2009年09月27日

「東アジア共同体」へのハードル 〜中国・東北、中朝国境への旅で考えたこと〜(その2)

 「力がなければ、民族も、国家も滅びる、悲惨なものだ・・・」

 在日朝鮮人の方たちと意見を交わす中で出てきた、呻きに似たことばであることは書きました。

 とりわけ、中朝国境地帯という戦略的にも複雑な地域に立って、あるいは高句麗という、中国との間で「歴史論争」になっている、その地で考える朝鮮民族の歴史を踏まえるなら、このことばはむべなるかなというものではある、というより誰しも否定できないというぐらいの重みを持ったことばだと思います。

 確かに過去の歴史をふり返ればそうであるかもしれないし、私たちが生きる現在もまた、その論理を否定できない状況であるかもしれない、そうなのだけれども、しかし、その先を、未来を考えるべきなのではないか、私たちは・・・。

 民族というものをどう定義づけするのが正しいのか、あるいは国家は・・・と、学問的には歴史にもとづく深い研究と考察が必要であることは承知しています。

 しかし、いまここで語ろうとするのは、そうした専門研究に属することではありません。

 ただし、少なくとも近代国民国家というものが民族という論理とは必ずしも一致しない形で形成されてきたことは、現実として認めるべきだと考えます。

 しかも、帝国主義の時代にあって、植民地というものが生まれ、その分割、再分割闘争としての戦争を経て、国、国家というものが、民族の論理とは無関係に「線引き」されて形成されたという現実もあります。

 したがって、冷戦構造の「崩壊」のなかで、ひとたび「抑圧」する力として働いてきた「国家」が揺らぐと、一気に噴出した民族(意識)との軋轢の中で凄惨なまでの「争い」を目の当たりにすることになりました。

 旧ユーゴや旧アルバニアなどを例にあげるまでもなく、いま現在、それらの国がどうなっているのか、どんな名称の国でどのような版図を占めているのか、地図で正確に示すことすら容易ではない状況だといわざるをえません。

 中国でいえば一つの国家の中に56もの民族が暮らし、それらの中には自治区であったり自治州といった民族ごとの「自治、自決」を謳った地域もあります。

 そして、いま、チベットで、新疆ウイグル自治区で、「騒乱」、「暴動」を目の当たりにしているのです。

 こうした状況を前に、力がなければ民族もなにもあったものではないという論理は、現実論としては反論の余地はないのだろうと思います。

 しかし、私たちの生きる21世紀という時代のあいだに解決できるかどうか、それはわからないというぐらいの長い射程のはなしなのですが、結局、どう力を得たとしても、力によっては根本的に解決できない問題として残るのではないのか、ということです。

 そうなると、欧州の「実験」をすべてよしとするのではありませんが、究極的には、平和の中で生きるためには力においてではなく、強力的あるいは「暴力的」に線引きした現在の国家というものをどれだけゆるやかで、柔らかい存在にしていけるのかにかかってくるのではないか。

 象徴的に言えば、黒々とした実線の国境を薄い「点線」にするという営みの積み重ねにしか未来はひらけないのではないか、ということです。

 もちろん、もう一度、地球の破滅しか意味しない「世界戦争」を戦おうという場合は別ですが・・・。

 国境を点線にするという営為の中で、ひとつひとつの「国家」をこえて、あるいは「国家」の内部にも、多数の民族が平和的に共存していく道を模索していくべきではないのか・・・。

 なんとも、口はばったくも、青臭い論を述べたものだと気恥ずかしくなるほどでした。

 それよりも、在日朝鮮人の人びとが、いま、どれほどの苦難に耐えて生活を営んでいるのか、そんなこととは「別世界」のような空論に長広舌をふるったものだと、自己嫌悪に陥るぐらいのものでした。

 しかし、です!空論ではなく現実論として、力においてではなく、論理においてあるいはもっといえば、理念と理想において生きる時代をひらくべきではないのか、これは私の頑固な「思いこみ」ですらあるのです。

