東日本大震災から5か月が過ぎました。
お盆にさしかかっていることもあるのでしょう、被災地では鎮魂と復興への願いをこめたさまざまな催しがおこなわれています。
また、政府や東京電力からの「発表」とは程遠く、依然として事故収束への見通しの立たない東京電力福島第一原子力発電所から放出された放射能に汚染された地域では懸命の除染作業が重ねられていることが伝えられています。
7月末、宮城県の被災地域に足を運びましたが、まだまだ瓦礫の撤去作業がはかどらず、各所にうずたかく積み上げられた瓦礫の山ができていました。
そして、赤さびた鉄骨や粉々になった家々の残骸、コンクリート片、木片が散らばる瓦礫の間から生い茂った夏草が伸びていて、荒涼たる中に緑が織りなす奇妙な風景が広がっていました。
震災をどう思想とするのか、たとえていうなら、この5か月、何度か宮城の地に足を運び、そこで話を聞き、意見を交わしながら考えてきた命題は、このことにつきます。
復興どころか復旧も遅々として進まない現状に、被災地には失望と時にはあきらめにも似たやりきれないほどの絶望が広がっていました。
しかし一方では、政治や行政に任せておくわけにはいかないのだ、結局一人ひとりが立たなければならないと立ち上がる人たちの姿に、絶望のなかにこそ希望が見えるのかもしれないと感じることもありました。
もちろん、だからといってこの国の為政者たちの退廃と無能ぶりが許されていいはずはありません。
しかし、今度こそ本当に震災を思想化し、深いところから現実を変える力にしていかなければならないと考えたものです。
今度こそ、というのは、ささやかではあっても阪神淡路大震災の現場に立って震災報道とそして復興に向けて日本の社会を見つめ、考えるという営みに携った体験を持つからです。
あの時も、歴史的な大災害に遭遇して、日本は変わる、否、変わらなければならないということが語られました。
しかし、残念ながらそうはなりませんでした。
1980年代のバブル終焉の時期に遭遇しながら、しかしマネー資本主義の狂奔と新自由主義全盛の時代を経験するのは阪神淡路大震災以後の事でした。メディアにもてはやされるIT長者や投資ファンドの幻影に踊り、金もうけ至上主義の風潮が社会を覆う一方で、競争と効率万能のグローバル市場主義の背後で社会の格差が拡大の一途をたどるという「希望喪失」の時代をやりきれない思いで過ごすことになったのは、まさに時代と世界の転換が語られた阪神淡路大震災後の日本でした。さらに言うならば、震災を千載一遇のビジネスチャンスとして「復興」を語る風潮が存在したことも忘れるわけにはいきません。
震災によって廃墟と化したあの神戸・長田の被災地に立ちながら、私たちは日本の社会のあり方に根底的な反省をすることを怠ったというべきです。
地震や津波が起きることは、人の力で防ぐことはできないという意味で、人知の及ぶところではないとしても、震災を思想化することを怠った、あるいはそれに失敗した歴史がまさに今回の未曾有の災害被害を招き寄せたと言うべきではないでしょうか。
その意味では「失われた20年」が言われ、いわば日本経済の低迷から「没落過程」に足を踏み入れた時代に今回の震災に見舞われたことは、歴史の暗喩のごとく感じられてなりません。
なにもかもがことごとく破壊され尽くし廃墟と化した被災地に立つと、ある年代以上の人たちによって、先の大戦の戦災と二重写しにして語られることにしばしば遭遇します。
戦後生まれの私においてさえ、どこかで記憶に刷り込まれた大空襲後の首都東京の光景あるいは敗戦直後の広島や長崎を髣髴とさせるものがあることに気づきます。
震災と戦災が、通底するものとして語られることはしばしばですが、それに倣えば今回の震災で私たちが向き合っているのは「いま再びの敗戦」ともいうべき状況だという思いを強くします。
その意味でも、政治、経済・産業、社会の仕組み、そして世界観、価値観や生き方にまで及ぶ深い意味でこの「敗戦」をどうこえていくのかが問われるところに立っているのだろうと、この5か月の時間の中で痛感することです。
この間、親交のある何人かの研究者、ジャーナリストから、結局自身は何をしてきたのかそしてこれから何のために研究を重ねていくべきかを自問する、あるいはジャーナリストとしてこの時代と世界にどう向き合ってきたのか、これまで重ねてきた仕事は一体何であったのだろうかという深い内省のメールを受けとってきました。
そして、この思いは全くもって私自身の「私への問いかけ」でもあるのでした。
批判という営為ひとつをとってみてもそうです。批判の必要性と妥当性についてそれほど間違ってきてはいないという確信はあるものの、「批判されたものは、批判されることによって生きのびる」ということを知ることの重さにあらためて立ちすくむ思いがしたものです。
その意味では、原発問題ひとつをとってみても、敗戦後の状況に似て、それまでの自己を省みることなく、あたかも太古の昔から原発に疑問を持っていたかのような言説への「乗り替わり」をして恥じることのないエセ言論人やエセ文化人の跳梁跋扈というべきメディア状況に言葉を失います。
東京電力福島第一原発の「問題」が起きた直後、朝のテレビ番組で、射性物質の拡散、汚染を恐れる「素人」を鼻でせせら笑った環境設計の「専門家」風の人物が、ホトボリのさめた頃あいを見計らって画面に戻ってきてコメンテーター然として自然エネルギーについて語ったり、自分は経済、金融などをテーマにしている作家としてこの原発の炉心の真下まで入って取材したのでよく知っているのだなどと臆面もなく電力会社との癒着を誇らしげに語りながら能書きを垂れたりした「作家」がこれまたしばらくホトボリをさまして画面に復活して電力会社のガバナンスをあげつらうありさまを目にすると、まさしく私たちが経験してきた「敗戦」後の社会と二重写しになるのでした。
なるほど、批判されるものは、批判されることによって生きのびるのだという思いを強くしたものです。
「敗戦」の廃墟からどう立ち上がるのか。
深く、重い思想的課題として、今回の震災を思想化するたたかいに足を踏み入れなければならないと痛切に思います。
その場合、根底的動揺と転換の時を迎えている現代世界、とりわけ戦後世界のグローバル化とそれが引き起こした政治、経済、社会の変容にどう立ち向かうのかという命題と真摯に向き合わなければならないと考えます。
「現実をみるとは、現実をあたらしくすることである」とは、もう半世紀近く前に記憶に刻んだ哲学者の言葉です。
被災地にあって、あるいは避難の地にあって苦しむ人々と、追悼と鎮魂そして再起への覚悟を共有するために、震災の思想化をいかほどの深さでなしうるのか、いま、それが問われていると、痛切に思います。
2011年08月13日
2011年07月10日
柳あいさんからの「被災地からのレポート」 第3弾〜「脱原発解散」を市民主導で〜
またもやこのコラムの筆を執るのが間遠になっていますが、被災地からレポートを送ってくださる柳あいさんから第3弾「脱原発解散」を市民主導で、が届きました。
果てしなく液状化する政治にどう向き合うのか、まさに政党政治の崩壊というべき現実を前にして日本の社会が危うい状況にあることを痛感する日々です。
被災地でアジアと日本を考え続ける柳あいさんからの問題提起です。
ご一読ください。
「脱原発解散」を市民主導で
柳 あい
菅直人首相による「脱原発解散」が「真夏の夜の夢」とヤユされながらも、しだいに現実味を帯びはじめている。菅首相の心境を推測すれば、その契機は6月12日にイタリアで行われた国民投票の結果であり、前後して行われた日本での世論調査の結果、60%前後が「脱原発」を支持していると判明したことである。この国民投票の結果を、自民党の石原幹事長は「集団ヒステリー現象」と批判したが、それはむしろ危機感を反映したものといえよう。
その後の展開を見れば明らかなように、菅首相は政権延命のために「脱原発解散」をもくろんでいる。では、これに対して「脱原発」をめざす市民運動はどのような立場をとるべきだろうか、それが今、私たちに問われている。
私はこの際、菅首相を突き上げる意味でも、彼に同調して「脱原発解散」を少しでも市民主導で実現するように、強く要求したい。その理由として、以下の5点を挙げたいと思う。
その第1は、日本では制度的に国民投票がないため、総選挙という形で国家政策の是非、または選択を問わざるを得ない。自らの政権強化のために、この方式をうまく活用したのが2005年小泉首相による「郵政解散」であり、菅首相がこれを念頭においているのは、すでに周知の事実である。
第2に、そしてこれが最大の要点だが、長期間にわたった自民党政権の原発推進政策の過ちをこそ、問うべきである。一体「3・11大震災」後、すなわち福島原発事故の勃発以後、自民党が一度でも謝罪しただろうか。彼らはまるで「万年野党」でもあったかのように菅首相を批判しているが、彼らこそが原発推進政策の張本人だったことを明確にする必要がある。それには、総選挙という場でその責任を問う必要があるのではないか。そして、この点にこそ、市民参加の政治を実現させる第1歩として、「脱原発解散」を市民主導で実現させる意味がある。さらに、この点を基軸にすえれば、震災後の国会における「政治的駆け引き」の半ば程度は終息に向かわざるをえない。
つまり、第3点として、民主党内部の分裂現象が、菅首相の主導の下で整理されざるを得ない。その過程で、菅首相の「脱原発」政策がどの程度本気なのかが問われるだろう。
これに関連する第4点として、公明党や「みんなの党」はもちろん、共産党や社民党まで、各党の「脱原発」政策がどの程度本気なのかが問われ、それは選挙結果にかなりの影響を与えるだろう。現時点において、菅首相の「脱原発解散」の可能性を早くから指摘する「みんなの党」が「脱原発」を主張しはじめているのは、その兆候といえるだろう。
そして最後に、若い女性の政治参加、選挙参加が飛躍的に増大すると予測できる点に「脱原発解散」を行う最大の意義がある。おそらくそれは投票という結果的行為にとどまらず、選挙運動そのものを変えていく可能性がある。なぜなら、20〜30代の女性こそ、出産・子育てを通じて原発の被害に最も敏感にならざるを得ないし、事実として最近の「脱原発」運動の一角を担いつつある。そして、若い女性の意識が変わってこそ、その社会は根本的な変革を迎える。
とはいえ、この点も含め、果たして日本の国民がそこまで「脱原発」政策を重視するかと疑問に思う人もいるだろう。つまり、「脱原発解散」の思惑は外れ、万一自民党が勝利するとか、参議院とのねじれ状態は続くとか、という事態を懸念する声は根強いと思う。しかし、「脱原発解散」は1回では終わらないし、終わらせてはならない。今回の解散総選挙は単なる始まりに過ぎない。なぜなら、不幸にも原発による被害は、そして放射能に対する不安は、事実を知れば知るほど、強まらざるをえない。それに加えて、従来のエネルギー政策や社会のあり方、そして私たちの暮らし方を根底から問い直す方向へと問題は発展せざるをえない。
このように考えれば、今後数年間に最低3回程度の「脱原発解散」が必要になるだろう。また、そうしてこそ、日本の政治・社会、とりわけ国会のどうしようもない現状を変革していく芽が育っていく。だから、「脱原発」をめざす市民運動は、今回の「脱原発解散」の結果がどうなろうとも挫けてはならない。
「フクシマ」は、今日も日本社会と政治に問い続けている。
「放射性廃棄物のタレ流しをどうするのか、誰が責任を取るべきなのか」と。
果てしなく液状化する政治にどう向き合うのか、まさに政党政治の崩壊というべき現実を前にして日本の社会が危うい状況にあることを痛感する日々です。
被災地でアジアと日本を考え続ける柳あいさんからの問題提起です。
ご一読ください。
「脱原発解散」を市民主導で
柳 あい
菅直人首相による「脱原発解散」が「真夏の夜の夢」とヤユされながらも、しだいに現実味を帯びはじめている。菅首相の心境を推測すれば、その契機は6月12日にイタリアで行われた国民投票の結果であり、前後して行われた日本での世論調査の結果、60%前後が「脱原発」を支持していると判明したことである。この国民投票の結果を、自民党の石原幹事長は「集団ヒステリー現象」と批判したが、それはむしろ危機感を反映したものといえよう。
その後の展開を見れば明らかなように、菅首相は政権延命のために「脱原発解散」をもくろんでいる。では、これに対して「脱原発」をめざす市民運動はどのような立場をとるべきだろうか、それが今、私たちに問われている。
私はこの際、菅首相を突き上げる意味でも、彼に同調して「脱原発解散」を少しでも市民主導で実現するように、強く要求したい。その理由として、以下の5点を挙げたいと思う。
その第1は、日本では制度的に国民投票がないため、総選挙という形で国家政策の是非、または選択を問わざるを得ない。自らの政権強化のために、この方式をうまく活用したのが2005年小泉首相による「郵政解散」であり、菅首相がこれを念頭においているのは、すでに周知の事実である。
第2に、そしてこれが最大の要点だが、長期間にわたった自民党政権の原発推進政策の過ちをこそ、問うべきである。一体「3・11大震災」後、すなわち福島原発事故の勃発以後、自民党が一度でも謝罪しただろうか。彼らはまるで「万年野党」でもあったかのように菅首相を批判しているが、彼らこそが原発推進政策の張本人だったことを明確にする必要がある。それには、総選挙という場でその責任を問う必要があるのではないか。そして、この点にこそ、市民参加の政治を実現させる第1歩として、「脱原発解散」を市民主導で実現させる意味がある。さらに、この点を基軸にすえれば、震災後の国会における「政治的駆け引き」の半ば程度は終息に向かわざるをえない。
つまり、第3点として、民主党内部の分裂現象が、菅首相の主導の下で整理されざるを得ない。その過程で、菅首相の「脱原発」政策がどの程度本気なのかが問われるだろう。
これに関連する第4点として、公明党や「みんなの党」はもちろん、共産党や社民党まで、各党の「脱原発」政策がどの程度本気なのかが問われ、それは選挙結果にかなりの影響を与えるだろう。現時点において、菅首相の「脱原発解散」の可能性を早くから指摘する「みんなの党」が「脱原発」を主張しはじめているのは、その兆候といえるだろう。
そして最後に、若い女性の政治参加、選挙参加が飛躍的に増大すると予測できる点に「脱原発解散」を行う最大の意義がある。おそらくそれは投票という結果的行為にとどまらず、選挙運動そのものを変えていく可能性がある。なぜなら、20〜30代の女性こそ、出産・子育てを通じて原発の被害に最も敏感にならざるを得ないし、事実として最近の「脱原発」運動の一角を担いつつある。そして、若い女性の意識が変わってこそ、その社会は根本的な変革を迎える。
とはいえ、この点も含め、果たして日本の国民がそこまで「脱原発」政策を重視するかと疑問に思う人もいるだろう。つまり、「脱原発解散」の思惑は外れ、万一自民党が勝利するとか、参議院とのねじれ状態は続くとか、という事態を懸念する声は根強いと思う。しかし、「脱原発解散」は1回では終わらないし、終わらせてはならない。今回の解散総選挙は単なる始まりに過ぎない。なぜなら、不幸にも原発による被害は、そして放射能に対する不安は、事実を知れば知るほど、強まらざるをえない。それに加えて、従来のエネルギー政策や社会のあり方、そして私たちの暮らし方を根底から問い直す方向へと問題は発展せざるをえない。
このように考えれば、今後数年間に最低3回程度の「脱原発解散」が必要になるだろう。また、そうしてこそ、日本の政治・社会、とりわけ国会のどうしようもない現状を変革していく芽が育っていく。だから、「脱原発」をめざす市民運動は、今回の「脱原発解散」の結果がどうなろうとも挫けてはならない。
「フクシマ」は、今日も日本社会と政治に問い続けている。
「放射性廃棄物のタレ流しをどうするのか、誰が責任を取るべきなのか」と。
2011年05月30日
戦災と震災、鎮魂の意味を考える(1)〜 柳 あいさんからの便り〜
仙台在住で韓国、朝鮮半島そして北東アジアを見つめながら地域社会のあり方を考え続けている柳 あいさんからのレポートの続報が届きました。
今回の震災被災を見据える視角への問題提起をふくむレポートなっています。
どうぞお読み下さい。
戦災と震災、鎮魂の意味を考える(1) 柳 あい
今回の「3・11大震災」による犠牲者(行方不明者を含め)は、5月20日の時点で宮城県14,500人弱、岩手県7,500人弱、福島県2,000人強で、合わせて二万四千人を超えると推定されている。
この犠牲者数は20世紀以降の近代日本100年余において戦災と関東大震災(10数万人)に次いで3番目であり、戦後日本では最大規模である。それ以上に、この数字には表れない無念の思いは、10万人を超える避難民の方々を中心にして被災各地に渦巻いている。その時、これだけ高度に発達した社会なのに、なぜ津波が襲うことをいち早く伝達できずにこれほど多くの犠牲者を出したのか、また福島原発事故の原因を考えれば、これは単なる天災ではない、とみる視点が欠かせない。そうしてこそ、犠牲になった方々への「鎮魂の思い」を今後の新生仙台、あるいは新生日本の糧にしていけるのではないか。この問題意識から、すでに66年になる戦災犠牲者への鎮魂とともに、今回の震災犠牲者への鎮魂の意味を考えてみたいと思う。
ところで、「あの戦災」で何人の人が亡くなったのか。ふつう50万人以上といわれ、沖縄など「外地」の犠牲者を加えて80万人以上という(これに「戦死」した兵士230万人を加えた310万人余が、第二次世界大戦での日本人戦死者といわれる:総務省資料)。ここで戦災犠牲者とは、兵士以外の一般市民の戦争による犠牲者であるが、この数字には1945年末時点での広島での被爆犠牲者15万人強(当時の市人口35万人、後に死者25万人強)、長崎での被爆犠牲者12万人強(同24万人、後に死者18万人弱)、さらに東京大空襲での犠牲者9万人弱などが含まれている(いずれも概算で、諸説あり)。戦後の食糧不足など過酷な条件下で、ヒロシマ・ナガサキの被爆者や各地の傷病者の中からも犠牲者は増えつづけ、合わせれば100万人以上の一般市民が死んだといえる。
その犠牲によって生まれた戦後日本の社会は、彼らに対してあまりにも酷薄だった。
端的な例が、戦後賠償である。「戦死」した軍人遺族には、その後60年以上にわたって50兆円を超える額(現時点での貨幣換算)が恩給・年金などで支払われつづけているのに対し、市民の犠牲者への個人賠償は一切なされていない(同様に、「慰安婦」被害者を含むアジア民衆への個人賠償も無に等しい)。
賠償問題で、このように極端な「格差」が見られるように、万事にわたって「市民の犠牲」は「戦時下ではやむをえなかったこと」で済まされてきた。そして、これほど「市民の命」が軽視されてきた以上、「平和憲法下での民主主義」も真の意味での民主主義には程遠かった。
それでも、国内的には平和と安定が保たれ、曲がりなりにも「安全な社会」が維持されてきたのは、上述したような多くの犠牲者への「鎮魂の思い」が「戦争回避」の姿勢を貫かせたから、といえる。ただそれは、米ソ冷戦下での「世渡りの術」ともいえるもので、「朝鮮戦争特需」による戦後復興や韓国・台湾・フィリピンなど周辺国の軍事独裁政権と癒着した経済発展の賜物でもあった。
こうした日本の「経済的成功」を懐かしむ人がいるが、戦災犠牲者の立場から見て、それが本当に望ましい日本社会のあり方だったのだろうか。私の生まれ育った環境には直接の犠牲者はおらず、ただ東京大空襲の中を生きのびた人がいるだけだが、「鎮魂の思い」は半ば実現し、半ば実現しなかったのではないか。つまり、戦後の日本社会は「戦前の日本」を半ば程度は変革したが、半ば「旧体制(アンシャン・レジーム)」を存続させたといえる。
当時の日本社会が「旧体制」の何を受けつぎ、何を変えたのか、この点に関する国民的な議論が必要だった、と今さらながらに痛感する。そこを曖昧にして惰性的にひたすら「経済発展の道」を歩んできた結果が、今日の社会的な「閉塞状態」ではなかろうか。
「3・11大震災」によって映し出された日本社会の主流の現状は、まさにこの「閉塞状態」を体現している。一例が「原子力ムラ」と呼ばれる利害共同体に集ってきた人々で、「想定外」を連発して自らの責任回避をはかる姿は見苦しく、国民的な怒りを引き起こしている。とはいえ、国民がどこまで怒っているのか、「震災被害者」の怒りがどこまで表出しているのか、外見からはわからない。あるいは、それ自体が「社会閉塞の現状」なのかもしれない。
この現状を突破し、震災犠牲者を鎮魂する道はどこにあるのか。最も即自的な心情だけでいえば、ある被災者がもらしたように、「今度はお前の家も津波にあえばいい」ということになるのだろう。つまり、「天罰」発言をした某都知事と彼を四選した都民にこそ、「天罰」が下ることを望む人がいてもおかしくない。なぜなら、彼こそが「我欲」の塊であり、震災被害者よりも彼らの方が「我欲」が強いというべきだからだ。
とはいえ、それでは「同じ穴のムジナ」なので、もう少し別の道を模索せざるをえない。その際、まず日本国内を見れば、やはり「フクシマ」(原発事故)が起きた社会的背景を長期にわたって考えながら、この「社会閉塞の現状」を変えていくしかないだろう。良くも悪くも、現状が維持される限り、問題は長期にわたって存続し、「震災からの復興」も含めて日本社会を根本的に変えていかざるをえない。その過程で私たち自身の生活のあり方、生き方を変えていく道しかないだろう。
そして今、大なり小なり震災被害者となった私たちは、むしろ震災を機に「新しい政治・社会づくり」に向けて踏み出す必要がある。
幸いにも、韓国でも「東アジアの平和共存」に向けた新しい動きが始まっている。世界的に見ても「中東市民革命」という新しい風が吹いている。それらの行方を見守りながら、自分の生きる場で「旧態依然の政治・社会」と闘っていきたいと思う。 (2011年5月23日)
今回の震災被災を見据える視角への問題提起をふくむレポートなっています。
どうぞお読み下さい。
戦災と震災、鎮魂の意味を考える(1) 柳 あい
今回の「3・11大震災」による犠牲者(行方不明者を含め)は、5月20日の時点で宮城県14,500人弱、岩手県7,500人弱、福島県2,000人強で、合わせて二万四千人を超えると推定されている。
この犠牲者数は20世紀以降の近代日本100年余において戦災と関東大震災(10数万人)に次いで3番目であり、戦後日本では最大規模である。それ以上に、この数字には表れない無念の思いは、10万人を超える避難民の方々を中心にして被災各地に渦巻いている。その時、これだけ高度に発達した社会なのに、なぜ津波が襲うことをいち早く伝達できずにこれほど多くの犠牲者を出したのか、また福島原発事故の原因を考えれば、これは単なる天災ではない、とみる視点が欠かせない。そうしてこそ、犠牲になった方々への「鎮魂の思い」を今後の新生仙台、あるいは新生日本の糧にしていけるのではないか。この問題意識から、すでに66年になる戦災犠牲者への鎮魂とともに、今回の震災犠牲者への鎮魂の意味を考えてみたいと思う。
ところで、「あの戦災」で何人の人が亡くなったのか。ふつう50万人以上といわれ、沖縄など「外地」の犠牲者を加えて80万人以上という(これに「戦死」した兵士230万人を加えた310万人余が、第二次世界大戦での日本人戦死者といわれる:総務省資料)。ここで戦災犠牲者とは、兵士以外の一般市民の戦争による犠牲者であるが、この数字には1945年末時点での広島での被爆犠牲者15万人強(当時の市人口35万人、後に死者25万人強)、長崎での被爆犠牲者12万人強(同24万人、後に死者18万人弱)、さらに東京大空襲での犠牲者9万人弱などが含まれている(いずれも概算で、諸説あり)。戦後の食糧不足など過酷な条件下で、ヒロシマ・ナガサキの被爆者や各地の傷病者の中からも犠牲者は増えつづけ、合わせれば100万人以上の一般市民が死んだといえる。
その犠牲によって生まれた戦後日本の社会は、彼らに対してあまりにも酷薄だった。
端的な例が、戦後賠償である。「戦死」した軍人遺族には、その後60年以上にわたって50兆円を超える額(現時点での貨幣換算)が恩給・年金などで支払われつづけているのに対し、市民の犠牲者への個人賠償は一切なされていない(同様に、「慰安婦」被害者を含むアジア民衆への個人賠償も無に等しい)。
賠償問題で、このように極端な「格差」が見られるように、万事にわたって「市民の犠牲」は「戦時下ではやむをえなかったこと」で済まされてきた。そして、これほど「市民の命」が軽視されてきた以上、「平和憲法下での民主主義」も真の意味での民主主義には程遠かった。
それでも、国内的には平和と安定が保たれ、曲がりなりにも「安全な社会」が維持されてきたのは、上述したような多くの犠牲者への「鎮魂の思い」が「戦争回避」の姿勢を貫かせたから、といえる。ただそれは、米ソ冷戦下での「世渡りの術」ともいえるもので、「朝鮮戦争特需」による戦後復興や韓国・台湾・フィリピンなど周辺国の軍事独裁政権と癒着した経済発展の賜物でもあった。
こうした日本の「経済的成功」を懐かしむ人がいるが、戦災犠牲者の立場から見て、それが本当に望ましい日本社会のあり方だったのだろうか。私の生まれ育った環境には直接の犠牲者はおらず、ただ東京大空襲の中を生きのびた人がいるだけだが、「鎮魂の思い」は半ば実現し、半ば実現しなかったのではないか。つまり、戦後の日本社会は「戦前の日本」を半ば程度は変革したが、半ば「旧体制(アンシャン・レジーム)」を存続させたといえる。
当時の日本社会が「旧体制」の何を受けつぎ、何を変えたのか、この点に関する国民的な議論が必要だった、と今さらながらに痛感する。そこを曖昧にして惰性的にひたすら「経済発展の道」を歩んできた結果が、今日の社会的な「閉塞状態」ではなかろうか。
「3・11大震災」によって映し出された日本社会の主流の現状は、まさにこの「閉塞状態」を体現している。一例が「原子力ムラ」と呼ばれる利害共同体に集ってきた人々で、「想定外」を連発して自らの責任回避をはかる姿は見苦しく、国民的な怒りを引き起こしている。とはいえ、国民がどこまで怒っているのか、「震災被害者」の怒りがどこまで表出しているのか、外見からはわからない。あるいは、それ自体が「社会閉塞の現状」なのかもしれない。
この現状を突破し、震災犠牲者を鎮魂する道はどこにあるのか。最も即自的な心情だけでいえば、ある被災者がもらしたように、「今度はお前の家も津波にあえばいい」ということになるのだろう。つまり、「天罰」発言をした某都知事と彼を四選した都民にこそ、「天罰」が下ることを望む人がいてもおかしくない。なぜなら、彼こそが「我欲」の塊であり、震災被害者よりも彼らの方が「我欲」が強いというべきだからだ。
とはいえ、それでは「同じ穴のムジナ」なので、もう少し別の道を模索せざるをえない。その際、まず日本国内を見れば、やはり「フクシマ」(原発事故)が起きた社会的背景を長期にわたって考えながら、この「社会閉塞の現状」を変えていくしかないだろう。良くも悪くも、現状が維持される限り、問題は長期にわたって存続し、「震災からの復興」も含めて日本社会を根本的に変えていかざるをえない。その過程で私たち自身の生活のあり方、生き方を変えていく道しかないだろう。
そして今、大なり小なり震災被害者となった私たちは、むしろ震災を機に「新しい政治・社会づくり」に向けて踏み出す必要がある。
幸いにも、韓国でも「東アジアの平和共存」に向けた新しい動きが始まっている。世界的に見ても「中東市民革命」という新しい風が吹いている。それらの行方を見守りながら、自分の生きる場で「旧態依然の政治・社会」と闘っていきたいと思う。 (2011年5月23日)
2011年05月11日
被災地に立って考える「生活復興」
東日本大震災から2か月が過ぎました。
そろそろ「明るいニュース」をというのでしょうか、メディアからは「少しずつ前に進む被災地」であったり「希望」と「負けない!」といった「アカルイ物語」を探すことに懸命という様子が伝わってきます。
しかし、被災地では、仮設住宅の建設が一向にすすまないなど依然として問題が何も動かず、生活再建への道筋を見いだせずに失望と無力感を一層深くしている人が多くいることを忘れるわけにはいきません。
この連休中、仙台、宮城に出かける機会を得ました。
発災から2度目、2週間ぶりのの仙台でした。
仙台市の街中、繁華街の賑わいも2週間前と比べて格段に活発になっていて、商店や飲食店もほぼ従来通りの営業となっていました。しかし日用品や食品、生活必需品の店以外は、まだまだ客が戻っていないということで、人々が、精神的に以前の余裕を取り戻すところまでには至っていないという印象を受けました。
今回の仙台行では、仙台市内の被災地域の小学校教員の方が若林区荒浜一帯に案内してくださって現場の様子をつぶさに見るとともに、避難所から「半壊」の家に戻って暮らす家族のお宅も訪ね話を聞くこともできました。また、南三陸町では避難所の今の様子や問題について話を聞き、石巻の「消えてしまった市街」にも立って、現場に立って考えるということの大事さ、そこで生の話に耳を傾けることの大切さを、あらためて痛感して戻りました。


それにしてもと思うのですが、話を聞いた人々のほとんどが、自身の辛い体験や九死に一生を得たという恐怖の体験を話しているうちに、表現しがたい「笑み」を浮かべながら語っていることに気づき、あらためて今回の被災体験の深刻さに思い至りました。
当たり前のことですが笑みがこぼれるというのではありません。
表情は笑ってはいないのです。
まるで自身の境遇を「あざ笑う」しかないといった、暗い「笑み」を浮かべながらこもごもに体験を語るのでした。
あまりの不条理に語るべきことばを失う、そして涙も出ない、最早「あざ笑う」しかないといった心境であることがひしひしと伝わってくるだけに、話を聞いていていたたまれなくなるのでした。
私の乏しい表現力ではとても伝えきれない現場の重さがそこにはありました。
こうした被災地の現場に立ち、人々の話に耳を傾けてみて、あらためて、一人ひとりの生活の回復、再建への支えがなによりも急がれることを痛感しました。
まさに、現場の具体的な苦悩や問題に寄り添い、それぞれの切実な状況をすくい上げて、一つひとつの「いのち」を、一人ひとりの生活を支えていくということに目が向けられなければ、机の上であれこれの復興論議がなされたとしても、いかほどの力にもなりえない、そして「希望」など語る余地はどこにも生まれないということを私たちは知らなければならないと思います。
さらに言えば、メディアに頻繁に登場して力強く語る首長が必ずしも住民たちの信頼を得ているとは限らないということも、現場に立って人々の話に耳を傾けてみて、見えてきました。
さて、南三陸町で約束の方に会うため避難所になっている中学校を訪ねた時のことです。
坂道を登りつめて中学校の敷地内に足を踏み入れた時、建てられつつある仮設住宅が目に入ってきましたが、エッと目を瞠りました。これまで目にしてきたプレハブ造りの仮設住宅とはまったく様子が違っていたからです。


「仮設っつうとプレハブだって思ってたわけだけんど、コレ、木造でしょ。だったら私たちだって大工なんだから、自分たちだって建てられるつうことになるわけ、ねっ!なのにどうしてみんな外の業者ばっかりに仕事を発注するのってことですよ・・・。町内でみんなが仕事をしていくらかでも収入になれば自分で生活していけるってことになるんじゃないですか?!それが復興っていうことじゃないのかっつうことでしょ・・・」
大工の棟梁のこの方は今は避難所を出て倉庫で暮らしているというのですが、この木造の仮設住宅の建設作業を目にして「なぜ、どうして!」という思いを抑えきれずにいるのでした。
また町役場の職員も大勢亡くなって行政事務が被災住民の求めに追いつかないという状況が生活の回復を遠いものにしていることを目の当たりにして、生き残った人の中には町役場の職員OBだっているわけだからそういう人たちを雇って仕事をしてもらえば、町民の助けにもなるし、雇われた人たちも幾ばくかの収入を得て生活再建につなげていけるのに・・・と言うのでした。
「要は、いろいろ考えればすることはいっぱいあるんだ、だけど・・・。役場の人は大変だ、大変だっていうばかりで・・・」と、積る思いが先に立って言葉が続かなくなるといった状態でした。
「本当にそうですね」と相槌をうちたい気持ちはやまやまでしたが、そうした言葉ではとても受けとめきれず、ことばをのみこまざるをえませんでした。
現場には、あるいは一人ひとりの住民には至極まっとうなそして豊かな「発想」と「アイディア」があるのです。
それを受けとめて、汲み上げてすぐ行動に移すのかどうか、まさにここが問われているのだと思いました。
いいと思ったことはすぐ取り掛かる、そうした行動力が行政をはじめ復興を語るすべての人に求められているのだと痛感します。
また、仙台の若林区でのことです。
地震と津波によって住まいが大きく壊れながら身を寄せていた避難所から家に戻って三世代で暮らしている家族に出会ったのでしたが、ここでも「お役所の決まりごと」という「カベ」に苦しむ人々の姿がありました。
家の中を見せてもらって驚いたのですが、天井が落ちて柱は大きくずれて家が傾いているのですが、外形は残ったので「半壊」という認定だというのです。
ではその「外形」はと思ってあらためて外に出て見てみると「危険」という張り紙がされているのです。
「ここに危険って張り紙が・・・?」と言いかけると「それと全壊か半壊かの認定は別だっていうんですよ・・・」という答えが返ってきました。「でもねぇ、考えてみれば割り切れないですよね、じゃ避難所でずっと過ごした方がいいってことなんでしょうか、なんだかね・・・」という言葉とともにです。
家の中に置かれたバケツやポリ容器を見やりながら「雨の時は30分もすると雨水でいっぱいになって寝てられないんですよ。外の雨と同じくらい降り込んできてね。なんだかもう家族みんなで押して倒した方がいいのかなって冗談もしゃべってるんですよ・・・」と笑いながら話す主婦に、ここでも返す言葉がありませんでした。



外の倉庫にトラクターやコンバインなど3〜4台の立派な農機具が置かれていたので、どれくらいの田んぼですかと尋ねたところ「大したことないんだけど、4町歩ほど・・・。でも今年は作付はできないね。田んぼは塩水をかぶってしまったし、農機具も津波でみんなやられちゃったから・・・」というご主人の話に、これまた言葉をのみ込みました。
現在の日本の農家の規模からいえば「篤農家」というべきこの家族の生活再建はまず、たまさか「外形」だけが残ったために全壊家屋のような「支援金」も出ないという状況で、住む家をどうするのかということから解決しなければならないということになります。
法律や規則というもの、さらには「お役所仕事」ということについて、またもや考えさせられたものです。
またもやというのは、これこそ阪神淡路大震災の被災現場で目にし、耳にしてきたことだったからです。
阪神淡路の経験から長い議論の末に「生活再建支援金制度」などが制定されることにつながったということはあっても、この国の震災対策、災害対策は、あれほどの災害を体験しながら本質においては何も変わっていないことを目の当たりにすることになったというべきでした。
復興について考える際、当然のことですが、さしあたりなすべきことと長期的な時間軸で考えるべきことの二つの問題があることを忘れてはならないと思います。
被災地域の将来の産業、経済をどう再建、構想していくのかという長期的な問題と、さしあたり毎日の暮らしをどう支えていくのかという短期的な問題を、二つながら解決しながら、しかもそれをしっかりと結び付けて被災地の復興にむけて問題に立ち向かっていかなければならないと思います。
そして、その両方の課題について、実は、被災した人たちの実際に寄り添い、人々の話に耳を傾ければなすべきことは「簡単」に見えてくるのだと思います。
しかし、メディアなどで雄弁をふるう首長の姿とは裏腹に、被災地に一歩分け入るとなすべきことになんら手がつけられていない現実に突き当たります。
誤解を恐れずに言うならば、「明日の構想」はさておいて、「今日なすべきこと」をこそなすべきだと、これは被災した多くの人々との出会いから、どれほど強調しても強調しすぎではないと確信します。
政府のあれこれの人々の視察などではいかほどのことも掬い上げることなく過ぎて行く、その状況に被災地の失望と喪失感はますます深くなっているということを忘れてはならないと思います。
そろそろ「明るいニュース」をというのでしょうか、メディアからは「少しずつ前に進む被災地」であったり「希望」と「負けない!」といった「アカルイ物語」を探すことに懸命という様子が伝わってきます。
しかし、被災地では、仮設住宅の建設が一向にすすまないなど依然として問題が何も動かず、生活再建への道筋を見いだせずに失望と無力感を一層深くしている人が多くいることを忘れるわけにはいきません。
この連休中、仙台、宮城に出かける機会を得ました。
発災から2度目、2週間ぶりのの仙台でした。
仙台市の街中、繁華街の賑わいも2週間前と比べて格段に活発になっていて、商店や飲食店もほぼ従来通りの営業となっていました。しかし日用品や食品、生活必需品の店以外は、まだまだ客が戻っていないということで、人々が、精神的に以前の余裕を取り戻すところまでには至っていないという印象を受けました。
今回の仙台行では、仙台市内の被災地域の小学校教員の方が若林区荒浜一帯に案内してくださって現場の様子をつぶさに見るとともに、避難所から「半壊」の家に戻って暮らす家族のお宅も訪ね話を聞くこともできました。また、南三陸町では避難所の今の様子や問題について話を聞き、石巻の「消えてしまった市街」にも立って、現場に立って考えるということの大事さ、そこで生の話に耳を傾けることの大切さを、あらためて痛感して戻りました。




それにしてもと思うのですが、話を聞いた人々のほとんどが、自身の辛い体験や九死に一生を得たという恐怖の体験を話しているうちに、表現しがたい「笑み」を浮かべながら語っていることに気づき、あらためて今回の被災体験の深刻さに思い至りました。
当たり前のことですが笑みがこぼれるというのではありません。
表情は笑ってはいないのです。
まるで自身の境遇を「あざ笑う」しかないといった、暗い「笑み」を浮かべながらこもごもに体験を語るのでした。
あまりの不条理に語るべきことばを失う、そして涙も出ない、最早「あざ笑う」しかないといった心境であることがひしひしと伝わってくるだけに、話を聞いていていたたまれなくなるのでした。
私の乏しい表現力ではとても伝えきれない現場の重さがそこにはありました。
こうした被災地の現場に立ち、人々の話に耳を傾けてみて、あらためて、一人ひとりの生活の回復、再建への支えがなによりも急がれることを痛感しました。
まさに、現場の具体的な苦悩や問題に寄り添い、それぞれの切実な状況をすくい上げて、一つひとつの「いのち」を、一人ひとりの生活を支えていくということに目が向けられなければ、机の上であれこれの復興論議がなされたとしても、いかほどの力にもなりえない、そして「希望」など語る余地はどこにも生まれないということを私たちは知らなければならないと思います。
さらに言えば、メディアに頻繁に登場して力強く語る首長が必ずしも住民たちの信頼を得ているとは限らないということも、現場に立って人々の話に耳を傾けてみて、見えてきました。
さて、南三陸町で約束の方に会うため避難所になっている中学校を訪ねた時のことです。
坂道を登りつめて中学校の敷地内に足を踏み入れた時、建てられつつある仮設住宅が目に入ってきましたが、エッと目を瞠りました。これまで目にしてきたプレハブ造りの仮設住宅とはまったく様子が違っていたからです。


「仮設っつうとプレハブだって思ってたわけだけんど、コレ、木造でしょ。だったら私たちだって大工なんだから、自分たちだって建てられるつうことになるわけ、ねっ!なのにどうしてみんな外の業者ばっかりに仕事を発注するのってことですよ・・・。町内でみんなが仕事をしていくらかでも収入になれば自分で生活していけるってことになるんじゃないですか?!それが復興っていうことじゃないのかっつうことでしょ・・・」
大工の棟梁のこの方は今は避難所を出て倉庫で暮らしているというのですが、この木造の仮設住宅の建設作業を目にして「なぜ、どうして!」という思いを抑えきれずにいるのでした。
また町役場の職員も大勢亡くなって行政事務が被災住民の求めに追いつかないという状況が生活の回復を遠いものにしていることを目の当たりにして、生き残った人の中には町役場の職員OBだっているわけだからそういう人たちを雇って仕事をしてもらえば、町民の助けにもなるし、雇われた人たちも幾ばくかの収入を得て生活再建につなげていけるのに・・・と言うのでした。
「要は、いろいろ考えればすることはいっぱいあるんだ、だけど・・・。役場の人は大変だ、大変だっていうばかりで・・・」と、積る思いが先に立って言葉が続かなくなるといった状態でした。
「本当にそうですね」と相槌をうちたい気持ちはやまやまでしたが、そうした言葉ではとても受けとめきれず、ことばをのみこまざるをえませんでした。
現場には、あるいは一人ひとりの住民には至極まっとうなそして豊かな「発想」と「アイディア」があるのです。
それを受けとめて、汲み上げてすぐ行動に移すのかどうか、まさにここが問われているのだと思いました。
いいと思ったことはすぐ取り掛かる、そうした行動力が行政をはじめ復興を語るすべての人に求められているのだと痛感します。
また、仙台の若林区でのことです。
地震と津波によって住まいが大きく壊れながら身を寄せていた避難所から家に戻って三世代で暮らしている家族に出会ったのでしたが、ここでも「お役所の決まりごと」という「カベ」に苦しむ人々の姿がありました。
家の中を見せてもらって驚いたのですが、天井が落ちて柱は大きくずれて家が傾いているのですが、外形は残ったので「半壊」という認定だというのです。
ではその「外形」はと思ってあらためて外に出て見てみると「危険」という張り紙がされているのです。

「ここに危険って張り紙が・・・?」と言いかけると「それと全壊か半壊かの認定は別だっていうんですよ・・・」という答えが返ってきました。「でもねぇ、考えてみれば割り切れないですよね、じゃ避難所でずっと過ごした方がいいってことなんでしょうか、なんだかね・・・」という言葉とともにです。
家の中に置かれたバケツやポリ容器を見やりながら「雨の時は30分もすると雨水でいっぱいになって寝てられないんですよ。外の雨と同じくらい降り込んできてね。なんだかもう家族みんなで押して倒した方がいいのかなって冗談もしゃべってるんですよ・・・」と笑いながら話す主婦に、ここでも返す言葉がありませんでした。




外の倉庫にトラクターやコンバインなど3〜4台の立派な農機具が置かれていたので、どれくらいの田んぼですかと尋ねたところ「大したことないんだけど、4町歩ほど・・・。でも今年は作付はできないね。田んぼは塩水をかぶってしまったし、農機具も津波でみんなやられちゃったから・・・」というご主人の話に、これまた言葉をのみ込みました。
現在の日本の農家の規模からいえば「篤農家」というべきこの家族の生活再建はまず、たまさか「外形」だけが残ったために全壊家屋のような「支援金」も出ないという状況で、住む家をどうするのかということから解決しなければならないということになります。
法律や規則というもの、さらには「お役所仕事」ということについて、またもや考えさせられたものです。
またもやというのは、これこそ阪神淡路大震災の被災現場で目にし、耳にしてきたことだったからです。
阪神淡路の経験から長い議論の末に「生活再建支援金制度」などが制定されることにつながったということはあっても、この国の震災対策、災害対策は、あれほどの災害を体験しながら本質においては何も変わっていないことを目の当たりにすることになったというべきでした。
復興について考える際、当然のことですが、さしあたりなすべきことと長期的な時間軸で考えるべきことの二つの問題があることを忘れてはならないと思います。
被災地域の将来の産業、経済をどう再建、構想していくのかという長期的な問題と、さしあたり毎日の暮らしをどう支えていくのかという短期的な問題を、二つながら解決しながら、しかもそれをしっかりと結び付けて被災地の復興にむけて問題に立ち向かっていかなければならないと思います。
そして、その両方の課題について、実は、被災した人たちの実際に寄り添い、人々の話に耳を傾ければなすべきことは「簡単」に見えてくるのだと思います。
しかし、メディアなどで雄弁をふるう首長の姿とは裏腹に、被災地に一歩分け入るとなすべきことになんら手がつけられていない現実に突き当たります。
誤解を恐れずに言うならば、「明日の構想」はさておいて、「今日なすべきこと」をこそなすべきだと、これは被災した多くの人々との出会いから、どれほど強調しても強調しすぎではないと確信します。
政府のあれこれの人々の視察などではいかほどのことも掬い上げることなく過ぎて行く、その状況に被災地の失望と喪失感はますます深くなっているということを忘れてはならないと思います。
2011年05月10日
天災と人災、鎮魂の意味を問う〜柳 あいさんからの便り〜
今回の震災の被災地、宮城県仙台市に住む柳 あいさんからの論考が届きました。
韓国、朝鮮半島問題の専門家である柳さんから、日本と東北アジアの視野から今回の震災を見つめ、日本社会のあり方を問う論考の第一回となるものです。
天災と人災、鎮魂の意味を問う 柳 あい
この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
「3・11大震災」当日、被災地仙台ではなくソウルにいたことで、かえって日本社会の病弊と韓国社会から発せられた熱い連帯の思いを強く意識された者として、この運命的に与えられた立場から今後の新生仙台をどうつくるかを、考えていきたいと思う。ただ大震災2カ月の現時点で整理できる点は少なく、その不十分さを自覚した上で、最初にとりあげたいのは、いわゆる「想定外の天災」という弁明についてである。
先ず指摘したいのは、今回ほどこの言葉が、「原子力関係の専門家」から発せられたことはなかったし、それはすべて「責任逃れの立場」から発せられていたという事実である。「専門家」が「想定外」を弁明の理由に挙げること自体が専門家としての資格にかけており、そうした専門家を大量に排出していることこそ「人災」であった。つまり、ある分野の専門家であれば、あらゆる事態を想定した上で、万一自らが予想した枠を超える事態が生じたとしても、それに対応する策を準備する姿勢と資質が求められる。
例えば、不十分ながら私個人は現代の日韓関係を専攻しているので、そこで起きたことが自分の予想と違っていた場合(往々にして現実は予想通りには進まない)でも、それへの対応策が求められる。
基本的に、専門家にとって「想定外」は禁句であり、「想定外」を言えば、自ら非専門家であることを告白しているに過ぎない(その意味で、原子力安全・保安[不安?]院の担当者が、震災以前は貿易担当だったので「想定外」を連呼するのはうなずけるが、この組織の無責任ぶりは極といえる)。
さて、以上を前置きにして「想定外の天災」という常套句に戻れば、基本的に「天災」は想定外だから起きる。だから、ある程度の人が犠牲になるのはやむをえないとしよう。だが、今回多くの犠牲者を出した「津波」は天災だとしても、それを少しでも防ぐために「高台に逃げる」などの周知徹底が不十分だったことは「人災」といえる。それ以上に、「福島原発」問題に限れば、連続した水素爆発は「人災」に属する。なぜなら、「天災」である地震が起きた直後から、この地震を「想定外の天災」と認識し、その対応策として「原発の廃炉」をただちに決定していたならば、建屋の水素爆発は防げたはずだという。だが、経済上の理由などでためらったため3度にわたる水素爆発が起こり、現在のような危機的状況(多数の震災犠牲者を放置したまま、多数の避難民と現場作業者を被爆の危険にさらしている)を生んだといえる。
ここで注目すべきは、経済的理由以上に、日本社会全般に貫徹している「国家官僚が統率する管理社会システム」の問題である。これこそ、今回の「人災」の元凶であり、今後の新生仙台、さらには新生日本を構想する上で、克服しなければならない最大の病弊になるに違いない。そして、こうした社会システムとの「闘い」こそ、「3・11大震災」で犠牲になった人々への鎮魂にはぜひとも必要であり、そこに彼らへの「鎮魂の意味」が凝縮されるのではないか。
さらに、この「闘い」は長期戦が必至であり、私たち自身の生活、暮らしぶり、そして生き方を問うことになるので、自らを「削る」ことなしには持続できないだろう。この「闘い」は既に始まっているが、この夏のいわゆる「計画停電」、つまりより少ない電気消費量で「豊かな生活」を送れるか、あるいはそれでも「豊かな生活」と感じられるかどうかが一つのヤマになる。
その辺を考えながら、次回以降も「鎮魂の意味を問う」ために、「あの戦災とこの震災」を比較しながら、検討を重ねたいと思う。 (2011年5月8日)
韓国、朝鮮半島問題の専門家である柳さんから、日本と東北アジアの視野から今回の震災を見つめ、日本社会のあり方を問う論考の第一回となるものです。
天災と人災、鎮魂の意味を問う 柳 あい
この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
