2009年07月26日

「世界第二の経済大国」そして、中国、日本・・・

 先日、日中関係にかかわる会合で、中国の対日外交関係者の話を聴く機会がありました。

 「北京の中日関係者の間では、どこでも、日本の政局の話でもちきりだ」と、中国の日中関係に携わる人々の、今の、主たる関心事は日本の政局の動向だという話からはじまりました。

 要は民主党は政権の座に就くのか、次の総理大臣は、そしてその場合の対中政策は・・・ということに尽きるのですが・・・。

 「3年前にようやく『障害』をのりこえて正常なレールに乗って、戦略的互恵関係を発展させるというところに来た。中日関係で歴史上初めて『戦略的』と謳った。昨年には海軍艦船の相互訪問も実現して、なかなかできなかった軍事交流もできるようになった。本当の信頼関係を実現していく長いプロセスを一歩一歩歩んでいる。戦略的互恵関係を推し進めるためにも戦略的な相互の信頼関係を築けるかどうかが重要になる。」
 と、とりわけ、戦略的ということを何度も強調して、日中関係の重要性をあらためて力説する話からはじまりました。

 そして中国は平和的発展をめざすということを強調しながら、日本国内にある「中国脅威論」にふれて、「日本の多くの識者は、中国の発展は日本にとって、脅威ではなくチャンスだと認識している」と語り、「この地域の大きな二つの国、日本と中国が、平和的発展を堅持する国として協力関係を発展させることができれば、これまでと全く違った局面がひらける」と語りました。

 また、中国と日本は東アジアの一体化のために貢献しなければならないとして、ASEAN諸国と日・中・韓の連携を強化することが重要だと語りました。

 ただし、一方では「中日がアジアで何かをやろうとすると、すぐ主導権争いになる。これでは戦略的互恵関係に合致しない」と率直なことばも漏れました。

 北朝鮮の核問題について、核実験には我々も絶対反対だとしつつも、北朝鮮の非核化のためには、制裁ばかりでは決していい方法だとはいえない、忍耐も必要だと、中国の原則的立場を重ねて述べました。

 これまでとは際立っていると感じたのは、話が経済問題におよんだくだりでした。
 
 昨年からの世界金融危機にふれながら、「中国の経済の発展、成長はかつてとは変わっている。今回の危機を通じて、貿易、投資の面でチェンジするいいチャンスだというべきだ。自国の経済を救うためではなく、世界を救うために二国間、多国間の協力が必要だ。そのなかで日中両国の協力がとりわけ重要になる」と、自信に満ちた言葉が相次ぎました。

 さらに、「今年、中国のGDPが日本をこえる可能性がマスコミでとり上げられている。日本国内には中国に対する『心配』も出ているが、これは自然の現象として、中日関係の発展にとってわるいことではない」と力強く語りました。

 「GDPで日本を抜いたとしても中国は平和的発展の道を歩んでいく。中国の発展によって中日の協力関係はもっと高いレベルになりうる!」と重ねて強調する姿に、GDPで日本を追い抜くという局面が予想よりも早まる可能性があるということに、いかに強い関心を持ち、注意を払っているのかが読み取れました。

 ところで、私などは日本から「世界第二の経済大国」という「冠詞」が取れることにいかほどの「痛み」も感じませんが、米国に次いで世界第二の・・・ということで自らを語ることができなくなる、しかも抜かれるのが中国ということが「許せない」といった感情が起きるのではないかと、懸念する人がいることもたしかです。

 事実、最近、ある実業界OBの親睦団体で、定例の会合で恒例となっている「講演」を中国経済の動向をテーマにしたらどうかという提案に対して、なんとも複雑な空気があって、結局「却下」されたということを耳にしました。

 う〜む、私などの感覚は甘いのかと、唸ったものでしたが、「あの中国に抜かれるのは我慢がならない!」という「空気」が生まれているというのです。

 この国の狭隘さを嗤うのは簡単ですが、事はそれほど単純ではないようです。

 どこか、行き場のない閉塞感と裏表をなして、敵愾心と複雑な「蔑視」が絡み合うように醸し出されて、じわじわと広がってきていることに危惧を抱かずにはおれません。

 社会の底流に堆積する「やりきれなさ」、鬱積する「絶望感」が排外主義と絡み合うとき、この国に何をもたらしたか、いま一度真摯に歴史をふり返ってみる必要があるのではないか・・・。

 杞憂であればいいのだが、と考えざるをえません。

 一方、中国にも、日清戦争以来の屈辱を晴らすときが来た!というような、ネット「世論」に見られるような空気も、なきにしもあらずです。

 話を聞いた対日外交関係者の力説するところはそれとして、いよいよ、日中関係はむずかしいところに来たなというのが率直な感慨です。

 それだけに、いまこそ、過去の歴史に深く、謙虚に向き合うことが大事だと、痛切に思います。

 1930年前後あるいはそれ以降の日本で、中国についてどんな論調が支配したのか、あるいは社会の「空気」はどんなものだったのかをふり返ればふり返るほど、深刻にならざるをえません。

 時を隔て、時代も移ろい、世界も大きく変わったことは認めつつ、しかし、時代の「空気」というものの、恐ろしいまでのアナロジー(類似性)に、ことばを失うばかりです。

 選挙だ、「政権交代」だと浮かれているわけにはいかない、そんな思いの募る日々です。


 さて、こうした問題にも触れる、実に興味深いレポートが小島正憲氏から届いています。
 「稲荷大社と関帝廟」というなにやら「判じ物」のようなタイトルですが、実業家という立場から、小島氏独特の諧謔も交えながら、寸鉄人を刺すというべき、問題提起の一文です。
 ぜひ、ご一読ください。

 サイトは
 http://www.shakaidotai.com/CCP042.html
 です。
 

 






 


 
 
posted by 木村知義 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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