 であるがゆえに、中国・東北の地に立って歴史を見つめ、考える旅の意味があるのではないか、というのが私の述べた要旨でした。

 さて、しかし、ここには避けて通れないというべきか、最低でも、二つの語るべきことが残されているというべきです。

 ひとつは、北朝鮮はなぜ崩壊せずに生き続けているのかという問題。

 もうひとつは、中国・東北、つまり旧満州の地に立って、こうした「理想」を語る際に忘れてはならない問題、つまり歴史の記憶という問題があるということ。
 この二つです。

(つづく)



 
posted by 木村知義 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

「東アジア共同体」へのハードル 〜中国・東北、中朝国境への旅で考えたこと〜(その1)

 8月下旬中国・東北、中朝国境地帯を旅してきたことはすでに書きました。

 瀋陽から長春、朝鮮族自治州に入って延吉、龍井、白頭山および山麓一帯、通化を通って集安、鴨緑江沿いに丹東へ、そして大連へ、陸路2600キロにおよぶ旅でした。

 瀋陽から長春そして延吉までと丹東から大連の間はよく整備された高速道路を快適に駆け抜けました。
 長春までの高速道路は以前も通ったことがありましたが、その時は、延吉へは鉄道を使ったので、高速道路ははじめてでした。

 貨物満載の大型トラックの間をBMWやアウディ、ホンダ(広州ホンダ)のアコードなどが猛烈なスピードで駆け抜けていく光景を目にして、いまの中国の”勢い”を象徴しているように感じました。

 高速道路網の整備は中国経済の成長のスピードの象徴でもあるのだと実感しました。

 このように、現場に立って、自分の目と耳で中国の現在(いま)にふれ、そこで考えることが旅の目的でもあるのですが、今回の旅では中国の人たち、とりわけ朝鮮族の人びとの話を聞くことができただけではなく、、日本に住む在日朝鮮人の方たちとも意見を交わす機会を得ました。

 昨年、法政大学教授の田島淳子さん、東京芸術大学準教授、毛利嘉孝さんらが中心になって取り組んでこられた、「在日外国人地域ボランティアネットワーク円卓会議」の活動の末席に加えていただいた際、大学生の皆さんと一緒にブラジル人学校や朝鮮学校を訪問して、多文化共生について、本当にささやかにですが私なりに活動に加わる機会を得たことはありましたが、旅先とはいえ、今回ほど深く在日朝鮮人の方々と意見を交わす経験ははじめてでしたので、私にとってはとても貴重な機会となりました。

 中国・東北地方、特に朝鮮族の人たちが住む地域や中朝国境地域に、韓国からだけではなく、在日朝鮮人の人たちも出かける背景には、ここが朝鮮民族にとって歴史的にも深いかかわりのある地域だということに加えて、長白山(朝鮮名白頭山)の存在があると思われます。

 余談ですが、朝鮮民族にとって白頭山がどれほど思い入れの強い存在であるのかを痛感した経験があります。

 90年代初頭、北朝鮮の核開発問題が持ち上がったとき、ある人物のインタビューを録るために韓国ソウルに出かけたことがあるのですが、収録のために訪れたある「施設」の玄間の壁面いっぱいに巨大な絵が掲げられていました。

 わたしは何も思わずその前を通って奥に行こうとしたのですが、撮影助手の韓国人の若者がしばしその絵の前に佇んだまま動かないのです。

 「どうしたの?」と声をかけると「ペクトゥサン!」と声を弾ませて言うのでした。

 「で、それがどうしたの」とことばを返すと、「すばらしい!」と言って「この山は韓国人なら(つまり朝鮮民族ならと言う意味ですが)死ぬまでに一度は登りたい、登らずには死ねないそんなあこがれの山なんですよ!」とことばを続けたのでした。

