2008年10月31日

報道陣からは不信感・・・??

 麻生総理が自ら記者会見で「追加的経済対策」を発表して、解散総選挙は「先送り」されることになりました。
 もっとも「先送り」が、いつを意味するのかについては論調の分かれるところです。
 
 解散の「先送り」で民主党が抵抗に転じて「ねじれ国会」の再来かといわれるのですが、民主党がどうのこうのより、本来的に国会での論議が深いものになるのかどうかに注目すべきでしょう。

 解散の先送りにかかわって麻生総理の「連夜のホテル通い」が「政府・与党関係者との密談の隠れみのとなるケースが目立っている」という新聞記事が、なんとも言えない違和感と共に目に留まりました。
 
 官邸サイドが「秘書官と食事」と発表していたのだが、実は「公明党の太田昭宏代表らと会談していた」というわけで、「事実と異なる発表が相次ぐことに、報道陣からは不信感も出ている」というのです。

 さて、この記事に違和感を抱くのは私だけでしょうか。

 いうまでもなく「官邸サイド」から官邸記者クラブの番記者に提供される発表によって「首相動静」が書かれているわけですが、その発表にウソがあったというわけです。
 そこで「報道陣に不信感も出ている」というのですが、さてと考えてしまいます。

 この場合は「秘書官」と言っていたのが実は「太田代表」であったという、実に分かりやすいウソだったので、「不信感も・・・」と言えたわけですが、では日ごろの各省庁も含む発表についてはどうなのかと、私は考え込んでしまいました。

 つまり、発表される事項の一つ一つをとってみれば何一つウソはないかもしれないが、語られていないことにこそ問題の本質が隠されているということは日常茶飯のことで、それこそがより重い問題ではないのかと思うのです。

 語られない、つまり隠されている「余剰」の部分こそが、問題の本質であるということに対して、こうした記事を書く記者は本当に大丈夫なのかと「不信感」を抱かざるを得ないのです。
 
 記者クラブ制度とそこにサービスされる「発表」(その多くは記事を書きやすいようにサマリーなどが用意されている)にもとづいて記事を書く際、重要なのは、そこで語られていないことはないか、あるとすればそれは何かを厳しく検証、取材して、その突き詰めの上に記事を書くことが「報道陣」の最低限のそして不可欠な責務だといえます。

 では、こうしたことに対して、上に引いた記事を書いた記者はどのような問題意識を持っているのか、はなはだ心もとないと言わざるを得ません。

 この記事は、つまり、秘書官と言われてそう思っていたら実は太田代表だったというように「事実と異なる発表」では「不信感も」出てくる、だからいつも本当のことを教えてくれないと困るじゃないか・・・と「官邸サイド」に言っているわけです。

 もちろん「事実と異なる発表」は責められてしかるべきでしょうが、では、こういうわかりやすい「ウソ」ならば「文句」も言えるけれども、一つ一つをとれば「事実と異なる」ものはなにもない!しかし、語られていない事がら、あるいは隠されている事がらにこそ本質的な問題が存在しているという際に不可欠となる認識、問題意識の決定的な欠如をこの記事は物語っているというべきです。

 記者クラブと発表にひたすら安住する、弛緩しきった日常が透けて見えてきます。

 「発表ジャーナリズム」などというとジャーナリズムという「ことば」に申し訳ないぐらいですから、さしあたりはメディアと言うとして、「発表メディア」はメディアなりに、厳しく自己のあり方を問うてみなければならないことを、はからずも、この記事は露呈したというべきです。

 馬脚をあらわすとはこうしたことをいうのでしょうか。

 しかももっと情けないのは、「事実と異なる」とか「報道陣からは不信感も出ている」となんとも持って回った物言いに終始していることです。
 ウソはウソとどうして言えないのか。
 また、「報道陣」とは一体誰のことなのか、この記事を書いた記者自身はどうなのか、それよりなにより、「不信感も出ている」と言うときの「も」とはどういうことなのか・・・・。
 
 危うくてこんな記者にはとても信頼を置く事はできません。
 
 重ねて言います。
 たまさか、今回のウソはわかりやすいウソだったから「わかった」?ものの、語られないことによって隠されている事が無数にある、それが日常茶飯なのだということへの問題意識の欠如を、この記事は物語っていると言う意味で、なんともこちらが「不信感も・・・」といいたくなるのです。
 
 あらためて、取材して報道することを、カバー(COVER)すると言うのは、実に皮肉だと感じます。

 それにしても、こうした記事を書く記者も記者なら、それをなんの疑問も持たず載せるデスクもデスクだと言うべきです。
 
 ジャーナリズムの崩壊を通りこして、いま、メディアは実に困難なところに立ち至ったと言わざるをえません。
 
 まさに、メデイアの危機というべきです。 

 
posted by 木村知義 at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録
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