2010年11月17日

尖閣問題、小島正憲氏の論考、北後継問題、韓国知識人の発言、ホームページに

 「訪朝報告」が中断していて申し訳ありません。
 できるだけ早く書き継いでいくつもりですが、私自身が主宰する研究会で近く「訪朝報告」をすることになっているので、いま、その際に使う、現地で撮ってきたビデオの編集作業に追われています。
 「訪朝報告」については一時筆を置かざるをえない状況になっていますが、私の運営しているWebサイトの、韓国を代表する知識人白 楽晴氏の発言を紹介するページに、北朝鮮の「後継問題」にふれる発言が、また小島正憲氏の「凝視中国」のページに尖閣問題への論考が寄せられました。

 白 楽晴氏の発言(「京郷新聞」のインタビューについての「プレシアン」の記事)から、北朝鮮の「後継体制」についてどのような視点が必要なのか、注目すべき問題提起が読み取れます。

 また、小島氏の考察、論考は長く中国でのビジネスに携わってきた氏独特の「アイロニー」というか「反語的」エスプリがこめられていて読み応えのある内容だと感じます。
 
 尖閣問題と現政権の問題についてはこれまで何度か書いているので詳しく繰り返すことは避けますが、以下の2点だけはしっかりと認識しておくべきだと考えます。

 まず、近代国民国家の枠組みの下での領土あるいは国境問題というのは、日本にとってあるいは近隣のアジア諸国にとってはたかだか百年余りの時間軸の中での問題であること、したがって、近代の日本とアジアという視座からの深い吟味と検証なしに、どちらのものかを主張して争うということはいたずらに「劣情としてのナショナリズム」(求められる良きナショナリズムというものがあるのかどうか、あるとすればそれはどのようなものかについてはさらに深める必要があるということを前提にこういう表現をとるのですが)を刺激するだけに終始して何ものも生み出さないということ。つまり、今私たちが目の当たりにしている「領土問題」とはアジアにおける、とりわけ日本と中国や朝鮮半島をめぐる近代にかかわる歴史認識の問題であり歴史問題だということへの認識がなくてはこの問題の「解」を見いだせないということです。

 さらに、いったん領土問題を「問題化する」ということは、究極のところは、実力=戦争による解決しかないというところに行き着くこと、したがって戦争をも辞さないという「覚悟」なく「ちょっとやってみるか」といった程度の危うく愚かな「知見」でしてはならないことだということです。

 後者について言えば、現代においてはそのような道、つまり戦争への道は取るべきではないという意味において、選択肢としてはありえないということになるわけで、このことはなによりもしっかり認識しておくべきだと考えます。

 すでに書いたことですが、後世の人々の知恵に委ね今はふれないでおこうという、ケ小平の「狡知」ともいえる知恵の含意をあらためて思い起こすべきではないでしょうか。

 それにしても、菅−仙谷−前原を軸とする現政権は末期的症状を呈し始めていて、度し難いばかりです。この、経綸の一片のかけらさえも感じられない「虚ろな人々」による政治がまさに「地獄への道」へと続くことはすでに書いてきたとおりです。

 日本は「崩れ始めている」という感を深くします。
 遠からず政権交代とはなんであったのかということに直面すると書いてきたことが、悪夢のような形で、いま目の前で現実のものになっています。
もはやこの政権にも未来はないことが明らかとなり、しかし、ではそれに代わりうるものはとなるとお先真っ暗というわけですから、事態は容易ならざるところに来てしまいました。
「世が世なら5・15や2・26だ・・・」と言ったのは昨年までの政権政党自民党で閣僚を経験した政治家でした。

 本当にそうです。
 「尖閣ビデオ流出問題」一つを取ってみても、そこに、かつての悪夢の「亡霊」を髣髴とさせる時代状況が垣間見えます。

 だからこそ言論は、メディアは、いまこそ、命がけでふんばっていることが求められているのだと切に思います。

ホームページのサイトでの白楽晴氏と小島正憲氏のページは以下の通りです。

白楽晴「『京郷新聞』は保守派マスコミのように忠誠を強要するのか」
http://www.shakaidotai.com/CCP134.html

小島正憲「国家を捨てる中国人・国家に尽くす日本人」
http://www.shakaidotai.com/CCP137.html

ぜひお読みください。
posted by 木村知義 at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録