2009年08月15日

語るべき「悲惨」さとは何か

 ブログのコラムの「間隔」が随分あいてしまいました。
 言い訳のできない間隔です。
 もちろんそれは自覚していますので、なんとかこの空白を取り戻すべく努力したいと思います。

 この間、クリントン元大統領の北朝鮮訪問、広島、長崎の「原爆の日」があり、そして総選挙にむけて「マニフェスト」をめぐる論議がさかんにおこなわれています。
 一昨日は麻生VS鳩山の党首討論が行われ、翌朝の紙面はこの記事で占められました。

 そしてきょうは「終戦の日」です。
 
 朝から、テレビは「きょうは終戦の日。戦争を知らない世代に悲惨な体験をどう伝えていくのか・・・」と繰り返し、新聞も「あの戦争の記憶をどう受け継いでゆくか。年々難しくなる課題に私たちは直面している」と綴っています。

 敗戦から64年の夏のことです。

 敗戦を「終戦」という言葉に置き換えて64年の時間を重ねて、依然として「ここから」一歩も出ることのない言説が重ねられるのを目の当たりにして、この国の言論に絶望的な思いを、今年もまた抱くのでした。

 では、「ここから」一歩も出ることのないという際の「ここ」とはどこなのでしょうか。

 北朝鮮問題をはじめ記すべきことが積み重なっているなかで、まず「きょう」のことから述べておこうと思います。

 きょう日本武道館で執り行われた「全国戦没者追悼式」で遺族代表の男性は「悲しい歴史を絶対繰り返さないことを改めて誓う」と語りました。

 麻生首相も式辞で「悲惨な戦争の教訓を、風化させることなく、次の世代に継承していかなければならない」と述べました。

 ところで、ここでいう「悲惨な」とは、あるいは「悲しい」というのは一体何をさして「悲惨」といい「悲しい」と言っているのでしょうか。

 さらに言えば新聞が語る「あの戦争の記憶」とは、何をもって受け継いでゆくべき「記憶」だと言っているのでしょうか。

 問題はここです。

 私は、毎年この日が来ると、いつも!同じ「問い」に立ち尽くしてしまうのです。
 物心がついて以来ずっと、です。

 残念ながらこの問いに答える(応答する)メディアは皆無と言うべきです。

 そのような「悲惨さ」「悲しい体験」を、メディアは語り続けて、もう64年なのです。

 否!語られていないわというけではない、と言うべきでしょう。

 その意味では「答え」は明瞭なのです。

 戦争で肉親を失った悲しさ、食べるものにも事欠いた戦時下の苦しい生活、空襲の下逃げ惑った地獄のような体験・・・と上げればきりがないほどの「悲惨」で「悲しい」あれこれです。

 さて、もう一度静かに考えてみましょう、何が悲惨なのかと。

 なにやらわけのわからない「問答」に時間を費やしようと思っているのではありません。しかし、こここそがすべての始まりであり、ここをあいまいにしてやり過ごそうとするから、わけのわからない「問答」を重ねなくてはならなくなっているのだと思うのです。

 私は、と思うのです・・・、私は、悲惨であったというなら、私たちの親や祖父、祖母たちの世代が、侵略戦争を押しとどめることができなかったことの悲惨であり、朝鮮半島をはじめとする植民地支配をやすやすと行わせてしまった悲惨ではないのかと思うのです。

 さらに言えば、一度として言論が戦争を押しとどめる経験を歴史に記すことなく今に至った悲惨もあると言うべきです。

 「なぜ肉親は戦場で死ななければならなかったのか?!」この問いへの答えは、「敵の銃弾に当たったから」などという子供だましのようなものではないことは自明です。

 そのような戦争をはじめたからにほかならないのです。
 
 ましてやいうところの「外地」での死であれば答えはもっと明白です。

 侵略の銃を執ったからに他なりません。

 では、空襲による「内地」での死はどうなのでしょうか。

 もちろんこの場合も、空襲による爆弾で、あるいは忌むべき焼夷弾によって焼かれてということが本質的な答えになるものではないことは明白です。

 なぜなら、そのような「悲惨な状況」は、なぜ、生み出されたのかということに答えていないからです。

 それは、正義のない、誤った戦争をはじめたからにほかありません。

 それを明確に語ることを避けて、戦争の悲惨さを語り継がなければならない、などともっともらしい事を述べ続け、あるいは書き続けてきたがゆえに、いまだに何も問題が解決せず「風化」してゆくのです。

 さらに、これまた当たり前のことですが、戦争とは「一人」でできるものではありません。
 
 「敵」が、つまり相手があってはじめてできる業です。

 であるならば、戦争について語ると言うのは、その戦争の歴史を両者で共有するということでなければならないはずです。
 
 では、そこでの戦争の悲惨とは、悲しい歴史とは、一体何なのか・・・?。
 なにも難しいことを言おうとしているのではありません。

 侵略戦争をはじめなければ肉親は死ななくてもよかったでしょうし、その戦争が発端となって「発展」した「帝国」同士の戦争で命を落とすこともなかったでしょう。

 つまり、なぜ肉親を失う悲惨を体験せざるをえなかったのかを考えるとは、なぜ戦争をはじめてしまったのかを考えることでなければならず、その戦争がどのような戦争であったのかを曇りなく突き詰める営為でなければならないのです。

 空虚な「悲惨」についてのみ語り続けて64年もの時を重ねてきたからこそ、戦争の歴史を共有できず、戦争の一方の「当事者」つまり侵略された側、あるいは植民地支配を受けた側から信頼を得られないのです。

 こんな「簡単明瞭」なことにどうして目をつぶろうとするのか。 なぜ本質に切り込んで物事を語ろうとしないのか。
 
 無知なのか、あるいは知りながらあたかもわからない風を装っているのか、それも含めて、私は何とも言い難いもどかしさに襲われるのです。

 「空襲で死んでいった人たちに守られて、いま私たちはあるのだと思います」などという、無知でなかったとするなら悪辣としかいいようのないコメントを得々と画面から語るキャスターはもう舞台から降りるべきでしょうし、「あの戦争の記憶、世代を超え、橋を架ける」などというもっともらしい題を掲げて活字を連ねることにも終止符を打つべきでしょう。

 間違った戦争をはじめたなら、たとえ意図するしないにかかわらず、それによって被る死は覚悟しなければならないということをこそ語らなければならず、侵略の銃を執るかぎり、その人の善意や徳目と無関係に、その責任は負わなければならないという冷厳な歴史の教訓を語るべきなのです。

 敗戦から64年。
 私たちは、その程度には歴史の前で謙虚に、そして賢明にならなくてはならぬと、今年もまた、思うのでした。

 私たちは、なぜ自己の「被害体験」については語ることができても、他者の被害体験について語ることができないのか、加害体験を直視できないのか、その悲惨についてこそ語るべきです。

 その「悲しい歴史の教訓」をこそ語らなければならない!のです。

 いたたまれないほどの歯がゆい思いで、今年の敗戦の日も暮れました。

 メディアが、そして私たち一人ひとりの認識と存在が、深く、厳しく問われています。










posted by 木村知義 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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