2010年10月09日

借り物のことばでなく・・・

 このコラムを書こうとパソコンに向かったところに、ニュースで中国の劉 暁波氏にノーベル平和賞が送られることになったことが伝えられました。
 
 劉 暁波氏をどう評価するのかはそれぞれで意見がわかれることでしょうし、多様にあってしかるべきだと思います。
 しかしメディアで伝えられることに、私は、大きな違和感を抱いたのでした。

 これは本来きょうのコラムで書こうとしていたことと通じる問題なので、ここからはじめることにします。

 私の違和感とは、たとえば「現代中国の専門家」と紹介されてテレビに登場した広く名の知られた中国研究者が、劉 暁波氏へのノーベル平和賞授与は「中国の遅れた政治へのメッセージだ」と語ったことや、それを受けて北京から中継で登場した記者が「民主化を促す世界のメッセージ」だとリポートしたことにあります。

 まず「遅れた」というコメントです。

 私は、さて、一体何が遅れていて、何が進んでいるということなのだろうかとつい考え込んでしまうのでした。

 これが仮にも研究者の言うことなのか、専門家の「ことば」なのかと、それこそことばを失いました。

 中国がいいとか悪いとかを、いま、問題にしているのではありません。
 当然ことながら、中国が好きか嫌いかも関係ありません。
 それこそ多様に意見があってしかるべきだと考えます。

 しかし、中国の政治が遅れていると断じるのならば、何をもって遅れているという概念を措定するのか、あるいは何が進んでいるということなのかを定義することなしに、高みに立って、やれ遅れている、あるいは進んでいるなどというのは仮にも研究者を名乗るならばとるべき態度ではないと、私は思います。

 つまり、このようにして125年前にも「遅れたアジア」から抜け出よう・・・という呼びかけがおこなわれ、そしてアジア侵略の道へと歩みをすすめたのではなかったか、その程度の自己省察は、それこそ、仮にも現代中国の専門家を名乗るならばわきまえなければならない基本中の基本ではないのか、と私は考え込むのでした。

 また、中国を専門とする報道記者が「民主化を促す世界のメッセージ」とこれほど軽々しくレポートする姿に、仮にも北京の地に立って中国から世界を見据え、考え、同時に世界大の視野から中国を見つめるという営為を真摯に重ね、突きつめているとは到底思えないのでした。

 民主化とは何をもって民主とするのか?!
 世界のメッセージ?!
 そこで言う世界とは何をもって世界とするのか?!
 この記者にぜひ聞いてみたいと考えます。

 このような薄っぺらな専門家や記者によって伝えられるニュースとは一体なんだろうかと、私は立ち尽くすのです。

 この人たちは畏れというものを知らないのだろうか、あるいはものごとを突きつめて考えるということとは無縁の暮らしをしているのだろうか・・・・と。
 情けないことです、専門家も報道記者も。

 このようにして、あたかも「客観化」されたかのような「ことば」を使ってものを語る無責任さに日本のメディアの底知れぬ宿痾を見る思いがします。

 さて、ここからが本来きょう書こうとしていたことです。しかし、ここまで書いたことと深くつながる問題だと考えます。

 遠い地で首脳同士が「言葉を交わした」ことで、さしあたりの、事態の一層の悪化をくい止めたかのように見える日中関係ですが、ことはそれほど楽観できるものではないと思います。

 たとえば「尖閣諸島沖の衝突事件で悪化した日中関係について、両首脳は『今の状態は好ましくない』との認識で一致。双方が戦略的互恵関係の原点に立ち返り、政府間のハイレベル協議を進めることで合意した。」と伝えられた日中首脳の「懇談」(菅首相)ですが、それと同時進行する形で「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている。・・・中国に進出している企業、中国からの輸出に依存する企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る。・・・中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人よしだ。・・・より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある・・・」と語った民主党の幹部がいたことをどう考えるべきでしょうか。

 実に根深い問題だと思います。

 「悪しき隣人」?!

 これまた125年前に聞いたことばではなかったか、と考え込みました。

 5日のコラムにも書いたのですが、もう一度整理しておくと、領土問題をめぐる争いあるいは国境をめぐる紛争というものはおよそ平和的手段で解決された例は希少で、行き着くところは武力衝突、戦争という歴史を、私たちはいやというほど経験してきています。
従って、問題は、こうした対立をいかに統御し、時間がかかるとしても平和の裡に解決していく知恵を生み出すことが、外交や政治に課せられた課題であり、その任に当たる者のもっとも重要な仕事ということになります。
 このことを十全に果たしていけるかどうかが重要な分水嶺になるということです。

 中国が大国主義的だ、あるいは軍備を増強していることが脅威だ・・・というとらえ方はとらえ方として、ではそれを日中両国の間でどう統御していくのかと考えるのが外交、政治の任に当たる者の責任というべきです。

