2010年06月13日

続、単純なことが、一番難しい!

 「天安」問題の国連安全保障理事会での「扱い」が注目されています。
 
 6月の安保理議長国メキシコのヘラー国連大使は週明けにも安保理15カ国による「非公式協議」を行う意向を示していますが、韓国外交部は「民・軍合同調査団」が14日午後3時(日本時間15日午前4時)からニューヨークの国連本部会議場で安保理理事国を対象にした「説明会」を開催することを明らかにしました。

 「非公式協議」と韓国のいう「説明会」の関係がいまひとつ定かではありませんが、自由アジア放送(RFA)は「中国が天安艦国連説明会に欠席するようだ」と報じたということです。

 11日の「日経」はニューヨーク発で、
 「国連安全保障理事会は韓国の哨戒艦沈没事件への対応を巡り、関係国が10日にかけて水面下で折衝を続けた。事件を『北朝鮮の攻撃』と断定する韓国と、それを全面支持する日米に対し、ロシアは『北朝鮮が原因と特定できない』との立場をとり、中国も態度を留保。本格協議を前に活発化する駆け引きで『北朝鮮の攻撃』を認定するかどうかが大きな争点となりつつある。」として、
「事件がそもそも『北朝鮮の攻撃』でないということになれば、日米韓が唱える『北朝鮮への非難』には理解を得られなくなる。議論は“入り口”から激しい対立をはらむ展開となっている。」と伝えています。

 この記事でもふれられているように、韓国に赴いて調査に当たったロシアの専門家ティームは帰国後、北朝鮮の魚雷攻撃によるとした韓国側の「調査報告」について「説得力がある十分な証拠がない」としたということです。

 ロシア政府の政治的判断によってどのようなものになるのか、正式な発表までかなり時間がかかるという観測も出ていますので、まだ本当のところはわかりませんが、専門家ティームの調査を受け入れた韓国側にとっては「痛手」であることは間違いありません。

 ロシア政府の政治的判断によってと書いたのは、国連安保理の「空気」をどう読み込むのかという問題とともに、私は、もうひとつ、10日の韓国の衛星搭載ロケット「羅老」の打ち上げ失敗という問題がどういう影響を及ぼすのかにも注意を払う必要があるのではないかと感じています。

 海に沈んだ「天安」と宇宙をめざして空に消えた「羅老」に何の関係があるのだと思われるかもしれませんが、このロケット打ち上げ失敗にはロシアが深くかかわっています。

 ロケットの1段目はロシアのロケット製作会社クルニチェフが製作したもので、ロシアから輸入された1段目と韓国が開発した2段目を連結して「羅老」が作られました。

 今回の打ち上げにあたっても韓国とロシアの専門家が協力して取り組んだことをふまえて、ロシアとの契約に規定されている「失敗調査委員会」(Failure Review Board)が韓ロ共同で設置されることになるということです。

 昨年8月の一回目の打ち上げ失敗とあわせて5000億ウオン以上(搭載衛星の製作費は別)といわれる資金を投じてきた宇宙ロケットの打ち上げ失敗は韓国とロシアの関係にも微妙な影を落とすことになるのではないかと感じます。

 それはいかにもうがちすぎだと言われるかもしれませんが、もちろん、問題が複雑になることなく終わればそれに越したことはないと思います。

 さてロシアにかかわる「動き」に加えて、もうひとつ、今回の「天安」問題で、中国が韓国からの国際調査団への参加要請を断っていたということが伝えられました。

 これは北京発時事が伝えたものですが、このところ北朝鮮にかかわる問題ではメディアにたびたび登場する中国共産党中央党校国際戦略研究所の張l瑰教授が日本の「自衛隊佐官級訪中団」との会談で語ったというものです。

 張教授は「この事件は裁判ではなく、国際問題だ。証拠不十分で無罪になったらどうするのか。中国は北東アジアの平和と安定を乱すことはしたくない」と、「調査団」に参加しなかった理由を説明したということです。

