
手書きのこんな拙い「図」から、何がはじまるのだろうかと思われる方もいらっしゃるでしょうね。
これは先日のアジア記者クラブの定例研究会「米ソ冷戦下で翻弄され、今も苦しむアフガニスタンの真実」で講師の金 成浩さん(琉球大学教授 政治・国際関係論)が報告の終わりのパートで白板に描かれた図を、私がノートにメモしたものです。
この研究会で金 成浩さんは、1979年のソ連による「アフガニスタン侵攻」の背後で米国とソ連がどのような「せめぎあい」を重ねていたのかを、公開された外交文書を深く読み込むことで解明し、米ソ冷戦の熾烈な実体をあぶりだしながら、実に示唆深い報告をされました。
詳細な内容は主催者であるアジア記者クラブの報告にゆだねるべきなので、ここでは控えますが、この報告の終盤で「9・11事件の淵源となってしまったアフガンでの米ソ冷戦」という指摘に続いて「アフガン侵攻と東アジア」という注目すべき話がありました。
その際に金 成浩さんが白板に描いたのが上記の図だというわけです。
東アジアに関心を持たれている方はこの図で、もう何を言いたいのか察知されたかもしれませんが、少し我慢してお読みください。
結論から言うと、いま世界注視の北朝鮮の核問題の淵源に「アフガン問題」という要因を見ておく必要があるという、実に示唆深い金成浩さんの分析、解析が提示されたのでした。
論を端折って「舌足らず」になる恐れを覚悟の上で要約すれば、
1979年のソビエトによるアフガン侵攻は、ソビエトの側からの「必要性」で起きたというだけではなく、そこにはカーター政権下のアメリカがカブールの親ソ体制への敵対勢力に秘密の軍事援助を行うことで、ソビエトの軍事介入を「誘発することになるであろう」ということをあらかじめ織り込み済みだったという状況で起きたというのです。
金 成浩さんは外交文書読み込みによってこのことを浮き彫りにしていくのですが、そこで引用された、当時の安全保障担当大統領補佐官ブレジンスキーが記者に語ったことばが象徴的です。
反ソ勢力への秘密の軍事援助についてカーター大統領に「私見」を覚書にして提出したというブレジンスキー氏は記者から、
「(ソ連の軍事介入という)危険性をも顧みず、あなたはこの『秘密行動』の支持者だった。しかし、そうならば、あなたは、ソ連を戦争に陥れ、挑発することをのぞんだということか?」 と聞かれて、
「我々がソ連を軍事介入に追い込んだのではない。しかし、意図的に力を加え、ソ連がそう出てくる蓋然性を高めっていったのだ」と答えているというのです。
(記者との応答は金 成浩さんの報告資料をもとに引用)
さて、このことだけでも実に興味深くさらに深く考察されるべき問題ですが、ここはアフガン問題について述べようということではありませんので、ここまでにとどめます。
しかし、世界で起きている「出来事」を見る際に、あるいは日々起こる「問題」について考える時、どれほどの注意深さを必要とするのかあるいは、情報の背後にまで鋭く迫り、深い思考と多角的、多面的な分析がいかに不可欠であるかを如実に示す一例だと思います。
そこで私たちが注目すべきなのは、このようにして「引き起こされた」ソビエトによるアフガン侵攻(金 成浩さんは「アフガンという”サッカーボール”をアメリカとソ連が蹴り合ったとでもいうべきで、大国のパワーポリティックスに翻弄された結果だ」と述べています)がその後の世界にもたらした「影響」についてです。
そこで少しばかりの年表が必要になります。
1979年 ソ連のアフガン侵攻
1980年 モスクワオリンピック 西側諸国がボイコット
1984年 ロサンゼルスオリンピック モスクワ五輪の「報復」として東側諸国がボイコット
1988年 9月ソウルオリンピック
12月シェワルナゼ・ソ連外相平壌訪問「ソ連は『クロス承認』と南北国連加盟によって『2 つの朝鮮』を作り出そうとする南朝鮮当局(韓国)の企てに反対する。南朝鮮との関係における原則立場を変更しない・・・南朝鮮当局と外交関係を結ばない」と明言。
1989年 ベルリンの壁「崩壊」 冷戦の「終焉」、の始まり・・・
1990年 8月 シェワルナゼ外相、ソ連が韓国と外交関係を樹立する旨記した書簡を北朝鮮に送る
9月2日 シェワルナゼ外相平壌訪問
9月30日 ソ連−韓国 国交樹立
1991年 国連に南北同時加盟
1992年 8月24日 中国−韓国 国交樹立
1992年 11月 エリツィン大統領、韓国を訪問。韓ロ基本条約に調印。韓ロ首脳会談でエリツィン大統領、ソ朝条約の廃棄か大幅修正を示唆。ロシアは、北朝鮮に対し攻撃的兵器は供給しないと明言。
1993年 1月エリツィン大統領、北朝鮮にソ朝条約の軍事支援条項の廃止の意向を正式に通告。
ソビエト−ロシアを軸に据えた国際関係論の優れた研究者である金 成浩さんは、
・アフガンへのソ連軍侵攻が引き金になって西側諸国がモスクワ五輪をボイコット
・それに対する報復措置として次回のロサンゼルス五輪は東側諸国がボイコット
・こうした展開が伏線になって、南北分断の下で開かれる1988年のソウル五輪で、韓国としてはソ連の参加を実現しなければ成功させることができないということで、ソ連への「秘密外交」を展開することになった
ということを指摘しました。
