朝鮮が「2012年、強盛大国への大門をひらく」という目標を掲げるとき、「経済を一新」して「人民の生活向上のために決定的転換をもたらす」ことが最大かつ喫緊の課題であるとしていることが、ヒアリングした朝鮮社会科学院の経済専門家の話から伝わってきたわけですが、これは金正日総書記から後継体制に安定的に引き継げるかどうかの重要なポイントになるという意味でも、いまの朝鮮の最重要の課題だと言えるでしょう。
その意味では、朝鮮の経済の現況とこれからの目標、課題について、この専門家はきわめて率直に語っていると感じたものです。
朝鮮側のコメントを引くと、すぐに「北朝鮮のプロパガンダだ・・・」などという没論理というかまったく無内容かつ低次元の非難が寄せられたりするのですが、一回目の内容を注意深く読み込んでいただくと、きわめて示唆に富む内容であることがわかると思います。
一見、過剰なまでの自負と自信にみちた「大言壮語」と見えなくもない言説でも、深く読み込むと、いま朝鮮に何が欠けていて、何をしなければならないと考えているのかが如実に見えてきて、この経済の専門家にとどまらず、この後紹介していくことになる外交、安全保障の専門家なども含め、ここまで率直な話に直に接することができたことは、私にとって、今回の訪朝は無駄ではなかったとしみじみ思ったものです。
同時にまた、朝鮮は「変わらない」とともに「変わりつつある」、否!「変わらなければならないと考えてもいる」という実感を深くしたものです。ここがとても大事なところだと思います。
要は、読み込みの深さと読み解きの力量(読解力と分析力)が問われているのだと思います。
その意味では、私の「読み解き能力」では及ばないところが多くあるかもしれないという畏れを抱くがゆえに、分析、判断の材料としての「一次情報」をできるだけ忠実に提供して読者のみなさんとともに考え、深めていきたいと考えているのです。
この訪朝報告を読んでいただく際の基本的視座として受けとめていただければと考えます。
さて、「民生の向上」を言うとき欠かせない最重要の問題、農業、食糧問題です。
まず、前回からの経済専門家の話に耳を傾けてみます。
農業では食糧問題を自力更生する原則にもとづいてヘクタールあたりの収穫を高めることにいちばん力を入れている。特に重点をおいているのは種子革命だ。30年以上の研究によってイネの雑種生産(注:時間の関係で詳細について確認できず)に成功し、作付面積を広げている。1ha当たり10トンの収穫が可能になった。
また、トウモロコシ、大豆の種子の改良にも力を入れ、特にジャガイモはha当たりの収穫量が高い種の改良に取り組みha当たり40トンから60トンの収穫が可能になった。ジャガイモ生産革命を積極的にすすめている。収穫量も高まり栽培面積も飛躍的に増えている。まもなくアジアの「ジャガイモ王国」になるだろう。
(コメでは)二毛作を奨励して積極的にすすめている。北半分は山岳部が多く85%をこえており平野部は15%にも満たないので耕地面積が限られている。最近10年間、二毛作をすすめるたたかいを行った。耕地面積を広げるためのたたかいも積極的に取り組んだ。開墾、干拓をすすめ、このたびテゲ道干拓地が完成、8800haの干拓地ができた。国内のひとつの郡の面積に匹敵する農地ができたことになる。
また、特に重要なことは農業生産に欠かせない肥料の生産基地のしっかりした土台ができたことだ。ナムン青年化学連合企業所で石炭ガス化による肥料生産工程が開発されたことによって今年4月から新しい生産技術による尿素肥料生産が正常化されている。以前は原油を輸入してそこからできるナフサを使って肥料を生産していたがこれからは我国に豊富な石炭を活用して年間数十万トンの肥料が生産できるようになった。ハムンにもガスアンモニア化による肥料生産工程ができ、ここでも肥料生産ができるようになった。来年からは肥料については心配する必要がなくなった。今年までは肥料について少しばかり輸入が必要だった。
有機農法を積極的に奨励しているが、やはり化学農法も適宜、組み入れる必要がある。今収穫期に入っているが今年の農作物の出来は良かった。トウモロコシ、コメも良かった。しかし8月末に大雨があり、被害が多少出たところもある。穀倉地帯で少なからず被害が出ている。被害状況は収穫が終わってみなければわからないが、今後の農業の展望は非常に明るいといえる。
トラクター製造工場も高い水準で近代化された。ここ十数年、土地の規格化をすすめてきたので農村作業の機械化に有利な状況がつくられている。
農業については、要旨、このような話を聴きました。
順安空港に到着してから平壌市街に入るまでの田園地帯、あるいは開城に向かう際や平壌郊外の徳興里にある高句麗遺跡の見学に向かう農村地帯など、随所で秋の収穫作業が見られました。
順安空港から平壌市街への沿道の稲田 開城に向かう高速道路沿いの稲田
私は農業の現場や営農技術について専門的な知識がないので軽々には言えないのですが、収穫作業の様子を移動の車窓から眺めながら、「今年の農作物の出来は良かった」というこの専門家の話は話として、実際のところはイネの実りはすべてが順調というわけにはいかないのではないかと感じました。
というのは、あくまでも私の見た限りでという限定詞つきですが、ところどころに倒伏したものやイネの根元に水がたまって排水されていない状態の田んぼなども散見され、背丈や穂の状態などイネの生育状況が気になるものが見られました。
