「訪朝記」の筆を置いて「尖閣問題」について書くことに区切りをつけて本来書き継ぐべき「訪朝報告」に戻らなければと思いつつ、これまで書いたことの補足という意味で少しだけ付け加えておきます。
先週に続いて、今週もこの問題についての研究会や会合に出たり、きょう(3日)は「辛亥革命100年」にかかわるシンポジウムに出かけたり、いずれにしても中国にかかわって考えさせられる機会を持っています。
そこで、これまで書いてきたことに、どうしても補足しておかなければならないと感じることがあります。そのいくつかをメモ書き風に書きます。
1.まず、今回の問題を、中国指導部内部の権力闘争によって起きているのだと説明することをどう考えるのかです。これは、この間のいくつもの会合、研究会などで、いわば中国に通じている専門家、ジャーナリストであればあるほど聞かれる言説です。
もっと踏み込んで言うと胡錦涛主席と温家宝首相、あるいは習近平副主席とそれぞれのグループの角逐、あるいは軍部と共産党指導部の軋轢、ひいてはいわゆる江沢民前主席を後ろ盾とする「保守派」と胡錦涛主席を中心とする「改革派」の対立など、さまざまに解説がなされます。
いわば「玄人筋」の見立てであればあるほどこうした権力闘争が背後にあって「尖閣」での日本への「挑発」が起きたという説明です。
さて、どうなのだろうかと、私のような「素人」は考えこむのです。
ホントかいな・・・と思うと言えばそうした「玄人」の方々、中には私の尊敬するジャーナリストもいるのですが、に失礼になるのでそこまでは言いません。
ただ、では権力闘争というが一体何をどうすることをめぐって争っているのだ・・・というと、さて、それは、いまは、まだわからないが何年か後にはきっとわかるだろう・・・というものから、いや!人事、ポストをめぐる争いだ・・・とかとか、私にとってはどうも釈然としないことが多く残るのです。
あれこれ書いていると長くなるだけでなく、意図しなくても皮肉っぽく響いてしまうので、私の結論を述べます。
私は、どんな政権であれ、組織であれば権力闘争はあるでしょう、と考えるのです。日本の政治を見てもそんなことは言うまでもないことではないでしょうか。当たり前のことです。ましてや中国共産党といえば、日本の民主党や自民党など足下にもおよばない巨大な権力といわば「利権」の集中した組織です。そこに権力闘争があるに違いない・・・と言われてもそれほど感銘?を受けないのです。当たり前だからです。だから無視していいとか軽視していいということを言っているのではありません。しかし権力闘争が背景にあって・・・と説明する限り、ではそれが今回の尖閣問題をどう引き起こしていったのかという具体的なエビデンスにもとづいた分析が必要ではないでしょうか。「玄人筋」らしい解説に楯突くのは恐縮ですが、その根拠は?証拠は?ということになります。ジャーナリストであれ、研究者であれ、具体的に証拠と根拠を提示して、だから権力闘争が引き起こしたのだということを論理的に説明しなければならないのではないでしょうか。
なんでも権力闘争という言葉で説明したような気になる、あるいはその説明を聞く立場でいえば、わかったような気になる、のは危険ではないでしょうか。
もっと冷静に論理的に考えることが必要だと思うのです。それだけのことを前提にして、しかしもちろん中国指導部内の権力闘争といった要素、要因を無視したり軽視したりすることはできないわけで、そこはきちんと見ておく必要があるということでしょう。それをきちんと具体的事実にもとづいて解析、分析することはなされるべきであり、それだけに推測や「印象論」「感じ」ではなく説得性の高い分析を提示する責任があると思います。
重要なことは、そのことと、私がこれまで書いてきたことは矛盾、対立するものではないことは言うまでもないことです。つまり、中国側の「事情」は事情として、大事なことは、日本の私たちが考えなければならないことはどういうことなのか、日本の私たちに問われることは何なのかということなのです。
そこを明確にせず、いかにも「玄人筋」らしく中国内部の権力闘争が・・・と言われても琴線にふれる言説にはならないということです。あるいは、日本がどう対処すべきかが的確に導き出せないということです。
要はあれこれの解説をして事が済むということではない、というです。ましてや訳知り顔に「権力闘争が・・・」と言っておいて、では何がどうなっているのだとたずねると「そこはまだわからないのだが、何かが起きている・・・」といったことを聞かされても、何も生まれないということです。
日本と中国の関係、あるいはあり方を考えるということは、そんな気楽なことではなく、もっと真摯に自己の存在を賭けて向き合うべきことだと、「素人」の私などが言うと分をわきまえずに、とお叱りを受けるかもしれませんが、少なくとも、ささやかではあっても、国交回復前から中国と、そして日中関係と向き合ってきた私には思えてならないのです。