そして、こうした動きに危機感を抱いた北朝鮮の金日成主席が、1986年にモスクワに赴き、ゴルバチョフ首相にソウル五輪に参加しないように説得したが、ゴルバチョフの同意を取り付けることができなかったということ、ソウル五輪ではソ連のメディアが韓国に入り韓国の経済などの躍進ぶりを伝えたこと、さらに1990年にソ連が韓国と国交を樹立することを告げに平壌を訪問したシェワルナゼ外相に北朝鮮のキム・ヨンナム外相(当時)が、同盟条約があるにもかかわらず事前に相談もせず南朝鮮(韓国)と国交とは・・・と、激怒するとともに「ある兵器を開発する」と核兵器の開発を示唆したということを述べて、上記の図を白板に描いたのでした。
そこでこの図をじっくり眺めてみてください。
日本と米国の間には日米安全保障条約、韓国と米国の間には韓米相互防衛条約があります。
北朝鮮と中国の間には朝中友好協力相互援助条約があり、ソ連との間にも同様の軍事同盟条約である朝ソ友好協力相互援助条約がありましたが、2000年にロシアとの間で軍事援助条項のない「友好親善協力条約」に変わり、中国との間の「相互援助条約」も、私の知る中国の北朝鮮政策関係者の話では「名存実亡」という状態だと言われます。
拙い図なのですが、要は38度線を境に南北で対峙する、韓国と朝鮮民主主義人民共和国それぞれがロシア、中国、日本、米国とどのようなどのような「関係」、「構図」の下にあるのかが一目瞭然です。
この図で、北朝鮮の側に立って背後と前面に広がる「風景」を想像して見るだけで、どのような危機感、あるいはある種の「失望感」(「絶望感」とさえ言ってもいいかもしれません)に駆り立てられるか容易に想像できるというものです。
この図を北朝鮮の側に身を置いて「眺め」ながら、今起きていることを深く考えてみることは決して無駄なことではないと考えます。
これは、北朝鮮の政治体制、金正日政権にシンパシーを持つかどうかという感情の問題とは区別して冷静に考えてみるべき問題だと思います。
私自身は日朝関係が少し「緩和」に動いていた1993年に一回北朝鮮に旅した経験があるだけで、それもなにかのグループの訪朝団というたぐいの旅ではなく、単純に、観光旅行団に加わっただけですから、北朝鮮のいわゆる「要人」との会見などとは無縁の旅行でした。
従って、金正日政権に何らかのシンパシーを抱いているわけでもなんでもありません。
ただジャーナリストたらんという志を持つ一人として、なによりも現地、現場に立って自分の目で見て、自分の頭で考え、認識と問題意識を深めなければならないという問題意識で、観光団にしか加わるしか術がなかったので、出かけたのでした。
貧しい国でした。そして私たちの感覚からするとさまざまに違和感のある国でした。
しかし、と私は思うのです。
貧しいということで蔑まれ、非難されるべき故はないというのが、戦後世代とはいえ、日本の貧しい時代を生きてきた私の思いです。
また自分の国の常識とかけ離れていることをもって他を非難することでは問題の本質的な解決にはならないというのが、この「異国」を旅しての感慨でした。
そして、なによりも、どのような政治体制の下でも、そこには日々の暮らしを懸命に生きる庶民の姿があり、私が望むのは、そうした人々にこそ平和とすこしでも豊かな暮らしへの希望がもたらされることだという、ただそれに尽きることでした。
この拙い一枚の図を見つめながら、それにしても・・・と、いま思うのです。
もちろん「南北クロス承認」というものに南北双方の考えの違い、イデオロギー上の相克もあるかもしれませんし、それが最良の選択であるのかどうかむずかしいところですが、それでも、もし、中国、ソ連(ロシア)による大韓民国承認−国交の正常化と並行して米国、日本による朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化が行われていればこの図に描かれる構図は大きく変わっていたでしょうし、多分、いま私たちが「そこにある危機」として向き合うことを迫られる北朝鮮の核、ミサイル問題は大きく異なっていたはずだと思います。
歴史に、「もし」であるとか「仮に」ということはない!という冷厳な事実を承知しながら、であるがゆえに、いま私たち、つまり日本であり、それと強力な軍事同盟関係にある米国に課せられた課題が、この一枚の図から見えてくると思うのです。
物事を深く、多角的、多面的に見るとは、歴史に謙虚に学ぶということも重要な構成部分としてあると、これは私自身への戒めとしても、忘れてならないことだと考えます。
金 成浩さんという優れた国際関係の研究者に出会うことで、こうした確信が一層強くなったと言えます。
金 成浩さんが、北朝鮮と緊張関係にある韓国の大学にさえ「北韓(北朝鮮)学部」や「北韓大学院」があるのに、日本では北朝鮮の研究を深める専門の学科も存在しない・・・とおっしゃっていたことは重要な示唆だと思いました。
ちなみに、在日三世である金 成浩さんは東大大学院時代に北朝鮮研究を専門としたいと言った際、指導教授から、日本ではむずかしいのでよしたほうがいいと、もちろん親切心にもとづくものですが、助言を受けたということです。
私たちが、そして日本の社会が抱えている重い課題についても見えたと思いました。