2010年03月10日

「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・B
〜G20の韓国、もはや弱者ではない韓国に何を見るのか〜


 前回のコラムで、メディアでいわれる韓国経済の「V字回復」の実体について、鋭く、厳しい視線で語られる分析を紹介しましたが、もちろんそうした見方だけではありません。

 一方には英フィナンシャルタイムズ(FT)が伝えた「韓国はもはや勝ち目のない弱者(underdog)ではない」と題したコラム(2月25日)にみられるように、韓国の経済回復を称賛するものもあります。

 このコラムはFTのアジア担当編集長のデビッド・フィリング氏が筆を執ったもので、フィリング氏は冒頭でキム・ヨナ選手の活躍にふれながら「隣国である中国と日本の陰に隠れ、ほかの国々からは無視同然の扱いを受けてきたせいで自らを『勝ち目のない弱者(underdog)』と見なすことに慣れてしまったこの国にとって、スポーツの国際大会で勝つことはことのほか重要だ。しかし、韓国が弱者だという見方は実態にそぐわなくなりつつある。この国の人口はインドの20分の1にも満たないが、経済規模はほぼ同じだ。製品輸出額は英国のそれを上回る。英国がまだモノを作っていることを知っている人にとっては特に、これは意外なデータだろう。サムスンが貧しい人向けのソニーだと思われていたのはそれほど昔の話ではないが、同社は昨年、売上高で米ヒューレット・パッカード(HP)を抜き去って世界最大のハイテク機器メーカーに上り詰めた。今年の利益は、日本の電機メーカー大手15社による利益の合計をも上回る可能性が高い」と指摘しています。
 
  また、韓国電力公社コンソーシアムがアラブ首長国連邦(UAE)の原子力発電所工事を受注したことや、米国市場で現代(ヒョンデ)車がシェアを拡大している点を高く評価しながら「韓国は既に順調な成長軌道に回帰している」としています。

 さらに、購買力平価ベースで韓国の1人当たりの所得が2万8000ドルと「宿敵である日本」と5000ドルの差しかないとして「今や、長年追い求めてきた裕福な国という称号にもう少しで手が届くところにいる」としています。

 こうした韓国経済への評価と歩調を合わせるように、8日、聯合通信は、昨年の韓国経済は、経済協力開発機構(OECD)の30加盟国のうち3番目に高い成長率を達成したと伝えました。
 それによると、
 「OECDが8日までに各加盟国発表の国内総生産(GDP)速報値を集計した結果、韓国の昨年の成長率は前年比0.2%で、ポーランド(1.7%)、オーストラリア(1.4%)に次いで3位を記録した。GDP速報値が集計された国は21カ国だが、9月までのGDPなどを勘案すると、最終的に加盟国のうち成長率がプラスだったのはこの3カ国にとどまると予想される」として、主要7カ国・地域(G7)はそろってマイナス成長となったと伝えています。
 また、韓国の企画経済部関係者は「昨年の韓国経済は国際的に見た場合、実に善戦したと評した」とも伝えています。

 しかし私たちはこの経済成長率という数字ですべてを語ることの陥穽について、すでに、痛いほど学んできています。

 それよりも、フィリング氏の書く、これまでは「常に中国と日本に隠れて無視同然の扱いを受けてきた」と自ら考えてきた韓国が、経済や国際政治の面で成長し、「弱者の地位を抜け出すことになった」という指摘に注目すべきだと感じるのです。

 今回ソウルを歩いてみて、ここにこそ、まさに李明博政権が今何を求め、なにをめざしているのかの重要なカギがあると感じました。

 今回の韓国行では、開館したばかりの展覧館、チョンワデサランチェ(「青瓦台の居間」)に足を運びました。

    
 景福宮の北西の角、大統領官邸、青瓦台の前の公園の一角に開館したこのチョンワデサランチェは、パンフレットの表紙に「現代史が息づく歴史の現場」「国民とともに歩む開かれた広場」「健康で緑にあふれるグリーンスペース」という言葉が掲げられていますが、李明博大統領の広報館といった趣で、非常に興味深く見ることになりました。

 

  一階から順路に従って二階まで見て回ると、最後の部屋はG20の会議場を再現した部屋になっていて、このチョンワデサランチェには、フィリング氏のいうように、韓国が世界の強国として存在感を示すところに至ったということを、李大統領の手腕とともに誇るメッセージが強く込められていることが伝わってきました。

 また、「国民とともに歩んだ2年」と題した写真集も置かれてあり、「庶民派大統領」を強調する写真が並んでいますが、こうした展示や写真の数々を見ながら、一方で、韓国が、富国であり強国をめざす背後で今どのような社会を招きよせているのかに目を凝らし、深く吟味することも忘れてはならないと考えさせられたものです。

 
 
     ちょうど写真集に掲載されている報道写真の展示も行われていた
 
 そんな感慨を抱いているとき、偶然、目に入ってきた韓国ドラマで、ITを駆使した株取引で若き経営者としてのしあがり、新都市を創る野望に燃える青年が、再開発事業の邪魔になる住民たちの住まいを押しつぶしながら「貧乏人は、いつもそうなったことを他人のせいにする!貧困や自殺を他人のせいにするな。自分の無能さが原因なのに他人のせいにして文句を並べる。お前は金のある意味をわかっていない。金がないから庶民なのだ。韓国の人口は何人だと思うか?!5000万人だが、問題は富んだ500万人に入るかどうかだ。自分も500万人に入ろうとすればいいのだ!それもしない負け組が何を言っても無駄だ・・・・」と言い放つシーンに出くわしました。

 まさにドラマは社会の現在(いま)を映す鏡だと感じたものです。

 大先達であるオールドジャーナリストのことばの一つ一つをかみしめながら、政権が発展と成長を謳い上げる背後の、一見なかなか見えないところで、韓国流というか李明博流「新自由主義」の嵐がいま韓国社会を席巻していることを感じ、明洞の地下広場のホームレスや深夜、凍てつくような冷え込みの街路にうずくまる人々の姿を思い起こして、実にやりきれない思いになったのでした。
(つづく)



posted by 木村知義 at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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