思い起こすべきではないでしょうか。

 それにしても、菅−仙谷−前原を軸とする現政権は末期的症状を呈し始めていて、度し難いばかりです。この、経綸の一片のかけらさえも感じられない「虚ろな人々」による政治がまさに「地獄への道」へと続くことはすでに書いてきたとおりです。

 日本は「崩れ始めている」という感を深くします。
 遠からず政権交代とはなんであったのかということに直面すると書いてきたことが、悪夢のような形で、いま目の前で現実のものになっています。
もはやこの政権にも未来はないことが明らかとなり、しかし、ではそれに代わりうるものはとなるとお先真っ暗というわけですから、事態は容易ならざるところに来てしまいました。
「世が世なら5・15や2・26だ・・・」と言ったのは昨年までの政権政党自民党で閣僚を経験した政治家でした。

 本当にそうです。
 「尖閣ビデオ流出問題」一つを取ってみても、そこに、かつての悪夢の「亡霊」を髣髴とさせる時代状況が垣間見えます。

 だからこそ言論は、メディアは、いまこそ、命がけでふんばっていることが求められているのだと切に思います。

ホームページのサイトでの白楽晴氏と小島正憲氏のページは以下の通りです。

白楽晴「『京郷新聞』は保守派マスコミのように忠誠を強要するのか」
http://www.shakaidotai.com/CCP134.html

小島正憲「国家を捨てる中国人・国家に尽くす日本人」
http://www.shakaidotai.com/CCP137.html

ぜひお読みください。
posted by 木村知義 at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年11月04日

我々が考えなければならないことは・・・

 「訪朝記」の筆を置いて「尖閣問題」について書くことに区切りをつけて本来書き継ぐべき「訪朝報告」に戻らなければと思いつつ、これまで書いたことの補足という意味で少しだけ付け加えておきます。

 先週に続いて、今週もこの問題についての研究会や会合に出たり、きょう(3日)は「辛亥革命100年」にかかわるシンポジウムに出かけたり、いずれにしても中国にかかわって考えさせられる機会を持っています。

 そこで、これまで書いてきたことに、どうしても補足しておかなければならないと感じることがあります。そのいくつかをメモ書き風に書きます。

1.まず、今回の問題を、中国指導部内部の権力闘争によって起きているのだと説明することをどう考えるのかです。これは、この間のいくつもの会合、研究会などで、いわば中国に通じている専門家、ジャーナリストであればあるほど聞かれる言説です。
もっと踏み込んで言うと胡錦涛主席と温家宝首相、あるいは習近平副主席とそれぞれのグループの角逐、あるいは軍部と共産党指導部の軋轢、ひいてはいわゆる江沢民前主席を後ろ盾とする「保守派」と胡錦涛主席を中心とする「改革派」の対立など、さまざまに解説がなされます。
いわば「玄人筋」の見立てであればあるほどこうした権力闘争が背後にあって「尖閣」での日本への「挑発」が起きたという説明です。
さて、どうなのだろうかと、私のような「素人」は考えこむのです。
ホントかいな・・・と思うと言えばそうした「玄人」の方々、中には私の尊敬するジャーナリストもいるのですが、に失礼になるのでそこまでは言いません。
ただ、では権力闘争というが一体何をどうすることをめぐって争っているのだ・・・というと、さて、それは、いまは、まだわからないが何年か後にはきっとわかるだろう・・・というものから、いや!人事、ポストをめぐる争いだ・・・とかとか、私にとってはどうも釈然としないことが多く残るのです。
あれこれ書いていると長くなるだけでなく、意図しなくても皮肉っぽく響いてしまうので、私の結論を述べます。
私は、どんな政権であれ、組織であれば権力闘争はあるでしょう、と考えるのです。日本の政治を見てもそんなことは言うまでもないことではないでしょうか。当たり前のことです。ましてや中国共産党といえば、日本の民主党や自民党など足下にもおよばない巨大な権力といわば「利権」の集中した組織です。そこに権力闘争があるに違いない・・・と言われてもそれほど感銘?を受けないのです。当たり前だからです。だから無視していいとか軽視していいということを言っているのではありません。しかし権力闘争が背景にあって・・・と説明する限り、ではそれが今回の尖閣問題をどう引き起こしていったのかという具体的なエビデンスにもとづいた分析が必要ではないでしょうか。「玄人筋」らしい解説に楯突くのは恐縮ですが、その根拠は?証拠は?ということになります。ジャーナリストであれ、研究者であれ、具体的に証拠と根拠を提示して、だから権力闘争が引き起こしたのだということを論理的に説明しなければならないのではないでしょうか。
なんでも権力闘争という言葉で説明したような気になる、あるいはその説明を聞く立場でいえば、わかったような気になる、のは危険ではないでしょうか。
もっと冷静に論理的に考えることが必要だと思うのです。それだけのことを前提にして、しかしもちろん中国指導部内の権力闘争といった要素、要因を無視したり軽視したりすることはできないわけで、そこはきちんと見ておく必要があるということでしょう。それをきちんと具体的事実にもとづいて解析、分析することはなされるべきであり、それだけに推測や「印象論」「感じ」ではなく説得性の高い分析を提示する責任があると思います。
重要なことは、そのことと、私がこれまで書いてきたことは矛盾、対立するものではないことは言うまでもないことです。つまり、中国側の「事情」は事情として、大事なことは、日本の私たちが考えなければならないことはどういうことなのか、日本の私たちに問われることは何なのかということなのです。
そこを明確にせず、いかにも「玄人筋」らしく中国内部の権力闘争が・・・と言われても琴線にふれる言説にはならないということです。あるいは、日本がどう対処すべきかが的確に導き出せないということです。
要はあれこれの解説をして事が済むということではない、というです。ましてや訳知り顔に「権力闘争が・・・」と言っておいて、では何がどうなっているのだとたずねると「そこはまだわからないのだが、何かが起きている・・・」といったことを聞かされても、何も生まれないということです。
日本と中国の関係、あるいはあり方を考えるということは、そんな気楽なことではなく、もっと真摯に自己の存在を賭けて向き合うべきことだと、「素人」の私などが言うと分をわきまえずに、とお叱りを受けるかもしれませんが、少なくとも、ささやかではあっても、国交回復前から中国と、そして日中関係と向き合ってきた私には思えてならないのです。

