2010年03月18日
(続)G20の韓国、もはや弱者ではない韓国に何を見るのか
「予想していたよりもメディアの掌握がすすんだ・・・」と、このオールドジャーナリストは顔を曇らせました。
李明博大統領と親密な関係にあるとされてきたキム・ジェチョル氏がMBCの新社長に選任されたのは、私がソウルに着いた前日のことでした。
キム・ジェチョル氏は高麗大学を出て1980年にMBC(文化放送)に入り東京特派員や国際部長、報道制作局長などを歴任して清州文化放送の社長を務めてきた人物で、「李明博大統領と親密なよしみで知られる・・・」とメディアが伝える存在でした。
こうした政権によるメディアの掌握に加えて、野党や市民団体など在野の反対勢力の後退、かつて力を持ったネットによる対抗世論の形成も弱体化したことなど、李政権に向き合う側の後退を深く憂う話が続きました。
「学生たちはどうなのですか・・・」という私の問いに対して、「いま若い世代は、どうすればよい企業に就職できるのか、いい暮らしをするためには・・・と、カネにばかり目を向ける風潮で、ある種の拝金思想が蔓延している・・・」と一層顔が曇るのでした。
ある意味では韓国の社会をけん引してきた学生運動の崩壊という時代を迎えていることを痛感しました。
韓国流あるいは李明博流の新自由主義が、いま、韓国社会を大きく変えようとしていることを感じます。
「軍事独裁政権からの民主化を目指してきた民衆が60%ほどの民主化で安住してしまった。昔の民主化運動の闘士たちも年をとって生活に追われている。民衆の力というのは一度失われると取り戻すことがとても難しくなる・・・」ということばに、いま韓国社会が直面している問題の重さを考えさせられました。
語の正確さということでいえば、開発経済学の厳密な概念規定から外れるかもしれませんが、私は今回の韓国行きで、「take off」ということばを思い出すことになりました。
「李明博エンジン」をふかして轟音とともにいままさにテイク・オフ(離陸)しようとして重力と上昇力が拮抗してせめぎあう中にある、そんな韓国社会というイメージが脳裏に浮かんだのでした。
引力を振り払うことができず失墜するのか、重力に勝ってそれらをねじ伏せるようにして飛び立つことができるのか、それはまだわからないのですが、ものすごい轟音の中に軋むような音や叫びが聞こえてくるように思ったものです。
それにしても、これまた学問的な市民社会論の定義づけがどういうものかは置くとして、少なくとも軍事独裁政権とたたかって民主化を手にしてきた韓国民衆の歴史を考えるなら、日本などよりずっと市民社会の礎がしっかりと組み上げられていると感じていた韓国社会に、こうした時代の転換点が訪れていることを考えると実に複雑な思いにならざるを得ないのです。
それはつまり、戦後日本の社会を激しく揺さぶった60年安保をへて高度成長に向かう中で労働組合がどんどん御用組合化していき実体的には企業経営の補完物でしかなくなり、ライシャワー路線といわれる、いまふうにいえばソフトパワーの「吸引力」に吸い込まれ、かつ蚕食されて、文化、学術、言論の「牙」がすっかり抜かれて「豊かで平和な社会」への道をたどった、まさに、日本の「いつか来た道」を髣髴とさせるものであるわけで、いうならば「成熟社会」にむかうということはなべてそういうものなのだろうか・・・という根源的な重い問いにぶつかるものでした。
韓国の地を初めて踏んだのが1992年と、実に「遅れてきた青年」とでもいうべき韓国との出会いの中で、時代とともに変化していく韓国社会を見つめながら、どれほど「近代化」の波が押し寄せても若いオフィスレディたちが街の屋台を囲んでトッポギをつつくうちは、私は、韓国は大丈夫だと思う・・・などと奇妙なロジックと表現で周りの人たちに韓国社会への思いを語ってきたのでしたが、今回、一年ぶりに訪れたソウルの鐘路の街角からはそうした「風景」が消えつつあることに気づいて愕然としたのでした。
鍾路の舗道からは屋台が消え、銀色に光るパイプで仕切られた花壇ともグリーンベルトともつかない空間が連なって実に無機質な歩道になっていることに、いまソウルに滞在してメディアにかかわる仕事に携わっている知人のことばで気づかされたのでした。
そこに屋台があって人が雑然と行きかい、屋台を囲む温もりのある風景がごく普通のこととして記憶に焼き付いている私には、そこにあって当たり前と思い込んでいたため、それが「消えた」ことに気づけなかったというわけです。
韓国社会はこれからどこへ向かうのか、深く沈潜する問いとして、胸の奥にこだますることになりました。
