2009年04月03日

いまそこにある「危機」、考えるべきことは?!

 きのう、アメリカのCNNが米軍高官の話として「北朝鮮が舞水端里のミサイル基地で発射準備をすすめている長距離弾道ミサイル『テポドン2』に燃料の注入をはじめた」と報じたと、各メディアが伝えました。

 一方、朝鮮人民軍総参謀部は「重大発表」として「平和的衛星を『迎撃』しようとする者たちに断固たる攻撃を加える」と表明しました。
 この「重大発表」では、
 「宇宙空間を平和的目的に利用することは、誰も干渉することのできない主権国家の合法的権利」だとして「われわれは事前に国際宇宙条約などに加入し、3月21日には打ち上げ予定期間、空中危険区域などを含めた問題に関連する電報通知文を、当該区域を管轄または利用する米国、日本、ロシア、中国、スイス、南朝鮮などの関連民用航空当局に送った」
 「現在、当該国らは、われわれが国際的な規定と慣例に沿うよう講じる実務的措置を受け入れ、必要な対策を立てている」
 一方、「唯一日本だけが、われわれの衛星打ち上げ空中危険区域の事前通知にまで言いがかりをつけ、平和的な試験通信衛星『光明星2号』の打ち上げに対し『敵対行為』との烙印を押し大騒ぎしている」と批判して、
 「敵対勢力がわれわれの平和的衛星に対する些細な『迎撃』の動きでも見せるなら、容赦なく正当な報復打撃を加える」としています。

 二月はじめに韓国国防省筋、あるいは米国軍事情報筋のリークにはじまった北朝鮮の「ミサイル発射問題」はいよいよ明日からの「発射予告期間」を迎えることになりました。

 平安北道の軍需工場から「円筒状の物体」を載せた列車が移動しているところを偵察衛星にとらえられて以来の「ミサイル発射問題」でした。
 
 まさに見てくれといわんばかりのロケットの運搬がおこなわれ、米国の偵察衛星がそれを追跡して、逐一リークされて韓国や米国の「政府筋」「軍事筋」の情報としてメディアによって伝えられてきました。

 そして一ヶ月間、まるで関係各国の「うごき」を見きわめるかのように3月12日に「人工衛星ロケットの打ち上げをめぐり、国際民間航空機関(ICAO)と国際海事機関(IMO)に必要な資料を通報した」と朝鮮中央通信が発表しました。

 この一ヶ月、各メディアは「ミサイルか衛星か?」あるいは「人工衛星名目の弾道ミサイル発射の脅威」ということをひたすら繰り返すばかりでした。

 その間、日本海や太平洋には日米のイージス艦や潜水艦が展開し、東北と首都圏に地上配備型迎撃ミサイルPAC3が配備されました。
 
 3月27日には浜田防衛大臣による「破壊措置命令」が発令されて、「北ミサイル『破壊命令』へ=MDシステム初の実戦展開」といった見出しまで躍りました。

 「実戦展開」という文字がなんの抵抗もなく使われてまるで戦時体制という趣です。

 「北朝鮮のミサイル問題」あるいは「MDシステム」にかかわる本質的な問題が吹き飛んでメディアの「空気」は「北朝鮮のミサイルの脅威」一色で塗りつぶされてしまっています。

 けさのテレビのモーニングショーではキャスターが、防衛庁長官を務めたことのある政治家に「北朝鮮にガツンとやれないのか?!」と迫り、スタジオに座る朝鮮半島問題の専門家を自認する記者は「空襲警報が鳴るのか、防空壕に入ればいいのか、われわれはどうすればいいのかまったくわからない・・・」と口走るありさまでした。

 こういう「前のめり」の論調でいいのかという疑問をさしはさむ余地さえない状況に、このことのほうが「脅威」と感じるのはわたしだけでしょうか。

 まず冷静に整理しておかなければならない「衛星かミサイルか」という問題については、米国のデニス・ブレア国家情報局長官が3月10日、米上院での公聴会で「北朝鮮は人工衛星を打ち上げると言っているが、私は、北朝鮮はそのとおりのことをやろうとしている(ミサイル試射ではない)と考えている」と表明していました。

 米国の情報部門の責任者がそう言ったからその通りだと言いたいのではありません。事態を的確に把握、認識するためにはこの程度の冷静さ、沈着さが必要だということです。

 米国や日本が衛星を打ち上げるのはかまわないが、北朝鮮がそれを試みるのは衛星の打ち上げを装った弾道ミサイルの発射だからダメだというのは通らないと言うべきです。

 なぜかといえば、衛星打ち上げロケットとミサイルは技術的には同じものなので衛星だといっても許せない!という論理はそのまま日本にも米国にも返ってくるものだからです。

 日本のロケットは平和利用で他国のものはそうではないというのは無理があります。

 日本の私たちだけがそう思っているだけで、他の国々から見るといつなんどき軍事的なロケット技術に転化するかわからないという不信を抱かれていても不思議ではないことを知っておくべきでしょう。

 脅威について語るときはそうした相互の視点を欠くと問題の本質的なありかを見失うことになります。

 世界46カ国に広がっている弾道ミサイル保有国のすべてについて、等しくその「脅威」について検証すること抜きに問題の本質に迫れないと知るべきです。

 脅威というとき私たちは一顧だにせず、忘れてしまっているのですが、3月9日から米軍と韓国軍による合同演習がおこなわれたことも思い出すべきでしょう。

 この間北朝鮮は非常な緊張のなかで准戦時体制に入ることを強いられました。

 こうした脅威と異常なまでの緊張が日常化する中で北朝鮮の「先軍政治」がおこなわれているのです。

 このことへの認識を前提にするときはじめて北朝鮮のミサイルの「脅威」についても的確な思考が可能になるというべきです。

 つまり相互にとって脅威をどう解消していくのかという問題の立て方でなければ単に「脅威」に「脅威」でもって対抗するという構造に陥るだけで、そこから抜け出る道は見えてきません。

 さてそうなると、MD=ミサイル防衛システムは相手に対する脅威ではなく、脅威からわが身をまもるためのものだという「論理」が提出されるでしょう。
 
 さてそうでしょうか?・・・
 
 このMDシステムは飛来する弾道ミサイルを撃ち落すものとして米国が開発して同盟国に売り込んできたものです。

 ただし、いまのところ、購入したのは日本だけだということに留意する必要があります。

 その仕組みはといえば、飛んでくる弾道ミサイルを洋上のイージス艦から発射するスタンダードミサイル(SM3)で迎撃し、撃ち漏らした場合は地上に配備したパトリオットミサイル(PAC3)で対処するという二段階の迎撃システムです。

