2010年06月27日

砲声を聞くことなく

 1950年6月25日早朝、朝鮮半島で戦火が勃発してから60年を迎えました。
 日曜日の明け方のことでした。
 幸いなことに60年目の25日は、朝鮮半島に、少なくとも、砲声を聞くことなく朝を迎えることができました。
 しかし、では平和な朝を迎えたのかといえば、ほど遠いと言わざるをえません。

 そして、1953年7月27日、板門店で「休戦協定」が結ばれて以来、一時的な「休戦」状況がもう57年にもなります。
 「休戦」とカギかっこが必要なのは、議論の余地のないことでしょう。
砲弾が飛び交うことだけが戦争で、砲声が聞こえなければ平和だということにはならないことは誰もが知ることです。

 欧州における「冷戦崩壊」がいわれながら、この北東アジアの地では、まだ冷戦が続いています。
 
 まずこのことを私たちは思い起こさなければならないと思います。

 なにかというと「冷戦後の世界」と語り始めるわけですが、私たちは依然として冷戦の歴史を生きていて、この状況を根本的に転換するという歴史的な課題をあるいは使命を果たしていないということをしっかりと胸に刻まなければならないと思います。

 また、われわれの記憶を歴史に繋ぐというジャーナリズムの使命を考えるならば、朝鮮戦争をどう語り、この地に残る冷戦状況をどう変えていくのかをどのような言説でもって示すのか、深く問われるところだと考えます。

 戦後生まれの私にとって朝鮮戦争とは「歴史」であり、自らの肌をとおした痛みとして語ることはできません。
 
 しかし、年齢からいうと朝鮮戦争の休戦からは少し後なのかと思うのですが、子供のころ住んでいた家の近くに当時は進駐軍と言っていた米軍の病院施設があって、両脇に担架をセットしたヘリコプターが昼夜を分かたず発着を繰り返していたことがはっきりと記憶に残っています。
 大人たちの会話からは「イタツケ」とか、どことかから運ばれてくるけが人や病人だとかいうことが漏れ聞こえてきた記憶があります。

 幼少の子供にとって飛行機やヘリコプターというのはなんともいえないあこがれの「乗り物」のはずなのですが、夢を感じられない異様な「暗黒の風景」とでもいうのでしょうか、不思議なことに、明るい陽光の下での発着という印象が一切ないのです。
 ひんぱんに発着を繰り返すヘリコプターが少し傾きながら旋回して病院施設の白い塀の向こうに姿を消す間際に両脇の担架に縛り付けられている濃いカーキ色の毛布のようなもののふくらみが見えたことも、くっきりと、像として記憶に残っています。
 これまた不思議なのですが、そのことを思い出そうとすると、なにか鬱々とした記憶の塊に気持ちが暗くなるのでした。

 そんな記憶を胸に、各紙朝刊に目を通しました。

 25日の社説で朝鮮戦争を取り上げているのは「毎日」と「産経」、「読売」は前日24日の社説で取り上げました。ほかの3紙は、国際面に北朝鮮関連の記事が掲載されたりはしていますが「社説」には見当たりません。

 このテーマを取り上げないからといって責められる謂れはないのかもしれませんが、論調はともかくとして、少なくとも朝鮮戦争から60年ということは重いテーマとしてジャーナリストに意識されているものだと思い込んでいたものですから、私にとっては意外でした。

朝鮮戦争60年 「北」の根本的転換が必要(毎日)
朝鮮戦争60年 北は今も「好戦国家」だ 脅威に対し日韓提携が重要(産経)
朝鮮戦争60年 変わらない北朝鮮の脅威(読売)

 これが各紙社説の見出しです。これだけでおおむねの論調が見えてきますので、付け加えるべきことはそれほどありません。
 もっとも、この内容で「良し」としているということではなく、言い立てはじめるととことん語り尽くさなければならないので、控えるという意味です。
 ただ、三紙に共通する以下のような書き出しに、私はふと立ち止まってしまうのでした。

 「60年前の6月25日、ひそかにソ連の支援を受けた北朝鮮軍が韓国になだれ込み、朝鮮戦争が始まった。米国が国連軍を率いて韓国を助け、中国は北朝鮮に加勢した激戦である。」
 
 「北朝鮮がソ連(当時)や中国の支持、支援を得て韓国を奇襲攻撃した朝鮮戦争(1950〜53年)が始まって、25日で60年になる。」

 「北朝鮮軍が北緯38度線を越えて突如、韓国に全面侵攻した1950年6月25日の朝鮮戦争勃発から、明日でちょうど60年を迎える。」

 朝鮮戦争が南北どちらから仕掛けてはじまったのかということについて言えば、いまは北側から、ということが「定説」になっていますからこういう書き出しになるとしても不思議はないのかもしれません。

 また、「朝鮮戦争『北朝鮮侵攻』と中国紙が異例の記述」という見出しで26日の「日経」が以下のような記事を掲載しました。

 中国国営の新華社系列の中国紙「国際先駆導報」は25日付で、朝鮮戦争開戦60周年に関する特集記事を掲載し「北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、3日後にソウルが陥落した」と紹介した。
 義勇軍を派遣した中国は公式には開戦の発端が「北朝鮮の南進」だったとは認めておらず、異例の記述になった。
 記事は「北朝鮮の侵攻による開戦説が中国でも定説になっていることを示した」(中国メディア関係者)との見方が出ている。
 中国外務省の秦剛副報道局長は24日の記者会見で、開戦の経緯に関する質問に直接の言及を避けていた。

 依然として日本のメディアにとって「どちらが先に仕掛けたのか」ということが最大の「関心事」であることがうかがえます。

 しかし私は、昨年、身近にお話をうかがう機会を得た鄭 敬謨さんから何気なく投げかけられた「戦争はどちらかが鉄砲を撃つということではじまるのでしょうか、それが戦争の起源ということなのでしょうか・・・・。」という「問い」にハッとさせられたことを思い出します。

 それ以来、この言葉が胸の奥深くでこだまのように響き続けているのでした。

 鄭 敬謨さんについてはあらためて言うまでもありませんが、1924年ソウル生まれで、日本の慶応大学医学部予科をへて米国へ留学、エモリ大学文理科大を卒業後朝鮮戦争勃発と同時に当時の駐米大使張勉氏の勧めで米国防総省職員となり、板門店における休戦会談にも参加、「朝鮮戦争におけるアメリカの侵略性を内側からつぶさに体験」されたという経歴をお持ちで、1970年、当時の朴正煕政権から逃れるように日本へ、以来、文筆活動を以て韓国民主化運動の一翼を担ってこられました。

 昨年亡くなった金大中元大統領が東京から拉致された際、命がけの救出活動に奔走され、米国のキッシンジャーを動かして間一髪のところで金大中氏の救命を果たしたことは、知る人ぞ知る事実です。

 また1989年には韓国の文益煥牧師と平壌を訪問し当時の金日成主席と会談したことでも知られています。

 韓国の民主化のために精魂を傾けながら、「世界」をはじめ各紙・誌で舌鋒鋭く論陣を張るとともに「シアレヒム」(一粒の力)という学塾を主宰し多くの若い世代の育成にも力を尽くしてこられました。

 その鄭 敬謨さんからの一見何気ない問いかけに、私は、物事を根源的に考えるとはどういうことかということをあらためて考えさせられました。

 「ブルース・カミングスが『朝鮮戦争の起源』を、なぜ、1950年6月25日からではなく、それにさかのぼる1945年から書き起こしているのを考えなければなりません。なぜ戦争が起きたのかは、(戦闘の開始の)銃声がどちらからだったのかということだけで考えていると本質が見えてこないのではないでしょうか。」とおっしゃる鄭 敬謨さんの問いかけに、あらためて歴史を見つめる目、そこでの問題意識の深さを問われている気がしたものです。

 その鄭 敬謨さんには、4月に開いた「北東アジア動態研究会」でお話していただくとともに、先日もまた身近にお話をうかがう機会を得ました。

 そのなかで、私たちが知らないか、あるいは、もし知りうる人がいたとしてその重要性についてあえて無視しようとしたか、見落としている、ある「問題」について、あらためて、認識を迫られることになりました。

 それは、米国のトルーマン政権の外交顧問、J・F・ダレスのメモランダム(覚書)と国務省政策企画部長のジョージ・ケナンの「対朝鮮構想」です。

 ジョージ・ケナンといえば「対ソ封じ込め」政策の立案者として広く知られていますので、それがどうしたのかというところかもしれませんが、鄭 敬謨さんの話から、実は、彼は、朝鮮半島は日本の再支配に任せるべきだという、驚くべき「構想」の立案者であったことを知ることになったのでした。

 「このことはほとんど知られていないでしょうね。第一、この構想自体が隠蔽されたままで、もしもこのことを知っていると言い切れる人がいるとすれば、それは寧ろ例外中の例外だといえるでしょう。しかし、過去に、メディアの方たちにもあるいは研究者のみなさんにも、再三このことをお話ししてきたが、きちんと取り上げて考えてみようという動きは皆無に近い。どうしてなのでしょう・・・。」

 鄭 敬謨さんはこう語りながら、ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』第二巻(日本未邦訳)から以下を引用して、どうですかと問いかけるのでした。

 「日本人の影響力並びに彼らの活動が再び朝鮮と満州に及んで行くような事態をアメリカが現実的な立場から反対しえなくなる日は、われわれが考えるよりは早くやってくるだろう。それはこの地域に対するソビエトの浸透を食い止める手段としては、これ以上のものはないからである。力の均衡をうまく利用するというこのような構想は何もアメリカの外交政策にとってこと新しいものではない。現今の国際情勢に鑑み、アメリカが上記のような政策の妥当性を認め、もう一度そのような政策に戻ることは、それが早ければ早いほど望ましいというのは、われわれ企画部スタッフの一致した見解である。」

 その原文を鄭 敬謨さんが主宰される「シアレヒムの会」の刊行物『粒』(RYU)から引用させていただくと以下のとおりです。(『粒』41号38P:2003年1月発行から)




 そして前後しますが、ダレスのメモランダムです。

 「アメリカは日本人が中国人や朝鮮人に抱いている民族的優越感を充分利用する必要がある。共産陣営を圧倒している西側の一員として自分たちが同等の地位を獲得しうるという自信感を日本人に与えなくてはならない」

 ダレスによってこのメモランダムが書かれたのは1950年6月6日。

 「朝鮮戦争が勃発するわずか二十日ばかり前の時点であったことに注意を払うべきです・・・」
鄭 敬謨さんが語りかけることの重みを、いま私たちはどう受けとめるのか、深く問われるところだと痛感します。

 また、上に引いた『粒』の発行が2003年であることからもわかるように、このことを再三語ってきたが、日本のメディアでも識者の間でも、真剣に受けとめて考えてみようという動きが皆無に等しい・・・という鄭さんの指摘は極めて重いというべきです。

 なお、最近の刊行物でいえば藤原書店発行の季刊誌『環』の41号〜特集「日米安保」を問う〜に、このことにかかわる鄭 敬謨さんの論稿も掲載されていますのでぜひお読みください。

 朝鮮戦争の特需によって日本は戦後復興を遂げることができたという程度の認識は広く語られるのですが、米国の世界・アジア戦略のなかで、ほかでもなく日本が朝鮮戦争の第一の「当事者」としてあったということへの認識は皆無といっていいでしょう。

 それどころか、新聞の社説がすべてだとは思いませんが、紙面に表れる言説、論考を読むと鄭 敬謨さんの危惧は、日本の言論の現状に対してまだ好意的に過ぎると言うべきだと、残念ながらですが、言わざるをえない、憂慮すべき状況だと感じます。

