柳 あい さんからの第2報「韓国併合」100年の秋に思うが届きました。
6月に柳さんからのレポート「韓国統一地方選挙の歴史的意義」を掲載したあと、読者の方々から、次のレポートはいつ掲載されるのかといった反響をいただいていました。
今回は韓国の「現場」からの報告となっています。
柳さんの視点、視角から韓国社会と市民運動の現在、さらにはその背後に見据えるべき問題とそれが日本の私たちに何を投げかけているのかを語っています。
抑制のきいた語りかけの中に深い問題提起を感じます。
じっくりと読み込んだいただければと思います。
なお、再度、柳さんのプロフィルを以下に記しておきます。
柳 あい 韓国・朝鮮半島問題研究者。
1990年代に韓国の大学で教えながら学生たちと交わり、韓国社会の民主化過程をつぶさに見、肌で感じてきた。帰国後は日本と韓国との市民交流や市民を結んだ研究会活動と取り組む。翻訳家としても数多くの仕事を重ねている。
2010年09月23日
「韓国併合」100年の秋に思う 柳 あい
今年8月、東京とソウルで「韓国併合」100年を記憶する集まりが開かれた。私は東京の集会には参加しないで「ナヌムの家」(いわゆる「慰安婦」ハルモニ8人が支援者とともに生活する場)を訪れた後、ソウル郊外で開かれた「平和通信使」のワークキャンプと、成均館大学で開かれた学術討論会と市民大会に参加した。
前者は50人ぐらいの集まりで、後者は討論会200人ほど、市民大会は1500人ほどだった。特に印象的だったのは、市民大会に日本から300人ほどが参加したことと、その席上で長い間日韓市民交流に尽力してきた故福留範昭氏を追悼して感謝牌を家族に贈与する式がもたれたことだった。
なお、その翌々日にはハンギョレ新聞の広告を見て「進歩大統合」をめざす市民会議(準)の発起人大会にまぎれこみ(?)、傍聴した。そこで感じたことを中心に、ワークキャンプや市民大会などでの意見交換とあわせ、韓国社会の現状について考えさせられたことを、簡単に整理してみたいと思う。
まず、前に報告した「6月地方選挙」との関連でいえば、その歴史的意義をあらためて確認した。
例えばソウル東南部に隣接する城南市の場合、生協運動を続けてきた人が野党5党および市民団体の統一候補として市長に当選したが、その経緯は選出方式も含めて象徴的だった。ここでは、従来の名望家型の保守派市長が豪華な新市庁舎の建設にからんで批判を浴びても、これに代わりうる有力な政治家が野党にいないだけでなく、単独での勝利は望めなかった。そのため、野党と市民団体間で協議を重ね、公募や党内選挙、世論調査などを実施して紆余曲折の末に野党系の統一候補を選出し、6月の本選挙でも与党候補に圧勝して市長に就任したという。
この経緯が典型的だが、現在の李明博政権に対する批判は根強くとも、最大野党の民主党単独では勝てず、むしろ市民団体が主導して政策の異なる諸野党の連合が実現できれば勝利する。この図式は6月の統一地方選挙では各地で見られたが、城南市長を送り出した市民団体の幹部は「今後の市政運営をチェックしながらサポートする。2年後の総選挙と大統領選挙はその中間評価だ」と語っていた。
また、「本音を言えば、今回敗北していたら、野党だけでなく市民団体も壊滅的な打撃を受けていたに違いない」という言葉にも実感がこもっていた。なぜなら、韓国の場合、市民団体の多くが行政からの財政的支援(政権や政党との親密度で格差)によって支えられているからで、今後4年間に市民運動がどれだけ地域社会に定着するかが、韓国社会の性格(福祉国家への道筋)を規定するといっても過言ではない。
その意味で、ソウル近郊で野党が勝利した地域の市政運営は新しい実験の場といえよう。
ところで、その道筋で気になる点が3つある。これは、次の大統領選挙(2012年)とも関連するが、端的な言葉を列挙すれば、南北関係(平和共存か否か)、歴史認識、そして世代間の文化ギャップである。
ここでは、表裏の関係にある第1点と第2点について、今回感じたことの一端を報告したい。
実は、6月統一地方選挙で李明博政権は「天安」艦事件を契機に対北強硬策を貫徹し、それが逆に最大の敗因だったと指摘されている。当時、韓国の友人から送られてきたメールには、「戦争か、平和かの選択」という危機感がみなぎっていた。ところが、選挙結果により「戦争の危機が遠のいた」せいか、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、この問題に関する限り、社会の雰囲気は一変していた。
この問題はまるで解決済みのように扱われ、「進歩大統合」を唱える市民会議でも声高に論じられることはなかった。その代わりに「福祉」が最優先の課題に掲げられていたが、分断国家・韓国の場合、何といっても平和共存政策、あるいは南北関係の安定こそが最優先の課題ではないだろうか。
さらに問題なのは、これと表裏の関係にある歴史認識である。
意外なことに、この点は進歩派・保守派(この分類自体、余り意味がないが……)を問わず、最近急速に薄れている。
今年は「韓国併合」100年を記念する年だったが、現政権の姿勢もあってあまり話題にはならなかった。もちろん民族問題研究所を中心にして、いわゆる「慰安婦」ハルモニをはじめとする植民地支配の犠牲者たちへの謝罪と戦後補償を日本政府に求める動きは続いているが、残念ながら、社会的な関心事にはなっていない。
