2010年05月23日

普天間、朝鮮半島、中国そしてアジアへ(9)


 普天間飛行場の問題で、今月4日に続いてふたたび沖縄に出向いた鳩山首相が仲井真知事らを前にして、名護市辺野古のキャンプシュワブ沿岸部に移設する考えであることを伝える様子をきょう昼前のテレビの中継で見ました。

 「沖縄の負担軽減と危険性の除去を実現するために確実な方法として、普天間基地の県外移設の可能性を真剣に探ってきた。しかし、国内や日米間で協議を重ねた結果、普天間基地の代替地は、名護市辺野古付近にお願いせざるをえない結果となった。普天間基地の返還を実施するために、どうしても代替施設を探さなければならないという現実を踏まえて断腸の思いで下した結論だ」
 と述べるとともに、
 「なぜ県内なのかという皆さんの懸念、怒りはもっともだと思うが、昨今の朝鮮半島の情勢からも東アジアの不確実性がかなり残っており、海兵隊を含む在日米軍全体の抑止力を低下させてはならない。一国の総理大臣として、安全保障上の観点から申し上げなければならない。『できるかぎり県外』ということばを守れなかったことに加え、今回の結論に至る過程の中で、県民に混乱を招いたことに対して、心からおわび申し上げたい」
 と語る鳩山首相の姿が映し出されていました。

 「昨今の朝鮮半島の情勢」からも「海兵隊を含む在日米軍全体の抑止力を低下させてはならない」というのです。

 「昨今の朝鮮半島情勢」が何を意味するのかは言うまでもありませんから、まさに韓国の哨戒艦「天安」の沈没問題が「天佑」のように降って湧いてきた展開となったわけです。

 20日の天安沈没問題についての「調査結果」の発表を受けて
 「私どもとすれば、これは韓国の立場を支持をする。すなわち、もし韓国が安保理に決議を求めるということであれば、ある意味で日本として、先頭を切って走るべきだ」
 「私たちはこの問題で国際的に協力してしっかりと戦っていかなければならない」
 と、異様に感じるほどの際立った高揚感のこもるコメントをした気持ちがわかるような気がします。

 ただし、鳩山首相の不幸は、これほどまでに「北朝鮮の脅威と抑止論」に身を寄せたにもかかわらず、沖縄からの中継を見ながらスタジオでコメントを求められた、前政権時代までは外交アドバイザー的な立場にありながら、政権交代で「遠ざけられ」最近ではまた鳩山首相から「頼りにされている」と巷間の噂のある人物が「(これまで日米同盟の問題にかかわってきた立場からいえば)こんなことは常識だ。これまでの経験者をはずして、半経験者、素人を集めてやろうとしたから(こんなことになったの)だ。」と冷たく突き放されるという、笑えない「喜劇」にあるというべきでしょう。

 それ以上に、この話を受けて、テレビではおなじみの新聞の政治担当編集委員が「鳩山さんの善意と(この日米外交のアドバイザーの)経験が生かされないのは不幸なことだ」と言うのを目の当たりにして、身をよじるようなこのおもねったコメントに、見ているこちらの方が気恥ずかしくなるほどで、日本の大新聞といわれるところに身を置く記者のレベルというものを深刻に考えさせられました。

 さて、その大新聞が、そして放送も含めた大メディアがこぞってしかも一致して伝えた内容に、野にある一介の素浪人が「異議申し立て」するなどという「無謀」なことが果たしてできるのか・・・。

 実のところ、う〜ん、とうなってしまうところですが、ここは勇をふるって書き進むことにしましょう。

 韓国の軍民共同の調査団、しかも米国をはじめ4か国の専門家が参加した国際合同調査団による沈没原因調査報告のポイントやその根拠となった「エビデンス(証拠)」類の映像は繰り返し伝えられていますが、「調査報告」の全容はあまり目にしませんので、煩雑でも、まず採録しておく必要があると考えます。

