2010年10月31日

事の本質を見誤ってはならない 〜日中首脳会談見送りに何を見るのか〜

 「訪朝報告」を書き継いでいかなければと思いながら、時間を作れずにいたところに「ハノイでの日中首脳会談が突然中止に」というニュースが飛び込んできました。
 この日(29日)は夕方から、都内で宮本雄二前中国大使の講演を聴いていたのですが、そのさなかにハノイでは、メディアがいうところの「中国のドタキャン」が起きていたというわけです。

 そしてきのう(現地時間30日午前)、東アジアサミットの会議開始前に、会場内に設けられた各国首脳控室で菅、温家宝両首相の10分間の「非公式会合」が行われるという流れになりました。

 菅首相および日本側の発表では、
(1)29日の2国間会談が行われなかったことはとても残念だ
(2)互いの民間交流が順調に再開されていることを評価し、今後も民間交流を強化することが重要だ
(3)引き続き戦略的互恵関係の推進で努力する
(4)今後ゆっくり話す機会をつくる
 の4点で一致した、とされています。

 けさの朝刊では、この「懇談」によってとにもかくにも日本の「面子が保たれた」と書いたものもありました。

 しかし各紙とけさのテレビ各局の番組を見ていてまたもやミスリードを生みかねない危うさを痛感したものです。

 これまでも書いてきているように、尖閣問題の背景については、歴史問題、歴史認識の問題としての深い考察を抜きにしたあれこれの言説では事態の本質は見えてこないのですが、「訪朝記」をさておいて、急ぎ書いておかなければと感じたことを記します。

 メディアがいうところの「ドタキャン」の翌日の昨日(30日)の各紙には「中国、首脳会談を拒否」の見出しが躍り、今回の事態についての福山官房副長官の「説明」が載りました。「要旨」として伝えられたその「説明」が重要なので、伝えられた全文を引くと、

 本日午前中の日中外相会談の雰囲気は非常によかったとの報告を受けていた。その結果、午後6時半から日中首脳会談が(行われると)通知されていた。ところが、日中韓首脳会談の直前に中国側の事務方から(日中首脳)会談はできない旨の連絡があり、日本政府としては非常に驚いた。中国側の真意を測りかねている。冷静な対応が必要で、中国との戦略的互恵関係を推進する日本政府の立場は変わっていない。(会談拒否の理由は)中国側に聞いていただかないと分からない。ガス田の理由でキャンセルということだが、ガス田問題で交渉再開を合意したといったことを報道に流したことは一切ない。そういった根拠のない報道で、首脳会談を中国側がキャンセルをしたのなら非常に遺憾だ。今のところ(日中首脳会談の)予定はない。総理は報告を聞いて、「冷静に対応をしよう」ということだった。(会談拒否が)日中関係に影響がないとは言えないが、冷静に対応することが肝要だ。(尖閣ビデオ公開が影響したかどうかは)全くそのことは考えていない。(ガス田の問題が)誤解だということは伝えてある。しかし向こうは、そのことを報道したことで会談できない、というやりとりで平行線だった。

 というものでした。

 しかし、ここで重要なのは一方の中国側、胡正躍外務次官補の発言、説明との比較、対照です。

 周知の通り、中国側は一貫して、中日間の四つの政治文書を基礎に、中日関係の維持と推進に力を尽くしてきた。しかしながら、東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった。日本側はさらに、同会議の期間中、メディアを通じて中国の主権と領土保全を侵犯する言論を繰り返した。楊潔チ外相は中日外相会談で、中国側の釣魚島問題における原則と立場を説明し、釣魚島と付属の島が中国固有の領土であることを強調した。その後、日本側はさらに、外相会談の内容について真実と異なることを流布し、両国の東シナ海問題の原則と共通認識を実行に移すという中国側の立場を歪曲した。日本側のあらゆる行為は衆目が認めるように、両国指導者のハノイでの会談に必要な雰囲気を壊すもので、これによる結果は日本側がすべて責任を負わなければならない。

 このように双方の主張、説明をつきあわせてみると事態の背景を解析する重要な示唆が見えてきますが、その前に記憶しておかなければならないのは29日午前行われた日中外相会談の後、カメラの前で「大変いい雰囲気の中で淡々としかしお互いの言うべきことは言う、前向きな議論ができたのではないかと思う。おそらくこのハノイで日中首脳会談が行われるだろう」と語った当の前原外相が、その後首脳会談が見送りになるのではないかという局面になると、この首脳会談の帰趨について、しれっとして「中国側に会談する意思があるかどうかだ。こちらは冷静に対応していく」と記者団に述べたことです。

 重ねてですが、ここで重要なことは、中国外務省の胡正躍次官補が「日本側が会談を実施する雰囲気を壊した」と指摘したことをどう解析するのかです。

 しかし、知ってか知らずかはわからないのですが、政治家はもちろんメディアも、必ずしも的確な解析を提示していません。
 「知ってか知らずかはわからないが」というのは、政治家やメディアのなかには本当に無知というか考えも及ばずに語っているものもあるのでしょうが、中には確信犯というべきか、わかっていて意図的に知らんふりを決め込んで事態を捻じ曲げているケースも否定できないからです。
 しかしここでより根深い問題は、そういう悪意にもとづいたものよりも「無知」と浅薄な解釈、解析にもとづく言説だというべきです。(悪意にもとづくものはわかりやすいので対処法も明らかですから・・・)

 もちろん、福山官房副長官が言うようにガス田問題にかかわる「根拠のない報道」が要因のひとつであることは否定できないでしょう。

 中国側がきわめてセンシティブな問題と位置づけている東シナ海ガス田開発問題をめぐって「前原誠司、楊潔チ両外相が交渉再開で合意した」とAFPが伝えたことをいうわけですが、日本の外務省が急きょ「合意した事実はない」と抗議し、AFPも修正記事を配信しています。

 しかし、だから中国側の「誤解」だ、あるいはそこから「横暴な中国」という言説に跳んでいくことでいいのか、ここが重要なところです。

 さらにいえば、
 「中国国内で反日、あるいは温家宝首相への批判が強まっているという国内事情があるので、それを日本側のせいにしてかわそうとしている・・・」
 「前原が悪いという、前原のせいにしてしまう構図を作ろうとしている・・・」
 という言説に落とし込んですべてを説明するということで本当にいいのかということです。

 けさから昼にかけてのテレビ番組の中では識者然とした大学の特別招聘教授という人物が「要は中国の内部問題なのだからあたふたする必要はない」とコメントしたり、「温家宝が菅さんから逃げ回っているのだ。2人が笑って握手している写真を中国国内で出せない。だから中国側が勘弁してくださいという状況だ・・・」と解説する記者がいたり、「(前原外相のように)ここまではっきり言う政治家が(ようやく)日本に現れたということだ。これまではニーハオ、シェイシェイだけだった。だから前原外相のせいにしてしまうのが一番いいということ(で中国がやっていること)だ。そういう中国の国内事情があることをちゃんと知らなければならない」と言う民主党の政治家が登場したり、あまつさえ「中国は異質な国だということが世界に知れると中国にとってマイナスになるのだから、(それがあきらかになるように)(ノーベル平和賞の)劉暁波の釈放を国会決議してやって、アメリカと価値観を共有して中国に対抗していけばいいのだ・・・」などとわけ知り顔で語る政治家まで登場して、唖然としました。

 さて、こんな言説ばかりに付き合っているとうんざりしてきますからこのあたりにしておきますが、見落としてはならないのは、中国の胡正躍外務次官補の発言にある「東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった」という問題です。

 すでに知られているように、ハノイに乗り込む前、前原外相はハワイに赴いてアメリカのクリントン国務長官と会談しました。

 大好きな鉄道模型をプレゼントされて有頂天になったとは思いたくありませんが、会談後の共同会見でクリントン国務長官から、
 「はっきりあらためて言いたい。尖閣諸島は日米安保条約第5条の(適用)範囲に入る。日本国民を守る義務を重視している。」
 という発言を引き出して、「勇気づけられた」と得意満面の笑みを浮かべて語りました。

 さて、ここで注意が必要なのはクリントン国務長官がなぜ「はっきりあらためて言いたい」と言ったのかということです。

 まだ記憶に新しいところですが、日米外相会談は9月23日にもニューヨークで持たれています。 その折、前原外相は、「クリントン国務長官が、尖閣諸島が米側の日本防衛の義務を定めた日米安保条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した」と記者団に発表し、日本では大きく報じられました。しかし、前原大臣の「発表」が日本で大きく報じられたのとは裏腹に、その後、クリントン国務長官が前原氏の言うようなことを言ったのかどうかあいまいであることが指摘されることになりました。

 とりわけ国務省のクローリー報道官が同じ日に、クリントン長官と前原外相の会談について、記者団に対して、米国側は「日中両国の相違点を双方ができるだけ早急に解決するよう前向きに取り組む」よう働き掛けたと語るとともに「われわれは尖閣諸島の主権に関してはいかなる立場も取らない」と述べたことは、前原氏の説明とのニュアンスの違いを際立たせることになりました。
 さらに経済ニュースメディアのブルムバーグやロイターなど、海外メディアのなかにはこの「安保適用」には全く言及のないものもありました。

 厳密に言うと米国国務省と日本の外務省の会談記録を突き合わせない限り、実際のところがどうだったのか、真実はわからないということなのです。

 日本のメディア、新聞と通信社の記事を突き合わせてみると、あくまでも「前原氏によると」というクレジットがつくようなのです。さらに海外メディアの報道なども総合すると、前原氏が、安保条約が適用されるべきだと主張したことにクリントン氏が「(あなたの言うことは)理解する」と返したといった程度のニュアンスだと考えるのが妥当だと言うべきなのです。

 これは重大なことです。前原氏は外務大臣であり外務省の報道官ではありません。なぜ、この会談については報道官になりかわって彼があたかもクリントン氏からそういう話があったというように記者にブリーフしたのか、という疑念が生じるものでした。

 こういう文脈で見ていくと、なぜ、この短い間にあいついで日米外相会談が持たれたのか、それもクリントン氏がハノイに行く直前にハノイならぬハワイでクリントン氏をつかまえて会談しなければならなかったのかが見えてきます。

 そしてクリントン氏が「あらためてはっきり言いたい」と「あらためて」という言葉を使って語った背景がくっきりと浮かび上がってくると言うべきです。

 まさに「事実は小説より奇なり」で、いまや勢いを失った国際スパイミステリーより現実の方が余程ミステリアスでエキサイティングだと言えます。

 しかしこんなことで「面白がっている」わけにはいきません。事態は実に深刻です。

 プレゼントは蒸気機関車の模型だけにとどめておくべきなのでした。間違ってもクリントン氏は「リップサービス」でこんなことを言うべきではなかったのです。
 いや!そうではなくうがって考えれば、情けないことに、いいように乗せられたのは前原氏であり日本だったということすらありうるというべきです。

 なぜかというと、米国務省のクローリー国務次官補は29日のワシントンでの会見で「尖閣諸島は日米安保条約の枠内にある」とするクリントン国務長官のハワイでの発言に中国側が不快感と警戒感を示していることについて「同諸島の最終的な主権について米国はどちらを支持する立場もとらないが、条約上は(米国の防衛義務を定めた)第5条の枠内にあると考えている」と説明したうえで「(尖閣問題は)中国と日本の問題であり、お互いを尊重する対話を通じて解決されるべきだと信じている」と述べたのです。

 密かにほくそ笑むのは米国であり中国だということになるのかもしれません。

 「前原を使って中国にくさびを打ち込んだぜ・・・」としてやったりの米国と、また米国に乗せられて度し難い日本だ・・・と、ちょっと苦々しく笑う中国・・・。

 まさに国際政治の虚々実々のゲームが繰り広げられていることが伝わってくると言うべきですが、幼いと言うべきか蒸気機関車の模型をもらって有頂天になってしまっている前原外相を手玉に取るぐらいは、米国にとって、赤子の手をひねるよりたやすいことだといわんばかりのものだ、と言わざるをえません。

 さらに重要なことは、ニューヨークでの日米外相会談でクリントン国務長官から「安保適用」発言を引き出した後、メディアではあまり重視されなかったのですが、今月15日に前原氏は会見で、月末にハノイで行われる東南アジア諸国連合(ASEAN)会合に合わせ調整している日中首脳会談について、「尖閣諸島は日本固有の領土との立場を堅持し、(日中首脳会談を)拙速に行うべきではない」との考えを強調するとともに、会談の調整のため訪中した斎木昭隆アジア大洋州局長に「焦らなくていい」と指示したと、自ら明らかにしたのでした。

 こうした動きを見据えるかのようにして、中国のトウ暁玲ASEAN大使は22日、日本のメディアと会見して、ASEAN諸国の一部との間で領有権問題を抱える南シナ海を巡り「2国間の範囲での解決を求めるべきだ。米国はこの問題を持ち出すことはできない。どの国が何を言っても、この問題で中国の立場は変わらない」と語って、米国の介入とともに米国をひきずりこもうとする「策動」には決然たる態度でのぞむことを明確にしていたのです。

 これだけの「警報」が発せられていたにもかかわらず前原外相が、不用意にというか図に乗ってハノイでの日中外相会談に臨み尖閣問題を持ち出して、あまつさえなにも省みることなく「おそらくこのハノイで日中首脳会談が行われるだろう」などと、あたかも自分がすべてを仕切っているかのごとく得意然と語るに及んで、日中首脳会談は吹き飛んでしまったということなのです。

 さて、「中国一人と勝負するのではなく、リスクを分散して軍事的にはアメリカと連携してフィリピン、ベトナム、インドネシア、インドなどとも連携して中国と勝負することを考えるべきだ・・・」という、けさのテレビ番組に出演していた民主党の政治家や「アメリカと連携してTTPに参加していけば中国に対する強力なメッセージになる」、「日本が東南アジア諸国と連携することを中国は恐れているのだから、そこを衝くべきだ・・・」といった識者の「見立て」が果たして成り立つものかどうか、すでに答えは出ているのではないでしょうか。

 「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている。・・・中国に進出している企業、中国からの輸出に依存する企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る。・・・中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人よしだ。・・・より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある・・・」と語った民主党の幹部がいたことをどう考えるべきでしょうか。・・・と、このコラムに書いたのは10月9日のことでした。