食糧問題は、特に90年代からずっ深刻な問題として国際社会からの支援の対象となってきたのですが、車窓からとはいえ、農村の田畑の状況や農作業の様子を見ながら、もちろん当座の支援としてはコメをはじめ食糧を送って人々の生活を支えることが肝心だとは思いますが、長い目で考えると、朝鮮の自然環境を破壊しないということに注意を払いながら土壌改良と田畑の基盤整備、そして農薬、肥料、農機具など農業生産の基盤を強化するための国際的な支援こそが重要ではないかと考えました。
もちろんこの専門家の言うとおり「来年からは肥料については心配する必要がなくなった」ということであれば肥料については考える必要はないのでしょうが、その部分の精査も含めて、農業生産力をどう再構築するのかという観点から、専門家の協力が不可欠ではないのかというのが、農村・田園地帯を望見した私の感慨でした。
ただし、ここで「問題」になるのが、私にとって十分理解できていない「チュチェ式」(主体)であり「ウリ式」(われわれ式)という考え方かもしれません。
もちろん自力更生という考え方は大切ですし、そうあるべきと期待もします。したがって外から一方的に農法を押し付けたり、朝鮮の自然環境を無視した土壌改良や基盤整備を持ち込むことがあったりしてはならないことですが、少なくとも無理な連作や密集栽培などで土地の力が衰えていたり、山を育てること(植林)と農業環境の連鎖、連関が崩れていることなど(遠望ですが、木のないむき出しの山肌が随所に見られ、少なくない山では土砂崩れの跡なども散見されたものです)を考えると、農業生産力再生への課題は、これまでの朝鮮の農業の検証、総括に立って、外の専門家の助言や技術にも耳を傾ける必要があるのではないかと思いました。
アジアに冠たる「ジャガイモ王国」はそれとして、民生向上のもっとも基幹となる食糧問題の解決、改善にとって、いま何が必要なのかという観点から外の専門家との協力関係を築くことは重要なテーマではないかと考えます。
今回話を聴いた経済の専門家は農業専門家ではなかったからなのかもしれませんが、工業部門の話に比して、農業については「苦難の行軍」から抜け出て新たな飛躍、発展をめざす力強い胎動というのか迫力というものがいまひとつという感じも否めず、農業・食糧問題に立ち向かう上での具体性が像を結ばないという感じも否定できませんでした。
もちろん時間的な制約でそうなったということが第一の要因かもしれませんが、少しうがった見方になる恐れを覚悟の上で言うと、過去には、朝鮮半島の北半分は鉱工業、南半分が穀倉地帯、農業という地域的な「棲み分け」の歴史があり、自然条件など、どうしても北での農業には一層の困難を伴うということもあるのではないかと考えることがあります。
それだけに、当面はすぐ役に立つ食糧支援が最重要の課題だとしても、国際的な支援、援助のあり方について今一度検証しながら、農業生産力の再生をどうはかるのかという観点から考えてみることが大事ではないかと、素人ながら考えたものでした。
農業問題をめぐる「感慨」に終始してしまいましたが、農業・食糧にかかわる国際的な支援のあり方についての問題提起として、ぜひ多くの方に考えていただきたいと思います。
さて、こうした経済の専門家からのヒアリングとあわせ、平壌郊外にある最新鋭、最先端の果樹農園、大同江果樹総合農場に足を運び見学しました。
見渡すかぎり農場・大同江果樹総合農場 昨年春植えたリンゴの木に早くも実がついた
ここは1000ヘクタールという広大なリンゴ農場で2008年暮れに農場の造成工事がはじまり、深さ60センチ幅1メートルの穴を掘り土20センチ、有機肥料を40センチ積んで、昨年の3月から4月にかけてイタリアから導入した32万本近くのリンゴの木をはじめ数百万本の植え付けをしたということでした。普通は3〜4年は収穫できないものが有機肥料を入れるという独自の営農技術で早くも5月には花が咲き、8月下旬には62トンのリンゴが収穫できたという説明でした。
昨年11月末には金正日総書記が現地指導に訪れて「大満足」を表したといいます。農場には1000トン規模の肥料を生み出す豚の飼育場や5000トンの貯蔵能力をもった加工場、さらには農場で働く1000人余の人たちの住宅から託児所、幼稚園、学校なども備わっている朝鮮最先端の総合農場だということでした。
2012年には108種、3万5000トンのリンゴの出荷を見込んでいるということです。
果樹農場になる前はコメ、トウモロコシを作っていたということですがhaあたりのコメの収量が5〜6トンと低いレベルだったということでリンゴへの転換がおこなわれたようでしたが、金正日総書記の指示でさらに面積を拡大することになっているということでした。
画像は小さいのでわかりにくいと思いますが、農場全体を見下ろす丘の上に立ってみると、ずっと向こうの丘の麓まで見渡す限りリンゴ園が続いていてなんとも壮観でした。
ただし、日々の暮らしに108種類ものリンゴが必要なのか、いまの朝鮮の食糧事情をふまえて、本当にイネからリンゴに作付け転換することが良き判断と言えるのだろうか、あるいは、リンゴ栽培の営農技術に知識がないので確かなことは言えませんが、リンゴ栽培ではこれほどの密植でも大丈夫なのだろうか、などといくつかの疑問が湧き起こりました。
2年後の2012年に一体どのような農場に成長しているだろうかと考えながら、広大な農場内の移動のために大型バスが運行されているこの総合農場を後にしました。
このあとも、民衆の暮らしに目を向けて、食糧問題、農業や農村問題の視点を忘れず朝鮮を見つめ、訪朝報告を書き継いでいこうと考えます。
(つづく)