2010年04月08日

固唾をのんで見つめたニュースの行方は・・・

 4月も一週間が過ぎました。
 3月末から固唾をのんで毎日のニュースを注視していたのですが、結局「あの報道」はなんだったのだろうかと思う毎日が過ぎました。もちろん、今のいまも、突然のニュースが飛び込んでくるのかもしれませんが、しかし・・・です。

「あの報道」とは「金総書記訪中へ 非公式 今月後半で調整」という見出しが躍った毎日新聞3月3日(水)朝刊のスクープをはじめ、その後いくつかのメディアでも伝えられた一連の金正日総書記の訪中観測記事です。

3月末までに「訪中」がなかったためか、次には、4月はじめにという観測が流され、先遣隊が中国に入ったという「情報」まで伝えられました。

 金正日総書記の訪中があるとすれば中国の党、政府首脳との会見、会談が必須となるので、外国訪問が予定されていた習近平副主席の「日程」についての「質問」を中国外交部関係者に「当てて」探るという取材努力までしたあげく、金総書記の訪中観測をにべもなく「否定」されるなど、さまざまな「曲折」をへて、結局、大山鳴動して・・・の類に終わったというところです。

 ただし、今のところ、と注釈をつけておかなければなりません。
 
 朝日新聞は4月1日の朝刊で「韓国大統領府報道官は31日の記者会見で、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の訪中について『(近く実現する)可能性が高いとみて、鋭意注視している』と語った。北朝鮮は4月9日に国会にあたる最高人民会議の開催を予定しており、それまでの訪中の可能性を念頭に置いた発言とみられる。」と伝えています。

 ただし、この記事では、末尾に「一方で、北朝鮮核問題の停滞や金総書記の健康問題などを理由に、訪中を疑問視する見方も依然残っている。」とそれまでの記述をちゃんと?打ち消す一行も加えるという、なんともややこしい記事になっていました。

 で、8日の今日に至ると、この観測記事はもうハズレた、というべきですから皮肉なことに「訪中を疑問視する見方も依然残っている」という一行の方が正しかったというわけです。

 ところが、今現在、Web掲載のみで紙面(私がチェックしているのは、「朝日」の場合は、朝刊は14版、夕刊は4版です)では見当たらないという不思議さは残しつつですが、ご丁寧にも続報として「韓国の情報機関・国家情報院の元世勲(ウォン・セフン)院長は6日、国会情報委員会で証言し、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の訪中時期について『(最高人民会議が開かれる)9日以前に行かないのであれば、12日に胡錦濤(フー・チンタオ)中国国家主席の外遊日程もあり、4月末になるだろう』と述べた。『25日から28日までの間とみることもできるのではないか』とも語った。同委に出席した国会議員が明らかにした。」(web版2010年4月7日3時0分)とフォローしています。

 なにがなんだかわからなくなりますが、ということは、この報道に従うかぎり、少し日延べとなっているという程度のことなのかもしれません??

 また、「非公式」訪中というわけですから、中朝両国の情報管理が行き届いていて?!実は金総書記はすでに訪中しているが、メディアにはキャッチできていないということも皆無とはいえないのかもしれません・・・??

 しかし、常識的に考えると、一連の「金総書記訪中観測報道」はガセだった!というべきです。

 もちろん、メディアの報道の揚げ足取りをするためにこれを書いているのではありません。血のにじむようなあるいは地を這うような取材の積み重ねを要求される「現場」の努力を一切顧みず、いわば安全地帯からあれこれあげつらうというような態度をとるつもりは、少なくとも、私には、ありません。

 しかし、先月から、この動向を、まさに固唾をのむ思いで見つめていたのは私一人ではなかったと思うだけに、今回の一連の「北朝鮮報道」について、厳しい検証がなされてしかるべきだと考えます。

 一体何がガセだったのか?!なぜガセになってしまったのか、スクープが嘘報だったのはなぜなのか?!どこにその原因があったのかを突き止めることができるのは伝えた記者本人であるはずです。

 ことほど左様に「北朝鮮情報」といわれるものがいい加減で危ういということでは、我々がメディアの報道などをもとに何も判断できない、考えられないということになりますし、何を書いても「書き得!」、あとは野となれ山となれでは、ジャーナリズムの名に恥じる、もっとも唾棄すべきところにメディア自らが堕していくことになりかねないというべきです。

 一連の報道に実のある検証がなされることを切に期待しておきたいと思います。

 と、朝からここまで書いてきたところに朝刊が届きました。
 
 「朝日」一面の「北朝鮮『6者』前向き 予備会合支持、米は慎重」という見出しに目が釘付けになりました。
 ソウル発のこの記事では「北朝鮮が3月下旬に、核問題をめぐる6者協議の予備会合開催を呼びかけた中国提案への支持を表明していたことが分かった。」と伝えています。そして「米国が日韓など関係国に説明した内容を、協議筋が明らかにした」とソースも示しています。
 「これを受け、米国も北朝鮮の高官の訪米に向けた調整などを始めたが、直後に起きた韓国哨戒艦沈没の影響などで慎重姿勢に転じ、予備会合の開催は固まっていない。」ともしています。

 ただし、記事の中で北朝鮮が「中国提案への支持を表明していた」と表現しているところと「哨戒艦の沈没」とからんで米国が「慎重姿勢に転じ」としていることに、わたしはなんともいえない違和感を抱いたのでしたが・・・。

 この「違和感」についてだけでも、何ページもの紙幅を費やして書くべき問題だと思うのですが、今回はそのために書き始めたわけではないので、簡単に2点だけメモするにとどめます。(なお、不思議なことに朝刊一面記事であるにもかかわらず、いまのところWebには掲載されていません。先ほどの、金総書記の訪中観測の「フォロー」記事とは逆のケースとなっています。)

1.北朝鮮は予備会合の当事者であって、中国提案への「支持」を表明する立場ではなく、それに「合意」あるいは「同意」するのかしないのかというべきです。支持を表明するというときは中国が北朝鮮の態度にというべきで、一見言葉尻をうんぬんしているように見えるかもしれませんが、この情報への違和感をぬぐえません。

2.米国が「慎重姿勢に転じた」理由にふれて、韓国の哨戒艦沈没と北朝鮮のかかわりを何気なく匂わせるというトーンには、記者が韓国の「協議筋」と記している情報源による情報操作の色合いがにじみ出ているというべきで、この情報を漏らした目的に「不純」なものを否定できないというべきです。

 さしあたりはこの2点についてはきちんと検証されなければならないといえます。
 特に後者については、今回の哨戒艦沈没にかかわってさまざまな「不手際」が重なったことから、窮地に立った李明博政権の「情報操作」がとりざたされている状況で、沈没と北朝鮮のかかわりを、あるでもなくないでもないという曖昧さの中に落とし込んでおきたいという「見えざる意図」が強く働いていることを見落とすわけにはいかないと思います。

 わたしが接する韓国の人々の見方、感じ方からもこのことを強く感じます。さらにいえば、今回の哨戒艦沈没の原因は「単純であるがゆえに、より深刻だ」という観測もあります。

 北朝鮮にかかわる情報操作については、まさに魑魅魍魎というべき、ほの暗い世界が無限に広がっていることを知っておかなければならないと感じます。

 さて、金総書記の訪中問題に戻るならば、なぜ固唾をのんでニュースを注視していたのかといえば、まさにこの「6者協議」の行方を見定める上で決定的というか、無視できない重要性を帯びているからです。

 そこで、今回の「金総書記訪中」報道とかかわって、実はもっと大きな、注目すべき「スクープ」があったことを思い出さなければなりません。

 「金総書記の訪中観測」にさかのぼる2月23日(火)の「朝日新聞」朝刊一面トップを飾った「改革開放 世襲反対 核放棄 中国、北朝鮮に圧力 昨春の核実験直後」という見出しの大スクープ記事です。
 二面に続く解説記事では「『北朝鮮の経済体制は全面的に崩壊しつつあり、警戒する必要がある』中国共産党上層部は昨年12月16日、北京で政府系研究機関の研究者や当局者を集めた内部検討会議を開き、悪化する北朝鮮の経済状況を集中的に議論した。」というくだりにつづけて、北朝鮮のいわゆるデノミネーションの失敗や金総書記の三男ジョンウン氏への権力継承問題さらには1月に北朝鮮が発表した「国家開発銀行」の設立と外資導入問題にふれて書いています。

 この国家開発銀行については「中国の北朝鮮大使館で経済を担当する外交官が、人民日報系の国際情報紙・環球時報の取材を受けて詳細に説明している。」として、その説明では「経済開放を本格的に始める第一歩で、核問題を含めた安全保障の解決にもつながる」としていると書いています。

 しかし、続けて「ただ、こうした北朝鮮当局の主張に対し中国内には懐疑的な見方がある。中国共産党の対北朝鮮政策のブレーンの1人、張l瑰・中央党校国際戦略研究所教授は、北朝鮮が本気で開放政策を導入するのではなく、国連安保理の制裁で不足した外貨を一時的に補うのが目的だとみる。」として張教授は「北朝鮮の安全を保障するのは核兵器ではない。改革開放によって自国の経済を発展させることで、国民の支持を得ることだけだ」と批判している、と記事を締めくくっています。

 二面の見出しだけを拾ってみると「中朝ひそかな攻防」「核放棄・改革開放の圧力」「中国6者維持へ策」「石油止め復帰促す」「本心見えぬ北朝鮮」「『装った開放』の懸念」というものです。
 
 正直なところこの記事には驚きました。
 何に驚いたのかというと、中国が圧力をかけているということにではなく(それで北朝鮮が動くかどうか、もっと率直に言うと、従うかどうかは別にして、「圧力を加える」ことは想像の範囲ですから驚きはしません)この記事に、中国の北朝鮮関係の研究者それも「対北朝鮮政策のブレーンの1人」とされる人物が実名で登場していることにでした。

 昨年2月、北朝鮮情報を「漏えい」したとして日本でもよく名前の知られている研究者が身柄を拘束されたという情報が流れました。もちろん確認されたものではありませんが、この情報は中国が北朝鮮情報の扱いについて少なからずセンシティブになっていることを示したものとして注目されました。

 私のつきあいのある中国人研究者は、情報を漏らしたのはこの人物ではないといったのでしたが、何らかの形で北朝鮮情報が洩れたということは事実でありそれに対して中国当局が厳しく調査していることはうかがえました。

 また、北朝鮮情報を知りうる専門家、研究者は党の許しなしに党外の人物に北朝鮮問題について語ることは厳しく規制されているともいわれていました。

 したがって、こうした記事に、しかも単なる北朝鮮関連記事というレベルを超えて、政権の継承問題や核開発問題で中国が北朝鮮に対して圧力をかけていると伝える詳細な記事の中に、北朝鮮の実情と真意は・・・という形で、中国共産党中央党校の研究機関の教授が実名でコメントするというのは異例のことであり、常識的に考えればなんらかの「お墨付き」がなければ勝手にはできない「わざ」だというべきでしょう。となるとこの記事が書かれた背景は一体なんだろうかということを考えざるをえなくなります。

 さて、ここまで長々と書いてきたのは、いま書き続けているこのブログ記事に登場する韓国のオールドジャーナリストとの「対話」で、氏が、南北関係、北朝鮮の動向について、「李明博政権では動かすことができない。オバマ政権の現状を見ると米国も朝鮮半島問題に力を傾ける余裕などなく政権維持で精いっぱいだ。カギは一にかかって中国にある!」と鋭く断じたことに深くかかわるからです。

 かつて韓国を代表する新聞の外信部に身を置き、責任ある立場で仕事を重ねたこのオールドジャーナリストは、俗にいわれるような、北朝鮮に影響力を持っているのは中国だ・・・といったレベルで語ったのではありませんでした。

 もっと深く朝鮮半島の動向を洞察して、いま動きのとれない米国とまさに存在感を大きくする一方の中国という世界史的な構図の中で、北東アジアと朝鮮半島問題での中国の存在の重さとそれが果たすであろう「役割」さらにはそこで中国がめざすであろう「方向性」(意図)と選択肢について、深く考察、分析することこそが今後の北朝鮮情勢を判断するうえで不可欠になっているという、きわめて含むところの大きい、あるいは重い、示唆について語っているのでした。

 金正日総書記の訪中問題とは、実は、この問題設定への「解」がほの見えてくるということであり、それゆえに固唾をのんで注視しているというわけです。

 少し飛躍していうならば、北朝鮮と朝鮮半島問題への中国の決断とはどのようなものなのか、また北朝鮮はそれに対してどのような対策あるいは決断をもって向き合うのか、要はここに集約される問題が、多分、かなりの確率で見えてくるだろうと思うのです。

 もちろんその際のアクターの一人は米国であることはいうまでもありません。朝、中、米と、中国を中にはさむ国際政治の「ゲーム」が見えないところで熾烈に戦われ、展開されているということ、そしてその方向性がそれほど時をおかず見えてくるということだろうと思います。

 さて、残念ながら、この構図のなかでは韓国もそして日本もリアクターではあってもアクターではない、という実は深刻な問題が横たわっているというべきです。

 韓国のオールドジャーナリストとの対話に読み取るべきことはそのことでもあると痛感したのでした。

 さてそれにしても、メディアの伝える北朝鮮情報の危うさ、不確かさをのりこえる真剣な努力がなされないと、「リアクターからアクターへ」などと考えてみても、一歩たりとも踏み出せないことを、いま私たちは肝に銘ずるべきだと考えます。

 その上で、朝、中、米の「ゲーム」の構図を真剣に見据えるならば問題の所在あるいは争点はもう明確に絞られているというべきです。

 メディアが決まり文句のようにいう「米朝の溝は広くて深い」というような評論家然とした言説で事足れりというものではなく、なすべきことは明らかというべきです。

 北朝鮮の主張への賛否や好悪をあれこれいうのではなく、問題は、北朝鮮の主張が何であり、米国が主張するのは何かというところを見据え論点のありかを明確にすれば、何をどうしようとも動かせないものは動かせないということがわかってくるのです。逆にいえば、何をどうすることで事態は動くのかがはっきりするというわけです。

 そのためには北朝鮮が何を主張しているのかを冷静に見極める必要があります。

 近いところでいうと、ひとつには朝鮮中央通信が3月16日付で報じた「備忘録」がありますし、もうひとつは3月末にバンコクで開かれたIPU列国議会同盟第122回総会での朝鮮最高人民会議代表団団長の洪善玉最高人民会議副議長の演説があります。

 この演説で洪善玉副議長は「現在、朝鮮半島と地域の平和と安全保障で提起される根本の問題は朝米の敵対関係を終息させることである」として「米国の持続的な核の脅威に対処して自国の自主権と生存権の守護を目的にやむを得ず核の保有を選ばなければならなかったわれわれにとって、平和と安全保障問題は死活の問題として提起されている」「深い不信が根付く朝米の敵対関係を終息させる活路は、朝米間に平和協定を締結し、互いの信頼を築くところにある。6者会談が停滞しているのもまさしく、朝米間に信頼がないためである。」と述べています。

 また、「備忘録」では3月に行われた米韓共同の軍事演習「キー・リゾルブ、フォールイーグル」を非難するとともに「米国の現民主党政府は、就任前から対朝鮮政策で『変化』を提唱した。しかし、それは虚構にすぎなかった。」「昨年、米国が非核化のための会談再開を請託し続けるので、まず朝米会談を行ってみて米国が朝鮮を圧殺しようとする意図を改めたのか確かめた後、多者会談にも臨む意向を明らかにする『最大の雅量』を示した」「新年には、平和協定締結で戦争状態に終止符を打ち、信頼を築いて非核化をはじめ朝米間の諸問題の解決を前進させることに関する提案も打ち出した。しかし、米国は合同軍事演習で核の脅威を極大化し、朝鮮大豊国際投資グループと国家開発銀行の活動に嫉妬して経済制裁のさらなる強化に進んでいる」と米国を非難しています。

 そして「戦争か平和かという最も根本的な問題を抜きにして、朝鮮半島問題のいかなる解決も期待できない。米国は、核問題の軍事的・政治的根源である朝米間の戦争状態、敵対関係を解消して信頼を築くための実質的な措置を講じなければならない」と主張しています。

 繰り返していいますが、北朝鮮側の主張をそのままよしとするのかどうか、あるいは好悪の感情を抱くかどうかということが問題なのではなく、この指摘と主張がなされているという現実をふまえて、では何をどうすれば事態を動かすことができるのかということです。

 少なくとも、6か国協議を重ねてきた結果、このままでは北朝鮮としてはもはや得るものは何もないと断じているわけで、もし事態を動かそうという意志があるなら、残されるのは、米朝の直接対話による「戦争状態の終結」という道しか選択肢はないということです。

 もちろん戦争もまたやむなしということであれば別ですが、朝鮮半島のみならず北東アジアにおよぶ「災厄」の甚大さを考えれば、事実上、そのような選択肢はありえないことは明白です。

 とするならば、事はすでに煮詰まったというべきです。そのために、米国、中国がどう動くのか、それがいま試されているというべきです。

 現実主義ということばを、いまこそかみしめて考えてみなければならないと思うのです。

 また、そのような選択によってこそ、北朝鮮が主張することが本当なのかどうか世界注視の場で試されることになるという意味で、本質的に厳しく北朝鮮に迫るという構図をもたらすものだということです。

 韓国の李明博政権のいう「グランドバーゲン」なるものこそが、一見耳にここちよく響きながら実は現実離れした、ある種の「観念論」にすぎないことがわかってきます。

 交渉や協議というものは相手があることだということを忘れ自己の好悪や賛否でしか物事を考えられないとき、アクターであることを降りなければなくなる、それが国際政治の「ゲーム」というものです。

 もし相手が気に入らないのなら、本質的に相手を追いつめるということはどういうことなのかという現実的な判断ができなければ勝負にならないというべきでしょう。

 重ねていいます。この北東アジアで、またふたたびの戦争をしようというのなら別の選択肢があるかもしれないが、そうでないのであればとるべき選択は自ずとあきらかだというべきでしょう。

 メディアもまたこのことを率直かつ正直に語らなければならないと思います。

 すでに問題の所在は煮詰まり、動かし難く明白になっているということを直視すべきです。



posted by 木村知義 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年03月18日

(続)G20の韓国、もはや弱者ではない韓国に何を見るのか

 韓国で大先達ともいえるオールドジャーナリストに会って話を聞き、繁華街や書店などを歩き、ソウルの街角に立って、いま韓国で進行する李明博流の「新自由主義」ともいうべき問題を見つめることになったのですが、問題意識はこうした状況に対峙する側の「現在」はどうなっているのかということに向かいました。

 「予想していたよりもメディアの掌握がすすんだ・・・」と、このオールドジャーナリストは顔を曇らせました。
 
 李明博大統領と親密な関係にあるとされてきたキム・ジェチョル氏がMBCの新社長に選任されたのは、私がソウルに着いた前日のことでした。
 キム・ジェチョル氏は高麗大学を出て1980年にMBC(文化放送)に入り東京特派員や国際部長、報道制作局長などを歴任して清州文化放送の社長を務めてきた人物で、「李明博大統領と親密なよしみで知られる・・・」とメディアが伝える存在でした。

 こうした政権によるメディアの掌握に加えて、野党や市民団体など在野の反対勢力の後退、かつて力を持ったネットによる対抗世論の形成も弱体化したことなど、李政権に向き合う側の後退を深く憂う話が続きました。

 「学生たちはどうなのですか・・・」という私の問いに対して、「いま若い世代は、どうすればよい企業に就職できるのか、いい暮らしをするためには・・・と、カネにばかり目を向ける風潮で、ある種の拝金思想が蔓延している・・・」と一層顔が曇るのでした。
 
 ある意味では韓国の社会をけん引してきた学生運動の崩壊という時代を迎えていることを痛感しました。

 韓国流あるいは李明博流の新自由主義が、いま、韓国社会を大きく変えようとしていることを感じます。

 「軍事独裁政権からの民主化を目指してきた民衆が60%ほどの民主化で安住してしまった。昔の民主化運動の闘士たちも年をとって生活に追われている。民衆の力というのは一度失われると取り戻すことがとても難しくなる・・・」ということばに、いま韓国社会が直面している問題の重さを考えさせられました。

 語の正確さということでいえば、開発経済学の厳密な概念規定から外れるかもしれませんが、私は今回の韓国行きで、「take off」ということばを思い出すことになりました。

 「李明博エンジン」をふかして轟音とともにいままさにテイク・オフ(離陸)しようとして重力と上昇力が拮抗してせめぎあう中にある、そんな韓国社会というイメージが脳裏に浮かんだのでした。
 
 引力を振り払うことができず失墜するのか、重力に勝ってそれらをねじ伏せるようにして飛び立つことができるのか、それはまだわからないのですが、ものすごい轟音の中に軋むような音や叫びが聞こえてくるように思ったものです。