 どのような判断、立場に立つにしても、今後、検証を深める際にはこの報告の詳細が「原点」となるわけですから、精読は欠かせないと考えます。

 その内容は以下のようなものだと伝えられています。
 (大新聞の記者ならいざ知らず、というと皮肉がキツすぎるかもしれませんが、現時点では原文を入手して精査できる立場にはないので、いまのところ、「伝えられています」と間接話法で語る以外にありません)

1.民軍合同調査団は国内10の専門機関の専門家25人と軍の専門家22人、国会推薦専門委員3人、米国、豪、英国、スウェーデンなど4カ国の専門家24人が参加し、科学捜査、爆発類型分析、船体構造管理、情報分析など4つの分科に分けて調査活動を実施した。

2.今日の発表内容は調査団に参加した国内外の専門家らが科学的、客観的な接近方法を通じた調査活動と検証過程を経て導き出した結果である。

3.現在まで海底から引き揚げた船体の変形形態と事故海域から得た証拠物を調査および分析した結果を見ると、哨戒艦「天安」はガスタービン室の左舷の下段部から感応魚雷の強力な水中爆発によって船体が切断され、沈没したと判断される。

4.沈没原因を魚雷被撃と判断した理由は、船体損傷の部位を精密計測してみたところ、
(1)衝撃波とバブル効果によって、船体の骨格が艦艇の建造当時と比較して上のほうに大きく変形し、外板は急激に折れ、船体には破断した部分があった。
(2)主甲板はガスタービン室内の装備の整備のための大型開口部の周囲を中心に破断され、左舷側が上のほうに大きく変形し、切断されたガスタービン室の隔壁は大きく毀損し、変形した。
(3)艦首と艦尾の船底が下から上のほうに折れたことも水中爆発があったことを立証する。

5.艦艇の内外部の表面を綿密に調査した結果、艦艇が左右に激しく揺れるのを防止する艦安定機に表れた強力な圧力の痕跡、船底部分の水圧およびバブルの痕跡、熱の痕跡がない電線の切断などは水中爆発による強力な衝撃波とバブル効果が艦艇の切断及び沈没の原因だと知らせている。
 生存者とペクリョンド海岸の哨兵の陳述内容を分析した結果、生存者はほとんど同時的な爆発音を1、2回聞き、衝撃で倒れた左舷の兵士の顔に水が飛び散ったという陳述と、ペクリョンド海岸哨兵が2、3秒間、高さ約100メートルの白色の閃光の柱を観測したとの陳述内容などは水中爆発で発生する水の柱の現象と一致した。

6.また、遺体検査の結果、破片傷と火傷の痕跡は発見されず、骨折と熱による傷が観察されるなど衝撃波およびバブル効果の現象と一致した。

7.韓国地質資源研究院が地震波と空中音波を分析した結果、地震波は4カ所で震度1.5規模で感知され、空中音波は11カ所で1.1秒の間隔で2回感知された。地震波と空中音波は同一の爆発原因で、これは水中爆発による衝撃波とバブル効果の現象と一致した。

8.数回に及ぶシミュレーション結果によれば、水深約6〜9メートル、ガスタービン室の中央からおおよそ左舷3メートルの位置で総爆発量200〜300キログラム規模の爆発があったと判断される。

9.ペクリョンド近海の潮流を分析した結果、魚雷を活用した攻撃に制限を受けないと判断した。

10.沈没海域で魚雷だと確証できる決定的な証拠物として魚雷の推進動力部であるスクリューを含めた推進モーターと操縦装置などを回収した。

11.この証拠物は北朝鮮が海外に輸出する目的で配布した魚雷紹介の資料の設計図に明示された大きさと形態が一致し、推進部の後部の内側にある「1番」というハングル表記は我々が確保している北朝鮮の魚雷の表記方法と一致する。このようなすべての証拠から回収した魚雷の部品が北朝鮮で製造されたことを確認した。

