ちょうど9月28日の朝鮮労働党代表者会をはさんで平壌に滞在することになりました。

平壌・順安空港
その後、10月10日の朝鮮労働党創建記念日にはアメリカ、日本をはじめ海外のメディアが「パレード」を取材するとともに平壌から中継で各種のレポートを発信しましたので、世界はテレビや新聞を通じて「朝鮮の現在(いま)」の断片について幾ばくかのことを知ることになりました。
「幾ばくかのこと」と書きましたが、これまで情報の乏しかった朝鮮のことですから新鮮な驚きもふくめてずいぶん「多くのこと」を知ることになったと言うべきでしょう。
にもかかわらず「幾ばくか」というのは、これで「朝鮮の現在(いま)」についてわかったというには程遠いからです。


柳京ホテルの建設工事が再開されていた 平壌市街、スローガンの看板
そこで、今回の朝鮮訪問での見聞をもとに、私の問題意識に即して少しばかりの報告を綴ることも無意味ではないと思い、ここに書いていくことにします。
書き進めるにあたってまず国名について私の考えを述べておきたいと思います。
従来から日朝関係に深いかかわりのある人たちは朝鮮民主主義人民共和国の人々の表現にもとづいて「共和国」と語ることが多いのですが、私にとってはどうも馴染みのない表現であるだけではなく国名の表現としては感覚的に「ぴったり」きません。しかし毎度々々、朝鮮民主主義人民共和国と書くのも大変なのでどうしたものかと考えた結果、朝鮮という略称で書き進めることにしたものです。まずこのことをご理解ください。
日本のメディアでは北朝鮮という表記、表現が一般的ですのでこれを無条件に否定しようというのではありません。しかし、少なくとも国連に加盟し世界160カ国をこえる国々と国交を持つ国ですから、地域を表す「北朝鮮」という表現ではなく国名の略称としての表記、表現を考えることがこの国について何かを語る際の第一歩だという認識に立っています。
ただし、これは私の認識においてということですから、メディアの記事を引くときなど、さまざまな場面で「北朝鮮」という表記、表現のまま使うこともあり得ますので、そこもまた柔軟に理解していただきたいと考えます。
さて、今回の訪朝にあたっての一番の注目点は、44年ぶりとなる労働党代表者会の開催で朝鮮労働党の指導体制がどう構成されるのか、あるいはその下で国家や軍の統治体制がどうなるのかということでした。


9月28日党代表者会開催当日平壌市内は祝賀のムードがあふれた
これについてはすでにメディアで報じられていることですからあえて繰り返すまでもないのですが、金正日氏が再度総書記に「推挙」されたということと三男の正恩氏が朝鮮人民軍の大将に任じられるとともに党中央軍事委員会副委員長、中央委員会委員に就いたということで、正恩氏を後継として、朝鮮が掲げる「2012年に強盛大国の門をひらく」目標にむけての体制が明確になったということでしょう。
また、国防委員会副委員長の張成沢氏が党政治局候補委員と中央軍事委員会委員に就いて、金正日総書記の後継体制にむけて、ますます重要な役割を果たすのではないかと注目されるところです。
「政治・思想強国、軍事強国については基本的に達成した。残るは経済強国だ。この三つが揃ってこそ強盛大国の扉をひらくことになる・・・。」
今回の訪朝ではこうした言説に随所で出会うことになりました。
これを首肯するかどうか、あるいは賛否、是非をいまはひとまずおいて先に進むことにします。
そこで、私の問題意識としては、経済という側面から今の朝鮮をどうとらえ、将来をどう見通すのかということが、まず大きなテーマとして浮かび上がりました。ただし、どの問題についても同じですが、短い滞在に加え、なによりも限られた見聞からこうした諸問題について容易にわかるなどということはあり得ません。従って、あくまでもひとつの断面についての考察あるいは感慨という限定詞をつけて受けとっていただければと思います。