 2003年8月の防衛予算の概算要求に初めて盛り込まれた際、当時の防衛庁は初期配備に5000億円、整備費を含めると7000億円としていたのですが、3ヵ月後の予算決定時には8000億円から一兆円と跳ね上がりました。

 この間に円高がすすみドル建てで支払うミサイル購入費は下がっていたはずなのですが、そこを質された防衛庁は「ミサイルの数を減らすなど、根本的に見直した結果だ」とまるでわけのわからない説明をして、メディアもこの点を衝くことなく2004年から導入が決まっていったというものです。

 今回も政府内から「撃ち落せる、落とせない」という議論が洩れ出たように、当時から「本当に弾道ミサイルを撃ち落せるのか」という疑問が出されながら明確な回答が示されないまま導入へとなだれこんだのでした。

 米国内の軍事専門家からも「ほとんど効果がなく、実用性がない」と指摘されながらブッシュ政権が導入にひた走った代物です。

 とりわけ国防総省で政策評価をしてきたチャック・スピニー氏が「北朝鮮の脅威は弾道ミサイルでは防げない」としたことは記憶に留めておくべきでしょう。

 それでもブッシュ政権がMDの導入にひた走った背景に軍産複合体制の存在が指摘されますが、ここで深く踏み込む紙幅がありませんのでここまでにします。

 ともかく日本への配備に一兆二千億円から五兆九千億円という莫大な経費がかかるという指摘があることを知っておく必要があります。

 さらに、こうした問題以上に重要なことは、MDつまり「ミサイル防衛システム」は実は防衛とは名ばかりで、ブッシュ政権が打ち出した「先制核攻撃戦略」と表裏一体のものだという点です。

 つまり、核兵器をともなう先制攻撃を仕掛け、それに対する相手からの反撃で撃ち出されるミサイルに対抗するものとして構想、開発されたシステムだということです。

 「衛星かミサイルか」といった議論をこえて、いま日本の「防衛政策」がどういうところに来ているのかを冷静に見据えることなく「いまそこにある危機」について語ることができないということです。

 「北朝鮮に対してガツンとやらなければ」とか「空襲警報が鳴るのか、防空壕に入ればいいのか」などというそれこそノーテンキな議論をしている場合ではないのです。

 さて、では北朝鮮がミサイル開発することを、ただユビをくわえて見ていればいいのかといえば、そんなことでいいはずはありません。

 そこで、冷静に考えてみましょう。

 世界に弾道ミサイルを保有する国が46もあることは述べました。
 ではそんなことはほとんど意識されないのに北朝鮮のミサイルはなぜ脅威と感じるのでしょうか。

 もっと言えば米国の核搭載弾道ミサイルは脅威だとは感じないのに北朝鮮のロケットはなぜ脅威なのでしょうか。

 馬鹿なことを聞くなという声が返ってきそうですね。

 米国とは同盟関係だからで、北朝鮮とは拉致もあれば核もある!相容れない対立、緊張関係だから・・・。

 まったくもってその通りですね・・・

 つまりは、弾道ミサイルが脅威かどうかではなく、関係の問題だということです。

 MDなどというもので防ぐことのできない、対抗できない、関係の問題だということをいまこそ深く考えてみる必要があります。

 どのような関係を結ぶことでミサイルが脅威でなくなるのか、あるいはミサイルの開発などを無用のものにできるのか・・・。

 まさしくこれは軍事の問題ではなく政治の問題だということに気づくべきです。

 こんなあたりまえのことを語らず十年一日のごとく「北朝鮮の脅威」云々を語るメディアのどこに本質的な訴求力があるのでしょうか。
 「いまそこにある危機」を語る資格があるのでしょうか。

 それ以上に、わたしたちの視角と問題のとらえ方がよほどしっかりしていないと事の本質、問題のありかを見失うということです。

 さて、しかし!MDの導入の背中を押したのはほかでもなく1998年8月のテポドン発射であり、2000年9月の小泉訪朝によって北朝鮮による拉致問題が明るみに出たことによる「北朝鮮の脅威論」であったということを思い出してみなければならないと思います。

 実に皮肉なことだというべきです。

 そしてまたあすからの「予告期間」を迎えることになりました。

 4月9日から金正日第三期時代を謳い上げるといわれる最高人民会議第十二期第一回会議、4月15日には「建国の父」故金日成主席の誕生日が控えているとしても、この皮肉かつ奇妙な北朝鮮と日・米の「矛と盾」の「依存関係」を生み出している構造を一体どう考えるのか?!

 それは「人工衛星の打ち上げは主権国家として認められるべき権利だ」という論理をこえて、いま考えなければならない本質的な問題ではないのか?!このことこそを真剣に考えるべきではないでしょうか。
 もちろん日本のMDシステム導入は日本に内在する問題として考えるべきだということはふまえつつ、しかし、北朝鮮の「強硬派」こそが日本の「強硬派」の友であるという、この奇妙な「依存関係」をどう考えるべきなのでしょうか。
 
 それにしても、脅威を相互の問題として深く認識することから、ではどのようにすればその構造から脱却できるのかと問題を立てて、真剣に向き合う必要があります。

 相手の脅威について語るときは、相手にとっての脅威についても知ることができて、同様に語ることができなければならないでしょう。

 そして、その想像力の欠如へと導くような貧困なメディアであってはならないはずです。

 いまそこにある「危機」を見据えるために・・・。
 


 




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2009年03月29日

絶句して高知?!・・・

  思いもかけないところで、麻生総理大臣を間近に見る機会を得ました。

  昨年から高知に出かけなければならない用件を抱えるようになり、金曜日朝いちばんの便で高知へ。
 きのう(土曜日)午前中の会議で予定をすべて終えましたので、帰京するまでの時間を利用して街を歩きました。

 高知城の桜を見ながら市内を一望した後繁華街に向かいました。

 商店街を歩いていると、ほど近い公園に人が集まっているのが目に入りましたので何気なく行ってみました。
 
 中央のステージには「学生国会inこうち」と大書されたパネルが掲げられていました。

 高知大学、高知工科大学、高知女子大学の3大学の有志によるイベントと銘打っているのですが、学生たちはさてどんなことを目指しているのだろうかと興味が湧いてしばらく立ち止まって耳を傾けてみることにしました。

 ちょうど壇上に座る学生たちのなかの「学生総理」という若者がマニフェストを発表するところでした。

 マニフェストというので一層興味をかきたてられました。

 すると・・・「生徒議会を」というのでどういうことかと耳を傾けてみると、高校生で「議会」を作って意見を出して、提案するという、ただそれだけのことで聴衆もなんのことやらわからずちょっと間が持てないという風情だったのですが、まあとにかく・・・という感じで終わったのでした。

