2010年10月18日

朝鮮の地に立って@

 すでに書きましたが、9月25日から10月2日まで朝鮮半島問題をテーマにするジャーナリストグループの一員に加わって朝鮮民主主義人民共和国を訪問しました。
 ちょうど9月28日の朝鮮労働党代表者会をはさんで平壌に滞在することになりました。
       
  
             平壌・順安空港
 その後、10月10日の朝鮮労働党創建記念日にはアメリカ、日本をはじめ海外のメディアが「パレード」を取材するとともに平壌から中継で各種のレポートを発信しましたので、世界はテレビや新聞を通じて「朝鮮の現在(いま)」の断片について幾ばくかのことを知ることになりました。
 「幾ばくかのこと」と書きましたが、これまで情報の乏しかった朝鮮のことですから新鮮な驚きもふくめてずいぶん「多くのこと」を知ることになったと言うべきでしょう。
 にもかかわらず「幾ばくか」というのは、これで「朝鮮の現在(いま)」についてわかったというには程遠いからです。
 
柳京ホテルの建設工事が再開されていた      平壌市街、スローガンの看板
 そこで、今回の朝鮮訪問での見聞をもとに、私の問題意識に即して少しばかりの報告を綴ることも無意味ではないと思い、ここに書いていくことにします。

 書き進めるにあたってまず国名について私の考えを述べておきたいと思います。
 従来から日朝関係に深いかかわりのある人たちは朝鮮民主主義人民共和国の人々の表現にもとづいて「共和国」と語ることが多いのですが、私にとってはどうも馴染みのない表現であるだけではなく国名の表現としては感覚的に「ぴったり」きません。しかし毎度々々、朝鮮民主主義人民共和国と書くのも大変なのでどうしたものかと考えた結果、朝鮮という略称で書き進めることにしたものです。まずこのことをご理解ください。
 日本のメディアでは北朝鮮という表記、表現が一般的ですのでこれを無条件に否定しようというのではありません。しかし、少なくとも国連に加盟し世界160カ国をこえる国々と国交を持つ国ですから、地域を表す「北朝鮮」という表現ではなく国名の略称としての表記、表現を考えることがこの国について何かを語る際の第一歩だという認識に立っています。
 ただし、これは私の認識においてということですから、メディアの記事を引くときなど、さまざまな場面で「北朝鮮」という表記、表現のまま使うこともあり得ますので、そこもまた柔軟に理解していただきたいと考えます。

 さて、今回の訪朝にあたっての一番の注目点は、44年ぶりとなる労働党代表者会の開催で朝鮮労働党の指導体制がどう構成されるのか、あるいはその下で国家や軍の統治体制がどうなるのかということでした。
 
      9月28日党代表者会開催当日平壌市内は祝賀のムードがあふれた
 これについてはすでにメディアで報じられていることですからあえて繰り返すまでもないのですが、金正日氏が再度総書記に「推挙」されたということと三男の正恩氏が朝鮮人民軍の大将に任じられるとともに党中央軍事委員会副委員長、中央委員会委員に就いたということで、正恩氏を後継として、朝鮮が掲げる「2012年に強盛大国の門をひらく」目標にむけての体制が明確になったということでしょう。
 また、国防委員会副委員長の張成沢氏が党政治局候補委員と中央軍事委員会委員に就いて、金正日総書記の後継体制にむけて、ますます重要な役割を果たすのではないかと注目されるところです。

 「政治・思想強国、軍事強国については基本的に達成した。残るは経済強国だ。この三つが揃ってこそ強盛大国の扉をひらくことになる・・・。」
 今回の訪朝ではこうした言説に随所で出会うことになりました。
 これを首肯するかどうか、あるいは賛否、是非をいまはひとまずおいて先に進むことにします。
 そこで、私の問題意識としては、経済という側面から今の朝鮮をどうとらえ、将来をどう見通すのかということが、まず大きなテーマとして浮かび上がりました。ただし、どの問題についても同じですが、短い滞在に加え、なによりも限られた見聞からこうした諸問題について容易にわかるなどということはあり得ません。従って、あくまでもひとつの断面についての考察あるいは感慨という限定詞をつけて受けとっていただければと思います。

 そのような前提に立って、大括りに言って、北朝鮮の「変化」という視角から経済や民衆の様子、中国の存在をどうとらえるのか、朝鮮は「閉ざされた国」なのかどうか、日朝関係のこれからなどについて平壌での見聞にもとづいて述べてみようと思います。
 ここでも、というべきか、注意が必要なのは「変化」というとらえかたです。
 朝鮮は変わらない、あるいは「確固不動」というとらえ方もあるでしょうし、変わろうとしているというとらえ方もあると思います。ここで「変化」というとき、そうした多面的な理解に注意を払いながら慎重に使っていることばだということをまず断っておかなければなりません。
 国名の略称についてもそうでしたが、この報告を書き綴るにあたって前提、あるいは留保という意味で本論に入る前にさまざまな説明が必要になるもどかしさがあります。しかしこれもまた現在の朝鮮の、あるいは日朝関係のありようを反映したものというべきで、煩雑ではあるが致し方ないと考えます。ただし、本来的には、一日も早くこうした前提、留保なしに端的に語ることのできる日朝関係にしていく必要があると考えます。

 さて、まず経済です。平壌でヒアリングと少しばかりの意見交換の機会を持った朝鮮社会科学院の経済専門家は「新しい世紀に入って政治思想強国を建設し、核抑止力を持つことで軍事強国となった。経済強国を建設すれば強盛大国のすべてがそろうことになる」とした上で経済強国を建設するための当面の目標は3つあるとして、要旨以下のような話をしました。
 まずはこの専門家の話に耳を傾けることにします。
1.かつての最高生産水準を突破することが第一の目標だ。過去の最高生産水準は1980年度である。その後1990年代に米国による経済封鎖と社会主義市場の崩壊によって、経済的に苦難の時代(苦難の行軍)を経なければならなかった。このときに経済が衰えたが、この10年の間で経済的飛躍をもたらすことの出来るしっかりした物質的土台を作ることができた。これによって2012年までにかつての生産最高水準を突破する条件ができた。
2.第二の目標は経済のチュチェ化(主体化)、近代化、科学化をおしすすめることによって経済を一新させることである。そのために2つの問題がある。ひとつは経済の自立性を最高の水準に高めること。もうひとつは技術革新をすすめ技術集約型に変えることだ。
3.三番目の目標は人民生活で根本的転換をもたらすこと。食料と一次消費品の問題を解決し、住宅、住環境を画期的に改善することだ。
 このような目標を達成するために今年の当面の目標は人民生活の向上のため決定的転換をもたらすことだ。
 なぜ今年こうした目標を全面的に打ち出したのかといえば、まず、社会主義経済の主な目的が人民の物質的生活水準を段階的に向上させることであるからであり、朝鮮の経済の近代化が21世紀の要求にこたえられる高い水準に達しているからだ。経済建設の技術装備水準の土台が築かれたので人民生活に力を集中できるようになったとして、人民生活の向上について、さらに、主な目標を意味する「主攻戦線」(我々にはなじみのない用語ですが)という表現で「軽工業」と「農業」に重点を置いていると語りました。
 ここに登場する「チュチェ(主体)」という概念への私の理解が十分ではないため、意味するところを完全には理解できていないところもあるかもしれませんが、とにかく民生の向上をめざし、軽工業、農業に力を傾注するという方向性が示されたということです。
 そして、この専門家は「人民生活に必要な日用品の生産を大々的に増やし質を飛躍的に高めること」を目標に挙げ、軽工業の現況について「特に食品加工工場の近代化が飛躍的にすすんだ。平壌の穀物加工工場やメリケン粉加工工場など数多くの食品加工工場が近代化されている。食品加工技術もすべてCNC(コンピュータによる数値制御システム)化された。製品の品種も大きく増え、人民生活に必要な品目を400種増やすことを目標にしている。日用品の製造は去年の同時期に比して、1.2倍になった。なかでも靴は1.6倍の増産だった。」と語りました。
 1990年代の「苦難の行軍」といわれた経済の後退、食糧の困窮といった状況に反転の局面が生まれているということかと感じるとともに、2012年にむけての「意気込み」が伝わってきました。
 ただし「かつての(経済の)最高水準を突破する」という目標にかかわって質疑で「1988年の一人当たりのGNPは2530ドル(1988年当時はGNP統計)、2007年のGDPは163億6000万ドル、一人当たりのGDPは638ドル」ということが示されたのですが、2007年以降の成長を見込んでもあと2年で過去の「最高水準突破」という目標はかなりの負荷のかかるものではないかというのが率直な印象でした。
 もちろん朝鮮の経済統計の信頼性に対する疑義があることは承知していますが、今回話を聴いた専門家の、データもふくめた率直な応答ぶりには敬服したことも確かです。
(時間が許せばもっと踏み込んで意見を交わすことができたのでしょうが、少し惜しまれるものでした。)
 この専門家の話をもう少し続けます。
 人民生活の向上に必要な軽工業と農業生産を後押しするために「4大先攻部門」に力を入れているとして、金属工業、電力、石炭、鉄道の4部門を挙げました。そして「金属工業部門の大きな成果は去年『チュチェ(主体)鉄』の生産システムが完成されたことだ」と語りました。
 我々にはまったくなじみのない「チュチェ鉄」というものについて「我国はコークスがないので金属工業部門で苦労していた。輸入されるコークスの量に見合う生産しかできなかった。60年代から自力技術にもとづく銑鉄、鋼鉄生産努力は重ねてきたしある程度成果も出ていた。しかし社会主義市場があったのでコークスの輸入もできたし科学技術水準がまだ高くなかったので鉄鋼材、金属工業部門で十分な備えをすることができなかった。90年代社会主義市場が崩壊してからは資本主義市場でコークスを輸入しなければならないという非常な経済的困難に直面した。したがって、非コークス化による製鉄生産システムの創造を目標として打ち出し、努力を重ねてきた。現在は生産能力を拡大し、技術水準をさらに高める努力をしている。」という説明に加えて、質疑でその技術的な問題についてさらに踏み込んで「非コークス化」とは「コークスを使わず、無煙炭を使って鉱石を溶かして鋼鉄をつくる新技術だ」とするとともに「コークスを使わないとするとカロリーが足りないのではないか」という日本側の質問に「だから新しい技術だと言っているのだ。我々が完成した『チュチェ鉄』生産システムは酸素溶融炉を回転炉と結合させたものである。酸素溶融炉を動かすためには大量の酸素発生器が必要になる。それを我々の技術で自立的に解決した。ラゴン連合企業所でそのための装置を造っているが、いまは1万5000立方メートルの酸素分離機まで出来るようになっている。」という説明が加えられました。
 
 私にはこうした技術に知識がないので、依然としてこの「チュチェ鉄」については十分理解できていないのですが、コークスを使わずに製鉄が可能となる技術を開発したとなると画期的であることは確かだろうと思います。
 余談ですが、参観のためバスで移動中、かつて朝鮮経済の先導役とされた千里馬製鉄所の近くを通った際、がらんとしていて製鉄所の活気が感じられなかったことから、いまも稼働しているのかを尋ねたところ「稼働、操業している」という返答とともにこの「チュチェ鉄」技術の開発に成功したことに話が及んだのですが、我々への応対、通訳に当たってくれていた受け入れ機関の青年(日本語能力の高さだけではなく実に聡明で優秀な青年でした)が思わず声を詰まらせ涙をうかべて感極まった様子でしたので、「苦難の行軍」から「チュチェ鉄」の開発に至る時代が朝鮮にとっていかに大変であったのかが垣間見えたものです。

 さらにこの専門家は産業と暮らしにとって重要な電力について「(朝鮮は)水力資源が豊富なので、基本は水力資源を最大限に生かしながらそのほかのエネルギー源も組み入れて取り組んでいる。いま、特に大規模水力発電所の建設に力を入れている。今年レソンガン(礼成江)青年2号発電所(注:黄海北道)が操業をはじめたのをはじめ、中小規模の発電所が操業をはじめた。とりわけヒチョン(慈江道)発電所の建設がすすんでおり来年度には操業をはじめることになっている。発電能力30万キロワット、10年の建設期間を短縮して2012年までに完成させることにしている。去年の3月から今年8月までに総工事量の半分を達成した。来年末には工事が終わると予想している。そのほかいくつもの大規模発電所の建設がすすんでいるが、そのうちのいくつかは近いうちに操業をはじめるだろう。」と語りました。石炭生産では「展望のいい」大規模炭鉱の(再)開発をすすめて石炭生産の正常化をすすめており、「今年は去年の1.5倍の増産をみこんでいる。」鉄道は「すべて電化されており、新鋭機関車を開発して導入するとともにレールの重量化をすすめている。」として、「先攻部門」が発展を遂げるにしたがって「全般的な経済の状況が良くなっている」と強調しました。
 
   CNC化された大同江タイル工場、生産ラインとコンピュータによる集中管理室
 こうした内容について、いま十分な吟味、検証ができませんが、少なくとも90年代の経済の「最悪の状態」を脱出して民生の改善、向上をめざして動き始めていることは伝わってきました。

 農業についてのこの経済専門家の話、さらには各所への移動の際に目にした平壌の街や村の様子から受けた印象などについては次のコラムにゆだねるとして、訪朝報告初回の最後に、この専門家が語る現段階での目標と課題について記しておきます。
 今、力を入れている目標、課題として、
1.まず、経済と科学技術で世界的な最先端を突破することを戦略的目標に掲げている。これを実現するために知識経済の時代にふさわしく経済の質的飛躍、質的発展を重要な内容として掲げている。ひとつ、ふたつの個別部門ではなくすべての分野で世界的な最先端を突破しようということだ。経済と科学のすべての分野で連続的、段階的変化と飛躍をもたらそうということだ。最近金正日総書記は新しいスローガンを示した。「足は自分の地にしっかりとつけ、目は世界を眺めよう」というものだ。これは2つの内容を含んでいる。しっかりした自分の精神をもって自分の力で実情に合うものをつくる、ということと、視野を世界に広げて学ぶべきものは学び我々の実情に即して受け入れるべきものは受け入れ、すべての分野で世界最先端を走っていこうということだ。世界的な最先端を突破するという面で最近少なからぬ成果が上がっている。宇宙技術、核技術だ。2回にわたる人工衛星の打ち上げで宇宙技術においてしっかりした技術を確立し、2回にわたる核実験を成功させ、特に核融合技術という、世界でもまだ確立されていない技術において成功を見た。核融合技術は膨大なエネルギーを生み出すので利用の可能性は高い。特に誇ることができるのはCNC技術において世界の覇権を握ることができたことだ。CNCはコンピュータ数値制御のことだが、1970年代に超小型のコンピュータが出て以来、閉塞型の技術開発が続いて30年来、日、米、独などが独占していた技術である。したがって我々が取り入れる際に大きな障害があった。1990年代の半ば、金正日総書記が自らの力と「ウリ式」(われわれ式)にCNC技術を開発し、すべての人民経済をCNC化しようという構想を打ち出し、資金をつぎ込み具体的な指導をした。この10年でCNC工作機械を世界最高の水準のものとすることができ、最近も、「9軸穿鑿加工中心盤」というCNC工作機械の最高レベルのものを作り上げた。CNC工作機械を大量生産して人民経済各分野に供給している。なおかつ化学機械設備、金属機械設備、電気、紡織、食品加工などのすべての分野で全面的なCNC化がすすめられている。その代表的な例としては、2・8ビナロン連合企業所で16年ぶりにビナロンの生産を再開したことで、CNC化された機械設備による生産再開だということをあげることができる。2・8ビナロン連合企業所は大規模な化学工場であり、ビナロンだけでなく染色材、農薬、合成樹脂といった420種類の化学製品を生産している。人民経済の各分野で最新技術を導入することで近代化をとげるということは、(私たちが見学した)大同江タイル工場を見てわかったと思う。タイルの製造はイタリアが有名だがその水準をしのいでいる。最先端技術を発達させる上でいちばん重視しているのは「人材重視論」だ。この「人材重視論」は教育に力を入れ崇高な思想と高い実力を備えた科学技術人材を大々的に育成することと、現場で働く人々の技術レベルを高めることで全般的な科学技術を高めることができるというものだ。

2.経済強国建設で力を入れている二番目の問題は、原料、燃料のチュチェ(主体)化、国産化をめざすことだ。これは経済の自立性をもっとも高いレベルで強化しなければならないという要求から出ていることだ。これまでチュチェ思想にもとづいた経済的自立原則に従って自立民族経済を追求してきた。いま建設をすすめている経済強国とは徹底して自立経済強国をめざすというものである。したがって原料、燃料を外国に依存することはできない。また技術装備のレベルが高くなっているので原料、燃料への需要がさらに高くなっている。生産を正常化し、拡大しようとするなら、原料と燃料の国産化が重要な問題として提起される。この問題の解決でもっとも重要なのは非コークス化と石炭ガス化であり、社会主義経済の生命線としてとらえてすすめている。大同江タイル工場も石炭ガス化によってエネルギー問題を解決している。非コークス化は金属工業部門だけではなく全般的な経済部門で重要な問題として提起されている。

3.次に重要な問題は、豊富な資源を近代的技術で掘り出して近代技術で加工することだ。自力で開発するとともに合弁でも開発しようとしている。とりわけ軽工業の原料をチュチェ(主体)化するために特別力を入れている。化学工業を発展させることで軽工業に必要な原料問題を解決することをめざしており、最近は軽工業の原料問題を解決する上で大きな成果をあげている。2・8ビナロン工場のことにふれたが、それだけでなく、化学繊維工場であるシニジュ(新義州)やアンジュなど、大規模な化学繊維工場の近代化が大きくすすんでいる。我々の原料にもとづいた最先端の繊維原料の開発がすすんでいる。この繊維原料は世界で2〜3カ国でしか造っておらず、すでに生産の段階に入っている。ウールと綿の両方の利点を備えているもっともすすんだ繊維とされている。これも我々の原料で開発し試験的に生産に入る段階に来ている。原料、エネルギーをチュチェ化、国産化すればさらに近代化していく我国の経済に大きな効果を発揮すると考える。

 このように述べた後、外国の投資の受け入れなど諸外国との関係についても語りました。

 経済強国建設において対外経済関係を拡大、発展させる方向にすすんでいるがその際、自主の原則、自力更生の原則にもとづいて自己の経済力によって世界の市場に進出するというものだ。海外経済の元手を拡大するための輸出生産基地を拡大している。世界市場で勝負しようと考えているのは、鉛、亜鉛、マグネシウム、黒鉛などであり、それらを自力で開発し加工して世界の市場で独占しようというものだ。合弁、合作、直接投資も歓迎する。我国は軍事強国であるので、安定的かつ平和な経済活動の環境が整えられている。世界各国の投資家が関心を持って共和国に目を注いでいる。我々もこれにこたえて投資を促進するさまざまな措置をとっている。早期に経済建設を加速させ2012年までに経済強国を建設するための努力を傾けている。

 このように、すべては2012年に照準をあわせて取り組んでいることを再三にわたり強調しました。

 ここに語られた壮大な夢とも言うべき内容をどう分析するのかはこれからの問題ですが、まずは朝鮮の経済専門家が朝鮮経済の現況をどうとらえ、今後についてどのような展望を持っているのか、ヒアリングの内容をできるだけ忠実に再現してみました。
 これらを「大言壮語」ととらえるのか、現実にはじまっている「変化」と考えるのか、難しいところですが、話の随所に正負を含む示唆があることに気づきます。

 続いて、農業についての、この経済専門家の話を記し、その上で私の受けとめについて述べていくことにします。
(つづく)


posted by 木村知義 at 20:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月17日

問われるべきは何か・・・

 訪朝記をはじめなければと思いながらなかなか時間が取れず、その間に書いておかなければならい問題が次々に起きるという、なんともふがいない状況です。

 尖閣問題について先週、ある討論の場に参加しました。
 「我々は中国とよい関係を結んでいこうと努力しているのになんてことをするのだ、背中から冷水を浴びせられた!」
 「これで、これまで親中国だった人もみんな反中国にさせてしまう・・・」
 「こういう中国であれば日本のなかでどんどん嫌中機運が広がっていく・・・」
 議論が始まる前に交わされた雑談のいくつかはおおむねこうした「中国非難の色合い」一色という感じでした。
 
 中国問題では先達というか造詣も深い方々の集まりだと思って末席に加わっているのですが、いささかの違和感を抱きながら座っていたというのが率直なところです。
 
 領土問題、ナショナリズムをめぐる問題がこれほど隠れていた「感情」に火をつけるものなのかと、文献の世界でしか学んだことのない過去の時代の「あれこれ」のできごとを思い出したものです。

 今これらの一つひとつについて詳細に深めている暇がないので控えますが、こういうときこそ、冷静で重心の低い、本質的に深い議論が必要なのだと、これは自戒をこめてですが、あらためて思った次第です。

 ただし、今国会でやりとりされている「柳腰論議」?にみられるような、なんとも言い難い低次元の「議論」を考えると、今回の菅首相―仙谷官房長官―前原外相主導による「尖閣問題」の「勃発」からその後の「展開」に対する本質的な検証を回避し、政権にとって問われるべきことを問われずにすんでいる最大の補完勢力は、他ならぬ、「弱腰外交」「中国への屈服」として攻めたてているひと群れの人々であることに気づいておくべきだと感じます。

 問われるべき本質的な問題は、アジア外交とりわけ中国、朝鮮半島に対する外交に軸がなく、政策がない、もっと突き詰めれば政策の土台になる歴史観、思想、哲学そして経綸のひとかけらも感じられない底の浅い現政権が引き起こした「問題」であるということだと思います。

 「弱腰外交」批判によって、相対論としてあるいは「強硬策よりもましな対処」として「船長を釈放する判断がよかったのだ」という主張に力を与え、仙谷官房長官をはじめとする政権の「対応」を合理化してしまい、本来議論されるべき、対中国政策はどうあるべきで、今回の尖閣問題の「勃発」が現政権の、率直に言えば、前原―仙谷そして菅のトライアングルの、まさに児戯に類する底の浅い「思惑」に起因するものであるという、根源的な問題が問われずにすむという意味で、いうところの「タカ派」がもっともよく菅政権、週刊誌流に言うと「仙谷内閣」を支えているという奇妙な構図になっているのです。

 このようにして本質的な議論にさらされることなく「仙谷内閣」(この表現について「おちょくっている」と会見で仙谷氏は激怒しましたが)が「生き延びる」ことが本当に幸せなことかどうか、早晩結論が出ると思います。

 それにしても、「支那の恫喝に屈して」とか「中国になめられるな!」あるいは「ヤクザ国家、中国・・・」などとあらんかぎりの悪罵を投げつけて溜飲を下げるのは結構だけれども、その行きつく先はどのような「地獄への道」なのか、もう一度謙虚に歴史を学び直すべきです。