「しかし・・・」とそのオールドジャーナリストはことばを続けました。「野党もそして学生運動も、あるいは参与連帯など細々と頑張っているものをのぞけば市民運動も、いずれも力を失っている韓国だが、女性たちには期待が持てるのではないか。いま、生活に密着して、経済やいのち、そして環境を考え、さらに生活に根差した政治のあり方を考えて、韓国社会を変えていくのは生活者としての女性の力だといえるのではないか・・・」遠くを見つめるようにしながら洩れたことばには、ここからが本当に韓国社会の問われるところだという思いが強く込められていると感じました。
前のコラムに書いた韓国ドラマの続きに、再開発地域で追い立てを食う貧しい住民たちとともに歩む市長が「民主主義は政治や社会の問題ではない。人間が人間らしく生きるためのものだ」と若者に語りかけるシーンがありました。
李明博政権がめざす「もはや弱者ではない韓国」にむけて飛び立とうとするいま、韓国社会が問われることになる問題がこのドラマから見えてくる思いがしたものです。
そして、それは同時に、いま私たちがその前で立ち尽くしている「問い」でもあるのではないかと思うのでした。
さて、こんなふに書き綴っている間にも、いくつか韓国社会の現在(いま)について伝えるニュースが韓国国内で報じられています。そのうちのいくつかをメモしておきます。
8日公表の経済動向資料で韓国経済研究院(KDI)は「最近の韓国経済は回復速度が正常化し、全般的に安定局面に差し掛かっている」とした。
10日には李明博政権のチェ・ギョンファン経済知識部長官が国政成果評価討論会で「現政権が発足したのは世界不況の後遺症で難局が訪れた時期だったが、政府は死力を尽くし対処してきた。世界の評価は、韓国が前代未聞の経済危機から一番速く回復しつつあるという点で一致する。回復の段階で国民が底力を発揮することで、むしろ逆転する足場ができた。李明博政権のこの2年は、逆転の足場を築き、希望を芽吹かせる期間だった」と評価。
その一方で、企画財政部と統計庁が16日に明らかにしたところによると、昨年の1人世帯と農漁家を除く全世帯に中産層が占める割合は、可処分所得ベースで66.7%で、前年の66.2%よりはやや上昇したが、6年前の2003年(70.1%)と比べると3.4ポイント下落したことが報じられ、全世帯のジニ係数は、2003年の0.277から、昨年は0.293に上昇(格差が拡大)。所得上位20%の所得を下位20%の所得で割った5分位倍率は、2003年の4.44倍から昨年は4.92倍に高まった。所得が中位所得者の50%未満の人の割合を示す相対的貧困率も、同期間で11.6%から13.1%に上昇したことが明らかになった。
また前日、15日には、経済協力開発機構(OECD)がまとめた雇用動向で、韓国の1月失業率(季節調整値)は4.8%で、前月の3.6%から1.2ポイント上昇、上昇率は、調査対象22加盟国のうち最も高いことが伝えられる。
さらに、フォーブスの世界長者番付で韓国人11人がランクインしたこともニュースになっています。
ちなみに韓国人トップは資産72億ドルで100位に入ったサムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)前会長、次いで、現代・起亜自動車グループの鄭夢九(チョン・モング)会長が36億ドルで249位、サムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副社長が19億ドルで536位、教保生命の慎昌宰(シン・チャンジェ)会長とハンナラ党の鄭夢準(チョン・モンジュン)代表がそれぞれ16億ドルで616位、このほか、ロッテグループの辛東彬(シン・ドンビン)副会長と日本ロッテの辛東主(シン・ドンジュ)副社長がそれぞれ15億ドルで655位、新世界グループの李明熙(イ・ミョンヒ)会長が14億ドルで721位、現代自動車の鄭義宣(チョン・ウィソン)副会長が13億ドルで773位、LGグループの具本茂(ク・ボンム)会長とSKグループの崔泰源(チェ・テウォン)会長がそれぞれ11億ドルで880位。
韓国の「財閥経済」の面目躍如という顔ぶれが並んでいます。
さて、こうした李明博政権2年に見えてきた韓国社会の変化を背景に、オールドジャーナリストが「李明博政権には南北関係の改善と真面目に取り組む姿勢が見えない」と指摘した南北関係あるいは北朝鮮の動向について考えることが欠かせません。
きのう(17日)、韓国の聯合通信は北京発で、「北朝鮮問題に詳しい外交筋」が「中国最高指導者の日程を勘案したところ、25日から30日の間に金総書記が訪中する可能性が大きいとみている」と明らかにした、と伝えました。
そこでは「中国の指導部はこれまでも金総書記が訪中する場合には、中朝友好関係を踏まえ、その訪中期間に中国最高指導者の日程をほかと重複させることはなかったといわれる。また、金総書記訪中時の儀典責任者となる王家瑞対外連絡部長は、今月は海外訪問計画がない。20日からロシアやベイルート、フィンランドなどを公式訪問する習近平国家副主席も今月末に帰国予定で、これは金総書記と会う可能性を念頭に置いたものだという指摘もある。」とも伝えています。
