2009年06月09日

物事を多面的、多角的に、そして深く見るということ

 見てはならないものを見てしまった。そんな思いを強くする番組を目の当たりにして、テレビメディアの退廃というか荒廃も極まれりと暗澹たる気持ちになりました。

毎日のニュースで「挑発的言動を繰り返す北朝鮮・・・」という「まくら言葉」はそれなりに慣れっこになったというぐらいのものですが、その没論理あるいは視る者、聴く者への「刷り込み」としかいえない没ジャーナリズムの言説にこの国のメディアの行く先に暗澹たる思いを抱くのは私だけでしょうか。

 さて、その「驚き」の番組です。

 これまで放送番組や新聞の記事を批判的に取り上げるときにはできるだけ「名指し」は避けてきました。
 
 それは同じくメディアに身をおいてきた者として、他をあげつらってそれで終わりと言うものではなく、あるいはタメにする批判に堕することを避けたいという思いがあったからです。

 しかし放送からほぼ十日になろうとしていますので、何を批判しているのかわからなくなるというのはかえって責任ある批判にならないと思いますので、番組名を明記することにします。

 5月31日(日)の朝放送された「サンデーモーニング」(TBS系列)でのことです。

 関口宏氏が軽やかに進行するこの番組を私はほぼ欠かさず見ています。

 この番組の最後に「風をよむ」というコーナーがあります。
 そこに、ごみを山のように積み上げて隣近所に悪臭やなにやかやを撒き散らして臆するところのない、あるいは犬などを何匹もむやみに飼って迷惑を及ぼすといった「困った隣人」が取り上げられて、そういう状況に直面すると隣近所の人々は、まずはごみをなんとかするようにと言いに行くのだが、ごみ屋敷の主に『逆ギレ』される、あるいは犬に噛まれて怪我をする・・・というストーリーで、まさにこれが北朝鮮だ!と展開していくのでした。

 制作者の認識の低さあるいは退廃をあげつらうのは簡単ですが、それよりなによりスタジオに居並ぶ「識者」たちが、この「例え」あるいはレポートの構成に疑問を提出することなく「困った隣人北朝鮮!」についてあれこれのコメントを重ねたのでした。

 いやいや!この番組はあなたが言うようにジャーナリズムなどではないから目くじら立てるものではないと「慰めて」くれる人がいないでもないのですが、それにしても見ていて唖然としてことばが出ませんでした。

 ミサイル、核実験・・・と立て続けに「挑発的言動を重ねる」北朝鮮をやりこめてやろうという意図だけは十分に伝わってきて、なかには溜飲を下げた視聴者もいたのでしょうが、これが時代の「風をよむ」営みといえるのだろうかと、考え込まざるをえませんでした。

 ごみ屋敷を登場させたからというわけではなく、それこそマスコミではなく「マスゴミ」といわれても、これでは反論する論理を持てないのではないかと思いました。

 見るものの「劣情」に訴えることで同意や支持を得ようとするさもしい気持ちを持ちはじめたとたん、そこには退廃と堕落の荒野しか広がらないことを肝に銘じておくべきだと、もはやこの番組の制作者や出演者たちに何かを語りかけても無駄かもしれないとは思いつつ、しかし、なにがしかの問題意識と良心のかけらがあるなら、こうした番組に対する恥というものを知ってほしいと思ったのでした。

 北朝鮮の核やミサイル開発に一片の共感も抱くことのない私ですが、国際政治の中にあるいは歴史の文脈のなかにこの問題を据えて見つめるとき、北朝鮮を「ごみ屋敷に文句を言ったら逆ギレされてしまった困った隣人」などという例えで語るなどということはしないだけの節度は持っているべきだと思います。

 制作者たちはあるいはスタジオで進行する役割をふられた人々は、そしてコメンテーターの「識者」?たちは、それぐらいの最低限の感性と問題意識を持っているべきだと、これは放送の世界で40年近く仕事をしてきただけに、より強く思うのでした。

 それにしても、北朝鮮がテーマなら何を言っても言ったもの勝ちという風潮に、言論そしてメディア(あえてジャーナリズムなどとは言いますまい!)はどれだけの論理性を持てるのか、厳しく問われる時を迎えているのだろうと思います。

 さて、先週は「天安門事件」から20年ということで、メディアで大きく取り上げられました。
 「6・4」直前の5月末、テレビの「緊急特番」を担当した後、戒厳令下の北京に出かけたことを思い返しながら、先週後半、20年前の「事件」の一連の流れについて反芻して過ごしました。

 学生と労働者の形容しがたい熱とある種の「倦怠感」がないまぜになった天安門広場を歩き、「本部」の置かれた人民英雄記念碑の石段を登ったこと、はりぼての「自由の女神像」の下で若者のすすめに従ってカンパと引き換えにバッジを手にしたことなどを思い出します。
 そしてなにより、もう少し留まるべきだという中国の青年たちの「すすめ」に、仕事をかかえているという事情を話して6月1日に日本に戻った私に、6月4日早朝北京からかかってきた友人からの電話の切迫した声が、二十年という時間を経てもなお、耳に残っていることを知ることになったのでした。

 それはなにも「感傷」に浸っているのではなく、いまだに整理のつかない思いを引きずっているということを、あらためて反芻したという意味です。

 少なくとも、権力の腐敗とものの値段が上がり貧富の格差が生まれていることをはじめ、政治、経済にわたるいくつもの問題に対する青年たちの「異議申し立て」には理があり、それゆえ多くの労働者、庶民の支持が集まったことは間違いのないことだったと思います。

 しかし一方ではことばにできない、ある種の「不可思議さ」が拭えず、結局「天安門事件」とは何であったのかという問いに十分な答えを得るところに至っていないことを思い知ります。

 いささかの飛躍を許していただけば、結局「冷戦崩壊」とは何であったのかという問題と通底するものでもあります。

 いま、まだ十分に語りうる「ことば」を獲得できていない恨みがあるのですが、どこかに「見えざる手」の存在を意識させるものが拭えません。

 なぜこんなこと書くかと言えば、世界で起きている問題には、当然といえば当然ですが、さまざまな「顔」が隠されていて、一面的にしかものを見ることができない場合は事の本質、実体を見落とす怖さが、いつもついて回ると思うからです。

 とりわけ、いま私たちが目の当たりにしている「北朝鮮問題」はよほど注意しながら向き合わないと、大きな読み違いを重ねることになるのではないかと危惧を抱きます。

 いささか感覚に傾いた話になったかもしれませんが、いまの私の正直な感慨です。

 いまはまだ具体性に踏み込んだことが言えず、もどかしくてなりませんが、少なくとも「ごみ屋敷の逆ギレ」のように、戯画化してしまうことには「わきまえ」ということが必要だと思っています。

 ところで、北朝鮮の核実験をうけて、HPに掲載するべく、北東アジアの安全保障などをご専門にされている李 鐘元さん(立教大学法学部教授)にインタビューをお願いしました。

 冷静かつ論理性に富み実に深いお話をうかがえました。
 いま、字に起こし、Web掲載をめざして作業をすすめています。
 
 先週出向いたいくつかの「会合」のことも含めて、もう少し「報告」を続けたいと考えています。
(続く)


 
posted by 木村知義 at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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