 ところで・・・、

 事件が発生した9月7日午後、国土交通相だった、前原は海上保安庁長官の鈴木久泰に電話で強い口調で指示した。
 「一歩も譲るな!」
(産経新聞2010.10.10)

 いま外相の前原氏は、中国人船長の身柄拘束からその後どうすべきかについて官邸に指示を求める「相談」が持ち込まれ逮捕に時間がかかっていたのを「逮捕しろと言ったのはおれだ」と自慢げに話しているというのですから、日本の外務大臣の格も落ちたものです。

 さらに、「事件が起きた9月7日は民主党代表選の選挙戦真っただ中だった。官房長官の仙谷由人が法務、外務両省幹部らと官邸で協議し、逮捕方針を了承した。一方、菅はこの日の夜、代表選候補として民放テレビ番組に出演。公邸には午後11時39分に戻り、眠りについた」が、「衝突事件をテーマにした衆院予算委員会の集中審議を翌日に控えた9月29日午後。政府関係者によると、首相の菅直人は答弁準備で官邸執務室に秘書官らを招集した。政府対応を時系列でまとめた答弁資料に目を通すや、菅はいきなり怒鳴り声を上げた。船長逮捕は9月8日午前2時3分。菅への報告は夜が明けた『午前8時』と明記されていた。『何だ、これは。おれが逮捕後6時間も知らなかったということでは「総理は何をしていたのか」と言われるに決まっているだろっ』野党の追及を懸念した菅は続けた。『いろいろな報告が来るから、誰が何を言ってきたかいちいち覚えていないが、おまえたちのうちの誰かが「そろそろ逮捕します」と言ってきたはずだ。なぁ、そうだろう?』うつむき加減でひと言も発しない官邸スタッフの面々。答弁資料は結局『修正』され、誰が伝えたのか不明確なまま『8日午前0時ごろ、総理に逮捕方針を報告』との一文が付け加えられたという。」(「SANKEI EXPRESS」2010.10.12による)

 政権交代はあったけれども、外交に軸がなく、政策がないまま、ちょっとやってみるかという感覚で「船長逮捕」という火遊びをしてそのあげく政治決断もできず、あたふたと「密使ならぬ密使」を送り日中首脳の「廊下の会談」を演出、裏から手をまわして検察の判断として釈放させるなどという姑息きわまりない体たらくで、しかしいうところの「タカ派」が口をきわめてののしるという攻め手にさらされることで、釈放しないより釈放した方がよかったというだけのことで生き延びる、つまりこういう構図で事態が展開しているのです。
 
 このことを見落としてはならないと考えます。

 私とは立っているところが違いますし、アジア観、中国観も、さらには思想的にも全く立場を異にする人物ですが、保守の論客として知られる京都大学教授の中西輝政氏が実に興味深いことを述べていたことを思い出します。

 「他国との外交でも、菅さんは何の目算もなくくせ球を投げるでしょう。中国や北朝鮮に対し自民党も驚くほどの右寄りの強硬姿勢を取るかもしれない。今月7日尖閣諸島付近で起きた海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件でも、日本は船長を逮捕して船を拿捕し、14人を石垣島まで連れて行った。自民党政権も真っ青の強硬姿勢ですが、これも小沢さんの親中に不満の世論や、中国を脅威に感じている国民が多い傾向に、おもねっているにすぎない。菅さんは政局に平気で外交を利用するのです。北朝鮮への制裁をアメリカ以上に強硬に行うかもしれません。強硬姿勢自体は当然ですが、それは大きな戦略があってこそ意味がある。菅総理は展望がないまま、国内政局目当てに対外強硬政策に踏み込む危険があり、恐ろしい。アメリカに愛想を尽かされ、世界から孤立し、そんなときに中国とコトを構えたらどうなるか。国内政局しか見ない菅総理の重大な盲点です。」
(週刊新潮2010.9.23号)

 もちろん「日本がここまで弱腰であることの要因として、度の過ぎた自虐的な歴史認識が大きい」あるいは「覇権中国」などと友好を語ることなど考えられないとし、そのためにも日米同盟を強固に!といった、中西氏の従来からの「論」のありようと、私はまったく違う立場ですが、それはそれとして、この中西氏の指摘は今回起きた事の実相を言い当てていると思います。

 《A国領土の離島周辺にC国漁船が領海侵犯した。A国政府は抗議したが、島の領有権を主張するC国は対応をエスカレートさせ、島に軍を派遣した。A国は航空優勢を確保する作戦の実施に踏み切った》
 首相、菅直人がブリュッセルで中国首相、温家宝と会談した今月4日、航空自衛隊は日本海でこのようなシナリオに基づく演習を開始した。
 5日間続けられた演習は沖縄・尖閣諸島沖で先月、中国漁船衝突事件が起きた後だっただけに、参加した隊員たちはいつにも増して緊張感を持って臨んだ。
 むろんA国は日本、C国は中国を念頭に置いている。軍による離島上陸前までの想定は、衝突事件をめぐる中国の対応をなぞったようにも映る。
(産経新聞2010.10.14)

 この演習計画は1年かけて練られたといいます。我々の知らないところでこうしたことがすすんでいることに、深い懸念と戦慄を覚えるのは私だけでしょうか。

 なお、では中国のいまの行き方をすべて是とするのかということとは別の問題です。
 しかし、「危険な中国!」などと、まさに「劣情」に火をつける論調からは、あるいは「大国化する中国と対峙するために日米同盟を強化すべし」といった論理では、これからの時代の日本の行くべき道はひらけないことを肝に銘じなければならないと言うべきです。

 日米外相会談の席でクリントン国務長官から「事件を早く解決せよ。すぐに!(アズ・スーン・アズ・ポッシブル)」と迫られたのはほかならぬ「逮捕しろと言ったのはおれだ」と胸を張る当の前原外相だったこと、この直後に外務省職員が那覇地検に出向き「事情を説明した」ことで釈放が決まったということもまた忘れてはならないことだと考えます。

 それにしても、軸がなく、政策のない空虚な政権に外交を委ねなければならない不幸と危うさは深刻だと言わざるをえません。

 中国をあげつらっている場合ではない!というのが今の日本の政治状況ではないでしょうか。

 そして、メディアは伝えるべきことを伝え、語るべきことを語っているのかもまた厳しく問われるべき問題だと考えます。



posted by 木村知義 at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月09日

借り物のことばでなく・・・

 このコラムを書こうとパソコンに向かったところに、ニュースで中国の劉 暁波氏にノーベル平和賞が送られることになったことが伝えられました。
 
 劉 暁波氏をどう評価するのかはそれぞれで意見がわかれることでしょうし、多様にあってしかるべきだと思います。
 しかしメディアで伝えられることに、私は、大きな違和感を抱いたのでした。

 これは本来きょうのコラムで書こうとしていたことと通じる問題なので、ここからはじめることにします。

 私の違和感とは、たとえば「現代中国の専門家」と紹介されてテレビに登場した広く名の知られた中国研究者が、劉 暁波氏へのノーベル平和賞授与は「中国の遅れた政治へのメッセージだ」と語ったことや、それを受けて北京から中継で登場した記者が「民主化を促す世界のメッセージ」だとリポートしたことにあります。

 まず「遅れた」というコメントです。

 私は、さて、一体何が遅れていて、何が進んでいるということなのだろうかとつい考え込んでしまうのでした。

 これが仮にも研究者の言うことなのか、専門家の「ことば」なのかと、それこそことばを失いました。

 中国がいいとか悪いとかを、いま、問題にしているのではありません。
 当然ことながら、中国が好きか嫌いかも関係ありません。
 それこそ多様に意見があってしかるべきだと考えます。

 しかし、中国の政治が遅れていると断じるのならば、何をもって遅れているという概念を措定するのか、あるいは何が進んでいるということなのかを定義することなしに、高みに立って、やれ遅れている、あるいは進んでいるなどというのは仮にも研究者を名乗るならばとるべき態度ではないと、私は思います。

 つまり、このようにして125年前にも「遅れたアジア」から抜け出よう・・・という呼びかけがおこなわれ、そしてアジア侵略の道へと歩みをすすめたのではなかったか、その程度の自己省察は、それこそ、仮にも現代中国の専門家を名乗るならばわきまえなければならない基本中の基本ではないのか、と私は考え込むのでした。

 また、中国を専門とする報道記者が「民主化を促す世界のメッセージ」とこれほど軽々しくレポートする姿に、仮にも北京の地に立って中国から世界を見据え、考え、同時に世界大の視野から中国を見つめるという営為を真摯に重ね、突きつめているとは到底思えないのでした。

 民主化とは何をもって民主とするのか?!
 世界のメッセージ?!
 そこで言う世界とは何をもって世界とするのか?!
 この記者にぜひ聞いてみたいと考えます。

 このような薄っぺらな専門家や記者によって伝えられるニュースとは一体なんだろうかと、私は立ち尽くすのです。

 この人たちは畏れというものを知らないのだろうか、あるいはものごとを突きつめて考えるということとは無縁の暮らしをしているのだろうか・・・・と。
 情けないことです、専門家も報道記者も。

 このようにして、あたかも「客観化」されたかのような「ことば」を使ってものを語る無責任さに日本のメディアの底知れぬ宿痾を見る思いがします。

 さて、ここからが本来きょう書こうとしていたことです。しかし、ここまで書いたことと深くつながる問題だと考えます。

 遠い地で首脳同士が「言葉を交わした」ことで、さしあたりの、事態の一層の悪化をくい止めたかのように見える日中関係ですが、ことはそれほど楽観できるものではないと思います。

 たとえば「尖閣諸島沖の衝突事件で悪化した日中関係について、両首脳は『今の状態は好ましくない』との認識で一致。双方が戦略的互恵関係の原点に立ち返り、政府間のハイレベル協議を進めることで合意した。」と伝えられた日中首脳の「懇談」(菅首相)ですが、それと同時進行する形で「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている。・・・中国に進出している企業、中国からの輸出に依存する企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る。・・・中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人よしだ。・・・より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある・・・」と語った民主党の幹部がいたことをどう考えるべきでしょうか。

 実に根深い問題だと思います。

 「悪しき隣人」?!

 これまた125年前に聞いたことばではなかったか、と考え込みました。

 5日のコラムにも書いたのですが、もう一度整理しておくと、領土問題をめぐる争いあるいは国境をめぐる紛争というものはおよそ平和的手段で解決された例は希少で、行き着くところは武力衝突、戦争という歴史を、私たちはいやというほど経験してきています。
従って、問題は、こうした対立をいかに統御し、時間がかかるとしても平和の裡に解決していく知恵を生み出すことが、外交や政治に課せられた課題であり、その任に当たる者のもっとも重要な仕事ということになります。
 このことを十全に果たしていけるかどうかが重要な分水嶺になるということです。

 中国が大国主義的だ、あるいは軍備を増強していることが脅威だ・・・というとらえ方はとらえ方として、ではそれを日中両国の間でどう統御していくのかと考えるのが外交、政治の任に当たる者の責任というべきです。

 両国の国民同士が、いたずらにナショナリズムを刺激したり、時には民族主義的、排外主義的に走ろうとしたりする空気をどのようにして共同して統御、抑制していくのかということをこそ考えるべきなのであって、そうしたいわば「劣情」を掻き立てることがあってはならず、ましてやその尻馬に乗ったり、増幅、拡大したりするようなものであってはならないということです。

 そのことを押さえたうえで、日本が実効支配している尖閣諸島問題をなぜ中国が持ち出すのかについて歴史を深く見つめ直して考えてみる必要があるといえます。

 現在の中国にとって国境とはいかなるもので、国土、領海とはどのような歴史性をもったものなのかを考えることが重要だと考えるのです。

 このコラムは歴史の勉強の場ではありませんし、私が偉そうに歴史について語る資格もありませんが、少なくとも近代中国にとって、たとえばアヘン戦争以来の中国にとって、国境や領海というものが欧米列強の強力なあるいは暴力的な力によって引かれたものだととらえているというぐらいの最低限の認識は欠かせませんし、第二次大戦後、中国大陸では国共内戦が熾烈に戦われている中で台湾という存在が米国のアジア戦略のなかで重要な意味を持ったということ、またそれとの相関関係で、さかのぼる薩摩藩時代の琉球支配の歴史とアジア太平洋戦争以後の米国の沖縄占領という歴史をどうとらえるのかという、歴史に対するきわめて多角的、複合的な視角が不可欠だということを知らなければならないと考えます。

 米国がこの海域をあるいは尖閣諸島を日米安保の範囲にあると言ってくれたとか言ってくれないとかいうような問題に矮小化して一喜一憂するようなことであってはならない問題なのです。

 あるいは、海底資源の埋蔵が浮上したからここが日中の争いの場になったなどということで理解していては事の本質を見誤るということです。

 5日の、あるいはその前のコラムでも現在の民主党政権の外交、あるいは今回の問題に対する対処、対応を厳しく批判したのは、こうした尖閣問題の歴史性を深く認識し、領土をめぐる対立と争いがもたらす「負の歴史」に対する認識やそこに根差す責任感のかけらも感じられないからです。

 従って、とにもかくにもブリュッセルでの「あうんの呼吸の日中首脳の懇談」でなんとか表面的にはつくろったように見えても、本質的にはなにも解決しておらず、「快方」にむかう兆しなどは見えないというべきなのです。

 重ねてですが、少なくとも、ナショナリズムを掻き立てたり、狭隘な民族主義を煽りたてたり、あるいは排外主義的な空気を助長したりするようなことはすべきではなく、対立、紛争をいかに統御するのかということこそが喫緊の課題だということです。

 なお、民主党の枢要をなす幹部の発言にある「より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある」という問題ですが、経済実務家の間ではいわゆる「チャイナ・プラス・ワン」ということでのベトナム展開などは言うほど容易いものではなく、現実問題としてはなかなかうまくいかないということはすでに知られていることです。

 この政治家がいかに実務に疎いのかを示しているというべきですし、それよりなにより「より同じ方向を向いたパートナー」などと言うと相手の方から「いい加減にしてくれ」と言われるのが関の山でしょう。

 なんともこれがついこの間まで民主党の幹事長などという「要職」にあった人物の言うことだろうかと恥ずかしくなります。

 さて、もうひとつ、朝鮮訪問から戻ってまず「いま、北朝鮮はどう考えているのか」として朝鮮外務省スポークスマンの「談話」など3件の文書を掲載しましたが、なぜこうした朝鮮側の「声」を元テキストで読む必要があるのかということについて書いておかねばなりません。

 いうまでもありませんが、イデオロギーや政治的立場、思想的価値観などを同じくして朝鮮の主張をあたかも宣伝するかのごとくこうした原資料を掲げているのではありません。

 これまた繰り返しですが、好きか嫌いか、支持するか支持しないかにかかわらず、その前に、まず相手がなにをどう考えどのように行動しようとしているのか、謙虚に目を見開き耳を傾けることからはじめないかぎり、何も見えてこないと考えるからです。

 このことは、今後、朝鮮訪問についてふれるコラムを発信していく上での基本的立場にも深くかかわるものでもあります。

 今回の訪朝は、44年ぶりとなる朝鮮労働党代表者会の開催のとき同じ平壌の地に立ったという意味では歴史的な経験となったと感じています。

 そしてここから、言うところの「2012年、強盛大国の大門をひらく」という目標にむかって朝鮮がどのように歩むのか、平壌の地に立って、深くかつ時には揺れながら、思いをめぐらしたものでした。

 しかし日本に戻ってから読んでみた新聞各紙、その他のメディアは、金正日総書記の三男正恩氏への「権力世襲」をひたすら批判する、あるいは、ときには揶揄、嘲笑といった論調のものもふくめて、非難、論断する論調が覆い尽くすというべきものでした。
 なかには「拉致問題の解決が遠のく・・・」といったものもありました。

 問題を同じように論じることはできないにしても、私は、日中国交回復まえの中国と向き合い、日中関係そしてアジア、さらには米国というものについて少しばかりものを考えるという体験を経てきました。

 そこから試行錯誤を重ねながら自身のものの見方や考え方を鍛え、少しばかりの原則というものを導き出し、今もそれを自身に課しています。

 その一つは、いかに自分にとって異質に見える、あるいは「なじめない」体制であっても、それを選ぶのはその国の人々であって、外からそこに干渉すべきではない、あるいは私にとってはいかに問題や矛盾を内包しているように感じても、その国のあり方を決めるのはその国の国民であり、民衆だということを厳格にわきまえなければならないということです。

 これは物心ついたころ、そのころはアジア、アフリカから「戦後世界」の新たな息吹が伝わってきて身近に感じられる時代でしたが、民族自決という言葉を知り、新鮮な思いでかみしめたのでした。

 以来、このことばは他国、他者を見つめる際の私の重要な原理原則となりました。

 平たく言えば、仮に他国、他者の体制や為政者がいかに「気にくわない」としても、その国のありようを決めるのはその国に住む人々であって、そこに外から干渉したり、ましてやその体制を変えるべく「動いたり」することはしてはならない、というものです。

 今回の訪朝は17年ぶりの事でしたが、実は17年前の朝鮮への旅での同行者との議論を思い起こすことにもなりました。

 「間違った体制は正すべきで、苦しんでいる人たちを救うのは我々の責任だ・・」というのがその同行者の主張でした。
 私は、「間違っている」と考えるのは自由でありそれぞれの価値観でそう思うのは許されることだろうが、だから外からその国の体制を正すなどと考えるのは不遜の極みと言うべきで、その国のあり方を決められるのはその国の人々以外ないのだ、我々は、そこにわきまえというものが必要であり謙虚であるべきだ・・・。
 言ってみればこうした主張をしたのでした。

 これに対して「ではお前は人々が苦しむのを放っておくのか・・・」という批判が返ってきました。

 苦しんでいると決めることもまた不遜なことであるが、百歩譲って苦しんでいるとして、であれば余計にそこから抜け出すのは、そこで苦しむ人々の手によってなされるべきことなのだ・・・。
 
 議論は平行線をたどりました。

 しかし、私はこの民族自決(当時の新鮮な響きはすでに失われているかもしれませんが)という原則は絶対に捨ててはならないと思い続けて今に至っています。またこの原則を自己に課しています。
 
 それぞれの国に、それぞれの歴史があり、それぞれの思想、価値観があり、それぞれの体制選択がある・・・。
 
 まずそこから出発して、異質なもの、他者性に向き合っていくことが必要なのだと考えます。
 
 そして、そこから相互の対立や緊張を解きほぐし、食糧や医療の問題で苦しむ人々には支援の手を差し伸べていく、そうしたささやかな営みの積み重ねから、いささかでも信頼を生み出し、対立やいさかいを和らげていくことがなにより大切だと考えるのです。
 
 ましてや、侵略と植民地支配という過酷な歴史を押し付けたわれわれです。

 そのことへの深い反省をきちんとした形で示し、歴史をこえていくことを己に課していくことは、いまを生きる私たちの責務だと考えるのです。

 従って、ご家族にとってはあまりにも理不尽としか言いようのない拉致問題についても、まず日本の側が過去の歴史に対する清算をし、国交を正常化をすることで解決の道が開けるのだと考えるのです。

 名を挙げることは控えますが、かつての自民党政権時代、襟に青いバッジをつけていた複数の議員から「本当のところを言えば、こんなことをしているようでは拉致家族を支えるどころか問題の解決を遅らせていることになる・・・」と低い声で語るのを聞いたことを思い起こします。

 そこまでわかっているなら、どうして勇を奮ってそのことを言わないのか、あるいはメディアでもそう思っている人がいるなら、なぜ勇気をもって語らないのか、と考えたものでした。

 それが見識というものであり、政治家の経綸でありメディアに身を置くものの責務というものではないのか・・・。

 まだこれでも言葉を尽くせていませんが、これが朝鮮訪問について今後何かを語っていく、私の基本的立場です。

 冒頭に書いた、今回のノーベル平和賞問題にも深く通底する問題意識だと言えます。

 遅れた・・・??
 民主化・・・??

 さて、あなたはどう考えるのでしょうか。

 借り物のことばではなく、自分の頭で考え、自分のことばで語ってみると、さて・・・。



posted by 木村知義 at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月05日

いま、北朝鮮はどう考えているのか?

