2009年01月07日

ガザからの悲鳴と日比谷公園からの悲鳴

 けさの新聞、ニュースは、パレスチナ自治区ガザに侵攻したイスラエル軍が、ガザ市と近郊のジャバリヤ難民キャンプ、第2の都市ハンユニスにある国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する学校を砲撃して、そこに避難していた住民が少なくとも45人が死亡したと伝えています。(7日朝現在)
 
 昨年12月27日にイスラエルによる空爆が始まって避難していた住民たちです。

 AFP通信は、空爆開始からの犠牲者は635人に上ると、次のように伝えています。

 「死者数は6日までに少なくとも635人に上り、そのうち4分の1が子どもだ。支援団体関係者は、生き残った子どもたちも生涯にわたって精神的な傷に悩まされるだろうと語っている。
 また、自宅内や戦闘を避けるために避難する車の中などで、一家全員が殺害される例も相次いでいる。
 ガザ市(Gaza City)では6日、自宅にいた子ども7人を含む12人の家族がイスラエル軍による空爆で死亡した。医療関係者や目撃者によると、女性3人と男性2人とともに死亡したのは、1歳から12歳までの幼い子どもたちだったという。」(AFP7日午前4時32分)
 
 また、ガザのアル・アズハル大学教養・人文学部のアブデルワーヘド教授が27日のイスラエルによる空爆開始から世界に発信し続けているメールを、翻訳家約40人が、ボランティアで手分けして翻訳し、配信しているのですが、その直近のメールで、

 「市民は逃げ場を失い右往左往している!ガザ市内のシュジャイヤ(人口がとくに過密な地区だ)で、妊娠中の女性が4人の娘とともに砲撃で死んだ。私の子どもたちは、隣の建物が狙い撃ちされてから、ますます緊張と不安を募らせている。私は努めて子どもたちに話しかけ、できるだけ落ち着かせようとしている。しかし、実際は、航空機、ヘリコプター、無人飛行機が大砲や戦車の砲撃に加わって、私たちは緊張を解いたり和らげたりする暇もないのだ!」
 
 「多くの民間人が、ガザ市の境界地域に対する爆撃で死んだ。電気と水が、ガザの人間すべてにとって依然、主要な問題となっている。発電機はまだ動くので、私はこれらのメッセージを大急ぎで書くことができる!携帯は麻痺し、地上電話はつながらなかったり、聞き取れなかったりすることもあるが、はっきりと聞こえることもある! 数分前、すぐ近くが空襲された。どこだか特定できないが、恐怖におののいた。近所の建物に着弾したのだ!ほんの3軒向こうの建物だ。犠牲者もいる!」

 「昨晩、空襲はますます激しさを増した:30回以上にわたり、ビーチ難民キャンプ東部にある保健センターをはじめ、さまざまな地点が空襲の標的になった。4階建ての建物が1軒、F16に爆撃され、完全に破壊された。何百人もの人々が次々に、戦闘地帯となっている市の郊外から命からがら脱出した。彼らは市内に住む親戚を頼ったり、UNRWAの学校に避難している。」
 (翻訳、配信はtup_bulletinによる。  
  http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/

 このように現地からの悲痛な訴えが届いてきます。

 そのUNRWAの学校が砲撃されたのでした。
 
 これがリブニ・イスラエル外相が会見で述べた、
「戦争では民間人が代償を払うこともある」
 ということの実態です。

 まさにアメリカの政権交代という「空白期」を狙いすましたかのように始まったイスラエルの空爆と侵攻に、いま世界が試されています。

 またそれを伝えるメディアが試されていると思います。
 
 私がまだ中学生だった1960年代初めの頃、『Time』誌の表紙に写真が載ったパレスチナの子供が、旬日をおかず何者かによって殺害されたということを読んで戦慄を憶えたことがありました。
 イスラエルの「諜報特務局」の関与がとりざたされているということとともにです・・・。
 