「3・11大震災」当日、被災地仙台ではなくソウルにいたことで、かえって日本社会の病弊と韓国社会から発せられた熱い連帯の思いを強く意識された者として、この運命的に与えられた立場から今後の新生仙台をどうつくるかを、考えていきたいと思う。ただ大震災2カ月の現時点で整理できる点は少なく、その不十分さを自覚した上で、最初にとりあげたいのは、いわゆる「想定外の天災」という弁明についてである。
先ず指摘したいのは、今回ほどこの言葉が、「原子力関係の専門家」から発せられたことはなかったし、それはすべて「責任逃れの立場」から発せられていたという事実である。「専門家」が「想定外」を弁明の理由に挙げること自体が専門家としての資格にかけており、そうした専門家を大量に排出していることこそ「人災」であった。つまり、ある分野の専門家であれば、あらゆる事態を想定した上で、万一自らが予想した枠を超える事態が生じたとしても、それに対応する策を準備する姿勢と資質が求められる。
例えば、不十分ながら私個人は現代の日韓関係を専攻しているので、そこで起きたことが自分の予想と違っていた場合(往々にして現実は予想通りには進まない)でも、それへの対応策が求められる。
基本的に、専門家にとって「想定外」は禁句であり、「想定外」を言えば、自ら非専門家であることを告白しているに過ぎない(その意味で、原子力安全・保安[不安?]院の担当者が、震災以前は貿易担当だったので「想定外」を連呼するのはうなずけるが、この組織の無責任ぶりは極といえる)。
さて、以上を前置きにして「想定外の天災」という常套句に戻れば、基本的に「天災」は想定外だから起きる。だから、ある程度の人が犠牲になるのはやむをえないとしよう。だが、今回多くの犠牲者を出した「津波」は天災だとしても、それを少しでも防ぐために「高台に逃げる」などの周知徹底が不十分だったことは「人災」といえる。それ以上に、「福島原発」問題に限れば、連続した水素爆発は「人災」に属する。なぜなら、「天災」である地震が起きた直後から、この地震を「想定外の天災」と認識し、その対応策として「原発の廃炉」をただちに決定していたならば、建屋の水素爆発は防げたはずだという。だが、経済上の理由などでためらったため3度にわたる水素爆発が起こり、現在のような危機的状況(多数の震災犠牲者を放置したまま、多数の避難民と現場作業者を被爆の危険にさらしている)を生んだといえる。
ここで注目すべきは、経済的理由以上に、日本社会全般に貫徹している「国家官僚が統率する管理社会システム」の問題である。これこそ、今回の「人災」の元凶であり、今後の新生仙台、さらには新生日本を構想する上で、克服しなければならない最大の病弊になるに違いない。そして、こうした社会システムとの「闘い」こそ、「3・11大震災」で犠牲になった人々への鎮魂にはぜひとも必要であり、そこに彼らへの「鎮魂の意味」が凝縮されるのではないか。
さらに、この「闘い」は長期戦が必至であり、私たち自身の生活、暮らしぶり、そして生き方を問うことになるので、自らを「削る」ことなしには持続できないだろう。この「闘い」は既に始まっているが、この夏のいわゆる「計画停電」、つまりより少ない電気消費量で「豊かな生活」を送れるか、あるいはそれでも「豊かな生活」と感じられるかどうかが一つのヤマになる。
その辺を考えながら、次回以降も「鎮魂の意味を問う」ために、「あの戦災とこの震災」を比較しながら、検討を重ねたいと思う。 (2011年5月8日)
2011年04月30日
震災をのりこえるために、いま考えるべきこと
震災から50日を越えました。
この間、今回の震災と原発問題について「研究会」で議論をしたり、さらに、短い期間でしたが仙台に出向いたりしていました。日々目にし、耳にすることからは、ただただ言葉を失うという状況で、とてもではありませんがこのコラムに何かを書くと言う気持ちになれませんでした。
復興問題をふくめて、さまざまな言説、論議が跳梁跋扈するという状況を前にして、つまるところ安全地帯に身を置いたあれこれの「評論」「論評」に過ぎない、それどころかそうした言説の背後にすでに新たな利権やビジネスに血眼になっている光景が透けて見えるものも数多くあるという、本当にいたたまれないまでの言論状況に、何かを語ることの無力感に苛まれる日々が続いています。
これは災害報道の現場に身を置くことになった阪神淡路大震災の際に痛いほど経験したことの再来というか、まるで「古いフィルム」をプロジェクターにかけて見ているような既視感の世界というべきものでした。
しかしあまりといえばあまりというべき状況を前に、4月が終わるところで、少しだけでも記しておかなければと己に鞭打って書くことにしました。
4月半ばに一週間足らず赴いた仙台市の中心部は、建物に亀裂が走ったり崩れていたりするものもあるということを除けば、電気、水道、ガスもほぼ復旧していてなんとか「日常」が戻ってきたと言える状態でした。
しかし中心市街から少し郊外に行くと、若林区などの沿岸部には瓦礫の散乱する荒涼とした風景が広がり、豊かな米の産地であった広大な水田地帯は海水をかぶり、津波が押し寄せたあとに残された瓦礫に覆われて、無残な姿に変わっていました。
また、避難所になっている学校現場で被災者の支援をしながら学校の再開に奔走する教師たちの疲労困憊の様子を垣間見て、ここでもかけるべき言葉を失いました。
「両親を失った子供たちもいて、震災によってもたらされた悲しみと苦痛をくぐったことで子供たちがすっかり以前の子供ではなくなった・・・」と語る教師が、近隣の学校の教師が過労死したと苦しげに語るのを前にして最早かけるべき言葉もありませんでした。
みんなが発災以来の恐怖と苦悩、そして底深い疲労に苛まれていました。
被災地とはいえ、県内の沿岸部の市町村とくらべると「別世界」ともいうべき仙台市でさえこんな状況です。ましてやそうした三陸沿岸の地域はいかばかりかと気持ちが塞いでしまったものです。
阪神淡路大震災の現場に立った経験を持つ私は、「がんばってください」とか「がんばりましょう」とか言うことができなくなっています。とてもではないがそんな軽いことではないという思いが募ったものです。ただただ深い無言のうちに少しでも悲しみや辛さを分かち合うことでしか、それでは他人に伝わらないとしても、被災した人々と思いを共有する術はないというのが「阪神淡路」以来の思いであり覚悟というものでした。
さて、書くべきこと、書かなければならないことは本当に山積です。こうして書き始めるともどかしいかぎりです。
菅首相の諮問機関「復興構想会議」なるものがきょう(30日)3回目の会合を開きました。
「復興への構想」どころか相変わらず「財源論」と「増税論」をあれこれ言いたてているという体たらくです。報道では「財源なき復興ビジョンは寝言だ」などという発言があったというのですが「復興ビジョンなき財源論など寝言だ」と返してやる必要がありそうです。
すでにこのコラムで、この政権がガバナンスを喪失していて、発災から、なすべきことを一切せずあれこれの人事と会議づくりに没頭して、権力欲と「大臣病」(補佐官や副長官などもふくめて)にとりつかれた政治家や識者といわれる人々を次から次と官邸や内閣府などに呼び込む(こうした人々への高額な報酬について触れたメディアは一切ありませんでした)ことしかしかしてこなかったと指摘しましたが、いまだに何も変わらない政権の姿に絶望感だけが広がっていきます。
発災の3月11日に立ち上げた「緊急対策本部」にはじまって、いまや、震災対策にかかわるなんとか本部やあれこれの会議、委員会が26もできているというのですから唖然としてしまいます。その下にあるなんとか検討チームであるとかあれこれのプロジェクトチームなども含めるともっと多くなるのかもしれませんがそこまで把握できないのでわかりません。
きのうは内閣官房参与で東大大学院教授の小佐古敏荘氏が菅政権の福島第一原発事故対応について「法律や指針を軽視し、その場限りだ」と批判して辞任するという笑えないブラックジョークのようなことまで起きました。
しかし、文部科学省が小学校などの校庭で子供たちが活動する際の放射線の年間被曝量の基準を20ミリシーベルトとしたことを強く批判して「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ。通常の放射線防護基準に近い年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」と語ったことについては深く受けとめるべきだと思います。
原子力をめぐってうごめいてきた「学者群」のなかにもようやくと言うべきか、亀裂が走り始めたということなのでしょう。もっとも「世の風向き」を見て自己保身に走る人々が出始めたというとらえかたもできるわけで、なにをいまさらという受けとめも否定できませんが・・・。
問題の所在について書き始めたら本当にきりがないのですが、まず注意しなければならないのは福島原発にかかわる「統合本部」会見問題でしょう。
25日から、細野豪志首相補佐官の下、政府と東電による「福島原子力発電所事故対策統合本部」が統一的に会見するということになったことは既に知られていますが、これは見過ごせない重要な問題をはらんでいるというべきです。
細野氏は「みなさんにご理解を賜りたい。ぜひ、透明性に関する統合本部の方針、私を信じていただきたい・・・」と語っていますが、私は、これは大変なことになったと思いました。
これまでバラバラに会見していたのが統一的に行われるということでメディアでは評価されていますが、バラバラに会見するからこそ明らかになる情報の食い違いや矛盾点から、その時起きている事の実体が見えてくるということがあったと言うべきです。
しかし、これで「完璧」な口裏合わせと一層の事実の隠ぺいが始まることになったと言うべきです。多くのメディアがこのことを語らないのはなぜだろうかと不思議でなりません。
これまでも東電は一階と三階の二つの会見場を発表内容によって使い分け、時間差をつけて同時進行させたりして、結果的には、人員に余裕のある大メディアは対応できても、うるさいフリーランスの記者などは「手が回らない」という状況を作り出すという、実に姑息な手立てを講じてきたのですが、それでも東電、保安院や経産省、そして官邸の会見内容の「齟齬」が重要な問題をあぶりだすことにつながってきたと言うべきでした。
ここにきて「統合会見」にしたことをどうとらえるのかは各メディアの問われるところだと思います。さらに言うならば、各原子炉の状態がどうなのかという問題をこえて、放射性物質の拡散、放射能汚染の拡大という事態が一層深刻化する段階をとらえて「情報の一元化」をはかるのは一体なぜなのかと考えればおのずと答えは明らかと言うべきです。
ところで、4月初めから、新聞各紙が原発問題の検証記事を載せ始めています。
けさ(30日朝)ある新聞の検証企画記事を読んでいて目を疑う記述にぶつかりました。
これまでも真偽のほどがあきらかではないまま経過している14日の東電による「第1原発からの撤退発言」問題についての以下のようなくだりです。
「現場は切迫していた。午前に3号機が水素爆発し、午後には2号機で水位低下。午後9時には炉心の燃料溶融に関し枝野官房長官が1〜3号機とも『可能性は高い』と言明し衝撃が走る。自衛隊員4人が午前の水素爆発で負傷し、防衛省は東電の『大丈夫』との判断に疑問を抱く。夜には中央特殊武器防護隊員らが郡山市の駐屯地に一時退く。同様に第1原発の近くで待機していた原子力・安全保安院の職員らも郡山に退く。住民は半径20キロ内からの避難指示だが、安全を担うはずの保安院は50キロ以上先の郡山へ。炉心溶融か、という極限の状況を考えれば、だれよりも危険を認識していた東電が人命を優先して事実上、第1原発からの全面撤退を決断したとしても一概に批判できない。・・・」
これを読んで唖然としない人がいたら教えてほしいと思います。
ここで言う人命とは一体誰の「命」の事なのでしょうか。
言うまでもなく東電社員もしくは下請けの協力会社の作業員をはじめとする東電関係者と言うことになります。
地域に住む住民はここでの人命には含まれていないことはあきらかです。
「だれよりも危険を認識していた東電」であるなら、まず知らせるべきは地域住民であり、住民の「全面撤退」こそが、最優先になされるべきことであったはずです。
「極限の状況を考えれば」なおさらです。
それが「だれよりも危険を認識していた東電が人命を優先して事実上、第1原発からの全面撤退を決断したとしても一概に批判できない。」とは、これを書いた記者は一体どういう立場に立ってものを考えているのか聞いてみたいとさえ思うのですが、どうでしょうか。また、よくこんな記事が「検証記事」としてデスクの目を通ったものだとこの新聞社の取材、出稿体制に妙な感心さえしてしまいます。
しかし悪いことだけではありません。この記者が無意識、無自覚に書いたことで非常によくわかったことがあります。
このとき、地域の住民を放り出して、保安院のみならず自衛隊員までが50キロ以上離れたところに、まさに我先にと逃げていたということです。それぐらい「極限の状況」だったというわけです。
原子炉は健全に保たれている・・・とは一体誰の言葉だったのか・・・。
あらためて、原発震災にかかわる政府や東電の対処、対応にとどまらず、メディアの報道について厳しい検証が必要だと痛感します。
「出口なき迷路」と私は、原発問題が起きてから言い続けてきました。
原子炉内および使用済み燃料プール(の核燃料)を冷やして安定させることが喫緊の問題である。
そのためには冷却系の装置を機能させる電源が必要だ。電気系統が機能しなければならない。
しかし電源を喪失していたので水を注入するしかない。
水を注げば注ぐほど高濃度の汚染水が漏れ出し滞留して電気系統の回復作業すらできない。
だから、さらに注水して原子炉を冷やさなければならない。
と、まあこうして悪魔のような悪循環に陥ってしまい、出口が見えないという状況に突き当たってしまい、抜け出す術をもたない。
これを「出口なき迷路」と言わずしてなんというのか、というわけです。
状況は深刻です。
チェルノブイリから25年ということで、4月26日に参議院議員会館で「院内集会」がひらかれたので聴講したのですが、1997年に「科学」に「原発震災〜破滅を避けるために」を寄稿して以来、地震と原発の相関で警鐘を鳴らし続けてきた神戸大学名誉教授の石橋克彦氏の話を聴きながら、あらためて「原発震災」というものの深刻さを考えさせられました。
1997年の「科学」への寄稿論文には「(東海地震などの巨大地震に)原発災害が併発すれば被災地の救援・復旧は不可能になる。いっぽう震災時には、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も、平時に比べて極度に困難だろう。つまり、大地震によって通常震災と原発災害が複合する“原発震災”が発生し、しかも地震動を感じなかった遠方にまで何世代にもわたって深刻な被害を及ぼすのである。膨大な人々が二度と自宅に戻れず、国土の片隅でガンと遺伝的障害におびえながら細々と暮らすという未来図もけっして大袈裟ではない。」とあります。
まるでいま私たちが目にしている「事象」(官邸も、東電も、そして原子力を専門とするひと群れの学者たちも、発災からかなりの期間、今回の事故をこのように表現していたものです)を見事に言い当てていることに驚いたものです。
それにしても放射能汚染問題は深刻です。
2週間ほど前、現政権の枢要をなす政治家が、本当のところは福島市(に住む市民)までをも避難させたいのだが今の政府には30万人とか40万人の人間を避難させる力はないと洩らしたということを耳にしました。
私的な会話でつい本音を洩らしてしまったということでしょうからこれでどうこう言えることではないかもしれませんが、事がいかに深刻かを物語っていることは確かです。
しかし、その深刻さを政府も東電もそしてそれを知りうる立場にあるメディアも率直に語っていないということこそ、より深刻な問題だと、私は考えます。
さて、またもや長くなりすぎるので、一応の区切りをつけますが、検証すべき問題、考えなければならない数多くの問題のなかから、最低限のいくつかだけをメモしておきます。
1.原発震災について言うなら、東電、政府、専門家そしてメディアはなによりも本当のことを語るべきだということです。これまでひたすらごまかしと隠ぺいに狂奔してきた自己のあり方を反省して、一切のごまかし、隠ぺいをせずに本当のことを語るという、実に単純で素朴なことを誠実に実行することです。もっとも今の政権、東電、メディアなどに登場している原子力専門家たちの存立、存在を、そしてメディアのあり方を根底から脅かすことになるわけですから、この「簡単」なことが実行されることは、残念ながら、期待できないというべきですが・・・。
2.復興問題について言うなら、インフラの回復については国がすべての責任をもって即時かつ強力に、本当に一気呵成になすべきだと思います。これは阪神淡路大震災を現場で経験した教訓です。電気、通信、水道、ガスなどのライフラインは個別企業の努力で回復させるものだと考えがちですが、そうではなく、こうしたライフラインに加え道路、鉄道、港湾設備、さらに瓦礫の撤去、処理などはむしろ国の責任で一気に行い、回復させるべきだと、これは震災体験から学んだことです。ライフラインの回復状況などを考えると、すでに後知恵、後証文になっていることも多くありますが、これは発災直後から研究会などの議論で主張してきたことです。
3.では、復興計画についてはどうかといえば、これこそそれぞれの被災地の人々の知恵と考えに、つまり現場にゆだねるということにすべきことだというのが、これまた阪神淡路を経験した教訓です。つまり、現在の政権のやろうとしていることは全く逆で、逆立ちしていると言うべきだと、私は確信しています。被災現場にはどんな苦境の中でも立ち上がろうとして格闘する多くの人がいます。その人たちの知恵と力こそが復興ビジョンの構想力の源なのです。東京の官邸の会議室などで高額の報酬や謝礼を懐にしてあれやこれやの「議論」を交わす識者などにゆだねるべきものではない!というのが過去の震災の教訓です。被災現場の声に耳を傾け、現場の知恵を生かし、現場が望むことを実現するのが中央の権力の座に座っている人々のなすべきことなのです。つまり被災現場の人々の下僕として働くのが政治家であり官僚であるべきなのです。発想の逆転をこそすべきなのだと、私は確信します。識者と言われる人々も、もし復興計画に関わりたいのなら、現場に赴いてそこで被災した人々と共に汗を流すべきなのです。それ以外のただ評論する識者など、どんなに立派なことを言ったとしても無用のものだと言うべきです。
4.政治の責任という意味では、パフォーマンスはもうやめにすべきです。この連休中も予算委員会の論議をはじめ国会を休まずやっている光景がテレビで中継されていますが、考えてみれば、ではこれまで国会は何をしてきたのだというべきです。これ見よがしに連休中も国会議員は「働いている」というのは一見もっともらしく見えますが冷静に考えてみれば実にでたらめな、目くらましのパフォーマンスだというべきです。発災から50日、一体国会は何をしていたのだと問わなければならないと思います。なすべきことを何もしてこなかったからこうなったというだけのことではないでしょうか。ましてや、今様「黄門様」だかなにかは知りませんが、予算委員会の冒頭、「涙声」で菅首相を諌めるなどという猿芝居まがいのことに「電話で『入閣してくれ』なんて、政治経験がまだ浅い!自民党との連立政権の構築で失態を演じた首相に“黄門さま”が活を入れた・・・」とか「目に涙をためながら『今200万福島県民の怒りは頂点に達している』と指摘するなど、終始厳しい口調で菅首相の震災対応を追及・・・」などとはやし立てるメディアとは一体なんだろうかと思います。ちなみに以前「ウソ泣き」の空虚さを言われた女性タレントがいましたが、「目に涙をためながら」絞り出すような声で首相を「叱咤」したはずにもかかわらず一滴の涙も流さず、一転して出席議員たちの笑いを取るなどという達者な演技にただただ白けたのは私だけではなかったと思います。政治家とはこれほど底の浅いものでいいのでしょうか。パフォーマンスはもうやめにすべきです。それ以上に、福島県出身の「黄門様」に問うべきことは、では、あなたは福島への原発誘致に対してどのような政治行動をとってきたのか?!ということではないでしょうか。
5.阪神淡路大震災の復興論が議論された際「復興ファシズム」という言葉が登場したことを思い起こします。お上の、あるいは県の(首長の)やる復興施策にあれこれ異議を申し立てるのはまるで「非国民」といった空気が醸成され、メディアなどの論調もそれを許すようなものになりがちだったことを、いま、深く考えてみなければならないと思います。それは今回の震災が、まぎれもなく日本のこれからの社会をどのようなものにしていくのかという歴史的な転換点としてあるということを痛感するからです。阪神淡路大震災当時、震災報道の現場に身を置きながらかつての関東大震災についていくばくかの勉強をしたことがありました。そこで学んだことのひとつは、当時これだけの悲惨な激甚災害なのだから三代百年は記憶に刻まれるだろうと言われたものがそうはならず、まさに喉元過ぎれば・・・の喩えのように記憶の彼方に忘れ去られ「阪神淡路」を迎えてしまったという悔恨でした。つまり震災の教訓を歴史に刻み、記憶に刻むことの大切さを痛切な思いと共に、あらためて学んだということでした。今回の震災は「阪神淡路」からわずか16年のことでした。そしてその教訓とは単に「地震に強いまちづくり」といったことにとどまらず、震災当時に起きた「朝鮮人虐殺」という忌まわしい事件をはじめとして、震災を機に歴史がどういう道をたどったのかということにありました。1923年の関東大震災から2年後、普通選挙法と治安維持法が時を同じくして定められ、その後1929年の「暗黒の木曜日」に端を発する世界恐慌をへて、1937年7月7日の「盧溝橋事件」へと時代は大きく転回しました。震災からわずか14年のことでした。政治、社会、時代風潮など根の深いところで「30年代的状況」とのアナロジーが語られる現在、今回の震災以後の社会をどのようなものにしていくのか、どんな日本を再構築していくのかという問題と真剣に向き合う必要があると考えます。そして、決して歴史を誤ることがあってはならないと痛切に思います。そんな時、「復興ファシズム」ということが語られた状況について今一度思い返してみることは決して無駄なことではないと考えます。
さて、歩まねばならぬ・・・ということばが胸の奥深くでこだまのように響きます。
語るべきことは数多くありますが、言葉がいかほどのものかという畏れを抱きながらも、問題のありかを深く掘り、問題を共有し、問題意識を深めながら、多くの人と手を携えて、この震災に立ち向かう力を!と切に思います。
この間、今回の震災と原発問題について「研究会」で議論をしたり、さらに、短い期間でしたが仙台に出向いたりしていました。日々目にし、耳にすることからは、ただただ言葉を失うという状況で、とてもではありませんがこのコラムに何かを書くと言う気持ちになれませんでした。
復興問題をふくめて、さまざまな言説、論議が跳梁跋扈するという状況を前にして、つまるところ安全地帯に身を置いたあれこれの「評論」「論評」に過ぎない、それどころかそうした言説の背後にすでに新たな利権やビジネスに血眼になっている光景が透けて見えるものも数多くあるという、本当にいたたまれないまでの言論状況に、何かを語ることの無力感に苛まれる日々が続いています。
これは災害報道の現場に身を置くことになった阪神淡路大震災の際に痛いほど経験したことの再来というか、まるで「古いフィルム」をプロジェクターにかけて見ているような既視感の世界というべきものでした。
しかしあまりといえばあまりというべき状況を前に、4月が終わるところで、少しだけでも記しておかなければと己に鞭打って書くことにしました。
4月半ばに一週間足らず赴いた仙台市の中心部は、建物に亀裂が走ったり崩れていたりするものもあるということを除けば、電気、水道、ガスもほぼ復旧していてなんとか「日常」が戻ってきたと言える状態でした。
しかし中心市街から少し郊外に行くと、若林区などの沿岸部には瓦礫の散乱する荒涼とした風景が広がり、豊かな米の産地であった広大な水田地帯は海水をかぶり、津波が押し寄せたあとに残された瓦礫に覆われて、無残な姿に変わっていました。
また、避難所になっている学校現場で被災者の支援をしながら学校の再開に奔走する教師たちの疲労困憊の様子を垣間見て、ここでもかけるべき言葉を失いました。
「両親を失った子供たちもいて、震災によってもたらされた悲しみと苦痛をくぐったことで子供たちがすっかり以前の子供ではなくなった・・・」と語る教師が、近隣の学校の教師が過労死したと苦しげに語るのを前にして最早かけるべき言葉もありませんでした。
みんなが発災以来の恐怖と苦悩、そして底深い疲労に苛まれていました。
被災地とはいえ、県内の沿岸部の市町村とくらべると「別世界」ともいうべき仙台市でさえこんな状況です。ましてやそうした三陸沿岸の地域はいかばかりかと気持ちが塞いでしまったものです。
阪神淡路大震災の現場に立った経験を持つ私は、「がんばってください」とか「がんばりましょう」とか言うことができなくなっています。とてもではないがそんな軽いことではないという思いが募ったものです。ただただ深い無言のうちに少しでも悲しみや辛さを分かち合うことでしか、それでは他人に伝わらないとしても、被災した人々と思いを共有する術はないというのが「阪神淡路」以来の思いであり覚悟というものでした。
さて、書くべきこと、書かなければならないことは本当に山積です。こうして書き始めるともどかしいかぎりです。
菅首相の諮問機関「復興構想会議」なるものがきょう(30日)3回目の会合を開きました。
「復興への構想」どころか相変わらず「財源論」と「増税論」をあれこれ言いたてているという体たらくです。報道では「財源なき復興ビジョンは寝言だ」などという発言があったというのですが「復興ビジョンなき財源論など寝言だ」と返してやる必要がありそうです。
すでにこのコラムで、この政権がガバナンスを喪失していて、発災から、なすべきことを一切せずあれこれの人事と会議づくりに没頭して、権力欲と「大臣病」(補佐官や副長官などもふくめて)にとりつかれた政治家や識者といわれる人々を次から次と官邸や内閣府などに呼び込む(こうした人々への高額な報酬について触れたメディアは一切ありませんでした)ことしかしかしてこなかったと指摘しましたが、いまだに何も変わらない政権の姿に絶望感だけが広がっていきます。
発災の3月11日に立ち上げた「緊急対策本部」にはじまって、いまや、震災対策にかかわるなんとか本部やあれこれの会議、委員会が26もできているというのですから唖然としてしまいます。その下にあるなんとか検討チームであるとかあれこれのプロジェクトチームなども含めるともっと多くなるのかもしれませんがそこまで把握できないのでわかりません。
きのうは内閣官房参与で東大大学院教授の小佐古敏荘氏が菅政権の福島第一原発事故対応について「法律や指針を軽視し、その場限りだ」と批判して辞任するという笑えないブラックジョークのようなことまで起きました。
しかし、文部科学省が小学校などの校庭で子供たちが活動する際の放射線の年間被曝量の基準を20ミリシーベルトとしたことを強く批判して「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ。通常の放射線防護基準に近い年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」と語ったことについては深く受けとめるべきだと思います。
原子力をめぐってうごめいてきた「学者群」のなかにもようやくと言うべきか、亀裂が走り始めたということなのでしょう。もっとも「世の風向き」を見て自己保身に走る人々が出始めたというとらえかたもできるわけで、なにをいまさらという受けとめも否定できませんが・・・。
問題の所在について書き始めたら本当にきりがないのですが、まず注意しなければならないのは福島原発にかかわる「統合本部」会見問題でしょう。
25日から、細野豪志首相補佐官の下、政府と東電による「福島原子力発電所事故対策統合本部」が統一的に会見するということになったことは既に知られていますが、これは見過ごせない重要な問題をはらんでいるというべきです。
細野氏は「みなさんにご理解を賜りたい。ぜひ、透明性に関する統合本部の方針、私を信じていただきたい・・・」と語っていますが、私は、これは大変なことになったと思いました。
これまでバラバラに会見していたのが統一的に行われるということでメディアでは評価されていますが、バラバラに会見するからこそ明らかになる情報の食い違いや矛盾点から、その時起きている事の実体が見えてくるということがあったと言うべきです。
しかし、これで「完璧」な口裏合わせと一層の事実の隠ぺいが始まることになったと言うべきです。多くのメディアがこのことを語らないのはなぜだろうかと不思議でなりません。
これまでも東電は一階と三階の二つの会見場を発表内容によって使い分け、時間差をつけて同時進行させたりして、結果的には、人員に余裕のある大メディアは対応できても、うるさいフリーランスの記者などは「手が回らない」という状況を作り出すという、実に姑息な手立てを講じてきたのですが、それでも東電、保安院や経産省、そして官邸の会見内容の「齟齬」が重要な問題をあぶりだすことにつながってきたと言うべきでした。
ここにきて「統合会見」にしたことをどうとらえるのかは各メディアの問われるところだと思います。さらに言うならば、各原子炉の状態がどうなのかという問題をこえて、放射性物質の拡散、放射能汚染の拡大という事態が一層深刻化する段階をとらえて「情報の一元化」をはかるのは一体なぜなのかと考えればおのずと答えは明らかと言うべきです。
ところで、4月初めから、新聞各紙が原発問題の検証記事を載せ始めています。
けさ(30日朝)ある新聞の検証企画記事を読んでいて目を疑う記述にぶつかりました。
これまでも真偽のほどがあきらかではないまま経過している14日の東電による「第1原発からの撤退発言」問題についての以下のようなくだりです。
「現場は切迫していた。午前に3号機が水素爆発し、午後には2号機で水位低下。午後9時には炉心の燃料溶融に関し枝野官房長官が1〜3号機とも『可能性は高い』と言明し衝撃が走る。自衛隊員4人が午前の水素爆発で負傷し、防衛省は東電の『大丈夫』との判断に疑問を抱く。夜には中央特殊武器防護隊員らが郡山市の駐屯地に一時退く。同様に第1原発の近くで待機していた原子力・安全保安院の職員らも郡山に退く。住民は半径20キロ内からの避難指示だが、安全を担うはずの保安院は50キロ以上先の郡山へ。炉心溶融か、という極限の状況を考えれば、だれよりも危険を認識していた東電が人命を優先して事実上、第1原発からの全面撤退を決断したとしても一概に批判できない。・・・」
これを読んで唖然としない人がいたら教えてほしいと思います。
ここで言う人命とは一体誰の「命」の事なのでしょうか。
言うまでもなく東電社員もしくは下請けの協力会社の作業員をはじめとする東電関係者と言うことになります。
地域に住む住民はここでの人命には含まれていないことはあきらかです。
「だれよりも危険を認識していた東電」であるなら、まず知らせるべきは地域住民であり、住民の「全面撤退」こそが、最優先になされるべきことであったはずです。
「極限の状況を考えれば」なおさらです。
それが「だれよりも危険を認識していた東電が人命を優先して事実上、第1原発からの全面撤退を決断したとしても一概に批判できない。」とは、これを書いた記者は一体どういう立場に立ってものを考えているのか聞いてみたいとさえ思うのですが、どうでしょうか。また、よくこんな記事が「検証記事」としてデスクの目を通ったものだとこの新聞社の取材、出稿体制に妙な感心さえしてしまいます。
しかし悪いことだけではありません。この記者が無意識、無自覚に書いたことで非常によくわかったことがあります。
このとき、地域の住民を放り出して、保安院のみならず自衛隊員までが50キロ以上離れたところに、まさに我先にと逃げていたということです。それぐらい「極限の状況」だったというわけです。
原子炉は健全に保たれている・・・とは一体誰の言葉だったのか・・・。
あらためて、原発震災にかかわる政府や東電の対処、対応にとどまらず、メディアの報道について厳しい検証が必要だと痛感します。
「出口なき迷路」と私は、原発問題が起きてから言い続けてきました。
原子炉内および使用済み燃料プール(の核燃料)を冷やして安定させることが喫緊の問題である。
そのためには冷却系の装置を機能させる電源が必要だ。電気系統が機能しなければならない。
しかし電源を喪失していたので水を注入するしかない。
水を注げば注ぐほど高濃度の汚染水が漏れ出し滞留して電気系統の回復作業すらできない。
だから、さらに注水して原子炉を冷やさなければならない。
と、まあこうして悪魔のような悪循環に陥ってしまい、出口が見えないという状況に突き当たってしまい、抜け出す術をもたない。
これを「出口なき迷路」と言わずしてなんというのか、というわけです。
状況は深刻です。
チェルノブイリから25年ということで、4月26日に参議院議員会館で「院内集会」がひらかれたので聴講したのですが、1997年に「科学」に「原発震災〜破滅を避けるために」を寄稿して以来、地震と原発の相関で警鐘を鳴らし続けてきた神戸大学名誉教授の石橋克彦氏の話を聴きながら、あらためて「原発震災」というものの深刻さを考えさせられました。
1997年の「科学」への寄稿論文には「(東海地震などの巨大地震に)原発災害が併発すれば被災地の救援・復旧は不可能になる。いっぽう震災時には、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も、平時に比べて極度に困難だろう。つまり、大地震によって通常震災と原発災害が複合する“原発震災”が発生し、しかも地震動を感じなかった遠方にまで何世代にもわたって深刻な被害を及ぼすのである。膨大な人々が二度と自宅に戻れず、国土の片隅でガンと遺伝的障害におびえながら細々と暮らすという未来図もけっして大袈裟ではない。」とあります。
まるでいま私たちが目にしている「事象」(官邸も、東電も、そして原子力を専門とするひと群れの学者たちも、発災からかなりの期間、今回の事故をこのように表現していたものです)を見事に言い当てていることに驚いたものです。
それにしても放射能汚染問題は深刻です。
2週間ほど前、現政権の枢要をなす政治家が、本当のところは福島市(に住む市民)までをも避難させたいのだが今の政府には30万人とか40万人の人間を避難させる力はないと洩らしたということを耳にしました。
私的な会話でつい本音を洩らしてしまったということでしょうからこれでどうこう言えることではないかもしれませんが、事がいかに深刻かを物語っていることは確かです。
しかし、その深刻さを政府も東電もそしてそれを知りうる立場にあるメディアも率直に語っていないということこそ、より深刻な問題だと、私は考えます。
さて、またもや長くなりすぎるので、一応の区切りをつけますが、検証すべき問題、考えなければならない数多くの問題のなかから、最低限のいくつかだけをメモしておきます。
1.原発震災について言うなら、東電、政府、専門家そしてメディアはなによりも本当のことを語るべきだということです。これまでひたすらごまかしと隠ぺいに狂奔してきた自己のあり方を反省して、一切のごまかし、隠ぺいをせずに本当のことを語るという、実に単純で素朴なことを誠実に実行することです。もっとも今の政権、東電、メディアなどに登場している原子力専門家たちの存立、存在を、そしてメディアのあり方を根底から脅かすことになるわけですから、この「簡単」なことが実行されることは、残念ながら、期待できないというべきですが・・・。
2.復興問題について言うなら、インフラの回復については国がすべての責任をもって即時かつ強力に、本当に一気呵成になすべきだと思います。これは阪神淡路大震災を現場で経験した教訓です。電気、通信、水道、ガスなどのライフラインは個別企業の努力で回復させるものだと考えがちですが、そうではなく、こうしたライフラインに加え道路、鉄道、港湾設備、さらに瓦礫の撤去、処理などはむしろ国の責任で一気に行い、回復させるべきだと、これは震災体験から学んだことです。ライフラインの回復状況などを考えると、すでに後知恵、後証文になっていることも多くありますが、これは発災直後から研究会などの議論で主張してきたことです。
3.では、復興計画についてはどうかといえば、これこそそれぞれの被災地の人々の知恵と考えに、つまり現場にゆだねるということにすべきことだというのが、これまた阪神淡路を経験した教訓です。つまり、現在の政権のやろうとしていることは全く逆で、逆立ちしていると言うべきだと、私は確信しています。被災現場にはどんな苦境の中でも立ち上がろうとして格闘する多くの人がいます。その人たちの知恵と力こそが復興ビジョンの構想力の源なのです。東京の官邸の会議室などで高額の報酬や謝礼を懐にしてあれやこれやの「議論」を交わす識者などにゆだねるべきものではない!というのが過去の震災の教訓です。被災現場の声に耳を傾け、現場の知恵を生かし、現場が望むことを実現するのが中央の権力の座に座っている人々のなすべきことなのです。つまり被災現場の人々の下僕として働くのが政治家であり官僚であるべきなのです。発想の逆転をこそすべきなのだと、私は確信します。識者と言われる人々も、もし復興計画に関わりたいのなら、現場に赴いてそこで被災した人々と共に汗を流すべきなのです。それ以外のただ評論する識者など、どんなに立派なことを言ったとしても無用のものだと言うべきです。
4.政治の責任という意味では、パフォーマンスはもうやめにすべきです。この連休中も予算委員会の論議をはじめ国会を休まずやっている光景がテレビで中継されていますが、考えてみれば、ではこれまで国会は何をしてきたのだというべきです。これ見よがしに連休中も国会議員は「働いている」というのは一見もっともらしく見えますが冷静に考えてみれば実にでたらめな、目くらましのパフォーマンスだというべきです。発災から50日、一体国会は何をしていたのだと問わなければならないと思います。なすべきことを何もしてこなかったからこうなったというだけのことではないでしょうか。ましてや、今様「黄門様」だかなにかは知りませんが、予算委員会の冒頭、「涙声」で菅首相を諌めるなどという猿芝居まがいのことに「電話で『入閣してくれ』なんて、政治経験がまだ浅い!自民党との連立政権の構築で失態を演じた首相に“黄門さま”が活を入れた・・・」とか「目に涙をためながら『今200万福島県民の怒りは頂点に達している』と指摘するなど、終始厳しい口調で菅首相の震災対応を追及・・・」などとはやし立てるメディアとは一体なんだろうかと思います。ちなみに以前「ウソ泣き」の空虚さを言われた女性タレントがいましたが、「目に涙をためながら」絞り出すような声で首相を「叱咤」したはずにもかかわらず一滴の涙も流さず、一転して出席議員たちの笑いを取るなどという達者な演技にただただ白けたのは私だけではなかったと思います。政治家とはこれほど底の浅いものでいいのでしょうか。パフォーマンスはもうやめにすべきです。それ以上に、福島県出身の「黄門様」に問うべきことは、では、あなたは福島への原発誘致に対してどのような政治行動をとってきたのか?!ということではないでしょうか。
5.阪神淡路大震災の復興論が議論された際「復興ファシズム」という言葉が登場したことを思い起こします。お上の、あるいは県の(首長の)やる復興施策にあれこれ異議を申し立てるのはまるで「非国民」といった空気が醸成され、メディアなどの論調もそれを許すようなものになりがちだったことを、いま、深く考えてみなければならないと思います。それは今回の震災が、まぎれもなく日本のこれからの社会をどのようなものにしていくのかという歴史的な転換点としてあるということを痛感するからです。阪神淡路大震災当時、震災報道の現場に身を置きながらかつての関東大震災についていくばくかの勉強をしたことがありました。そこで学んだことのひとつは、当時これだけの悲惨な激甚災害なのだから三代百年は記憶に刻まれるだろうと言われたものがそうはならず、まさに喉元過ぎれば・・・の喩えのように記憶の彼方に忘れ去られ「阪神淡路」を迎えてしまったという悔恨でした。つまり震災の教訓を歴史に刻み、記憶に刻むことの大切さを痛切な思いと共に、あらためて学んだということでした。今回の震災は「阪神淡路」からわずか16年のことでした。そしてその教訓とは単に「地震に強いまちづくり」といったことにとどまらず、震災当時に起きた「朝鮮人虐殺」という忌まわしい事件をはじめとして、震災を機に歴史がどういう道をたどったのかということにありました。1923年の関東大震災から2年後、普通選挙法と治安維持法が時を同じくして定められ、その後1929年の「暗黒の木曜日」に端を発する世界恐慌をへて、1937年7月7日の「盧溝橋事件」へと時代は大きく転回しました。震災からわずか14年のことでした。政治、社会、時代風潮など根の深いところで「30年代的状況」とのアナロジーが語られる現在、今回の震災以後の社会をどのようなものにしていくのか、どんな日本を再構築していくのかという問題と真剣に向き合う必要があると考えます。そして、決して歴史を誤ることがあってはならないと痛切に思います。そんな時、「復興ファシズム」ということが語られた状況について今一度思い返してみることは決して無駄なことではないと考えます。
さて、歩まねばならぬ・・・ということばが胸の奥深くでこだまのように響きます。
語るべきことは数多くありますが、言葉がいかほどのものかという畏れを抱きながらも、問題のありかを深く掘り、問題を共有し、問題意識を深めながら、多くの人と手を携えて、この震災に立ち向かう力を!と切に思います。
2011年03月31日
The situation remains very serious・・・
The situation remains very serious・・・
これはIAEAの天野事務局長が記者会見(28日ウイーン)で「福島原発」の現局面について述べたことばです。けさTVで放映されました。しかもvery seriousな状態が続いていると繰り返して強調し、いかに深刻なレベルなのかが伝わってくる会見でした。
日本政府はこれをなんとか薄めることにやっきになっているという様子ですが、最早、世界はそれを許してくれないという局面を迎えました。
まさに「世界が震撼するFUKUSHIMA」となった今、東電―経済産業省―日本政府の枠組みをこえて、「世界総がかり」の取り組みを余儀なくされる段階に入りました。
メディアではここに至ってもなお「幾分落ち着いている・・・」などと言って恥じない原子力専門家もいるので驚くばかりです。
こうした「もの言い」は昨日東電の清水社長の「入院」によって、代わって会見に臨んだ勝俣会長の「原発の復旧の見通しは、正直、冷温に保つという最終冷却がまだできていない状況だ。最近は少し安定してきたが、冷温冷却できるようにならないと、安定しない。最大限そこに注力することが第一。それ以降、いろいろ課題あるが、こうした点については、今後、どういうステップでいくかを詰めたい。」という言及と、実に平仄の合ったものだと言わざるをえません。
さてしかし、IAEAの天野氏は「非常に深刻だ」だと言っているのです。
どちらが本当なのか・・・。
昨日の会見で「事態の収束が長引いていることについて、政府、東電含めて、オペレーションのまずさによる人災の側面があるが、どう受け止めているのか」と問われて「はい。わたし自身はまずさというのは感じられませんでした。ただ、現場は電気が消えている。通信もできない状況で、いろいろ作業しなければならなかった。いろんな作業が予定より長くかかった。これまでボタン1つで動いたものが、手動でやらないといけない状況があって、意図せざる遅れがあったということかと思います。」などと臆面もなく語る人物の発言と天野氏の言及を比べれば言うまでもないことでしょう。
まだこんなことを言いながら平然と会見の席に座る人物が東電の最高責任者だというのですから、世界が「焦燥感をつのらせる」というのもわかります。
もちろん、この「世界総がかり」というのは、本当は、慎重に吟味、検証してみなければならない「キナ臭さ」がつきまとうのですが、いまはそんなことも言っておれず、とにかく最悪の事態をどうすれば避けることができるのかという一点で、できることをすべて「やってもらう」しかありません。
その「総がかり」についてランダムにいくつかメモしてみると、
1.IAEAがモナコにある傘下の海洋環境研究所の専門家を新たに派遣。来月2日から日本の専門家とともに福島第一原発周辺の海水に含まれる放射性物質の測定や評価に当たる。なお、IAEAは、これまで合わせて15人の専門家を日本に派遣し、福島県や首都圏の大気中の放射線量や食品や土壌に含まれる放射性物質を独自に分析。
2.フランスの原子力企業「アレバ」のロベルジョンCEO・最高経営責任者と専門家が来日。「アレバ」は、これまでにも原発を廃止する作業の一環で汚染された水の処理を行ってきた実績があるとして、5人の専門家を中心に、福島原発の放射性物質で汚染された水の除去作業の技術的な支援に当たる。なお、アレバは福島第一原発で使用しているMOX燃料(混合酸化物燃料)を加工した企業でもある。
3.米エネルギー省原子力研究所(アイダホ州)が原発内で遠隔操作できるロボットと原発内を撮影できるカメラを提供。米エネルギー省のライヨンズ次官補代行(原子力担当)は「現時点の情報では、原発は事故からの復旧作業が遅れているように見える」としてエネルギー省から40人の専門家を派遣するとともに、作業に必要な機材約7トンも日本に送るとしている。
4.アメリカ軍の船舶(バージ船)で原発の冷却に使う真水を福島原発に運搬、提供。
5.アメリカの原子力関連メーカー「B&W」など3社の幹部や技術者合わせて数十人が、スリーマイル島の原発事故の処理に当たった経験を基に、福島第一原発の原子炉の製造に携わった「東芝」が設けている対策本部に詰めて東京電力にアドバイスをしているという。
6.日米両政府は、政府高官、原子力専門家、軍関係者らによる「福島第一原子力発電所事故の対応に関する日米協議」を3月22日に発足させていたという。日本側は内閣官房安全保障・危機管理室が事務局となり、福山哲郎官房副長官と細野豪志首相補佐官が統括役として参加、東京電力関係者も加わる。米国側からは国防総省、エネルギー省、原子力規制委員会(NRC)、米軍関係者らが入っているとされる。この「日米協議」には三つのプロジェクトチームが設置され@原子炉の冷却、流出する放射性物質の拡散防止A核燃料棒や使用済み核燃料の最終処理方法B廃炉に向けた作業、などについて検討しているという。また今1号機から3号機で漏れているとされる高濃度放射線に汚染された水の排出方法についても議論しているとのこと。
7.ただし、昨夜(30日)のNHKニュースによると「事態を深刻視しているアメリカ側の協力を得て、各省庁の担当者に在日アメリカ軍なども加わった4つの作業チームを総理大臣官邸に設置して、事態収拾に向けた具体策の検討を本格化」させているということで、これが上記の22日に発足した「日米協議」と同じものかは判然としないが、この作業チームには原子力安全・保安院や経済産業省などの関係省庁の担当者、在日米軍、アメリカの原子力規制委員会などの担当者が加わり、@漏えいが続いている放射性物質を空中や海中に拡散させないための方策、A作業員の被ばくを避けるため、原発敷地内で遠隔操作の無人機器を使った作業、B核燃料棒の処理方法、C原発周辺の住民の生活支援などについて検討を進めているという。
8.中国の建設機器大手、三一重工(湖南省長沙市)が、高さ62メートルから放水できる生コン圧送機を東京電力に寄付し、28日に福島県に到着。もとは高層ビルの建設現場で生コンを流し込む機械だが、冷却のための放水に転用。ドイツで製造され、ベトナムの建設会社「ソンダー・ベトドク」に納入するために船便で運ぶ途中、たまたま横浜港にあったために、日本側が協力を要請。ソンダー社が使用を快諾したもの。
報道されているものをざっと拾い上げるとこうしたものになるのですが、最後の中国からの「生コン圧送機」をおくと、要は、日−米−仏という原発大国の連携の構図が「FUKUSHIMA」を軸に形成されたというわけです。しかも民間のメーカー、企業の参加とはいえ、日本企業との密接な関連も含めて、いずれも「軍需産業」に連なる気配をもつものであることは留意しておくべきことだろうと思います。
今回のような「危急存亡のとき」に背後にこうした国際的な「総がかりの構図」が見え隠れするのも、いかにも原子力産業というべきでしょう。
ところで、このなかで冒頭に挙げたIAEAにかかわるところでは、福島第一原発からおよそ40キロ離れた福島県飯舘村で、土壌から、IAEAの避難基準の2倍に当たる放射性物質が検出され、日本政府に対し、「住民に避難を勧告するよう促した」と伝えられたのですが、その後、内閣府の原子力安全委員会の代谷誠治委員が「日本の避難の基準は、大気や空中の浮遊物、飲食物の放射線量など、人体への直接的な影響を判断できる数値で決めている。IAEAは、草の表面のちりの放射能を測定しており、日本の基準の方がより正確だ」として退け、各メディアの報道は「(IAEAは)日本政府に状況を注視するよう求めた」といった表現、トーンに変わりました。
