2010年04月30日

普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(2)

 (承前)
 「沖縄の負担を軽減させてあげたい」
 「普天間飛行場の移転問題」は、鳩山首相が、はからずもというべきか、漏らしてしまったような「施し」で取り組む問題でないことは言うまでもないことです。

 日本と米国のあり方を根底から問い直す、そして日本がアジアでどう生きるのかを問う問題として、日本国の総理大臣その人自身の問題としてあるのだというごくごく普通の感覚と問題意識があれば、こんな他人事のようなことばが出てくることはないでしょう。
 
 はからずもというときに、まさに本音が見えてしまうものです。恐ろしいものです。しかしながら、連日メディアで報じられる「ことば」を聴いていると、与党、野党を問わず、メディアに登場する多くの政治家たちからも、これと大差のない意識であることが透けて見えてきますから、事は深刻です。

 さて、そこで、沖縄の「基地」(この際、米軍基地とだけ限定的にいうべきではないので「基地」としておきます。当然、米軍と自衛隊との共同使用、共同作戦ということも視野に入れてのことです)は何のためにあるのかということに思考をすすめなければならないと思います。

 そんなこと、答えは簡単な話じゃないかという声が聞こえてきそうです。

 そう、まさに「脅威」に対する備え(抑止力)として「沖縄」はキィストーンをなしているというわけでしょう。

 私は1969年の4月から5月にかけて、復帰前の沖縄に出かけて以降沖縄に足を踏み入れることなく今に至っているのですが、当時は、米軍車両の黄色いナンバープレートに「Key Stone of the Pacific」と記されてありました。まさに沖縄が何であるのかを象徴するものだと、ベトナム戦争最中の嘉手納基地一帯をそして那覇軍港界隈を歩きながら、考えさせられたものです。

 ここで、まえのコラムで引いた、TVニュースで伝えられた前原国土交通大臣のコメントを思い出す必要があります。

 「沖縄県民の皆さん方のご意向はしっかり受けとめなければいけない。鳩山総理大臣が、できるだけ県外にという思いで努力されていることは、たいへん結構なことで、われわれも後押しをしなくてはいけないと思う」
 「日米間の協定のたてつけでは、現在の辺野古に基地を移設するという考え方はそのまま生きている。私が今申し上げられるのは、あらゆる選択肢を想定して、日米同盟関係の実効性の確保と地元住民のご理解、これを両立する形で問題を解決するということに尽きる」
 
 前半のコメントは、「負担を軽減させてあげたい」という鳩山首相と意識において大差ないことがわかり「大変結構なこと」?というべきなのでしょうが、そんな軽口はともかく、続く「日米同盟関係の実効性の確保と地元住民のご理解、これを両立する形で問題を解決するということに尽きる」ということになると、「日米同盟の実効性」、要は「脅威」に対する日米での備え(抑止力)が万全に機能するようにできるかどうか、それが「確保」できるかどうかが問題だと言っているわけです。

 結論から言えば、そんなことと「住民の理解」が「両立」させられたらたまったものではないのですが、そこは、いまはまず置いておくことにします。

 本当は置いておけないことであることはいうまでもありません!
 
 さてそこで、問題は、ここでいう「脅威」とは一体何なのかということになります。

 いま、なぜ沖縄なのか、あるいは沖縄の海兵隊なのか、を問うとき、注目すべき報道があったことを思い起こす必要があります。

 もちろん、一般的にいわれるように中国、北朝鮮の存在をもって「脅威」とすることについても深い吟味が必要であることはいうまでもありませんが、いまは、そこにおさまらない、そこをこえたというか、さらに踏み込んだ「問題のありか」についてしっかりと考えておかなければならないということなのです。

 遡ることひと月、4月1日(木)の朝、「毎日新聞」の朝刊を手にしたとき、やはりここにきたかという、なんとも言い難い感慨にかられながら活字を追ったのでした。

 「海兵隊 北朝鮮核が狙い」と一面トップ6段抜きの見出しが躍る紙面では「なぜ沖縄に−米軍高官の『本音』」という横見出しに「オキナワになぜ米海兵隊が必要なのか−−。米軍高官が『抑止力』以上の『主たる理由』を日本側へ新たに伝えてきていることが関係者らの証言で明らかになった。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題の迷走は結果として米軍の『本音』を引き出し、鳩山政権の掲げる『対等な日米関係』を築く一歩になるのだろうか。」というリードが続きました。

 少し長くなりますが、重要な記事なので冒頭の部分を引用します。

 「東京・赤坂の米国大使館。2月17日午前、日米の防衛当局幹部による会合がひそかに開かれた。呼びかけたのは来日中の米太平洋海兵隊(司令部ハワイ)のキース・スタルダー司令官。アジア太平洋に展開する海兵隊の最高指揮官である。
 日本側から西原正・前防衛大学校長ほか研究者数人。防衛省陸上幕僚監部の番匠幸一郎・防衛部長と統合幕僚監部の磯部晃一・防衛計画部長も同席した。
 日本滞在中の司令官は多忙を極めた。合間を縫うように招集された極秘会合は制服組同士、普天間問題への日本国民の反応、自衛隊内部の雰囲気を探る意味合いもあった。
 司令官は普天間飛行場移設問題について、現行計画への理解を求め『公式見解』をひと通り述べた。通訳なしの英語だけで1時間の会合の最後、日本側出席者の一人がいらだちを抑えるように反論した。『そんな話は私たち安保専門家はわかっています。そういう説明ばかりだから海兵隊は沖縄に必要ないと言われるのです』
 同席者によると、司令官はしばし考えたあと、言葉をつないだ。『実は沖縄の海兵隊の対象は北朝鮮だ。もはや南北の衝突より金正日(キムジョンイル)体制の崩壊の可能性の方が高い。その時、北朝鮮の核兵器を速やかに除去するのが最重要任務だ』
 緊急時に展開し『殴り込み部隊』と称される海兵隊。米軍は沖縄駐留の意義を『北朝鮮の脅威』『中国の軍拡』への抑止力や『災害救援』と説明してきた。しかし、司令官の口から出たのは『抑止力』よりは『朝鮮有事対処』。中台有事に比べ、北朝鮮崩壊時の核が日本に差し迫った問題であることを利用したきらいもあるが初めて本音を明かした瞬間だった。出席者の間に沈黙が流れた。」