 (承前)
 ここでは、この間のジャーナリストグループの訪朝で現地に立ってみて今後の日朝関係を考えていく際に必要不可欠、あるいは注意深く読み込み留意すべきだと感じた、朝鮮民主主義人民共和国の外務省スポークスマンの声明や8月末の金正日総書記の中国東北地方への非公式訪問にかかわる報道など3件の文書を掲載することにします。
 示唆するものがとても多い内容だと感じます。
 ぜひ精読、分析をと念じます。

 8月20日朝鮮外務省スポークスマンは全文次のような談話を発表した。(朝鮮中央通信による)

 100年前、日本は武力を動員して強盗さながらの方法で「韓日合併条約」を捏造し、朝鮮を不法に併呑した。
 植民地統治の間、日帝が朝鮮人民に及ぼした人的・物的・精神的被害は計り知れない。幾つかの数字を挙げただけでも、100余万人の人々が虐殺され、840万余人の青壮年が強制連行されて奴隷労働と侵略戦争に駆り出されたし、20万人の女性が残酷な性奴隷生活を強いられた。人類史に植民地時代があったが、日本のように植民地民族の言葉と文字、人の姓と名前まで奪い、家々の茶わんやさじまで強奪していく極悪な民族抹殺と略奪政策を実施した国はなかった。
 敗北後も、日本は米国の手先として終始一貫、朝鮮の統一を妨害して、われわれの制度を圧殺するための悪辣な敵視政策を実施してきた。
 この100年間は日本にとって罪悪の歴史であり、その清算を拒否してきた歴史である。その100年間は、朝鮮人民にとって日本による被害の歴史であり、日本に対する憤怒の歴史である。
 地球上の国と民族が半世紀が過ぎても毎年、第2次世界大戦の惨禍を顧みてその記憶を新たにし次代に譲り渡すのは、ほかでもない軍国主義とファシズムの再生を阻むためである。しかし、日本だけは歴代当局者や現職政治家自体が毎年、敗北日に「靖国神社」にはばかることなく参拝するのが現実である。
 「韓日合併条約」捏造100年に際して、日本の現首相は南朝鮮に対してのみ過去を反省し、わびるとの談話を発表した。日本の現政権が過去の軍国主義政権と本当に縁がなくその復活を夢見ないなら、軍国主義政権のすべての被害者に条件や差別なく過去を反省し、謝罪していてこそ当然であろう。世界が日本の軍国主義再生の危険性について始終、憂慮を解消できずにいる理由がまさにここにある。
 日本は、罪悪に満ちた過去について朝鮮民主主義人民共和国に謝罪し、賠償する義務から絶対に逃れられない。日本は条約ならぬ「条約」を捏造してわれわれの国権を強奪し、朝鮮人民に働いた特大型犯罪について早急に謝罪し、賠償すべきである。そうしない限り、絶対に国際社会で堂々と生きることができない。
 日本は、敗北後に行ったすべての反共和国・反朝鮮総聯策動について誠実に反省し、対朝鮮敵視政策を直ちに撤回すべきである。そうすることが朝鮮の文化的影響を受けて生きてきた日本が守らなければならない最小限の道理であり、自分らの罪過を贖罪する道になるであろう。
 日本は、歴史歪曲と独島(日本名・竹島)強奪企図のような軍国主義復活策動を直ちに中止すべきである。そうしてこそ、地域の恒久平和と安定を図り、日本自体の安全にも有利であろう。
 日本から積もり積もった恨みの代価を必ず受け取るというわが軍隊と人民の意志は確固不動である。
 

 『韓日合併条約』100年で日本の政党に共同書簡 北と南の政党」8月23日【朝鮮中央通信=平壌】

 朝鮮社会民主党と南朝鮮の民主労働党は27日、日本の各政党に送る共同書簡を発表した。その全文は次の通り。
 かつて日本がわが国に対する軍事的占領と植民地支配を「合法化」するために「韓日合併条約」を強圧的に捏造した時から100年の歳月が流れた。
 これを契機に、北の朝鮮社会民主党と南の民主労働党は、これまでの忌まわしい過去を根源から清算し、隣国間の真の関係改善と善隣友好の新たなページを開いていく上で、各政党が担っている重大な使命と責任感から発して、貴政党にこの書簡を送る。
 振り返ると、20世紀に日本がわが民族を軍事的に威嚇、恐喝して強圧的に締結した「韓日合併条約」は徹頭徹尾、不法・非道の捏造文書であって、その虚偽性と破廉恥さは既に歴史的事実資料を通じて余すところなくあらわになり、最近は日本の学界でまでも、この「条約」の不法性を認める主張が相次いで出ている。
 しかし、日本は「韓日合併条約」をはじめ各種の侵略条約を強圧的に捏造し、わが国に対する軍事的占領を「合法化」し、40余年間にわたる最も野蛮な植民地ファッショ暴圧支配を実施し、日本軍慰安婦問題をはじめ特大型犯罪を働いたことに対して誠実な謝罪と賠償をしていない。
 「韓日合併条約」捏造100年に当たり発表された現日本首相の談話も、北を排除した半分の謝罪、徹底した賠償問題の欠如した言葉だけの謝罪であり、こんにちも続いている日本の歴史歪曲と独島(日本名・竹島)「領有権」主張、在日同胞に対する民族差別政策を許す偽善的な謝罪であって、これはわが民族に対するもう一つの愚弄、欺瞞にほかならない。
 特に、「平和国家」を「自負」する日本が、過去の過ちに教訓を得る代わりに、海外膨張と軍国化の道をひた走っており、最近は独島がある朝鮮東海領域で「参観」の名目で、実戦を彷彿させる合同軍事演習に加担したのは、朝鮮半島と東北アジアの平和と安全を脅かす重大な行為として、今、わが民族の激しい怒りと反発を招いている。
 第2次世界大戦当時、人類に莫大な不幸と苦痛を与えた欧州の戦犯国が、過去の犯罪を誠実に謝罪し、賠償するために積極的に努力している時に、それとは相反する行動を取っている日本の不当な行為は、政治的・道徳的後進性を示すものであり、自国の利益と安全にも抵触するものであると考える。
 日本がかつて、わが民族に犯した前代未聞の特大型犯罪に対して正しく謝罪し、しかるべき賠償をするのは、現日本当局の歴史的責任であると同時に、必ず履行すべき道徳的義務である。
 過去を抜きにした現在はあり得ず、現在のない未来も考えられない。
 日本の忌まわしい過去をきれいに清算し、時代と歴史の前に担っている自身の義務を誠実に履行し、東北アジアの平和と繁栄を志向する上で、貴政党の立場と態度、役割が極めて重要であると認める。
 われわれは、日本の各政党が、かつてわが民族に犯した古今に類例を見ない大罪に対してはっきりと謝罪して徹底的に賠償し、時代の要求と平和を志向する人類共同の念願に応えて、隣国間の関係を未来志向的に発展させる上で自身の当然の歴史的・道徳的責任と役割を果たしていくことを強く求める。



「金正日総書記、中国を非公式訪問」8月30日【朝鮮中央通信=平壌】

 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長である金正日朝鮮労働党総書記は、中華人民共和国国家主席である胡錦濤中国共産党中央委員会総書記の招請により、26日から30日まで中華人民共和国を非公式訪問した。
 朝鮮国防委員会副委員長の金永春人民武力部長、朝鮮労働党中央委員会の金己男書記、太宗秀部長、姜錫柱第1外務次官、朝鮮労働党中央委員会の張成沢、洪石亨、金永日、金養建の各部長、朝鮮労働党黄海北道委員会の崔竜海責任書記、朝鮮労働党平安北道委員会の金平海責任書記、朝鮮労働党慈江道委員会の朴道春責任書記が随行した。
 中国の党および国家の指導者と人民は、再び中国を訪問した金正日総書記を熱烈に歓迎し、最大の誠意を尽くして手厚く歓待した。
 金正日総書記は、胡錦濤総書記と27日、長春市で温かく対面し、会談を行った。
 対面と会談には、中国側から中国共産党中央委員会書記局書記である令計画党中央委員会弁公庁主任、戴秉国国務委員、王家瑞中国共産党中央委員会対外連絡部長、楊潔チ外相、張・国家発展改革委員会主任、陳徳銘商務相、劉結一中国共産党中央委員会対外連絡部副部長、劉洪才駐朝中国大使が参加した。
 胡錦濤総書記は、中国の党と政府、人民を代表して金正日総書記の中国訪問を熱烈に歓迎し、外来侵略者に反対する共同闘争の中で中朝友好の歴史的根源がもたらされた吉林省と黒竜江省に対する訪問は、両国の伝統的な友好・協力関係をより高い段階へ発展させる上で特別に重要な意義を持つと指摘した。
 また、金正日総書記が5月に中国を訪問したのに続き、4カ月ぶりに再び訪問したのは、両国の老世代の指導者が築き上げた伝統的な朝中友好をどれほど重視しているのかに対する明確な実証になると述べ、朝中友好の絶え間ない強化・発展のために傾けている総書記の貢献を高く評価した。
 金正日総書記は、4カ月ぶりに胡錦濤総書記と再び対面することになったことをうれしく思うと述べ、貴重な時間をさいて遠く長春にまで来て親切に出迎え、歓待してくれたことに深い謝意を表した。
 朝中両党、両国の最高指導者たちは、同志的で真摯かつ友好的な雰囲気の中で自国の状況をおのおの通報し、朝中両党、両国の関係をより一層発展させることと、共通の関心事となる重大な国際および地域問題について虚心坦懐に意見を交わし、完全な見解の一致を見た。
 胡錦濤総書記は、伝統的な中朝友好は両党、両国人民の高貴な富であり、中朝友好を時代とともに前進させ、代を継いで伝えていくのは双方の共同の歴史的責任であると述べ、中朝友好・協力関係を強化し、発展させるのは、中国の党と政府の確固不動の方針であると指摘した。
 また、東北地域の至る所に金日成主席の革命の足跡が歴々と刻まれていると述べ、主席は長期間の闘争を通じて朝鮮の独立を成し遂げただけでなく、中国革命の勝利にも大きな寄与をしたと指摘した。
 そして、中朝協力を強化するのが、両国の社会主義建設をより立派に推し進め、双方の共通の利益と同地域の平和と安定、繁栄をより立派に守り、促すのに有利であると指摘した。
 胡錦濤総書記は、中国側は朝鮮側と共に中朝友好・協力関係を心から守り、発展させていくことを願うと述べ、伝統的な中朝友好に新たな生気と活力を注入し、中朝善隣友好・協力関係を奮い起こしてさらに深みのあるものに発展させることにより、両国、両人民により大きな幸福をもたらし、東北アジア、ひいては世界の平和と安定、繁栄・発展にさらなる寄与をしようと思うと強調した。
 金正日総書記は、長い伝統を持つ朝中友好は歴史の風波と試練を乗り越えた友好であり、歳月が流れ、世代が交代しても変わらないと述べ、朝中友好・協力関係を一層強化し、発展させるという朝鮮の党と政府の揺るぎない意志と決心を再び宣明した。
 また、東北地方は金日成主席が東北の水を飲み、空気を吸いながら中国の革命家、人民と固く手を取り合って20余年の苦難に満ちた革命闘争を行った忘れられない地であるとし、主席の心の中からは東北のなじみのある山野と、共に戦った中国の同志に対する思いがいっときも離れたことがなかったと述べた。
 そして、今回の訪問過程に日を追って変ぼうする東北地域の発展ぶりを直接目撃して深い感銘を受けたとし、この驚くべき変革は中国の党と政府が示した東北振興戦略の正当性と生命力に対する一大誇示になると述べた。
 会談では、近年数回にわたって行われた朝中最高指導者の歴史的な対面以降、両党、両国の友好・協力関係が社会主義の理念に従って一層増進、発展したと評価し、社会主義の建設と祖国統一を目指す両党、両国人民の闘いに対する相互の支持と固い連帯が表された。
 胡錦濤総書記は、朝鮮が安定を守り、経済を発展させ、人民生活を改善するために取った積極的な措置を高く評価し、金正日総書記を首班とする朝鮮労働党の指導の下に朝鮮人民が国家建設偉業でさらなる成果を収めることを心から願った。
 そして、朝鮮の党と人民が社会主義の発展方向を堅持し、朝鮮の同志たちが自国の実情にかなった発展の道を模索することを支持し、金正日総書記の指導の下に全党、全国が緊密に団結し、刻苦奮闘して強盛国家建設偉業の実現を目指す闘いで必ず新たな成果を収めるものと確信すると指摘した。
 金正日総書記は、胡錦濤氏を総書記とする中国共産党の指導の下、中国人民が党の執権能力建設を強化し、科学的発展観を実践し、調和の取れた社会を建設する歴史的路程で、絶えず新しく偉大な勝利を収めるものと信じると指摘した。
 双方はまた、共通の関心事となる国際および地域問題、特に東北アジアの情勢に関連して虚心坦懐かつ真摯に意見を交換し、完全な見解の一致を見た。
 金正日総書記の中国訪問を歓迎して、胡錦濤総書記が27日夕、長春市南湖賓館で盛大な宴会を催した。
 宴会には、金正日総書記と共に金永春、金己男、太宗秀、姜錫柱、張成沢、洪石亨、金永日、金養建、崔竜海、金平海、朴道春の各氏をはじめ随行メンバーと崔炳官中国駐在朝鮮大使が招かれた。
 また、中国共産党中央委員会書記局書記である令計画党中央委員会弁公庁主任、戴秉国国務委員、王家瑞中国共産党中央委員会対外連絡部長、楊潔チ外相、張平国家発展改革委員会主任、陳徳銘商務相、劉志軍鉄道相、劉結一中国共産党中央委員会対外連絡部副部長、劉洪才駐朝中国大使、孫政才吉林省党書記、王儒林吉林省省長、高廣濱長春市党書記をはじめ中央と地方の指導幹部が参加した。
 宴会では、胡錦濤総書記と金正日総書記が演説した。
 この日、長春市南湖賓館劇場では、金正日総書記を歓迎して中国の芸能人が特別に準備した芸術公演が行われた。
 金正日総書記は、胡錦濤総書記と共に公演を鑑賞した。
 金正日総書記は、出演者の公演成果を祝って花かごを贈った。
 胡錦濤総書記は、金正日総書記と温かい別れのあいさつを交わした。
 金正日総書記は5日間にわたって、中国の吉林省と黒竜江省のいくつかの都市を訪問し、至る所で中国人民の真心のこもった熱烈な歓迎を受けた。
 金正日総書記は、金日成主席の革命活動緑故地の一つである吉林市を訪問した。
 総書記を吉林駅で、戴秉国、王家瑞、劉志軍、劉洪才、孫政才の各氏、陳偉根吉林省副省長、周化辰吉林市党書記、張暁霈吉林市長をはじめ中央と地方の幹部が出迎えた。
 金正日総書記は、戴秉国氏と会い、温かい談話を交わした。
 戴秉国氏は、中朝友好を高度に重視している胡錦濤総書記が金正日総書記を特別に迎接するために自身を吉林に派遣したと述べ、胡錦濤総書記と中国共産党中央委員会、中華人民共和国国務院を代表して中国訪問を熱烈に歓迎した。
 戴秉国氏は、金正日総書記の今回の中国訪問は、中朝友好の強化・発展に輝かしいページを記す歴史的な出来事になると指摘した。
 そして、金正日総書記の指導によって朝鮮人民が、強盛大国建設偉業の実現をはじめ各分野で多くの成果を収めていることについて中国人民は自分のことのように喜んでおり、心から祝うと述べた。
 続いて、胡錦濤総書記をはじめとする中央指導集団は、中朝友好を高度に重視していると述べ、伝統的な両国の友好・協力関係を絶えず強化し、発展させようとする中国の党と政府の確固不動の立場を再度宣明した。
 金正日総書記は、戴秉国氏をはじめ中央と地方の責任幹部の案内で吉林市の各所を見て回った。
 金正日総書記は、金日成主席が1927年から1929年まで学んだ吉林毓文中学校を訪問した。
 教職員、生徒の熱烈な歓迎を受けて学校に到着した総書記は、校庭にある主席の銅像に花かごを献じて崇高な敬意を表した後、原状のまま保存されている校内を見て回った。
 金正日総書記は、80余年前の学生時代の主席のにおいが残る机といすをはじめ貴重な事績物を敬虔な心情で見て万感胸に迫る様子であった。
 学校を訪れた金正日総書記に、毓文中学校の生徒合唱団は不世出の偉人である金日成主席への限りない敬慕の念を抱いて「金日成将軍の歌」と吉林毓文中学校校歌を歌った。
 金正日総書記は訪問を終えて同校に「朝中友好の象徴であり、長い歴史と伝統を持つ毓文中学校が立派な活動家をさらに多く育てることを願います。2010.8.26金正日」の親筆を残した。
 何曼麗校長は、あれほど待ちこがれていた金正日総書記の訪問は、中朝友好の窓口である毓文中学校にとって最高の栄光、誇りになるだけでなく、自分たちに対する貴重な精神的鼓舞・激励になると述べ、中朝友好を代を継いで永遠に花咲かせていく決意を表明し、総書記の安寧を謹んで祈った。
 金正日総書記は、主席が初期革命活動期に度々利用した秘密の場所の一つである北山公園の薬王廟を参観した。
 総書記は、薬王廟で行った主席の革命活動に関する解説を受けた後、主席が秘密会議を行った地下室と寺の本堂を見て回った。
 そして、中国の党と政府、人民が主席の革命事績を大事にし、誠意を込めて保存、管理していることに深い謝意を表した。
 金正日総書記は、いろいろな化学繊維を生産する吉林化学繊維グループと吉林市カトリック教会堂の建物を参観し、新しく変ぼうする吉林市を俯瞰(ふかん)した。
 総書記は、吉林は以前にわたしが生活したことのある所であるとし、かつてなじみのある所に再び来て大きな変化と喜ばしい発展を遂げたのを見て深い感銘を受け、多くのことを感じたと述べた。
 総書記を歓迎して戴秉国氏が盛大な宴会を催した。
 総書記に、吉林市は真心込めて準備した贈り物をした。
 金正日総書記は、吉林省の省都である長春市を訪れた。
 総書記を孫政才、王儒林、高広濱、崔傑の各氏をはじめ省と市の党、政府の指導幹部が出迎えた。
 金正日総書記は、孫政才氏と温かい談話を交わした。
 孫政才氏は、金正日総書記が中国人民の親しい友人である金日成主席の革命事績が数多く刻まれている吉林省を訪問したのは省の大きな栄光、喜びであるとし、歴史的な訪問を熱烈に歓迎すると述べた。
 また、金正日総書記の今回の中国訪問は、両国の関係発展で歴史的な意義を持つもう一つの出来事であると述べ、中朝友好の強化・発展のために労苦と心血を注いでいる総書記に崇高な敬意を表した。
 そして、強盛大国の大門を開け放つための闘いで朝鮮人民が収めた成果を高く評価し、吉林省の発展状況について紹介した。
 金正日総書記は、中央の同行幹部と省の指導幹部に案内されて、長春農業博覧院、長春軌道客車公司を参観し、長春市の夜景を俯瞰した。
 総書記は、中国共産党の指導の下に急速に発展する吉林省と長春市が収めた立派な成果を高く評価した。
 金正日総書記の吉林省訪問を歓迎して、吉林省党は盛大な宴会を催し、贈物をした。
 金正日総書記は、黒竜江省の省都であるハルビン市を訪問した。
 金正日総書記をハルビン駅で、黒竜江省の吉炳軒党書記、王憲魁省長代理をはじめ省とハルビン市の党・政府の指導幹部が出迎えた。
 金正日総書記は、吉炳軒氏と温かい談話を交わした。
 吉炳軒氏は、金正日総書記が東北の最北端に位置している黒竜江省を訪れたのは省の大慶事であるとし、省の全人民を代表して熱烈に歓迎すると述べた。
 また、黒竜江省の人民は尊敬する金正日総書記の指導の下に兄弟の朝鮮人民が革命と建設で収めたすべての成果を自分のことのようにうれしく思うと述べ、社会主義強盛大国の建設でさらなる成果を収めることを願った。
 総書記は、黒竜江省の指導幹部と人民の心からの歓待に謝意を表した。
 金正日総書記は、戴秉国氏をはじめ中央の同行幹部と省と市の指導幹部の案内で、ハルビンの食品加工企業、ハルビン電気グループを参観した。
 総書記は、労働者階級をはじめ市内の勤労者たちの創造的努力によって、ハルビン市は日を追って現代的に改変されていると述べ、彼らの闘いの成果を祝った。
 黒竜江省党は、中国訪問を終えて帰国する金正日総書記のために盛大な歓送宴会を催し、贈り物をした。
 中華人民共和国訪問を終えて帰国する金正日総書記を、戴秉国氏と黒竜江省の指導幹部が熱烈に歓送した。
 金正日総書記は、数千里(朝鮮の1里は400メートル)におよぶ中国の東北地域を行き来して、勤勉で英知に富んだ中国人民の思想・感情と経済、文化など各部門を深く了解した。
 金正日総書記は、訪問の全期間、誠心誠意案内してくれた王家瑞、劉志軍の両氏をはじめ中国の党と政府の指導幹部に温かく見送られ、無事に祖国に到着した。
 金正日総書記の中華人民共和国非公式訪問は、胡錦濤総書記と中国の党と政府の特別な関心と温かい歓待の中で成功裏に行われた。
 金正日総書記は訪問の結果に満足の意を表し、中国の党と政府の指導幹部と東北地域人民の手厚い歓待に心からの謝意を表した。
 金正日総書記が今回行った中華人民共和国に対する歴史的な訪問は、日増しに良好に発展している伝統的な朝中友好をさらに強化し、発展させる上で重大な意義を持つ画期的な出来事として、朝中友好の年代記に輝かしく記録されるであろう。


 

  
posted by 木村知義 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

杞憂が杞憂でなくなった・・・

 前回のコラムを書き、柳 あいさんからの投稿をアップして少しの間旅に出ました。

 一週間あまり朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都平壌を訪れ2日(土)に戻りました。
 朝鮮問題と取り組んでいるジャーナリストのグループの一員としての訪朝でしたが、ちょうど朝鮮労働党の代表者会が開かれる時をはさんで現地、平壌の地に立っていたことになります。

 そこでの見聞や考えたことは追い追い書いくことにしますが、その前に書いておかなければならない事があります。

 前回のコラムで「すべては杞憂であればいいのだが・・・」と書いたことが、杞憂ではなく悪夢のような現実となって展開していることに、旅の間も暗澹たる思いで過ごしていました。

 帰国して、新聞各紙から週刊誌などまで、ほぼ20に近いメディアに目を通してみたのですが、それこそ深い憂慮を禁じえません。

 「まるで子供に外交という玩具を与えるかのごとく映るといえば言いすぎでしょうか・・・。」と書いたことが、残念ながら言い過ぎでもなんでもなく、それ以上に、つゆほどの論理、思想、経綸もなく、戦略、政策のひとかけらもなく、事態が推移していることに言うべき言葉を失います。

 尖閣諸島の問題を歴史的にどう位置づけて考えるべきかというベーシックな問題をおいて(本当はおいておくことはできないのですが現状があまりにもひどいので、まず目の前の状況についてのみ言わざるをえません)「起きたこと」だけについて言うならば、そもそも中国漁船を捕捉し、船長、船員を逮捕するという判断で根本的な間違いを犯しておきながら、では、そうしてみたいと思ったとおり「捕まえてみた」のならそれに沿って貫徹できるのかといえばそれもできないという、度し難いばかりの誤りを重ねたことは、どのような言い訳、言い逃れもできないでしょう。

 これを「子供の火遊び」と言わずしてなんというべきでしょうか。

 首相にしろ、官房長官、外務大臣にしろ、こうした人々が一国の政権を標榜しているのかと思うと、暗澹たるという次元をこえて、恥ずかしいとしか言えないものです。

 平たく言って、そもそも外交とは価値観や意見の異なる間柄、あるいは「争い」を抱える関係であるからこそ必要なのであって、そこになんの齟齬もなければ外交など必要ではありません。

 日中双方で見解が異なり、対立が絶えない問題であればこそ、それをどう緩和して平和的に解決するのかというのが外交のなすべき仕事と言うべきです。

 そんな原則もわきまえず、まさに児戯にも類する(というと、おれたちはもっとましだと子供が怒るかもしれません)ことを、ただしてみせたというわけです。

 論を尽くしているとどれだけの紙幅が必要かわかりませんので、いささか乱暴に過ぎるかもしれませんが、急いで、結論だけを書きます。

 逆説的ですが、公務執行妨害などという「取るに足らない罪状」で捕まえるなどというバカげたことをしてみせたことがまず間違いの始まりです。

 それをさておいたとして、この海域で、突然、中国の船の捕捉、船員の身柄の拘束を決断するということはまさに「戦争」(古典的な鉄砲を撃ちあうというレベルのことだけではなく言っているのですが)を覚悟したということですから、これまた逆説的なもの言いですが、捕まえた限りはとことん戦争に突き進む覚悟でなければならないということです。

 もちろん私はそんな道には反対であることは言うまでもありませんが、菅政権が、あるいは各メディアで言われるように仙谷官房長官の主導の下、あるいは前原外務大臣の主導の下、ここに足を踏み入れたのなら、そうした皆さんには「戦争」の前線に立ってもらわなければなりません。

 銃でもなんでも持って、真っ先に「突撃」でもなんでも、してもらわなければ間尺にあいません。

 それができないなら、はじめからしてはならない!というべきです。

 そんなことをしておきながら、苦し紛れの釈放という決断だけは下に押し付けて己の保身を図るというのですから、何をかいわんやです。

 そして、さらに言うなら、初動の判断の誤りをなんとか取り返すチャンスがあったのに、それをも逃してしまったという二重、三重の誤りを犯しているのです。

 初動の判断の誤りをなんとか取り返すチャンス??