12.また、このような結果により、一部で持続的に提起してきた座礁や疲労破壊、衝突、内部爆発とはまったく関連がないことを確認した。

13.結論として、沈没海域で回収した決定的な証拠物と船体の変形、関連した人の陳述、遺体の検査結果、地震波及び空中音波の分析結果、水中爆発のシミュレーション結果、ペンリョンド近海の潮流分析結果、収集した魚雷部品の分析結果に対する国内外専門家の意見を総合すると、
(1)天安は魚雷による水中爆発で発生した衝撃波とバブル効果によって切断沈没した。
(2)爆発位置はガスタービン室の中央から左舷3メートル、水深6〜9メートル程度、武器体系は北朝鮮で製造した高性能爆薬250キログラム規模の魚雷と確認された。

14.5月4日から運用してきた米豪カナダ英など5カ国の多国的連合情報分析タスクフォースによって確認した事実は次の通り。

15.北朝鮮軍はロメオ級潜水艦(1800トン級)約20隻とサンオ級潜水艦(300トン級)約40隻、サーモン級(130トン級)を含めた小型潜水艇約10隻など約70隻を保有しており、今回天安が受けた被害と同一規模の衝撃を与えられる総爆発量200〜300キログラム規模の直走魚雷、音響および航跡誘導魚雷など多様な性能の魚雷を保有している。

16.この事実と事件発生海域の作戦環境などを考慮すると、このような作戦環境の条件で運用する水中武器体系は小型潜水艦艇だと判断される。

17.また黄海の北朝鮮海軍基地で運用していた一部の小型潜水艦艇とこれを支援する母船が天安攻撃の2、3日前、黄海の北朝鮮海軍基地を離脱したとあとに天安攻撃2、3日後、基地に戻ったことが確認された。

18.さらに、ほかの周辺国の潜水艦艇はすべて自国の母基地またはその周辺で活動していたことが確認された。

19.5月15日、爆発地域近隣で漁船が回収した魚雷の部品など、すなわちそれぞれ5つの純回転および逆回転スクリュー、推進モーターと操縦装置は北朝鮮が海外に武器を輸出するためにつくった北朝鮮製武器の紹介冊子に提示されている「CHT―02D」魚雷の設計図面と正確に一致している。この魚雷の後部推進体内部で見つかった「1番」というハングルの表記は我々が確保している別の北朝鮮製魚雷の表記方法とも一致する。ロシア製魚雷や中国製魚雷はそれぞれその国の言語で表記する。

20.北朝鮮製「CHT―02D」魚雷は音響航跡などを使い、直径21インチ、重さ1.7トン、爆発装薬250キログラムに達する重魚雷である。

21.あらゆる関連事実と秘密資料分析に基づき天安は北朝鮮製魚雷による外部水中爆発の結果、沈没したという結論に到達した。

22.また、以上の証拠を総合してみると、この魚雷は北朝鮮の小型潜水艦から発射されたという以外にほかに説明できない。

(項目番号は、便宜的に、筆者による)

 「あらゆる関連事実と秘密資料分析」から哨戒艦天安は「北朝鮮製魚雷による外部水中爆発の結果、沈没したという結論に到達し」「この魚雷は北朝鮮の小型潜水艦から発射されたという以外にほかに説明できない。」ということで、証拠の魚雷の一部部品などとともにこの「精緻」な報告を示されると、私たち「素人」には言うべき何ものもないということになるのでしょう。

 が、しかし!です。

 大新聞、大メディアのジャーナリストは、完膚なきまでに、というぐらいに示されたエビデンス(証拠)に対しても、まずは自分の目で見、足で調べ、自分の頭で考え、検証して伝えていくということが最低限の責務としてあるのではないでしょうか。

 そう考えると、今回の「調査報告」にかかわる発表について伝える各メディアのありようを目の前にすると、いささか心寒いというか、はっきり言えば戦慄を覚えるとさえ言うべき「一様さ」に言葉を失います。

 ジャーナリストにとっては「所与の前提」はあってはならないことであり、それが歴史に責任を持って立ち向かう「報道者」としての最低限にして最大の自覚であり、矜持であるべきではないでしょうか。

