2010年08月21日

ことばを失いながら、しかし歩まねばならないと・・・

 きのう、北東アジアにかかわる研究フォーラムに出かける途上、このブログ読んでくださっている方から電話をいただきました。

 ブログの内容にも深くかかわる、非常に重要な指摘がありました。

 前回のコラムの内容は私自身の考えていることを十全に語りきるところまで至っていないのでしたが、きのうの指摘をもとに、私自身の問題意識を継いでもう少し書いておかなければならないと感じました。

 出先に向かう途中で受けた電話でしたので、きちんとメモを取ることができず、そこでの指摘を正確に受けとめているかどうか心もとないのですが、私なりの理解で敷衍したところもあることを前提に書き出してみると、指摘は4点でした。

1.いま「韓国併合100年」という言葉で語られているがこの言葉は深く吟味してみなければならないのではないか、朝鮮を強制的(暴力的)に「併合」、植民地支配していった歴史があいまいにされてはいまいか。歴史をより深く検証して言葉を使うべきではないだろうか。

2.「韓国併合100年」ということで日本と朝鮮半島の関係や欧米が、ロシアがどう動いていたのかという角度からさまざまに語られ、番組なども放送されているが、朝鮮半島の植民地支配へとすすむときに日本国内で何が起きていたのかという視点が忘れられてはいないか。たとえば、いわゆる「韓国併合条約」の年、1910年には「大逆事件」があった。外に向けての「動き」が日本国内の政治、社会の「動き」や「変化」とどのようにかかわっていたのかという視角できちんと分析、考察されなければ、何が起きていたのかが見えてこず、現在を生きる我々に語りかけるものも見えてこない。「外」への侵略や植民地支配という「動き」には、密接不可分のものとして「内」の(国内での)「動き」(変化)があることを忘れてはならないのではないか。

3.いわゆる「東京裁判」では、不十分だという批判はあるにせよ、戦争責任を俎上に載せて問うたといえるが、植民地支配については問うことも裁くこともしていないということを忘れてはいないか。このことが今に至る日本のあり方にどう影響してきたのか、あるいは朝鮮半島をはじめとする近隣諸国との戦後の関係を再構築する際にどのような問題を潜在させてきたのかを考えてみなければならないのではないか。

4.韓国でここ数年、いわゆる「親日派」問題の再検証がすすめられていることは知られていると思う。韓国国内では賛否さまざまに議論が巻き起こっているが、一方で、植民地時代のさまざまな「知られざる事実」が出てきている。これからも多くの問題が明らかになってくる可能性がある。日本でも、みずから歴史を再検証して具体的に事実を明らかにして、それへのきちんとした歴史的総括と対処をしていかなければ、外から「迫られる」という構造に陥っていくのではないか。日本にとっての課題が重く残っていることをきちんと認識しておかなければならないのではないか。

 こうした4点でしたが、いずれも重要な指摘であり、問題提起でもあると感じました。

 この一つひとつに、私が(正確に言えば、私だけが)答えるべき問題ではないのかもしれませんが、初歩的にせよ、いま感じていること、考えていることを述べておくことも責任だと考えます。

 まず、いうところの「用語」の問題です。これは本当に重く、大きな問題だと思います。

 「韓国併合100年」にかかわるさまざまな取り組みが各界で行われていますが、それぞれの場で、この問題が議論になったことは想像に難くないと思います。事実、ある取り組みの準備段階の会合で激しく議論されたということも聞いています。私自身は、放送メディアで仕事をしてきたという「出自」にかかわりがあるかもしれませんが、いまのところは、「韓国併合」という言葉を用いながら、しかし、そこにはカギカッコをつけて幾分かの留保の意味を込めているという次第です。

 もちろんこの方の指摘にあるように、さらに議論を深めて歴史的事実とその本質を的確にとらえた表現は何なのかを考えることが重要だと思いますが、それ以前に、メディアで伝えたり、語ったりする際に、「韓国併合」というこの言葉を、流通する「用語」として無前提、かつ無意識に使うということがはらむ問題があると感じます。