ソウルで会ったオールドジャーナリストの話をふまえて、南北関係、さらには朝鮮半島はどう動くのかという視野で続きを書くことにします。
2010年03月10日
「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・B
〜G20の韓国、もはや弱者ではない韓国に何を見るのか〜
前回のコラムで、メディアでいわれる韓国経済の「V字回復」の実体について、鋭く、厳しい視線で語られる分析を紹介しましたが、もちろんそうした見方だけではありません。
一方には英フィナンシャルタイムズ(FT)が伝えた「韓国はもはや勝ち目のない弱者(underdog)ではない」と題したコラム(2月25日)にみられるように、韓国の経済回復を称賛するものもあります。
このコラムはFTのアジア担当編集長のデビッド・フィリング氏が筆を執ったもので、フィリング氏は冒頭でキム・ヨナ選手の活躍にふれながら「隣国である中国と日本の陰に隠れ、ほかの国々からは無視同然の扱いを受けてきたせいで自らを『勝ち目のない弱者(underdog)』と見なすことに慣れてしまったこの国にとって、スポーツの国際大会で勝つことはことのほか重要だ。しかし、韓国が弱者だという見方は実態にそぐわなくなりつつある。この国の人口はインドの20分の1にも満たないが、経済規模はほぼ同じだ。製品輸出額は英国のそれを上回る。英国がまだモノを作っていることを知っている人にとっては特に、これは意外なデータだろう。サムスンが貧しい人向けのソニーだと思われていたのはそれほど昔の話ではないが、同社は昨年、売上高で米ヒューレット・パッカード(HP)を抜き去って世界最大のハイテク機器メーカーに上り詰めた。今年の利益は、日本の電機メーカー大手15社による利益の合計をも上回る可能性が高い」と指摘しています。
また、韓国電力公社コンソーシアムがアラブ首長国連邦(UAE)の原子力発電所工事を受注したことや、米国市場で現代(ヒョンデ)車がシェアを拡大している点を高く評価しながら「韓国は既に順調な成長軌道に回帰している」としています。
さらに、購買力平価ベースで韓国の1人当たりの所得が2万8000ドルと「宿敵である日本」と5000ドルの差しかないとして「今や、長年追い求めてきた裕福な国という称号にもう少しで手が届くところにいる」としています。
こうした韓国経済への評価と歩調を合わせるように、8日、聯合通信は、昨年の韓国経済は、経済協力開発機構(OECD)の30加盟国のうち3番目に高い成長率を達成したと伝えました。
それによると、
「OECDが8日までに各加盟国発表の国内総生産(GDP)速報値を集計した結果、韓国の昨年の成長率は前年比0.2%で、ポーランド(1.7%)、オーストラリア(1.4%)に次いで3位を記録した。GDP速報値が集計された国は21カ国だが、9月までのGDPなどを勘案すると、最終的に加盟国のうち成長率がプラスだったのはこの3カ国にとどまると予想される」として、主要7カ国・地域(G7)はそろってマイナス成長となったと伝えています。
また、韓国の企画経済部関係者は「昨年の韓国経済は国際的に見た場合、実に善戦したと評した」とも伝えています。
しかし私たちはこの経済成長率という数字ですべてを語ることの陥穽について、すでに、痛いほど学んできています。
それよりも、フィリング氏の書く、これまでは「常に中国と日本に隠れて無視同然の扱いを受けてきた」と自ら考えてきた韓国が、経済や国際政治の面で成長し、「弱者の地位を抜け出すことになった」という指摘に注目すべきだと感じるのです。
今回ソウルを歩いてみて、ここにこそ、まさに李明博政権が今何を求め、なにをめざしているのかの重要なカギがあると感じました。
今回の韓国行では、開館したばかりの展覧館、チョンワデサランチェ(「青瓦台の居間」)に足を運びました。


景福宮の北西の角、大統領官邸、青瓦台の前の公園の一角に開館したこのチョンワデサランチェは、パンフレットの表紙に「現代史が息づく歴史の現場」「国民とともに歩む開かれた広場」「健康で緑にあふれるグリーンスペース」という言葉が掲げられていますが、李明博大統領の広報館といった趣で、非常に興味深く見ることになりました。


一階から順路に従って二階まで見て回ると、最後の部屋はG20の会議場を再現した部屋になっていて、このチョンワデサランチェには、フィリング氏のいうように、韓国が世界の強国として存在感を示すところに至ったということを、李大統領の手腕とともに誇るメッセージが強く込められていることが伝わってきました。
また、「国民とともに歩んだ2年」と題した写真集も置かれてあり、「庶民派大統領」を強調する写真が並んでいますが、こうした展示や写真の数々を見ながら、一方で、韓国が、富国であり強国をめざす背後で今どのような社会を招きよせているのかに目を凝らし、深く吟味することも忘れてはならないと考えさせられたものです。