 率直に言うと、何がどうなったのか、皆目分からないのでしらけ気味ではあるのですが、まあそこはご愛嬌といった感じでうながされて拍手という会場でした。

 そこまでならばいまはやりの「バラエティー」風のお遊びということで終わり・・・、なのですが、会場の周りの様子がただごとではない気配がありました。

 壇上に高知市長、県知事そして自民党の衆議院議員も招かれていましたのでそれなりの警備がなされていても不思議ではないのですが、どうもそんな程度ではない物々しさなのです。
 
 そこかしこに黒っぽい背広姿に耳にはイヤフォンを挿した男たちの姿が見受けられたのです。
 まさか、何かあるのですか・・・とご本人たちに聞くわけにもいかず、かといってマニフェストなるものの発表もそれ以上聞いているほどの意味もないので会場を離れました。

 わたしは地方都市に出かけたときはかならず商店街の様子を見たりデパートの人出やものの売れ具合などを見たりして、その地域の経済や暮らしの状況を知る手がかりのひとつにしていますので、商店街に戻りぶらぶらと歩きました。

 で、これまた出かけたときの習慣になっている、書店にどんな本が並べられ、どんな本が売れているのかを見ることに時間を費やして、そろそろ空港に向かうかとなったところで、先ほどの警備の様子がどうも釈然とせず、知らず知らずのうちに足はもう一度公園に向かっていました。

 すると公園の要所々々にはSPと思しき男性の人数が増えているのです。と、同時に、「麻生総理が・・・」という司会者のことばが聞こえてきました。

 ただし、紹介されはしたのですが誰も壇上には現れず、会場から失笑が漏れたのですが、総理を迎える拍手の予行演習をというよびかけで照れ隠しのような拍手の練習となりました。

 そうしているうちに学生と思しき司会者が「日本国内閣総理大臣麻生太郎様!」と様付けで紹介して総理が姿を現したのでした。

 警備上の理由からか、プログラムであらかじめ知らされていなかったこともあるのでしょう、会場は総理の登場に大いに沸きました。

 その後、麻生総理に先ほどここで決議したマニフェストを発表します!という流れになりました。

 「高校生の生徒議会を作って提案する」と「学生総理」が述べて、麻生総理の感想を求めるとさすがの麻生首相も「エッ・・・何・・・」と絶句。もう一度説明を求めるも何のことやら分からず(これをマニフェストといわれても何のことやらわからないのも無理はないのですが)「アア、いいんじゃないの」という一言で決着?!

 その後、学生から意見と質問となりました。

 一体どんな質問が出るのかと思いながら聴いていると、
 「高知の印象は?」
 「九州には新幹線ができたが四国にはない。本州と四国を新幹線でつないでもらえないか?」・・・、
 
 と、聴いているこちらの居ずまいが悪くなるような、なんとも言いがたい「質問」や「意見」が続き、いたたまれずその場を離れることにしたものでした。

 「新幹線論議」では麻生首相が「九州と結ぶ」とカン違いして「エッ!ということは豊後水道にトンネルを掘るのか・・・」と聞き返すと、今度は学生たちがきょとんとして「豊後水道がどこにあるのかわからないの?豊後水道は・・・」と麻生首相が学生たちに説きはじめるという具合で、いずれにしても双方トンチンカンなやりとりになって、聴いているこちらのほうがどうも落ち着かないものでした。

 これをもって高知の大学生はとか、いまどきの学生は・・・などとあげつらうべきではないことをわきまえながらですが、それにしても、いまの大学生あるいは若者世代の問題意識のありようについて、私にとっては少しばかりの「ショック」がありました。

 さて、そんなわけで今日は、これをメディアは一体どう伝えるのだろうかというところに私の関心は移りました。

 「麻生首相が高知県内の若者と交流 
      高知市で「学生国会」に参加」という見出しで、

 県内学生有志による政治イベント「学生国会inこうち」が二十八日、高知市の中央公園で開かれ、麻生太郎首相がゲスト参加。学生と肩ひじ張らないやり取りを繰り広げた。

 これは地元紙である高知新聞の記事です。

 そしてもうひとつは時事通信です。

 「絶対孤独」に耐える力?=麻生首相、高知市で学生と意見交換

 「どす黒いまでの孤独に耐え切れるだけの体力、精神力がいる」。麻生太郎首相は28日午後、高知市内で学生主催の意見交換会「学生国会inこうち」に出席し、首相の職務を全うするための必要条件について語った。
 「学生総理」を務めた男子学生が「今回すごいプレッシャーがあり、いろいろ批判を受けてつらかった。心が折れそうになった時はどう乗り越えるのか」と質問。首相は「首相になる条件という話はよく出る。知事も社長もみんな共通点は1つだけある。これはね『絶対孤独』」と説明し、「この程度のことで折れてちゃ駄目。頑張れ学生」とエールを送った。

 なるほど!「この程度のことで折れてちゃ駄目」か・・・。
 
 このエールは確かにそうかもしれないと妙に納得しながら、それにしてもと、きのうの公園でのイベントを聴きながらいささか言葉を失ったことを思い出しながら、もう一度絶句したものでした。

 本当に「頑張れ学生」です。

 しかしシャレにならないのがいささか深刻です。

 あらためて、いまどきの学生たち、若者たちの問題意識ということについて考えさせられた高知行でした。





posted by 木村知義 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

ホームページ、小島正憲氏の「凝視中国」に新レポートアップ!

 ホームページの小島正憲氏の「凝視中国」(中国ウオッチング)に新着のレポート「『2月危機』は去り景気浮揚へ」を掲載しました。

 独自の視点と取材で、主に経済動向から中国の「現在」(いま)を読み解く小島氏のレポート、今回は中国各地、各段階で打ち出されている景気浮揚策についてです。
 
 先の全人代(全国人民代表大会)で打ち出された内需拡大、景気浮揚策がいま世界から注目を集めています。

 小島氏は「私は全人代における思い切った政策転換と超大型景気浮揚政策の早期実施の決定によって、中国経済は5月ころから浮揚すると予測する。そしてその中国経済が全世界を金融恐慌の底から引っ張りあげると考える。しかし同時にその中国の超大型景気浮揚策はやがて中国をバブル経済に突入させるのではないかと危惧する。」と述べています。

 中国各地で打ち出されている「景気浮揚策」をこれだけ詳細にチェックしながら経済動向を分析しているレポートは他に類を見ません。

 ぜひ、ご一読を!
 