 この言葉には留保が必要なのだという、自覚された歴史認識がなくてはならないと思うのです。

 この間の「韓国併合」や韓国、あるいは日韓関係にかかわる放送や新聞記事などを視たり読んだりしながら、このことへの認識の欠如が透けて見えるという場面に何度も遭遇してことばを失うこともたびたびでした。

 最近の日韓関係にかかわる放送などの際はキャスターを任ずる人物の「表現の軽さ」に耐えられなくなってTVの前を離れたということもありました。

 言葉のリアイティのなさというものが、まさしく認識の欠如として意識されず、自覚なきままにあたかも巧みに「演ずる」ということだけが画面で繰り広げられることに、見るに堪えずいたたまれなくなったというわけです。活字も同様です。もっともらしい論考でありながら、迫るものがないという言説、論説を、この間どれほど目にしたでしょうか。

 前提となる認識と問題意識、そこから紡ぎ出される「ことば」の関係を深くかつ厳しく突きつめていくということをこそ、まずはなすべきだと考えます。その上で、「用語」として歴史(の本質)を的確に表象することばを選び出していくという作業が、さらに深められるべきだと考えます。

 2点目の指摘は、大きく括れば、戦争への道と社会の関係において歴史は何を語りかけているのかという問題でもあると思います。
 
 支配層が「対外戦争」を準備するときかならず国内社会においてナショナリズムの高揚と排外主義の蔓延、そして社会運動とりわけ反体制の動きへの弾圧ということを必然としてきたという歴史があることと、実はそれを支えてきたのは市井のごくごく「普通の人々」であったという重い現実です。このことへの厳しい自己省察がまずは一人ひとりの私たちに迫られ、その上に国家がそのように「動かそうとする」ことを拒む一人となって社会と歴史に向き合うことが重い課題となっているということだと考えます。

 3点目の問題は植民地支配ということを軸に私たちの歴史が今あらためて問われるのだと感じます。

 つまり、東京裁判についての評価をめぐる議論は置くとしても、裁く側に立った米国をはじめとする「連合国」側にとっても帝国主義時代における植民地支配という問題は、敗戦国である裁かれる側の日本と「相身互い」の問題としてあったということが見落とせないと考えます。

 このことは、帝国主義とはそういうもので日本だけが責められるいわれはない!といった、今氾濫する、ある種の歴史修正主義とでもいう「対抗言説」を合理化するものでないことはいうまでもありません。きわめて卑俗な物言いをするならば、それは、他人が強盗をするのだからオレが強盗をして何が悪いのだという、まさしく『強盗の論理』というべきもので、それが誇るべき日本人のありようとして正当化されるなど、恥ずかしくて口に出すのもおぞましいというべきです。

 ここで考えなければならないのは、裁く側も裁かれる側も帝国主義と植民地問題については衝くことのできない「タブー」としてあるがゆえに、この方の指摘にあるように植民地支配の責任については俎上に上すどころか直視することすら避けてきたということではないでしょうか。

 歴史研究の論文を書いているわけではないので、一例だけにとどめますが、日本が朝鮮半島を植民地化していくことについては、米国のいわゆる「門戸開放政策」にかかわって、米国がフィリピンを支配することを黙認するかわりに、日本が朝鮮半島をいかように「処理」しても米国は黙認するという1905年の「桂・タフト密約」によって一種の「共犯関係」が密かにかたちづくられていたことが重要なファクターとして見落とせないということです。

 その意味では今年が「韓国併合100年」として幾多の番組や企画記事がかさねられているのですが、本来的には1905年をこそ日本の朝鮮半島支配の重要なターニングポイントとすべきなのだろうと考えます。

 それはともかく、こうした裁く側と裁かれる側に存在した「相身互い」の秘めたる「事情」(共犯関係)にこそ、植民地支配の責任という視点から歴史を深く検証しそこでの責任を厳しく問うことにならなかった問題の根っこがあるのだろうと考えます。こうして考えてくると、少なくとも世界的視野で近代史の真摯な再検証が不可欠となっていることを痛感します。
 
