2010年12月21日

大延坪島「砲撃事件」を検証する(1)

 「気象条件、天候を見極めている」と伝えられた韓国の大延坪島海域での「砲・射撃訓練」がきのう午後実施されました。一昨日は青空の広がるおだやかな気候だったと伝えられていますが、きのうは濃い霧の立ち込める中で訓練が行われたことになりますから、どうやら天候は関係なかったということなのでしょう。今回は、中国、ロシアの「自制」をという働きかけを振り切って「訓練」に踏み切ったことになります。同時進行していた国連安保理事会の緊急会合も結局事態を打開する有効な「方策」に道筋をつけられず膠着状態というべきです。

 幸いなことにというべきですが、今のところ、懸念された北朝鮮側からの「応戦」もなく経過しています。北朝鮮側は「軍事的挑発にいちいち対応する一顧の価値も感じない」という朝鮮人民軍最高司令部の報道文を発表しました。

 そして、CNNが、訪朝中の米・ニューメキシコ州のリチャードソン知事に対して北朝鮮側が
(1)寧辺の核施設に対するIAEA監視要員の復帰
(2)保管核燃料棒の売却による国外搬出
(3)南北軍事的衝突防止の措置に取り組む
 の3点について、同意するとの立場を伝えたと報じたことがニュースになりました。

 実に巧妙な外交戦術だというべきでしょう。ほぼ2か月の間、北朝鮮はアメリカの専門家や「要人」を相次いで招き、米国からの訪朝ラッシュとなっていました。このあと米朝間で事態がどう動くのか、片時も目が離せません。

 もっとも、けさのある新聞の社説は「韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件によって自らの首を絞めた北朝鮮が、いつもの硬軟織り交ぜた揺さぶりで苦境脱出を図り始めた。日米韓をはじめ国際社会は、この戦術に幻惑されてはならない。北朝鮮の逃げ道をふさぎ、暴挙の責任をきちんと取らせることが重要である。」と主張しています。

 相変わらずの論調ですが、「幻惑されてはならない」としても「北朝鮮の逃げ道をふさぐ」ということはどういうことを意味するのか、この筆者はふかく吟味してみたのだろうかと考え込みました。
 
 さらに言うなら、その前提として、今回の「砲撃事件」の検証がどうなされているのか大いに気になるところです。

 ところで、先月23日の北朝鮮による大延坪島への「砲撃事件」以来、いったん「訪朝報告」の筆を置いて、研究会やさまざまな会合に足を運び、各分野の専門家やジャーナリストの分析を聴き、意見交換を重ね、こうした人たちが今回の事態をどのようにとらえ、分析しているのかに耳を傾けて考え続けていました。

 同時に、私に可能な範囲でという限定詞つきですが、関連する情報を整理し精査してみるという作業を重ねていました。

 なによりもこうしたコラムでミスリードすることなく的確な論点を提示するために最大限の努力をしなければと考えているからですが、そんな折、ある大学の国際会議場でひらかれた東アジアにかかわる国際シンポジウムの会場で私のブログを読んでくれているという方に出会いました。
 「以前NHKに勤めていて、いまブログを書いている方ですよね・・・」と声をかけられてエッと驚いたのですが、こうしたシンポジウムやフォーラムの会場で時々顔を合わせる方でした。
 その方は「いまは平和主義ということに傾いているのですかね・・・」と切り出し、続けて「なんかそういう平和主義という思いに傾いて書いていませんか。これまではメディアで伝えられる事実を細かく積み重ねて語るというものだったので読んできたのですが、最近は、とにかく平和主義という『思い』で書いているように思いますね。思いを綴るというブログならば他にいっぱいあるわけですよね・・・」という指摘がありました。
 「ご指摘を戒めにして情報の精査の積み重ねで語るように心がけます・・・」
 「いやいや、まあまあ・・・」
 といった応答で終わったのですが、もちろん、どちらに立つのかと問われれば、私は平和主義の側に立つことは間違いのないところです。ですから、今回の「砲撃事件」を契機に緊張が高まった朝鮮半島−北東アジア情勢を前にして、在韓米軍も加わった南側と北側双方に最後の一線では理性が働くと信じたい気持ちはありながら、こうした緊張状態では不測の事態が起きないともかぎらないこと、加えて、過去の歴史を振り返ると、戦争というものはこんなふうにしてはじまるのではないかという深い危惧を抱いたことから、戦争に向かってはならないという思いを強くしながら書いたことは確かでした。