メディアの報道を時系列で注意深く見ていると、どこか釈然としない事にぶつかるというのは、それこそ「今回の事象」が発生してから、ごくごく日常的なことですから驚くに値しませんが、きょうの原子力安全委員会のきっぱりとした言明は際立っているというべきでしょう。
ところで、今回の「原発事故」(人災というべきものですから、事故と記しますが)については、今後考えうる「シナリオ」(問題の所在)は明確になってきています。
テレビをはじめメディアに登場する「専門家」たちの話をいやというほど聞いて考えてみると、論理的にはこうでしかありえません。
つまり、初動で東電−経済産業省−政権の「内輪」だけでなんとかすり抜けようとする「弥縫策」に走ったことが致命的かつ泥沼のような「世界が震撼する福島」を引き起こしたということです。
「止める」「冷やす」「閉じ込める」という三要素のうち、なにはともあれ「止める」ことだけはできたものの、問題は「冷やす」というところで致命的な問題にぶつかったことを知りながら、ただひたすら水をかけまくる(放水)そして「水を注ぐ」(注水)ということに終始して、本来的に冷却機能を回復させるための時間を浪費してしまい、「メルトダウン」によって原子炉本体(東電や安全・保安院、官邸の発表では圧力容器か格納容器なのか、あるいは、そのどちらもなのか、まったくもって判然としませんが)が損傷して、その過程で、いうところの「水素爆発」を引き起こし、気づいた時には「かけまくった水」と「注いだ水」が「ザザ洩れ」となっていて高濃度の放射性物質の漏れ出た「水」によってにっちもさっちもいかなくなった、しかし電源を回復させて冷却系を稼働させるだけの時間的余裕もなくなって、ひたすら「水」をぶっかけ、注ぐしか手立てがないという泥沼にはまり込んでしまった、つまりはこういうことなのです。
つまり戦略なき「弥縫策」が招いた当然の帰結というべきです。
米国をはじめいくつかの「筋」から、当初から、「深刻な状況だ」という警告が発せられていたわけですから、まさに「事象」がどう進むのかということ(つまり「最悪の事態」がどういうものか)を明確にし、すべての情報を余すところなく正しく開示して、国民と世界に虚心坦懐に語り、よびかけて、初動から時を置かず「世界の知恵と力」を結集して立ち向かっていれば、もちろん事態は深刻であることには変わりがないとしても、このような底なしの「泥沼」にはまることはなかったと言えます。
今となれば、効果のほどはいざしらず、とにかく水を注いで冷やすということをやめることは「恐ろしいまでの破綻」を招きよせることに他ならず、しかし水をかけまくる、注ぎ続けるということを続ける限り本来的な冷却系の回復に取り組むことが極めて困難という「二律背反」の地獄に苦しむということが避けられなくなってしまったというわけです。
まさに、なんとかいう副大臣だかが言ったように「神のみぞ知る」というところに来てしまっているのですから、地元の福島の人たちのみならず、国民は救われません。
発災の2日目にして、私のような素人でも身近な人たちとの話で、「これはチェルノブイリのような『石棺』で閉じ込めるしかないだろう。しかしそれを可能にするために、どう冷やすのかだろう。『石棺』による閉じ込めを可能とするためにどうするのかを考えないと大変なことになる・・・」と話し合ったものです。
発災2日目のことです。
何も知らない「素人」でもそれぐらいのことはわかったのです。
いまさら「布で覆う」などという絵空事を云々するのなら、初動でなすべき決断と対処、対策があったはずです。
ここに至れば、どれほど「キナ臭い」ものであれ、とにかく「世界総がかり」の取り組みに望みをかけるしかありません。
だからこそ、ここまでの「泥沼状態」を招き寄せた人々ははっきりと責任を全うすべきなのです。
それにしても、きのうも書きましたが、原子力産業という、産−官−学−政を結ぶ度し難いまでの「闇の構図」をどうするのか、それこそ「FUKUSHIMA」をのりこえたとしても、立ち向かうべき問題の根は深いと言うべきです。
そして、昨日の東電勝俣会長の会見の質疑について、けさの新聞をはじめ、なぜかほとんどのメディアは触れていないのですが、注目すべき「やりとり」がされています。
―事故当時、マスコミを引き連れて、中国へ訪問旅行に行っていたのか。旅費は東電持ちか・・・
勝俣会長「全額東電負担ではない。詳細はよく分からないが、たぶん、多めには出していると思う。マスコミ幹部というのとは若干違う。OBの研究会、勉強会の方々。誰といったかはプライベートの問題なので・・・」
―どの社なのか
勝俣会長「責任者の方によく確認して対応を考えさせていただきたい。2〜3日中にどういうことになっているか照会したい」
産−官−学−政と書きましたが、ここに「メディア」を加えなければならないという根深い構図が見えてくることに、めまいがする思いです。
これはIAEAの天野事務局長が記者会見(28日ウイーン)で「福島原発」の現局面について述べたことばです。けさTVで放映されました。しかもvery seriousな状態が続いていると繰り返して強調し、いかに深刻なレベルなのかが伝わってくる会見でした。
日本政府はこれをなんとか薄めることにやっきになっているという様子ですが、最早、世界はそれを許してくれないという局面を迎えました。
まさに「世界が震撼するFUKUSHIMA」となった今、東電―経済産業省―日本政府の枠組みをこえて、「世界総がかり」の取り組みを余儀なくされる段階に入りました。
メディアではここに至ってもなお「幾分落ち着いている・・・」などと言って恥じない原子力専門家もいるので驚くばかりです。
こうした「もの言い」は昨日東電の清水社長の「入院」によって、代わって会見に臨んだ勝俣会長の「原発の復旧の見通しは、正直、冷温に保つという最終冷却がまだできていない状況だ。最近は少し安定してきたが、冷温冷却できるようにならないと、安定しない。最大限そこに注力することが第一。それ以降、いろいろ課題あるが、こうした点については、今後、どういうステップでいくかを詰めたい。」という言及と、実に平仄の合ったものだと言わざるをえません。
さてしかし、IAEAの天野氏は「非常に深刻だ」だと言っているのです。
どちらが本当なのか・・・。
昨日の会見で「事態の収束が長引いていることについて、政府、東電含めて、オペレーションのまずさによる人災の側面があるが、どう受け止めているのか」と問われて「はい。わたし自身はまずさというのは感じられませんでした。ただ、現場は電気が消えている。通信もできない状況で、いろいろ作業しなければならなかった。いろんな作業が予定より長くかかった。これまでボタン1つで動いたものが、手動でやらないといけない状況があって、意図せざる遅れがあったということかと思います。」などと臆面もなく語る人物の発言と天野氏の言及を比べれば言うまでもないことでしょう。
まだこんなことを言いながら平然と会見の席に座る人物が東電の最高責任者だというのですから、世界が「焦燥感をつのらせる」というのもわかります。
もちろん、この「世界総がかり」というのは、本当は、慎重に吟味、検証してみなければならない「キナ臭さ」がつきまとうのですが、いまはそんなことも言っておれず、とにかく最悪の事態をどうすれば避けることができるのかという一点で、できることをすべて「やってもらう」しかありません。
その「総がかり」についてランダムにいくつかメモしてみると、
1.IAEAがモナコにある傘下の海洋環境研究所の専門家を新たに派遣。来月2日から日本の専門家とともに福島第一原発周辺の海水に含まれる放射性物質の測定や評価に当たる。なお、IAEAは、これまで合わせて15人の専門家を日本に派遣し、福島県や首都圏の大気中の放射線量や食品や土壌に含まれる放射性物質を独自に分析。
2.フランスの原子力企業「アレバ」のロベルジョンCEO・最高経営責任者と専門家が来日。「アレバ」は、これまでにも原発を廃止する作業の一環で汚染された水の処理を行ってきた実績があるとして、5人の専門家を中心に、福島原発の放射性物質で汚染された水の除去作業の技術的な支援に当たる。なお、アレバは福島第一原発で使用しているMOX燃料(混合酸化物燃料)を加工した企業でもある。
3.米エネルギー省原子力研究所(アイダホ州)が原発内で遠隔操作できるロボットと原発内を撮影できるカメラを提供。米エネルギー省のライヨンズ次官補代行(原子力担当)は「現時点の情報では、原発は事故からの復旧作業が遅れているように見える」としてエネルギー省から40人の専門家を派遣するとともに、作業に必要な機材約7トンも日本に送るとしている。
4.アメリカ軍の船舶(バージ船)で原発の冷却に使う真水を福島原発に運搬、提供。
5.アメリカの原子力関連メーカー「B&W」など3社の幹部や技術者合わせて数十人が、スリーマイル島の原発事故の処理に当たった経験を基に、福島第一原発の原子炉の製造に携わった「東芝」が設けている対策本部に詰めて東京電力にアドバイスをしているという。
6.日米両政府は、政府高官、原子力専門家、軍関係者らによる「福島第一原子力発電所事故の対応に関する日米協議」を3月22日に発足させていたという。日本側は内閣官房安全保障・危機管理室が事務局となり、福山哲郎官房副長官と細野豪志首相補佐官が統括役として参加、東京電力関係者も加わる。米国側からは国防総省、エネルギー省、原子力規制委員会(NRC)、米軍関係者らが入っているとされる。この「日米協議」には三つのプロジェクトチームが設置され@原子炉の冷却、流出する放射性物質の拡散防止A核燃料棒や使用済み核燃料の最終処理方法B廃炉に向けた作業、などについて検討しているという。また今1号機から3号機で漏れているとされる高濃度放射線に汚染された水の排出方法についても議論しているとのこと。
7.ただし、昨夜(30日)のNHKニュースによると「事態を深刻視しているアメリカ側の協力を得て、各省庁の担当者に在日アメリカ軍なども加わった4つの作業チームを総理大臣官邸に設置して、事態収拾に向けた具体策の検討を本格化」させているということで、これが上記の22日に発足した「日米協議」と同じものかは判然としないが、この作業チームには原子力安全・保安院や経済産業省などの関係省庁の担当者、在日米軍、アメリカの原子力規制委員会などの担当者が加わり、@漏えいが続いている放射性物質を空中や海中に拡散させないための方策、A作業員の被ばくを避けるため、原発敷地内で遠隔操作の無人機器を使った作業、B核燃料棒の処理方法、C原発周辺の住民の生活支援などについて検討を進めているという。
8.中国の建設機器大手、三一重工(湖南省長沙市)が、高さ62メートルから放水できる生コン圧送機を東京電力に寄付し、28日に福島県に到着。もとは高層ビルの建設現場で生コンを流し込む機械だが、冷却のための放水に転用。ドイツで製造され、ベトナムの建設会社「ソンダー・ベトドク」に納入するために船便で運ぶ途中、たまたま横浜港にあったために、日本側が協力を要請。ソンダー社が使用を快諾したもの。
報道されているものをざっと拾い上げるとこうしたものになるのですが、最後の中国からの「生コン圧送機」をおくと、要は、日−米−仏という原発大国の連携の構図が「FUKUSHIMA」を軸に形成されたというわけです。しかも民間のメーカー、企業の参加とはいえ、日本企業との密接な関連も含めて、いずれも「軍需産業」に連なる気配をもつものであることは留意しておくべきことだろうと思います。
今回のような「危急存亡のとき」に背後にこうした国際的な「総がかりの構図」が見え隠れするのも、いかにも原子力産業というべきでしょう。
ところで、このなかで冒頭に挙げたIAEAにかかわるところでは、福島第一原発からおよそ40キロ離れた福島県飯舘村で、土壌から、IAEAの避難基準の2倍に当たる放射性物質が検出され、日本政府に対し、「住民に避難を勧告するよう促した」と伝えられたのですが、その後、内閣府の原子力安全委員会の代谷誠治委員が「日本の避難の基準は、大気や空中の浮遊物、飲食物の放射線量など、人体への直接的な影響を判断できる数値で決めている。IAEAは、草の表面のちりの放射能を測定しており、日本の基準の方がより正確だ」として退け、各メディアの報道は「(IAEAは)日本政府に状況を注視するよう求めた」といった表現、トーンに変わりました。
メディアの報道を時系列で注意深く見ていると、どこか釈然としない事にぶつかるというのは、それこそ「今回の事象」が発生してから、ごくごく日常的なことですから驚くに値しませんが、きょうの原子力安全委員会のきっぱりとした言明は際立っているというべきでしょう。
ところで、今回の「原発事故」(人災というべきものですから、事故と記しますが)については、今後考えうる「シナリオ」(問題の所在)は明確になってきています。
テレビをはじめメディアに登場する「専門家」たちの話をいやというほど聞いて考えてみると、論理的にはこうでしかありえません。
つまり、初動で東電−経済産業省−政権の「内輪」だけでなんとかすり抜けようとする「弥縫策」に走ったことが致命的かつ泥沼のような「世界が震撼する福島」を引き起こしたということです。
「止める」「冷やす」「閉じ込める」という三要素のうち、なにはともあれ「止める」ことだけはできたものの、問題は「冷やす」というところで致命的な問題にぶつかったことを知りながら、ただひたすら水をかけまくる(放水)そして「水を注ぐ」(注水)ということに終始して、本来的に冷却機能を回復させるための時間を浪費してしまい、「メルトダウン」によって原子炉本体(東電や安全・保安院、官邸の発表では圧力容器か格納容器なのか、あるいは、そのどちらもなのか、まったくもって判然としませんが)が損傷して、その過程で、いうところの「水素爆発」を引き起こし、気づいた時には「かけまくった水」と「注いだ水」が「ザザ洩れ」となっていて高濃度の放射性物質の漏れ出た「水」によってにっちもさっちもいかなくなった、しかし電源を回復させて冷却系を稼働させるだけの時間的余裕もなくなって、ひたすら「水」をぶっかけ、注ぐしか手立てがないという泥沼にはまり込んでしまった、つまりはこういうことなのです。
つまり戦略なき「弥縫策」が招いた当然の帰結というべきです。
米国をはじめいくつかの「筋」から、当初から、「深刻な状況だ」という警告が発せられていたわけですから、まさに「事象」がどう進むのかということ(つまり「最悪の事態」がどういうものか)を明確にし、すべての情報を余すところなく正しく開示して、国民と世界に虚心坦懐に語り、よびかけて、初動から時を置かず「世界の知恵と力」を結集して立ち向かっていれば、もちろん事態は深刻であることには変わりがないとしても、このような底なしの「泥沼」にはまることはなかったと言えます。
今となれば、効果のほどはいざしらず、とにかく水を注いで冷やすということをやめることは「恐ろしいまでの破綻」を招きよせることに他ならず、しかし水をかけまくる、注ぎ続けるということを続ける限り本来的な冷却系の回復に取り組むことが極めて困難という「二律背反」の地獄に苦しむということが避けられなくなってしまったというわけです。
まさに、なんとかいう副大臣だかが言ったように「神のみぞ知る」というところに来てしまっているのですから、地元の福島の人たちのみならず、国民は救われません。
発災の2日目にして、私のような素人でも身近な人たちとの話で、「これはチェルノブイリのような『石棺』で閉じ込めるしかないだろう。しかしそれを可能にするために、どう冷やすのかだろう。『石棺』による閉じ込めを可能とするためにどうするのかを考えないと大変なことになる・・・」と話し合ったものです。
発災2日目のことです。
何も知らない「素人」でもそれぐらいのことはわかったのです。
いまさら「布で覆う」などという絵空事を云々するのなら、初動でなすべき決断と対処、対策があったはずです。
ここに至れば、どれほど「キナ臭い」ものであれ、とにかく「世界総がかり」の取り組みに望みをかけるしかありません。
だからこそ、ここまでの「泥沼状態」を招き寄せた人々ははっきりと責任を全うすべきなのです。
それにしても、きのうも書きましたが、原子力産業という、産−官−学−政を結ぶ度し難いまでの「闇の構図」をどうするのか、それこそ「FUKUSHIMA」をのりこえたとしても、立ち向かうべき問題の根は深いと言うべきです。
そして、昨日の東電勝俣会長の会見の質疑について、けさの新聞をはじめ、なぜかほとんどのメディアは触れていないのですが、注目すべき「やりとり」がされています。
―事故当時、マスコミを引き連れて、中国へ訪問旅行に行っていたのか。旅費は東電持ちか・・・
勝俣会長「全額東電負担ではない。詳細はよく分からないが、たぶん、多めには出していると思う。マスコミ幹部というのとは若干違う。OBの研究会、勉強会の方々。誰といったかはプライベートの問題なので・・・」
―どの社なのか
勝俣会長「責任者の方によく確認して対応を考えさせていただきたい。2〜3日中にどういうことになっているか照会したい」
産−官−学−政と書きましたが、ここに「メディア」を加えなければならないという根深い構図が見えてくることに、めまいがする思いです。
2011年03月29日
ソウル発「コリア通信」特別号―1を読む
長く「休んでいた」ブログを再開しなければと思って書き始めたところに、仙台の地で、ご夫妻で「コリア文庫」を主宰されている、翻訳家であり韓国文学研究者でもある青柳優子さんから、ソウル発の「コリア文庫通信」特別号が届きました。
今回の震災の被災地である宮城県仙台市に住み、地域の人たちと手を携えて韓国文学を読み、朝鮮半島問題、東北アジアの平和について考える営みを重ねていらっしゃる青柳さんが、たまたま震災前日に仙台を発ってソウルでのシンポジウムに討論者として参加している間に地震が起きて、その後韓国に留まりながら仙台の地とそこでの仲間や市民、県民の安否を気遣い、現在の状況を案じていること、さらには韓国の民衆やメディアが今回の日本の震災にどのような「まなざし」でいるのかをビビッドに伝える「通信」でした。
韓国の反響を含め、今回の震災に対する諸外国の受けとめについては日本のメディアでも伝えられていますが、青柳さんから届いた「通信」を読みすすむうち、従来のメディアによる報道ではまったく伝えられていない大事なことがらがいくつも記されていることに気づきました。
そこで、青柳さんのご理解を得て、「コリア通信」特別号―1をここに転載させていただくことにしました。
既存のメディアではすくい上げられていない内容に、私は、胸が熱くなる思いで読みました。
ぜひお読みいただきたいと思います。
なお文中に触れられている金 起林は韓国の文学者でありジャーナリストで、当時の東北帝大に留学していたことがある仙台ゆかりの人物でもあります。
詳しくは青柳優子さんの編訳・著書「朝鮮文学の知性 金 起林」(新幹社2009年)をご参照ください。
コリア文庫通信 (特別号―1) 2011年3月29日
---------------------------------------------------------------------
東北大震災から18日になりますが、皆様、お元気でしょうか。
この間一時帰国していた連れ合いからの連絡によりますと、コリア文庫会員皆様の無事が確認され、ホッとしています。
私は、11日にソウルで開催された、日韓の翻訳事情に関するシンポジウムに討論者として参加するため、10日の飛行機で仙台空港を発ちました。そして、シンポジウムの最中に地震のことが日本大使館を通じて知らされましたが、夜ホテルに戻ってテレビを見てその被害の大きさに愕然としてしまいました。電話も通じないし、連絡の取りようがなく、本当に心配しました。
仙台空港が使えなくなり、また食糧事情などもよくないと聞いていますが、現在、私は状況を見ながら帰国の時期を探っているところです。
ところで、仙台ではどの位報道されているのかわかりませんが、こちら韓国では日本に対する全国民的な大きな支援と友情の輪が広がっています。連日、テレビを通じて募金が呼びかけられており、サッカーの試合などでは(日本は出場していませんでしたが)選手も応援席のファンたちも「日本がんばれ!」の日本語で書かれた横断幕を掲げて「日本、ファイト」と声をあげ、カメラもそれを大写しで伝えたり、日本と姉妹校になっている高校の生徒たちも募金とともに励ましの手紙を書いたり、伝えきれないほど様々な支援と友情の輪が広がっています。
特に印象的だったのは、日本軍「慰安婦」被害者のハルモ二たちが3月16日の定例の水曜抗議デモを地震被害者の冥福を祈る集会にしたという報道でした。日本という国家に対しては抗議しているが、この度のとてつもない被害にあった日本人に対しては冥福とともに早く復興できるよう祈っているというハルモ二の声が伝えられました。恐ろしい状況の中で生き抜いてきたハルモ二たちの崇高なる精神と優しさに触れた瞬間でした。
また、15日付けのハンギョレ新聞の1面に高銀(コ・ウン)さんの詩「日本への礼義」が大きく掲載されました。白楽晴(ペク・ナクチョン)先生の勧めで日本語に訳したのを朝日新聞に送りました。今週中に掲載される予定です。いい詩だということで、雑誌『世界』にも掲載されることになりました。
昨日は、ハンギョレ新聞社や市民団体が主催する「追慕と連帯の夜」の集まりがソウル鐘路の普信閣で開催され、多くの市民が参加したそうです。私は残念ながら、参加できませんでした。
そして、今朝(3月29日)の「ハンギョレ新聞」の第1面には、甲子園に出場した東北高校の記事が連合ニュースの写真とともに載っています。タイトルも「勇気を奮い起こす‵希望の直球′」で、地震にあいながらも出場した東北高校の選手たちとそれを支える仙台市民の姿が感動的に伝えられています。韓国では高校野球はまったく関心外のものなので、日本の「甲子園」についてはほとんど知られていません。そういう点からも日本人の庶民生活を伝えるいい報道だと感心しました。この間感じていることですが、掲載された写真なども、久しぶりに学校の教室で学友に再会して喜ぶ子供たちの姿など、「日本」という国家に重点が置かれることなく、同じ「人間」としての姿に焦点をあてた報道になっています。これは大きな変化であり、素晴らしいことだと思います。60年以上前に金起林が喝破した“民族主義“と“民族文化”の違い, そして将来向かうべき“民族文化”の方向が、今、この目の前で示されているのです。感慨無量です。「ハンギョレ新聞」の報道が特別というのではなく、そうした報道姿勢を自然に受けとめている多くの読者が存在するからこそ、そうした報道が可能なのであり、可能な市民社会が構築されている証でありましょう。
転じて日本の社会はどうなのでしょうか? 一部で関東大震災のときのような流言蜚語が飛び交ったと、インターネットで伝えられていました。こうした大災害に便乗して出てくる排他的民族主義・国粋主義の醜悪さと情けなさを痛感しました。そうした心無いデマを言いふらす人々は、きっと自分の醜い行為が瞬時にして全世界に知れわたっていることも平気で関係ないとでも思っているのでしょうか?非常に多くの人が非常に長い時間をかけて一つ一つ積み上げてきた国家を超える信頼関係を破壊する破廉恥で恐ろしい行為であることを自覚できるだけの人間性をもってほしいと痛切に思います。
さて、現在の生活で直接体験していることとしては、まず、以前仙台に取材にいらっしゃったアリランTVのプロデューサー・朴さんご夫妻のご親切です。ホテルを出た3月18日から朴さんのご自宅にずっとお世話になっています。そして、近所に住んでいる高一の姪御さんがやってきていろいろ取材されたりもしました。彼女は高校の新聞部に所属していて、その学校も日本の学校と姉妹校の提携をしているのだそうです。「普段、どのような地震対策をしているのか、避難訓練は定期的にやっているのか、学校でもやっているのか」など、いろいろ聞かれました。話をしていて、新聞部だからということではなく、すぐ隣の国で起きた大災害に隣人として心配し、なんとか励ましたいという気持ちで会いに来てくれたことがわかり、とてもうれしく、しみじみとした思いになりました。
一昨日の日曜日にもお母さんから頼まれたといってお手製の特別なサンドイッチを持ってきてくれました。本当に皆さんのご親切に感謝しながら過ごしています。
今、私は国立中央図書館に通って今後の仕事の段取りをしています。帰国するまで、こちらから皆さんにできる限り発信していきたいと思います。
皆さん、どうかお体を大切に!또 봅시다!!
(ソウルにて、青柳優子)
今回の震災の被災地である宮城県仙台市に住み、地域の人たちと手を携えて韓国文学を読み、朝鮮半島問題、東北アジアの平和について考える営みを重ねていらっしゃる青柳さんが、たまたま震災前日に仙台を発ってソウルでのシンポジウムに討論者として参加している間に地震が起きて、その後韓国に留まりながら仙台の地とそこでの仲間や市民、県民の安否を気遣い、現在の状況を案じていること、さらには韓国の民衆やメディアが今回の日本の震災にどのような「まなざし」でいるのかをビビッドに伝える「通信」でした。
韓国の反響を含め、今回の震災に対する諸外国の受けとめについては日本のメディアでも伝えられていますが、青柳さんから届いた「通信」を読みすすむうち、従来のメディアによる報道ではまったく伝えられていない大事なことがらがいくつも記されていることに気づきました。
そこで、青柳さんのご理解を得て、「コリア通信」特別号―1をここに転載させていただくことにしました。
既存のメディアではすくい上げられていない内容に、私は、胸が熱くなる思いで読みました。
ぜひお読みいただきたいと思います。
なお文中に触れられている金 起林は韓国の文学者でありジャーナリストで、当時の東北帝大に留学していたことがある仙台ゆかりの人物でもあります。
詳しくは青柳優子さんの編訳・著書「朝鮮文学の知性 金 起林」(新幹社2009年)をご参照ください。
コリア文庫通信 (特別号―1) 2011年3月29日
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東北大震災から18日になりますが、皆様、お元気でしょうか。
この間一時帰国していた連れ合いからの連絡によりますと、コリア文庫会員皆様の無事が確認され、ホッとしています。
私は、11日にソウルで開催された、日韓の翻訳事情に関するシンポジウムに討論者として参加するため、10日の飛行機で仙台空港を発ちました。そして、シンポジウムの最中に地震のことが日本大使館を通じて知らされましたが、夜ホテルに戻ってテレビを見てその被害の大きさに愕然としてしまいました。電話も通じないし、連絡の取りようがなく、本当に心配しました。
仙台空港が使えなくなり、また食糧事情などもよくないと聞いていますが、現在、私は状況を見ながら帰国の時期を探っているところです。
ところで、仙台ではどの位報道されているのかわかりませんが、こちら韓国では日本に対する全国民的な大きな支援と友情の輪が広がっています。連日、テレビを通じて募金が呼びかけられており、サッカーの試合などでは(日本は出場していませんでしたが)選手も応援席のファンたちも「日本がんばれ!」の日本語で書かれた横断幕を掲げて「日本、ファイト」と声をあげ、カメラもそれを大写しで伝えたり、日本と姉妹校になっている高校の生徒たちも募金とともに励ましの手紙を書いたり、伝えきれないほど様々な支援と友情の輪が広がっています。
特に印象的だったのは、日本軍「慰安婦」被害者のハルモ二たちが3月16日の定例の水曜抗議デモを地震被害者の冥福を祈る集会にしたという報道でした。日本という国家に対しては抗議しているが、この度のとてつもない被害にあった日本人に対しては冥福とともに早く復興できるよう祈っているというハルモ二の声が伝えられました。恐ろしい状況の中で生き抜いてきたハルモ二たちの崇高なる精神と優しさに触れた瞬間でした。
また、15日付けのハンギョレ新聞の1面に高銀(コ・ウン)さんの詩「日本への礼義」が大きく掲載されました。白楽晴(ペク・ナクチョン)先生の勧めで日本語に訳したのを朝日新聞に送りました。今週中に掲載される予定です。いい詩だということで、雑誌『世界』にも掲載されることになりました。
昨日は、ハンギョレ新聞社や市民団体が主催する「追慕と連帯の夜」の集まりがソウル鐘路の普信閣で開催され、多くの市民が参加したそうです。私は残念ながら、参加できませんでした。
そして、今朝(3月29日)の「ハンギョレ新聞」の第1面には、甲子園に出場した東北高校の記事が連合ニュースの写真とともに載っています。タイトルも「勇気を奮い起こす‵希望の直球′」で、地震にあいながらも出場した東北高校の選手たちとそれを支える仙台市民の姿が感動的に伝えられています。韓国では高校野球はまったく関心外のものなので、日本の「甲子園」についてはほとんど知られていません。そういう点からも日本人の庶民生活を伝えるいい報道だと感心しました。この間感じていることですが、掲載された写真なども、久しぶりに学校の教室で学友に再会して喜ぶ子供たちの姿など、「日本」という国家に重点が置かれることなく、同じ「人間」としての姿に焦点をあてた報道になっています。これは大きな変化であり、素晴らしいことだと思います。60年以上前に金起林が喝破した“民族主義“と“民族文化”の違い, そして将来向かうべき“民族文化”の方向が、今、この目の前で示されているのです。感慨無量です。「ハンギョレ新聞」の報道が特別というのではなく、そうした報道姿勢を自然に受けとめている多くの読者が存在するからこそ、そうした報道が可能なのであり、可能な市民社会が構築されている証でありましょう。
転じて日本の社会はどうなのでしょうか? 一部で関東大震災のときのような流言蜚語が飛び交ったと、インターネットで伝えられていました。こうした大災害に便乗して出てくる排他的民族主義・国粋主義の醜悪さと情けなさを痛感しました。そうした心無いデマを言いふらす人々は、きっと自分の醜い行為が瞬時にして全世界に知れわたっていることも平気で関係ないとでも思っているのでしょうか?非常に多くの人が非常に長い時間をかけて一つ一つ積み上げてきた国家を超える信頼関係を破壊する破廉恥で恐ろしい行為であることを自覚できるだけの人間性をもってほしいと痛切に思います。
さて、現在の生活で直接体験していることとしては、まず、以前仙台に取材にいらっしゃったアリランTVのプロデューサー・朴さんご夫妻のご親切です。ホテルを出た3月18日から朴さんのご自宅にずっとお世話になっています。そして、近所に住んでいる高一の姪御さんがやってきていろいろ取材されたりもしました。彼女は高校の新聞部に所属していて、その学校も日本の学校と姉妹校の提携をしているのだそうです。「普段、どのような地震対策をしているのか、避難訓練は定期的にやっているのか、学校でもやっているのか」など、いろいろ聞かれました。話をしていて、新聞部だからということではなく、すぐ隣の国で起きた大災害に隣人として心配し、なんとか励ましたいという気持ちで会いに来てくれたことがわかり、とてもうれしく、しみじみとした思いになりました。
一昨日の日曜日にもお母さんから頼まれたといってお手製の特別なサンドイッチを持ってきてくれました。本当に皆さんのご親切に感謝しながら過ごしています。
今、私は国立中央図書館に通って今後の仕事の段取りをしています。帰国するまで、こちらから皆さんにできる限り発信していきたいと思います。
皆さん、どうかお体を大切に!또 봅시다!!
(ソウルにて、青柳優子)
想定を超える、未曽有の震災なのか 〜長い「休載」を破っていま語るべきこと
「未曾有の大震災」からまもなく20日になろうとしています。
北東アジアの動態そしてメディアのあり方を見つめるということを柱にしてこのコラムを綴ってきたのですが、この間ほぼ2か月にわたって筆を止めていました。その理由、意味について今ここで書いている「ゆとり」がないので置きます。
なによりもまず、今回の震災の犠牲者を悼むとともに、被災された方々にこころからのお見舞いを申し上げます。
ただし、阪神大震災の現場で災害報道に携わった経験(当時の住まいは大阪だったので揺れや直接の被害は神戸などの現場には比べるべくもありませんでしたが、発災から震災報道の立ち上げ、現場からの中継放送体制の構築、さらには震災関連番組の企画、取材、制作などにかかわった現場体験という意味です)と、津波についていえば、被害の規模は今回とは比較にならないものだとしても、日本海中部地震が起きた当日から秋田県男鹿半島の海岸の現場で中継に当たった経験などから、こういうお見舞いの「ことば」あるいは震災被害や被災者のみなさんについて語る言説の無力さを痛切に知るだけに、一月半ばから震災までの期間を別として、少なくとも震災の発災からのこの間、何かを述べる、書くということをためらわせるものがありました。
災害報道という限られた体験とはいえ、今回もまた、震災による被害、そこから派生する問題すべてが、本当に他人事とは思えず、痛恨、痛切な思いそして怒りが渦巻き、それらが私自身をも苛む日々となっています。
しかし、震災への対処、対策にとどまらず、東京電力福島原子力発電所「問題」にかかわる政府、政権のガバナンスの無残なまでの喪失、それらに対するメディアのあり方について、ことばにならないほどの惨憺たる状況とあまりの深刻さに、まさに「蟷螂の斧」の類であっても記しておかなければならないと思って、己を奮い立たせながら、筆を執ることにしました。
まず、冒頭にあえてカギッカッコつきで「未曾有の災害」と書きました。
各メディアでも伝えられているように、まさしく「千年に一度」の大地震、大津波だったことは否定するべくもないのでしょうが、私は、発災当初からの政府、とりわけ官邸の対処、対応や各メディアの報道でこの「未曾有の」あるいは「想定をこえる」という「ことば」がいとも安易に使われるのを目の当たりにして、強い「違和感」を、もっと率直にいえば怒りを抱き続けてきました。
阪神大震災の経験などを持ち出すのは、災害の規模も形態も異なることだから的外れなことだと思われるかもしれませんが、私は、災害とはいつも「未曾有」のことであり「想定外」だから災害になるのであって、そうでなければ災害にはならないという、きわめて逆説的な教訓を、災害現場での体験から痛いほど学んできました。
とりわけ「想定外」という「ことば」は決して見逃せない、重要な問題を孕んでいると思います。
このことに対する無知、無自覚は断じて許されないことであり、さらに言えば、わかっていながら知らん顔をして「想定外」と繰り返すのは決して許されないことであり、大きなごまかしに通じる、最早「犯罪」に等しいとすら考えるのです。
なぜかと言うと政治や行政の責任者、企業の責任者が「想定外」と繰り返す時は、まずもって「だから責任はないのだ」という論理がその背後に準備されていることを、何度かの災害報道の体験から知ることになったからです。
さらに、これはメディアで仕事をしてきた私たち自身のあり方をも厳しく問いかける問題としてとらえなければならないと考えたものです。災害について伝える立場の「私たち」もまた、深い吟味と検証なしに「想定外」といった表現で語ってはならないという自戒として、いまも胸の内に深く残っています。
「想定外」の大地震、大津波だった、だから未曾有の大災害になったのであり「責任はない」という論理が、とりわけ為政者を、行政担当者を、そして今回は東電や原子力産業関係者、さらにはメディアに登場する専門家や識者までも含む数限りない人々を「自己正当化の論理」として蝕んでいることが見えています。
「災害は忘れたころにやってくる」という警句はいうまでもなく寺田寅彦のことばです。災害報道に携わる際、いつもこの警句を思い出しながら、反芻しながら仕事にあたったものです。
災害を目の当たりにしながら現場に立って反芻するとこの短いことばがいかに深いものであるのか、私たちに問いかけてくるものがどれほど重いものかがわかるのでした。
そして、「災害はいつも異なる貌でやってくる」ということばも災害報道の現場で先達から教えられたことでした。
つまり、そうした体験から、私は、災害というものに向き合う際も、想像力というものがいかに大事なことであるのかを痛感することになりました。
こうしてことばにして書いてしまうといかにも通俗的な手垢にまみれた「想像力」という文字に閉じ込められてしまうのでいたたまれないのですが、本当に重い意味を持って私自身に迫ってくるものでした。
災害という問題に向き合うには想像力が問われるのです。
その欠如や、無視こそが災害を引き起こすのだということを体験から痛恨の思いと共に学んできました。
すでに伝えられていることですが、千年に一度の災害とはいえ、決して人知をこえたものではなく、すでに「貞観地震」(869年宮城県沖)の解析をもとに大津波への備えを呼びかけていた専門家がいたこと、それをこれまた専門家や為政者、企業経営者たちがことごとく無視してきたということ、この事実を私たちは決して忘れてはならないと思います。
地震などの自然災害が起きることを避けることは不可能にしても、最悪の事態を「想像する」営みを無視したり排除したりせず謙虚であり続けるなら、もっと、もっと犠牲や被害を小さくすることができたのだということに、何度もぶつかりながら、それを繰り返してしまう現在の日本の政治、社会の「構造」に、私たちはもっと怒りと自戒を持たなければならないのではないかと、痛切に思います。
そして寺田寅彦はまた「人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。・・・むしろ今のほうがだいぶ退歩している。そうして昔と同等以上の愚を繰り返しているのである。」とも、あるいは災害への備えができていない事を指して、「天災が極めてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の転覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。」とも述べています。
これを私は災害への想像力の問題だととらえるのです。
原子力発電の問題もそうです。
かつて四国、松山に勤務していた時、地域で原発の建設に反対の声を上げた人物に出会ったのでしたが、彼が「原発の問題は常識的には技術の問題だと考えられているかもしれないが、想像力の問題なのだ。専門家や技術者は安全だと強調するが、私には、その原発が、専門家からは『ありえない』とされる事故を起こす『情景』が目に浮かぶのだ。そういう想像力が必要なのであって技術の問題に解消してはならないのだ。」と語ったことがありました。
その時、私は、ハッとさせられたものです。
言うまでもなく彼が原発について技術的な面で勉強していないわけはなく、実に詳細にわたる勉強、研究を重ねていることは承知していたのですが、最後に行きつくところは、問題は起きない、あるいはその可能性はほとんどない、といった技術論や数学的な確率論ではなく、想像力の問題だと言い切るその姿に、こうした現代のテクノロジーと向き合う際のあり方というものを学んだ思いがしたものです。
専門家から言わせれば、素人の「たわごと」として切り捨てられる類の文学的表現かもしれませんが、問題は必ず起こる、事故や災害は必ず起きるものだという想像力を持つことで、はじめて、事故や災害は防げるのだという、厳粛にして逆説的な真理に謙虚になれるかどうか、まさにここがすべての出発点だということです。
そして、もっとも悪質なのは、こうしたことをそれなりに知りながら、切り捨て、排除して、時には政治やカネの力で暴力的に押さえつけて、知らん顔してもっともらしくあれこれを語って何ら恥じることのない人々の存在です。
11日の発災の深夜からテレビを見続けた私は、枝野官房長官による官邸の定例会見を最大限ライブで見続けました。また、東京電力の会見、原子力安全・保安院の会見も同様でした。
残念ながら、私にとって、こうした会見に登場する人々が誠実にものを語っているとはとても思えませんでした。
そしてその場にいることを許されているメディアの人々の「質問」も、唖然とさせられるものがほとんどで、もしそう言うことが許されるなら、馴れ合いとしか感じられない弛緩したものばかりでした。
官邸が「会見記録」として公開しているものには「質疑」が完全には収録されていないようなので、いまそれらすべてを再現するのは不可能ですが、私のところにさえ、官房長官の会見などのいい加減さに怒りで電話をしてきた人もいましたので、多分同じ思いで見たり聞いたりした人は多かったのだろうと思います。
ちなみに発災から一週間ごろだったと思いますが、枝野官房長官が十分な睡眠、休息もとれず一生懸命働いていると慰労する記事が大手を振って新聞に掲載された時は政治記者の退廃もここまできたかと言葉を失ったものです。
もっとも、これだけの「ヨイショ記事」を書いたのですから、官房長官の懐に飛び込んで、それこそ「未曾有の」スクープをしてくれるのだろうと期待したくもなります。
率直に言って、何を考えているのだ!と、見てはならない記事を目にした思いがしたものです。
ことほど左様に、持ちつ持たれつのメディア状況が見えてきてしまうのですが、それにしても政治、政権の空虚さ、驚くまでのガバナンスの欠如はどう言えばいいのか、ことばを失います。
「未曾有」の災害と「想定外」の原発事故に脳震盪でも起こしたというべきか、すべては自己保身と政権の延命、既得権益を守ることに汲々とするばかりで、あとはメディア向けのパフォーマンスばかりという政権の寒貧たる現状に、本当に、もはや世も末という思いを強くします。
発災当初から官房長官会見のたびに、何をどうするのか、災害に対する政策や人々の魂に届くビジョンが具体的かつ力強く語られるのを今か今かと待ったのですが、それは一切なく、語られるのは、なんとか参与や補佐官がどうしたこうしたという人事の話となんとか本部とかあれこれの会議を作るという内輪の話ばかりで、いまここで復旧、そして復興に向けて何とどう取り組むのかという、被災者が一番求めている問題については、何も示し得ないという醜態をさらし続けたのでした。
政権が脳震盪でも起こしたというべきかというのは、このことです。
これが政権交代という、歴史的な「できごと」の結末かと思うと、私たちは一体何をしてきたのだろうかと、本当に深刻に考え込みます。
すべては私たちの間違いだったのかと・・・。
政権であれ何であれ、私たちの水準をこえたものを持つことはできないのだという冷厳な現実に立ち尽くす思いですが、しかしなお、この局面では責められるべきは為政者たちであり、政権担当者たちであるというべきです。
実に情けないことです。
さて、まるで繰り言のようにこんなことを書いていても仕方のないことですし、呪詛のごとくことばを連ねるのは本意ではありませんので、ひとまずここで止めるとして、原発問題です。
災害について、想像力が不可欠だということを前提にして、しかし論理的に考えて、おかしいことにはおかしいと声を上げるべきメディアの記者たちが、会見の席でもなんら本質に切り込む問いを発しない姿に苛立ちを深くせざるをえません。
その意味でも今回の問題は深刻ですが、今回の震災は、地震、津波による言語に絶する広域、甚大な被害に加え、人災としての原発問題が重苦しくのしかかるものとなっています。
このままでは福島原発のある地域の人々の暮らし、農業、漁業をはじめとする「たつき」、つまり産業、経済の壊滅的打撃による地域社会の崩壊にとどまらず、さらに広い地域での被曝の恐れと影響の拡大による、長期にわたる災禍として、日本社会を根底的に揺さぶるところに立ち至ったということを、どんなに、重苦しくとも直視しなければならないと思います。
これは結果論として言うのではなく、本来「原発問題」が起きた段階でわかっていたはずのことであり、そうしたとらえ方をしていたなら、問題をごまかしたり、小出しにしたりしながら「事態」を繕うばかりの「対策」に追われるのではなく、もっと違う展開があり得たはずだという思いを強くします。
原子力の専門家でもなく、仕事の中で、原発事故やデータのねつ造などにかかわるいくつかの問題を取り上げる機会にぶつかり、わずかばかりの「にわか勉強」をしたり、あるいは青森県の六ヶ所村にある日本原燃の「再処理工場」などの現場を「参観」したりしたという程度の知識でも、地震、津波発生当初から原発問題は深刻だと直感したぐらいですから、専門家がわからなかったはずはないと、確信をもって言えます。
ここでも、想像力の問題も含め、むしろ素人の感覚の方が正しく、為政者、専門家、メディアはきわめて厳しく問われているというべきです。
それは一にかかって、真実を余すところなく明らかにして、あらゆる知恵と力を結集して考えうる最悪の事態に備えるという、災害に際しての単純かつもっとも基本にあるべき原則を、自己の保身や利益、権益の維持ばかりに目を向けて捨ててきた、そのツケがいまの事態を招いていると言うべきです。
問題が明るみに出た初期の会見で、枝野官房長官がやたら「ベント」「ベント」を連発しながら圧力容器なのか格納容器なのか判然としないのですが、ひたすら内部の圧力を下げるということを説明しました。私は、「ベント」が意味するものは放射性物質を含む蒸気を「外」に出すことだということをなぜ記者たちはもっと厳しく問わないのかと不思議に思いました。それしか手段がないのなら、それがどれほどの危険性を伴うものなのかをはっきりさせておかなければならず、加えて、それしか手段がないということは、原子炉で一体どういうことが起きていて、それは将来的にどういう問題に「発展」していくのか、つまりどれほどの深刻な問題を引き起こすことが考えられるのかを明確にして、その上で、もう一度「ベント」問題に立ち戻って、本当にそれが最善の選択なのかを徹底的に問うということが必要なのだと、枝野長官の会見をライブで見ながら思ったものです。
どう考えてもこの会見で枝野長官は「ごまかしている」と思いました。
これは専門知識がなくてもちょっと論理的に考えれば素人にもわかることでした。
多分、そう感じたのは、私だけではなかったと思います。
また自衛隊のヘリコプターによる空中からの「注水」についても、正確にいえば「散水」というぐらいのものに「注水」などというでたらめな表現を使い、まるでテレビ向けのショーのようにして見せることにいかほどの効果と意味があるのか、会見場の記者たちは疑うこともなかったのでしょうか。それ以上に、空中300フィート(90メートル)からの「放水」による効果とリスクについて考えることもなかったのでしょうか。
あるいは70年代の過激派制圧用の警視庁の放水銃を備えた警備車両で放水するなどという、これまた政権のパフォーマンス以外のなにものでもないことをしていたずらに時間を浪費するとともに「放水」に当たる警察官を被曝の危険にさらすという愚を疑うこともなかったのでしょうか。
なぜこうしたもっとも初期の段階の会見に立ち戻って取り上げるのかといえば、この段階ですでに直感的にですが、これは深刻な問題が起きていると考えたからです。つまり、これはただ事ではなく、会見で説明しているような生易しい問題ではないはずだ、これは大変なことになるぞ!と思ったからです。
今回の原発問題を考える際は、初期の立ち上がりに問題のすべてが集約されていることを見据えておかなければならず、東電の経営陣と経済産業省、原子力安全・保安院などの行政当局、そしてなによりも政権、為政者たちが、具体的な状況や事態の深刻さを恣意的に歪め、覆い隠そうとし、なんとか綻びをつくろってうまくすり抜けようとする「思惑」が働いていることを感じたこととそれが問題をさらに深刻にしていったというべきだからです。
そして、メディアに登場した多くの専門家、研究者も等しくその責を負うべきだと思います。ことばはきついかもしれませんが、数少ない例外を除いて、メディアに登場するほとんどの専門家は「御用学者」という称号こそふさわしいというべき人々でした。
こうした人たちが、当初、今回の「事象」はと表現し、あるいは安全、問題ない・・・などと繰り返すのを聴きながら、本当にそう思うのならば率先して原発建屋の現場に立って見せてみるべきだと思ったものでした。
原発事故に際して、あるいは原発の「安全」を担保するものとして、「止める」「冷やす」「閉じ込める」という三要素があることはすでに広く知られるようになりました。
当初、緊急炉心停止系装置が働いて、この「止める」という機能が働いたことを高く、まさに高く評価して、しかしこれほどの津波は考えられなかったのだ・・・と語る原子力の専門家を、メディアでどれほど目にしたことでしょうか。本来語るべきは、起きている「問題」の深刻さであるべきにもかかわらずです。
さすがに今はそんな表現は姿を消しましたが、発災から一週間ほどの間、今回の「事象」は・・・などという空疎なことばで「解説」する専門家に唖然としたものです。誰もが釈然としないこんなごまかしのことばを平然と使う専門家、研究者に、人間としての本質的な疑いを抱いたものです。あまつさえ、「まだ誰一人死んだわけでもないのだから、むやみに恐れることはない・・・」などということを堂々とテレビで言い放った原子力専門家もいました。
「言い放った」というのは私のもの言いです。そのときスタジオのキャスターは、ふんふんとうなずいていたものです。驚いたことにこの専門家はその翌日もちゃんとそのテレビ番組に出演したのでしたが、私は言うべきことばを失いました。
いま振り返って、「後証文」でエラそうなことを言っているのではありません。
私の手元のメモ帳には放送や記事を見たり読んだりしながら書き取った、こうした「問題」が、ここに書ききれないほど記されてあります。
それこそ、こんな「事象」は、実に深刻です!