 それにしても、これまた学問的な市民社会論の定義づけがどういうものかは置くとして、少なくとも軍事独裁政権とたたかって民主化を手にしてきた韓国民衆の歴史を考えるなら、日本などよりずっと市民社会の礎がしっかりと組み上げられていると感じていた韓国社会に、こうした時代の転換点が訪れていることを考えると実に複雑な思いにならざるを得ないのです。

 それはつまり、戦後日本の社会を激しく揺さぶった60年安保をへて高度成長に向かう中で労働組合がどんどん御用組合化していき実体的には企業経営の補完物でしかなくなり、ライシャワー路線といわれる、いまふうにいえばソフトパワーの「吸引力」に吸い込まれ、かつ蚕食されて、文化、学術、言論の「牙」がすっかり抜かれて「豊かで平和な社会」への道をたどった、まさに、日本の「いつか来た道」を髣髴とさせるものであるわけで、いうならば「成熟社会」にむかうということはなべてそういうものなのだろうか・・・という根源的な重い問いにぶつかるものでした。

 韓国の地を初めて踏んだのが1992年と、実に「遅れてきた青年」とでもいうべき韓国との出会いの中で、時代とともに変化していく韓国社会を見つめながら、どれほど「近代化」の波が押し寄せても若いオフィスレディたちが街の屋台を囲んでトッポギをつつくうちは、私は、韓国は大丈夫だと思う・・・などと奇妙なロジックと表現で周りの人たちに韓国社会への思いを語ってきたのでしたが、今回、一年ぶりに訪れたソウルの鐘路の街角からはそうした「風景」が消えつつあることに気づいて愕然としたのでした。

 鍾路の舗道からは屋台が消え、銀色に光るパイプで仕切られた花壇ともグリーンベルトともつかない空間が連なって実に無機質な歩道になっていることに、いまソウルに滞在してメディアにかかわる仕事に携わっている知人のことばで気づかされたのでした。

 そこに屋台があって人が雑然と行きかい、屋台を囲む温もりのある風景がごく普通のこととして記憶に焼き付いている私には、そこにあって当たり前と思い込んでいたため、それが「消えた」ことに気づけなかったというわけです。

 韓国社会はこれからどこへ向かうのか、深く沈潜する問いとして、胸の奥にこだますることになりました。

 「しかし・・・」とそのオールドジャーナリストはことばを続けました。「野党もそして学生運動も、あるいは参与連帯など細々と頑張っているものをのぞけば市民運動も、いずれも力を失っている韓国だが、女性たちには期待が持てるのではないか。いま、生活に密着して、経済やいのち、そして環境を考え、さらに生活に根差した政治のあり方を考えて、韓国社会を変えていくのは生活者としての女性の力だといえるのではないか・・・」遠くを見つめるようにしながら洩れたことばには、ここからが本当に韓国社会の問われるところだという思いが強く込められていると感じました。

 前のコラムに書いた韓国ドラマの続きに、再開発地域で追い立てを食う貧しい住民たちとともに歩む市長が「民主主義は政治や社会の問題ではない。人間が人間らしく生きるためのものだ」と若者に語りかけるシーンがありました。

 李明博政権がめざす「もはや弱者ではない韓国」にむけて飛び立とうとするいま、韓国社会が問われることになる問題がこのドラマから見えてくる思いがしたものです。

 そして、それは同時に、いま私たちがその前で立ち尽くしている「問い」でもあるのではないかと思うのでした。

 さて、こんなふに書き綴っている間にも、いくつか韓国社会の現在(いま)について伝えるニュースが韓国国内で報じられています。そのうちのいくつかをメモしておきます。

 8日公表の経済動向資料で韓国経済研究院(KDI)は「最近の韓国経済は回復速度が正常化し、全般的に安定局面に差し掛かっている」とした。

 10日には李明博政権のチェ・ギョンファン経済知識部長官が国政成果評価討論会で「現政権が発足したのは世界不況の後遺症で難局が訪れた時期だったが、政府は死力を尽くし対処してきた。世界の評価は、韓国が前代未聞の経済危機から一番速く回復しつつあるという点で一致する。回復の段階で国民が底力を発揮することで、むしろ逆転する足場ができた。李明博政権のこの2年は、逆転の足場を築き、希望を芽吹かせる期間だった」と評価。

 その一方で、企画財政部と統計庁が16日に明らかにしたところによると、昨年の1人世帯と農漁家を除く全世帯に中産層が占める割合は、可処分所得ベースで66.7%で、前年の66.2%よりはやや上昇したが、6年前の2003年(70.1%)と比べると3.4ポイント下落したことが報じられ、全世帯のジニ係数は、2003年の0.277から、昨年は0.293に上昇(格差が拡大)。所得上位20%の所得を下位20%の所得で割った5分位倍率は、2003年の4.44倍から昨年は4.92倍に高まった。所得が中位所得者の50%未満の人の割合を示す相対的貧困率も、同期間で11.6%から13.1%に上昇したことが明らかになった。

 また前日、15日には、経済協力開発機構(OECD)がまとめた雇用動向で、韓国の1月失業率(季節調整値)は4.8%で、前月の3.6%から1.2ポイント上昇、上昇率は、調査対象22加盟国のうち最も高いことが伝えられる。

 さらに、フォーブスの世界長者番付で韓国人11人がランクインしたこともニュースになっています。

 ちなみに韓国人トップは資産72億ドルで100位に入ったサムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)前会長、次いで、現代・起亜自動車グループの鄭夢九(チョン・モング)会長が36億ドルで249位、サムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副社長が19億ドルで536位、教保生命の慎昌宰(シン・チャンジェ)会長とハンナラ党の鄭夢準(チョン・モンジュン)代表がそれぞれ16億ドルで616位、このほか、ロッテグループの辛東彬(シン・ドンビン)副会長と日本ロッテの辛東主(シン・ドンジュ)副社長がそれぞれ15億ドルで655位、新世界グループの李明熙(イ・ミョンヒ)会長が14億ドルで721位、現代自動車の鄭義宣(チョン・ウィソン)副会長が13億ドルで773位、LGグループの具本茂(ク・ボンム)会長とSKグループの崔泰源(チェ・テウォン)会長がそれぞれ11億ドルで880位。

 韓国の「財閥経済」の面目躍如という顔ぶれが並んでいます。

 さて、こうした李明博政権2年に見えてきた韓国社会の変化を背景に、オールドジャーナリストが「李明博政権には南北関係の改善と真面目に取り組む姿勢が見えない」と指摘した南北関係あるいは北朝鮮の動向について考えることが欠かせません。

 きのう(17日)、韓国の聯合通信は北京発で、「北朝鮮問題に詳しい外交筋」が「中国最高指導者の日程を勘案したところ、25日から30日の間に金総書記が訪中する可能性が大きいとみている」と明らかにした、と伝えました。

 そこでは「中国の指導部はこれまでも金総書記が訪中する場合には、中朝友好関係を踏まえ、その訪中期間に中国最高指導者の日程をほかと重複させることはなかったといわれる。また、金総書記訪中時の儀典責任者となる王家瑞対外連絡部長は、今月は海外訪問計画がない。20日からロシアやベイルート、フィンランドなどを公式訪問する習近平国家副主席も今月末に帰国予定で、これは金総書記と会う可能性を念頭に置いたものだという指摘もある。」とも伝えています。

 ソウルで会ったオールドジャーナリストの話をふまえて、南北関係、さらには朝鮮半島はどう動くのかという視野で続きを書くことにします。
 





posted by 木村知義 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年03月10日

「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・B
〜G20の韓国、もはや弱者ではない韓国に何を見るのか〜


 前回のコラムで、メディアでいわれる韓国経済の「V字回復」の実体について、鋭く、厳しい視線で語られる分析を紹介しましたが、もちろんそうした見方だけではありません。

 一方には英フィナンシャルタイムズ(FT)が伝えた「韓国はもはや勝ち目のない弱者(underdog)ではない」と題したコラム(2月25日)にみられるように、韓国の経済回復を称賛するものもあります。

 このコラムはFTのアジア担当編集長のデビッド・フィリング氏が筆を執ったもので、フィリング氏は冒頭でキム・ヨナ選手の活躍にふれながら「隣国である中国と日本の陰に隠れ、ほかの国々からは無視同然の扱いを受けてきたせいで自らを『勝ち目のない弱者(underdog)』と見なすことに慣れてしまったこの国にとって、スポーツの国際大会で勝つことはことのほか重要だ。しかし、韓国が弱者だという見方は実態にそぐわなくなりつつある。この国の人口はインドの20分の1にも満たないが、経済規模はほぼ同じだ。製品輸出額は英国のそれを上回る。英国がまだモノを作っていることを知っている人にとっては特に、これは意外なデータだろう。サムスンが貧しい人向けのソニーだと思われていたのはそれほど昔の話ではないが、同社は昨年、売上高で米ヒューレット・パッカード(HP)を抜き去って世界最大のハイテク機器メーカーに上り詰めた。今年の利益は、日本の電機メーカー大手15社による利益の合計をも上回る可能性が高い」と指摘しています。
 
  また、韓国電力公社コンソーシアムがアラブ首長国連邦(UAE)の原子力発電所工事を受注したことや、米国市場で現代(ヒョンデ)車がシェアを拡大している点を高く評価しながら「韓国は既に順調な成長軌道に回帰している」としています。

 さらに、購買力平価ベースで韓国の1人当たりの所得が2万8000ドルと「宿敵である日本」と5000ドルの差しかないとして「今や、長年追い求めてきた裕福な国という称号にもう少しで手が届くところにいる」としています。

 こうした韓国経済への評価と歩調を合わせるように、8日、聯合通信は、昨年の韓国経済は、経済協力開発機構(OECD)の30加盟国のうち3番目に高い成長率を達成したと伝えました。
 それによると、
 「OECDが8日までに各加盟国発表の国内総生産(GDP)速報値を集計した結果、韓国の昨年の成長率は前年比0.2%で、ポーランド(1.7%)、オーストラリア(1.4%)に次いで3位を記録した。GDP速報値が集計された国は21カ国だが、9月までのGDPなどを勘案すると、最終的に加盟国のうち成長率がプラスだったのはこの3カ国にとどまると予想される」として、主要7カ国・地域(G7)はそろってマイナス成長となったと伝えています。
 また、韓国の企画経済部関係者は「昨年の韓国経済は国際的に見た場合、実に善戦したと評した」とも伝えています。

 しかし私たちはこの経済成長率という数字ですべてを語ることの陥穽について、すでに、痛いほど学んできています。

 それよりも、フィリング氏の書く、これまでは「常に中国と日本に隠れて無視同然の扱いを受けてきた」と自ら考えてきた韓国が、経済や国際政治の面で成長し、「弱者の地位を抜け出すことになった」という指摘に注目すべきだと感じるのです。

 今回ソウルを歩いてみて、ここにこそ、まさに李明博政権が今何を求め、なにをめざしているのかの重要なカギがあると感じました。

 今回の韓国行では、開館したばかりの展覧館、チョンワデサランチェ(「青瓦台の居間」)に足を運びました。

    
 景福宮の北西の角、大統領官邸、青瓦台の前の公園の一角に開館したこのチョンワデサランチェは、パンフレットの表紙に「現代史が息づく歴史の現場」「国民とともに歩む開かれた広場」「健康で緑にあふれるグリーンスペース」という言葉が掲げられていますが、李明博大統領の広報館といった趣で、非常に興味深く見ることになりました。

 

  一階から順路に従って二階まで見て回ると、最後の部屋はG20の会議場を再現した部屋になっていて、このチョンワデサランチェには、フィリング氏のいうように、韓国が世界の強国として存在感を示すところに至ったということを、李大統領の手腕とともに誇るメッセージが強く込められていることが伝わってきました。

 また、「国民とともに歩んだ2年」と題した写真集も置かれてあり、「庶民派大統領」を強調する写真が並んでいますが、こうした展示や写真の数々を見ながら、一方で、韓国が、富国であり強国をめざす背後で今どのような社会を招きよせているのかに目を凝らし、深く吟味することも忘れてはならないと考えさせられたものです。

 
 
     ちょうど写真集に掲載されている報道写真の展示も行われていた
 
 そんな感慨を抱いているとき、偶然、目に入ってきた韓国ドラマで、ITを駆使した株取引で若き経営者としてのしあがり、新都市を創る野望に燃える青年が、再開発事業の邪魔になる住民たちの住まいを押しつぶしながら「貧乏人は、いつもそうなったことを他人のせいにする!貧困や自殺を他人のせいにするな。自分の無能さが原因なのに他人のせいにして文句を並べる。お前は金のある意味をわかっていない。金がないから庶民なのだ。韓国の人口は何人だと思うか?!5000万人だが、問題は富んだ500万人に入るかどうかだ。自分も500万人に入ろうとすればいいのだ!それもしない負け組が何を言っても無駄だ・・・・」と言い放つシーンに出くわしました。

 まさにドラマは社会の現在(いま)を映す鏡だと感じたものです。

 大先達であるオールドジャーナリストのことばの一つ一つをかみしめながら、政権が発展と成長を謳い上げる背後の、一見なかなか見えないところで、韓国流というか李明博流「新自由主義」の嵐がいま韓国社会を席巻していることを感じ、明洞の地下広場のホームレスや深夜、凍てつくような冷え込みの街路にうずくまる人々の姿を思い起こして、実にやりきれない思いになったのでした。
(つづく)



posted by 木村知義 at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年03月07日

「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・A 〜国民の希望、キム・ヨナ、そして国民の絶望・・・〜    ソウルに着いた27日(土)の朝刊はいずれも、キム・ヨナ選手の金メダル獲得を一面トップで(一面全面を占めて)報じていました。

     
  ハンギョレ新聞 2010.2.27         東亜日報 2010.2.27

 一般紙は当然のことですが、経済新聞もキム・ヨナ選手が一面全面を飾っていました。

  
毎日経済新聞 2010.2.27        韓国経済新聞 2010.2.27

 またテレビは「国民の希望、キム・ヨナ」あるいは「クィーン・ヨナ、君こそ大韓民国だ!」というテロップを掲げて長時間の特集番組を放送しました。

 国民にとってキム・ヨナ選手の金メダルが、いかに多くの人に喜びと感動、そして勇気づけられる「物語」をもたらしたのかを感じながらテレビを見ていました。

 その夜は、一方で、李明博政権2年を特集する番組も放送されました。
 そこでは李明博大統領は「よくやっている」と評価する人が49パーセントあまりという「世論調査」結果が示され、スタジオで視聴者を交えて識者が討論を重ねていました。
 昨年の同じ頃と比べると、一見、李政権の支持率は格段に上がり政策も着実にすすめられているように感じさせるテレビ番組でした。

 しかし、夜の繁華街に出てみると、昨年の同じ時期と比べると、にぎわいが回復していることは感じられるのですが、以前はソウル駅周辺の地下道に多くみられたホームレスの姿が、明洞周辺の地下街にも広がってきていることに気づきました。
 
 日本人観光客の買い物でも知られるロッテ百貨店から出てきた地下広場では、夜、ボランティアの若者が温かい飲み物などをホームレスの人たちに配る光景がみられました。
 
 段ボールの囲いをして横になる人はまだましなほうで、敷物もなくそのままコンクリートの上に横たわる姿も多く、ソウルの冬の寒さでは凍死する危険も大きいのではないかと心配になりました。
また、年配者だけではなく、若年層のホームレスが増えていることも気になりました。

 深夜の街を歩いてみると、昼間には見えなかった韓国社会のもう一つの姿が見えてきて、日本のメディアなどで伝えられる「韓国経済の活況」はいかにも浅く、単なる一つの側面でしかなく、重要なところを見落としていることに気づかされるのでした。

 このような韓国社会の実相を前にすると、キム・ヨナ選手を「国民の希望」と熱く語ることがまったく違った風景として見えて来るのでした。

 つまり、多くの人びとの失望や絶望の深さゆえに、いま、何かに希望を見出したいという強い欲求が働いて、こうした言葉が生まれているのだということに気づかなければ、韓国社会の現在(いま)を見間違える恐れなしとはいえないということです。

 実は、金浦空港に着いて、昨年と同じ銀行で円を両替した際、一年前より円高になっているはずなのに、受けとるウォンがほぼ20パーセントも少ない(ウォン高)ことに、なるほど韓国経済の「V字回復」だ!と驚いたのでしたが、街で目の当たりにした光景は、そうした、日本のメディアが伝える「V字回復」とは相当かけ離れたものだったというわけです。

 加えて、ソウルの街中ですすむ再開発のすさまじさです

 あちらでも、こちらでも臨時の高い囲いで区切られた中で、古い店舗や建物が取り壊されていてとにかく街中を少し歩けば、必ずといっていいほど再開発の現場に行き当たるという具合で、いささか辟易したというのが率直なところでした。

 さて、そこでまず、韓国の経済の現状について、一年ぶりにお会いした先達のジャーナリストの話と氏の論考をはじめとるする資料類をもとに「もうひとつの分析」について少しばかり書いておくことにします。

 「まったく、日本の田中角栄時代の土建政治そのものですよ!」と吐き捨てるようなことばが出たのは、鐘路タワーといわれる斬新なデザインのビルの前の交差点に立って、再開発区域の囲いに視線を投げた時のことでした。

 「政府はカネをばらまき、次から次と、土地と再開発などゼネコンのプロジェクトへ流れる。企業を支援することが雇用に結びつくとしているが、雇用には向かわず土地投機にむかうばかり。庶民の所得は増えず、物価は上がり、政府は失業者を百数十万人としているが実際のところ五百万人以上だろう。李政権は経済を回復させるというのが最大の公約だったが、富者はますます富み、貧者はますます貧しくなるばかりで、庶民の生活は苦しくなる一方だ。まさに格差の拡大を招いているだけだ。その間にも国家の財政は悪化して債務は増え続けるばかり。南北関係はやるつもりがなく、メディアを握りそれによって『世論』を支配し、民主主義はどんどん後退している。情報系統の支配が形を変えて蘇った。以前は中央情報部と保安司だったが、いまは検察と警察を活用する手法に変わっている。それにしてもメディアは政権に有利なことしか伝えなくなってきている。KBSに続いてMBCの社長も李政権の息のかかった人物になった。李政権の最大の支持メディアである朝鮮日報をはじめ各新聞も同じ流れにある。いまこの状況に抗っている京郷新聞、ハンギョレ新聞にしてもどこまで持ちこたえられるかというところにきている・・・」 

 席に着くと同時に堰を切ったように語りはじめたオールドジャーナリストの言葉には、朴正煕軍事独裁政権の苛烈な言論弾圧に抗して生き抜いてきた人生の重みと、いまだ衰えることのない、ほとばしるようなジャーナリスト魂がこめられていることを感じました。

 いただいた資料のなかに、ハンギョレ新聞に掲載された仁荷大学経済学部教授のユン・ジノ氏のコラムがありました。
 「世相を読む」というこのコラムでユン教授は、2月25日に就任から2年を迎えた李明博政権の「政策成果」について分析するとともに、今後の方向性について考察しています。


 ユン教授は冒頭で、李明博大統領が選挙当時に掲げた「747公約」にふれながら「この2年間の経済実績はとるに足らない(貧弱な)ものだ」とし断じています。

 この「747公約」とは、7パーセントの経済成長、一人あたりの国民所得4万ドル、韓国を7大経済強国へというもので、経済大統領を掲げて選挙戦をたたかった李明博氏を青瓦台の主に押し上げる上で大きな効果を発揮したといえるものでした。


 「経済成長率は2008年が2.2%、2009年は0.2%で平均1.2%水準にとどまっている。また、2009年末現在、一人あたりの国民所得は一万七千ドル(推定)水準で2005年の水準に後退した。名目GDP規模同様、2008年基準で世界15位と、とるに足らないものだ。株価指数が3000を突破するだろうと豪語したのも水の泡となった。747公約は失墜した。」 

 「もちろん、公正にいえば、とるに足らない(水準にとどまった)経済実績は、2008年の世界金融危機に主な原因があることは事実だ。政府与党は、むしろ景気回復の速度は他の国よりはるかに速かった点を主張した。しかし、すべてを経済危機のせいとばかり考えてはいられない。富裕層と企業にだけ恩恵が行く富者減税、大規模土木建設工事、主として投資による資源配分の非効率と成長潜在力の減退、社会福祉支出の現象と「職場(雇用創出)政策」の失敗など、いたるところで目につく、政策方向の設定と政策の失敗により、平凡な国民の苦痛が増している事実を無視してはならない。」
 
 このようにユン教授は警鐘を発しています。


 さらに続けて「所得分配と貧困指標はこの2年間で一斉に悪化した。所得配分の不均衡を示すジニ系数は、2007年の0.344から2008年には0.348に悪化し、相対的貧困率は、同じく17.5%から18.1パーセントに上昇した。我が国の全世帯の五分の一が相対的貧困状態にあるというわけだ。また失業者数は2008年1月の77万5000人から2010年1月には121万6000人と44万人も増加し、週に18時間未満の就業者、非経済活動人口の中の就業準備者、特別な理由なく休んでいる人など、事実上の失業者を合わせると実際の失業者は400万人をこえると推定される」と、韓国社会の深刻な格差拡大と失業者の増大の実態について語っています。