 両国の国民同士が、いたずらにナショナリズムを刺激したり、時には民族主義的、排外主義的に走ろうとしたりする空気をどのようにして共同して統御、抑制していくのかということをこそ考えるべきなのであって、そうしたいわば「劣情」を掻き立てることがあってはならず、ましてやその尻馬に乗ったり、増幅、拡大したりするようなものであってはならないということです。

 そのことを押さえたうえで、日本が実効支配している尖閣諸島問題をなぜ中国が持ち出すのかについて歴史を深く見つめ直して考えてみる必要があるといえます。

 現在の中国にとって国境とはいかなるもので、国土、領海とはどのような歴史性をもったものなのかを考えることが重要だと考えるのです。

 このコラムは歴史の勉強の場ではありませんし、私が偉そうに歴史について語る資格もありませんが、少なくとも近代中国にとって、たとえばアヘン戦争以来の中国にとって、国境や領海というものが欧米列強の強力なあるいは暴力的な力によって引かれたものだととらえているというぐらいの最低限の認識は欠かせませんし、第二次大戦後、中国大陸では国共内戦が熾烈に戦われている中で台湾という存在が米国のアジア戦略のなかで重要な意味を持ったということ、またそれとの相関関係で、さかのぼる薩摩藩時代の琉球支配の歴史とアジア太平洋戦争以後の米国の沖縄占領という歴史をどうとらえるのかという、歴史に対するきわめて多角的、複合的な視角が不可欠だということを知らなければならないと考えます。

 米国がこの海域をあるいは尖閣諸島を日米安保の範囲にあると言ってくれたとか言ってくれないとかいうような問題に矮小化して一喜一憂するようなことであってはならない問題なのです。

 あるいは、海底資源の埋蔵が浮上したからここが日中の争いの場になったなどということで理解していては事の本質を見誤るということです。

 5日の、あるいはその前のコラムでも現在の民主党政権の外交、あるいは今回の問題に対する対処、対応を厳しく批判したのは、こうした尖閣問題の歴史性を深く認識し、領土をめぐる対立と争いがもたらす「負の歴史」に対する認識やそこに根差す責任感のかけらも感じられないからです。

 従って、とにもかくにもブリュッセルでの「あうんの呼吸の日中首脳の懇談」でなんとか表面的にはつくろったように見えても、本質的にはなにも解決しておらず、「快方」にむかう兆しなどは見えないというべきなのです。

 重ねてですが、少なくとも、ナショナリズムを掻き立てたり、狭隘な民族主義を煽りたてたり、あるいは排外主義的な空気を助長したりするようなことはすべきではなく、対立、紛争をいかに統御するのかということこそが喫緊の課題だということです。

 なお、民主党の枢要をなす幹部の発言にある「より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある」という問題ですが、経済実務家の間ではいわゆる「チャイナ・プラス・ワン」ということでのベトナム展開などは言うほど容易いものではなく、現実問題としてはなかなかうまくいかないということはすでに知られていることです。

 この政治家がいかに実務に疎いのかを示しているというべきですし、それよりなにより「より同じ方向を向いたパートナー」などと言うと相手の方から「いい加減にしてくれ」と言われるのが関の山でしょう。

 なんともこれがついこの間まで民主党の幹事長などという「要職」にあった人物の言うことだろうかと恥ずかしくなります。

 さて、もうひとつ、朝鮮訪問から戻ってまず「いま、北朝鮮はどう考えているのか」として朝鮮外務省スポークスマンの「談話」など3件の文書を掲載しましたが、なぜこうした朝鮮側の「声」を元テキストで読む必要があるのかということについて書いておかねばなりません。

 いうまでもありませんが、イデオロギーや政治的立場、思想的価値観などを同じくして朝鮮の主張をあたかも宣伝するかのごとくこうした原資料を掲げているのではありません。

 これまた繰り返しですが、好きか嫌いか、支持するか支持しないかにかかわらず、その前に、まず相手がなにをどう考えどのように行動しようとしているのか、謙虚に目を見開き耳を傾けることからはじめないかぎり、何も見えてこないと考えるからです。

 このことは、今後、朝鮮訪問についてふれるコラムを発信していく上での基本的立場にも深くかかわるものでもあります。

 今回の訪朝は、44年ぶりとなる朝鮮労働党代表者会の開催のとき同じ平壌の地に立ったという意味では歴史的な経験となったと感じています。

 そしてここから、言うところの「2012年、強盛大国の大門をひらく」という目標にむかって朝鮮がどのように歩むのか、平壌の地に立って、深くかつ時には揺れながら、思いをめぐらしたものでした。