2.同様に、中国内部の社会の問題や矛盾への不満や批判が潜在することを避けるために国民の、特に若者の目を外に向けさせる、具体的には日本に向けさせているのだ、外交を内政の「緩衝材」に使っているのだという解析、言説もまた、だからといってそれで日本の私たちが考えるべきことが解消されるわけではないということです。
貧富の差の拡大、腐敗の蔓延・・・、中国にいま底知れぬ矛盾や問題が存在することはいうまでもないことです。だからそれを指摘して尖閣問題を説明したつもりになる、あるいはこれまたそれを聴く側の私たちは、それで何かがわかったような気になるとしたらこれまた大いに危ういことだと言わざるをえません。
きょうのシンポジウムでも米国から参加した日本でもよく知られる識者が、かつて中曽根元総理が外交というものについて3つの「箴言」ともいうべき話をしたと述べました。
一つ、力以上のことはしてはならない
二つ、世界の潮流をよく見なければならない
三つ、外交を内政の道具に使ってはならない
というのです。
その場の文脈でいえばこれを今の中国に「助言してあげる」というものでした。
この高名な識者が中国に助言することをあれこれ言うつもりはありませんし会場の聴衆も、まさにそうそう・・・と共感する「空気」でしたので、あえて楯突くつもりもありません。
ただ、この三つはそのままブーメランのように今の日本に返ってくることではないでしょうか。
もしこの識者がそこまでの含意を込めていたとしたら脱帽ですが、その場の雰囲気はというか文脈は、いま中国が知るべきことはこういうことだと諭している、あるいは教えてやるというものでした。
私はこれを聴きながら、まさにこの三点が問われるのは日本そのものであり、日本の我々であり、現在の菅政権、仙谷官房長官、前原外相ではないのかと考え込んだものです。
ことは他を諌めあるいはあげつらっている場合ではなく、それらはすべて己のところに返ってくるものだというべきです。こういうことを、いささか下品な表現ですが、天にツバする・・・というのではなかったでしょうか。

3.いわゆる「反日デモ」は中国当局つまり中国共産党指導部がそうさせている、あるいはその「管理」の下に行われているという言説に吟味、検証は必要ないだろうかという問題です。
書いているうちにどんどん長くなるので思い切って端折りますが、中国共産党の「管理」がどんどん弱まるから、もっといえば一党独裁の力が弱くなってゆるんでくるからこうした「勝手」なことが頻発するようになってきたのであって、一党独裁の統制が行き届いていればこんなことは起きないということに気づいておかなければならないのではないかと思うのです。
つまりいうところの「民主」がすすめばすすむほど「反日」であれ、なんであれ、なんでも起き始めるということです。
一党独裁だから起きるのではなくそれが弛緩し始めているから起きていることだということをしっかり見ておかなければならないということです。
ここでも「玄人筋」の見立てをそのまま鵜呑みにしているととんでもない見立て違いを引き起こすのではないかと危惧します。

4.その上で「反日」ということといわゆる「愛国教育」の相関関係についても検証が必要だと考えます。
なにかというと中国では愛国教育をしてきたので若者たちが反日になった・・・という説明がなされます。さて、本当にそうかいな?という疑問を抱くことはないでしょうか。
私は2005年のいわゆる「反日デモ」の際北京だけでしたが現地を取材し、北京の繁華街、王府井、西単、そして人民大学などの大学キャンパスさらに盧溝橋などで100人をこえる若者たちにインタビューしました。
率直に言って若い世代(20歳前後)の人たちは「愛国」がどうの「反日」がどうのという意識とほど遠いまさに今風の若者であることを痛感したものです。
たかが100人を少し超えるぐらいのインタビューでものを言うなというお叱りがあることは承知です。
しかし、では!「反日」とか「愛国教育」と書いたり語ったりしている専門家やジャーナリストはどれだけの具体的かつ実証的なエビデンス=証拠、あるは根拠を持っているのか、きちんと示して語るべきではないかと、これまた分不相応に思うのです。
そう安易に決まり文句のように「反日」と「愛国教育」を相関させて語るべきではないと思います。これまた端折って言えば、そういう教育以前に、ある年代の人たちの記憶の中には日本の侵略と暴虐に対して深い恨みと憎しみが潜在していることを私たちは真剣に認識すべきなのです。
それを抑えて、のりこえて国交正常化を受け入れたというのが、ある年代の人たちの真情です。
もはやというべきか若者たちはそうした歴史と歴史認識とも無縁になりつつあるというのが中国の実態だということを知っておかなければ事態の本質を見誤ることになると思います。
突きつめていえば、反日教育などあろうがなかろうが本質的には日本の侵略の歴史を許し難いと考えている世代、人々がいまなお広く潜在しているということです。そしてそういう人たちの多くは「反日デモ」などとは無縁の存在であり、深く怒りを胸に日々の生活を送っているということです。
ここでも中国専門家や中国に通じていることを誇るジャーナリストたちのカリカチャライズされた言説の虚ろさを思わざるをえません。

5.さて、書き始めるとどんどん問題が出てくるのでこのあたりで止めなければなりません。
あといくつかを本当に箇条書き風に述べておきます。
今回の「尖閣事件」で「だからやはり日米安保を強固にしなければ!」という言説は本当なのか?という問題があります。
きのうもテレビで米国の「知日派」として知られる人物が「(今回の尖閣問題で)日米が連携できなければ中国はますます力が大きくなる。それは米国にとっても脅威だ。(だから日米同盟を強化することが肝心だ)したがって日本の指導者はもっと(足しげく)ワシントンに来るべきだ・・・」と語るのに出くわして苦笑しました。
こういう論理が大人の世界でまかり通ることになんの不思議も感じないでうなずいて聴いているキャスターというものに、それこそ、なんとも不思議な気がしたものです。
さらに、別のテレビ番組でしたが、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を「訪問」したという問題についてあるコメンテーターが、北方領土は日米安保が適用されないが・・と振られたのに対して「日米安保が適用されるかどうかなど関係ない!・・・」というのを聴きながらこれまた吹き出しそうになりました。
それこそ「アレッ?」です。
昨日までは、尖閣諸島に日米安保の第5条が適用されるという米国の「言質」をまさに「鬼に金棒」の類でふりかざして、だから、まぎれもなく日本のものなのだ!中国は許せない・・・といった理屈でものを言っていたはずではなかったのか・・・と。
物事は一貫性が大事じゃないですか・・・とはこういうコメンテーターに言っても詮無いことなのでしょうが、ため息が出ます。
また今夜のテレビでは外務省出身のというより現在も外務省に大きな影響力を持っているとされる外交評論家が「(今は)外交戦略がどうのこうのと(批判して)空疎なことばを並べるのではなく、中国やロシアとの領土問題をどう解決していくのかが問題なのであって、アメリカの協力を得てそれをどう実現していくかが最大の問題なのだ・・・」という趣旨のことを語るのを見ながら、いやはやとここでもため息をつきました。
もう見境ないというべきか、見苦しいというべきか、なんともイヤハヤというところです。
他を恃むのではなく、あるいはもっと言えば力の大きな者、強い者を引きずり込むことで自分を大きく見せて相手を抑え込もうという貧寒たる発想ではなく、日本自身が自らの見識と政策をもって解決していくという覚悟がなくて何が外交か、というのも言っても詮無いことでしょうか。本当に情けなくなります。

6.さてもう本当に最後にします。
このコラムでは、まず他をあげつらうのではなく、日本の我々が何を考えなければならないのかという立脚点に立って話をすすめてきました。
なによりもそこが重要だという認識に立っているからです。
その上で、しかし中国について考えるなら、今回の問題で、自制すべきことも多々あったということであり、そこは今後の重要な課題として、いやもっというなら「傷」として残ったということも考えなければならないと思います。
一例をあげると、少なくとも1000人の青年たちの上海万博訪問を拒むというようなことはすべきではなかったというべきです。
どんな困難な時もこうした民間交流を大事にしてこそ問題をのりこえる途も見いだせるというものではないでしょうか。
そうしたまさに戦略的判断のできる中国指導部であるべきではないのかというのは、出過ぎたもの言いでしょうか。
その意味では中国指導部もまた大きな「傷」を負った今回の問題ではなかったかと思います。
それゆえ、今回の「事件」が一体なぜ起きたのか、ここを深く掘り、問題の実相、実体を明らかにしていくことが専門家、ジャーナリストの責務ではないかと、私は考えます。
事態の推移のあれこれを語るのも必要ではあるのでしょうが、そろそろ、もっとも本質的な問題の究明にむけて覚悟と志をもった取り組みが必要とされているのではないか、痛切にそう思います。メディアは何を語るべきなのか?!
メディアの責任は本当に重いと思います。