また、諸外国のメディアが伝える原発問題と、官邸が発表し、東電が語り、そして安全・保安院なるものが説明する問題のとらえ方との間には本当に天と地ほどの隔たりがあることも忘れてはならないでしょう。
活字についてはすでにいくつか伝えられていますのでおくとして、外国のテレビニュースの、笑えない「笑い話」を一つ挙げます。
今回の震災では諸外国から緊急援助、支援でさまざまな物資が届いているのですが、オーストラリア軍と米軍が連携してオーストラリアから物資を運んでいる様子がABC(オーストラリアのABC)のニュースで伝えられました。
輸送機が着いた先は横田の米軍基地でしたが、地上で荷物を下ろす米軍兵士たちが全員防護服姿である映像を見ながら、本当に「笑わざる」をえませんでした。米国との同盟をなによりも大事にする日本国の民の一人?としては、少なくとも日本政府の官房長官の発表より米軍の対策の方に真実味を感じたことは確かでした。
これもまた事の賛否はさておくとして、あれだけ日米安保同盟基軸を言ってきた菅政権が、米軍が当初から無人偵察機グローバルホークを原発施設上空に飛ばして映像を撮って日本政府に提供し、問題の深刻さを告げて的確な対処を促がしていたにもかかわらず、米国一辺倒の政権の人々がなぜそれに従わなかったのか、その情報を明らかにしなかったのか、さらには地震発生直後から米国の専門家の調査ティームが日本に駆けつけ詳細な調査を行って「問題はすぐには片づかない」として事態の深刻さと長期化について予測、指摘していたことを政権はなぜ「隠した」のか、不可思議なことばかりです。
しかし、産-官-学そして政治が形づくる原子力をめぐる既得権益の「深い闇の構図」を考えれば、むべなるかなと言うべきものでした。
すべてはこうした構図のなかで動いていることを、いま私たちは真剣に見つめ直さなければならないと考えます。
今回の問題が起きて、私は、偶然、本棚で陽に焼けて黄ばんでしまっていた雑誌(1981年4月号)に載っている菅直人氏と藤本敏夫氏の対談「日常性の変革からの出発」という記事を見つけました。
いうまでもなく藤本氏はすでに故人です。菅首相にも著作はいろいろあるのでしょうが、寡聞にして私は一冊も知らず、手にしたこともないのですが、この雑誌を手にして、実に複雑な感慨を抱きながら対談での菅直人氏の発言を読みました。
「それで、多少政治的な話になりますけども、既存の政党が社会の新しい変化というものを一番感じていないですね。マスコミや学者、また主婦なんかのほうがかなり感じているにもかかわらず、政治社会というのが一番、『第三の波』に対する感度が鈍いですね。・・・」と衆議院議員の菅直人氏は発言しています。
マスコミ、学者がそのとおりなのか、はなはだ疑わしいのですが、少なくとも「政治社会」が世の変化と求めるものに対して感度を失い、「鈍い」ということだけは、今回の震災に対する政権の「対応」を見ても、まことに正しいと言うべきでしょう。
書き出せばきりがないほど問題、論点がありますが、福島原発の状況については、結局のところ、原子力安全委員会の班目春樹委員長のきのう(28日)の会見での発言がすべてを言い尽くしていると言うべきです。
「正直、大変な驚き。憂慮している。(土壌や海水の汚染を引き起こす可能性もあるというが)どのような形で処理できるか知識を持ち合わせていない。原子力安全・保安院で指導していただきたい」
これが原子力委員会と称する日本の原子力問題に責任を持つべき機構の最高責任者のことばです。
これを目にして唖然としない人間はいないでしょう。そして事の重大さ、深刻さをあらためて知ることになりました。
政権が毎日のように参与だとか補佐官だとかあるいは副長官だとかの人事を乱発して、権力欲や大臣病にとりつかれた人々を「身内」にいくら取り込んでも、会議や対策本部を次から次にと作ってみたとて、果たさなければならない責任や被災者から求められるものとはますます乖離していくことに気づかない為政者たちに、一切の幻想を捨てることから、私たちの「復旧」「復興」への営みを始めなければならないと、残念ながらですが、痛切に思います。
それにしても、前述の米国のいち早い取り組みにとどまらず、原発問題では、メディアが語ろうとしない、あるいは私たちが知っておかなければならないことが山のようにあります。
長くなりますのでこの稿をここまでにしますが、最後にひとつだけあげれば、このところメディアでは原発の現場の過酷な条件の中で奮闘する東電社員たちという『物語』がまるで美談仕立てのように語られ、書かれるのですが、これまでもそして現在も、危険な「汚れ仕事」はすべて、下請けのまた下請けのそのまた下請けの・・・といった「下請け作業員」に押し付けられているのだという厳然たる事実について、私たちはしっかりと知っておかなければならないと思います。
記者たちに堀江邦夫氏の「原発ジプシー」は読んだことがあるかと聞くのも無駄かもしれませんが、幾ばくかでもジャーナリストとしての魂があるなら、「睡眠不足の官房長官」をヨイショしたり東電社員を美談仕立てにしたりするヒマがあれば、原発問題についてもう少しだけ真摯に勉強してみるべきだと思います。
あるいは、勉強する気持ちもなくその必要も感じないのであれば、せめて東京で記者会見に出てあれこれしゃべっている東電の幹部や経営首脳陣に、原子力安全・保安院のエリートたちそして官邸の主や官房長官、さらに、なんとか参与たちやあれこれの大臣たちに、福島の原発現場に行って、被曝の恐怖のなかに身を置いて考え、語ってみろというぐらいのことは言ってみるべきだろうと思います。
北東アジアの動態そしてメディアのあり方を見つめるということを柱にしてこのコラムを綴ってきたのですが、この間ほぼ2か月にわたって筆を止めていました。その理由、意味について今ここで書いている「ゆとり」がないので置きます。
なによりもまず、今回の震災の犠牲者を悼むとともに、被災された方々にこころからのお見舞いを申し上げます。
ただし、阪神大震災の現場で災害報道に携わった経験(当時の住まいは大阪だったので揺れや直接の被害は神戸などの現場には比べるべくもありませんでしたが、発災から震災報道の立ち上げ、現場からの中継放送体制の構築、さらには震災関連番組の企画、取材、制作などにかかわった現場体験という意味です)と、津波についていえば、被害の規模は今回とは比較にならないものだとしても、日本海中部地震が起きた当日から秋田県男鹿半島の海岸の現場で中継に当たった経験などから、こういうお見舞いの「ことば」あるいは震災被害や被災者のみなさんについて語る言説の無力さを痛切に知るだけに、一月半ばから震災までの期間を別として、少なくとも震災の発災からのこの間、何かを述べる、書くということをためらわせるものがありました。
災害報道という限られた体験とはいえ、今回もまた、震災による被害、そこから派生する問題すべてが、本当に他人事とは思えず、痛恨、痛切な思いそして怒りが渦巻き、それらが私自身をも苛む日々となっています。
しかし、震災への対処、対策にとどまらず、東京電力福島原子力発電所「問題」にかかわる政府、政権のガバナンスの無残なまでの喪失、それらに対するメディアのあり方について、ことばにならないほどの惨憺たる状況とあまりの深刻さに、まさに「蟷螂の斧」の類であっても記しておかなければならないと思って、己を奮い立たせながら、筆を執ることにしました。
まず、冒頭にあえてカギッカッコつきで「未曾有の災害」と書きました。
各メディアでも伝えられているように、まさしく「千年に一度」の大地震、大津波だったことは否定するべくもないのでしょうが、私は、発災当初からの政府、とりわけ官邸の対処、対応や各メディアの報道でこの「未曾有の」あるいは「想定をこえる」という「ことば」がいとも安易に使われるのを目の当たりにして、強い「違和感」を、もっと率直にいえば怒りを抱き続けてきました。
阪神大震災の経験などを持ち出すのは、災害の規模も形態も異なることだから的外れなことだと思われるかもしれませんが、私は、災害とはいつも「未曾有」のことであり「想定外」だから災害になるのであって、そうでなければ災害にはならないという、きわめて逆説的な教訓を、災害現場での体験から痛いほど学んできました。
とりわけ「想定外」という「ことば」は決して見逃せない、重要な問題を孕んでいると思います。
このことに対する無知、無自覚は断じて許されないことであり、さらに言えば、わかっていながら知らん顔をして「想定外」と繰り返すのは決して許されないことであり、大きなごまかしに通じる、最早「犯罪」に等しいとすら考えるのです。
なぜかと言うと政治や行政の責任者、企業の責任者が「想定外」と繰り返す時は、まずもって「だから責任はないのだ」という論理がその背後に準備されていることを、何度かの災害報道の体験から知ることになったからです。
さらに、これはメディアで仕事をしてきた私たち自身のあり方をも厳しく問いかける問題としてとらえなければならないと考えたものです。災害について伝える立場の「私たち」もまた、深い吟味と検証なしに「想定外」といった表現で語ってはならないという自戒として、いまも胸の内に深く残っています。
「想定外」の大地震、大津波だった、だから未曾有の大災害になったのであり「責任はない」という論理が、とりわけ為政者を、行政担当者を、そして今回は東電や原子力産業関係者、さらにはメディアに登場する専門家や識者までも含む数限りない人々を「自己正当化の論理」として蝕んでいることが見えています。
「災害は忘れたころにやってくる」という警句はいうまでもなく寺田寅彦のことばです。災害報道に携わる際、いつもこの警句を思い出しながら、反芻しながら仕事にあたったものです。
災害を目の当たりにしながら現場に立って反芻するとこの短いことばがいかに深いものであるのか、私たちに問いかけてくるものがどれほど重いものかがわかるのでした。
そして、「災害はいつも異なる貌でやってくる」ということばも災害報道の現場で先達から教えられたことでした。
つまり、そうした体験から、私は、災害というものに向き合う際も、想像力というものがいかに大事なことであるのかを痛感することになりました。
こうしてことばにして書いてしまうといかにも通俗的な手垢にまみれた「想像力」という文字に閉じ込められてしまうのでいたたまれないのですが、本当に重い意味を持って私自身に迫ってくるものでした。
災害という問題に向き合うには想像力が問われるのです。
その欠如や、無視こそが災害を引き起こすのだということを体験から痛恨の思いと共に学んできました。
すでに伝えられていることですが、千年に一度の災害とはいえ、決して人知をこえたものではなく、すでに「貞観地震」(869年宮城県沖)の解析をもとに大津波への備えを呼びかけていた専門家がいたこと、それをこれまた専門家や為政者、企業経営者たちがことごとく無視してきたということ、この事実を私たちは決して忘れてはならないと思います。
地震などの自然災害が起きることを避けることは不可能にしても、最悪の事態を「想像する」営みを無視したり排除したりせず謙虚であり続けるなら、もっと、もっと犠牲や被害を小さくすることができたのだということに、何度もぶつかりながら、それを繰り返してしまう現在の日本の政治、社会の「構造」に、私たちはもっと怒りと自戒を持たなければならないのではないかと、痛切に思います。
そして寺田寅彦はまた「人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。・・・むしろ今のほうがだいぶ退歩している。そうして昔と同等以上の愚を繰り返しているのである。」とも、あるいは災害への備えができていない事を指して、「天災が極めてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の転覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。」とも述べています。
これを私は災害への想像力の問題だととらえるのです。
原子力発電の問題もそうです。
かつて四国、松山に勤務していた時、地域で原発の建設に反対の声を上げた人物に出会ったのでしたが、彼が「原発の問題は常識的には技術の問題だと考えられているかもしれないが、想像力の問題なのだ。専門家や技術者は安全だと強調するが、私には、その原発が、専門家からは『ありえない』とされる事故を起こす『情景』が目に浮かぶのだ。そういう想像力が必要なのであって技術の問題に解消してはならないのだ。」と語ったことがありました。
その時、私は、ハッとさせられたものです。
言うまでもなく彼が原発について技術的な面で勉強していないわけはなく、実に詳細にわたる勉強、研究を重ねていることは承知していたのですが、最後に行きつくところは、問題は起きない、あるいはその可能性はほとんどない、といった技術論や数学的な確率論ではなく、想像力の問題だと言い切るその姿に、こうした現代のテクノロジーと向き合う際のあり方というものを学んだ思いがしたものです。
専門家から言わせれば、素人の「たわごと」として切り捨てられる類の文学的表現かもしれませんが、問題は必ず起こる、事故や災害は必ず起きるものだという想像力を持つことで、はじめて、事故や災害は防げるのだという、厳粛にして逆説的な真理に謙虚になれるかどうか、まさにここがすべての出発点だということです。
そして、もっとも悪質なのは、こうしたことをそれなりに知りながら、切り捨て、排除して、時には政治やカネの力で暴力的に押さえつけて、知らん顔してもっともらしくあれこれを語って何ら恥じることのない人々の存在です。
11日の発災の深夜からテレビを見続けた私は、枝野官房長官による官邸の定例会見を最大限ライブで見続けました。また、東京電力の会見、原子力安全・保安院の会見も同様でした。
残念ながら、私にとって、こうした会見に登場する人々が誠実にものを語っているとはとても思えませんでした。
そしてその場にいることを許されているメディアの人々の「質問」も、唖然とさせられるものがほとんどで、もしそう言うことが許されるなら、馴れ合いとしか感じられない弛緩したものばかりでした。
官邸が「会見記録」として公開しているものには「質疑」が完全には収録されていないようなので、いまそれらすべてを再現するのは不可能ですが、私のところにさえ、官房長官の会見などのいい加減さに怒りで電話をしてきた人もいましたので、多分同じ思いで見たり聞いたりした人は多かったのだろうと思います。
ちなみに発災から一週間ごろだったと思いますが、枝野官房長官が十分な睡眠、休息もとれず一生懸命働いていると慰労する記事が大手を振って新聞に掲載された時は政治記者の退廃もここまできたかと言葉を失ったものです。
もっとも、これだけの「ヨイショ記事」を書いたのですから、官房長官の懐に飛び込んで、それこそ「未曾有の」スクープをしてくれるのだろうと期待したくもなります。
率直に言って、何を考えているのだ!と、見てはならない記事を目にした思いがしたものです。
ことほど左様に、持ちつ持たれつのメディア状況が見えてきてしまうのですが、それにしても政治、政権の空虚さ、驚くまでのガバナンスの欠如はどう言えばいいのか、ことばを失います。
「未曾有」の災害と「想定外」の原発事故に脳震盪でも起こしたというべきか、すべては自己保身と政権の延命、既得権益を守ることに汲々とするばかりで、あとはメディア向けのパフォーマンスばかりという政権の寒貧たる現状に、本当に、もはや世も末という思いを強くします。
発災当初から官房長官会見のたびに、何をどうするのか、災害に対する政策や人々の魂に届くビジョンが具体的かつ力強く語られるのを今か今かと待ったのですが、それは一切なく、語られるのは、なんとか参与や補佐官がどうしたこうしたという人事の話となんとか本部とかあれこれの会議を作るという内輪の話ばかりで、いまここで復旧、そして復興に向けて何とどう取り組むのかという、被災者が一番求めている問題については、何も示し得ないという醜態をさらし続けたのでした。
政権が脳震盪でも起こしたというべきかというのは、このことです。
これが政権交代という、歴史的な「できごと」の結末かと思うと、私たちは一体何をしてきたのだろうかと、本当に深刻に考え込みます。
すべては私たちの間違いだったのかと・・・。
政権であれ何であれ、私たちの水準をこえたものを持つことはできないのだという冷厳な現実に立ち尽くす思いですが、しかしなお、この局面では責められるべきは為政者たちであり、政権担当者たちであるというべきです。
実に情けないことです。
さて、まるで繰り言のようにこんなことを書いていても仕方のないことですし、呪詛のごとくことばを連ねるのは本意ではありませんので、ひとまずここで止めるとして、原発問題です。
災害について、想像力が不可欠だということを前提にして、しかし論理的に考えて、おかしいことにはおかしいと声を上げるべきメディアの記者たちが、会見の席でもなんら本質に切り込む問いを発しない姿に苛立ちを深くせざるをえません。
その意味でも今回の問題は深刻ですが、今回の震災は、地震、津波による言語に絶する広域、甚大な被害に加え、人災としての原発問題が重苦しくのしかかるものとなっています。
このままでは福島原発のある地域の人々の暮らし、農業、漁業をはじめとする「たつき」、つまり産業、経済の壊滅的打撃による地域社会の崩壊にとどまらず、さらに広い地域での被曝の恐れと影響の拡大による、長期にわたる災禍として、日本社会を根底的に揺さぶるところに立ち至ったということを、どんなに、重苦しくとも直視しなければならないと思います。
これは結果論として言うのではなく、本来「原発問題」が起きた段階でわかっていたはずのことであり、そうしたとらえ方をしていたなら、問題をごまかしたり、小出しにしたりしながら「事態」を繕うばかりの「対策」に追われるのではなく、もっと違う展開があり得たはずだという思いを強くします。
原子力の専門家でもなく、仕事の中で、原発事故やデータのねつ造などにかかわるいくつかの問題を取り上げる機会にぶつかり、わずかばかりの「にわか勉強」をしたり、あるいは青森県の六ヶ所村にある日本原燃の「再処理工場」などの現場を「参観」したりしたという程度の知識でも、地震、津波発生当初から原発問題は深刻だと直感したぐらいですから、専門家がわからなかったはずはないと、確信をもって言えます。
ここでも、想像力の問題も含め、むしろ素人の感覚の方が正しく、為政者、専門家、メディアはきわめて厳しく問われているというべきです。
それは一にかかって、真実を余すところなく明らかにして、あらゆる知恵と力を結集して考えうる最悪の事態に備えるという、災害に際しての単純かつもっとも基本にあるべき原則を、自己の保身や利益、権益の維持ばかりに目を向けて捨ててきた、そのツケがいまの事態を招いていると言うべきです。
問題が明るみに出た初期の会見で、枝野官房長官がやたら「ベント」「ベント」を連発しながら圧力容器なのか格納容器なのか判然としないのですが、ひたすら内部の圧力を下げるということを説明しました。私は、「ベント」が意味するものは放射性物質を含む蒸気を「外」に出すことだということをなぜ記者たちはもっと厳しく問わないのかと不思議に思いました。それしか手段がないのなら、それがどれほどの危険性を伴うものなのかをはっきりさせておかなければならず、加えて、それしか手段がないということは、原子炉で一体どういうことが起きていて、それは将来的にどういう問題に「発展」していくのか、つまりどれほどの深刻な問題を引き起こすことが考えられるのかを明確にして、その上で、もう一度「ベント」問題に立ち戻って、本当にそれが最善の選択なのかを徹底的に問うということが必要なのだと、枝野長官の会見をライブで見ながら思ったものです。
どう考えてもこの会見で枝野長官は「ごまかしている」と思いました。
これは専門知識がなくてもちょっと論理的に考えれば素人にもわかることでした。
多分、そう感じたのは、私だけではなかったと思います。
また自衛隊のヘリコプターによる空中からの「注水」についても、正確にいえば「散水」というぐらいのものに「注水」などというでたらめな表現を使い、まるでテレビ向けのショーのようにして見せることにいかほどの効果と意味があるのか、会見場の記者たちは疑うこともなかったのでしょうか。それ以上に、空中300フィート(90メートル)からの「放水」による効果とリスクについて考えることもなかったのでしょうか。
あるいは70年代の過激派制圧用の警視庁の放水銃を備えた警備車両で放水するなどという、これまた政権のパフォーマンス以外のなにものでもないことをしていたずらに時間を浪費するとともに「放水」に当たる警察官を被曝の危険にさらすという愚を疑うこともなかったのでしょうか。
なぜこうしたもっとも初期の段階の会見に立ち戻って取り上げるのかといえば、この段階ですでに直感的にですが、これは深刻な問題が起きていると考えたからです。つまり、これはただ事ではなく、会見で説明しているような生易しい問題ではないはずだ、これは大変なことになるぞ!と思ったからです。
今回の原発問題を考える際は、初期の立ち上がりに問題のすべてが集約されていることを見据えておかなければならず、東電の経営陣と経済産業省、原子力安全・保安院などの行政当局、そしてなによりも政権、為政者たちが、具体的な状況や事態の深刻さを恣意的に歪め、覆い隠そうとし、なんとか綻びをつくろってうまくすり抜けようとする「思惑」が働いていることを感じたこととそれが問題をさらに深刻にしていったというべきだからです。
そして、メディアに登場した多くの専門家、研究者も等しくその責を負うべきだと思います。ことばはきついかもしれませんが、数少ない例外を除いて、メディアに登場するほとんどの専門家は「御用学者」という称号こそふさわしいというべき人々でした。
こうした人たちが、当初、今回の「事象」はと表現し、あるいは安全、問題ない・・・などと繰り返すのを聴きながら、本当にそう思うのならば率先して原発建屋の現場に立って見せてみるべきだと思ったものでした。
原発事故に際して、あるいは原発の「安全」を担保するものとして、「止める」「冷やす」「閉じ込める」という三要素があることはすでに広く知られるようになりました。
当初、緊急炉心停止系装置が働いて、この「止める」という機能が働いたことを高く、まさに高く評価して、しかしこれほどの津波は考えられなかったのだ・・・と語る原子力の専門家を、メディアでどれほど目にしたことでしょうか。本来語るべきは、起きている「問題」の深刻さであるべきにもかかわらずです。
さすがに今はそんな表現は姿を消しましたが、発災から一週間ほどの間、今回の「事象」は・・・などという空疎なことばで「解説」する専門家に唖然としたものです。誰もが釈然としないこんなごまかしのことばを平然と使う専門家、研究者に、人間としての本質的な疑いを抱いたものです。あまつさえ、「まだ誰一人死んだわけでもないのだから、むやみに恐れることはない・・・」などということを堂々とテレビで言い放った原子力専門家もいました。
「言い放った」というのは私のもの言いです。そのときスタジオのキャスターは、ふんふんとうなずいていたものです。驚いたことにこの専門家はその翌日もちゃんとそのテレビ番組に出演したのでしたが、私は言うべきことばを失いました。
いま振り返って、「後証文」でエラそうなことを言っているのではありません。
私の手元のメモ帳には放送や記事を見たり読んだりしながら書き取った、こうした「問題」が、ここに書ききれないほど記されてあります。
それこそ、こんな「事象」は、実に深刻です!
また、諸外国のメディアが伝える原発問題と、官邸が発表し、東電が語り、そして安全・保安院なるものが説明する問題のとらえ方との間には本当に天と地ほどの隔たりがあることも忘れてはならないでしょう。
活字についてはすでにいくつか伝えられていますのでおくとして、外国のテレビニュースの、笑えない「笑い話」を一つ挙げます。
今回の震災では諸外国から緊急援助、支援でさまざまな物資が届いているのですが、オーストラリア軍と米軍が連携してオーストラリアから物資を運んでいる様子がABC(オーストラリアのABC)のニュースで伝えられました。
輸送機が着いた先は横田の米軍基地でしたが、地上で荷物を下ろす米軍兵士たちが全員防護服姿である映像を見ながら、本当に「笑わざる」をえませんでした。米国との同盟をなによりも大事にする日本国の民の一人?としては、少なくとも日本政府の官房長官の発表より米軍の対策の方に真実味を感じたことは確かでした。
これもまた事の賛否はさておくとして、あれだけ日米安保同盟基軸を言ってきた菅政権が、米軍が当初から無人偵察機グローバルホークを原発施設上空に飛ばして映像を撮って日本政府に提供し、問題の深刻さを告げて的確な対処を促がしていたにもかかわらず、米国一辺倒の政権の人々がなぜそれに従わなかったのか、その情報を明らかにしなかったのか、さらには地震発生直後から米国の専門家の調査ティームが日本に駆けつけ詳細な調査を行って「問題はすぐには片づかない」として事態の深刻さと長期化について予測、指摘していたことを政権はなぜ「隠した」のか、不可思議なことばかりです。
しかし、産-官-学そして政治が形づくる原子力をめぐる既得権益の「深い闇の構図」を考えれば、むべなるかなと言うべきものでした。
すべてはこうした構図のなかで動いていることを、いま私たちは真剣に見つめ直さなければならないと考えます。
今回の問題が起きて、私は、偶然、本棚で陽に焼けて黄ばんでしまっていた雑誌(1981年4月号)に載っている菅直人氏と藤本敏夫氏の対談「日常性の変革からの出発」という記事を見つけました。
いうまでもなく藤本氏はすでに故人です。菅首相にも著作はいろいろあるのでしょうが、寡聞にして私は一冊も知らず、手にしたこともないのですが、この雑誌を手にして、実に複雑な感慨を抱きながら対談での菅直人氏の発言を読みました。
「それで、多少政治的な話になりますけども、既存の政党が社会の新しい変化というものを一番感じていないですね。マスコミや学者、また主婦なんかのほうがかなり感じているにもかかわらず、政治社会というのが一番、『第三の波』に対する感度が鈍いですね。・・・」と衆議院議員の菅直人氏は発言しています。
マスコミ、学者がそのとおりなのか、はなはだ疑わしいのですが、少なくとも「政治社会」が世の変化と求めるものに対して感度を失い、「鈍い」ということだけは、今回の震災に対する政権の「対応」を見ても、まことに正しいと言うべきでしょう。
書き出せばきりがないほど問題、論点がありますが、福島原発の状況については、結局のところ、原子力安全委員会の班目春樹委員長のきのう(28日)の会見での発言がすべてを言い尽くしていると言うべきです。
「正直、大変な驚き。憂慮している。(土壌や海水の汚染を引き起こす可能性もあるというが)どのような形で処理できるか知識を持ち合わせていない。原子力安全・保安院で指導していただきたい」
これが原子力委員会と称する日本の原子力問題に責任を持つべき機構の最高責任者のことばです。
これを目にして唖然としない人間はいないでしょう。そして事の重大さ、深刻さをあらためて知ることになりました。
政権が毎日のように参与だとか補佐官だとかあるいは副長官だとかの人事を乱発して、権力欲や大臣病にとりつかれた人々を「身内」にいくら取り込んでも、会議や対策本部を次から次にと作ってみたとて、果たさなければならない責任や被災者から求められるものとはますます乖離していくことに気づかない為政者たちに、一切の幻想を捨てることから、私たちの「復旧」「復興」への営みを始めなければならないと、残念ながらですが、痛切に思います。
それにしても、前述の米国のいち早い取り組みにとどまらず、原発問題では、メディアが語ろうとしない、あるいは私たちが知っておかなければならないことが山のようにあります。
長くなりますのでこの稿をここまでにしますが、最後にひとつだけあげれば、このところメディアでは原発の現場の過酷な条件の中で奮闘する東電社員たちという『物語』がまるで美談仕立てのように語られ、書かれるのですが、これまでもそして現在も、危険な「汚れ仕事」はすべて、下請けのまた下請けのそのまた下請けの・・・といった「下請け作業員」に押し付けられているのだという厳然たる事実について、私たちはしっかりと知っておかなければならないと思います。
記者たちに堀江邦夫氏の「原発ジプシー」は読んだことがあるかと聞くのも無駄かもしれませんが、幾ばくかでもジャーナリストとしての魂があるなら、「睡眠不足の官房長官」をヨイショしたり東電社員を美談仕立てにしたりするヒマがあれば、原発問題についてもう少しだけ真摯に勉強してみるべきだと思います。
あるいは、勉強する気持ちもなくその必要も感じないのであれば、せめて東京で記者会見に出てあれこれしゃべっている東電の幹部や経営首脳陣に、原子力安全・保安院のエリートたちそして官邸の主や官房長官、さらに、なんとか参与たちやあれこれの大臣たちに、福島の原発現場に行って、被曝の恐怖のなかに身を置いて考え、語ってみろというぐらいのことは言ってみるべきだろうと思います。
2011年01月10日
朝鮮半島、アメリカの「次の一手」は・・・
北朝鮮による「大延坪島砲撃」をどう解析するのか、とりわけそこでのアメリカの動向をどうとらえるのかというテーマを「差し掛け」のまま年を越してしまいました。
前のコラムを書いた後も研究会などでこの問題について討論、意見交換を重ねながら、年末ソウルに赴き、「砲撃問題」をめぐる韓国の「空気」に触れるとともに、ジャーナリストの大先達というべき人物や韓国メディアで仕事をしている知人(日本人)と会って話を聴いて戻りました。
今回の韓国行では、なによりも「現場」である大延坪島に行くべく試みたのですが、12月23日に軍事境界線のすぐ南の地帯で行われた韓国軍の「史上最大規模の砲撃演習」とぶつかったため、仁川からの一日一便の船が「統制で運行中止」ということになり、仁川の埠頭まで行きながら島に渡ることが出来ずに戻りました。
そこでアメリカの動きですが、年明けからアメリカのボズワース北朝鮮担当特別代表が韓国、中国、日本を歴訪しました。
日本のメディアの中には、ボズワース氏の今回の三カ国歴訪について、北朝鮮に対する米国の「次の一手」を模索するものだと伝えたものもありましたが、結局、三カ国を訪れる中で何が話され、何が論点だったのか、さらにはその「結論」はどういうことになったのかはまったく明らかにされていません。
各メディアも結局この点についてはぼんやりした推測記事を書くにとどまっているというべきです。要は、今回のボズワース氏の三カ国歴訪は何だったのかということがはっきりとは見えてこないというわけです。
一方、ワシントンではクローリー米国務次官補が定例記者会見で、北朝鮮が1日、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」などを通じて韓国に「関係修復と対話の再開」を呼び掛けたことについて「ある程度は期待できる」としながらも「発言ではなく実際の行動を見守る」として「慎重な姿勢」を示したと伝えられています。そして、クローリー国務次官補は、ボズワース北朝鮮担当特別代表の韓国、中国、日本歴訪の目的について、「現状分析と打開策を関係国と協議するため」だと語っています。
「打開策を協議するため」と言っているわけですから、その「打開策」について米国なりの腹案があったと考えられるのですが、メディアもこの点を突っ込んで解明しようとしたものが見当たらず、どうも不明確なままです。
ところで、ここで触れられている北朝鮮による年明けの「関係修復と対話の再開」の「呼びかけ」はすでに知られているように、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」、人民武力部機関紙「朝鮮人民軍」、金日成社会主義青年同盟機関紙「青年前衛」の3紙による「新年共同社説」で述べられたものです。
そこでは「南北間の対決を1日も早く解消するため韓国当局は反統一的な同族対決政策を撤回すべきで、南北共同宣言(2000年6月15日合意)、南北首脳宣言(2007年10月4日合意)を履行する道に進まなければならない」として「民族共同の利益を第一に、南北間に対話と協力の雰囲気を築くため積極的に努力する必要がある」と主張する内容となっていました。
そして、続いて5日には「朝鮮民主主義人民共和国政府・政党・団体連合声明」を発表し「実権と責任を持つ当局間の会談を無条件に早期開催することを主張する」として「対話と交渉、接触で緊張緩和と平和、和解と団結、協力事業を含め、民族の重大事に関するすべての問題を協議・解決していく」と主張しました。
さらに8日には北朝鮮の祖国平和統一委員会が報道官談話を発表して、重ねて、南北当局間会談の開催を公式に提案すると同時に、南北赤十字会談、金剛山観光再開に向けた会談、開城工業団地をめぐる会談を1月末または2月上旬に開城で開くことを提案しました。
まさに年明けから矢継ぎ早の「対話攻勢」というべきです。
8日の「提案」をもう少し詳細に見てみると「対話の門を開き、北南関係を改善するための善意の措置として、閉鎖された板門店北南赤十字通路を再び開き、開城工業地区の北南経済協力協議事務所の凍結を解除する」、「北朝鮮側板門店赤十字連絡代表らが近く事業を再開し、経済協力協議事務所にも北朝鮮側関係者を派遣し、常駐させる」と述べるとともに「北南関係を改善し、和合と団結を図り、対話と交渉で問題を解決していくためのわれわれの立場は確固不動のもの」であり「提案には条件がなく、その真意を疑う必要もない」と実に「熱心」に主張しています。
こうした主張以上に、私は、日本のメディアの報道では触れられていない「南朝鮮(韓国)の現政権発足後、一度も北南間の対話らしい対話ができなかったことは非常に遺憾で、慨嘆すべきことであり、われわれは現南朝鮮当局が任期5年を、北南対話を行わないまま無駄に過ごすことは望んでいない」というくだりに、これまでの北朝鮮の論調と少し違ったトーンを感じて注目しました。
これらの「対話攻勢」に対して韓国側は、統一部の当局者が9日、「90年代以降、対南誹謗の主役だった祖平統(祖国平和統一委員会)が、前向きな対南対話提案をしたことは初めてだ」としつつ「形式や内容を総合的にみて、誠意ある対話提案とはみなし難い」と厳しい姿勢を崩していません。
しかし一方では「北朝鮮が核問題と南北関係の発展に対し誠意ある態度をみせるならば、対話の扉は開かれている」ともしています。
ここでいう「誠意ある態度」とは何かというところが重要なのですが、非核化に関しては「言葉ではなく行動で示すこと」、南北関係に関しては「韓国哨戒艦『天安』撃沈や延坪島砲撃に対し韓国国民が納得できるレベルの責任ある措置を取ることが必要」だと強調しています。
一方、青瓦台(大統領府)の関係者は「祖平統は対話をする主体ではなく、扇動して宣伝をする機関。本当に対話をするのであれば、対話をする主体が南側のカウンターパートに通知し、提案しなければならない」と述べた(韓国・中央日報)ということで、北の政府レベルのしかるべきところから「正式提案」がなされれば検討することもありうるということをうかがわせる「含み」のあるコメントをしています。
つまり「韓国政府当局者らが対応に苦慮している」(東亜日報)という指摘にもあるように、今回の北からの矢継ぎ早の「対話」呼びかけによって韓国当局内に微妙な「揺れ」が生じていることが伝わって来るということです。
米韓両国の間で「6者協議の再開のためには、南北関係の進展が必要」ということで一致していると伝えられていることをいわば逆手に取って「先手を打ってきた北朝鮮の提案を無視し続けるわけにもいかない」(東亜日報)という状況が生まれているというわけです。
韓国メディアのなかには、
「対話には相手がある。手が触れてこそ音が鳴るように、片方の意思だけでは対話は成立しない。タイミングが合わなければならず、対話の目的と必要性にお互いが共感しなければならない。敵対的な関係では特にそうだ。不幸な対立状態を解消するために対話は必要だが、真正性が前提にならない対話は不信感を強めるだけだ。当然、慎重な姿勢が要求される。しかし慎重になり過ぎて対話の機会を逃してはならない。対話のためには慎重でありながらも開かれた姿勢が重要だ。」
として「慎重な姿勢も時機を逸するべきでない」(中央日報2011.1.10社説)と主張するものも見られます。
こうした「揺れ」がボズワース歴訪とどうかかわっているのか、あるいはまったくかかわっていないのか、重要なポイントだと思いますが、その点の解明はもう少し推移を見てみないとわからないと言わざるをえません。
しかし、私は、ここにきて米国内の「論調」が微妙に動いていることに注意を払う必要があるのではないかと考えています。
そこで、昨年夏以降の米国からの要人や専門家、元高官らの訪朝についてまとめてみると、
・8月25日 ジミー・カーター元大統領が、今年1月、中朝国境を越えて北朝鮮に入国して身柄を拘束されていたアイジャロン・マリ・ゴメス氏の身柄「解放」のために平壌訪問。
あくまでも「民間人」としての私的な訪問という立場を強調し、米国務省も「北朝鮮にいかなるメッセージも送る意図はない」としました。カーター訪朝をめぐっては、確認はされていませんが、これに先立つ8月9日から11日にかけて米国務省の特別チーム4人が秘密裏に平壌を訪問してゴメス氏の釈放を交渉したが失敗に終わったということが言われています。ここでいう秘密裏の「交渉」がどういうもので、何を意味するのかは依然明らかにはなっていません。
その後、9月以降、米国の専門家や元高官の訪朝が相次ぎました。
・9月18日 米国カリフォルニア大学教授・同大学国際紛争・協力研究所のスーザン・シャーク所長一行。
・9月23日 米国のビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事の上級補佐官、クン・アンソニー・ナムクン氏。
・11月2日 米国コリア経済研究所のジャック・プリチャード所長一行。
・11月9日 米国スタンフォード大学のジョン・ルイス教授、シグフリード・ヘッカー元ロスアラモス国立研究所長ら一行。
・11月15日 米国センチュリー財団のモートン・アブラモウィッツ上級研究員を団長とする米国の対朝鮮政策専門家代表団
・12月16日 米国のビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事一行。
このなかで、プリチャード氏はクリントン・ブッシュ両政権で朝鮮半島和平担当特使を務めた人物であることは言うまでもありません。米国務省のクローリー国務次官補は「プリチャード氏は訪朝のたびに感想や平壌で聞いた話を伝えてくる」と語っています。
プリチャード氏は米国に戻った後、北朝鮮が2012年の完工を目標に寧辺地域に100メガワット規模の実験用軽水炉の建設をすすめていることを明らかにし、今回の訪朝で「平安北道寧辺地域を訪れたところ、かつて冷却塔があった場所の近くにコンクリートを注いで鉄筋を組む初期段階の工事が進行中だった。北朝鮮側の現場責任者は2003年11月に建設工事が中断された朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の咸鏡南道琴湖地区にある軽水炉の10分の1規模に相当する100メガワット級の軽水炉だと説明した」と語りました。
また、シグフリード・ヘッカー元ロスアラモス国立研究所長らの一行が寧辺地域で「2000基(メディアによっては1000基余り)の遠心分離器が設置されたウラン濃縮施設を目撃した」と明かしたことが大きなニュースとなって世界をかけめぐりました。
さらにリチャードソン・ニューメキシコ州知事が訪朝後北京に到着してすぐ、北朝鮮側が国際原子力機関(IAEA)の査察官受け入れや燃料棒1万2000本の売却および国外輸送に向けた協議に応じることを明らかにしたとして「北朝鮮は真剣な対話の用意があると思われる姿勢を示した」と語ったことは記憶に新しいところです。
こうした米国からの専門家や元高官らの訪朝が頻繁におこなわれるなかで「大延坪島砲撃事件」が起きるのですが、カーター元大統領をはじめ訪朝から戻った専門家たちが米国メディアで注目すべき主張を重ねていたことは日本のメディアではほとんど伝えられていません。
その重要なポイントを少し整理してみます。
まずジミー・カーター元大統領の11月24日付ワシントン・ポストへの寄稿の要点からです。
・今年の7月1日、私は米国人アイジャロン・ゴメスの釈放を担保するためにピョンヤンを再び訪れるよう招待されたが、私のこの訪問では北朝鮮の最高位級の高官らとの実質的な話し合いを十分におこなう時間をとることが条件となった。彼らは1994年の枠組み合意と2005年9月に6者会談参加国が採択した規定に基づいて、朝鮮半島の非核化や戦争の終結を要望していることについて詳しく説明した。いかなる議論をも仲裁する権限のない私は、このメッセージを国務省とホワイトハウスに伝えた。
・中国の指導部はこの直接対話への支持を示した。
・北朝鮮の高官たちは同様のメッセージを最近訪れた米国人らにも伝え、ウラン精製のための先端設備への核専門家らのアクセスを許可した。同高官たちは私に、かなり遅いプロセスにあるウラン精製は1994年の合意に含まれていないが、この遠心分離機は米国との交渉のテーブルに載せることができると明らかにした。
・ピョンヤンは、米国との直接対話を行って、自国の核プログラムを終わらせる合意を完結し、すべてをIAEA査察下に置き、1953年の一時的な停戦協定に代わる平和条約を締結する用意があるという一貫したメッセージを送ってきている。
・私たちはこの提案に応えることを検討すべきである。
・残念な選択肢は、北朝鮮が最も脅威であると主張していること、すなわち政治体制転換のために米国がサポートする軍事攻撃から、北朝鮮が自国を守るために必要と考えるあらゆる行動を取ることである。
カーター元大統領はこれより前、9月15日にも「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿して8月の訪朝について詳細に語っていました。
そこでは、「私は最近の北朝鮮と中国への訪問で、ピョンヤンが米国と南朝鮮との包括的な平和条約締結と朝鮮半島非核化についての交渉を再開したいとの明瞭で強いメッセージを受けた。」とした後、1994年のいわゆる「枠組合意」の内容に詳細に触れて解説した上で「クリントン政権が到達した包括的合意はジョージ・W・ブッシュ大統領によって2002年に否認された。しかし、北朝鮮が燃料棒を再処理し2006年には核実験をしたにもかかわらず、米国、韓国、中国、日本、ロシアとの会談では好ましい進展が見られた。しかしそれ以来状況は悪化した。2009年に対話は止まり、同年に北朝鮮が2度目の核実験を行い、長距離ミサイルを発射した後、国連はピョンヤンに制裁を科した。北朝鮮も離散家族の再会を止めた。北朝鮮が今年の1月、自国内に進入した罪で告訴した米国人アイジャロン・ゴメス氏を拘留し、8月に南朝鮮の漁船乗組員らを拘留したことで、緊張はさらに高まった。しかし、いまピョンヤンからは、交渉を再開し非核化と平和への努力をうたった上述の(つまり「枠組合意」に盛られた:筆者注)基本条項を受け入れる熱いシグナルが示されている。」と述べています。
そしてこの寄稿を「朝鮮半島の和解はアジアの平和と安定にとってきわめて重要であり、それは長い間未解決のままになっている。北朝鮮からのこれらの肯定的なメッセージは、遅れることなく積極的に追求されなければならず、そのプロセスを注意深く十分に確認しながら一歩ずつ進めるべきである。」と結んでいます。
なお余談ですが、8月のカーター元大統領の訪朝時、金正日総書記が訪中したことで、多くのメディアが、北朝鮮側がカーター氏に「肩すかし」を加えた、あるいは「無視した」といった論調で伝えたのでしたが、7月に北朝鮮から訪朝の「招請」があってから米政府の訪朝許可が出たのが8月中旬になったことで、金正日総書記との会見が出来ないということを事前に北朝鮮側から知らされていたことも明らかにしています。(金正日総書記が訪中していたことは後で知ったとしています)
この寄稿記事を目にしながら、メディアの「深読み」がいかにあてにならないのかが見えてきて苦笑したものです。
カーター元大統領の寄稿と相前後して11月に発表された専門家たちの論稿からもう少し拾っておくことにします。
ジークフリード・ヘッカース、タンフォード大学国際安全保障協力センター(CISCS)所長とロバート・カーリン客員研究員による11月22日付「ワシントン・ポスト」への寄稿から。
・米国は、時間と周辺環境が北朝鮮を非核化要求に順応させるのを待ったが、北朝鮮は自らの計画を構築してきた。
・今必要なのは、北朝鮮との16年間の関係に関する徹底した再検討と、我々が彼らに対して最も良く解っている事実に対する分析、そして選択事項についての正直な評価である。
・北朝鮮に対し圧力を行使してくれると期待した中国が、むしろ関係強化に没頭しながら、時間が経つにつれ北朝鮮の核プログラム問題解決は益々難しくなっている。
・利害が重なる中国と北朝鮮が今後も政治、経済、軍事、安保分野で協力を強化する相当な証拠がある。
・対北朝鮮政策の新しい現実的な出発点は非常にシンプルである。それは、北朝鮮をあるがままの存在、すなわち自国の利益を有する主権国家として受け入れることだ。
さらに訪朝した専門家ではありませんが、ジョエル・ウィット元米国務省朝鮮担当官の外交専門誌「フォーリン・ポリシー」12月13日付寄稿論文からです。
・ピョンヤンを無視するオバマ大統領の政策は「立証済みの失敗」であり、今、米国は「違った戦略」を試みるときである。
・北朝鮮を扱った経験のある人は誰でも北朝鮮が圧力のみによって封じ込められることがないことを知っている。
・北朝鮮に圧力はかけるが対話は拒むというオバマ政権の「戦略的忍耐」政策は、「朝鮮半島の平和と安全保障の構築、北朝鮮核プログラムの除去、兵器技術拡散の阻止」というすべてにおいて欠陥がある。
・米国が政策を変えなければ自国とその同盟国の利益に対する脅威は数ヵ月の間にさらに高まるであろう。
・有能な北朝鮮指導者は誰も北京の意のままにならない。
・中国が朝鮮を服従させるであろうという間違った考えに基づいた米国の中国頼みの対北朝鮮政策は誤りである。
・米国が政策を変えないならそれは「愚かなこと」であり米国には国益をまもるための現実的な戦略が必要である。
また大延坪島への砲撃問題について、セリグ・S・ハリソン米国際政策センター・アジアプログラム・ディレクターは12月12日付「ニューヨーク・タイムズ」の「オピニオン」欄への寄稿で、
・最近の延坪(ヨンピョン)島での衝突のような南北間の衝突は「北方限界線(NLL)」という境界線がその原因であり、紛争解決のためにはこの境界線を「公平に、わずかに南の方へ引き直すべき」である。
・停戦協定の後、「南朝鮮が北に侵攻する可能性を制限する目的」で国連軍が「北朝鮮との合意なく軽率に引いた境界線」がNLLであり、これを引き直す権限は現在オバマ大統領にある。
・境界線の再設定は平和条約について米国、北朝鮮、中国が交渉する場を与えることにもなる。
・「停戦協定に代わるメカニズムの一つ」として、かつて北朝鮮側の軍スポークスマンが提案した「米・北・南の軍による共同安全保障委員会」が、非武装地帯での偶発的事故を防ぎ、朝鮮半島の軍縮と信頼構築を進めるという「三者による平和体制」案が有効である。
ざっとポイントだけを挙げておくと、このような分析、主張が重ねられています。
もちろん、これらの顔ぶれは米国における「親北朝鮮論者」だという批判があることも承知しています。
しかし、これらの分析や、主張、論考を子細に読み込んでみるとそこに見えてくるのは、米国の対北朝鮮政策が「手詰まり状態」にあるということです。
このような状況、局面にあるということを考えると、今回のボズワース氏の三カ国歴訪の狙いが何であるのかが、おぼろげながら見えてくるように思います。
早晩、米国は動かなければならなくなる!
この間の南北朝鮮の動きや米国内でのメディアから見える論調をふまえると、そう痛感します。
もちろん、北朝鮮との戦争という選択を決断するならば、話は別ですが・・・。
さて、アメリカの「次の一手」はどうなるのか。
年明けの北朝鮮の「対話攻勢」の行方とともに、朝鮮半島をめぐる動きから目が離せない状況が続きます。
前のコラムを書いた後も研究会などでこの問題について討論、意見交換を重ねながら、年末ソウルに赴き、「砲撃問題」をめぐる韓国の「空気」に触れるとともに、ジャーナリストの大先達というべき人物や韓国メディアで仕事をしている知人(日本人)と会って話を聴いて戻りました。
今回の韓国行では、なによりも「現場」である大延坪島に行くべく試みたのですが、12月23日に軍事境界線のすぐ南の地帯で行われた韓国軍の「史上最大規模の砲撃演習」とぶつかったため、仁川からの一日一便の船が「統制で運行中止」ということになり、仁川の埠頭まで行きながら島に渡ることが出来ずに戻りました。
そこでアメリカの動きですが、年明けからアメリカのボズワース北朝鮮担当特別代表が韓国、中国、日本を歴訪しました。
日本のメディアの中には、ボズワース氏の今回の三カ国歴訪について、北朝鮮に対する米国の「次の一手」を模索するものだと伝えたものもありましたが、結局、三カ国を訪れる中で何が話され、何が論点だったのか、さらにはその「結論」はどういうことになったのかはまったく明らかにされていません。
各メディアも結局この点についてはぼんやりした推測記事を書くにとどまっているというべきです。要は、今回のボズワース氏の三カ国歴訪は何だったのかということがはっきりとは見えてこないというわけです。
一方、ワシントンではクローリー米国務次官補が定例記者会見で、北朝鮮が1日、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」などを通じて韓国に「関係修復と対話の再開」を呼び掛けたことについて「ある程度は期待できる」としながらも「発言ではなく実際の行動を見守る」として「慎重な姿勢」を示したと伝えられています。そして、クローリー国務次官補は、ボズワース北朝鮮担当特別代表の韓国、中国、日本歴訪の目的について、「現状分析と打開策を関係国と協議するため」だと語っています。
「打開策を協議するため」と言っているわけですから、その「打開策」について米国なりの腹案があったと考えられるのですが、メディアもこの点を突っ込んで解明しようとしたものが見当たらず、どうも不明確なままです。
ところで、ここで触れられている北朝鮮による年明けの「関係修復と対話の再開」の「呼びかけ」はすでに知られているように、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」、人民武力部機関紙「朝鮮人民軍」、金日成社会主義青年同盟機関紙「青年前衛」の3紙による「新年共同社説」で述べられたものです。
そこでは「南北間の対決を1日も早く解消するため韓国当局は反統一的な同族対決政策を撤回すべきで、南北共同宣言(2000年6月15日合意)、南北首脳宣言(2007年10月4日合意)を履行する道に進まなければならない」として「民族共同の利益を第一に、南北間に対話と協力の雰囲気を築くため積極的に努力する必要がある」と主張する内容となっていました。
そして、続いて5日には「朝鮮民主主義人民共和国政府・政党・団体連合声明」を発表し「実権と責任を持つ当局間の会談を無条件に早期開催することを主張する」として「対話と交渉、接触で緊張緩和と平和、和解と団結、協力事業を含め、民族の重大事に関するすべての問題を協議・解決していく」と主張しました。
さらに8日には北朝鮮の祖国平和統一委員会が報道官談話を発表して、重ねて、南北当局間会談の開催を公式に提案すると同時に、南北赤十字会談、金剛山観光再開に向けた会談、開城工業団地をめぐる会談を1月末または2月上旬に開城で開くことを提案しました。
まさに年明けから矢継ぎ早の「対話攻勢」というべきです。
8日の「提案」をもう少し詳細に見てみると「対話の門を開き、北南関係を改善するための善意の措置として、閉鎖された板門店北南赤十字通路を再び開き、開城工業地区の北南経済協力協議事務所の凍結を解除する」、「北朝鮮側板門店赤十字連絡代表らが近く事業を再開し、経済協力協議事務所にも北朝鮮側関係者を派遣し、常駐させる」と述べるとともに「北南関係を改善し、和合と団結を図り、対話と交渉で問題を解決していくためのわれわれの立場は確固不動のもの」であり「提案には条件がなく、その真意を疑う必要もない」と実に「熱心」に主張しています。
こうした主張以上に、私は、日本のメディアの報道では触れられていない「南朝鮮(韓国)の現政権発足後、一度も北南間の対話らしい対話ができなかったことは非常に遺憾で、慨嘆すべきことであり、われわれは現南朝鮮当局が任期5年を、北南対話を行わないまま無駄に過ごすことは望んでいない」というくだりに、これまでの北朝鮮の論調と少し違ったトーンを感じて注目しました。
これらの「対話攻勢」に対して韓国側は、統一部の当局者が9日、「90年代以降、対南誹謗の主役だった祖平統(祖国平和統一委員会)が、前向きな対南対話提案をしたことは初めてだ」としつつ「形式や内容を総合的にみて、誠意ある対話提案とはみなし難い」と厳しい姿勢を崩していません。
しかし一方では「北朝鮮が核問題と南北関係の発展に対し誠意ある態度をみせるならば、対話の扉は開かれている」ともしています。
ここでいう「誠意ある態度」とは何かというところが重要なのですが、非核化に関しては「言葉ではなく行動で示すこと」、南北関係に関しては「韓国哨戒艦『天安』撃沈や延坪島砲撃に対し韓国国民が納得できるレベルの責任ある措置を取ることが必要」だと強調しています。
一方、青瓦台(大統領府)の関係者は「祖平統は対話をする主体ではなく、扇動して宣伝をする機関。本当に対話をするのであれば、対話をする主体が南側のカウンターパートに通知し、提案しなければならない」と述べた(韓国・中央日報)ということで、北の政府レベルのしかるべきところから「正式提案」がなされれば検討することもありうるということをうかがわせる「含み」のあるコメントをしています。
つまり「韓国政府当局者らが対応に苦慮している」(東亜日報)という指摘にもあるように、今回の北からの矢継ぎ早の「対話」呼びかけによって韓国当局内に微妙な「揺れ」が生じていることが伝わって来るということです。
米韓両国の間で「6者協議の再開のためには、南北関係の進展が必要」ということで一致していると伝えられていることをいわば逆手に取って「先手を打ってきた北朝鮮の提案を無視し続けるわけにもいかない」(東亜日報)という状況が生まれているというわけです。
韓国メディアのなかには、
「対話には相手がある。手が触れてこそ音が鳴るように、片方の意思だけでは対話は成立しない。タイミングが合わなければならず、対話の目的と必要性にお互いが共感しなければならない。敵対的な関係では特にそうだ。不幸な対立状態を解消するために対話は必要だが、真正性が前提にならない対話は不信感を強めるだけだ。当然、慎重な姿勢が要求される。しかし慎重になり過ぎて対話の機会を逃してはならない。対話のためには慎重でありながらも開かれた姿勢が重要だ。」
として「慎重な姿勢も時機を逸するべきでない」(中央日報2011.1.10社説)と主張するものも見られます。
こうした「揺れ」がボズワース歴訪とどうかかわっているのか、あるいはまったくかかわっていないのか、重要なポイントだと思いますが、その点の解明はもう少し推移を見てみないとわからないと言わざるをえません。
しかし、私は、ここにきて米国内の「論調」が微妙に動いていることに注意を払う必要があるのではないかと考えています。
そこで、昨年夏以降の米国からの要人や専門家、元高官らの訪朝についてまとめてみると、
・8月25日 ジミー・カーター元大統領が、今年1月、中朝国境を越えて北朝鮮に入国して身柄を拘束されていたアイジャロン・マリ・ゴメス氏の身柄「解放」のために平壌訪問。
あくまでも「民間人」としての私的な訪問という立場を強調し、米国務省も「北朝鮮にいかなるメッセージも送る意図はない」としました。カーター訪朝をめぐっては、確認はされていませんが、これに先立つ8月9日から11日にかけて米国務省の特別チーム4人が秘密裏に平壌を訪問してゴメス氏の釈放を交渉したが失敗に終わったということが言われています。ここでいう秘密裏の「交渉」がどういうもので、何を意味するのかは依然明らかにはなっていません。
その後、9月以降、米国の専門家や元高官の訪朝が相次ぎました。
・9月18日 米国カリフォルニア大学教授・同大学国際紛争・協力研究所のスーザン・シャーク所長一行。
・9月23日 米国のビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事の上級補佐官、クン・アンソニー・ナムクン氏。
・11月2日 米国コリア経済研究所のジャック・プリチャード所長一行。
・11月9日 米国スタンフォード大学のジョン・ルイス教授、シグフリード・ヘッカー元ロスアラモス国立研究所長ら一行。
・11月15日 米国センチュリー財団のモートン・アブラモウィッツ上級研究員を団長とする米国の対朝鮮政策専門家代表団
・12月16日 米国のビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事一行。
このなかで、プリチャード氏はクリントン・ブッシュ両政権で朝鮮半島和平担当特使を務めた人物であることは言うまでもありません。米国務省のクローリー国務次官補は「プリチャード氏は訪朝のたびに感想や平壌で聞いた話を伝えてくる」と語っています。
プリチャード氏は米国に戻った後、北朝鮮が2012年の完工を目標に寧辺地域に100メガワット規模の実験用軽水炉の建設をすすめていることを明らかにし、今回の訪朝で「平安北道寧辺地域を訪れたところ、かつて冷却塔があった場所の近くにコンクリートを注いで鉄筋を組む初期段階の工事が進行中だった。北朝鮮側の現場責任者は2003年11月に建設工事が中断された朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の咸鏡南道琴湖地区にある軽水炉の10分の1規模に相当する100メガワット級の軽水炉だと説明した」と語りました。
また、シグフリード・ヘッカー元ロスアラモス国立研究所長らの一行が寧辺地域で「2000基(メディアによっては1000基余り)の遠心分離器が設置されたウラン濃縮施設を目撃した」と明かしたことが大きなニュースとなって世界をかけめぐりました。
さらにリチャードソン・ニューメキシコ州知事が訪朝後北京に到着してすぐ、北朝鮮側が国際原子力機関(IAEA)の査察官受け入れや燃料棒1万2000本の売却および国外輸送に向けた協議に応じることを明らかにしたとして「北朝鮮は真剣な対話の用意があると思われる姿勢を示した」と語ったことは記憶に新しいところです。
こうした米国からの専門家や元高官らの訪朝が頻繁におこなわれるなかで「大延坪島砲撃事件」が起きるのですが、カーター元大統領をはじめ訪朝から戻った専門家たちが米国メディアで注目すべき主張を重ねていたことは日本のメディアではほとんど伝えられていません。
その重要なポイントを少し整理してみます。
まずジミー・カーター元大統領の11月24日付ワシントン・ポストへの寄稿の要点からです。
・今年の7月1日、私は米国人アイジャロン・ゴメスの釈放を担保するためにピョンヤンを再び訪れるよう招待されたが、私のこの訪問では北朝鮮の最高位級の高官らとの実質的な話し合いを十分におこなう時間をとることが条件となった。彼らは1994年の枠組み合意と2005年9月に6者会談参加国が採択した規定に基づいて、朝鮮半島の非核化や戦争の終結を要望していることについて詳しく説明した。いかなる議論をも仲裁する権限のない私は、このメッセージを国務省とホワイトハウスに伝えた。
・中国の指導部はこの直接対話への支持を示した。
・北朝鮮の高官たちは同様のメッセージを最近訪れた米国人らにも伝え、ウラン精製のための先端設備への核専門家らのアクセスを許可した。同高官たちは私に、かなり遅いプロセスにあるウラン精製は1994年の合意に含まれていないが、この遠心分離機は米国との交渉のテーブルに載せることができると明らかにした。
・ピョンヤンは、米国との直接対話を行って、自国の核プログラムを終わらせる合意を完結し、すべてをIAEA査察下に置き、1953年の一時的な停戦協定に代わる平和条約を締結する用意があるという一貫したメッセージを送ってきている。
・私たちはこの提案に応えることを検討すべきである。
・残念な選択肢は、北朝鮮が最も脅威であると主張していること、すなわち政治体制転換のために米国がサポートする軍事攻撃から、北朝鮮が自国を守るために必要と考えるあらゆる行動を取ることである。
カーター元大統領はこれより前、9月15日にも「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿して8月の訪朝について詳細に語っていました。
そこでは、「私は最近の北朝鮮と中国への訪問で、ピョンヤンが米国と南朝鮮との包括的な平和条約締結と朝鮮半島非核化についての交渉を再開したいとの明瞭で強いメッセージを受けた。」とした後、1994年のいわゆる「枠組合意」の内容に詳細に触れて解説した上で「クリントン政権が到達した包括的合意はジョージ・W・ブッシュ大統領によって2002年に否認された。しかし、北朝鮮が燃料棒を再処理し2006年には核実験をしたにもかかわらず、米国、韓国、中国、日本、ロシアとの会談では好ましい進展が見られた。しかしそれ以来状況は悪化した。2009年に対話は止まり、同年に北朝鮮が2度目の核実験を行い、長距離ミサイルを発射した後、国連はピョンヤンに制裁を科した。北朝鮮も離散家族の再会を止めた。北朝鮮が今年の1月、自国内に進入した罪で告訴した米国人アイジャロン・ゴメス氏を拘留し、8月に南朝鮮の漁船乗組員らを拘留したことで、緊張はさらに高まった。しかし、いまピョンヤンからは、交渉を再開し非核化と平和への努力をうたった上述の(つまり「枠組合意」に盛られた:筆者注)基本条項を受け入れる熱いシグナルが示されている。」と述べています。
そしてこの寄稿を「朝鮮半島の和解はアジアの平和と安定にとってきわめて重要であり、それは長い間未解決のままになっている。北朝鮮からのこれらの肯定的なメッセージは、遅れることなく積極的に追求されなければならず、そのプロセスを注意深く十分に確認しながら一歩ずつ進めるべきである。」と結んでいます。
なお余談ですが、8月のカーター元大統領の訪朝時、金正日総書記が訪中したことで、多くのメディアが、北朝鮮側がカーター氏に「肩すかし」を加えた、あるいは「無視した」といった論調で伝えたのでしたが、7月に北朝鮮から訪朝の「招請」があってから米政府の訪朝許可が出たのが8月中旬になったことで、金正日総書記との会見が出来ないということを事前に北朝鮮側から知らされていたことも明らかにしています。(金正日総書記が訪中していたことは後で知ったとしています)
この寄稿記事を目にしながら、メディアの「深読み」がいかにあてにならないのかが見えてきて苦笑したものです。
カーター元大統領の寄稿と相前後して11月に発表された専門家たちの論稿からもう少し拾っておくことにします。
ジークフリード・ヘッカース、タンフォード大学国際安全保障協力センター(CISCS)所長とロバート・カーリン客員研究員による11月22日付「ワシントン・ポスト」への寄稿から。
・米国は、時間と周辺環境が北朝鮮を非核化要求に順応させるのを待ったが、北朝鮮は自らの計画を構築してきた。
・今必要なのは、北朝鮮との16年間の関係に関する徹底した再検討と、我々が彼らに対して最も良く解っている事実に対する分析、そして選択事項についての正直な評価である。
・北朝鮮に対し圧力を行使してくれると期待した中国が、むしろ関係強化に没頭しながら、時間が経つにつれ北朝鮮の核プログラム問題解決は益々難しくなっている。
・利害が重なる中国と北朝鮮が今後も政治、経済、軍事、安保分野で協力を強化する相当な証拠がある。
・対北朝鮮政策の新しい現実的な出発点は非常にシンプルである。それは、北朝鮮をあるがままの存在、すなわち自国の利益を有する主権国家として受け入れることだ。
さらに訪朝した専門家ではありませんが、ジョエル・ウィット元米国務省朝鮮担当官の外交専門誌「フォーリン・ポリシー」12月13日付寄稿論文からです。
・ピョンヤンを無視するオバマ大統領の政策は「立証済みの失敗」であり、今、米国は「違った戦略」を試みるときである。
・北朝鮮を扱った経験のある人は誰でも北朝鮮が圧力のみによって封じ込められることがないことを知っている。
・北朝鮮に圧力はかけるが対話は拒むというオバマ政権の「戦略的忍耐」政策は、「朝鮮半島の平和と安全保障の構築、北朝鮮核プログラムの除去、兵器技術拡散の阻止」というすべてにおいて欠陥がある。
・米国が政策を変えなければ自国とその同盟国の利益に対する脅威は数ヵ月の間にさらに高まるであろう。
・有能な北朝鮮指導者は誰も北京の意のままにならない。
・中国が朝鮮を服従させるであろうという間違った考えに基づいた米国の中国頼みの対北朝鮮政策は誤りである。
・米国が政策を変えないならそれは「愚かなこと」であり米国には国益をまもるための現実的な戦略が必要である。
また大延坪島への砲撃問題について、セリグ・S・ハリソン米国際政策センター・アジアプログラム・ディレクターは12月12日付「ニューヨーク・タイムズ」の「オピニオン」欄への寄稿で、
・最近の延坪(ヨンピョン)島での衝突のような南北間の衝突は「北方限界線(NLL)」という境界線がその原因であり、紛争解決のためにはこの境界線を「公平に、わずかに南の方へ引き直すべき」である。
・停戦協定の後、「南朝鮮が北に侵攻する可能性を制限する目的」で国連軍が「北朝鮮との合意なく軽率に引いた境界線」がNLLであり、これを引き直す権限は現在オバマ大統領にある。
・境界線の再設定は平和条約について米国、北朝鮮、中国が交渉する場を与えることにもなる。
・「停戦協定に代わるメカニズムの一つ」として、かつて北朝鮮側の軍スポークスマンが提案した「米・北・南の軍による共同安全保障委員会」が、非武装地帯での偶発的事故を防ぎ、朝鮮半島の軍縮と信頼構築を進めるという「三者による平和体制」案が有効である。
ざっとポイントだけを挙げておくと、このような分析、主張が重ねられています。
もちろん、これらの顔ぶれは米国における「親北朝鮮論者」だという批判があることも承知しています。
しかし、これらの分析や、主張、論考を子細に読み込んでみるとそこに見えてくるのは、米国の対北朝鮮政策が「手詰まり状態」にあるということです。
このような状況、局面にあるということを考えると、今回のボズワース氏の三カ国歴訪の狙いが何であるのかが、おぼろげながら見えてくるように思います。
早晩、米国は動かなければならなくなる!