 「仕分け」などというメディア相手のパフォーマンスにうつつを抜かす程度で満足していればいいものを、この政治家がまたもや飛び出してきて「仕分け」の片手間に、今回の首脳会談中止について、「ひとえに中国側に問題がある。あちら側にやる意思がないので、こちら側から『ぜひやってくれ』というものではない」というコメントを発しています。

 菅首相はなにかというと戦略的互恵関係を深めてとか発展させてと言うのですが、さて、戦略的互恵関係とは何を意味するのか。日中関係の歴史にまでさかのぼって明確に認識できていればおのずと今回のように尖閣問題を「問題化」させることもなかったでしょうし、日中関係を根底的かつ危機的に揺さぶる事態を招くこともなかっただろうと思います。

 また、上に引いたようなレベルの低いコメントを発する政治家を党の枢要な役につけることもなかったでしょう。

 ただし、今回の事態は実に「不幸」なことですが、皮肉なことに、物事はなにも負の側面だけではないでしょう。

 ここで中国と真正面から向き合うということはどういうことなのかをしっかり「学習」して、まさに思想と哲学そして深い経綸をもって日中関係を考え、それに基づいた政策を立て、政治決断をしていくことにつなげていくことができれば、まさに災いを転じての謂に沿った将来につなげることができると考えます。

 ただし!それが前原氏や菅総理大臣らにできるとはとても考えられませんが・・・。

 それにしても政権交代とはなんだったのか、日本の病は度し難いところに来たと言わざるをえません。

 そして、ここでもやはりメディアに携わる者は心してかからなければならないと考えます。
 このままでは日本の行く末を誤らせかねないミスリードにつぐミスリードになりかねないと言うべきです。
 


posted by 木村知義 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月25日

朝鮮の地に立ってB

(承前)
 ところで、朝鮮の経済について考える際、私たちに、というか私にはなかなかわかりにくい問題がいくつも出てきます。まず、社会主義経済の基本的な仕組みについて、書物などからの、それも少しばかりの知識はありますが、そうした社会で暮らしたことがないので実体験としてわかるということがないため、話を聞いてもなかなかピンと来ないものです。   


 私は、一応、経済学を学んできたのですが、ゼミのテキストは、いまはもうほとんど見向きもされない「資本論」(最近はファッションのように新書や漫画本で話題になっているので奇妙な気がします)でした。それもまあなんとか最後まで読んだというか目を通した程度で自信はありません。ただ、価値法則から再生産表式ぐらいまではなんとかおおむねのところは理解しようと努力したので一応の知識はないわけではないと思っています。

 しかし、社会主義経済とその下での生産方式と分配、とりわけ貨幣、賃金と物=商品の関係については具体的な仕組みやそこに存在する問題や矛盾について、実感としてはわかりません。

 こんなことを書くのはなぜかというと、話しはまわりくどくなりますが、時代は少しさかのぼります。

 朝鮮の経済問題について当事者の話に直に「触れた」のは2002年のいわゆる「七・一措置」と呼ばれた「経済管理改善措置」が実施されることになり、朝鮮から経済部門の高位の幹部が訪日して話をする場に「居合わせた」ことが最初でした。
 その折のメモなどをどこにしまいこんだのか、いますぐ見つけることができないのでぼんやりとした記憶しかないのですが、高位の朝鮮当局者が訪日して日本の経済関係者に朝鮮の「経済管理改善措置」について説明する会合がもたれるということを、どこかから耳にして、主催者を探して聴講をお願いしたのでした。メディア関係者の聴講は断りたいというのを無理に頼み込んで、オフレコを条件になんとか聴講を許されたのでした。

 会場には日本の企業(特に朝鮮に債権を持っている企業のようでした)関係者をはじめ在日朝鮮人の企業、商工関係者が集まっていたように記憶しています。その場でかなり詳しく「改善措置」について説明があったのですが、正直なところさっぱりわからないというのか、話の筋はちゃんと聴いているのですが、一体なぜこういう「改善」が必要になり、この「改善措置」によって何がどう変わっていくのかがピンとこないのでした。

 私が経済の実務に疎いということが最大の原因だったのだろうとは思いますが、朝鮮で何が起きているのかということが体感として理解できるというところに至らなかったのです。

 しかし、ひとつだけ、私なりに理解したのは、社会主義経済の下で価値法則にもとづいて、商品経済、市場経済の要素を取り入れ拡大していくということなのだろう、ということでした。多分、実態としては「起きていた」ことを制度上追認するとともに、より踏み込んで「改革」するということだったのかもしれません。

 朝鮮の内部的要因もあるかもしれませんが、それと不可分の問題として、なによりソ連の崩壊にともなう社会主義圏とその国際的な市場の消滅という要因が大きな引き金になって、なんらかの「経済改革」を余儀なくされたというものではないかと考えたものでした。いずれにしても、社会主義計画経済ではうまく回らない実態があり、市場経済の要素を取り入れていく、もしくは拡大していくことに舵を切ったという意味で、その当時はあまり注目されませんでしたが、朝鮮にとっては大きな転換点だったのではないかと感じています。

 その意味ではメディアや研究者は直近の「デノミの失敗」を言う前に、2002年の「経済管理改善措置」に遡って朝鮮経済と社会、そして庶民の暮らしの変化というものをつぶさに検証しなおすことが必要ではないかと思っています。

 そのことを押さえた上で、今後の朝鮮の行方を正確につかんでいくためには、現在の朝鮮経済の実態について、さらに深く考察、分析が必要になると痛感します。そう考えると、詳細な情報と実際に即した理解、認識が不可欠だと思うのですが、そうした問題意識を満たすだけの情報は、今回の訪朝では得られませんでした。

 もちろんせいぜい一週間あまり出かけたからといってそうしたことがすべて見えてくるということなどありえませんから、仕方のないことですが、一方では、一例を挙げれば、庶民の暮らしへの市場経済の浸透、拡大といったミクロな経済にふれる見聞はできるだけ避けたいという考えが、受け入れ側にあったのではないかと感じました。   

 しかし、メディアによくありがちな「覗き見趣味」という次元ではなく、今後の朝鮮の行方を過不足なく、誤りなく理解し認識を深めていくためには、ヒアリングに応じてくれた経済専門家の話しにあるようなマクロな問題にとどまらず、企業の生産現場や庶民の暮らしの実態に直に接する機会を持たないと全体の方向性がわからないということではないかと、これは受け入れ側にとっては「不遜のきわみだ」と思われることかもしれませんが、折角の機会をどう生かしていくのかという視点からは今後の課題として残ったと思いました。

 それはそれとして、わからない、ピンとこないという問題に戻ると、その最大の疑問のひとつは、民生の向上という課題と配給制度の関係です。メディアなどでは、90年代に配給制度の崩壊がいわれ、商品経済の浸透とそれがもたらした貧富の格差の拡大がしばしば取り上げられています。すでに書きましたように今回の経済専門家からのヒアリングは、本当に残念なことに、次の予定の関係で時間が限られていて、どんな質問にも間髪を入れず的確、具体的に答えてくれる実に優秀な専門家だったにもかかわらず、聞きたいことの百分の一も聞けなかったという悔いが残りました。したがってこれからの感慨は車窓などからの遠望にもとづく推測の域を出ないことをお断りした上でのことになります。

 まず、2002年の「改善措置」以降、多分商品経済―市場経済のセクターが拡大したであろうことは確かだと感じました。17年ぶりの平壌は、見違えるほどあちこちに「商店」が増えているだけではなくそれらに賑わいが見て取れました。加えてスタンドのような店が随所にあり人だかりもかなりのものでした。それらの位置づけが正式に認められたものなのかどうかは確かめていませんが、少なくともかつては「不法」なものとされていた市場経済の要素を認めざるをえないところにきていることは確かだと思います。平壌駅からほど近いところにできた水色の大きな屋根の市場の前を通りかかったのですが下車して見ることはできませんでした。しかしこうした市場が活況を見せるというのはすでに商品経済―市場経済が生活の一部に浸透してきている証左だと思います。

 配給についていえば、今現在どうなっているのかは確認できませんが、従来の配給制度も、たとえば食品の品目毎に指定された券かなにかを持っていけば格安の値段で手に入れることができるといった性格のもののようでしたから、まったく貨幣を介さず配られるというものではなかったと考えられます。(ある品目について、ある時期までは無償で配給されたということもあるようです)

 いわば二重価格のような仕組みのなかで、配給と同時に余力のある人は貨幣でより多くあるいはより多様なものを手に入れることができるということだったのではないかと想像します。

 すると、現在はそうした配給の仕組みはほぼ機能していない、あるいは貨幣経済―市場の論理で日常生活が動いているという状況だと考えるほうが自然なのかと思います。であればこそ、朝鮮といえども市場経済の流れを押しとどめることは無理で、早晩、市場経済の論理が社会を覆うということを前提に今起きているさまざまな社会現象を解析するほうが実態に即した分析が可能になると考えます。

 これを書きながら、数年前のことだったと思いますが、長く朝鮮との貿易に携わってきて、私にいくばくかの信頼を置いてくださっていた方が、出張で出かけた朝鮮から帰国した折「どうも生活が大変な状況のようだ。食糧の困窮が広がっている。地方に行ったが、これまでは私的な商売をしたり作物をつくったりして売るということは不法だとされてきたのが、いまはもうそんなことも言っておられず、どうも私的な経済にゆだねざるをえないというところにきているようだ。また食糧を手に入れるために移動が必要不可欠となり、従来、列車などで移動する際必要だった証明書は有名無実になっている・・・」と話してくれたことを思い出します。また「農民も自分で作物をつくり食料を確保するということが黙認されているようだ・・・」と言う話も聴きました。

 ずいぶん前の話ですが、こうした「実態=現実」と「建前=外形」の乖離をどのように埋めて本当に力強い経済をつくっていくのかが、強盛大国への扉を開くとしている2012年に向かう際には大きな課題になるだろうと思いました。


 さらに、民生の向上を掲げるとき重要なことは「格差」の拡大をどうしていくのかという問題があると思います。どういう仕組かはわかりませんが、市場経済の要素が拡大するなかで、うまく儲けることのできる人とそうではない人の溝が深く、広くなっているのではないかと思います。

 昼食のため静かな公園の丘の上にある白亜の館とでもいう趣の瀟洒なホテルのレストランに入ったときのことです。レストランの内装や造り自体想像をこえる洒落たもので驚いたのですが、そこで食事をする客層にはさらに驚きました。喩えは陳腐ですが、銀座の高級ブティックから出てきたといわれても不思議ではない装いの夫人たちとその娘さんと思われるグループがテーブルを囲んでいたりして、一体どこにいるのだろうかと思ったものでした。食事をしながら気になって注意していたのですが、結局どういう人たちなのかはわかりませんでした。ただ、うっすらと流れてくる低い声の会話のなかに一瞬、若い娘さんが日本語の単語のようなことばを交えたような気がしたのですが、あるいはまったくの気のせいかもしれません。ただ、こういう優雅な昼食の時間を過ごす階層の人たちがいるということもまた朝鮮の現実だと知ることになりました。

 これはある意味では極端な例かもしれませんが、もっと一般的には平壌市民と農村部の人たちの格差の問題が重要だと思います。

 平壌市街から少し出ると農村地帯が広がりますが、車窓から目にするそうした農村部の人たちの暮らしぶりとの落差はかなり大きいのではないかと感じました。もちろん農作業に従事するわけですから普段着飾っていることはできませんから、単に外見的な服装などだけを比較するのは控えるべきでしょう。
 しかし、私には明らかに暮らしの格差というものが感じられ、いささかやるせない気持ちになったことも確かです。

 ただし、貧しいことが罪であるわけはなく、どの国も、どの国民にも貧しい時代があり、そこから国を豊かにし、暮らしを向上させてきた歴史があるわけですから、朝鮮もまた民生の向上をなによりも重要な課題として認識し、目標に掲げているのだろうと思います。

 それだけの理解を前提に、私が気になったのは農村部を走る車窓から見た、そこを往来する人々の表情でした。どこか諦念というか、目の輝きが乏しく無表情に感じられたのは、私だけの感慨だったのだろうかと、いまも思い返すのです。

 ここで突然、1980年代後半の上海に時と場所が跳びます。中国が、改革開放が本格化していくとば口にあったころのことです。

 そのころ、日本企業の中国事務所長として北京に長く駐在して仕事をしてきた友人と杭州から上海に旅をしたことがありました。この友人は、旅の途中出会う中国人とは当然のことながら中国語で話をしますが、時折私にむけて話す際日本語をまぜて話すことがあり、中国人から「おまえは日本語が上手いな、どこで勉強したのだ・・・」と聞かれるぐらい中国語が堪能で、生粋の北京人と思われることはないようでしたが、まあ少し田舎のなまりがある中国人だと思われるぐらいには中国に溶け込んでいる人物でした。

 足の踏み場もないほど混雑する硬座車に立ったまま冷房もない真夏の列車の旅を耐えて上海に着いた翌日、開店して間もなしの、フランスの高級レストランで食事をすることになりました。この店は東京の銀座に開店したときも話題になったぐらいですから、上海でも当然注目を集めていました。

 タオルを首に巻いてだらだら流れる汗に耐えて大げさではなく泥々になって列車に乗ってきた前日の旅とは大きな落差のある食事でした。

 席について注文を終えて、料理が運ばれてきたときなぜか異様な感覚に襲われ、ふと目を外にやると、天井まで大きく窓の開いたレストランのガラス一面にべったりと張り付いた大勢の老若男女の食い入るように見つめる目が、私の目に飛び込んできたのでした。私は臆してというよりなにか申し訳ない気がして「これは食べられないね・・・」とつぶやいたのでしたが、その友人からは意表を突くようなことばが返ってきました。
 「なに、気にすることはない。連中はきっといつか俺たちもあの料理を食べてやるぞって思ってああやって張り付いてるんだ。見せつけてやればいいんだよ。するとやつらも絶対這い登ってやるぞって闘志を燃やしてがんばるもんだ。それも中国のためというもんだ・・・」