 ホームページは
 http://www.shakaidotai.com です。 

 






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2009年03月25日

続々・続、李明博政権一年の韓国を歩いて 〜群山への小旅行記〜

 今回の韓国行で群山に足を伸ばしたことは最初に書きました。

 これまでに書いた大先達のジャーナリストにお会いする予定までに少し時間があったので地方に足を伸ばしてみることにしたものです。

 しかしなぜ群山かというと、過去の日本とかかわりの深い場所であることを以前書物で読んだことがあったことと、韓国の地方(田舎)でまだ足を踏み入れていないところ(なんらかの形で「通過した」というところも含めると)がそれほど残っていなくて、群山はまだ一度も行ったことがない町だったこと、さらに今回はまだ乗っていないローカル鉄道の路線に乗る旅にしようと考えたことにありました。
 
 実に単純な動機なのですが、韓国に出かけるときはいつも、ソウルで人に会うなどなんらかの用件を抱えていることを除けばまったく計画もなく、韓国に着いてから思いつくまま、足の向くままという旅になっていますので、今回も空港から鉄道の始発駅である龍山駅(ソウル駅は現在は高速鉄道中心のターミナルになっています)に行ってみて適当な時刻に列車があれば乗ってみるか・・・というぐらいの実にいい加減なものでした。

 そんないい加減な小旅行記をなぜここに書くのかと思われるかもしれませんが、「閑話休題」ということでお読みいただければと思います。

 さて、いまソウルの鉄道ターミナルはKIX(韓国高速鉄道)を中心に京釜線(ソウル−釜山)関連列車の始発駅としてのソウル駅、春川あるいは東海岸への路線が中心の清涼里駅、ソウル郊外にあって北部の軍事境界線に近い新炭里方面へ向かう議政府駅、それに光州、木浦方面に向かう湖南線(KIXを含む)、全羅線、長項線などの始発駅龍山駅と、それぞれ方面別に機能がわかれています。

 今回の「小旅行」では、ローカル線である長項線で忠清南道の西部を南に下って終点である長項まで行くと河を渡る「渡し舟」(フェリー)があってそれで群山に渡るとまた鉄道につながるということを以前本で読んでいたので、ちょっと行ってみるか・・・ということにしたのでした。

 駅に着いてちょうどいい時間にムグンファ(急行列車)があったのでチャンハン(長項)へということで切符を買ったのですが、ホームに下りてみると行き先が「イクサン」(益山)と違っていました。
 
 終点はチャンハンのはずですから列車の行き先も当然「チャンハン」と表示されていなければならないのにと不安になりながら車掌さんに、チャンハン!と切符を見せると「ハイ、乗って、乗って」とせかされて、よくわからないまま乗り込んでしまったのでした。
 
 終点はたしかにチャンハンの筈だけれど列車はどうもその先まで行くようなので、ハハン・・・これはフェリーを乗り継いでその先までが一本の路線という設定になってるんだろう・・・などと、まるでかつての青函連絡船のようなものを思い浮かべて、都合よく自分を納得させて席に着きました。

 韓国であれ中国であれ、わたしの旅ではこんなことはごくごくフツーのことなので別にどうということはないのですが、それでも、切符を買うとき別になんの問題もなく売ってくれたのだから問題はないはずだよな・・・と思いながらも、この「なぞ」が解けないまま旅が続きました。

 スピードもたいして出ないムグンファでのゆったりした鉄道の旅ですので時間をもてあまし、車中を歩いてみるとなんと軽食や飲料を売るスナック車にはインターネット接続のPCやPCゲームコーナー、それに小さなカラオケルームまで備わっていて、ネット社会韓国の断面を垣間見る思いがしました。

 眠気を誘うゆっくりしたスピードと何の変哲もない田園風景の中、龍山を出て3時間半、いよいよ終点チャンハン(長項)に着くと思いきや、やはり様子が違いそのまま先の群山に行くようなのです。

 ええい!こうなりゃこのまま・・・と成り行き任せに乗ったままでいると、なんだか走っている線路が新しいだけではなく、海から山側に離れて行くではありませんか。

 と、思っているとまもなく鉄橋で川を渡ってクンサン(群山)到着。

 結果的には一駅乗り過ごしたのですが、駅を出る改札には駅員もおらず、仕方なく一駅分は「無賃乗車」でゴメンナサイということに。

 それにしても錦江が海に注ぐ河口の町長項から渡し舟で川を(もう海といってもいいはず)渡って群山に着くはずが、そのまま鉄道で来てしまい、そのうえ着いた群山駅は新しくきれいな駅舎であるのはいいのですが、まわりになにもない田舎の駅!

 群山の町はどこにあるのだろうと思いつつ駅前に停まっているバスを見るのですが、地理がまったくわからないので、何処行きに乗ればいいのか皆目見当がつかず、それではとバスの路線図を見ようとしているところに「どこに行くのですか」と親切に声をかけてくれた男性が現れました。

 私の韓国旅行はいつもこうした親切な人に出会い助けられて旅ができるという幸運に恵まれるのです。

 しかし、何処といわれて「街へ・・・」と言うわけにもいかず「渡し舟の着くところへ」と言うと怪訝な顔。

 結局「港に行きたいのですか?」と聞かれて「そうそう!港です!」ということで、その男性がバスの運転手さんにあれこれたずねてくれてバスに乗ることができたのでした。

 で、20分たらずで群山の市街地に入り、ともかく港に近いと思われるあたりでバスを降りました。

 ここまでくれば初志貫徹?で、港への道路標示を見つけて「渡し舟」の船着場を目指しました。

 港の埠頭に出てみると漁船と小型の貨物船は見えるのですが、どこにも「渡し舟」は見当たりません。

 さびしい埠頭に一人だけ車を引いて(船の人々に?)飲料などを売るアジュンマ(おばさん)の姿があったので聞いてみると「渡し舟」はなくなったとのこと。

 鉄道の新線が引かれて長項と群山がつながったらしいということがわかりました。(「らしい」というのは、このおばさん、何も買わない私などにかまっている余裕はないという感じで、聞けたのは「渡し舟はなくなった」ということだけだったからです)

 う〜む、長項から渡ることができなかったとしても群山には渡し舟の船着場があるのではないかと思ってここまで来たのだがどうも無駄足だったか・・・と思いつつ埠頭を見やると、なんだか戦車や古い戦闘機などが展示してある一角が目に入りました。