この間の南北朝鮮の動きや米国内でのメディアから見える論調をふまえると、そう痛感します。
もちろん、北朝鮮との戦争という選択を決断するならば、話は別ですが・・・。
さて、アメリカの「次の一手」はどうなるのか。
年明けの北朝鮮の「対話攻勢」の行方とともに、朝鮮半島をめぐる動きから目が離せない状況が続きます。
2010年12月21日
大延坪島「砲撃事件」を検証する(1)
「気象条件、天候を見極めている」と伝えられた韓国の大延坪島海域での「砲・射撃訓練」がきのう午後実施されました。一昨日は青空の広がるおだやかな気候だったと伝えられていますが、きのうは濃い霧の立ち込める中で訓練が行われたことになりますから、どうやら天候は関係なかったということなのでしょう。今回は、中国、ロシアの「自制」をという働きかけを振り切って「訓練」に踏み切ったことになります。同時進行していた国連安保理事会の緊急会合も結局事態を打開する有効な「方策」に道筋をつけられず膠着状態というべきです。
幸いなことにというべきですが、今のところ、懸念された北朝鮮側からの「応戦」もなく経過しています。北朝鮮側は「軍事的挑発にいちいち対応する一顧の価値も感じない」という朝鮮人民軍最高司令部の報道文を発表しました。
そして、CNNが、訪朝中の米・ニューメキシコ州のリチャードソン知事に対して北朝鮮側が
(1)寧辺の核施設に対するIAEA監視要員の復帰
(2)保管核燃料棒の売却による国外搬出
(3)南北軍事的衝突防止の措置に取り組む
の3点について、同意するとの立場を伝えたと報じたことがニュースになりました。
実に巧妙な外交戦術だというべきでしょう。ほぼ2か月の間、北朝鮮はアメリカの専門家や「要人」を相次いで招き、米国からの訪朝ラッシュとなっていました。このあと米朝間で事態がどう動くのか、片時も目が離せません。
もっとも、けさのある新聞の社説は「韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件によって自らの首を絞めた北朝鮮が、いつもの硬軟織り交ぜた揺さぶりで苦境脱出を図り始めた。日米韓をはじめ国際社会は、この戦術に幻惑されてはならない。北朝鮮の逃げ道をふさぎ、暴挙の責任をきちんと取らせることが重要である。」と主張しています。
相変わらずの論調ですが、「幻惑されてはならない」としても「北朝鮮の逃げ道をふさぐ」ということはどういうことを意味するのか、この筆者はふかく吟味してみたのだろうかと考え込みました。
さらに言うなら、その前提として、今回の「砲撃事件」の検証がどうなされているのか大いに気になるところです。
ところで、先月23日の北朝鮮による大延坪島への「砲撃事件」以来、いったん「訪朝報告」の筆を置いて、研究会やさまざまな会合に足を運び、各分野の専門家やジャーナリストの分析を聴き、意見交換を重ね、こうした人たちが今回の事態をどのようにとらえ、分析しているのかに耳を傾けて考え続けていました。
同時に、私に可能な範囲でという限定詞つきですが、関連する情報を整理し精査してみるという作業を重ねていました。
なによりもこうしたコラムでミスリードすることなく的確な論点を提示するために最大限の努力をしなければと考えているからですが、そんな折、ある大学の国際会議場でひらかれた東アジアにかかわる国際シンポジウムの会場で私のブログを読んでくれているという方に出会いました。
「以前NHKに勤めていて、いまブログを書いている方ですよね・・・」と声をかけられてエッと驚いたのですが、こうしたシンポジウムやフォーラムの会場で時々顔を合わせる方でした。
その方は「いまは平和主義ということに傾いているのですかね・・・」と切り出し、続けて「なんかそういう平和主義という思いに傾いて書いていませんか。これまではメディアで伝えられる事実を細かく積み重ねて語るというものだったので読んできたのですが、最近は、とにかく平和主義という『思い』で書いているように思いますね。思いを綴るというブログならば他にいっぱいあるわけですよね・・・」という指摘がありました。
「ご指摘を戒めにして情報の精査の積み重ねで語るように心がけます・・・」
「いやいや、まあまあ・・・」
といった応答で終わったのですが、もちろん、どちらに立つのかと問われれば、私は平和主義の側に立つことは間違いのないところです。ですから、今回の「砲撃事件」を契機に緊張が高まった朝鮮半島−北東アジア情勢を前にして、在韓米軍も加わった南側と北側双方に最後の一線では理性が働くと信じたい気持ちはありながら、こうした緊張状態では不測の事態が起きないともかぎらないこと、加えて、過去の歴史を振り返ると、戦争というものはこんなふうにしてはじまるのではないかという深い危惧を抱いたことから、戦争に向かってはならないという思いを強くしながら書いたことは確かでした。
しかし、そういう「思い」はそれとして、この方の指摘にあるように情報の精査とそれにもとづいて分析を深めることが重要であることは言うまでもないことです。またそのようにありたいと思うがゆえにここしばらく時間が必要だったとも言えます。
この間、できる限りの報道記事や資料、文献を読み返すとともに専門家の話に耳を傾け、ジャーナリストの会合などで意見を交換して私なりの問題意識の整理をしてきました。
その結果、当然と言えば当然ですが、まず北東アジアにおける米中の存在というものの大きさ、重さに突き当たることになりました。
抽象的な言い回しをやめてはっきり言うなら、この地域においては「冷戦」がまさに「熱く」戦われていて一層先鋭化していることを改めて痛感する状況があるということです。誤解を恐れず言えば、結局米国の「敵」は中国であり、ある時は相互の依存関係を深め連携を強めるという側面があたかも主たるものとして立ち現われるけれども、矛盾の基本的な側面は「対立」であり「闘争」であるということをしっかり認識してかからなければ朝鮮半島情勢も含めて、現在の事態は見えてこないと痛感します。
一例を挙げれば、ニューヨークタイムズに掲載された米国の新アメリカ安全保障センター上級研究員、ロバート・カプラン氏の論説「Obama Takes Asia by Sea」(11月11日掲載)などに象徴的にあらわれている、新たな「冷戦」の時代の顕在化とでもいうべき問題です。
そこでカプラン氏は「冷戦時代の地域的な区分けはなくなった。中東であれ、南アジア、東南アジア、東アジアはいまや有機的な統一体の一部としてある」としたうえで、オバマ大統領のインド、インドネシアなどの訪問は「(そうした地域の区分けをこえた)地上と海上における中国の台頭」という「ひとつの挑戦」にどう立ち向かうのかということにかかわっているとしています。
まさに中国をどう「封じ込めていく」のか、という意識が色濃くにじみ出る現在のアメリカというものを物語っているというべきです。
「過去10年間、世界で最も人口の密集した地域であるアジアでは、中国の国際的影響力が増す一方、米国の影響力が低下しているとの見方が一般的だ」としながら「どの国も中国と敵対的な関係を築きたいとは考えていないが、同時に中国に独占されることを望んでいるわけではない。みな中国とのバランスを取る一環として米国の存在を歓迎している・・・」という米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長、ジェフリー・ベーダー氏の言説にもそうした現在の中国へのアメリカの問題意識が読み取れます。
一年前にはホワイトハウスの「親中国派」として「中国の協力なしに米国が成功できるものは何もない」と発言していたベーダー氏です。こうしたいくつかの言説を追っていくと、新たな「中国封じ込め」の時代を予感させるものが見えてきます。
ここで注意が必要なのは「新たな」というところです。旧来の古典的な「中国封じ込め」など最早できる話ではないことは自明ですので、新たな状況の下で、旧来とは「形」を変えたという意味で、ここを見落とすと事態の現象と本質的な部分を的確に切り分けてとらえることができなくなるのではないかと思います。
米中双方が相互に依存もすれば対立もする、共同もすれば争いもするという複雑な状況の中で虚々実々のゲームが繰り広げられる時代に、いま、あるのだということ、その上で、双方にとって「敵」は中国であり米国だという構造は解消するどころか一層深刻に沈潜していっているということでしょう。
「新冷戦」などという言葉を目にする現在の状況を的確に認識することができないと、いま目の前で起きているあれこれを正確にとらえることができず、ミスリードしてしまうことになるのだと痛感します。
特に今回の「砲撃事件」を契機に、空母ジョージワシントンをはじめとする米国艦船を、とにもかくにも中国ののど元に突きつける形で黄海に「進出」させたことは、米-韓-日の軍事的な連携のかつてない深まりとともに、今後の米中関係、北東アジアの安全保障環境にとって重大な問題だと考えるべきです。
よほど頭を「複雑」かつクリアーにしてかからないと事態を捉えそこなうのだと思います。
そこで、北朝鮮による大延坪島への砲撃問題です。
先日「血迷った金正日による砲撃を糾弾する!」「朝鮮戦争の再来を阻止せよ!」と大書された立て看板に出会いました。これまた冒頭に書いた国際シンポジウムを聴講するため出かけた大学のキャンパスでのことです。近寄って読んでみるとこの看板、いうところの「右翼」「保守」のものではなく、いってみれば「左翼勢力」のある組織の立て看板でした。なんとも「悩ましい問題」ではあるものだと、しばらくその立て看板の前で立ち尽くしたものです。しかし、戦争への危惧という点で濃淡の違いはありますが、メディアも含め、おおむねこうした論調が大勢であることもまた事実でしょう。
さて、しかし・・・と私は立ち止まって考えるのです。
今回の「砲撃」について精査、検証は十分になされているのだろうか、その実体が明らかにされ、本質的な問題の所在は剔抉されているのだろうかと。
そこで、なぜ北朝鮮は砲撃に及んだのか、今回の砲撃事件についての論説、言説を大括りに整理してみると、
1.動かない米国を交渉のテーブルに引き出すため
2.金正恩への後継体制、権力基盤固めのため
3.金正日総書記の健康問題からの焦り、党内の権力闘争激化による
4.崩壊の危機に瀕する国内の矛盾への不満を外にそらして延命を図るため
5.北朝鮮軍部の暴走
メディアや専門家の口から語られる論調はおおむねこうしたものだろうと思います。
メディであれ、専門家であれ、自信たっぷりに断ずるのですが、ひるがえって考えてみると、それぞれ、そうであるようでもあるし、そうなのかどうかわからない、あるいはその全部かもしれない・・・とまあ曖昧なものだということに気づきます。つまり、あたかもそうであるかのように説明はされるのですが、その論拠となると確たるものがつかめず、なかには冷静に考えてみると、論理的になぜそうなのかが分からなくなる、あるいははっきりした説明ができないというものもあります。しかし、まあ、あの!北朝鮮の事だからそういうことだろうと、おおむね誰も異論を差し挟まないというわけです。
まずよくわきまえてかからなければならないのは、誰も本当のところを確かめることができない北朝鮮情報であるがゆえに何でもアリという言論状況は依然としてここにも生きているということです。
笑ってはいけないのですが、金正日はすでに死んでいると声高に言っていた朝鮮半島問題の専門家?がいましたが、それがバカバカしくも破たんしたと思いきや、今度は、金正恩は実は金正日の本当の子供ではない!あれは北朝鮮の国中から金日成に似た青年を探してきて金正恩だと言っているのだ・・・と言いはじめているというのですからもう何をかいわんやというべきです。こんな人物が朝鮮半島問題の専門家を名乗って大学の教壇にも立てるというのは一にかかって、どんなことを言っても、北朝鮮情報は最終的には確認の術がない、あるいは本当のところはわからないということによります。ことばは多少キツくなりますが、そうした状況に便乗して言論、言説の「商売」をしているといわざるをえません。
繰り返しですが、わかりやすく言えば、北朝鮮問題では何を言ってもかまわない!なぜならその真偽を確かめることができないからだ、というわけです。
メディアで仕事をしてきた私にとって、そういう視点から日々の報道を見据えてみると実に心寒くなるものの枚挙にいとまがありません。
この間出会ったジャーナリストから問い質されたのですが、夜の看板番組というべきテレビのワイドニュースで女性キャスターが、「北朝鮮の後継体制固めのために人を殺してもいいのでしょうか・・・」とか、「北朝鮮はいつ日本に攻めてくるのでしょうか・・・」と言ったとかを耳にすると、お笑いを通り越して、そんな人物が放送などという公共空間で仕事をしていていいのだろうかと空恐ろしくなるばかりです。(放送当日私は見ていないので私自身の見聞としてお話しできないのでこうした伝聞調になりました。)
さて、「お笑い」はここまでにしましょう。
そこで上記の5点です、問題は。
私は今回の砲撃事件が起きた直後からどこかのメディアが取材して事実関係をきちんと詰めて伝えるだろうと思いながら待っていたのですが、結局誰もそれをしていない不思議さに釈然としないでいる問題があります。そこでもう一度事の「発端」(実はどこを発端と考えるのかということが重要な問題なのですが、ひとまず置きます)に立ち戻って事実関係を整理してみます。
11月23日の北朝鮮からの砲撃は突然起きたことではないことを、まず、押さえておかなければなりません。この日行われていた韓国の「訓練」について、どういうわけか詳細に吟味、検証するメディアがないのですが、この訓練が「護国訓練」といわれるものと幾ばくかの「かかわり」があるというニュアンスで伝えられたことがあることをご記憶の方も多いと思います。
そこで、ではこの「護国訓練」とは一体いかなるものなのかということになります。ここは韓国のメディアに依って振り返ることにします。
「陸海空軍の合同作戦遂行能力を高めることを目的とする護国訓練が、(11月:筆者注)22〜30日に全国で実施される。合同参謀本部が16日に明らかにした。訓練には海兵隊、米軍も含め7万人余りが参加する予定だ。京畿道の麗州、利川、南漢江一帯で陸軍の軍団級対抗訓練が、黄海上では艦隊機動訓練が行われる。また、韓米空軍による連合編隊軍訓練や、黄海に面した西海岸では日本・沖縄に駐留する米海兵上陸機動部隊も参加する連合海兵上陸訓練が実施される。護国訓練は、1994年から中断されている韓米合同軍事演習『チームスピリット』を代替する訓練として、1996年から実施されている。軍団級機動訓練を中心としていたが、2008年からは陸海空軍間の相互合同戦力支援などを目的としている。」
これは韓国の聯合通信が11月16日に伝えていたものです。
大延坪島の韓国軍部隊が単独でほんの少し砲・銃撃訓練をしたといったレベルのものではないということをきちんと認識しておかなければ問題の所在を的確に掴むことはできないというべきです。
ただし、「砲撃」のあった23日の聯合通信によると「国防部の李庸傑次官は同日、民主党幹部に非公開報告を行い、軍が延坪島の沖合いで実施した訓練は護国訓練ではなく、定期的に行っている射撃訓練だったと説明した。」と伝えていますから、韓国軍側は「護国訓練」とのかかわりを否定していることになります。
加えて李次官は「韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLL(北方限界線:米軍・国連軍、および韓国側が定めた海上の軍事境界線:筆者注)より南側で砲撃を行った。北朝鮮側が午後2時34分に海岸砲20発余りを発射してきたため、韓国軍もK9自走砲で同49分ごろ応射。続いて午後3時1分ごろ2度目の応射を行ったという。事態は午後3時41分に収束した。」と説明したと伝えています。
また、「合同参謀本部の金正斗戦力発展本部長(中将)も、与党ハンナラ党の緊急最高委員会に出席し、韓国軍の延坪島沖での訓練は護国訓練ではなく、海兵隊が毎月白リョン島で実施する砲撃訓練だったと報告した。ハンナラ党の安亨奐(アン・ヒョンファン)報道官が伝えた。」と報じています。加えて金本部長は「韓国軍は北側ではなく南側に向け砲撃していたが、北朝鮮が突然、韓国軍陣地に向け海岸砲を発射したと指摘。北朝鮮の攻撃は威嚇射撃ではなく、照準射撃とみるべきだと強調した。また、北朝鮮の挑発は、NLLの無力化、北朝鮮の後継体制固め、軍事的緊張を通じた南北関係の主導権確保などに向けた多目的布石だと分析した。」と聯合通信は伝えています。
この記事から、北朝鮮からの砲撃があった直後、国防次官や韓国軍の高位の幹部が与野党をはじめ各方面に対して「護国訓練とは関係がない『通常訓練』だった・・・」と説明して回ったことが伝わってきます。護国訓練と関連づけられることをなんとか避けたいという思惑が透けて見えてきます。
私は、今回の「砲撃事件」が起きた当初から、韓国軍の「訓練」とはどういうものだったのか、きちんとした検証が必要だと考えてきました。しかしこの点を深めて検証したメディアは皆無と言っていいと思います。とにかく「血迷った金正日」という論調一色になってしまいました。聯合通信の伝えるところを注意深く読むとわかるのですが「応射を行ったという」といった伝聞調で伝えています。ここは重要なところです。ほとんどのメディアはこうした最低限の「わきまえ」もなく、軍部の発表を前提としてなんの留保もなく、つまり取材者がなんの「裏取り」もせずに書き散らしているというべきです。
ここが今回の「砲撃事件」報道の大きな問題だと、私は考えています。
韓国軍の軍事訓練とは一体どのようなものだったのか、ここを明らかにしなければ、「北朝鮮による挑発行為」という言説は論拠自体が揺らぐことになります。あの北朝鮮だからやりかねない!では報道の使命を果たしたことにはならないのです。ジャーナリストはこここそが問われるところです。
そしてすでにブログに書いたことですが、北朝鮮側は今回の韓国側の「訓練」に対して再三にわたって警告を発してきたこと、23日当日朝も8時20分に「38度線」に近い都羅山地域の韓国軍の「通信施設」に対して「領海に撃ったなら看過しない」旨のFAXを送ってきていることを、意識してか意識せずにかはわかりませんが、例外的な数少ないメディアを除いて、ほとんど伝えられていないことは忘れられていいことではないと考えます。
ここで吟味されなければならないのは北朝鮮側が「領海」への砲・射撃を「看過しない」としている部分です。まさしく、NLLの存在、つまりNLLのラインそのものではなくその背後に横たわる朝鮮戦争以来の「歴史」(あるいは歴史的経緯)そのものを俎上に挙げているということです。
ちなみに、昨日、韓国側の「射撃訓練」(私は、その実体が確認できないので、あくまでも「砲・射撃訓練」としているのですが)について伝えたテレビの夜7時のニュースでは、これもなぜかわかりませんが、NLLのみを画面に表示して「今回の射撃訓練はこの海域(つまり韓国側の海域)に向けて発射した・・・」と伝えていました。
故意に北朝鮮側が主張する「境界線」を表示せずに伝えたとするならその意図は何なのかが検証されてしかるべきですし、もし無知でそうなったというなら放送に携わる資格はないというべきです。
このようなことがまかりとおることに、私はなんとも言葉を失います。
少なくともこの海域は南北の「境界」をめぐって「紛争」の続いている海域であり、両者それぞれが自己の領海と主張している部分が重なっていることを明示して伝えなければその放送局が掲げる「公平」「公正」を欠くというものです。
もちろん、同様の理由で「朝鮮西海にはわれわれが設定した海上軍事境界線だけが存在する。南朝鮮当局が固執するNLLは、反北対決と北侵戦争挑発のための不法・無法の幽霊線である。」(労働新聞11月28日付論評)という主張にも無理があることは当然です。
この海域には双方それぞれが主張する「境界線」が存在しており「領海」域が重なっているという事実を前提として考えるべきであり、その意味で、この海域では「何が起きても不思議ではない」紛争海域だということを十分認識してかからなければならないということです。
つまり、事の「正邪」を断定することはそれほど容易ではないというべきで、それが「簡単」にできるのは、あの「許し難い金正日政権」であり「何をやらかすかわからない北朝鮮」だからということになるのです。
これではジャーナリズムとはいえないことは明白です。
「挑発行為」とは何かということが慎重に分析されなければならないことはいうまでもないでしょう。
聯合通信が伝えたような規模と意味合いを内にはらんだ「護国訓練」が展開されているなかで、大延坪島の部隊だけが、それとは関係のない「いつもの訓練」をしていた、にもかかわらず理不尽にも北側は攻撃を仕掛けてきたというのでは、いかにも説得力に欠けるというべきでしょう。
物事を考える際には立場を変えて、視点を変えて考えるという複眼の思考が不可欠です。そのためにも、好悪の感情や思い込みではなく、事実に基づいて、双方の主張や言説に分け入って冷静、冷厳に精査、検証することがなによりも必要だと言うべきです。
しかも朝鮮半島をめぐる海域や韓国側の地上では今年3月(8日にはじまった)の米韓合同軍事演習「キーリゾルブ」以来、米韓合同あるいは韓国独自の軍事演習(訓練)がほとんど切れ目なく続いてきたということをどうとらえるのか、挑発行為とはどのようなことを言うのか、ここはしっかり考えてみなければなりません。
立場を変えてみると同じ風景でも異なって見えるということは覚えておかなければなりません。
とりわけジャーナリストは!
さて、しかし!では民間人2人が死亡し民間人の居住地域に砲弾が着弾したことは許し難いことではないのか!という反論が、当然ながら、出てくると思います。
前提として言っておかなければならないのは、私は、兵士であれ、民間人であれ、人の命が奪われることを「善し」とすべきではないと考えていますし、今回、4人の命が奪われたことは深く悼むべきことだと考えています。
しかし、これもまた冷静に検証してみる必要があると考えるのです。
すでに伝えられているように、民間人の死者は韓国軍の施設の工事をしていて死亡したということでした。この「軍の施設」についても明確な検証がなされず、軍あるいは韓国政府の発表をそのまま報じているわけで、どういう地域のどんな施設なのかが明確ではありませんが、韓国軍の基地を狙いすました「意外に正確」な砲撃だった(軍事ジャーナリストの田岡俊次氏)という、北朝鮮側からの砲撃の「正確さ」をふまえると、軍の基地内で働いていた民間人を、民間人であるというだけで「民間人に犠牲者が出たのは朝鮮戦争以来のことだ。血迷った、極悪非道の北朝鮮!」という論調に突っ走るのは、ある種の意図のこもった報道だと言わざるをえません。
では民間人居住地域に着弾した問題はどうなのだということになります。家が破壊され、焼かれ住む拠り所を失った住民が出たことは確かです。同情を禁じ得ないことですし、まさに「何の罪もない民間人」の住まいに砲弾を浴びせるとは許せないという感情もその通りだろうと思います。ただし、ここでもジャーナリストは、なぜこうしたことが起きたのかという「問い」を抱くことが必要だと、私は、考えます。
まだ確証はないのですが、砲撃した北朝鮮側の砲兵が持っていた大延坪島の地図は古いもので、軍の駐屯地が住宅地域に変わったことが記されていなかったという説(田中宇氏がニュースコラムで韓国人の知人からの伝聞として書いている)もあり、一方、上述の田岡氏は「ロケット砲の前後後方の誤差は大きく(北朝鮮側から見えない山越えの)南斜面の(韓国軍)陣地を狙った砲弾がふもとの集落に落ちることは十分ありうる。こうした『間接射撃』では着弾点を見て修正する観測手が必要で、無線機を持つ工作員が(大延坪島に)潜入していた可能性が高い」(カッコ内は筆者補足)としていることなどとのかかわりで、さらに精査、検証が必要だと考えます。
もっとも北側が「自分たちが持っている地図は実は古かった・・・」などと認めることはありえないので、ここは検証の難しいところです。しかし、私は、今回の砲撃事件の直後北側が「延坪島砲撃で 民間人死傷者が発生したのが事実であれば、至極遺憾なことにほかならない」(11月27日朝鮮中央通信)と述べたことは、注目しておくべきことだと考えます。
私の朝鮮半島問題とのかかわりはそれほど長く、深くはないことを前提にですが、私はついぞ、北朝鮮のこうした「遺憾の意」の表明は目にしたこともなければ、聞いたこともありません。正直なところ驚きました。もちろん、この言明の後段には「その責任は今回の挑発を準備しながら、砲陣地周辺と軍事施設内に民間人を 配置し『人間のたて』にした、韓国の非人間的な行いにある」という北朝鮮らしい「主張」が続いているのではあるのですが、それにしても「前代未聞」の率直さで「至極遺憾」と表明したことは過不足なく注視しておくべきことだと考えます。
ちなみに、兵士2人の死亡について、韓国政府与党ハンナラ党の軍幹部出身の黄震夏国会議員が、北朝鮮による延坪島砲撃で戦死した韓国軍兵士についてある会合で「(砲撃の際)軍人の死者が出たというが、実際には戦死ではない。一人は退避壕からたばこを吸いに出て、破片に当たったもので、もう1人は休暇から帰隊する途中だった。戦闘に臨み、砲弾を撃っていた兵士は死亡しなかった」と漏らしたことが韓国の一部メディアで報じられ「舌禍事件」となっていることは、人の死にかかわる事なので笑っては不謹慎なのですが、苦笑いを禁じ得ないことでもあります。
北からの砲撃という、兵士にとっては一応?戦闘状態であるわけですから、退避壕からタバコを吸いに外に出るなどということが軍規上も許されることかどうか、いずれにしても私には理解できないようなことが起きていた可能性があるということです。
もちろん、だから死んでも仕方がないなどと考えているのではありません。しかし、要は民間人にしても兵士にしても、死亡という事実を前にただ「感傷」に走って北の極悪、非道を非難するということでは事の実体を伝えることにならず、ましてや本質的な問題を見落としてしまう恐れなしとは言えないということです。
こうして情報の精査、検証を重ねながら今回の「砲撃事件」をどうとらえるべきかを考えてくると、ここまで述べたことに加えて、韓国の李明博政権の現況と米国の動向に分け入って考えてみなければならないことは言うまでもありません。
しかし、ここまででも十分に長くなっているので、頭を休める意味でちょっとしたコメントを引用します。
「殴った」「殴られた」が争いとなる傷害事件はどちらが先に手を出したかわからないケースもある。相手が自分に危害を加える動作をしてきたので反撃行為をしたという場合、正当防衛として扱うべきかどうかが争点になることが多い。自分の身を守るために反撃していても、ある瞬間から過剰な攻撃となる。これは片方だけではなく両者に言えることで、両方とも傷害罪の加害者であって被害者でもあるという構図になる。・・・誤解を恐れずにもう少しわかりやすく説明すれば「けがの重い方が被害者になる」といった結末になるケースもある。
さて、これは一体何だと思われますか?!
実はひとしきり芸能ニュースをにぎわせ、朝のワイドショーの話題を占領した「海老蔵の大けが事件」についての、ある最高検検事経験者のコメントです。
私はこれを読みながら、まるで今回の「砲撃事件」について言っているかのような錯覚に陥りました。
北朝鮮の「許し難い挑発行為」と言っていればなべて事もなしというメディア、言論状況ですが、ここは冷静かつ冷厳に事態を見抜く力が問われていると考えます。
一体なぜ今回の「砲撃事件」が起きたのか、その実体と本質は何なのかを、事実と情報を見落とすことなく精査、検証して考えてみなければ、あるいは、時流に身を寄せていれば安心、安全という態度で無自覚にメディアの報ずる論調を鵜呑みにしていれば大丈夫という感覚でいるなら、事の実体と本質は見えてこない!それほど事態は安穏としていられるものではないということを、まず私たちは知ることが必要だと考えます。
このあと、この夏以来の米国メディアの情報の中に注目すべきものを見たということや韓国の李明博政権と対北政策の検証に論をすすめたいと考えます。したがって「訪朝報告」の中断がもうしばらく続きます。ご理解ください。
(つづく)
幸いなことにというべきですが、今のところ、懸念された北朝鮮側からの「応戦」もなく経過しています。北朝鮮側は「軍事的挑発にいちいち対応する一顧の価値も感じない」という朝鮮人民軍最高司令部の報道文を発表しました。
そして、CNNが、訪朝中の米・ニューメキシコ州のリチャードソン知事に対して北朝鮮側が
(1)寧辺の核施設に対するIAEA監視要員の復帰
(2)保管核燃料棒の売却による国外搬出
(3)南北軍事的衝突防止の措置に取り組む
の3点について、同意するとの立場を伝えたと報じたことがニュースになりました。
実に巧妙な外交戦術だというべきでしょう。ほぼ2か月の間、北朝鮮はアメリカの専門家や「要人」を相次いで招き、米国からの訪朝ラッシュとなっていました。このあと米朝間で事態がどう動くのか、片時も目が離せません。
もっとも、けさのある新聞の社説は「韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件によって自らの首を絞めた北朝鮮が、いつもの硬軟織り交ぜた揺さぶりで苦境脱出を図り始めた。日米韓をはじめ国際社会は、この戦術に幻惑されてはならない。北朝鮮の逃げ道をふさぎ、暴挙の責任をきちんと取らせることが重要である。」と主張しています。
相変わらずの論調ですが、「幻惑されてはならない」としても「北朝鮮の逃げ道をふさぐ」ということはどういうことを意味するのか、この筆者はふかく吟味してみたのだろうかと考え込みました。
さらに言うなら、その前提として、今回の「砲撃事件」の検証がどうなされているのか大いに気になるところです。
ところで、先月23日の北朝鮮による大延坪島への「砲撃事件」以来、いったん「訪朝報告」の筆を置いて、研究会やさまざまな会合に足を運び、各分野の専門家やジャーナリストの分析を聴き、意見交換を重ね、こうした人たちが今回の事態をどのようにとらえ、分析しているのかに耳を傾けて考え続けていました。
同時に、私に可能な範囲でという限定詞つきですが、関連する情報を整理し精査してみるという作業を重ねていました。
なによりもこうしたコラムでミスリードすることなく的確な論点を提示するために最大限の努力をしなければと考えているからですが、そんな折、ある大学の国際会議場でひらかれた東アジアにかかわる国際シンポジウムの会場で私のブログを読んでくれているという方に出会いました。
「以前NHKに勤めていて、いまブログを書いている方ですよね・・・」と声をかけられてエッと驚いたのですが、こうしたシンポジウムやフォーラムの会場で時々顔を合わせる方でした。
その方は「いまは平和主義ということに傾いているのですかね・・・」と切り出し、続けて「なんかそういう平和主義という思いに傾いて書いていませんか。これまではメディアで伝えられる事実を細かく積み重ねて語るというものだったので読んできたのですが、最近は、とにかく平和主義という『思い』で書いているように思いますね。思いを綴るというブログならば他にいっぱいあるわけですよね・・・」という指摘がありました。
「ご指摘を戒めにして情報の精査の積み重ねで語るように心がけます・・・」
「いやいや、まあまあ・・・」
といった応答で終わったのですが、もちろん、どちらに立つのかと問われれば、私は平和主義の側に立つことは間違いのないところです。ですから、今回の「砲撃事件」を契機に緊張が高まった朝鮮半島−北東アジア情勢を前にして、在韓米軍も加わった南側と北側双方に最後の一線では理性が働くと信じたい気持ちはありながら、こうした緊張状態では不測の事態が起きないともかぎらないこと、加えて、過去の歴史を振り返ると、戦争というものはこんなふうにしてはじまるのではないかという深い危惧を抱いたことから、戦争に向かってはならないという思いを強くしながら書いたことは確かでした。
しかし、そういう「思い」はそれとして、この方の指摘にあるように情報の精査とそれにもとづいて分析を深めることが重要であることは言うまでもないことです。またそのようにありたいと思うがゆえにここしばらく時間が必要だったとも言えます。
この間、できる限りの報道記事や資料、文献を読み返すとともに専門家の話に耳を傾け、ジャーナリストの会合などで意見を交換して私なりの問題意識の整理をしてきました。
その結果、当然と言えば当然ですが、まず北東アジアにおける米中の存在というものの大きさ、重さに突き当たることになりました。
抽象的な言い回しをやめてはっきり言うなら、この地域においては「冷戦」がまさに「熱く」戦われていて一層先鋭化していることを改めて痛感する状況があるということです。誤解を恐れず言えば、結局米国の「敵」は中国であり、ある時は相互の依存関係を深め連携を強めるという側面があたかも主たるものとして立ち現われるけれども、矛盾の基本的な側面は「対立」であり「闘争」であるということをしっかり認識してかからなければ朝鮮半島情勢も含めて、現在の事態は見えてこないと痛感します。
一例を挙げれば、ニューヨークタイムズに掲載された米国の新アメリカ安全保障センター上級研究員、ロバート・カプラン氏の論説「Obama Takes Asia by Sea」(11月11日掲載)などに象徴的にあらわれている、新たな「冷戦」の時代の顕在化とでもいうべき問題です。
そこでカプラン氏は「冷戦時代の地域的な区分けはなくなった。中東であれ、南アジア、東南アジア、東アジアはいまや有機的な統一体の一部としてある」としたうえで、オバマ大統領のインド、インドネシアなどの訪問は「(そうした地域の区分けをこえた)地上と海上における中国の台頭」という「ひとつの挑戦」にどう立ち向かうのかということにかかわっているとしています。
まさに中国をどう「封じ込めていく」のか、という意識が色濃くにじみ出る現在のアメリカというものを物語っているというべきです。
「過去10年間、世界で最も人口の密集した地域であるアジアでは、中国の国際的影響力が増す一方、米国の影響力が低下しているとの見方が一般的だ」としながら「どの国も中国と敵対的な関係を築きたいとは考えていないが、同時に中国に独占されることを望んでいるわけではない。みな中国とのバランスを取る一環として米国の存在を歓迎している・・・」という米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長、ジェフリー・ベーダー氏の言説にもそうした現在の中国へのアメリカの問題意識が読み取れます。
一年前にはホワイトハウスの「親中国派」として「中国の協力なしに米国が成功できるものは何もない」と発言していたベーダー氏です。こうしたいくつかの言説を追っていくと、新たな「中国封じ込め」の時代を予感させるものが見えてきます。
ここで注意が必要なのは「新たな」というところです。旧来の古典的な「中国封じ込め」など最早できる話ではないことは自明ですので、新たな状況の下で、旧来とは「形」を変えたという意味で、ここを見落とすと事態の現象と本質的な部分を的確に切り分けてとらえることができなくなるのではないかと思います。
米中双方が相互に依存もすれば対立もする、共同もすれば争いもするという複雑な状況の中で虚々実々のゲームが繰り広げられる時代に、いま、あるのだということ、その上で、双方にとって「敵」は中国であり米国だという構造は解消するどころか一層深刻に沈潜していっているということでしょう。
「新冷戦」などという言葉を目にする現在の状況を的確に認識することができないと、いま目の前で起きているあれこれを正確にとらえることができず、ミスリードしてしまうことになるのだと痛感します。
特に今回の「砲撃事件」を契機に、空母ジョージワシントンをはじめとする米国艦船を、とにもかくにも中国ののど元に突きつける形で黄海に「進出」させたことは、米-韓-日の軍事的な連携のかつてない深まりとともに、今後の米中関係、北東アジアの安全保障環境にとって重大な問題だと考えるべきです。
よほど頭を「複雑」かつクリアーにしてかからないと事態を捉えそこなうのだと思います。
そこで、北朝鮮による大延坪島への砲撃問題です。
先日「血迷った金正日による砲撃を糾弾する!」「朝鮮戦争の再来を阻止せよ!」と大書された立て看板に出会いました。これまた冒頭に書いた国際シンポジウムを聴講するため出かけた大学のキャンパスでのことです。近寄って読んでみるとこの看板、いうところの「右翼」「保守」のものではなく、いってみれば「左翼勢力」のある組織の立て看板でした。なんとも「悩ましい問題」ではあるものだと、しばらくその立て看板の前で立ち尽くしたものです。しかし、戦争への危惧という点で濃淡の違いはありますが、メディアも含め、おおむねこうした論調が大勢であることもまた事実でしょう。
さて、しかし・・・と私は立ち止まって考えるのです。
今回の「砲撃」について精査、検証は十分になされているのだろうか、その実体が明らかにされ、本質的な問題の所在は剔抉されているのだろうかと。
そこで、なぜ北朝鮮は砲撃に及んだのか、今回の砲撃事件についての論説、言説を大括りに整理してみると、
1.動かない米国を交渉のテーブルに引き出すため
2.金正恩への後継体制、権力基盤固めのため
3.金正日総書記の健康問題からの焦り、党内の権力闘争激化による
4.崩壊の危機に瀕する国内の矛盾への不満を外にそらして延命を図るため
5.北朝鮮軍部の暴走
メディアや専門家の口から語られる論調はおおむねこうしたものだろうと思います。
メディであれ、専門家であれ、自信たっぷりに断ずるのですが、ひるがえって考えてみると、それぞれ、そうであるようでもあるし、そうなのかどうかわからない、あるいはその全部かもしれない・・・とまあ曖昧なものだということに気づきます。つまり、あたかもそうであるかのように説明はされるのですが、その論拠となると確たるものがつかめず、なかには冷静に考えてみると、論理的になぜそうなのかが分からなくなる、あるいははっきりした説明ができないというものもあります。しかし、まあ、あの!北朝鮮の事だからそういうことだろうと、おおむね誰も異論を差し挟まないというわけです。
まずよくわきまえてかからなければならないのは、誰も本当のところを確かめることができない北朝鮮情報であるがゆえに何でもアリという言論状況は依然としてここにも生きているということです。
笑ってはいけないのですが、金正日はすでに死んでいると声高に言っていた朝鮮半島問題の専門家?がいましたが、それがバカバカしくも破たんしたと思いきや、今度は、金正恩は実は金正日の本当の子供ではない!あれは北朝鮮の国中から金日成に似た青年を探してきて金正恩だと言っているのだ・・・と言いはじめているというのですからもう何をかいわんやというべきです。こんな人物が朝鮮半島問題の専門家を名乗って大学の教壇にも立てるというのは一にかかって、どんなことを言っても、北朝鮮情報は最終的には確認の術がない、あるいは本当のところはわからないということによります。ことばは多少キツくなりますが、そうした状況に便乗して言論、言説の「商売」をしているといわざるをえません。
繰り返しですが、わかりやすく言えば、北朝鮮問題では何を言ってもかまわない!なぜならその真偽を確かめることができないからだ、というわけです。
メディアで仕事をしてきた私にとって、そういう視点から日々の報道を見据えてみると実に心寒くなるものの枚挙にいとまがありません。
この間出会ったジャーナリストから問い質されたのですが、夜の看板番組というべきテレビのワイドニュースで女性キャスターが、「北朝鮮の後継体制固めのために人を殺してもいいのでしょうか・・・」とか、「北朝鮮はいつ日本に攻めてくるのでしょうか・・・」と言ったとかを耳にすると、お笑いを通り越して、そんな人物が放送などという公共空間で仕事をしていていいのだろうかと空恐ろしくなるばかりです。(放送当日私は見ていないので私自身の見聞としてお話しできないのでこうした伝聞調になりました。)
さて、「お笑い」はここまでにしましょう。
そこで上記の5点です、問題は。
私は今回の砲撃事件が起きた直後からどこかのメディアが取材して事実関係をきちんと詰めて伝えるだろうと思いながら待っていたのですが、結局誰もそれをしていない不思議さに釈然としないでいる問題があります。そこでもう一度事の「発端」(実はどこを発端と考えるのかということが重要な問題なのですが、ひとまず置きます)に立ち戻って事実関係を整理してみます。
11月23日の北朝鮮からの砲撃は突然起きたことではないことを、まず、押さえておかなければなりません。この日行われていた韓国の「訓練」について、どういうわけか詳細に吟味、検証するメディアがないのですが、この訓練が「護国訓練」といわれるものと幾ばくかの「かかわり」があるというニュアンスで伝えられたことがあることをご記憶の方も多いと思います。
そこで、ではこの「護国訓練」とは一体いかなるものなのかということになります。ここは韓国のメディアに依って振り返ることにします。
「陸海空軍の合同作戦遂行能力を高めることを目的とする護国訓練が、(11月:筆者注)22〜30日に全国で実施される。合同参謀本部が16日に明らかにした。訓練には海兵隊、米軍も含め7万人余りが参加する予定だ。京畿道の麗州、利川、南漢江一帯で陸軍の軍団級対抗訓練が、黄海上では艦隊機動訓練が行われる。また、韓米空軍による連合編隊軍訓練や、黄海に面した西海岸では日本・沖縄に駐留する米海兵上陸機動部隊も参加する連合海兵上陸訓練が実施される。護国訓練は、1994年から中断されている韓米合同軍事演習『チームスピリット』を代替する訓練として、1996年から実施されている。軍団級機動訓練を中心としていたが、2008年からは陸海空軍間の相互合同戦力支援などを目的としている。」
これは韓国の聯合通信が11月16日に伝えていたものです。
大延坪島の韓国軍部隊が単独でほんの少し砲・銃撃訓練をしたといったレベルのものではないということをきちんと認識しておかなければ問題の所在を的確に掴むことはできないというべきです。
ただし、「砲撃」のあった23日の聯合通信によると「国防部の李庸傑次官は同日、民主党幹部に非公開報告を行い、軍が延坪島の沖合いで実施した訓練は護国訓練ではなく、定期的に行っている射撃訓練だったと説明した。」と伝えていますから、韓国軍側は「護国訓練」とのかかわりを否定していることになります。
加えて李次官は「韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLL(北方限界線:米軍・国連軍、および韓国側が定めた海上の軍事境界線:筆者注)より南側で砲撃を行った。北朝鮮側が午後2時34分に海岸砲20発余りを発射してきたため、韓国軍もK9自走砲で同49分ごろ応射。続いて午後3時1分ごろ2度目の応射を行ったという。事態は午後3時41分に収束した。」と説明したと伝えています。
また、「合同参謀本部の金正斗戦力発展本部長(中将)も、与党ハンナラ党の緊急最高委員会に出席し、韓国軍の延坪島沖での訓練は護国訓練ではなく、海兵隊が毎月白リョン島で実施する砲撃訓練だったと報告した。ハンナラ党の安亨奐(アン・ヒョンファン)報道官が伝えた。」と報じています。加えて金本部長は「韓国軍は北側ではなく南側に向け砲撃していたが、北朝鮮が突然、韓国軍陣地に向け海岸砲を発射したと指摘。北朝鮮の攻撃は威嚇射撃ではなく、照準射撃とみるべきだと強調した。また、北朝鮮の挑発は、NLLの無力化、北朝鮮の後継体制固め、軍事的緊張を通じた南北関係の主導権確保などに向けた多目的布石だと分析した。」と聯合通信は伝えています。
この記事から、北朝鮮からの砲撃があった直後、国防次官や韓国軍の高位の幹部が与野党をはじめ各方面に対して「護国訓練とは関係がない『通常訓練』だった・・・」と説明して回ったことが伝わってきます。護国訓練と関連づけられることをなんとか避けたいという思惑が透けて見えてきます。
私は、今回の「砲撃事件」が起きた当初から、韓国軍の「訓練」とはどういうものだったのか、きちんとした検証が必要だと考えてきました。しかしこの点を深めて検証したメディアは皆無と言っていいと思います。とにかく「血迷った金正日」という論調一色になってしまいました。聯合通信の伝えるところを注意深く読むとわかるのですが「応射を行ったという」といった伝聞調で伝えています。ここは重要なところです。ほとんどのメディアはこうした最低限の「わきまえ」もなく、軍部の発表を前提としてなんの留保もなく、つまり取材者がなんの「裏取り」もせずに書き散らしているというべきです。
ここが今回の「砲撃事件」報道の大きな問題だと、私は考えています。
韓国軍の軍事訓練とは一体どのようなものだったのか、ここを明らかにしなければ、「北朝鮮による挑発行為」という言説は論拠自体が揺らぐことになります。あの北朝鮮だからやりかねない!では報道の使命を果たしたことにはならないのです。ジャーナリストはこここそが問われるところです。
そしてすでにブログに書いたことですが、北朝鮮側は今回の韓国側の「訓練」に対して再三にわたって警告を発してきたこと、23日当日朝も8時20分に「38度線」に近い都羅山地域の韓国軍の「通信施設」に対して「領海に撃ったなら看過しない」旨のFAXを送ってきていることを、意識してか意識せずにかはわかりませんが、例外的な数少ないメディアを除いて、ほとんど伝えられていないことは忘れられていいことではないと考えます。
ここで吟味されなければならないのは北朝鮮側が「領海」への砲・射撃を「看過しない」としている部分です。まさしく、NLLの存在、つまりNLLのラインそのものではなくその背後に横たわる朝鮮戦争以来の「歴史」(あるいは歴史的経緯)そのものを俎上に挙げているということです。
ちなみに、昨日、韓国側の「射撃訓練」(私は、その実体が確認できないので、あくまでも「砲・射撃訓練」としているのですが)について伝えたテレビの夜7時のニュースでは、これもなぜかわかりませんが、NLLのみを画面に表示して「今回の射撃訓練はこの海域(つまり韓国側の海域)に向けて発射した・・・」と伝えていました。
故意に北朝鮮側が主張する「境界線」を表示せずに伝えたとするならその意図は何なのかが検証されてしかるべきですし、もし無知でそうなったというなら放送に携わる資格はないというべきです。
このようなことがまかりとおることに、私はなんとも言葉を失います。
少なくともこの海域は南北の「境界」をめぐって「紛争」の続いている海域であり、両者それぞれが自己の領海と主張している部分が重なっていることを明示して伝えなければその放送局が掲げる「公平」「公正」を欠くというものです。
もちろん、同様の理由で「朝鮮西海にはわれわれが設定した海上軍事境界線だけが存在する。南朝鮮当局が固執するNLLは、反北対決と北侵戦争挑発のための不法・無法の幽霊線である。」(労働新聞11月28日付論評)という主張にも無理があることは当然です。
この海域には双方それぞれが主張する「境界線」が存在しており「領海」域が重なっているという事実を前提として考えるべきであり、その意味で、この海域では「何が起きても不思議ではない」紛争海域だということを十分認識してかからなければならないということです。
つまり、事の「正邪」を断定することはそれほど容易ではないというべきで、それが「簡単」にできるのは、あの「許し難い金正日政権」であり「何をやらかすかわからない北朝鮮」だからということになるのです。
これではジャーナリズムとはいえないことは明白です。
「挑発行為」とは何かということが慎重に分析されなければならないことはいうまでもないでしょう。
聯合通信が伝えたような規模と意味合いを内にはらんだ「護国訓練」が展開されているなかで、大延坪島の部隊だけが、それとは関係のない「いつもの訓練」をしていた、にもかかわらず理不尽にも北側は攻撃を仕掛けてきたというのでは、いかにも説得力に欠けるというべきでしょう。
物事を考える際には立場を変えて、視点を変えて考えるという複眼の思考が不可欠です。そのためにも、好悪の感情や思い込みではなく、事実に基づいて、双方の主張や言説に分け入って冷静、冷厳に精査、検証することがなによりも必要だと言うべきです。
しかも朝鮮半島をめぐる海域や韓国側の地上では今年3月(8日にはじまった)の米韓合同軍事演習「キーリゾルブ」以来、米韓合同あるいは韓国独自の軍事演習(訓練)がほとんど切れ目なく続いてきたということをどうとらえるのか、挑発行為とはどのようなことを言うのか、ここはしっかり考えてみなければなりません。
立場を変えてみると同じ風景でも異なって見えるということは覚えておかなければなりません。
とりわけジャーナリストは!