 正直、私はことばもなく、このあと料理がのどを通りませんでした。味もなにもあったものではありませんでしたし、永年の友人でしたが、こいつはなんてことを言うんだと思ったものです。しかし、いまの中国を見るとき、私のヒューマニズムらしきものなど本当に甘っちょろいものだったと思うのです。友人の言うように、まさに中国人たちは、いつかはきっと!という一念でひたすらがんばってきたのだと思います。その意味では友人の言ったことは一面の真実を衝いていたと、いまになって思うこともあります。もちろん賛否は別ですが・・・。しかし、あの上海の高級レストランのガラスに張り付いた目のぎらつきを今はその当時とは全く違った感慨で思い起こすのでした。

 さて、なぜこんな思い出話を書くのかというと、朝鮮で、特に農村部で見た人々の目にはそのときのようなぎらつきがなく、どこか静かな諦念といった趣がただよい、ある時には色濃く疲労を宿した表情に映るものがあったと言えなくもないからです。

 もちろん民族性の違いというものもあるかもしれませんし、だれもがそんなぎらぎらした情念を表に表わすものではないかもしれません。
 あまりにも私の独断、情緒に過ぎると批判されるかもしれません。

 しかし、私には上海で見た人々の目に宿るものと今回の訪朝時のそれとの違いがどうも気になって仕方がないのでした。民生の向上を掲げるかぎり、こうした庶民にこそ、その成果、恩恵がもたらされるようにと念ずるばかりです。

 話が情緒に流れすぎたかもしれません。しかし、これもまた朝鮮の地を踏んだ私のいつわらざる感慨の一断面でした。

 ただし、では日本ではそうした目の輝きが見られるのかといえば、はなはだこころもとないということも忘れてはならないと思います。
 それだけのわきまえを持ちながら、さらに「車窓からの考察」を考え続け、深めていく作業が必要だと感じています。

(つづく)



posted by 木村知義 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月20日

朝鮮の地に立ってA

(承前)
 朝鮮が「2012年、強盛大国への大門をひらく」という目標を掲げるとき、「経済を一新」して「人民の生活向上のために決定的転換をもたらす」ことが最大かつ喫緊の課題であるとしていることが、ヒアリングした朝鮮社会科学院の経済専門家の話から伝わってきたわけですが、これは金正日総書記から後継体制に安定的に引き継げるかどうかの重要なポイントになるという意味でも、いまの朝鮮の最重要の課題だと言えるでしょう。
 
 その意味では、朝鮮の経済の現況とこれからの目標、課題について、この専門家はきわめて率直に語っていると感じたものです。
朝鮮側のコメントを引くと、すぐに「北朝鮮のプロパガンダだ・・・」などという没論理というかまったく無内容かつ低次元の非難が寄せられたりするのですが、一回目の内容を注意深く読み込んでいただくと、きわめて示唆に富む内容であることがわかると思います。

 一見、過剰なまでの自負と自信にみちた「大言壮語」と見えなくもない言説でも、深く読み込むと、いま朝鮮に何が欠けていて、何をしなければならないと考えているのかが如実に見えてきて、この経済の専門家にとどまらず、この後紹介していくことになる外交、安全保障の専門家なども含め、ここまで率直な話に直に接することができたことは、私にとって、今回の訪朝は無駄ではなかったとしみじみ思ったものです。

 同時にまた、朝鮮は「変わらない」とともに「変わりつつある」、否!「変わらなければならないと考えてもいる」という実感を深くしたものです。ここがとても大事なところだと思います。

 要は、読み込みの深さと読み解きの力量(読解力と分析力)が問われているのだと思います。
その意味では、私の「読み解き能力」では及ばないところが多くあるかもしれないという畏れを抱くがゆえに、分析、判断の材料としての「一次情報」をできるだけ忠実に提供して読者のみなさんとともに考え、深めていきたいと考えているのです。

 この訪朝報告を読んでいただく際の基本的視座として受けとめていただければと考えます。

 さて、「民生の向上」を言うとき欠かせない最重要の問題、農業、食糧問題です。
 まず、前回からの経済専門家の話に耳を傾けてみます。

 農業では食糧問題を自力更生する原則にもとづいてヘクタールあたりの収穫を高めることにいちばん力を入れている。特に重点をおいているのは種子革命だ。30年以上の研究によってイネの雑種生産(注:時間の関係で詳細について確認できず)に成功し、作付面積を広げている。1ha当たり10トンの収穫が可能になった。
 また、トウモロコシ、大豆の種子の改良にも力を入れ、特にジャガイモはha当たりの収穫量が高い種の改良に取り組みha当たり40トンから60トンの収穫が可能になった。ジャガイモ生産革命を積極的にすすめている。収穫量も高まり栽培面積も飛躍的に増えている。まもなくアジアの「ジャガイモ王国」になるだろう。
 (コメでは)二毛作を奨励して積極的にすすめている。北半分は山岳部が多く85%をこえており平野部は15%にも満たないので耕地面積が限られている。最近10年間、二毛作をすすめるたたかいを行った。耕地面積を広げるためのたたかいも積極的に取り組んだ。開墾、干拓をすすめ、このたびテゲ道干拓地が完成、8800haの干拓地ができた。国内のひとつの郡の面積に匹敵する農地ができたことになる。
 また、特に重要なことは農業生産に欠かせない肥料の生産基地のしっかりした土台ができたことだ。ナムン青年化学連合企業所で石炭ガス化による肥料生産工程が開発されたことによって今年4月から新しい生産技術による尿素肥料生産が正常化されている。以前は原油を輸入してそこからできるナフサを使って肥料を生産していたがこれからは我国に豊富な石炭を活用して年間数十万トンの肥料が生産できるようになった。ハムンにもガスアンモニア化による肥料生産工程ができ、ここでも肥料生産ができるようになった。来年からは肥料については心配する必要がなくなった。今年までは肥料について少しばかり輸入が必要だった。
 有機農法を積極的に奨励しているが、やはり化学農法も適宜、組み入れる必要がある。今収穫期に入っているが今年の農作物の出来は良かった。トウモロコシ、コメも良かった。しかし8月末に大雨があり、被害が多少出たところもある。穀倉地帯で少なからず被害が出ている。被害状況は収穫が終わってみなければわからないが、今後の農業の展望は非常に明るいといえる。
 トラクター製造工場も高い水準で近代化された。ここ十数年、土地の規格化をすすめてきたので農村作業の機械化に有利な状況がつくられている。

 農業については、要旨、このような話を聴きました。

 順安空港に到着してから平壌市街に入るまでの田園地帯、あるいは開城に向かう際や平壌郊外の徳興里にある高句麗遺跡の見学に向かう農村地帯など、随所で秋の収穫作業が見られました。
 
順安空港から平壌市街への沿道の稲田    開城に向かう高速道路沿いの稲田
 私は農業の現場や営農技術について専門的な知識がないので軽々には言えないのですが、収穫作業の様子を移動の車窓から眺めながら、「今年の農作物の出来は良かった」というこの専門家の話は話として、実際のところはイネの実りはすべてが順調というわけにはいかないのではないかと感じました。
 というのは、あくまでも私の見た限りでという限定詞つきですが、ところどころに倒伏したものやイネの根元に水がたまって排水されていない状態の田んぼなども散見され、背丈や穂の状態などイネの生育状況が気になるものが見られました。

 食糧問題は、特に90年代からずっ深刻な問題として国際社会からの支援の対象となってきたのですが、車窓からとはいえ、農村の田畑の状況や農作業の様子を見ながら、もちろん当座の支援としてはコメをはじめ食糧を送って人々の生活を支えることが肝心だとは思いますが、長い目で考えると、朝鮮の自然環境を破壊しないということに注意を払いながら土壌改良と田畑の基盤整備、そして農薬、肥料、農機具など農業生産の基盤を強化するための国際的な支援こそが重要ではないかと考えました。

 もちろんこの専門家の言うとおり「来年からは肥料については心配する必要がなくなった」ということであれば肥料については考える必要はないのでしょうが、その部分の精査も含めて、農業生産力をどう再構築するのかという観点から、専門家の協力が不可欠ではないのかというのが、農村・田園地帯を望見した私の感慨でした。

 ただし、ここで「問題」になるのが、私にとって十分理解できていない「チュチェ式」(主体)であり「ウリ式」(われわれ式)という考え方かもしれません。
 もちろん自力更生という考え方は大切ですし、そうあるべきと期待もします。したがって外から一方的に農法を押し付けたり、朝鮮の自然環境を無視した土壌改良や基盤整備を持ち込むことがあったりしてはならないことですが、少なくとも無理な連作や密集栽培などで土地の力が衰えていたり、山を育てること(植林)と農業環境の連鎖、連関が崩れていることなど(遠望ですが、木のないむき出しの山肌が随所に見られ、少なくない山では土砂崩れの跡なども散見されたものです)を考えると、農業生産力再生への課題は、これまでの朝鮮の農業の検証、総括に立って、外の専門家の助言や技術にも耳を傾ける必要があるのではないかと思いました。

 アジアに冠たる「ジャガイモ王国」はそれとして、民生向上のもっとも基幹となる食糧問題の解決、改善にとって、いま何が必要なのかという観点から外の専門家との協力関係を築くことは重要なテーマではないかと考えます。

 今回話を聴いた経済の専門家は農業専門家ではなかったからなのかもしれませんが、工業部門の話に比して、農業については「苦難の行軍」から抜け出て新たな飛躍、発展をめざす力強い胎動というのか迫力というものがいまひとつという感じも否めず、農業・食糧問題に立ち向かう上での具体性が像を結ばないという感じも否定できませんでした。
 もちろん時間的な制約でそうなったということが第一の要因かもしれませんが、少しうがった見方になる恐れを覚悟の上で言うと、過去には、朝鮮半島の北半分は鉱工業、南半分が穀倉地帯、農業という地域的な「棲み分け」の歴史があり、自然条件など、どうしても北での農業には一層の困難を伴うということもあるのではないかと考えることがあります。
 それだけに、当面はすぐ役に立つ食糧支援が最重要の課題だとしても、国際的な支援、援助のあり方について今一度検証しながら、農業生産力の再生をどうはかるのかという観点から考えてみることが大事ではないかと、素人ながら考えたものでした。

 農業問題をめぐる「感慨」に終始してしまいましたが、農業・食糧にかかわる国際的な支援のあり方についての問題提起として、ぜひ多くの方に考えていただきたいと思います。

 さて、こうした経済の専門家からのヒアリングとあわせ、平壌郊外にある最新鋭、最先端の果樹農園、大同江果樹総合農場に足を運び見学しました。
 
見渡すかぎり農場・大同江果樹総合農場  昨年春植えたリンゴの木に早くも実がついた
 ここは1000ヘクタールという広大なリンゴ農場で2008年暮れに農場の造成工事がはじまり、深さ60センチ幅1メートルの穴を掘り土20センチ、有機肥料を40センチ積んで、昨年の3月から4月にかけてイタリアから導入した32万本近くのリンゴの木をはじめ数百万本の植え付けをしたということでした。普通は3〜4年は収穫できないものが有機肥料を入れるという独自の営農技術で早くも5月には花が咲き、8月下旬には62トンのリンゴが収穫できたという説明でした。
 昨年11月末には金正日総書記が現地指導に訪れて「大満足」を表したといいます。農場には1000トン規模の肥料を生み出す豚の飼育場や5000トンの貯蔵能力をもった加工場、さらには農場で働く1000人余の人たちの住宅から託児所、幼稚園、学校なども備わっている朝鮮最先端の総合農場だということでした。
 2012年には108種、3万5000トンのリンゴの出荷を見込んでいるということです。
 果樹農場になる前はコメ、トウモロコシを作っていたということですがhaあたりのコメの収量が5〜6トンと低いレベルだったということでリンゴへの転換がおこなわれたようでしたが、金正日総書記の指示でさらに面積を拡大することになっているということでした。
 画像は小さいのでわかりにくいと思いますが、農場全体を見下ろす丘の上に立ってみると、ずっと向こうの丘の麓まで見渡す限りリンゴ園が続いていてなんとも壮観でした。
 ただし、日々の暮らしに108種類ものリンゴが必要なのか、いまの朝鮮の食糧事情をふまえて、本当にイネからリンゴに作付け転換することが良き判断と言えるのだろうか、あるいは、リンゴ栽培の営農技術に知識がないので確かなことは言えませんが、リンゴ栽培ではこれほどの密植でも大丈夫なのだろうか、などといくつかの疑問が湧き起こりました。
 2年後の2012年に一体どのような農場に成長しているだろうかと考えながら、広大な農場内の移動のために大型バスが運行されているこの総合農場を後にしました。

 このあとも、民衆の暮らしに目を向けて、食糧問題、農業や農村問題の視点を忘れず朝鮮を見つめ、訪朝報告を書き継いでいこうと考えます。

(つづく)

posted by 木村知義 at 01:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月18日

朝鮮の地に立って@

 すでに書きましたが、9月25日から10月2日まで朝鮮半島問題をテーマにするジャーナリストグループの一員に加わって朝鮮民主主義人民共和国を訪問しました。
 ちょうど9月28日の朝鮮労働党代表者会をはさんで平壌に滞在することになりました。
       
  
             平壌・順安空港
 その後、10月10日の朝鮮労働党創建記念日にはアメリカ、日本をはじめ海外のメディアが「パレード」を取材するとともに平壌から中継で各種のレポートを発信しましたので、世界はテレビや新聞を通じて「朝鮮の現在(いま)」の断片について幾ばくかのことを知ることになりました。
 「幾ばくかのこと」と書きましたが、これまで情報の乏しかった朝鮮のことですから新鮮な驚きもふくめてずいぶん「多くのこと」を知ることになったと言うべきでしょう。
 にもかかわらず「幾ばくか」というのは、これで「朝鮮の現在(いま)」についてわかったというには程遠いからです。
 
柳京ホテルの建設工事が再開されていた      平壌市街、スローガンの看板
 そこで、今回の朝鮮訪問での見聞をもとに、私の問題意識に即して少しばかりの報告を綴ることも無意味ではないと思い、ここに書いていくことにします。