 不勉強を恥じなければならないのですが、そのときまで白頭山というものがいかなるものかまったく知らずにいたので、認識を新たにしたという次第でした。

 韓国の人びとにとって、「分断」という状況にある現在の南北関係では、白頭山に登るには中国側からしか道がないということですし、「制裁」が実施されていて母国との往来にさまざまな「困難」がある状況の下、在日朝鮮人にとっても白頭山に至る道は中国に出かけるのが早道という事情もあるのでしょう。

 とにかく、旅をしていても、まわりでは朝鮮語(地域に住む人たちの朝鮮語と韓国からの旅行者の韓国語)の会話が飛び交いました。

 もちろん朝鮮族自治州の延吉などでは街のなかもハングル表記に溢れていますし、朝鮮族の人たち(とりわけ年配者)は、日常会話は朝鮮語、必要に応じて中国語を併用するという生活です。

 余談ついでにといえば語弊がありますが、白頭山の素晴らしさをことばではなかなか説明できませんので、頂上にある「天池」の写真を掲載しておきます。



長白山(白頭山):中国側山頂から天池を望む、向こう側は北朝鮮

 さて、旅先で在日朝鮮人の方々と交わした、会話、議論です。

 なお、はなしの前提として「朝鮮籍」という問題を歴史的にきちんと認識しておくことが不可欠なのですが、ここで、そこに踏み込むとそれだけで何回かのコラムを費やさなければなりませんので、いまは控えます。
 ただし、非常に乱暴な「要約」であることを承知の上で、重要な点だけを押さえておくと、

 日本の敗戦により植民地支配から解放された後、サンフランシスコ講和に至るなかで、それまで強制的に「皇国の民」、日本人とされてきた朝鮮人が、突然「何国人」でもない存在に投げ出され、母国に戻ることのできた人は別として、大勢の朝鮮人が、便宜的に地域を示す「朝鮮籍」において、「特別永住許可」の下日本で暮らしを営むことになったこと、植民地支配からの解放が祖国の再建を意味することなく南北に分断国家が生まれ、戦後世界の「冷戦」の悲惨を一身に負うかのように同族血で血を洗う朝鮮戦争へと至ったこと、そして1965年の日韓基本条約により南半分の韓国籍のみが国籍として認められるという、きわめて「複雑」な歴史を生きざるをえなかった在日朝鮮人の苦難というものへの歴史的認識と想像力がなければ、現在の朝鮮半島問題を考える際、事の本質が見えてこないのではないかと思います。


 今回の旅の中で交わした会話の中にも「北であれ南であれわが祖国」ということばが在日の方の口から聞かれました。
 長白山(白頭山)への「あこがれ」はそうした文脈で受けとめるべき思いなのだと痛感しました。

 ただし、旅から戻って手にした文芸誌のページをめくるうち、このことばの「元祖」的な存在である在日作家の連載で、しばらく目にしなかった「北であれ南であれわが祖国」という活字に出会いましたが、この作家については、とりわけ「国籍」問題でさまざまに議論、論争のあるところですから、旅先で耳にした在日の方のことばは、さしあたりはこの作家のスタンスとは関係なく語られていることを、念のため書いておきます。


 なぜこれほどのさまざまな「注釈」が必要なのか、本当に苛立たしくなるぐらいですが、それが在日朝鮮人にかかわって何かを語ろうとする際、現在の”日本”のなさしめるところだと思います。

 なんの「注釈」もなしに語ることのできる時代と社会を一刻も早くひらかなければならないと思います。

 さて、本論に戻らなければなりません。

 「やはり力がなければ、国も滅びるのだ!力がなければ国も民族も生きていけないことを本当に痛感した・・・」
 在日の、学識豊かな、とりわけ歴史分野に深い知識を持つ人物から漏れた呻きのようなことばです。
 吉林省東南部、鴨緑江沿いにある小都市、集安でのことです。

 世界文化遺産にも登録されている好太王碑(広開土王碑)で知られる、この集安という地は、高句麗の歴史的位置づけをめぐって、韓国と中国との間でもデリケートな歴史問題として議論の絶えないところでもあるのです。

