柳 あい さんからの第2報「韓国併合」100年の秋に思うが届きました。
6月に柳さんからのレポート「韓国統一地方選挙の歴史的意義」を掲載したあと、読者の方々から、次のレポートはいつ掲載されるのかといった反響をいただいていました。
今回は韓国の「現場」からの報告となっています。
柳さんの視点、視角から韓国社会と市民運動の現在、さらにはその背後に見据えるべき問題とそれが日本の私たちに何を投げかけているのかを語っています。
抑制のきいた語りかけの中に深い問題提起を感じます。
じっくりと読み込んだいただければと思います。
なお、再度、柳さんのプロフィルを以下に記しておきます。
柳 あい 韓国・朝鮮半島問題研究者。
1990年代に韓国の大学で教えながら学生たちと交わり、韓国社会の民主化過程をつぶさに見、肌で感じてきた。帰国後は日本と韓国との市民交流や市民を結んだ研究会活動と取り組む。翻訳家としても数多くの仕事を重ねている。
2010年09月23日
「韓国併合」100年の秋に思う 柳 あい
今年8月、東京とソウルで「韓国併合」100年を記憶する集まりが開かれた。私は東京の集会には参加しないで「ナヌムの家」(いわゆる「慰安婦」ハルモニ8人が支援者とともに生活する場)を訪れた後、ソウル郊外で開かれた「平和通信使」のワークキャンプと、成均館大学で開かれた学術討論会と市民大会に参加した。
前者は50人ぐらいの集まりで、後者は討論会200人ほど、市民大会は1500人ほどだった。特に印象的だったのは、市民大会に日本から300人ほどが参加したことと、その席上で長い間日韓市民交流に尽力してきた故福留範昭氏を追悼して感謝牌を家族に贈与する式がもたれたことだった。
なお、その翌々日にはハンギョレ新聞の広告を見て「進歩大統合」をめざす市民会議(準)の発起人大会にまぎれこみ(?)、傍聴した。そこで感じたことを中心に、ワークキャンプや市民大会などでの意見交換とあわせ、韓国社会の現状について考えさせられたことを、簡単に整理してみたいと思う。
まず、前に報告した「6月地方選挙」との関連でいえば、その歴史的意義をあらためて確認した。
例えばソウル東南部に隣接する城南市の場合、生協運動を続けてきた人が野党5党および市民団体の統一候補として市長に当選したが、その経緯は選出方式も含めて象徴的だった。ここでは、従来の名望家型の保守派市長が豪華な新市庁舎の建設にからんで批判を浴びても、これに代わりうる有力な政治家が野党にいないだけでなく、単独での勝利は望めなかった。そのため、野党と市民団体間で協議を重ね、公募や党内選挙、世論調査などを実施して紆余曲折の末に野党系の統一候補を選出し、6月の本選挙でも与党候補に圧勝して市長に就任したという。
この経緯が典型的だが、現在の李明博政権に対する批判は根強くとも、最大野党の民主党単独では勝てず、むしろ市民団体が主導して政策の異なる諸野党の連合が実現できれば勝利する。この図式は6月の統一地方選挙では各地で見られたが、城南市長を送り出した市民団体の幹部は「今後の市政運営をチェックしながらサポートする。2年後の総選挙と大統領選挙はその中間評価だ」と語っていた。
また、「本音を言えば、今回敗北していたら、野党だけでなく市民団体も壊滅的な打撃を受けていたに違いない」という言葉にも実感がこもっていた。なぜなら、韓国の場合、市民団体の多くが行政からの財政的支援(政権や政党との親密度で格差)によって支えられているからで、今後4年間に市民運動がどれだけ地域社会に定着するかが、韓国社会の性格(福祉国家への道筋)を規定するといっても過言ではない。
その意味で、ソウル近郊で野党が勝利した地域の市政運営は新しい実験の場といえよう。
ところで、その道筋で気になる点が3つある。これは、次の大統領選挙(2012年)とも関連するが、端的な言葉を列挙すれば、南北関係(平和共存か否か)、歴史認識、そして世代間の文化ギャップである。
ここでは、表裏の関係にある第1点と第2点について、今回感じたことの一端を報告したい。
実は、6月統一地方選挙で李明博政権は「天安」艦事件を契機に対北強硬策を貫徹し、それが逆に最大の敗因だったと指摘されている。当時、韓国の友人から送られてきたメールには、「戦争か、平和かの選択」という危機感がみなぎっていた。ところが、選挙結果により「戦争の危機が遠のいた」せいか、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、この問題に関する限り、社会の雰囲気は一変していた。
この問題はまるで解決済みのように扱われ、「進歩大統合」を唱える市民会議でも声高に論じられることはなかった。その代わりに「福祉」が最優先の課題に掲げられていたが、分断国家・韓国の場合、何といっても平和共存政策、あるいは南北関係の安定こそが最優先の課題ではないだろうか。
さらに問題なのは、これと表裏の関係にある歴史認識である。
意外なことに、この点は進歩派・保守派(この分類自体、余り意味がないが……)を問わず、最近急速に薄れている。
今年は「韓国併合」100年を記念する年だったが、現政権の姿勢もあってあまり話題にはならなかった。もちろん民族問題研究所を中心にして、いわゆる「慰安婦」ハルモニをはじめとする植民地支配の犠牲者たちへの謝罪と戦後補償を日本政府に求める動きは続いているが、残念ながら、社会的な関心事にはなっていない。
ソウルの日本大使館前での水曜集会は930回を超えて18年間に及んでおり、ナヌムの家を支援する人々のネットワークが地元で形成されてはいるが、マスコミなどの取材は韓国内でも決して多くない。