 私たちが日本の経済誌や新聞記事などで接している「韓国経済のV字回復」とはまったく違った、もうひとつの韓国経済と社会の相貌が見えてきます。


 「なによりも心配なことは分別のない財政支出により、これまで堅実な黒字を継続させてきた財政支出が2009年には10兆ウォン以上の赤字を出し、国家債務も急増して、2012年には470兆ウォンをこえるだろうという点だ。個人負債も同様に急増して700兆ウォンを突破したという報道もあった。「ペクス」(フリーター)400万人時代、700兆ウォンの個人負債、400兆ウォンの国家債務で、われわれは『747』ではなく『474』時代を生きているわけである。」と、
李明博政権の「747」公約をシニカルに批判し、
 「結局現政府の経済政策は未来の資源を先に引き出して、富裕層支援、財閥支援、四大江整備事業(サプチル:シャベルを使って土砂をすくう)などにジャブジャブ使っている計算で、これは未来の世代に大きな負担をかけることになるのだ。2012年末にある大統領選挙では747ではなく474問題を解決するという公約を掲げて出る候補者が当選するかもしれない。しかし、誰が次の大統領になるにせよ、結局474公約は、やはり守られないという“うそっぱち”として終わることになるだろう。」と手厳しく問題を指摘しています。

  
 私は日本で韓国がどう報じられているのか注意を払って見たり読んだりしていますが、ソウルに駐在している日本の記者たちはどうしてもっと深く韓国社会について取材しないのでしょうか・・・という、このオールドジャーナリストの問いかけに、私は答える術を持ちませんでした。

 韓国の現在(いま)の「もうひとつの貌」をめぐって、考えさせられながら街を歩き、そして、この大先達というべきオールドのジャーナリストの話に耳を傾けたのでした。
(つづく)



posted by 木村知義 at 14:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年03月06日

「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・@


  年明け以来、長くこのコラムを休んでしまいました。
 この間、何人もの方々から、どうなっているのかというお問い合わせをいただきました。
 また、お会いする機会のあった方からも、体調でも崩しているのかと尋ねられることもありました。
 ご心配をおかけしたことをまず深くお詫びします。

 研究会や会合などで忙しく過ごしていたことは確かですが、体調を崩すこともなく、ひたすら駆けずりまわっていましたので「長き不在」のわけは、なんらかの不具合があったということではありません。
 むしろ、書かなければならないと思うことは積もり積もっていたというべきです。

 しかし、またもやというべきか、こうして語り、メッセージを発して言説を重ねることの意味をひたすら考える日々となっていました。

 「理論は灰色だ、現実は緑なす樹だ」と言ったのは、革命家にして理論家であるレーニンだったと記憶しています。

 47巻にも及ぶ全集の並ぶ書棚を見るだけでも圧倒される膨大な論文を書き、論を重ねたレーニンが言うのですから、この一節の意味するところは実に重いと思ったことがあります。

 私たちの言説が、ただ現象や事象についてあれこれの解釈をしてみせたり「おしゃべり」するだけのものであってはならないという強い思いに、ただただ立ち尽くす日々を重ねていたのでした。

 何かを語ろうとする際、ここで言う「立ち尽くす思い」をどうのりこえていくのか、私にとって重い命題としてあり続けています。

 とりわけ中国や朝鮮半島を中心とする北東アジアを見つめ、その動きと向き合って立つ時、こうした思いは一層重くのしかかってくるのでした。

 また、私自身が長く身を置いてきたメディアのありようを見据え、考える時、単なる批評や評論ではなく、どのようにしてその「現実」を変えるのか、どのようにしてそのための実体ある力としていくのかを自身に問いかけることなく、何かを語ることに、深く逡巡する思いが募るのでした。

 そんな思いを抱えながら、先週末から慌ただしくですが、韓国・ソウルを訪ねて戻りました。
 
 ちょうど一年ぶりの韓国は、バンクーバーオリンピックのフィギュアで金メダルを獲得したキム・ヨナ選手の活躍に国中が沸き、李明博大統領が就任から2年、そして三・一独立運動の記念日「三・一節」を迎える時でした。

 大先達というべきオールドジャーナリストにお会いして、韓国の現在について時間をかけて話を聴くとともに、時間の足りない分はこれらを読み込むようにと準備してくださった新聞や雑誌の記事、そのほかの論考などの資料をいただいて戻りました。
 帰国してすぐ、まず経済にかかわる資料を翻訳して読み込んでみました。

 そこからは「韓国経済のV字型回復」の虚構性が垣間見えてきます。また、6月の地方選挙の行方、そして与党ハンナラ党が分裂するかどうかが、韓国の行方を占う当面の焦点だと語る、先達のジャーナリストのことばが重みを持って迫ってきます。

 コラムの「長き不在」を破って、そうした「現場」からのレポートを書くべく手を動かしはじめたのですが、ちょうどその時、重要な「呼びかけ」を受け取りました。
 まずはそのことから記しておかなければならないと考え、内容を変更してこれを書いている次第です。

 それは、高校無償化法案と朝鮮学校の問題です。

 韓国に出かける直前、この問題がニュースで伝えられました。
 結論からいうと、首相就任に際して「東アジア共同体」などというものを掲げた鳩山由紀夫という人は一体どういう思考構造を持っているのだろうかと驚くとともに、政権交代とは一体何だったのだろうかと、改めて考えさせられたのでした。

 以下は「高校無償化法案」をめぐって、記者がメモした、先月25日夕刻の鳩山首相との「ぶらさがり」の一問一答です。

―中井洽・国家公安委員長が朝鮮学校は支給対象外とするように要請しているが、総理の見解はどうか。

 「これはいま調整、最後の調整しているところと承っていますが、これはやはり、朝鮮学校の方々のどういう、いわゆる指導内容とかね、どういうことを教えておられるのかというようなことが必ずしも見えない中で、私はやはり中井大臣の考え方というのは一つ案だと考えております」

 ―具体的な対象についての総理の考えは。

 「方向性として、そのような方向性になりそうだというふうには伺っていますが、最後の調整だと思います」


 「最後の調整しているところと承っていますが・・・」「そのような方向性になりそうだというふうには伺っていますが・・・」などと、これが総理という立場にいる人間の言だろうかと唖然とするのは置くとしても、見識というものを感じることのできないこの「一問一答」はなんだろうと言葉を失いました。

 すでに報じられているように、今回の「高校無償化法案」の骨子は2010年度から、
(1)公立高校の授業料をとらない
(2)私立高校生には公立高校授業料と同等額の年約12万円を助成する
というものです。

 そして、国会での審議入りを前に、中井洽・拉致担当相が、在日朝鮮人の生徒ら(朝鮮籍、韓国籍の生徒がいます)が通う各地の朝鮮学校を対象にすることについて「制裁をしている国の国民だから、十分考えてほしい」と川端達夫文部科学相に要請したことで、朝鮮学校を対象とするのかどうかが論点の一つに浮上したものです。

 鳩山首相の記者との一問一答を目にすると(私は「ぶらさがり」の現場にいたわけではありませんが、多分このメモにあるとおりなのだろうと思います)彼の掲げる「東アジア共同体」などというものになんらの哲学も思想もなく、そして歴史意識のかけらもなく語られていたことが白日の下に曝されてしまったというべきですが、そんなことをあれこれ論評してみたところで、それこそなんの力にもなりませんので、今は、やめておきます。

 そこで、冒頭に書いた、私が受けとった「呼びかけ」と「共同要請」の本文を以下に記すことにします。


「共同要請」への賛同のお願い

私たちはこの間、外国籍の子どもたちの学習権を保障するためのさまざまな取り組みを行なってきました。そして昨年9月誕生した新政権に対しても、朝鮮学校や韓国学校、中華学校、ブラジル学校、ペルー学校など200校以上になるすべての外国人学校の処遇改善を求めてきました。
新政権が「高校無償化」制度を提起し、その中に外国人学校を対象としたことは、画期的なことです。しかし、朝鮮学校だけこの制度から除外しようとすることは、憲法および国際人権諸条約に違反するものであり、朝鮮学校に通う子どもたちの心を踏みにじるものです。
この共同要請書に、多くのNGO・市民団体・労組・諸団体および個人に名前を連らねてもらい、3月11日、政府に提出すると共に、海外の人権団体などに送付します。

要請書に賛同される団体・個人は、3月10日正午までに、団体名か個人名を、英語表記を併記して、下記のEメールアドレスまでお知らせください。
 school@econ-web.net(外国人学校ネット)
○また、賛同された団体は、各団体のウェブやMLで、この共同要請を広く発信していってください。

<呼びかけ>
外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク(代表:田中 宏)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2−3−18−52 在日韓国人問題研究所
電話03-3203-7575(佐藤)
〒160-0023 東京都新宿区西新宿7−5−3 斎藤ビル4階 みどり共同法律事務所
電話03-5925-2831(張)
〒657-0064 神戸市灘区山田町3−1−1 神戸学生青年センター
電話078-851-2760(飛田)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

内閣総理大臣 鳩山由紀夫 様
文部科学大臣 川端 達夫 様

<NGOと市民の共同要請>

私たちは朝鮮学校を「高校無償化」制度の対象とすることを求めます。
 私たちは、多民族・多文化社会の中ですべての子どもたに学ぶ権利の保障を求めて活動するNGOであり市民です。
 新政権のかかげる「高校無償化」制度においては、政権発足当初より各種学校である外国人学校についてもその範囲に含むことが念頭におかれ、昨秋、文部科学省が財務省に提出した概算要求でも朝鮮学校などの外国人学校を含めて試算されていました。
 ところが今年2月、法案の国会審議を目前にしたこの時期、新聞各紙では「中井拉致問題担当相が、4月から実施予定の高校無償化に関し、在日朝鮮人の子女が学ぶ朝鮮学校を対象から外すよう川端達夫文部科学相に要請、川端氏ら文科省の政務三役が検討に入った」(2月21日)、「鳩山首相は25日、高校無償化で、中井洽拉致問題担当相が朝鮮学校を対象から外すよう求めていることについて『ひとつの案だ。そういう方向性になりそうだと聞いている』と述べ、除外する方向で最終調整していることを明らかにした」(2月26日)と報道されています。しかし、日本人拉致問題という外交問題解決の手段として、この問題とはまったく無関係である日本に生まれ育った在日三世・四世の子どもたちの学習権を「人質」にすることは、まったく不合理であり、日本政府による在日コリアンの子どもたちへの差別、いじめです。このようなことは、とうてい許されることではありません。

 朝鮮学校排除の理由として「教育内容を確認しがたい」との説明もなされていますが、これは、『産経新聞』2月23日付けの社説「朝鮮学校無償化排除へ知恵を絞れ」にも見られるように、朝鮮学校排除のために追加された名目にすぎません。
 朝鮮学校は地方自治体からの各種学校認可や助成金手続きの際、すでにカリキュラムを提出していることからも、「確認しがたい」との説明はまったく事実に反します。また、日本のほぼすべての大学が朝鮮高級学校卒業生の受験資格を認めており、実際に多くの生徒が国公立・私立大学に現役で進学している事実からも、朝鮮
高級学校が、学校教育法第1条が定める日本の高等学校(以下「1条校」という)と比べても遜色ない教育課程を有していることを証明しています。

 そもそも、1998年2月と2008年3月の日本弁護士連合会の勧告書が指摘しているとおり、民族的マイノリティがその居住国で自らの文化を継承し言語を同じマイノリティの人びととともに使用する権利は、日本が批准している自由権規約(第27条)や子どもの権利条約(第30条)において保障されています。また、人種差別撤廃条約などの国際条約はもとより、日本国憲法第26条1項(教育を受ける権利)および第14条1項(平等権)の各規定から、朝鮮学校に通う子どもたちに学習権(普通教育を受ける権利、マイノリティが自らの言語と文化を学ぶ権利)が保障されており、朝鮮学校に対して、日本の私立学校あるいは他の外国人学校と比べて差別的な取扱いを行なうことは、そこに学ぶ子どもたちの学習権・平等権の侵害であると言わざるを得ません。
 「高校無償化」制度の趣旨は、家庭の状況にかかわらず、すべての高校生が安心して勉学に打ち込める社会を築くこと、そのために家庭の教育費負担を軽減し、子どもの教育の機会均等を確保するところにあるはずです。

 朝鮮学校は、戦後直後に、日本の植民地支配下で民族の言葉を奪われた在日コリアンが子どもたちにその言葉を伝えるべく、極貧の生活の中から自力で立ち上げたものです。いま朝鮮学校に通う子どもたちには朝鮮籍のみならず、韓国籍、日本国籍の子どもたちも含まれており、日本の学校では保障できていない、民族の言葉と文化を学ぶ機会を提供しています。
 このような朝鮮学校に対して、1条校と区別するだけではなく、他の外国人学校とも区別して、「高校無償化」制度の対象から除外する取り扱いは、マイノリティとして民族の言葉・文化を学ぼうとする子どもたちから中等教育の場を奪うものであり、在日コリアンに対する民族差別に他なりません。
 去る2月24日、ジュネーブで行なわれた国連の人種差別撤廃委員会の日本政府報告書審査では、委員たちから「朝鮮学校は、税制上の扱い、資金供与、その他、不利な状況におかれている」「すべての民族の子どもに教育を保障すべきであり、高校無償化問題で朝鮮学校をはずすなど差別的措置がなされないことを望む」「朝鮮学校だけ対象からはずすことは人権侵害」などの指摘が相次ぎ、朝鮮学校排除が国際社会の基準からすれば人権侵害であることはすでに明らかになっています。

 外国籍の子も含めてすべての子どもたちに学習権を保障することは、民主党がめざす教育政策の基本であるはずです。私たちは、朝鮮学校に通う生徒を含めたすべての子どもたちの学習権を等しく保障するよう強く求めます。

2010年3月10日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、友愛などという、政治の場では口に出すのも面映ゆいスローガンを掲げる鳩山首相。
 「友愛」の実のあるところを見せることができるかどうか、はなはだこころもとないのですが、ただ待っていても実現しそうにありませんので、ここは意を決して、この「呼びかけ」と「要請文」をできるだけ多くの人びとに読んでいただこうと思い、これを書きました。 

 このあと、ソウル・レポートを続けますが、まずはここまでにします。



posted by 木村知義 at 17:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年01月02日

ホームページをお読みください!

 この間、ホームページについてお知らせするのがおろそかになっていましたが、小島正憲氏からのレポート「小島正憲の凝視中国」に、切り口の鋭い論考が続々届いて、それぞれWebに掲載しました。

 中国関連の書物についての「感想」も、書物の感想の形を取りながら、じつに鋭く興味深い「現代中国論」が展開されています。
 
 お正月の、時間のあるうちに、ぜひ、ご一読ください。


 Webのアドレスは以下の通りです。
 http://www.shakaidotai.com/CCP078.html
posted by 木村知義 at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年01月01日

考えるべきことは何なのか〜元日の社説を読んで考える思考のベクトル〜

 2010年の夜明け、東京ではおだやかな空に陽が昇り、雪をかぶった富士山がくっきりと望めました。

 日中も気持ちのいい日差しがふりそそぎ、ゆったりした気持ちで過ごせました。

 しかし、朝から新聞五紙を並べて読み比べながら、どうも釈然としない問題につき当ってしまいました。

 いま日本が、あるいは私たちが大きな転換期にあることはいうまでもないことですが、とりわけ今年は日米関係にかかわって、単に外交、国際問題にとどまらず、国内の社会あり方との連関で論を展開していく論調が目につきます。

 企画記事もそうですが、社説にそれが顕著に表れているように感じます。

 普段はそれほど熟読しないことが多いのですが、年の初めということもあり、各紙の社説をじっくり読んでみました。

 まず、社説のタイトルを挙げてみることにしますが、産経だけは、普段の「主張」ではなく、一面に、「年のはじめに」として、論説委員長が筆をとって、「国思う心」が難局を動かす、と題した論説を掲げています。

 それ以外の各紙はいつもどおり「社説」を掲載しています。
 そこで社説のタイトルを見てみますと以下のような具合です。

 激動の世界で より大きな日米の物語を(朝日)

 ニッポン漂流を回避しよう 今ある危機を乗り越えて(読売)

 2010再建の年 発信力で未来に希望を(毎日)

 未来への責任 繁栄と平和と地球環境を子や孫に(日経)

それにWebで読んだ東京新聞の社説は、

 年のはじめに考える 支え合い社会の責任

となっていました。

 それぞれの問題意識の根底には、安全保障と日米同盟の問題が大きな位置を占めていることが見えてきます。

 そこで、釈然としない問題とはどういうことなのかです。

 たとえば、「続く地殻変動の中で、日本はどうやって平和と繁栄を維持し、世界の安定に役立っていくのだろうか」というくだりについては大いに問題意識を共有するのですが、その先に「いざというときに日本を一緒に守る安保と、憲法9条とを巧みに組み合わせる選択は、国民に安心感を与え続けてきた。そして今、北朝鮮は核保有を宣言し、中国の軍事増強も懸念される。すぐに確かな地域安全保障の仕組みができる展望もない。米国にとって、アジア太平洋での戦略は在日米軍と基地がなければ成り立たない。」と展開していく論理についてです。

 あるいは「鳩山首相が言うように、米国依存を改め、対等な関係を目指すのなら、北朝鮮などの脅威に備えた自主防衛力の抜本的な強化が必須となる」と論を展開しているものありました。

 いずれにしても、日本の周辺での脅威として中国や北朝鮮があるがゆえに、日米安保の重要性があるのだというわけです。

 至極ごもっともとする論調が大勢を占める中で、わたしはやはり釈然としなくなってしまうのです。

 北朝鮮や中国の存在が脅威だとするなら、軍事的にそれらを凌駕することを考えるのが「安全保障」ということになるのか、という問題なのです。

 年のはじめから、そんなに愚直で素朴なことでいいのか!と叱られるかもしれませんね。

 しかし、ここは普通の人間の、ふつうの感覚で、考えてみようと思うのです。

 たとえ、普通の人間の普通の感覚をバカにされてもです。

 あらためて、外交とは何か、であり、戦略とは何であるのか、です。

 ここはあえて「素朴な話」にします。

 脅威があるのなら、どうすれば脅威でなくなるか、脅威が減っていくのかを考えることこそが大事になるのではないでしょうか。

 こんなことは赤子にでもわかる論理です。

 しかし、あまりにも素朴すぎて、バカにされるのがオチということでしょうか・・・・・。

 あるいは、「有事の際に米国が日本を守り、その代わりに日本が米軍に基地を提供する、という相互補完関係・・・」という文脈では、有事にならないようにどう努力するのか、という問題の立て方にどうしてならないのかということです。

 あまりにもまともすぎてバカバカしい、ということであれば、そもそも外交とは何かという問題に答えてほしい、といわざるをえません。

 「脅威があるから・・」・という論の立て方は一見もっともらしいのですが、そこから、その脅威をのりこえて脅威でなくなるように努力するにはどうすればいいのかという方向に思考を向けるのではなく、いまある前提を前提としてしかものを考えられないことが、その先を「狭く」してしまうのではないかと、わたしは釈然としないのです。

 いってみれば、「いまある危機」を目の前にして考える、その後のベクトルが異なるのではないか、という疑問なのです。

 転換期というなら、もう一度思考の根底にまで再検証の目を光らせて、考えるベクトルこそを見直してみることが必要なのではないか・・・?