 しかし、そういう「思い」はそれとして、この方の指摘にあるように情報の精査とそれにもとづいて分析を深めることが重要であることは言うまでもないことです。またそのようにありたいと思うがゆえにここしばらく時間が必要だったとも言えます。

 この間、できる限りの報道記事や資料、文献を読み返すとともに専門家の話に耳を傾け、ジャーナリストの会合などで意見を交換して私なりの問題意識の整理をしてきました。

 その結果、当然と言えば当然ですが、まず北東アジアにおける米中の存在というものの大きさ、重さに突き当たることになりました。
 抽象的な言い回しをやめてはっきり言うなら、この地域においては「冷戦」がまさに「熱く」戦われていて一層先鋭化していることを改めて痛感する状況があるということです。誤解を恐れず言えば、結局米国の「敵」は中国であり、ある時は相互の依存関係を深め連携を強めるという側面があたかも主たるものとして立ち現われるけれども、矛盾の基本的な側面は「対立」であり「闘争」であるということをしっかり認識してかからなければ朝鮮半島情勢も含めて、現在の事態は見えてこないと痛感します。

 一例を挙げれば、ニューヨークタイムズに掲載された米国の新アメリカ安全保障センター上級研究員、ロバート・カプラン氏の論説「Obama Takes Asia by Sea」(11月11日掲載)などに象徴的にあらわれている、新たな「冷戦」の時代の顕在化とでもいうべき問題です。

 そこでカプラン氏は「冷戦時代の地域的な区分けはなくなった。中東であれ、南アジア、東南アジア、東アジアはいまや有機的な統一体の一部としてある」としたうえで、オバマ大統領のインド、インドネシアなどの訪問は「(そうした地域の区分けをこえた)地上と海上における中国の台頭」という「ひとつの挑戦」にどう立ち向かうのかということにかかわっているとしています。

 まさに中国をどう「封じ込めていく」のか、という意識が色濃くにじみ出る現在のアメリカというものを物語っているというべきです。

 「過去10年間、世界で最も人口の密集した地域であるアジアでは、中国の国際的影響力が増す一方、米国の影響力が低下しているとの見方が一般的だ」としながら「どの国も中国と敵対的な関係を築きたいとは考えていないが、同時に中国に独占されることを望んでいるわけではない。みな中国とのバランスを取る一環として米国の存在を歓迎している・・・」という米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長、ジェフリー・ベーダー氏の言説にもそうした現在の中国へのアメリカの問題意識が読み取れます。

 一年前にはホワイトハウスの「親中国派」として「中国の協力なしに米国が成功できるものは何もない」と発言していたベーダー氏です。こうしたいくつかの言説を追っていくと、新たな「中国封じ込め」の時代を予感させるものが見えてきます。

 ここで注意が必要なのは「新たな」というところです。旧来の古典的な「中国封じ込め」など最早できる話ではないことは自明ですので、新たな状況の下で、旧来とは「形」を変えたという意味で、ここを見落とすと事態の現象と本質的な部分を的確に切り分けてとらえることができなくなるのではないかと思います。

 米中双方が相互に依存もすれば対立もする、共同もすれば争いもするという複雑な状況の中で虚々実々のゲームが繰り広げられる時代に、いま、あるのだということ、その上で、双方にとって「敵」は中国であり米国だという構造は解消するどころか一層深刻に沈潜していっているということでしょう。

 「新冷戦」などという言葉を目にする現在の状況を的確に認識することができないと、いま目の前で起きているあれこれを正確にとらえることができず、ミスリードしてしまうことになるのだと痛感します。