 それは、中国にいる船長の祖母が「逮捕」直後急死した時です。

 まさに、このときにこそ、大所高所から人道的判断で身柄を解いて帰国させるというのが政府の決断であると公表し、そのように運んでいれば、もちろん初動の判断の誤りを糊塗するレベルのものですが、それでもなんとか「体面」を保つことができたというべきです。

 つまり少なく見積もっても三重の誤りを重ね、そしていま、世界の各国に「事情を説明して中国の横暴、脅威に理解を得る・・・」などというバカげたことにうつつを抜かしているというわけです。

 したがって、少なくとも四重の過ちというべきでしょうか。

 なぜこれが誤りであり下策なのかと言えば、これまた平たく言って、たとえば子供の喧嘩を思い起こすと簡単にわかります。

 二人で喧嘩して、それをどう収拾すればいいのかというとき、相手の悪口を誰かれなく言って回るようなことをすれば、おさまるものもおさまらず、それどころか相手の悪口を言いふらしてまわる側の方が誰からも信用されなくなるという、実に簡単な論理です。

 そんなことが現実の外交という場でおこなわれているのです。

 なんとも寒貧たる光景ではないでしょうか。

 本来的にはもっとベーシックなところできちんと論を重ねるべき問題なのですが、現実があまりにもひどいので、逆説的なもの言いも含めて、こんなことを言わざるを得なくなっているのです。

 なんとも、杞憂が杞憂でなくなるという、言葉にし難いというか度し難い展開になっています。

 さて、今回の問題については書くべきことが山ほどあるのですが、まずはここまでにとどめて、冒頭に書いたジャーナリストグループの朝鮮訪問の旅についてです。

 現地報告やそこで考えたことについてはもう少し時間をかけて整理して、書いていくことにしたいと思います。

 そこで、平壌の現地に立ってみて、内容についての賛否はともかく朝鮮の側はいま何をどう考えているのかを的確かつ過不足なく認識、把握しておかなければならないということを、またあらためて痛感したことを、まず押さえておかなければならないと感じました。

 こうした問題意識に立って、朝鮮中央通信の報道をもとに、今回の訪朝で注意を払うべきだと感じた、この間の、朝鮮側のいくつかの声明などをクリップしておくことにします。

 ただし、このまま続けるとコラムがめっぽう長くなってしまいますので、上述の文書を別のページ建てにすることにします。
 
 ぜひ、一度目を通してみてください。

 つづく・・・
 
  

posted by 木村知義 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年09月23日

柳 あい さんからの第2報が届きました

 柳 あい さんからの第2報「韓国併合」100年の秋に思うが届きました。
 
 6月に柳さんからのレポート「韓国統一地方選挙の歴史的意義」を掲載したあと、読者の方々から、次のレポートはいつ掲載されるのかといった反響をいただいていました。
 
 今回は韓国の「現場」からの報告となっています。
 柳さんの視点、視角から韓国社会と市民運動の現在、さらにはその背後に見据えるべき問題とそれが日本の私たちに何を投げかけているのかを語っています。
 
 抑制のきいた語りかけの中に深い問題提起を感じます。
 じっくりと読み込んだいただければと思います。
 
 なお、再度、柳さんのプロフィルを以下に記しておきます。

柳 あい 韓国・朝鮮半島問題研究者。
 1990年代に韓国の大学で教えながら学生たちと交わり、韓国社会の民主化過程をつぶさに見、肌で感じてきた。帰国後は日本と韓国との市民交流や市民を結んだ研究会活動と取り組む。翻訳家としても数多くの仕事を重ねている。

posted by 木村知義 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年09月21日

すべては杞憂であればいいのだが・・・

 予想通りの結果、その後の推移も予測の範囲をこえるものではなかった、というのが民主党代表選が終わっての感慨です。

 しかし、一件落着どころか、「静かなる波乱」のはじまりというべきでしょう。

 「静かなる」というのは、いつでも大きな「地殻変動」に転化する芽ををはらんでいるという意味においてです。

 もちろん巷間言われる「政界再編」ということも含まれるでしょうが、それ以上に、政権交代とは一体なんだったのかという根源的な問いに、遠からず直面するという意味においての「波乱」です。

 それにしても、内閣が発足した直後、電車の中や巷で交わされる会話からは「自民党時代の方がまだましだったネ・・・」ということばが聞こえてくるのですから、いかに失望感、喪失感が深いかというべきです。

 そして、メディアの伝える論調との乖離に驚くばかりです。

 代表選の翌日15日の朝刊各紙は政治部長(もしくはその任にあたっている人物)の論説を掲げましたが、奇妙に一致していたのは「民意」「世論」を反映した菅首相の「圧勝」というものでした。

 臆面もなく「就任わずか3か月の首相を交代させることには、やはり大義はなかった」と書いた政治部長もいました。

また「女性議員の醜聞が週刊誌をにぎわせ、役者の器量はともかくドラマとしては大いに楽しめた」などと書く政治部長とは一体いかなるものなのか、知的レベルを疑うばかりでしたが、「民意」あるいは「世論」というものをジャーナリズムとの関係でどのようなものとしてとらえ、認識しているのか、考えてみると恐ろしいばかりの論理の退廃が垣間見えたといわざるをえません。

 自らが「民意」「世論」なるものを演出、作り上げながら、それに依ってものを語るという自己撞着のきわみに、知ってか知らずか無自覚のまま言説を重ねるという、なんとも度し難い政治報道の「水準」を露呈したというべきです。

 ところで、ここに至るまでの民主党政権の「迷走」ぶりから一つ二つを記憶にとどめておかなければならないと思います。
 
 以前、なんと愚かなことをするものだろうか、と書いたコラムの続編で触れると約束しながら書くいとまもなく過ぎていた問題の一つに金賢姫来日問題があります。

 当時の国家公安委員長、拉致問題担当の中井洽大臣が奔走して実現させた、ように見える、金賢姫来日の背景がどのようなものかは依然としてはっきりしません。

 しかし、軽井沢の鳩山前首相の別荘が滞在場所として提供されたことは、メディアでは意外性をもって伝えられましたが、天安艦沈没問題で突出して李明博政権を支持し北朝鮮非難の最先頭を走った鳩山氏の、普天間飛行場の移設問題で失墜した政治的立場と思惑を考えればむべなるかなというものでした。

 その意味では、3月末の黄ジャンヨップ氏の訪米の裏で重要な役割を演じたアーミテージ元国務副長官らと、引き続いて黄ジャンヨプ氏を日本に招いた中井大臣らとの連携、延長上に金賢姫来日があったと考えるのが妥当でしょう。

 しかし金賢姫来日問題でふたたびスポットライトの当たる場への復帰、浮揚を目論んだ鳩山氏の思惑は大きく外れ、なんら「成果」もなく金賢姫サイドにいいように「遊ばれて」終わってしまったというべきでしょう。

 いささかの脱線ですが、笑えない冗談とでもいうのは、中井大臣が軽井沢に金元工作員を滞在させる理由として「金元工作員が耕一郎さんに食事を作ってあげると約束した。静かにすごさせてあげたい」と説明していたことでした。

 メディアはこぞってこの話に飛びつきました。金賢姫元工作員が2009年8月、拉致被害者の田口八重子さんの長男飯塚耕一郎さんあてに「春巻き、コロッケなど、田口さんから学んだ食べ物を作ってあげたい」などと書いた手紙を送ったということを大々的に報じ、軽井沢からの中継で、金元工作員が、いま、耕一郎さんに食事を作ってごちそうしていると「美談仕立て」で報じたのでした。

 ところが、食事のあと会見にのぞんだ耕一郎さんは「金さんの方で、お料理を作っていただきまして、プルコギと、キムチのチヂミと、ナスを軽くチヂミみたいにした感じのものなんですけども、その3点ですね・・・」と語ったのでした。

 エッと思ったのは私だけではなかったと思います。八重子さんから習った春巻き、コロッケはどうなったんでしょうね・・・と。

 そんなブラックジョークのようなことだけではありませんでした。

 月刊情報誌「選択」8月号によると、テレビ局による単独インタビューはNHKと日本テレビということで、事前に、中井大臣から「許可」が出ていたというのですが、読売新聞が「テロ関与者の入国を認めた」として政府に批判的な記事を掲載したことから激怒した中井大臣が「氏家君がやっているんだから、読売と一緒だ」と日本テレビに矛先をむけて単独インタビューを反故にすると言い出したというのです。そのため日本テレビは社会部長、警視庁担当の解説委員、拉致問題担当デスクの3人が中井大臣のもとに駆けつけ、涙ながらに訴えて単独インタビューにこぎつけたというのです。

 これが「政権浮揚を狙った」という金賢姫来日騒動の裏側でおこなわれていたことだと思うと、鳩山氏や中井氏らは一体何者なのだろうかと考え込まざるをえません。さらに重要なことは、彼らの背後で動いていた構図、構造とは一体いかなるものであったのかということです。

 いうまでもなく、普天間問題で米国にひざまずいた鳩山前首相を象徴的な存在とする「日米同盟基軸論」の行きつく先はこうしたものだということでしょう。

 こうした文脈の中においてみると、中国脅威論、そして危険な北朝鮮の存在に対する抑止力の重要性・・・、その後起きたこともすべてくっきりと輪郭が浮かんでくるというべきです。

 なんとも度し難いところに日本は立ち至ったというべきでしょう。
 そして、私も会場の片隅で傍聴した「東京―北京フォーラム」での「我が国の外交は日米同盟を基軸とし、将来的には東アジア共同体の構想実現をめざす・・・」云々という、菅政権の枢要を担う政治家の発言でした。

 メディアも、政治家もとにかく口をひらけば日米同盟基軸というのみで、それがどのようなことを意味し、アジアのなかで生きる日本にとってどういう問題をもたらすのかということについて一切語ることもなく、あるいは考えてみる必要性についてさえ一顧だにしないという、日本の”いま”です。

 そのようにして、民意と世論の勝利で菅政権の存続が決まったというわけです。

 まさに、地獄への道は善意によって敷き詰められているという言葉を思い出すものでした。

 ところで、ちょうど民主党の代表選投票が行われた14日の昼前、ある大学の出身者のサロンに行く用件があって隅っこで座っていると、隣の席から聞こえてきた会話には驚きました。

「3か月前にやめた人間がここでまた出馬するとはね・・・・」
「それに引退すると言った鳩山がなぜノコノコ仲介だなんて言って出てくるんだろう・・・」
「まだ色気があるのさ・・・」
「この図太さを対中外交に生かせればね・・・」
「丹羽さんも大変だ、あの汚さが中国のやり口だ。関係のない小者の訪日まで取りやめてね・・・」
「あれは北朝鮮と同じだね・・・」
「内乱を起こすように画策すればいいんだよ。」
「昔、日露戦争のときなんかもやったんだよね・・・」
「盧溝橋とかね・・・」
「今年の暑さはたまらないけど、救いは北朝鮮に台風が何発か行ったことだよ・・・」
「稲も植わっていないんだろ、そんな田んぼに台風が行ったってなんの影響もないさ・・・」
「でも援助を受け取ってるじゃない・・・」
「援助なんてもんじゃなくて、ありゃタカリだよ・・・」
「さて、そろそろ部屋に行こうか・・・」

 日本の最高学府とされる大学出身者の会話です。おもわず、手元の紙の余白にメモしたのでしたが、現在(いま)の日本の危うい状況が如実に伝わってきます。

 もちろん、こうした人間ばかりではないとは思います。しかし、これもまた現在の日本の「現実」というべきでしょう。こうした「空気」や「風潮」を軽視してかかると、歴史の同じ過ちを繰り返すことになりかねないと痛感します。

 アーミテージ元国務副長官が言うところの「中国は日米関係が冷え込んでいると感じ、どこまで許されるのか試そうとしている。中国に対抗するためには日米軍事同盟を強化する必要がある。」という「警告」に沿うような論調一色になっている尖閣諸島付近での中国漁船と巡視船の「衝突」問題。

 同時にまた、各メディアで語られる「国内に矛盾をかかえる中国が国民の意識を外にそらそうとしている」あるいは「反日教育をしてきた結果中国社会に存在する反日感情の矛先が中国指導部に向かないように日本に対して強硬な態度を取らせている・・・」といった論調に引き回されていると大変なことになるのではないかと深い危惧を覚えます。

 尖閣諸島問題は、あるいは韓国との竹島問題もまた、領土問題などではなく、本質的には日清、日露にまでさかのぼって、さらに言えば、明治維新後の近代日本のアジア認識と日本がたどった歴史に深く分け入って考えなければならないという意味において、まさしく歴史問題であることを、私たちは深く認識しておかなくてはならないと思います。

 私たちの歴史認識が問われているのです。また、そこから、何をしてはならないのか、対立や紛争をどう解決していくべきなのか、深い歴史意識と哲学、経綸が問われてくるのだと思います。

 ケ小平が「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」として50年先、百年先の子孫にゆだねようと言った意味は、まさしくここにあるというべきです。

 アジア、とりわけ北東アジアの冷戦構造を解き、溶かし、新たな北東アジアのあり方を、つまり反目と対立のアジアに残る黒々とした実線としての国境をこえて、まず点線にし、そして将来的にはその点線をも消していく、そんなあり方をめざす中で、領土問題、領有権問題を解いていく、そんな哲学が、そしてそのような哲学にもとづく政策が、必要になるのだと考えます。

 東アジア共同体構想を掲げる内閣であればこそ、こうした認識のかけらでもあればと思うのですが、残念ながらそうした深い歴史観や経綸を感じることはできません。

 「民意の大勝」を謳う菅内閣の陣容にこうしたことを期待できると思えるでしょうか・・・。

 松下政経塾などというところで国際関係を考えてきた、安全保障問題通を自認する外務大臣にそれを期待できるのでしょうか。

 まるで子供に外交という玩具を与えるかのごとく映るといえば言いすぎでしょうか・・・。

 民意、世論、そして「クリーンでオープンな政治」という「善意」に敷き詰められた地獄への道を、いま、歩み出していることに気づかねば、取り返しのつかないことになるのではないか・・・。

 すべてが杞憂であればいいのですが。



posted by 木村知義 at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年09月14日

民主党代表選挙で争われているものは何か

 8月末から先週半ばにかけて東京を離れ、戻った後も慌ただしく過ごしていたため、このコラムの筆を執る時間をつくることができず歯がゆい思いで過ごしました。

 この間金正日総書記の訪中があり、尖閣諸島海域で中国漁船と日本の海上保安庁の巡視船の「接触」事件が起きました。乗組員はきのう中国に帰国しましたが、船長は日本の法において取り調べが行われ「処遇」が決まることになるため身柄の「拘束」が続いています。

 この「事件」についてはその背景や現場での事実関係など、メディアで伝えられることだけでは確たる判断ができない要素が多く残っていると感じます。

 とりわけ、なぜこのタイミングで事件が起きたのか、このことをどう読み解くのかを考えてみると、底流に複雑な問題が潜んでいるように感じられます。

 そして、小沢VS菅の対決で白熱した民主党代表選挙はいよいよきょう午後結果が出ることになります。

 こうした「大きな出来事」が相次いだことをふまえなが、この代表選挙の結果が出る前に、手短にですが、幾ばくかのことを書いておかなければと感じます。

 新聞、放送などいずれのメディアでも、総理大臣にふさわしいのは菅直人氏だと考える人が圧倒的に多いという世論調査の結果が伝えられるとともに、小沢一郎氏には「政治とカネ」の問題があるのでクリーンな菅首相を!という市民の声などが繰り返し報じられてきました。

 あるいはコロコロと首相が交代するのでは国際的な信頼を得られない、従って、就任3か月の首相を変えるべきではない続投すべし、といった奇妙な「論理」で語られる場面も多く目にしてきました。

 こうした、メディアで支配的な「空気」にいささかの疑問と違和感を抱いてきた私としては、今回の代表選で争われているのは「クリーン」な政治かはたまたそうではない(「ダーティー」な)政治かといった皮相なとらえ方でいいのだろうかと思うのでした。

 結論から言えば今回の代表選挙の背後にあるテーマ、争点は米国との関係をどうしていくのかという問題だと考えるのです。その意味では沖縄の普天間基地の移設問題で鳩山前首相が北朝鮮、中国の「脅威」に対する抑止力の必要性という論理で米国に膝を屈して以来、すでに物事の帰趨は見えていたというべきではないでしょうか。
 
 たとえば、先月末東京を離れる前に、言論NPO主催による「東京―北京フォーラム」や中国から来日した青年層を中心としたメディア関係者との討論会に参加したのですが、フォーラムで基調となる発言に立った政府の枢要を担う政治家は「我が国の外交は日米同盟を基軸とし・・・」と切り出し、あれこれ述べた上に「東アジア共同体の構築をめざす」と語りました。

 要は、従来の日米同盟基軸論から一歩も出るつもりもなく、その必要性もないという論に終始するとともに、なおかつそのことと「東アジア共同体」の構築をめざすこととの関係についての「矛盾」と「乖離」にまったくの無自覚とでもいうべき姿を目の当たりにすることになったのでした。

 なるほど「米国なるもの」の重さはこれほどのものかと、皮肉な形でですが、あらためて感じ入ったものです。

 大幅に端折って言うならばですが、日米同盟基軸を謳うとき、それは政治、軍事にわたる同盟を通じて東アジアの秩序を維持しようとするものに他ならないわけで、つまるところ米国からするところの「東アジアの秩序」を守ろうということに他なりません。

 ということは、日米同盟を基軸としながら東アジア共同体の構築を目指すということは、米国からするところの望ましい東アジアの秩序を軍事同盟の力によって打ち立てようとすることに他なりません。

 中国、朝鮮半島の人々が、あるいはアジアの人々がこれを是とするでしょうか。受け入れらないとすることは火を見るよりも明らかではないでしょうか。
 
 こんなことは言うまでもないことでしょう。

 では米国の核と強大な軍事力の傘の下で日本と米国が共同して、力による秩序をこの地域に暴力的に認めさせていけるのかといえば、いまやそんなことはできようはずがありません。

 この「矛盾」を私たちは真剣に知る必要があります。メディアのみならず政治家、そして識者といわれる人たちはこの問題を一体どう考えるのか、ウソ偽りのないところを語ること、問題と真摯に向き合うことが必要になるというべきです。

 つまり、米国との関係を命がけで動かそうとするのか、あるいはまったくもって従来の日米基軸論から一歩も出ることなく、所与の前提を前提として身の丈を合わせていこうとするのか、争点はここにあるというべきです。

 それゆえに、メディアも識者もひっくるめた大合唱が起きて、米国に少しでも「刃向う」うごきは徹底して排除していくという流れができつつあるのだと感じます。

 今回の代表選挙の裏側には「米国」という重大なテーマが、そしてそれと表裏一体をなす中国、朝鮮半島との関係をどう構想しどう動かしていくのかという問題が存在していることを忘れてはならないと思います。

 それゆえ、琴線に触れる恐れのある者に対しては激しいまでのバッシングの類が起きているのだと言うべきでしょう。

 さてもうひとつ、では「クリーンな政治」についてはどうなのだろうかということになります。

 これまた「クリーン」というのは「政治とカネ」の問題だということで没論理的ともいうべき論調が花盛りです。
 
 「政治とカネ」の問題を抱えるダーティーな政治家というレッテルを貼って攻撃と排除の矛先を向けることになるというわけです。

 ここでも論理の没論理化が生じるのでした。

 もちろんカネをごまかしたり、裏の世界でしか語れないカネを以て何かをしようというのはあってはならないことです。しかしでは、言うことと実際にすることが違っている、もっと端的に言えば、人を謀(たばかる)ばかりの政治を行って恥じることのない政治家はクリーンというのでしょうか。

 たとえば、流行語、あるいはブームとなった感のある「仕分け」、さてその内実はいかなるものであったのか、メディアでもてはやされたのとは裏腹に、従来の官僚支配の枠組みから一歩も踏み出すことなく、本来切り込むべきところは残し従来の構造を温存するとともに、白日の下に曝すべき情報公開にも踏み切れないという、虚構性に彩られた政治をクリーンな政治というのでしょうか。

 政治家も識者もメディアも、真摯に、本当のことを語らなければならないと言うべきです。

 さて、メディアによれば、「クリーン」な政治家を大いに支持する市民、有権者に背を押された政治家が選ぶことになるという次の首相は誰になるのでしょうか。

 その政治家が官僚機構に切り込むことができない程度ならまだしも?戦後65年を経てなおかつ従来の日米同盟を基軸とする枠組みからこれまた一歩も出ることなく唯々諾々と米国の足下で政治にいそしむことを是とするのならば、その不幸がもたらす未来に誰が責任を持つのでしょうか。
 
 率直に言って暗澹たる思いに駆られます。

 今回の民主党代表選挙の本質は米国との関係そしてアジア、とりわけ中国、朝鮮半島を中心とする北東アジアの未来の姿を我々自身の手で描くことができるのかどうかをめぐって争われているのだという、もう一つの認識が求められているのだと痛切に感じます。

 あと十二時間後にはそのことへの「答え」が出るのだと思うと、まさに浮ついた選挙の「お祭り気分」ではなく、重く、厳粛な目で見据える必要があると痛切に思います。

 福沢諭吉の「脱亜論」から125年、「脱亜入欧」の「欧」を米国に置き換えて65年。 
 アジアのなかの日本として、アジアで生きる日本として、とりわけ中国、朝鮮半島の人々と真の信頼関係を築き、この地域の平和と発展のために、いまどのような選択をしていくのか、それこそが問われる民主党代表選挙だということも忘れてはならないと考えます。



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2010年08月21日

ことばを失いながら、しかし歩まねばならないと・・・

 きのう、北東アジアにかかわる研究フォーラムに出かける途上、このブログ読んでくださっている方から電話をいただきました。

 ブログの内容にも深くかかわる、非常に重要な指摘がありました。

 前回のコラムの内容は私自身の考えていることを十全に語りきるところまで至っていないのでしたが、きのうの指摘をもとに、私自身の問題意識を継いでもう少し書いておかなければならないと感じました。