 大メディアだけではありません。

 数日前に聴講した朝鮮半島問題の専門家の講演でも「99%北がやったということは間違いない」と、この人物は良心的だからなのでしょうか自信がなかったからなのでしょうか、百パーセントとは言わなかったのですが、語りました。

 また、20日の夜から今日にかけてのテレビ番組に出演した「専門家」たちもこぞって「北の仕業に間違いない」もしくは今回の発表を疑う余地のない前提として「北朝鮮の仕業」とする論調を重ねていました。

 独特の語り口と巷間膾炙したニックネームで人気のある元政治家が「むこうはやけくそになっているんだから、経済的にも締め上げてつぶす方向に持っていった方がいい」と言い放ったのは論外としても、冷静に考えるべきだと説く識者もその理由は、今回の問題は過去の冷戦時代の脅威とは異なって「ならずものの脅威」なのだからと言うのを聴くにつけ、ジャーナリズムのみならず、言論、言説の困難を思わずにはおれませんでした。

 したがって、ここで大メディアやそうした専門家、識者に何かを申し立ててもまさしく「蟷螂の斧」の類かもしれませんし、第一、メディアの記者をはじめ、そうした人たちが何の痛痒も感じないかもしれませんから、いかほどの意味があるかはわかりません。

 しかし、これは捨て置けないと感じるのは私一人だとは思えないのです。

 では、お前は北の仕業と言うことを否定するのか!と言われれば、もちろんそれを否定できるだけのエビデンス(根拠)も持ち合わせていません。

 しかし、では、近いところでひとつだけ例を挙げるとして、パウエル国務長官が国連安保理という場であれほど「完璧」なエビデンスを挙げてイラク開戦に至ったことを思い起こしてみるとき、記者や専門家の人々は、忸怩たる思いはないのでしょうか、と問いたくなるのです。

 そうした責任をいまだに検証することもなく、口を拭って、さも他人事のように、いまになってイラク戦争は間違っていたなどと語って何ら恥じない大メディアの記者たちや専門家、識者は、少しは「おそれ」というものを知るべきだと、私は思うのです。

 さて、そうしたパースペクティブを確認したうえで、今回の「報告」について述べる際、一見矛盾するように響くかもしれませんが、まずは、今回天安が沈没した海域は「何が起きても不思議ではない」緊張の海であることを認識しておかなければならないと思います。

 ここにあまり紙幅を費やすことは避けようと思いますので端折りますが、この海域には「二つの境界線(ライン)」が存在することを忘れてはならないと考えます。

 我々が普段目にするニュースでは、北朝鮮の艦船が「北方限界線」(NLL)をこえて「侵犯」したということがほとんどですが、立場を変えて北朝鮮側から見れば、「西海海上軍事境界線」を「侵犯」しているのは韓国の軍船であり、北にとってみれば自国の「海上境界線」海域内を航行しているだけなのだという論理になるということです。

 つまり、陸地については、1953年7月27日の朝鮮戦争の停戦協定にもとづく「軍事境界線」が存在するわけですが、このとき海上の「境界線」については明記されず、その後韓国はNLLを、北朝鮮は「西海海上軍事境界線」を、それぞれ主張することになり、相互にとってそれぞれ異なる「侵犯」の主張がありうる海域になっているということは忘れてならない重要なポイントです。

 今回の天安沈没という問題が起きて、私は、日頃から尊敬している戦略・軍事の専門家に、率直に言ってどう受けとめているのかと質問し、教示を乞うたことがあります。

 返ってきた答えは実に示唆深いものでした。

 あくまでもその一部だけですが、引用すると以下のような内容でした。
(文中でおわかりと思いますが、この質問と回答は20日におこなわれた「調査報告」の発表のずっと以前のことです。)

