またもやこのブログのコラムの間が長くあいてしまいました。本当に申し訳ありません。
この間、「韓国併合100年」にかかわる国際シンポジウムをはじめいくつかの会合に足を運んでいました。そうしたことも含め書くべきことが山積です。
それにしても「暑い夏」が続いています。
これは気候としての猛暑ということだけではなく、この時期メディアでは「恒例」のように「戦争」にかかわるさまざまな記事や企画が相次ぐという意味で「暑い夏」と記したのです。
8月6日広島、9日長崎、それぞれの「原爆の日」、そして8月15日「終戦の日」へと、戦争と歴史にかかわる記事や企画を読み、視聴しながらいささかの「失語症」に陥る日々となっています。
戦後65年ということで、なのでしょうか、戦争にかかわる企画や記事がいつもの年より多く感じられます。
しかし、私はこの時期になるといつも、語るべき言葉を失いがちになるのでした。
語るべきことは重く、山のようにあるというべきです。にもかかわらず十年一日のごとく繰り返される「悲惨な戦争について語り継ぐ」という言説に、もはや同じ問いかけをする気力を失いがちになるのです。
その問いかけとは「一体何が悲惨だと考えているのか、何をもって悲惨とするのか?」というものです。
ある新聞出身のメディア研究者が「広島、長崎の『原爆の日』が来て、65回目の『終戦記念日』も過ぎた。各メディアは今夏も戦争を扱う企画に取り組んだ。それに対して『8月ジャーナリズムだ』と、マンネリ性を批判する声もある。しかし、国民、メディアが戦争と平和に思いをはせる季節を毎年共有するのは、戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣だと私は思う。」と書くとき、この人物の善意は疑わないにしても、私は、なんともいえない違和感を抱くのでした。
この時期の戦争企画の連なりを「戦争と平和について思いをはせる」ことだとしてそれを「戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣」だとは、私は楽観的になれないのです。
また、些細な揚げ足取りのように思われると心外なのですが、たとえば「8月ジャーナリズム」という批判があるというくだりで、ジャーナリズムという言葉をそんな安易に使っていいものかと考え込みます。
とてもではありませんが「ジャーナリズム」などという水準に到達していないから問題なのだ!と、私は、思うのです。
ここはこのメディア研究者の論考をとりあげて「ジャーナリズム論」について論ずるのが本意ではありませんから控えますが、ではこの間の企画や記事でジャーナリズムと言うにふさわしいものがどれほどあっただろうかと考えると、私は暗澹たる思いに駆られます。
おちゃらけで言うのではなく、たとえばこの間の記事やテレビ番組で「戦争が起きるとこれほどの悲惨なことになるということを直視しなければならない・・・」というような言説にぶつかると、「さて、戦争は起きるものなのでしょうか・・・?」と問いたくなるのです。
「戦争は起きるもの」なのでしょうか?!
また「戦争を知らない世代が人口の過半を占めるようになって戦争の記憶が風化していく。戦争の悲惨さを語り継がなければならない・・・」あるいは「愛するものから引き離された若者同士が、戦場で殺し合いをさせられる戦争というもののおぞましさを改めて思った」というようなくだりに出合うと、ここには、何が悲惨で、何がおぞましいのかを正視する、あるいは正直に語る覚悟と格闘が欠落している!と思わざるをえなくなるのです。
戦争と平和について語る際、戦争はあたかも「自然」に起きるもののごとく語り一般化するところから論理の退廃がはじまるのだと、私は思います。
「起きる」ではなく、「起こした」から戦争はあったのであり、起こした側があったからこそ戦争は「起きた」のであり、誰が、なぜ、起こしたのかという点について、ゆるぎない検証がなくては、戦争はいつでまでも総括されることなく生き延びるものだと思います。
そして戦争を「起こされた」側こそがまさしく痛切に「おぞましい」と思ったでしょうし、それを阻むことのできなかった私たちの歴史こそが「おぞましい」と、私は思うのです。
侵略されあるいは植民地支配された側の「悲惨」を認識できず、侵略への道を押しとどめることのできなかったジャーナリズムをこそ「おぞましい」と感じる感性を喪失した「ジャーナリスト」に何か教えを乞わなければならないほど私たちの言論は寒貧たるものになっているのでしょうか。
戦争に一般的かつ抽象的な「悲惨さ」を持ち込むことから歴史への背信と本質からの逃亡がはじまるのだと、私は考えます。
ジャーナリストが戦争について語るとき、この、なんとも単純にして自明の理を忘れることは一切許されないと私は考えます。
問われているのはまさしく歴史に向き合う際の誠実さと歴史認識なのです。
8月15日の「全国戦没者追悼式」で菅直人首相が「これからも、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継いでいかなければならない。」と語るとき、この人は「過去を謙虚に振り返る」とはどういうことであり、語り継がなければならない「戦争の教訓」とは何だと考えているのかと問い返したくなります。
重ねて言いますが「悲惨さ」や「教訓」を抽象化して一般論にするところから論理の退廃がはじまるのです。
戦争責任について踏み込まず、侵略の歴史について正対せず、どのようにして悲惨さを語り継ぐのでしょうか。
風化などという持って回ったいい加減な言葉で事の本質を避けて通ることがジャーナリズムなのか、「8月ジャーナリズム」とはそれほど安直なものなのか、私は言葉を失います。
戦没者を追悼するとき、大日本帝国の旗のもとに侵略され、蹂躙され、殺され、奪われた人々の悲惨はどう認識されているのでしょうか。