 さらに張教授は「韓国と北朝鮮が互いの世論を抑えることができなければ、戦争になる可能性も否定できない。米国が空母を配備して、北朝鮮の核問題も含めて一気に解決しようとすれば、全面戦争になる」と警告したということです。

 「韓国と北朝鮮が互いの世論を抑えることができなければ」というところは、中国語でどういう表現だったのか確認できませんが、この通りの発言であったとすれば、含みの多いところだと感じます。

 北朝鮮の「世論」というものをどうとらえるのかというのは、難しい問題であることはいうまでもありません。

 以前、朝鮮問題についてのジャーナリストの研究会で「朝鮮新報」の平壌支局長を招いて話を聴いた際、「日本のメディアのみなさんは朝鮮は金正日総書記と労働党の指導の下、国民の意識をはじめなにもかも一色だと思っているかもしれないが、庶民にはさまざまな感情があり日本に対する考えもそれぞれにある。その意味で世論というものが歴然として存在していて、為政者の側もそれを無視してはやっていけないという側面もある。そのことを日本のメディアは全く見落としている。在日朝鮮人の新聞社として平壌に駐在しているわれわれは、朝鮮の庶民にも直接取材し、そうした人たちの気分や気持ちというものにも接している・・・・」という話を聴いて、少なくとも私はある驚きというか、発見があったと感じましたし、北朝鮮の動向を見つめる際に必要な「複眼の思想」とでもいうべきものの必要性について触発されたものです。

 とはいうものの、ここで張教授が何を念頭に北朝鮮の「世論」というものを持ち出したのかは、中国語の元テキストが不明だということとも併せて、読み解きは難しいものです。

 ところでこれを書いている時(11日朝書き始めて、ほかのことに時間をとられてまる二日中断して翌13日午後再開したのですが)実に興味深い記事に出会いました。

 私はブログの記事ではどうしても必要なときを除いて、できるだけ名指しでの批判は避けてきていますので今回も名指しで取り上げることを避けますが、ソウル駐在が長い、いわば韓国専門記者の「長老」とでもいう存在の人物によるコラムの一節です。

 「ところで、韓国で先ごろ起きた哨戒艦撃沈事件は『なぜ北朝鮮が?』と、動機などに分かりにくいところがある。そこでこれに『誰がいちばん得をしたか?』論をあてはめてみると、面白い。結論は『いちばん得をしたのは北朝鮮』で『犯人はやはり北朝鮮』となって納得なのだ。
 そう思わせられたのは先週、行われた韓国の統一地方選挙が、まさに北朝鮮の思い通りの結果になったからだ。
 選挙結果は内外の予想を裏切り与党惨敗、野党大勝に終わった。ソウル市長も危うく野党に取られるところだった。
 哨戒艦事件で北朝鮮に対する批判が高まっていたときだから、安保重視の保守派の政権・与党に有利と思われたのに、結果は逆だったのだ。」
 「選挙結果もこれありで、韓国では哨戒艦事件の北朝鮮糾弾はしだいにトーンダウンしつつある。戦争の覚悟がなく、平和志向の韓国は北に何度やられても『泣き寝入り』するしかない。」

 う〜ん・・・とうなりました。
 そうか、こういう「論理」が成り立つものなのかと、恐れ入りました。

 今回の韓国の統一地方選挙については別掲の柳 あい氏の論考に詳しいのでそちらを読んでいただきたいのですが、この選挙の結果を「北朝鮮の思い通りの結果」などと論評することは、思いつきませんでしたので、この「長老記者」のコラムには正直驚きました。

 今回の選挙結果に対して「八つ当たり」とでもいうしかない論調のコラムを前に、選挙を通じて示された韓国の人たちの民意というものにもう少し謙虚に向き合うべきではないかと、考えさせられたものでした。