 書き進めるにあたってまず国名について私の考えを述べておきたいと思います。
 従来から日朝関係に深いかかわりのある人たちは朝鮮民主主義人民共和国の人々の表現にもとづいて「共和国」と語ることが多いのですが、私にとってはどうも馴染みのない表現であるだけではなく国名の表現としては感覚的に「ぴったり」きません。しかし毎度々々、朝鮮民主主義人民共和国と書くのも大変なのでどうしたものかと考えた結果、朝鮮という略称で書き進めることにしたものです。まずこのことをご理解ください。
 日本のメディアでは北朝鮮という表記、表現が一般的ですのでこれを無条件に否定しようというのではありません。しかし、少なくとも国連に加盟し世界160カ国をこえる国々と国交を持つ国ですから、地域を表す「北朝鮮」という表現ではなく国名の略称としての表記、表現を考えることがこの国について何かを語る際の第一歩だという認識に立っています。
 ただし、これは私の認識においてということですから、メディアの記事を引くときなど、さまざまな場面で「北朝鮮」という表記、表現のまま使うこともあり得ますので、そこもまた柔軟に理解していただきたいと考えます。

 さて、今回の訪朝にあたっての一番の注目点は、44年ぶりとなる労働党代表者会の開催で朝鮮労働党の指導体制がどう構成されるのか、あるいはその下で国家や軍の統治体制がどうなるのかということでした。
 
      9月28日党代表者会開催当日平壌市内は祝賀のムードがあふれた
 これについてはすでにメディアで報じられていることですからあえて繰り返すまでもないのですが、金正日氏が再度総書記に「推挙」されたということと三男の正恩氏が朝鮮人民軍の大将に任じられるとともに党中央軍事委員会副委員長、中央委員会委員に就いたということで、正恩氏を後継として、朝鮮が掲げる「2012年に強盛大国の門をひらく」目標にむけての体制が明確になったということでしょう。
 また、国防委員会副委員長の張成沢氏が党政治局候補委員と中央軍事委員会委員に就いて、金正日総書記の後継体制にむけて、ますます重要な役割を果たすのではないかと注目されるところです。

 「政治・思想強国、軍事強国については基本的に達成した。残るは経済強国だ。この三つが揃ってこそ強盛大国の扉をひらくことになる・・・。」
 今回の訪朝ではこうした言説に随所で出会うことになりました。
 これを首肯するかどうか、あるいは賛否、是非をいまはひとまずおいて先に進むことにします。
 そこで、私の問題意識としては、経済という側面から今の朝鮮をどうとらえ、将来をどう見通すのかということが、まず大きなテーマとして浮かび上がりました。ただし、どの問題についても同じですが、短い滞在に加え、なによりも限られた見聞からこうした諸問題について容易にわかるなどということはあり得ません。従って、あくまでもひとつの断面についての考察あるいは感慨という限定詞をつけて受けとっていただければと思います。

 そのような前提に立って、大括りに言って、北朝鮮の「変化」という視角から経済や民衆の様子、中国の存在をどうとらえるのか、朝鮮は「閉ざされた国」なのかどうか、日朝関係のこれからなどについて平壌での見聞にもとづいて述べてみようと思います。
 ここでも、というべきか、注意が必要なのは「変化」というとらえかたです。
 朝鮮は変わらない、あるいは「確固不動」というとらえ方もあるでしょうし、変わろうとしているというとらえ方もあると思います。ここで「変化」というとき、そうした多面的な理解に注意を払いながら慎重に使っていることばだということをまず断っておかなければなりません。
 国名の略称についてもそうでしたが、この報告を書き綴るにあたって前提、あるいは留保という意味で本論に入る前にさまざまな説明が必要になるもどかしさがあります。しかしこれもまた現在の朝鮮の、あるいは日朝関係のありようを反映したものというべきで、煩雑ではあるが致し方ないと考えます。ただし、本来的には、一日も早くこうした前提、留保なしに端的に語ることのできる日朝関係にしていく必要があると考えます。

 さて、まず経済です。平壌でヒアリングと少しばかりの意見交換の機会を持った朝鮮社会科学院の経済専門家は「新しい世紀に入って政治思想強国を建設し、核抑止力を持つことで軍事強国となった。経済強国を建設すれば強盛大国のすべてがそろうことになる」とした上で経済強国を建設するための当面の目標は3つあるとして、要旨以下のような話をしました。
 まずはこの専門家の話に耳を傾けることにします。
1.かつての最高生産水準を突破することが第一の目標だ。過去の最高生産水準は1980年度である。その後1990年代に米国による経済封鎖と社会主義市場の崩壊によって、経済的に苦難の時代(苦難の行軍)を経なければならなかった。このときに経済が衰えたが、この10年の間で経済的飛躍をもたらすことの出来るしっかりした物質的土台を作ることができた。これによって2012年までにかつての生産最高水準を突破する条件ができた。
2.第二の目標は経済のチュチェ化(主体化)、近代化、科学化をおしすすめることによって経済を一新させることである。そのために2つの問題がある。ひとつは経済の自立性を最高の水準に高めること。もうひとつは技術革新をすすめ技術集約型に変えることだ。
3.三番目の目標は人民生活で根本的転換をもたらすこと。食料と一次消費品の問題を解決し、住宅、住環境を画期的に改善することだ。
 このような目標を達成するために今年の当面の目標は人民生活の向上のため決定的転換をもたらすことだ。
 なぜ今年こうした目標を全面的に打ち出したのかといえば、まず、社会主義経済の主な目的が人民の物質的生活水準を段階的に向上させることであるからであり、朝鮮の経済の近代化が21世紀の要求にこたえられる高い水準に達しているからだ。経済建設の技術装備水準の土台が築かれたので人民生活に力を集中できるようになったとして、人民生活の向上について、さらに、主な目標を意味する「主攻戦線」(我々にはなじみのない用語ですが)という表現で「軽工業」と「農業」に重点を置いていると語りました。
 ここに登場する「チュチェ(主体)」という概念への私の理解が十分ではないため、意味するところを完全には理解できていないところもあるかもしれませんが、とにかく民生の向上をめざし、軽工業、農業に力を傾注するという方向性が示されたということです。
 そして、この専門家は「人民生活に必要な日用品の生産を大々的に増やし質を飛躍的に高めること」を目標に挙げ、軽工業の現況について「特に食品加工工場の近代化が飛躍的にすすんだ。平壌の穀物加工工場やメリケン粉加工工場など数多くの食品加工工場が近代化されている。食品加工技術もすべてCNC(コンピュータによる数値制御システム)化された。製品の品種も大きく増え、人民生活に必要な品目を400種増やすことを目標にしている。日用品の製造は去年の同時期に比して、1.2倍になった。なかでも靴は1.6倍の増産だった。」と語りました。
 1990年代の「苦難の行軍」といわれた経済の後退、食糧の困窮といった状況に反転の局面が生まれているということかと感じるとともに、2012年にむけての「意気込み」が伝わってきました。
 ただし「かつての(経済の)最高水準を突破する」という目標にかかわって質疑で「1988年の一人当たりのGNPは2530ドル(1988年当時はGNP統計)、2007年のGDPは163億6000万ドル、一人当たりのGDPは638ドル」ということが示されたのですが、2007年以降の成長を見込んでもあと2年で過去の「最高水準突破」という目標はかなりの負荷のかかるものではないかというのが率直な印象でした。
 もちろん朝鮮の経済統計の信頼性に対する疑義があることは承知していますが、今回話を聴いた専門家の、データもふくめた率直な応答ぶりには敬服したことも確かです。
(時間が許せばもっと踏み込んで意見を交わすことができたのでしょうが、少し惜しまれるものでした。)
 この専門家の話をもう少し続けます。
 人民生活の向上に必要な軽工業と農業生産を後押しするために「4大先攻部門」に力を入れているとして、金属工業、電力、石炭、鉄道の4部門を挙げました。そして「金属工業部門の大きな成果は去年『チュチェ(主体)鉄』の生産システムが完成されたことだ」と語りました。
 我々にはまったくなじみのない「チュチェ鉄」というものについて「我国はコークスがないので金属工業部門で苦労していた。輸入されるコークスの量に見合う生産しかできなかった。60年代から自力技術にもとづく銑鉄、鋼鉄生産努力は重ねてきたしある程度成果も出ていた。しかし社会主義市場があったのでコークスの輸入もできたし科学技術水準がまだ高くなかったので鉄鋼材、金属工業部門で十分な備えをすることができなかった。90年代社会主義市場が崩壊してからは資本主義市場でコークスを輸入しなければならないという非常な経済的困難に直面した。したがって、非コークス化による製鉄生産システムの創造を目標として打ち出し、努力を重ねてきた。現在は生産能力を拡大し、技術水準をさらに高める努力をしている。」という説明に加えて、質疑でその技術的な問題についてさらに踏み込んで「非コークス化」とは「コークスを使わず、無煙炭を使って鉱石を溶かして鋼鉄をつくる新技術だ」とするとともに「コークスを使わないとするとカロリーが足りないのではないか」という日本側の質問に「だから新しい技術だと言っているのだ。我々が完成した『チュチェ鉄』生産システムは酸素溶融炉を回転炉と結合させたものである。酸素溶融炉を動かすためには大量の酸素発生器が必要になる。それを我々の技術で自立的に解決した。ラゴン連合企業所でそのための装置を造っているが、いまは1万5000立方メートルの酸素分離機まで出来るようになっている。」という説明が加えられました。
 
 私にはこうした技術に知識がないので、依然としてこの「チュチェ鉄」については十分理解できていないのですが、コークスを使わずに製鉄が可能となる技術を開発したとなると画期的であることは確かだろうと思います。
 余談ですが、参観のためバスで移動中、かつて朝鮮経済の先導役とされた千里馬製鉄所の近くを通った際、がらんとしていて製鉄所の活気が感じられなかったことから、いまも稼働しているのかを尋ねたところ「稼働、操業している」という返答とともにこの「チュチェ鉄」技術の開発に成功したことに話が及んだのですが、我々への応対、通訳に当たってくれていた受け入れ機関の青年(日本語能力の高さだけではなく実に聡明で優秀な青年でした)が思わず声を詰まらせ涙をうかべて感極まった様子でしたので、「苦難の行軍」から「チュチェ鉄」の開発に至る時代が朝鮮にとっていかに大変であったのかが垣間見えたものです。

 さらにこの専門家は産業と暮らしにとって重要な電力について「(朝鮮は)水力資源が豊富なので、基本は水力資源を最大限に生かしながらそのほかのエネルギー源も組み入れて取り組んでいる。いま、特に大規模水力発電所の建設に力を入れている。今年レソンガン(礼成江)青年2号発電所(注:黄海北道)が操業をはじめたのをはじめ、中小規模の発電所が操業をはじめた。とりわけヒチョン(慈江道)発電所の建設がすすんでおり来年度には操業をはじめることになっている。発電能力30万キロワット、10年の建設期間を短縮して2012年までに完成させることにしている。去年の3月から今年8月までに総工事量の半分を達成した。来年末には工事が終わると予想している。そのほかいくつもの大規模発電所の建設がすすんでいるが、そのうちのいくつかは近いうちに操業をはじめるだろう。」と語りました。石炭生産では「展望のいい」大規模炭鉱の(再)開発をすすめて石炭生産の正常化をすすめており、「今年は去年の1.5倍の増産をみこんでいる。」鉄道は「すべて電化されており、新鋭機関車を開発して導入するとともにレールの重量化をすすめている。」として、「先攻部門」が発展を遂げるにしたがって「全般的な経済の状況が良くなっている」と強調しました。
 
   CNC化された大同江タイル工場、生産ラインとコンピュータによる集中管理室
 こうした内容について、いま十分な吟味、検証ができませんが、少なくとも90年代の経済の「最悪の状態」を脱出して民生の改善、向上をめざして動き始めていることは伝わってきました。

 農業についてのこの経済専門家の話、さらには各所への移動の際に目にした平壌の街や村の様子から受けた印象などについては次のコラムにゆだねるとして、訪朝報告初回の最後に、この専門家が語る現段階での目標と課題について記しておきます。
 今、力を入れている目標、課題として、
1.まず、経済と科学技術で世界的な最先端を突破することを戦略的目標に掲げている。これを実現するために知識経済の時代にふさわしく経済の質的飛躍、質的発展を重要な内容として掲げている。ひとつ、ふたつの個別部門ではなくすべての分野で世界的な最先端を突破しようということだ。経済と科学のすべての分野で連続的、段階的変化と飛躍をもたらそうということだ。最近金正日総書記は新しいスローガンを示した。「足は自分の地にしっかりとつけ、目は世界を眺めよう」というものだ。これは2つの内容を含んでいる。しっかりした自分の精神をもって自分の力で実情に合うものをつくる、ということと、視野を世界に広げて学ぶべきものは学び我々の実情に即して受け入れるべきものは受け入れ、すべての分野で世界最先端を走っていこうということだ。世界的な最先端を突破するという面で最近少なからぬ成果が上がっている。宇宙技術、核技術だ。2回にわたる人工衛星の打ち上げで宇宙技術においてしっかりした技術を確立し、2回にわたる核実験を成功させ、特に核融合技術という、世界でもまだ確立されていない技術において成功を見た。核融合技術は膨大なエネルギーを生み出すので利用の可能性は高い。特に誇ることができるのはCNC技術において世界の覇権を握ることができたことだ。CNCはコンピュータ数値制御のことだが、1970年代に超小型のコンピュータが出て以来、閉塞型の技術開発が続いて30年来、日、米、独などが独占していた技術である。したがって我々が取り入れる際に大きな障害があった。1990年代の半ば、金正日総書記が自らの力と「ウリ式」(われわれ式)にCNC技術を開発し、すべての人民経済をCNC化しようという構想を打ち出し、資金をつぎ込み具体的な指導をした。この10年でCNC工作機械を世界最高の水準のものとすることができ、最近も、「9軸穿鑿加工中心盤」というCNC工作機械の最高レベルのものを作り上げた。CNC工作機械を大量生産して人民経済各分野に供給している。なおかつ化学機械設備、金属機械設備、電気、紡織、食品加工などのすべての分野で全面的なCNC化がすすめられている。その代表的な例としては、2・8ビナロン連合企業所で16年ぶりにビナロンの生産を再開したことで、CNC化された機械設備による生産再開だということをあげることができる。2・8ビナロン連合企業所は大規模な化学工場であり、ビナロンだけでなく染色材、農薬、合成樹脂といった420種類の化学製品を生産している。人民経済の各分野で最新技術を導入することで近代化をとげるということは、(私たちが見学した)大同江タイル工場を見てわかったと思う。タイルの製造はイタリアが有名だがその水準をしのいでいる。最先端技術を発達させる上でいちばん重視しているのは「人材重視論」だ。この「人材重視論」は教育に力を入れ崇高な思想と高い実力を備えた科学技術人材を大々的に育成することと、現場で働く人々の技術レベルを高めることで全般的な科学技術を高めることができるというものだ。