 「この場所は陸上のDMZ(非武装地帯)と違って、朝鮮側と米韓側との間に停戦ラインが確定していない交叉地域ではないかと思います。南は北方限界線と称して自国領海とみなしており、米韓軍は演習などで威力誇示を常続的に行っていますし、北も自領とみなしてパトロールを行っているので、ときたま局所的な交戦が勃発しているわけです。つまり、交戦は異常ではなく、むしろ正常であるとも言えるのではないでしょうか。これまでは大型艦を有する南側が優勢を占める戦例が多かったようです。
 示威やパトロールをやめれば、相手側に既成事実を作られてしまうわけですから、不期遭遇戦が生起するのは避けられません。現場の部隊や指揮官としては、上層部からの命令が無ければ、自動的に戦闘行為に突入するのはむしろ当然とも言えるのではないでしょうか。消極退嬰は処罰の対象になり得ます。時としてお互いに『威力偵察』なり『武力偵察』を行うのも当然のことでしょう。だからといって、全面戦争にまで拡大発展するということにはなかなかなり難いことは容易に理解できるのではないのでしょうか。」

 「要はこの両側の主張が食い違う海域で不期遭遇戦が起きても、どちらが正、どちらが邪という話ではないという事が一つ。それと、国際政治上、国際戦略上、どちらが仕掛けたとしてもそれなりの理屈は付くということが一つ。南が証拠不十分のまま(確定的になったとしても)北攻撃論を主張するのは、米日が対北宥和論に傾斜するのを妨げ、北孤立を続行し、北の自壊を待つ。北が攻撃したとすれば、膠着状況下にある対米関係を動かすため、敢えてリスク覚悟で武力示威(挑発ではなく)に出た(この場合、金正日将軍以下の十分な分析判断の下で)という高等統帥(政治的)の存在を推定することも可能ではないかと思います。」

 こうしたことをふまえて、「宣伝戦を互いに戦っている」のだから「為にする議論に一喜一憂することなく」冷静に見ておかなければならないとアドバイスが締めくくられていました。

 いただいた教示のほんの一部の引用ですが、語って余すところがないというべきです。

 ただし、言うまでもありませんが、「何が起きても不思議ではない緊張の海域」だから何が起きてもかまわないと、私が考えているわけではありません。

 乗り組んでいた46人の将兵の命が失われたことは痛ましいことであり、それを「何が起きても不思議では」ないゆえに仕方のないことだなどと考えているのではないことははっきり言っておかなければなりません。
 (救助、捜索作業でも犠牲者が出ているのですが、それが本当に「天安」の沈没現場海域であるのかどうかについて諸説あるので、ここではひとまず「天安」に乗り組んでいた将兵46人という犠牲者の数だけを挙げておきます)

 しかし、この戦略・軍事専門家の指摘にある事柄は、私たちが冷厳な現実として知っておく必要があると思います。

 さて、その上で、しかし!というべき問題があります。

 それは今回の「調査報告」をあたかも至上のというかまったくの「所与の前提」とする報道に問題はないのかという点です。

 これまでの各紙、各メディアあるいははじめにふれた専門家や識者の誰一人として「北朝鮮の潜水艇が発射した魚雷による沈没」という発表になんの疑問や疑念も持たず、書き、語っていることに、私たちは唯々諾々と従っていていいのか?!ということです。

 また、記者たちは、専門家たちは、そして識者たちは、何も疑うところはないのですか?!ということなのです。

 率直に言って、私は今回の「発表」を目にして、というより、この発表に至る、事の推移を見据えるとき、ぬぐいがたい重大な疑念が頭をもたげてくるのです。

 完膚なきまでに、というぐらいに完璧に提示されたエビデンスが「うそ」で塗り固められていたが、それを的確かつ有効に見抜くことができずに「戦争」に突き進んだという経験は、先ほど例に挙げたイラク開戦にとどまらず、枚挙にいとまがないというべきです。

 メディアであれ専門家であれ、識者であれ、このことに対する「おそれ」を忘れるべきではないと考えるのです。

 自己の責務、使命の重さを考えるなら、事に対してすべからく謙虚であるべきだと、わたしは考えます。

 ここまでが、今回の問題を考えていく、私の基本的な視座ということになります。

 そこで、では今回の「発表」への疑念とは具体的にいかなるものかということになります。
(つづく)




posted by 木村知義 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録