ちょうど写真集に掲載されている報道写真の展示も行われていた
そんな感慨を抱いているとき、偶然、目に入ってきた韓国ドラマで、ITを駆使した株取引で若き経営者としてのしあがり、新都市を創る野望に燃える青年が、再開発事業の邪魔になる住民たちの住まいを押しつぶしながら「貧乏人は、いつもそうなったことを他人のせいにする!貧困や自殺を他人のせいにするな。自分の無能さが原因なのに他人のせいにして文句を並べる。お前は金のある意味をわかっていない。金がないから庶民なのだ。韓国の人口は何人だと思うか?!5000万人だが、問題は富んだ500万人に入るかどうかだ。自分も500万人に入ろうとすればいいのだ!それもしない負け組が何を言っても無駄だ・・・・」と言い放つシーンに出くわしました。
まさにドラマは社会の現在(いま)を映す鏡だと感じたものです。
大先達であるオールドジャーナリストのことばの一つ一つをかみしめながら、政権が発展と成長を謳い上げる背後の、一見なかなか見えないところで、韓国流というか李明博流「新自由主義」の嵐がいま韓国社会を席巻していることを感じ、明洞の地下広場のホームレスや深夜、凍てつくような冷え込みの街路にうずくまる人々の姿を思い起こして、実にやりきれない思いになったのでした。
(つづく)
2010年03月07日
「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・A 〜国民の希望、キム・ヨナ、そして国民の絶望・・・〜 ソウルに着いた27日(土)の朝刊はいずれも、キム・ヨナ選手の金メダル獲得を一面トップで(一面全面を占めて)報じていました。


ハンギョレ新聞 2010.2.27 東亜日報 2010.2.27
一般紙は当然のことですが、経済新聞もキム・ヨナ選手が一面全面を飾っていました。
毎日経済新聞 2010.2.27 韓国経済新聞 2010.2.27
また、テレビは「国民の希望、キム・ヨナ」あるいは「クィーン・ヨナ、君こそ大韓民国だ!」というテロップを掲げて長時間の特集番組を放送しました。
国民にとってキム・ヨナ選手の金メダルが、いかに多くの人に喜びと感動、そして勇気づけられる「物語」をもたらしたのかを感じながらテレビを見ていました。
その夜は、一方で、李明博政権2年を特集する番組も放送されました。
そこでは李明博大統領は「よくやっている」と評価する人が49パーセントあまりという「世論調査」結果が示され、スタジオで視聴者を交えて識者が討論を重ねていました。
昨年の同じ頃と比べると、一見、李政権の支持率は格段に上がり政策も着実にすすめられているように感じさせるテレビ番組でした。
しかし、夜の繁華街に出てみると、昨年の同じ時期と比べると、にぎわいが回復していることは感じられるのですが、以前はソウル駅周辺の地下道に多くみられたホームレスの姿が、明洞周辺の地下街にも広がってきていることに気づきました。
日本人観光客の買い物でも知られるロッテ百貨店から出てきた地下広場では、夜、ボランティアの若者が温かい飲み物などをホームレスの人たちに配る光景がみられました。
段ボールの囲いをして横になる人はまだましなほうで、敷物もなくそのままコンクリートの上に横たわる姿も多く、ソウルの冬の寒さでは凍死する危険も大きいのではないかと心配になりました。
また、年配者だけではなく、若年層のホームレスが増えていることも気になりました。
深夜の街を歩いてみると、昼間には見えなかった韓国社会のもう一つの姿が見えてきて、日本のメディアなどで伝えられる「韓国経済の活況」はいかにも浅く、単なる一つの側面でしかなく、重要なところを見落としていることに気づかされるのでした。
このような韓国社会の実相を前にすると、キム・ヨナ選手を「国民の希望」と熱く語ることがまったく違った風景として見えて来るのでした。
つまり、多くの人びとの失望や絶望の深さゆえに、いま、何かに希望を見出したいという強い欲求が働いて、こうした言葉が生まれているのだということに気づかなければ、韓国社会の現在(いま)を見間違える恐れなしとはいえないということです。
実は、金浦空港に着いて、昨年と同じ銀行で円を両替した際、一年前より円高になっているはずなのに、受けとるウォンがほぼ20パーセントも少ない(ウォン高)ことに、なるほど韓国経済の「V字回復」だ!と驚いたのでしたが、街で目の当たりにした光景は、そうした、日本のメディアが伝える「V字回復」とは相当かけ離れたものだったというわけです。
加えて、ソウルの街中ですすむ再開発のすさまじさです。
さて、そこでまず、韓国の経済の現状について、一年ぶりにお会いした先達のジャーナリストの話と氏の論考をはじめとるする資料類をもとに「もうひとつの分析」について少しばかり書いておくことにします。
