2010年03月18日

(続)G20の韓国、もはや弱者ではない韓国に何を見るのか

 韓国で大先達ともいえるオールドジャーナリストに会って話を聞き、繁華街や書店などを歩き、ソウルの街角に立って、いま韓国で進行する李明博流の「新自由主義」ともいうべき問題を見つめることになったのですが、問題意識はこうした状況に対峙する側の「現在」はどうなっているのかということに向かいました。

 「予想していたよりもメディアの掌握がすすんだ・・・」と、このオールドジャーナリストは顔を曇らせました。
 
 李明博大統領と親密な関係にあるとされてきたキム・ジェチョル氏がMBCの新社長に選任されたのは、私がソウルに着いた前日のことでした。
 キム・ジェチョル氏は高麗大学を出て1980年にMBC(文化放送)に入り東京特派員や国際部長、報道制作局長などを歴任して清州文化放送の社長を務めてきた人物で、「李明博大統領と親密なよしみで知られる・・・」とメディアが伝える存在でした。

 こうした政権によるメディアの掌握に加えて、野党や市民団体など在野の反対勢力の後退、かつて力を持ったネットによる対抗世論の形成も弱体化したことなど、李政権に向き合う側の後退を深く憂う話が続きました。

 「学生たちはどうなのですか・・・」という私の問いに対して、「いま若い世代は、どうすればよい企業に就職できるのか、いい暮らしをするためには・・・と、カネにばかり目を向ける風潮で、ある種の拝金思想が蔓延している・・・」と一層顔が曇るのでした。
 
 ある意味では韓国の社会をけん引してきた学生運動の崩壊という時代を迎えていることを痛感しました。

 韓国流あるいは李明博流の新自由主義が、いま、韓国社会を大きく変えようとしていることを感じます。

 「軍事独裁政権からの民主化を目指してきた民衆が60%ほどの民主化で安住してしまった。昔の民主化運動の闘士たちも年をとって生活に追われている。民衆の力というのは一度失われると取り戻すことがとても難しくなる・・・」ということばに、いま韓国社会が直面している問題の重さを考えさせられました。

 語の正確さということでいえば、開発経済学の厳密な概念規定から外れるかもしれませんが、私は今回の韓国行きで、「take off」ということばを思い出すことになりました。

 「李明博エンジン」をふかして轟音とともにいままさにテイク・オフ(離陸)しようとして重力と上昇力が拮抗してせめぎあう中にある、そんな韓国社会というイメージが脳裏に浮かんだのでした。
 
 引力を振り払うことができず失墜するのか、重力に勝ってそれらをねじ伏せるようにして飛び立つことができるのか、それはまだわからないのですが、ものすごい轟音の中に軋むような音や叫びが聞こえてくるように思ったものです。

 それにしても、これまた学問的な市民社会論の定義づけがどういうものかは置くとして、少なくとも軍事独裁政権とたたかって民主化を手にしてきた韓国民衆の歴史を考えるなら、日本などよりずっと市民社会の礎がしっかりと組み上げられていると感じていた韓国社会に、こうした時代の転換点が訪れていることを考えると実に複雑な思いにならざるを得ないのです。

 それはつまり、戦後日本の社会を激しく揺さぶった60年安保をへて高度成長に向かう中で労働組合がどんどん御用組合化していき実体的には企業経営の補完物でしかなくなり、ライシャワー路線といわれる、いまふうにいえばソフトパワーの「吸引力」に吸い込まれ、かつ蚕食されて、文化、学術、言論の「牙」がすっかり抜かれて「豊かで平和な社会」への道をたどった、まさに、日本の「いつか来た道」を髣髴とさせるものであるわけで、いうならば「成熟社会」にむかうということはなべてそういうものなのだろうか・・・という根源的な重い問いにぶつかるものでした。

 韓国の地を初めて踏んだのが1992年と、実に「遅れてきた青年」とでもいうべき韓国との出会いの中で、時代とともに変化していく韓国社会を見つめながら、どれほど「近代化」の波が押し寄せても若いオフィスレディたちが街の屋台を囲んでトッポギをつつくうちは、私は、韓国は大丈夫だと思う・・・などと奇妙なロジックと表現で周りの人たちに韓国社会への思いを語ってきたのでしたが、今回、一年ぶりに訪れたソウルの鐘路の街角からはそうした「風景」が消えつつあることに気づいて愕然としたのでした。

 鍾路の舗道からは屋台が消え、銀色に光るパイプで仕切られた花壇ともグリーンベルトともつかない空間が連なって実に無機質な歩道になっていることに、いまソウルに滞在してメディアにかかわる仕事に携わっている知人のことばで気づかされたのでした。

 そこに屋台があって人が雑然と行きかい、屋台を囲む温もりのある風景がごく普通のこととして記憶に焼き付いている私には、そこにあって当たり前と思い込んでいたため、それが「消えた」ことに気づけなかったというわけです。