2.同様に、中国内部の社会の問題や矛盾への不満や批判が潜在することを避けるために国民の、特に若者の目を外に向けさせる、具体的には日本に向けさせているのだ、外交を内政の「緩衝材」に使っているのだという解析、言説もまた、だからといってそれで日本の私たちが考えるべきことが解消されるわけではないということです。
貧富の差の拡大、腐敗の蔓延・・・、中国にいま底知れぬ矛盾や問題が存在することはいうまでもないことです。だからそれを指摘して尖閣問題を説明したつもりになる、あるいはこれまたそれを聴く側の私たちは、それで何かがわかったような気になるとしたらこれまた大いに危ういことだと言わざるをえません。
きょうのシンポジウムでも米国から参加した日本でもよく知られる識者が、かつて中曽根元総理が外交というものについて3つの「箴言」ともいうべき話をしたと述べました。
一つ、力以上のことはしてはならない
二つ、世界の潮流をよく見なければならない
三つ、外交を内政の道具に使ってはならない
というのです。
その場の文脈でいえばこれを今の中国に「助言してあげる」というものでした。
この高名な識者が中国に助言することをあれこれ言うつもりはありませんし会場の聴衆も、まさにそうそう・・・と共感する「空気」でしたので、あえて楯突くつもりもありません。
ただ、この三つはそのままブーメランのように今の日本に返ってくることではないでしょうか。
もしこの識者がそこまでの含意を込めていたとしたら脱帽ですが、その場の雰囲気はというか文脈は、いま中国が知るべきことはこういうことだと諭している、あるいは教えてやるというものでした。
私はこれを聴きながら、まさにこの三点が問われるのは日本そのものであり、日本の我々であり、現在の菅政権、仙谷官房長官、前原外相ではないのかと考え込んだものです。
ことは他を諌めあるいはあげつらっている場合ではなく、それらはすべて己のところに返ってくるものだというべきです。こういうことを、いささか下品な表現ですが、天にツバする・・・というのではなかったでしょうか。
3.いわゆる「反日デモ」は中国当局つまり中国共産党指導部がそうさせている、あるいはその「管理」の下に行われているという言説に吟味、検証は必要ないだろうかという問題です。
書いているうちにどんどん長くなるので思い切って端折りますが、中国共産党の「管理」がどんどん弱まるから、もっといえば一党独裁の力が弱くなってゆるんでくるからこうした「勝手」なことが頻発するようになってきたのであって、一党独裁の統制が行き届いていればこんなことは起きないということに気づいておかなければならないのではないかと思うのです。
つまりいうところの「民主」がすすめばすすむほど「反日」であれ、なんであれ、なんでも起き始めるということです。
一党独裁だから起きるのではなくそれが弛緩し始めているから起きていることだということをしっかり見ておかなければならないということです。
ここでも「玄人筋」の見立てをそのまま鵜呑みにしているととんでもない見立て違いを引き起こすのではないかと危惧します。
4.その上で「反日」ということといわゆる「愛国教育」の相関関係についても検証が必要だと考えます。
なにかというと中国では愛国教育をしてきたので若者たちが反日になった・・・という説明がなされます。さて、本当にそうかいな?という疑問を抱くことはないでしょうか。
私は2005年のいわゆる「反日デモ」の際北京だけでしたが現地を取材し、北京の繁華街、王府井、西単、そして人民大学などの大学キャンパスさらに盧溝橋などで100人をこえる若者たちにインタビューしました。
率直に言って若い世代(20歳前後)の人たちは「愛国」がどうの「反日」がどうのという意識とほど遠いまさに今風の若者であることを痛感したものです。
たかが100人を少し超えるぐらいのインタビューでものを言うなというお叱りがあることは承知です。
しかし、では!「反日」とか「愛国教育」と書いたり語ったりしている専門家やジャーナリストはどれだけの具体的かつ実証的なエビデンス=証拠、あるは根拠を持っているのか、きちんと示して語るべきではないかと、これまた分不相応に思うのです。
そう安易に決まり文句のように「反日」と「愛国教育」を相関させて語るべきではないと思います。これまた端折って言えば、そういう教育以前に、ある年代の人たちの記憶の中には日本の侵略と暴虐に対して深い恨みと憎しみが潜在していることを私たちは真剣に認識すべきなのです。
それを抑えて、のりこえて国交正常化を受け入れたというのが、ある年代の人たちの真情です。