 出先に向かう途中で受けた電話でしたので、きちんとメモを取ることができず、そこでの指摘を正確に受けとめているかどうか心もとないのですが、私なりの理解で敷衍したところもあることを前提に書き出してみると、指摘は4点でした。

1.いま「韓国併合100年」という言葉で語られているがこの言葉は深く吟味してみなければならないのではないか、朝鮮を強制的(暴力的)に「併合」、植民地支配していった歴史があいまいにされてはいまいか。歴史をより深く検証して言葉を使うべきではないだろうか。

2.「韓国併合100年」ということで日本と朝鮮半島の関係や欧米が、ロシアがどう動いていたのかという角度からさまざまに語られ、番組なども放送されているが、朝鮮半島の植民地支配へとすすむときに日本国内で何が起きていたのかという視点が忘れられてはいないか。たとえば、いわゆる「韓国併合条約」の年、1910年には「大逆事件」があった。外に向けての「動き」が日本国内の政治、社会の「動き」や「変化」とどのようにかかわっていたのかという視角できちんと分析、考察されなければ、何が起きていたのかが見えてこず、現在を生きる我々に語りかけるものも見えてこない。「外」への侵略や植民地支配という「動き」には、密接不可分のものとして「内」の(国内での)「動き」(変化)があることを忘れてはならないのではないか。

3.いわゆる「東京裁判」では、不十分だという批判はあるにせよ、戦争責任を俎上に載せて問うたといえるが、植民地支配については問うことも裁くこともしていないということを忘れてはいないか。このことが今に至る日本のあり方にどう影響してきたのか、あるいは朝鮮半島をはじめとする近隣諸国との戦後の関係を再構築する際にどのような問題を潜在させてきたのかを考えてみなければならないのではないか。

4.韓国でここ数年、いわゆる「親日派」問題の再検証がすすめられていることは知られていると思う。韓国国内では賛否さまざまに議論が巻き起こっているが、一方で、植民地時代のさまざまな「知られざる事実」が出てきている。これからも多くの問題が明らかになってくる可能性がある。日本でも、みずから歴史を再検証して具体的に事実を明らかにして、それへのきちんとした歴史的総括と対処をしていかなければ、外から「迫られる」という構造に陥っていくのではないか。日本にとっての課題が重く残っていることをきちんと認識しておかなければならないのではないか。

 こうした4点でしたが、いずれも重要な指摘であり、問題提起でもあると感じました。

 この一つひとつに、私が(正確に言えば、私だけが)答えるべき問題ではないのかもしれませんが、初歩的にせよ、いま感じていること、考えていることを述べておくことも責任だと考えます。

 まず、いうところの「用語」の問題です。これは本当に重く、大きな問題だと思います。

 「韓国併合100年」にかかわるさまざまな取り組みが各界で行われていますが、それぞれの場で、この問題が議論になったことは想像に難くないと思います。事実、ある取り組みの準備段階の会合で激しく議論されたということも聞いています。私自身は、放送メディアで仕事をしてきたという「出自」にかかわりがあるかもしれませんが、いまのところは、「韓国併合」という言葉を用いながら、しかし、そこにはカギカッコをつけて幾分かの留保の意味を込めているという次第です。

 もちろんこの方の指摘にあるように、さらに議論を深めて歴史的事実とその本質を的確にとらえた表現は何なのかを考えることが重要だと思いますが、それ以前に、メディアで伝えたり、語ったりする際に、「韓国併合」というこの言葉を、流通する「用語」として無前提、かつ無意識に使うということがはらむ問題があると感じます。

 この言葉には留保が必要なのだという、自覚された歴史認識がなくてはならないと思うのです。

 この間の「韓国併合」や韓国、あるいは日韓関係にかかわる放送や新聞記事などを視たり読んだりしながら、このことへの認識の欠如が透けて見えるという場面に何度も遭遇してことばを失うこともたびたびでした。

 最近の日韓関係にかかわる放送などの際はキャスターを任ずる人物の「表現の軽さ」に耐えられなくなってTVの前を離れたということもありました。

 言葉のリアイティのなさというものが、まさしく認識の欠如として意識されず、自覚なきままにあたかも巧みに「演ずる」ということだけが画面で繰り広げられることに、見るに堪えずいたたまれなくなったというわけです。活字も同様です。もっともらしい論考でありながら、迫るものがないという言説、論説を、この間どれほど目にしたでしょうか。

 前提となる認識と問題意識、そこから紡ぎ出される「ことば」の関係を深くかつ厳しく突きつめていくということをこそ、まずはなすべきだと考えます。その上で、「用語」として歴史(の本質)を的確に表象することばを選び出していくという作業が、さらに深められるべきだと考えます。

 2点目の指摘は、大きく括れば、戦争への道と社会の関係において歴史は何を語りかけているのかという問題でもあると思います。
 
 支配層が「対外戦争」を準備するときかならず国内社会においてナショナリズムの高揚と排外主義の蔓延、そして社会運動とりわけ反体制の動きへの弾圧ということを必然としてきたという歴史があることと、実はそれを支えてきたのは市井のごくごく「普通の人々」であったという重い現実です。このことへの厳しい自己省察がまずは一人ひとりの私たちに迫られ、その上に国家がそのように「動かそうとする」ことを拒む一人となって社会と歴史に向き合うことが重い課題となっているということだと考えます。

 3点目の問題は植民地支配ということを軸に私たちの歴史が今あらためて問われるのだと感じます。

 つまり、東京裁判についての評価をめぐる議論は置くとしても、裁く側に立った米国をはじめとする「連合国」側にとっても帝国主義時代における植民地支配という問題は、敗戦国である裁かれる側の日本と「相身互い」の問題としてあったということが見落とせないと考えます。

 このことは、帝国主義とはそういうもので日本だけが責められるいわれはない!といった、今氾濫する、ある種の歴史修正主義とでもいう「対抗言説」を合理化するものでないことはいうまでもありません。きわめて卑俗な物言いをするならば、それは、他人が強盗をするのだからオレが強盗をして何が悪いのだという、まさしく『強盗の論理』というべきもので、それが誇るべき日本人のありようとして正当化されるなど、恥ずかしくて口に出すのもおぞましいというべきです。

 ここで考えなければならないのは、裁く側も裁かれる側も帝国主義と植民地問題については衝くことのできない「タブー」としてあるがゆえに、この方の指摘にあるように植民地支配の責任については俎上に上すどころか直視することすら避けてきたということではないでしょうか。

 歴史研究の論文を書いているわけではないので、一例だけにとどめますが、日本が朝鮮半島を植民地化していくことについては、米国のいわゆる「門戸開放政策」にかかわって、米国がフィリピンを支配することを黙認するかわりに、日本が朝鮮半島をいかように「処理」しても米国は黙認するという1905年の「桂・タフト密約」によって一種の「共犯関係」が密かにかたちづくられていたことが重要なファクターとして見落とせないということです。

 その意味では今年が「韓国併合100年」として幾多の番組や企画記事がかさねられているのですが、本来的には1905年をこそ日本の朝鮮半島支配の重要なターニングポイントとすべきなのだろうと考えます。

 それはともかく、こうした裁く側と裁かれる側に存在した「相身互い」の秘めたる「事情」(共犯関係)にこそ、植民地支配の責任という視点から歴史を深く検証しそこでの責任を厳しく問うことにならなかった問題の根っこがあるのだろうと考えます。こうして考えてくると、少なくとも世界的視野で近代史の真摯な再検証が不可欠となっていることを痛感します。
 
 さて、最後の指摘についてです。これは歴史研究者やジャーナリストにとどまらず、私たち一人ひとりにとって重い課題としてあるというべきでしょう。

 なぜかといえば、前にも書いたように侵略戦争への道と植民地支配を支えてきたのは、一握りの軍国主義者でもなく狂信的な国家主義者だけでもなく、数知れぬごくごく普通の「われわれ」でもあったのだという意味において、私たちは歴史と正直に向き合うことが必要になるからです。

 その意味では前回書いたコラムやずっと以前に書いてきたことにも深くかかわるのですが、この国の市井の民、われわれは戦争被害者でもありかつ加害者であるというきわめて重い存在として自己を見据えることが必要になるということです。

 だからこそ世代が大きく入れ替わっていく時代にあって、どれほど苦痛であってもそれぞれが本当のことを語らなければならず、そこに一切の斟酌や粉飾が施されてはならないと思うのです。語り継がなければならないこととは、一にかかってここではないでしょうか。

 学生時代の事です、私は、塚越正男さんという方と出会いました。氏は、中国大陸で自分が帝国陸軍伍長として犯したおぞましいまでの罪について真摯に語り、幾多の迫害の中命がけで、自己の後半生を「鬼から人間へ」と語り続け、「青年よ、侵略の銃を取るな」と痛切な叫びを残して世を去られたのでした。

 私たちが語り継がなければならないことは、つまりこのことなのだと思うのです。風化させてはならないのはまさしくこのことなのであって、戦時中の暮らしがいかに苦しかったのかといったことなどではないのです。それはまさに「よもやま話」の思い出語りで話せばいいことで、それらが記憶から薄れていったとしてもとりわけなにも問題ではないでしょう。

 私が子供のころはまだ、ニューギニアでどれほど辛酸をなめて生き残ったかを得々と語り教室でビンタを張るといった教師もいましたし、耳にするのさえおぞましいことですが中国大陸でどのようにして手当たり次第女性を犯したのかといった「自慢話」をするような大人もいました。

 そうした人たちが時代とともに一切語らず口を拭うようになったことはもちろん時代ということでもあるのでしょうが、では、そうした己の歩んだ道や歴史になんらかの疑問を抱いたり反省、克服されたりしたのかといえばそれほど生易しい問題ではないと感じますし、潜在する意識としては、自己を肯定し合理化する生き方や思想こそが生き延びていることを否定できないというべきでしょう。

 前回のコラムで、「『加害責任』という言葉をもってしても容易には語りきれない、おぞましい事実を、現実を、ジャーナリストは、そして私たちは具体的に知る必要がある」と書き、戦争の実相について事実に即して具体的に語らなければならないということを強調したのは、まさにいま私たちが自身の力でこのことと真正面から取り組まなければ、この方の指摘にあるように、外でどんどん「隠された事実」が明らかになるという構造の中で、私たちが本当の意味で誇りも信頼も何もかもを失う事態に追い込まれるというやりきれないことになる恐れがあるのだということです。

 私は日本人としての自尊と誇りをかけてこの課題と取り組まなければならないと考えます。

 こうした考えに対して、前にも書きましたが「自虐」という非難がなげつけられます。あまつさえ「反日」というものまで飛び出します。

 わかりやすくかつ代表的なのものを挙げれば、総理の座につきながら何もできずいい加減に放り出した人物から「自虐」がどうのこうのといういわれなき批判が語られたり、ネット上でも暗闇に隠れた無数の正体不明の言説として「自虐」攻撃がかけられたりするいまの日本ですが、どちらが自尊と誇りをかけてものを考え語っているのか、考えれば自明、明白ではないかと思います。

 私たちの誇りをかけて、具体的事実を率直かつ正直に掘り起こして歴史の検証と取り組まなければならないと、いま痛切に思います。

 さて、長くなってしまいますが、「付け足し」を二つ。

 まず、前回のコラムで「韓国併合100年」にかかわる首相談話について批判的な視点で述べましたが、そのなかで外務官僚についてふれたくだりがありました。

 それにかかわって、注目すべき記事に行き当たりました。「週刊現代」の9月4日号に掲載された記事の中に「この談話には菅首相と、そして仙谷氏のある意図が秘められているという」として外務省幹部のコメントが引かれています。

 「談話は韓国に対してのみのもので、北朝鮮にはまったく触れていません。本来、日韓併合は“朝鮮半島”の問題であって、韓国だけに絞るのはおかしい。この問題は、首相にも官房長官にも何度も指摘したが、聞き入れられませんでした。これは、鳩山内閣時に北朝鮮との交渉を独自のルートで進めてきた、小沢さんへの当てつけです。『北朝鮮との交渉は、どうぞお好きにやってください。でも政府は一切関知しません。北朝鮮との交渉で問題が生じたら、小沢さんの責任ですよ』という通告です」というのだそうです。

 もちろん真偽のほどはわかりません。しかし、「首相にも官房長官にも何度も指摘した」ということが書かれているのですから、この外務省幹部が誰であるのかはおおむね見えてきますし、その上で、首相や官房長官をはじめ当事者からこれが「虚偽の記事」だという抗議でもないかぎり、あいまいながらも、まあ当たらずとも遠からず・・・ということになってしまいます。

 さて、本当のところはどうなのでしょうか。

 それにしても本当にこんな低次元のところでものが発想され、動いているのでしょうか。もしその通りというならこの国の政治と政治家の程度は、それこそおぞましいばかりということになります。

 もうひとつは8月18日の朝日新聞朝刊に掲載されたコラムについてです。

 これはオピニオンページに掲載された「歴史観の『脱冷戦』を」と題した外岡秀俊編集委員によるコラムなのですが、私も参加した「韓国併合100年」を問う国際シンポジウム(国立歴史民俗博物館主催)について言及があったこともあり熟読したのでした。
 (なお「韓国併合100年」とカギかっこをつけるのは私自身の考えであり、またこのシンポの主催者もそうしていますが、外岡氏のコラムではカギかっこはついていません)

 今回のシンポの論点にふれながら、力をこめて書かれたことが伝わってくるコラムでした。

 外岡氏が朝日新聞に入る前、東大在学時代に文藝賞受賞作「北帰行」を書いたころから氏のみずみずしい感性と筆力に敬服していた私としては、この朝日紙上のコラムを読みながら、よき仕事をされているなーとは感じ入ったのでした。

 が、しかし、「歴史観の『冷戦』を終わらせ、史実に基づく本格的な論戦を始める時期が来ている。」と、このコラムを締めくくっていることにはいささかの違和感を抱いたことを書いておかなければなりません。

 もちろん現在の日本の言論状況はそういうことなのかもしれません。しかし!です、もはや戦後65年です。氏はこの65年間は一体なんだったと考えているのだろうか、そこでのジャーナリズムの責任はどう果たされ、あるいはどう果たされなかったと考えているのか、私は、そこを厳しく見つめること抜きにこれほど簡単に「歴史観の『冷戦』を終わらせ、史実に基づく本格的な論戦を始める時期が来ている。」などと言うべきではないのではないかと、考え込んでしまったのでした。

 ことばはきつく響くかもしれませんが、もう戦後65年も経つのです、そんな評論家ふうの言説でいのだろうか、その間、ジャーナリストは何をしていたのかと。

 さきほどふれた塚越正男さんにしてもそうなのですが、あるいはこころある研究者にしても、本当に数えきれない人たちが、まさしく「史実に基づいて」命がけで格闘してきたのではないのか、そのことをジャーナリストとしてどう受けとめ、どう考えているのか・・・。

 自己の足下への省察抜きに語ることの許されない、言論にたずさわる困難を、またというべきか、考えさせられたのでした。




posted by 木村知義 at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年08月18日

暑い夏、暗澹たる夏・・・

  またもやこのブログのコラムの間が長くあいてしまいました。本当に申し訳ありません。
 
 この間、「韓国併合100年」にかかわる国際シンポジウムをはじめいくつかの会合に足を運んでいました。そうしたことも含め書くべきことが山積です。

 それにしても「暑い夏」が続いています。

 これは気候としての猛暑ということだけではなく、この時期メディアでは「恒例」のように「戦争」にかかわるさまざまな記事や企画が相次ぐという意味で「暑い夏」と記したのです。

 8月6日広島、9日長崎、それぞれの「原爆の日」、そして8月15日「終戦の日」へと、戦争と歴史にかかわる記事や企画を読み、視聴しながらいささかの「失語症」に陥る日々となっています。

 戦後65年ということで、なのでしょうか、戦争にかかわる企画や記事がいつもの年より多く感じられます。
 しかし、私はこの時期になるといつも、語るべき言葉を失いがちになるのでした。

 語るべきことは重く、山のようにあるというべきです。にもかかわらず十年一日のごとく繰り返される「悲惨な戦争について語り継ぐ」という言説に、もはや同じ問いかけをする気力を失いがちになるのです。

 その問いかけとは「一体何が悲惨だと考えているのか、何をもって悲惨とするのか?」というものです。

 ある新聞出身のメディア研究者が「広島、長崎の『原爆の日』が来て、65回目の『終戦記念日』も過ぎた。各メディアは今夏も戦争を扱う企画に取り組んだ。それに対して『8月ジャーナリズムだ』と、マンネリ性を批判する声もある。しかし、国民、メディアが戦争と平和に思いをはせる季節を毎年共有するのは、戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣だと私は思う。」と書くとき、この人物の善意は疑わないにしても、私は、なんともいえない違和感を抱くのでした。

 この時期の戦争企画の連なりを「戦争と平和について思いをはせる」ことだとしてそれを「戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣」だとは、私は楽観的になれないのです。

 また、些細な揚げ足取りのように思われると心外なのですが、たとえば「8月ジャーナリズム」という批判があるというくだりで、ジャーナリズムという言葉をそんな安易に使っていいものかと考え込みます。

 とてもではありませんが「ジャーナリズム」などという水準に到達していないから問題なのだ!と、私は、思うのです。

 ここはこのメディア研究者の論考をとりあげて「ジャーナリズム論」について論ずるのが本意ではありませんから控えますが、ではこの間の企画や記事でジャーナリズムと言うにふさわしいものがどれほどあっただろうかと考えると、私は暗澹たる思いに駆られます。

 おちゃらけで言うのではなく、たとえばこの間の記事やテレビ番組で「戦争が起きるとこれほどの悲惨なことになるということを直視しなければならない・・・」というような言説にぶつかると、「さて、戦争は起きるものなのでしょうか・・・?」と問いたくなるのです。

 「戦争は起きるもの」なのでしょうか?!

 また「戦争を知らない世代が人口の過半を占めるようになって戦争の記憶が風化していく。戦争の悲惨さを語り継がなければならない・・・」あるいは「愛するものから引き離された若者同士が、戦場で殺し合いをさせられる戦争というもののおぞましさを改めて思った」というようなくだりに出合うと、ここには、何が悲惨で、何がおぞましいのかを正視する、あるいは正直に語る覚悟と格闘が欠落している!と思わざるをえなくなるのです。

 戦争と平和について語る際、戦争はあたかも「自然」に起きるもののごとく語り一般化するところから論理の退廃がはじまるのだと、私は思います。

「起きる」ではなく、「起こした」から戦争はあったのであり、起こした側があったからこそ戦争は「起きた」のであり、誰が、なぜ、起こしたのかという点について、ゆるぎない検証がなくては、戦争はいつでまでも総括されることなく生き延びるものだと思います。

 そして戦争を「起こされた」側こそがまさしく痛切に「おぞましい」と思ったでしょうし、それを阻むことのできなかった私たちの歴史こそが「おぞましい」と、私は思うのです。

 侵略されあるいは植民地支配された側の「悲惨」を認識できず、侵略への道を押しとどめることのできなかったジャーナリズムをこそ「おぞましい」と感じる感性を喪失した「ジャーナリスト」に何か教えを乞わなければならないほど私たちの言論は寒貧たるものになっているのでしょうか。

  戦争に一般的かつ抽象的な「悲惨さ」を持ち込むことから歴史への背信と本質からの逃亡がはじまるのだと、私は考えます。

 ジャーナリストが戦争について語るとき、この、なんとも単純にして自明の理を忘れることは一切許されないと私は考えます。

  問われているのはまさしく歴史に向き合う際の誠実さと歴史認識なのです。

 8月15日の「全国戦没者追悼式」で菅直人首相が「これからも、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継いでいかなければならない。」と語るとき、この人は「過去を謙虚に振り返る」とはどういうことであり、語り継がなければならない「戦争の教訓」とは何だと考えているのかと問い返したくなります。

 重ねて言いますが「悲惨さ」や「教訓」を抽象化して一般論にするところから論理の退廃がはじまるのです。

 戦争責任について踏み込まず、侵略の歴史について正対せず、どのようにして悲惨さを語り継ぐのでしょうか。

 風化などという持って回ったいい加減な言葉で事の本質を避けて通ることがジャーナリズムなのか、「8月ジャーナリズム」とはそれほど安直なものなのか、私は言葉を失います。

 戦没者を追悼するとき、大日本帝国の旗のもとに侵略され、蹂躙され、殺され、奪われた人々の悲惨はどう認識されているのでしょうか。

 「加害責任」という言葉をもってしても容易には語りきれない、おぞましい事実を、現実を、ジャーナリストは、そして私たちは具体的に知る必要があると思うのです。

 こう書いてくると、毎度のことですが、またもや自虐がどうのこうのという批判が寄せられるかもしれません。

 しかし、こうした歴史と真っ向から、しかも具体的に、真剣に向き合う営みを「自虐」などときいたふうな言葉であしらえば封じることが出来ると考えるほどの「空っぽな人々」にあれこれものを言われるいわれはないと言うべきです。

 言論とはそれほど容易いものなのか、いい加減なものであっていいのか。

 言論をバカにしてはならない!と言うべきです。

 そして、この時期、多くのメディアが言うように、もし戦争の記憶の風化がどうのこうのと言うのならば、そのように書き、語っている人々は、一度でも本当に戦争の実体とそして本質と正対したことがあるのかと厳しく問うてみなければならないと言うべきです。
 
 侵略という二文字がいかほどの膨大かつ深い実体を伴うものなのか、事実に即して真剣に向き合う必要があると、いま痛切に思います。

 と同時に、現在の言論状況を見るにつけ、あまりの事の重さと道のりのほど遠いことに気が遠くなる思いで、言葉を失ってしまうのです。

 冒頭に書いたこの時期の失語症とはこういう意味なのです。

 「韓国併合100年」にかかわるテレビの特集企画番組や新聞の企画記事も同様です。
 一見よく考えているようにみえる企画記事や番組にも深く問われるべき問題が隠れていると感じることがしばしばです。

 言葉のちょっとした違和感がはらむ本質的な問題の大きさと重さに、ここでも言葉を失ってしまいます。

 発表される前からメディアでもさまざまに取り沙汰された「韓国併合100年」を期に出された首相談話のニュースを見ながら、歴史と真摯に向き合うということはどのようなことなのかと、あらためて考えさせられました。

 談話では「日本政府が保管している」と言い、メディアでは「日本に流出した」と書く「図書」を「お渡しする」という表現がはらむ問題の根深さについて「日韓基本条約で請求権問題は解決しているということで『お渡しする』という表現を使った・・・」と解説して、何かを「解説」したと本気で考えているのでしょうか。