こうした現状に対し、選挙後のソウル市議会で野党が主導する決議案がほぼ満場一致(反対者は1人で、採決議案を間違えたと弁明)で可決されるなど、野党が多数派の地方議会では変化の兆しも見える。その延長線上で、今後ハルモニたちが公聴会などの形をとって公の場で証言できる機会があれば、社会的な関心は急速に高まるだろう。その時、日本側でもこれに応える準備が必要となるが、今年「韓国併合」100年を機に形成された日韓市民のネットワークは、その課題を担うことが期待されている。
前者は50人ぐらいの集まりで、後者は討論会200人ほど、市民大会は1500人ほどだった。特に印象的だったのは、市民大会に日本から300人ほどが参加したことと、その席上で長い間日韓市民交流に尽力してきた故福留範昭氏を追悼して感謝牌を家族に贈与する式がもたれたことだった。
なお、その翌々日にはハンギョレ新聞の広告を見て「進歩大統合」をめざす市民会議(準)の発起人大会にまぎれこみ(?)、傍聴した。そこで感じたことを中心に、ワークキャンプや市民大会などでの意見交換とあわせ、韓国社会の現状について考えさせられたことを、簡単に整理してみたいと思う。
まず、前に報告した「6月地方選挙」との関連でいえば、その歴史的意義をあらためて確認した。
例えばソウル東南部に隣接する城南市の場合、生協運動を続けてきた人が野党5党および市民団体の統一候補として市長に当選したが、その経緯は選出方式も含めて象徴的だった。ここでは、従来の名望家型の保守派市長が豪華な新市庁舎の建設にからんで批判を浴びても、これに代わりうる有力な政治家が野党にいないだけでなく、単独での勝利は望めなかった。そのため、野党と市民団体間で協議を重ね、公募や党内選挙、世論調査などを実施して紆余曲折の末に野党系の統一候補を選出し、6月の本選挙でも与党候補に圧勝して市長に就任したという。
この経緯が典型的だが、現在の李明博政権に対する批判は根強くとも、最大野党の民主党単独では勝てず、むしろ市民団体が主導して政策の異なる諸野党の連合が実現できれば勝利する。この図式は6月の統一地方選挙では各地で見られたが、城南市長を送り出した市民団体の幹部は「今後の市政運営をチェックしながらサポートする。2年後の総選挙と大統領選挙はその中間評価だ」と語っていた。
また、「本音を言えば、今回敗北していたら、野党だけでなく市民団体も壊滅的な打撃を受けていたに違いない」という言葉にも実感がこもっていた。なぜなら、韓国の場合、市民団体の多くが行政からの財政的支援(政権や政党との親密度で格差)によって支えられているからで、今後4年間に市民運動がどれだけ地域社会に定着するかが、韓国社会の性格(福祉国家への道筋)を規定するといっても過言ではない。
その意味で、ソウル近郊で野党が勝利した地域の市政運営は新しい実験の場といえよう。
ところで、その道筋で気になる点が3つある。これは、次の大統領選挙(2012年)とも関連するが、端的な言葉を列挙すれば、南北関係(平和共存か否か)、歴史認識、そして世代間の文化ギャップである。
ここでは、表裏の関係にある第1点と第2点について、今回感じたことの一端を報告したい。
実は、6月統一地方選挙で李明博政権は「天安」艦事件を契機に対北強硬策を貫徹し、それが逆に最大の敗因だったと指摘されている。当時、韓国の友人から送られてきたメールには、「戦争か、平和かの選択」という危機感がみなぎっていた。ところが、選挙結果により「戦争の危機が遠のいた」せいか、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、この問題に関する限り、社会の雰囲気は一変していた。
この問題はまるで解決済みのように扱われ、「進歩大統合」を唱える市民会議でも声高に論じられることはなかった。その代わりに「福祉」が最優先の課題に掲げられていたが、分断国家・韓国の場合、何といっても平和共存政策、あるいは南北関係の安定こそが最優先の課題ではないだろうか。
さらに問題なのは、これと表裏の関係にある歴史認識である。
意外なことに、この点は進歩派・保守派(この分類自体、余り意味がないが……)を問わず、最近急速に薄れている。
今年は「韓国併合」100年を記念する年だったが、現政権の姿勢もあってあまり話題にはならなかった。もちろん民族問題研究所を中心にして、いわゆる「慰安婦」ハルモニをはじめとする植民地支配の犠牲者たちへの謝罪と戦後補償を日本政府に求める動きは続いているが、残念ながら、社会的な関心事にはなっていない。
ソウルの日本大使館前での水曜集会は930回を超えて18年間に及んでおり、ナヌムの家を支援する人々のネットワークが地元で形成されてはいるが、マスコミなどの取材は韓国内でも決して多くない。
こうした現状に対し、選挙後のソウル市議会で野党が主導する決議案がほぼ満場一致(反対者は1人で、採決議案を間違えたと弁明)で可決されるなど、野党が多数派の地方議会では変化の兆しも見える。その延長線上で、今後ハルモニたちが公聴会などの形をとって公の場で証言できる機会があれば、社会的な関心は急速に高まるだろう。その時、日本側でもこれに応える準備が必要となるが、今年「韓国併合」100年を機に形成された日韓市民のネットワークは、その課題を担うことが期待されている。
2010年09月21日
すべては杞憂であればいいのだが・・・
予想通りの結果、その後の推移も予測の範囲をこえるものではなかった、というのが民主党代表選が終わっての感慨です。
しかし、一件落着どころか、「静かなる波乱」のはじまりというべきでしょう。
「静かなる」というのは、いつでも大きな「地殻変動」に転化する芽ををはらんでいるという意味においてです。
もちろん巷間言われる「政界再編」ということも含まれるでしょうが、それ以上に、政権交代とは一体なんだったのかという根源的な問いに、遠からず直面するという意味においての「波乱」です。
それにしても、内閣が発足した直後、電車の中や巷で交わされる会話からは「自民党時代の方がまだましだったネ・・・」ということばが聞こえてくるのですから、いかに失望感、喪失感が深いかというべきです。