 それにしても「戦争の覚悟」がない韓国は「北に何度やられても『泣き寝入り』するしかない」というのには言葉を失いました。

 今回の選挙直前の状況はといえば、少なくとも、李明博大統領の国民向けの「決意表明」と北の非妥協的な「声明」や「主張」などを考え合わせると緊張の高まりは極限に近づきつつあり、不測の事態もなきにしもあらずという状況になっていたことは確かだと思います。

 もちろん、だからといってすぐ戦争が起きると短絡して考えるのは誤りだとは思いつつ、しかし、かぎりなく、何が起きても不思議ではない状況に近づいていたことは否定できないと思います。

 今月25日に朝鮮戦争勃発から60年を迎えることまでが、なにか「不吉な暗喩」のように思われて「嫌な感じ」がしたものです。

 そんな状況に、戦争はNo!と鋭い「一撃」を下したのが、今回の選挙結果だったというべきでしょう。

 それは「戦争の覚悟」がないなどとあげつらうべきことではなく、韓国の多くの人々が、李明博政権に対して、戦争はすべきではないと明確に意思表示したというべきです。

 もちろん、いまでもまだ「不測の事態」がなきにしもあらずという状況を払拭できていないというべきですが、それでも60年前とは決定的に違うということを私たちに知らしめたと言う意味で、今回の選挙は歴史的な重みを持っていると言うべきでしょう。

 つまり、こうした民(たみ)の力というものこそが何にも代えがたい「抑止力」なのだということを如実に示したのだと、私は、考えます。

 ここに示された「民の力」の存在は、南北双方の為政者にとって、うっかりしたことはできないという意味で、無視できない「圧力」として重い意味を持ってくるでしょう。

 私が、信頼醸成こそが最大、最強の抑止力であり安全保障ではないのかと主張するのは、思想や体制の異なる関係であるからこそ、力で相手を抑え込むことに腐心するのではなく、何かあれば「相手からやられるかもしれない」という不信と猜疑に凝り固まってしまう状況を、少しずつでも、相互に溶かしていく努力こそが戦争を回避し、抑止することになるのだと考えるからです。

 その際、為政者同士の信頼醸成ということはもちろん大事ですが、なによりも「民(たみ)の意志」として戦争はすべきではないということを鮮明に示していくことが、信頼醸成に向けてのもっとも核心的な力になるのだと思いますし、それが有形無形の「圧力」として双方の為政者を規制していく力になるのだと思います。

 もちろん、「言うは易くして行うは難し」の喩えではありませんが、この単純なことが最も難しいことであることは承知しています。

 しかし、今回の韓国の地方選挙に示された「民意」というものを考えると、「戦争をする覚悟」以上に力強い「民の覚悟」を見せられたという意味で、このようにして危機は回避できるのかもしれないという「具体例」を見た気がするのです。

 重ねて言いますが、まだまだ予断を許さない状況が続いていますし、平和的に治まることを良しとしない「見えざる力」が働かないとも限りませんから、油断はできないとは思います。

 しかし、今回の選挙に示された「民の力」を無視して戦争に踏み出す者がいるなら、いずれにせよ「地獄への道」しか残されていないでしょう。

 その意味で、「天安」問題という不幸な状況下で行われた今回の韓国の地方選挙は、私たちに実に大きなものを学ぶ機会をもたらしたと言うべきです。

 安全保障あるいは抑止力について語るならば、軍事力をどう強化するのか、同盟関係をいかに緊密にするのかというベクトルではなく、どうすれば軍事力を必要としない状況をつくることができるのかについて真剣に考え、議論を深めることにこそ力を注ぐべきだと、私は考えます。

 もちろん、民の力といっても、最終的には為政者のあり方が問われてくることは言うまでもありません。だからこそ為政者を動かす「民の力」が問われると言うべきでしょう。

 今回の韓国の統一地方選挙から、私たちが学ぶべきことは実に重いと考えます。

 単純なことこそ、一番難しい!
 だからこそ、です。


posted by 木村知義 at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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