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2010年11月02日

ホームページ掲載記事のお知らせ

 折々、私の運営しているWebサイトの掲載記事についてご案内していますが、お知らせが遅くなってしまいましたが、8月から新たに「韓国の知性、新しい時代を語る」というページを設けて、韓国を代表する知識人、白 楽晴氏の論稿の掲載を始めています。
 朝鮮半島情勢、南北関係をはいめ北東アジアのありかたについて白 楽晴氏の鋭く、すぐれた考察、分析と主張をぜひお読みいただきたいと考えます。
 また、「訪朝報告」にもかかわる示唆的な論考となっています。
ブログとあわせて、ぜひお読みただければと思います。
 なお、最新の稿は白 楽晴氏の論稿ではなく、6・15共同宣言実践南側委員会名誉代表の白 楽晴氏や林 東源元統一相などをはじめとする「朝鮮半島平和フォーラム」の最新動向について「プレシアン」の記事から紹介しています。
 翻訳は白 楽晴氏の論稿の掲載について仲介の労を取ってくださったコリア文庫代表の青柳純一氏です。
最新記事は以下のサイトです。

http://www.shakaidotai.com/CCP133.html

また白 楽晴氏のプロフィールとページ新設についての青柳純一氏の「解題」は以下のサイトです。

http://www.shakaidotai.com/CCP.html


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2010年10月31日

事の本質を見誤ってはならない 〜日中首脳会談見送りに何を見るのか〜

 「訪朝報告」を書き継いでいかなければと思いながら、時間を作れずにいたところに「ハノイでの日中首脳会談が突然中止に」というニュースが飛び込んできました。
 この日(29日)は夕方から、都内で宮本雄二前中国大使の講演を聴いていたのですが、そのさなかにハノイでは、メディアがいうところの「中国のドタキャン」が起きていたというわけです。

 そしてきのう(現地時間30日午前)、東アジアサミットの会議開始前に、会場内に設けられた各国首脳控室で菅、温家宝両首相の10分間の「非公式会合」が行われるという流れになりました。

 菅首相および日本側の発表では、
(1)29日の2国間会談が行われなかったことはとても残念だ
(2)互いの民間交流が順調に再開されていることを評価し、今後も民間交流を強化することが重要だ
(3)引き続き戦略的互恵関係の推進で努力する
(4)今後ゆっくり話す機会をつくる
 の4点で一致した、とされています。

 けさの朝刊では、この「懇談」によってとにもかくにも日本の「面子が保たれた」と書いたものもありました。

 しかし各紙とけさのテレビ各局の番組を見ていてまたもやミスリードを生みかねない危うさを痛感したものです。

 これまでも書いてきているように、尖閣問題の背景については、歴史問題、歴史認識の問題としての深い考察を抜きにしたあれこれの言説では事態の本質は見えてこないのですが、「訪朝記」をさておいて、急ぎ書いておかなければと感じたことを記します。

 メディアがいうところの「ドタキャン」の翌日の昨日(30日)の各紙には「中国、首脳会談を拒否」の見出しが躍り、今回の事態についての福山官房副長官の「説明」が載りました。「要旨」として伝えられたその「説明」が重要なので、伝えられた全文を引くと、

 本日午前中の日中外相会談の雰囲気は非常によかったとの報告を受けていた。その結果、午後6時半から日中首脳会談が(行われると)通知されていた。ところが、日中韓首脳会談の直前に中国側の事務方から(日中首脳)会談はできない旨の連絡があり、日本政府としては非常に驚いた。中国側の真意を測りかねている。冷静な対応が必要で、中国との戦略的互恵関係を推進する日本政府の立場は変わっていない。(会談拒否の理由は)中国側に聞いていただかないと分からない。ガス田の理由でキャンセルということだが、ガス田問題で交渉再開を合意したといったことを報道に流したことは一切ない。そういった根拠のない報道で、首脳会談を中国側がキャンセルをしたのなら非常に遺憾だ。今のところ(日中首脳会談の)予定はない。総理は報告を聞いて、「冷静に対応をしよう」ということだった。(会談拒否が)日中関係に影響がないとは言えないが、冷静に対応することが肝要だ。(尖閣ビデオ公開が影響したかどうかは)全くそのことは考えていない。(ガス田の問題が)誤解だということは伝えてある。しかし向こうは、そのことを報道したことで会談できない、というやりとりで平行線だった。

 というものでした。

 しかし、ここで重要なのは一方の中国側、胡正躍外務次官補の発言、説明との比較、対照です。

 周知の通り、中国側は一貫して、中日間の四つの政治文書を基礎に、中日関係の維持と推進に力を尽くしてきた。しかしながら、東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった。日本側はさらに、同会議の期間中、メディアを通じて中国の主権と領土保全を侵犯する言論を繰り返した。楊潔チ外相は中日外相会談で、中国側の釣魚島問題における原則と立場を説明し、釣魚島と付属の島が中国固有の領土であることを強調した。その後、日本側はさらに、外相会談の内容について真実と異なることを流布し、両国の東シナ海問題の原則と共通認識を実行に移すという中国側の立場を歪曲した。日本側のあらゆる行為は衆目が認めるように、両国指導者のハノイでの会談に必要な雰囲気を壊すもので、これによる結果は日本側がすべて責任を負わなければならない。

 このように双方の主張、説明をつきあわせてみると事態の背景を解析する重要な示唆が見えてきますが、その前に記憶しておかなければならないのは29日午前行われた日中外相会談の後、カメラの前で「大変いい雰囲気の中で淡々としかしお互いの言うべきことは言う、前向きな議論ができたのではないかと思う。おそらくこのハノイで日中首脳会談が行われるだろう」と語った当の前原外相が、その後首脳会談が見送りになるのではないかという局面になると、この首脳会談の帰趨について、しれっとして「中国側に会談する意思があるかどうかだ。こちらは冷静に対応していく」と記者団に述べたことです。

 重ねてですが、ここで重要なことは、中国外務省の胡正躍次官補が「日本側が会談を実施する雰囲気を壊した」と指摘したことをどう解析するのかです。

 しかし、知ってか知らずかはわからないのですが、政治家はもちろんメディアも、必ずしも的確な解析を提示していません。
 「知ってか知らずかはわからないが」というのは、政治家やメディアのなかには本当に無知というか考えも及ばずに語っているものもあるのでしょうが、中には確信犯というべきか、わかっていて意図的に知らんふりを決め込んで事態を捻じ曲げているケースも否定できないからです。
 しかしここでより根深い問題は、そういう悪意にもとづいたものよりも「無知」と浅薄な解釈、解析にもとづく言説だというべきです。(悪意にもとづくものはわかりやすいので対処法も明らかですから・・・)