 特に今回の「砲撃事件」を契機に、空母ジョージワシントンをはじめとする米国艦船を、とにもかくにも中国ののど元に突きつける形で黄海に「進出」させたことは、米-韓-日の軍事的な連携のかつてない深まりとともに、今後の米中関係、北東アジアの安全保障環境にとって重大な問題だと考えるべきです。

 よほど頭を「複雑」かつクリアーにしてかからないと事態を捉えそこなうのだと思います。

 そこで、北朝鮮による大延坪島への砲撃問題です。

 先日「血迷った金正日による砲撃を糾弾する!」「朝鮮戦争の再来を阻止せよ!」と大書された立て看板に出会いました。これまた冒頭に書いた国際シンポジウムを聴講するため出かけた大学のキャンパスでのことです。近寄って読んでみるとこの看板、いうところの「右翼」「保守」のものではなく、いってみれば「左翼勢力」のある組織の立て看板でした。なんとも「悩ましい問題」ではあるものだと、しばらくその立て看板の前で立ち尽くしたものです。しかし、戦争への危惧という点で濃淡の違いはありますが、メディアも含め、おおむねこうした論調が大勢であることもまた事実でしょう。

 さて、しかし・・・と私は立ち止まって考えるのです。
 今回の「砲撃」について精査、検証は十分になされているのだろうか、その実体が明らかにされ、本質的な問題の所在は剔抉されているのだろうかと。

 そこで、なぜ北朝鮮は砲撃に及んだのか、今回の砲撃事件についての論説、言説を大括りに整理してみると、
1.動かない米国を交渉のテーブルに引き出すため
2.金正恩への後継体制、権力基盤固めのため
3.金正日総書記の健康問題からの焦り、党内の権力闘争激化による
4.崩壊の危機に瀕する国内の矛盾への不満を外にそらして延命を図るため
5.北朝鮮軍部の暴走
 メディアや専門家の口から語られる論調はおおむねこうしたものだろうと思います。

 メディであれ、専門家であれ、自信たっぷりに断ずるのですが、ひるがえって考えてみると、それぞれ、そうであるようでもあるし、そうなのかどうかわからない、あるいはその全部かもしれない・・・とまあ曖昧なものだということに気づきます。つまり、あたかもそうであるかのように説明はされるのですが、その論拠となると確たるものがつかめず、なかには冷静に考えてみると、論理的になぜそうなのかが分からなくなる、あるいははっきりした説明ができないというものもあります。しかし、まあ、あの!北朝鮮の事だからそういうことだろうと、おおむね誰も異論を差し挟まないというわけです。

 まずよくわきまえてかからなければならないのは、誰も本当のところを確かめることができない北朝鮮情報であるがゆえに何でもアリという言論状況は依然としてここにも生きているということです。

 笑ってはいけないのですが、金正日はすでに死んでいると声高に言っていた朝鮮半島問題の専門家?がいましたが、それがバカバカしくも破たんしたと思いきや、今度は、金正恩は実は金正日の本当の子供ではない!あれは北朝鮮の国中から金日成に似た青年を探してきて金正恩だと言っているのだ・・・と言いはじめているというのですからもう何をかいわんやというべきです。こんな人物が朝鮮半島問題の専門家を名乗って大学の教壇にも立てるというのは一にかかって、どんなことを言っても、北朝鮮情報は最終的には確認の術がない、あるいは本当のところはわからないということによります。ことばは多少キツくなりますが、そうした状況に便乗して言論、言説の「商売」をしているといわざるをえません。

 繰り返しですが、わかりやすく言えば、北朝鮮問題では何を言ってもかまわない!なぜならその真偽を確かめることができないからだ、というわけです。

 メディアで仕事をしてきた私にとって、そういう視点から日々の報道を見据えてみると実に心寒くなるものの枚挙にいとまがありません。

 この間出会ったジャーナリストから問い質されたのですが、夜の看板番組というべきテレビのワイドニュースで女性キャスターが、「北朝鮮の後継体制固めのために人を殺してもいいのでしょうか・・・」とか、「北朝鮮はいつ日本に攻めてくるのでしょうか・・・」と言ったとかを耳にすると、お笑いを通り越して、そんな人物が放送などという公共空間で仕事をしていていいのだろうかと空恐ろしくなるばかりです。(放送当日私は見ていないので私自身の見聞としてお話しできないのでこうした伝聞調になりました。)