 たとえば、
 「朝鮮戦争は北朝鮮の創業者とされる金日成(1994年死亡)が、韓国併合を狙って引き起こした武力統一戦争だった。背後には当時のソ連や中国など国際共産主義勢力が控え、朝鮮半島全体の共産化はもちろん『その次は日本』を目標にしていた。
 そのため朝鮮戦争は日本にとっても重大な脅威だった。米国が国連軍として直ちに韓国防衛に馳せ参じたのも日本の安全保障を重視したからだ。
 朝鮮戦争を機に自衛隊の母体となった警察予備隊が創設された。日米安保条約が調印され、破壊活動防止法も公布された。いずれも日米の危機感からだった。在日米軍は今も国連軍を兼ねている。
 同時に、日本は韓国防衛の後方基地として決定的な役割を果たした。戦時物資の供給をはじめ、後方に日本があったからこそ、米国や韓国など自由陣営は共産勢力の韓国侵略を押し戻すことができたのだ。『朝鮮戦争のおかげで戦後日本の経済は復興した』とよくいわれるが、韓国も『日本のおかげで助かった』のである。この歴史的事実はしっかり記憶されなければならない。」
 
 あるいは、
 「この60年の間、朝鮮戦争に色濃く反映された東西イデオロギーの対立は冷戦終了とともに消滅し、世界は大きく変わった。」
 ゆえに、
 「好戦性、侵略性」をもった独裁国家北朝鮮を変えなければならない、あるいは、北朝鮮の「根本的な転換だけが平和と安定への道だという真実を、北朝鮮指導部は受け入れるべきである。」
といった論調、主張になるわけです。

 こうした新聞紙面の「社説」で語られる言説の背後にある認識を、私たちはいまどう受けとめ、どう考えるのか、厳しく、深く問われているのだと思います。

 もちろんこうした社説の「論調」とは別に、北朝鮮は変わらなければならないでしょうし、国民の生活を豊かにし、幸せをもたらすためにしなければならないことは多くかつ重い課題としてあることは確かだと考えます。

 しかし、そのことを語る前に、では、朝鮮戦争とその後の歴史のなかで、私たち日本の存在はいかなるものであったのかということへの検証と考察がなければ、国際的に説得力を持つ言説にはならないであろうということは明白です。

 否、それどころか、朝鮮半島への植民地支配がどのようなものであり、それが「第二次世界大戦」の戦後世界を、とりわけ北東アジアをどう規定したのかという、「朝鮮戦争の起源」に至る歴史への自省と深い検証がなくては、何かを語る資格はないと言うべきです。

 その際、鄭 敬謨さんが示しておられる、知られざる「ケナン構想」の重みをしっかりと認識してかからなければならないと言うべきで、その意味で、私たちは事実と歴史に対して謙虚にかつ真摯に向き合わなければならないと考えます。

 社説の筆を執る世代も大きく変わり、歴史に対する認識の浅薄さや問題意識の希薄さ、あるいは無知ゆえのことなのか、はたまたそうした「世代交代」とは無関係に、これが日本の言論状況の水準を示すものなのか、私にはにわかに判断がつきません。

 しかし、こうした社説を読みながら鄭 敬謨さんの危惧を反芻するとき、言論、言説の危うさは容易ならざるところに来ていると考えざるをえません。
 
 このコラムは、実は、25日の朝書き始めたのですが、所用で取り紛れて書き上げることが出来ずに27日(日)の朝を迎えてしまいました。

 けさの朝刊各紙にはG8、主要国首脳会議が北朝鮮を非難する首脳宣言を発したことを伝える記事が掲載されました。

 さて、これで「現状」の解決に向けて何かが動くのでしょうか。

 あるいは「北朝鮮非難のメッセージを=菅首相が提起―哨戒艦沈没事件」という見出しを前に、日本の立ち位置は本当にこんなことでいいのか、深い憂慮を抱かざるをえません。

 いまだ終わらない朝鮮戦争から60年。
 少なくとも、朝鮮半島に砲声が響かない朝を迎えて、しかし見えざる「砲声」が重低音のように響いています。

 アメリカの世界・アジア戦略のなかで、朝鮮戦争第一の「当事者」としての日本。
 さて、知られざる「ケナン構想」をどう受けとめるのか。
 いままた、私たちが問われています。



posted by 木村知義 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月16日

「内向きの思考」でなければいいのだが・・・

 4年ごとの「にわかサッカーファン」程度の知識と応援ぶりでワールドカップサッカーについて発言権があるのかどうかわかりませんが、ワールドカップの開幕にはそれなりに「興奮」して毎日のテレビ中継にかじりついています。
 
 一昨日の日本―カメルーン戦には力が入りました。
 開幕前に本田選手とヒデこと中田英寿氏が熱く語る特集番組を見て二人のサッカーに向かう姿勢というか、生き方に感動したこともあって、本田選手がゴールを決めた時には本当に胸が熱くなりました。
 
 で、昨夜帰宅して、さあブラジル―北朝鮮戦だ、しかしキックオフは確か夜中というか未明の午前3時半だかなんだったな・・・と思って新聞の番組欄を見て、どこにも記載がないので目を疑いました。

 何かの間違いではないかと別の新聞の番組欄も確かめてみるというバカなことをしてみたのですが、当然といえば当然ですが、どこにも見当たりません。

 近頃はやりの表現を使えば、エエッー!!マジカョとでもいう気分でした。
 「地獄のG組」「世界ランク1位、優勝候補の一角のブラジル」と「出場チーム中世界ランク最下位、44年ぶり出場の北朝鮮」戦だぞ!なぜだ?!と声を上げてしまいました。
 
 NHKをはじめ日本の放送局はなぜこの試合を中継しなかったのでしょうか。
 まさか、北朝鮮ということで「自粛」したということはないのでしょうね、などとあらぬことまで考えてしまいました。
 
 放送関係者にはぜひこの問いに答えてもらいたいと、思います。
 「なぜ、ブラジル―北朝鮮戦を中継しなかったのか、その判断はどういう考えにもとづくものなのか?!」と。
 
 北朝鮮がどうのこうのという好悪の問題ではなく、ジャーナリストであれば、この試合に関心をもってしかるべき、と私は、思うのです。
 
 否、関心を持たないなどというのはジャーナリスト失格だとさえ考えます。

 しかも、北朝鮮代表には川崎でプレーする鄭大世と大宮の安英学という2人のJリーガーがいます。
 
 加えて44年前にはイタリアに勝って8強入りを果たし、世界をアッといわせたという歴史があります。
 もちろんその後世界の舞台から遠ざかってはいましたが、サッカーファンのみならず、ジャーナリストとしては関心を持ってしかるべきという今回のワールドカップ出場です。

 ある新聞の記事の一部を引用します。

 北朝鮮はW杯で輝かしい成績を誇る。66年イングランド大会に初出場し、強豪イタリアを倒して8強入り。国内のサッカー人気も高く、訪朝経験のある国際サッカー連盟(FIFA)のブラッター会長は「金正日総書記自らが、サッカーの発展に強い関心を持っている」というほど。日本と対戦した94年米国大会以来、予選への出場を見合わせ、食糧不足に伴う財政状況の悪化や、成績不振で金総書記が代表チームを解散させたなどの噂が飛んだ。再び力を入れ始めたのは、2002年日韓大会での韓国の躍進が起因とされる。
 代表の特徴は、準備期間の長さ。アジアサッカー連盟(AFC)などよると、W杯出場決定後、欧州とアフリカ遠征を断行し、今年はトルコや中南米、スイスで合宿を行い、南ア入りした。平壌近郊には4〜6面のピッチや宿舎、ジムを完備した国内合宿地がある。
 民族教育の影響からか国や代表チームへの忠誠心は高い。安は02年に初招集された際、当時所属した新潟のチーム事情で合流が遅れると、「代表より大事なことがあるのか」と練習着すら渡してもらえなかったという。
 FIFAランキングは、出場32チーム中最下位の105位。いまだ謎の多いチームとあって、8日に練習が公開されると100人近い報道陣が殺到した。同じG組のブラジルやポルトガル、コートジボワールだけでなく、ポーランドなど多くのメディアの注目を集めたが、報道対応は鄭大世ただ1人で、英語で「政治とスポーツは別。プレーで北朝鮮のイメージを変えたい」と意気込んだ。
 15日には強豪ブラジルとの初戦を迎える。「北朝鮮にはどこにも負けない勇気がある。奇跡は起こせる」と鄭大世の顔は自信に満ちている。
 
 さてこの記事は何新聞でしょうか?
 普段は北朝鮮に対して、きわめて!厳しい論調で知られる産経新聞の記事です。

 スポーツだから政治などと無関係に、などと間の抜けたことを言うつもりはありません。
 
 スポーツは政治そのものであり、オリンピックをはじめ、政治と無関係なスポーツの世界大会などありえません。
 
 スポーツは政治そのものです!

 だからこそ、なのです。
 ジャーナルな観点からしっかりスポーツを見つめる必要があるのです。

 そこには自身の好悪や言うところの世の中の「空気」に動かされず、しっかりとした視座が、視角がなければなりません。

 たかがブラジル―北朝鮮戦の中継がなかったからといって、そこまで言うのかと思う人がいるとしたら、まずサッカーファンとして失格というだけでなく、いま(現在)という時代を生きる一個の人間として、世界とそしてアジアとどう向き合うのかというところでその在り方が深く問われるというべきです。

 サッカーファンとして失格だと言われることぐらいは、単に趣味の問題ですから、サッカーなんか興味はアリマセン!と言い返せばそれで終わりです。
 しかし、この時代を生きる人間として…ということは、なかなか重く、厳しい問題です。

 もちろん、そこまで大げさに言うことはないだろう、という反論は承知の上です。

 しかし、産経の記事をしっかりと読んでみてください。

 わたしがワールドカップに関心を深め、「にわかワールドカップサッカーファン」になったのは、2002年の日韓共催のW杯大会の2年ほど前にさかのぼります。

 何かの折に、親しくしている編集者から「think2002」という勉強会をしているから顔を出してみないかと誘われたのでした。
 
 この会合はその名の通り、日韓共催のワールドカップについていろいろな角度から考える(think)ということであることはもちろんですが、この大会を機に、日本に住む外国人たちと日本人が手を携え、ネットワークを築いて世界から訪れる各国の人たちのために何か役立つことが出来ないだろうかという問題意識で重ねられている、すぐれて実践的な会合でした。

 国際サッカー連盟(FIFA)の理事を務める日本サッカー協会副会長の小倉純二さんやセルジオ越後さん、あるいは中田英寿選手の所属する事務所の関係者、さらにはJAWOC:FIFAワールドカップの日本組織委員会の関係者といった多くの人が、あるときは講師として、あるときは参加者の一員として集うこの会で私は単にサッカーについての知識を得ただけではなく、この時代に国をこえてスポーツの大会を開くということの意味と価値について深く学ぶことになりました。

 さらに、「在日」という存在、日本に住み、暮らす多くの外国人の多様な文化や価値観、ものの見方、そしてこの日本という国で外国人が日々生きることの困難と喜びについて、肌を通して知り、学ぶことになりました。

 そこで交流を深めることになったフリーランスのジャーナリスト姜誠さんが、その後「越境人たち 六月の祭り」(集英社刊)にこの「think2002」のこともふくめてすぐれたルポルタージュとしてまとめていますので、機会があればぜひ読んでいただきたいのですが、私にとっては多くのことを学ぶかけがえのない機会となりました。

 さらに加えて言えば、その姜誠さんからの声掛けで、その後、日本における多民族、多文化共生について考え、行動する「「在日外国人地域ボランティア・ネットワーク円卓会議」の議論にも、ささやかにですが、参加することになりました。

 姜誠さんに誘われて、ブラジル人学校や朝鮮学校などを訪問しながら、この日本国というもの、日本社会のあり方についてどれほど深く考えさせられたことか。

 あるいはこの活動の中で出会うことになった東京芸術大学の毛利嘉孝さんや法政大学の田嶋淳子さん、武蔵大学のアンジェロ・イシさん、さらにはそれぞれの先生方の下で学ぶ大勢の学生たちと一緒に考え、私は本当にいかほどのこともできなかったのですが、ともにイベントに取り組むことで、このニッポンも捨てたものではないぞという勇気を得たことは、私にとって貴重な体験となりました。

 当たり前といえば当たり前ですが、日本に住み、暮らす外国人の存在について考えるということはとりもなおさず、日本あるいは日本人という存在について考えることであり、日本のあり方について見つめ直すことであるということを、あらためて認識させられたのでした。

 つまり、私にとって、ワールドカップという4年に一度の「一大イベント」は、単ににわかサッカーファンになるということにとどまらず、世界を考え、日本を考える重要な機会の一つになるということなのです。

 さて、ブラジルー北朝鮮戦の中継はなぜなされなかったのか?