 もちろん、福山官房副長官が言うようにガス田問題にかかわる「根拠のない報道」が要因のひとつであることは否定できないでしょう。

 中国側がきわめてセンシティブな問題と位置づけている東シナ海ガス田開発問題をめぐって「前原誠司、楊潔チ両外相が交渉再開で合意した」とAFPが伝えたことをいうわけですが、日本の外務省が急きょ「合意した事実はない」と抗議し、AFPも修正記事を配信しています。

 しかし、だから中国側の「誤解」だ、あるいはそこから「横暴な中国」という言説に跳んでいくことでいいのか、ここが重要なところです。

 さらにいえば、
 「中国国内で反日、あるいは温家宝首相への批判が強まっているという国内事情があるので、それを日本側のせいにしてかわそうとしている・・・」
 「前原が悪いという、前原のせいにしてしまう構図を作ろうとしている・・・」
 という言説に落とし込んですべてを説明するということで本当にいいのかということです。

 けさから昼にかけてのテレビ番組の中では識者然とした大学の特別招聘教授という人物が「要は中国の内部問題なのだからあたふたする必要はない」とコメントしたり、「温家宝が菅さんから逃げ回っているのだ。2人が笑って握手している写真を中国国内で出せない。だから中国側が勘弁してくださいという状況だ・・・」と解説する記者がいたり、「(前原外相のように)ここまではっきり言う政治家が(ようやく)日本に現れたということだ。これまではニーハオ、シェイシェイだけだった。だから前原外相のせいにしてしまうのが一番いいということ(で中国がやっていること)だ。そういう中国の国内事情があることをちゃんと知らなければならない」と言う民主党の政治家が登場したり、あまつさえ「中国は異質な国だということが世界に知れると中国にとってマイナスになるのだから、(それがあきらかになるように)(ノーベル平和賞の)劉暁波の釈放を国会決議してやって、アメリカと価値観を共有して中国に対抗していけばいいのだ・・・」などとわけ知り顔で語る政治家まで登場して、唖然としました。

 さて、こんな言説ばかりに付き合っているとうんざりしてきますからこのあたりにしておきますが、見落としてはならないのは、中国の胡正躍外務次官補の発言にある「東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった」という問題です。

 すでに知られているように、ハノイに乗り込む前、前原外相はハワイに赴いてアメリカのクリントン国務長官と会談しました。

 大好きな鉄道模型をプレゼントされて有頂天になったとは思いたくありませんが、会談後の共同会見でクリントン国務長官から、
 「はっきりあらためて言いたい。尖閣諸島は日米安保条約第5条の(適用)範囲に入る。日本国民を守る義務を重視している。」
 という発言を引き出して、「勇気づけられた」と得意満面の笑みを浮かべて語りました。

 さて、ここで注意が必要なのはクリントン国務長官がなぜ「はっきりあらためて言いたい」と言ったのかということです。

 まだ記憶に新しいところですが、日米外相会談は9月23日にもニューヨークで持たれています。 その折、前原外相は、「クリントン国務長官が、尖閣諸島が米側の日本防衛の義務を定めた日米安保条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した」と記者団に発表し、日本では大きく報じられました。しかし、前原大臣の「発表」が日本で大きく報じられたのとは裏腹に、その後、クリントン国務長官が前原氏の言うようなことを言ったのかどうかあいまいであることが指摘されることになりました。

 とりわけ国務省のクローリー報道官が同じ日に、クリントン長官と前原外相の会談について、記者団に対して、米国側は「日中両国の相違点を双方ができるだけ早急に解決するよう前向きに取り組む」よう働き掛けたと語るとともに「われわれは尖閣諸島の主権に関してはいかなる立場も取らない」と述べたことは、前原氏の説明とのニュアンスの違いを際立たせることになりました。
 さらに経済ニュースメディアのブルムバーグやロイターなど、海外メディアのなかにはこの「安保適用」には全く言及のないものもありました。

 厳密に言うと米国国務省と日本の外務省の会談記録を突き合わせない限り、実際のところがどうだったのか、真実はわからないということなのです。

 日本のメディア、新聞と通信社の記事を突き合わせてみると、あくまでも「前原氏によると」というクレジットがつくようなのです。さらに海外メディアの報道なども総合すると、前原氏が、安保条約が適用されるべきだと主張したことにクリントン氏が「(あなたの言うことは)理解する」と返したといった程度のニュアンスだと考えるのが妥当だと言うべきなのです。

 これは重大なことです。前原氏は外務大臣であり外務省の報道官ではありません。なぜ、この会談については報道官になりかわって彼があたかもクリントン氏からそういう話があったというように記者にブリーフしたのか、という疑念が生じるものでした。

 こういう文脈で見ていくと、なぜ、この短い間にあいついで日米外相会談が持たれたのか、それもクリントン氏がハノイに行く直前にハノイならぬハワイでクリントン氏をつかまえて会談しなければならなかったのかが見えてきます。

 そしてクリントン氏が「あらためてはっきり言いたい」と「あらためて」という言葉を使って語った背景がくっきりと浮かび上がってくると言うべきです。

 まさに「事実は小説より奇なり」で、いまや勢いを失った国際スパイミステリーより現実の方が余程ミステリアスでエキサイティングだと言えます。

 しかしこんなことで「面白がっている」わけにはいきません。事態は実に深刻です。

 プレゼントは蒸気機関車の模型だけにとどめておくべきなのでした。間違ってもクリントン氏は「リップサービス」でこんなことを言うべきではなかったのです。
 いや!そうではなくうがって考えれば、情けないことに、いいように乗せられたのは前原氏であり日本だったということすらありうるというべきです。

 なぜかというと、米国務省のクローリー国務次官補は29日のワシントンでの会見で「尖閣諸島は日米安保条約の枠内にある」とするクリントン国務長官のハワイでの発言に中国側が不快感と警戒感を示していることについて「同諸島の最終的な主権について米国はどちらを支持する立場もとらないが、条約上は(米国の防衛義務を定めた)第5条の枠内にあると考えている」と説明したうえで「(尖閣問題は)中国と日本の問題であり、お互いを尊重する対話を通じて解決されるべきだと信じている」と述べたのです。

 密かにほくそ笑むのは米国であり中国だということになるのかもしれません。

 「前原を使って中国にくさびを打ち込んだぜ・・・」としてやったりの米国と、また米国に乗せられて度し難い日本だ・・・と、ちょっと苦々しく笑う中国・・・。

 まさに国際政治の虚々実々のゲームが繰り広げられていることが伝わってくると言うべきですが、幼いと言うべきか蒸気機関車の模型をもらって有頂天になってしまっている前原外相を手玉に取るぐらいは、米国にとって、赤子の手をひねるよりたやすいことだといわんばかりのものだ、と言わざるをえません。

 さらに重要なことは、ニューヨークでの日米外相会談でクリントン国務長官から「安保適用」発言を引き出した後、メディアではあまり重視されなかったのですが、今月15日に前原氏は会見で、月末にハノイで行われる東南アジア諸国連合(ASEAN)会合に合わせ調整している日中首脳会談について、「尖閣諸島は日本固有の領土との立場を堅持し、(日中首脳会談を)拙速に行うべきではない」との考えを強調するとともに、会談の調整のため訪中した斎木昭隆アジア大洋州局長に「焦らなくていい」と指示したと、自ら明らかにしたのでした。