そのような前提に立って、大括りに言って、北朝鮮の「変化」という視角から経済や民衆の様子、中国の存在をどうとらえるのか、朝鮮は「閉ざされた国」なのかどうか、日朝関係のこれからなどについて平壌での見聞にもとづいて述べてみようと思います。
ここでも、というべきか、注意が必要なのは「変化」というとらえかたです。
朝鮮は変わらない、あるいは「確固不動」というとらえ方もあるでしょうし、変わろうとしているというとらえ方もあると思います。ここで「変化」というとき、そうした多面的な理解に注意を払いながら慎重に使っていることばだということをまず断っておかなければなりません。
国名の略称についてもそうでしたが、この報告を書き綴るにあたって前提、あるいは留保という意味で本論に入る前にさまざまな説明が必要になるもどかしさがあります。しかしこれもまた現在の朝鮮の、あるいは日朝関係のありようを反映したものというべきで、煩雑ではあるが致し方ないと考えます。ただし、本来的には、一日も早くこうした前提、留保なしに端的に語ることのできる日朝関係にしていく必要があると考えます。
さて、まず経済です。平壌でヒアリングと少しばかりの意見交換の機会を持った朝鮮社会科学院の経済専門家は「新しい世紀に入って政治思想強国を建設し、核抑止力を持つことで軍事強国となった。経済強国を建設すれば強盛大国のすべてがそろうことになる」とした上で経済強国を建設するための当面の目標は3つあるとして、要旨以下のような話をしました。
まずはこの専門家の話に耳を傾けることにします。
1.かつての最高生産水準を突破することが第一の目標だ。過去の最高生産水準は1980年度である。その後1990年代に米国による経済封鎖と社会主義市場の崩壊によって、経済的に苦難の時代(苦難の行軍)を経なければならなかった。このときに経済が衰えたが、この10年の間で経済的飛躍をもたらすことの出来るしっかりした物質的土台を作ることができた。これによって2012年までにかつての生産最高水準を突破する条件ができた。
2.第二の目標は経済のチュチェ化(主体化)、近代化、科学化をおしすすめることによって経済を一新させることである。そのために2つの問題がある。ひとつは経済の自立性を最高の水準に高めること。もうひとつは技術革新をすすめ技術集約型に変えることだ。
3.三番目の目標は人民生活で根本的転換をもたらすこと。食料と一次消費品の問題を解決し、住宅、住環境を画期的に改善することだ。
このような目標を達成するために今年の当面の目標は人民生活の向上のため決定的転換をもたらすことだ。
なぜ今年こうした目標を全面的に打ち出したのかといえば、まず、社会主義経済の主な目的が人民の物質的生活水準を段階的に向上させることであるからであり、朝鮮の経済の近代化が21世紀の要求にこたえられる高い水準に達しているからだ。経済建設の技術装備水準の土台が築かれたので人民生活に力を集中できるようになったとして、人民生活の向上について、さらに、主な目標を意味する「主攻戦線」(我々にはなじみのない用語ですが)という表現で「軽工業」と「農業」に重点を置いていると語りました。
ここに登場する「チュチェ(主体)」という概念への私の理解が十分ではないため、意味するところを完全には理解できていないところもあるかもしれませんが、とにかく民生の向上をめざし、軽工業、農業に力を傾注するという方向性が示されたということです。
そして、この専門家は「人民生活に必要な日用品の生産を大々的に増やし質を飛躍的に高めること」を目標に挙げ、軽工業の現況について「特に食品加工工場の近代化が飛躍的にすすんだ。平壌の穀物加工工場やメリケン粉加工工場など数多くの食品加工工場が近代化されている。食品加工技術もすべてCNC(コンピュータによる数値制御システム)化された。製品の品種も大きく増え、人民生活に必要な品目を400種増やすことを目標にしている。日用品の製造は去年の同時期に比して、1.2倍になった。なかでも靴は1.6倍の増産だった。」と語りました。
1990年代の「苦難の行軍」といわれた経済の後退、食糧の困窮といった状況に反転の局面が生まれているということかと感じるとともに、2012年にむけての「意気込み」が伝わってきました。