 さて、「お笑い」はここまでにしましょう。
 
 そこで上記の5点です、問題は。
 私は今回の砲撃事件が起きた直後からどこかのメディアが取材して事実関係をきちんと詰めて伝えるだろうと思いながら待っていたのですが、結局誰もそれをしていない不思議さに釈然としないでいる問題があります。そこでもう一度事の「発端」(実はどこを発端と考えるのかということが重要な問題なのですが、ひとまず置きます)に立ち戻って事実関係を整理してみます。

 11月23日の北朝鮮からの砲撃は突然起きたことではないことを、まず、押さえておかなければなりません。この日行われていた韓国の「訓練」について、どういうわけか詳細に吟味、検証するメディアがないのですが、この訓練が「護国訓練」といわれるものと幾ばくかの「かかわり」があるというニュアンスで伝えられたことがあることをご記憶の方も多いと思います。

 そこで、ではこの「護国訓練」とは一体いかなるものなのかということになります。ここは韓国のメディアに依って振り返ることにします。

 「陸海空軍の合同作戦遂行能力を高めることを目的とする護国訓練が、(11月:筆者注)22〜30日に全国で実施される。合同参謀本部が16日に明らかにした。訓練には海兵隊、米軍も含め7万人余りが参加する予定だ。京畿道の麗州、利川、南漢江一帯で陸軍の軍団級対抗訓練が、黄海上では艦隊機動訓練が行われる。また、韓米空軍による連合編隊軍訓練や、黄海に面した西海岸では日本・沖縄に駐留する米海兵上陸機動部隊も参加する連合海兵上陸訓練が実施される。護国訓練は、1994年から中断されている韓米合同軍事演習『チームスピリット』を代替する訓練として、1996年から実施されている。軍団級機動訓練を中心としていたが、2008年からは陸海空軍間の相互合同戦力支援などを目的としている。」

 これは韓国の聯合通信が11月16日に伝えていたものです。
 
 大延坪島の韓国軍部隊が単独でほんの少し砲・銃撃訓練をしたといったレベルのものではないということをきちんと認識しておかなければ問題の所在を的確に掴むことはできないというべきです。

 ただし、「砲撃」のあった23日の聯合通信によると「国防部の李庸傑次官は同日、民主党幹部に非公開報告を行い、軍が延坪島の沖合いで実施した訓練は護国訓練ではなく、定期的に行っている射撃訓練だったと説明した。」と伝えていますから、韓国軍側は「護国訓練」とのかかわりを否定していることになります。

 加えて李次官は「韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLL(北方限界線:米軍・国連軍、および韓国側が定めた海上の軍事境界線:筆者注)より南側で砲撃を行った。北朝鮮側が午後2時34分に海岸砲20発余りを発射してきたため、韓国軍もK9自走砲で同49分ごろ応射。続いて午後3時1分ごろ2度目の応射を行ったという。事態は午後3時41分に収束した。」と説明したと伝えています。

 また、「合同参謀本部の金正斗戦力発展本部長(中将)も、与党ハンナラ党の緊急最高委員会に出席し、韓国軍の延坪島沖での訓練は護国訓練ではなく、海兵隊が毎月白リョン島で実施する砲撃訓練だったと報告した。ハンナラ党の安亨奐(アン・ヒョンファン)報道官が伝えた。」と報じています。加えて金本部長は「韓国軍は北側ではなく南側に向け砲撃していたが、北朝鮮が突然、韓国軍陣地に向け海岸砲を発射したと指摘。北朝鮮の攻撃は威嚇射撃ではなく、照準射撃とみるべきだと強調した。また、北朝鮮の挑発は、NLLの無力化、北朝鮮の後継体制固め、軍事的緊張を通じた南北関係の主導権確保などに向けた多目的布石だと分析した。」と聯合通信は伝えています。

