柳 あい
去る6月2日に行われた韓国の統一地方選挙、その「歴史的」といえる画期的な変化にもかかわらず、同日突発した鳩山首相の辞任劇の陰に隠れ、日本の主要メディアではほとんど報じられていない(『毎日新聞』6月4日付の記事が比較的詳しい)。インターネット上でもあまり論じられていない選挙結果の意義を以下に整理し、紹介してみたい。
まず韓国の統一地方選挙は、日本の都道府県に当たる広域地方団体の首長と議員、教育長と教育議員(地方議会内に教育委員会を構成)、市町村に当たる基礎地方団体の首長と議員、少なくともこの6人を同時に選出する。日本との最も大きな違いは、都道府県の教育長と教育議員を有権者が選挙で選ぶ点にある。それほど韓国の教育責任者には政治的立場が重視され、この間の教育委員会は圧倒的多数を保守勢力が掌握して「保守化」を推進してきた。
さて、今回が第5回となる本格的な統一地方選挙は1995年に制度化されたが、本格的には1998年・2002年・2006年5〜6月に実施され、いずれも保守勢力が圧勝してきた。その背景には保守基盤の厚さもあるが、時期がワールドカップの開催前後で若者の関心が低く、50%前後の低い投票率によって保守勢力が地方団体の首長・議員・教育委員会を掌握してきた。だが、今回初めて民主・革新勢力がこれら地方団体の主導権を「全国的に」掌握した、この点が今回の統一地方選挙の歴史的意義の第一である。
ついで第二に、政府は3月下旬に起きた「天安」沈没事件の調査結果を選挙公示日に公式発表するなど、南北間の緊張をあおったにもかかわらず、大方の予想に反して大敗した選挙結果は「歴史的な分水嶺を越えた」と評価できる。次の第三点とも関連するが、国民は「再度の戦争への道」を選挙を通じて明確に拒否したのである。
実は、今年の初めまで民主・革新勢力は四分五裂していた。昨年金大中とノ・ムヒョンという二人の指導者を失い、民主党政権時からの内部対立の後遺症に加え、革新派の民主労働党も分裂を重ねていた。それを野党統一候補という形にまとめ上げたのが市民運動、それもネットワーク式の市民団体連合であり、中でも李明博政権の対北緊張政策に反対して「平和共存」政策を継承する朝鮮半島平和フォーラムなどの政治力だった。つまり、民主・革新政党の分裂を克服した野党統一候補の多くが当選した選挙結果は、韓国市民運動の政治力によって実現したといえる。これが、第三の歴史的意義である。
その成果を具体的に見ていくと、最も驚くべき人物は、釜山広域市郊外に広がる慶尚南道知事に当選した金斗官(キム・ドゥグァン、51歳)である。農民出身の彼は苦学しながら学生運動に参加、獄中生活後に故郷で農民会を組織して最初の民選郡長となり、ノ・ムヒョン政権発足時には行政自治相を務めた。保守勢力の中心地である慶尚南道ゆえに、無所属の野党統一候補として当選したが、彼の政治信条は「草の根民主主義」である。
同じく、南北接境地の江原道知事に当選した李光宰(イ・グァンジェ、45歳)と忠清南道知事に当選した安熙正(アン・ヒジョン、45歳)はノ・ムヒョンの側近中の側近で、いわば「助さん・格さん」にあたる。この三つの地域で保守政党以外の候補者が当選したのは初めてであり、三人とも軍事政権を打倒した1980年代に学生運動に参加して投獄された世代を代表する政治家である。
そして、彼らの先輩世代で民主化運動、学生運動の先駆者の一人が、ソウル市長選挙で惜敗した韓明淑(ハン・ミョンスク、66歳)である。ノ・ムヒョン政権下で韓国初の女性首相となった彼女は、選挙前の世論調査での10〜20%差が実際には0.6%差に迫るほどの善戦で、次回2012年大統領選挙に向けて民主勢力を代表する有力候補に浮上したといえよう。なお、ソウル市25区のうち、21区で民主派が勝利したことも画期的であり、こうした「草の根民主主義」の広がりは次回の大統領選挙でも力を発揮するだろう。
さらに、ソウル市教育長には民主化を推進した全国教授協議会の郭ノヒョン教授が当選するなど、多くの広域地方団体で教員組合の積極的な支持者が教育長に選出された。これまた画期的な成果であり、韓国社会の民主化を長期的に持続させる基盤となり、「平和共存から共生へ」と南北関係を進展させていくに違いない。そして、今この時期に、「戦争よりも平和共存」という方向性を選挙で明確に選択したことこそ、「市民参加型」統一運動(白楽晴『朝鮮半島の平和と統一』、岩波書店、2008年)の到達点を端的に示している。
次は日本の選挙である。東アジアの「平和共存」の流れに積極的に加わるよう、新政権に様々な形で働きかけていくべきである。沖縄の米軍基地を減らすためにも、「韓国併合100年」にそうした市民運動が求められている。
柳 あい 韓国・朝鮮半島問題研究者。
1990年代に韓国の大学で教えながら学生たちと交わり、韓国社会の民主化過程をつぶさに見、肌で感じてきた。帰国後は日本と韓国との市民交流や市民を結んだ研究会活動と取り組む。翻訳家としても数多くの仕事を重ねている。