 私は、メディアにかかわる人々は真摯に考えてみるべきだと考えます。

 北朝鮮の試合だということにかかわる、何かの問題があるのでしょうか、あるいはどこか「ひっかかり」があるのでしょうか。
 その判断の依って来たる所は何なのでしょうか。

 「内向きの思考」でなければいいのだが…という危惧は杞憂でしょうか。

 それにしても、前半0−0で後半2−0となりながら、くいさがる北朝鮮がブラジルゴールのネットを揺らす一点を挙げ、さらにゴールポストの上を越えてしまいはしましたが、思い切ったミドルシュートを放った北朝鮮にハッとさせられたブラジル。

 ダイジェストではなく、中継で見たかった、と思うのは私だけでしょうか。
 たとえ夜中の3時半といえどもです!

 さて、日本のテレビ関係者はどう答えるのか。
 聞いてみたい!と思います。

 そしてもう一度問う!
 「内向きの思考」でなければいいのだが、と。
 ニッポンガンバレ!だけではすまないのではないかと。

 


 

 
 

 
posted by 木村知義 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月14日

追補、カギを握る中国・・・??

 「カギを握る中国・・・??」を書いたのは、深夜、きょう未明でしたので、朝刊に目を通す前でした。
 けさ届いた朝刊各紙を見て、いささか複雑な思いにとらわれました。
 う〜む、これは「追補」が必要ではないかと考えましたので、以下に補足します。
 問題は菅直人首相と中国の温家宝首相の「電話会談」についての報道です。
 日中間の懸案の「東シナ海ガス田の共同開発問題」などについては各紙の報道で大差ないのですが、昨夜(きょう未明)に書いたブログで焦点を当てた、「天安」問題をめぐる日中間の「連携」については、ささいな表現の違いだとして見逃すことのできない問題をはらんでいるのではないかと思いました。
 その部分にかかわる各紙の「表現」を吟味する意味で抜粋して引用してみます。(前後の文脈を切り取るとわからなくなるところもあるので、引用は前後を含みます。)

 朝日:菅直人首相は13日夜、中国の温家宝首相と約25分間電話協議した。両氏は東シナ海ガス田の共同開発について早期に条約締結交渉に入ることを確認し、韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。・・・

 毎日:韓国の哨戒艦沈没事件について、菅首相が「国連安全保障理事会での議論も始まるので、日中で連携し、国際社会の意志を示していくよう連絡を取り合いたい」と呼びかけ、温首相も「日中双方の緊密な連絡が重要だ」と応じた。

 読売:韓国海軍哨戒艦沈没事件を巡る対応については、日中双方が緊密に連絡を取り合っていくことで一致した。

 日経:韓国の哨戒艦沈没事件を巡っては、菅首相が「国連安全保障理事会で議論が始まる。日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合いたい」と提案。温首相は「緊密な連絡が重要だ」と語った。

 産経:菅首相は北朝鮮による韓国哨戒艦撃沈事件に関し「国際社会の意思を示していくように日中で連絡を取り合っていきたい」としたほか、「ホットラインを今後も継続し、戦略的互恵関係をさらに深めていきたい」と述べた。温首相は「日中双方の緻密(ちみつ)な連絡が重要だ」と応じた。会談では東シナ海のガス田開発の早期交渉開始でも一致した。

 東京:日本側の説明によると、菅氏は北朝鮮製魚雷との調査結果が出た韓国海軍哨戒艦沈没について「国連安全保障理事会での議論も始まる。日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請。温氏は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べるにとどめた。

 昨夜(きょう未明)のブログは通信社の報道をもとにして書きましたので、それも引いておきます。

 共同:日本側の説明によると、菅氏は韓国海軍哨戒艦沈没について「日中で連携して国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請した。

 時事: 一方、韓国哨戒艦沈没事件に関し、菅首相は「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請。温首相は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べた。 

 ちなみにNHKニュースでは「また、菅総理大臣が、韓国の哨戒艦の沈没事件について、『国連の安全保障理事会での議論が始まるので、日中両国が連携して国際社会の意思を示せるよう、連絡を取り合っていきたい』と述べたのに対し、温首相は「日中双方の緊密な連絡が重要だ」と述べました。」と伝えていました。

 私が、けさ朝刊を開いて「エッ!」と思ったのは、朝日の「両氏は東シナ海ガス田の共同開発について早期に条約締結交渉に入ることを確認し、韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。」というくだりにぶつかったからです。

 そこで各紙の報道を比較、精査してみなければと思って、読み比べてみると、読売もほぼ同趣旨の「韓国海軍哨戒艦沈没事件を巡る対応については、日中双方が緊密に連絡を取り合っていくことで一致した。」となっているのですが、それ以外は微妙に含みのある表現で伝えていることがわかりました。
(「連携」と「連絡」という言葉の使い分けも含めてどう言ったのか、そこには重要な「含み」があると考えるべきことは当然です。)

 ここでどれがどうだとあげつらうことは控えますが、上記の各紙各社の報道を比較、吟味してみると、ことほど左様に、危ういものがあると言わざるをえないものが見えてきます。

 どうでしょうか?!
 ブログで取り上げた、「天安」問題をめぐって、北朝鮮、あるいは朝鮮半島問題への中国のスタンスをどう読み解くのかという問題は「中国がカギを握っている」と軽く言ってしまえるほど容易いことではないことがわかるのではないでしょうか。

 ミスリードしてはならない!というのは言うほど簡単ではない、ということを、情報の受け手である私たちもしっかり知っておく必要があると、残念ながら、言わざるをえません。

 しかし、それにしても、昨夜の電話会談には外務省の薮中次官、斎木アジア大洋州局長をはじめ仙谷官房長官、古川、福山の両官房副長官も同席しているわけですから、官邸、もしくは外務省の発表だけを鵜呑みにするのではなく、情報のクロスチェックをしていれば「韓国の哨戒艦沈没事件について緊密に連携していくことで一致。」などという記事が出てくるわけはないと思うのですが、そんなことは承知の上で、あえてこうした記事に仕立てたのでしょうか。であるならその含意は何なのでしょうか。

 もし「天安」問題で日中が「緊密に連携していくことで一致」したというなら大ニュースではないでしょうか。

 さりげなく、こうしたミスリードをして、結局、国連の安保理で中国が韓国や日本に同調しないという局面になったとき、またもや中国を非難して終わるという始末のつけ方になるのでしょうか。

 私は、中国のスタンスが良いとか、どうとかいう議論をしているのではないということはお分かりになると思います。

 何気ない、あるいは一見些細な「表現の違い」のように見えるところに、実は重要な問題が隠されていることを見ておかなければ、日々生起する「出来事」の本質を理解できず、右往左往して、あるときにはこっちを非難し、またあるときには、あっちを断ずるというようなことになって、私たちが世界に対して、あるいは時代に対してどう向き合うべきなのかという本質的な問題を深めて考えることが出来なくなってしまうのではないかと危惧を抱くのです。

 さて、日中は「天安」問題で、本当に、「緊密に連携していくことで一致」したのでしょうか。
 
 この記事の筆を執った記者は、あるいはその原稿を受けたデスクは、いま、何を考えているのでしょうか。

 あるいは、そんなことは何も気になることもなく、今も忙しく取材に走り回っているのでしょうか、デスクとして記者から上がってくる記事に読みふけって?いるのでしょうか。

 なかなか、「病い」は深いと言わざるをえません。
 
 このブログの読者のみなさんには、昨夜(きょう未明)のブログと読みあわせて考えていただければと思います。
なお、昨夜書いたブログのアップ後に、中朝友好協力相互援助条約にかかわるコメントを補足、加筆しましたのでご了解ください。
 中段パートに(・・・)として表記してあります。


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カギを握る中国・・・??

 国連の安全保障理事会に提起された「天安」問題では安保理常任理事国、中国の対応に世界が注目しています。

 中国は、一貫して、朝鮮半島の平和と安定の維持を最優先にするという姿勢を崩していません。

 先ごろ来日した温家宝首相が「中国は一方をかばうことはなく、公正な立場を堅持していく」と述べたことについてはすでにこのブログでも触れました。
 メディアはミスリードすることがあってはならないという問題提起もしました。

 その意味は、中国の首脳が語る「ことば」の意味を的確に理解、認識できているのかということを問うたことでもありました。
 
 菅直人首相は昨夜(13日夜)首相公邸で、中国の温家宝首相と就任後初めて電話で会談したということです。

 先の日中首脳会談で合意した「首脳間ホットラインの正式スタート」という位置づけだということですが、25分間の電話会談では日中の戦略的互恵関係を深化させる方針で一致するとともに、東シナ海ガス田共同開発問題で早期に条約締結交渉に入ることを確認したということです。

 そして、「天安」沈没事件に関しては、菅首相が「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請したのに対して、温首相は「日中の緊密な連携が重要だ」と述べたと、各メディアで伝えられています。

 この「日中の緊密な連携が重要だ」という温首相のことばが「天安」問題について言ったことなのか、文脈からはにわかに判断できません。

 外務省もしくは官邸サイドが自らに都合よく解釈したと感じられないでもありません。

 いずれにしても、今回の「天安」問題への中国のスタンスはきわめて慎重なものです。

 韓国そして日本の要請、意向に沿わないということで中国の姿勢を非難する論調もなきにしもあらずなのですが、ここは地に足のついたしっかりした認識が必要になると痛感します。
 
 「中国の対朝鮮政策はその外交政策の一環であるが、地理的な関係と国際政治の敏感性のために、最も慎重なやり方と非公式ルールを経由する。中国の当面の最優先課題は経済の発展で、対外関係や外交政策なども、その方針に従わなければならない。従って中国周辺の政治環境の安定を守って、周辺諸国と友好関係を維持することは、中国政府の外交政策の基本原則である。」

 これは、ある中国の朝鮮問題専門家の、中国における朝鮮政策の形成システムについての研究論文の書き出しです。

 続けて、この論文では、1995年11月、当時の江沢民国家主席が韓国訪問の際に述べた「中国の朝鮮半島問題についての基本原則は、朝鮮半島の平和と安定を維持することにある。」ということが中国政府の対朝鮮政策の枠組みになったとしています。

 そして外交部と共産党中央対外連絡部などの各機関、部署で対朝鮮政策がどのように決められていくのかについて詳細に述べられています。

 また、そのいずれの「場」でも、「朝鮮半島の平和と安定の維持」が変わることのない原則でありすべての枠組みとなっていることが示されています。

 このことに対する過不足ない理解と的確な認識がないと、中国の態度や要人のコメントに対する「読み間違い」がしばしば起きてくるのだと思います。

 メディアをはじめ、私たちが、中国がどちらに「ついている」のかというようなことばかりに意識がいってしまうことで、的確な「読み解き」が不可能となってしまうことが、しばしば起きていることを痛感するものです。

 以前、このブログでもすこし触れたことがありますが、私の知る、中国の朝鮮半島問題の専門家は、公の場ではなく個人として朝鮮について語るときは、北朝鮮に対してきわめて厳しい、辛口のコメントになったりすることもありますので、正直なところ驚くこともしばしばです。

 ですから、わかりやすい言い方をすると、「北朝鮮にはうんざりだ・・・」といったニュアンスのにじみ出る話に遭遇することで、その人の本音が垣間見えるという印象を持つことになります。

 しかし、ひとたび公の立場になると、一致して、朝鮮半島の平和と安定を維持することが第一だということになります。

 私たちの認識が問われるのはここです。

 この中国の専門家たちの態度は、「適当に使い分けているんだな」といった次元の受けとめをしていると大変な間違いを引き起こしてしまいます。そういうことではなく、原則、枠組みは争いようもなくはっきりしているということをこそしっかり認識するべきで、そのことを見落としていると大変な判断ミスを犯すことになります。

