2009年元旦、玄関からずしりと重い新聞を抱えて戻って各紙をひらくうち、毎日新聞一面の「米政府異例の謝辞」という見出しに思わず息をのみました。
やはりそうだったか!という思いに駆られながら活字を追いました。
三菱UFJフィナンシャルグループから米金融大手モルガン・スタンレーへの約90億ドルの出資の裏に日米両政府の「緊密な関与があった」というもので「ビジネスの論理を超えて同盟の経済安全保障が発動された緊迫の舞台裏」を緻密な取材で明らかにしたスクープでした。
「米東部時間の13日早朝、ニューヨーク・マンハッタンのオフィスを訪れた三菱UFJの担当者がモルガン側に1通の小切手を手渡した。記載された額面は90億ドル・・・」
2008年10月14日、当時の速報はこのように伝えていました。
「金融危機」が叫ばれるなか、三菱UFJのモルガンスタンレーへの出資については、三菱UFJの社長、頭取がワシントンに出向き、その後、期限を一日繰り上げて、ニューヨークで「担当者」が額面90億ドルという途方もない額の小切手で払い込みを済ますなど、「異例」ずくめであることが指摘されていました。
金融界にかぎらず大きな「話題」になりましたが、、その背後に何があったのかについては十分に追究されることなく、あれこれの憶測が語られるにとどまっているうち、次から次に起きてくる「問題」にかき消されてしまった感がありました。
9月にこの動きが報じられた当初、「サブプライムでアメリカの金融機関が弱った今こそチャンス・・・」などともっともらしく解説する「専門家」のコメントも飛び出したこともありました。
こうした噴飯ものの「解説」が意図的なものだったのかどうか定かではありませんが、その後、ほとんどのメディアがこの問題を深く掘り下げることはありませんでした。
以下は、普段からさまざまに情報交換、討論をする人物の一人から2日朝受け取ったメールです。
「昨日(元旦)の毎日新聞は、2面に渡って三菱フィナンシャルグループがモルガンスタンレーに9000億円を出資した背景に、日米政府の合意と後押しがあったことを詳細にルポしています。西山記者が、『密約』を報じて以来のスクープです。国民の血税で米国の赤字国債を購入することにも怒り心頭に発していたのに、預金者には利息もつけないで、こんなに多額の金を、米国の私企業に投資するなんて、どうして預金者はそういうことを赦すのか。この国の救いがたさを痛感します。」
確かに、同じ毎日新聞の西山太吉元記者による「沖縄返還」にまつわる「密約」の大スクープに匹敵するものだというのもうなずけます。
三菱UFJがモルガンスタンレーに出資することが伝えられた直後の去年9月、「社内の稟議がどうなっていたのかもよくわからない、とにかく慌しく決まったようだ・・・」と経済関係者から聞いていたのですが、年明けの、この毎日の記事を読んでなるほどと事情が飲み込めました。
とともに、まさに「息を呑むような」緊迫感が伝わってきます。
そして、3日の「毎日」朝刊です。
「三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)と、みずほFGの08年10〜12月期連結決算が最終(当期)赤字に陥る見通しになった。金融危機の深刻化で10月以降に株価が急落し、保有する株式で数百億円の損失処理を迫られていることが響いた。赤字額はそれぞれ数百億円規模になる可能性があり、09年3月期の最終利益も下方修正される公算が大きい。」
上に引いたメールの「怒り」が、まさに的中といえば表現が変ですが、ここまでして米国のためにという、底知れぬ「闇」の深さを感じます。
「三菱のためじゃない。日米のためにやった。日米だからできた」という「日本政府高官」のコメントも「背景」を語って余りあるものです。
「1960年の日米安保改定から間もなく半世紀。軍事・経済・社会・文化まで、同盟は広範に深化してきた。次の半世紀の成熟した関係はどうあるべきかを探っていく」としたこの「毎日」の企画のタイトルが「アメリカよ−新ニッポン論」となっているところが象徴的です。
昨年から目の当たりにしてきた世界の「動揺」を見据えるとき抱く、世界史的な転換点に立ったという時代認識は、とりもなおさず、アメリカという存在とどう向き合うのかという問題として、われわれの前に立ち現れてくることを示しています。
昨年何人かの近しい人々との議論や意見交換の際引いたのですが、米外交問題評議会会長のリチャード・N・ハースが『フォーリンアフェアーズ』の5・6月号に載せた論文の表題は「アメリカの相対的衰退と無極秩序の到来」というものでした。
「アメリカ後の時代を考える」と副題に銘打ったこの論文の書き出しは、
「21世における国際秩序の主要な特質の一つが、(一極支配でも、多極化でもない)無極化(ノンポラリティー)になることが、ますますはっきりとしてきている。無極化、あるいは無極秩序とは、1〜2カ国はおろか、3〜4カ国でもなく、実に数十のアクター(国際政治のプレーヤー)がさまざまなパワーを持ち、それを行使することで規定される秩序のことだ。当然これまでの秩序は劇的に変化していく。」
というものでした。
これを読んだ昨年5月当時、ほかでもなくアメリカからこうした見方が提示されることにきわめて暗示的なものがあると感じたものでした。
「無極化へとますます向かいつつある世界秩序は、アメリカ、そして世界のほとんどの国にとってはマイナスに作用する。」としながら、「無極秩序は外交を遂行しにくくする。・・・特に同盟関係は今後その重要性を失っていくと思われる。・・・もはやアメリカにも、『われわれとともにあるか、それとも、われわれに敵対するか』といった乱暴なレトリックを弄するような余裕はない。」
リチャード・N・ハースのこの指摘を、いまどう「読む」べきなのか、私たちの世界と時代への認識が問われます。
きょう4日午前中のテレビの報道・情報番組は共通して、アメリカというものをどうとらえるのかというテーマ設定でした。
まさに、今年、日本の行き方を考えることが即ち日米同盟というものへの「対し方」を問われる最終局面に至った、そういう感を強くします。
「新ニッポン論」が「アメリカよ」ということであるという問題意識が、連載を「三菱UFJのモルガン出資決断」の背後で何が起きていたのかということの解読からはじめさせたということなのでしょう。
この一年、向き合うべき問題がよりくっきりとしてきたと感じます。
日米同盟論ということでは、いくつかの「虚妄」と「幻影」について正面から語っていくことが必要になると思います。
あるいは、日米同盟をめぐるさまざまな言説の「虚構性」について切り結ぶ覚悟が必要になると考えます。
とりわけ、朝鮮半島問題をはじめ東アジアの現在と未来について考えるとき、避けて通れない「虚構性」との”たたかい”が、言論にそしてメディアにとって不可避となると感じます。
論理と事実をもって、そうした、ある意味では困難な課題に立ち向かうことができるかどうか、深く、重く問われる一年の始まりだと考えます。
追伸、ブログ記事の文字が小さくて読みづらいというご指摘にこたえて、新年から文字を大きくしました。
2009年01月04日
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