 その地で、このことばを聞いて、私は、ハッとさせられ、そして、しかし「力」ということばにどこか抵抗感が残って、立ち尽くす思いを抱いたのでした。

 その「抵抗感」が顔に出たのかもしれません、会話は、民族、国家というものをめぐる議論へと発展したのでした。

 初対面で踏み込む議論ではなかったかもしれません。
 しかし、ここは在日朝鮮人という存在に正対するためには、あるいは信頼関係の中で問題を考えるためには、あいまいに言葉を濁してやりすごすべきではないと、思ったのでした。


 しかしその会話の先に、 「あなたは、民族、国家というものはこえていけると思うか、そう思うなら、どうこえていくのか。あるいは、私たちが日本の社会で、いま、本当に息もできないほどの生活を余儀なくされている、そのことをわかってもらえるだろうか・・・」と問われることになりました。

 「力がなければ悲惨なものだ!」と、重ねられることばが一層強く私の胸に刺さりました。

 現在の日朝関係の下で、在日朝鮮人というだけでどれほどの苦しみに、いま、耐えながら暮らしを営んでいるのか、そのことがひしひしと伝わってくるだけに、ことばを返すことができなくなるのでしたが、それでも勇を振るって、青臭い議論だと思われるかもしれませんが少し私の話を聞いてもらいたいと、私は話を切り出したのでした。
(つづく)






posted by 木村知義 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年09月21日

情報の「ゆがみ」の恐ろしさを知らなければならない

 2回にわたって北朝鮮問題、朝鮮半島情勢について書いてきました。

 今回は、中国・東北への旅、とりわけ中朝国境地帯を歩いて見聞きしたこと、考えたことに転じたいと考えていましたが、その前に、さらに書いておかなければならない問題があることを痛感します。

 何かというと、北朝鮮にかかわる情報の「ゆがみ」についてです。

 私たちの意識のなかに、あるいはメディアの報道に抜きがたく存在する、北朝鮮情報にかかわる「ゆがみ」の問題は、実に深刻だと言わざるをえません。

 この2回のコラムにふれて、直近のニュースを取り上げます。
 金正日総書記にかかわる情報です。

 きょう(21日)の各紙でも伝えられているのですが、アメリカのオバマ大統領が20日のCNNテレビとのインタビューで、8月に平壌を訪れたクリントン元大統領からの報告に基づいた分析として、昨夏から健康不安説が取りざたされていた北朝鮮の金正日総書記について、健康を回復し「再び権力掌握を確かなものにしている」との見方を示したということです。
 
 さらに後継者問題についても「病気だったころは後継についてもっと気にしていたが、今はそれほどでもないようだ」と語ったというのです。

 これについては「北の最重要課題は後継問題ではないとの見方も示した。」(読売)と報じた新聞もありました。

 そして、北朝鮮当局に拘束されていた米記者2人の解放を目的としたクリントン氏の訪朝について「我々は北朝鮮との交流は多くはないので、こうしたことを知る貴重な機会だった」と評価したのでした。

 金正日総書記の健康問題は「後継問題」にとどまらず、この間のロケット発射から核実験にいたる北朝鮮の「動き」を規定する重要な要因であることはいうまでもありません。

 実は、北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長が今月の10日平壌で日本の共同通信との会見に応じています。

 その発言要旨を見てみると、

・(日朝)両国が21世紀になっても近くて遠い関係を打破できないことを残念に思う。われわれは日本当局の不当な敵視政策に反対するのであり、日本の国民は敵ではない。

・日本が(日朝)平壌宣言を重視し、宣言に基づき不幸な過去を誠実に清算しようとするのであれば、両国間で解決できない問題はない。関係改善の展望はあくまで日本当局の態度にかかっている。

・諸懸案を解決しながら、政治、経済、文化などあらゆる面で実りある関係を築くことは、両国民の利益に合致し、北東アジア地域の平和と安定、発展に有利な状況を生むだろう。