 こうした動きを見据えるかのようにして、中国のトウ暁玲ASEAN大使は22日、日本のメディアと会見して、ASEAN諸国の一部との間で領有権問題を抱える南シナ海を巡り「2国間の範囲での解決を求めるべきだ。米国はこの問題を持ち出すことはできない。どの国が何を言っても、この問題で中国の立場は変わらない」と語って、米国の介入とともに米国をひきずりこもうとする「策動」には決然たる態度でのぞむことを明確にしていたのです。

 これだけの「警報」が発せられていたにもかかわらず前原外相が、不用意にというか図に乗ってハノイでの日中外相会談に臨み尖閣問題を持ち出して、あまつさえなにも省みることなく「おそらくこのハノイで日中首脳会談が行われるだろう」などと、あたかも自分がすべてを仕切っているかのごとく得意然と語るに及んで、日中首脳会談は吹き飛んでしまったということなのです。

 さて、「中国一人と勝負するのではなく、リスクを分散して軍事的にはアメリカと連携してフィリピン、ベトナム、インドネシア、インドなどとも連携して中国と勝負することを考えるべきだ・・・」という、けさのテレビ番組に出演していた民主党の政治家や「アメリカと連携してTTPに参加していけば中国に対する強力なメッセージになる」、「日本が東南アジア諸国と連携することを中国は恐れているのだから、そこを衝くべきだ・・・」といった識者の「見立て」が果たして成り立つものかどうか、すでに答えは出ているのではないでしょうか。

 「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている。・・・中国に進出している企業、中国からの輸出に依存する企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る。・・・中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人よしだ。・・・より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある・・・」と語った民主党の幹部がいたことをどう考えるべきでしょうか。・・・と、このコラムに書いたのは10月9日のことでした。

 「仕分け」などというメディア相手のパフォーマンスにうつつを抜かす程度で満足していればいいものを、この政治家がまたもや飛び出してきて「仕分け」の片手間に、今回の首脳会談中止について、「ひとえに中国側に問題がある。あちら側にやる意思がないので、こちら側から『ぜひやってくれ』というものではない」というコメントを発しています。

 菅首相はなにかというと戦略的互恵関係を深めてとか発展させてと言うのですが、さて、戦略的互恵関係とは何を意味するのか。日中関係の歴史にまでさかのぼって明確に認識できていればおのずと今回のように尖閣問題を「問題化」させることもなかったでしょうし、日中関係を根底的かつ危機的に揺さぶる事態を招くこともなかっただろうと思います。

 また、上に引いたようなレベルの低いコメントを発する政治家を党の枢要な役につけることもなかったでしょう。

 ただし、今回の事態は実に「不幸」なことですが、皮肉なことに、物事はなにも負の側面だけではないでしょう。

 ここで中国と真正面から向き合うということはどういうことなのかをしっかり「学習」して、まさに思想と哲学そして深い経綸をもって日中関係を考え、それに基づいた政策を立て、政治決断をしていくことにつなげていくことができれば、まさに災いを転じての謂に沿った将来につなげることができると考えます。

 ただし!それが前原氏や菅総理大臣らにできるとはとても考えられませんが・・・。

 それにしても政権交代とはなんだったのか、日本の病は度し難いところに来たと言わざるをえません。

 そして、ここでもやはりメディアに携わる者は心してかからなければならないと考えます。
 このままでは日本の行く末を誤らせかねないミスリードにつぐミスリードになりかねないと言うべきです。
 


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2010年10月25日

朝鮮の地に立ってB

(承前)
 ところで、朝鮮の経済について考える際、私たちに、というか私にはなかなかわかりにくい問題がいくつも出てきます。まず、社会主義経済の基本的な仕組みについて、書物などからの、それも少しばかりの知識はありますが、そうした社会で暮らしたことがないので実体験としてわかるということがないため、話を聞いてもなかなかピンと来ないものです。   


 私は、一応、経済学を学んできたのですが、ゼミのテキストは、いまはもうほとんど見向きもされない「資本論」(最近はファッションのように新書や漫画本で話題になっているので奇妙な気がします)でした。それもまあなんとか最後まで読んだというか目を通した程度で自信はありません。ただ、価値法則から再生産表式ぐらいまではなんとかおおむねのところは理解しようと努力したので一応の知識はないわけではないと思っています。

 しかし、社会主義経済とその下での生産方式と分配、とりわけ貨幣、賃金と物=商品の関係については具体的な仕組みやそこに存在する問題や矛盾について、実感としてはわかりません。

 こんなことを書くのはなぜかというと、話しはまわりくどくなりますが、時代は少しさかのぼります。

 朝鮮の経済問題について当事者の話に直に「触れた」のは2002年のいわゆる「七・一措置」と呼ばれた「経済管理改善措置」が実施されることになり、朝鮮から経済部門の高位の幹部が訪日して話をする場に「居合わせた」ことが最初でした。
 その折のメモなどをどこにしまいこんだのか、いますぐ見つけることができないのでぼんやりとした記憶しかないのですが、高位の朝鮮当局者が訪日して日本の経済関係者に朝鮮の「経済管理改善措置」について説明する会合がもたれるということを、どこかから耳にして、主催者を探して聴講をお願いしたのでした。メディア関係者の聴講は断りたいというのを無理に頼み込んで、オフレコを条件になんとか聴講を許されたのでした。

 会場には日本の企業(特に朝鮮に債権を持っている企業のようでした)関係者をはじめ在日朝鮮人の企業、商工関係者が集まっていたように記憶しています。その場でかなり詳しく「改善措置」について説明があったのですが、正直なところさっぱりわからないというのか、話の筋はちゃんと聴いているのですが、一体なぜこういう「改善」が必要になり、この「改善措置」によって何がどう変わっていくのかがピンとこないのでした。

 私が経済の実務に疎いということが最大の原因だったのだろうとは思いますが、朝鮮で何が起きているのかということが体感として理解できるというところに至らなかったのです。

 しかし、ひとつだけ、私なりに理解したのは、社会主義経済の下で価値法則にもとづいて、商品経済、市場経済の要素を取り入れ拡大していくということなのだろう、ということでした。多分、実態としては「起きていた」ことを制度上追認するとともに、より踏み込んで「改革」するということだったのかもしれません。

 朝鮮の内部的要因もあるかもしれませんが、それと不可分の問題として、なによりソ連の崩壊にともなう社会主義圏とその国際的な市場の消滅という要因が大きな引き金になって、なんらかの「経済改革」を余儀なくされたというものではないかと考えたものでした。いずれにしても、社会主義計画経済ではうまく回らない実態があり、市場経済の要素を取り入れていく、もしくは拡大していくことに舵を切ったという意味で、その当時はあまり注目されませんでしたが、朝鮮にとっては大きな転換点だったのではないかと感じています。

 その意味ではメディアや研究者は直近の「デノミの失敗」を言う前に、2002年の「経済管理改善措置」に遡って朝鮮経済と社会、そして庶民の暮らしの変化というものをつぶさに検証しなおすことが必要ではないかと思っています。

 そのことを押さえた上で、今後の朝鮮の行方を正確につかんでいくためには、現在の朝鮮経済の実態について、さらに深く考察、分析が必要になると痛感します。そう考えると、詳細な情報と実際に即した理解、認識が不可欠だと思うのですが、そうした問題意識を満たすだけの情報は、今回の訪朝では得られませんでした。