 新年最初の「釈然としない」疑問です。

 そして、もっと根源的には、たとえば北朝鮮の脅威とはどのようなことであり、台頭著しい中国の脅威とは何を指すのか、について詳らかにかつ論理的に語ることができなければ、脅威に対処するためのあれこれについて述べる資格などないというべきではないのか・・・。

 所与の前提を前提としてしか認識できず、それに身の丈をあわせることしか発想できない人間に、歴史的転換期に言説を重ねる資格があるのだろうか・・・。

 考えてみると、この「思考のベクトル」の問題は、実は本質的な問題だということが見えてきます。

 さて、歩まねばならぬ・・・。

 であるならば、何をどう考える必要があるのか。

 それが深く、厳しく問われてきます。

 そういえば、けさの社説に、

 「メディアもまた試されていることを胸に刻みたい」

 と結ばれているものがありました。

 まさにそうなのだろうと思います。

 今年最初の、私の「疑問」であり、同時に問題提起です。














posted by 木村知義 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年12月31日

「釜が崎」の人びとへの手紙

 今年も暮れようとしています。
 これを書きはじめた今、2009年も、もう3時間を切りました。
 テレビからは「紅白歌合戦」の華やかな舞台の様子が届いています。

 一年前の今頃、東京では、日比谷公園の「年越し派遣村」が大きなニュースになっていました。
 湯浅誠氏が内閣府参与についたことで、昨年のような「問題」にならずにすんでいるのでしょうか。
 少なくとも今年は、表面的には、去年のような大きなニュースにはなっていませんし、話題にもなっていないようですから、「静か」に過ぎているのかもしれません。

 しかし、湯浅氏が政府の「貧困・困窮者支援チーム」の事務局長に座ったからといって、問題が解消したとはとても思えませんから、この「静けさ」は、私にとっては、不思議です。

 もちろん、伝えられるところでは、全国の136の自治体が「官製派遣村」を開設して、職業や住まいなどの「生活相談」に乗るということですし、東京都は、28日午後から年明け4日まで、宿泊場所、食事の提供をするということですから、事態は、少しは改善されているのかもしれません。

 しかし、重ねてですが、問題が根本的に解決したわけではないことはいうまでもありません。

 25日に発表された完全失業者は331万人、完全失業率は5.2%で「4か月ぶりに悪化」と報じられました。

 このところ電車に乗るたびに「人身事故」で一時運転が止まったり、遅れが出ていたりということに遭遇することが多くなっていました。

 1日に何度もそういう事態に遭遇したり、あるいは、路線を乗り継ぐとそこでもまた、ということもしばしばでした。

 そのたびにこの「人身事故」という無機質なことばに胸が痛んだものです。

 率直にいえば、人が列車にむかって身を投げる、その光景が想像の中に浮かび、ことばがでなくなり、ただ気持ちが沈んでいく、そんな日が頻繁になってきていることに、やりきれない思いで気持ちが暗くなるのでした。

 去年のようにメディアで「話題」にならないだけなのか、問題が本当に改善されているのか、それすら分からなくなっているということは、決して昨年より事態が良くなったとはいえないのではないかと、私は考え込むのです。

 オーストラリアの思想家、テッサ・モーリス・スズキさんがかつてメディアにかかわる講演の中で、「無知の技術」という問題提起をしていたことを思い出します。

 この講演は、戦争とメディアの責任をめぐってのものでした。

 そこでテッサさんは、
 「私たちは『情報技術』という言葉をよく使います。しかし、こうしたメディアと戦争の関係を考えますと、私は最近、非常に洗練された『無知の技術』が発達しつつあるのではないかと感じます。『無知の技術』とは、戦争の場合、人々を理解させるために情報が提供されるのではなくて、人々が理解できないように情報が提供されることです。あるいは国民の関心を喚起するために情報が与えられるのではなくて、国民を無関心にさせるために情報が与えられていることです。」
 と述べています。

 内閣府参与になった湯浅氏の事はしばしば話題にされ氏のインタビューなどが伝えられたとしても、結果的に、それが事態を目に見えなくしてしまうことになったとするなら、なんのための政府の役職なのだろうかと思わざるをえません。

 これがテッサ女史のいう「無知の技術」の類でなければいいのだがと念じるばかりです。

 昨年のいまごろのことを思い出して、そんなことを考えるのも、この時期、仕事を失い、寝る場所さえ確保できない野宿者を、夜通しの「越冬パトロール」で支える活動をしている大阪・釜が崎の人たちから「通信」が送られてきたことも強く働いているのかもしれません。

 「派遣切り」が問題になるずっと以前から、「釜の人びと」(大阪、現地では「釜」:カマといえばそれだけで釜が崎と通じます)には日常のこととして、そうした苦しみが重くのしかかっていました。

 ただ、報道されなかっただけです。

 あまりにも「日常的」だったがゆえに、多くの人びとから、そしてメディアからも、見向きもされないという「境遇」に置かれていただけの事です。

 もちろん、私もまた、偉そうなことの言えたものではありません。

 それだけに、今年の『静けさ』が気になるのです。

 湯浅氏が内閣府参与として政府の側に入ったことで、問題が改善したといえることを切に願うばかりですが、もしそうでないとするなら事態は一層深刻だと思います。

 取材して伝えることを、欧米では、cover:カバーというのはよく知られていますが、今年のこの「静けさ」を、事態に蓋をして(coverして)見えなくなったのではないことを念ずるばかりです。

 年の終わりに、いささかでもメディアにかかわりを持つ身であること、社会を見つめ、世界と時代について考え、ささやかであっても言説を重ねるおのれをふり返って、自戒をこめて書いているのですが、その意味で、「通信」を送ってくれたことへのお礼の気持ちをこめて釜が崎の人たちに書き送った書状を、最後に転記しておきます。


 今年も残り少なくなって、慌ただしく過ぎて行きます。
 先日は「通信41号」をありがとうございました。
(本当は「ございました」なんて言わずに、ありがとう、と大阪弁で言いたいんやけど手紙なんでそうもいきませんから、ちょっとよそよそしい言い方になります。)
 世の中が休みになる年末年始は、釜のおっちゃんやおばちゃんにとって一層厳しい時期になることを思い出して、胸が痛みます。
 いまは、多分、若い人たちも大変だと思います。
 私のほうは仕事を辞して、素浪人風「たった一人の研究所」生活の一年が過ぎました。
 「いばらの道だぞ!」という忠告をして下さった方もいました。 その通りであるだろうと思っていました。
「貧乏ヒマなし」を地で行くように、本当にお金儲けとは無縁のことばかりですが、毎日追われていて、会社にいたときも、普通より相当一生懸命働いていたつもりだったので忙しかったのですが、それ以上に忙しくて、なんでこんなんやろか、と呟いています。
 しかし、少しずつですが、属した企業や経歴においてではなく、「素浪人」として自身を語ることばを獲得して、なにもない一人の人間として語ることができるようになってきたように思います。
 それはいわば「原点への旅」という趣でもあります。
 今年、私よりふた世代も若い、すぐれた知識人(友人と呼ぶことを許されるなら嬉しいのですが米谷匡史さんという人です)が編んだ谷川雁の書を手にして、その序章に置かれた「原点が存在する」を読みながら自身の歩んだ道を反芻しました。
 『日米新安保条約』と冠された書物を握りしめてアジアと日本について真剣に考えはじめた中学生のころ。
その時亡くなった樺美智子さんのご母堂から、美智子さんが「出かけた日」そのままにしておかれてある部屋に案内された学生時代。
 ジャーナリズムのあり方を深く考えさせられ、生き方を厳しく問われた父という存在・・・。
 すべて、おのれの原点とはなんであるのかを問い返す営みだったと感じます。
 今年秋、1970年以来「亡命」状態で日本に住み、アジアをそして世界と時代を見据え、舌鋒鋭く語り続けてこられた鄭敬謨氏と長時間にわたりお話する機会を得ましたが、その際、シアレヒム、「一粒の力」ということばと出会いました。
 また、以前、仕事をしていた時期に折々励ましのことばをかけてくださった故岡部伊都子さんを偲ぶ会で、生前岡部さんが親交を結んだ韓国の詩人高銀氏のメッセージを紹介する役目を負ったのでしたが、その高銀氏の記したことばに「われら未完の歴史を完成の歴史に変えようとしながら、その未完の歴史の中を生きる苦難の光栄がいかに得難い貴重なものであるのか」というくだりがあります。
 東アジアが依然として冷戦と分断の時代をのりこえることができずにいる現在、アジアとメディアのありようを見据えることをわが原点とし「未完の歴史を完成の歴史に変える」ために、「一粒の力」ということばを胸に、ささやかな営みではあっても努力を重ねたいと念じています。
 「通信41号」を読みながら、世の中と人間にしっかり向き合っていかなければならないと、あらためて思い定めたのでした。
 私にできることはあまりないのですが、釜のみなさんにとって、新しい年が少しでも希望の見える年になるように祈るばかりです。
みなさんも身体に気をつけてがんばってください。
                   2009.12.28記
 

 ささやかなこのブログコラムも、新しい年を迎えると、3年目に入ります。

 こころして、書き継いでいきたいと思います。
 みなさんにとって、そして世界にとって、ぜひ良き年であるよう深く念じて、今年最後のコラムの筆を置きます。

 

 
 
 
posted by 木村知義 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年12月26日

知られざる北朝鮮代表・・・

 「代表チームはブラジルに行って合宿してますよ・・・」
 「エッ?!ブラジルで合宿ですか!」
 「こりゃ本気だ!北朝鮮はワールドっカップで旋風を起こすことを狙ってますね・・・」
 「イヤイヤ・・・、強豪ぞろいのあのグループでは良くて一勝できればってとこですよ」
 「う〜ん、そんなこと言いながら、こりゃわからないぞ・・・・」
 
 今月上旬、朝鮮問題をテーマにしているジャーナリスト数人で日朝関係にかかわる「幹部」を囲んで懇談した際、偶然、話が北朝鮮のワールドカップ出場に及びました。
 
 そこで飛び出したのが冒頭の、北朝鮮代表チームがブラジルで合宿、という言葉でした。
  
 北朝鮮代表が10月にフランスに遠征して、コンゴ共和国やフランス2部リーグのナントと試合をしたこと、11月に平壌でブラジルのクラブチーム、アトレチコ・ソロカバと親善試合をして引き分けたことは伝えられていましたが、ブラジルで合宿ということは初耳でしたので、その場の全員が、エッ!と声をあげたわけです。

 「こりゃ北朝鮮は本気だ・・・」ということばに「イヤイヤ、一勝がいいとこ・・・」という「謙遜」で話はそこまでということになったのでしたが、スポーツ交流とはいえ、北朝鮮とブラジルの関係がそういう「親密」なものだということに驚いたものでした。

 ただし、その後も、この「合宿」については報道もなく、確認のしようもなく過ぎているのですが、ともかく、サッカーを通じてフランス、ブラジルと交流が行われていることはたしかだといえます。
 
 後でふれますが、フランスはEU諸国の中で、エストニアと並んで、北朝鮮とまだ国交がない数少ない国だということに、少しばかりの注意が必要です。

 さて、そして、今週火曜日(12月22日)北朝鮮に、あるいは朝鮮半島情勢にかかわる実に興味深い記事が、二つ、新聞に載りました。

 一つは「ベールの裏側 ユース強化 フリーライターが見た北朝鮮代表」(「朝日」朝刊)です。
 「今月9月末、平壌市民にも知られていない場所に私はいた。」という書き出しに、つい引き込まれて読みすすんだのでした。
 44年ぶりにワールドカップ出場を果たしたサッカーの北朝鮮代表について、平壌に足を運んで取材しレポートしたのはフリーライターのキム・ミョンウ氏でした。

 1993年にW杯米国大会予選で敗退したあと国際舞台化から姿を消した「その背景には、94年の金日成主席死去、相次ぐ自然災害や食糧難による国家の危機的な状況があった。 『でもサッカーは捨てなかった』とリ・ドンギュ氏が述懐する。60年に日本から北朝鮮に帰国。体育科学研究所に入り、代表チームに同行しながら試合の分析データを集め、北朝鮮サッカーを隅から隅まで見てきた人物だ。」

 記事に盛られている情報に目を瞠りながら読みすすみました。

 「少ない強化費をA代表でなく、ユース世代に回した」ことで、若手を育成し「世界と戦える基盤が整った」というのです。

 すでに知られているように1次リーグで北朝鮮は、ブラジル、ポルトガル、コートジボワールという戦うことになりました。

 「死のグループG」とさえいわれるレベルの高いチームが集まったこのグループで、サッカーの「玄人」からは「1次リーグ突破どころか勝ち点1を挙げることすら厳しい」といわれる北朝鮮ですが、キム・ミョンウ氏の取材に対して監督、選手、協会関係者らは、「66年のW杯イングランド大会のベスト8を超えたい」と口をそろえたというのです。

 このレポートは「失うものは何もない。あとは、サプライズの続きを起こすだけだ。」と結ばれています。

 こうした内容を興味深く読んだのはもちろんですが、記事のなかで、北朝鮮サッカー協会のキム・ジョンス書記長が「海外のサッカーを取り入れ、自分たちのカラーに合わせる必要がある。」と語っているくだりに、強く興味をひかれました。

 なぜかといえば、この記事が載った前週17日(木)、「日刊スポーツ」の一面、全面ぶち抜きのスクープ記事が記憶に残っていたからです。

 


 「日刊スポーツ」の大特ダネでしたが、翌18日の「朝日」朝刊では
「日本滞在中のトルシェ氏は(北朝鮮サッカー協会関係者との)接触を認めた上で代表監督就任については、『北朝鮮協会のある人物と私の間だけの話で、公式のオファーでも交渉でもない。北朝鮮に行く予定はあったが中止になった』と語った。」と伝えました。

 読んでわかるように、非常に含みのある記事で、前日の「日刊スポーツ」の大スクープ記事の背景にどういう意図が働いていたのか、微妙な要素が残るといわざるをえません。

 この時点では、結果的に、こうして表に出ることで「つぶれた」という印象はぬぐえません。
 どういう「力学」が働いたのか、ぜひサッカー担当記者の深層に迫る取材を期待したいところです。

 さて、もう一つの記事はといえば、「毎日」朝刊の国際面に載った「南北、実務接触3回」という記事です。

 リード部分を引くと、
 「朝鮮日報など韓国各紙は21日、南北首脳会談開催をめぐり南北当局者が今年、少なくとも3回秘密接触したと一斉に報じた。韓国統一省は接触の事実を否定したが、韓国国内では、北朝鮮指導部が体制維持に必要な支援獲得のため、今後も首脳会談開催を打診するとの見方が強まっている。」
 というものです。

 「毎日」は11月末に韓国の聯合ニュースを引く形で「韓国政府高官は29日、韓国記者団との懇談で、8月の金大中元大統領の死去に伴う北朝鮮弔問団の訪韓以降『南北間で何回もの接触があった』と語った。」と伝えていますので、それをアトづける記事だというべきでしょう。
  ただし、22日の記事は韓国の新聞報道を引く形をとっていますが、韓国で18日に発行された月刊誌『民族21』の2010年1月号に掲載された巻頭記事「深層取材2009年南北高位級秘密接触の顛末」
ですでに、「8月から11月まで中国、シンガポール、開城などで南北首脳会談のための高位級および実務級接触が4回以上行われた。」と伝えていたということですから、接触の回数の相違は置くとして、韓国の新聞の独自スクープといえるものかどうかは微妙です。

 李明博政権の登場で南北関係はそれ以前とは大きく様変わりして、緊張が増していましたが、背後ですすんでいる「変化」の兆しに気づいておかなければ、今後の事態の展開を見誤ることになるのではないかと感じます。

 もちろん、こうした「秘密接触」で現下の南北関係が簡単に打開できる状況にあると考えるのは早計ですが、しかし、風向きが変わりつつあることは実感できます。

 そして、ふたたびトルシェ監督問題です。

 私は、この「日刊スポーツ」の一面ぶち抜きスクープを目にして、サッカーそのものへの興味もさることながら、トルシェ氏がフランス生まれであることに目が行きました。

 はじめにも書いたように、フランスは北朝鮮と国交を持っていませんが、フランスのジャック・ラング大統領特使が先月9日から13日まで訪朝し、10日、北朝鮮の朴宜春外相が特使一行と会談して「両国の関係をはじめ相互の関心事となる一連の問題について」意見交換が行われたと伝えられ、さらに12日には、朝鮮最高人民会議常任委員会の金永南委員長がジャック・ラング大統領特使と会見したと伝えられていました。

 そして「日刊スポーツ」の大スクープが掲載された今月17日には、朝鮮中央通信が「フランス側は、大統領特使の朝鮮訪問の結果に従い、両国の関係を正常化するための最初の段階の措置として平壌にフランス協力・文化事務所を開設することにしたことを通報してきた。われわれは、フランスとの関係を一層深め、発展させる立場から平壌にフランス協力・文化事務所を開設することに同意した。」と伝えたのでした。
 もちろん単なる偶然のなせるわざということかもしれません。
 しかし、フランスが北朝鮮との国交正常化に向けて一歩踏み出したことは注目すべき動きだといえます。
 サッカー代表はブラジルで「合宿」?!
 南北関係にも水面下ではあれ、動く「兆し」が感じられ、
 そして、フランスが動く・・・。

 さて、いわゆる先進諸国のなかで北朝鮮と国交のない国は、米国フランス、日本ということになるのですが・・・。

 
サッカー北朝鮮代表チームの知られざる「うごき」に読みとるべきことは実に多い!という感慨を深くします。




 

posted by 木村知義 at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年12月23日

「東アジア共同体」へのハードル 〜中国・東北、中朝国境への旅で考えたこと〜 (一応のまとめとして)

(承前) 
核攻撃を含む「先制攻撃」の選択肢を手放さない米国の「脅威」に身を固くして核とミサイルで軍事と体制の維持に全力をあげながら経済的苦境をどうのりこえるのかという命題に立ち向かい「強盛大国への門をひらく」というスローガンを掲げる北朝鮮、端的に言いきればこういう構図になるのでしょう。

 米国の「脅威」についていえば核による先制攻撃にとどまらず、通常兵器の範疇に分類されながら、破壊力では核兵器に勝るとも劣らないといわれるバンカーバスターなどの強力な兵器もあります。

 また北朝鮮に対する大規模戦域計画「作戦計画5027」だけではなく、北朝鮮の核施設に「外科手術的」攻撃をおこなう「作戦計画5026」、北朝鮮を挑発し、消耗させる「作戦計画5030」などに加え、最近、「北朝鮮の体制崩壊に備えた緊急計画『作戦計画5029』の内容で米韓両国が基本合意した」と伝えられるなど、朝鮮半島にかかわる「作戦計画」は6つもあるといわれます。

 メディアは「北の核とミサイルの脅威」については語りますが、北朝鮮側がどのような「脅威」の下にあるのか、その緊張と恐怖感について語ることは、まずありません。

 これは北朝鮮の現体制をよしとするかどうかとは別の次元で、冷静に見据えることができなくてはならないことでしょう。

 そうした視点で94年の「枠組み合意」に至る道筋とそれが崩壊に至った「経緯」について、いまこそ、真摯に見つめ直す必要があると考えます。

 前回示した「FAR EASTERN ECONOMIC REVIEW」のスクープ記事とともに、手許には、ロバート・ガルーチ元米国北朝鮮核問題担当大使(元米国務次官補)が2002年5月28日、東京アメリカンセンターでメディア関係者や研究者を前に話した内容の「メモ」が残っています。

 そこでガルーチ氏は「枠組み合意」について、
「なぜ米国はこの『合意』を受け入れたのかといえば、北朝鮮のプルトニウム抽出計画をやめさせるためであった。ここでわれわれが得た『教訓』は、北朝鮮は外交交渉と同時に核兵器の開発も行うということと、一方で、たとえ違反が見つかっても『合意』を得ることもできるということだ。『枠組み合意』では双方の首都に『連絡事務所』を開設することがうたわれていたが、実現せず、また「合意」にもとづいて発足したKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)による(核開発凍結の見返りである)軽水炉の建設も遅々としてすすまなかった。重要なことは、北朝鮮は、『枠組み合意』によってもたらされるであろうと考えていた外交的、政治的な恩恵、利益を得なかったことだ。」
と語りました。

続けて「いわゆる『ペリープロセス』(当時のペリー米国防長官がまとめた、日、米、韓の協調による北朝鮮との対話と核・ミサイル開発の抑止を柱とする対北朝鮮政策)の時期、韓国の金大中大統領が平壌を訪問して(2000年6月)金正日総書記と歴史的な南北首脳会談をおこなった。2002年10月には、趙明禄・国防委員会第一副委員長がワシントンを訪問、その後、オルブライト国務長官も平壌を訪問した。2000年末には非常に前向きな、肯定的な軌道に乗っていた。北朝鮮が求めていた『最高』のものは、自己の生存の保証をえること、すなわち、『アメリカの敵ではなくなる』ことだった。その後はブッシュ政権の登場となる。金大中大統領がワシントンを訪問してブッシュ大統領と会談し、彼がすすめる『太陽政策』に支持を得ようとしたが、(ブッシュ大統領からは)支持を得られなかった。ブッシュ政権には『枠組み合意』に敵対的な立場をとる人物が多くいて『枠組み合意』の価値に非常に懐疑的だ。2002年の年頭教書で(北朝鮮などを)『悪の枢軸』として名指ししたが、この一般教書演説のあと、核政策の見直しがおこなわれ、北朝鮮はわれわれの戦略核の標的リストに挙げられるようになった。核兵器を追い求める『ならずもの国家』に対処する手段として、米国が先制攻撃や予防的戦闘に訴える必要性を鮮明にしたのだ。」

「『枠組み合意』」に対するさまざまな批判はあるが、われわれがめざしたのは、一にかかって、北朝鮮の核開発を放棄させ、核兵器の保有を阻止するという『戦略目標』」に立ったからである。このことは、金正日体制を支持するものでもなければ、彼らに恩恵を与えようというものでもない。問題は、『核の放棄』を達成するために、軽水炉という『見返り』が必要だったということであり、この(戦略的な見地に立った)意味を理解しておくべきだ・・・」
と熱をこめて語りました。