・金正日総書記は、現在も旺盛な精力にあふれ、党と国家、軍の全般を賢明に指導している。

・革命伝統はわが国家と国民の生命で貴重な財産であり、その継承は重要な問題だ。国民は常に、金日成主席が生み出し、金総書記が発展させている革命伝統を体得するようにしている。

・これ(革命伝統継承)に継承者(後継者)問題は関係していない。現時点では論議されていない。(金総書記の三男、正雲氏の内定説など一連の報道は)全く事実無根だ。

 という内容です。

 もちろん、こうした発言を、そのまま「鵜呑み」にするわけにはいかないということはあるでしょう。
 
 しかし、これだけの高位にある首脳が、国外に報道されることを前提に、いま、なぜこうした内容の発言をしたのかということは無視できません。

 この点は極めて深い吟味と慎重な分析が不可欠です。

 たとえば、後継問題について、金総書記の三男、正雲(ジョンウン)氏が内定したとの海外での報道に対して「革命伝統を継承する問題は重要だが、これに継承者(後継者)問題は関係していない」、「現時点では論議されていない」と海外での「内定報道」をきっぱりと否定していることは注目すべきことだといえます。

 そして、なによりも重要なことは、20日のCNNテレビでのオバマ大統領の発言と平仄があっていることです。

 重ねてですが、金永南委員長の言う通りになるのかどうか、それはわかりません。

 しかし、米国の大統領がメディアのインタビューに答えた内容と合致してくるとなると、これは軽い問題ではなくなります。

 ふりかえってみると伏線がありました。

 今月15日、米太平洋軍のキーティング司令官が「北朝鮮の後継構図は不透明」との見方を示していたのです。

 これは 米国のシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のフォーラムでの発言です。

 キーティング司令官は、クリントン元米大統領の先月の訪朝は大きな情報をもたらしたと述べ、「金正日総書記はしっかりと立つことができ、力もありそうで、論理的な討論をする能力もあるものと見られた」と語ったというのです。

 この発言について韓国の聯合ニュースは、クリントン元大統領の訪朝が「北朝鮮指導部の状況について重要な情報を得る機会になったことをほのめかしたもの」と伝えています。

 さてそこで、きょうのTBSニュースです。

 CNNのインタビューに答えたオバマ大統領の発言について伝えながら、「北朝鮮に対する強い制裁措置は『中国やロシアの協力も得て非常に成功している』と述べると共に、北朝鮮が米朝2国間を含めた協議に復帰することを念頭に『近いうちに何らかの前進がはかられると思う』との見方を示しました。」と報じました。

 米朝間の問題について「近いうちに何らかの前進がはかられると思う」とオバマ大統領が言明したというのです。

 ここまで情報の流れを押さえて見ると、クリントン元大統領がもたらした情報の重みが見えてきます。

 まさにホワイトハウスの西ウイング、特殊防諜装置が施された密室でクリントン氏が直接オバマ大統領に伝えた情報の重みです。

 このコラムでは、国際情報小説やスパイ小説の類のような想像力をたくましくしようというのではありません。

 アメリカの、情報というものに対する姿勢について注意を払う必要があると、かなり控えめな物言いではあるのですが、言いたいのです。


 情報は、現実に対して謙虚になることがなければ生きない、つまり価値がないということを如実に物語っているのです。

 まさかクリントン氏が金正日総書記にシンパシーを抱いているなどと考える人は皆無でしょう。

 好きか嫌いかといえば、多分嫌いでしょう。

 百歩譲ったとしても、「人権派」のクリントン氏ですから、金正日氏は、少なくとも好きな人物ではないでしょう。

 しかし、そうした「個人の好み」に左右されず、現実を直視する力があるからこそ、大統領としての彼を評価するかどうかは別にして、国家の指導者としての大統領が務まったというべきです。

 CNNで今回のような発言をしたオバマ大統領もまた同じでしょう。

 さて、ここまで書いてくると、賢明な読者のみなさんですから、何を言おうとしているのかおわかりだと思います。

 対する、日本の、北朝鮮にかかわる情報の「貧困」さです。

 「金正日はすでに死んでいる」などと大言壮語したメディア出身の北朝鮮問題専門家がいたりするのはお笑いで済みますが(いや!記者を辞めてからは大学の教授などという職にあるのですから笑えないか?)なんともことばにできないほどの北朝鮮情報の「ゆがみ」は深刻だというべきです。

 何を言っても確認のしようがないということをいいことに、言いたい放題という様相を呈しているのが、日本の北朝鮮情報ではないでしょうか。

 この間の米国の動きを深く見つめると、なぜいつも日本が「蚊帳の外」に置かれるのか、如実に見えてきます。

 国益とは何か!