 さて、最後の指摘についてです。これは歴史研究者やジャーナリストにとどまらず、私たち一人ひとりにとって重い課題としてあるというべきでしょう。

 なぜかといえば、前にも書いたように侵略戦争への道と植民地支配を支えてきたのは、一握りの軍国主義者でもなく狂信的な国家主義者だけでもなく、数知れぬごくごく普通の「われわれ」でもあったのだという意味において、私たちは歴史と正直に向き合うことが必要になるからです。

 その意味では前回書いたコラムやずっと以前に書いてきたことにも深くかかわるのですが、この国の市井の民、われわれは戦争被害者でもありかつ加害者であるというきわめて重い存在として自己を見据えることが必要になるということです。

 だからこそ世代が大きく入れ替わっていく時代にあって、どれほど苦痛であってもそれぞれが本当のことを語らなければならず、そこに一切の斟酌や粉飾が施されてはならないと思うのです。語り継がなければならないこととは、一にかかってここではないでしょうか。

 学生時代の事です、私は、塚越正男さんという方と出会いました。氏は、中国大陸で自分が帝国陸軍伍長として犯したおぞましいまでの罪について真摯に語り、幾多の迫害の中命がけで、自己の後半生を「鬼から人間へ」と語り続け、「青年よ、侵略の銃を取るな」と痛切な叫びを残して世を去られたのでした。

 私たちが語り継がなければならないことは、つまりこのことなのだと思うのです。風化させてはならないのはまさしくこのことなのであって、戦時中の暮らしがいかに苦しかったのかといったことなどではないのです。それはまさに「よもやま話」の思い出語りで話せばいいことで、それらが記憶から薄れていったとしてもとりわけなにも問題ではないでしょう。

 私が子供のころはまだ、ニューギニアでどれほど辛酸をなめて生き残ったかを得々と語り教室でビンタを張るといった教師もいましたし、耳にするのさえおぞましいことですが中国大陸でどのようにして手当たり次第女性を犯したのかといった「自慢話」をするような大人もいました。

 そうした人たちが時代とともに一切語らず口を拭うようになったことはもちろん時代ということでもあるのでしょうが、では、そうした己の歩んだ道や歴史になんらかの疑問を抱いたり反省、克服されたりしたのかといえばそれほど生易しい問題ではないと感じますし、潜在する意識としては、自己を肯定し合理化する生き方や思想こそが生き延びていることを否定できないというべきでしょう。

 前回のコラムで、「『加害責任』という言葉をもってしても容易には語りきれない、おぞましい事実を、現実を、ジャーナリストは、そして私たちは具体的に知る必要がある」と書き、戦争の実相について事実に即して具体的に語らなければならないということを強調したのは、まさにいま私たちが自身の力でこのことと真正面から取り組まなければ、この方の指摘にあるように、外でどんどん「隠された事実」が明らかになるという構造の中で、私たちが本当の意味で誇りも信頼も何もかもを失う事態に追い込まれるというやりきれないことになる恐れがあるのだということです。

 私は日本人としての自尊と誇りをかけてこの課題と取り組まなければならないと考えます。

 こうした考えに対して、前にも書きましたが「自虐」という非難がなげつけられます。あまつさえ「反日」というものまで飛び出します。

 わかりやすくかつ代表的なのものを挙げれば、総理の座につきながら何もできずいい加減に放り出した人物から「自虐」がどうのこうのといういわれなき批判が語られたり、ネット上でも暗闇に隠れた無数の正体不明の言説として「自虐」攻撃がかけられたりするいまの日本ですが、どちらが自尊と誇りをかけてものを考え語っているのか、考えれば自明、明白ではないかと思います。