 韓国を旅しているとときどきこういうものに出くわすことがあるのですが、私はほとんど興味がないので足を向けません。

 まあしかし、ともかくそのあたりまで歩いてみるかと行ってみると案内小屋があってアジョシ(おじさん)が一人、こちらを見つけて小屋から出てくるのです。

 そして見学時間などの説明をするので「カムサハムニダ」と言って別れようとすると、左前方の上陸用舟艇を指して「日本人でしょ。日本人ならぜひ見る必要がある!」と先導して歩き始めたのです。

     歴史資料・写真展示館

 私は武器やなにかの展示には興味はないので・・・と言いたかったのですが、そうも言えずに仕方なくついていきました。

 まあそのあたりまで行ってできるだけ早くこのアジョシと別れなければと思いつつ上陸用舟艇に着くと、がらんとした船腹のなかは写真の展示場になっていました。

 戦争の記録写真ならばまあ見ておくかといったぐらいの気持ちで入ったのですが、写真と説明文を見てそのアジョシが「日本人なら見る必要がある」と言った意味がわかりました。

 とともに私自身の不明を恥じたものでした。

 1899年の開港とされる群山は、それ以前から天然の良港とされ農水産物が取引される交易の拠点だったといいます。

 そして開港以来港湾都市として発展を遂げたとされるのですが、その背景には後背地に広がる湖南地方(全羅道一帯)の「米」があったというのです。

 その米を日本に運び出す港として群山港が開かれたというわけです。

 1930年代の群山は仁川港や釜山港をしのぐ朝鮮米の輸出基地となり「日本による収奪を最も象徴する都市となった」(鄭 銀淑「韓国の『昭和』を歩く」)ということです。

 開港後各国の租界もつくられ、とりわけ日本の植民地支配によって「大和町」「旭町」など、日本人の大地主や豪商などの家々、商店などが軒を連ねる街が出現したのでした。

 写真の展示を見てまわるうち、こうした朝鮮米のなかでもとりわけ優良な品質の米のほとんどは日本にむけて「出荷」されたことや最も多い時には朝鮮でとれる米の半分以上は日本によって「奪われた」という歴史に行き当たることになりました。

     展示から・日本への米の積出港、群山


 案内所にいたアジョシが「日本から来たのなら見ておく必要がある」と言った意味がわかるとともに、重く胃の辺りにしこりとなりました。

 かつての日本帝国主義による朝鮮の植民地支配についてはさまざまに語られていますが、こうした食料の収奪基地として、当時の朝鮮の人々の「食」の大半を奪ったという意味においてどれほどの辛酸をもたらしたのか、私たちは想像力を失ってはならないと痛切に思いました。

 「食」を奪うというのは生存の最も基本的な条件を掠め取っていくことにほかなりません。

 もちろん買い取ってきたのだという主張があることは承知しています。

 しかしほんの少しでも歴史の事実に分け入ると、その「買い取る」行為がどれほどの強権と暴力的な農地の奪取、不等価交換でもって行われたのかを知ることになります。

 また、いまでもなお群山に残る、かつての日本人の大地主や豪商の邸宅(跡)などを目にすると、ここがいかに日本にとって富と権益を生む地であったのかがうかがわれます。

 ソウルではたとえばかつての「朝鮮総督府」の取り壊しに見られるように、「旧日帝時代の残滓」を示すものは消していくという方策が採られましたが、群山ではかつての日本家屋のいくつかを修復して保存していくという取り組みが行われています。

   旧日本家屋の補修工事      旧日本家屋の補修工事


 もちろん韓国を象徴する首都ソウルと人口30万ほどの地方都市という違いは無視できませんが、時代の移り変わりの中で、かつての歴史を客観化することで「民族にとっての屈辱の歴史」を記憶にとどめる取り組みにも幾分かの変化が生まれているのではないかと感じました。

 群山には韓国に残る唯一の日本式寺院、東国寺(当時は金光寺)があります。

 日本支配時代、韓国各地に神社が作られたことはよく知られていますが、ここには日本から建材を運んで寺まで作られたというわけです。

 またこれほどの重要な権益の地であった群山に鉄道の支線の駅しか作られなかった背後には、全州を押さえた「三菱」と群山の「大倉」と、それぞれ巨大な農場を持つ二つの財閥の争いがあったことを知ると、なんでもない地方都市の風景がまた違って見えてくるのでした。

 同時に、歴史を前にして謙虚にたたずむ重要性をあらためて知ることになりました。

※ 画像をクリックしていただくと拡大して見ていただけます。













posted by 木村知義 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年03月22日

続々李明博政権一年の韓国を歩いて 〜韓国のオールドジャーナリストとの対話〜

 韓国のオールドジャーナリストとの対話(承前)

 ローソクデモ、キャンドル集会に集まった主婦たち、女性たちは、日本で一般に伝えられているように、米国産の牛肉の安全性の問題だけで立ち上がったのではない。
 就任5ヶ月未満で李明博大統領に、李政権に明確に「アウトを宣告!」したのだ。

 だから李大統領が危機感を抱いたのだ。

 私は毎日、日本のテレビニュースを見ているが、ソウルにいる日本の特派員たちは何を見ているのだろうと思うことがある。

 たとえば北のミサイル発射問題もそうだ。北のミサイルはアメリカにとってどう脅威なのか、日本にとって本当に脅威なのか。これは政治的にどういう意味を持つのか、どう読むべきなのか、一体何が問題なのか・・・。北が何を考えているのかについては、ほとんど語られていないし報道されてもいない。

 南北関係がこじれ、厳しい対立状況になってきた背景にはアメリカの存在があることを忘れることはできない。

 また、日韓の間にも、かつて独裁政権下であったような地下の深いところでの関係がまたよみがえってきている。

 韓国国内の問題が深刻になるにしたがって、外に敵をつくるしかなくなってくる。北もまた同様だ。西海(黄海)の「北方限界線」(NNL)での衝突のようなことが起きればどういう事態になるかわからない。

 朝鮮半島というのは地政学的にも本当にむずかしいところだと思う。
 
 アメリカと中国という二つの大国の狭間にあって、自らのアイデンティティーはしっかり持っていたいと考える。長い間中国の精神文化の影響の下にありながら、自分自身の文化、文字を作り出した。北のようにアメリカとも「喧嘩」するということもやる。

 しかし、ローソクデモ、キャンドル集会の広がり、盛り上がりのなかで、それに対抗する旧来の保守陣営の集会では星条旗を振る者が出てきた。日本との関係で言えば、日の丸を振る人間が出てきかねないということだ。

 一方、韓国社会の中の反体制の動きに対しては民主化政権の時代をもふくめて、検察、警察、そして国家情報院(元中央情報局=KCIA)が活動をやめたことはない。
 そしていままた国家情報院が表面に出てきた。
 