 「お渡しする」を問題にする前に「保管」していたり「流出した」という表現をどう認識しているのか、これまたおちゃらけではなく、まさかそれらの文物に足が生えて勝手に歩いて日本にやってきたなどとは思っていないでしょうね?と問い質したくなるのです。

 言論、ジャーナリズムにかかわる者は「ことば」あるいは表現には存在を賭した厳しさが求められると思い込んでいたのですが、そんなことはもはやこの国ではまさに「八百屋で魚を求める」類の、言っても詮無い事なのだろうかと、痛切に思うのです。

 「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。」

 まことにその通りありたいと、菅首相のみならず、私も思います。
 そうして「歴史の事実を直視する」と文物を「お渡しする」という表現の間にどれほどの隔たりがあるのか、それがわからないのであれば総理大臣などという地位に就く資格はないでしょうし、わかっていて人をたばかっているなら、それ以上にその職にとどまる資格はないと言うべきです。

 そのいずれでもないとするなら、メディアの行間に見え隠れするのは、外務官僚のなせるわざということになります。

 私は、長く忘れていた「法匪」という言葉を思い出しました。

 日韓基本条約で解決済みである、ゆえに「返還」という言葉を使ってはならぬ・・・などという「論理」はまさしく「法匪」以外の何ものでもないと言うべきです。

 もちろんそれ以前に、この談話で示されている「誠実に向き合いたい」というのは韓国に対してであり、朝鮮半島全体に対する責任が明確にされていないという問題の重大性については、もはや言葉を要しないと言うぐらいのものです。

 こういうことの表現をあれこれひねくり回すために外務省のキャリア官僚たちは驚くほどの高い禄を食んでいるのでしょうか。

 誠実であるとか真剣ということの意味が失われて久しいことに呆然とします。

 そして、ここにも菅内閣が生き延びる奇妙な構造が如実に表れていることに気づきます。

 どういうことかといえば、「こういうことを蒸し返せばさまざまに飛び火していく。たいへんな禍根を残すことになる・・・」といった、歴史修正主義の側からの「もうひとつの批判」を浴びることによって、本質的な問題を問われないまま生き延びる力を得るという構造です。

 まさに、こうした「批判」こそが、本質的な批判から菅内閣を守り生き延びさせる糧となっているという意味で、たとえば安倍元首相らこそが「補完勢力」になるという、奇妙な構造に気づく必要があるということです。

 政権交代によって生まれた民主党政権にとって代わるものがないという、いま私たちが目の当たりにしている悲劇の構造を直視する必要があると思います。

 それにしても、この時期の戦争と平和をめぐる企画報道や番組をひたすら年中行事のごとく繰り返すメディアのあり方にピリオドを打って、ジャーナリズムとしてどう生きるべきなのかを根源的に問い直すことをしないならもはや将来はない!といわざるをえません。

 「メディアが戦争と平和に思いをはせる季節を毎年共有するのは、戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣だ」などと気楽なことを言っていられるメディア、言論状況なのでしょうか、あるいは政治、社会状況でしょうか。

 「暑い夏」を暗澹たる夏にしないためにも、いま、まさに真剣に考えてみなければならないのではないかと痛切に思います。


posted by 木村知義 at 00:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年08月01日

おわびとお断り

 7月26日のコラムの掲載時、画像を取り込む操作などの関係からHTMLテキストをうまく使えず、文字を大きくして読みやすくすることができませんでした。
 行間や文字の大きさに不具合が起きてしまい申し訳ありませんでした。
 本日修正できましたので、26日付のページを一度破棄して再掲載しました。
 ご理解ください。
posted by 木村知義 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年07月26日

なんと愚かなことをするものだろうか

 前回のコラムからちょうど一か月になります。
 北東アジア、とりわけ朝鮮半島、中国をめぐる重要な動きがありながら、このコラムの筆を執るいとまがなく過ぎていました。
 その間このブログを休んで何をしていたのか、ということになります。
 この間、朝鮮半島問題をテーマにしたジャーナリストの研究会や日中関係にかかわる研究会などに出向いていましたが、7月10日に京都の立命館大学コリア研究センター主催の国際シンポジウム「新国際協調主義時代における東アジアと朝鮮半島」は非常に密度の濃い内容であるとともに、時宜にかなった有意義な討論の場になったと感じました。

 このシンポでは、前日東京の外国人特派員協会でも講演した米国のジョンズホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)コリアスタディーズ所長のJ.J.Suh氏が「天安艦沈没で揺らぐ東北アジア〜朝鮮半島はどこへ行くのか?」というテーマで報告しました。この中で、Suh教授は「天安艦沈没」を北朝鮮の魚雷によるものだとする李明博政権の「発表」に対して、矛盾点を詳細に指摘しながら疑義を提示しました。

 この報告を聴きながら、いささかの我田引水をお許しいただくなら、この間私がこのコラムに書いてきたことは決して間違っていなかったという確信を抱くことになりました。

 さて、きのうから日本海(東海)で米韓両国軍によるかつてない規模の合同軍事演習がはじまっています。正確には米韓両国軍に日本の幹部自衛官も加わったと言うべきで、その意味では米韓日3か国はじめての合同軍事演習と言うべきでしょう。

 この「演習」にはアメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」に加え韓国の駆逐艦や潜水艦など艦艇20隻、沖縄の嘉手納基地に配備されている最新鋭戦闘機「F22」をはじめ航空機200機、兵士8000人が参加、「両国の軍事演習としては最大規模」になることはすでにメディアで伝えられています。

 そしてこれにとどまらず、米韓両国が毎年実施している合同軍事演習「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」も、あわせて8万人余りが参加して、来月16日から11日間にわたって行われると伝えられています。

 少なくとも、今後数か月間、この地域は「臨戦態勢」あるいは「戦時態勢」下に入ることになったと考えるべきです。

 これらに対して、北朝鮮の最高権力機関である国防委員会は24日朝、声明を発表し、一連の演習を「史上最大規模の核戦争演習騒動であり、意図的に情勢を戦争の瀬戸際に追いやっている」と非難するとともに、「必要な任意の時期に、核抑止力に基づく報復の聖戦を始めることになるであろう」と警告を発しています。まさに「一触即発」の状況下にあると言うべきです。

 日本に暮らしている私たちにはすぐ身近なところで起きている事でありながら、この状況を的確にとらえることが難しいと言うべきですが、日本の自衛官が「オブザーバー」として参加するということにとどまらず、日本の横須賀港に配備されているj原子力空母ジョージワシントンや沖縄の嘉手納基地に配備されている最新鋭戦闘機「F22ラプター」などが参加しているということは、日本もまた今回の合同軍事演習に深く組み込まれている、つまり当事者として存在しているということを自覚しておく必要があると考えます。

 いまどき戦争などそんな簡単に起きるものではないという「気分」が支配的ですが、わたしはこの間の推移に歴史の暗い「符合」を感じて、予断の許されない状況にあるのではないかという思いを強くするのでした。

 それは、国連の安保理での協議をはじめ、「天安」沈没問題で韓国、米国の思惑通りに事態はすすまず、その焦りが両国に募っている事、メディが伝えるのとは裏腹に、今回の「天安問題」への世界からの米韓両国(およびそこに深くかかわっている日本)への視線が冷静かつ沈着な、「冷めた」ものであればあるほど、この問題の「決着」をどうつけるのかをめぐって、いわば「追い詰められた状態」に陥るという構造になっていることに懸念、あるいは危惧を抱かずにはおれないのです。

 同時に、これは「北朝鮮による犯行説」を無自覚に垂れ流してきたメディアにとっても、どう「オトシマエ」をつけるのかを迫るものとなってくることは言うまでもありません。

 「極秘情報」などにふれるポジションでなくとも、ごくごく「普通の感覚」さえ失わなければ、今回の李明白政権による「天安問題」についての「発表」や米韓両国の「立ち居振る舞い」に疑問や何らかの問題意識を抱くことは何も難しいことではない、ということはこの間の「公開情報」だけをもとにして考えてきたこのコラムをお読みいただいただけでも明らかだと思います。

 長くなりますから、いまここで詳細に引用することは控えますが、今回の問題に対する北朝鮮の声明や報道をつぶさに読み込んでみると、今回は絶対的な自信を持って韓米両国を追い詰めていくという「空気」が行間に感じられ、これまで伝えられてきた、従来のいわゆる「テロ事件」やなにやかやとは決定的に違うことに気づきます。

 いま注意を払っておかなければならない最も重要なファクターは韓国の李明白政権の「焦り」であり、米国の「揺れ」だというべきでしょう。

 その決定的な原因(の重要なひとつ)は中国の存在にあることは言うまでもありません。今回の「軍事演習」にしても中国の「存在」を無視して思い通りに進めることが出来なかったことは言うまでもありません。

 それゆえ、「一触即発」とはいえ、そんな簡単には間違いは起きないだろう、とは思いたいのですが、私には歴史の「暗い記憶」が蘇らざるをえないということも、正直なところなのです。

 その「記憶」あるいは暗い「符合」とは、米国のクリントン国務長官とゲーツ国防長官が韓国の柳明桓外交通商部長官、金泰栄国防部長官とともに板門店を訪れ、クリントン、ゲーツ両長官が軍事境界線(DMZ)最前線を「視察」した「光景」をめぐるものです。
以下の写真から何を読み取り、何を感じるのか、杞憂であればいいのだがという思いを禁じえません。
クリントン視察.jpg

クリントン視察3.jpg

クリントン視察2.jpg

  
 いうまでもなくはじめの3枚は今月21日午前のクリントン、ゲーツ両長官の板門店訪問と最前線の視察風景の写真です。米国大統領の訪問に随行したケースを除き、米国の外交・安保を統括する国務・国防長官がそろってDMZを訪れるのは今回が初めてのことでした。

 そして以下は、1950年6月18日、米国のトルーマン大統領の特使、J.Fダレスが韓国の申性模国防部長官、林炳稷外務部長官とともに「38度線」最前線を視察した際の写真です。

ダレス視察.jpg


 もうお分かりのように、この一週間後に朝鮮戦争が勃発しています。
 この視察の翌日ダレス特使は韓国国会で以下のような演説をしています。
「・・・諸君の民族的自尊心と、自衛はあくまでも自らの努力に依存するという原則に反しない限り―アメリカは諸君に対する物心両面の支援を惜しまないだろう。諸君は孤独ではない。人間の自由という偉大な理想のため、自らに課せられた任務に忠実でありつづける限り、諸君は決して孤立無援ではないだろう。・・・」
 このあとダレスは東京に向かいマッカーサーと会談したことが記録に残っています。

 今回のクリントン、ゲーツ両長官のDMZ「視察」について言うならば、米国側、韓国側どちらの「判断」なのかはわかりませんが、板門店の「軍事停戦委員会会議場」までは同行した韓国の柳明桓外交通商部長官、金泰栄国防部長官はDMZ最前線哨所での「視察」に同行することを避けたことが写真からもわかります。

 写真の比較から、辛うじてというべきか、60年前と比べると少しばかりの「自制」が働いたということなのでしょうか。

 しかし、だから大丈夫だと言う保証はどこにもありません。
 日本海(東海)での軍事演習にはじまって数か月続くであろう「合同軍事演習」下の朝鮮半島は一切の予断を許さない状況だと考えるべきでしょう。

 なんと愚かなことをするものだ、というのはこの間の北東アジアをめぐる「出来事」を見つめながらの、ため息の出るような私の「つぶやき」です。
 そしてその「愚かさ」がきわめて危険なものであり、この北東アジアという地域に暮らす私たちの平和と安全を深く脅かす事態を引き起こしていることに、言葉にしがたい深い憂慮を抱かずにはおれません。

 普天間−ワシントン核サミット−黄ジャンヨプ訪米、来日−金正日総書記訪中問題−天安沈没「事故」−韓国6月地方選挙−中国海軍演習−中井拉致担当相訪韓−金賢姫来日問題−小沢幹事長と検察審査会−上海万博開幕、そしてキャンベル国務次官補来日と日米同盟の今後、さらには東アジア共同体構想・・・。

 これらが「一筋の糸」でつながっているというのが私の問題意識だと書いたのは4月29日のことでした。

 「金賢姫来日」もまた、なんと愚かなことをしたものだ、という感慨を禁じえません。

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2010年06月27日

砲声を聞くことなく

 1950年6月25日早朝、朝鮮半島で戦火が勃発してから60年を迎えました。
 日曜日の明け方のことでした。
 幸いなことに60年目の25日は、朝鮮半島に、少なくとも、砲声を聞くことなく朝を迎えることができました。
 しかし、では平和な朝を迎えたのかといえば、ほど遠いと言わざるをえません。

 そして、1953年7月27日、板門店で「休戦協定」が結ばれて以来、一時的な「休戦」状況がもう57年にもなります。
 「休戦」とカギかっこが必要なのは、議論の余地のないことでしょう。
砲弾が飛び交うことだけが戦争で、砲声が聞こえなければ平和だということにはならないことは誰もが知ることです。

 欧州における「冷戦崩壊」がいわれながら、この北東アジアの地では、まだ冷戦が続いています。
 
 まずこのことを私たちは思い起こさなければならないと思います。

 なにかというと「冷戦後の世界」と語り始めるわけですが、私たちは依然として冷戦の歴史を生きていて、この状況を根本的に転換するという歴史的な課題をあるいは使命を果たしていないということをしっかりと胸に刻まなければならないと思います。

 また、われわれの記憶を歴史に繋ぐというジャーナリズムの使命を考えるならば、朝鮮戦争をどう語り、この地に残る冷戦状況をどう変えていくのかをどのような言説でもって示すのか、深く問われるところだと考えます。

 戦後生まれの私にとって朝鮮戦争とは「歴史」であり、自らの肌をとおした痛みとして語ることはできません。
 
 しかし、年齢からいうと朝鮮戦争の休戦からは少し後なのかと思うのですが、子供のころ住んでいた家の近くに当時は進駐軍と言っていた米軍の病院施設があって、両脇に担架をセットしたヘリコプターが昼夜を分かたず発着を繰り返していたことがはっきりと記憶に残っています。
 大人たちの会話からは「イタツケ」とか、どことかから運ばれてくるけが人や病人だとかいうことが漏れ聞こえてきた記憶があります。

 幼少の子供にとって飛行機やヘリコプターというのはなんともいえないあこがれの「乗り物」のはずなのですが、夢を感じられない異様な「暗黒の風景」とでもいうのでしょうか、不思議なことに、明るい陽光の下での発着という印象が一切ないのです。
 ひんぱんに発着を繰り返すヘリコプターが少し傾きながら旋回して病院施設の白い塀の向こうに姿を消す間際に両脇の担架に縛り付けられている濃いカーキ色の毛布のようなもののふくらみが見えたことも、くっきりと、像として記憶に残っています。
 これまた不思議なのですが、そのことを思い出そうとすると、なにか鬱々とした記憶の塊に気持ちが暗くなるのでした。

 そんな記憶を胸に、各紙朝刊に目を通しました。

 25日の社説で朝鮮戦争を取り上げているのは「毎日」と「産経」、「読売」は前日24日の社説で取り上げました。ほかの3紙は、国際面に北朝鮮関連の記事が掲載されたりはしていますが「社説」には見当たりません。

 このテーマを取り上げないからといって責められる謂れはないのかもしれませんが、論調はともかくとして、少なくとも朝鮮戦争から60年ということは重いテーマとしてジャーナリストに意識されているものだと思い込んでいたものですから、私にとっては意外でした。

朝鮮戦争60年 「北」の根本的転換が必要(毎日)
朝鮮戦争60年 北は今も「好戦国家」だ 脅威に対し日韓提携が重要(産経)
朝鮮戦争60年 変わらない北朝鮮の脅威(読売)

 これが各紙社説の見出しです。これだけでおおむねの論調が見えてきますので、付け加えるべきことはそれほどありません。
 もっとも、この内容で「良し」としているということではなく、言い立てはじめるととことん語り尽くさなければならないので、控えるという意味です。
 ただ、三紙に共通する以下のような書き出しに、私はふと立ち止まってしまうのでした。

 「60年前の6月25日、ひそかにソ連の支援を受けた北朝鮮軍が韓国になだれ込み、朝鮮戦争が始まった。米国が国連軍を率いて韓国を助け、中国は北朝鮮に加勢した激戦である。」
 
 「北朝鮮がソ連(当時)や中国の支持、支援を得て韓国を奇襲攻撃した朝鮮戦争(1950〜53年)が始まって、25日で60年になる。」

 「北朝鮮軍が北緯38度線を越えて突如、韓国に全面侵攻した1950年6月25日の朝鮮戦争勃発から、明日でちょうど60年を迎える。」

 朝鮮戦争が南北どちらから仕掛けてはじまったのかということについて言えば、いまは北側から、ということが「定説」になっていますからこういう書き出しになるとしても不思議はないのかもしれません。

 また、「朝鮮戦争『北朝鮮侵攻』と中国紙が異例の記述」という見出しで26日の「日経」が以下のような記事を掲載しました。

 中国国営の新華社系列の中国紙「国際先駆導報」は25日付で、朝鮮戦争開戦60周年に関する特集記事を掲載し「北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、3日後にソウルが陥落した」と紹介した。
 義勇軍を派遣した中国は公式には開戦の発端が「北朝鮮の南進」だったとは認めておらず、異例の記述になった。
 記事は「北朝鮮の侵攻による開戦説が中国でも定説になっていることを示した」(中国メディア関係者)との見方が出ている。
 中国外務省の秦剛副報道局長は24日の記者会見で、開戦の経緯に関する質問に直接の言及を避けていた。

 依然として日本のメディアにとって「どちらが先に仕掛けたのか」ということが最大の「関心事」であることがうかがえます。

 しかし私は、昨年、身近にお話をうかがう機会を得た鄭 敬謨さんから何気なく投げかけられた「戦争はどちらかが鉄砲を撃つということではじまるのでしょうか、それが戦争の起源ということなのでしょうか・・・・。」という「問い」にハッとさせられたことを思い出します。

 それ以来、この言葉が胸の奥深くでこだまのように響き続けているのでした。

 鄭 敬謨さんについてはあらためて言うまでもありませんが、1924年ソウル生まれで、日本の慶応大学医学部予科をへて米国へ留学、エモリ大学文理科大を卒業後朝鮮戦争勃発と同時に当時の駐米大使張勉氏の勧めで米国防総省職員となり、板門店における休戦会談にも参加、「朝鮮戦争におけるアメリカの侵略性を内側からつぶさに体験」されたという経歴をお持ちで、1970年、当時の朴正煕政権から逃れるように日本へ、以来、文筆活動を以て韓国民主化運動の一翼を担ってこられました。

 昨年亡くなった金大中元大統領が東京から拉致された際、命がけの救出活動に奔走され、米国のキッシンジャーを動かして間一髪のところで金大中氏の救命を果たしたことは、知る人ぞ知る事実です。

 また1989年には韓国の文益煥牧師と平壌を訪問し当時の金日成主席と会談したことでも知られています。

 韓国の民主化のために精魂を傾けながら、「世界」をはじめ各紙・誌で舌鋒鋭く論陣を張るとともに「シアレヒム」(一粒の力)という学塾を主宰し多くの若い世代の育成にも力を尽くしてこられました。

 その鄭 敬謨さんからの一見何気ない問いかけに、私は、物事を根源的に考えるとはどういうことかということをあらためて考えさせられました。

 「ブルース・カミングスが『朝鮮戦争の起源』を、なぜ、1950年6月25日からではなく、それにさかのぼる1945年から書き起こしているのを考えなければなりません。なぜ戦争が起きたのかは、(戦闘の開始の)銃声がどちらからだったのかということだけで考えていると本質が見えてこないのではないでしょうか。」とおっしゃる鄭 敬謨さんの問いかけに、あらためて歴史を見つめる目、そこでの問題意識の深さを問われている気がしたものです。

 その鄭 敬謨さんには、4月に開いた「北東アジア動態研究会」でお話していただくとともに、先日もまた身近にお話をうかがう機会を得ました。

 そのなかで、私たちが知らないか、あるいは、もし知りうる人がいたとしてその重要性についてあえて無視しようとしたか、見落としている、ある「問題」について、あらためて、認識を迫られることになりました。

 それは、米国のトルーマン政権の外交顧問、J・F・ダレスのメモランダム(覚書)と国務省政策企画部長のジョージ・ケナンの「対朝鮮構想」です。

 ジョージ・ケナンといえば「対ソ封じ込め」政策の立案者として広く知られていますので、それがどうしたのかというところかもしれませんが、鄭 敬謨さんの話から、実は、彼は、朝鮮半島は日本の再支配に任せるべきだという、驚くべき「構想」の立案者であったことを知ることになったのでした。

 「このことはほとんど知られていないでしょうね。第一、この構想自体が隠蔽されたままで、もしもこのことを知っていると言い切れる人がいるとすれば、それは寧ろ例外中の例外だといえるでしょう。しかし、過去に、メディアの方たちにもあるいは研究者のみなさんにも、再三このことをお話ししてきたが、きちんと取り上げて考えてみようという動きは皆無に近い。どうしてなのでしょう・・・。」

 鄭 敬謨さんはこう語りながら、ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』第二巻(日本未邦訳)から以下を引用して、どうですかと問いかけるのでした。

 「日本人の影響力並びに彼らの活動が再び朝鮮と満州に及んで行くような事態をアメリカが現実的な立場から反対しえなくなる日は、われわれが考えるよりは早くやってくるだろう。それはこの地域に対するソビエトの浸透を食い止める手段としては、これ以上のものはないからである。力の均衡をうまく利用するというこのような構想は何もアメリカの外交政策にとってこと新しいものではない。現今の国際情勢に鑑み、アメリカが上記のような政策の妥当性を認め、もう一度そのような政策に戻ることは、それが早ければ早いほど望ましいというのは、われわれ企画部スタッフの一致した見解である。」

 その原文を鄭 敬謨さんが主宰される「シアレヒムの会」の刊行物『粒』(RYU)から引用させていただくと以下のとおりです。(『粒』41号38P:2003年1月発行から)




 そして前後しますが、ダレスのメモランダムです。

 「アメリカは日本人が中国人や朝鮮人に抱いている民族的優越感を充分利用する必要がある。共産陣営を圧倒している西側の一員として自分たちが同等の地位を獲得しうるという自信感を日本人に与えなくてはならない」

 ダレスによってこのメモランダムが書かれたのは1950年6月6日。

 「朝鮮戦争が勃発するわずか二十日ばかり前の時点であったことに注意を払うべきです・・・」
鄭 敬謨さんが語りかけることの重みを、いま私たちはどう受けとめるのか、深く問われるところだと痛感します。