ただし「かつての(経済の)最高水準を突破する」という目標にかかわって質疑で「1988年の一人当たりのGNPは2530ドル(1988年当時はGNP統計)、2007年のGDPは163億6000万ドル、一人当たりのGDPは638ドル」ということが示されたのですが、2007年以降の成長を見込んでもあと2年で過去の「最高水準突破」という目標はかなりの負荷のかかるものではないかというのが率直な印象でした。
もちろん朝鮮の経済統計の信頼性に対する疑義があることは承知していますが、今回話を聴いた専門家の、データもふくめた率直な応答ぶりには敬服したことも確かです。
(時間が許せばもっと踏み込んで意見を交わすことができたのでしょうが、少し惜しまれるものでした。)
この専門家の話をもう少し続けます。
人民生活の向上に必要な軽工業と農業生産を後押しするために「4大先攻部門」に力を入れているとして、金属工業、電力、石炭、鉄道の4部門を挙げました。そして「金属工業部門の大きな成果は去年『チュチェ(主体)鉄』の生産システムが完成されたことだ」と語りました。
我々にはまったくなじみのない「チュチェ鉄」というものについて「我国はコークスがないので金属工業部門で苦労していた。輸入されるコークスの量に見合う生産しかできなかった。60年代から自力技術にもとづく銑鉄、鋼鉄生産努力は重ねてきたしある程度成果も出ていた。しかし社会主義市場があったのでコークスの輸入もできたし科学技術水準がまだ高くなかったので鉄鋼材、金属工業部門で十分な備えをすることができなかった。90年代社会主義市場が崩壊してからは資本主義市場でコークスを輸入しなければならないという非常な経済的困難に直面した。したがって、非コークス化による製鉄生産システムの創造を目標として打ち出し、努力を重ねてきた。現在は生産能力を拡大し、技術水準をさらに高める努力をしている。」という説明に加えて、質疑でその技術的な問題についてさらに踏み込んで「非コークス化」とは「コークスを使わず、無煙炭を使って鉱石を溶かして鋼鉄をつくる新技術だ」とするとともに「コークスを使わないとするとカロリーが足りないのではないか」という日本側の質問に「だから新しい技術だと言っているのだ。我々が完成した『チュチェ鉄』生産システムは酸素溶融炉を回転炉と結合させたものである。酸素溶融炉を動かすためには大量の酸素発生器が必要になる。それを我々の技術で自立的に解決した。ラゴン連合企業所でそのための装置を造っているが、いまは1万5000立方メートルの酸素分離機まで出来るようになっている。」という説明が加えられました。
私にはこうした技術に知識がないので、依然としてこの「チュチェ鉄」については十分理解できていないのですが、コークスを使わずに製鉄が可能となる技術を開発したとなると画期的であることは確かだろうと思います。
余談ですが、参観のためバスで移動中、かつて朝鮮経済の先導役とされた千里馬製鉄所の近くを通った際、がらんとしていて製鉄所の活気が感じられなかったことから、いまも稼働しているのかを尋ねたところ「稼働、操業している」という返答とともにこの「チュチェ鉄」技術の開発に成功したことに話が及んだのですが、我々への応対、通訳に当たってくれていた受け入れ機関の青年(日本語能力の高さだけではなく実に聡明で優秀な青年でした)が思わず声を詰まらせ涙をうかべて感極まった様子でしたので、「苦難の行軍」から「チュチェ鉄」の開発に至る時代が朝鮮にとっていかに大変であったのかが垣間見えたものです。
