東日本大震災から5か月が過ぎました。
お盆にさしかかっていることもあるのでしょう、被災地では鎮魂と復興への願いをこめたさまざまな催しがおこなわれています。
また、政府や東京電力からの「発表」とは程遠く、依然として事故収束への見通しの立たない東京電力福島第一原子力発電所から放出された放射能に汚染された地域では懸命の除染作業が重ねられていることが伝えられています。
7月末、宮城県の被災地域に足を運びましたが、まだまだ瓦礫の撤去作業がはかどらず、各所にうずたかく積み上げられた瓦礫の山ができていました。
そして、赤さびた鉄骨や粉々になった家々の残骸、コンクリート片、木片が散らばる瓦礫の間から生い茂った夏草が伸びていて、荒涼たる中に緑が織りなす奇妙な風景が広がっていました。
震災をどう思想とするのか、たとえていうなら、この5か月、何度か宮城の地に足を運び、そこで話を聞き、意見を交わしながら考えてきた命題は、このことにつきます。
復興どころか復旧も遅々として進まない現状に、被災地には失望と時にはあきらめにも似たやりきれないほどの絶望が広がっていました。
しかし一方では、政治や行政に任せておくわけにはいかないのだ、結局一人ひとりが立たなければならないと立ち上がる人たちの姿に、絶望のなかにこそ希望が見えるのかもしれないと感じることもありました。
もちろん、だからといってこの国の為政者たちの退廃と無能ぶりが許されていいはずはありません。
しかし、今度こそ本当に震災を思想化し、深いところから現実を変える力にしていかなければならないと考えたものです。
今度こそ、というのは、ささやかではあっても阪神淡路大震災の現場に立って震災報道とそして復興に向けて日本の社会を見つめ、考えるという営みに携った体験を持つからです。
あの時も、歴史的な大災害に遭遇して、日本は変わる、否、変わらなければならないということが語られました。
しかし、残念ながらそうはなりませんでした。
1980年代のバブル終焉の時期に遭遇しながら、しかしマネー資本主義の狂奔と新自由主義全盛の時代を経験するのは阪神淡路大震災以後の事でした。メディアにもてはやされるIT長者や投資ファンドの幻影に踊り、金もうけ至上主義の風潮が社会を覆う一方で、競争と効率万能のグローバル市場主義の背後で社会の格差が拡大の一途をたどるという「希望喪失」の時代をやりきれない思いで過ごすことになったのは、まさに時代と世界の転換が語られた阪神淡路大震災後の日本でした。さらに言うならば、震災を千載一遇のビジネスチャンスとして「復興」を語る風潮が存在したことも忘れるわけにはいきません。
震災によって廃墟と化したあの神戸・長田の被災地に立ちながら、私たちは日本の社会のあり方に根底的な反省をすることを怠ったというべきです。
地震や津波が起きることは、人の力で防ぐことはできないという意味で、人知の及ぶところではないとしても、震災を思想化することを怠った、あるいはそれに失敗した歴史がまさに今回の未曾有の災害被害を招き寄せたと言うべきではないでしょうか。
その意味では「失われた20年」が言われ、いわば日本経済の低迷から「没落過程」に足を踏み入れた時代に今回の震災に見舞われたことは、歴史の暗喩のごとく感じられてなりません。
なにもかもがことごとく破壊され尽くし廃墟と化した被災地に立つと、ある年代以上の人たちによって、先の大戦の戦災と二重写しにして語られることにしばしば遭遇します。
戦後生まれの私においてさえ、どこかで記憶に刷り込まれた大空襲後の首都東京の光景あるいは敗戦直後の広島や長崎を髣髴とさせるものがあることに気づきます。
震災と戦災が、通底するものとして語られることはしばしばですが、それに倣えば今回の震災で私たちが向き合っているのは「いま再びの敗戦」ともいうべき状況だという思いを強くします。
その意味でも、政治、経済・産業、社会の仕組み、そして世界観、価値観や生き方にまで及ぶ深い意味でこの「敗戦」をどうこえていくのかが問われるところに立っているのだろうと、この5か月の時間の中で痛感することです。
この間、親交のある何人かの研究者、ジャーナリストから、結局自身は何をしてきたのかそしてこれから何のために研究を重ねていくべきかを自問する、あるいはジャーナリストとしてこの時代と世界にどう向き合ってきたのか、これまで重ねてきた仕事は一体何であったのだろうかという深い内省のメールを受けとってきました。
そして、この思いは全くもって私自身の「私への問いかけ」でもあるのでした。
批判という営為ひとつをとってみてもそうです。批判の必要性と妥当性についてそれほど間違ってきてはいないという確信はあるものの、「批判されたものは、批判されることによって生きのびる」ということを知ることの重さにあらためて立ちすくむ思いがしたものです。
その意味では、原発問題ひとつをとってみても、敗戦後の状況に似て、それまでの自己を省みることなく、あたかも太古の昔から原発に疑問を持っていたかのような言説への「乗り替わり」をして恥じることのないエセ言論人やエセ文化人の跳梁跋扈というべきメディア状況に言葉を失います。
東京電力福島第一原発の「問題」が起きた直後、朝のテレビ番組で、射性物質の拡散、汚染を恐れる「素人」を鼻でせせら笑った環境設計の「専門家」風の人物が、ホトボリのさめた頃あいを見計らって画面に戻ってきてコメンテーター然として自然エネルギーについて語ったり、自分は経済、金融などをテーマにしている作家としてこの原発の炉心の真下まで入って取材したのでよく知っているのだなどと臆面もなく電力会社との癒着を誇らしげに語りながら能書きを垂れたりした「作家」がこれまたしばらくホトボリをさまして画面に復活して電力会社のガバナンスをあげつらうありさまを目にすると、まさしく私たちが経験してきた「敗戦」後の社会と二重写しになるのでした。
なるほど、批判されるものは、批判されることによって生きのびるのだという思いを強くしたものです。
「敗戦」の廃墟からどう立ち上がるのか。
深く、重い思想的課題として、今回の震災を思想化するたたかいに足を踏み入れなければならないと痛切に思います。
その場合、根底的動揺と転換の時を迎えている現代世界、とりわけ戦後世界のグローバル化とそれが引き起こした政治、経済、社会の変容にどう立ち向かうのかという命題と真摯に向き合わなければならないと考えます。
「現実をみるとは、現実をあたらしくすることである」とは、もう半世紀近く前に記憶に刻んだ哲学者の言葉です。
被災地にあって、あるいは避難の地にあって苦しむ人々と、追悼と鎮魂そして再起への覚悟を共有するために、震災の思想化をいかほどの深さでなしうるのか、いま、それが問われていると、痛切に思います。
2011年08月13日
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