「まったく、日本の田中角栄時代の土建政治そのものですよ!」と吐き捨てるようなことばが出たのは、鐘路タワーといわれる斬新なデザインのビルの前の交差点に立って、再開発区域の囲いに視線を投げた時のことでした。
「政府はカネをばらまき、次から次と、土地と再開発などゼネコンのプロジェクトへ流れる。企業を支援することが雇用に結びつくとしているが、雇用には向かわず土地投機にむかうばかり。庶民の所得は増えず、物価は上がり、政府は失業者を百数十万人としているが実際のところ五百万人以上だろう。李政権は経済を回復させるというのが最大の公約だったが、富者はますます富み、貧者はますます貧しくなるばかりで、庶民の生活は苦しくなる一方だ。まさに格差の拡大を招いているだけだ。その間にも国家の財政は悪化して債務は増え続けるばかり。南北関係はやるつもりがなく、メディアを握りそれによって『世論』を支配し、民主主義はどんどん後退している。情報系統の支配が形を変えて蘇った。以前は中央情報部と保安司だったが、いまは検察と警察を活用する手法に変わっている。それにしてもメディアは政権に有利なことしか伝えなくなってきている。KBSに続いてMBCの社長も李政権の息のかかった人物になった。李政権の最大の支持メディアである朝鮮日報をはじめ各新聞も同じ流れにある。いまこの状況に抗っている京郷新聞、ハンギョレ新聞にしてもどこまで持ちこたえられるかというところにきている・・・」
席に着くと同時に堰を切ったように語りはじめたオールドジャーナリストの言葉には、朴正煕軍事独裁政権の苛烈な言論弾圧に抗して生き抜いてきた人生の重みと、いまだ衰えることのない、ほとばしるようなジャーナリスト魂がこめられていることを感じました。
いただいた資料のなかに、ハンギョレ新聞に掲載された仁荷大学経済学部教授のユン・ジノ氏のコラムがありました。
「世相を読む」というこのコラムでユン教授は、2月25日に就任から2年を迎えた李明博政権の「政策成果」について分析するとともに、今後の方向性について考察しています。
ユン教授は冒頭で、李明博大統領が選挙当時に掲げた「747公約」にふれながら「この2年間の経済実績はとるに足らない(貧弱な)ものだ」とし断じています。
この「747公約」とは、7パーセントの経済成長、一人あたりの国民所得4万ドル、韓国を7大経済強国へというもので、経済大統領を掲げて選挙戦をたたかった李明博氏を青瓦台の主に押し上げる上で大きな効果を発揮したといえるものでした。
「経済成長率は2008年が2.2%、2009年は0.2%で平均1.2%水準にとどまっている。また、2009年末現在、一人あたりの国民所得は一万七千ドル(推定)水準で2005年の水準に後退した。名目GDP規模同様、2008年基準で世界15位と、とるに足らないものだ。株価指数が3000を突破するだろうと豪語したのも水の泡となった。747公約は失墜した。」
「もちろん、公正にいえば、とるに足らない(水準にとどまった)経済実績は、2008年の世界金融危機に主な原因があることは事実だ。政府与党は、むしろ景気回復の速度は他の国よりはるかに速かった点を主張した。しかし、すべてを経済危機のせいとばかり考えてはいられない。富裕層と企業にだけ恩恵が行く富者減税、大規模土木建設工事、主として投資による資源配分の非効率と成長潜在力の減退、社会福祉支出の現象と「職場(雇用創出)政策」の失敗など、いたるところで目につく、政策方向の設定と政策の失敗により、平凡な国民の苦痛が増している事実を無視してはならない。」
このようにユン教授は警鐘を発しています。
さらに続けて「所得分配と貧困指標はこの2年間で一斉に悪化した。所得配分の不均衡を示すジニ系数は、2007年の0.344から2008年には0.348に悪化し、相対的貧困率は、同じく17.5%から18.1パーセントに上昇した。我が国の全世帯の五分の一が相対的貧困状態にあるというわけだ。また失業者数は2008年1月の77万5000人から2010年1月には121万6000人と44万人も増加し、週に18時間未満の就業者、非経済活動人口の中の就業準備者、特別な理由なく休んでいる人など、事実上の失業者を合わせると実際の失業者は400万人をこえると推定される」と、韓国社会の深刻な格差拡大と失業者の増大の実態について語っています。
私たちが日本の経済誌や新聞記事などで接している「韓国経済のV字回復」とはまったく違った、もうひとつの韓国経済と社会の相貌が見えてきます。
「なによりも心配なことは分別のない財政支出により、これまで堅実な黒字を継続させてきた財政支出が2009年には10兆ウォン以上の赤字を出し、国家債務も急増して、2012年には470兆ウォンをこえるだろうという点だ。個人負債も同様に急増して700兆ウォンを突破したという報道もあった。「ペクス」(フリーター)400万人時代、700兆ウォンの個人負債、400兆ウォンの国家債務で、われわれは『747』ではなく『474』時代を生きているわけである。」と、