さらにこの専門家は産業と暮らしにとって重要な電力について「(朝鮮は)水力資源が豊富なので、基本は水力資源を最大限に生かしながらそのほかのエネルギー源も組み入れて取り組んでいる。いま、特に大規模水力発電所の建設に力を入れている。今年レソンガン(礼成江)青年2号発電所(注:黄海北道)が操業をはじめたのをはじめ、中小規模の発電所が操業をはじめた。とりわけヒチョン(慈江道)発電所の建設がすすんでおり来年度には操業をはじめることになっている。発電能力30万キロワット、10年の建設期間を短縮して2012年までに完成させることにしている。去年の3月から今年8月までに総工事量の半分を達成した。来年末には工事が終わると予想している。そのほかいくつもの大規模発電所の建設がすすんでいるが、そのうちのいくつかは近いうちに操業をはじめるだろう。」と語りました。石炭生産では「展望のいい」大規模炭鉱の(再)開発をすすめて石炭生産の正常化をすすめており、「今年は去年の1.5倍の増産をみこんでいる。」鉄道は「すべて電化されており、新鋭機関車を開発して導入するとともにレールの重量化をすすめている。」として、「先攻部門」が発展を遂げるにしたがって「全般的な経済の状況が良くなっている」と強調しました。


CNC化された大同江タイル工場、生産ラインとコンピュータによる集中管理室
こうした内容について、いま十分な吟味、検証ができませんが、少なくとも90年代の経済の「最悪の状態」を脱出して民生の改善、向上をめざして動き始めていることは伝わってきました。
農業についてのこの経済専門家の話、さらには各所への移動の際に目にした平壌の街や村の様子から受けた印象などについては次のコラムにゆだねるとして、訪朝報告初回の最後に、この専門家が語る現段階での目標と課題について記しておきます。
今、力を入れている目標、課題として、
1.まず、経済と科学技術で世界的な最先端を突破することを戦略的目標に掲げている。これを実現するために知識経済の時代にふさわしく経済の質的飛躍、質的発展を重要な内容として掲げている。ひとつ、ふたつの個別部門ではなくすべての分野で世界的な最先端を突破しようということだ。経済と科学のすべての分野で連続的、段階的変化と飛躍をもたらそうということだ。最近金正日総書記は新しいスローガンを示した。「足は自分の地にしっかりとつけ、目は世界を眺めよう」というものだ。これは2つの内容を含んでいる。しっかりした自分の精神をもって自分の力で実情に合うものをつくる、ということと、視野を世界に広げて学ぶべきものは学び我々の実情に即して受け入れるべきものは受け入れ、すべての分野で世界最先端を走っていこうということだ。世界的な最先端を突破するという面で最近少なからぬ成果が上がっている。宇宙技術、核技術だ。2回にわたる人工衛星の打ち上げで宇宙技術においてしっかりした技術を確立し、2回にわたる核実験を成功させ、特に核融合技術という、世界でもまだ確立されていない技術において成功を見た。核融合技術は膨大なエネルギーを生み出すので利用の可能性は高い。特に誇ることができるのはCNC技術において世界の覇権を握ることができたことだ。CNCはコンピュータ数値制御のことだが、1970年代に超小型のコンピュータが出て以来、閉塞型の技術開発が続いて30年来、日、米、独などが独占していた技術である。したがって我々が取り入れる際に大きな障害があった。1990年代の半ば、金正日総書記が自らの力と「ウリ式」(われわれ式)にCNC技術を開発し、すべての人民経済をCNC化しようという構想を打ち出し、資金をつぎ込み具体的な指導をした。この10年でCNC工作機械を世界最高の水準のものとすることができ、最近も、「9軸穿鑿加工中心盤」というCNC工作機械の最高レベルのものを作り上げた。CNC工作機械を大量生産して人民経済各分野に供給している。なおかつ化学機械設備、金属機械設備、電気、紡織、食品加工などのすべての分野で全面的なCNC化がすすめられている。その代表的な例としては、2・8ビナロン連合企業所で16年ぶりにビナロンの生産を再開したことで、CNC化された機械設備による生産再開だということをあげることができる。2・8ビナロン連合企業所は大規模な化学工場であり、ビナロンだけでなく染色材、農薬、合成樹脂といった420種類の化学製品を生産している。人民経済の各分野で最新技術を導入することで近代化をとげるということは、(私たちが見学した)大同江タイル工場を見てわかったと思う。タイルの製造はイタリアが有名だがその水準をしのいでいる。最先端技術を発達させる上でいちばん重視しているのは「人材重視論」だ。この「人材重視論」は教育に力を入れ崇高な思想と高い実力を備えた科学技術人材を大々的に育成することと、現場で働く人々の技術レベルを高めることで全般的な科学技術を高めることができるというものだ。