 私たちの誇りをかけて、具体的事実を率直かつ正直に掘り起こして歴史の検証と取り組まなければならないと、いま痛切に思います。

 さて、長くなってしまいますが、「付け足し」を二つ。

 まず、前回のコラムで「韓国併合100年」にかかわる首相談話について批判的な視点で述べましたが、そのなかで外務官僚についてふれたくだりがありました。

 それにかかわって、注目すべき記事に行き当たりました。「週刊現代」の9月4日号に掲載された記事の中に「この談話には菅首相と、そして仙谷氏のある意図が秘められているという」として外務省幹部のコメントが引かれています。

 「談話は韓国に対してのみのもので、北朝鮮にはまったく触れていません。本来、日韓併合は“朝鮮半島”の問題であって、韓国だけに絞るのはおかしい。この問題は、首相にも官房長官にも何度も指摘したが、聞き入れられませんでした。これは、鳩山内閣時に北朝鮮との交渉を独自のルートで進めてきた、小沢さんへの当てつけです。『北朝鮮との交渉は、どうぞお好きにやってください。でも政府は一切関知しません。北朝鮮との交渉で問題が生じたら、小沢さんの責任ですよ』という通告です」というのだそうです。

 もちろん真偽のほどはわかりません。しかし、「首相にも官房長官にも何度も指摘した」ということが書かれているのですから、この外務省幹部が誰であるのかはおおむね見えてきますし、その上で、首相や官房長官をはじめ当事者からこれが「虚偽の記事」だという抗議でもないかぎり、あいまいながらも、まあ当たらずとも遠からず・・・ということになってしまいます。

 さて、本当のところはどうなのでしょうか。

 それにしても本当にこんな低次元のところでものが発想され、動いているのでしょうか。もしその通りというならこの国の政治と政治家の程度は、それこそおぞましいばかりということになります。

 もうひとつは8月18日の朝日新聞朝刊に掲載されたコラムについてです。

 これはオピニオンページに掲載された「歴史観の『脱冷戦』を」と題した外岡秀俊編集委員によるコラムなのですが、私も参加した「韓国併合100年」を問う国際シンポジウム(国立歴史民俗博物館主催)について言及があったこともあり熟読したのでした。
 (なお「韓国併合100年」とカギかっこをつけるのは私自身の考えであり、またこのシンポの主催者もそうしていますが、外岡氏のコラムではカギかっこはついていません)

 今回のシンポの論点にふれながら、力をこめて書かれたことが伝わってくるコラムでした。

 外岡氏が朝日新聞に入る前、東大在学時代に文藝賞受賞作「北帰行」を書いたころから氏のみずみずしい感性と筆力に敬服していた私としては、この朝日紙上のコラムを読みながら、よき仕事をされているなーとは感じ入ったのでした。

 が、しかし、「歴史観の『冷戦』を終わらせ、史実に基づく本格的な論戦を始める時期が来ている。」と、このコラムを締めくくっていることにはいささかの違和感を抱いたことを書いておかなければなりません。

 もちろん現在の日本の言論状況はそういうことなのかもしれません。しかし!です、もはや戦後65年です。氏はこの65年間は一体なんだったと考えているのだろうか、そこでのジャーナリズムの責任はどう果たされ、あるいはどう果たされなかったと考えているのか、私は、そこを厳しく見つめること抜きにこれほど簡単に「歴史観の『冷戦』を終わらせ、史実に基づく本格的な論戦を始める時期が来ている。」などと言うべきではないのではないかと、考え込んでしまったのでした。

 ことばはきつく響くかもしれませんが、もう戦後65年も経つのです、そんな評論家ふうの言説でいのだろうか、その間、ジャーナリストは何をしていたのかと。

 さきほどふれた塚越正男さんにしてもそうなのですが、あるいはこころある研究者にしても、本当に数えきれない人たちが、まさしく「史実に基づいて」命がけで格闘してきたのではないのか、そのことをジャーナリストとしてどう受けとめ、どう考えているのか・・・。

 自己の足下への省察抜きに語ることの許されない、言論にたずさわる困難を、またというべきか、考えさせられたのでした。




posted by 木村知義 at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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