さて、しかし!では民間人2人が死亡し民間人の居住地域に砲弾が着弾したことは許し難いことではないのか!という反論が、当然ながら、出てくると思います。
前提として言っておかなければならないのは、私は、兵士であれ、民間人であれ、人の命が奪われることを「善し」とすべきではないと考えていますし、今回、4人の命が奪われたことは深く悼むべきことだと考えています。
しかし、これもまた冷静に検証してみる必要があると考えるのです。
すでに伝えられているように、民間人の死者は韓国軍の施設の工事をしていて死亡したということでした。この「軍の施設」についても明確な検証がなされず、軍あるいは韓国政府の発表をそのまま報じているわけで、どういう地域のどんな施設なのかが明確ではありませんが、韓国軍の基地を狙いすました「意外に正確」な砲撃だった(軍事ジャーナリストの田岡俊次氏)という、北朝鮮側からの砲撃の「正確さ」をふまえると、軍の基地内で働いていた民間人を、民間人であるというだけで「民間人に犠牲者が出たのは朝鮮戦争以来のことだ。血迷った、極悪非道の北朝鮮!」という論調に突っ走るのは、ある種の意図のこもった報道だと言わざるをえません。
では民間人居住地域に着弾した問題はどうなのだということになります。家が破壊され、焼かれ住む拠り所を失った住民が出たことは確かです。同情を禁じ得ないことですし、まさに「何の罪もない民間人」の住まいに砲弾を浴びせるとは許せないという感情もその通りだろうと思います。ただし、ここでもジャーナリストは、なぜこうしたことが起きたのかという「問い」を抱くことが必要だと、私は、考えます。
まだ確証はないのですが、砲撃した北朝鮮側の砲兵が持っていた大延坪島の地図は古いもので、軍の駐屯地が住宅地域に変わったことが記されていなかったという説(田中宇氏がニュースコラムで韓国人の知人からの伝聞として書いている)もあり、一方、上述の田岡氏は「ロケット砲の前後後方の誤差は大きく(北朝鮮側から見えない山越えの)南斜面の(韓国軍)陣地を狙った砲弾がふもとの集落に落ちることは十分ありうる。こうした『間接射撃』では着弾点を見て修正する観測手が必要で、無線機を持つ工作員が(大延坪島に)潜入していた可能性が高い」(カッコ内は筆者補足)としていることなどとのかかわりで、さらに精査、検証が必要だと考えます。
もっとも北側が「自分たちが持っている地図は実は古かった・・・」などと認めることはありえないので、ここは検証の難しいところです。しかし、私は、今回の砲撃事件の直後北側が「延坪島砲撃で 民間人死傷者が発生したのが事実であれば、至極遺憾なことにほかならない」(11月27日朝鮮中央通信)と述べたことは、注目しておくべきことだと考えます。
私の朝鮮半島問題とのかかわりはそれほど長く、深くはないことを前提にですが、私はついぞ、北朝鮮のこうした「遺憾の意」の表明は目にしたこともなければ、聞いたこともありません。正直なところ驚きました。もちろん、この言明の後段には「その責任は今回の挑発を準備しながら、砲陣地周辺と軍事施設内に民間人を 配置し『人間のたて』にした、韓国の非人間的な行いにある」という北朝鮮らしい「主張」が続いているのではあるのですが、それにしても「前代未聞」の率直さで「至極遺憾」と表明したことは過不足なく注視しておくべきことだと考えます。
ちなみに、兵士2人の死亡について、韓国政府与党ハンナラ党の軍幹部出身の黄震夏国会議員が、北朝鮮による延坪島砲撃で戦死した韓国軍兵士についてある会合で「(砲撃の際)軍人の死者が出たというが、実際には戦死ではない。一人は退避壕からたばこを吸いに出て、破片に当たったもので、もう1人は休暇から帰隊する途中だった。戦闘に臨み、砲弾を撃っていた兵士は死亡しなかった」と漏らしたことが韓国の一部メディアで報じられ「舌禍事件」となっていることは、人の死にかかわる事なので笑っては不謹慎なのですが、苦笑いを禁じ得ないことでもあります。
北からの砲撃という、兵士にとっては一応?戦闘状態であるわけですから、退避壕からタバコを吸いに外に出るなどということが軍規上も許されることかどうか、いずれにしても私には理解できないようなことが起きていた可能性があるということです。
もちろん、だから死んでも仕方がないなどと考えているのではありません。しかし、要は民間人にしても兵士にしても、死亡という事実を前にただ「感傷」に走って北の極悪、非道を非難するということでは事の実体を伝えることにならず、ましてや本質的な問題を見落としてしまう恐れなしとは言えないということです。
こうして情報の精査、検証を重ねながら今回の「砲撃事件」をどうとらえるべきかを考えてくると、ここまで述べたことに加えて、韓国の李明博政権の現況と米国の動向に分け入って考えてみなければならないことは言うまでもありません。
しかし、ここまででも十分に長くなっているので、頭を休める意味でちょっとしたコメントを引用します。
「殴った」「殴られた」が争いとなる傷害事件はどちらが先に手を出したかわからないケースもある。相手が自分に危害を加える動作をしてきたので反撃行為をしたという場合、正当防衛として扱うべきかどうかが争点になることが多い。自分の身を守るために反撃していても、ある瞬間から過剰な攻撃となる。これは片方だけではなく両者に言えることで、両方とも傷害罪の加害者であって被害者でもあるという構図になる。・・・誤解を恐れずにもう少しわかりやすく説明すれば「けがの重い方が被害者になる」といった結末になるケースもある。
さて、これは一体何だと思われますか?!
実はひとしきり芸能ニュースをにぎわせ、朝のワイドショーの話題を占領した「海老蔵の大けが事件」についての、ある最高検検事経験者のコメントです。
私はこれを読みながら、まるで今回の「砲撃事件」について言っているかのような錯覚に陥りました。
北朝鮮の「許し難い挑発行為」と言っていればなべて事もなしというメディア、言論状況ですが、ここは冷静かつ冷厳に事態を見抜く力が問われていると考えます。
一体なぜ今回の「砲撃事件」が起きたのか、その実体と本質は何なのかを、事実と情報を見落とすことなく精査、検証して考えてみなければ、あるいは、時流に身を寄せていれば安心、安全という態度で無自覚にメディアの報ずる論調を鵜呑みにしていれば大丈夫という感覚でいるなら、事の実体と本質は見えてこない!それほど事態は安穏としていられるものではないということを、まず私たちは知ることが必要だと考えます。
このあと、この夏以来の米国メディアの情報の中に注目すべきものを見たということや韓国の李明博政権と対北政策の検証に論をすすめたいと考えます。したがって「訪朝報告」の中断がもうしばらく続きます。ご理解ください。
(つづく)
2010年11月28日
よみがえる「朝鮮戦争」の悪夢・・・A
すでに伝えられているように、きょうから、黄海で米韓軍事演習がはじまります。
原子力空母ジョージワシントンをはじめイージス巡洋艦など米韓の12隻が参加していると伝えられる今回の米韓合同軍事演習は黄海で実施されるものとしては「最大規模」とされます。
演習水域は米韓側が黄海の軍事境界線とする北方限界線(NLL)からかなり離れた韓国南西部沖に設定されていることで、「北朝鮮への過度の刺激を避ける配慮もうかがえる」と伝えるメディアもありますが、軍事演習の詳細は漏れてきませんから、実際のところはどうなるのかは予測ができません。
この演習に強く反発している北朝鮮は、26日にも、祖国平和統一委員会が「さらに恐ろしい対応射撃を加えて敵の牙城を根こそぎ吹き飛ばす準備を整えている」と警告したのに続いて、きのうも朝鮮中央通信が、「(黄海に米韓の軍艦艇を侵入させるならば)結果は誰にも予測できない」と重ねて重大な警告を発しています。
一方のオバマ政権は、さらに、地上部隊による追加の米韓合同演習も検討しているということが伝えられています。
朝鮮半島はまさにいつなんどき「不測の事態」つまり戦争が起きても不思議ではない状況になっていると考えるべきです。
問題は双方が緊張を高めるのではなくいかに自制できるのかという、ごくごく「あたりまえ」のことを愚直に実行できるかどうかが問われているというべきです。
これもすでに伝えられていることですが、中国の楊外相は北朝鮮の北朝鮮の中国駐在大使と会ったのをはじめ、米国のクリントン国務長官、韓、日の外相と電話で「会談」、最大限の自制を求めたということです。
加えて、中国の戴秉国国務委員が急遽きのう(27日)の午後韓国を訪問して金星煥外交通商相と「意見交換」しました。
楊外相の韓国訪問を「延期」した中国が、外相よりレベルの高い戴国務委員を急遽韓国に赴かせたのはいかに事態を深刻にとらえているかの証左です。
きのう、日本のメディアの中には、中国がこの海域での演習を「容認」しているかのようなニュアンスで伝えたものもありましたが、これはあきらかにミスリードです。
中国が関係各国に「自制」を求めている意味を的確に認識できないメディアは失格です。
ここは間違いの一切許されないところだと考えます。
さらにいえば、いまこの問題の報道に携わっている人々が、60年前の「戦争」の歴史にさかのぼって事態を深くとらえることができているのかどうか、まさしくジャーナリストとしての、歴史への真摯な態度と具体的かつ深い認識が問われると、痛切に思います。
「北朝鮮の暴挙」を懲らしめるためなら何をしてもいいのだという「空気」をかもし出す恐ろしさについてメディアに携わる者はきわめて厳格な省察が求められることを忘れてはならないと思います。
(「北の暴挙」についての検証、吟味はまだ尽くされたわけではないという留保を前提にですが)
いまはどこに目を向けるべきかといえば、緊張をどう緩和していくのかにこそ向わなければならないというべきです。
いま放送しているテレビ番組でも、きょうからの「演習」に対して「北が何を仕掛けてくるかわからない・・・」と語る姿が目に入ってきました。
いま、何を、どう考えなければならないのか、本来は「簡単明瞭」なことなのですが、メディアの報道を目にすると、あるいはメディアで語る「識者」や「専門家」の話を聴きながら、実のところいかに難しいことであるのかを痛感します。
なによりも、戦争を起こしてはならないという自制にむけて、言論も存在をかけて、いまこそ語らなければ、その存在意義を失うと思います。
朝鮮戦争の「悪夢」をふたたび現実のことにしないために、言論は存在を賭けるべきだと、これは私自身への問いかけとしても、銘記しておきたいと考えます。
28日朝の深い「感慨」として・・・。
原子力空母ジョージワシントンをはじめイージス巡洋艦など米韓の12隻が参加していると伝えられる今回の米韓合同軍事演習は黄海で実施されるものとしては「最大規模」とされます。
演習水域は米韓側が黄海の軍事境界線とする北方限界線(NLL)からかなり離れた韓国南西部沖に設定されていることで、「北朝鮮への過度の刺激を避ける配慮もうかがえる」と伝えるメディアもありますが、軍事演習の詳細は漏れてきませんから、実際のところはどうなるのかは予測ができません。
この演習に強く反発している北朝鮮は、26日にも、祖国平和統一委員会が「さらに恐ろしい対応射撃を加えて敵の牙城を根こそぎ吹き飛ばす準備を整えている」と警告したのに続いて、きのうも朝鮮中央通信が、「(黄海に米韓の軍艦艇を侵入させるならば)結果は誰にも予測できない」と重ねて重大な警告を発しています。
一方のオバマ政権は、さらに、地上部隊による追加の米韓合同演習も検討しているということが伝えられています。
朝鮮半島はまさにいつなんどき「不測の事態」つまり戦争が起きても不思議ではない状況になっていると考えるべきです。
問題は双方が緊張を高めるのではなくいかに自制できるのかという、ごくごく「あたりまえ」のことを愚直に実行できるかどうかが問われているというべきです。
これもすでに伝えられていることですが、中国の楊外相は北朝鮮の北朝鮮の中国駐在大使と会ったのをはじめ、米国のクリントン国務長官、韓、日の外相と電話で「会談」、最大限の自制を求めたということです。
加えて、中国の戴秉国国務委員が急遽きのう(27日)の午後韓国を訪問して金星煥外交通商相と「意見交換」しました。
楊外相の韓国訪問を「延期」した中国が、外相よりレベルの高い戴国務委員を急遽韓国に赴かせたのはいかに事態を深刻にとらえているかの証左です。
きのう、日本のメディアの中には、中国がこの海域での演習を「容認」しているかのようなニュアンスで伝えたものもありましたが、これはあきらかにミスリードです。
中国が関係各国に「自制」を求めている意味を的確に認識できないメディアは失格です。
ここは間違いの一切許されないところだと考えます。
さらにいえば、いまこの問題の報道に携わっている人々が、60年前の「戦争」の歴史にさかのぼって事態を深くとらえることができているのかどうか、まさしくジャーナリストとしての、歴史への真摯な態度と具体的かつ深い認識が問われると、痛切に思います。
「北朝鮮の暴挙」を懲らしめるためなら何をしてもいいのだという「空気」をかもし出す恐ろしさについてメディアに携わる者はきわめて厳格な省察が求められることを忘れてはならないと思います。
(「北の暴挙」についての検証、吟味はまだ尽くされたわけではないという留保を前提にですが)
いまはどこに目を向けるべきかといえば、緊張をどう緩和していくのかにこそ向わなければならないというべきです。
いま放送しているテレビ番組でも、きょうからの「演習」に対して「北が何を仕掛けてくるかわからない・・・」と語る姿が目に入ってきました。
いま、何を、どう考えなければならないのか、本来は「簡単明瞭」なことなのですが、メディアの報道を目にすると、あるいはメディアで語る「識者」や「専門家」の話を聴きながら、実のところいかに難しいことであるのかを痛感します。
なによりも、戦争を起こしてはならないという自制にむけて、言論も存在をかけて、いまこそ語らなければ、その存在意義を失うと思います。
朝鮮戦争の「悪夢」をふたたび現実のことにしないために、言論は存在を賭けるべきだと、これは私自身への問いかけとしても、銘記しておきたいと考えます。
28日朝の深い「感慨」として・・・。
2010年11月24日
よみがえる「朝鮮戦争」の悪夢・・・
きのうは仙台に出かけて午後ずっと会合に出ていたので北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃のニュースは速報時点では知らず、帰路、仙台駅のホームに上がったところでパソコンでニュースをチェックして知りました。
後でわかったのですが、午後このニュースを知らせる電話が何度も着信していたのでしたが会合に出ていたので着信音を切っていたため気づかずに過ぎていたのでした。
最初にニュースを目にした時点では、事の詳細はわからなかった(今もわからないことだらけですが)のですが、起こるべくして起きたというのが私の第一印象でした。とともに、いったん収まっても、きわめて深刻な状況が続くことへの懸念を深くしたのでした。
すでに各メディアでは「北朝鮮の暴挙」への非難が湧き起こっていますが、ここは本当の意味で冷静に事の本質に踏み込んで考えてみることが必要だと思います。
まず確認しておかなければならないことは、この海域は何が起きても不思議ではないところだという点です。
北方限界線(NLL)をめぐる歴史的経緯についてはすでに、少しばかりというべきですが、メディアでも触れられています。
共同通信はこのNLLについて以下のような「解説」を配信しています。
「朝鮮戦争休戦協定調印後の1953年8月30日、国連軍司令部が陸上の軍事境界線を考慮して定めた黄海上の韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の境界線。99年6月にも北朝鮮警備艇が侵入を続け、同15日に韓国海軍艦艇との間で銃撃戦が発生、北朝鮮の魚雷艇1隻が沈没し、警備艇数隻が大破。北朝鮮は同年8月17日の板門店での在韓国連軍との将官級会談で、黄海の新たな境界線設定に向けた協議を要求、9月2日に北方限界線の無効を一方的に宣言した。」
また毎日新聞は、
「朝鮮戦争の休戦協定(1953年7月)で定められた軍事境界線は陸上に限定されていたため、在韓・国連軍は同年8月、黄海上に艦艇の行動北限として独自にNLLを設定した。92年発効の『南北基本合意書』は海上区域について『(境界線が)画定されるまで、双方が管轄してきた区域とする』とし、NLLを事実上認めた。だが北朝鮮は99年9月、NLLは無効だとして南側に境界線を設定し『軍事統制水域』を主張。過去にも銃撃戦があり『海の火薬庫』と呼ばれる。」
としています。
いずれにせよ、南北で「境界」の認識が異なる状況のなかで、これまでも衝突が起きて緊張関係が続いてきたということがわかります。
そして、事態の本当のところの経緯はまだ明らかではありませんが、そんな「何が起きても不思議ではない」この海域で、韓国の陸海空軍が「軍事演習」を行っていたことは、見落としてはならない重要なポイントだというべきです。
しかし、ある新聞が書くように「韓国は定期的に同海域で訓練しているうえ、北朝鮮が韓国の陸地を目標に砲撃したのも極めて異例だ。訓練への抗議を口実にして攻撃を仕掛け、内部引き締めを図るとともに、対話に応じない米国の姿勢に焦って朝鮮半島の緊張を高めることを狙った可能性もある。」といった分析で事が済むということでいいのだろうかという省察はメディアに皆無です。
そのことに懸念を抱くのは私だけなのだろうかと考え込みました。
そういう視角で振り返ってみると、韓国のこの「演習」に対しては、前日すでに北側から強い非難の表明がなされていたこと、そして23日午前8時20分、南北非武装地帯に近い都羅山に位置する韓国軍の通信施設に、韓国軍が予定している延坪島付近での「射撃訓練」に対して、北朝鮮の「領海に撃ったなら看過しない」という内容のファックスが送られてきて、北朝鮮側が強い警告を発していたことは、しっかりと押さえておく必要があると考えます。
韓国側は、この「射撃訓練」では南西側にしか砲弾を撃っておらず、つまりは北朝鮮の陸地側に向けては砲・射撃していないとしています。
しかし、目と鼻の先で繰り広げられる砲・射撃を、緊張関係のなかで対峙する軍人がどう感じるかは、想像すればそれほど難しい問題ではないと言えます。
これを「挑発」と言わずしてなんと言うのか、と言うとまるで北側の「言い分」そのままになってしまうのですが、ここは冷静にとらえておくべき問題だと言うべきです。
さらに、北からの砲弾が民間人の居住地域に着弾したことや韓国海兵隊の関連施設の建設工事に当たっていたとされる民間人に犠牲者が出たことで、一層北朝鮮への非難の声が高くなっているのですが、この島には韓国軍の「施設」(基地)があり、北からの砲撃はそこに向けてのものだったということが、死傷者の多数が兵士だったということでもわかります。
こう考えてくると、まさに「戦争」が繰り広げられていたのだということが見えてきます。
南北の「境界」をめぐって争いが続いている海域で、まさに一触即発の状況下で韓国軍による砲・射撃「演習」が行われ、それに対して北側から執拗な「警告」が発せられ、そのあげく北からの砲撃が行われたということです。
さらに重要なことは、朝鮮半島周辺海域では、7月段階から米韓、あるいは韓国軍単独の演習(軍事訓練)がほとんど切れ目なく打ち続いていたということです。
私は、7月26日のコラムで『なんと愚かなことをするものだろう』と書きました。
ぜひ、以下の内容を、もう一度お読みいただきたいと思います。
http://blog.shakaidotai.com/archives/201007-1.html
残念ながらその時の懸念が、懸念では済まなかったことが昨日の「砲撃事件」で明らかになりました。
さらに、このようにして戦争は「起こされる」のだという思いを強くします。
そしてもう一件、5月23日のコラムで「天安艦事件」にかかわって、信頼する軍事問題研究家から、この海域とそこでの軍人の「行動」について鋭い示唆を得たことを書きました。
今回の「砲撃問題」を考える際にもそこでの指摘は極めて重要だと思い返したものです。
このコラムもあわせてお読みいただければと思います。
http://blog.shakaidotai.com/archives/20100523-1.html
「訪朝報告」が中断したままとなっている最中、今回の「砲撃事件」が起きました。
「訪朝報告」と密接にかかわる問題だと痛感することから、こちらを先に書くことにしたものです。
メディアが「挑発」と書くとき、何をもって挑発と考えるのか、そこがまず問われるのだと思います。
そして、けさ、神奈川県のアメリカ海軍横須賀基地から、原子力空母「ジョージ・ワシントン」とイージス巡洋艦「カウペンス」が出港して、韓国周辺海域に向かいました。
28日から、より規模の大きな米韓軍事演習が展開されます。
一触即発という言葉が言葉だけではなくなる、まさに悪夢の再来を目の当たりにしないとも限りません。
ここを冷戦の残る地域、ではなく「熱い戦争」の繰り広げられる地域にしてはならない!という思いがつのります。
しかし、日に日にガバナンスの喪失の度を強める日本の現政権のこの問題への態度や、言うところの評論家や外務省OBとしてメディアで語る「外交専門家」の言説の危うさを目にするにつけ、悪夢が悪夢では済まない恐れを強くしてしまいます。
(つづく)
後でわかったのですが、午後このニュースを知らせる電話が何度も着信していたのでしたが会合に出ていたので着信音を切っていたため気づかずに過ぎていたのでした。
最初にニュースを目にした時点では、事の詳細はわからなかった(今もわからないことだらけですが)のですが、起こるべくして起きたというのが私の第一印象でした。とともに、いったん収まっても、きわめて深刻な状況が続くことへの懸念を深くしたのでした。
すでに各メディアでは「北朝鮮の暴挙」への非難が湧き起こっていますが、ここは本当の意味で冷静に事の本質に踏み込んで考えてみることが必要だと思います。
まず確認しておかなければならないことは、この海域は何が起きても不思議ではないところだという点です。
北方限界線(NLL)をめぐる歴史的経緯についてはすでに、少しばかりというべきですが、メディアでも触れられています。
共同通信はこのNLLについて以下のような「解説」を配信しています。
「朝鮮戦争休戦協定調印後の1953年8月30日、国連軍司令部が陸上の軍事境界線を考慮して定めた黄海上の韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の境界線。99年6月にも北朝鮮警備艇が侵入を続け、同15日に韓国海軍艦艇との間で銃撃戦が発生、北朝鮮の魚雷艇1隻が沈没し、警備艇数隻が大破。北朝鮮は同年8月17日の板門店での在韓国連軍との将官級会談で、黄海の新たな境界線設定に向けた協議を要求、9月2日に北方限界線の無効を一方的に宣言した。」
また毎日新聞は、
「朝鮮戦争の休戦協定(1953年7月)で定められた軍事境界線は陸上に限定されていたため、在韓・国連軍は同年8月、黄海上に艦艇の行動北限として独自にNLLを設定した。92年発効の『南北基本合意書』は海上区域について『(境界線が)画定されるまで、双方が管轄してきた区域とする』とし、NLLを事実上認めた。だが北朝鮮は99年9月、NLLは無効だとして南側に境界線を設定し『軍事統制水域』を主張。過去にも銃撃戦があり『海の火薬庫』と呼ばれる。」
としています。
いずれにせよ、南北で「境界」の認識が異なる状況のなかで、これまでも衝突が起きて緊張関係が続いてきたということがわかります。
そして、事態の本当のところの経緯はまだ明らかではありませんが、そんな「何が起きても不思議ではない」この海域で、韓国の陸海空軍が「軍事演習」を行っていたことは、見落としてはならない重要なポイントだというべきです。
しかし、ある新聞が書くように「韓国は定期的に同海域で訓練しているうえ、北朝鮮が韓国の陸地を目標に砲撃したのも極めて異例だ。訓練への抗議を口実にして攻撃を仕掛け、内部引き締めを図るとともに、対話に応じない米国の姿勢に焦って朝鮮半島の緊張を高めることを狙った可能性もある。」といった分析で事が済むということでいいのだろうかという省察はメディアに皆無です。
そのことに懸念を抱くのは私だけなのだろうかと考え込みました。
そういう視角で振り返ってみると、韓国のこの「演習」に対しては、前日すでに北側から強い非難の表明がなされていたこと、そして23日午前8時20分、南北非武装地帯に近い都羅山に位置する韓国軍の通信施設に、韓国軍が予定している延坪島付近での「射撃訓練」に対して、北朝鮮の「領海に撃ったなら看過しない」という内容のファックスが送られてきて、北朝鮮側が強い警告を発していたことは、しっかりと押さえておく必要があると考えます。
韓国側は、この「射撃訓練」では南西側にしか砲弾を撃っておらず、つまりは北朝鮮の陸地側に向けては砲・射撃していないとしています。
しかし、目と鼻の先で繰り広げられる砲・射撃を、緊張関係のなかで対峙する軍人がどう感じるかは、想像すればそれほど難しい問題ではないと言えます。
これを「挑発」と言わずしてなんと言うのか、と言うとまるで北側の「言い分」そのままになってしまうのですが、ここは冷静にとらえておくべき問題だと言うべきです。
さらに、北からの砲弾が民間人の居住地域に着弾したことや韓国海兵隊の関連施設の建設工事に当たっていたとされる民間人に犠牲者が出たことで、一層北朝鮮への非難の声が高くなっているのですが、この島には韓国軍の「施設」(基地)があり、北からの砲撃はそこに向けてのものだったということが、死傷者の多数が兵士だったということでもわかります。
こう考えてくると、まさに「戦争」が繰り広げられていたのだということが見えてきます。
南北の「境界」をめぐって争いが続いている海域で、まさに一触即発の状況下で韓国軍による砲・射撃「演習」が行われ、それに対して北側から執拗な「警告」が発せられ、そのあげく北からの砲撃が行われたということです。
さらに重要なことは、朝鮮半島周辺海域では、7月段階から米韓、あるいは韓国軍単独の演習(軍事訓練)がほとんど切れ目なく打ち続いていたということです。
私は、7月26日のコラムで『なんと愚かなことをするものだろう』と書きました。
ぜひ、以下の内容を、もう一度お読みいただきたいと思います。
http://blog.shakaidotai.com/archives/201007-1.html
残念ながらその時の懸念が、懸念では済まなかったことが昨日の「砲撃事件」で明らかになりました。
さらに、このようにして戦争は「起こされる」のだという思いを強くします。
そしてもう一件、5月23日のコラムで「天安艦事件」にかかわって、信頼する軍事問題研究家から、この海域とそこでの軍人の「行動」について鋭い示唆を得たことを書きました。
今回の「砲撃問題」を考える際にもそこでの指摘は極めて重要だと思い返したものです。
このコラムもあわせてお読みいただければと思います。
http://blog.shakaidotai.com/archives/20100523-1.html
「訪朝報告」が中断したままとなっている最中、今回の「砲撃事件」が起きました。
「訪朝報告」と密接にかかわる問題だと痛感することから、こちらを先に書くことにしたものです。
メディアが「挑発」と書くとき、何をもって挑発と考えるのか、そこがまず問われるのだと思います。
そして、けさ、神奈川県のアメリカ海軍横須賀基地から、原子力空母「ジョージ・ワシントン」とイージス巡洋艦「カウペンス」が出港して、韓国周辺海域に向かいました。
28日から、より規模の大きな米韓軍事演習が展開されます。
一触即発という言葉が言葉だけではなくなる、まさに悪夢の再来を目の当たりにしないとも限りません。
ここを冷戦の残る地域、ではなく「熱い戦争」の繰り広げられる地域にしてはならない!という思いがつのります。
しかし、日に日にガバナンスの喪失の度を強める日本の現政権のこの問題への態度や、言うところの評論家や外務省OBとしてメディアで語る「外交専門家」の言説の危うさを目にするにつけ、悪夢が悪夢では済まない恐れを強くしてしまいます。
(つづく)
2010年11月17日
尖閣問題、小島正憲氏の論考、北後継問題、韓国知識人の発言、ホームページに
「訪朝報告」が中断していて申し訳ありません。
できるだけ早く書き継いでいくつもりですが、私自身が主宰する研究会で近く「訪朝報告」をすることになっているので、いま、その際に使う、現地で撮ってきたビデオの編集作業に追われています。
「訪朝報告」については一時筆を置かざるをえない状況になっていますが、私の運営しているWebサイトの、韓国を代表する知識人白 楽晴氏の発言を紹介するページに、北朝鮮の「後継問題」にふれる発言が、また小島正憲氏の「凝視中国」のページに尖閣問題への論考が寄せられました。
白 楽晴氏の発言(「京郷新聞」のインタビューについての「プレシアン」の記事)から、北朝鮮の「後継体制」についてどのような視点が必要なのか、注目すべき問題提起が読み取れます。
また、小島氏の考察、論考は長く中国でのビジネスに携わってきた氏独特の「アイロニー」というか「反語的」エスプリがこめられていて読み応えのある内容だと感じます。
尖閣問題と現政権の問題についてはこれまで何度か書いているので詳しく繰り返すことは避けますが、以下の2点だけはしっかりと認識しておくべきだと考えます。
まず、近代国民国家の枠組みの下での領土あるいは国境問題というのは、日本にとってあるいは近隣のアジア諸国にとってはたかだか百年余りの時間軸の中での問題であること、したがって、近代の日本とアジアという視座からの深い吟味と検証なしに、どちらのものかを主張して争うということはいたずらに「劣情としてのナショナリズム」(求められる良きナショナリズムというものがあるのかどうか、あるとすればそれはどのようなものかについてはさらに深める必要があるということを前提にこういう表現をとるのですが)を刺激するだけに終始して何ものも生み出さないということ。つまり、今私たちが目の当たりにしている「領土問題」とはアジアにおける、とりわけ日本と中国や朝鮮半島をめぐる近代にかかわる歴史認識の問題であり歴史問題だということへの認識がなくてはこの問題の「解」を見いだせないということです。
さらに、いったん領土問題を「問題化する」ということは、究極のところは、実力=戦争による解決しかないというところに行き着くこと、したがって戦争をも辞さないという「覚悟」なく「ちょっとやってみるか」といった程度の危うく愚かな「知見」でしてはならないことだということです。
後者について言えば、現代においてはそのような道、つまり戦争への道は取るべきではないという意味において、選択肢としてはありえないということになるわけで、このことはなによりもしっかり認識しておくべきだと考えます。
すでに書いたことですが、後世の人々の知恵に委ね今はふれないでおこうという、ケ小平の「狡知」ともいえる知恵の含意をあらためて思い起こすべきではないでしょうか。
それにしても、菅−仙谷−前原を軸とする現政権は末期的症状を呈し始めていて、度し難いばかりです。この、経綸の一片のかけらさえも感じられない「虚ろな人々」による政治がまさに「地獄への道」へと続くことはすでに書いてきたとおりです。
日本は「崩れ始めている」という感を深くします。
遠からず政権交代とはなんであったのかということに直面すると書いてきたことが、悪夢のような形で、いま目の前で現実のものになっています。
もはやこの政権にも未来はないことが明らかとなり、しかし、ではそれに代わりうるものはとなるとお先真っ暗というわけですから、事態は容易ならざるところに来てしまいました。
「世が世なら5・15や2・26だ・・・」と言ったのは昨年までの政権政党自民党で閣僚を経験した政治家でした。
本当にそうです。
「尖閣ビデオ流出問題」一つを取ってみても、そこに、かつての悪夢の「亡霊」を髣髴とさせる時代状況が垣間見えます。
だからこそ言論は、メディアは、いまこそ、命がけでふんばっていることが求められているのだと切に思います。
ホームページのサイトでの白楽晴氏と小島正憲氏のページは以下の通りです。
白楽晴「『京郷新聞』は保守派マスコミのように忠誠を強要するのか」
http://www.shakaidotai.com/CCP134.html
小島正憲「国家を捨てる中国人・国家に尽くす日本人」
http://www.shakaidotai.com/CCP137.html
ぜひお読みください。
できるだけ早く書き継いでいくつもりですが、私自身が主宰する研究会で近く「訪朝報告」をすることになっているので、いま、その際に使う、現地で撮ってきたビデオの編集作業に追われています。
「訪朝報告」については一時筆を置かざるをえない状況になっていますが、私の運営しているWebサイトの、韓国を代表する知識人白 楽晴氏の発言を紹介するページに、北朝鮮の「後継問題」にふれる発言が、また小島正憲氏の「凝視中国」のページに尖閣問題への論考が寄せられました。
白 楽晴氏の発言(「京郷新聞」のインタビューについての「プレシアン」の記事)から、北朝鮮の「後継体制」についてどのような視点が必要なのか、注目すべき問題提起が読み取れます。
また、小島氏の考察、論考は長く中国でのビジネスに携わってきた氏独特の「アイロニー」というか「反語的」エスプリがこめられていて読み応えのある内容だと感じます。
尖閣問題と現政権の問題についてはこれまで何度か書いているので詳しく繰り返すことは避けますが、以下の2点だけはしっかりと認識しておくべきだと考えます。
まず、近代国民国家の枠組みの下での領土あるいは国境問題というのは、日本にとってあるいは近隣のアジア諸国にとってはたかだか百年余りの時間軸の中での問題であること、したがって、近代の日本とアジアという視座からの深い吟味と検証なしに、どちらのものかを主張して争うということはいたずらに「劣情としてのナショナリズム」(求められる良きナショナリズムというものがあるのかどうか、あるとすればそれはどのようなものかについてはさらに深める必要があるということを前提にこういう表現をとるのですが)を刺激するだけに終始して何ものも生み出さないということ。つまり、今私たちが目の当たりにしている「領土問題」とはアジアにおける、とりわけ日本と中国や朝鮮半島をめぐる近代にかかわる歴史認識の問題であり歴史問題だということへの認識がなくてはこの問題の「解」を見いだせないということです。
さらに、いったん領土問題を「問題化する」ということは、究極のところは、実力=戦争による解決しかないというところに行き着くこと、したがって戦争をも辞さないという「覚悟」なく「ちょっとやってみるか」といった程度の危うく愚かな「知見」でしてはならないことだということです。
後者について言えば、現代においてはそのような道、つまり戦争への道は取るべきではないという意味において、選択肢としてはありえないということになるわけで、このことはなによりもしっかり認識しておくべきだと考えます。
すでに書いたことですが、後世の人々の知恵に委ね今はふれないでおこうという、ケ小平の「狡知」ともいえる知恵の含意をあらためて思い起こすべきではないでしょうか。
それにしても、菅−仙谷−前原を軸とする現政権は末期的症状を呈し始めていて、度し難いばかりです。この、経綸の一片のかけらさえも感じられない「虚ろな人々」による政治がまさに「地獄への道」へと続くことはすでに書いてきたとおりです。
日本は「崩れ始めている」という感を深くします。
遠からず政権交代とはなんであったのかということに直面すると書いてきたことが、悪夢のような形で、いま目の前で現実のものになっています。
もはやこの政権にも未来はないことが明らかとなり、しかし、ではそれに代わりうるものはとなるとお先真っ暗というわけですから、事態は容易ならざるところに来てしまいました。
「世が世なら5・15や2・26だ・・・」と言ったのは昨年までの政権政党自民党で閣僚を経験した政治家でした。
本当にそうです。
「尖閣ビデオ流出問題」一つを取ってみても、そこに、かつての悪夢の「亡霊」を髣髴とさせる時代状況が垣間見えます。
だからこそ言論は、メディアは、いまこそ、命がけでふんばっていることが求められているのだと切に思います。
ホームページのサイトでの白楽晴氏と小島正憲氏のページは以下の通りです。
白楽晴「『京郷新聞』は保守派マスコミのように忠誠を強要するのか」
http://www.shakaidotai.com/CCP134.html
小島正憲「国家を捨てる中国人・国家に尽くす日本人」
http://www.shakaidotai.com/CCP137.html
ぜひお読みください。
2010年11月04日
我々が考えなければならないことは・・・
「訪朝記」の筆を置いて「尖閣問題」について書くことに区切りをつけて本来書き継ぐべき「訪朝報告」に戻らなければと思いつつ、これまで書いたことの補足という意味で少しだけ付け加えておきます。
先週に続いて、今週もこの問題についての研究会や会合に出たり、きょう(3日)は「辛亥革命100年」にかかわるシンポジウムに出かけたり、いずれにしても中国にかかわって考えさせられる機会を持っています。
そこで、これまで書いてきたことに、どうしても補足しておかなければならないと感じることがあります。そのいくつかをメモ書き風に書きます。
1.まず、今回の問題を、中国指導部内部の権力闘争によって起きているのだと説明することをどう考えるのかです。これは、この間のいくつもの会合、研究会などで、いわば中国に通じている専門家、ジャーナリストであればあるほど聞かれる言説です。
もっと踏み込んで言うと胡錦涛主席と温家宝首相、あるいは習近平副主席とそれぞれのグループの角逐、あるいは軍部と共産党指導部の軋轢、ひいてはいわゆる江沢民前主席を後ろ盾とする「保守派」と胡錦涛主席を中心とする「改革派」の対立など、さまざまに解説がなされます。
いわば「玄人筋」の見立てであればあるほどこうした権力闘争が背後にあって「尖閣」での日本への「挑発」が起きたという説明です。
さて、どうなのだろうかと、私のような「素人」は考えこむのです。
ホントかいな・・・と思うと言えばそうした「玄人」の方々、中には私の尊敬するジャーナリストもいるのですが、に失礼になるのでそこまでは言いません。
ただ、では権力闘争というが一体何をどうすることをめぐって争っているのだ・・・というと、さて、それは、いまは、まだわからないが何年か後にはきっとわかるだろう・・・というものから、いや!人事、ポストをめぐる争いだ・・・とかとか、私にとってはどうも釈然としないことが多く残るのです。
あれこれ書いていると長くなるだけでなく、意図しなくても皮肉っぽく響いてしまうので、私の結論を述べます。
私は、どんな政権であれ、組織であれば権力闘争はあるでしょう、と考えるのです。日本の政治を見てもそんなことは言うまでもないことではないでしょうか。当たり前のことです。ましてや中国共産党といえば、日本の民主党や自民党など足下にもおよばない巨大な権力といわば「利権」の集中した組織です。そこに権力闘争があるに違いない・・・と言われてもそれほど感銘?を受けないのです。当たり前だからです。だから無視していいとか軽視していいということを言っているのではありません。しかし権力闘争が背景にあって・・・と説明する限り、ではそれが今回の尖閣問題をどう引き起こしていったのかという具体的なエビデンスにもとづいた分析が必要ではないでしょうか。「玄人筋」らしい解説に楯突くのは恐縮ですが、その根拠は?証拠は?ということになります。ジャーナリストであれ、研究者であれ、具体的に証拠と根拠を提示して、だから権力闘争が引き起こしたのだということを論理的に説明しなければならないのではないでしょうか。
なんでも権力闘争という言葉で説明したような気になる、あるいはその説明を聞く立場でいえば、わかったような気になる、のは危険ではないでしょうか。
もっと冷静に論理的に考えることが必要だと思うのです。それだけのことを前提にして、しかしもちろん中国指導部内の権力闘争といった要素、要因を無視したり軽視したりすることはできないわけで、そこはきちんと見ておく必要があるということでしょう。それをきちんと具体的事実にもとづいて解析、分析することはなされるべきであり、それだけに推測や「印象論」「感じ」ではなく説得性の高い分析を提示する責任があると思います。
重要なことは、そのことと、私がこれまで書いてきたことは矛盾、対立するものではないことは言うまでもないことです。つまり、中国側の「事情」は事情として、大事なことは、日本の私たちが考えなければならないことはどういうことなのか、日本の私たちに問われることは何なのかということなのです。
そこを明確にせず、いかにも「玄人筋」らしく中国内部の権力闘争が・・・と言われても琴線にふれる言説にはならないということです。あるいは、日本がどう対処すべきかが的確に導き出せないということです。
要はあれこれの解説をして事が済むということではない、というです。ましてや訳知り顔に「権力闘争が・・・」と言っておいて、では何がどうなっているのだとたずねると「そこはまだわからないのだが、何かが起きている・・・」といったことを聞かされても、何も生まれないということです。
日本と中国の関係、あるいはあり方を考えるということは、そんな気楽なことではなく、もっと真摯に自己の存在を賭けて向き合うべきことだと、「素人」の私などが言うと分をわきまえずに、とお叱りを受けるかもしれませんが、少なくとも、ささやかではあっても、国交回復前から中国と、そして日中関係と向き合ってきた私には思えてならないのです。
2.同様に、中国内部の社会の問題や矛盾への不満や批判が潜在することを避けるために国民の、特に若者の目を外に向けさせる、具体的には日本に向けさせているのだ、外交を内政の「緩衝材」に使っているのだという解析、言説もまた、だからといってそれで日本の私たちが考えるべきことが解消されるわけではないということです。
貧富の差の拡大、腐敗の蔓延・・・、中国にいま底知れぬ矛盾や問題が存在することはいうまでもないことです。だからそれを指摘して尖閣問題を説明したつもりになる、あるいはこれまたそれを聴く側の私たちは、それで何かがわかったような気になるとしたらこれまた大いに危ういことだと言わざるをえません。
きょうのシンポジウムでも米国から参加した日本でもよく知られる識者が、かつて中曽根元総理が外交というものについて3つの「箴言」ともいうべき話をしたと述べました。
一つ、力以上のことはしてはならない
二つ、世界の潮流をよく見なければならない
三つ、外交を内政の道具に使ってはならない
というのです。
その場の文脈でいえばこれを今の中国に「助言してあげる」というものでした。
この高名な識者が中国に助言することをあれこれ言うつもりはありませんし会場の聴衆も、まさにそうそう・・・と共感する「空気」でしたので、あえて楯突くつもりもありません。
ただ、この三つはそのままブーメランのように今の日本に返ってくることではないでしょうか。
もしこの識者がそこまでの含意を込めていたとしたら脱帽ですが、その場の雰囲気はというか文脈は、いま中国が知るべきことはこういうことだと諭している、あるいは教えてやるというものでした。
私はこれを聴きながら、まさにこの三点が問われるのは日本そのものであり、日本の我々であり、現在の菅政権、仙谷官房長官、前原外相ではないのかと考え込んだものです。
ことは他を諌めあるいはあげつらっている場合ではなく、それらはすべて己のところに返ってくるものだというべきです。こういうことを、いささか下品な表現ですが、天にツバする・・・というのではなかったでしょうか。
3.いわゆる「反日デモ」は中国当局つまり中国共産党指導部がそうさせている、あるいはその「管理」の下に行われているという言説に吟味、検証は必要ないだろうかという問題です。
書いているうちにどんどん長くなるので思い切って端折りますが、中国共産党の「管理」がどんどん弱まるから、もっといえば一党独裁の力が弱くなってゆるんでくるからこうした「勝手」なことが頻発するようになってきたのであって、一党独裁の統制が行き届いていればこんなことは起きないということに気づいておかなければならないのではないかと思うのです。
つまりいうところの「民主」がすすめばすすむほど「反日」であれ、なんであれ、なんでも起き始めるということです。
一党独裁だから起きるのではなくそれが弛緩し始めているから起きていることだということをしっかり見ておかなければならないということです。
ここでも「玄人筋」の見立てをそのまま鵜呑みにしているととんでもない見立て違いを引き起こすのではないかと危惧します。
4.その上で「反日」ということといわゆる「愛国教育」の相関関係についても検証が必要だと考えます。
なにかというと中国では愛国教育をしてきたので若者たちが反日になった・・・という説明がなされます。さて、本当にそうかいな?という疑問を抱くことはないでしょうか。
私は2005年のいわゆる「反日デモ」の際北京だけでしたが現地を取材し、北京の繁華街、王府井、西単、そして人民大学などの大学キャンパスさらに盧溝橋などで100人をこえる若者たちにインタビューしました。
率直に言って若い世代(20歳前後)の人たちは「愛国」がどうの「反日」がどうのという意識とほど遠いまさに今風の若者であることを痛感したものです。
たかが100人を少し超えるぐらいのインタビューでものを言うなというお叱りがあることは承知です。
しかし、では!「反日」とか「愛国教育」と書いたり語ったりしている専門家やジャーナリストはどれだけの具体的かつ実証的なエビデンス=証拠、あるは根拠を持っているのか、きちんと示して語るべきではないかと、これまた分不相応に思うのです。
そう安易に決まり文句のように「反日」と「愛国教育」を相関させて語るべきではないと思います。これまた端折って言えば、そういう教育以前に、ある年代の人たちの記憶の中には日本の侵略と暴虐に対して深い恨みと憎しみが潜在していることを私たちは真剣に認識すべきなのです。
それを抑えて、のりこえて国交正常化を受け入れたというのが、ある年代の人たちの真情です。
もはやというべきか若者たちはそうした歴史と歴史認識とも無縁になりつつあるというのが中国の実態だということを知っておかなければ事態の本質を見誤ることになると思います。
突きつめていえば、反日教育などあろうがなかろうが本質的には日本の侵略の歴史を許し難いと考えている世代、人々がいまなお広く潜在しているということです。そしてそういう人たちの多くは「反日デモ」などとは無縁の存在であり、深く怒りを胸に日々の生活を送っているということです。
ここでも中国専門家や中国に通じていることを誇るジャーナリストたちのカリカチャライズされた言説の虚ろさを思わざるをえません。
5.さて、書き始めるとどんどん問題が出てくるのでこのあたりで止めなければなりません。
あといくつかを本当に箇条書き風に述べておきます。
今回の「尖閣事件」で「だからやはり日米安保を強固にしなければ!」という言説は本当なのか?という問題があります。
きのうもテレビで米国の「知日派」として知られる人物が「(今回の尖閣問題で)日米が連携できなければ中国はますます力が大きくなる。それは米国にとっても脅威だ。(だから日米同盟を強化することが肝心だ)したがって日本の指導者はもっと(足しげく)ワシントンに来るべきだ・・・」と語るのに出くわして苦笑しました。
こういう論理が大人の世界でまかり通ることになんの不思議も感じないでうなずいて聴いているキャスターというものに、それこそ、なんとも不思議な気がしたものです。
さらに、別のテレビ番組でしたが、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を「訪問」したという問題についてあるコメンテーターが、北方領土は日米安保が適用されないが・・と振られたのに対して「日米安保が適用されるかどうかなど関係ない!・・・」というのを聴きながらこれまた吹き出しそうになりました。
それこそ「アレッ?」です。
昨日までは、尖閣諸島に日米安保の第5条が適用されるという米国の「言質」をまさに「鬼に金棒」の類でふりかざして、だから、まぎれもなく日本のものなのだ!中国は許せない・・・といった理屈でものを言っていたはずではなかったのか・・・と。
物事は一貫性が大事じゃないですか・・・とはこういうコメンテーターに言っても詮無いことなのでしょうが、ため息が出ます。
また今夜のテレビでは外務省出身のというより現在も外務省に大きな影響力を持っているとされる外交評論家が「(今は)外交戦略がどうのこうのと(批判して)空疎なことばを並べるのではなく、中国やロシアとの領土問題をどう解決していくのかが問題なのであって、アメリカの協力を得てそれをどう実現していくかが最大の問題なのだ・・・」という趣旨のことを語るのを見ながら、いやはやとここでもため息をつきました。
もう見境ないというべきか、見苦しいというべきか、なんともイヤハヤというところです。
他を恃むのではなく、あるいはもっと言えば力の大きな者、強い者を引きずり込むことで自分を大きく見せて相手を抑え込もうという貧寒たる発想ではなく、日本自身が自らの見識と政策をもって解決していくという覚悟がなくて何が外交か、というのも言っても詮無いことでしょうか。本当に情けなくなります。
6.さてもう本当に最後にします。
このコラムでは、まず他をあげつらうのではなく、日本の我々が何を考えなければならないのかという立脚点に立って話をすすめてきました。
なによりもそこが重要だという認識に立っているからです。
その上で、しかし中国について考えるなら、今回の問題で、自制すべきことも多々あったということであり、そこは今後の重要な課題として、いやもっというなら「傷」として残ったということも考えなければならないと思います。
一例をあげると、少なくとも1000人の青年たちの上海万博訪問を拒むというようなことはすべきではなかったというべきです。
どんな困難な時もこうした民間交流を大事にしてこそ問題をのりこえる途も見いだせるというものではないでしょうか。
そうしたまさに戦略的判断のできる中国指導部であるべきではないのかというのは、出過ぎたもの言いでしょうか。
その意味では中国指導部もまた大きな「傷」を負った今回の問題ではなかったかと思います。
それゆえ、今回の「事件」が一体なぜ起きたのか、ここを深く掘り、問題の実相、実体を明らかにしていくことが専門家、ジャーナリストの責務ではないかと、私は考えます。
事態の推移のあれこれを語るのも必要ではあるのでしょうが、そろそろ、もっとも本質的な問題の究明にむけて覚悟と志をもった取り組みが必要とされているのではないか、痛切にそう思います。メディアは何を語るべきなのか?!