 「うんざり」することは確かにある、しかし外交として臨む際にはそうしたことは置いて、あくまでも原則に則って考え、語りそして対処していくというわけです。

 このことの意味、あるいは重みを日本の我々は知っておかなければならないと、痛切に、思います。

 (私の知りうる中国の専門家、研究者たちの言説をもとに考えると、1961年に結ばれた中朝友好協力相互援助条約の「軍事援助条約」としての側面は、実質的には「名存実亡」という状況にあると考えられるということは、すでに、以前のブログで触れました。ちなみに、その際、旧ソ連と北朝鮮の間で結ばれていた条約もほぼ同内容だったが、96年に失効後、2000年にロシアとの間で軍事援助条項のない「友好善隣協力条約」に調印していることにもふれました。朝中、朝ロ関係の内実も時代とともに大きく変化している事を認識しておかなくてはなりません。)

 加えて、米中関係というベクトルについても深い理解が必要です。

 いまは止まったままになっている六か国協議ですが、そもそもこの会合がどのようにして実現に至ったのかを、今こそ復習しておくべきだと考えます。

 第1回の六か国協議から戻ったばかりの、米国のNSC(国家安全保障会議)で枢要をなす人物が、当時訪米した日本の政治家に語った「面談メモ」があります。

 非公開を前提にまとめられたものですから、人物などについて明らかにすることは控えますが、すでに7年という年月を経ていることを考えて、許される範囲で、内容の一部について触れることにします。

 そこでは、どのようにして六カ国協議の開催に至ったのかを米国の立場から語ることからはじめています。

 「中国に対しては、ブッシュ大統領がテキサスのクロフォードで江沢民国家主席に、また2003年2月に、パウエル国務長官から胡錦濤国家主席に、米朝ではなく、地域の関係国全体が参加する多国間のプロセスにおいて、北朝鮮の核開発プログラムの検証かつ不可逆的な放棄をめざすという米国の方針を繰り返し説明するとともに、中国の積極的な関与を求めた。」

 「中国は、朝鮮半島の非核化という目的は共有しつつも、当初は米朝での対話を求めるとともに、中国が北朝鮮に対して有する影響力を過大評価しないでもらいたいという態度をとっていたが、2003年2月以降、この政策態度に明確なシフトが見られ、(六カ国協議に先立つ)2003年4月の北京での「3者会合」をホストするようになった。」

 「4月の3者会合は、米国としては、あくまでもinitial stepに過ぎず、日本と韓国の参加に向けた予備的会合という位置づけで臨んだ。従って、この3者会合では手の内は見せなかった。中国はこの会合では、ホストとしてふるまった。北朝鮮側は、中国が米国と北朝鮮のmediator(調停者)としてふるまってくれると期待していたようだが、中国は中立の第三者としての調停者ではなく、利害関係者、プラス、ホストとしてふるまった。」

 そして六カ国協議について、会議場の「片隅」でおこなわれた北朝鮮との非公式協議も含めて、何が論点となったのかを詳述したあと、参加各国についての米国としての「評価」を述べる中で、

 「中国はホストとして、レフェリー役を行う立場にあったが、北朝鮮の孤立化が明確になる中で、北に圧力をかけると同時に、北朝鮮を六カ国会合から逃がさないように、巧妙に退路を断つという役割を演じた。実際に、北朝鮮が、六か国会合の外にはずれることは困難であると認識するようになったのは、中国の功績が大きい。」
 
 「この六か国会合が、これまで安全保障問題について、十分な多国間の枠組みが存在しなかった北東アジアの安全保障の枠組みの嚆矢となりうるとの期待感をも示した。」

 六カ国協議から戻ったばかりのこの人物の息遣いが聞こえてくるようなメモですが、中国と米国の関係がどのようなものなのか、行間から実によく伝わってきます。

 なかなか複雑で、一筋縄ではいかない、手ごわいものです、米中関係は。

 その後の六カ国協議の展開、あるいはたどった道、そして「暗礁」に乗り上げて止まってしまっている現在の状況を考える際に、この「談話」から垣間見える中国と米国の関係について、冷静かつ的確な認識を持っておかないと、いま起きている様々な問題、もちろん「天安」問題をも含む様々な問題の、読み解きが的外れになる恐れがあるということを示しているというべきです。

 対立もし「協力」、連携もするという米中の国際政治に臨む際のリアリズムとしたたかさについて、しっかり認識しておかないと、物事の本質を見誤るということ、さらにはそこでの、中国の原則というものへの態度について、過不足ない認識が不可欠になるということです。

 こうしたところでの深い思考を欠くと、とんでもないミスリードをすることになるのです。

 さて、「国連安全保障理事会の議論が始まるので、日中が連携して(北朝鮮に対し)国際社会の意思を示すよう連絡を取り合っていきたい」と要請したという菅首相。

 本当に、つまり官邸の発表どおりに、その「要請」を受けて温首相が「日中の緊密な連携が重要だ」と返したことばだとするなら、その含意が奈辺にあるのか、菅首相のそして官邸の、今起きている事態と局面への理解と認識は本当に大丈夫なのだろうかと、いささか考えさせられると言わざるをえません。

 中国の存在がカギを握ると、それは間違いのないことではあっても、それほど軽く言えるものではない!ということを肝に銘じておく必要があります。

 さて、これだけのことをふまえて、国連の安全保障理事会の行方に注目してみましょう。





 
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小島正憲氏の最新レポート 中国で多発するスト

 ホームページに掲載した小島正憲氏の最新レポートのご案内です。
 ご承知のように、中国各地ででストライキが多発しています。
 広東省の広州ホンダに部品を供給している工場のストで、自動車の生産ラインが止まったことが大きなニュースになりました。
 このところ中国各地で多発するストライキと賃金値上げの動きについては日本だけでなく世界のメディアでも大きく取り上げられるところとなっています。
 たとえば「News Week」の6月16日号は『暴発する中国』〜成長シナリオを狂わせる労働者の怒り〜というセンセーショナルなタイトルをかかげて特集を組んでいます。
 中国でいま、何かが起き始めているという予感がしますが、小島正憲氏は、自身が中国で工場を展開してきた経験にもとづいて、現場に赴いて、中国進出企業家の視点で今回のストライキを見つめ、レポートしています。
 果たして、「世界の工場」の終わりの始まり、なのか。
 小島氏のホットな現場からのレポートをご一読ください。  
 サイトは以下の通りです。

  http://www.shakaidotai.com/CCP106.html 


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2010年06月13日

続、単純なことが、一番難しい!

 「天安」問題の国連安全保障理事会での「扱い」が注目されています。
 
 6月の安保理議長国メキシコのヘラー国連大使は週明けにも安保理15カ国による「非公式協議」を行う意向を示していますが、韓国外交部は「民・軍合同調査団」が14日午後3時(日本時間15日午前4時)からニューヨークの国連本部会議場で安保理理事国を対象にした「説明会」を開催することを明らかにしました。

 「非公式協議」と韓国のいう「説明会」の関係がいまひとつ定かではありませんが、自由アジア放送(RFA)は「中国が天安艦国連説明会に欠席するようだ」と報じたということです。

 11日の「日経」はニューヨーク発で、
 「国連安全保障理事会は韓国の哨戒艦沈没事件への対応を巡り、関係国が10日にかけて水面下で折衝を続けた。事件を『北朝鮮の攻撃』と断定する韓国と、それを全面支持する日米に対し、ロシアは『北朝鮮が原因と特定できない』との立場をとり、中国も態度を留保。本格協議を前に活発化する駆け引きで『北朝鮮の攻撃』を認定するかどうかが大きな争点となりつつある。」として、
「事件がそもそも『北朝鮮の攻撃』でないということになれば、日米韓が唱える『北朝鮮への非難』には理解を得られなくなる。議論は“入り口”から激しい対立をはらむ展開となっている。」と伝えています。

 この記事でもふれられているように、韓国に赴いて調査に当たったロシアの専門家ティームは帰国後、北朝鮮の魚雷攻撃によるとした韓国側の「調査報告」について「説得力がある十分な証拠がない」としたということです。

 ロシア政府の政治的判断によってどのようなものになるのか、正式な発表までかなり時間がかかるという観測も出ていますので、まだ本当のところはわかりませんが、専門家ティームの調査を受け入れた韓国側にとっては「痛手」であることは間違いありません。

 ロシア政府の政治的判断によってと書いたのは、国連安保理の「空気」をどう読み込むのかという問題とともに、私は、もうひとつ、10日の韓国の衛星搭載ロケット「羅老」の打ち上げ失敗という問題がどういう影響を及ぼすのかにも注意を払う必要があるのではないかと感じています。

 海に沈んだ「天安」と宇宙をめざして空に消えた「羅老」に何の関係があるのだと思われるかもしれませんが、このロケット打ち上げ失敗にはロシアが深くかかわっています。

 ロケットの1段目はロシアのロケット製作会社クルニチェフが製作したもので、ロシアから輸入された1段目と韓国が開発した2段目を連結して「羅老」が作られました。

 今回の打ち上げにあたっても韓国とロシアの専門家が協力して取り組んだことをふまえて、ロシアとの契約に規定されている「失敗調査委員会」(Failure Review Board)が韓ロ共同で設置されることになるということです。

 昨年8月の一回目の打ち上げ失敗とあわせて5000億ウオン以上(搭載衛星の製作費は別)といわれる資金を投じてきた宇宙ロケットの打ち上げ失敗は韓国とロシアの関係にも微妙な影を落とすことになるのではないかと感じます。

 それはいかにもうがちすぎだと言われるかもしれませんが、もちろん、問題が複雑になることなく終わればそれに越したことはないと思います。

 さてロシアにかかわる「動き」に加えて、もうひとつ、今回の「天安」問題で、中国が韓国からの国際調査団への参加要請を断っていたということが伝えられました。

 これは北京発時事が伝えたものですが、このところ北朝鮮にかかわる問題ではメディアにたびたび登場する中国共産党中央党校国際戦略研究所の張l瑰教授が日本の「自衛隊佐官級訪中団」との会談で語ったというものです。

 張教授は「この事件は裁判ではなく、国際問題だ。証拠不十分で無罪になったらどうするのか。中国は北東アジアの平和と安定を乱すことはしたくない」と、「調査団」に参加しなかった理由を説明したということです。

 さらに張教授は「韓国と北朝鮮が互いの世論を抑えることができなければ、戦争になる可能性も否定できない。米国が空母を配備して、北朝鮮の核問題も含めて一気に解決しようとすれば、全面戦争になる」と警告したということです。

 「韓国と北朝鮮が互いの世論を抑えることができなければ」というところは、中国語でどういう表現だったのか確認できませんが、この通りの発言であったとすれば、含みの多いところだと感じます。

 北朝鮮の「世論」というものをどうとらえるのかというのは、難しい問題であることはいうまでもありません。

 以前、朝鮮問題についてのジャーナリストの研究会で「朝鮮新報」の平壌支局長を招いて話を聴いた際、「日本のメディアのみなさんは朝鮮は金正日総書記と労働党の指導の下、国民の意識をはじめなにもかも一色だと思っているかもしれないが、庶民にはさまざまな感情があり日本に対する考えもそれぞれにある。その意味で世論というものが歴然として存在していて、為政者の側もそれを無視してはやっていけないという側面もある。そのことを日本のメディアは全く見落としている。在日朝鮮人の新聞社として平壌に駐在しているわれわれは、朝鮮の庶民にも直接取材し、そうした人たちの気分や気持ちというものにも接している・・・・」という話を聴いて、少なくとも私はある驚きというか、発見があったと感じましたし、北朝鮮の動向を見つめる際に必要な「複眼の思想」とでもいうべきものの必要性について触発されたものです。