 政府と民衆が非常に厳しい対決になるという予感を抱かざるをえない状況だ。
 
 だからこそ李大統領は危機感を募らせ、メディアの掌握に焦っているのだ。

 韓国の新聞の発行部数で7割を占める、朝鮮日報、東亜日報、中央日報の三紙は押えた。 
 聨合通信(YTN)やKBSは大統領側近で掌握・・・。
 そしてMBCには去年、米国産の牛肉問題について報じた「PD手帳」(MBCで放送されている調査報道番組)に対して放送通信審議委員会から「謝罪命令」という懲戒処分が下されるという事態になった。
 そうした圧力に抗してMBCの人々ががんばっている。
 新聞では京郷新聞やハンギョレ新聞ががんばっているが、今後どうなっていくかはわからない。

 李政権の今後の4年間は、南北関係、アメリカのオバマ政権のアジア政策、そして経済・・・と変数が多く、読みきれないところがある。

 アメリカもサブプライムローン問題に端を発する経済危機でこんな状況になるとは予想できなかったかもしれないが、「カネと軍事」の問題がある以上、それを維持するためには、オバマ政権といえどもブッシュ政権時代とそれほど変わることはできないだろう。

 その意味ではアメリカとは恐ろしい国だといわざるをえない。

 韓国のエリートたちの9割以上はアメリカ留学組だ。アメリカ流の経営学を学んできたといった人たちばかりだ。
 
 一方、金大中、盧武鉉政権から李明博政権への転換を後押ししたのはかつての反共教育を受けてつくられた意識を持つ、私たちと同じ世代の人々だった。つまり旧来の既得権を取り戻したい、あるいは保証してもらいたいと考える人々だ。
 
 その意味では韓国社会は依然として「世代間戦争」「地域間戦争」が終わっていない。

 底辺には教育の問題があるといわざるをえないが、まさに「南々葛藤」(韓国社会内の亀裂、対立)の激化ということになる。

 こうした状況に対して、知識人たちはどうなのかといえば、韓国ではそうした知識人やジャーナリストが共に手をつなぎ、意見を交わし、研究、議論する活動がほとんどない。
 
 半世紀にもわたる反共教育や過去の独裁政権下という歴史のなかで相互に信頼し連帯する難しさに苦しんできたということかもしれない。

 また、いま在野に政治的なリーダーを見出すことが、なかなか難しいといわざるをえない。

 かつて大きな役割を果たした「参与連帯」なども、よくはやっているが、昔のようではない。

 そんな中で、私が信頼する人はと問われれば、「創作と批評」を主宰している白樂晴氏ということになる。
 いまの韓国社会で信頼できる知識人だと思っている。

 それにしても、いまの李明博政権と韓国社会を見ると、ふたたび民主化のたたかいが起きても不思議ではない状況だ。

 にもかかわらず、韓国の新聞読者の7割を持つ三紙の権力に対する批判精神は、いまはまったくない。ジャーナリストの批判精神は死んでしまったといわざるをえない。

 そうした状況だけに、メディアは、ジャーナリストの責任は重いというべきだが、私自身こうした状況にどう立ち向かえばいいのか本当に言葉に詰まる・・・。


 韓国のオールドジャーナリストとの対話で語られた、李明博政権一年の韓国の現在(いま)ということになります。

 もちろん、語られたことはもっともっとあるのですが、その骨子をまとめてみるとこうした内容になります。

 しかし、ここに語られたことからだけでも、普段日本のメディアで伝えられることでは見えてこない、韓国社会の現在の「もうひとつの貌(かお)」というものが浮かび上がってくる思いがします。

 話の最後のほうでふれられた白楽晴氏について少しばかりの注釈をしておくなら、白氏は1938年生まれ、米国のブラウン大学とハーバード大学で学び、ハーバード大学博士。
 
 「いま分断体制の解体期を生きている」として、朝鮮半島の「分断構造の克服と平和統一」を追求する立場からその具体的方法として「市民参加型統一」論を構想、世に問い続けてきた韓国を代表する知識人です。
 
 また、南北首脳会談5周年を記念して設けられた「6・15共同宣言実践のための南・北・海外共同行事準備委員会」の南側準備委員会の常任代表を、従来の統一運動のどの組織にも属してこなかったことから、推されて務めることになり、2005年に民間の統一運動の先頭に立つことになった人でもあります。
 
 さらにいうなら、白氏の父は朝鮮戦争のなかで北側当局によって連行され生死がわからないままとなっていたのですが、2000年の金大中大統領の北朝鮮訪問時に、死亡時期や状況はわからないながらすでに死亡していたことが判明したという、いわば「拉致被害者家族」としての境遇もかかえています。

 1966年『創作と批評』を創刊、朴正煕独裁政権に対する文化的抵抗拠点として刊行を続けましたが、1980年の光州事件後全斗煥政権により廃刊を余儀なくされ、その後87年に復刊を果たし現在に至っています。
 
 白氏の著作は『朝鮮半島の平和と統一〜分断体制の解体期にあたって〜』として昨年5月、わが友人である青柳純一氏の翻訳で岩波書店から刊行されています。
 非常に読み応えのある、内容の深い一冊だと思います。







posted by 木村知義 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

ホームページに新情報をアップしました

 ホームページの小島正憲氏の中国レポート「小島正憲の凝視中国」に新情報、「6月危機の打開策」を掲載しました。
 
 中国経済の「危機」や社会の「混乱」を予測する論評や言説が盛んに見受けられますが実際はどうなのでしょうか、いまこそ中国の実際に基づいた分析が不可欠です。
 
 中国の現場に立って目を凝らし、具体的な事実にもとづく分析、考察を重ねる小島氏のレポートが光ります。
 
 最新情報「6月危機の打開策」のページは


 http://www.shakaidotai.com/CCP023.html  です。
 
 ぜひお読みください
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2009年03月20日

続・李明博政権一年の韓国を歩いて 〜韓国のオールドジャーナリストとの対話から〜


 韓国のオールドジャーナリストとの対話から(承前)

 大先達ともいえるオールドジャーナリストとの対話は、李明博大統領の一年をどう見るのかということからはじまりました。

 開口一番、「不良大統領としか言えませんね」という辛らつな言葉がとびだしました。
 
 (この「不良」というのは日本語のニュアンスとはちょっと異なるように思いますが、含蓄のある表現だと感じました)