 北朝鮮情報をもてあそぶ専門家に、ここは真剣に考えてもらわなければなりません。

 北朝鮮に対する救い難い情報の「ゆがみ」が、いま、日本を危うくしています。

 私は、なにもアメリカが立派だといっているのではありません。
 アメリカは自国の利益のためにそうしているだけのことです。

 しかし、では、日本に、“クリントン”はいるのか、それに謙虚に耳を傾け、国の行く末を間違わないように努力する“オバマ”はいるのか?!
 
 あるいはバイアスをできるだけ排除しながら、現実を直視して伝えるメディアはあるのか・・。

 さらに、この日本における北朝鮮にかかわる情報の「ゆがみ」は何に由来するものなのか、これこそ歴史に深く根ざす問題として、真摯な思索を求められるものだと思います。

 朝鮮半島は動く!

 そう確信するだけに、情報の「ゆがみ」に根ざす問題の深刻さと重さを思わざるをえません。





posted by 木村知義 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年09月19日

動く!朝鮮半島、中国東北・中朝国境の旅から・・・

 さて、もう少しこの間の「動き」を整理しながら考えてみます。

 2人の女性記者の解放をめざしたクリントン元大統領の訪朝、開城工業団地で北朝鮮側に身柄を拘束されている男性社員の解放、帰国をめざす現代グループの玄貞恩会長の訪朝、そのいずれもが奇しくも「身柄を拘束されている者」の解放をめざすという、誰もが反対できない「人道目的」で訪朝し、金正日総書記との会見、会談に至るという経過をたどったことはすでに知られるとおりです。

 これに続く金大中元大統領の死去をもうひとつの契機に加えて、朝鮮半島は大きく動きはじめます。

 とりわけ、北朝鮮弔問団の韓国派遣、青瓦台での李明博大統領との会談という流れの中で、それまで緊張とこう着状態にあった南北関係が、いってみれば、きしみを立てながらではあれ、大きく転換をはじめました。

 自由を奪われた拘束の身の上、あるいは人の逝去という「不幸」を奇貨としてというと不謹慎に響きますが、そうとしか言えないぐらいのタイミングで、まさに恩讐を超えて「禍を転じて福となす」というべき展開がはかられたのでした。

 そして迎えた9月です。

 9月3日から10日まで、アメリカの北朝鮮問題を担当するボズワース特別代表が中国、韓国、日本を歴訪しました。

 5月に中国、韓国、日本、ロシアの4カ国を歴訪したのに続く、6カ国協議の構成国歴訪でした。

 この時期に合わせるかのように、北朝鮮の国連代表部は3日、「使用済み燃料棒の再処理が最終段階にあり、抽出されたプルトニウムが兵器化されている。ウラン濃縮実験が成功裏に行われて仕上げの段階に入った。」とする書簡を国連安全保障理事会議長あてに送りました。

 「ウラン濃縮」のくだりばかりが大きく報道されたのですが、それ以上に注意を払うべき重要な部分は「われわれは、わが共和国の自主権と平和的発展権を乱暴に踏みにじるのに利用された6者会談の構図に反対したのであって、朝鮮半島の非核化と世界の非核化そのものを否定したことはない。朝鮮半島の非核化は徹頭徹尾、米国の対朝鮮核政策と密接に連関している。」と主張しているところです。