そして、メディアの伝える論調との乖離に驚くばかりです。
代表選の翌日15日の朝刊各紙は政治部長(もしくはその任にあたっている人物)の論説を掲げましたが、奇妙に一致していたのは「民意」「世論」を反映した菅首相の「圧勝」というものでした。
臆面もなく「就任わずか3か月の首相を交代させることには、やはり大義はなかった」と書いた政治部長もいました。
また「女性議員の醜聞が週刊誌をにぎわせ、役者の器量はともかくドラマとしては大いに楽しめた」などと書く政治部長とは一体いかなるものなのか、知的レベルを疑うばかりでしたが、「民意」あるいは「世論」というものをジャーナリズムとの関係でどのようなものとしてとらえ、認識しているのか、考えてみると恐ろしいばかりの論理の退廃が垣間見えたといわざるをえません。
自らが「民意」「世論」なるものを演出、作り上げながら、それに依ってものを語るという自己撞着のきわみに、知ってか知らずか無自覚のまま言説を重ねるという、なんとも度し難い政治報道の「水準」を露呈したというべきです。
ところで、ここに至るまでの民主党政権の「迷走」ぶりから一つ二つを記憶にとどめておかなければならないと思います。
以前、なんと愚かなことをするものだろうか、と書いたコラムの続編で触れると約束しながら書くいとまもなく過ぎていた問題の一つに金賢姫来日問題があります。
当時の国家公安委員長、拉致問題担当の中井洽大臣が奔走して実現させた、ように見える、金賢姫来日の背景がどのようなものかは依然としてはっきりしません。
しかし、軽井沢の鳩山前首相の別荘が滞在場所として提供されたことは、メディアでは意外性をもって伝えられましたが、天安艦沈没問題で突出して李明博政権を支持し北朝鮮非難の最先頭を走った鳩山氏の、普天間飛行場の移設問題で失墜した政治的立場と思惑を考えればむべなるかなというものでした。
その意味では、3月末の黄ジャンヨップ氏の訪米の裏で重要な役割を演じたアーミテージ元国務副長官らと、引き続いて黄ジャンヨプ氏を日本に招いた中井大臣らとの連携、延長上に金賢姫来日があったと考えるのが妥当でしょう。
しかし金賢姫来日問題でふたたびスポットライトの当たる場への復帰、浮揚を目論んだ鳩山氏の思惑は大きく外れ、なんら「成果」もなく金賢姫サイドにいいように「遊ばれて」終わってしまったというべきでしょう。
いささかの脱線ですが、笑えない冗談とでもいうのは、中井大臣が軽井沢に金元工作員を滞在させる理由として「金元工作員が耕一郎さんに食事を作ってあげると約束した。静かにすごさせてあげたい」と説明していたことでした。
メディアはこぞってこの話に飛びつきました。金賢姫元工作員が2009年8月、拉致被害者の田口八重子さんの長男飯塚耕一郎さんあてに「春巻き、コロッケなど、田口さんから学んだ食べ物を作ってあげたい」などと書いた手紙を送ったということを大々的に報じ、軽井沢からの中継で、金元工作員が、いま、耕一郎さんに食事を作ってごちそうしていると「美談仕立て」で報じたのでした。
ところが、食事のあと会見にのぞんだ耕一郎さんは「金さんの方で、お料理を作っていただきまして、プルコギと、キムチのチヂミと、ナスを軽くチヂミみたいにした感じのものなんですけども、その3点ですね・・・」と語ったのでした。
エッと思ったのは私だけではなかったと思います。八重子さんから習った春巻き、コロッケはどうなったんでしょうね・・・と。
そんなブラックジョークのようなことだけではありませんでした。
月刊情報誌「選択」8月号によると、テレビ局による単独インタビューはNHKと日本テレビということで、事前に、中井大臣から「許可」が出ていたというのですが、読売新聞が「テロ関与者の入国を認めた」として政府に批判的な記事を掲載したことから激怒した中井大臣が「氏家君がやっているんだから、読売と一緒だ」と日本テレビに矛先をむけて単独インタビューを反故にすると言い出したというのです。そのため日本テレビは社会部長、警視庁担当の解説委員、拉致問題担当デスクの3人が中井大臣のもとに駆けつけ、涙ながらに訴えて単独インタビューにこぎつけたというのです。
これが「政権浮揚を狙った」という金賢姫来日騒動の裏側でおこなわれていたことだと思うと、鳩山氏や中井氏らは一体何者なのだろうかと考え込まざるをえません。さらに重要なことは、彼らの背後で動いていた構図、構造とは一体いかなるものであったのかということです。
いうまでもなく、普天間問題で米国にひざまずいた鳩山前首相を象徴的な存在とする「日米同盟基軸論」の行きつく先はこうしたものだということでしょう。
こうした文脈の中においてみると、中国脅威論、そして危険な北朝鮮の存在に対する抑止力の重要性・・・、その後起きたこともすべてくっきりと輪郭が浮かんでくるというべきです。
なんとも度し難いところに日本は立ち至ったというべきでしょう。
そして、私も会場の片隅で傍聴した「東京―北京フォーラム」での「我が国の外交は日米同盟を基軸とし、将来的には東アジア共同体の構想実現をめざす・・・」云々という、菅政権の枢要を担う政治家の発言でした。
メディアも、政治家もとにかく口をひらけば日米同盟基軸というのみで、それがどのようなことを意味し、アジアのなかで生きる日本にとってどういう問題をもたらすのかということについて一切語ることもなく、あるいは考えてみる必要性についてさえ一顧だにしないという、日本の”いま”です。
そのようにして、民意と世論の勝利で菅政権の存続が決まったというわけです。
まさに、地獄への道は善意によって敷き詰められているという言葉を思い出すものでした。
ところで、ちょうど民主党の代表選投票が行われた14日の昼前、ある大学の出身者のサロンに行く用件があって隅っこで座っていると、隣の席から聞こえてきた会話には驚きました。
「3か月前にやめた人間がここでまた出馬するとはね・・・・」