 すでに米国政府の仕事を退いてジョージタウン大学外交大学院長という立場でしたが、ガルーチ氏の話は問題の核心をきわめて端的に衝くものだったと強く記憶に残っています。

 くどいようですが、いま94年の「枠組み合意」に至る道筋と、それがなぜ崩壊したのかについて真剣に「復習」しておく必要があると思う所以です。

 今週はじめ、仙台で「コリア文庫」を夫妻で主宰する青柳純一氏が上京されて少しばかりの意見交換の時間を持ったのですが、そこで青柳氏から、「世界」の2010年1月号に掲載された坂本義和氏の論文について深く共感するという話がありました。

 その論文で坂本氏は、
「『東アジア共同体』という理念や政策提言は、これまでも数多く述べられてきた。しかし、その大部分は、通例、日韓中を軸とした『東北アジア』の協力組織と、ASEAN(東南アジア諸国連合)に代表される『東南アジア』の地域組織化とを連結して構想するものが多い。ところで、その中で特にとくに日韓中を柱とする『東北アジア』の協調に力点をおく考えは、それ自体としては、きわめて建設的な構想であるが、意識的に、あるいは事実上、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の参入を後回しにすることによって、現実には、しばしば北朝鮮を包囲する体制を築く機能や目的をもつことになりがちである。」として、北朝鮮問題を中心にすえて、これをどのように解決することを通じて21世紀の東アジアを創るのか、という課題を考えてみたいと、論考を展開しています。

 その全体像は坂本氏の論考をお読みいただいくべきなのですが、ここに書いてきた問題意識にふれる部分を少し紹介しておきます。

 坂本氏は、北朝鮮であれ、どの国であれ、核兵器の開発保有には反対の声を挙げなければならないとし、そのうえで、今われわれが全力をあげるべきことは、北朝鮮との戦争の可能性を極小化しゼロにすることであり、北朝鮮が、戦争の可能性はないと信じるような政治状況を国際的につくることである。それが「東北アジア共同体」建設の第一歩であり、まず「不戦共同体」の形成なくして「東北アジア共同体」などありえない、と説いています。

「しかし現実には、この半世紀、北朝鮮は軍事的優位に立つ米国が、その同盟国である韓国と日本に軍事基地を設けて敵対する体制によって『封じ込め』られてきており、この非対称的な劣勢から少しでも脱却して、対北朝鮮攻撃の公算を減らす道として、核武装するに至った。その目的は、米国や日韓の脅威に対して、北朝鮮の『国家の安全保障』と『体制の安全保障』とを、より確実にすることにあると考えられる。」

「したがって北朝鮮の側での戦争への恐怖を和らげ、朝鮮半島での戦争の危険を最小限にまで減らすためには、非対称的な優位に立つ米国と日韓とが、先ず緊張緩和のイニシアティヴをとることが不可欠である。およそ非対称的な対立関係では、弱者は屈従するか、狡猾で不法な手段に訴えるか以外の選択肢はないのであって、関係改善のイニシアティヴは先ず強者がとるのが当然である。」

「現在米国は、『先ず北朝鮮が非核化を実行せよ。そうすれば、休戦協定の平和協定への格上げや経済支援などを積み重ねて、究極的には米朝関係正常化に進む』と公式に主張しているようだが、それは優先順位が逆であって、先ず米国が米朝正常化や平和協定締結を確実に行うことによって、北朝鮮の非核化を容易にし、相互の軍縮を進めるという道をとるべきである。また戦争を想定して年中行事のように行っている、米韓軍事演習は、早急に縮小していくべきである。」

 論旨明晰、まったくその通りだというべきです。
 
 坂本氏はまた、日韓両国は、米国がこのような政策をとるようにはたらきかけるだけでなく、北朝鮮との武力衝突の可能性を少しでも減らすために、共同して緊張緩和と平和共存の努力をすべきだと説いています。
 このことを真剣に行うかどうか、それが「東北アジア共同体」を創る意思があるかどうかを示す、試金石だともしています。

 もはや付け加えるべきことのない、明快な論理というべきで、夏の中朝国境地帯への旅から書き起こしてきた「東アジア共同体へのハードル」とは、第一に、まさしくここにあるというべきだと考えます。

 そして「もうひとつの問題」、北朝鮮はなぜ「崩壊」しないのかということへの「解」の半分は、こうした「包囲された脅威」の厳しい緊張下にある国家であるがゆえの「一体感」がそうさせているのだというところにあることを、私たちは知るべきなのだと思います。

 そして、「解」のもう半分は、貧困や飢えの苦しみだけで国家は崩壊するものではないということへの想像力を持つことができるかどうかにかかっていると思います。

 脅威に対する「一体感」が、飢餓や貧困の苦しみを上回る、統治の力を機能させるという逆説に気づかないと、北朝鮮の「崩壊論」に幻惑されるか、あるいは願望を現実に置き変えるという、度し難い迷路に入り込んでしまうことになります。

 手許に実に興味深い一冊の書物が残っているので、そこから少し引用してみます。

「さらにもっと問題なのは、昨今『崩壊』という言葉だけが一人歩きし『崩壊』が具体的に何を意味するのかという検証がない点である。
『北朝鮮崩壊』とは、金正日政権と北朝鮮の体制がなくなることなのか、食糧難で難民が周辺諸国に逃げ出すことなのか。あるいはクーデターが起きるのか、暴動が起きるのか。これらについての具体的な指摘や検証はほとんど見られない。私は、日本でよく見られるこうした抽象的な議論が嫌いだ。『崩壊』という言葉には一般の人をわかったような気にさせる一種の「魔力」がある。そうした言葉の魔力に私たちが振り回されているような気がしてならないのである。」

 さて、これは一体誰による文章でしょうか?というといかにも不遜な「出題」に響くかもしれませんね。

 これは、当時毎日新聞記者だった重村智計氏と韓国の経済学者、方燦栄氏が共著で出した「北朝鮮崩壊せず」(光文社)の序章「北朝鮮崩壊」の幻想、に記された重村氏の文章です。

 1996年に出版された書物だといわれると、重村氏にもこういう時もあったのかと感慨を深くするのですが、昔の「証文」を大事に取っておくのも悪くはないと、皮肉なことに感じ入るのでした。

 さて、いまさらながら、私たちの北朝鮮へのバイアスのかかった視線をどう真っ当なものにするのか、難しい命題に向き合っていることを痛感します。
 とともに、なんのことはない、ごくごく普通に常識を働かせて、誠実に物事を真正面から見据えてみれば、本質が見えてくるのだということにも気づきます。

 だからこそ難しいのかもしれないと、これは自戒も込めて思うのでした。






posted by 木村知義 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年12月21日

「力がなければ、民族も、国家も滅びる、悲惨なものだ・・・」をどう受けとめるのか 〜中国・東北、中朝国境への旅で考えたこと〜

 またもやこのコラムが長く中断しました。
 何人もの方々から、なぜ更新されないのかというお問い合わせをいただいて恐縮しました。書き継ぐ必要のあること、書くべきことはどんどん積もっていくのですが、手がつかず申し訳ありません。この間のことは追々報告していきます。
 
 さて、すでに知られていることですが、アメリカのボズワース特別代表が平壌を訪れ、その後韓国、中国、日本、ロシアを回って15日ワシントンに戻りました。
 当初は一日半とされていた平壌滞在が8日から10日までの2泊3日に延ばされ、金正日総書記にあてたオバマ大統領の「親書」を渡したことが米朝双方によって確認されました。

 米国は昨年10月に6カ国協議米国首席代表だったヒル国務次官補を平壌に派遣しブッシュ大統領の親書を届けましたが、正式な特使資格ではありませんでしたから、米国の大統領特使の訪朝は、2002年10月に当時のケリー国務次官補が平壌を訪れ姜錫柱第1外務次官と会談して以来、7年ぶりのことでした。
 
 今回の協議の相手が姜錫柱第1外務次官、金桂寛外務次官だったことと「実務的で率直な論議を通じ、双方が相互理解を深め互いの見解差を狭め、少なくない共通点も見出した」「「平和協定締結と関係正常化、経済およびエネルギー支援、 朝鮮半島非核化など広範囲な問題を長時間にわたり真摯に、虚心坦懐に議論した」と朝鮮中央通信が伝えていることを合わせると、双方で突っ込んだ話し合いがおこなわれたことは間違いないといえます。
 
 その後、「米朝はボズワース米特別代表の訪朝を機に開かれた米朝対話と直前の協議で、6カ国協議再開時、非核化問題は2005年9月の6カ国協議共同声明の精神に立脚し解決し、平和体制問題は4カ国対話で扱うとの考えで一致したという。提案したのは北朝鮮で、米国がこれに同意した・・・・」という注目すべきニュースを韓国の聯合通信が伝えました。

 加えて18日には「北京の複数の北朝鮮情報筋」の情報として「米オバマ大統領が北朝鮮に対し、北朝鮮が6カ国協議に復帰し核廃棄プロセスに入れば、外交関係正常化などを話し合う連絡事務所を平壌に開設するとの意向を示した」と伝え、そのなかで「別の情報筋は、米国務省は在米僑胞出身の民間人を北朝鮮に派遣するなどすでに平壌代表部の設立準備に入っており、最近、設立協議が急進展していると話した」としています。

 これらのニュースの信ぴょう性を確認できる段階ではありませんから予断を許しませんが、どうやら水面下では米朝の話し合いが相当踏み込んだものになっていることは容易に推測できます。

 ボズワース特別代表の訪朝までかなり時間がかかりましたが、それだけ慎重に準備がすすめられたということでしょう。

 ボズワース氏が1994年の「枠組み合意」にもとづき北朝鮮での軽水炉建設事業を担ったKEDO「朝鮮半島エネルギー開発機構」の初代事務局長を務め北朝鮮側と交渉にあたった経験があることや駐韓国大使など、朝鮮半島問題に深くかかわってきた経験から、北朝鮮側と、いわば「静かに」話し合える人物だったことも今回の訪朝を肯定的なものにすることにつながったといえるでしょう。

 またこの間、米国のNPO「国家安保のための経営者集団」(BENS)のボイド会長ら米国の企業家代表団が、14日から4日間の日程で平壌を訪れ、北朝鮮の経済部門の幹部らと、「投資環境を築く上で提起される問題などを真剣に討議した」(朝鮮中央通信)と報じられたことや、これに先立つ10日から14日にかけては、ノーベル化学賞受賞者で米国科学振興協会(AAAS)のピーター・アグレ会長が団長をつとめる代表団が訪朝して、金策工業総合大学をはじめとする科学研究所や病院などを訪問し、医学、生物学、エネルギー開発、工学、産業技術などの分野で交流をおこなったことなどをあわせて考えると、米朝関係は実務レベルで交流が相当「活発」になってきていることがうかがえます。

  こうした段階、局面を前にすると、これまで振り返ってきたように、ジグザグな経緯をたどった米朝協議と94年の「枠組み合意」についての「復習」が、従来にも増して、なお一層欠かせないと考えるようになりました。

 そこで「結論を急ぐ」と書いた前回の続きです。

 1993年末から94年はじめにかけて「緊張」が高まっていく中で、北朝鮮は94年5月8日から原子炉の燃料棒の交換に踏み切り緊張は極点にまで達していました。これに対して、クリントン政権下の米国は北朝鮮に対する先制攻撃計画を立ててシミュレーションを行います。その後作戦計画「5027」というコードネームで知られるようになるものです。

 94年5月18日ワシントンでこの作戦について検討する会議が招集されます。参加者の「だれもが、この会議は単なる図上演習ではなく『戦争の進め方を決める本物の戦闘員による本物の会議』だと思っていた」(D・オーバ−ドーファー)というこのシミュレーションでは米国にとって「衝撃的」な結論となりました。

 作戦の最初の90日間で米軍兵士の死傷者5万2000人、韓国軍死傷者49万人、加えて南北市民も含め多数の死傷者が予想されることと610億ドルをこえる財政支出・・・。「このぞっとするような悲劇」の重大性を実感させられたクリントン大統領は外交担当の高官を招集して協議した結果、米朝協議の第3ラウンド開催のよびかけを発することになります。

 もうひとつ「復習」しておかなければならない点は、この間の金泳三大統領、韓国政府の態度です。

 「金大統領の反応ぶりを見て、私は、彼の第一の目的は、たとえ核問題の解決を妨げることになろうと、米国と北朝鮮の関係がこれ以上温かくなることを遅らせ、邪魔することにあると確信した。金大統領は、平壌が米国との対話にいらだち、不満をつのらせるように仕向けるため、可能な限りの術策を弄する意思を固めているようだった。」と振り返るのは、当時米国務省の担当官として米朝交渉に携わったケネス・キノネス氏です。

 彼は「率直に言って、1994年2月時点での北朝鮮側は米朝韓三当事者の全員が受け入れ可能な取り決めを策定するための意思を、韓国よりも強く固めているように見えた。もちろん平壌にとって、米国との関係正常化という、その潜在的な見返りは大きかった。同時に、米国にとっても、見返りは同じくらい大きかった。それは地球規模の核不拡散体制としての、核拡散防止条約の信頼性を維持し、北朝鮮に対する核保障措置を回復することだった。もちろんソウルも、必然的にこれらの恩恵を被り、平壌との対話の再開を得られるはずだった。不幸なことに、ソウルの政治指導部は自らの潜在的な利益を見失い、逆に、平壌に与える潜在的な恩恵のみに目を奪われていた。」とも書いています。(「北朝鮮 米国務省担当官の交渉秘録」中央公論新社刊)

 当時の「空気」を交渉の内側からこれほど克明に活写した記録は皆無です。

 この指摘は後に米国自身にふりかかるものになるわけで皮肉としかいいようがないのですが、米国は作戦「5027」の呪縛に落ちて行くことになります。

 そして逆に、金泳三大統領はこの作戦計画の犠牲の大きさを知るに及んで、「アメリカが一方的に朝鮮戦争を再開しても、一兵たりとも韓国軍を動かすつもりはない」と米国に伝えたといわれます。

 そして、6月2日、IAEAのブリクス事務局長は、北朝鮮が燃料棒の取り出しをすすめたことで、「原子炉燃料の秘密転用を確定しうる証拠は失われてしまった」として、国連の安保理に対して、北朝鮮に事実上の制裁を求める書簡を送ります。

 これに対して北朝鮮は6月5日「制裁は戦争を招く。戦争に情け容赦はない」と宣言します。

 米国の戦略は制裁を含む「威圧外交」に転換し、国防総省は「強襲攻撃に備えて部隊の増派計画を全速で推し進め」、国務省は「主要国の首都や国連の場において、国際制裁の内容や時期について新たな協議を開始した」とされます。

 こうして対立と緊張が極点に達し危機は深まるばかりでした。
 まさに核をめぐる米朝の「チキンレース」が戦争の危険性を現実のものにしつつあったといっても過言ではない、当時の状況でした。

 ここからはよく知られているように、6月15日、カーター元大統領が平壌を訪問し、翌16日の金日成主席との会談で戦争一歩手前で危機の回避がはかられることになるわけです。

 しかしここでもカーター元大統領は「北朝鮮は国際制裁に屈服するぐらいなら戦争を覚悟するだろうと思った」ということで、「絶望的な気分」になり午前三時に目が覚めた・・・といったD・オーバードーファーの記述が残っています。(「二つのコリア」共同通信社刊)

 同時にオーバードーファーは「カーターは、金日成との会談を『奇跡』と呼んだ。この会談によって、戦争寸前の対立が、あらたな米朝会談および南北交渉への期待へと転換されたからである。」とも書いています。当時の「空気」をよく言い表しているといえます。

 このあと、7月8日に金日成主席が死去という衝撃的ニュースが、34時間伏せられた後世界をかけめぐりましたが、同じ7月8日からジュネーブで米朝協議の第3ラウンドがはじまっていました。

 こうしてジュネーブでの協議、そしてベルリンでの「実務協議」などを経て、10月21日、「合意された枠組み」の調印にこぎつけることになりました。

 その前日、米国のクリントン大統領は「朝鮮民主主義人民共和国最高指導者 金正日閣下」と呼びかける書簡を送っています。

 「枠組み合意」の全容は様々な書物で読めますが、この書簡はなかなか目にすることができないので、少し長くなりますがケネス・キノネス氏の書からその全文を転記しておきます。

 私は、私の職権の全力を行使して、北朝鮮国内での軽水炉計画に関する融資と建設のための取り決めを促進すると共に、軽水炉計画の最初の原子炉が完成するまでの間、朝鮮民主主義人民共和国のために暫定的な代替エネルギー供給の資金を手当てし、履行することを、あなたに確認したいと思う。付け加えて北朝鮮には制御できない理由によって、この原子炉が成就しなかった場合には、米国議会の承認を条件に、必要な限りにおいて、そうした計画を米国から供与するため、私は職権の全力を行使する。同様に、北朝鮮には制御できない理由によって、暫定的な代替エネルギーが供給されない場合には、米国議会の承認を条件に、必要な限りにおいて、そうした暫定的な代替エネルギーを米国から供給するため、私は職権の全力を行使する。
 私は、アメリカ合衆国と朝鮮民主主義共和国の間で合意された枠組みに記された政策を、朝鮮民主主義人民共和国が履行し続ける限りにおいて、こうした行動の道に従う。
                                敬白
                         ビル・クリントン
平壌市
朝鮮民主主義人民共和国最高指導者
金正日閣下


また米朝「枠組み合意」は以下のような内容(概訳)でした。

1994年9月23日から10月21日、米国政府および朝鮮民主主義人民共和国政府代表はジュネーブにおいて会談し、朝鮮半島の核問題に関する全般的解決について交渉が行われた。
 双方は、1994年8月12日の米朝間合意声明で示された目標を達成し、核のない朝鮮半島のもとでの平和と安全の実現を目指した1993年6月11日米朝共同声明の諸原則を支持していくことが重要であることを再確認した。
双方は、北朝鮮の黒鉛減速炉および関連施設を軽水炉施設(LWR)に転換することに協力する。
1994年10月20日の米国大統領からの書簡に従い、米国は、目標年である2003年までに約2000メガワットの発電総量を持つ軽水炉計画を北朝鮮に提供する準備を行う。
米国は、北朝鮮に提供する軽水炉計画を資金的に支え、計画を供与する国際事業体(an international consortium)を米国主導で組織する。米国は、国際事業体を代表して、軽水炉計画における北朝鮮との接触の中心を担う
米国は、国際事業体を代表して、本文書日付から6ヶ月以内に、軽水炉計画供与契約の締結に最善の努力を行う。契約締結のための協議は、本文書日付後、可能な限り早急に開始する。
必要な場合、米朝両国は、核エネルギーの平和的利用に関する協力のための二国間協定を締結する。
1994年10月20日の米国大統領からの書簡に従い、米国は、国際事業体を代表し、軽水炉一号機が完成するまで、北朝鮮黒鉛減速炉およびその関連施設凍結によって生産不能になるエネルギーを補填する準備を行う。
代替エネルギーとしては、暖房と発電用の重油が供給される。
重油の供給は、引渡しスケジュールについての合意に基づき、本文書日付の3ヶ月以内に開始され、年間50万トンの割合で行われる。
北朝鮮は、軽水炉の提供と暫定的な代替エネルギーに対する米国側の約束を受け入れる際、黒鉛減速炉とその関連施設の建設を凍結し、最終的にはこれらを解体する。
北朝鮮黒鉛減速炉と関連施設建設の凍結は本文書日付の1ヶ月以内に完全に実行される。この1ヶ月間ならびに凍結期間中、国際原子力機関(IAEA)は、この凍結を監視でき、北朝鮮は、この目的に対してIAEAに全面的に協力する。
北朝鮮の黒鉛減速炉および関連施設の解体は、軽水炉計画が完了した時点で完了する。
軽水炉建設中、米国と北朝鮮は、5メガワット実験炉から生じる使用済み燃料を安全に貯蔵し、北朝鮮での再処理を行わない安全な形で処理する方法を協力して模索する。
本文書日付後できるだけ速やかに、米国・北朝鮮の専門家たちによる二種類の協議を行う。
一つめの協議では、代替エネルギーおよび黒鉛減速炉から軽水炉への転換を話し合う。
もう一つの協議では、使用済み燃料の貯蔵と最終的な処理についての具体的な取り決めを協議する。
両国は、政治的、経済的関係の完全な正常化に向けて行動する。
 本文書日付3ヶ月以内に、両国は、通信サービスや金融取引の制限を含め、貿易、投資に対する障壁を軽減する。
専門家レベルの協議で、領事その他の技術的問題が解決された後、それぞれの首都に連絡事務所を開設する。
双方の関心事項において進展が見られた場合、米国・北朝鮮は、両国間関係を大使級の関係に進展させる。 
双方は、核のない朝鮮半島に基づいた平和と安全のために協同する。
米国による核兵器の脅威とその使用がないよう米国は北朝鮮に公式の保証を与える。
北朝鮮は、朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言の履行に向けた取り組みを一貫して行う。
本合意枠組みは南北対話を促進する環境の醸成に寄与するものであり、北朝鮮は、南北対話に取り組む。
双方は、国際的核不拡散体制の強化に向けて協同する。
北朝鮮は、核拡散防止条約(NPT)加盟国としてとどまり、同条約の保障措置協定の履行を認める。
軽水炉計画供給に関する供与契約締結後、北朝鮮・IAEA間の保障措置協定のもとで、凍結の対象とならない施設に関して、特定査察および通常査察が再開される。供与契約締結までは、保障措置の継続性のためにIAEAが必要とする査察は、凍結の対象でない施設にも行われる。
軽水炉計画の大部分が完了し、かつ重要な原子炉機器が提供される前の時点で、北朝鮮は、IAEAとの保障措置協定(INFCIRC/403)を完全に遵守する。これは、国内核物質に関する北朝鮮側第一回報告書が正確かつ完全であるかを確認するための協議後、IAEAが必要と考えるすべての措置を行うことを含むものである。