 とはいうものの、ここで張教授が何を念頭に北朝鮮の「世論」というものを持ち出したのかは、中国語の元テキストが不明だということとも併せて、読み解きは難しいものです。

 ところでこれを書いている時(11日朝書き始めて、ほかのことに時間をとられてまる二日中断して翌13日午後再開したのですが)実に興味深い記事に出会いました。

 私はブログの記事ではどうしても必要なときを除いて、できるだけ名指しでの批判は避けてきていますので今回も名指しで取り上げることを避けますが、ソウル駐在が長い、いわば韓国専門記者の「長老」とでもいう存在の人物によるコラムの一節です。

 「ところで、韓国で先ごろ起きた哨戒艦撃沈事件は『なぜ北朝鮮が?』と、動機などに分かりにくいところがある。そこでこれに『誰がいちばん得をしたか?』論をあてはめてみると、面白い。結論は『いちばん得をしたのは北朝鮮』で『犯人はやはり北朝鮮』となって納得なのだ。
 そう思わせられたのは先週、行われた韓国の統一地方選挙が、まさに北朝鮮の思い通りの結果になったからだ。
 選挙結果は内外の予想を裏切り与党惨敗、野党大勝に終わった。ソウル市長も危うく野党に取られるところだった。
 哨戒艦事件で北朝鮮に対する批判が高まっていたときだから、安保重視の保守派の政権・与党に有利と思われたのに、結果は逆だったのだ。」
 「選挙結果もこれありで、韓国では哨戒艦事件の北朝鮮糾弾はしだいにトーンダウンしつつある。戦争の覚悟がなく、平和志向の韓国は北に何度やられても『泣き寝入り』するしかない。」

 う〜ん・・・とうなりました。
 そうか、こういう「論理」が成り立つものなのかと、恐れ入りました。

 今回の韓国の統一地方選挙については別掲の柳 あい氏の論考に詳しいのでそちらを読んでいただきたいのですが、この選挙の結果を「北朝鮮の思い通りの結果」などと論評することは、思いつきませんでしたので、この「長老記者」のコラムには正直驚きました。

 今回の選挙結果に対して「八つ当たり」とでもいうしかない論調のコラムを前に、選挙を通じて示された韓国の人たちの民意というものにもう少し謙虚に向き合うべきではないかと、考えさせられたものでした。

 それにしても「戦争の覚悟」がない韓国は「北に何度やられても『泣き寝入り』するしかない」というのには言葉を失いました。

 今回の選挙直前の状況はといえば、少なくとも、李明博大統領の国民向けの「決意表明」と北の非妥協的な「声明」や「主張」などを考え合わせると緊張の高まりは極限に近づきつつあり、不測の事態もなきにしもあらずという状況になっていたことは確かだと思います。

 もちろん、だからといってすぐ戦争が起きると短絡して考えるのは誤りだとは思いつつ、しかし、かぎりなく、何が起きても不思議ではない状況に近づいていたことは否定できないと思います。

 今月25日に朝鮮戦争勃発から60年を迎えることまでが、なにか「不吉な暗喩」のように思われて「嫌な感じ」がしたものです。

 そんな状況に、戦争はNo!と鋭い「一撃」を下したのが、今回の選挙結果だったというべきでしょう。

 それは「戦争の覚悟」がないなどとあげつらうべきことではなく、韓国の多くの人々が、李明博政権に対して、戦争はすべきではないと明確に意思表示したというべきです。

 もちろん、いまでもまだ「不測の事態」がなきにしもあらずという状況を払拭できていないというべきですが、それでも60年前とは決定的に違うということを私たちに知らしめたと言う意味で、今回の選挙は歴史的な重みを持っていると言うべきでしょう。

 つまり、こうした民(たみ)の力というものこそが何にも代えがたい「抑止力」なのだということを如実に示したのだと、私は、考えます。

 ここに示された「民の力」の存在は、南北双方の為政者にとって、うっかりしたことはできないという意味で、無視できない「圧力」として重い意味を持ってくるでしょう。

 私が、信頼醸成こそが最大、最強の抑止力であり安全保障ではないのかと主張するのは、思想や体制の異なる関係であるからこそ、力で相手を抑え込むことに腐心するのではなく、何かあれば「相手からやられるかもしれない」という不信と猜疑に凝り固まってしまう状況を、少しずつでも、相互に溶かしていく努力こそが戦争を回避し、抑止することになるのだと考えるからです。

 その際、為政者同士の信頼醸成ということはもちろん大事ですが、なによりも「民(たみ)の意志」として戦争はすべきではないということを鮮明に示していくことが、信頼醸成に向けてのもっとも核心的な力になるのだと思いますし、それが有形無形の「圧力」として双方の為政者を規制していく力になるのだと思います。

 もちろん、「言うは易くして行うは難し」の喩えではありませんが、この単純なことが最も難しいことであることは承知しています。

 しかし、今回の韓国の地方選挙に示された「民意」というものを考えると、「戦争をする覚悟」以上に力強い「民の覚悟」を見せられたという意味で、このようにして危機は回避できるのかもしれないという「具体例」を見た気がするのです。

 重ねて言いますが、まだまだ予断を許さない状況が続いていますし、平和的に治まることを良しとしない「見えざる力」が働かないとも限りませんから、油断はできないとは思います。

 しかし、今回の選挙に示された「民の力」を無視して戦争に踏み出す者がいるなら、いずれにせよ「地獄への道」しか残されていないでしょう。

 その意味で、「天安」問題という不幸な状況下で行われた今回の韓国の地方選挙は、私たちに実に大きなものを学ぶ機会をもたらしたと言うべきです。

 安全保障あるいは抑止力について語るならば、軍事力をどう強化するのか、同盟関係をいかに緊密にするのかというベクトルではなく、どうすれば軍事力を必要としない状況をつくることができるのかについて真剣に考え、議論を深めることにこそ力を注ぐべきだと、私は考えます。

 もちろん、民の力といっても、最終的には為政者のあり方が問われてくることは言うまでもありません。だからこそ為政者を動かす「民の力」が問われると言うべきでしょう。

 今回の韓国の統一地方選挙から、私たちが学ぶべきことは実に重いと考えます。

 単純なことこそ、一番難しい!
 だからこそ、です。


posted by 木村知義 at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月11日

力強い友を得ました!

 このブログをお読みいただいているみなさんに、うれしい報告です。
 すでにご覧いただいたかもしれませんが、「韓国ニュースを読み解く」という新しいページを設けることになりました。
 ブログのカテゴリーを「韓国ニュースを読む〜日本から、韓国ニュースを読み解き、分析する〜」としました。
 韓国・朝鮮半島問題の研究で長いキャリアを重ねてこられて、折々私のブログについても意見を聞かせてくださっていた柳 あいさんが、以前からの私の願いを聞いてくださってこの「社会動態エッセンシャル」に筆をとってくださることになりました。
 一回目は「韓国統一地方選挙の歴史的意義」です。
 送られてきた原稿を読みながら、分析の的確さと今後についての問題提起に大いに触発されました。
 柳さんの一回目の記事の末尾にプロフィルを記しましたが、再度ここに記します。

 柳 あい 韓国・朝鮮半島問題研究者。
 1990年代に韓国の大学で教えながら学生たちと交わり、韓国社会の民主化過程をつぶさに見、肌で感じてきた。帰国後は日本と韓国との市民交流や市民を結んだ研究会活動と取り組む。翻訳家としても数多くの仕事を重ねている。

 柳さんは韓国の研究者や知識人との交流も深く、日本にあって韓国のニュースを読み解く際、そうした人たちとも意見を交わしながら分析されています。いわばニュースの背景、深層に迫る力を備えているといえます。

 私のささやかなブログですが、日本の言論空間の一隅を担っていきたいという志に共感を持ってくださって、今後協働していくことを申し出てくださったというわけです。

 韓国の大学の教壇に立ちながら、軍政から民主化へと歩みをすすめる韓国社会の変化をつぶさに見て、肌で感じ取ってきた経験に根ざした「韓国ニュースの読み解き」に期待していただきたいと考えます。

 ブログの中で、こうして協働する友人を得たことはとても心強く、幸せなことだと思います。

 ぜひ深く読み込んでいただきたいと考えます。
posted by 木村知義 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

韓国ニュースを読み解く(1)

韓国統一地方選挙の歴史的意義
柳 あい


 去る6月2日に行われた韓国の統一地方選挙、その「歴史的」といえる画期的な変化にもかかわらず、同日突発した鳩山首相の辞任劇の陰に隠れ、日本の主要メディアではほとんど報じられていない(『毎日新聞』6月4日付の記事が比較的詳しい)。インターネット上でもあまり論じられていない選挙結果の意義を以下に整理し、紹介してみたい。

 まず韓国の統一地方選挙は、日本の都道府県に当たる広域地方団体の首長と議員、教育長と教育議員(地方議会内に教育委員会を構成)、市町村に当たる基礎地方団体の首長と議員、少なくともこの6人を同時に選出する。日本との最も大きな違いは、都道府県の教育長と教育議員を有権者が選挙で選ぶ点にある。それほど韓国の教育責任者には政治的立場が重視され、この間の教育委員会は圧倒的多数を保守勢力が掌握して「保守化」を推進してきた。

 さて、今回が第5回となる本格的な統一地方選挙は1995年に制度化されたが、本格的には1998年・2002年・2006年5〜6月に実施され、いずれも保守勢力が圧勝してきた。その背景には保守基盤の厚さもあるが、時期がワールドカップの開催前後で若者の関心が低く、50%前後の低い投票率によって保守勢力が地方団体の首長・議員・教育委員会を掌握してきた。だが、今回初めて民主・革新勢力がこれら地方団体の主導権を「全国的に」掌握した、この点が今回の統一地方選挙の歴史的意義の第一である。

 ついで第二に、政府は3月下旬に起きた「天安」沈没事件の調査結果を選挙公示日に公式発表するなど、南北間の緊張をあおったにもかかわらず、大方の予想に反して大敗した選挙結果は「歴史的な分水嶺を越えた」と評価できる。次の第三点とも関連するが、国民は「再度の戦争への道」を選挙を通じて明確に拒否したのである。

 実は、今年の初めまで民主・革新勢力は四分五裂していた。昨年金大中とノ・ムヒョンという二人の指導者を失い、民主党政権時からの内部対立の後遺症に加え、革新派の民主労働党も分裂を重ねていた。それを野党統一候補という形にまとめ上げたのが市民運動、それもネットワーク式の市民団体連合であり、中でも李明博政権の対北緊張政策に反対して「平和共存」政策を継承する朝鮮半島平和フォーラムなどの政治力だった。つまり、民主・革新政党の分裂を克服した野党統一候補の多くが当選した選挙結果は、韓国市民運動の政治力によって実現したといえる。これが、第三の歴史的意義である。

 その成果を具体的に見ていくと、最も驚くべき人物は、釜山広域市郊外に広がる慶尚南道知事に当選した金斗官(キム・ドゥグァン、51歳)である。農民出身の彼は苦学しながら学生運動に参加、獄中生活後に故郷で農民会を組織して最初の民選郡長となり、ノ・ムヒョン政権発足時には行政自治相を務めた。保守勢力の中心地である慶尚南道ゆえに、無所属の野党統一候補として当選したが、彼の政治信条は「草の根民主主義」である。

 同じく、南北接境地の江原道知事に当選した李光宰(イ・グァンジェ、45歳)と忠清南道知事に当選した安熙正(アン・ヒジョン、45歳)はノ・ムヒョンの側近中の側近で、いわば「助さん・格さん」にあたる。この三つの地域で保守政党以外の候補者が当選したのは初めてであり、三人とも軍事政権を打倒した1980年代に学生運動に参加して投獄された世代を代表する政治家である。

 そして、彼らの先輩世代で民主化運動、学生運動の先駆者の一人が、ソウル市長選挙で惜敗した韓明淑(ハン・ミョンスク、66歳)である。ノ・ムヒョン政権下で韓国初の女性首相となった彼女は、選挙前の世論調査での10〜20%差が実際には0.6%差に迫るほどの善戦で、次回2012年大統領選挙に向けて民主勢力を代表する有力候補に浮上したといえよう。なお、ソウル市25区のうち、21区で民主派が勝利したことも画期的であり、こうした「草の根民主主義」の広がりは次回の大統領選挙でも力を発揮するだろう。