「それに引退すると言った鳩山がなぜノコノコ仲介だなんて言って出てくるんだろう・・・」
「まだ色気があるのさ・・・」
「この図太さを対中外交に生かせればね・・・」
「丹羽さんも大変だ、あの汚さが中国のやり口だ。関係のない小者の訪日まで取りやめてね・・・」
「あれは北朝鮮と同じだね・・・」
「内乱を起こすように画策すればいいんだよ。」
「昔、日露戦争のときなんかもやったんだよね・・・」
「盧溝橋とかね・・・」
「今年の暑さはたまらないけど、救いは北朝鮮に台風が何発か行ったことだよ・・・」
「稲も植わっていないんだろ、そんな田んぼに台風が行ったってなんの影響もないさ・・・」
「でも援助を受け取ってるじゃない・・・」
「援助なんてもんじゃなくて、ありゃタカリだよ・・・」
「さて、そろそろ部屋に行こうか・・・」
日本の最高学府とされる大学出身者の会話です。おもわず、手元の紙の余白にメモしたのでしたが、現在(いま)の日本の危うい状況が如実に伝わってきます。
もちろん、こうした人間ばかりではないとは思います。しかし、これもまた現在の日本の「現実」というべきでしょう。こうした「空気」や「風潮」を軽視してかかると、歴史の同じ過ちを繰り返すことになりかねないと痛感します。
アーミテージ元国務副長官が言うところの「中国は日米関係が冷え込んでいると感じ、どこまで許されるのか試そうとしている。中国に対抗するためには日米軍事同盟を強化する必要がある。」という「警告」に沿うような論調一色になっている尖閣諸島付近での中国漁船と巡視船の「衝突」問題。
同時にまた、各メディアで語られる「国内に矛盾をかかえる中国が国民の意識を外にそらそうとしている」あるいは「反日教育をしてきた結果中国社会に存在する反日感情の矛先が中国指導部に向かないように日本に対して強硬な態度を取らせている・・・」といった論調に引き回されていると大変なことになるのではないかと深い危惧を覚えます。
尖閣諸島問題は、あるいは韓国との竹島問題もまた、領土問題などではなく、本質的には日清、日露にまでさかのぼって、さらに言えば、明治維新後の近代日本のアジア認識と日本がたどった歴史に深く分け入って考えなければならないという意味において、まさしく歴史問題であることを、私たちは深く認識しておかなくてはならないと思います。
私たちの歴史認識が問われているのです。また、そこから、何をしてはならないのか、対立や紛争をどう解決していくべきなのか、深い歴史意識と哲学、経綸が問われてくるのだと思います。
ケ小平が「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」として50年先、百年先の子孫にゆだねようと言った意味は、まさしくここにあるというべきです。
アジア、とりわけ北東アジアの冷戦構造を解き、溶かし、新たな北東アジアのあり方を、つまり反目と対立のアジアに残る黒々とした実線としての国境をこえて、まず点線にし、そして将来的にはその点線をも消していく、そんなあり方をめざす中で、領土問題、領有権問題を解いていく、そんな哲学が、そしてそのような哲学にもとづく政策が、必要になるのだと考えます。
東アジア共同体構想を掲げる内閣であればこそ、こうした認識のかけらでもあればと思うのですが、残念ながらそうした深い歴史観や経綸を感じることはできません。
「民意の大勝」を謳う菅内閣の陣容にこうしたことを期待できると思えるでしょうか・・・。
松下政経塾などというところで国際関係を考えてきた、安全保障問題通を自認する外務大臣にそれを期待できるのでしょうか。
まるで子供に外交という玩具を与えるかのごとく映るといえば言いすぎでしょうか・・・。
民意、世論、そして「クリーンでオープンな政治」という「善意」に敷き詰められた地獄への道を、いま、歩み出していることに気づかねば、取り返しのつかないことになるのではないか・・・。
すべてが杞憂であればいいのですが。
しかし、一件落着どころか、「静かなる波乱」のはじまりというべきでしょう。
「静かなる」というのは、いつでも大きな「地殻変動」に転化する芽ををはらんでいるという意味においてです。
もちろん巷間言われる「政界再編」ということも含まれるでしょうが、それ以上に、政権交代とは一体なんだったのかという根源的な問いに、遠からず直面するという意味においての「波乱」です。
それにしても、内閣が発足した直後、電車の中や巷で交わされる会話からは「自民党時代の方がまだましだったネ・・・」ということばが聞こえてくるのですから、いかに失望感、喪失感が深いかというべきです。
そして、メディアの伝える論調との乖離に驚くばかりです。
代表選の翌日15日の朝刊各紙は政治部長(もしくはその任にあたっている人物)の論説を掲げましたが、奇妙に一致していたのは「民意」「世論」を反映した菅首相の「圧勝」というものでした。
臆面もなく「就任わずか3か月の首相を交代させることには、やはり大義はなかった」と書いた政治部長もいました。
また「女性議員の醜聞が週刊誌をにぎわせ、役者の器量はともかくドラマとしては大いに楽しめた」などと書く政治部長とは一体いかなるものなのか、知的レベルを疑うばかりでしたが、「民意」あるいは「世論」というものをジャーナリズムとの関係でどのようなものとしてとらえ、認識しているのか、考えてみると恐ろしいばかりの論理の退廃が垣間見えたといわざるをえません。
自らが「民意」「世論」なるものを演出、作り上げながら、それに依ってものを語るという自己撞着のきわみに、知ってか知らずか無自覚のまま言説を重ねるという、なんとも度し難い政治報道の「水準」を露呈したというべきです。
ところで、ここに至るまでの民主党政権の「迷走」ぶりから一つ二つを記憶にとどめておかなければならないと思います。
以前、なんと愚かなことをするものだろうか、と書いたコラムの続編で触れると約束しながら書くいとまもなく過ぎていた問題の一つに金賢姫来日問題があります。