李明博政権の「747」公約をシニカルに批判し、
「結局現政府の経済政策は未来の資源を先に引き出して、富裕層支援、財閥支援、四大江整備事業(サプチル:シャベルを使って土砂をすくう)などにジャブジャブ使っている計算で、これは未来の世代に大きな負担をかけることになるのだ。2012年末にある大統領選挙では747ではなく474問題を解決するという公約を掲げて出る候補者が当選するかもしれない。しかし、誰が次の大統領になるにせよ、結局474公約は、やはり守られないという“うそっぱち”として終わることになるだろう。」と手厳しく問題を指摘しています。
私は日本で韓国がどう報じられているのか注意を払って見たり読んだりしていますが、ソウルに駐在している日本の記者たちはどうしてもっと深く韓国社会について取材しないのでしょうか・・・という、このオールドジャーナリストの問いかけに、私は答える術を持ちませんでした。
韓国の現在(いま)の「もうひとつの貌」をめぐって、考えさせられながら街を歩き、そして、この大先達というべきオールドのジャーナリストの話に耳を傾けたのでした。
(つづく)
2010年03月06日
「時々日録」の長き「不在」から、いま語るべきこと・・・@
年明け以来、長くこのコラムを休んでしまいました。
この間、何人もの方々から、どうなっているのかというお問い合わせをいただきました。
また、お会いする機会のあった方からも、体調でも崩しているのかと尋ねられることもありました。
ご心配をおかけしたことをまず深くお詫びします。
研究会や会合などで忙しく過ごしていたことは確かですが、体調を崩すこともなく、ひたすら駆けずりまわっていましたので「長き不在」のわけは、なんらかの不具合があったということではありません。
むしろ、書かなければならないと思うことは積もり積もっていたというべきです。
しかし、またもやというべきか、こうして語り、メッセージを発して言説を重ねることの意味をひたすら考える日々となっていました。
「理論は灰色だ、現実は緑なす樹だ」と言ったのは、革命家にして理論家であるレーニンだったと記憶しています。
47巻にも及ぶ全集の並ぶ書棚を見るだけでも圧倒される膨大な論文を書き、論を重ねたレーニンが言うのですから、この一節の意味するところは実に重いと思ったことがあります。
私たちの言説が、ただ現象や事象についてあれこれの解釈をしてみせたり「おしゃべり」するだけのものであってはならないという強い思いに、ただただ立ち尽くす日々を重ねていたのでした。
何かを語ろうとする際、ここで言う「立ち尽くす思い」をどうのりこえていくのか、私にとって重い命題としてあり続けています。
とりわけ中国や朝鮮半島を中心とする北東アジアを見つめ、その動きと向き合って立つ時、こうした思いは一層重くのしかかってくるのでした。
また、私自身が長く身を置いてきたメディアのありようを見据え、考える時、単なる批評や評論ではなく、どのようにしてその「現実」を変えるのか、どのようにしてそのための実体ある力としていくのかを自身に問いかけることなく、何かを語ることに、深く逡巡する思いが募るのでした。
そんな思いを抱えながら、先週末から慌ただしくですが、韓国・ソウルを訪ねて戻りました。
ちょうど一年ぶりの韓国は、バンクーバーオリンピックのフィギュアで金メダルを獲得したキム・ヨナ選手の活躍に国中が沸き、李明博大統領が就任から2年、そして三・一独立運動の記念日「三・一節」を迎える時でした。
大先達というべきオールドジャーナリストにお会いして、韓国の現在について時間をかけて話を聴くとともに、時間の足りない分はこれらを読み込むようにと準備してくださった新聞や雑誌の記事、そのほかの論考などの資料をいただいて戻りました。
帰国してすぐ、まず経済にかかわる資料を翻訳して読み込んでみました。
そこからは「韓国経済のV字型回復」の虚構性が垣間見えてきます。また、6月の地方選挙の行方、そして与党ハンナラ党が分裂するかどうかが、韓国の行方を占う当面の焦点だと語る、先達のジャーナリストのことばが重みを持って迫ってきます。
コラムの「長き不在」を破って、そうした「現場」からのレポートを書くべく手を動かしはじめたのですが、ちょうどその時、重要な「呼びかけ」を受け取りました。
まずはそのことから記しておかなければならないと考え、内容を変更してこれを書いている次第です。
それは、高校無償化法案と朝鮮学校の問題です。
韓国に出かける直前、この問題がニュースで伝えられました。