 もちろんせいぜい一週間あまり出かけたからといってそうしたことがすべて見えてくるということなどありえませんから、仕方のないことですが、一方では、一例を挙げれば、庶民の暮らしへの市場経済の浸透、拡大といったミクロな経済にふれる見聞はできるだけ避けたいという考えが、受け入れ側にあったのではないかと感じました。   

 しかし、メディアによくありがちな「覗き見趣味」という次元ではなく、今後の朝鮮の行方を過不足なく、誤りなく理解し認識を深めていくためには、ヒアリングに応じてくれた経済専門家の話しにあるようなマクロな問題にとどまらず、企業の生産現場や庶民の暮らしの実態に直に接する機会を持たないと全体の方向性がわからないということではないかと、これは受け入れ側にとっては「不遜のきわみだ」と思われることかもしれませんが、折角の機会をどう生かしていくのかという視点からは今後の課題として残ったと思いました。

 それはそれとして、わからない、ピンとこないという問題に戻ると、その最大の疑問のひとつは、民生の向上という課題と配給制度の関係です。メディアなどでは、90年代に配給制度の崩壊がいわれ、商品経済の浸透とそれがもたらした貧富の格差の拡大がしばしば取り上げられています。すでに書きましたように今回の経済専門家からのヒアリングは、本当に残念なことに、次の予定の関係で時間が限られていて、どんな質問にも間髪を入れず的確、具体的に答えてくれる実に優秀な専門家だったにもかかわらず、聞きたいことの百分の一も聞けなかったという悔いが残りました。したがってこれからの感慨は車窓などからの遠望にもとづく推測の域を出ないことをお断りした上でのことになります。

 まず、2002年の「改善措置」以降、多分商品経済―市場経済のセクターが拡大したであろうことは確かだと感じました。17年ぶりの平壌は、見違えるほどあちこちに「商店」が増えているだけではなくそれらに賑わいが見て取れました。加えてスタンドのような店が随所にあり人だかりもかなりのものでした。それらの位置づけが正式に認められたものなのかどうかは確かめていませんが、少なくともかつては「不法」なものとされていた市場経済の要素を認めざるをえないところにきていることは確かだと思います。平壌駅からほど近いところにできた水色の大きな屋根の市場の前を通りかかったのですが下車して見ることはできませんでした。しかしこうした市場が活況を見せるというのはすでに商品経済―市場経済が生活の一部に浸透してきている証左だと思います。

 配給についていえば、今現在どうなっているのかは確認できませんが、従来の配給制度も、たとえば食品の品目毎に指定された券かなにかを持っていけば格安の値段で手に入れることができるといった性格のもののようでしたから、まったく貨幣を介さず配られるというものではなかったと考えられます。(ある品目について、ある時期までは無償で配給されたということもあるようです)

 いわば二重価格のような仕組みのなかで、配給と同時に余力のある人は貨幣でより多くあるいはより多様なものを手に入れることができるということだったのではないかと想像します。

 すると、現在はそうした配給の仕組みはほぼ機能していない、あるいは貨幣経済―市場の論理で日常生活が動いているという状況だと考えるほうが自然なのかと思います。であればこそ、朝鮮といえども市場経済の流れを押しとどめることは無理で、早晩、市場経済の論理が社会を覆うということを前提に今起きているさまざまな社会現象を解析するほうが実態に即した分析が可能になると考えます。

 これを書きながら、数年前のことだったと思いますが、長く朝鮮との貿易に携わってきて、私にいくばくかの信頼を置いてくださっていた方が、出張で出かけた朝鮮から帰国した折「どうも生活が大変な状況のようだ。食糧の困窮が広がっている。地方に行ったが、これまでは私的な商売をしたり作物をつくったりして売るということは不法だとされてきたのが、いまはもうそんなことも言っておられず、どうも私的な経済にゆだねざるをえないというところにきているようだ。また食糧を手に入れるために移動が必要不可欠となり、従来、列車などで移動する際必要だった証明書は有名無実になっている・・・」と話してくれたことを思い出します。また「農民も自分で作物をつくり食料を確保するということが黙認されているようだ・・・」と言う話も聴きました。

 ずいぶん前の話ですが、こうした「実態=現実」と「建前=外形」の乖離をどのように埋めて本当に力強い経済をつくっていくのかが、強盛大国への扉を開くとしている2012年に向かう際には大きな課題になるだろうと思いました。


 さらに、民生の向上を掲げるとき重要なことは「格差」の拡大をどうしていくのかという問題があると思います。どういう仕組かはわかりませんが、市場経済の要素が拡大するなかで、うまく儲けることのできる人とそうではない人の溝が深く、広くなっているのではないかと思います。

 昼食のため静かな公園の丘の上にある白亜の館とでもいう趣の瀟洒なホテルのレストランに入ったときのことです。レストランの内装や造り自体想像をこえる洒落たもので驚いたのですが、そこで食事をする客層にはさらに驚きました。喩えは陳腐ですが、銀座の高級ブティックから出てきたといわれても不思議ではない装いの夫人たちとその娘さんと思われるグループがテーブルを囲んでいたりして、一体どこにいるのだろうかと思ったものでした。食事をしながら気になって注意していたのですが、結局どういう人たちなのかはわかりませんでした。ただ、うっすらと流れてくる低い声の会話のなかに一瞬、若い娘さんが日本語の単語のようなことばを交えたような気がしたのですが、あるいはまったくの気のせいかもしれません。ただ、こういう優雅な昼食の時間を過ごす階層の人たちがいるということもまた朝鮮の現実だと知ることになりました。

 これはある意味では極端な例かもしれませんが、もっと一般的には平壌市民と農村部の人たちの格差の問題が重要だと思います。

 平壌市街から少し出ると農村地帯が広がりますが、車窓から目にするそうした農村部の人たちの暮らしぶりとの落差はかなり大きいのではないかと感じました。もちろん農作業に従事するわけですから普段着飾っていることはできませんから、単に外見的な服装などだけを比較するのは控えるべきでしょう。
 しかし、私には明らかに暮らしの格差というものが感じられ、いささかやるせない気持ちになったことも確かです。

 ただし、貧しいことが罪であるわけはなく、どの国も、どの国民にも貧しい時代があり、そこから国を豊かにし、暮らしを向上させてきた歴史があるわけですから、朝鮮もまた民生の向上をなによりも重要な課題として認識し、目標に掲げているのだろうと思います。

 それだけの理解を前提に、私が気になったのは農村部を走る車窓から見た、そこを往来する人々の表情でした。どこか諦念というか、目の輝きが乏しく無表情に感じられたのは、私だけの感慨だったのだろうかと、いまも思い返すのです。

 ここで突然、1980年代後半の上海に時と場所が跳びます。中国が、改革開放が本格化していくとば口にあったころのことです。

 そのころ、日本企業の中国事務所長として北京に長く駐在して仕事をしてきた友人と杭州から上海に旅をしたことがありました。この友人は、旅の途中出会う中国人とは当然のことながら中国語で話をしますが、時折私にむけて話す際日本語をまぜて話すことがあり、中国人から「おまえは日本語が上手いな、どこで勉強したのだ・・・」と聞かれるぐらい中国語が堪能で、生粋の北京人と思われることはないようでしたが、まあ少し田舎のなまりがある中国人だと思われるぐらいには中国に溶け込んでいる人物でした。