当時の国家公安委員長、拉致問題担当の中井洽大臣が奔走して実現させた、ように見える、金賢姫来日の背景がどのようなものかは依然としてはっきりしません。
しかし、軽井沢の鳩山前首相の別荘が滞在場所として提供されたことは、メディアでは意外性をもって伝えられましたが、天安艦沈没問題で突出して李明博政権を支持し北朝鮮非難の最先頭を走った鳩山氏の、普天間飛行場の移設問題で失墜した政治的立場と思惑を考えればむべなるかなというものでした。
その意味では、3月末の黄ジャンヨップ氏の訪米の裏で重要な役割を演じたアーミテージ元国務副長官らと、引き続いて黄ジャンヨプ氏を日本に招いた中井大臣らとの連携、延長上に金賢姫来日があったと考えるのが妥当でしょう。
しかし金賢姫来日問題でふたたびスポットライトの当たる場への復帰、浮揚を目論んだ鳩山氏の思惑は大きく外れ、なんら「成果」もなく金賢姫サイドにいいように「遊ばれて」終わってしまったというべきでしょう。
いささかの脱線ですが、笑えない冗談とでもいうのは、中井大臣が軽井沢に金元工作員を滞在させる理由として「金元工作員が耕一郎さんに食事を作ってあげると約束した。静かにすごさせてあげたい」と説明していたことでした。
メディアはこぞってこの話に飛びつきました。金賢姫元工作員が2009年8月、拉致被害者の田口八重子さんの長男飯塚耕一郎さんあてに「春巻き、コロッケなど、田口さんから学んだ食べ物を作ってあげたい」などと書いた手紙を送ったということを大々的に報じ、軽井沢からの中継で、金元工作員が、いま、耕一郎さんに食事を作ってごちそうしていると「美談仕立て」で報じたのでした。
ところが、食事のあと会見にのぞんだ耕一郎さんは「金さんの方で、お料理を作っていただきまして、プルコギと、キムチのチヂミと、ナスを軽くチヂミみたいにした感じのものなんですけども、その3点ですね・・・」と語ったのでした。
エッと思ったのは私だけではなかったと思います。八重子さんから習った春巻き、コロッケはどうなったんでしょうね・・・と。
そんなブラックジョークのようなことだけではありませんでした。
月刊情報誌「選択」8月号によると、テレビ局による単独インタビューはNHKと日本テレビということで、事前に、中井大臣から「許可」が出ていたというのですが、読売新聞が「テロ関与者の入国を認めた」として政府に批判的な記事を掲載したことから激怒した中井大臣が「氏家君がやっているんだから、読売と一緒だ」と日本テレビに矛先をむけて単独インタビューを反故にすると言い出したというのです。そのため日本テレビは社会部長、警視庁担当の解説委員、拉致問題担当デスクの3人が中井大臣のもとに駆けつけ、涙ながらに訴えて単独インタビューにこぎつけたというのです。
これが「政権浮揚を狙った」という金賢姫来日騒動の裏側でおこなわれていたことだと思うと、鳩山氏や中井氏らは一体何者なのだろうかと考え込まざるをえません。さらに重要なことは、彼らの背後で動いていた構図、構造とは一体いかなるものであったのかということです。
いうまでもなく、普天間問題で米国にひざまずいた鳩山前首相を象徴的な存在とする「日米同盟基軸論」の行きつく先はこうしたものだということでしょう。
こうした文脈の中においてみると、中国脅威論、そして危険な北朝鮮の存在に対する抑止力の重要性・・・、その後起きたこともすべてくっきりと輪郭が浮かんでくるというべきです。
なんとも度し難いところに日本は立ち至ったというべきでしょう。
そして、私も会場の片隅で傍聴した「東京―北京フォーラム」での「我が国の外交は日米同盟を基軸とし、将来的には東アジア共同体の構想実現をめざす・・・」云々という、菅政権の枢要を担う政治家の発言でした。
メディアも、政治家もとにかく口をひらけば日米同盟基軸というのみで、それがどのようなことを意味し、アジアのなかで生きる日本にとってどういう問題をもたらすのかということについて一切語ることもなく、あるいは考えてみる必要性についてさえ一顧だにしないという、日本の”いま”です。
そのようにして、民意と世論の勝利で菅政権の存続が決まったというわけです。
まさに、地獄への道は善意によって敷き詰められているという言葉を思い出すものでした。
ところで、ちょうど民主党の代表選投票が行われた14日の昼前、ある大学の出身者のサロンに行く用件があって隅っこで座っていると、隣の席から聞こえてきた会話には驚きました。
「3か月前にやめた人間がここでまた出馬するとはね・・・・」
「それに引退すると言った鳩山がなぜノコノコ仲介だなんて言って出てくるんだろう・・・」
「まだ色気があるのさ・・・」
「この図太さを対中外交に生かせればね・・・」
「丹羽さんも大変だ、あの汚さが中国のやり口だ。関係のない小者の訪日まで取りやめてね・・・」
「あれは北朝鮮と同じだね・・・」
「内乱を起こすように画策すればいいんだよ。」
「昔、日露戦争のときなんかもやったんだよね・・・」
「盧溝橋とかね・・・」
「今年の暑さはたまらないけど、救いは北朝鮮に台風が何発か行ったことだよ・・・」
「稲も植わっていないんだろ、そんな田んぼに台風が行ったってなんの影響もないさ・・・」
「でも援助を受け取ってるじゃない・・・」
「援助なんてもんじゃなくて、ありゃタカリだよ・・・」
「さて、そろそろ部屋に行こうか・・・」
日本の最高学府とされる大学出身者の会話です。おもわず、手元の紙の余白にメモしたのでしたが、現在(いま)の日本の危うい状況が如実に伝わってきます。
もちろん、こうした人間ばかりではないとは思います。しかし、これもまた現在の日本の「現実」というべきでしょう。こうした「空気」や「風潮」を軽視してかかると、歴史の同じ過ちを繰り返すことになりかねないと痛感します。