「加害責任」という言葉をもってしても容易には語りきれない、おぞましい事実を、現実を、ジャーナリストは、そして私たちは具体的に知る必要があると思うのです。
こう書いてくると、毎度のことですが、またもや自虐がどうのこうのという批判が寄せられるかもしれません。
しかし、こうした歴史と真っ向から、しかも具体的に、真剣に向き合う営みを「自虐」などときいたふうな言葉であしらえば封じることが出来ると考えるほどの「空っぽな人々」にあれこれものを言われるいわれはないと言うべきです。
言論とはそれほど容易いものなのか、いい加減なものであっていいのか。
言論をバカにしてはならない!と言うべきです。
そして、この時期、多くのメディアが言うように、もし戦争の記憶の風化がどうのこうのと言うのならば、そのように書き、語っている人々は、一度でも本当に戦争の実体とそして本質と正対したことがあるのかと厳しく問うてみなければならないと言うべきです。
侵略という二文字がいかほどの膨大かつ深い実体を伴うものなのか、事実に即して真剣に向き合う必要があると、いま痛切に思います。
と同時に、現在の言論状況を見るにつけ、あまりの事の重さと道のりのほど遠いことに気が遠くなる思いで、言葉を失ってしまうのです。
冒頭に書いたこの時期の失語症とはこういう意味なのです。
「韓国併合100年」にかかわるテレビの特集企画番組や新聞の企画記事も同様です。
一見よく考えているようにみえる企画記事や番組にも深く問われるべき問題が隠れていると感じることがしばしばです。
言葉のちょっとした違和感がはらむ本質的な問題の大きさと重さに、ここでも言葉を失ってしまいます。
発表される前からメディアでもさまざまに取り沙汰された「韓国併合100年」を期に出された首相談話のニュースを見ながら、歴史と真摯に向き合うということはどのようなことなのかと、あらためて考えさせられました。
談話では「日本政府が保管している」と言い、メディアでは「日本に流出した」と書く「図書」を「お渡しする」という表現がはらむ問題の根深さについて「日韓基本条約で請求権問題は解決しているということで『お渡しする』という表現を使った・・・」と解説して、何かを「解説」したと本気で考えているのでしょうか。
「お渡しする」を問題にする前に「保管」していたり「流出した」という表現をどう認識しているのか、これまたおちゃらけではなく、まさかそれらの文物に足が生えて勝手に歩いて日本にやってきたなどとは思っていないでしょうね?と問い質したくなるのです。
言論、ジャーナリズムにかかわる者は「ことば」あるいは表現には存在を賭した厳しさが求められると思い込んでいたのですが、そんなことはもはやこの国ではまさに「八百屋で魚を求める」類の、言っても詮無い事なのだろうかと、痛切に思うのです。
「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。」
まことにその通りありたいと、菅首相のみならず、私も思います。
そうして「歴史の事実を直視する」と文物を「お渡しする」という表現の間にどれほどの隔たりがあるのか、それがわからないのであれば総理大臣などという地位に就く資格はないでしょうし、わかっていて人をたばかっているなら、それ以上にその職にとどまる資格はないと言うべきです。
そのいずれでもないとするなら、メディアの行間に見え隠れするのは、外務官僚のなせるわざということになります。
私は、長く忘れていた「法匪」という言葉を思い出しました。
日韓基本条約で解決済みである、ゆえに「返還」という言葉を使ってはならぬ・・・などという「論理」はまさしく「法匪」以外の何ものでもないと言うべきです。
もちろんそれ以前に、この談話で示されている「誠実に向き合いたい」というのは韓国に対してであり、朝鮮半島全体に対する責任が明確にされていないという問題の重大性については、もはや言葉を要しないと言うぐらいのものです。
こういうことの表現をあれこれひねくり回すために外務省のキャリア官僚たちは驚くほどの高い禄を食んでいるのでしょうか。
誠実であるとか真剣ということの意味が失われて久しいことに呆然とします。
そして、ここにも菅内閣が生き延びる奇妙な構造が如実に表れていることに気づきます。
どういうことかといえば、「こういうことを蒸し返せばさまざまに飛び火していく。たいへんな禍根を残すことになる・・・」といった、歴史修正主義の側からの「もうひとつの批判」を浴びることによって、本質的な問題を問われないまま生き延びる力を得るという構造です。
まさに、こうした「批判」こそが、本質的な批判から菅内閣を守り生き延びさせる糧となっているという意味で、たとえば安倍元首相らこそが「補完勢力」になるという、奇妙な構造に気づく必要があるということです。
政権交代によって生まれた民主党政権にとって代わるものがないという、いま私たちが目の当たりにしている悲劇の構造を直視する必要があると思います。
それにしても、この時期の戦争と平和をめぐる企画報道や番組をひたすら年中行事のごとく繰り返すメディアのあり方にピリオドを打って、ジャーナリズムとしてどう生きるべきなのかを根源的に問い直すことをしないならもはや将来はない!といわざるをえません。
「メディアが戦争と平和に思いをはせる季節を毎年共有するのは、戦後社会のはぐくんだ貴重な習慣だ」などと気楽なことを言っていられるメディア、言論状況なのでしょうか、あるいは政治、社会状況でしょうか。
「暑い夏」を暗澹たる夏にしないためにも、いま、まさに真剣に考えてみなければならないのではないかと痛切に思います。
2010年08月18日
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