 この記事から、北朝鮮からの砲撃があった直後、国防次官や韓国軍の高位の幹部が与野党をはじめ各方面に対して「護国訓練とは関係がない『通常訓練』だった・・・」と説明して回ったことが伝わってきます。護国訓練と関連づけられることをなんとか避けたいという思惑が透けて見えてきます。

 私は、今回の「砲撃事件」が起きた当初から、韓国軍の「訓練」とはどういうものだったのか、きちんとした検証が必要だと考えてきました。しかしこの点を深めて検証したメディアは皆無と言っていいと思います。とにかく「血迷った金正日」という論調一色になってしまいました。聯合通信の伝えるところを注意深く読むとわかるのですが「応射を行ったという」といった伝聞調で伝えています。ここは重要なところです。ほとんどのメディアはこうした最低限の「わきまえ」もなく、軍部の発表を前提としてなんの留保もなく、つまり取材者がなんの「裏取り」もせずに書き散らしているというべきです。

 ここが今回の「砲撃事件」報道の大きな問題だと、私は考えています。
 韓国軍の軍事訓練とは一体どのようなものだったのか、ここを明らかにしなければ、「北朝鮮による挑発行為」という言説は論拠自体が揺らぐことになります。あの北朝鮮だからやりかねない!では報道の使命を果たしたことにはならないのです。ジャーナリストはこここそが問われるところです。

 そしてすでにブログに書いたことですが、北朝鮮側は今回の韓国側の「訓練」に対して再三にわたって警告を発してきたこと、23日当日朝も8時20分に「38度線」に近い都羅山地域の韓国軍の「通信施設」に対して「領海に撃ったなら看過しない」旨のFAXを送ってきていることを、意識してか意識せずにかはわかりませんが、例外的な数少ないメディアを除いて、ほとんど伝えられていないことは忘れられていいことではないと考えます。

 ここで吟味されなければならないのは北朝鮮側が「領海」への砲・射撃を「看過しない」としている部分です。まさしく、NLLの存在、つまりNLLのラインそのものではなくその背後に横たわる朝鮮戦争以来の「歴史」(あるいは歴史的経緯)そのものを俎上に挙げているということです。

 ちなみに、昨日、韓国側の「射撃訓練」(私は、その実体が確認できないので、あくまでも「砲・射撃訓練」としているのですが)について伝えたテレビの夜7時のニュースでは、これもなぜかわかりませんが、NLLのみを画面に表示して「今回の射撃訓練はこの海域(つまり韓国側の海域)に向けて発射した・・・」と伝えていました。

 故意に北朝鮮側が主張する「境界線」を表示せずに伝えたとするならその意図は何なのかが検証されてしかるべきですし、もし無知でそうなったというなら放送に携わる資格はないというべきです。
このようなことがまかりとおることに、私はなんとも言葉を失います。

 少なくともこの海域は南北の「境界」をめぐって「紛争」の続いている海域であり、両者それぞれが自己の領海と主張している部分が重なっていることを明示して伝えなければその放送局が掲げる「公平」「公正」を欠くというものです。

 もちろん、同様の理由で「朝鮮西海にはわれわれが設定した海上軍事境界線だけが存在する。南朝鮮当局が固執するNLLは、反北対決と北侵戦争挑発のための不法・無法の幽霊線である。」(労働新聞11月28日付論評)という主張にも無理があることは当然です。

 この海域には双方それぞれが主張する「境界線」が存在しており「領海」域が重なっているという事実を前提として考えるべきであり、その意味で、この海域では「何が起きても不思議ではない」紛争海域だということを十分認識してかからなければならないということです。

 つまり、事の「正邪」を断定することはそれほど容易ではないというべきで、それが「簡単」にできるのは、あの「許し難い金正日政権」であり「何をやらかすかわからない北朝鮮」だからということになるのです。