アーミテージ元国務副長官が言うところの「中国は日米関係が冷え込んでいると感じ、どこまで許されるのか試そうとしている。中国に対抗するためには日米軍事同盟を強化する必要がある。」という「警告」に沿うような論調一色になっている尖閣諸島付近での中国漁船と巡視船の「衝突」問題。
同時にまた、各メディアで語られる「国内に矛盾をかかえる中国が国民の意識を外にそらそうとしている」あるいは「反日教育をしてきた結果中国社会に存在する反日感情の矛先が中国指導部に向かないように日本に対して強硬な態度を取らせている・・・」といった論調に引き回されていると大変なことになるのではないかと深い危惧を覚えます。
尖閣諸島問題は、あるいは韓国との竹島問題もまた、領土問題などではなく、本質的には日清、日露にまでさかのぼって、さらに言えば、明治維新後の近代日本のアジア認識と日本がたどった歴史に深く分け入って考えなければならないという意味において、まさしく歴史問題であることを、私たちは深く認識しておかなくてはならないと思います。
私たちの歴史認識が問われているのです。また、そこから、何をしてはならないのか、対立や紛争をどう解決していくべきなのか、深い歴史意識と哲学、経綸が問われてくるのだと思います。
ケ小平が「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」として50年先、百年先の子孫にゆだねようと言った意味は、まさしくここにあるというべきです。
アジア、とりわけ北東アジアの冷戦構造を解き、溶かし、新たな北東アジアのあり方を、つまり反目と対立のアジアに残る黒々とした実線としての国境をこえて、まず点線にし、そして将来的にはその点線をも消していく、そんなあり方をめざす中で、領土問題、領有権問題を解いていく、そんな哲学が、そしてそのような哲学にもとづく政策が、必要になるのだと考えます。
東アジア共同体構想を掲げる内閣であればこそ、こうした認識のかけらでもあればと思うのですが、残念ながらそうした深い歴史観や経綸を感じることはできません。
「民意の大勝」を謳う菅内閣の陣容にこうしたことを期待できると思えるでしょうか・・・。
松下政経塾などというところで国際関係を考えてきた、安全保障問題通を自認する外務大臣にそれを期待できるのでしょうか。
まるで子供に外交という玩具を与えるかのごとく映るといえば言いすぎでしょうか・・・。
民意、世論、そして「クリーンでオープンな政治」という「善意」に敷き詰められた地獄への道を、いま、歩み出していることに気づかねば、取り返しのつかないことになるのではないか・・・。
すべてが杞憂であればいいのですが。
2010年09月14日
民主党代表選挙で争われているものは何か
8月末から先週半ばにかけて東京を離れ、戻った後も慌ただしく過ごしていたため、このコラムの筆を執る時間をつくることができず歯がゆい思いで過ごしました。
この間金正日総書記の訪中があり、尖閣諸島海域で中国漁船と日本の海上保安庁の巡視船の「接触」事件が起きました。乗組員はきのう中国に帰国しましたが、船長は日本の法において取り調べが行われ「処遇」が決まることになるため身柄の「拘束」が続いています。
この「事件」についてはその背景や現場での事実関係など、メディアで伝えられることだけでは確たる判断ができない要素が多く残っていると感じます。
とりわけ、なぜこのタイミングで事件が起きたのか、このことをどう読み解くのかを考えてみると、底流に複雑な問題が潜んでいるように感じられます。
そして、小沢VS菅の対決で白熱した民主党代表選挙はいよいよきょう午後結果が出ることになります。
こうした「大きな出来事」が相次いだことをふまえなが、この代表選挙の結果が出る前に、手短にですが、幾ばくかのことを書いておかなければと感じます。
新聞、放送などいずれのメディアでも、総理大臣にふさわしいのは菅直人氏だと考える人が圧倒的に多いという世論調査の結果が伝えられるとともに、小沢一郎氏には「政治とカネ」の問題があるのでクリーンな菅首相を!という市民の声などが繰り返し報じられてきました。
あるいはコロコロと首相が交代するのでは国際的な信頼を得られない、従って、就任3か月の首相を変えるべきではない続投すべし、といった奇妙な「論理」で語られる場面も多く目にしてきました。
こうした、メディアで支配的な「空気」にいささかの疑問と違和感を抱いてきた私としては、今回の代表選で争われているのは「クリーン」な政治かはたまたそうではない(「ダーティー」な)政治かといった皮相なとらえ方でいいのだろうかと思うのでした。
結論から言えば今回の代表選挙の背後にあるテーマ、争点は米国との関係をどうしていくのかという問題だと考えるのです。その意味では沖縄の普天間基地の移設問題で鳩山前首相が北朝鮮、中国の「脅威」に対する抑止力の必要性という論理で米国に膝を屈して以来、すでに物事の帰趨は見えていたというべきではないでしょうか。
たとえば、先月末東京を離れる前に、言論NPO主催による「東京―北京フォーラム」や中国から来日した青年層を中心としたメディア関係者との討論会に参加したのですが、フォーラムで基調となる発言に立った政府の枢要を担う政治家は「我が国の外交は日米同盟を基軸とし・・・」と切り出し、あれこれ述べた上に「東アジア共同体の構築をめざす」と語りました。
要は、従来の日米同盟基軸論から一歩も出るつもりもなく、その必要性もないという論に終始するとともに、なおかつそのことと「東アジア共同体」の構築をめざすこととの関係についての「矛盾」と「乖離」にまったくの無自覚とでもいうべき姿を目の当たりにすることになったのでした。
なるほど「米国なるもの」の重さはこれほどのものかと、皮肉な形でですが、あらためて感じ入ったものです。
大幅に端折って言うならばですが、日米同盟基軸を謳うとき、それは政治、軍事にわたる同盟を通じて東アジアの秩序を維持しようとするものに他ならないわけで、つまるところ米国からするところの「東アジアの秩序」を守ろうということに他なりません。