 しかし日本に戻ってから読んでみた新聞各紙、その他のメディアは、金正日総書記の三男正恩氏への「権力世襲」をひたすら批判する、あるいは、ときには揶揄、嘲笑といった論調のものもふくめて、非難、論断する論調が覆い尽くすというべきものでした。
 なかには「拉致問題の解決が遠のく・・・」といったものもありました。

 問題を同じように論じることはできないにしても、私は、日中国交回復まえの中国と向き合い、日中関係そしてアジア、さらには米国というものについて少しばかりものを考えるという体験を経てきました。

 そこから試行錯誤を重ねながら自身のものの見方や考え方を鍛え、少しばかりの原則というものを導き出し、今もそれを自身に課しています。

 その一つは、いかに自分にとって異質に見える、あるいは「なじめない」体制であっても、それを選ぶのはその国の人々であって、外からそこに干渉すべきではない、あるいは私にとってはいかに問題や矛盾を内包しているように感じても、その国のあり方を決めるのはその国の国民であり、民衆だということを厳格にわきまえなければならないということです。

 これは物心ついたころ、そのころはアジア、アフリカから「戦後世界」の新たな息吹が伝わってきて身近に感じられる時代でしたが、民族自決という言葉を知り、新鮮な思いでかみしめたのでした。

 以来、このことばは他国、他者を見つめる際の私の重要な原理原則となりました。

 平たく言えば、仮に他国、他者の体制や為政者がいかに「気にくわない」としても、その国のありようを決めるのはその国に住む人々であって、そこに外から干渉したり、ましてやその体制を変えるべく「動いたり」することはしてはならない、というものです。

 今回の訪朝は17年ぶりの事でしたが、実は17年前の朝鮮への旅での同行者との議論を思い起こすことにもなりました。

 「間違った体制は正すべきで、苦しんでいる人たちを救うのは我々の責任だ・・」というのがその同行者の主張でした。
 私は、「間違っている」と考えるのは自由でありそれぞれの価値観でそう思うのは許されることだろうが、だから外からその国の体制を正すなどと考えるのは不遜の極みと言うべきで、その国のあり方を決められるのはその国の人々以外ないのだ、我々は、そこにわきまえというものが必要であり謙虚であるべきだ・・・。
 言ってみればこうした主張をしたのでした。

 これに対して「ではお前は人々が苦しむのを放っておくのか・・・」という批判が返ってきました。

 苦しんでいると決めることもまた不遜なことであるが、百歩譲って苦しんでいるとして、であれば余計にそこから抜け出すのは、そこで苦しむ人々の手によってなされるべきことなのだ・・・。
 
 議論は平行線をたどりました。

 しかし、私はこの民族自決(当時の新鮮な響きはすでに失われているかもしれませんが)という原則は絶対に捨ててはならないと思い続けて今に至っています。またこの原則を自己に課しています。
 
 それぞれの国に、それぞれの歴史があり、それぞれの思想、価値観があり、それぞれの体制選択がある・・・。
 
 まずそこから出発して、異質なもの、他者性に向き合っていくことが必要なのだと考えます。
 
 そして、そこから相互の対立や緊張を解きほぐし、食糧や医療の問題で苦しむ人々には支援の手を差し伸べていく、そうしたささやかな営みの積み重ねから、いささかでも信頼を生み出し、対立やいさかいを和らげていくことがなにより大切だと考えるのです。
 
 ましてや、侵略と植民地支配という過酷な歴史を押し付けたわれわれです。

 そのことへの深い反省をきちんとした形で示し、歴史をこえていくことを己に課していくことは、いまを生きる私たちの責務だと考えるのです。

 従って、ご家族にとってはあまりにも理不尽としか言いようのない拉致問題についても、まず日本の側が過去の歴史に対する清算をし、国交を正常化をすることで解決の道が開けるのだと考えるのです。

 名を挙げることは控えますが、かつての自民党政権時代、襟に青いバッジをつけていた複数の議員から「本当のところを言えば、こんなことをしているようでは拉致家族を支えるどころか問題の解決を遅らせていることになる・・・」と低い声で語るのを聞いたことを思い起こします。

 そこまでわかっているなら、どうして勇を奮ってそのことを言わないのか、あるいはメディアでもそう思っている人がいるなら、なぜ勇気をもって語らないのか、と考えたものでした。

 それが見識というものであり、政治家の経綸でありメディアに身を置くものの責務というものではないのか・・・。

 まだこれでも言葉を尽くせていませんが、これが朝鮮訪問について今後何かを語っていく、私の基本的立場です。

 冒頭に書いた、今回のノーベル平和賞問題にも深く通底する問題意識だと言えます。

 遅れた・・・??
 民主化・・・??

 さて、あなたはどう考えるのでしょうか。

 借り物のことばではなく、自分の頭で考え、自分のことばで語ってみると、さて・・・。



posted by 木村知義 at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録