 これではジャーナリズムとはいえないことは明白です。

 「挑発行為」とは何かということが慎重に分析されなければならないことはいうまでもないでしょう。

 聯合通信が伝えたような規模と意味合いを内にはらんだ「護国訓練」が展開されているなかで、大延坪島の部隊だけが、それとは関係のない「いつもの訓練」をしていた、にもかかわらず理不尽にも北側は攻撃を仕掛けてきたというのでは、いかにも説得力に欠けるというべきでしょう。

 物事を考える際には立場を変えて、視点を変えて考えるという複眼の思考が不可欠です。そのためにも、好悪の感情や思い込みではなく、事実に基づいて、双方の主張や言説に分け入って冷静、冷厳に精査、検証することがなによりも必要だと言うべきです。
 
 しかも朝鮮半島をめぐる海域や韓国側の地上では今年3月(8日にはじまった)の米韓合同軍事演習「キーリゾルブ」以来、米韓合同あるいは韓国独自の軍事演習(訓練)がほとんど切れ目なく続いてきたということをどうとらえるのか、挑発行為とはどのようなことを言うのか、ここはしっかり考えてみなければなりません。
 
 立場を変えてみると同じ風景でも異なって見えるということは覚えておかなければなりません。
 とりわけジャーナリストは!

 さて、しかし!では民間人2人が死亡し民間人の居住地域に砲弾が着弾したことは許し難いことではないのか!という反論が、当然ながら、出てくると思います。

 前提として言っておかなければならないのは、私は、兵士であれ、民間人であれ、人の命が奪われることを「善し」とすべきではないと考えていますし、今回、4人の命が奪われたことは深く悼むべきことだと考えています。

 しかし、これもまた冷静に検証してみる必要があると考えるのです。

 すでに伝えられているように、民間人の死者は韓国軍の施設の工事をしていて死亡したということでした。この「軍の施設」についても明確な検証がなされず、軍あるいは韓国政府の発表をそのまま報じているわけで、どういう地域のどんな施設なのかが明確ではありませんが、韓国軍の基地を狙いすました「意外に正確」な砲撃だった(軍事ジャーナリストの田岡俊次氏)という、北朝鮮側からの砲撃の「正確さ」をふまえると、軍の基地内で働いていた民間人を、民間人であるというだけで「民間人に犠牲者が出たのは朝鮮戦争以来のことだ。血迷った、極悪非道の北朝鮮!」という論調に突っ走るのは、ある種の意図のこもった報道だと言わざるをえません。

 では民間人居住地域に着弾した問題はどうなのだということになります。家が破壊され、焼かれ住む拠り所を失った住民が出たことは確かです。同情を禁じ得ないことですし、まさに「何の罪もない民間人」の住まいに砲弾を浴びせるとは許せないという感情もその通りだろうと思います。ただし、ここでもジャーナリストは、なぜこうしたことが起きたのかという「問い」を抱くことが必要だと、私は、考えます。

 まだ確証はないのですが、砲撃した北朝鮮側の砲兵が持っていた大延坪島の地図は古いもので、軍の駐屯地が住宅地域に変わったことが記されていなかったという説(田中宇氏がニュースコラムで韓国人の知人からの伝聞として書いている)もあり、一方、上述の田岡氏は「ロケット砲の前後後方の誤差は大きく(北朝鮮側から見えない山越えの)南斜面の(韓国軍)陣地を狙った砲弾がふもとの集落に落ちることは十分ありうる。こうした『間接射撃』では着弾点を見て修正する観測手が必要で、無線機を持つ工作員が(大延坪島に)潜入していた可能性が高い」(カッコ内は筆者補足)としていることなどとのかかわりで、さらに精査、検証が必要だと考えます。

 もっとも北側が「自分たちが持っている地図は実は古かった・・・」などと認めることはありえないので、ここは検証の難しいところです。しかし、私は、今回の砲撃事件の直後北側が「延坪島砲撃で 民間人死傷者が発生したのが事実であれば、至極遺憾なことにほかならない」(11月27日朝鮮中央通信)と述べたことは、注目しておくべきことだと考えます。