 今じっくり読み返すと、月並みですが、歴史に「たら」や「れば」はないが・・・ということばが思い出されます。
 長い間の「懸案」の包括的な解決にあと一歩のところまで迫っていました。
 戦後、米朝がここまで至ったことははじめてのことでしたが、いうまでもなく、ここに書かれたことが実現することはなく「空手形」として葬り去られることになります。

 米国ではクリントンからブッシュへと政権が代わり、2001年の9・11同時多発テロから、事態は大きく変わります。

 2001年12月議会に提出された「核戦力態勢報告書」の中で核攻撃目標候補として、他の非核保有国とともに北朝鮮を挙げたのでした。
 明けて2002年の年頭教書でブッシュ大統領が北朝鮮を「悪の枢軸」のひとつとして挙げたことはまだ記憶に新しいところです。

 そして2002年9月の小泉首相の訪朝の余韻もさめやらぬ10月、米国のケリー国務次官補が平壌を訪問、北朝鮮が「秘密裏にウラン濃縮を行っている証拠」を突き付けて、北朝鮮側もこれ「を認めた」とする報道が世界をかけめぐりました。
 
 米国は北朝鮮が「枠組み合意」に「重大な違反」を犯したと非難するとともに、各国に北朝鮮に圧力を加えるように強く要請することになりました。

 「ウラン濃縮疑惑」を本当に認めたのかどうか、いまだにナゾとなって残されていますが、これをターニングポイントとして、「枠組み合意」を反故にすることにむけて、まさに坂道を転げるように、事態はすすむことになりました。

 こうして「枠組み合意」は歴史の「ごみ箱」に捨てられることになったのでした。

 そして米朝の緊張と対立の「もうひとつのピーク」は、米国によるイラク攻撃と軌を一にしてすすみ、緊迫の度合いを深めることになりました。

 米国は「二正面作戦」が可能であるとして、北朝鮮への先制攻撃の可能性を示唆するとともに、金融面などをはじめあらゆる分野で陰に陽に北朝鮮政権の「不安定化工作」を仕掛けて行くことになります。

 いま、おおむねの認めるところでは、米国は「枠組み合意」には調印するものの、時をおかず北朝鮮は「崩壊」するはずなので、時間稼ぎをしていれば、いずれその履行は不要になると踏んでいたとされます。
 またブッシュ政権に代わってからは、金正日政権を「実力」で倒すという、レジームチェンジを現実のこととして考えるところに踏み込んで行ったのでした。

 またぞろ作戦計画「5027」の「亡霊」が立ち現われることになったのでした。

 ここまで端折りながらも、なんと長々と書いてきたことだろうかと思います。

 しかし、これだけの経過のなかで、北朝鮮に「力があってこそ、ここまで生き抜くことができたのだ」と「学習」させたのは、他ならぬ米国だったことをしっかり認識しておかなくては事の本質は見えてきません。

 よくいわれることですが、イラク攻撃とフセイン政権の崩壊を目の当たりにして、フセイン政権は大量破壊兵器を持っていたから米国の攻撃を受けて崩壊したのではなく、それを持っていなかったがゆえに米国の攻撃を受けて崩壊したのだという、歴史の「皮肉」をもっとも切実に学んだのは北朝鮮の金正日政権であったということでしょう。

 同時に、「枠組み合意」に至る道筋とそれが「反故にされていく」経緯に、いまでも、否、いまだからこそ「学ぶ」べきことがあると考えるのは私一人でしょうか。

 今に至る「足取り」をじっくり吟味しながら考えることは無意味ではないという思いを、いま、強くします。

 そして、いまもまだ、折にふれて作戦計画「5027」をはじめいくつかの北朝鮮攻撃計画がメディアで報じられます

 私が実際にメディアでこうした「作戦計画」について眼にしたのは、いまは廃刊となっている、「FAR EASTERN ECONOMIC REVIEW」の1998年12月3日号のスクープ記事でしたから、もう10年以上まえのことでした。


FAR EASTERN ECONOMIC REVIEW 1998.Dec.3から

 しかし、「米韓連合軍司令部のパソコンが11月にハッカー攻撃を受け、朝鮮半島有事に備えた『作戦計画5027』の資料が流出した。」というニュースがベタ記事で新聞に掲載されたのを目にして思わず苦笑いしたのは昨日(12月20日)のことでした。

 われわれは、まだまだ直近の「歴史」に学ぶことができていないのだということを痛感するのでした。

 「
力がなければ、民族も、国家も滅びる、悲惨なものだ・・・」という、この夏の中朝国境への旅で出会った在日朝鮮人の痛切な「つぶやき」をどう受けとめるのか。

 この言葉の重さをかみしめて考えることがいかに重要かというのは、ここまで書いてきた、こうした「経緯」を思うからなのでした。
(つづく)



posted by 木村知義 at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年11月13日

写真集 中国東北、中朝国境地域への旅(2009.8)から その3


 
集安市政府前 太陽鳥モニュメントには高句麗時代についての解説



 丹東市北東 太平湾発電所のダム湖の向こう岸は北朝鮮 
 発電所から北朝鮮側に送電線が伸び、電力が送られている
 
 丘の上に広がる畑 トウモロコシなどの育ちははかばかしくない
 
ダム湖をさかのぼると、ここにも「断橋」 朝鮮戦争当時がしのばれる


丹東 鴨緑江に残る「断橋」 隣は中朝友誼橋 対岸新義州と結ぶ
 
新義州との物流など、往来は活発 「遊覧船」が対岸間際まで運航
 
運ばれたコンテナの荷降ろし作業   釣りをする人の姿が随所に
 
石炭の集積場 近くの建物には「偉大な首領金日成同志・・」の文字
posted by 木村知義 at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

写真集・中国東北、中朝国境地域への旅(2009.8)から その2


 
長白山(白頭山)登山口の「雑踏」 長白山 山頂へつづく人の列

    長白山 山頂 天池の眺望 向こうは北朝鮮
  
天池の向こう北朝鮮の哨所(中央) 深い群青の湖面の美しさ


   集安郊外から望む北朝鮮 満浦の山並みと麓の工場

 同じく集安郊外から 満浦の集落 人びとの暮らしがうかがえた

 
    集安 「好太王碑」         集安 「将軍塚」

posted by 木村知義 at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

写真集 中国東北・中朝国境地帯への旅(2009.8)からその1



瀋陽 朝鮮レストラン 
  中国語の夏期研修で来ていた平壌外語大学の学生たち




 
長春から延吉に向かう高速道路     延吉の街のにぎわい

 
   龍井 尹東柱の詩碑         尹東柱 記念館へ

   展示から 恩真学校時代の 尹東柱と文益煥氏

 学校の校庭にある黒板にハングル文字で標語を書く女子中学生
posted by 木村知義 at 00:32| Comment(8) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年11月12日

コラムから長く遠ざかってしまいました・・・


 このコラムの筆を執るのがとても間遠になってしまいました。申し訳ありません。

 何人もの方々から「一体どうなっているのか」「具合でも悪いのか」「続きを早く!」といったメールをいただき恐縮しています。

 「時々日録」は「ジジニチロク」というつもりで、刻々と動く世界と日本について考えるところを書き継いでいこうという思いをこめていたのですが、まったくもって「ときどき日録」となってしまい深く反省しています。

 ブログから遠ざかっていたあいだ何を考えていたのかということについてまず述べておかなければなりません。

 率直に言うとここに書いてきたテーマ、問題について、言論あるいは言説の有効性についてあらためてじっくり考えてみたということです。

 私は、北東アジアとメディアのあり方をテーマに据えて・・・と言ってきているのですが、そのいずれについても自身の「言説の力」というものをここでもう一度見つめ直してみるということが必要ではないかという思いに駆られました。

 とりわけ朝鮮半島問題について語るという営為に求められるものは何かを突きつめて考えてみなければと思いました。

 もちろんそれはメディアについて言挙げする際にも、中国・アジアについて、あるいは時代や社会について語る場合にもみな同じなのですが、とりわけ朝鮮半島問題について語る“営み”について、自己の足下をしっかり見据え、踏み固めておかなければならないと、あらためて思ったのでした。

 大小、つまりマスからミニまで、これだけメディアが氾濫し、Web上の言説も無限、無数にあるなかで、発言をしていく意味はどこにあるのかという根源的な問題について、本当に、あらためて考えてみることになりました。

 問題意識としては、長くマスメディアの内側に身を置いて仕事を重ねてきて、それはそれで重い責任と大事な意味のあることではあったのですが、そこに安んじていてはならないという思いから一歩外に踏み出してみた、その決断は間違いではないと確信しながら、では踏み出したフィールドでどれほど説得力のある言説を重ねられるのかという自己への問いかけ、省察が、常に必要ではないのかと思ったのでした。

 あたりまえといえば、あまりにも、あたりまえです。

 実は、この間、北東アジアにかかわる研究会をスタートさせたり、中国、アジアにかかわるさまざまな会合で意見を交わしたり、あるいはメディアのこれからについて「業」に携わる方々ときわめて実際的な議論をしたりしながら、一方では上に書いたような思いが日々深まるばかりでした。

 かつて学生の頃、ラディカリズムが時の風潮あるいは「思潮」として語られたことがありました。

 その折、形として「急進的」という薄っぺらな次元ではなく、物事を根源において見据えることが本来のラディカルということであり、それゆえに切っ先鋭く、まさに屹立する存在となるということを学びました。

 そのように深く思想に根ざすものとしてとらえるならば、そこでの言説はまさに「魂にふれる」ものでなければならず、何んらかの発言、言説を重ねるという営為は、自己の足下の検証、省察を伴うことなく許されるものではないという思いに駆られるのでした。

 これはマスメディアに身を置いて仕事をしているときにも繰り返し、繰り返し想起されたことですし、それゆえに仕事のあり方と自身のありようを問い直す営みを繰り返してきたものでした。

 つまるところ、言論の可能性と限界、そして責任について、本質に迫りながら深く考えるという営みにほかなりません。

 なぜ今またこんな思いに駆られるのか、いかにも青臭い書生論に響くかもしれませんが、Webでの発言をはじめて一年余り、目も眩むほど氾濫する言説を前に、私にとって、自己のありようを厳しく見つめ直すことなしに前にすすむことはできないことでした。

 で、その結果は?!と問われると正直立ち往生してしまうのですが、こうした少しばかりの「時」をくぐることで、あらためて勇を振るって可能な限りの発言をしていってみよう、言説を積み重ねてみようという思いを再確認したというわけです。

 状況への発言が、状況に遅れをとり、状況に迫る鋭さを持ち得ず、何らの衝迫力もないとしたら発言の意味はないというべきで、そこをしっかり見据えながら、このコラムを重ねて行かなければと、あらためて思いました。

 力が届くのかどうか、そこははなはだ心もとないのですが、歩みをすすめるしかありません。

 発言するということで、原初の思いへの責任を果たしていかなければと、いままたあらためて考えました。

 あまりに情緒に過ぎるという批判を覚悟の上で、しかしここを避けて通ることはできなかったがゆえに、記しておくことにします。

 さて、こうした「思索」を続けるあいだに、朝鮮半島問題に関していえば、何冊かの書物と私自身が集め仕事で使った過去の資料類(段ボール2箱余)をもう一度じっくり読み返してみました。

 この作業は今も進行形なのですが、このようにして自身の問題のとらえ方に間違いはないかどうかを問い直してみているというわけです。

 なお、このコラムの読者と問題意識を共有するための手掛かりとしてそれらの書物を提示しておきます。

「二つのコリア」ドン・オーバードーファー
(1998年版および2002年「特別最新版」)共同通信社

「北朝鮮 米国務省担当官の交渉秘録」
 ケネス・キノネス(2000年)
「北朝鮮U 核の秘密都市寧辺を往く」     
 ケネス・キノネス(2003年)いずれも中央公論新社

「北朝鮮をどう考えるのか 冷戦のトラウマを越えて」
 ガバン・マコーマック(2004年)平凡社

「米朝対立」春原剛(2004年)日本経済新聞社

「ザ・ペニンシュラ・クエスチョン 朝鮮半島第二次核危機」
 船橋洋一(2006年)朝日新聞社

「アメリカと北朝鮮 外交的解決か武力行使か」
(2003年)フォーリン・アフェアーズ・ジャパン・朝日新聞社

「北朝鮮 ゆるやかな変革」
 グリン・フォード(2005年)第一法規

「北朝鮮 飢餓の政治経済学」
 ステファン・ハカード/マーカス・ノーランド(2009年)
 中央公論新社

「南北統一の夜明け」鄭 敬謨(2001年) 技術と人間社

「朝鮮半島を見る眼」朴 一 (2005年) 藤原書店

「北朝鮮は、いま」韓国・北朝鮮研究学会編
(2007年)岩波書店

「北朝鮮崩壊せず」方燦栄/重村智計(1996年)光文社

「中国が予測する“北朝鮮崩壊の日”」
 綾野/富坂聰編(2008年)文藝春秋社

「アジア危機の構図」
 ケント・カルダー(1996年)日本経済新聞社
「日米同盟の静かなる危機」
 ケント・カルダー(2008年)ウエッジ

「パリデギ」脱北少女の物語(2008年)黄 ル暎 岩波書店

 そしていま、アメリカのジャーナリストD.W.コンデの「An Untold History of Modern Korea」日本語訳「解放朝鮮の歴史」「朝鮮戦争の歴史」「分裂朝鮮の歴史」全6冊(1967年〜68年)太平出版社を読み直しているところです。

 このように、自己の問題意識について確かめる際、結局、いまは書物などの活字情報に頼るしかないという状況ですが、きょうは朝鮮問題についてのジャーナリストの会合で平壌の最新の「生情報」に接する機会を得ました。

 オフレコという決まりなので、いまここに書くことはできませんが、何らかの形で今後のこのコラムに活かしていくことを考えたいと思います。


 さて、朝鮮半島はきしみをあげながらですが「動き」はじめました。 

 先月、北朝鮮外務省の李根(リ・グン)米州局長が渡米し、アメリカのソン・キム六カ国協議担当大使と数次にわたる「米朝協議」に臨みました。

 米朝両政府の当局者が直接「接触」するのはおよそ10カ月半ぶりのことでした。

 当初、李根氏は26、27両日、カリフォルニア大学サンディエゴ校で開かれた「北東アジア協力対話」(NEACD)に出席した後、30日に、ニューヨークで民間団体の「全米外交政策委員会」が主催するセミナーに参加することになっていましたから、サンディエゴ、ニューヨークのどちらかで米朝の接触がおこなわれるとみられていたわけですが、早くも、アメリカ到着後間をおかず、ニューヨークで「米朝接触」がおこなわれ、その後も場所をサンディエゴに移しながら折衝、協議が重ねられました。

 その結果について、メディアはかなり消極的、ネガティブなトーンで伝えましたが、私は、米朝は動く!という確信を一層強めました。

 もちろん、六カ国協議が昨年12月から中断し、北朝鮮による「ミサイル発射」や核実験の強行などで「こう着状態」が続いてきた状況をふまえると、この「接触−協議」が実を結ぶのかどうか楽観は許されないものでしたが、米朝関係の過去の「経験」をレビューすると、一見こう着状態に見える時こそ、水面下では「動いている」というべきです。

 年内という表現で、時期については明言を避けているとされていますが、米政府は、ボズワース北朝鮮政策特別代表の訪朝を決断しました。

 予測されていたタイムスケジュールより幾分かのズレがあることはたしかですが、いずれにしても米朝協議は大きな「変化」を水面下に孕みながら、動きだしたというべきでしょう 。

 そこで、これまでのコラムで考えてきた問題の続きが重要になります。

 「力がなければ国家も民族も滅びるだけだ・・・」という問題と「北朝鮮はなぜ崩壊せず生き続けているのか」ということについてさらに深めておかなければならないと考えます。

 その際どうしてもレビュー、「復習」しておかなければならないことがあります。

 それは、北朝鮮の核開発問題をめぐる「危機」の二つの大きな「ピーク」とそれをどう「くぐって」今に至ったのかという問題です。

 まずひとつは、1992年前後からの「核危機」と94年の「米朝枠組み合意」にいたるピーク、そしてその破たん、崩壊にいたる道についてです。

 もうひとつは、その「枠組み合意」の崩壊と重なってくるのですが、2002年10月のケリー国務次官補の訪朝から2003年8月の六者協議のスタートをへて2006年10月の核実験、そして今年5月の二回目の核実験へと展開し現在に連なる「危機」についてです。

 とりわけ、私たちもメディアも、94年の「枠組み合意」をめぐる問題−なぜ「合意」は成立したのか、そしてなぜそれは崩壊したのかについてしっかりと再認識する必要があると思います。

 すでに破たんした「枠組み合意」など、ふり返る意味がどこにあるのかと思われるかもしれませんが、とにかく、少しばかり復習してみます。
 そして、そのことを通して、「力がなければ・・・」という問題を見つめ直してみたいと考えます。

 
 北朝鮮の核開発問題が「疑惑」として俎上に上るようになったのはいつごろからかについては、意見のわかれるところですが、少なくとも私自身が担当した放送番組でとり上げた経験をふり返ると、1991年前後からがひとつの大きなヤマになったことは間違いありません。

 手許にある当時の資料をひっくり返してみると、北朝鮮が旧ソ連の支援を受けて寧辺に「実験炉」を建設したのは1962年ごろ、その後、1982年に北朝鮮は寧辺に出力5メガワットの黒鉛減速型原子炉の建設をはじめます。

 1985年にはソ連が北朝鮮のNPT・核拡散防止条約への加盟を条件に軽水炉を提供することで合意したとされますが、これはその後のソ連崩壊で果たされませんでした。

 そしてソ連などからは軍事用に転用できる核技術の提供を断られたといわれ、北朝鮮は自力で寧辺の原子炉の建設をすすめることになり、これが稼動をはじめたのは1986年初頭とされます。

 さきほど北朝鮮の核開発「疑惑」が俎上に上るようになった時期については意見のわかれるところだと言ったのは、米国の情報機関などによって相当早い段階から北朝鮮の「核開発疑惑」を「問題化」しようとしていた「動き」があったからです。

 つまり潜在的にはかなり前(80年代の半ば)から北朝鮮の核開発問題は俎上に上りつつあったと言っても過言ではないと思います。
 
 そんななか、北朝鮮は1985年にNPT・核不拡散条約に加盟し、1992年にはIAEA・国際原子力機関の査察協定にも調印します。

 ここで忘れてはならないのは、91年5月、韓国と朝鮮民主主義人民共和国が国連に同時加盟し、その年の12月には韓国と北朝鮮の首相会談で「南北間の和解と不可侵、交流協力に関する合意書」に調印したこと、さらに年末31日には「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」に合意(仮調印)して92年元旦の新聞を飾ったことです。
 
 その後、1月22日には米国のカンター国務次官と金容淳朝鮮労働党書記がニューヨークで初の米朝高官協議へという展開をたどりました。

 ここまでがいってみれば「序章」です。

 この当時わたしは北朝鮮の核開発問題をテーマとした番組を何度か担当したので記憶にあるのですが、北朝鮮は92年5月から翌年にかけて6回にわたって寧辺の核施設に対するIAEAの「特定査察」を受け入れたのでした。

 しかし同時に「隠された北朝鮮の核開発疑惑」といった側面に重点を置いて報道されることが多く、IAEAの6回の査察を受け入れているということ、あるいはその詳細については、それほど広く認識されていなかったと記憶しています。

 問題はこの後でした。

 IAEAは6回の査察を終えた後の93年2月、これまでの査察では不十分だとしてさらに「特別査察」を迫る、異例ともいえる「緊急決議」を採択し、北朝鮮に突きつけるという事態になりました。
 この特別査察を受け入れるかどうかの回答期限は2月25日に設定されていましたが、北朝鮮はこれをはねつけます。