 さらに、ソウル市教育長には民主化を推進した全国教授協議会の郭ノヒョン教授が当選するなど、多くの広域地方団体で教員組合の積極的な支持者が教育長に選出された。これまた画期的な成果であり、韓国社会の民主化を長期的に持続させる基盤となり、「平和共存から共生へ」と南北関係を進展させていくに違いない。そして、今この時期に、「戦争よりも平和共存」という方向性を選挙で明確に選択したことこそ、「市民参加型」統一運動(白楽晴『朝鮮半島の平和と統一』、岩波書店、2008年)の到達点を端的に示している。

 次は日本の選挙である。東アジアの「平和共存」の流れに積極的に加わるよう、新政権に様々な形で働きかけていくべきである。沖縄の米軍基地を減らすためにも、「韓国併合100年」にそうした市民運動が求められている。

 柳 あい 韓国・朝鮮半島問題研究者。
 1990年代に韓国の大学で教えながら学生たちと交わり、韓国社会の民主化過程をつぶさに見、肌で感じてきた。帰国後は日本と韓国との市民交流や市民を結んだ研究会活動と取り組む。翻訳家としても数多くの仕事を重ねている。






2010年06月10日

HPの最新記事「カシュガル近況&ウズベキスタン近況」

 折々、ホームページの記事についてご紹介していますが、「小島正憲の凝視中国」欄の最新記事、「カシュガル近況&ウズベキスタン近況」は小島氏が実際に現地に赴いてつぶさに取材したレポートです。
 普段なかなか接することのないカシュガル、ウズベキスタンの現場に立って、歴史をふまえて、現在(いま)を見つめた、情報性に富む読みごたえのあるレポートです。
 
 サイトは以下の通りです


 http://www.shakaidotai.com/CCP105.html

 ぜひお読みください。 
posted by 木村知義 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月08日

単純なことが、一番難しい!

 単純なことが実は一番難しい、ということはよくあることです。
 しかし、やはりこれしかないのではないか、というのがきょうの話です。

 そこで問題です。
 「脅威」に対する最大の抑止は何だろうか、という問題、さて答えは?

 なぜこんな子供じみた問題を出してみるのかと言えば、「天安」問題があるからです。

 その「天安」問題にかかわっては「脅威」と「抑止力」をめぐる議論がもっと活発におこなわれてもいいのではないかと思うのですが、そうでもありません。

 朝鮮半島をはじめ北東アジアには「脅威」が存在していてそれへの「抑止力」が必要だ、というのは安全保障論の疑う余地のないところだとされているからか、議論はそれほど起きません。

 そうした「脅威」を抑えるためには米軍の存在が欠かせない、あるいは日本や韓国など各国の軍事力の一段の拡充が必要で、その上に日米韓の軍事的な協力、連携を一層緊密にしていくことが不可欠だという「常識」に行きつくというのか、そこが前提となって、そこからすべての問題を考えるという展開をたどる。まあこれが「順当」なところでしょうか。

 この線で書き、語っておけばまず問題はというか波風は起きないでしょうし、識者の言説としても、メディアの論調としても「なべて事もなし」ということになるのではないかといえます。

 さて、だからというべきか、ここが一番の考えどころです。

 信頼醸成こそが最大の安全保障だ、などと言うと「専門家」からは一笑に付されるというのが、まあだいたいの今の風潮だというところでしょうか。

 しかし、一笑に付される、この単純な問題提起をしておきたいと、私は考えるのです。

 なぜ一笑に付されるのかと言えば、単純にして難しいからです。

 単純なことはまず専門家というのか「玄人筋」の受けはよくありません。
 残念ながら、それが今の日本の言論状況です。

 次に、難しいことは、というより取り組むことが大変なことは、それ以上に受けません。

 そんなしんどいことと真面目に取り組むなどという酔狂なことはしてられるかい!というわけです。

 第一そんなことを考えても、書いてみても、何の儲けにもならず、得にもならないということを直感的に知るからです。

 「得」にはならないけれど、実は、「徳」になるのだなどということは考えないわけです。

 いささか斜に構えた書き方になっているので、姿勢を正して書くことにしましょう。

 前のブログで、「利」と「理」ということを書きました。
 いま私たちは「利」については大いに語るけれども、「理」についてはあまりにも語らないという状況になっているのではないか、とそんなことを考えるのです。もちろん「利」も大事であることはいうまでもありません。それを否定しているのではなく、同時に「理」についても大事にする視点がなくてはならないのではないかと、控えめにですが、言っているのです。

 朝鮮半島の「核危機」が声高に語られはじめた90年代のはじめ、私は二度にわたって北朝鮮の核問題と朝鮮半島、日本、北東アジアの安全保障をテーマにした番組を担当しました。1992年のことでした。

 いまでこそ珍しくもありませんが、寧辺の核施設(当時はまだ「核施設と見られる、あるいは、思われる」という限定詞が付いていました)を撮った衛星写真を手に入れて、画像解析の専門家や軍事問題、朝鮮半島問題の専門家に出演してもらうという企画の番組でした。

 ただし、米国の情報機関がそうした衛星画像を持っているという話をヒントに、解像能力は当時の「KH11」など米国の「スパイ衛星」よりは数段劣るフランスの資源探査衛星で同じ地域の画像を撮影して入手したものでした。

 その際、ソウルに赴き、当時北朝鮮からの「亡命者」で一番レベルが高いとされた元外交官にもこの画像を見せてインタビューし、北朝鮮の核開発について話しを聞くという取材も経験しました。

 そして、スタジオに朝鮮半島問題の専門家や軍事評論家、衛星画像解析の専門家を迎えて45分間にわたって話し合いました。この三人は、いずれも当時広く名の知られた専門家でした。

 「北の核開発は日本にとって脅威で、いつ何時日本に向けられるかわからないので北をなんとかしなければならない」という出演者の一致した論調に、私は、「そうであれば、北朝鮮との間に信頼醸成が必要になってくるのではないか、そうして北の脅威を緩和もしくは解消していくことが重要なカギになるのではないか、となると、そのために日本はどうすればいいのか・・・」と問いを投げたのでした。

 率直に言って当時はまだ、北の核開発などと言っても多くの視聴者は半信半疑という受けとめだったと記憶しています。

 また北朝鮮の金日成主席(当時)は「我々は核を持つ能力もなければ、その意思もない」という趣旨の言明を重ねていましたので、北朝鮮の核危機というような言説には「エキセントリックに騒ぎ立てている」という響きがなかったわけではありませんでした。

 私は、そうした一部にある北朝鮮にむけた警戒感、危機意識をいたずらに煽るのではなく、問題の根源にさかのぼって冷静に考えていくべきだというスタンスで番組に臨んでいたのでした。

 出演者のみなさんも、私の「信頼醸成が重要になるのではないか」という問いかけに「そうですね・・・」という受けとめで、いくばくかの分析や考えを述べて番組は終了したのでした。
 が、そこでは終わらなかったのです。

 番組終了後控室に戻るなり、「いや、マイッタねぇー。あなたね、本気であんなことを考えてるの?!」と出演者からあざ笑われたというか、なじられたのでした。「北朝鮮みたいな国を相手に信頼醸成なんて成立するわけがないじゃないか。そんなバカなことを考えて番組を担当しているの?!」と。すると3人の出演者一同、「全くそうだ・・・」と意見が一致したのでした。

 もちろんそこは大人の対応というもので、最後は、お互いに苦笑交じりに言葉を濁して解散となったのでしたが。しかし、ことほど左様に「素人がなにを言い出すやら、ほんに恐ろしいものよ・・・」というのが出演者一同の「あざけり」の、と言ってもいい空気でした。

 私は、この「北朝鮮みたいな・・・」というところに大いに引っかかりがあったのですが、別に「北朝鮮信奉者」というわけでもないわけですから、こうした名の知れた専門家と、番組終了後の雑談という、限られた時間で議論してもあまり生産的ではないという気持ちがあったので、まあそこまでにしたというわけでした。

 しかし、彼らが、「北の核がなぜ危険なのかといえば、問題は韓国なんですよ。北の核をそのままにして統一された日にはそれが日本に向かってくることは間違いない。いまはまだ分断されているからいいが、統一となったら南北一緒になって核を日本に向けることになるから大変なことになる。だから今のうちに芽を摘んでおかなければ・・・」と雑談を交わすのを目の当たりにして、当時、日本を代表する朝鮮半島問題の研究者のひとりで、韓国からも高い評価を得ている専門家の本音が奈辺にあるのかを知ることになり、実に「勉強になる」とともに、複雑な思いを抱いたことを記憶しています。

 しかし、たとえ素人の空想とあざけられても、信頼醸成こそが最大、最強の安全保障だという考えが揺らぐことはありませんでした。

 つまり、それが難しい現実があるからこそ、その困難の依って来たる所を根底から見つめ直して、それをどうすれば変えることが出来るのか、信頼醸成を可能とする状況にむけてどうすればいいのか、どのような努力が必要なのかを深く考え、明らかにしていくことがジャーナリズムに求められる事ではないのか、あるいは専門家と言われる人々の責務ではないのか、と考え続けてきたのです。

 私はこのコラムで「所与の前提」を疑うこともなく前提として言説を重ねていくことの危うさについて何度も書いてきました。

 どうでしょうか、今回の「天安」問題。

 「危機的状況」があるのなら余計のこと、それをどのようにすれば平和的な環境に変えることが出来るのか、そのために必要な信頼醸成をどう創りだしていくのかというベクトルの議論や考察がメディアで、論壇で深められているでしょうか。

 現実はと言えば、上に書いた「専門家」たち同様、脅威を抑止するためには日米韓の軍事連携を一層深め、レベルを上げなければならないという全く逆のベクトルの論調、議論ばかりがメディアや論壇という、言論空間を覆っているのではないでしょうか。

 これが識者の、あるいは専門家といわれる「ひと群れの人たち」の言説、議論でいいのでしょうか、ジャーナリストの語るべきことなのでしょうか。

 と、ここまで、朝、書いて出かけて、夜帰宅したあと、続きを書こうとしたところ、このブログの読者の一人で韓国メディアの報道を毎朝チェックしている方から、韓国KBSで重要なニュースが伝えられたというメールが届いていることに気づきました。

 そのメールの一部を引用すると、
 「今朝(6月7日)のKBSニュースをチェックしていたら、謎だらけのニュースがはさまっていました。
 AP通信が、『米軍官吏』の言葉を引用して報道したというクレジットで、『天安艦、沈没当時、米韓合同軍事演習を行っていて、北の魚雷などの攻撃に対する脆弱点が明らかになった』とのこと、ここまでは、いいんですが、次のくだりです。
 『ある、米軍官吏は、北の所行を前提としながらも、天安艦の沈没が、北朝鮮の意図的攻撃というよりは、ある強硬派の司令官の所業か、あるいは、(北朝鮮側の)、事故、訓練中のミスであり得ると分析した。』
 随分、時間が経過していますが、今になって、こうした内容を発表する意図、背景が何なのか、やはり、気になりますね。あきらかに、これまでの、韓国の強硬姿勢を支えていた論拠を、内から崩しかねない要素が含まれてますね。」
というのです。

 APの情報をキャリーする形で伝えられたニュースですが、調べてみると、韓国・中央日報と聯合通信でも、関連する情報が伝えられていました。

 まず中央日報です。APをキャリーする報道となっています。
 天安艦沈没事件が発生したとき、韓国と米国両国軍は事件発生場所から75マイル(120キロ)離れた所で合同対潜訓練をしていたとAP通信が5日(現地時間)、報道した。
AP通信によると韓米キーリゾルブ訓練の一環だった両国軍の対潜訓練は3月25日夜10時に始まり、翌日(26日)夜9時に終わったと在韓米軍スポークスマンジェイン・クライトン大領(ママ)が述べた。 また天安艦沈没事件が発生する前日、米駆逐艦2隻と、違う艦艇が(ママ)韓国潜水艦が標的役割をする中、追跡訓練をしたと付け加えた。韓国海軍関係者はこの報道に対し「天安艦沈没当時、韓米両国が忠南泰安半島西格列飛島以南の海上で訓練中だったのは合っているが、事件当日、対潜訓練があったかは確認していない」とし「事件が発生した海域とは120キロ以上離れていて事件を認知することは難しかった」と述べた。