 パレスチナからの悲痛な訴えに、いま世界はどう応えられるのか試されています。

 少なくとも、自分たちが殺しておいて「戦争では民間人が代償を払うこともある」などという言説がそのまま許される状況をつくってはならないと思います。

 とともに、戦争というもが常に「自衛のため」という名目を掲げて行われるという、歴史の教訓をいま一度思い出す必要があると思います。

 侵略のため、あるいは他国を絶滅するために戦争をするなどと言った為政者は皆無です。

 「自衛のため」という言説を厳しく検証して、事実によってその「偽りの姿」をあきらかにしていくことがメディアに迫られています。

 ここにいささかのあいまいさも許されないと思います。

 さて、国内です。
 昨年末、東京の日比谷公園に開設された「年越し派遣村」について連日ニュースで伝えられ、多くの人が「派遣切り」という問題、労働、雇用問題について考えることになりました。

 この「年越し派遣村」の設営と運営に当たったみなさんの苦労と「格闘」に頭が下がる思いですが、「派遣切り」で仕事だけではなく住む場所も失い、生存のぎりぎりのところに追いやられた人たちを支えるということにとどまらず、現在の日本の労働・雇用問題の「問題のありか」について鮮明にし、多くの人々に考える機会を創り出したということに深い意義があると思います。

 きのうの国会の衆議院本会議代表質問でも「雇用問題」が、残念ながら質疑に深まりが合ったとは言えませんが、大きな論点になりました。

 坂本哲志総務政務官が、総務省の仕事始めの「あいさつ」でこの「年越し派遣村」について、「本当なのかと思った。本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」と述べる姿をテレビのニュースで見ながら、ここには非常に重要な、本質的な問題が隠されていることを思い起こしました。

 その後、メディアで取り上げられて「悪者」にされてしまった坂本政務官は、「関係している多くの方々に不快な思いや迷惑をかけた」「実態をよく把握しないまま発言した」と「謝罪」して発言を撤回したのでしたが、私たちはもっと重要な問題について気づいておく必要があると思うのです。

 それは「まじめに働こうとしているのかどうか」ということをめぐる認識についてです。

 今回の「派遣切り」で切り捨てられた人々、またこれから切り捨てられようとしている人々についていえば、まじめに働いてきたし、働こうという気持ちを持ちながら「切られた」のですから、ここでは坂本政務官のいうことは、ただただ論外!ということで終わるのでしょうが、私にはこの間気になる「もうひとつ」の「年越し」がありました。

 それは大阪の「あいりん地区」、いわゆる釜が崎や東京の山谷などで厳寒の年越しをする人たちのことです。

 もう十年ほど前でのことでしたが、大阪の釜が崎の「越冬」立ち上げ集会に立ち会ったことがありました。

 日雇いでなんとか暮らしを支える人たちにとって、世の中が一週間休暇に入って仕事がなくなる年末年始は、まさに生死にかかわる大変な時期です。

 そうした人たちを支えるために炊き出しをしたり、お金がないため宿泊場所を失って路上で一夜を過ごさざるを得ない人たちに毛布を配り、健康状態を確かめるために街を巡回したりする取り組みをはじめるスタートがこの「越冬」立ち上げの集会です。

 例年、釜が崎の通称「三角公園」でおこなわれています。

 釜が崎では、年末年始から2月、3月はじめころまでの厳寒期に路上で夜を明かさざるを得ない人たちから、必ず、何人か亡くなる人が出ます。

 それはずっと続いてきましたし、日本の社会がこのままであれば、これからもそうだろうと思います。

 日本が高度成長を果たした背後には、こうした、釜が崎に暮らすおっちゃんたち、おばちゃんたちが、雇い主の都合で「適当に」切られたり雇われたりということが日常茶飯に行われるという、極めて不安定な雇用状況におかれながら働いてきたことがあったことを、わたしたちは思い起こす必要があると思います。
 
 そして今、派遣の人たちが直面せざるを得なくなった状況を「日常」として強いられながら、もう何十年と過ぎてきていることを知らなければならないと思います。

 さてそこで、ここでも、「本当にまじめに働こうとしている人たちなのか」という問題に対して、今回の「派遣切り」問題への視線と同じ問題意識、認識で立ち向かうことができるのかどうか、私たちが、そしてメディアが問われているのだと、私は、思います。

 ガザからの痛切な「悲鳴」を聴くことができるか?!

 そして、「派遣切り」に苦しむ人々だけではなく、物言う術をも奪われている、釜が崎や山谷など、全国の多くの人たちの、言葉にならない悲痛な叫びを聴くことができるか?!
 
 いま、私たちが問われています。



 
posted by 木村知義 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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