ということは、日米同盟を基軸としながら東アジア共同体の構築を目指すということは、米国からするところの望ましい東アジアの秩序を軍事同盟の力によって打ち立てようとすることに他なりません。
中国、朝鮮半島の人々が、あるいはアジアの人々がこれを是とするでしょうか。受け入れらないとすることは火を見るよりも明らかではないでしょうか。
こんなことは言うまでもないことでしょう。
では米国の核と強大な軍事力の傘の下で日本と米国が共同して、力による秩序をこの地域に暴力的に認めさせていけるのかといえば、いまやそんなことはできようはずがありません。
この「矛盾」を私たちは真剣に知る必要があります。メディアのみならず政治家、そして識者といわれる人たちはこの問題を一体どう考えるのか、ウソ偽りのないところを語ること、問題と真摯に向き合うことが必要になるというべきです。
つまり、米国との関係を命がけで動かそうとするのか、あるいはまったくもって従来の日米基軸論から一歩も出ることなく、所与の前提を前提として身の丈を合わせていこうとするのか、争点はここにあるというべきです。
それゆえに、メディアも識者もひっくるめた大合唱が起きて、米国に少しでも「刃向う」うごきは徹底して排除していくという流れができつつあるのだと感じます。
今回の代表選挙の裏側には「米国」という重大なテーマが、そしてそれと表裏一体をなす中国、朝鮮半島との関係をどう構想しどう動かしていくのかという問題が存在していることを忘れてはならないと思います。
それゆえ、琴線に触れる恐れのある者に対しては激しいまでのバッシングの類が起きているのだと言うべきでしょう。
さてもうひとつ、では「クリーンな政治」についてはどうなのだろうかということになります。
これまた「クリーン」というのは「政治とカネ」の問題だということで没論理的ともいうべき論調が花盛りです。
「政治とカネ」の問題を抱えるダーティーな政治家というレッテルを貼って攻撃と排除の矛先を向けることになるというわけです。
ここでも論理の没論理化が生じるのでした。
もちろんカネをごまかしたり、裏の世界でしか語れないカネを以て何かをしようというのはあってはならないことです。しかしでは、言うことと実際にすることが違っている、もっと端的に言えば、人を謀(たばかる)ばかりの政治を行って恥じることのない政治家はクリーンというのでしょうか。
たとえば、流行語、あるいはブームとなった感のある「仕分け」、さてその内実はいかなるものであったのか、メディアでもてはやされたのとは裏腹に、従来の官僚支配の枠組みから一歩も踏み出すことなく、本来切り込むべきところは残し従来の構造を温存するとともに、白日の下に曝すべき情報公開にも踏み切れないという、虚構性に彩られた政治をクリーンな政治というのでしょうか。
政治家も識者もメディアも、真摯に、本当のことを語らなければならないと言うべきです。
さて、メディアによれば、「クリーン」な政治家を大いに支持する市民、有権者に背を押された政治家が選ぶことになるという次の首相は誰になるのでしょうか。
その政治家が官僚機構に切り込むことができない程度ならまだしも?戦後65年を経てなおかつ従来の日米同盟を基軸とする枠組みからこれまた一歩も出ることなく唯々諾々と米国の足下で政治にいそしむことを是とするのならば、その不幸がもたらす未来に誰が責任を持つのでしょうか。
率直に言って暗澹たる思いに駆られます。
今回の民主党代表選挙の本質は米国との関係そしてアジア、とりわけ中国、朝鮮半島を中心とする北東アジアの未来の姿を我々自身の手で描くことができるのかどうかをめぐって争われているのだという、もう一つの認識が求められているのだと痛切に感じます。
あと十二時間後にはそのことへの「答え」が出るのだと思うと、まさに浮ついた選挙の「お祭り気分」ではなく、重く、厳粛な目で見据える必要があると痛切に思います。
福沢諭吉の「脱亜論」から125年、「脱亜入欧」の「欧」を米国に置き換えて65年。
アジアのなかの日本として、アジアで生きる日本として、とりわけ中国、朝鮮半島の人々と真の信頼関係を築き、この地域の平和と発展のために、いまどのような選択をしていくのか、それこそが問われる民主党代表選挙だということも忘れてはならないと考えます。
この間金正日総書記の訪中があり、尖閣諸島海域で中国漁船と日本の海上保安庁の巡視船の「接触」事件が起きました。乗組員はきのう中国に帰国しましたが、船長は日本の法において取り調べが行われ「処遇」が決まることになるため身柄の「拘束」が続いています。
この「事件」についてはその背景や現場での事実関係など、メディアで伝えられることだけでは確たる判断ができない要素が多く残っていると感じます。
とりわけ、なぜこのタイミングで事件が起きたのか、このことをどう読み解くのかを考えてみると、底流に複雑な問題が潜んでいるように感じられます。
そして、小沢VS菅の対決で白熱した民主党代表選挙はいよいよきょう午後結果が出ることになります。
こうした「大きな出来事」が相次いだことをふまえなが、この代表選挙の結果が出る前に、手短にですが、幾ばくかのことを書いておかなければと感じます。
新聞、放送などいずれのメディアでも、総理大臣にふさわしいのは菅直人氏だと考える人が圧倒的に多いという世論調査の結果が伝えられるとともに、小沢一郎氏には「政治とカネ」の問題があるのでクリーンな菅首相を!という市民の声などが繰り返し報じられてきました。
あるいはコロコロと首相が交代するのでは国際的な信頼を得られない、従って、就任3か月の首相を変えるべきではない続投すべし、といった奇妙な「論理」で語られる場面も多く目にしてきました。