 しかし、聯合通信の報道を読んでみると、中央日報では、どういうわけか、肝心な部分が脱落していることに気づきます。

 聯合通信の伝えるニュースです。
 【ソウル7日聯合ニュース】北朝鮮の魚雷攻撃で韓国海軍哨戒艦「天安」が沈没した3月26日、直前まで黄海では韓国と米国による海上演習が行われていたことが分かった。
 国防部の元泰載(ウォン・テジェ)報道官は7日の定例会見で、韓米合同軍事演習「キーリゾルブ」が3月25、26の両日、泰安半島に近い黄海上で実施されていたと明らかにした。「天安」が沈没する前の午後9時に終了し、演習実施海域は沈没地点から170キロメートル離れていたと説明した。日中は対潜水艦演習も行われたと承知しているとした上で、海上から170キロメートル離れていれば、潜水艦の探知は不可能だと述べた。
 韓国軍と民間による沈没事件合同調査団のムン・ビョンオク報道官よると、当初の演習日程は28日までだったが、沈没事件のため中断された。
 元報道官はまた、ロシアの調査団が合同調査団の調査結果に疑問を提起したとの報道に対し、「ロシア調査団は外部に一言も語っていない」と強調した上で、報道された内容は事実ではないと否定。調査団が本国に帰れば、ロシア当局から発表があるだろうと述べた。
 一方、哨戒艦沈没事件との関連で、パトリオットミサイルを配置することは検討していないと言明した。


 以上が聯合通信の伝えたところです。
 「韓国軍と民間による沈没事件合同調査団のムン・ビョンオク報道官よると、当初の演習日程は28日までだったが、沈没事件のため中断された。」という重要な情報が中央日報では欠落しています。

 一つのニュースの中に矛盾する情報が盛り込まれていますので、これらの情報をどう読み解くのか、非常に難しいところですが、要は、「天安」は沈没まで米軍との共同訓練(演習)に参加していたということ、そして「天安」沈没によって28日までの予定を繰り上げて訓練は中止されたということが読み取れます。

 訓練海域と沈没現場が120キロ、もしくは170キロメートル離れていたと、さりげなく、強調されている(形容矛盾ですがニュースの内容がそうなので仕方ありません)のですが、それでも常識的に考えて米韓両国の軍艦艇が多数参加して展開している共同軍事訓練(演習)の最中に北朝鮮の小型の潜水艇が誰にも知られず潜入して「天安」に向けて魚雷を発射して、音もなく姿を消したということになります。

 軍事に通じていない素人の私でも、こうした米韓軍事訓練(演習)の最中に北朝鮮の潜水艇が潜入して魚雷を発射するという所業に及んだ場合、これは戦争(の勃発)以外の何ものでもないというぐらいのことはわかります。

 加えて、「脅威と抑止力論」に立たない私としては矛盾するもの言いになりますが、もしこのニュースが伝える通りであれば、世界に誇る米軍の最先端の軍事力と韓国海軍の連携した対潜作戦訓練をかいくぐって北朝鮮の小型潜水艇が潜入できたということは、米韓両軍の力ではなんの「抑止力」にもならないという、はなはだこころもとない現実をわれわれは目にしてしまったということになります。

 あるいは、そうでなければ、日頃多くのメディアで、訓練用の航空燃料もないと揶揄されているあの北朝鮮の軍事力ですが、特に海軍力だけは、ロクに飛べもしない旧型の航空機群と違って、装備と錬度も飛躍的に高く、米韓軍のそれをはるかに上回る、つまり世界に冠たる水準になるということになります。

 また、対潜訓練が行われていたということは軍艦艇だけではなく、当然のことながら対潜ヘリなど空海の連携で訓練が展開されていたはずです。

 ということになると、くだんの北の潜水艇は一体どのようにしてこの海域に潜り込み、どうやって帰って行ったのでしょうか。

 当局側が、あるいは李明博政権、そして米国サイドが、韓国国内で広がる「疑念」を解こうとしてさまざまに説明を加えていけばいくほど、論理的に矛盾を深めていくという推移をたどっていると言わざるをえません。

 また、聯合通信のニュースの末尾にロシアの専門家グループに言及がありますが、国防部の報道官がこうしてわざわざ「『ロシア調査団は外部に一言も語っていない』と強調」というのは、かえって疑念を深めることになってしまい、言えば言うほど言い訳がましくなるという印象を持ってしまいます。

 重ねて言いますが、この一連の報道の読み方は実に難しいところです。
 が・・・、注意すべきは、米国サイドが微妙に軌道修正をはじめていることが読み取れるということです。

 そして、KBSの報道にあるように、北の「強硬派の所業」か、ということを持ち出したところまでは、まあまあ、「わかる」としても、「北の訓練中のミス??」という「珍説」まで持ち出しはじめたというわけで、俗な言葉を引けば、なにやら「シッチャカメッチャカ」という展開になってきたとしか言えません。

 一方、中国国際放送は7日夕方以下のように報じました、
 韓国国防省の元泰載報道官は7日、哨戒艦「天安」号が沈没した当日、韓米両国が事件発生地点から170キロ離れた海域で海上軍事演習を行ったことを認めました。 元泰載報道官はこの中で「韓米合同軍事演習は3月25日と26日に泰安半島付近西部海域で行った。26日午後から夜まで、潜水艦対策と浸透対策の演習をしたが、米軍潜水艦は演習に参加しなかった」として、さらに「この日の軍事演習は『天安』事件発生前に終了し、しかも、演習する場所は事件発生地点まで170キロも離れ、潜水艦の探測が難しい」と述べました。 韓国のマスコミは、元泰載報道官のこの話は、韓国国民の間で言われている「『天安』号が米軍潜水艦と遭遇して沈没した」ということを打ち消すためだと見ています。

 一つの情報源であることは確かだろうと思いますが、それぞれが微妙に違っていて、意図してか、意図せずにかは判然としませんが、「混乱」が生じはじめています。

 APの情報をめぐる「詮索」は、ひとまずここまでにしますが、なにやらわけのわからない情報が錯綜して、どうもおかしなことになってきました。

 韓国軍−国防部当局、李明博政権さらには在韓米軍当局、米国は、このまま、あやふやにして収束するのか、あるいは、続報でなんらかの「筋道」をつけて「収束させる」のか、もう少し様子をみてみる必要があります。

 しかし、ふたつだけ、加えておくと、
 まず、5月31日から韓国に調査に入っていたロシアの専門家ティームが7日帰路についた(「ロシアの声」)というロシアサイドの報道がありますが、それだけで調査の中身についての言及はなく、実にそっけない報道となっています。
 
 それどころか、「ロシアの声」では、別建てのニュースとしてですが、天安問題が国連安保理に提起される背後で中国とロシアが「意見交換」と、報じています。

 その記事の中で極東研究所・朝鮮研究センターのアレクサンドル・ジェビン所長の以下のコメントを引きながら次のように伝えています。

 「現場から引き上げられた魚雷と爆破装置については当初、ドイツ製との報道があった。米韓海軍ともにドイツ製を配備することもあるからだ。その後、北朝鮮製であるとの説が唱えられるようになったが、専門家からは非常に強い疑問が寄せられている。事故現場となった海域では、最新の追跡システムを搭載した米韓の軍用艦が軍事演習を実施していた。北の潜水艦が全く気づかれずに通過できたとの見方はおかしい。天安を沈めたとされる魚雷の残骸も大問題だ。船を真っ二つにした魚雷のボディ部分はほとんど何にも触れていないようだし、部品の一部も完全に無事なのだから。」
北犯行説の主な証拠となっているのは、魚雷の残骸につけられている識別番号だ。とはいえそれも工場の製造ラインで機械により印字されたわけではなく、マーカーを使い手で書かれている。さらにジェビン所長は、「もし魚雷が北朝鮮製だとしても、天安を沈めたかどうかは別問題」と主張する。
「南北間で幾度となく武力衝突が起きた現場海域では、非常に多くの魚雷が沈んでいる。うちひとつが爆発し、海底に沈み、発見されたということもありえるのだ。だから北朝鮮は米韓による挑発行為ということが出来る。(ベトナム戦争勃発の契機となった)トンキン湾事件でも米国は同様の手口を使っており、北の主張には一定の根拠がある。」

 とうとう「トンキン湾事件」までが登場する仕儀となっています。

 もうなにがなんだか、さっぱりわからなくなってきます??

 そして、もうひとつ。「AERA」の最新号(6月14日号)では元朝日新聞記者で軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が「天安の行動書かず/釈然としない報告書/謀略とも思えないが」と題して「天安問題」を取り上げています。

 そこでは軍事の専門記者としての立場で今回の「報告書」に疑問を呈しているのですが、その詳細は「AERA」に譲るとして、「とはいえ、韓国が事件を捏造することも考えにくい。北が崩壊し統一となれば韓国の負担はドイツ統一後の西独の比ではなく、援助で現状維持を図る韓国が、北を追い込む謀略を企てる理由がない。なお釈然としない気分から脱しきれずにいる。」と結んでいます。
 
 この文意をどう読み取るのか、なかなか手ごわいものがあります。

 田岡氏が普天間問題と「天安」との関連に無知でいるというようなことは考えられませんから、ここで普天間問題に全く触れられていないというのは、このことを除けば「北を追い込む謀略を企てる理由がない」ということだよ、つまり・・・、と問わず語りに何かを伝えようとしているのか、あるいは本当に普天間問題などとの関連性に思いを致すことがない(つまり軍事問題専門家としてはまったくの「バカ」ということになりますが)と思っているのか、さてどちらでしょか、という含みの多い論考となっています。

 さて、この稿の本筋は、6月2日の地方選挙に見られた、韓国市民の力強さと健全さこそが、強力な安全保障になっているということ、そして、信頼醸成こそが最大、最強の安全保障なのだということを、韓国の地方選挙を具体例にして書こうとしていたものです。
 
 しかし、「天安」問題の報道に「奇妙」な展開があったので、「脱線」せざるをえませんでした。

 本筋についてはあらためての「続き」とすることにします。
 6月7日深夜記(つづく)


posted by 木村知義 at 11:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 時々日録

2010年06月01日

ミスリードしてはならない!

ミスリードしてはならない!
きょう昼のテレビニュースを見ていて思わず口をついて出た言葉がこれでした。

 ミスリードしてはならない!!