 以下は、韓国の政治や社会の変化を見つめ続けてきたジャーナリストが語った韓国の現在
(いま)です。

 ゼネコンで企業家として生きてきて、カネこそパワーという思考が身についてしまっている、力があれば何でもできると。
 
 しかもカネについて言えば、不正選挙で議員をやめざるをえなくなったという経歴もある。
 (注、1998年、選挙資金の「不明朗な処理」による選挙法違反で700万ウォンの罰金が科される前に議員を辞職)
 金持ちのための政治になっていて、ただ政権にしがみつくのみという絶望的な状況が起きている。

 そして、そのパワーを使って、いま一番狙っているのはマスコミ、メディアを握ることだ。
 
 本来、韓国社会に広がる格差をなくすことが緊急の問題であるはずなのに、そうした問題を報じるマスコミを叩いている。

 政権が代わったことでマスコミの経営幹部が政権支持の人々に代わった。同時にマスコミ出身者が与党、政府にも大勢入った。
 要はメディアを握れば安全だという発想なのだ。

 ローソクデモ(昨年5月、米国産牛肉輸入再開に抗議してはじまった市民の抗議デモ。全国で100万人が参加する大規模な抗議集会、デモに発展。牛肉輸入再開問題にとどまらず李明博政権に対する厳しい批判のうねりとなる)や龍山のデモ(今年一月に龍山地区の住民を強制退去させる際に6人が死亡した事件に対して市民による抗議と真相究明を求めるデモが続いた)に対する「報復」は凄まじいものだ。

 批判をマスメディアと検察で押さえ込んでいる今の社会に危機感を感じている。

 今また全国言論労組がストに入った。今、韓国では、権力からの言論、メディアに対する介入やメディアと政権の「癒着」に対する反対が高まっている。

 (注、日本ではほとんど伝えられていないが、2月26日に韓国国会の「文化体育観光放送通信委員会」にハンナラ党が野党の反対している「メディア関連法案」《言論関連法案》を単独で強行上程したため国会では民主党の議員らが委員会室を占拠するなどの混乱が起きた。「言論関連法案」は、現在、財閥系の大企業が放送事業を支配できないようにしたり、新聞社が放送局を占有できないようにしている「規制」をなくすことやインターネットへの監視と規制を強めることをめざすもので、放送労働者をはじめ新聞、メディア関係労働者の反対が高まっている。昨年十二月にもMBC放送の労働者をはじめ新聞、通信、放送の労働組合で組織する全国言論労組がゼネストに入って放送番組などにも影響が出ていた。その後「与野党合意」で「言論関連法案」の処理を一時的に先送りすることになり、今年一月にストライキが「暫定的に中断」されていたが、26日のハンナラ党による法案の上程強行に対してストを再開したもの。韓国でメディアをめぐってこうした問題が起きていることを日本のメディアはほとんど伝えていない。)

 考えてみると、李明博政権というのは、盧武鉉大統領の未熟な政治が残した遺産だといえるのではないだろうか。

 盧武鉉政権を支えた「386世代」は独裁政権時代に学生運動で闘ったが、闘争一辺倒に明け暮れ政治というものを本当にはわかっていなかった。
 そうした未熟さの反動で李明博政権が生まれることになってしまった。

 また、10年間の民主化の時代に慣れて、自由や民主をごく自然にあるものとして受け取る世代が出てきている。

 李明博大統領は清渓川(チョンゲチョン:ソウル市庁からほど近いところを流れる川だったが60〜70年代の開発により埋め立てられ、高架道が建設された。その川を復元し22の橋も復元されてソウル市民の散策の場となった。)だけを売り物に「経済は任せろ!」と出てきたが、清渓川復元で立ち退かされた人々がいまどうしているのかはわからない。
 
 私が言論問題で闘った朴正煕は軍事独裁政権ではあったが、彼なりに経済を復興させた。
 軍人出身ではあったが盧泰愚大統領はとにもかくにも金泳三に政権を譲って、民主化を認めた。
 金泳三にももちろん批判はあるが、それでも「軍閥」を排除して地方自治を育てた。
 そして金大中大統領は南北関係を打開した。

 しかし盧武鉉大統領はあまりにも未熟だった。李明博に政権を渡してしまったという意味で責任は重いといわざるをえない。
 
 李明博大統領についていえば、人は生きてきた道からはずれることはできない。閣僚や側近に抜擢した人々のほとんどは不正や不法の中を生きてきた人たちばかりだということが露呈してしまった。
 
 一方、李大統領を選んだ韓国社会に目を向けると、10年間の民主政権に慣れてしまって、生活もそれ以前とは比べものにならないくらい豊かになり、若い世代、特に学生たちの社会に対する関心、問題意識が薄れ「よい企業に就職する」ということが最大の関心事になっている。
 江南などの高級カフェの8割は学生で埋まっている状況だ。
  
 だからかつてのように学生たちが政治や社会のあり方について異議を申し立てる運動をしなくなった。
 
 その代わりにいま前面に出てきたのが女性でありとりわけ主婦たちだ。
 昨年のローソクデモでも主婦が立ち上がった。子供を連れ、家族ぐるみで街頭に出て、夜を明かした。

 政治家でもなく労働者でもなく、学生でもなく、主婦たちが立ち上がってあの全国の盛り上がりが生まれたのだった。

 私も行ってみて感動した。多くは30代、40代の主婦たちだった。

 そしてそのローソクデモ、キャンドルナイトがインターネットで全世界に中継されて世界が見ることになった。
 
 私よりもアメリカにいる友人のほうが集会のことをよく知っていたぐらいだ。

 あのローソクデモは、実は、かつての運動のような指導者、リーダーがいなかったのだが、インターネットを通じてあんなに広がり、うねりとなって盛り上がっていったのだ。

 女性たちが立ち上がった、それも主婦たちが、というのは韓国社会において刮目すべきことだと思う。

 今はまだ「寒い」けれども春になれば「4・19」が、「5・18」がある。加えて南北問題だ。

 李明博政権にとっては大変な状況になる。だから、いま、メディアを掌握しなければと焦っているのだ。(つづく)







posted by 木村知義 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年03月16日

李明博政権一年の韓国を歩いて

 書くべきこと、伝えるべきことが積もっていたのですが、ブログの記事がしばらく途絶えてしまいました。まず、お詫びを。
 さて、二月末、李明博政権一年という時期にあわせて、韓国に出かけました。
 韓国はほぼ一年ぶりでした。
 
 経済大統領を掲げてスタートした李明博氏でしたが、経済の冷え込みは考えていた以上でした。
 
 ソウルの明洞などの繁華街はまずまずの賑わいを見せていましたが、地方都市の活気のなさは驚くばかりでした。
 
 人口30万ほどの群山(ここはかつての日本ときわめて「縁の深い」町でもありますーこの問題については後にふれたいと思っています。)に足を延ばした際歩いた繁華街は、商店という商店はどこも客の姿が見えず、このままではいつまで店が持つだろうかと心配になるくらいでした。
 