こうした、メディアで支配的な「空気」にいささかの疑問と違和感を抱いてきた私としては、今回の代表選で争われているのは「クリーン」な政治かはたまたそうではない(「ダーティー」な)政治かといった皮相なとらえ方でいいのだろうかと思うのでした。
結論から言えば今回の代表選挙の背後にあるテーマ、争点は米国との関係をどうしていくのかという問題だと考えるのです。その意味では沖縄の普天間基地の移設問題で鳩山前首相が北朝鮮、中国の「脅威」に対する抑止力の必要性という論理で米国に膝を屈して以来、すでに物事の帰趨は見えていたというべきではないでしょうか。
たとえば、先月末東京を離れる前に、言論NPO主催による「東京―北京フォーラム」や中国から来日した青年層を中心としたメディア関係者との討論会に参加したのですが、フォーラムで基調となる発言に立った政府の枢要を担う政治家は「我が国の外交は日米同盟を基軸とし・・・」と切り出し、あれこれ述べた上に「東アジア共同体の構築をめざす」と語りました。
要は、従来の日米同盟基軸論から一歩も出るつもりもなく、その必要性もないという論に終始するとともに、なおかつそのことと「東アジア共同体」の構築をめざすこととの関係についての「矛盾」と「乖離」にまったくの無自覚とでもいうべき姿を目の当たりにすることになったのでした。
なるほど「米国なるもの」の重さはこれほどのものかと、皮肉な形でですが、あらためて感じ入ったものです。
大幅に端折って言うならばですが、日米同盟基軸を謳うとき、それは政治、軍事にわたる同盟を通じて東アジアの秩序を維持しようとするものに他ならないわけで、つまるところ米国からするところの「東アジアの秩序」を守ろうということに他なりません。
ということは、日米同盟を基軸としながら東アジア共同体の構築を目指すということは、米国からするところの望ましい東アジアの秩序を軍事同盟の力によって打ち立てようとすることに他なりません。
中国、朝鮮半島の人々が、あるいはアジアの人々がこれを是とするでしょうか。受け入れらないとすることは火を見るよりも明らかではないでしょうか。
こんなことは言うまでもないことでしょう。
では米国の核と強大な軍事力の傘の下で日本と米国が共同して、力による秩序をこの地域に暴力的に認めさせていけるのかといえば、いまやそんなことはできようはずがありません。
この「矛盾」を私たちは真剣に知る必要があります。メディアのみならず政治家、そして識者といわれる人たちはこの問題を一体どう考えるのか、ウソ偽りのないところを語ること、問題と真摯に向き合うことが必要になるというべきです。
つまり、米国との関係を命がけで動かそうとするのか、あるいはまったくもって従来の日米基軸論から一歩も出ることなく、所与の前提を前提として身の丈を合わせていこうとするのか、争点はここにあるというべきです。
それゆえに、メディアも識者もひっくるめた大合唱が起きて、米国に少しでも「刃向う」うごきは徹底して排除していくという流れができつつあるのだと感じます。
今回の代表選挙の裏側には「米国」という重大なテーマが、そしてそれと表裏一体をなす中国、朝鮮半島との関係をどう構想しどう動かしていくのかという問題が存在していることを忘れてはならないと思います。
それゆえ、琴線に触れる恐れのある者に対しては激しいまでのバッシングの類が起きているのだと言うべきでしょう。
さてもうひとつ、では「クリーンな政治」についてはどうなのだろうかということになります。
これまた「クリーン」というのは「政治とカネ」の問題だということで没論理的ともいうべき論調が花盛りです。
「政治とカネ」の問題を抱えるダーティーな政治家というレッテルを貼って攻撃と排除の矛先を向けることになるというわけです。
ここでも論理の没論理化が生じるのでした。
もちろんカネをごまかしたり、裏の世界でしか語れないカネを以て何かをしようというのはあってはならないことです。しかしでは、言うことと実際にすることが違っている、もっと端的に言えば、人を謀(たばかる)ばかりの政治を行って恥じることのない政治家はクリーンというのでしょうか。
たとえば、流行語、あるいはブームとなった感のある「仕分け」、さてその内実はいかなるものであったのか、メディアでもてはやされたのとは裏腹に、従来の官僚支配の枠組みから一歩も踏み出すことなく、本来切り込むべきところは残し従来の構造を温存するとともに、白日の下に曝すべき情報公開にも踏み切れないという、虚構性に彩られた政治をクリーンな政治というのでしょうか。
政治家も識者もメディアも、真摯に、本当のことを語らなければならないと言うべきです。
さて、メディアによれば、「クリーン」な政治家を大いに支持する市民、有権者に背を押された政治家が選ぶことになるという次の首相は誰になるのでしょうか。
その政治家が官僚機構に切り込むことができない程度ならまだしも?戦後65年を経てなおかつ従来の日米同盟を基軸とする枠組みからこれまた一歩も出ることなく唯々諾々と米国の足下で政治にいそしむことを是とするのならば、その不幸がもたらす未来に誰が責任を持つのでしょうか。
率直に言って暗澹たる思いに駆られます。
今回の民主党代表選挙の本質は米国との関係そしてアジア、とりわけ中国、朝鮮半島を中心とする北東アジアの未来の姿を我々自身の手で描くことができるのかどうかをめぐって争われているのだという、もう一つの認識が求められているのだと痛切に感じます。
あと十二時間後にはそのことへの「答え」が出るのだと思うと、まさに浮ついた選挙の「お祭り気分」ではなく、重く、厳粛な目で見据える必要があると痛切に思います。
福沢諭吉の「脱亜論」から125年、「脱亜入欧」の「欧」を米国に置き換えて65年。
アジアのなかの日本として、アジアで生きる日本として、とりわけ中国、朝鮮半島の人々と真の信頼関係を築き、この地域の平和と発展のために、いまどのような選択をしていくのか、それこそが問われる民主党代表選挙だということも忘れてはならないと考えます。