結論からいうと、首相就任に際して「東アジア共同体」などというものを掲げた鳩山由紀夫という人は一体どういう思考構造を持っているのだろうかと驚くとともに、政権交代とは一体何だったのだろうかと、改めて考えさせられたのでした。
以下は「高校無償化法案」をめぐって、記者がメモした、先月25日夕刻の鳩山首相との「ぶらさがり」の一問一答です。
―中井洽・国家公安委員長が朝鮮学校は支給対象外とするように要請しているが、総理の見解はどうか。
「これはいま調整、最後の調整しているところと承っていますが、これはやはり、朝鮮学校の方々のどういう、いわゆる指導内容とかね、どういうことを教えておられるのかというようなことが必ずしも見えない中で、私はやはり中井大臣の考え方というのは一つ案だと考えております」
―具体的な対象についての総理の考えは。
「方向性として、そのような方向性になりそうだというふうには伺っていますが、最後の調整だと思います」
「最後の調整しているところと承っていますが・・・」「そのような方向性になりそうだというふうには伺っていますが・・・」などと、これが総理という立場にいる人間の言だろうかと唖然とするのは置くとしても、見識というものを感じることのできないこの「一問一答」はなんだろうと言葉を失いました。
すでに報じられているように、今回の「高校無償化法案」の骨子は2010年度から、
(1)公立高校の授業料をとらない
(2)私立高校生には公立高校授業料と同等額の年約12万円を助成する
というものです。
そして、国会での審議入りを前に、中井洽・拉致担当相が、在日朝鮮人の生徒ら(朝鮮籍、韓国籍の生徒がいます)が通う各地の朝鮮学校を対象にすることについて「制裁をしている国の国民だから、十分考えてほしい」と川端達夫文部科学相に要請したことで、朝鮮学校を対象とするのかどうかが論点の一つに浮上したものです。
鳩山首相の記者との一問一答を目にすると(私は「ぶらさがり」の現場にいたわけではありませんが、多分このメモにあるとおりなのだろうと思います)彼の掲げる「東アジア共同体」などというものになんらの哲学も思想もなく、そして歴史意識のかけらもなく語られていたことが白日の下に曝されてしまったというべきですが、そんなことをあれこれ論評してみたところで、それこそなんの力にもなりませんので、今は、やめておきます。
そこで、冒頭に書いた、私が受けとった「呼びかけ」と「共同要請」の本文を以下に記すことにします。
「共同要請」への賛同のお願い
◇私たちはこの間、外国籍の子どもたちの学習権を保障するためのさまざまな取り組みを行なってきました。そして昨年9月誕生した新政権に対しても、朝鮮学校や韓国学校、中華学校、ブラジル学校、ペルー学校など200校以上になるすべての外国人学校の処遇改善を求めてきました。
◇新政権が「高校無償化」制度を提起し、その中に外国人学校を対象としたことは、画期的なことです。しかし、朝鮮学校だけこの制度から除外しようとすることは、憲法および国際人権諸条約に違反するものであり、朝鮮学校に通う子どもたちの心を踏みにじるものです。
◇この共同要請書に、多くのNGO・市民団体・労組・諸団体および個人に名前を連らねてもらい、3月11日、政府に提出すると共に、海外の人権団体などに送付します。
○要請書に賛同される団体・個人は、3月10日正午までに、団体名か個人名を、英語表記を併記して、下記のEメールアドレスまでお知らせください。
school@econ-web.net(外国人学校ネット)
○また、賛同された団体は、各団体のウェブやMLで、この共同要請を広く発信していってください。
<呼びかけ>
外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク(代表:田中 宏)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2−3−18−52 在日韓国人問題研究所
電話03-3203-7575(佐藤)
〒160-0023 東京都新宿区西新宿7−5−3 斎藤ビル4階 みどり共同法律事務所
電話03-5925-2831(張)
〒657-0064 神戸市灘区山田町3−1−1 神戸学生青年センター
電話078-851-2760(飛田)
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内閣総理大臣 鳩山由紀夫 様
文部科学大臣 川端 達夫 様
<NGOと市民の共同要請>
私たちは朝鮮学校を「高校無償化」制度の対象とすることを求めます。
私たちは、多民族・多文化社会の中ですべての子どもたに学ぶ権利の保障を求めて活動するNGOであり市民です。
新政権のかかげる「高校無償化」制度においては、政権発足当初より各種学校である外国人学校についてもその範囲に含むことが念頭におかれ、昨秋、文部科学省が財務省に提出した概算要求でも朝鮮学校などの外国人学校を含めて試算されていました。