2.経済強国建設で力を入れている二番目の問題は、原料、燃料のチュチェ(主体)化、国産化をめざすことだ。これは経済の自立性をもっとも高いレベルで強化しなければならないという要求から出ていることだ。これまでチュチェ思想にもとづいた経済的自立原則に従って自立民族経済を追求してきた。いま建設をすすめている経済強国とは徹底して自立経済強国をめざすというものである。したがって原料、燃料を外国に依存することはできない。また技術装備のレベルが高くなっているので原料、燃料への需要がさらに高くなっている。生産を正常化し、拡大しようとするなら、原料と燃料の国産化が重要な問題として提起される。この問題の解決でもっとも重要なのは非コークス化と石炭ガス化であり、社会主義経済の生命線としてとらえてすすめている。大同江タイル工場も石炭ガス化によってエネルギー問題を解決している。非コークス化は金属工業部門だけではなく全般的な経済部門で重要な問題として提起されている。
3.次に重要な問題は、豊富な資源を近代的技術で掘り出して近代技術で加工することだ。自力で開発するとともに合弁でも開発しようとしている。とりわけ軽工業の原料をチュチェ(主体)化するために特別力を入れている。化学工業を発展させることで軽工業に必要な原料問題を解決することをめざしており、最近は軽工業の原料問題を解決する上で大きな成果をあげている。2・8ビナロン工場のことにふれたが、それだけでなく、化学繊維工場であるシニジュ(新義州)やアンジュなど、大規模な化学繊維工場の近代化が大きくすすんでいる。我々の原料にもとづいた最先端の繊維原料の開発がすすんでいる。この繊維原料は世界で2〜3カ国でしか造っておらず、すでに生産の段階に入っている。ウールと綿の両方の利点を備えているもっともすすんだ繊維とされている。これも我々の原料で開発し試験的に生産に入る段階に来ている。原料、エネルギーをチュチェ化、国産化すればさらに近代化していく我国の経済に大きな効果を発揮すると考える。
このように述べた後、外国の投資の受け入れなど諸外国との関係についても語りました。
経済強国建設において対外経済関係を拡大、発展させる方向にすすんでいるがその際、自主の原則、自力更生の原則にもとづいて自己の経済力によって世界の市場に進出するというものだ。海外経済の元手を拡大するための輸出生産基地を拡大している。世界市場で勝負しようと考えているのは、鉛、亜鉛、マグネシウム、黒鉛などであり、それらを自力で開発し加工して世界の市場で独占しようというものだ。合弁、合作、直接投資も歓迎する。我国は軍事強国であるので、安定的かつ平和な経済活動の環境が整えられている。世界各国の投資家が関心を持って共和国に目を注いでいる。我々もこれにこたえて投資を促進するさまざまな措置をとっている。早期に経済建設を加速させ2012年までに経済強国を建設するための努力を傾けている。
このように、すべては2012年に照準をあわせて取り組んでいることを再三にわたり強調しました。
ここに語られた壮大な夢とも言うべき内容をどう分析するのかはこれからの問題ですが、まずは朝鮮の経済専門家が朝鮮経済の現況をどうとらえ、今後についてどのような展望を持っているのか、ヒアリングの内容をできるだけ忠実に再現してみました。
これらを「大言壮語」ととらえるのか、現実にはじまっている「変化」と考えるのか、難しいところですが、話の随所に正負を含む示唆があることに気づきます。
続いて、農業についての、この経済専門家の話を記し、その上で私の受けとめについて述べていくことにします。
(つづく)