 一方、アメリカは北朝鮮が査察を受け入れる(履行する)まで「話し合い」はしないという「最後通牒」を送りました。

 そして米国のクリントン政権は回答期限の翌日(26日)、前年にブッシュ(父)政権で一時中止に踏み切った米韓合同軍事演習「チームスピリット」の再開を発表し、3月9日から演習を始めたのでした。

 3月24日までの実に大規模な軍事演習でした。

 横須賀からは原子力空母インディペンデンスが加わり、米・韓両国軍あわせて12万人の兵力が動員され、平壌を占領してさらに侵攻するという想定の、まさに実戦さながらの演習となりました。

 北朝鮮はこれに対して「準戦時体制」に入りました。

 そしてチームスピリット最中の3月12日にはNPTからの脱退を宣言したのでした。

 北朝鮮を非難する論調がメディアを埋めました。

 さらにアメリカが軍事力の発動(北朝鮮への攻撃)に踏み切る可能性もとりざたされて、これによって北朝鮮は崩壊するという論調も登場しました。

 まさに不測の事態もなきにしもあらずという、戦争一歩手前の緊張を予感させる状況になりつつありました。

 そんな中、北朝鮮は5月29日に「ノドン」ミサイルの発射に踏み切ります。

 当初射程距離は500キロメートル程度といわれましたが、アメリカの分析では、その2倍を超える1300キロ程とされました。  
 この発射に際して、北朝鮮はアメリカに対して事前に通告したともいわれています。

 そして、このノドン発射の3日後の6月2日、それまでの「実務レベルの事前接触」の上にアメリカと北朝鮮の「高官協議」が実現することになりました。

 翌年10月の「ジュネーブ枠組み合意」につながる米朝会談のはじまりでした。

 こうして、朝鮮戦争休戦以来40年を経てようやく、はじめて米朝が同じテーブルに着くことになったのでした。

 その後、6月11日に「共同声明」の合意にこぎつけて、北朝鮮のNTPからの脱退をおしとどめる(脱退を「留保」)ことになりました。

 北朝鮮がNPTからの脱退を宣言した3月12日から、規定上で脱退が成立する「3ヶ月」目の、まさに前日の事でした。

 当時米国務省の担当官として交渉にあたっていたケネス・キノネス氏は「信じられないことだったが、午後3時ごろには、不可能が可能になった・・・」と書き記しています。

 北朝鮮の核開発問題をめぐって、米朝関係は「危機」と対立・緊張の「緩和」がまるであざなえる縄のようにからみあいながら「同時進行」することを目の当たりにしたという意味で、私たちに「学習」を迫るものであったといえるでしょう。

 こうしてはじまった米朝会談はニューヨークでの「第一ラウンド」から7月のジュネーブでの「第二ラウンド」と続いた後動かなくなります。

 米国側は、北朝鮮とIAEAのあいだで核問題に関する「真剣な協議」が行われることと南北対話の進展という二つの条件が満たされない限り「第三ラウンド」は開かないとし、一方の北朝鮮側は、NPT体制に残留しIAEAの「通常査察」は受け入れるが、対立点となっている「特別査察」については、話し合う前提として米韓合同軍事演習・ティームスピリットの中止と米国による経済制裁の解除、そして米朝高官協議の「第三ラウンド」の再開を求めるという状況になっていました。

 水面下でのさまざまな接触や「動き」がありましたが、11月の国連総会で、北朝鮮に対してIAEAに「即座に協力」することを促す決議を140対1(反対は北朝鮮、中国は棄権)で採択した後一挙に緊張が高まりました。

 韓国の権寧海国家安全企画部長が記者会見で北朝鮮の核開発を阻止するために軍事行動をとる可能性を示唆、訪韓してその権寧海部長と会談したレス・アスピン米国防長官が同行記者団への「背景説明」で「状況は危険区域に入りつつある。彼らは飢えており、このまま飢え死にするか戦争で死ぬかのどちらかだと考えるかもしれない」と語ったことから戦争への恐怖が一気に広まっていきました。

 米朝が「一括協議」方式でなんとか事態を収めようと動く中それへの抵抗を示す当時の韓国の金泳三政権の動きなど、その後の経緯は非常に重要なのですが、そこに紙幅を費やしていることができませんので結論を急ぐことにします。
(つづく)


 なお、この稿を書き継ぐ重要性をふまえつつですが、これを書き綴るきっかけになった中朝国境地域への旅を写真で振り返る作業も並行しておこなおうと思います。

 このコラムが活字ばかりで読むのが大変だ、少しは息抜きがないものか・・・という声に応えることも大事だと思ったからです。
近く写真ギャラリーをこのコラムにアップしてみます。

  
 
 
 
 
 

 

posted by 木村知義 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年10月02日

とりいそぎ「付記」というものですが・・・

  いま書き綴っている事柄の「つづき」を書くのが本来なのですが、とりいそぎのメモランダムとして手短に書いておくべきと思い、「付記」としておきます。

 持って回った言い回しになりましたが、けさ、テレビや新聞など各メディアで、2016年夏のオリンピック開催都市を決めるIOC・国際オリンピック委員会の総会が十数時間後に迫ったという話題が取り上げられました。

 テレビでは「総会まであと何時間!」として、総会開催地コペンハーゲンだけではなく、候補になっている各都市を中継で結んで伝えるという熱の入れ方の局もありました。

 また、IOC総会でのプレゼンテーションを前に、1日、デンマークのコペンハーゲンを訪れている東京の招致委員会の関係者らが最後の決起集会を開いたということも伝えられました。

 この決起集会では、「乾杯」ではなく「完勝!」の掛け声でグラスを交わし、あいさつに立ったマラソンの高橋尚子さんは「マラソンも招致レースも最後の最後まで勝敗はわかりません。みんなで頑張りましょう」と訴え、会場からは大きな拍手が巻き起こったということです。
 
 出席の予定だった石原東京都知事は、IOC委員との面会の約束がとれたため「招致活動を優先して」欠席したということですが、それに先立つ記者会見で「投票する委員が開催計画など技術的な部分を冷静に評価してくれれば東京は勝てる」と述べて、招致に自信を示したということです。

 余談ですが、テレビの映像では石原都知事の横に森喜朗元首相の姿が映し出されていました。
 
 どこでもなかなかの存在感の、元「闇のキングメーカ」?ではあります。

 さて、各メディアは、国民の支持、熱が、各候補地のなかで一番低いのが弱点だと伝えています。
 
 しかし私は、これだけみんなが?頑張っているのに「熱が足りない」から負けるかもしれない・・・という論調に何とも言えない違和感をぬぐえないのでした。

 東京五輪の開催への賛否はそれぞれ自由だと思いますし、盛り上がりたい気持ちにちょっかいを入れて水を差すほどの「悠長」な暮らしでもありませんので、そこに介入するつもりはありません。

 がしかし!、メディアはもう少し、それこそ「冷静に」考える必要があるのではないかと、危惧を抱くのです。

 我々はこれだけ頑張っているのに、国民の熱が足りない!

 あたかも、東京五輪の開催に賛成しないものは「非国民」といった空気を醸成していく、そのことに問題意識があるのか?!という危惧です。

 実は、これは、いま書き綴っている「東アジア共同体へのハードル」というテーマと密接にかかわる問題なのです。

 私は石原慎太郎氏が都知事として五輪の開催に奔走することに特段の異を唱えようというほどの「酔狂」な気持はないのですが、氏のこれまでの排外主義的な発言や近隣の国、とりわけ韓国・朝鮮、中国への差別、蔑視の言説については、看過できないと思ってきました。

 ここでその一つひとつを「蒸し返す」のは控えます。
 ただし、いまは、その時間的余裕がないという意味であって、どうでもいいということではありません。
 
 それらを具体的に、詳らかにして、きちんと検証、批判する作業は非常に重要だと考えています。

 ただ、私の身近な事柄を一つだけ上げておくならば、高校時代の同級生、故新井将敬元衆議院議員にかかわる問題が蘇ります。

 先に断っておきますが、私は新井将敬氏の政治的スタンスに共感を抱いているわけではありません。

 彼が自死という道を選んだあと月刊誌から取材を受けた際も、「彼の苦悩を理解はするが、彼のしてきたことに共感はできない」と答えたものでした。

 ちなみに、彼のことを高く評価する知人、友人たちの談話のなかで、際立って厳しいコメントになって掲載されたものでした。

 その「苦悩を理解する」と言ったのは何かといえば、彼が在日朝鮮人子弟として、ことばにできない差別に苦しみ、帰化という道を選ばざるをえず、その苦悩の裏返しとでもいうべき「上昇志向」を胸の奥深くにしまい、必死にもがき、たたかった、そのことへの胸が痛むまでの思い、あるいは私自身が日本人として、そうした民族差別をなくすためにいかほどの事もなしえていないことへの、悔恨の念だというべきです。

 さて、彼が旧大蔵官僚を辞して、地盤もカバンも看板もない旧東京二区から初めて衆議院選挙に立った際のキャッチフレーズは「日本を担う、将来の総理総裁!」というものでした。

 渡辺美智雄元蔵相の秘書官として重用された経歴から、将来の総理総裁の器だという激励を背に政界に打って出たのでした。

 そのとき、もっとも脅威を感じたのは同じ選挙区から国会に議席を持っていた石原慎太郎氏でした。

 在日の人間に日本の将来の総理など務まるものか!(もっとはっきりいうと、おぞましいほどの表現ですが、朝鮮人に総理大臣なんかやらせていいのか!)といった新井将敬氏の出自を取り上げた「攻撃」を陰に陽に、執拗に繰りひろげたのは石原氏の陣営でした。

 事実、新井氏の選挙ポスターに民族差別、蔑視そのものとしかいいようのない「シール」を貼って、選挙妨害の現行犯で、石原氏の秘書が検挙されるということまで起きました。

 その後も、「シナ発言」をはじめ、石原氏の民族差別、蔑視発言は枚挙にいとまがありません。

 私は石原氏をあげつらってどうこう言おうとしているのではありません。

 それほど氏に関心があるわけではありません。
 
 ちなみに、私が生き方として深く敬意を抱いてきた作家の高橋和巳が、氏の「太陽の季節」が芥川賞を受賞した折の事を書き遺しているのを興味深く読んだことで記憶にとどめてきたという程度です。

 しかし、東京五輪実現にむけて「国民の熱が足りない」という言説が流布されていく、そうして醸し出されていく「空気」と、そのお先棒をかつぐメディアをまのあたりにして、ここは一度「深呼吸」をして熟慮、吟味すべきところではないのかと思うのです。

 私は、世に言う「五輪の思想」を、無批判に受けとっているわけではありませんが、それでも、民族や国家をこえて世界が平和でひとつになる、そんな意味での「スポーツの祭典」としてある、ということを踏まえて「冷静に」考えてみると、その障害になるのは石原知事その人の民族蔑視、差別思想ではないのかと思うのです。

 「国民の熱が足りないこと」を問題にする前に、石原知事の反省こそが、世界の共感を引き寄せる力になることを、メディアは語るべきではないでしょうか。

 そして、日本にいる、私も尊敬する、著名な中国人研究者らが、わざわざ石原知事の東京五輪開催にかける「熱意」を支持する旨の論説を各メディアで掲げるのを目の当たりにして、釈然としない思いを抱いたことも言い添えておかなければなりません。

 国際政治の、まさにマヌーバーとして五輪と石原知事を「もてあそぶ」べきではないと、これはきっぱりという必要があると思います。
 (表向きのご都合主義ではなく、心底石原知事を支持しているのなら、もっと激烈な議論が必要になることはいうまでもありません)

 今、日本で何を問題として取り組むべきなのか、五輪は本当に「夢と希望」をもたらすものなのか、いま日本に本当に必要なものは五輪なのか(もちろんゼネコンやある部類の建築家などにとっては必要であることは言うを待たないことですが)について、メディアは「冷静に」考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 あるいは世界の連帯、協力を高めていくために、たとえば南米大陸で最初であり、しかも移民の歴史という観点から、私たち日本人に深い関係のあるリオデジャネイロを応援するために、日本国内に住むブラジルの人たちと力を合わせるといった、「もう一つの選択」についても考えてみる価値はないのか・・・。

 語るべきことは、それこそ、いっぱいあるのではないでしょうか。

 折々書いていることですが、物事の結論が出てから「後証文」で、実はわたしはそう思っていたのですと、あたかもアリバイを証明するかのような論説は、ジャーナリストにあるまじきことですので、五輪招致への投票結果が出る前に、考えを鮮明にしておかなければならないと思いました。

 いま書き綴っている「東アジア共同体へのハードル」に深くかかわる問題として、東京五輪招致問題があるというのが、私の問題意識です。

 識者といわれる人々、メディアで東京五輪招致を力説する人びとに、「冷静な評価」を迫ることは、それほど無意味なことではないと、私は考えるのですが、どうでしょうか。
 
 取り急ぎの「付記」です。



posted by 木村知義 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年09月27日

「東アジア共同体」へのハードル 〜中国・東北、中朝国境への旅で考えたこと〜(その2)

 「力がなければ、民族も、国家も滅びる、悲惨なものだ・・・」

 在日朝鮮人の方たちと意見を交わす中で出てきた、呻きに似たことばであることは書きました。

 とりわけ、中朝国境地帯という戦略的にも複雑な地域に立って、あるいは高句麗という、中国との間で「歴史論争」になっている、その地で考える朝鮮民族の歴史を踏まえるなら、このことばはむべなるかなというものではある、というより誰しも否定できないというぐらいの重みを持ったことばだと思います。

 確かに過去の歴史をふり返ればそうであるかもしれないし、私たちが生きる現在もまた、その論理を否定できない状況であるかもしれない、そうなのだけれども、しかし、その先を、未来を考えるべきなのではないか、私たちは・・・。

 民族というものをどう定義づけするのが正しいのか、あるいは国家は・・・と、学問的には歴史にもとづく深い研究と考察が必要であることは承知しています。

 しかし、いまここで語ろうとするのは、そうした専門研究に属することではありません。

 ただし、少なくとも近代国民国家というものが民族という論理とは必ずしも一致しない形で形成されてきたことは、現実として認めるべきだと考えます。

 しかも、帝国主義の時代にあって、植民地というものが生まれ、その分割、再分割闘争としての戦争を経て、国、国家というものが、民族の論理とは無関係に「線引き」されて形成されたという現実もあります。

 したがって、冷戦構造の「崩壊」のなかで、ひとたび「抑圧」する力として働いてきた「国家」が揺らぐと、一気に噴出した民族(意識)との軋轢の中で凄惨なまでの「争い」を目の当たりにすることになりました。

 旧ユーゴや旧アルバニアなどを例にあげるまでもなく、いま現在、それらの国がどうなっているのか、どんな名称の国でどのような版図を占めているのか、地図で正確に示すことすら容易ではない状況だといわざるをえません。

 中国でいえば一つの国家の中に56もの民族が暮らし、それらの中には自治区であったり自治州といった民族ごとの「自治、自決」を謳った地域もあります。

 そして、いま、チベットで、新疆ウイグル自治区で、「騒乱」、「暴動」を目の当たりにしているのです。

 こうした状況を前に、力がなければ民族もなにもあったものではないという論理は、現実論としては反論の余地はないのだろうと思います。

 しかし、私たちの生きる21世紀という時代のあいだに解決できるかどうか、それはわからないというぐらいの長い射程のはなしなのですが、結局、どう力を得たとしても、力によっては根本的に解決できない問題として残るのではないのか、ということです。

 そうなると、欧州の「実験」をすべてよしとするのではありませんが、究極的には、平和の中で生きるためには力においてではなく、強力的あるいは「暴力的」に線引きした現在の国家というものをどれだけゆるやかで、柔らかい存在にしていけるのかにかかってくるのではないか。

 象徴的に言えば、黒々とした実線の国境を薄い「点線」にするという営みの積み重ねにしか未来はひらけないのではないか、ということです。

 もちろん、もう一度、地球の破滅しか意味しない「世界戦争」を戦おうという場合は別ですが・・・。

 国境を点線にするという営為の中で、ひとつひとつの「国家」をこえて、あるいは「国家」の内部にも、多数の民族が平和的に共存していく道を模索していくべきではないのか・・・。

 なんとも、口はばったくも、青臭い論を述べたものだと気恥ずかしくなるほどでした。

 それよりも、在日朝鮮人の人びとが、いま、どれほどの苦難に耐えて生活を営んでいるのか、そんなこととは「別世界」のような空論に長広舌をふるったものだと、自己嫌悪に陥るぐらいのものでした。

 しかし、です!空論ではなく現実論として、力においてではなく、論理においてあるいはもっといえば、理念と理想において生きる時代をひらくべきではないのか、これは私の頑固な「思いこみ」ですらあるのです。

 であるがゆえに、中国・東北の地に立って歴史を見つめ、考える旅の意味があるのではないか、というのが私の述べた要旨でした。

 さて、しかし、ここには避けて通れないというべきか、最低でも、二つの語るべきことが残されているというべきです。

 ひとつは、北朝鮮はなぜ崩壊せずに生き続けているのかという問題。

 もうひとつは、中国・東北、つまり旧満州の地に立って、こうした「理想」を語る際に忘れてはならない問題、つまり歴史の記憶という問題があるということ。
 この二つです。

(つづく)



 
posted by 木村知義 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

「東アジア共同体」へのハードル 〜中国・東北、中朝国境への旅で考えたこと〜(その1)

 8月下旬中国・東北、中朝国境地帯を旅してきたことはすでに書きました。

 瀋陽から長春、朝鮮族自治州に入って延吉、龍井、白頭山および山麓一帯、通化を通って集安、鴨緑江沿いに丹東へ、そして大連へ、陸路2600キロにおよぶ旅でした。

 瀋陽から長春そして延吉までと丹東から大連の間はよく整備された高速道路を快適に駆け抜けました。
 長春までの高速道路は以前も通ったことがありましたが、その時は、延吉へは鉄道を使ったので、高速道路ははじめてでした。

 貨物満載の大型トラックの間をBMWやアウディ、ホンダ(広州ホンダ)のアコードなどが猛烈なスピードで駆け抜けていく光景を目にして、いまの中国の”勢い”を象徴しているように感じました。

 高速道路網の整備は中国経済の成長のスピードの象徴でもあるのだと実感しました。

 このように、現場に立って、自分の目と耳で中国の現在(いま)にふれ、そこで考えることが旅の目的でもあるのですが、今回の旅では中国の人たち、とりわけ朝鮮族の人びとの話を聞くことができただけではなく、、日本に住む在日朝鮮人の方たちとも意見を交わす機会を得ました。

 昨年、法政大学教授の田島淳子さん、東京芸術大学準教授、毛利嘉孝さんらが中心になって取り組んでこられた、「在日外国人地域ボランティアネットワーク円卓会議」の活動の末席に加えていただいた際、大学生の皆さんと一緒にブラジル人学校や朝鮮学校を訪問して、多文化共生について、本当にささやかにですが私なりに活動に加わる機会を得たことはありましたが、旅先とはいえ、今回ほど深く在日朝鮮人の方々と意見を交わす経験ははじめてでしたので、私にとってはとても貴重な機会となりました。

 中国・東北地方、特に朝鮮族の人たちが住む地域や中朝国境地域に、韓国からだけではなく、在日朝鮮人の人たちも出かける背景には、ここが朝鮮民族にとって歴史的にも深いかかわりのある地域だということに加えて、長白山(朝鮮名白頭山)の存在があると思われます。

 余談ですが、朝鮮民族にとって白頭山がどれほど思い入れの強い存在であるのかを痛感した経験があります。

 90年代初頭、北朝鮮の核開発問題が持ち上がったとき、ある人物のインタビューを録るために韓国ソウルに出かけたことがあるのですが、収録のために訪れたある「施設」の玄間の壁面いっぱいに巨大な絵が掲げられていました。

 わたしは何も思わずその前を通って奥に行こうとしたのですが、撮影助手の韓国人の若者がしばしその絵の前に佇んだまま動かないのです。

 「どうしたの?」と声をかけると「ペクトゥサン!」と声を弾ませて言うのでした。

 「で、それがどうしたの」とことばを返すと、「すばらしい!」と言って「この山は韓国人なら(つまり朝鮮民族ならと言う意味ですが)死ぬまでに一度は登りたい、登らずには死ねないそんなあこがれの山なんですよ!」とことばを続けたのでした。

 不勉強を恥じなければならないのですが、そのときまで白頭山というものがいかなるものかまったく知らずにいたので、認識を新たにしたという次第でした。

 韓国の人びとにとって、「分断」という状況にある現在の南北関係では、白頭山に登るには中国側からしか道がないということですし、「制裁」が実施されていて母国との往来にさまざまな「困難」がある状況の下、在日朝鮮人にとっても白頭山に至る道は中国に出かけるのが早道という事情もあるのでしょう。