 そのニュースとは、きょう昼モンゴルに向けて日本を離れた中国の温家宝首相が「天安」問題について語った内容について伝えるニュースでした。

 そのニュースでは以下のようなコメントとともに温家宝首相がインタビューに答える姿が伝えられました。

 温家宝首相は韓国の哨戒艦の沈没事件について、各国が冷静に対応し軍事的な衝突を回避すべきだとしたうえで、「衝突が起きれば最も被害を受けるのは韓国であり、中国も被害を免れない。中国には『城門に火事が起きると、災いは池の魚にも及ぶ』ということわざがある」と述べ、朝鮮半島の平和と安定の維持を最優先にする考えを示しました。そのうえで、温首相は「中国は一方をかばうことはなく、公正な立場を堅持していく」と述べ、友好国である北朝鮮に対し一定の距離を置く姿勢を示しました。一方で、韓国が目指す国連安保理への事件の提起については「中国は各国の状況や反応を真剣に検討して態度を決めていきたい。どのような姿勢で臨むかは見守ってほしい」と述べ、安保理での中国の対応については明言を避けました。

 私が、違和感を感じて思わずエッと思ったのは、「温首相は『中国は一方をかばうことはなく、公正な立場を堅持していく』と述べ、友好国である北朝鮮に対し一定の距離を置く姿勢を示しました。」というくだりでした。

 これを取材して出稿した記者がそう受けとめたのか、あるいはもっと別のコメントだったものがデスクの判断でこうなったのか、それはわかりませんが、「中国は一方をかばうことはなく、公正な立場を堅持していく」ということが、「友好国である北朝鮮に対し一定の距離を置く姿勢を示しました。」ということになるのでしょうか。

 さて、月並みな表現になってしまいますが、ここはまさに取材者が問われる「正念場」です。

 ここで言う「公正な立場」とはどのような含意なのか、取材した記者は考えたでしょうか。

 取材の出発点が、「極悪非道」な北、その被害を受けてなお「自制する」南という、せいぜい鳩山首相と同レベルの認識と問題意識でしかないことを如実に露呈してしまったというべきです。

 いや、こんなことを言うとこの記者は、一国の総理と同レベルということはスゴイじゃない!と、まるで褒められていると勘違いしそうですから、ここは言葉を選ばなければなりませんね。

 そんな「与太話」は置くとして、この温家宝首相の「ことば」をどう読み取るのかは、事の本質にかかわる重大な問題です。

 結論から言うと、あれこれ言葉を重ね、策を弄してなんとか温家宝首相に韓国、日本の「言い分」に寄り添った(かのような)コメントを引き出したいと狙った日本の、そして韓国の思惑は完全に外れたというべきなのです。それを示したのがこの温家宝首相のコメントだと読み取るべきです。

 六カ国協議の構成メンバーであることから、普通であればロシアのメディアまで見たり読んだりしないのですが、今回の問題が起きてからは、それなりに努力してロシアのメディアの論調もチェックしてきました。ロシア語など一言も解さないにもかかわらずです。
 
 その結果、韓国の「調査報告」にいくばくかの「疑問」を呈していたロシアでしたが、韓国に「調査団」を派遣することになり、いまソウルで「調査」に当たっていることがわかりました。

 では中国はといえば、調査団をという韓国側の「誘い」にもかかわらず、ロシアとは違って、派遣しないということを韓国に通告しました。

 もちろん、今後、未来永劫にということではないでしょう。「条件」次第では変わることもあり得ます。

 しかし、いま、韓国の政権べったりのメディアはそれがいたく気に食わないと見えて、中国への「苛立ち」の論調を醸し出し始めています。

 【ソウル=築山英司】一日付の韓国紙、朝鮮日報は、韓国軍哨戒艦沈没を「北朝鮮製魚雷の攻撃」と結論付けた調査結果をめぐり、中国が韓国政府による追加資料提供や調査団派遣などの要請を拒否したと伝えた。同紙によると、韓国政府は哨戒艦沈没の国連安全保障理事会への問題提起を前に常任理事国である中国とロシアに「信用できないなら調査団を韓国に送り、調査結果を検討してほしい」と要請した。ロシアは調査団を派遣したが、中国からは返答がないという。(「東京」6月1日夕刊)

 これぐらいなら、それがどうした、という程度でしょう。
 しかし以下を目にすると、韓国の「焦り」がどのようなものかが直截に伝わってきます。

 「哨戒艦沈没:韓国側の追加資料受け取らない中国」
 5月29、30の両日開かれた韓中日首脳会談で、中国の温家宝首相から「国際合同調査団と各国の反応を重視する」という言葉を引き出したものの、韓国政府からは「天安」沈没事件に対する中国の態度に冷めた声が続いている。表面的には大統領府(青瓦台)関係者が「中国が一歩前進した」と評価し、外交部の金英善報道官が「中国との意思疎通は現在進行形だ」と述べるなど、表情を取り繕ってはいるが、内心は「中国はあんまりだ」というため息ばかりだ。 韓国政府は「天安」事件を国連安全保障理事会に問題提起する件について、明確な立場表明を行っていない中国とロシアに対し、「調査結果を信頼できないならば、専門家チームを韓国に送り、調査結果を検討してほしい」と要求した。ロシアは5月31日に潜水艦と魚雷の専門家で構成される海軍調査団4人を韓国に派遣し、検討作業に着手した。しかし、中国からは何の回答もない。韓国政府高官は「何の回答もないことからみて、中国は最後まで専門家チームは派遣しないのではないか。国際社会がすべて合同調査団の調査を信頼しているにもかかわらず、中国だけが理解できない反応を示している」と話した。韓国政府は5月20日の調査結果発表直前に事前説明まで行い、「必要な資料があればいつでも送る」と中国側に伝えた。クリントン米国務長官もソウルで、「韓国が400ページに達する調査報告書を中国に提供すると提案したと承知している」と述べた。しかし、中国は専門家チームの派遣どころか、追加資料の受け取りをも拒んでいる。中国は韓国の提案に耳を閉ざしたまま、張志軍外務次官が「中国は『天安』事件に対する一次資料を確保していない」と述べている。また、武大偉朝鮮半島問題特別代表も「北朝鮮の仕業だと証明する独自資料はまだない」として資料不足を理由に挙げた。「天安」事件は韓国領海で起き、船体、残骸(ざんがい)、北朝鮮製魚雷のスクリューなどの一次資料をすべて韓国政府が保有しているにもかかわらず、「一次資料がない」とやや矛盾する主張をしている格好だ。韓国政府関係者は「温首相の言葉通りに是非をわきまえて判断するというならば、資料を必要としているはずなのに、提供するという資料に関心がないのは理解できない。中国がいう一次資料とは何なのか分からない。具体的にどういう資料を欠いているのか知らせてほしい」と話した。このほか、中国政府高官は外交ルートを通じ、「韓国は中国の立場を今は理解できないだろうが、長期的にはわれわれの判断が正しかったことを悟ることになる」と訓戒でもするかのように語ったという。韓国政府は「天安」事件を国連安保理に問題提起し、北朝鮮を非難する決議案か議長声明を出す方向で協議する過程が中国の態度変化を期待できる最後の機会ととらえている。
(韓国・「朝鮮日報」6月1日)

 ここまでなら、まあ、まあそんなにムキにならずに・・・と宥めもしますが、以下のような論調になるともう度をこえているというべきでしょう。メディアの品格もなにもあったものではありません。
 しかしとにかく読んでみましょう。

 『金総書記に援交費やるのはもうやめろ』
 「中国は『シュガーダディー(sugar daddy=援助交際男)』、
  金正日に援助交際費を渡すのはもうやめろ」
 米国の有名な経済コラムニスト、ウイリアム・ペセック氏は5月31日、ブルームバーグ通信のコラムで、中国を北朝鮮の金正日総書記と援助交際をする金持ち男に例え、上の通り主張した。
 『シュガーダディー』とは、自分よりはるかに若い女性に金品を与える代わりに、性的な関係などを要求する金持ち男のことだ。
 ペセック氏は、「中国は、世界で最も孤立している北朝鮮政権に、食糧・石油・援助物資を支援する最大のスポンサー。このため、中国が北朝鮮に大きな影響力を行使しているのは否めない」と語った。
 また、「ハエになって中国の指導者たちの部屋に忍び込まなくても、彼らが『天安』沈没で(北朝鮮に対し)いらだっているのが分かる。中国がこの煩わしい蚊(金総書記)をたたき落とさないのは、北朝鮮政権の崩壊がもたらす脱北者の大量発生や、韓半島(朝鮮半島)での米国の勢力拡大を懸念しているからだ」と分析した。
 だが、「北朝鮮の崩壊は中国や韓国の経済にとてつもない影響を与える可能性があるので、誰もこれを心から願ってはいない。
 中国はもう、金総書記の挑発行為の尻ぬぐいをやめ、アメではなくムチを手にしなければ」と強調した。
 中国が支援を中止すれば、北朝鮮はほかの国と交渉をせざるを得ず、北朝鮮の経済開放は北朝鮮住民の福祉やアジアの安定に寄与するとペセック氏は考えているのだ。
 そして、「成長する経済力にふさわしい外交的努力を示せずにいる中国は、果たして国際社会の責任ある一員になれるのだろうか」と疑問を呈し、「北朝鮮は中国が国際的な責任を果たす国であることを証明する絶好の舞台」と述べた。(「朝鮮日報」6月1日)

 物事には限度というものがあります。しかし、反面、これはいまの韓国の「苦衷」を余すところなく伝えていると見ることもできるわけで、その意味ではこの記者は「なかなかいい仕事」をしていると言えなくもありません。

 さて、こんな言説に付き合っているとこちらまで「下品」になってしまいそうで、いいかげんのところで切り上げなくてはと思います。

 そこで最後に、これまた日本のメディアでは伝えられない重要な情報について引いておきます。

 外交消息筋は28日「中国が天安艦事件と関連して駐韓国連軍司令部(UN司令部)と中国、北朝鮮が参加する共同調査を実施しようと米国に提案した」と明らかにした。この消息筋は「中国は先週頃にニューヨーク国連代表部チャネルを通じてこういう提案をした」とし「この間 機能を喪失した軍事停戦委員会(軍政委)を開き共同調査をしようということだった」と伝えた。米国と中国は去る24〜25日、中国北京で開かれた米中戦略・経済対話で中国側のこういう仲裁案に対する調整を終えた後、UN司令部の天安艦事件特別調査チームを通じ26日 韓国政府に通知したということだ。これと関連してUN司令部特別調査チームは、中国人民解放軍の軍政委復帰を要請すると韓国側に通知し、朝鮮人民軍の‘共同監視小組派遣’も北側に要請すると通知した。これと共にUN司令部特別調査チームは‘対話を通した天安艦事態の解決’が必要だという点を強調したと伝えられた。UN司令部は去る22日天安艦沈没事態の原因を糾明するため‘特別調査チーム’を構成した経緯がある。中国のこういう新仲裁案は去る20日、北朝鮮の‘国防委員会検閲団(調査団)派遣’提案を韓国が拒否した事実を考慮した新折衷案だと見られ、現実化する場合、天安艦事態が新しい局面に入ると予想される。中国の提案に対し韓国政府はまだ公式方針を明らかにしていないが、北に弁解する機会を与えることになるだけだとして、慎重に考慮しなければならないという態度だとされる。温家宝中国総理は28日午後、大統領府で開かれた李明博大統領との会談で、天安艦沈没事態に関連して「中国政府は国際的な調査とこれに対する各国の反応を重視し事態の是是非非を分け、客観的で公正に判断して立場を決める」と表明した。温総理はまた「中国はその結果に従い誰もかばうことはしない」と述べたとイ・ドングァン大統領府広報首席が語った。温総理のこの発言は、中国が提案した‘南・北・米・中など国際共同調査’提案を念頭に置いたものと見られる。李明博大統領は「北朝鮮を正しい方向に導くためには断固たる対応が必要だ」として「今回ばかりは北が誤りを認めるよう中国が積極的な役割をして欲しい」と述べた。温総理は国会でキム・ヒョンオ国会議長と会見した席で「我々は事態悪化と衝突発生を予防するため各国が冷静さと自制を維持するよう訴えている」として「朝鮮半島で衝突が起きれば最も大きな被害をこうむるのは韓国と北朝鮮、そして中国だ」と語った。(「ハンギョレ新聞」5月29日から)

 さて、もう一度冒頭の温家宝首相の「中国は一方をかばうことはなく、公正な立場を堅持していく」というコメントに戻りましょう。

 この含意は、少なくとも韓国が国家の威信をかけて発表した「調査報告」であるかぎり、韓国の立場を(メンツを)損なうようなことはできない。仮にも韓国の「発表」を否定するなどということはあってはならないことだ、しかしだからと言って、そのままハイソウデスネとはいかない!
 ゆえに、「公正な立場を堅持する」ということなのだ、と温家宝首相は語ったと読み解くのが理にかなうということです。

 冒頭のニュースが、意図してなのか、意図せずなのかはわかりませんが、なんとかして、中国が「友好国である北朝鮮に対し一定の距離を置く姿勢を示しました」というところに誘導したいという、「見えざる手(思い)」が働いたということは否定できないと思います。

 それがごく自然な読み解きとならざるをえません。

 メディアは、そして情報の受け手である私たちは、相当賢くならなければメディアの「導き」でとんでもないところに連れて行かれるかもしれないと、自戒を込めて、思うのでした。

 メディアはミスリードしてはならない!
 それが最低限の掟です。






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