 韓国社会はこれからどこへ向かうのか、深く沈潜する問いとして、胸の奥にこだますることになりました。

 「しかし・・・」とそのオールドジャーナリストはことばを続けました。「野党もそして学生運動も、あるいは参与連帯など細々と頑張っているものをのぞけば市民運動も、いずれも力を失っている韓国だが、女性たちには期待が持てるのではないか。いま、生活に密着して、経済やいのち、そして環境を考え、さらに生活に根差した政治のあり方を考えて、韓国社会を変えていくのは生活者としての女性の力だといえるのではないか・・・」遠くを見つめるようにしながら洩れたことばには、ここからが本当に韓国社会の問われるところだという思いが強く込められていると感じました。

 前のコラムに書いた韓国ドラマの続きに、再開発地域で追い立てを食う貧しい住民たちとともに歩む市長が「民主主義は政治や社会の問題ではない。人間が人間らしく生きるためのものだ」と若者に語りかけるシーンがありました。

 李明博政権がめざす「もはや弱者ではない韓国」にむけて飛び立とうとするいま、韓国社会が問われることになる問題がこのドラマから見えてくる思いがしたものです。

 そして、それは同時に、いま私たちがその前で立ち尽くしている「問い」でもあるのではないかと思うのでした。

 さて、こんなふに書き綴っている間にも、いくつか韓国社会の現在(いま)について伝えるニュースが韓国国内で報じられています。そのうちのいくつかをメモしておきます。

 8日公表の経済動向資料で韓国経済研究院(KDI)は「最近の韓国経済は回復速度が正常化し、全般的に安定局面に差し掛かっている」とした。

 10日には李明博政権のチェ・ギョンファン経済知識部長官が国政成果評価討論会で「現政権が発足したのは世界不況の後遺症で難局が訪れた時期だったが、政府は死力を尽くし対処してきた。世界の評価は、韓国が前代未聞の経済危機から一番速く回復しつつあるという点で一致する。回復の段階で国民が底力を発揮することで、むしろ逆転する足場ができた。李明博政権のこの2年は、逆転の足場を築き、希望を芽吹かせる期間だった」と評価。

 その一方で、企画財政部と統計庁が16日に明らかにしたところによると、昨年の1人世帯と農漁家を除く全世帯に中産層が占める割合は、可処分所得ベースで66.7%で、前年の66.2%よりはやや上昇したが、6年前の2003年(70.1%)と比べると3.4ポイント下落したことが報じられ、全世帯のジニ係数は、2003年の0.277から、昨年は0.293に上昇(格差が拡大)。所得上位20%の所得を下位20%の所得で割った5分位倍率は、2003年の4.44倍から昨年は4.92倍に高まった。所得が中位所得者の50%未満の人の割合を示す相対的貧困率も、同期間で11.6%から13.1%に上昇したことが明らかになった。

 また前日、15日には、経済協力開発機構(OECD)がまとめた雇用動向で、韓国の1月失業率(季節調整値)は4.8%で、前月の3.6%から1.2ポイント上昇、上昇率は、調査対象22加盟国のうち最も高いことが伝えられる。

 さらに、フォーブスの世界長者番付で韓国人11人がランクインしたこともニュースになっています。

 ちなみに韓国人トップは資産72億ドルで100位に入ったサムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)前会長、次いで、現代・起亜自動車グループの鄭夢九(チョン・モング)会長が36億ドルで249位、サムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副社長が19億ドルで536位、教保生命の慎昌宰(シン・チャンジェ)会長とハンナラ党の鄭夢準(チョン・モンジュン)代表がそれぞれ16億ドルで616位、このほか、ロッテグループの辛東彬(シン・ドンビン)副会長と日本ロッテの辛東主(シン・ドンジュ)副社長がそれぞれ15億ドルで655位、新世界グループの李明熙(イ・ミョンヒ)会長が14億ドルで721位、現代自動車の鄭義宣(チョン・ウィソン)副会長が13億ドルで773位、LGグループの具本茂(ク・ボンム)会長とSKグループの崔泰源(チェ・テウォン)会長がそれぞれ11億ドルで880位。

 韓国の「財閥経済」の面目躍如という顔ぶれが並んでいます。

 さて、こうした李明博政権2年に見えてきた韓国社会の変化を背景に、オールドジャーナリストが「李明博政権には南北関係の改善と真面目に取り組む姿勢が見えない」と指摘した南北関係あるいは北朝鮮の動向について考えることが欠かせません。

 きのう(17日)、韓国の聯合通信は北京発で、「北朝鮮問題に詳しい外交筋」が「中国最高指導者の日程を勘案したところ、25日から30日の間に金総書記が訪中する可能性が大きいとみている」と明らかにした、と伝えました。

 そこでは「中国の指導部はこれまでも金総書記が訪中する場合には、中朝友好関係を踏まえ、その訪中期間に中国最高指導者の日程をほかと重複させることはなかったといわれる。また、金総書記訪中時の儀典責任者となる王家瑞対外連絡部長は、今月は海外訪問計画がない。20日からロシアやベイルート、フィンランドなどを公式訪問する習近平国家副主席も今月末に帰国予定で、これは金総書記と会う可能性を念頭に置いたものだという指摘もある。」とも伝えています。

 ソウルで会ったオールドジャーナリストの話をふまえて、南北関係、さらには朝鮮半島はどう動くのかという視野で続きを書くことにします。
 





posted by 木村知義 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/36500447
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック