訪朝記をはじめなければと思いながらなかなか時間が取れず、その間に書いておかなければならい問題が次々に起きるという、なんともふがいない状況です。
尖閣問題について先週、ある討論の場に参加しました。
「我々は中国とよい関係を結んでいこうと努力しているのになんてことをするのだ、背中から冷水を浴びせられた!」
「これで、これまで親中国だった人もみんな反中国にさせてしまう・・・」
「こういう中国であれば日本のなかでどんどん嫌中機運が広がっていく・・・」
議論が始まる前に交わされた雑談のいくつかはおおむねこうした「中国非難の色合い」一色という感じでした。
中国問題では先達というか造詣も深い方々の集まりだと思って末席に加わっているのですが、いささかの違和感を抱きながら座っていたというのが率直なところです。
領土問題、ナショナリズムをめぐる問題がこれほど隠れていた「感情」に火をつけるものなのかと、文献の世界でしか学んだことのない過去の時代の「あれこれ」のできごとを思い出したものです。
今これらの一つひとつについて詳細に深めている暇がないので控えますが、こういうときこそ、冷静で重心の低い、本質的に深い議論が必要なのだと、これは自戒をこめてですが、あらためて思った次第です。
ただし、今国会でやりとりされている「柳腰論議」?にみられるような、なんとも言い難い低次元の「議論」を考えると、今回の菅首相―仙谷官房長官―前原外相主導による「尖閣問題」の「勃発」からその後の「展開」に対する本質的な検証を回避し、政権にとって問われるべきことを問われずにすんでいる最大の補完勢力は、他ならぬ、「弱腰外交」「中国への屈服」として攻めたてているひと群れの人々であることに気づいておくべきだと感じます。
問われるべき本質的な問題は、アジア外交とりわけ中国、朝鮮半島に対する外交に軸がなく、政策がない、もっと突き詰めれば政策の土台になる歴史観、思想、哲学そして経綸のひとかけらも感じられない底の浅い現政権が引き起こした「問題」であるということだと思います。
「弱腰外交」批判によって、相対論としてあるいは「強硬策よりもましな対処」として「船長を釈放する判断がよかったのだ」という主張に力を与え、仙谷官房長官をはじめとする政権の「対応」を合理化してしまい、本来議論されるべき、対中国政策はどうあるべきで、今回の尖閣問題の「勃発」が現政権の、率直に言えば、前原―仙谷そして菅のトライアングルの、まさに児戯に類する底の浅い「思惑」に起因するものであるという、根源的な問題が問われずにすむという意味で、いうところの「タカ派」がもっともよく菅政権、週刊誌流に言うと「仙谷内閣」を支えているという奇妙な構図になっているのです。
このようにして本質的な議論にさらされることなく「仙谷内閣」(この表現について「おちょくっている」と会見で仙谷氏は激怒しましたが)が「生き延びる」ことが本当に幸せなことかどうか、早晩結論が出ると思います。
それにしても、「支那の恫喝に屈して」とか「中国になめられるな!」あるいは「ヤクザ国家、中国・・・」などとあらんかぎりの悪罵を投げつけて溜飲を下げるのは結構だけれども、その行きつく先はどのような「地獄への道」なのか、もう一度謙虚に歴史を学び直すべきです。
ところで・・・、
事件が発生した9月7日午後、国土交通相だった、前原は海上保安庁長官の鈴木久泰に電話で強い口調で指示した。
「一歩も譲るな!」
(産経新聞2010.10.10)
いま外相の前原氏は、中国人船長の身柄拘束からその後どうすべきかについて官邸に指示を求める「相談」が持ち込まれ逮捕に時間がかかっていたのを「逮捕しろと言ったのはおれだ」と自慢げに話しているというのですから、日本の外務大臣の格も落ちたものです。
さらに、「事件が起きた9月7日は民主党代表選の選挙戦真っただ中だった。官房長官の仙谷由人が法務、外務両省幹部らと官邸で協議し、逮捕方針を了承した。一方、菅はこの日の夜、代表選候補として民放テレビ番組に出演。公邸には午後11時39分に戻り、眠りについた」が、「衝突事件をテーマにした衆院予算委員会の集中審議を翌日に控えた9月29日午後。政府関係者によると、首相の菅直人は答弁準備で官邸執務室に秘書官らを招集した。政府対応を時系列でまとめた答弁資料に目を通すや、菅はいきなり怒鳴り声を上げた。船長逮捕は9月8日午前2時3分。菅への報告は夜が明けた『午前8時』と明記されていた。『何だ、これは。おれが逮捕後6時間も知らなかったということでは「総理は何をしていたのか」と言われるに決まっているだろっ』野党の追及を懸念した菅は続けた。『いろいろな報告が来るから、誰が何を言ってきたかいちいち覚えていないが、おまえたちのうちの誰かが「そろそろ逮捕します」と言ってきたはずだ。なぁ、そうだろう?』うつむき加減でひと言も発しない官邸スタッフの面々。答弁資料は結局『修正』され、誰が伝えたのか不明確なまま『8日午前0時ごろ、総理に逮捕方針を報告』との一文が付け加えられたという。」(「SANKEI EXPRESS」2010.10.12による)
政権交代はあったけれども、外交に軸がなく、政策がないまま、ちょっとやってみるかという感覚で「船長逮捕」という火遊びをしてそのあげく政治決断もできず、あたふたと「密使ならぬ密使」を送り日中首脳の「廊下の会談」を演出、裏から手をまわして検察の判断として釈放させるなどという姑息きわまりない体たらくで、しかしいうところの「タカ派」が口をきわめてののしるという攻め手にさらされることで、釈放しないより釈放した方がよかったというだけのことで生き延びる、つまりこういう構図で事態が展開しているのです。
このことを見落としてはならないと考えます。
私とは立っているところが違いますし、アジア観、中国観も、さらには思想的にも全く立場を異にする人物ですが、保守の論客として知られる京都大学教授の中西輝政氏が実に興味深いことを述べていたことを思い出します。
「他国との外交でも、菅さんは何の目算もなくくせ球を投げるでしょう。中国や北朝鮮に対し自民党も驚くほどの右寄りの強硬姿勢を取るかもしれない。今月7日尖閣諸島付近で起きた海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件でも、日本は船長を逮捕して船を拿捕し、14人を石垣島まで連れて行った。自民党政権も真っ青の強硬姿勢ですが、これも小沢さんの親中に不満の世論や、中国を脅威に感じている国民が多い傾向に、おもねっているにすぎない。菅さんは政局に平気で外交を利用するのです。北朝鮮への制裁をアメリカ以上に強硬に行うかもしれません。強硬姿勢自体は当然ですが、それは大きな戦略があってこそ意味がある。菅総理は展望がないまま、国内政局目当てに対外強硬政策に踏み込む危険があり、恐ろしい。アメリカに愛想を尽かされ、世界から孤立し、そんなときに中国とコトを構えたらどうなるか。国内政局しか見ない菅総理の重大な盲点です。」
(週刊新潮2010.9.23号)
もちろん「日本がここまで弱腰であることの要因として、度の過ぎた自虐的な歴史認識が大きい」あるいは「覇権中国」などと友好を語ることなど考えられないとし、そのためにも日米同盟を強固に!といった、中西氏の従来からの「論」のありようと、私はまったく違う立場ですが、それはそれとして、この中西氏の指摘は今回起きた事の実相を言い当てていると思います。
《A国領土の離島周辺にC国漁船が領海侵犯した。A国政府は抗議したが、島の領有権を主張するC国は対応をエスカレートさせ、島に軍を派遣した。A国は航空優勢を確保する作戦の実施に踏み切った》
首相、菅直人がブリュッセルで中国首相、温家宝と会談した今月4日、航空自衛隊は日本海でこのようなシナリオに基づく演習を開始した。
5日間続けられた演習は沖縄・尖閣諸島沖で先月、中国漁船衝突事件が起きた後だっただけに、参加した隊員たちはいつにも増して緊張感を持って臨んだ。
むろんA国は日本、C国は中国を念頭に置いている。軍による離島上陸前までの想定は、衝突事件をめぐる中国の対応をなぞったようにも映る。
(産経新聞2010.10.14)
この演習計画は1年かけて練られたといいます。我々の知らないところでこうしたことがすすんでいることに、深い懸念と戦慄を覚えるのは私だけでしょうか。
なお、では中国のいまの行き方をすべて是とするのかということとは別の問題です。
しかし、「危険な中国!」などと、まさに「劣情」に火をつける論調からは、あるいは「大国化する中国と対峙するために日米同盟を強化すべし」といった論理では、これからの時代の日本の行くべき道はひらけないことを肝に銘じなければならないと言うべきです。
日米外相会談の席でクリントン国務長官から「事件を早く解決せよ。すぐに!(アズ・スーン・アズ・ポッシブル)」と迫られたのはほかならぬ「逮捕しろと言ったのはおれだ」と胸を張る当の前原外相だったこと、この直後に外務省職員が那覇地検に出向き「事情を説明した」ことで釈放が決まったということもまた忘れてはならないことだと考えます。
それにしても、軸がなく、政策のない空虚な政権に外交を委ねなければならない不幸と危うさは深刻だと言わざるをえません。
中国をあげつらっている場合ではない!というのが今の日本の政治状況ではないでしょうか。
そして、メディアは伝えるべきことを伝え、語るべきことを語っているのかもまた厳しく問われるべき問題だと考えます。