メディアの責任は本当に重いと思います。
先週に続いて、今週もこの問題についての研究会や会合に出たり、きょう(3日)は「辛亥革命100年」にかかわるシンポジウムに出かけたり、いずれにしても中国にかかわって考えさせられる機会を持っています。
そこで、これまで書いてきたことに、どうしても補足しておかなければならないと感じることがあります。そのいくつかをメモ書き風に書きます。
1.まず、今回の問題を、中国指導部内部の権力闘争によって起きているのだと説明することをどう考えるのかです。これは、この間のいくつもの会合、研究会などで、いわば中国に通じている専門家、ジャーナリストであればあるほど聞かれる言説です。
もっと踏み込んで言うと胡錦涛主席と温家宝首相、あるいは習近平副主席とそれぞれのグループの角逐、あるいは軍部と共産党指導部の軋轢、ひいてはいわゆる江沢民前主席を後ろ盾とする「保守派」と胡錦涛主席を中心とする「改革派」の対立など、さまざまに解説がなされます。
いわば「玄人筋」の見立てであればあるほどこうした権力闘争が背後にあって「尖閣」での日本への「挑発」が起きたという説明です。
さて、どうなのだろうかと、私のような「素人」は考えこむのです。
ホントかいな・・・と思うと言えばそうした「玄人」の方々、中には私の尊敬するジャーナリストもいるのですが、に失礼になるのでそこまでは言いません。
ただ、では権力闘争というが一体何をどうすることをめぐって争っているのだ・・・というと、さて、それは、いまは、まだわからないが何年か後にはきっとわかるだろう・・・というものから、いや!人事、ポストをめぐる争いだ・・・とかとか、私にとってはどうも釈然としないことが多く残るのです。
あれこれ書いていると長くなるだけでなく、意図しなくても皮肉っぽく響いてしまうので、私の結論を述べます。
私は、どんな政権であれ、組織であれば権力闘争はあるでしょう、と考えるのです。日本の政治を見てもそんなことは言うまでもないことではないでしょうか。当たり前のことです。ましてや中国共産党といえば、日本の民主党や自民党など足下にもおよばない巨大な権力といわば「利権」の集中した組織です。そこに権力闘争があるに違いない・・・と言われてもそれほど感銘?を受けないのです。当たり前だからです。だから無視していいとか軽視していいということを言っているのではありません。しかし権力闘争が背景にあって・・・と説明する限り、ではそれが今回の尖閣問題をどう引き起こしていったのかという具体的なエビデンスにもとづいた分析が必要ではないでしょうか。「玄人筋」らしい解説に楯突くのは恐縮ですが、その根拠は?証拠は?ということになります。ジャーナリストであれ、研究者であれ、具体的に証拠と根拠を提示して、だから権力闘争が引き起こしたのだということを論理的に説明しなければならないのではないでしょうか。
なんでも権力闘争という言葉で説明したような気になる、あるいはその説明を聞く立場でいえば、わかったような気になる、のは危険ではないでしょうか。
もっと冷静に論理的に考えることが必要だと思うのです。それだけのことを前提にして、しかしもちろん中国指導部内の権力闘争といった要素、要因を無視したり軽視したりすることはできないわけで、そこはきちんと見ておく必要があるということでしょう。それをきちんと具体的事実にもとづいて解析、分析することはなされるべきであり、それだけに推測や「印象論」「感じ」ではなく説得性の高い分析を提示する責任があると思います。
重要なことは、そのことと、私がこれまで書いてきたことは矛盾、対立するものではないことは言うまでもないことです。つまり、中国側の「事情」は事情として、大事なことは、日本の私たちが考えなければならないことはどういうことなのか、日本の私たちに問われることは何なのかということなのです。
そこを明確にせず、いかにも「玄人筋」らしく中国内部の権力闘争が・・・と言われても琴線にふれる言説にはならないということです。あるいは、日本がどう対処すべきかが的確に導き出せないということです。
要はあれこれの解説をして事が済むということではない、というです。ましてや訳知り顔に「権力闘争が・・・」と言っておいて、では何がどうなっているのだとたずねると「そこはまだわからないのだが、何かが起きている・・・」といったことを聞かされても、何も生まれないということです。
日本と中国の関係、あるいはあり方を考えるということは、そんな気楽なことではなく、もっと真摯に自己の存在を賭けて向き合うべきことだと、「素人」の私などが言うと分をわきまえずに、とお叱りを受けるかもしれませんが、少なくとも、ささやかではあっても、国交回復前から中国と、そして日中関係と向き合ってきた私には思えてならないのです。
2.同様に、中国内部の社会の問題や矛盾への不満や批判が潜在することを避けるために国民の、特に若者の目を外に向けさせる、具体的には日本に向けさせているのだ、外交を内政の「緩衝材」に使っているのだという解析、言説もまた、だからといってそれで日本の私たちが考えるべきことが解消されるわけではないということです。
貧富の差の拡大、腐敗の蔓延・・・、中国にいま底知れぬ矛盾や問題が存在することはいうまでもないことです。だからそれを指摘して尖閣問題を説明したつもりになる、あるいはこれまたそれを聴く側の私たちは、それで何かがわかったような気になるとしたらこれまた大いに危ういことだと言わざるをえません。
きょうのシンポジウムでも米国から参加した日本でもよく知られる識者が、かつて中曽根元総理が外交というものについて3つの「箴言」ともいうべき話をしたと述べました。
一つ、力以上のことはしてはならない
二つ、世界の潮流をよく見なければならない
三つ、外交を内政の道具に使ってはならない
というのです。
その場の文脈でいえばこれを今の中国に「助言してあげる」というものでした。
この高名な識者が中国に助言することをあれこれ言うつもりはありませんし会場の聴衆も、まさにそうそう・・・と共感する「空気」でしたので、あえて楯突くつもりもありません。
ただ、この三つはそのままブーメランのように今の日本に返ってくることではないでしょうか。
もしこの識者がそこまでの含意を込めていたとしたら脱帽ですが、その場の雰囲気はというか文脈は、いま中国が知るべきことはこういうことだと諭している、あるいは教えてやるというものでした。
私はこれを聴きながら、まさにこの三点が問われるのは日本そのものであり、日本の我々であり、現在の菅政権、仙谷官房長官、前原外相ではないのかと考え込んだものです。
ことは他を諌めあるいはあげつらっている場合ではなく、それらはすべて己のところに返ってくるものだというべきです。こういうことを、いささか下品な表現ですが、天にツバする・・・というのではなかったでしょうか。
3.いわゆる「反日デモ」は中国当局つまり中国共産党指導部がそうさせている、あるいはその「管理」の下に行われているという言説に吟味、検証は必要ないだろうかという問題です。
書いているうちにどんどん長くなるので思い切って端折りますが、中国共産党の「管理」がどんどん弱まるから、もっといえば一党独裁の力が弱くなってゆるんでくるからこうした「勝手」なことが頻発するようになってきたのであって、一党独裁の統制が行き届いていればこんなことは起きないということに気づいておかなければならないのではないかと思うのです。
つまりいうところの「民主」がすすめばすすむほど「反日」であれ、なんであれ、なんでも起き始めるということです。
一党独裁だから起きるのではなくそれが弛緩し始めているから起きていることだということをしっかり見ておかなければならないということです。
ここでも「玄人筋」の見立てをそのまま鵜呑みにしているととんでもない見立て違いを引き起こすのではないかと危惧します。
4.その上で「反日」ということといわゆる「愛国教育」の相関関係についても検証が必要だと考えます。
なにかというと中国では愛国教育をしてきたので若者たちが反日になった・・・という説明がなされます。さて、本当にそうかいな?という疑問を抱くことはないでしょうか。
私は2005年のいわゆる「反日デモ」の際北京だけでしたが現地を取材し、北京の繁華街、王府井、西単、そして人民大学などの大学キャンパスさらに盧溝橋などで100人をこえる若者たちにインタビューしました。
率直に言って若い世代(20歳前後)の人たちは「愛国」がどうの「反日」がどうのという意識とほど遠いまさに今風の若者であることを痛感したものです。
たかが100人を少し超えるぐらいのインタビューでものを言うなというお叱りがあることは承知です。
しかし、では!「反日」とか「愛国教育」と書いたり語ったりしている専門家やジャーナリストはどれだけの具体的かつ実証的なエビデンス=証拠、あるは根拠を持っているのか、きちんと示して語るべきではないかと、これまた分不相応に思うのです。
そう安易に決まり文句のように「反日」と「愛国教育」を相関させて語るべきではないと思います。これまた端折って言えば、そういう教育以前に、ある年代の人たちの記憶の中には日本の侵略と暴虐に対して深い恨みと憎しみが潜在していることを私たちは真剣に認識すべきなのです。
それを抑えて、のりこえて国交正常化を受け入れたというのが、ある年代の人たちの真情です。
もはやというべきか若者たちはそうした歴史と歴史認識とも無縁になりつつあるというのが中国の実態だということを知っておかなければ事態の本質を見誤ることになると思います。
突きつめていえば、反日教育などあろうがなかろうが本質的には日本の侵略の歴史を許し難いと考えている世代、人々がいまなお広く潜在しているということです。そしてそういう人たちの多くは「反日デモ」などとは無縁の存在であり、深く怒りを胸に日々の生活を送っているということです。
ここでも中国専門家や中国に通じていることを誇るジャーナリストたちのカリカチャライズされた言説の虚ろさを思わざるをえません。
5.さて、書き始めるとどんどん問題が出てくるのでこのあたりで止めなければなりません。
あといくつかを本当に箇条書き風に述べておきます。
今回の「尖閣事件」で「だからやはり日米安保を強固にしなければ!」という言説は本当なのか?という問題があります。
きのうもテレビで米国の「知日派」として知られる人物が「(今回の尖閣問題で)日米が連携できなければ中国はますます力が大きくなる。それは米国にとっても脅威だ。(だから日米同盟を強化することが肝心だ)したがって日本の指導者はもっと(足しげく)ワシントンに来るべきだ・・・」と語るのに出くわして苦笑しました。
こういう論理が大人の世界でまかり通ることになんの不思議も感じないでうなずいて聴いているキャスターというものに、それこそ、なんとも不思議な気がしたものです。
さらに、別のテレビ番組でしたが、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を「訪問」したという問題についてあるコメンテーターが、北方領土は日米安保が適用されないが・・と振られたのに対して「日米安保が適用されるかどうかなど関係ない!・・・」というのを聴きながらこれまた吹き出しそうになりました。
それこそ「アレッ?」です。
昨日までは、尖閣諸島に日米安保の第5条が適用されるという米国の「言質」をまさに「鬼に金棒」の類でふりかざして、だから、まぎれもなく日本のものなのだ!中国は許せない・・・といった理屈でものを言っていたはずではなかったのか・・・と。
物事は一貫性が大事じゃないですか・・・とはこういうコメンテーターに言っても詮無いことなのでしょうが、ため息が出ます。
また今夜のテレビでは外務省出身のというより現在も外務省に大きな影響力を持っているとされる外交評論家が「(今は)外交戦略がどうのこうのと(批判して)空疎なことばを並べるのではなく、中国やロシアとの領土問題をどう解決していくのかが問題なのであって、アメリカの協力を得てそれをどう実現していくかが最大の問題なのだ・・・」という趣旨のことを語るのを見ながら、いやはやとここでもため息をつきました。
もう見境ないというべきか、見苦しいというべきか、なんともイヤハヤというところです。
他を恃むのではなく、あるいはもっと言えば力の大きな者、強い者を引きずり込むことで自分を大きく見せて相手を抑え込もうという貧寒たる発想ではなく、日本自身が自らの見識と政策をもって解決していくという覚悟がなくて何が外交か、というのも言っても詮無いことでしょうか。本当に情けなくなります。
6.さてもう本当に最後にします。
このコラムでは、まず他をあげつらうのではなく、日本の我々が何を考えなければならないのかという立脚点に立って話をすすめてきました。
なによりもそこが重要だという認識に立っているからです。
その上で、しかし中国について考えるなら、今回の問題で、自制すべきことも多々あったということであり、そこは今後の重要な課題として、いやもっというなら「傷」として残ったということも考えなければならないと思います。
一例をあげると、少なくとも1000人の青年たちの上海万博訪問を拒むというようなことはすべきではなかったというべきです。
どんな困難な時もこうした民間交流を大事にしてこそ問題をのりこえる途も見いだせるというものではないでしょうか。
そうしたまさに戦略的判断のできる中国指導部であるべきではないのかというのは、出過ぎたもの言いでしょうか。
その意味では中国指導部もまた大きな「傷」を負った今回の問題ではなかったかと思います。
それゆえ、今回の「事件」が一体なぜ起きたのか、ここを深く掘り、問題の実相、実体を明らかにしていくことが専門家、ジャーナリストの責務ではないかと、私は考えます。
事態の推移のあれこれを語るのも必要ではあるのでしょうが、そろそろ、もっとも本質的な問題の究明にむけて覚悟と志をもった取り組みが必要とされているのではないか、痛切にそう思います。メディアは何を語るべきなのか?!
メディアの責任は本当に重いと思います。
2010年11月02日
ホームページ掲載記事のお知らせ
折々、私の運営しているWebサイトの掲載記事についてご案内していますが、お知らせが遅くなってしまいましたが、8月から新たに「韓国の知性、新しい時代を語る」というページを設けて、韓国を代表する知識人、白 楽晴氏の論稿の掲載を始めています。
朝鮮半島情勢、南北関係をはいめ北東アジアのありかたについて白 楽晴氏の鋭く、すぐれた考察、分析と主張をぜひお読みいただきたいと考えます。
また、「訪朝報告」にもかかわる示唆的な論考となっています。
ブログとあわせて、ぜひお読みただければと思います。
なお、最新の稿は白 楽晴氏の論稿ではなく、6・15共同宣言実践南側委員会名誉代表の白 楽晴氏や林 東源元統一相などをはじめとする「朝鮮半島平和フォーラム」の最新動向について「プレシアン」の記事から紹介しています。
翻訳は白 楽晴氏の論稿の掲載について仲介の労を取ってくださったコリア文庫代表の青柳純一氏です。
最新記事は以下のサイトです。
http://www.shakaidotai.com/CCP133.html
また白 楽晴氏のプロフィールとページ新設についての青柳純一氏の「解題」は以下のサイトです。
http://www.shakaidotai.com/CCP.html
朝鮮半島情勢、南北関係をはいめ北東アジアのありかたについて白 楽晴氏の鋭く、すぐれた考察、分析と主張をぜひお読みいただきたいと考えます。
また、「訪朝報告」にもかかわる示唆的な論考となっています。
ブログとあわせて、ぜひお読みただければと思います。
なお、最新の稿は白 楽晴氏の論稿ではなく、6・15共同宣言実践南側委員会名誉代表の白 楽晴氏や林 東源元統一相などをはじめとする「朝鮮半島平和フォーラム」の最新動向について「プレシアン」の記事から紹介しています。
翻訳は白 楽晴氏の論稿の掲載について仲介の労を取ってくださったコリア文庫代表の青柳純一氏です。
最新記事は以下のサイトです。
http://www.shakaidotai.com/CCP133.html
また白 楽晴氏のプロフィールとページ新設についての青柳純一氏の「解題」は以下のサイトです。
http://www.shakaidotai.com/CCP.html
2010年10月31日
事の本質を見誤ってはならない 〜日中首脳会談見送りに何を見るのか〜
「訪朝報告」を書き継いでいかなければと思いながら、時間を作れずにいたところに「ハノイでの日中首脳会談が突然中止に」というニュースが飛び込んできました。
この日(29日)は夕方から、都内で宮本雄二前中国大使の講演を聴いていたのですが、そのさなかにハノイでは、メディアがいうところの「中国のドタキャン」が起きていたというわけです。
そしてきのう(現地時間30日午前)、東アジアサミットの会議開始前に、会場内に設けられた各国首脳控室で菅、温家宝両首相の10分間の「非公式会合」が行われるという流れになりました。
菅首相および日本側の発表では、
(1)29日の2国間会談が行われなかったことはとても残念だ
(2)互いの民間交流が順調に再開されていることを評価し、今後も民間交流を強化することが重要だ
(3)引き続き戦略的互恵関係の推進で努力する
(4)今後ゆっくり話す機会をつくる
の4点で一致した、とされています。
けさの朝刊では、この「懇談」によってとにもかくにも日本の「面子が保たれた」と書いたものもありました。
しかし各紙とけさのテレビ各局の番組を見ていてまたもやミスリードを生みかねない危うさを痛感したものです。
これまでも書いてきているように、尖閣問題の背景については、歴史問題、歴史認識の問題としての深い考察を抜きにしたあれこれの言説では事態の本質は見えてこないのですが、「訪朝記」をさておいて、急ぎ書いておかなければと感じたことを記します。
メディアがいうところの「ドタキャン」の翌日の昨日(30日)の各紙には「中国、首脳会談を拒否」の見出しが躍り、今回の事態についての福山官房副長官の「説明」が載りました。「要旨」として伝えられたその「説明」が重要なので、伝えられた全文を引くと、
本日午前中の日中外相会談の雰囲気は非常によかったとの報告を受けていた。その結果、午後6時半から日中首脳会談が(行われると)通知されていた。ところが、日中韓首脳会談の直前に中国側の事務方から(日中首脳)会談はできない旨の連絡があり、日本政府としては非常に驚いた。中国側の真意を測りかねている。冷静な対応が必要で、中国との戦略的互恵関係を推進する日本政府の立場は変わっていない。(会談拒否の理由は)中国側に聞いていただかないと分からない。ガス田の理由でキャンセルということだが、ガス田問題で交渉再開を合意したといったことを報道に流したことは一切ない。そういった根拠のない報道で、首脳会談を中国側がキャンセルをしたのなら非常に遺憾だ。今のところ(日中首脳会談の)予定はない。総理は報告を聞いて、「冷静に対応をしよう」ということだった。(会談拒否が)日中関係に影響がないとは言えないが、冷静に対応することが肝要だ。(尖閣ビデオ公開が影響したかどうかは)全くそのことは考えていない。(ガス田の問題が)誤解だということは伝えてある。しかし向こうは、そのことを報道したことで会談できない、というやりとりで平行線だった。
というものでした。
しかし、ここで重要なのは一方の中国側、胡正躍外務次官補の発言、説明との比較、対照です。
周知の通り、中国側は一貫して、中日間の四つの政治文書を基礎に、中日関係の維持と推進に力を尽くしてきた。しかしながら、東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった。日本側はさらに、同会議の期間中、メディアを通じて中国の主権と領土保全を侵犯する言論を繰り返した。楊潔チ外相は中日外相会談で、中国側の釣魚島問題における原則と立場を説明し、釣魚島と付属の島が中国固有の領土であることを強調した。その後、日本側はさらに、外相会談の内容について真実と異なることを流布し、両国の東シナ海問題の原則と共通認識を実行に移すという中国側の立場を歪曲した。日本側のあらゆる行為は衆目が認めるように、両国指導者のハノイでの会談に必要な雰囲気を壊すもので、これによる結果は日本側がすべて責任を負わなければならない。
このように双方の主張、説明をつきあわせてみると事態の背景を解析する重要な示唆が見えてきますが、その前に記憶しておかなければならないのは29日午前行われた日中外相会談の後、カメラの前で「大変いい雰囲気の中で淡々としかしお互いの言うべきことは言う、前向きな議論ができたのではないかと思う。おそらくこのハノイで日中首脳会談が行われるだろう」と語った当の前原外相が、その後首脳会談が見送りになるのではないかという局面になると、この首脳会談の帰趨について、しれっとして「中国側に会談する意思があるかどうかだ。こちらは冷静に対応していく」と記者団に述べたことです。
重ねてですが、ここで重要なことは、中国外務省の胡正躍次官補が「日本側が会談を実施する雰囲気を壊した」と指摘したことをどう解析するのかです。
しかし、知ってか知らずかはわからないのですが、政治家はもちろんメディアも、必ずしも的確な解析を提示していません。
「知ってか知らずかはわからないが」というのは、政治家やメディアのなかには本当に無知というか考えも及ばずに語っているものもあるのでしょうが、中には確信犯というべきか、わかっていて意図的に知らんふりを決め込んで事態を捻じ曲げているケースも否定できないからです。
しかしここでより根深い問題は、そういう悪意にもとづいたものよりも「無知」と浅薄な解釈、解析にもとづく言説だというべきです。(悪意にもとづくものはわかりやすいので対処法も明らかですから・・・)
もちろん、福山官房副長官が言うようにガス田問題にかかわる「根拠のない報道」が要因のひとつであることは否定できないでしょう。
中国側がきわめてセンシティブな問題と位置づけている東シナ海ガス田開発問題をめぐって「前原誠司、楊潔チ両外相が交渉再開で合意した」とAFPが伝えたことをいうわけですが、日本の外務省が急きょ「合意した事実はない」と抗議し、AFPも修正記事を配信しています。
しかし、だから中国側の「誤解」だ、あるいはそこから「横暴な中国」という言説に跳んでいくことでいいのか、ここが重要なところです。
さらにいえば、
「中国国内で反日、あるいは温家宝首相への批判が強まっているという国内事情があるので、それを日本側のせいにしてかわそうとしている・・・」
「前原が悪いという、前原のせいにしてしまう構図を作ろうとしている・・・」
という言説に落とし込んですべてを説明するということで本当にいいのかということです。
けさから昼にかけてのテレビ番組の中では識者然とした大学の特別招聘教授という人物が「要は中国の内部問題なのだからあたふたする必要はない」とコメントしたり、「温家宝が菅さんから逃げ回っているのだ。2人が笑って握手している写真を中国国内で出せない。だから中国側が勘弁してくださいという状況だ・・・」と解説する記者がいたり、「(前原外相のように)ここまではっきり言う政治家が(ようやく)日本に現れたということだ。これまではニーハオ、シェイシェイだけだった。だから前原外相のせいにしてしまうのが一番いいということ(で中国がやっていること)だ。そういう中国の国内事情があることをちゃんと知らなければならない」と言う民主党の政治家が登場したり、あまつさえ「中国は異質な国だということが世界に知れると中国にとってマイナスになるのだから、(それがあきらかになるように)(ノーベル平和賞の)劉暁波の釈放を国会決議してやって、アメリカと価値観を共有して中国に対抗していけばいいのだ・・・」などとわけ知り顔で語る政治家まで登場して、唖然としました。
さて、こんな言説ばかりに付き合っているとうんざりしてきますからこのあたりにしておきますが、見落としてはならないのは、中国の胡正躍外務次官補の発言にある「東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった」という問題です。
すでに知られているように、ハノイに乗り込む前、前原外相はハワイに赴いてアメリカのクリントン国務長官と会談しました。
大好きな鉄道模型をプレゼントされて有頂天になったとは思いたくありませんが、会談後の共同会見でクリントン国務長官から、
「はっきりあらためて言いたい。尖閣諸島は日米安保条約第5条の(適用)範囲に入る。日本国民を守る義務を重視している。」
という発言を引き出して、「勇気づけられた」と得意満面の笑みを浮かべて語りました。
さて、ここで注意が必要なのはクリントン国務長官がなぜ「はっきりあらためて言いたい」と言ったのかということです。
まだ記憶に新しいところですが、日米外相会談は9月23日にもニューヨークで持たれています。 その折、前原外相は、「クリントン国務長官が、尖閣諸島が米側の日本防衛の義務を定めた日米安保条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した」と記者団に発表し、日本では大きく報じられました。しかし、前原大臣の「発表」が日本で大きく報じられたのとは裏腹に、その後、クリントン国務長官が前原氏の言うようなことを言ったのかどうかあいまいであることが指摘されることになりました。
とりわけ国務省のクローリー報道官が同じ日に、クリントン長官と前原外相の会談について、記者団に対して、米国側は「日中両国の相違点を双方ができるだけ早急に解決するよう前向きに取り組む」よう働き掛けたと語るとともに「われわれは尖閣諸島の主権に関してはいかなる立場も取らない」と述べたことは、前原氏の説明とのニュアンスの違いを際立たせることになりました。
さらに経済ニュースメディアのブルムバーグやロイターなど、海外メディアのなかにはこの「安保適用」には全く言及のないものもありました。
厳密に言うと米国国務省と日本の外務省の会談記録を突き合わせない限り、実際のところがどうだったのか、真実はわからないということなのです。
日本のメディア、新聞と通信社の記事を突き合わせてみると、あくまでも「前原氏によると」というクレジットがつくようなのです。さらに海外メディアの報道なども総合すると、前原氏が、安保条約が適用されるべきだと主張したことにクリントン氏が「(あなたの言うことは)理解する」と返したといった程度のニュアンスだと考えるのが妥当だと言うべきなのです。
これは重大なことです。前原氏は外務大臣であり外務省の報道官ではありません。なぜ、この会談については報道官になりかわって彼があたかもクリントン氏からそういう話があったというように記者にブリーフしたのか、という疑念が生じるものでした。
こういう文脈で見ていくと、なぜ、この短い間にあいついで日米外相会談が持たれたのか、それもクリントン氏がハノイに行く直前にハノイならぬハワイでクリントン氏をつかまえて会談しなければならなかったのかが見えてきます。
そしてクリントン氏が「あらためてはっきり言いたい」と「あらためて」という言葉を使って語った背景がくっきりと浮かび上がってくると言うべきです。
まさに「事実は小説より奇なり」で、いまや勢いを失った国際スパイミステリーより現実の方が余程ミステリアスでエキサイティングだと言えます。
しかしこんなことで「面白がっている」わけにはいきません。事態は実に深刻です。
プレゼントは蒸気機関車の模型だけにとどめておくべきなのでした。間違ってもクリントン氏は「リップサービス」でこんなことを言うべきではなかったのです。
いや!そうではなくうがって考えれば、情けないことに、いいように乗せられたのは前原氏であり日本だったということすらありうるというべきです。
なぜかというと、米国務省のクローリー国務次官補は29日のワシントンでの会見で「尖閣諸島は日米安保条約の枠内にある」とするクリントン国務長官のハワイでの発言に中国側が不快感と警戒感を示していることについて「同諸島の最終的な主権について米国はどちらを支持する立場もとらないが、条約上は(米国の防衛義務を定めた)第5条の枠内にあると考えている」と説明したうえで「(尖閣問題は)中国と日本の問題であり、お互いを尊重する対話を通じて解決されるべきだと信じている」と述べたのです。
密かにほくそ笑むのは米国であり中国だということになるのかもしれません。
「前原を使って中国にくさびを打ち込んだぜ・・・」としてやったりの米国と、また米国に乗せられて度し難い日本だ・・・と、ちょっと苦々しく笑う中国・・・。
まさに国際政治の虚々実々のゲームが繰り広げられていることが伝わってくると言うべきですが、幼いと言うべきか蒸気機関車の模型をもらって有頂天になってしまっている前原外相を手玉に取るぐらいは、米国にとって、赤子の手をひねるよりたやすいことだといわんばかりのものだ、と言わざるをえません。
さらに重要なことは、ニューヨークでの日米外相会談でクリントン国務長官から「安保適用」発言を引き出した後、メディアではあまり重視されなかったのですが、今月15日に前原氏は会見で、月末にハノイで行われる東南アジア諸国連合(ASEAN)会合に合わせ調整している日中首脳会談について、「尖閣諸島は日本固有の領土との立場を堅持し、(日中首脳会談を)拙速に行うべきではない」との考えを強調するとともに、会談の調整のため訪中した斎木昭隆アジア大洋州局長に「焦らなくていい」と指示したと、自ら明らかにしたのでした。
こうした動きを見据えるかのようにして、中国のトウ暁玲ASEAN大使は22日、日本のメディアと会見して、ASEAN諸国の一部との間で領有権問題を抱える南シナ海を巡り「2国間の範囲での解決を求めるべきだ。米国はこの問題を持ち出すことはできない。どの国が何を言っても、この問題で中国の立場は変わらない」と語って、米国の介入とともに米国をひきずりこもうとする「策動」には決然たる態度でのぞむことを明確にしていたのです。
これだけの「警報」が発せられていたにもかかわらず前原外相が、不用意にというか図に乗ってハノイでの日中外相会談に臨み尖閣問題を持ち出して、あまつさえなにも省みることなく「おそらくこのハノイで日中首脳会談が行われるだろう」などと、あたかも自分がすべてを仕切っているかのごとく得意然と語るに及んで、日中首脳会談は吹き飛んでしまったということなのです。
さて、「中国一人と勝負するのではなく、リスクを分散して軍事的にはアメリカと連携してフィリピン、ベトナム、インドネシア、インドなどとも連携して中国と勝負することを考えるべきだ・・・」という、けさのテレビ番組に出演していた民主党の政治家や「アメリカと連携してTTPに参加していけば中国に対する強力なメッセージになる」、「日本が東南アジア諸国と連携することを中国は恐れているのだから、そこを衝くべきだ・・・」といった識者の「見立て」が果たして成り立つものかどうか、すでに答えは出ているのではないでしょうか。
「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている。・・・中国に進出している企業、中国からの輸出に依存する企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る。・・・中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人よしだ。・・・より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある・・・」と語った民主党の幹部がいたことをどう考えるべきでしょうか。・・・と、このコラムに書いたのは10月9日のことでした。
「仕分け」などというメディア相手のパフォーマンスにうつつを抜かす程度で満足していればいいものを、この政治家がまたもや飛び出してきて「仕分け」の片手間に、今回の首脳会談中止について、「ひとえに中国側に問題がある。あちら側にやる意思がないので、こちら側から『ぜひやってくれ』というものではない」というコメントを発しています。
菅首相はなにかというと戦略的互恵関係を深めてとか発展させてと言うのですが、さて、戦略的互恵関係とは何を意味するのか。日中関係の歴史にまでさかのぼって明確に認識できていればおのずと今回のように尖閣問題を「問題化」させることもなかったでしょうし、日中関係を根底的かつ危機的に揺さぶる事態を招くこともなかっただろうと思います。
また、上に引いたようなレベルの低いコメントを発する政治家を党の枢要な役につけることもなかったでしょう。
ただし、今回の事態は実に「不幸」なことですが、皮肉なことに、物事はなにも負の側面だけではないでしょう。
ここで中国と真正面から向き合うということはどういうことなのかをしっかり「学習」して、まさに思想と哲学そして深い経綸をもって日中関係を考え、それに基づいた政策を立て、政治決断をしていくことにつなげていくことができれば、まさに災いを転じての謂に沿った将来につなげることができると考えます。
ただし!それが前原氏や菅総理大臣らにできるとはとても考えられませんが・・・。
それにしても政権交代とはなんだったのか、日本の病は度し難いところに来たと言わざるをえません。
そして、ここでもやはりメディアに携わる者は心してかからなければならないと考えます。
このままでは日本の行く末を誤らせかねないミスリードにつぐミスリードになりかねないと言うべきです。
この日(29日)は夕方から、都内で宮本雄二前中国大使の講演を聴いていたのですが、そのさなかにハノイでは、メディアがいうところの「中国のドタキャン」が起きていたというわけです。
そしてきのう(現地時間30日午前)、東アジアサミットの会議開始前に、会場内に設けられた各国首脳控室で菅、温家宝両首相の10分間の「非公式会合」が行われるという流れになりました。
菅首相および日本側の発表では、
(1)29日の2国間会談が行われなかったことはとても残念だ
(2)互いの民間交流が順調に再開されていることを評価し、今後も民間交流を強化することが重要だ
(3)引き続き戦略的互恵関係の推進で努力する
(4)今後ゆっくり話す機会をつくる
の4点で一致した、とされています。
けさの朝刊では、この「懇談」によってとにもかくにも日本の「面子が保たれた」と書いたものもありました。
しかし各紙とけさのテレビ各局の番組を見ていてまたもやミスリードを生みかねない危うさを痛感したものです。
これまでも書いてきているように、尖閣問題の背景については、歴史問題、歴史認識の問題としての深い考察を抜きにしたあれこれの言説では事態の本質は見えてこないのですが、「訪朝記」をさておいて、急ぎ書いておかなければと感じたことを記します。
メディアがいうところの「ドタキャン」の翌日の昨日(30日)の各紙には「中国、首脳会談を拒否」の見出しが躍り、今回の事態についての福山官房副長官の「説明」が載りました。「要旨」として伝えられたその「説明」が重要なので、伝えられた全文を引くと、
本日午前中の日中外相会談の雰囲気は非常によかったとの報告を受けていた。その結果、午後6時半から日中首脳会談が(行われると)通知されていた。ところが、日中韓首脳会談の直前に中国側の事務方から(日中首脳)会談はできない旨の連絡があり、日本政府としては非常に驚いた。中国側の真意を測りかねている。冷静な対応が必要で、中国との戦略的互恵関係を推進する日本政府の立場は変わっていない。(会談拒否の理由は)中国側に聞いていただかないと分からない。ガス田の理由でキャンセルということだが、ガス田問題で交渉再開を合意したといったことを報道に流したことは一切ない。そういった根拠のない報道で、首脳会談を中国側がキャンセルをしたのなら非常に遺憾だ。今のところ(日中首脳会談の)予定はない。総理は報告を聞いて、「冷静に対応をしよう」ということだった。(会談拒否が)日中関係に影響がないとは言えないが、冷静に対応することが肝要だ。(尖閣ビデオ公開が影響したかどうかは)全くそのことは考えていない。(ガス田の問題が)誤解だということは伝えてある。しかし向こうは、そのことを報道したことで会談できない、というやりとりで平行線だった。
というものでした。
しかし、ここで重要なのは一方の中国側、胡正躍外務次官補の発言、説明との比較、対照です。
周知の通り、中国側は一貫して、中日間の四つの政治文書を基礎に、中日関係の維持と推進に力を尽くしてきた。しかしながら、東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった。日本側はさらに、同会議の期間中、メディアを通じて中国の主権と領土保全を侵犯する言論を繰り返した。楊潔チ外相は中日外相会談で、中国側の釣魚島問題における原則と立場を説明し、釣魚島と付属の島が中国固有の領土であることを強調した。その後、日本側はさらに、外相会談の内容について真実と異なることを流布し、両国の東シナ海問題の原則と共通認識を実行に移すという中国側の立場を歪曲した。日本側のあらゆる行為は衆目が認めるように、両国指導者のハノイでの会談に必要な雰囲気を壊すもので、これによる結果は日本側がすべて責任を負わなければならない。
このように双方の主張、説明をつきあわせてみると事態の背景を解析する重要な示唆が見えてきますが、その前に記憶しておかなければならないのは29日午前行われた日中外相会談の後、カメラの前で「大変いい雰囲気の中で淡々としかしお互いの言うべきことは言う、前向きな議論ができたのではないかと思う。おそらくこのハノイで日中首脳会談が行われるだろう」と語った当の前原外相が、その後首脳会談が見送りになるのではないかという局面になると、この首脳会談の帰趨について、しれっとして「中国側に会談する意思があるかどうかだ。こちらは冷静に対応していく」と記者団に述べたことです。
重ねてですが、ここで重要なことは、中国外務省の胡正躍次官補が「日本側が会談を実施する雰囲気を壊した」と指摘したことをどう解析するのかです。
しかし、知ってか知らずかはわからないのですが、政治家はもちろんメディアも、必ずしも的確な解析を提示していません。
「知ってか知らずかはわからないが」というのは、政治家やメディアのなかには本当に無知というか考えも及ばずに語っているものもあるのでしょうが、中には確信犯というべきか、わかっていて意図的に知らんふりを決め込んで事態を捻じ曲げているケースも否定できないからです。
しかしここでより根深い問題は、そういう悪意にもとづいたものよりも「無知」と浅薄な解釈、解析にもとづく言説だというべきです。(悪意にもとづくものはわかりやすいので対処法も明らかですから・・・)
もちろん、福山官房副長官が言うようにガス田問題にかかわる「根拠のない報道」が要因のひとつであることは否定できないでしょう。
中国側がきわめてセンシティブな問題と位置づけている東シナ海ガス田開発問題をめぐって「前原誠司、楊潔チ両外相が交渉再開で合意した」とAFPが伝えたことをいうわけですが、日本の外務省が急きょ「合意した事実はない」と抗議し、AFPも修正記事を配信しています。
しかし、だから中国側の「誤解」だ、あるいはそこから「横暴な中国」という言説に跳んでいくことでいいのか、ここが重要なところです。
さらにいえば、
「中国国内で反日、あるいは温家宝首相への批判が強まっているという国内事情があるので、それを日本側のせいにしてかわそうとしている・・・」
「前原が悪いという、前原のせいにしてしまう構図を作ろうとしている・・・」
という言説に落とし込んですべてを説明するということで本当にいいのかということです。
けさから昼にかけてのテレビ番組の中では識者然とした大学の特別招聘教授という人物が「要は中国の内部問題なのだからあたふたする必要はない」とコメントしたり、「温家宝が菅さんから逃げ回っているのだ。2人が笑って握手している写真を中国国内で出せない。だから中国側が勘弁してくださいという状況だ・・・」と解説する記者がいたり、「(前原外相のように)ここまではっきり言う政治家が(ようやく)日本に現れたということだ。これまではニーハオ、シェイシェイだけだった。だから前原外相のせいにしてしまうのが一番いいということ(で中国がやっていること)だ。そういう中国の国内事情があることをちゃんと知らなければならない」と言う民主党の政治家が登場したり、あまつさえ「中国は異質な国だということが世界に知れると中国にとってマイナスになるのだから、(それがあきらかになるように)(ノーベル平和賞の)劉暁波の釈放を国会決議してやって、アメリカと価値観を共有して中国に対抗していけばいいのだ・・・」などとわけ知り顔で語る政治家まで登場して、唖然としました。
さて、こんな言説ばかりに付き合っているとうんざりしてきますからこのあたりにしておきますが、見落としてはならないのは、中国の胡正躍外務次官補の発言にある「東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった」という問題です。
すでに知られているように、ハノイに乗り込む前、前原外相はハワイに赴いてアメリカのクリントン国務長官と会談しました。
大好きな鉄道模型をプレゼントされて有頂天になったとは思いたくありませんが、会談後の共同会見でクリントン国務長官から、
「はっきりあらためて言いたい。尖閣諸島は日米安保条約第5条の(適用)範囲に入る。日本国民を守る義務を重視している。」
という発言を引き出して、「勇気づけられた」と得意満面の笑みを浮かべて語りました。
さて、ここで注意が必要なのはクリントン国務長官がなぜ「はっきりあらためて言いたい」と言ったのかということです。
まだ記憶に新しいところですが、日米外相会談は9月23日にもニューヨークで持たれています。 その折、前原外相は、「クリントン国務長官が、尖閣諸島が米側の日本防衛の義務を定めた日米安保条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した」と記者団に発表し、日本では大きく報じられました。しかし、前原大臣の「発表」が日本で大きく報じられたのとは裏腹に、その後、クリントン国務長官が前原氏の言うようなことを言ったのかどうかあいまいであることが指摘されることになりました。
とりわけ国務省のクローリー報道官が同じ日に、クリントン長官と前原外相の会談について、記者団に対して、米国側は「日中両国の相違点を双方ができるだけ早急に解決するよう前向きに取り組む」よう働き掛けたと語るとともに「われわれは尖閣諸島の主権に関してはいかなる立場も取らない」と述べたことは、前原氏の説明とのニュアンスの違いを際立たせることになりました。
さらに経済ニュースメディアのブルムバーグやロイターなど、海外メディアのなかにはこの「安保適用」には全く言及のないものもありました。
厳密に言うと米国国務省と日本の外務省の会談記録を突き合わせない限り、実際のところがどうだったのか、真実はわからないということなのです。
日本のメディア、新聞と通信社の記事を突き合わせてみると、あくまでも「前原氏によると」というクレジットがつくようなのです。さらに海外メディアの報道なども総合すると、前原氏が、安保条約が適用されるべきだと主張したことにクリントン氏が「(あなたの言うことは)理解する」と返したといった程度のニュアンスだと考えるのが妥当だと言うべきなのです。
これは重大なことです。前原氏は外務大臣であり外務省の報道官ではありません。なぜ、この会談については報道官になりかわって彼があたかもクリントン氏からそういう話があったというように記者にブリーフしたのか、という疑念が生じるものでした。
こういう文脈で見ていくと、なぜ、この短い間にあいついで日米外相会談が持たれたのか、それもクリントン氏がハノイに行く直前にハノイならぬハワイでクリントン氏をつかまえて会談しなければならなかったのかが見えてきます。
そしてクリントン氏が「あらためてはっきり言いたい」と「あらためて」という言葉を使って語った背景がくっきりと浮かび上がってくると言うべきです。
まさに「事実は小説より奇なり」で、いまや勢いを失った国際スパイミステリーより現実の方が余程ミステリアスでエキサイティングだと言えます。
しかしこんなことで「面白がっている」わけにはいきません。事態は実に深刻です。
プレゼントは蒸気機関車の模型だけにとどめておくべきなのでした。間違ってもクリントン氏は「リップサービス」でこんなことを言うべきではなかったのです。
いや!そうではなくうがって考えれば、情けないことに、いいように乗せられたのは前原氏であり日本だったということすらありうるというべきです。
なぜかというと、米国務省のクローリー国務次官補は29日のワシントンでの会見で「尖閣諸島は日米安保条約の枠内にある」とするクリントン国務長官のハワイでの発言に中国側が不快感と警戒感を示していることについて「同諸島の最終的な主権について米国はどちらを支持する立場もとらないが、条約上は(米国の防衛義務を定めた)第5条の枠内にあると考えている」と説明したうえで「(尖閣問題は)中国と日本の問題であり、お互いを尊重する対話を通じて解決されるべきだと信じている」と述べたのです。
密かにほくそ笑むのは米国であり中国だということになるのかもしれません。
「前原を使って中国にくさびを打ち込んだぜ・・・」としてやったりの米国と、また米国に乗せられて度し難い日本だ・・・と、ちょっと苦々しく笑う中国・・・。
まさに国際政治の虚々実々のゲームが繰り広げられていることが伝わってくると言うべきですが、幼いと言うべきか蒸気機関車の模型をもらって有頂天になってしまっている前原外相を手玉に取るぐらいは、米国にとって、赤子の手をひねるよりたやすいことだといわんばかりのものだ、と言わざるをえません。
さらに重要なことは、ニューヨークでの日米外相会談でクリントン国務長官から「安保適用」発言を引き出した後、メディアではあまり重視されなかったのですが、今月15日に前原氏は会見で、月末にハノイで行われる東南アジア諸国連合(ASEAN)会合に合わせ調整している日中首脳会談について、「尖閣諸島は日本固有の領土との立場を堅持し、(日中首脳会談を)拙速に行うべきではない」との考えを強調するとともに、会談の調整のため訪中した斎木昭隆アジア大洋州局長に「焦らなくていい」と指示したと、自ら明らかにしたのでした。
こうした動きを見据えるかのようにして、中国のトウ暁玲ASEAN大使は22日、日本のメディアと会見して、ASEAN諸国の一部との間で領有権問題を抱える南シナ海を巡り「2国間の範囲での解決を求めるべきだ。米国はこの問題を持ち出すことはできない。どの国が何を言っても、この問題で中国の立場は変わらない」と語って、米国の介入とともに米国をひきずりこもうとする「策動」には決然たる態度でのぞむことを明確にしていたのです。
これだけの「警報」が発せられていたにもかかわらず前原外相が、不用意にというか図に乗ってハノイでの日中外相会談に臨み尖閣問題を持ち出して、あまつさえなにも省みることなく「おそらくこのハノイで日中首脳会談が行われるだろう」などと、あたかも自分がすべてを仕切っているかのごとく得意然と語るに及んで、日中首脳会談は吹き飛んでしまったということなのです。
さて、「中国一人と勝負するのではなく、リスクを分散して軍事的にはアメリカと連携してフィリピン、ベトナム、インドネシア、インドなどとも連携して中国と勝負することを考えるべきだ・・・」という、けさのテレビ番組に出演していた民主党の政治家や「アメリカと連携してTTPに参加していけば中国に対する強力なメッセージになる」、「日本が東南アジア諸国と連携することを中国は恐れているのだから、そこを衝くべきだ・・・」といった識者の「見立て」が果たして成り立つものかどうか、すでに答えは出ているのではないでしょうか。
「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている。・・・中国に進出している企業、中国からの輸出に依存する企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る。・・・中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人よしだ。・・・より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある・・・」と語った民主党の幹部がいたことをどう考えるべきでしょうか。・・・と、このコラムに書いたのは10月9日のことでした。
「仕分け」などというメディア相手のパフォーマンスにうつつを抜かす程度で満足していればいいものを、この政治家がまたもや飛び出してきて「仕分け」の片手間に、今回の首脳会談中止について、「ひとえに中国側に問題がある。あちら側にやる意思がないので、こちら側から『ぜひやってくれ』というものではない」というコメントを発しています。
菅首相はなにかというと戦略的互恵関係を深めてとか発展させてと言うのですが、さて、戦略的互恵関係とは何を意味するのか。日中関係の歴史にまでさかのぼって明確に認識できていればおのずと今回のように尖閣問題を「問題化」させることもなかったでしょうし、日中関係を根底的かつ危機的に揺さぶる事態を招くこともなかっただろうと思います。
また、上に引いたようなレベルの低いコメントを発する政治家を党の枢要な役につけることもなかったでしょう。
ただし、今回の事態は実に「不幸」なことですが、皮肉なことに、物事はなにも負の側面だけではないでしょう。
ここで中国と真正面から向き合うということはどういうことなのかをしっかり「学習」して、まさに思想と哲学そして深い経綸をもって日中関係を考え、それに基づいた政策を立て、政治決断をしていくことにつなげていくことができれば、まさに災いを転じての謂に沿った将来につなげることができると考えます。
ただし!それが前原氏や菅総理大臣らにできるとはとても考えられませんが・・・。
それにしても政権交代とはなんだったのか、日本の病は度し難いところに来たと言わざるをえません。
そして、ここでもやはりメディアに携わる者は心してかからなければならないと考えます。
このままでは日本の行く末を誤らせかねないミスリードにつぐミスリードになりかねないと言うべきです。
2010年10月25日
朝鮮の地に立ってB
(承前)
ところで、朝鮮の経済について考える際、私たちに、というか私にはなかなかわかりにくい問題がいくつも出てきます。まず、社会主義経済の基本的な仕組みについて、書物などからの、それも少しばかりの知識はありますが、そうした社会で暮らしたことがないので実体験としてわかるということがないため、話を聞いてもなかなかピンと来ないものです。