もはやというべきか若者たちはそうした歴史と歴史認識とも無縁になりつつあるというのが中国の実態だということを知っておかなければ事態の本質を見誤ることになると思います。
突きつめていえば、反日教育などあろうがなかろうが本質的には日本の侵略の歴史を許し難いと考えている世代、人々がいまなお広く潜在しているということです。そしてそういう人たちの多くは「反日デモ」などとは無縁の存在であり、深く怒りを胸に日々の生活を送っているということです。
ここでも中国専門家や中国に通じていることを誇るジャーナリストたちのカリカチャライズされた言説の虚ろさを思わざるをえません。
5.さて、書き始めるとどんどん問題が出てくるのでこのあたりで止めなければなりません。
あといくつかを本当に箇条書き風に述べておきます。
今回の「尖閣事件」で「だからやはり日米安保を強固にしなければ!」という言説は本当なのか?という問題があります。
きのうもテレビで米国の「知日派」として知られる人物が「(今回の尖閣問題で)日米が連携できなければ中国はますます力が大きくなる。それは米国にとっても脅威だ。(だから日米同盟を強化することが肝心だ)したがって日本の指導者はもっと(足しげく)ワシントンに来るべきだ・・・」と語るのに出くわして苦笑しました。
こういう論理が大人の世界でまかり通ることになんの不思議も感じないでうなずいて聴いているキャスターというものに、それこそ、なんとも不思議な気がしたものです。
さらに、別のテレビ番組でしたが、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を「訪問」したという問題についてあるコメンテーターが、北方領土は日米安保が適用されないが・・と振られたのに対して「日米安保が適用されるかどうかなど関係ない!・・・」というのを聴きながらこれまた吹き出しそうになりました。
それこそ「アレッ?」です。
昨日までは、尖閣諸島に日米安保の第5条が適用されるという米国の「言質」をまさに「鬼に金棒」の類でふりかざして、だから、まぎれもなく日本のものなのだ!中国は許せない・・・といった理屈でものを言っていたはずではなかったのか・・・と。
物事は一貫性が大事じゃないですか・・・とはこういうコメンテーターに言っても詮無いことなのでしょうが、ため息が出ます。
また今夜のテレビでは外務省出身のというより現在も外務省に大きな影響力を持っているとされる外交評論家が「(今は)外交戦略がどうのこうのと(批判して)空疎なことばを並べるのではなく、中国やロシアとの領土問題をどう解決していくのかが問題なのであって、アメリカの協力を得てそれをどう実現していくかが最大の問題なのだ・・・」という趣旨のことを語るのを見ながら、いやはやとここでもため息をつきました。
もう見境ないというべきか、見苦しいというべきか、なんともイヤハヤというところです。
他を恃むのではなく、あるいはもっと言えば力の大きな者、強い者を引きずり込むことで自分を大きく見せて相手を抑え込もうという貧寒たる発想ではなく、日本自身が自らの見識と政策をもって解決していくという覚悟がなくて何が外交か、というのも言っても詮無いことでしょうか。本当に情けなくなります。
6.さてもう本当に最後にします。
このコラムでは、まず他をあげつらうのではなく、日本の我々が何を考えなければならないのかという立脚点に立って話をすすめてきました。
なによりもそこが重要だという認識に立っているからです。
その上で、しかし中国について考えるなら、今回の問題で、自制すべきことも多々あったということであり、そこは今後の重要な課題として、いやもっというなら「傷」として残ったということも考えなければならないと思います。
一例をあげると、少なくとも1000人の青年たちの上海万博訪問を拒むというようなことはすべきではなかったというべきです。
どんな困難な時もこうした民間交流を大事にしてこそ問題をのりこえる途も見いだせるというものではないでしょうか。
そうしたまさに戦略的判断のできる中国指導部であるべきではないのかというのは、出過ぎたもの言いでしょうか。
その意味では中国指導部もまた大きな「傷」を負った今回の問題ではなかったかと思います。
それゆえ、今回の「事件」が一体なぜ起きたのか、ここを深く掘り、問題の実相、実体を明らかにしていくことが専門家、ジャーナリストの責務ではないかと、私は考えます。
事態の推移のあれこれを語るのも必要ではあるのでしょうが、そろそろ、もっとも本質的な問題の究明にむけて覚悟と志をもった取り組みが必要とされているのではないか、痛切にそう思います。メディアは何を語るべきなのか?!
メディアの責任は本当に重いと思います。
2010年11月04日
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