 私の朝鮮半島問題とのかかわりはそれほど長く、深くはないことを前提にですが、私はついぞ、北朝鮮のこうした「遺憾の意」の表明は目にしたこともなければ、聞いたこともありません。正直なところ驚きました。もちろん、この言明の後段には「その責任は今回の挑発を準備しながら、砲陣地周辺と軍事施設内に民間人を 配置し『人間のたて』にした、韓国の非人間的な行いにある」という北朝鮮らしい「主張」が続いているのではあるのですが、それにしても「前代未聞」の率直さで「至極遺憾」と表明したことは過不足なく注視しておくべきことだと考えます。

 ちなみに、兵士2人の死亡について、韓国政府与党ハンナラ党の軍幹部出身の黄震夏国会議員が、北朝鮮による延坪島砲撃で戦死した韓国軍兵士についてある会合で「(砲撃の際)軍人の死者が出たというが、実際には戦死ではない。一人は退避壕からたばこを吸いに出て、破片に当たったもので、もう1人は休暇から帰隊する途中だった。戦闘に臨み、砲弾を撃っていた兵士は死亡しなかった」と漏らしたことが韓国の一部メディアで報じられ「舌禍事件」となっていることは、人の死にかかわる事なので笑っては不謹慎なのですが、苦笑いを禁じ得ないことでもあります。

 北からの砲撃という、兵士にとっては一応?戦闘状態であるわけですから、退避壕からタバコを吸いに外に出るなどということが軍規上も許されることかどうか、いずれにしても私には理解できないようなことが起きていた可能性があるということです。

 もちろん、だから死んでも仕方がないなどと考えているのではありません。しかし、要は民間人にしても兵士にしても、死亡という事実を前にただ「感傷」に走って北の極悪、非道を非難するということでは事の実体を伝えることにならず、ましてや本質的な問題を見落としてしまう恐れなしとは言えないということです。

 こうして情報の精査、検証を重ねながら今回の「砲撃事件」をどうとらえるべきかを考えてくると、ここまで述べたことに加えて、韓国の李明博政権の現況と米国の動向に分け入って考えてみなければならないことは言うまでもありません。
しかし、ここまででも十分に長くなっているので、頭を休める意味でちょっとしたコメントを引用します。

 「殴った」「殴られた」が争いとなる傷害事件はどちらが先に手を出したかわからないケースもある。相手が自分に危害を加える動作をしてきたので反撃行為をしたという場合、正当防衛として扱うべきかどうかが争点になることが多い。自分の身を守るために反撃していても、ある瞬間から過剰な攻撃となる。これは片方だけではなく両者に言えることで、両方とも傷害罪の加害者であって被害者でもあるという構図になる。・・・誤解を恐れずにもう少しわかりやすく説明すれば「けがの重い方が被害者になる」といった結末になるケースもある。

 さて、これは一体何だと思われますか?!
 実はひとしきり芸能ニュースをにぎわせ、朝のワイドショーの話題を占領した「海老蔵の大けが事件」についての、ある最高検検事経験者のコメントです。

 私はこれを読みながら、まるで今回の「砲撃事件」について言っているかのような錯覚に陥りました。

 北朝鮮の「許し難い挑発行為」と言っていればなべて事もなしというメディア、言論状況ですが、ここは冷静かつ冷厳に事態を見抜く力が問われていると考えます。

 一体なぜ今回の「砲撃事件」が起きたのか、その実体と本質は何なのかを、事実と情報を見落とすことなく精査、検証して考えてみなければ、あるいは、時流に身を寄せていれば安心、安全という態度で無自覚にメディアの報ずる論調を鵜呑みにしていれば大丈夫という感覚でいるなら、事の実体と本質は見えてこない!それほど事態は安穏としていられるものではないということを、まず私たちは知ることが必要だと考えます。

 このあと、この夏以来の米国メディアの情報の中に注目すべきものを見たということや韓国の李明博政権と対北政策の検証に論をすすめたいと考えます。したがって「訪朝報告」の中断がもうしばらく続きます。ご理解ください。



(つづく)
posted by 木村知義 at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録