 また、上に引いた『粒』の発行が2003年であることからもわかるように、このことを再三語ってきたが、日本のメディアでも識者の間でも、真剣に受けとめて考えてみようという動きが皆無に等しい・・・という鄭さんの指摘は極めて重いというべきです。

 なお、最近の刊行物でいえば藤原書店発行の季刊誌『環』の41号〜特集「日米安保」を問う〜に、このことにかかわる鄭 敬謨さんの論稿も掲載されていますのでぜひお読みください。

 朝鮮戦争の特需によって日本は戦後復興を遂げることができたという程度の認識は広く語られるのですが、米国の世界・アジア戦略のなかで、ほかでもなく日本が朝鮮戦争の第一の「当事者」としてあったということへの認識は皆無といっていいでしょう。

 それどころか、新聞の社説がすべてだとは思いませんが、紙面に表れる言説、論考を読むと鄭 敬謨さんの危惧は、日本の言論の現状に対してまだ好意的に過ぎると言うべきだと、残念ながらですが、言わざるをえない、憂慮すべき状況だと感じます。

 たとえば、
 「朝鮮戦争は北朝鮮の創業者とされる金日成(1994年死亡)が、韓国併合を狙って引き起こした武力統一戦争だった。背後には当時のソ連や中国など国際共産主義勢力が控え、朝鮮半島全体の共産化はもちろん『その次は日本』を目標にしていた。
 そのため朝鮮戦争は日本にとっても重大な脅威だった。米国が国連軍として直ちに韓国防衛に馳せ参じたのも日本の安全保障を重視したからだ。
 朝鮮戦争を機に自衛隊の母体となった警察予備隊が創設された。日米安保条約が調印され、破壊活動防止法も公布された。いずれも日米の危機感からだった。在日米軍は今も国連軍を兼ねている。
 同時に、日本は韓国防衛の後方基地として決定的な役割を果たした。戦時物資の供給をはじめ、後方に日本があったからこそ、米国や韓国など自由陣営は共産勢力の韓国侵略を押し戻すことができたのだ。『朝鮮戦争のおかげで戦後日本の経済は復興した』とよくいわれるが、韓国も『日本のおかげで助かった』のである。この歴史的事実はしっかり記憶されなければならない。」
 
 あるいは、
 「この60年の間、朝鮮戦争に色濃く反映された東西イデオロギーの対立は冷戦終了とともに消滅し、世界は大きく変わった。」
 ゆえに、
 「好戦性、侵略性」をもった独裁国家北朝鮮を変えなければならない、あるいは、北朝鮮の「根本的な転換だけが平和と安定への道だという真実を、北朝鮮指導部は受け入れるべきである。」
といった論調、主張になるわけです。

 こうした新聞紙面の「社説」で語られる言説の背後にある認識を、私たちはいまどう受けとめ、どう考えるのか、厳しく、深く問われているのだと思います。

 もちろんこうした社説の「論調」とは別に、北朝鮮は変わらなければならないでしょうし、国民の生活を豊かにし、幸せをもたらすためにしなければならないことは多くかつ重い課題としてあることは確かだと考えます。

 しかし、そのことを語る前に、では、朝鮮戦争とその後の歴史のなかで、私たち日本の存在はいかなるものであったのかということへの検証と考察がなければ、国際的に説得力を持つ言説にはならないであろうということは明白です。

 否、それどころか、朝鮮半島への植民地支配がどのようなものであり、それが「第二次世界大戦」の戦後世界を、とりわけ北東アジアをどう規定したのかという、「朝鮮戦争の起源」に至る歴史への自省と深い検証がなくては、何かを語る資格はないと言うべきです。

 その際、鄭 敬謨さんが示しておられる、知られざる「ケナン構想」の重みをしっかりと認識してかからなければならないと言うべきで、その意味で、私たちは事実と歴史に対して謙虚にかつ真摯に向き合わなければならないと考えます。

 社説の筆を執る世代も大きく変わり、歴史に対する認識の浅薄さや問題意識の希薄さ、あるいは無知ゆえのことなのか、はたまたそうした「世代交代」とは無関係に、これが日本の言論状況の水準を示すものなのか、私にはにわかに判断がつきません。

 しかし、こうした社説を読みながら鄭 敬謨さんの危惧を反芻するとき、言論、言説の危うさは容易ならざるところに来ていると考えざるをえません。
 
 このコラムは、実は、25日の朝書き始めたのですが、所用で取り紛れて書き上げることが出来ずに27日(日)の朝を迎えてしまいました。

 けさの朝刊各紙にはG8、主要国首脳会議が北朝鮮を非難する首脳宣言を発したことを伝える記事が掲載されました。

 さて、これで「現状」の解決に向けて何かが動くのでしょうか。

 あるいは「北朝鮮非難のメッセージを=菅首相が提起―哨戒艦沈没事件」という見出しを前に、日本の立ち位置は本当にこんなことでいいのか、深い憂慮を抱かざるをえません。

 いまだ終わらない朝鮮戦争から60年。
 少なくとも、朝鮮半島に砲声が響かない朝を迎えて、しかし見えざる「砲声」が重低音のように響いています。

 アメリカの世界・アジア戦略のなかで、朝鮮戦争第一の「当事者」としての日本。
 さて、知られざる「ケナン構想」をどう受けとめるのか。
 いままた、私たちが問われています。



posted by 木村知義 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月16日

「内向きの思考」でなければいいのだが・・・

 4年ごとの「にわかサッカーファン」程度の知識と応援ぶりでワールドカップサッカーについて発言権があるのかどうかわかりませんが、ワールドカップの開幕にはそれなりに「興奮」して毎日のテレビ中継にかじりついています。
 
 一昨日の日本―カメルーン戦には力が入りました。
 開幕前に本田選手とヒデこと中田英寿氏が熱く語る特集番組を見て二人のサッカーに向かう姿勢というか、生き方に感動したこともあって、本田選手がゴールを決めた時には本当に胸が熱くなりました。
 
 で、昨夜帰宅して、さあブラジル―北朝鮮戦だ、しかしキックオフは確か夜中というか未明の午前3時半だかなんだったな・・・と思って新聞の番組欄を見て、どこにも記載がないので目を疑いました。

 何かの間違いではないかと別の新聞の番組欄も確かめてみるというバカなことをしてみたのですが、当然といえば当然ですが、どこにも見当たりません。

 近頃はやりの表現を使えば、エエッー!!マジカョとでもいう気分でした。
 「地獄のG組」「世界ランク1位、優勝候補の一角のブラジル」と「出場チーム中世界ランク最下位、44年ぶり出場の北朝鮮」戦だぞ!なぜだ?!と声を上げてしまいました。
 
 NHKをはじめ日本の放送局はなぜこの試合を中継しなかったのでしょうか。
 まさか、北朝鮮ということで「自粛」したということはないのでしょうね、などとあらぬことまで考えてしまいました。
 
 放送関係者にはぜひこの問いに答えてもらいたいと、思います。
 「なぜ、ブラジル―北朝鮮戦を中継しなかったのか、その判断はどういう考えにもとづくものなのか?!」と。
 
 北朝鮮がどうのこうのという好悪の問題ではなく、ジャーナリストであれば、この試合に関心をもってしかるべき、と私は、思うのです。
 
 否、関心を持たないなどというのはジャーナリスト失格だとさえ考えます。

 しかも、北朝鮮代表には川崎でプレーする鄭大世と大宮の安英学という2人のJリーガーがいます。
 
 加えて44年前にはイタリアに勝って8強入りを果たし、世界をアッといわせたという歴史があります。
 もちろんその後世界の舞台から遠ざかってはいましたが、サッカーファンのみならず、ジャーナリストとしては関心を持ってしかるべきという今回のワールドカップ出場です。

 ある新聞の記事の一部を引用します。

 北朝鮮はW杯で輝かしい成績を誇る。66年イングランド大会に初出場し、強豪イタリアを倒して8強入り。国内のサッカー人気も高く、訪朝経験のある国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は「金正日総書記自らが、サッカーの発展に強い関心を持っている」というほど。日本と対戦した94年米国大会以来、予選への出場を見合わせ、食糧不足に伴う財政状況の悪化や、成績不振で金総書記が代表チームを解散させたなどの噂が飛んだ。再び力を入れ始めたのは、2002年日韓大会での韓国の躍進が起因とされる。
 代表の特徴は、準備期間の長さ。アジアサッカー連盟(AFC)などよると、W杯出場決定後、欧州とアフリカ遠征を断行し、今年はトルコや中南米、スイスで合宿を行い、南ア入りした。平壌近郊には4〜6面のピッチや宿舎、ジムを完備した国内合宿地がある。
 民族教育の影響からか国や代表チームへの忠誠心は高い。安は02年に初招集された際、当時所属した新潟のチーム事情で合流が遅れると、「代表より大事なことがあるのか」と練習着すら渡してもらえなかったという。
 FIFAランキングは、出場32チーム中最下位の105位。いまだ謎の多いチームとあって、8日に練習が公開されると100人近い報道陣が殺到した。同じG組のブラジルやポルトガル、コートジボワールだけでなく、ポーランドなど多くのメディアの注目を集めたが、報道対応は鄭大世ただ1人で、英語で「政治とスポーツは別。プレーで北朝鮮のイメージを変えたい」と意気込んだ。
 15日には強豪ブラジルとの初戦を迎える。「北朝鮮にはどこにも負けない勇気がある。奇跡は起こせる」と鄭大世の顔は自信に満ちている。
 
 さてこの記事は何新聞でしょうか?
 普段は北朝鮮に対して、きわめて!厳しい論調で知られる産経新聞の記事です。

 スポーツだから政治などと無関係に、などと間の抜けたことを言うつもりはありません。
 
 スポーツは政治そのものであり、オリンピックをはじめ、政治と無関係なスポーツの世界大会などありえません。
 
 スポーツは政治そのものです!

 だからこそ、なのです。
 ジャーナルな観点からしっかりスポーツを見つめる必要があるのです。

 そこには自身の好悪や言うところの世の中の「空気」に動かされず、しっかりとした視座が、視角がなければなりません。

 たかがブラジル―北朝鮮戦の中継がなかったからといって、そこまで言うのかと思う人がいるとしたら、まずサッカーファンとして失格というだけでなく、いま(現在)という時代を生きる一個の人間として、世界とそしてアジアとどう向き合うのかというところでその在り方が深く問われるというべきです。

 サッカーファンとして失格だと言われることぐらいは、単に趣味の問題ですから、サッカーなんか興味はアリマセン!と言い返せばそれで終わりです。
 しかし、この時代を生きる人間として…ということは、なかなか重く、厳しい問題です。

 もちろん、そこまで大げさに言うことはないだろう、という反論は承知の上です。

 しかし、産経の記事をしっかりと読んでみてください。

 わたしがワールドカップに関心を深め、「にわかワールドカップサッカーファン」になったのは、2002年の日韓共催のW杯大会の2年ほど前にさかのぼります。

 何かの折に、親しくしている編集者から「think2002」という勉強会をしているから顔を出してみないかと誘われたのでした。
 
 この会合はその名の通り、日韓共催のワールドカップについていろいろな角度から考える(think)ということであることはもちろんですが、この大会を機に、日本に住む外国人たちと日本人が手を携え、ネットワークを築いて世界から訪れる各国の人たちのために何か役立つことが出来ないだろうかという問題意識で重ねられている、すぐれて実践的な会合でした。

 国際サッカー連盟(FIFA)の理事を務める日本サッカー協会副会長の小倉純二さんやセルジオ越後さん、あるいは中田英寿選手の所属する事務所の関係者、さらにはJAWOC:FIFAワールドカップの日本組織委員会の関係者といった多くの人が、あるときは講師として、あるときは参加者の一員として集うこの会で私は単にサッカーについての知識を得ただけではなく、この時代に国をこえてスポーツの大会を開くということの意味と価値について深く学ぶことになりました。

 さらに、「在日」という存在、日本に住み、暮らす多くの外国人の多様な文化や価値観、ものの見方、そしてこの日本という国で外国人が日々生きることの困難と喜びについて、肌を通して知り、学ぶことになりました。

 そこで交流を深めることになったフリーランスのジャーナリスト姜誠さんが、その後「越境人たち 六月の祭り」(集英社刊)にこの「think2002」のこともふくめてすぐれたルポルタージュとしてまとめていますので、機会があればぜひ読んでいただきたいのですが、私にとっては多くのことを学ぶかけがえのない機会となりました。

 さらに加えて言えば、その姜誠さんからの声掛けで、その後、日本における多民族、多文化共生について考え、行動する「「在日外国人地域ボランティア・ネットワーク円卓会議」の議論にも、ささやかにですが、参加することになりました。

 姜誠さんに誘われて、ブラジル人学校や朝鮮学校などを訪問しながら、この日本国というもの、日本社会のあり方についてどれほど深く考えさせられたことか。

 あるいはこの活動の中で出会うことになった東京芸術大学の毛利嘉孝さんや法政大学の田嶋淳子さん、武蔵大学のアンジェロ・イシさん、さらにはそれぞれの先生方の下で学ぶ大勢の学生たちと一緒に考え、私は本当にいかほどのこともできなかったのですが、ともにイベントに取り組むことで、このニッポンも捨てたものではないぞという勇気を得たことは、私にとって貴重な体験となりました。

 当たり前といえば当たり前ですが、日本に住み、暮らす外国人の存在について考えるということはとりもなおさず、日本あるいは日本人という存在について考えることであり、日本のあり方について見つめ直すことであるということを、あらためて認識させられたのでした。

 つまり、私にとって、ワールドカップという4年に一度の「一大イベント」は、単ににわかサッカーファンになるということにとどまらず、世界を考え、日本を考える重要な機会の一つになるということなのです。

 さて、ブラジルー北朝鮮戦の中継はなぜなされなかったのか?

 私は、メディアにかかわる人々は真摯に考えてみるべきだと考えます。

 北朝鮮の試合だということにかかわる、何かの問題があるのでしょうか、あるいはどこか「ひっかかり」があるのでしょうか。
 その判断の依って来たる所は何なのでしょうか。

 「内向きの思考」でなければいいのだが…という危惧は杞憂でしょうか。

 それにしても、前半0−0で後半2−0となりながら、くいさがる北朝鮮がブラジルゴールのネットを揺らす一点を挙げ、さらにゴールポストの上を越えてしまいはしましたが、思い切ったミドルシュートを放った北朝鮮にハッとさせられたブラジル。

 ダイジェストではなく、中継で見たかった、と思うのは私だけでしょうか。
 たとえ夜中の3時半といえどもです!

 さて、日本のテレビ関係者はどう答えるのか。
 聞いてみたい!と思います。

 そしてもう一度問う!
 「内向きの思考」でなければいいのだが、と。
 ニッポンガンバレ!だけではすまないのではないかと。

 


 

 
 

 
posted by 木村知義 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月14日

追補、カギを握る中国・・・??

 「カギを握る中国・・・??」を書いたのは、深夜、きょう未明でしたので、朝刊に目を通す前でした。
 けさ届いた朝刊各紙を見て、いささか複雑な思いにとらわれました。
 う〜む、これは「追補」が必要ではないかと考えましたので、以下に補足します。
 問題は菅直人首相と中国の温家宝首相の「電話会談」についての報道です。
 日中間の懸案の「東シナ海ガス田の共同開発問題」などについては各紙の報道で大差ないのですが、昨夜(きょう未明)に書いたブログで焦点を当てた、「天安」問題をめぐる日中間の「連携」については、ささいな表現の違いだとして見逃すことのできない問題をはらんでいるのではないかと思いました。
 その部分にかかわる各紙の「表現」を吟味する意味で抜粋して引用してみます。(前後の文脈を切り取るとわからなくなるところもあるので、引用は前後を含みます。)

 朝日:菅直人首相は13日夜、中国の温家宝首相と約25分間電話協議した。両氏は東シナ海ガス田の共同開発について早期に条約締結交渉に入ることを確認し、韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。・・・

 毎日:韓国の哨戒艦沈没事件について、菅首相が「国連安全保障理事会での議論も始まるので、日中で連携し、国際社会の意志を示していくよう連絡を取り合いたい」と呼びかけ、温首相も「日中双方の緊密な連絡が重要だ」と応じた。

 読売:韓国海軍哨戒艦沈没事件を巡る対応については、日中双方が緊密に連絡を取り合っていくことで一致した。

 日経:韓国の哨戒艦沈没事件を巡っては、菅首相が「国連安全保障理事会で議論が始まる。日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合いたい」と提案。温首相は「緊密な連絡が重要だ」と語った。

 産経:菅首相は北朝鮮による韓国哨戒艦撃沈事件に関し「国際社会の意思を示していくように日中で連絡を取り合っていきたい」としたほか、「ホットラインを今後も継続し、戦略的互恵関係をさらに深めていきたい」と述べた。温首相は「日中双方の緻密(ちみつ)な連絡が重要だ」と応じた。会談では東シナ海のガス田開発の早期交渉開始でも一致した。

 東京:日本側の説明によると、菅氏は北朝鮮製魚雷との調査結果が出た韓国海軍哨戒艦沈没について「国連安全保障理事会での議論も始まる。日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請。温氏は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べるにとどめた。

 昨夜(きょう未明)のブログは通信社の報道をもとにして書きましたので、それも引いておきます。

 共同:日本側の説明によると、菅氏は韓国海軍哨戒艦沈没について「日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請した。

 時事: 一方、韓国哨戒艦沈没事件に関し、菅首相は「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請。温首相は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べた。 

 ちなみにNHKニュースでは「また、菅総理大臣が、韓国の哨戒艦の沈没事件について、『国連の安全保障理事会での議論が始まるので、日中両国が連携して国際社会の意思を示せるよう、連絡を取り合っていきたい』と述べたのに対し、温首相は「日中双方の緊密な連絡が重要だ」と述べました。」と伝えていました。

 私が、けさ朝刊を開いて「エッ!」と思ったのは、朝日の「両氏は東シナ海ガス田の共同開発について早期に条約締結交渉に入ることを確認し、韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。」というくだりにぶつかったからです。

 そこで各紙の報道を比較、精査してみなければと思って、読み比べてみると、読売もほぼ同趣旨の「韓国海軍哨戒艦沈没事件を巡る対応については、日中双方が緊密に連絡を取り合っていくことで一致した。」となっているのですが、それ以外は微妙に含みのある表現で伝えていることがわかりました。
(「連携」と「連絡」という言葉の使い分けも含めてどう言ったのか、そこには重要な「含み」があると考えるべきことは当然です。)

 ここでどれがどうだとあげつらうことは控えますが、上記の各紙各社の報道を比較、吟味してみると、ことほど左様に、危ういものがあると言わざるをえないものが見えてきます。

 どうでしょうか?!
 ブログで取り上げた、「天安」問題をめぐって、北朝鮮、あるいは朝鮮半島問題への中国のスタンスをどう読み解くのかという問題は「中国がカギを握っている」と軽く言ってしまえるほど容易いことではないことがわかるのではないでしょうか。

 ミスリードしてはならない!というのは言うほど簡単ではない、ということを、情報の受け手である私たちもしっかり知っておく必要があると、残念ながら、言わざるをえません。

 しかし、それにしても、昨夜の電話会談には外務省の薮中次官、斎木アジア大洋州局長をはじめ仙谷官房長官、古川、福山の両官房副長官も同席しているわけですから、官邸、もしくは外務省の発表だけを鵜呑みにするのではなく、情報のクロスチェックをしていれば「韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。」などという記事が出てくるわけはないと思うのですが、そんなことは承知の上で、あえてこうした記事に仕立てたのでしょうか。であるならその含意は何なのでしょうか。

 もし「天安」問題で日中が「緊密に連携していくことで一致」したというなら大ニュースではないでしょうか。

 さりげなく、こうしたミスリードをして、結局、国連の安保理で中国が韓国や日本に同調しないという局面になったとき、またもや中国を非難して終わるという始末のつけ方になるのでしょうか。

 私は、中国のスタンスが良いとか、どうとかいう議論をしているのではないということはお分かりになると思います。

 何気ない、あるいは一見些細な「表現の違い」のように見えるところに、実は重要な問題が隠されていることを見ておかなければ、日々生起する「出来事」の本質を理解できず、右往左往して、あるときにはこっちを非難し、またあるときには、あっちを断ずるというようなことになって、私たちが世界に対して、あるいは時代に対してどう向き合うべきなのかという本質的な問題を深めて考えることが出来なくなってしまうのではないかと危惧を抱くのです。

 さて、日中は「天安」問題で、本当に、「緊密に連携していくことで一致」したのでしょうか。
 
 この記事の筆を執った記者は、あるいはその原稿を受けたデスクは、いま、何を考えているのでしょうか。

 あるいは、そんなことは何も気になることもなく、今も忙しく取材に走り回っているのでしょうか、デスクとして記者から上がってくる記事に読みふけって?いるのでしょうか。

 なかなか、「病い」は深いと言わざるをえません。
 
 このブログの読者のみなさんには、昨夜(きょう未明)のブログと読みあわせて考えていただければと思います。
なお、昨夜書いたブログのアップ後に、中朝友好協力相互援助条約にかかわるコメントを補足、加筆しましたのでご了解ください。
 中段パートに(・・・)として表記してあります。


posted by 木村知義 at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

カギを握る中国・・・??