2.経済強国建設で力を入れている二番目の問題は、原料、燃料のチュチェ(主体)化、国産化をめざすことだ。これは経済の自立性をもっとも高いレベルで強化しなければならないという要求から出ていることだ。これまでチュチェ思想にもとづいた経済的自立原則に従って自立民族経済を追求してきた。いま建設をすすめている経済強国とは徹底して自立経済強国をめざすというものである。したがって原料、燃料を外国に依存することはできない。また技術装備のレベルが高くなっているので原料、燃料への需要がさらに高くなっている。生産を正常化し、拡大しようとするなら、原料と燃料の国産化が重要な問題として提起される。この問題の解決でもっとも重要なのは非コークス化と石炭ガス化であり、社会主義経済の生命線としてとらえてすすめている。大同江タイル工場も石炭ガス化によってエネルギー問題を解決している。非コークス化は金属工業部門だけではなく全般的な経済部門で重要な問題として提起されている。

3.次に重要な問題は、豊富な資源を近代的技術で掘り出して近代技術で加工することだ。自力で開発するとともに合弁でも開発しようとしている。とりわけ軽工業の原料をチュチェ(主体)化するために特別力を入れている。化学工業を発展させることで軽工業に必要な原料問題を解決することをめざしており、最近は軽工業の原料問題を解決する上で大きな成果をあげている。2・8ビナロン工場のことにふれたが、それだけでなく、化学繊維工場であるシニジュ(新義州)やアンジュなど、大規模な化学繊維工場の近代化が大きくすすんでいる。我々の原料にもとづいた最先端の繊維原料の開発がすすんでいる。この繊維原料は世界で2〜3カ国でしか造っておらず、すでに生産の段階に入っている。ウールと綿の両方の利点を備えているもっともすすんだ繊維とされている。これも我々の原料で開発し試験的に生産に入る段階に来ている。原料、エネルギーをチュチェ化、国産化すればさらに近代化していく我国の経済に大きな効果を発揮すると考える。

 このように述べた後、外国の投資の受け入れなど諸外国との関係についても語りました。

 経済強国建設において対外経済関係を拡大、発展させる方向にすすんでいるがその際、自主の原則、自力更生の原則にもとづいて自己の経済力によって世界の市場に進出するというものだ。海外経済の元手を拡大するための輸出生産基地を拡大している。世界市場で勝負しようと考えているのは、鉛、亜鉛、マグネシウム、黒鉛などであり、それらを自力で開発し加工して世界の市場で独占しようというものだ。合弁、合作、直接投資も歓迎する。我国は軍事強国であるので、安定的かつ平和な経済活動の環境が整えられている。世界各国の投資家が関心を持って共和国に目を注いでいる。我々もこれにこたえて投資を促進するさまざまな措置をとっている。早期に経済建設を加速させ2012年までに経済強国を建設するための努力を傾けている。

 このように、すべては2012年に照準をあわせて取り組んでいることを再三にわたり強調しました。

 ここに語られた壮大な夢とも言うべき内容をどう分析するのかはこれからの問題ですが、まずは朝鮮の経済専門家が朝鮮経済の現況をどうとらえ、今後についてどのような展望を持っているのか、ヒアリングの内容をできるだけ忠実に再現してみました。
 これらを「大言壮語」ととらえるのか、現実にはじまっている「変化」と考えるのか、難しいところですが、話の随所に正負を含む示唆があることに気づきます。

 続いて、農業についての、この経済専門家の話を記し、その上で私の受けとめについて述べていくことにします。
(つづく)


posted by 木村知義 at 20:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月17日

問われるべきは何か・・・

 訪朝記をはじめなければと思いながらなかなか時間が取れず、その間に書いておかなければならい問題が次々に起きるという、なんともふがいない状況です。

 尖閣問題について先週、ある討論の場に参加しました。
 「我々は中国とよい関係を結んでいこうと努力しているのになんてことをするのだ、背中から冷水を浴びせられた!」
 「これで、これまで親中国だった人もみんな反中国にさせてしまう・・・」
 「こういう中国であれば日本のなかでどんどん嫌中機運が広がっていく・・・」
 議論が始まる前に交わされた雑談のいくつかはおおむねこうした「中国非難の色合い」一色という感じでした。
 
 中国問題では先達というか造詣も深い方々の集まりだと思って末席に加わっているのですが、いささかの違和感を抱きながら座っていたというのが率直なところです。
 
 領土問題、ナショナリズムをめぐる問題がこれほど隠れていた「感情」に火をつけるものなのかと、文献の世界でしか学んだことのない過去の時代の「あれこれ」のできごとを思い出したものです。

 今これらの一つひとつについて詳細に深めている暇がないので控えますが、こういうときこそ、冷静で重心の低い、本質的に深い議論が必要なのだと、これは自戒をこめてですが、あらためて思った次第です。

 ただし、今国会でやりとりされている「柳腰論議」?にみられるような、なんとも言い難い低次元の「議論」を考えると、今回の菅首相―仙谷官房長官―前原外相主導による「尖閣問題」の「勃発」からその後の「展開」に対する本質的な検証を回避し、政権にとって問われるべきことを問われずにすんでいる最大の補完勢力は、他ならぬ、「弱腰外交」「中国への屈服」として攻めたてているひと群れの人々であることに気づいておくべきだと感じます。

 問われるべき本質的な問題は、アジア外交とりわけ中国、朝鮮半島に対する外交に軸がなく、政策がない、もっと突き詰めれば政策の土台になる歴史観、思想、哲学そして経綸のひとかけらも感じられない底の浅い現政権が引き起こした「問題」であるということだと思います。

 「弱腰外交」批判によって、相対論としてあるいは「強硬策よりもましな対処」として「船長を釈放する判断がよかったのだ」という主張に力を与え、仙谷官房長官をはじめとする政権の「対応」を合理化してしまい、本来議論されるべき、対中国政策はどうあるべきで、今回の尖閣問題の「勃発」が現政権の、率直に言えば、前原―仙谷そして菅のトライアングルの、まさに児戯に類する底の浅い「思惑」に起因するものであるという、根源的な問題が問われずにすむという意味で、いうところの「タカ派」がもっともよく菅政権、週刊誌流に言うと「仙谷内閣」を支えているという奇妙な構図になっているのです。

 このようにして本質的な議論にさらされることなく「仙谷内閣」(この表現について「おちょくっている」と会見で仙谷氏は激怒しましたが)が「生き延びる」ことが本当に幸せなことかどうか、早晩結論が出ると思います。

 それにしても、「支那の恫喝に屈して」とか「中国になめられるな!」あるいは「ヤクザ国家、中国・・・」などとあらんかぎりの悪罵を投げつけて溜飲を下げるのは結構だけれども、その行きつく先はどのような「地獄への道」なのか、もう一度謙虚に歴史を学び直すべきです。

 ところで・・・、

 事件が発生した9月7日午後、国土交通相だった、前原は海上保安庁長官の鈴木久泰に電話で強い口調で指示した。
 「一歩も譲るな!」
(産経新聞2010.10.10)

 いま外相の前原氏は、中国人船長の身柄拘束からその後どうすべきかについて官邸に指示を求める「相談」が持ち込まれ逮捕に時間がかかっていたのを「逮捕しろと言ったのはおれだ」と自慢げに話しているというのですから、日本の外務大臣の格も落ちたものです。

 さらに、「事件が起きた9月7日は民主党代表選の選挙戦真っただ中だった。官房長官の仙谷由人が法務、外務両省幹部らと官邸で協議し、逮捕方針を了承した。一方、菅はこの日の夜、代表選候補として民放テレビ番組に出演。公邸には午後11時39分に戻り、眠りについた」が、「衝突事件をテーマにした衆院予算委員会の集中審議を翌日に控えた9月29日午後。政府関係者によると、首相の菅直人は答弁準備で官邸執務室に秘書官らを招集した。政府対応を時系列でまとめた答弁資料に目を通すや、菅はいきなり怒鳴り声を上げた。船長逮捕は9月8日午前2時3分。菅への報告は夜が明けた『午前8時』と明記されていた。『何だ、これは。おれが逮捕後6時間も知らなかったということでは「総理は何をしていたのか」と言われるに決まっているだろっ』野党の追及を懸念した菅は続けた。『いろいろな報告が来るから、誰が何を言ってきたかいちいち覚えていないが、おまえたちのうちの誰かが「そろそろ逮捕します」と言ってきたはずだ。なぁ、そうだろう?』うつむき加減でひと言も発しない官邸スタッフの面々。答弁資料は結局『修正』され、誰が伝えたのか不明確なまま『8日午前0時ごろ、総理に逮捕方針を報告』との一文が付け加えられたという。」(「SANKEI EXPRESS」2010.10.12による)

 政権交代はあったけれども、外交に軸がなく、政策がないまま、ちょっとやってみるかという感覚で「船長逮捕」という火遊びをしてそのあげく政治決断もできず、あたふたと「密使ならぬ密使」を送り日中首脳の「廊下の会談」を演出、裏から手をまわして検察の判断として釈放させるなどという姑息きわまりない体たらくで、しかしいうところの「タカ派」が口をきわめてののしるという攻め手にさらされることで、釈放しないより釈放した方がよかったというだけのことで生き延びる、つまりこういう構図で事態が展開しているのです。
 
 このことを見落としてはならないと考えます。

 私とは立っているところが違いますし、アジア観、中国観も、さらには思想的にも全く立場を異にする人物ですが、保守の論客として知られる京都大学教授の中西輝政氏が実に興味深いことを述べていたことを思い出します。

 「他国との外交でも、菅さんは何の目算もなくくせ球を投げるでしょう。中国や北朝鮮に対し自民党も驚くほどの右寄りの強硬姿勢を取るかもしれない。今月7日尖閣諸島付近で起きた海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件でも、日本は船長を逮捕して船を拿捕し、14人を石垣島まで連れて行った。自民党政権も真っ青の強硬姿勢ですが、これも小沢さんの親中に不満の世論や、中国を脅威に感じている国民が多い傾向に、おもねっているにすぎない。菅さんは政局に平気で外交を利用するのです。北朝鮮への制裁をアメリカ以上に強硬に行うかもしれません。強硬姿勢自体は当然ですが、それは大きな戦略があってこそ意味がある。菅総理は展望がないまま、国内政局目当てに対外強硬政策に踏み込む危険があり、恐ろしい。アメリカに愛想を尽かされ、世界から孤立し、そんなときに中国とコトを構えたらどうなるか。国内政局しか見ない菅総理の重大な盲点です。」
(週刊新潮2010.9.23号)

 もちろん「日本がここまで弱腰であることの要因として、度の過ぎた自虐的な歴史認識が大きい」あるいは「覇権中国」などと友好を語ることなど考えられないとし、そのためにも日米同盟を強固に!といった、中西氏の従来からの「論」のありようと、私はまったく違う立場ですが、それはそれとして、この中西氏の指摘は今回起きた事の実相を言い当てていると思います。

 《A国領土の離島周辺にC国漁船が領海侵犯した。A国政府は抗議したが、島の領有権を主張するC国は対応をエスカレートさせ、島に軍を派遣した。A国は航空優勢を確保する作戦の実施に踏み切った》
 首相、菅直人がブリュッセルで中国首相、温家宝と会談した今月4日、航空自衛隊は日本海でこのようなシナリオに基づく演習を開始した。
 5日間続けられた演習は沖縄・尖閣諸島沖で先月、中国漁船衝突事件が起きた後だっただけに、参加した隊員たちはいつにも増して緊張感を持って臨んだ。
 むろんA国は日本、C国は中国を念頭に置いている。軍による離島上陸前までの想定は、衝突事件をめぐる中国の対応をなぞったようにも映る。
(産経新聞2010.10.14)

 この演習計画は1年かけて練られたといいます。我々の知らないところでこうしたことがすすんでいることに、深い懸念と戦慄を覚えるのは私だけでしょうか。

 なお、では中国のいまの行き方をすべて是とするのかということとは別の問題です。
 しかし、「危険な中国!」などと、まさに「劣情」に火をつける論調からは、あるいは「大国化する中国と対峙するために日米同盟を強化すべし」といった論理では、これからの時代の日本の行くべき道はひらけないことを肝に銘じなければならないと言うべきです。

 日米外相会談の席でクリントン国務長官から「事件を早く解決せよ。すぐに!(アズ・スーン・アズ・ポッシブル)」と迫られたのはほかならぬ「逮捕しろと言ったのはおれだ」と胸を張る当の前原外相だったこと、この直後に外務省職員が那覇地検に出向き「事情を説明した」ことで釈放が決まったということもまた忘れてはならないことだと考えます。

 それにしても、軸がなく、政策のない空虚な政権に外交を委ねなければならない不幸と危うさは深刻だと言わざるをえません。

 中国をあげつらっている場合ではない!というのが今の日本の政治状況ではないでしょうか。

 そして、メディアは伝えるべきことを伝え、語るべきことを語っているのかもまた厳しく問われるべき問題だと考えます。



posted by 木村知義 at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月09日

借り物のことばでなく・・・

 このコラムを書こうとパソコンに向かったところに、ニュースで中国の劉 暁波氏にノーベル平和賞が送られることになったことが伝えられました。
 
 劉 暁波氏をどう評価するのかはそれぞれで意見がわかれることでしょうし、多様にあってしかるべきだと思います。
 しかしメディアで伝えられることに、私は、大きな違和感を抱いたのでした。