 この日の朝刊の一面と三面をフルに使って展開されている「転換期の安保」論は、いま私たちが目にしている「普天間問題」の本質をきわめて明確に提示したというべきです。

 ただし、
 「『沖縄の負担軽減、抑止力の問題も含めて、私が腹案として持っているものは現行案と同等か、それ以上に効果のある案だと自信を持っている』。31日の党首討論で、鳩山由紀夫首相は『負担軽減』と『抑止力維持』を両立させた新移設先の選定に自信を示した。だが、日本列島を取り巻く安全保障環境は急変を続け、見方もさまざま。普天間飛行場の移設先探しばかりが先行し、海兵隊の機能が日米間で具体的に検証された様子はない。」
 と、まさに「見方もさまざま」と書くように、この記事を書いた記者がどういうスタンスなのかはあいまいなのですが。

 そして三面です。

 「95年9月に起きた沖縄駐留米海兵隊員3人による少女暴行事件をきっかけに、日米両国は議論を重ね、海兵隊が持つ普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還で合意した。日本ではあまり知られていないが、米国内では沖縄の海兵隊の撤退論や海外移転論の研究が盛んになった。
 『沖縄の海兵隊基地をオーストラリアへ移した場合の影響は』。冨沢暉(ひかる)元陸上幕僚長は、米海軍系研究機関からたずねられた場面を鮮明に覚えている。96年7月、都内での昼食会に呼ばれた時のことだ。
 冨沢氏が衝撃を受けたのは、日本では話題にすらなっていなかった『沖縄海兵隊の撤退シナリオ』を、一つの研究機関であれ、米軍関係者が真剣に検討していたという事実だった。冨沢氏は今、振り返る。『当時、彼らは横須賀・佐世保の海軍基地を確保するためには、海兵隊基地の撤退やむなしとの感じだった。米軍はあらゆることを想定、研究する。日本側に真剣な議論はあったのか』
 日米両国は06年5月、在日米軍再編協議の末、普天間飛行場の名護市辺野古への移設や、司令部を中心に沖縄海兵隊8000人をグアムに移転することで合意した。海兵隊の撤退や海外全面移転論はひとまず終息したが、北朝鮮崩壊のシナリオが真実味を増し、中国は急速に軍備増強を進める。
 アフガニスタン攻撃、イラク戦争を経て、米オバマ政権が今年2月に発表した4年ごとの国防政策の見直し(QDR)では、『在日米軍の存在を確実にし、グアムを安全保障の拠点にする』ことを強調。外務省幹部は『「沖縄の海兵隊は不要か」と問われれば、安保環境の流れはむしろ逆、「必要」だ』と断言する。
 だが、鳩山政権が普天間移設の現行計画を見直し、新たな移転先を探し始めたことで、議論は再びくすぶり始めた。主要閣僚の一人は『5月までに移設先を決められなければ、海兵隊が全面撤退する事態はあり得る。海兵隊の実力部隊をグアムに移転し、現行計画でグアムに移ることになっている司令部隊を沖縄に残せばいいと思う。司令部を残すだけならキャンプ・シュワブ内で足り、自衛隊と連携できる』と語る。」

 ようやく「議論」が本質に近づいたというべきです。

 ただし、ここでも注意が必要なのは「日米両国は06年5月、在日米軍再編協議の末、普天間飛行場の名護市辺野古への移設や、司令部を中心に沖縄海兵隊8000人をグアムに移転することで合意した。」としながら、これで「海兵隊の撤退や海外全面移転論はひとまず終息したが、」と書くのですから、前のコラムで触れたように「知ってか知らずか、それはわからないが、メディアが『真実』を報じていない」という宜野湾市長の伊波氏の懸念がこうした記事でも現実のものとなっていると思わざるをえません。

 しかし、そこを割り引いたとしても、この「毎日」の記事は「画期的」だというべきでしょう。
 なお、画期的ということばは本来、プラスの意味で使うのですから、本当はこういうときに使うのは不適切なのでしょうが、それでもこの間の普天間報道では群を抜いているという意味で「画期的」だというべきでしょう。

 さて、ここまで考えてきて、ようやく問題は朝鮮半島、それも「核を振りかざす」?北朝鮮と「軍拡」著しい中国、なかんずく北朝鮮こそが問題なのだという、事の「本質」?!に突き当たることになりました。

 物事はすべて関連していて、連鎖の輪の中にあること、そしてそれらはすべて複雑に絡まりながら同時進行していること、しかし、それらは一見、ひとつひとつの出来事として私たちの目の前に立ち現われてくること、まさにそうしたことを如実に思い知らされることを、いまさらながら、この記事を読み進みながら痛感したものです。

 ですから、私たちは、本当に頭をシャープにして、賢くあらねばならない!でなければ事の実体、実相と本質を見失うことになると、これまたあらためて思うのでした。

 さて、そこで、では北朝鮮をどうとらえるのか、あるいは北朝鮮と核の問題をどう見据えるのかというところに思考をすすめなければならないというべきでしょう。

 そこで、ちょっと迂回してしまうのですが、金正日総書記の訪中問題をめぐる報道について考えてみることにします。(つづく)



posted by 木村知義 at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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