私は、一応、経済学を学んできたのですが、ゼミのテキストは、いまはもうほとんど見向きもされない「資本論」(最近はファッションのように新書や漫画本で話題になっているので奇妙な気がします)でした。それもまあなんとか最後まで読んだというか目を通した程度で自信はありません。ただ、価値法則から再生産表式ぐらいまではなんとかおおむねのところは理解しようと努力したので一応の知識はないわけではないと思っています。
しかし、社会主義経済とその下での生産方式と分配、とりわけ貨幣、賃金と物=商品の関係については具体的な仕組みやそこに存在する問題や矛盾について、実感としてはわかりません。
こんなことを書くのはなぜかというと、話しはまわりくどくなりますが、時代は少しさかのぼります。
朝鮮の経済問題について当事者の話に直に「触れた」のは2002年のいわゆる「七・一措置」と呼ばれた「経済管理改善措置」が実施されることになり、朝鮮から経済部門の高位の幹部が訪日して話をする場に「居合わせた」ことが最初でした。
その折のメモなどをどこにしまいこんだのか、いますぐ見つけることができないのでぼんやりとした記憶しかないのですが、高位の朝鮮当局者が訪日して日本の経済関係者に朝鮮の「経済管理改善措置」について説明する会合がもたれるということを、どこかから耳にして、主催者を探して聴講をお願いしたのでした。メディア関係者の聴講は断りたいというのを無理に頼み込んで、オフレコを条件になんとか聴講を許されたのでした。
会場には日本の企業(特に朝鮮に債権を持っている企業のようでした)関係者をはじめ在日朝鮮人の企業、商工関係者が集まっていたように記憶しています。その場でかなり詳しく「改善措置」について説明があったのですが、正直なところさっぱりわからないというのか、話の筋はちゃんと聴いているのですが、一体なぜこういう「改善」が必要になり、この「改善措置」によって何がどう変わっていくのかがピンとこないのでした。
私が経済の実務に疎いということが最大の原因だったのだろうとは思いますが、朝鮮で何が起きているのかということが体感として理解できるというところに至らなかったのです。
しかし、ひとつだけ、私なりに理解したのは、社会主義経済の下で価値法則にもとづいて、商品経済、市場経済の要素を取り入れ拡大していくということなのだろう、ということでした。多分、実態としては「起きていた」ことを制度上追認するとともに、より踏み込んで「改革」するということだったのかもしれません。
朝鮮の内部的要因もあるかもしれませんが、それと不可分の問題として、なによりソ連の崩壊にともなう社会主義圏とその国際的な市場の消滅という要因が大きな引き金になって、なんらかの「経済改革」を余儀なくされたというものではないかと考えたものでした。いずれにしても、社会主義計画経済ではうまく回らない実態があり、市場経済の要素を取り入れていく、もしくは拡大していくことに舵を切ったという意味で、その当時はあまり注目されませんでしたが、朝鮮にとっては大きな転換点だったのではないかと感じています。
その意味ではメディアや研究者は直近の「デノミの失敗」を言う前に、2002年の「経済管理改善措置」に遡って朝鮮経済と社会、そして庶民の暮らしの変化というものをつぶさに検証しなおすことが必要ではないかと思っています。
そのことを押さえた上で、今後の朝鮮の行方を正確につかんでいくためには、現在の朝鮮経済の実態について、さらに深く考察、分析が必要になると痛感します。そう考えると、詳細な情報と実際に即した理解、認識が不可欠だと思うのですが、そうした問題意識を満たすだけの情報は、今回の訪朝では得られませんでした。
もちろんせいぜい一週間あまり出かけたからといってそうしたことがすべて見えてくるということなどありえませんから、仕方のないことですが、一方では、一例を挙げれば、庶民の暮らしへの市場経済の浸透、拡大といったミクロな経済にふれる見聞はできるだけ避けたいという考えが、受け入れ側にあったのではないかと感じました。
しかし、メディアによくありがちな「覗き見趣味」という次元ではなく、今後の朝鮮の行方を過不足なく、誤りなく理解し認識を深めていくためには、ヒアリングに応じてくれた経済専門家の話しにあるようなマクロな問題にとどまらず、企業の生産現場や庶民の暮らしの実態に直に接する機会を持たないと全体の方向性がわからないということではないかと、これは受け入れ側にとっては「不遜のきわみだ」と思われることかもしれませんが、折角の機会をどう生かしていくのかという視点からは今後の課題として残ったと思いました。
それはそれとして、わからない、ピンとこないという問題に戻ると、その最大の疑問のひとつは、民生の向上という課題と配給制度の関係です。メディアなどでは、90年代に配給制度の崩壊がいわれ、商品経済の浸透とそれがもたらした貧富の格差の拡大がしばしば取り上げられています。すでに書きましたように今回の経済専門家からのヒアリングは、本当に残念なことに、次の予定の関係で時間が限られていて、どんな質問にも間髪を入れず的確、具体的に答えてくれる実に優秀な専門家だったにもかかわらず、聞きたいことの百分の一も聞けなかったという悔いが残りました。したがってこれからの感慨は車窓などからの遠望にもとづく推測の域を出ないことをお断りした上でのことになります。
まず、2002年の「改善措置」以降、多分商品経済―市場経済のセクターが拡大したであろうことは確かだと感じました。17年ぶりの平壌は、見違えるほどあちこちに「商店」が増えているだけではなくそれらに賑わいが見て取れました。加えてスタンドのような店が随所にあり人だかりもかなりのものでした。それらの位置づけが正式に認められたものなのかどうかは確かめていませんが、少なくともかつては「不法」なものとされていた市場経済の要素を認めざるをえないところにきていることは確かだと思います。平壌駅からほど近いところにできた水色の大きな屋根の市場の前を通りかかったのですが下車して見ることはできませんでした。しかしこうした市場が活況を見せるというのはすでに商品経済―市場経済が生活の一部に浸透してきている証左だと思います。
配給についていえば、今現在どうなっているのかは確認できませんが、従来の配給制度も、たとえば食品の品目毎に指定された券かなにかを持っていけば格安の値段で手に入れることができるといった性格のもののようでしたから、まったく貨幣を介さず配られるというものではなかったと考えられます。(ある品目について、ある時期までは無償で配給されたということもあるようです)
いわば二重価格のような仕組みのなかで、配給と同時に余力のある人は貨幣でより多くあるいはより多様なものを手に入れることができるということだったのではないかと想像します。
すると、現在はそうした配給の仕組みはほぼ機能していない、あるいは貨幣経済―市場の論理で日常生活が動いているという状況だと考えるほうが自然なのかと思います。であればこそ、朝鮮といえども市場経済の流れを押しとどめることは無理で、早晩、市場経済の論理が社会を覆うということを前提に今起きているさまざまな社会現象を解析するほうが実態に即した分析が可能になると考えます。
これを書きながら、数年前のことだったと思いますが、長く朝鮮との貿易に携わってきて、私にいくばくかの信頼を置いてくださっていた方が、出張で出かけた朝鮮から帰国した折「どうも生活が大変な状況のようだ。食糧の困窮が広がっている。地方に行ったが、これまでは私的な商売をしたり作物をつくったりして売るということは不法だとされてきたのが、いまはもうそんなことも言っておられず、どうも私的な経済にゆだねざるをえないというところにきているようだ。また食糧を手に入れるために移動が必要不可欠となり、従来、列車などで移動する際必要だった証明書は有名無実になっている・・・」と話してくれたことを思い出します。また「農民も自分で作物をつくり食料を確保するということが黙認されているようだ・・・」と言う話も聴きました。
ずいぶん前の話ですが、こうした「実態=現実」と「建前=外形」の乖離をどのように埋めて本当に力強い経済をつくっていくのかが、強盛大国への扉を開くとしている2012年に向かう際には大きな課題になるだろうと思いました。
さらに、民生の向上を掲げるとき重要なことは「格差」の拡大をどうしていくのかという問題があると思います。どういう仕組かはわかりませんが、市場経済の要素が拡大するなかで、うまく儲けることのできる人とそうではない人の溝が深く、広くなっているのではないかと思います。
昼食のため静かな公園の丘の上にある白亜の館とでもいう趣の瀟洒なホテルのレストランに入ったときのことです。レストランの内装や造り自体想像をこえる洒落たもので驚いたのですが、そこで食事をする客層にはさらに驚きました。喩えは陳腐ですが、銀座の高級ブティックから出てきたといわれても不思議ではない装いの夫人たちとその娘さんと思われるグループがテーブルを囲んでいたりして、一体どこにいるのだろうかと思ったものでした。食事をしながら気になって注意していたのですが、結局どういう人たちなのかはわかりませんでした。ただ、うっすらと流れてくる低い声の会話のなかに一瞬、若い娘さんが日本語の単語のようなことばを交えたような気がしたのですが、あるいはまったくの気のせいかもしれません。ただ、こういう優雅な昼食の時間を過ごす階層の人たちがいるということもまた朝鮮の現実だと知ることになりました。
これはある意味では極端な例かもしれませんが、もっと一般的には平壌市民と農村部の人たちの格差の問題が重要だと思います。
平壌市街から少し出ると農村地帯が広がりますが、車窓から目にするそうした農村部の人たちの暮らしぶりとの落差はかなり大きいのではないかと感じました。もちろん農作業に従事するわけですから普段着飾っていることはできませんから、単に外見的な服装などだけを比較するのは控えるべきでしょう。
しかし、私には明らかに暮らしの格差というものが感じられ、いささかやるせない気持ちになったことも確かです。
ただし、貧しいことが罪であるわけはなく、どの国も、どの国民にも貧しい時代があり、そこから国を豊かにし、暮らしを向上させてきた歴史があるわけですから、朝鮮もまた民生の向上をなによりも重要な課題として認識し、目標に掲げているのだろうと思います。
それだけの理解を前提に、私が気になったのは農村部を走る車窓から見た、そこを往来する人々の表情でした。どこか諦念というか、目の輝きが乏しく無表情に感じられたのは、私だけの感慨だったのだろうかと、いまも思い返すのです。
ここで突然、1980年代後半の上海に時と場所が跳びます。中国が、改革開放が本格化していくとば口にあったころのことです。
そのころ、日本企業の中国事務所長として北京に長く駐在して仕事をしてきた友人と杭州から上海に旅をしたことがありました。この友人は、旅の途中出会う中国人とは当然のことながら中国語で話をしますが、時折私にむけて話す際日本語をまぜて話すことがあり、中国人から「おまえは日本語が上手いな、どこで勉強したのだ・・・」と聞かれるぐらい中国語が堪能で、生粋の北京人と思われることはないようでしたが、まあ少し田舎のなまりがある中国人だと思われるぐらいには中国に溶け込んでいる人物でした。
足の踏み場もないほど混雑する硬座車に立ったまま冷房もない真夏の列車の旅を耐えて上海に着いた翌日、開店して間もなしの、フランスの高級レストランで食事をすることになりました。この店は東京の銀座に開店したときも話題になったぐらいですから、上海でも当然注目を集めていました。
タオルを首に巻いてだらだら流れる汗に耐えて大げさではなく泥々になって列車に乗ってきた前日の旅とは大きな落差のある食事でした。
席について注文を終えて、料理が運ばれてきたときなぜか異様な感覚に襲われ、ふと目を外にやると、天井まで大きく窓の開いたレストランのガラス一面にべったりと張り付いた大勢の老若男女の食い入るように見つめる目が、私の目に飛び込んできたのでした。私は臆してというよりなにか申し訳ない気がして「これは食べられないね・・・」とつぶやいたのでしたが、その友人からは意表を突くようなことばが返ってきました。
「なに、気にすることはない。連中はきっといつか俺たちもあの料理を食べてやるぞって思ってああやって張り付いてるんだ。見せつけてやればいいんだよ。するとやつらも絶対這い登ってやるぞって闘志を燃やしてがんばるもんだ。それも中国のためというもんだ・・・」
正直、私はことばもなく、このあと料理がのどを通りませんでした。味もなにもあったものではありませんでしたし、永年の友人でしたが、こいつはなんてことを言うんだと思ったものです。しかし、いまの中国を見るとき、私のヒューマニズムらしきものなど本当に甘っちょろいものだったと思うのです。友人の言うように、まさに中国人たちは、いつかはきっと!という一念でひたすらがんばってきたのだと思います。その意味では友人の言ったことは一面の真実を衝いていたと、いまになって思うこともあります。もちろん賛否は別ですが・・・。しかし、あの上海の高級レストランのガラスに張り付いた目のぎらつきを今はその当時とは全く違った感慨で思い起こすのでした。
さて、なぜこんな思い出話を書くのかというと、朝鮮で、特に農村部で見た人々の目にはそのときのようなぎらつきがなく、どこか静かな諦念といった趣がただよい、ある時には色濃く疲労を宿した表情に映るものがあったと言えなくもないからです。
もちろん民族性の違いというものもあるかもしれませんし、だれもがそんなぎらぎらした情念を表に表わすものではないかもしれません。
あまりにも私の独断、情緒に過ぎると批判されるかもしれません。
しかし、私には上海で見た人々の目に宿るものと今回の訪朝時のそれとの違いがどうも気になって仕方がないのでした。民生の向上を掲げるかぎり、こうした庶民にこそ、その成果、恩恵がもたらされるようにと念ずるばかりです。
話が情緒に流れすぎたかもしれません。しかし、これもまた朝鮮の地を踏んだ私のいつわらざる感慨の一断面でした。
ただし、では日本ではそうした目の輝きが見られるのかといえば、はなはだこころもとないということも忘れてはならないと思います。
それだけのわきまえを持ちながら、さらに「車窓からの考察」を考え続け、深めていく作業が必要だと感じています。
(つづく)
ところで、朝鮮の経済について考える際、私たちに、というか私にはなかなかわかりにくい問題がいくつも出てきます。まず、社会主義経済の基本的な仕組みについて、書物などからの、それも少しばかりの知識はありますが、そうした社会で暮らしたことがないので実体験としてわかるということがないため、話を聞いてもなかなかピンと来ないものです。
私は、一応、経済学を学んできたのですが、ゼミのテキストは、いまはもうほとんど見向きもされない「資本論」(最近はファッションのように新書や漫画本で話題になっているので奇妙な気がします)でした。それもまあなんとか最後まで読んだというか目を通した程度で自信はありません。ただ、価値法則から再生産表式ぐらいまではなんとかおおむねのところは理解しようと努力したので一応の知識はないわけではないと思っています。
しかし、社会主義経済とその下での生産方式と分配、とりわけ貨幣、賃金と物=商品の関係については具体的な仕組みやそこに存在する問題や矛盾について、実感としてはわかりません。
こんなことを書くのはなぜかというと、話しはまわりくどくなりますが、時代は少しさかのぼります。
朝鮮の経済問題について当事者の話に直に「触れた」のは2002年のいわゆる「七・一措置」と呼ばれた「経済管理改善措置」が実施されることになり、朝鮮から経済部門の高位の幹部が訪日して話をする場に「居合わせた」ことが最初でした。
その折のメモなどをどこにしまいこんだのか、いますぐ見つけることができないのでぼんやりとした記憶しかないのですが、高位の朝鮮当局者が訪日して日本の経済関係者に朝鮮の「経済管理改善措置」について説明する会合がもたれるということを、どこかから耳にして、主催者を探して聴講をお願いしたのでした。メディア関係者の聴講は断りたいというのを無理に頼み込んで、オフレコを条件になんとか聴講を許されたのでした。
会場には日本の企業(特に朝鮮に債権を持っている企業のようでした)関係者をはじめ在日朝鮮人の企業、商工関係者が集まっていたように記憶しています。その場でかなり詳しく「改善措置」について説明があったのですが、正直なところさっぱりわからないというのか、話の筋はちゃんと聴いているのですが、一体なぜこういう「改善」が必要になり、この「改善措置」によって何がどう変わっていくのかがピンとこないのでした。
私が経済の実務に疎いということが最大の原因だったのだろうとは思いますが、朝鮮で何が起きているのかということが体感として理解できるというところに至らなかったのです。
しかし、ひとつだけ、私なりに理解したのは、社会主義経済の下で価値法則にもとづいて、商品経済、市場経済の要素を取り入れ拡大していくということなのだろう、ということでした。多分、実態としては「起きていた」ことを制度上追認するとともに、より踏み込んで「改革」するということだったのかもしれません。
朝鮮の内部的要因もあるかもしれませんが、それと不可分の問題として、なによりソ連の崩壊にともなう社会主義圏とその国際的な市場の消滅という要因が大きな引き金になって、なんらかの「経済改革」を余儀なくされたというものではないかと考えたものでした。いずれにしても、社会主義計画経済ではうまく回らない実態があり、市場経済の要素を取り入れていく、もしくは拡大していくことに舵を切ったという意味で、その当時はあまり注目されませんでしたが、朝鮮にとっては大きな転換点だったのではないかと感じています。
その意味ではメディアや研究者は直近の「デノミの失敗」を言う前に、2002年の「経済管理改善措置」に遡って朝鮮経済と社会、そして庶民の暮らしの変化というものをつぶさに検証しなおすことが必要ではないかと思っています。
そのことを押さえた上で、今後の朝鮮の行方を正確につかんでいくためには、現在の朝鮮経済の実態について、さらに深く考察、分析が必要になると痛感します。そう考えると、詳細な情報と実際に即した理解、認識が不可欠だと思うのですが、そうした問題意識を満たすだけの情報は、今回の訪朝では得られませんでした。
もちろんせいぜい一週間あまり出かけたからといってそうしたことがすべて見えてくるということなどありえませんから、仕方のないことですが、一方では、一例を挙げれば、庶民の暮らしへの市場経済の浸透、拡大といったミクロな経済にふれる見聞はできるだけ避けたいという考えが、受け入れ側にあったのではないかと感じました。
しかし、メディアによくありがちな「覗き見趣味」という次元ではなく、今後の朝鮮の行方を過不足なく、誤りなく理解し認識を深めていくためには、ヒアリングに応じてくれた経済専門家の話しにあるようなマクロな問題にとどまらず、企業の生産現場や庶民の暮らしの実態に直に接する機会を持たないと全体の方向性がわからないということではないかと、これは受け入れ側にとっては「不遜のきわみだ」と思われることかもしれませんが、折角の機会をどう生かしていくのかという視点からは今後の課題として残ったと思いました。
それはそれとして、わからない、ピンとこないという問題に戻ると、その最大の疑問のひとつは、民生の向上という課題と配給制度の関係です。メディアなどでは、90年代に配給制度の崩壊がいわれ、商品経済の浸透とそれがもたらした貧富の格差の拡大がしばしば取り上げられています。すでに書きましたように今回の経済専門家からのヒアリングは、本当に残念なことに、次の予定の関係で時間が限られていて、どんな質問にも間髪を入れず的確、具体的に答えてくれる実に優秀な専門家だったにもかかわらず、聞きたいことの百分の一も聞けなかったという悔いが残りました。したがってこれからの感慨は車窓などからの遠望にもとづく推測の域を出ないことをお断りした上でのことになります。
まず、2002年の「改善措置」以降、多分商品経済―市場経済のセクターが拡大したであろうことは確かだと感じました。17年ぶりの平壌は、見違えるほどあちこちに「商店」が増えているだけではなくそれらに賑わいが見て取れました。加えてスタンドのような店が随所にあり人だかりもかなりのものでした。それらの位置づけが正式に認められたものなのかどうかは確かめていませんが、少なくともかつては「不法」なものとされていた市場経済の要素を認めざるをえないところにきていることは確かだと思います。平壌駅からほど近いところにできた水色の大きな屋根の市場の前を通りかかったのですが下車して見ることはできませんでした。しかしこうした市場が活況を見せるというのはすでに商品経済―市場経済が生活の一部に浸透してきている証左だと思います。
配給についていえば、今現在どうなっているのかは確認できませんが、従来の配給制度も、たとえば食品の品目毎に指定された券かなにかを持っていけば格安の値段で手に入れることができるといった性格のもののようでしたから、まったく貨幣を介さず配られるというものではなかったと考えられます。(ある品目について、ある時期までは無償で配給されたということもあるようです)
いわば二重価格のような仕組みのなかで、配給と同時に余力のある人は貨幣でより多くあるいはより多様なものを手に入れることができるということだったのではないかと想像します。
すると、現在はそうした配給の仕組みはほぼ機能していない、あるいは貨幣経済―市場の論理で日常生活が動いているという状況だと考えるほうが自然なのかと思います。であればこそ、朝鮮といえども市場経済の流れを押しとどめることは無理で、早晩、市場経済の論理が社会を覆うということを前提に今起きているさまざまな社会現象を解析するほうが実態に即した分析が可能になると考えます。
これを書きながら、数年前のことだったと思いますが、長く朝鮮との貿易に携わってきて、私にいくばくかの信頼を置いてくださっていた方が、出張で出かけた朝鮮から帰国した折「どうも生活が大変な状況のようだ。食糧の困窮が広がっている。地方に行ったが、これまでは私的な商売をしたり作物をつくったりして売るということは不法だとされてきたのが、いまはもうそんなことも言っておられず、どうも私的な経済にゆだねざるをえないというところにきているようだ。また食糧を手に入れるために移動が必要不可欠となり、従来、列車などで移動する際必要だった証明書は有名無実になっている・・・」と話してくれたことを思い出します。また「農民も自分で作物をつくり食料を確保するということが黙認されているようだ・・・」と言う話も聴きました。
ずいぶん前の話ですが、こうした「実態=現実」と「建前=外形」の乖離をどのように埋めて本当に力強い経済をつくっていくのかが、強盛大国への扉を開くとしている2012年に向かう際には大きな課題になるだろうと思いました。
さらに、民生の向上を掲げるとき重要なことは「格差」の拡大をどうしていくのかという問題があると思います。どういう仕組かはわかりませんが、市場経済の要素が拡大するなかで、うまく儲けることのできる人とそうではない人の溝が深く、広くなっているのではないかと思います。
昼食のため静かな公園の丘の上にある白亜の館とでもいう趣の瀟洒なホテルのレストランに入ったときのことです。レストランの内装や造り自体想像をこえる洒落たもので驚いたのですが、そこで食事をする客層にはさらに驚きました。喩えは陳腐ですが、銀座の高級ブティックから出てきたといわれても不思議ではない装いの夫人たちとその娘さんと思われるグループがテーブルを囲んでいたりして、一体どこにいるのだろうかと思ったものでした。食事をしながら気になって注意していたのですが、結局どういう人たちなのかはわかりませんでした。ただ、うっすらと流れてくる低い声の会話のなかに一瞬、若い娘さんが日本語の単語のようなことばを交えたような気がしたのですが、あるいはまったくの気のせいかもしれません。ただ、こういう優雅な昼食の時間を過ごす階層の人たちがいるということもまた朝鮮の現実だと知ることになりました。
これはある意味では極端な例かもしれませんが、もっと一般的には平壌市民と農村部の人たちの格差の問題が重要だと思います。
平壌市街から少し出ると農村地帯が広がりますが、車窓から目にするそうした農村部の人たちの暮らしぶりとの落差はかなり大きいのではないかと感じました。もちろん農作業に従事するわけですから普段着飾っていることはできませんから、単に外見的な服装などだけを比較するのは控えるべきでしょう。
しかし、私には明らかに暮らしの格差というものが感じられ、いささかやるせない気持ちになったことも確かです。
ただし、貧しいことが罪であるわけはなく、どの国も、どの国民にも貧しい時代があり、そこから国を豊かにし、暮らしを向上させてきた歴史があるわけですから、朝鮮もまた民生の向上をなによりも重要な課題として認識し、目標に掲げているのだろうと思います。
それだけの理解を前提に、私が気になったのは農村部を走る車窓から見た、そこを往来する人々の表情でした。どこか諦念というか、目の輝きが乏しく無表情に感じられたのは、私だけの感慨だったのだろうかと、いまも思い返すのです。
ここで突然、1980年代後半の上海に時と場所が跳びます。中国が、改革開放が本格化していくとば口にあったころのことです。
そのころ、日本企業の中国事務所長として北京に長く駐在して仕事をしてきた友人と杭州から上海に旅をしたことがありました。この友人は、旅の途中出会う中国人とは当然のことながら中国語で話をしますが、時折私にむけて話す際日本語をまぜて話すことがあり、中国人から「おまえは日本語が上手いな、どこで勉強したのだ・・・」と聞かれるぐらい中国語が堪能で、生粋の北京人と思われることはないようでしたが、まあ少し田舎のなまりがある中国人だと思われるぐらいには中国に溶け込んでいる人物でした。
足の踏み場もないほど混雑する硬座車に立ったまま冷房もない真夏の列車の旅を耐えて上海に着いた翌日、開店して間もなしの、フランスの高級レストランで食事をすることになりました。この店は東京の銀座に開店したときも話題になったぐらいですから、上海でも当然注目を集めていました。
タオルを首に巻いてだらだら流れる汗に耐えて大げさではなく泥々になって列車に乗ってきた前日の旅とは大きな落差のある食事でした。
席について注文を終えて、料理が運ばれてきたときなぜか異様な感覚に襲われ、ふと目を外にやると、天井まで大きく窓の開いたレストランのガラス一面にべったりと張り付いた大勢の老若男女の食い入るように見つめる目が、私の目に飛び込んできたのでした。私は臆してというよりなにか申し訳ない気がして「これは食べられないね・・・」とつぶやいたのでしたが、その友人からは意表を突くようなことばが返ってきました。
「なに、気にすることはない。連中はきっといつか俺たちもあの料理を食べてやるぞって思ってああやって張り付いてるんだ。見せつけてやればいいんだよ。するとやつらも絶対這い登ってやるぞって闘志を燃やしてがんばるもんだ。それも中国のためというもんだ・・・」
正直、私はことばもなく、このあと料理がのどを通りませんでした。味もなにもあったものではありませんでしたし、永年の友人でしたが、こいつはなんてことを言うんだと思ったものです。しかし、いまの中国を見るとき、私のヒューマニズムらしきものなど本当に甘っちょろいものだったと思うのです。友人の言うように、まさに中国人たちは、いつかはきっと!という一念でひたすらがんばってきたのだと思います。その意味では友人の言ったことは一面の真実を衝いていたと、いまになって思うこともあります。もちろん賛否は別ですが・・・。しかし、あの上海の高級レストランのガラスに張り付いた目のぎらつきを今はその当時とは全く違った感慨で思い起こすのでした。
さて、なぜこんな思い出話を書くのかというと、朝鮮で、特に農村部で見た人々の目にはそのときのようなぎらつきがなく、どこか静かな諦念といった趣がただよい、ある時には色濃く疲労を宿した表情に映るものがあったと言えなくもないからです。
もちろん民族性の違いというものもあるかもしれませんし、だれもがそんなぎらぎらした情念を表に表わすものではないかもしれません。
あまりにも私の独断、情緒に過ぎると批判されるかもしれません。
しかし、私には上海で見た人々の目に宿るものと今回の訪朝時のそれとの違いがどうも気になって仕方がないのでした。民生の向上を掲げるかぎり、こうした庶民にこそ、その成果、恩恵がもたらされるようにと念ずるばかりです。
話が情緒に流れすぎたかもしれません。しかし、これもまた朝鮮の地を踏んだ私のいつわらざる感慨の一断面でした。
ただし、では日本ではそうした目の輝きが見られるのかといえば、はなはだこころもとないということも忘れてはならないと思います。
それだけのわきまえを持ちながら、さらに「車窓からの考察」を考え続け、深めていく作業が必要だと感じています。
(つづく)
2010年10月20日
朝鮮の地に立ってA
(承前)
朝鮮が「2012年、強盛大国への大門をひらく」という目標を掲げるとき、「経済を一新」して「人民の生活向上のために決定的転換をもたらす」ことが最大かつ喫緊の課題であるとしていることが、ヒアリングした朝鮮社会科学院の経済専門家の話から伝わってきたわけですが、これは金正日総書記から後継体制に安定的に引き継げるかどうかの重要なポイントになるという意味でも、いまの朝鮮の最重要の課題だと言えるでしょう。
その意味では、朝鮮の経済の現況とこれからの目標、課題について、この専門家はきわめて率直に語っていると感じたものです。
朝鮮側のコメントを引くと、すぐに「北朝鮮のプロパガンダだ・・・」などという没論理というかまったく無内容かつ低次元の非難が寄せられたりするのですが、一回目の内容を注意深く読み込んでいただくと、きわめて示唆に富む内容であることがわかると思います。
一見、過剰なまでの自負と自信にみちた「大言壮語」と見えなくもない言説でも、深く読み込むと、いま朝鮮に何が欠けていて、何をしなければならないと考えているのかが如実に見えてきて、この経済の専門家にとどまらず、この後紹介していくことになる外交、安全保障の専門家なども含め、ここまで率直な話に直に接することができたことは、私にとって、今回の訪朝は無駄ではなかったとしみじみ思ったものです。
同時にまた、朝鮮は「変わらない」とともに「変わりつつある」、否!「変わらなければならないと考えてもいる」という実感を深くしたものです。ここがとても大事なところだと思います。
要は、読み込みの深さと読み解きの力量(読解力と分析力)が問われているのだと思います。
その意味では、私の「読み解き能力」では及ばないところが多くあるかもしれないという畏れを抱くがゆえに、分析、判断の材料としての「一次情報」をできるだけ忠実に提供して読者のみなさんとともに考え、深めていきたいと考えているのです。
この訪朝報告を読んでいただく際の基本的視座として受けとめていただければと考えます。
さて、「民生の向上」を言うとき欠かせない最重要の問題、農業、食糧問題です。
まず、前回からの経済専門家の話に耳を傾けてみます。
農業では食糧問題を自力更生する原則にもとづいてヘクタールあたりの収穫を高めることにいちばん力を入れている。特に重点をおいているのは種子革命だ。30年以上の研究によってイネの雑種生産(注:時間の関係で詳細について確認できず)に成功し、作付面積を広げている。1ha当たり10トンの収穫が可能になった。
また、トウモロコシ、大豆の種子の改良にも力を入れ、特にジャガイモはha当たりの収穫量が高い種の改良に取り組みha当たり40トンから60トンの収穫が可能になった。ジャガイモ生産革命を積極的にすすめている。収穫量も高まり栽培面積も飛躍的に増えている。まもなくアジアの「ジャガイモ王国」になるだろう。
(コメでは)二毛作を奨励して積極的にすすめている。北半分は山岳部が多く85%をこえており平野部は15%にも満たないので耕地面積が限られている。最近10年間、二毛作をすすめるたたかいを行った。耕地面積を広げるためのたたかいも積極的に取り組んだ。開墾、干拓をすすめ、このたびテゲ道干拓地が完成、8800haの干拓地ができた。国内のひとつの郡の面積に匹敵する農地ができたことになる。
また、特に重要なことは農業生産に欠かせない肥料の生産基地のしっかりした土台ができたことだ。ナムン青年化学連合企業所で石炭ガス化による肥料生産工程が開発されたことによって今年4月から新しい生産技術による尿素肥料生産が正常化されている。以前は原油を輸入してそこからできるナフサを使って肥料を生産していたがこれからは我国に豊富な石炭を活用して年間数十万トンの肥料が生産できるようになった。ハムンにもガスアンモニア化による肥料生産工程ができ、ここでも肥料生産ができるようになった。来年からは肥料については心配する必要がなくなった。今年までは肥料について少しばかり輸入が必要だった。
有機農法を積極的に奨励しているが、やはり化学農法も適宜、組み入れる必要がある。今収穫期に入っているが今年の農作物の出来は良かった。トウモロコシ、コメも良かった。しかし8月末に大雨があり、被害が多少出たところもある。穀倉地帯で少なからず被害が出ている。被害状況は収穫が終わってみなければわからないが、今後の農業の展望は非常に明るいといえる。
トラクター製造工場も高い水準で近代化された。ここ十数年、土地の規格化をすすめてきたので農村作業の機械化に有利な状況がつくられている。
農業については、要旨、このような話を聴きました。
順安空港に到着してから平壌市街に入るまでの田園地帯、あるいは開城に向かう際や平壌郊外の徳興里にある高句麗遺跡の見学に向かう農村地帯など、随所で秋の収穫作業が見られました。

順安空港から平壌市街への沿道の稲田 開城に向かう高速道路沿いの稲田
私は農業の現場や営農技術について専門的な知識がないので軽々には言えないのですが、収穫作業の様子を移動の車窓から眺めながら、「今年の農作物の出来は良かった」というこの専門家の話は話として、実際のところはイネの実りはすべてが順調というわけにはいかないのではないかと感じました。
というのは、あくまでも私の見た限りでという限定詞つきですが、ところどころに倒伏したものやイネの根元に水がたまって排水されていない状態の田んぼなども散見され、背丈や穂の状態などイネの生育状況が気になるものが見られました。
食糧問題は、特に90年代からずっ深刻な問題として国際社会からの支援の対象となってきたのですが、車窓からとはいえ、農村の田畑の状況や農作業の様子を見ながら、もちろん当座の支援としてはコメをはじめ食糧を送って人々の生活を支えることが肝心だとは思いますが、長い目で考えると、朝鮮の自然環境を破壊しないということに注意を払いながら土壌改良と田畑の基盤整備、そして農薬、肥料、農機具など農業生産の基盤を強化するための国際的な支援こそが重要ではないかと考えました。
もちろんこの専門家の言うとおり「来年からは肥料については心配する必要がなくなった」ということであれば肥料については考える必要はないのでしょうが、その部分の精査も含めて、農業生産力をどう再構築するのかという観点から、専門家の協力が不可欠ではないのかというのが、農村・田園地帯を望見した私の感慨でした。
ただし、ここで「問題」になるのが、私にとって十分理解できていない「チュチェ式」(主体)であり「ウリ式」(われわれ式)という考え方かもしれません。
もちろん自力更生という考え方は大切ですし、そうあるべきと期待もします。したがって外から一方的に農法を押し付けたり、朝鮮の自然環境を無視した土壌改良や基盤整備を持ち込むことがあったりしてはならないことですが、少なくとも無理な連作や密集栽培などで土地の力が衰えていたり、山を育てること(植林)と農業環境の連鎖、連関が崩れていることなど(遠望ですが、木のないむき出しの山肌が随所に見られ、少なくない山では土砂崩れの跡なども散見されたものです)を考えると、農業生産力再生への課題は、これまでの朝鮮の農業の検証、総括に立って、外の専門家の助言や技術にも耳を傾ける必要があるのではないかと思いました。
アジアに冠たる「ジャガイモ王国」はそれとして、民生向上のもっとも基幹となる食糧問題の解決、改善にとって、いま何が必要なのかという観点から外の専門家との協力関係を築くことは重要なテーマではないかと考えます。
今回話を聴いた経済の専門家は農業専門家ではなかったからなのかもしれませんが、工業部門の話に比して、農業については「苦難の行軍」から抜け出て新たな飛躍、発展をめざす力強い胎動というのか迫力というものがいまひとつという感じも否めず、農業・食糧問題に立ち向かう上での具体性が像を結ばないという感じも否定できませんでした。
もちろん時間的な制約でそうなったということが第一の要因かもしれませんが、少しうがった見方になる恐れを覚悟の上で言うと、過去には、朝鮮半島の北半分は鉱工業、南半分が穀倉地帯、農業という地域的な「棲み分け」の歴史があり、自然条件など、どうしても北での農業には一層の困難を伴うということもあるのではないかと考えることがあります。
それだけに、当面はすぐ役に立つ食糧支援が最重要の課題だとしても、国際的な支援、援助のあり方について今一度検証しながら、農業生産力の再生をどうはかるのかという観点から考えてみることが大事ではないかと、素人ながら考えたものでした。
農業問題をめぐる「感慨」に終始してしまいましたが、農業・食糧にかかわる国際的な支援のあり方についての問題提起として、ぜひ多くの方に考えていただきたいと思います。
さて、こうした経済の専門家からのヒアリングとあわせ、平壌郊外にある最新鋭、最先端の果樹農園、大同江果樹総合農場に足を運び見学しました。

見渡すかぎり農場・大同江果樹総合農場 昨年春植えたリンゴの木に早くも実がついた
ここは1000ヘクタールという広大なリンゴ農場で2008年暮れに農場の造成工事がはじまり、深さ60センチ幅1メートルの穴を掘り土20センチ、有機肥料を40センチ積んで、昨年の3月から4月にかけてイタリアから導入した32万本近くのリンゴの木をはじめ数百万本の植え付けをしたということでした。普通は3〜4年は収穫できないものが有機肥料を入れるという独自の営農技術で早くも5月には花が咲き、8月下旬には62トンのリンゴが収穫できたという説明でした。
昨年11月末には金正日総書記が現地指導に訪れて「大満足」を表したといいます。農場には1000トン規模の肥料を生み出す豚の飼育場や5000トンの貯蔵能力をもった加工場、さらには農場で働く1000人余の人たちの住宅から託児所、幼稚園、学校なども備わっている朝鮮最先端の総合農場だということでした。
2012年には108種、3万5000トンのリンゴの出荷を見込んでいるということです。
果樹農場になる前はコメ、トウモロコシを作っていたということですがhaあたりのコメの収量が5〜6トンと低いレベルだったということでリンゴへの転換がおこなわれたようでしたが、金正日総書記の指示でさらに面積を拡大することになっているということでした。
画像は小さいのでわかりにくいと思いますが、農場全体を見下ろす丘の上に立ってみると、ずっと向こうの丘の麓まで見渡す限りリンゴ園が続いていてなんとも壮観でした。
ただし、日々の暮らしに108種類ものリンゴが必要なのか、いまの朝鮮の食糧事情をふまえて、本当にイネからリンゴに作付け転換することが良き判断と言えるのだろうか、あるいは、リンゴ栽培の営農技術に知識がないので確かなことは言えませんが、リンゴ栽培ではこれほどの密植でも大丈夫なのだろうか、などといくつかの疑問が湧き起こりました。
2年後の2012年に一体どのような農場に成長しているだろうかと考えながら、広大な農場内の移動のために大型バスが運行されているこの総合農場を後にしました。
このあとも、民衆の暮らしに目を向けて、食糧問題、農業や農村問題の視点を忘れず朝鮮を見つめ、訪朝報告を書き継いでいこうと考えます。
(つづく)
朝鮮が「2012年、強盛大国への大門をひらく」という目標を掲げるとき、「経済を一新」して「人民の生活向上のために決定的転換をもたらす」ことが最大かつ喫緊の課題であるとしていることが、ヒアリングした朝鮮社会科学院の経済専門家の話から伝わってきたわけですが、これは金正日総書記から後継体制に安定的に引き継げるかどうかの重要なポイントになるという意味でも、いまの朝鮮の最重要の課題だと言えるでしょう。
その意味では、朝鮮の経済の現況とこれからの目標、課題について、この専門家はきわめて率直に語っていると感じたものです。
朝鮮側のコメントを引くと、すぐに「北朝鮮のプロパガンダだ・・・」などという没論理というかまったく無内容かつ低次元の非難が寄せられたりするのですが、一回目の内容を注意深く読み込んでいただくと、きわめて示唆に富む内容であることがわかると思います。
一見、過剰なまでの自負と自信にみちた「大言壮語」と見えなくもない言説でも、深く読み込むと、いま朝鮮に何が欠けていて、何をしなければならないと考えているのかが如実に見えてきて、この経済の専門家にとどまらず、この後紹介していくことになる外交、安全保障の専門家なども含め、ここまで率直な話に直に接することができたことは、私にとって、今回の訪朝は無駄ではなかったとしみじみ思ったものです。
同時にまた、朝鮮は「変わらない」とともに「変わりつつある」、否!「変わらなければならないと考えてもいる」という実感を深くしたものです。ここがとても大事なところだと思います。
要は、読み込みの深さと読み解きの力量(読解力と分析力)が問われているのだと思います。
その意味では、私の「読み解き能力」では及ばないところが多くあるかもしれないという畏れを抱くがゆえに、分析、判断の材料としての「一次情報」をできるだけ忠実に提供して読者のみなさんとともに考え、深めていきたいと考えているのです。
この訪朝報告を読んでいただく際の基本的視座として受けとめていただければと考えます。
さて、「民生の向上」を言うとき欠かせない最重要の問題、農業、食糧問題です。
まず、前回からの経済専門家の話に耳を傾けてみます。
農業では食糧問題を自力更生する原則にもとづいてヘクタールあたりの収穫を高めることにいちばん力を入れている。特に重点をおいているのは種子革命だ。30年以上の研究によってイネの雑種生産(注:時間の関係で詳細について確認できず)に成功し、作付面積を広げている。1ha当たり10トンの収穫が可能になった。
また、トウモロコシ、大豆の種子の改良にも力を入れ、特にジャガイモはha当たりの収穫量が高い種の改良に取り組みha当たり40トンから60トンの収穫が可能になった。ジャガイモ生産革命を積極的にすすめている。収穫量も高まり栽培面積も飛躍的に増えている。まもなくアジアの「ジャガイモ王国」になるだろう。
(コメでは)二毛作を奨励して積極的にすすめている。北半分は山岳部が多く85%をこえており平野部は15%にも満たないので耕地面積が限られている。最近10年間、二毛作をすすめるたたかいを行った。耕地面積を広げるためのたたかいも積極的に取り組んだ。開墾、干拓をすすめ、このたびテゲ道干拓地が完成、8800haの干拓地ができた。国内のひとつの郡の面積に匹敵する農地ができたことになる。
また、特に重要なことは農業生産に欠かせない肥料の生産基地のしっかりした土台ができたことだ。ナムン青年化学連合企業所で石炭ガス化による肥料生産工程が開発されたことによって今年4月から新しい生産技術による尿素肥料生産が正常化されている。以前は原油を輸入してそこからできるナフサを使って肥料を生産していたがこれからは我国に豊富な石炭を活用して年間数十万トンの肥料が生産できるようになった。ハムンにもガスアンモニア化による肥料生産工程ができ、ここでも肥料生産ができるようになった。来年からは肥料については心配する必要がなくなった。今年までは肥料について少しばかり輸入が必要だった。
有機農法を積極的に奨励しているが、やはり化学農法も適宜、組み入れる必要がある。今収穫期に入っているが今年の農作物の出来は良かった。トウモロコシ、コメも良かった。しかし8月末に大雨があり、被害が多少出たところもある。穀倉地帯で少なからず被害が出ている。被害状況は収穫が終わってみなければわからないが、今後の農業の展望は非常に明るいといえる。
トラクター製造工場も高い水準で近代化された。ここ十数年、土地の規格化をすすめてきたので農村作業の機械化に有利な状況がつくられている。
農業については、要旨、このような話を聴きました。
順安空港に到着してから平壌市街に入るまでの田園地帯、あるいは開城に向かう際や平壌郊外の徳興里にある高句麗遺跡の見学に向かう農村地帯など、随所で秋の収穫作業が見られました。
順安空港から平壌市街への沿道の稲田 開城に向かう高速道路沿いの稲田
私は農業の現場や営農技術について専門的な知識がないので軽々には言えないのですが、収穫作業の様子を移動の車窓から眺めながら、「今年の農作物の出来は良かった」というこの専門家の話は話として、実際のところはイネの実りはすべてが順調というわけにはいかないのではないかと感じました。
というのは、あくまでも私の見た限りでという限定詞つきですが、ところどころに倒伏したものやイネの根元に水がたまって排水されていない状態の田んぼなども散見され、背丈や穂の状態などイネの生育状況が気になるものが見られました。
食糧問題は、特に90年代からずっ深刻な問題として国際社会からの支援の対象となってきたのですが、車窓からとはいえ、農村の田畑の状況や農作業の様子を見ながら、もちろん当座の支援としてはコメをはじめ食糧を送って人々の生活を支えることが肝心だとは思いますが、長い目で考えると、朝鮮の自然環境を破壊しないということに注意を払いながら土壌改良と田畑の基盤整備、そして農薬、肥料、農機具など農業生産の基盤を強化するための国際的な支援こそが重要ではないかと考えました。
もちろんこの専門家の言うとおり「来年からは肥料については心配する必要がなくなった」ということであれば肥料については考える必要はないのでしょうが、その部分の精査も含めて、農業生産力をどう再構築するのかという観点から、専門家の協力が不可欠ではないのかというのが、農村・田園地帯を望見した私の感慨でした。
ただし、ここで「問題」になるのが、私にとって十分理解できていない「チュチェ式」(主体)であり「ウリ式」(われわれ式)という考え方かもしれません。
もちろん自力更生という考え方は大切ですし、そうあるべきと期待もします。したがって外から一方的に農法を押し付けたり、朝鮮の自然環境を無視した土壌改良や基盤整備を持ち込むことがあったりしてはならないことですが、少なくとも無理な連作や密集栽培などで土地の力が衰えていたり、山を育てること(植林)と農業環境の連鎖、連関が崩れていることなど(遠望ですが、木のないむき出しの山肌が随所に見られ、少なくない山では土砂崩れの跡なども散見されたものです)を考えると、農業生産力再生への課題は、これまでの朝鮮の農業の検証、総括に立って、外の専門家の助言や技術にも耳を傾ける必要があるのではないかと思いました。
アジアに冠たる「ジャガイモ王国」はそれとして、民生向上のもっとも基幹となる食糧問題の解決、改善にとって、いま何が必要なのかという観点から外の専門家との協力関係を築くことは重要なテーマではないかと考えます。
今回話を聴いた経済の専門家は農業専門家ではなかったからなのかもしれませんが、工業部門の話に比して、農業については「苦難の行軍」から抜け出て新たな飛躍、発展をめざす力強い胎動というのか迫力というものがいまひとつという感じも否めず、農業・食糧問題に立ち向かう上での具体性が像を結ばないという感じも否定できませんでした。
もちろん時間的な制約でそうなったということが第一の要因かもしれませんが、少しうがった見方になる恐れを覚悟の上で言うと、過去には、朝鮮半島の北半分は鉱工業、南半分が穀倉地帯、農業という地域的な「棲み分け」の歴史があり、自然条件など、どうしても北での農業には一層の困難を伴うということもあるのではないかと考えることがあります。
それだけに、当面はすぐ役に立つ食糧支援が最重要の課題だとしても、国際的な支援、援助のあり方について今一度検証しながら、農業生産力の再生をどうはかるのかという観点から考えてみることが大事ではないかと、素人ながら考えたものでした。
農業問題をめぐる「感慨」に終始してしまいましたが、農業・食糧にかかわる国際的な支援のあり方についての問題提起として、ぜひ多くの方に考えていただきたいと思います。
さて、こうした経済の専門家からのヒアリングとあわせ、平壌郊外にある最新鋭、最先端の果樹農園、大同江果樹総合農場に足を運び見学しました。
見渡すかぎり農場・大同江果樹総合農場 昨年春植えたリンゴの木に早くも実がついた
ここは1000ヘクタールという広大なリンゴ農場で2008年暮れに農場の造成工事がはじまり、深さ60センチ幅1メートルの穴を掘り土20センチ、有機肥料を40センチ積んで、昨年の3月から4月にかけてイタリアから導入した32万本近くのリンゴの木をはじめ数百万本の植え付けをしたということでした。普通は3〜4年は収穫できないものが有機肥料を入れるという独自の営農技術で早くも5月には花が咲き、8月下旬には62トンのリンゴが収穫できたという説明でした。
昨年11月末には金正日総書記が現地指導に訪れて「大満足」を表したといいます。農場には1000トン規模の肥料を生み出す豚の飼育場や5000トンの貯蔵能力をもった加工場、さらには農場で働く1000人余の人たちの住宅から託児所、幼稚園、学校なども備わっている朝鮮最先端の総合農場だということでした。
2012年には108種、3万5000トンのリンゴの出荷を見込んでいるということです。
果樹農場になる前はコメ、トウモロコシを作っていたということですがhaあたりのコメの収量が5〜6トンと低いレベルだったということでリンゴへの転換がおこなわれたようでしたが、金正日総書記の指示でさらに面積を拡大することになっているということでした。
画像は小さいのでわかりにくいと思いますが、農場全体を見下ろす丘の上に立ってみると、ずっと向こうの丘の麓まで見渡す限りリンゴ園が続いていてなんとも壮観でした。
ただし、日々の暮らしに108種類ものリンゴが必要なのか、いまの朝鮮の食糧事情をふまえて、本当にイネからリンゴに作付け転換することが良き判断と言えるのだろうか、あるいは、リンゴ栽培の営農技術に知識がないので確かなことは言えませんが、リンゴ栽培ではこれほどの密植でも大丈夫なのだろうか、などといくつかの疑問が湧き起こりました。
2年後の2012年に一体どのような農場に成長しているだろうかと考えながら、広大な農場内の移動のために大型バスが運行されているこの総合農場を後にしました。
このあとも、民衆の暮らしに目を向けて、食糧問題、農業や農村問題の視点を忘れず朝鮮を見つめ、訪朝報告を書き継いでいこうと考えます。
(つづく)