ソウルの日本大使館前での水曜集会は930回を超えて18年間に及んでおり、ナヌムの家を支援する人々のネットワークが地元で形成されてはいるが、マスコミなどの取材は韓国内でも決して多くない。
こうした現状に対し、選挙後のソウル市議会で野党が主導する決議案がほぼ満場一致(反対者は1人で、採決議案を間違えたと弁明)で可決されるなど、野党が多数派の地方議会では変化の兆しも見える。その延長線上で、今後ハルモニたちが公聴会などの形をとって公の場で証言できる機会があれば、社会的な関心は急速に高まるだろう。その時、日本側でもこれに応える準備が必要となるが、今年「韓国併合」100年を機に形成された日韓市民のネットワークは、その課題を担うことが期待されている。
前者は50人ぐらいの集まりで、後者は討論会200人ほど、市民大会は1500人ほどだった。特に印象的だったのは、市民大会に日本から300人ほどが参加したことと、その席上で長い間日韓市民交流に尽力してきた故福留範昭氏を追悼して感謝牌を家族に贈与する式がもたれたことだった。
なお、その翌々日にはハンギョレ新聞の広告を見て「進歩大統合」をめざす市民会議(準)の発起人大会にまぎれこみ(?)、傍聴した。そこで感じたことを中心に、ワークキャンプや市民大会などでの意見交換とあわせ、韓国社会の現状について考えさせられたことを、簡単に整理してみたいと思う。
まず、前に報告した「6月地方選挙」との関連でいえば、その歴史的意義をあらためて確認した。
例えばソウル東南部に隣接する城南市の場合、生協運動を続けてきた人が野党5党および市民団体の統一候補として市長に当選したが、その経緯は選出方式も含めて象徴的だった。ここでは、従来の名望家型の保守派市長が豪華な新市庁舎の建設にからんで批判を浴びても、これに代わりうる有力な政治家が野党にいないだけでなく、単独での勝利は望めなかった。そのため、野党と市民団体間で協議を重ね、公募や党内選挙、世論調査などを実施して紆余曲折の末に野党系の統一候補を選出し、6月の本選挙でも与党候補に圧勝して市長に就任したという。
この経緯が典型的だが、現在の李明博政権に対する批判は根強くとも、最大野党の民主党単独では勝てず、むしろ市民団体が主導して政策の異なる諸野党の連合が実現できれば勝利する。この図式は6月の統一地方選挙では各地で見られたが、城南市長を送り出した市民団体の幹部は「今後の市政運営をチェックしながらサポートする。2年後の総選挙と大統領選挙はその中間評価だ」と語っていた。
また、「本音を言えば、今回敗北していたら、野党だけでなく市民団体も壊滅的な打撃を受けていたに違いない」という言葉にも実感がこもっていた。なぜなら、韓国の場合、市民団体の多くが行政からの財政的支援(政権や政党との親密度で格差)によって支えられているからで、今後4年間に市民運動がどれだけ地域社会に定着するかが、韓国社会の性格(福祉国家への道筋)を規定するといっても過言ではない。
その意味で、ソウル近郊で野党が勝利した地域の市政運営は新しい実験の場といえよう。
ところで、その道筋で気になる点が3つある。これは、次の大統領選挙(2012年)とも関連するが、端的な言葉を列挙すれば、南北関係(平和共存か否か)、歴史認識、そして世代間の文化ギャップである。
ここでは、表裏の関係にある第1点と第2点について、今回感じたことの一端を報告したい。
実は、6月統一地方選挙で李明博政権は「天安」艦事件を契機に対北強硬策を貫徹し、それが逆に最大の敗因だったと指摘されている。当時、韓国の友人から送られてきたメールには、「戦争か、平和かの選択」という危機感がみなぎっていた。ところが、選挙結果により「戦争の危機が遠のいた」せいか、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、この問題に関する限り、社会の雰囲気は一変していた。
この問題はまるで解決済みのように扱われ、「進歩大統合」を唱える市民会議でも声高に論じられることはなかった。その代わりに「福祉」が最優先の課題に掲げられていたが、分断国家・韓国の場合、何といっても平和共存政策、あるいは南北関係の安定こそが最優先の課題ではないだろうか。
さらに問題なのは、これと表裏の関係にある歴史認識である。
意外なことに、この点は進歩派・保守派(この分類自体、余り意味がないが……)を問わず、最近急速に薄れている。
今年は「韓国併合」100年を記念する年だったが、現政権の姿勢もあってあまり話題にはならなかった。もちろん民族問題研究所を中心にして、いわゆる「慰安婦」ハルモニをはじめとする植民地支配の犠牲者たちへの謝罪と戦後補償を日本政府に求める動きは続いているが、残念ながら、社会的な関心事にはなっていない。
ソウルの日本大使館前での水曜集会は930回を超えて18年間に及んでおり、ナヌムの家を支援する人々のネットワークが地元で形成されてはいるが、マスコミなどの取材は韓国内でも決して多くない。
こうした現状に対し、選挙後のソウル市議会で野党が主導する決議案がほぼ満場一致(反対者は1人で、採決議案を間違えたと弁明)で可決されるなど、野党が多数派の地方議会では変化の兆しも見える。その延長線上で、今後ハルモニたちが公聴会などの形をとって公の場で証言できる機会があれば、社会的な関心は急速に高まるだろう。その時、日本側でもこれに応える準備が必要となるが、今年「韓国併合」100年を機に形成された日韓市民のネットワークは、その課題を担うことが期待されている。