 これは本来きょうのコラムで書こうとしていたことと通じる問題なので、ここからはじめることにします。

 私の違和感とは、たとえば「現代中国の専門家」と紹介されてテレビに登場した広く名の知られた中国研究者が、劉 暁波氏へのノーベル平和賞授与は「中国の遅れた政治へのメッセージだ」と語ったことや、それを受けて北京から中継で登場した記者が「民主化を促す世界のメッセージ」だとリポートしたことにあります。

 まず「遅れた」というコメントです。

 私は、さて、一体何が遅れていて、何が進んでいるということなのだろうかとつい考え込んでしまうのでした。

 これが仮にも研究者の言うことなのか、専門家の「ことば」なのかと、それこそことばを失いました。

 中国がいいとか悪いとかを、いま、問題にしているのではありません。
 当然ことながら、中国が好きか嫌いかも関係ありません。
 それこそ多様に意見があってしかるべきだと考えます。

 しかし、中国の政治が遅れていると断じるのならば、何をもって遅れているという概念を措定するのか、あるいは何が進んでいるということなのかを定義することなしに、高みに立って、やれ遅れている、あるいは進んでいるなどというのは仮にも研究者を名乗るならばとるべき態度ではないと、私は思います。

 つまり、このようにして125年前にも「遅れたアジア」から抜け出よう・・・という呼びかけがおこなわれ、そしてアジア侵略の道へと歩みをすすめたのではなかったか、その程度の自己省察は、それこそ、仮にも現代中国の専門家を名乗るならばわきまえなければならない基本中の基本ではないのか、と私は考え込むのでした。

 また、中国を専門とする報道記者が「民主化を促す世界のメッセージ」とこれほど軽々しくレポートする姿に、仮にも北京の地に立って中国から世界を見据え、考え、同時に世界大の視野から中国を見つめるという営為を真摯に重ね、突きつめているとは到底思えないのでした。

 民主化とは何をもって民主とするのか?!
 世界のメッセージ?!
 そこで言う世界とは何をもって世界とするのか?!
 この記者にぜひ聞いてみたいと考えます。

 このような薄っぺらな専門家や記者によって伝えられるニュースとは一体なんだろうかと、私は立ち尽くすのです。

 この人たちは畏れというものを知らないのだろうか、あるいはものごとを突きつめて考えるということとは無縁の暮らしをしているのだろうか・・・・と。
 情けないことです、専門家も報道記者も。

 このようにして、あたかも「客観化」されたかのような「ことば」を使ってものを語る無責任さに日本のメディアの底知れぬ宿痾を見る思いがします。

 さて、ここからが本来きょう書こうとしていたことです。しかし、ここまで書いたことと深くつながる問題だと考えます。

 遠い地で首脳同士が「言葉を交わした」ことで、さしあたりの、事態の一層の悪化をくい止めたかのように見える日中関係ですが、ことはそれほど楽観できるものではないと思います。

 たとえば「尖閣諸島沖の衝突事件で悪化した日中関係について、両首脳は『今の状態は好ましくない』との認識で一致。双方が戦略的互恵関係の原点に立ち返り、政府間のハイレベル協議を進めることで合意した。」と伝えられた日中首脳の「懇談」(菅首相)ですが、それと同時進行する形で「中国との戦略的互恵関係なんてありえない。あしき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制から何から違っている。・・・中国に進出している企業、中国からの輸出に依存する企業はリスクを含めて自己責任でやってもらわないと困る。・・・中国は法治主義の通らない国だ。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業は、よほどのお人よしだ。・・・より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある・・・」と語った民主党の幹部がいたことをどう考えるべきでしょうか。

 実に根深い問題だと思います。

 「悪しき隣人」?!

 これまた125年前に聞いたことばではなかったか、と考え込みました。

 5日のコラムにも書いたのですが、もう一度整理しておくと、領土問題をめぐる争いあるいは国境をめぐる紛争というものはおよそ平和的手段で解決された例は希少で、行き着くところは武力衝突、戦争という歴史を、私たちはいやというほど経験してきています。
従って、問題は、こうした対立をいかに統御し、時間がかかるとしても平和の裡に解決していく知恵を生み出すことが、外交や政治に課せられた課題であり、その任に当たる者のもっとも重要な仕事ということになります。
 このことを十全に果たしていけるかどうかが重要な分水嶺になるということです。

 中国が大国主義的だ、あるいは軍備を増強していることが脅威だ・・・というとらえ方はとらえ方として、ではそれを日中両国の間でどう統御していくのかと考えるのが外交、政治の任に当たる者の責任というべきです。

 両国の国民同士が、いたずらにナショナリズムを刺激したり、時には民族主義的、排外主義的に走ろうとしたりする空気をどのようにして共同して統御、抑制していくのかということをこそ考えるべきなのであって、そうしたいわば「劣情」を掻き立てることがあってはならず、ましてやその尻馬に乗ったり、増幅、拡大したりするようなものであってはならないということです。

 そのことを押さえたうえで、日本が実効支配している尖閣諸島問題をなぜ中国が持ち出すのかについて歴史を深く見つめ直して考えてみる必要があるといえます。

 現在の中国にとって国境とはいかなるもので、国土、領海とはどのような歴史性をもったものなのかを考えることが重要だと考えるのです。

 このコラムは歴史の勉強の場ではありませんし、私が偉そうに歴史について語る資格もありませんが、少なくとも近代中国にとって、たとえばアヘン戦争以来の中国にとって、国境や領海というものが欧米列強の強力なあるいは暴力的な力によって引かれたものだととらえているというぐらいの最低限の認識は欠かせませんし、第二次大戦後、中国大陸では国共内戦が熾烈に戦われている中で台湾という存在が米国のアジア戦略のなかで重要な意味を持ったということ、またそれとの相関関係で、さかのぼる薩摩藩時代の琉球支配の歴史とアジア太平洋戦争以後の米国の沖縄占領という歴史をどうとらえるのかという、歴史に対するきわめて多角的、複合的な視角が不可欠だということを知らなければならないと考えます。

 米国がこの海域をあるいは尖閣諸島を日米安保の範囲にあると言ってくれたとか言ってくれないとかいうような問題に矮小化して一喜一憂するようなことであってはならない問題なのです。

 あるいは、海底資源の埋蔵が浮上したからここが日中の争いの場になったなどということで理解していては事の本質を見誤るということです。

 5日の、あるいはその前のコラムでも現在の民主党政権の外交、あるいは今回の問題に対する対処、対応を厳しく批判したのは、こうした尖閣問題の歴史性を深く認識し、領土をめぐる対立と争いがもたらす「負の歴史」に対する認識やそこに根差す責任感のかけらも感じられないからです。

 従って、とにもかくにもブリュッセルでの「あうんの呼吸の日中首脳の懇談」でなんとか表面的にはつくろったように見えても、本質的にはなにも解決しておらず、「快方」にむかう兆しなどは見えないというべきなのです。

 重ねてですが、少なくとも、ナショナリズムを掻き立てたり、狭隘な民族主義を煽りたてたり、あるいは排外主義的な空気を助長したりするようなことはすべきではなく、対立、紛争をいかに統御するのかということこそが喫緊の課題だということです。

 なお、民主党の枢要をなす幹部の発言にある「より同じ方向を向いたパートナーとなりうる国、例えばモンゴルやベトナムとの関係をより強固にする必要がある」という問題ですが、経済実務家の間ではいわゆる「チャイナ・プラス・ワン」ということでのベトナム展開などは言うほど容易いものではなく、現実問題としてはなかなかうまくいかないということはすでに知られていることです。

 この政治家がいかに実務に疎いのかを示しているというべきですし、それよりなにより「より同じ方向を向いたパートナー」などと言うと相手の方から「いい加減にしてくれ」と言われるのが関の山でしょう。

 なんともこれがついこの間まで民主党の幹事長などという「要職」にあった人物の言うことだろうかと恥ずかしくなります。

 さて、もうひとつ、朝鮮訪問から戻ってまず「いま、北朝鮮はどう考えているのか」として朝鮮外務省スポークスマンの「談話」など3件の文書を掲載しましたが、なぜこうした朝鮮側の「声」を元テキストで読む必要があるのかということについて書いておかねばなりません。

 いうまでもありませんが、イデオロギーや政治的立場、思想的価値観などを同じくして朝鮮の主張をあたかも宣伝するかのごとくこうした原資料を掲げているのではありません。

 これまた繰り返しですが、好きか嫌いか、支持するか支持しないかにかかわらず、その前に、まず相手がなにをどう考えどのように行動しようとしているのか、謙虚に目を見開き耳を傾けることからはじめないかぎり、何も見えてこないと考えるからです。

 このことは、今後、朝鮮訪問についてふれるコラムを発信していく上での基本的立場にも深くかかわるものでもあります。

 今回の訪朝は、44年ぶりとなる朝鮮労働党代表者会の開催のとき同じ平壌の地に立ったという意味では歴史的な経験となったと感じています。

 そしてここから、言うところの「2012年、強盛大国の大門をひらく」という目標にむかって朝鮮がどのように歩むのか、平壌の地に立って、深くかつ時には揺れながら、思いをめぐらしたものでした。

 しかし日本に戻ってから読んでみた新聞各紙、その他のメディアは、金正日総書記の三男正恩氏への「権力世襲」をひたすら批判する、あるいは、ときには揶揄、嘲笑といった論調のものもふくめて、非難、論断する論調が覆い尽くすというべきものでした。
 なかには「拉致問題の解決が遠のく・・・」といったものもありました。

 問題を同じように論じることはできないにしても、私は、日中国交回復まえの中国と向き合い、日中関係そしてアジア、さらには米国というものについて少しばかりものを考えるという体験を経てきました。

 そこから試行錯誤を重ねながら自身のものの見方や考え方を鍛え、少しばかりの原則というものを導き出し、今もそれを自身に課しています。

 その一つは、いかに自分にとって異質に見える、あるいは「なじめない」体制であっても、それを選ぶのはその国の人々であって、外からそこに干渉すべきではない、あるいは私にとってはいかに問題や矛盾を内包しているように感じても、その国のあり方を決めるのはその国の国民であり、民衆だということを厳格にわきまえなければならないということです。

 これは物心ついたころ、そのころはアジア、アフリカから「戦後世界」の新たな息吹が伝わってきて身近に感じられる時代でしたが、民族自決という言葉を知り、新鮮な思いでかみしめたのでした。

 以来、このことばは他国、他者を見つめる際の私の重要な原理原則となりました。

 平たく言えば、仮に他国、他者の体制や為政者がいかに「気にくわない」としても、その国のありようを決めるのはその国に住む人々であって、そこに外から干渉したり、ましてやその体制を変えるべく「動いたり」することはしてはならない、というものです。

 今回の訪朝は17年ぶりの事でしたが、実は17年前の朝鮮への旅での同行者との議論を思い起こすことにもなりました。

 「間違った体制は正すべきで、苦しんでいる人たちを救うのは我々の責任だ・・」というのがその同行者の主張でした。
 私は、「間違っている」と考えるのは自由でありそれぞれの価値観でそう思うのは許されることだろうが、だから外からその国の体制を正すなどと考えるのは不遜の極みと言うべきで、その国のあり方を決められるのはその国の人々以外ないのだ、我々は、そこにわきまえというものが必要であり謙虚であるべきだ・・・。
 言ってみればこうした主張をしたのでした。

 これに対して「ではお前は人々が苦しむのを放っておくのか・・・」という批判が返ってきました。

 苦しんでいると決めることもまた不遜なことであるが、百歩譲って苦しんでいるとして、であれば余計にそこから抜け出すのは、そこで苦しむ人々の手によってなされるべきことなのだ・・・。
 
 議論は平行線をたどりました。

 しかし、私はこの民族自決(当時の新鮮な響きはすでに失われているかもしれませんが)という原則は絶対に捨ててはならないと思い続けて今に至っています。またこの原則を自己に課しています。
 
 それぞれの国に、それぞれの歴史があり、それぞれの思想、価値観があり、それぞれの体制選択がある・・・。
 
 まずそこから出発して、異質なもの、他者性に向き合っていくことが必要なのだと考えます。
 
 そして、そこから相互の対立や緊張を解きほぐし、食糧や医療の問題で苦しむ人々には支援の手を差し伸べていく、そうしたささやかな営みの積み重ねから、いささかでも信頼を生み出し、対立やいさかいを和らげていくことがなにより大切だと考えるのです。
 
 ましてや、侵略と植民地支配という過酷な歴史を押し付けたわれわれです。

 そのことへの深い反省をきちんとした形で示し、歴史をこえていくことを己に課していくことは、いまを生きる私たちの責務だと考えるのです。

 従って、ご家族にとってはあまりにも理不尽としか言いようのない拉致問題についても、まず日本の側が過去の歴史に対する清算をし、国交を正常化をすることで解決の道が開けるのだと考えるのです。

 名を挙げることは控えますが、かつての自民党政権時代、襟に青いバッジをつけていた複数の議員から「本当のところを言えば、こんなことをしているようでは拉致家族を支えるどころか問題の解決を遅らせていることになる・・・」と低い声で語るのを聞いたことを思い起こします。

 そこまでわかっているなら、どうして勇を奮ってそのことを言わないのか、あるいはメディアでもそう思っている人がいるなら、なぜ勇気をもって語らないのか、と考えたものでした。

 それが見識というものであり、政治家の経綸でありメディアに身を置くものの責務というものではないのか・・・。

 まだこれでも言葉を尽くせていませんが、これが朝鮮訪問について今後何かを語っていく、私の基本的立場です。

 冒頭に書いた、今回のノーベル平和賞問題にも深く通底する問題意識だと言えます。

 遅れた・・・??
 民主化・・・??

 さて、あなたはどう考えるのでしょうか。

 借り物のことばではなく、自分の頭で考え、自分のことばで語ってみると、さて・・・。



posted by 木村知義 at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年10月05日

いま、北朝鮮はどう考えているのか?