 国連の安全保障理事会に提起された「天安」問題では安保理常任理事国、中国の対応に世界が注目しています。

 中国は、一貫して、朝鮮半島の平和と安定の維持を最優先にするという姿勢を崩していません。

 先ごろ来日した温家宝首相が「中国は一方をかばうことはなく、公正な立場を堅持していく」と述べたことについてはすでにこのブログでも触れました。
 メディアはミスリードすることがあってはならないという問題提起もしました。

 その意味は、中国の首脳が語る「ことば」の意味を的確に理解、認識できているのかということを問うたことでもありました。
 
 菅直人首相は昨夜(13日夜)首相公邸で、中国の温家宝首相と就任後初めて電話で会談したということです。

 先の日中首脳会談で合意した「首脳間ホットラインの正式スタート」という位置づけだということですが、25分間の電話会談では日中の戦略的互恵関係を深化させる方針で一致するとともに、東シナ海ガス田共同開発問題で早期に条約締結交渉に入ることを確認したということです。

 そして、「天安」沈没事件に関しては、菅首相が「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請したのに対して、温首相は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べたと、各メディアで伝えられています。

 この「日中の緊密な連携が重要だ」という温首相のことばが「天安」問題について言ったことなのか、文脈からはにわかに判断できません。

 外務省もしくは官邸サイドが自らに都合よく解釈したと感じられないでもありません。

 いずれにしても、今回の「天安」問題への中国のスタンスはきわめて慎重なものです。

 韓国そして日本の要請、意向に沿わないということで中国の姿勢を非難する論調もなきにしもあらずなのですが、ここは地に足のついたしっかりした認識が必要になると痛感します。
 
 「中国の対朝鮮政策はその外交政策の一環であるが、地理的な関係と国際政治の敏感性のために、最も慎重なやり方と非公式ルールを経由する。中国の当面の最優先課題は経済の発展で、対外関係や外交政策なども、その方針に従わなければならない。従って中国周辺の政治環境の安定を守って、周辺諸国と友好関係を維持することは、中国政府の外交政策の基本原則である。」

 これは、ある中国の朝鮮問題専門家の、中国における朝鮮政策の形成システムについての研究論文の書き出しです。

 続けて、この論文では、1995年11月、当時の江沢民国家主席が韓国訪問の際に述べた「中国の朝鮮半島問題についての基本原則は、朝鮮半島の平和と安定を維持することにある。」ということが中国政府の対朝鮮政策の枠組みになったとしています。

 そして外交部と共産党中央対外連絡部などの各機関、部署で対朝鮮政策がどのように決められていくのかについて詳細に述べられています。

 また、そのいずれの「場」でも、「朝鮮半島の平和と安定の維持」が変わることのない原則でありすべての枠組みとなっていることが示されています。

 このことに対する過不足ない理解と的確な認識がないと、中国の態度や要人のコメントに対する「読み間違い」がしばしば起きてくるのだと思います。

 メディアをはじめ、私たちが、中国がどちらに「ついている」のかというようなことばかりに意識がいってしまうことで、的確な「読み解き」が不可能となってしまうことが、しばしば起きていることを痛感するものです。

 以前、このブログでもすこし触れたことがありますが、私の知る、中国の朝鮮半島問題の専門家は、公の場ではなく個人として朝鮮について語るときは、北朝鮮に対してきわめて厳しい、辛口のコメントになったりすることもありますので、正直なところ驚くこともしばしばです。

 ですから、わかりやすい言い方をすると、「北朝鮮にはうんざりだ・・・」といったニュアンスのにじみ出る話に遭遇することで、その人の本音が垣間見えるという印象を持つことになります。

 しかし、ひとたび公の立場になると、一致して、朝鮮半島の平和と安定を維持することが第一だということになります。

 私たちの認識が問われるのはここです。

 この中国の専門家たちの態度は、「適当に使い分けているんだな」といった次元の受けとめをしていると大変な間違いを引き起こしてしまいます。そういうことではなく、原則、枠組みは争いようもなくはっきりしているということをこそしっかり認識するべきで、そのことを見落としていると大変な判断ミスを犯すことになります。

 「うんざり」することは確かにある、しかし外交として臨む際にはそうしたことは置いて、あくまでも原則に則って考え、語りそして対処していくというわけです。

 このことの意味、あるいは重みを日本の我々は知っておかなければならないと、痛切に、思います。

 (私の知りうる中国の専門家、研究者たちの言説をもとに考えると、1961年に結ばれた中朝友好協力相互援助条約の「軍事援助条約」としての側面は、実質的には「名存実亡」という状況にあると考えられるということは、すでに、以前のブログで触れました。ちなみに、その際、旧ソ連と北朝鮮の間で結ばれていた条約もほぼ同内容だったが、96年に失効後、2000年にロシアとの間で軍事援助条項のない「友好善隣協力条約」に調印していることにもふれました。朝中、朝ロ関係の内実も時代とともに大きく変化している事を認識しておかなくてはなりません。)

 加えて、米中関係というベクトルについても深い理解が必要です。

 いまは止まったままになっている六か国協議ですが、そもそもこの会合がどのようにして実現に至ったのかを、今こそ復習しておくべきだと考えます。

 第1回の六か国協議から戻ったばかりの、米国のNSC(国家安全保障会議)で枢要をなす人物が、当時訪米した日本の政治家に語った「面談メモ」があります。

 非公開を前提にまとめられたものですから、人物などについて明らかにすることは控えますが、すでに7年という年月を経ていることを考えて、許される範囲で、内容の一部について触れることにします。

 そこでは、どのようにして六カ国協議の開催に至ったのかを米国の立場から語ることからはじめています。

 「中国に対しては、ブッシュ大統領がテキサスのクロフォードで江沢民国家主席に、また2003年2月に、パウエル国務長官から胡錦濤国家主席に、米朝ではなく、地域の関係国全体が参加する多国間のプロセスにおいて、北朝鮮の核開発プログラムの検証かつ不可逆的な放棄をめざすという米国の方針を繰り返し説明するとともに、中国の積極的な関与を求めた。」

 「中国は、朝鮮半島の非核化という目的は共有しつつも、当初は米朝での対話を求めるとともに、中国が北朝鮮に対して有する影響力を過大評価しないでもらいたいという態度をとっていたが、2003年2月以降、この政策態度に明確なシフトが見られ、(六カ国協議に先立つ)2003年4月の北京での「3者会合」をホストするようになった。」

 「4月の3者会合は、米国としては、あくまでもinitial stepに過ぎず、日本と韓国の参加に向けた予備的会合という位置づけで臨んだ。従って、この3者会合では手の内は見せなかった。中国はこの会合では、ホストとしてふるまった。北朝鮮側は、中国が米国と北朝鮮のmediator(調停者)としてふるまってくれると期待していたようだが、中国は中立の第三者としての調停者ではなく、利害関係者、プラス、ホストとしてふるまった。」

 そして六カ国協議について、会議場の「片隅」でおこなわれた北朝鮮との非公式協議も含めて、何が論点となったのかを詳述したあと、参加各国についての米国としての「評価」を述べる中で、

 「中国はホストとして、レフェリー役を行う立場にあったが、北朝鮮の孤立化が明確になる中で、北に圧力をかけると同時に、北朝鮮を六カ国会合から逃がさないように、巧妙に退路を断つという役割を演じた。実際に、北朝鮮が、六か国会合の外にはずれることは困難であると認識するようになったのは、中国の功績が大きい。」
 
 「この六か国会合が、これまで安全保障問題について、十分な多国間の枠組みが存在しなかった北東アジアの安全保障の枠組みの嚆矢となりうるとの期待感をも示した。」

 六カ国協議から戻ったばかりのこの人物の息遣いが聞こえてくるようなメモですが、中国と米国の関係がどのようなものなのか、行間から実によく伝わってきます。

 なかなか複雑で、一筋縄ではいかない、手ごわいものです、米中関係は。

 その後の六カ国協議の展開、あるいはたどった道、そして「暗礁」に乗り上げて止まってしまっている現在の状況を考える際に、この「談話」から垣間見える中国と米国の関係について、冷静かつ的確な認識を持っておかないと、いま起きている様々な問題、もちろん「天安」問題をも含む様々な問題の、読み解きが的外れになる恐れがあるということを示しているというべきです。

 対立もし「協力」、連携もするという米中の国際政治に臨む際のリアリズムとしたたかさについて、しっかり認識しておかないと、物事の本質を見誤るということ、さらにはそこでの、中国の原則というものへの態度について、過不足ない認識が不可欠になるということです。

 こうしたところでの深い思考を欠くと、とんでもないミスリードをすることになるのです。

 さて、「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請したという菅首相。

 本当に、つまり官邸の発表どおりに、その「要請」を受けて温首相が「日中の緊密な連携が重要だ」と返したことばだとするなら、その含意が奈辺にあるのか、菅首相のそして官邸の、今起きている事態と局面への理解と認識は本当に大丈夫なのだろうかと、いささか考えさせられると言わざるをえません。

 中国の存在がカギを握ると、それは間違いのないことではあっても、それほど軽く言えるものではない!ということを肝に銘じておく必要があります。

 さて、これだけのことをふまえて、国連の安全保障理事会の行方に注目してみましょう。





 
posted by 木村知義 at 04:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

小島正憲氏の最新レポート 中国で多発するスト

 ホームページに掲載した小島正憲氏の最新レポートのご案内です。
 ご承知のように、中国各地ででストライキが多発しています。
 広東省の広州ホンダに部品を供給している工場のストで、自動車の生産ラインが止まったことが大きなニュースになりました。
 このところ中国各地で多発するストライキと賃金値上げの動きについては日本だけでなく世界のメディアでも大きく取り上げられるところとなっています。
 たとえば「News Week」の6月16日号は『暴発する中国』〜成長シナリオを狂わせる労働者の怒り〜というセンセーショナルなタイトルをかかげて特集を組んでいます。
 中国でいま、何かが起き始めているという予感がしますが、小島正憲氏は、自身が中国で工場を展開してきた経験にもとづいて、現場に赴いて、中国進出企業家の視点で今回のストライキを見つめ、レポートしています。
 果たして、「世界の工場」の終わりの始まり、なのか。
 小島氏のホットな現場からのレポートをご一読ください。  
 サイトは以下の通りです。

  http://www.shakaidotai.com/CCP106.html 


posted by 木村知義 at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月13日

続、単純なことが、一番難しい!

 「天安」問題の国連安全保障理事会での「扱い」が注目されています。
 
 6月の安保理議長国メキシコのヘラー国連大使は週明けにも安保理15カ国による「非公式協議」を行う意向を示していますが、韓国外交部は「民・軍合同調査団」が14日午後3時(日本時間15日午前4時)からニューヨークの国連本部会議場で安保理理事国を対象にした「説明会」を開催することを明らかにしました。

 「非公式協議」と韓国のいう「説明会」の関係がいまひとつ定かではありませんが、自由アジア放送(RFA)は「中国が天安艦国連説明会に欠席するようだ」と報じたということです。

 11日の「日経」はニューヨーク発で、
 「国連安全保障理事会は韓国の哨戒艦沈没事件への対応を巡り、関係国が10日にかけて水面下で折衝を続けた。事件を『北朝鮮の攻撃』と断定する韓国と、それを全面支持する日米に対し、ロシアは『北朝鮮が原因と特定できない』との立場をとり、中国も態度を留保。本格協議を前に活発化する駆け引きで『北朝鮮の攻撃』を認定するかどうかが大きな争点となりつつある。」として、
「事件がそもそも『北朝鮮の攻撃』でないということになれば、日米韓が唱える『北朝鮮への非難』には理解を得られなくなる。議論は“入り口”から激しい対立をはらむ展開となっている。」と伝えています。

 この記事でもふれられているように、韓国に赴いて調査に当たったロシアの専門家ティームは帰国後、北朝鮮の魚雷攻撃によるとした韓国側の「調査報告」について「説得力がある十分な証拠がない」としたということです。

 ロシア政府の政治的判断によってどのようなものになるのか、正式な発表までかなり時間がかかるという観測も出ていますので、まだ本当のところはわかりませんが、専門家ティームの調査を受け入れた韓国側にとっては「痛手」であることは間違いありません。

 ロシア政府の政治的判断によってと書いたのは、国連安保理の「空気」をどう読み込むのかという問題とともに、私は、もうひとつ、10日の韓国の衛星搭載ロケット「羅老」の打ち上げ失敗という問題がどういう影響を及ぼすのかにも注意を払う必要があるのではないかと感じています。

 海に沈んだ「天安」と宇宙をめざして空に消えた「羅老」に何の関係があるのだと思われるかもしれませんが、このロケット打ち上げ失敗にはロシアが深くかかわっています。

 ロケットの1段目はロシアのロケット製作会社クルニチェフが製作したもので、ロシアから輸入された1段目と韓国が開発した2段目を連結して「羅老」が作られました。

 今回の打ち上げにあたっても韓国とロシアの専門家が協力して取り組んだことをふまえて、ロシアとの契約に規定されている「失敗調査委員会」(Failure Review Board)が韓ロ共同で設置されることになるということです。

 昨年8月の一回目の打ち上げ失敗とあわせて5000億ウオン以上(搭載衛星の製作費は別)といわれる資金を投じてきた宇宙ロケットの打ち上げ失敗は韓国とロシアの関係にも微妙な影を落とすことになるのではないかと感じます。

 それはいかにもうがちすぎだと言われるかもしれませんが、もちろん、問題が複雑になることなく終わればそれに越したことはないと思います。

 さてロシアにかかわる「動き」に加えて、もうひとつ、今回の「天安」問題で、中国が韓国からの国際調査団への参加要請を断っていたということが伝えられました。

 これは北京発時事が伝えたものですが、このところ北朝鮮にかかわる問題ではメディアにたびたび登場する中国共産党中央党校国際戦略研究所の張l瑰教授が日本の「自衛隊佐官級訪中団」との会談で語ったというものです。

 張教授は「この事件は裁判ではなく、国際問題だ。証拠不十分で無罪になったらどうするのか。中国は北東アジアの平和と安定を乱すことはしたくない」と、「調査団」に参加しなかった理由を説明したということです。

 さらに張教授は「韓国と北朝鮮が互いの世論を抑えることができなければ、戦争になる可能性も否定できない。米国が空母を配備して、北朝鮮の核問題も含めて一気に解決しようとすれば、全面戦争になる」と警告したということです。

 「韓国と北朝鮮が互いの世論を抑えることができなければ」というところは、中国語でどういう表現だったのか確認できませんが、この通りの発言であったとすれば、含みの多いところだと感じます。

 北朝鮮の「世論」というものをどうとらえるのかというのは、難しい問題であることはいうまでもありません。

 以前、朝鮮問題についてのジャーナリストの研究会で「朝鮮新報」の平壌支局長を招いて話を聴いた際、「日本のメディアのみなさんは朝鮮は金正日総書記と労働党の指導の下、国民の意識をはじめなにもかも一色だと思っているかもしれないが、庶民にはさまざまな感情があり日本に対する考えもそれぞれにある。その意味で世論というものが歴然として存在していて、為政者の側もそれを無視してはやっていけないという側面もある。そのことを日本のメディアは全く見落としている。在日朝鮮人の新聞社として平壌に駐在しているわれわれは、朝鮮の庶民にも直接取材し、そうした人たちの気分や気持ちというものにも接している・・・・」という話を聴いて、少なくとも私はある驚きというか、発見があったと感じましたし、北朝鮮の動向を見つめる際に必要な「複眼の思想」とでもいうべきものの必要性について触発されたものです。

 とはいうものの、ここで張教授が何を念頭に北朝鮮の「世論」というものを持ち出したのかは、中国語の元テキストが不明だということとも併せて、読み解きは難しいものです。

 ところでこれを書いている時(11日朝書き始めて、ほかのことに時間をとられてまる二日中断して翌13日午後再開したのですが)実に興味深い記事に出会いました。

 私はブログの記事ではどうしても必要なときを除いて、できるだけ名指しでの批判は避けてきていますので今回も名指しで取り上げることを避けますが、ソウル駐在が長い、いわば韓国専門記者の「長老」とでもいう存在の人物によるコラムの一節です。

 「ところで、韓国で先ごろ起きた哨戒艦撃沈事件は『なぜ北朝鮮が?』と、動機などに分かりにくいところがある。そこでこれに『誰がいちばん得をしたか?』論をあてはめてみると、面白い。結論は『いちばん得をしたのは北朝鮮』で『犯人はやはり北朝鮮』となって納得なのだ。
 そう思わせられたのは先週、行われた韓国の統一地方選挙が、まさに北朝鮮の思い通りの結果になったからだ。
 選挙結果は内外の予想を裏切り与党惨敗、野党大勝に終わった。ソウル市長も危うく野党に取られるところだった。
 哨戒艦事件で北朝鮮に対する批判が高まっていたときだから、安保重視の保守派の政権・与党に有利と思われたのに、結果は逆だったのだ。」
 「選挙結果もこれありで、韓国では哨戒艦事件の北朝鮮糾弾はしだいにトーンダウンしつつある。戦争の覚悟がなく、平和志向の韓国は北に何度やられても『泣き寝入り』するしかない。」

 う〜ん・・・とうなりました。
 そうか、こういう「論理」が成り立つものなのかと、恐れ入りました。

 今回の韓国の統一地方選挙については別掲の柳 あい氏の論考に詳しいのでそちらを読んでいただきたいのですが、この選挙の結果を「北朝鮮の思い通りの結果」などと論評することは、思いつきませんでしたので、この「長老記者」のコラムには正直驚きました。

 今回の選挙結果に対して「八つ当たり」とでもいうしかない論調のコラムを前に、選挙を通じて示された韓国の人たちの民意というものにもう少し謙虚に向き合うべきではないかと、考えさせられたものでした。

 それにしても「戦争の覚悟」がない韓国は「北に何度やられても『泣き寝入り』するしかない」というのには言葉を失いました。

 今回の選挙直前の状況はといえば、少なくとも、李明博大統領の国民向けの「決意表明」と北の非妥協的な「声明」や「主張」などを考え合わせると緊張の高まりは極限に近づきつつあり、不測の事態もなきにしもあらずという状況になっていたことは確かだと思います。

 もちろん、だからといってすぐ戦争が起きると短絡して考えるのは誤りだとは思いつつ、しかし、かぎりなく、何が起きても不思議ではない状況に近づいていたことは否定できないと思います。

 今月25日に朝鮮戦争勃発から60年を迎えることまでが、なにか「不吉な暗喩」のように思われて「嫌な感じ」がしたものです。

 そんな状況に、戦争はNo!と鋭い「一撃」を下したのが、今回の選挙結果だったというべきでしょう。

 それは「戦争の覚悟」がないなどとあげつらうべきことではなく、韓国の多くの人々が、李明博政権に対して、戦争はすべきではないと明確に意思表示したというべきです。

 もちろん、いまでもまだ「不測の事態」がなきにしもあらずという状況を払拭できていないというべきですが、それでも60年前とは決定的に違うということを私たちに知らしめたと言う意味で、今回の選挙は歴史的な重みを持っていると言うべきでしょう。

 つまり、こうした民(たみ)の力というものこそが何にも代えがたい「抑止力」なのだということを如実に示したのだと、私は、考えます。

 ここに示された「民の力」の存在は、南北双方の為政者にとって、うっかりしたことはできないという意味で、無視できない「圧力」として重い意味を持ってくるでしょう。

 私が、信頼醸成こそが最大、最強の抑止力であり安全保障ではないのかと主張するのは、思想や体制の異なる関係であるからこそ、力で相手を抑え込むことに腐心するのではなく、何かあれば「相手からやられるかもしれない」という不信と猜疑に凝り固まってしまう状況を、少しずつでも、相互に溶かしていく努力こそが戦争を回避し、抑止することになるのだと考えるからです。

 その際、為政者同士の信頼醸成ということはもちろん大事ですが、なによりも「民(たみ)の意志」として戦争はすべきではないということを鮮明に示していくことが、信頼醸成に向けてのもっとも核心的な力になるのだと思いますし、それが有形無形の「圧力」として双方の為政者を規制していく力になるのだと思います。

 もちろん、「言うは易くして行うは難し」の喩えではありませんが、この単純なことが最も難しいことであることは承知しています。

 しかし、今回の韓国の地方選挙に示された「民意」というものを考えると、「戦争をする覚悟」以上に力強い「民の覚悟」を見せられたという意味で、このようにして危機は回避できるのかもしれないという「具体例」を見た気がするのです。

 重ねて言いますが、まだまだ予断を許さない状況が続いていますし、平和的に治まることを良しとしない「見えざる力」が働かないとも限りませんから、油断はできないとは思います。

 しかし、今回の選挙に示された「民の力」を無視して戦争に踏み出す者がいるなら、いずれにせよ「地獄への道」しか残されていないでしょう。

 その意味で、「天安」問題という不幸な状況下で行われた今回の韓国の地方選挙は、私たちに実に大きなものを学ぶ機会をもたらしたと言うべきです。

 安全保障あるいは抑止力について語るならば、軍事力をどう強化するのか、同盟関係をいかに緊密にするのかというベクトルではなく、どうすれば軍事力を必要としない状況をつくることができるのかについて真剣に考え、議論を深めることにこそ力を注ぐべきだと、私は考えます。

 もちろん、民の力といっても、最終的には為政者のあり方が問われてくることは言うまでもありません。だからこそ為政者を動かす「民の力」が問われると言うべきでしょう。

 今回の韓国の統一地方選挙から、私たちが学ぶべきことは実に重いと考えます。

 単純なことこそ、一番難しい!
 だからこそ、です。


posted by 木村知義 at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月11日

力強い友を得ました!

 このブログをお読みいただいているみなさんに、うれしい報告です。
 すでにご覧いただいたかもしれませんが、「韓国ニュースを読み解く」という新しいページを設けることになりました。
 ブログのカテゴリーを「韓国ニュースを読む〜日本から、韓国ニュースを読み解き、分析する〜」としました。
 韓国・朝鮮半島問題の研究で長いキャリアを重ねてこられて、折々私のブログについても意見を聞かせてくださっていた柳 あいさんが、以前からの私の願いを聞いてくださってこの「社会動態エッセンシャル」に筆をとってくださることになりました。
 一回目は「韓国統一地方選挙の歴史的意義」です。
 送られてきた原稿を読みながら、分析の的確さと今後についての問題提起に大いに触発されました。
 柳さんの一回目の記事の末尾にプロフィルを記しましたが、再度ここに記します。

 柳 あい 韓国・朝鮮半島問題研究者。
 1990年代に韓国の大学で教えながら学生たちと交わり、韓国社会の民主化過程をつぶさに見、肌で感じてきた。帰国後は日本と韓国との市民交流や市民を結んだ研究会活動と取り組む。翻訳家としても数多くの仕事を重ねている。

 柳さんは韓国の研究者や知識人との交流も深く、日本にあって韓国のニュースを読み解く際、そうした人たちとも意見を交わしながら分析されています。いわばニュースの背景、深層に迫る力を備えているといえます。

 私のささやかなブログですが、日本の言論空間の一隅を担っていきたいという志に共感を持ってくださって、今後協働していくことを申し出てくださったというわけです。

 韓国の大学の教壇に立ちながら、軍政から民主化へと歩みをすすめる韓国社会の変化をつぶさに見て、肌で感じ取ってきた経験に根ざした「韓国ニュースの読み解き」に期待していただきたいと考えます。

 ブログの中で、こうして協働する友人を得たことはとても心強く、幸せなことだと思います。

 ぜひ深く読み込んでいただきたいと考えます。
posted by 木村知義 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月10日

HPの最新記事「カシュガル近況&ウズベキスタン近況」

 折々、ホームページの記事についてご紹介していますが、「小島正憲の凝視中国」欄の最新記事、「カシュガル近況&ウズベキスタン近況」は小島氏が実際に現地に赴いてつぶさに取材したレポートです。
 普段なかなか接することのないカシュガル、ウズベキスタンの現場に立って、歴史をふまえて、現在(いま)を見つめた、情報性に富む読みごたえのあるレポートです。
 
 サイトは以下の通りです


 http://www.shakaidotai.com/CCP105.html

 ぜひお読みください。 
posted by 木村知義 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録