ところが今年2月、法案の国会審議を目前にしたこの時期、新聞各紙では「中井拉致問題担当相が、4月から実施予定の高校無償化に関し、在日朝鮮人の子女が学ぶ朝鮮学校を対象から外すよう川端達夫文部科学相に要請、川端氏ら文科省の政務三役が検討に入った」(2月21日)、「鳩山首相は25日、高校無償化で、中井洽拉致問題担当相が朝鮮学校を対象から外すよう求めていることについて『ひとつの案だ。そういう方向性になりそうだと聞いている』と述べ、除外する方向で最終調整していることを明らかにした」(2月26日)と報道されています。しかし、日本人拉致問題という外交問題解決の手段として、この問題とはまったく無関係である日本に生まれ育った在日三世・四世の子どもたちの学習権を「人質」にすることは、まったく不合理であり、日本政府による在日コリアンの子どもたちへの差別、いじめです。このようなことは、とうてい許されることではありません。
朝鮮学校排除の理由として「教育内容を確認しがたい」との説明もなされていますが、これは、『産経新聞』2月23日付けの社説「朝鮮学校無償化排除へ知恵を絞れ」にも見られるように、朝鮮学校排除のために追加された名目にすぎません。
朝鮮学校は地方自治体からの各種学校認可や助成金手続きの際、すでにカリキュラムを提出していることからも、「確認しがたい」との説明はまったく事実に反します。また、日本のほぼすべての大学が朝鮮高級学校卒業生の受験資格を認めており、実際に多くの生徒が国公立・私立大学に現役で進学している事実からも、朝鮮
高級学校が、学校教育法第1条が定める日本の高等学校(以下「1条校」という)と比べても遜色ない教育課程を有していることを証明しています。
そもそも、1998年2月と2008年3月の日本弁護士連合会の勧告書が指摘しているとおり、民族的マイノリティがその居住国で自らの文化を継承し言語を同じマイノリティの人びととともに使用する権利は、日本が批准している自由権規約(第27条)や子どもの権利条約(第30条)において保障されています。また、人種差別撤廃条約などの国際条約はもとより、日本国憲法第26条1項(教育を受ける権利)および第14条1項(平等権)の各規定から、朝鮮学校に通う子どもたちに学習権(普通教育を受ける権利、マイノリティが自らの言語と文化を学ぶ権利)が保障されており、朝鮮学校に対して、日本の私立学校あるいは他の外国人学校と比べて差別的な取扱いを行なうことは、そこに学ぶ子どもたちの学習権・平等権の侵害であると言わざるを得ません。
「高校無償化」制度の趣旨は、家庭の状況にかかわらず、すべての高校生が安心して勉学に打ち込める社会を築くこと、そのために家庭の教育費負担を軽減し、子どもの教育の機会均等を確保するところにあるはずです。
朝鮮学校は、戦後直後に、日本の植民地支配下で民族の言葉を奪われた在日コリアンが子どもたちにその言葉を伝えるべく、極貧の生活の中から自力で立ち上げたものです。いま朝鮮学校に通う子どもたちには朝鮮籍のみならず、韓国籍、日本国籍の子どもたちも含まれており、日本の学校では保障できていない、民族の言葉と文化を学ぶ機会を提供しています。
このような朝鮮学校に対して、1条校と区別するだけではなく、他の外国人学校とも区別して、「高校無償化」制度の対象から除外する取り扱いは、マイノリティとして民族の言葉・文化を学ぼうとする子どもたちから中等教育の場を奪うものであり、在日コリアンに対する民族差別に他なりません。
去る2月24日、ジュネーブで行なわれた国連の人種差別撤廃委員会の日本政府報告書審査では、委員たちから「朝鮮学校は、税制上の扱い、資金供与、その他、不利な状況におかれている」「すべての民族の子どもに教育を保障すべきであり、高校無償化問題で朝鮮学校をはずすなど差別的措置がなされないことを望む」「朝鮮学校だけ対象からはずすことは人権侵害」などの指摘が相次ぎ、朝鮮学校排除が国際社会の基準からすれば人権侵害であることはすでに明らかになっています。
外国籍の子も含めてすべての子どもたちに学習権を保障することは、民主党がめざす教育政策の基本であるはずです。私たちは、朝鮮学校に通う生徒を含めたすべての子どもたちの学習権を等しく保障するよう強く求めます。
2010年3月10日
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さて、友愛などという、政治の場では口に出すのも面映ゆいスローガンを掲げる鳩山首相。
「友愛」の実のあるところを見せることができるかどうか、はなはだこころもとないのですが、ただ待っていても実現しそうにありませんので、ここは意を決して、この「呼びかけ」と「要請文」をできるだけ多くの人びとに読んでいただこうと思い、これを書きました。
このあと、ソウル・レポートを続けますが、まずはここまでにします。