 またあちこちにシャッターに閉ざされた店やショウウインドウの向こうに店の名残と思われる残骸が散らばったビルも散見されて、シャッター通りということばは日本だけのものではないと思わせられました。

 これまで韓国には30回以上出掛けていますが、どんな小さな地方都市でも夕方からは繁華街に大勢の人が繰り出して屋台や店が賑わい、その熱気がなんとも言えない韓国の街の魅力を醸し出していたものです。

 群山だけを見て地方都市のすべてがこうだとは言い切れませんが、垣間見た街の様子に、人々の暮らしが大変なこと、消費の冷え込みが深刻なことを痛感しました。

 さて、韓国に着いた日の夜、ちょうどテレビで李明博政権から一年を特集した番組を放送していました。
 キャスターが、政権発足後下がるばかりだった支持率が底を打ってこのところ上向いて最低の時期の二倍になったと持ち上げているのですが、よく聞いていると、二倍になったという支持率が34パーセントたらずだというのですから、なんとも言葉を失いました。

 現代建設の社長時代を模して「国家のCEO」になると豪語していた李大統領の顔色を失わせる深刻な状況だと感じました。

 いまや「747政策」などと言われてピンと来る人がどれくらいいるのでしょうか。
 
 この「747政策」は、2007年に5パーセントだった成長率を7パーセントに上げ、一人当たりの国民所得2万ドルを10年かけて4万ドルに倍増させて、世界第7位の経済大国にするというものでした。
 
 しかし現実はといえば逆に成長率は2.5パーセントに低下、今年は間違いなくマイナス成長と予想される状況です。
 
 李大統領就任当時の昨年2月、ラジオの朝の報道番組を担当していた私は、李政権誕生をテーマに取り上げた際、経済大統領を掲げてはいるがその経済がうまくいくとは考えられない、むしろ経済政策で苦しむことになるだろうという辛口の見通しを語る韓国の専門家の話を聞いたことを思い出します。

 ふり返ってみると、政権発足から3ヶ月にもならない5月には米国産牛肉の輸入再開に抗議する「ろうそく集会」が始まり、2ヶ月余りにわたる李政権への抗議のうねりに、6月には李大統領が国民に「謝罪」するという羽目に追い込まれたのでした。

 また、北朝鮮が核を放棄すれば一人当たりの国民所得を3千ドルに引き上げることを示した「非核・開放3000」政策への反発など、その後、南北関係の緊張も深まる一途という状況で、それまでの南北関係を考えると「いまは昔」という状況です。

 ちょうどこんな折の韓国行きでした。韓国では私の尊敬するジャーナリストの大先達に、ほぼ一年ぶりにお目にかかり、時間をかけて話を聴く機会を得ました。

 この方は韓国を代表する新聞社で外信記者として活躍し、沖縄、グアムをはじめベトナム戦争の取材に駆ける日々を重ね、その後、軍事独裁政権による言論弾圧に敢然と立ち向かって闘った反骨のジャーナリストでした。

 続けて、この大先達との対話から韓国の現在について報告することにします。(つづく)




posted by 木村知義 at 05:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年03月15日

さらに、ホームページのお知らせを・・・

 ホームページの充実をと考えていましたが各方面の方々のご協力をいただけるようになってきました。
 今度は中国での豊富な業務展開のご経験をお持ちの、小島正憲氏から寄せていただく中国レポートを「小島正憲の凝視中国」(中国ウオッチング)というページを設けて掲載させていただくことになりました。

 昨年、中小企業家同友会上海倶楽部の講演会でお目にかかり、その説得力あるお話に大いに教えられました。

 実は、昨年お目にかかる以前に、中国東北・長春で開かれた北東アジア投資貿易博覧会・国際フォーラムのあと吉林省琿春市を訪問して市長をはじめ市の経済部門の幹部と会見するとともに、中国、ロシア、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の国境地帯や税関、技術開発区などを見て回る機会を得たおり、そこに小島衣料が工場を展開することになっていると聞いていました。

 その小島衣料の経営に長くあたられたのが小島正憲氏であることを、昨年の会合で知った次第でした。

 小島衣料が上海をはじめとして中国に展開する合弁企業の従業員は1万人を超すと聞いています。

 また中国のみならず、東南アジアから米国におよぶ精力的な業務展開、市場調査、工場展開のための現地調査など、豊富な経験に裏打ちされた経済観、ビジネス観をお持ちです。

 そして、随時送ってくださる中国レポートに触発されながら、氏の情報収集力と分析力、なによりも現場に足を運び、現場で中国を見つめる行動力にあらためて敬服したものでした。

 中国の現場から発信される貴重な情報に接して、ぜひWebに掲載して広く伝えることができればと考え、お願いしたところご快諾いただきました。

 いまさまざまなメディアで中国情報が飛び交いますが、小島氏のレポートからは、既成のメディアでは伝えられない、まさに動く中国の生々しい姿が伝わってきます。

 企業人として多忙な業務を抱えながら、実にエネルギッシュに中国各地に赴き、現場で取材し、レポートを寄せてくださる氏の中国報告は、読者の皆さんにとって貴重な情報になると確信します。

 あらためて、レポートの掲載をご快諾いただいた小島氏に深く感謝の念を表しますとともに、ブログの読者のみなさんにもぜひお読みいただきたいと思います。

 なお小島正憲氏は1947年生まれ、現在は香港美朋有限公司董事長、ならびに中小企業家同友会上海倶楽部代表をつとめていらっしゃいます。

 なお、「小島正憲の凝視中国」掲載のホームページは以下のとおりです。
http://www.shakaidotai.com





posted by 木村知義 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年03月12日

お詫びを・・・

 ブログの記事がしばらく途絶えてしまいました。
 どうなっているのか!とお問い合わせを頂戴してしまいました。
 申し訳ありません。
 
 書くべきこと、伝えたいことが積もっているのですが、どうしてもまとめなければならないものを抱えていたため、ブログの記事が間遠になってしまいました。
 
 二月末には、李明博政権一年の韓国に出かけていました。

 今週末には記事をアップしますので、お待ちください。
 
 なお、このブログと並行して運営しているWebサイトもご覧いただければと思います。
 今年は、HPも内容を充実させていこうと考えています。
 3月はじめに新しい内容をアップしたHPも一度ご覧ください。
 サイトは以下の通りです。


 http://www.shakaidotai.com
posted by 木村知義 at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録