 とにかく、旅をしていても、まわりでは朝鮮語(地域に住む人たちの朝鮮語と韓国からの旅行者の韓国語)の会話が飛び交いました。

 もちろん朝鮮族自治州の延吉などでは街のなかもハングル表記に溢れていますし、朝鮮族の人たち(とりわけ年配者)は、日常会話は朝鮮語、必要に応じて中国語を併用するという生活です。

 余談ついでにといえば語弊がありますが、白頭山の素晴らしさをことばではなかなか説明できませんので、頂上にある「天池」の写真を掲載しておきます。



長白山(白頭山):中国側山頂から天池を望む、向こう側は北朝鮮

 さて、旅先で在日朝鮮人の方々と交わした、会話、議論です。

 なお、はなしの前提として「朝鮮籍」という問題を歴史的にきちんと認識しておくことが不可欠なのですが、ここで、そこに踏み込むとそれだけで何回かのコラムを費やさなければなりませんので、いまは控えます。
 ただし、非常に乱暴な「要約」であることを承知の上で、重要な点だけを押さえておくと、

 日本の敗戦により植民地支配から解放された後、サンフランシスコ講和に至るなかで、それまで強制的に「皇国の民」、日本人とされてきた朝鮮人が、突然「何国人」でもない存在に投げ出され、母国に戻ることのできた人は別として、大勢の朝鮮人が、便宜的に地域を示す「朝鮮籍」において、「特別永住許可」の下日本で暮らしを営むことになったこと、植民地支配からの解放が祖国の再建を意味することなく南北に分断国家が生まれ、戦後世界の「冷戦」の悲惨を一身に負うかのように同族血で血を洗う朝鮮戦争へと至ったこと、そして1965年の日韓基本条約により南半分の韓国籍のみが国籍として認められるという、きわめて「複雑」な歴史を生きざるをえなかった在日朝鮮人の苦難というものへの歴史的認識と想像力がなければ、現在の朝鮮半島問題を考える際、事の本質が見えてこないのではないかと思います。


 今回の旅の中で交わした会話の中にも「北であれ南であれわが祖国」ということばが在日の方の口から聞かれました。
 長白山(白頭山)への「あこがれ」はそうした文脈で受けとめるべき思いなのだと痛感しました。

 ただし、旅から戻って手にした文芸誌のページをめくるうち、このことばの「元祖」的な存在である在日作家の連載で、しばらく目にしなかった「北であれ南であれわが祖国」という活字に出会いましたが、この作家については、とりわけ「国籍」問題でさまざまに議論、論争のあるところですから、旅先で耳にした在日の方のことばは、さしあたりはこの作家のスタンスとは関係なく語られていることを、念のため書いておきます。


 なぜこれほどのさまざまな「注釈」が必要なのか、本当に苛立たしくなるぐらいですが、それが在日朝鮮人にかかわって何かを語ろうとする際、現在の”日本”のなさしめるところだと思います。

 なんの「注釈」もなしに語ることのできる時代と社会を一刻も早くひらかなければならないと思います。

 さて、本論に戻らなければなりません。

 「やはり力がなければ、国も滅びるのだ!力がなければ国も民族も生きていけないことを本当に痛感した・・・」
 在日の、学識豊かな、とりわけ歴史分野に深い知識を持つ人物から漏れた呻きのようなことばです。
 吉林省東南部、鴨緑江沿いにある小都市、集安でのことです。

 世界文化遺産にも登録されている好太王碑(広開土王碑)で知られる、この集安という地は、高句麗の歴史的位置づけをめぐって、韓国と中国との間でもデリケートな歴史問題として議論の絶えないところでもあるのです。

 その地で、このことばを聞いて、私は、ハッとさせられ、そして、しかし「力」ということばにどこか抵抗感が残って、立ち尽くす思いを抱いたのでした。

 その「抵抗感」が顔に出たのかもしれません、会話は、民族、国家というものをめぐる議論へと発展したのでした。

 初対面で踏み込む議論ではなかったかもしれません。
 しかし、ここは在日朝鮮人という存在に正対するためには、あるいは信頼関係の中で問題を考えるためには、あいまいに言葉を濁してやりすごすべきではないと、思ったのでした。


 しかしその会話の先に、 「あなたは、民族、国家というものはこえていけると思うか、そう思うなら、どうこえていくのか。あるいは、私たちが日本の社会で、いま、本当に息もできないほどの生活を余儀なくされている、そのことをわかってもらえるだろうか・・・」と問われることになりました。

 「力がなければ悲惨なものだ!」と、重ねられることばが一層強く私の胸に刺さりました。

 現在の日朝関係の下で、在日朝鮮人というだけでどれほどの苦しみに、いま、耐えながら暮らしを営んでいるのか、そのことがひしひしと伝わってくるだけに、ことばを返すことができなくなるのでしたが、それでも勇を振るって、青臭い議論だと思われるかもしれませんが少し私の話を聞いてもらいたいと、私は話を切り出したのでした。
(つづく)






posted by 木村知義 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年09月21日

情報の「ゆがみ」の恐ろしさを知らなければならない

 2回にわたって北朝鮮問題、朝鮮半島情勢について書いてきました。

 今回は、中国・東北への旅、とりわけ中朝国境地帯を歩いて見聞きしたこと、考えたことに転じたいと考えていましたが、その前に、さらに書いておかなければならない問題があることを痛感します。

 何かというと、北朝鮮にかかわる情報の「ゆがみ」についてです。

 私たちの意識のなかに、あるいはメディアの報道に抜きがたく存在する、北朝鮮情報にかかわる「ゆがみ」の問題は、実に深刻だと言わざるをえません。

 この2回のコラムにふれて、直近のニュースを取り上げます。
 金正日総書記にかかわる情報です。

 きょう(21日)の各紙でも伝えられているのですが、アメリカのオバマ大統領が20日のCNNテレビとのインタビューで、8月に平壌を訪れたクリントン元大統領からの報告に基づいた分析として、昨夏から健康不安説が取りざたされていた北朝鮮の金正日総書記について、健康を回復し「再び権力掌握を確かなものにしている」との見方を示したということです。
 
 さらに後継者問題についても「病気だったころは後継についてもっと気にしていたが、今はそれほどでもないようだ」と語ったというのです。

 これについては「北の最重要課題は後継問題ではないとの見方も示した。」(読売)と報じた新聞もありました。

 そして、北朝鮮当局に拘束されていた米記者2人の解放を目的としたクリントン氏の訪朝について「我々は北朝鮮との交流は多くはないので、こうしたことを知る貴重な機会だった」と評価したのでした。

 金正日総書記の健康問題は「後継問題」にとどまらず、この間のロケット発射から核実験にいたる北朝鮮の「動き」を規定する重要な要因であることはいうまでもありません。

 実は、北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長が今月の10日平壌で日本の共同通信との会見に応じています。

 その発言要旨を見てみると、

・(日朝)両国が21世紀になっても近くて遠い関係を打破できないことを残念に思う。われわれは日本当局の不当な敵視政策に反対するのであり、日本の国民は敵ではない。

・日本が(日朝)平壌宣言を重視し、宣言に基づき不幸な過去を誠実に清算しようとするのであれば、両国間で解決できない問題はない。関係改善の展望はあくまで日本当局の態度にかかっている。

・諸懸案を解決しながら、政治、経済、文化などあらゆる面で実りある関係を築くことは、両国民の利益に合致し、北東アジア地域の平和と安定、発展に有利な状況を生むだろう。

・金正日総書記は、現在も旺盛な精力にあふれ、党と国家、軍の全般を賢明に指導している。

・革命伝統はわが国家と国民の生命で貴重な財産であり、その継承は重要な問題だ。国民は常に、金日成主席が生み出し、金総書記が発展させている革命伝統を体得するようにしている。

・これ(革命伝統継承)に継承者(後継者)問題は関係していない。現時点では論議されていない。(金総書記の三男、正雲氏の内定説など一連の報道は)全く事実無根だ。

 という内容です。

 もちろん、こうした発言を、そのまま「鵜呑み」にするわけにはいかないということはあるでしょう。
 
 しかし、これだけの高位にある首脳が、国外に報道されることを前提に、いま、なぜこうした内容の発言をしたのかということは無視できません。

 この点は極めて深い吟味と慎重な分析が不可欠です。

 たとえば、後継問題について、金総書記の三男、正雲(ジョンウン)氏が内定したとの海外での報道に対して「革命伝統を継承する問題は重要だが、これに継承者(後継者)問題は関係していない」、「現時点では論議されていない」と海外での「内定報道」をきっぱりと否定していることは注目すべきことだといえます。

 そして、なによりも重要なことは、20日のCNNテレビでのオバマ大統領の発言と平仄があっていることです。

 重ねてですが、金永南委員長の言う通りになるのかどうか、それはわかりません。

 しかし、米国の大統領がメディアのインタビューに答えた内容と合致してくるとなると、これは軽い問題ではなくなります。

 ふりかえってみると伏線がありました。

 今月15日、米太平洋軍のキーティング司令官が「北朝鮮の後継構図は不透明」との見方を示していたのです。

 これは 米国のシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のフォーラムでの発言です。

 キーティング司令官は、クリントン元米大統領の先月の訪朝は大きな情報をもたらしたと述べ、「金正日総書記はしっかりと立つことができ、力もありそうで、論理的な討論をする能力もあるものと見られた」と語ったというのです。

 この発言について韓国の聯合ニュースは、クリントン元大統領の訪朝が「北朝鮮指導部の状況について重要な情報を得る機会になったことをほのめかしたもの」と伝えています。

 さてそこで、きょうのTBSニュースです。

 CNNのインタビューに答えたオバマ大統領の発言について伝えながら、「北朝鮮に対する強い制裁措置は『中国やロシアの協力も得て非常に成功している』と述べると共に、北朝鮮が米朝2国間を含めた協議に復帰することを念頭に『近いうちに何らかの前進がはかられると思う』との見方を示しました。」と報じました。

 米朝間の問題について「近いうちに何らかの前進がはかられると思う」とオバマ大統領が言明したというのです。

 ここまで情報の流れを押さえて見ると、クリントン元大統領がもたらした情報の重みが見えてきます。

 まさにホワイトハウスの西ウイング、特殊防諜装置が施された密室でクリントン氏が直接オバマ大統領に伝えた情報の重みです。

 このコラムでは、国際情報小説やスパイ小説の類のような想像力をたくましくしようというのではありません。

 アメリカの、情報というものに対する姿勢について注意を払う必要があると、かなり控えめな物言いではあるのですが、言いたいのです。


 情報は、現実に対して謙虚になることがなければ生きない、つまり価値がないということを如実に物語っているのです。

 まさかクリントン氏が金正日総書記にシンパシーを抱いているなどと考える人は皆無でしょう。

 好きか嫌いかといえば、多分嫌いでしょう。

 百歩譲ったとしても、「人権派」のクリントン氏ですから、金正日氏は、少なくとも好きな人物ではないでしょう。

 しかし、そうした「個人の好み」に左右されず、現実を直視する力があるからこそ、大統領としての彼を評価するかどうかは別にして、国家の指導者としての大統領が務まったというべきです。

 CNNで今回のような発言をしたオバマ大統領もまた同じでしょう。

 さて、ここまで書いてくると、賢明な読者のみなさんですから、何を言おうとしているのかおわかりだと思います。

 対する、日本の、北朝鮮にかかわる情報の「貧困」さです。

 「金正日はすでに死んでいる」などと大言壮語したメディア出身の北朝鮮問題専門家がいたりするのはお笑いで済みますが(いや!記者を辞めてからは大学の教授などという職にあるのですから笑えないか?)なんともことばにできないほどの北朝鮮情報の「ゆがみ」は深刻だというべきです。

 何を言っても確認のしようがないということをいいことに、言いたい放題という様相を呈しているのが、日本の北朝鮮情報ではないでしょうか。

 この間の米国の動きを深く見つめると、なぜいつも日本が「蚊帳の外」に置かれるのか、如実に見えてきます。

 国益とは何か!

 北朝鮮情報をもてあそぶ専門家に、ここは真剣に考えてもらわなければなりません。

 北朝鮮に対する救い難い情報の「ゆがみ」が、いま、日本を危うくしています。

 私は、なにもアメリカが立派だといっているのではありません。
 アメリカは自国の利益のためにそうしているだけのことです。

 しかし、では、日本に、“クリントン”はいるのか、それに謙虚に耳を傾け、国の行く末を間違わないように努力する“オバマ”はいるのか?!
 
 あるいはバイアスをできるだけ排除しながら、現実を直視して伝えるメディアはあるのか・・。

 さらに、この日本における北朝鮮にかかわる情報の「ゆがみ」は何に由来するものなのか、これこそ歴史に深く根ざす問題として、真摯な思索を求められるものだと思います。

 朝鮮半島は動く!

 そう確信するだけに、情報の「ゆがみ」に根ざす問題の深刻さと重さを思わざるをえません。





posted by 木村知義 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年09月19日

動く!朝鮮半島、中国東北・中朝国境の旅から・・・

 さて、もう少しこの間の「動き」を整理しながら考えてみます。

 2人の女性記者の解放をめざしたクリントン元大統領の訪朝、開城工業団地で北朝鮮側に身柄を拘束されている男性社員の解放、帰国をめざす現代グループの玄貞恩会長の訪朝、そのいずれもが奇しくも「身柄を拘束されている者」の解放をめざすという、誰もが反対できない「人道目的」で訪朝し、金正日総書記との会見、会談に至るという経過をたどったことはすでに知られるとおりです。

 これに続く金大中元大統領の死去をもうひとつの契機に加えて、朝鮮半島は大きく動きはじめます。

 とりわけ、北朝鮮弔問団の韓国派遣、青瓦台での李明博大統領との会談という流れの中で、それまで緊張とこう着状態にあった南北関係が、いってみれば、きしみを立てながらではあれ、大きく転換をはじめました。

 自由を奪われた拘束の身の上、あるいは人の逝去という「不幸」を奇貨としてというと不謹慎に響きますが、そうとしか言えないぐらいのタイミングで、まさに恩讐を超えて「禍を転じて福となす」というべき展開がはかられたのでした。

 そして迎えた9月です。

 9月3日から10日まで、アメリカの北朝鮮問題を担当するボズワース特別代表が中国、韓国、日本を歴訪しました。

 5月に中国、韓国、日本、ロシアの4カ国を歴訪したのに続く、6カ国協議の構成国歴訪でした。

 この時期に合わせるかのように、北朝鮮の国連代表部は3日、「使用済み燃料棒の再処理が最終段階にあり、抽出されたプルトニウムが兵器化されている。ウラン濃縮実験が成功裏に行われて仕上げの段階に入った。」とする書簡を国連安全保障理事会議長あてに送りました。

 「ウラン濃縮」のくだりばかりが大きく報道されたのですが、それ以上に注意を払うべき重要な部分は「われわれは、わが共和国の自主権と平和的発展権を乱暴に踏みにじるのに利用された6者会談の構図に反対したのであって、朝鮮半島の非核化と世界の非核化そのものを否定したことはない。朝鮮半島の非核化は徹頭徹尾、米国の対朝鮮核政策と密接に連関している。」と主張しているところです。

 9日になると読売新聞がソウル発で、韓国政府当局者が「米国が、北朝鮮との2国間協議開催の可否を数週間以内に決める、との見通しを示した。」と報じました。
 
 さらに、日本、中国、韓国の関係3か国を歴訪したボズワース米政府特別代表が、「6か国協議開催を促す目的ならば、米朝協議を先行開催できるとの考えを示し、3か国の了承を取り付けたという。」と伝えたのでした。

 3か国、つまり中国、韓国そして日本の了承を取り付けた?!というのです。

 そして、ボズワース特別代表の帰国を待っていたかのように、11日にはクローリー米国務次官補が「北朝鮮を6者協議の場に復帰させる方策の一環として、2国間協議に応じる用意がある」と述べたと米・CNNが伝えました。

 加えて、協議が実現する期日について「クリントン米国務長官が9月下旬、国連総会の場で他の6者協議参加国の外相らと会談した後になる」と踏み込んで伝えています。

 一方、6カ国協議の議長国にして北朝鮮にとっての最大の援助国でもある中国です。

 まず、中国の戴秉国国務委員(外交担当)と楊潔チ外相が4日、中国を訪問している北朝鮮の金永日外務次官を団長とする朝鮮外務省代表団とそれぞれ会見。

 16日には中国の胡錦濤国家主席の特使として戴秉国国務委員が北朝鮮を訪問し姜錫柱第1外務次官と会談。 
 「中朝関係や共に関心を持つ地域・国際問題について深く意見交換した」(中国外務省)

 「戴氏には対外援助を担当する傅自応商務次官が同行しており、新たな無償援助などについて話し合っているとみられる。北朝鮮の経済困窮をにらみ、援助を手札にして核問題を巡る6カ国協議への復帰を促し、核問題での軟化を誘う狙いがうかがえる。」(日経9/18)

 (米自由アジア放送[RFA]が、ワシントン外交筋の話として「15日、北朝鮮の崔泰福(チェ・テボク)最高人民会議議長が中国を訪問した」と伝えたということですが、今のところ確認されていません。)

 戴秉国国務委員は、18日には、金正日総書記と会見、胡主席の親書を金総書記に手渡す。

 金総書記はこの席で「北朝鮮は非核化の目標を堅持し続け、朝鮮半島の平和と安定守護に努力するとしながら、『この問題を2国間または多国間の対話で解決することを希望する』と述べたという。」(韓国・聯合ニュース9/18)

 少しばかり煩雑とさえいえる「情報整理」になってしまいました。

 しかし、すでに読者のみなさんもお気づきだと思いますが、こうしてクリントン訪朝以来の動きを注意深くトレースしてみると、米国、中国、韓国のいずれもが北朝鮮問題にかかわって「動いている」ことに思い当ります。

 しかし、対照的に、(ロシアをおくとして)6カ国協議参加国で、わが日本だけがなんの「動き」もありません。
 
 悲しいまでの当事者能力の失墜です。

 (まさか選挙で慌ただしくしていたからなどという言い訳は通用しないでしょう。)
 
 これが独自の制裁と圧力の「実体」だとするなら、なんとその代償の大きいことかというべきです。

 すべてにわたって蚊帳の外に置かれ自縄自縛というべきか、身動きのとれないわが日本の姿が浮かび上がってきます。

 ですから、前回書いたような「日米同盟があるのだから、クリントンさんは日本の拉致被害者のためにもっとしっかりやってくれてもいいじゃない・・・」などと、テレビで臆面もなく発言するコメンテーターが跋扈するのです。

 本人が自覚していなくとも、当事者能力を失っている「境遇」をみごとに語って余りあるというべきです。

 こんな人びとに拉致問題を語る資格があるのでしょうか。

 拉致被害者を本当に救おうと考えるのなら、なすべきことは現在の「処方」とは正反対でなければならないことを、現実は教えているというべきです。

 勇を振るって国交正常化交渉に踏み込んで、主張すべきことを主張し、聴くべきことを聴くということにしか打開の道はないというべきです。

 実は、このことは、ことばには出さなくとも、すでに多くの人が覚っていることなのです。

 選挙も終わったことですし、もう「時効」だと考えますので書きますが、拉致問題に積極的に取り組んできた自民党の有力議員(すでに元議員になった人もいますが)から、オフレコを条件に話を聞いた折、いまの力と制裁一本槍では拉致被害者を救うことにはつながらない!いまやっていることはそれを阻害することばかりだと明言したのでした。

 「しかし、こんなことは一歩この部屋を出たらとても言えません!」と襟の青いバッジを見やりながら言ったものでした。

 歴史的な政権交代という画期に立ったいま、まさにいまこそ私たち一人ひとり、あるいはメディアに携わるすべての人びとが、日本の北朝鮮政策のあり方を真摯にとらえ直してみなければならないと思います。

 勇気を振るって、発言し議論を巻き起こさなければならないと思います。

 こうして見てきたように、米・中・韓の動きを冷静に直視する勇気とそれらを的確に解析する力が、いまこそ必要とされています。

 価値観や思想を同じくする「仲良し」との間にではなく、それをまったく異にする「間柄」だからこそ外交の果たすべき役割があるのです。外交力の問われるフィールドがあるのです。

 好き嫌いや、親しみをもてるか否か、信用できるかどうかなど「好みの問題」で考えるのなら、それこそ「サルでもできる」業というべきでしょう。

 事は、国の成り立ちや体制、思想や価値観のまったく異なる国との間の問題なのです。

 しかも近代には否定しがたい負の歴史を負っている、われわれなのです。

 ここは真剣に、真摯に歴史と向き合い、現在のアジアで、アジアの中の日本として、針路をどう定めるべきなのか、はっきりとさせていかなければならないと考えます。

 ズルズルと状況、情勢に引きずられながら、いつも「米国頼みの不満タラタラ」、中国、韓国へは不信と嘲りの塊りというような情けないあり方を、きっぱりと断ち切らなければならないと思います。(つづく)
















posted by 木村知義 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録