 足の踏み場もないほど混雑する硬座車に立ったまま冷房もない真夏の列車の旅を耐えて上海に着いた翌日、開店して間もなしの、フランスの高級レストランで食事をすることになりました。この店は東京の銀座に開店したときも話題になったぐらいですから、上海でも当然注目を集めていました。

 タオルを首に巻いてだらだら流れる汗に耐えて大げさではなく泥々になって列車に乗ってきた前日の旅とは大きな落差のある食事でした。

 席について注文を終えて、料理が運ばれてきたときなぜか異様な感覚に襲われ、ふと目を外にやると、天井まで大きく窓の開いたレストランのガラス一面にべったりと張り付いた大勢の老若男女の食い入るように見つめる目が、私の目に飛び込んできたのでした。私は臆してというよりなにか申し訳ない気がして「これは食べられないね・・・」とつぶやいたのでしたが、その友人からは意表を突くようなことばが返ってきました。
 「なに、気にすることはない。連中はきっといつか俺たちもあの料理を食べてやるぞって思ってああやって張り付いてるんだ。見せつけてやればいいんだよ。するとやつらも絶対這い登ってやるぞって闘志を燃やしてがんばるもんだ。それも中国のためというもんだ・・・」

 正直、私はことばもなく、このあと料理がのどを通りませんでした。味もなにもあったものではありませんでしたし、永年の友人でしたが、こいつはなんてことを言うんだと思ったものです。しかし、いまの中国を見るとき、私のヒューマニズムらしきものなど本当に甘っちょろいものだったと思うのです。友人の言うように、まさに中国人たちは、いつかはきっと!という一念でひたすらがんばってきたのだと思います。その意味では友人の言ったことは一面の真実を衝いていたと、いまになって思うこともあります。もちろん賛否は別ですが・・・。しかし、あの上海の高級レストランのガラスに張り付いた目のぎらつきを今はその当時とは全く違った感慨で思い起こすのでした。

 さて、なぜこんな思い出話を書くのかというと、朝鮮で、特に農村部で見た人々の目にはそのときのようなぎらつきがなく、どこか静かな諦念といった趣がただよい、ある時には色濃く疲労を宿した表情に映るものがあったと言えなくもないからです。

 もちろん民族性の違いというものもあるかもしれませんし、だれもがそんなぎらぎらした情念を表に表わすものではないかもしれません。
 あまりにも私の独断、情緒に過ぎると批判されるかもしれません。

 しかし、私には上海で見た人々の目に宿るものと今回の訪朝時のそれとの違いがどうも気になって仕方がないのでした。民生の向上を掲げるかぎり、こうした庶民にこそ、その成果、恩恵がもたらされるようにと念ずるばかりです。

 話が情緒に流れすぎたかもしれません。しかし、これもまた朝鮮の地を踏んだ私のいつわらざる感慨の一断面でした。

 ただし、では日本ではそうした目の輝きが見られるのかといえば、はなはだこころもとないということも忘れてはならないと思います。
 それだけのわきまえを持ちながら、さらに「車窓からの考察」を考え続け、深めていく作業が必要だと感じています。

(つづく)



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2010年10月20日

朝鮮の地に立ってA

(承前)
 朝鮮が「2012年、強盛大国への大門をひらく」という目標を掲げるとき、「経済を一新」して「人民の生活向上のために決定的転換をもたらす」ことが最大かつ喫緊の課題であるとしていることが、ヒアリングした朝鮮社会科学院の経済専門家の話から伝わってきたわけですが、これは金正日総書記から後継体制に安定的に引き継げるかどうかの重要なポイントになるという意味でも、いまの朝鮮の最重要の課題だと言えるでしょう。
 
 その意味では、朝鮮の経済の現況とこれからの目標、課題について、この専門家はきわめて率直に語っていると感じたものです。
朝鮮側のコメントを引くと、すぐに「北朝鮮のプロパガンダだ・・・」などという没論理というかまったく無内容かつ低次元の非難が寄せられたりするのですが、一回目の内容を注意深く読み込んでいただくと、きわめて示唆に富む内容であることがわかると思います。

 一見、過剰なまでの自負と自信にみちた「大言壮語」と見えなくもない言説でも、深く読み込むと、いま朝鮮に何が欠けていて、何をしなければならないと考えているのかが如実に見えてきて、この経済の専門家にとどまらず、この後紹介していくことになる外交、安全保障の専門家なども含め、ここまで率直な話に直に接することができたことは、私にとって、今回の訪朝は無駄ではなかったとしみじみ思ったものです。

 同時にまた、朝鮮は「変わらない」とともに「変わりつつある」、否!「変わらなければならないと考えてもいる」という実感を深くしたものです。ここがとても大事なところだと思います。

 要は、読み込みの深さと読み解きの力量(読解力と分析力)が問われているのだと思います。
その意味では、私の「読み解き能力」では及ばないところが多くあるかもしれないという畏れを抱くがゆえに、分析、判断の材料としての「一次情報」をできるだけ忠実に提供して読者のみなさんとともに考え、深めていきたいと考えているのです。

 この訪朝報告を読んでいただく際の基本的視座として受けとめていただければと考えます。

 さて、「民生の向上」を言うとき欠かせない最重要の問題、農業、食糧問題です。
 まず、前回からの経済専門家の話に耳を傾けてみます。

 農業では食糧問題を自力更生する原則にもとづいてヘクタールあたりの収穫を高めることにいちばん力を入れている。特に重点をおいているのは種子革命だ。30年以上の研究によってイネの雑種生産(注:時間の関係で詳細について確認できず)に成功し、作付面積を広げている。1ha当たり10トンの収穫が可能になった。
 また、トウモロコシ、大豆の種子の改良にも力を入れ、特にジャガイモはha当たりの収穫量が高い種の改良に取り組みha当たり40トンから60トンの収穫が可能になった。ジャガイモ生産革命を積極的にすすめている。収穫量も高まり栽培面積も飛躍的に増えている。まもなくアジアの「ジャガイモ王国」になるだろう。
 (コメでは)二毛作を奨励して積極的にすすめている。北半分は山岳部が多く85%をこえており平野部は15%にも満たないので耕地面積が限られている。最近10年間、二毛作をすすめるたたかいを行った。耕地面積を広げるためのたたかいも積極的に取り組んだ。開墾、干拓をすすめ、このたびテゲ道干拓地が完成、8800haの干拓地ができた。国内のひとつの郡の面積に匹敵する農地ができたことになる。
 また、特に重要なことは農業生産に欠かせない肥料の生産基地のしっかりした土台ができたことだ。ナムン青年化学連合企業所で石炭ガス化による肥料生産工程が開発されたことによって今年4月から新しい生産技術による尿素肥料生産が正常化されている。以前は原油を輸入してそこからできるナフサを使って肥料を生産していたがこれからは我国に豊富な石炭を活用して年間数十万トンの肥料が生産できるようになった。ハムンにもガスアンモニア化による肥料生産工程ができ、ここでも肥料生産ができるようになった。来年からは肥料については心配する必要がなくなった。今年までは肥料について少しばかり輸入が必要だった。
 有機農法を積極的に奨励しているが、やはり化学農法も適宜、組み入れる必要がある。今収穫期に入っているが今年の農作物の出来は良かった。トウモロコシ、コメも良かった。しかし8月末に大雨があり、被害が多少出たところもある。穀倉地帯で少なからず被害が出ている。被害状況は収穫が終わってみなければわからないが、今後の農業の展望は非常に明るいといえる。
 トラクター製造工場も高い水準で近代化された。ここ十数年、土地の規格化をすすめてきたので農村作業の機械化に有利な状況がつくられている。