 (承前)
 ここでは、この間のジャーナリストグループの訪朝で現地に立ってみて今後の日朝関係を考えていく際に必要不可欠、あるいは注意深く読み込み留意すべきだと感じた、朝鮮民主主義人民共和国の外務省スポークスマンの声明や8月末の金正日総書記の中国東北地方への非公式訪問にかかわる報道など3件の文書を掲載することにします。
 示唆するものがとても多い内容だと感じます。
 ぜひ精読、分析をと念じます。

 8月20日朝鮮外務省スポークスマンは全文次のような談話を発表した。(朝鮮中央通信による)

 100年前、日本は武力を動員して強盗さながらの方法で「韓日合併条約」を捏造し、朝鮮を不法に併呑した。
 植民地統治の間、日帝が朝鮮人民に及ぼした人的・物的・精神的被害は計り知れない。幾つかの数字を挙げただけでも、100余万人の人々が虐殺され、840万余人の青壮年が強制連行されて奴隷労働と侵略戦争に駆り出されたし、20万人の女性が残酷な性奴隷生活を強いられた。人類史に植民地時代があったが、日本のように植民地民族の言葉と文字、人の姓と名前まで奪い、家々の茶わんやさじまで強奪していく極悪な民族抹殺と略奪政策を実施した国はなかった。
 敗北後も、日本は米国の手先として終始一貫、朝鮮の統一を妨害して、われわれの制度を圧殺するための悪辣な敵視政策を実施してきた。
 この100年間は日本にとって罪悪の歴史であり、その清算を拒否してきた歴史である。その100年間は、朝鮮人民にとって日本による被害の歴史であり、日本に対する憤怒の歴史である。
 地球上の国と民族が半世紀が過ぎても毎年、第2次世界大戦の惨禍を顧みてその記憶を新たにし次代に譲り渡すのは、ほかでもない軍国主義とファシズムの再生を阻むためである。しかし、日本だけは歴代当局者や現職政治家自体が毎年、敗北日に「靖国神社」にはばかることなく参拝するのが現実である。
 「韓日合併条約」捏造100年に際して、日本の現首相は南朝鮮に対してのみ過去を反省し、わびるとの談話を発表した。日本の現政権が過去の軍国主義政権と本当に縁がなくその復活を夢見ないなら、軍国主義政権のすべての被害者に条件や差別なく過去を反省し、謝罪していてこそ当然であろう。世界が日本の軍国主義再生の危険性について始終、憂慮を解消できずにいる理由がまさにここにある。
 日本は、罪悪に満ちた過去について朝鮮民主主義人民共和国に謝罪し、賠償する義務から絶対に逃れられない。日本は条約ならぬ「条約」を捏造してわれわれの国権を強奪し、朝鮮人民に働いた特大型犯罪について早急に謝罪し、賠償すべきである。そうしない限り、絶対に国際社会で堂々と生きることができない。
 日本は、敗北後に行ったすべての反共和国・反朝鮮総聯策動について誠実に反省し、対朝鮮敵視政策を直ちに撤回すべきである。そうすることが朝鮮の文化的影響を受けて生きてきた日本が守らなければならない最小限の道理であり、自分らの罪過を贖罪する道になるであろう。
 日本は、歴史歪曲と独島(日本名・竹島)強奪企図のような軍国主義復活策動を直ちに中止すべきである。そうしてこそ、地域の恒久平和と安定を図り、日本自体の安全にも有利であろう。
 日本から積もり積もった恨みの代価を必ず受け取るというわが軍隊と人民の意志は確固不動である。
 

 『韓日合併条約』100年で日本の政党に共同書簡 北と南の政党」8月23日【朝鮮中央通信=平壌】

 朝鮮社会民主党と南朝鮮の民主労働党は27日、日本の各政党に送る共同書簡を発表した。その全文は次の通り。
 かつて日本がわが国に対する軍事的占領と植民地支配を「合法化」するために「韓日合併条約」を強圧的に捏造した時から100年の歳月が流れた。
 これを契機に、北の朝鮮社会民主党と南の民主労働党は、これまでの忌まわしい過去を根源から清算し、隣国間の真の関係改善と善隣友好の新たなページを開いていく上で、各政党が担っている重大な使命と責任感から発して、貴政党にこの書簡を送る。
 振り返ると、20世紀に日本がわが民族を軍事的に威嚇、恐喝して強圧的に締結した「韓日合併条約」は徹頭徹尾、不法・非道の捏造文書であって、その虚偽性と破廉恥さは既に歴史的事実資料を通じて余すところなくあらわになり、最近は日本の学界でまでも、この「条約」の不法性を認める主張が相次いで出ている。
 しかし、日本は「韓日合併条約」をはじめ各種の侵略条約を強圧的に捏造し、わが国に対する軍事的占領を「合法化」し、40余年間にわたる最も野蛮な植民地ファッショ暴圧支配を実施し、日本軍慰安婦問題をはじめ特大型犯罪を働いたことに対して誠実な謝罪と賠償をしていない。
 「韓日合併条約」捏造100年に当たり発表された現日本首相の談話も、北を排除した半分の謝罪、徹底した賠償問題の欠如した言葉だけの謝罪であり、こんにちも続いている日本の歴史歪曲と独島(日本名・竹島)「領有権」主張、在日同胞に対する民族差別政策を許す偽善的な謝罪であって、これはわが民族に対するもう一つの愚弄、欺瞞にほかならない。
 特に、「平和国家」を「自負」する日本が、過去の過ちに教訓を得る代わりに、海外膨張と軍国化の道をひた走っており、最近は独島がある朝鮮東海領域で「参観」の名目で、実戦を彷彿させる合同軍事演習に加担したのは、朝鮮半島と東北アジアの平和と安全を脅かす重大な行為として、今、わが民族の激しい怒りと反発を招いている。
 第2次世界大戦当時、人類に莫大な不幸と苦痛を与えた欧州の戦犯国が、過去の犯罪を誠実に謝罪し、賠償するために積極的に努力している時に、それとは相反する行動を取っている日本の不当な行為は、政治的・道徳的後進性を示すものであり、自国の利益と安全にも抵触するものであると考える。
 日本がかつて、わが民族に犯した前代未聞の特大型犯罪に対して正しく謝罪し、しかるべき賠償をするのは、現日本当局の歴史的責任であると同時に、必ず履行すべき道徳的義務である。
 過去を抜きにした現在はあり得ず、現在のない未来も考えられない。
 日本の忌まわしい過去をきれいに清算し、時代と歴史の前に担っている自身の義務を誠実に履行し、東北アジアの平和と繁栄を志向する上で、貴政党の立場と態度、役割が極めて重要であると認める。
 われわれは、日本の各政党が、かつてわが民族に犯した古今に類例を見ない大罪に対してはっきりと謝罪して徹底的に賠償し、時代の要求と平和を志向する人類共同の念願に応えて、隣国間の関係を未来志向的に発展させる上で自身の当然の歴史的・道徳的責任と役割を果たしていくことを強く求める。