 農業については、要旨、このような話を聴きました。

 順安空港に到着してから平壌市街に入るまでの田園地帯、あるいは開城に向かう際や平壌郊外の徳興里にある高句麗遺跡の見学に向かう農村地帯など、随所で秋の収穫作業が見られました。
 
順安空港から平壌市街への沿道の稲田    開城に向かう高速道路沿いの稲田
 私は農業の現場や営農技術について専門的な知識がないので軽々には言えないのですが、収穫作業の様子を移動の車窓から眺めながら、「今年の農作物の出来は良かった」というこの専門家の話は話として、実際のところはイネの実りはすべてが順調というわけにはいかないのではないかと感じました。
 というのは、あくまでも私の見た限りでという限定詞つきですが、ところどころに倒伏したものやイネの根元に水がたまって排水されていない状態の田んぼなども散見され、背丈や穂の状態などイネの生育状況が気になるものが見られました。

 食糧問題は、特に90年代からずっ深刻な問題として国際社会からの支援の対象となってきたのですが、車窓からとはいえ、農村の田畑の状況や農作業の様子を見ながら、もちろん当座の支援としてはコメをはじめ食糧を送って人々の生活を支えることが肝心だとは思いますが、長い目で考えると、朝鮮の自然環境を破壊しないということに注意を払いながら土壌改良と田畑の基盤整備、そして農薬、肥料、農機具など農業生産の基盤を強化するための国際的な支援こそが重要ではないかと考えました。

 もちろんこの専門家の言うとおり「来年からは肥料については心配する必要がなくなった」ということであれば肥料については考える必要はないのでしょうが、その部分の精査も含めて、農業生産力をどう再構築するのかという観点から、専門家の協力が不可欠ではないのかというのが、農村・田園地帯を望見した私の感慨でした。

 ただし、ここで「問題」になるのが、私にとって十分理解できていない「チュチェ式」(主体)であり「ウリ式」(われわれ式)という考え方かもしれません。
 もちろん自力更生という考え方は大切ですし、そうあるべきと期待もします。したがって外から一方的に農法を押し付けたり、朝鮮の自然環境を無視した土壌改良や基盤整備を持ち込むことがあったりしてはならないことですが、少なくとも無理な連作や密集栽培などで土地の力が衰えていたり、山を育てること(植林)と農業環境の連鎖、連関が崩れていることなど(遠望ですが、木のないむき出しの山肌が随所に見られ、少なくない山では土砂崩れの跡なども散見されたものです)を考えると、農業生産力再生への課題は、これまでの朝鮮の農業の検証、総括に立って、外の専門家の助言や技術にも耳を傾ける必要があるのではないかと思いました。

 アジアに冠たる「ジャガイモ王国」はそれとして、民生向上のもっとも基幹となる食糧問題の解決、改善にとって、いま何が必要なのかという観点から外の専門家との協力関係を築くことは重要なテーマではないかと考えます。

 今回話を聴いた経済の専門家は農業専門家ではなかったからなのかもしれませんが、工業部門の話に比して、農業については「苦難の行軍」から抜け出て新たな飛躍、発展をめざす力強い胎動というのか迫力というものがいまひとつという感じも否めず、農業・食糧問題に立ち向かう上での具体性が像を結ばないという感じも否定できませんでした。
 もちろん時間的な制約でそうなったということが第一の要因かもしれませんが、少しうがった見方になる恐れを覚悟の上で言うと、過去には、朝鮮半島の北半分は鉱工業、南半分が穀倉地帯、農業という地域的な「棲み分け」の歴史があり、自然条件など、どうしても北での農業には一層の困難を伴うということもあるのではないかと考えることがあります。
 それだけに、当面はすぐ役に立つ食糧支援が最重要の課題だとしても、国際的な支援、援助のあり方について今一度検証しながら、農業生産力の再生をどうはかるのかという観点から考えてみることが大事ではないかと、素人ながら考えたものでした。

 農業問題をめぐる「感慨」に終始してしまいましたが、農業・食糧にかかわる国際的な支援のあり方についての問題提起として、ぜひ多くの方に考えていただきたいと思います。

 さて、こうした経済の専門家からのヒアリングとあわせ、平壌郊外にある最新鋭、最先端の果樹農園、大同江果樹総合農場に足を運び見学しました。
 
見渡すかぎり農場・大同江果樹総合農場  昨年春植えたリンゴの木に早くも実がついた
 ここは1000ヘクタールという広大なリンゴ農場で2008年暮れに農場の造成工事がはじまり、深さ60センチ幅1メートルの穴を掘り土20センチ、有機肥料を40センチ積んで、昨年の3月から4月にかけてイタリアから導入した32万本近くのリンゴの木をはじめ数百万本の植え付けをしたということでした。普通は3〜4年は収穫できないものが有機肥料を入れるという独自の営農技術で早くも5月には花が咲き、8月下旬には62トンのリンゴが収穫できたという説明でした。
 昨年11月末には金正日総書記が現地指導に訪れて「大満足」を表したといいます。農場には1000トン規模の肥料を生み出す豚の飼育場や5000トンの貯蔵能力をもった加工場、さらには農場で働く1000人余の人たちの住宅から託児所、幼稚園、学校なども備わっている朝鮮最先端の総合農場だということでした。
 2012年には108種、3万5000トンのリンゴの出荷を見込んでいるということです。
 果樹農場になる前はコメ、トウモロコシを作っていたということですがhaあたりのコメの収量が5〜6トンと低いレベルだったということでリンゴへの転換がおこなわれたようでしたが、金正日総書記の指示でさらに面積を拡大することになっているということでした。
 画像は小さいのでわかりにくいと思いますが、農場全体を見下ろす丘の上に立ってみると、ずっと向こうの丘の麓まで見渡す限りリンゴ園が続いていてなんとも壮観でした。
 ただし、日々の暮らしに108種類ものリンゴが必要なのか、いまの朝鮮の食糧事情をふまえて、本当にイネからリンゴに作付け転換することが良き判断と言えるのだろうか、あるいは、リンゴ栽培の営農技術に知識がないので確かなことは言えませんが、リンゴ栽培ではこれほどの密植でも大丈夫なのだろうか、などといくつかの疑問が湧き起こりました。
 2年後の2012年に一体どのような農場に成長しているだろうかと考えながら、広大な農場内の移動のために大型バスが運行されているこの総合農場を後にしました。

 このあとも、民衆の暮らしに目を向けて、食糧問題、農業や農村問題の視点を忘れず朝鮮を見つめ、訪朝報告を書き継いでいこうと考えます。

(つづく)

posted by 木村知義 at 01:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 時々日録