「金正日総書記、中国を非公式訪問」8月30日【朝鮮中央通信=平壌】

 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長である金正日朝鮮労働党総書記は、中華人民共和国国家主席である胡錦濤中国共産党中央委員会総書記の招請により、26日から30日まで中華人民共和国を非公式訪問した。
 朝鮮国防委員会副委員長の金永春人民武力部長、朝鮮労働党中央委員会の金己男書記、太宗秀部長、姜錫柱第1外務次官、朝鮮労働党中央委員会の張成沢、洪石亨、金永日、金養建の各部長、朝鮮労働党黄海北道委員会の崔竜海責任書記、朝鮮労働党平安北道委員会の金平海責任書記、朝鮮労働党慈江道委員会の朴道春責任書記が随行した。
 中国の党および国家の指導者と人民は、再び中国を訪問した金正日総書記を熱烈に歓迎し、最大の誠意を尽くして手厚く歓待した。
 金正日総書記は、胡錦濤総書記と27日、長春市で温かく対面し、会談を行った。
 対面と会談には、中国側から中国共産党中央委員会書記局書記である令計画党中央委員会弁公庁主任、戴秉国国務委員、王家瑞中国共産党中央委員会対外連絡部長、楊潔チ外相、張・国家発展改革委員会主任、陳徳銘商務相、劉結一中国共産党中央委員会対外連絡部副部長、劉洪才駐朝中国大使が参加した。
 胡錦濤総書記は、中国の党と政府、人民を代表して金正日総書記の中国訪問を熱烈に歓迎し、外来侵略者に反対する共同闘争の中で中朝友好の歴史的根源がもたらされた吉林省と黒竜江省に対する訪問は、両国の伝統的な友好・協力関係をより高い段階へ発展させる上で特別に重要な意義を持つと指摘した。
 また、金正日総書記が5月に中国を訪問したのに続き、4カ月ぶりに再び訪問したのは、両国の老世代の指導者が築き上げた伝統的な朝中友好をどれほど重視しているのかに対する明確な実証になると述べ、朝中友好の絶え間ない強化・発展のために傾けている総書記の貢献を高く評価した。
 金正日総書記は、4カ月ぶりに胡錦濤総書記と再び対面することになったことをうれしく思うと述べ、貴重な時間をさいて遠く長春にまで来て親切に出迎え、歓待してくれたことに深い謝意を表した。
 朝中両党、両国の最高指導者たちは、同志的で真摯かつ友好的な雰囲気の中で自国の状況をおのおの通報し、朝中両党、両国の関係をより一層発展させることと、共通の関心事となる重大な国際および地域問題について虚心坦懐に意見を交わし、完全な見解の一致を見た。
 胡錦濤総書記は、伝統的な中朝友好は両党、両国人民の高貴な富であり、中朝友好を時代とともに前進させ、代を継いで伝えていくのは双方の共同の歴史的責任であると述べ、中朝友好・協力関係を強化し、発展させるのは、中国の党と政府の確固不動の方針であると指摘した。
 また、東北地域の至る所に金日成主席の革命の足跡が歴々と刻まれていると述べ、主席は長期間の闘争を通じて朝鮮の独立を成し遂げただけでなく、中国革命の勝利にも大きな寄与をしたと指摘した。
 そして、中朝協力を強化するのが、両国の社会主義建設をより立派に推し進め、双方の共通の利益と同地域の平和と安定、繁栄をより立派に守り、促すのに有利であると指摘した。
 胡錦濤総書記は、中国側は朝鮮側と共に中朝友好・協力関係を心から守り、発展させていくことを願うと述べ、伝統的な中朝友好に新たな生気と活力を注入し、中朝善隣友好・協力関係を奮い起こしてさらに深みのあるものに発展させることにより、両国、両人民により大きな幸福をもたらし、東北アジア、ひいては世界の平和と安定、繁栄・発展にさらなる寄与をしようと思うと強調した。
 金正日総書記は、長い伝統を持つ朝中友好は歴史の風波と試練を乗り越えた友好であり、歳月が流れ、世代が交代しても変わらないと述べ、朝中友好・協力関係を一層強化し、発展させるという朝鮮の党と政府の揺るぎない意志と決心を再び宣明した。
 また、東北地方は金日成主席が東北の水を飲み、空気を吸いながら中国の革命家、人民と固く手を取り合って20余年の苦難に満ちた革命闘争を行った忘れられない地であるとし、主席の心の中からは東北のなじみのある山野と、共に戦った中国の同志に対する思いがいっときも離れたことがなかったと述べた。
 そして、今回の訪問過程に日を追って変ぼうする東北地域の発展ぶりを直接目撃して深い感銘を受けたとし、この驚くべき変革は中国の党と政府が示した東北振興戦略の正当性と生命力に対する一大誇示になると述べた。
 会談では、近年数回にわたって行われた朝中最高指導者の歴史的な対面以降、両党、両国の友好・協力関係が社会主義の理念に従って一層増進、発展したと評価し、社会主義の建設と祖国統一を目指す両党、両国人民の闘いに対する相互の支持と固い連帯が表された。
 胡錦濤総書記は、朝鮮が安定を守り、経済を発展させ、人民生活を改善するために取った積極的な措置を高く評価し、金正日総書記を首班とする朝鮮労働党の指導の下に朝鮮人民が国家建設偉業でさらなる成果を収めることを心から願った。
 そして、朝鮮の党と人民が社会主義の発展方向を堅持し、朝鮮の同志たちが自国の実情にかなった発展の道を模索することを支持し、金正日総書記の指導の下に全党、全国が緊密に団結し、刻苦奮闘して強盛国家建設偉業の実現を目指す闘いで必ず新たな成果を収めるものと確信すると指摘した。
 金正日総書記は、胡錦濤氏を総書記とする中国共産党の指導の下、中国人民が党の執権能力建設を強化し、科学的発展観を実践し、調和の取れた社会を建設する歴史的路程で、絶えず新しく偉大な勝利を収めるものと信じると指摘した。
 双方はまた、共通の関心事となる国際および地域問題、特に東北アジアの情勢に関連して虚心坦懐かつ真摯に意見を交換し、完全な見解の一致を見た。
 金正日総書記の中国訪問を歓迎して、胡錦濤総書記が27日夕、長春市南湖賓館で盛大な宴会を催した。
 宴会には、金正日総書記と共に金永春、金己男、太宗秀、姜錫柱、張成沢、洪石亨、金永日、金養建、崔竜海、金平海、朴道春の各氏をはじめ随行メンバーと崔炳官中国駐在朝鮮大使が招かれた。
 また、中国共産党中央委員会書記局書記である令計画党中央委員会弁公庁主任、戴秉国国務委員、王家瑞中国共産党中央委員会対外連絡部長、楊潔チ外相、張平国家発展改革委員会主任、陳徳銘商務相、劉志軍鉄道相、劉結一中国共産党中央委員会対外連絡部副部長、劉洪才駐朝中国大使、孫政才吉林省党書記、王儒林吉林省省長、高廣濱長春市党書記をはじめ中央と地方の指導幹部が参加した。
 宴会では、胡錦濤総書記と金正日総書記が演説した。
 この日、長春市南湖賓館劇場では、金正日総書記を歓迎して中国の芸能人が特別に準備した芸術公演が行われた。
 金正日総書記は、胡錦濤総書記と共に公演を鑑賞した。
 金正日総書記は、出演者の公演成果を祝って花かごを贈った。
 胡錦濤総書記は、金正日総書記と温かい別れのあいさつを交わした。
 金正日総書記は5日間にわたって、中国の吉林省と黒竜江省のいくつかの都市を訪問し、至る所で中国人民の真心のこもった熱烈な歓迎を受けた。
 金正日総書記は、金日成主席の革命活動緑故地の一つである吉林市を訪問した。
 総書記を吉林駅で、戴秉国、王家瑞、劉志軍、劉洪才、孫政才の各氏、陳偉根吉林省副省長、周化辰吉林市党書記、張暁霈吉林市長をはじめ中央と地方の幹部が出迎えた。
 金正日総書記は、戴秉国氏と会い、温かい談話を交わした。
 戴秉国氏は、中朝友好を高度に重視している胡錦濤総書記が金正日総書記を特別に迎接するために自身を吉林に派遣したと述べ、胡錦濤総書記と中国共産党中央委員会、中華人民共和国国務院を代表して中国訪問を熱烈に歓迎した。
 戴秉国氏は、金正日総書記の今回の中国訪問は、中朝友好の強化・発展に輝かしいページを記す歴史的な出来事になると指摘した。
 そして、金正日総書記の指導によって朝鮮人民が、強盛大国建設偉業の実現をはじめ各分野で多くの成果を収めていることについて中国人民は自分のことのように喜んでおり、心から祝うと述べた。
 続いて、胡錦濤総書記をはじめとする中央指導集団は、中朝友好を高度に重視していると述べ、伝統的な両国の友好・協力関係を絶えず強化し、発展させようとする中国の党と政府の確固不動の立場を再度宣明した。
 金正日総書記は、戴秉国氏をはじめ中央と地方の責任幹部の案内で吉林市の各所を見て回った。
 金正日総書記は、金日成主席が1927年から1929年まで学んだ吉林毓文中学校を訪問した。
 教職員、生徒の熱烈な歓迎を受けて学校に到着した総書記は、校庭にある主席の銅像に花かごを献じて崇高な敬意を表した後、原状のまま保存されている校内を見て回った。
 金正日総書記は、80余年前の学生時代の主席のにおいが残る机といすをはじめ貴重な事績物を敬虔な心情で見て万感胸に迫る様子であった。
 学校を訪れた金正日総書記に、毓文中学校の生徒合唱団は不世出の偉人である金日成主席への限りない敬慕の念を抱いて「金日成将軍の歌」と吉林毓文中学校校歌を歌った。
 金正日総書記は訪問を終えて同校に「朝中友好の象徴であり、長い歴史と伝統を持つ毓文中学校が立派な活動家をさらに多く育てることを願います。2010.8.26金正日」の親筆を残した。
 何曼麗校長は、あれほど待ちこがれていた金正日総書記の訪問は、中朝友好の窓口である毓文中学校にとって最高の栄光、誇りになるだけでなく、自分たちに対する貴重な精神的鼓舞・激励になると述べ、中朝友好を代を継いで永遠に花咲かせていく決意を表明し、総書記の安寧を謹んで祈った。
 金正日総書記は、主席が初期革命活動期に度々利用した秘密の場所の一つである北山公園の薬王廟を参観した。
 総書記は、薬王廟で行った主席の革命活動に関する解説を受けた後、主席が秘密会議を行った地下室と寺の本堂を見て回った。
 そして、中国の党と政府、人民が主席の革命事績を大事にし、誠意を込めて保存、管理していることに深い謝意を表した。
 金正日総書記は、いろいろな化学繊維を生産する吉林化学繊維グループと吉林市カトリック教会堂の建物を参観し、新しく変ぼうする吉林市を俯瞰(ふかん)した。
 総書記は、吉林は以前にわたしが生活したことのある所であるとし、かつてなじみのある所に再び来て大きな変化と喜ばしい発展を遂げたのを見て深い感銘を受け、多くのことを感じたと述べた。
 総書記を歓迎して戴秉国氏が盛大な宴会を催した。
 総書記に、吉林市は真心込めて準備した贈り物をした。
 金正日総書記は、吉林省の省都である長春市を訪れた。
 総書記を孫政才、王儒林、高広濱、崔傑の各氏をはじめ省と市の党、政府の指導幹部が出迎えた。
 金正日総書記は、孫政才氏と温かい談話を交わした。
 孫政才氏は、金正日総書記が中国人民の親しい友人である金日成主席の革命事績が数多く刻まれている吉林省を訪問したのは省の大きな栄光、喜びであるとし、歴史的な訪問を熱烈に歓迎すると述べた。
 また、金正日総書記の今回の中国訪問は、両国の関係発展で歴史的な意義を持つもう一つの出来事であると述べ、中朝友好の強化・発展のために労苦と心血を注いでいる総書記に崇高な敬意を表した。
 そして、強盛大国の大門を開け放つための闘いで朝鮮人民が収めた成果を高く評価し、吉林省の発展状況について紹介した。
 金正日総書記は、中央の同行幹部と省の指導幹部に案内されて、長春農業博覧院、長春軌道客車公司を参観し、長春市の夜景を俯瞰した。
 総書記は、中国共産党の指導の下に急速に発展する吉林省と長春市が収めた立派な成果を高く評価した。
 金正日総書記の吉林省訪問を歓迎して、吉林省党は盛大な宴会を催し、贈物をした。
 金正日総書記は、黒竜江省の省都であるハルビン市を訪問した。
 金正日総書記をハルビン駅で、黒竜江省の吉炳軒党書記、王憲魁省長代理をはじめ省とハルビン市の党・政府の指導幹部が出迎えた。
 金正日総書記は、吉炳軒氏と温かい談話を交わした。
 吉炳軒氏は、金正日総書記が東北の最北端に位置している黒竜江省を訪れたのは省の大慶事であるとし、省の全人民を代表して熱烈に歓迎すると述べた。
 また、黒竜江省の人民は尊敬する金正日総書記の指導の下に兄弟の朝鮮人民が革命と建設で収めたすべての成果を自分のことのようにうれしく思うと述べ、社会主義強盛大国の建設でさらなる成果を収めることを願った。
 総書記は、黒竜江省の指導幹部と人民の心からの歓待に謝意を表した。
 金正日総書記は、戴秉国氏をはじめ中央の同行幹部と省と市の指導幹部の案内で、ハルビンの食品加工企業、ハルビン電気グループを参観した。
 総書記は、労働者階級をはじめ市内の勤労者たちの創造的努力によって、ハルビン市は日を追って現代的に改変されていると述べ、彼らの闘いの成果を祝った。
 黒竜江省党は、中国訪問を終えて帰国する金正日総書記のために盛大な歓送宴会を催し、贈り物をした。
 中華人民共和国訪問を終えて帰国する金正日総書記を、戴秉国氏と黒竜江省の指導幹部が熱烈に歓送した。
 金正日総書記は、数千里(朝鮮の1里は400メートル)におよぶ中国の東北地域を行き来して、勤勉で英知に富んだ中国人民の思想・感情と経済、文化など各部門を深く了解した。
 金正日総書記は、訪問の全期間、誠心誠意案内してくれた王家瑞、劉志軍の両氏をはじめ中国の党と政府の指導幹部に温かく見送られ、無事に祖国に到着した。
 金正日総書記の中華人民共和国非公式訪問は、胡錦濤総書記と中国の党と政府の特別な関心と温かい歓待の中で成功裏に行われた。
 金正日総書記は訪問の結果に満足の意を表し、中国の党と政府の指導幹部と東北地域人民の手厚い歓待に心からの謝意を表した。
 金正日総書記が今回行った中華人民共和国に対する歴史的な訪問は、日増しに良好に発展している伝統的な朝中友好をさらに強化し、発展させる上で重大な意義を持つ画期的な出来事として、朝中友好の年代記に輝かしく記録されるであろう。


 

  
posted by 木村知義 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

杞憂が杞憂でなくなった・・・

 前回のコラムを書き、柳 あいさんからの投稿をアップして少しの間旅に出ました。

 一週間あまり朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都平壌を訪れ2日(土)に戻りました。
 朝鮮問題と取り組んでいるジャーナリストのグループの一員としての訪朝でしたが、ちょうど朝鮮労働党の代表者会が開かれる時をはさんで現地、平壌の地に立っていたことになります。

 そこでの見聞や考えたことは追い追い書いくことにしますが、その前に書いておかなければならない事があります。

 前回のコラムで「すべては杞憂であればいいのだが・・・」と書いたことが、杞憂ではなく悪夢のような現実となって展開していることに、旅の間も暗澹たる思いで過ごしていました。

 帰国して、新聞各紙から週刊誌などまで、ほぼ20に近いメディアに目を通してみたのですが、それこそ深い憂慮を禁じえません。

 「まるで子供に外交という玩具を与えるかのごとく映るといえば言いすぎでしょうか・・・。」と書いたことが、残念ながら言い過ぎでもなんでもなく、それ以上に、つゆほどの論理、思想、経綸もなく、戦略、政策のひとかけらもなく、事態が推移していることに言うべき言葉を失います。

 尖閣諸島の問題を歴史的にどう位置づけて考えるべきかというベーシックな問題をおいて(本当はおいておくことはできないのですが現状があまりにもひどいので、まず目の前の状況についてのみ言わざるをえません)「起きたこと」だけについて言うならば、そもそも中国漁船を捕捉し、船長、船員を逮捕するという判断で根本的な間違いを犯しておきながら、では、そうしてみたいと思ったとおり「捕まえてみた」のならそれに沿って貫徹できるのかといえばそれもできないという、度し難いばかりの誤りを重ねたことは、どのような言い訳、言い逃れもできないでしょう。

 これを「子供の火遊び」と言わずしてなんというべきでしょうか。

 首相にしろ、官房長官、外務大臣にしろ、こうした人々が一国の政権を標榜しているのかと思うと、暗澹たるという次元をこえて、恥ずかしいとしか言えないものです。

 平たく言って、そもそも外交とは価値観や意見の異なる間柄、あるいは「争い」を抱える関係であるからこそ必要なのであって、そこになんの齟齬もなければ外交など必要ではありません。

 日中双方で見解が異なり、対立が絶えない問題であればこそ、それをどう緩和して平和的に解決するのかというのが外交のなすべき仕事と言うべきです。

 そんな原則もわきまえず、まさに児戯にも類する(というと、おれたちはもっとましだと子供が怒るかもしれません)ことを、ただしてみせたというわけです。

 論を尽くしているとどれだけの紙幅が必要かわかりませんので、いささか乱暴に過ぎるかもしれませんが、急いで、結論だけを書きます。

 逆説的ですが、公務執行妨害などという「取るに足らない罪状」で捕まえるなどというバカげたことをしてみせたことがまず間違いの始まりです。

 それをさておいたとして、この海域で、突然、中国の船の捕捉、船員の身柄の拘束を決断するということはまさに「戦争」(古典的な鉄砲を撃ちあうというレベルのことだけではなく言っているのですが)を覚悟したということですから、これまた逆説的なもの言いですが、捕まえた限りはとことん戦争に突き進む覚悟でなければならないということです。

 もちろん私はそんな道には反対であることは言うまでもありませんが、菅政権が、あるいは各メディアで言われるように仙谷官房長官の主導の下、あるいは前原外務大臣の主導の下、ここに足を踏み入れたのなら、そうした皆さんには「戦争」の前線に立ってもらわなければなりません。

 銃でもなんでも持って、真っ先に「突撃」でもなんでも、してもらわなければ間尺にあいません。

 それができないなら、はじめからしてはならない!というべきです。

 そんなことをしておきながら、苦し紛れの釈放という決断だけは下に押し付けて己の保身を図るというのですから、何をかいわんやです。

 そして、さらに言うなら、初動の判断の誤りをなんとか取り返すチャンスがあったのに、それをも逃してしまったという二重、三重の誤りを犯しているのです。

 初動の判断の誤りをなんとか取り返すチャンス??

 それは、中国にいる船長の祖母が「逮捕」直後急死した時です。

 まさに、このときにこそ、大所高所から人道的判断で身柄を解いて帰国させるというのが政府の決断であると公表し、そのように運んでいれば、もちろん初動の判断の誤りを糊塗するレベルのものですが、それでもなんとか「体面」を保つことができたというべきです。

 つまり少なく見積もっても三重の誤りを重ね、そしていま、世界の各国に「事情を説明して中国の横暴、脅威に理解を得る・・・」などというバカげたことにうつつを抜かしているというわけです。

 したがって、少なくとも四重の過ちというべきでしょうか。

 なぜこれが誤りであり下策なのかと言えば、これまた平たく言って、たとえば子供の喧嘩を思い起こすと簡単にわかります。

 二人で喧嘩して、それをどう収拾すればいいのかというとき、相手の悪口を誰かれなく言って回るようなことをすれば、おさまるものもおさまらず、それどころか相手の悪口を言いふらしてまわる側の方が誰からも信用されなくなるという、実に簡単な論理です。

 そんなことが現実の外交という場でおこなわれているのです。

 なんとも寒貧たる光景ではないでしょうか。

 本来的にはもっとベーシックなところできちんと論を重ねるべき問題なのですが、現実があまりにもひどいので、逆説的なもの言いも含めて、こんなことを言わざるを得なくなっているのです。

 なんとも、杞憂が杞憂でなくなるという、言葉にし難いというか度し難い展開になっています。

 さて、今回の問題については書くべきことが山ほどあるのですが、まずはここまでにとどめて、冒頭に書いたジャーナリストグループの朝鮮訪問の旅についてです。

 現地報告やそこで考えたことについてはもう少し時間をかけて整理して、書いていくことにしたいと思います。

 そこで、平壌の現地に立ってみて、内容についての賛否はともかく朝鮮の側はいま何をどう考えているのかを的確かつ過不足なく認識、把握しておかなければならないということを、またあらためて痛感したことを、まず押さえておかなければならないと感じました。

 こうした問題意識に立って、朝鮮中央通信の報道をもとに、今回の訪朝で注意を払うべきだと感じた、この間の、朝鮮側のいくつかの声明などをクリップしておくことにします。

 ただし、このまま続けるとコラムがめっぽう長くなってしまいますので、上述の文書を別のページ建てにすることにします。
 
 ぜひ、一度目を通してみてください。

 つづく・・・
 
  

posted by 木村知義 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録