 9日になると読売新聞がソウル発で、韓国政府当局者が「米国が、北朝鮮との2国間協議開催の可否を数週間以内に決める、との見通しを示した。」と報じました。
 
 さらに、日本、中国、韓国の関係3か国を歴訪したボズワース米政府特別代表が、「6か国協議開催を促す目的ならば、米朝協議を先行開催できるとの考えを示し、3か国の了承を取り付けたという。」と伝えたのでした。

 3か国、つまり中国、韓国そして日本の了承を取り付けた?!というのです。

 そして、ボズワース特別代表の帰国を待っていたかのように、11日にはクローリー米国務次官補が「北朝鮮を6者協議の場に復帰させる方策の一環として、2国間協議に応じる用意がある」と述べたと米・CNNが伝えました。

 加えて、協議が実現する期日について「クリントン米国務長官が9月下旬、国連総会の場で他の6者協議参加国の外相らと会談した後になる」と踏み込んで伝えています。

 一方、6カ国協議の議長国にして北朝鮮にとっての最大の援助国でもある中国です。

 まず、中国の戴秉国国務委員(外交担当)と楊潔チ外相が4日、中国を訪問している北朝鮮の金永日外務次官を団長とする朝鮮外務省代表団とそれぞれ会見。

 16日には中国の胡錦濤国家主席の特使として戴秉国国務委員が北朝鮮を訪問し姜錫柱第1外務次官と会談。 
 「中朝関係や共に関心を持つ地域・国際問題について深く意見交換した」(中国外務省)

 「戴氏には対外援助を担当する傅自応商務次官が同行しており、新たな無償援助などについて話し合っているとみられる。北朝鮮の経済困窮をにらみ、援助を手札にして核問題を巡る6カ国協議への復帰を促し、核問題での軟化を誘う狙いがうかがえる。」(日経9/18)

 (米自由アジア放送[RFA]が、ワシントン外交筋の話として「15日、北朝鮮の崔泰福(チェ・テボク)最高人民会議議長が中国を訪問した」と伝えたということですが、今のところ確認されていません。)

 戴秉国国務委員は、18日には、金正日総書記と会見、胡主席の親書を金総書記に手渡す。

 金総書記はこの席で「北朝鮮は非核化の目標を堅持し続け、朝鮮半島の平和と安定守護に努力するとしながら、『この問題を2国間または多国間の対話で解決することを希望する』と述べたという。」(韓国・聯合ニュース9/18)

 少しばかり煩雑とさえいえる「情報整理」になってしまいました。

 しかし、すでに読者のみなさんもお気づきだと思いますが、こうしてクリントン訪朝以来の動きを注意深くトレースしてみると、米国、中国、韓国のいずれもが北朝鮮問題にかかわって「動いている」ことに思い当ります。

 しかし、対照的に、(ロシアをおくとして)6カ国協議参加国で、わが日本だけがなんの「動き」もありません。
 
 悲しいまでの当事者能力の失墜です。

 (まさか選挙で慌ただしくしていたからなどという言い訳は通用しないでしょう。)
 
 これが独自の制裁と圧力の「実体」だとするなら、なんとその代償の大きいことかというべきです。

 すべてにわたって蚊帳の外に置かれ自縄自縛というべきか、身動きのとれないわが日本の姿が浮かび上がってきます。

 ですから、前回書いたような「日米同盟があるのだから、クリントンさんは日本の拉致被害者のためにもっとしっかりやってくれてもいいじゃない・・・」などと、テレビで臆面もなく発言するコメンテーターが跋扈するのです。

 本人が自覚していなくとも、当事者能力を失っている「境遇」をみごとに語って余りあるというべきです。

 こんな人びとに拉致問題を語る資格があるのでしょうか。

 拉致被害者を本当に救おうと考えるのなら、なすべきことは現在の「処方」とは正反対でなければならないことを、現実は教えているというべきです。

 勇を振るって国交正常化交渉に踏み込んで、主張すべきことを主張し、聴くべきことを聴くということにしか打開の道はないというべきです。

 実は、このことは、ことばには出さなくとも、すでに多くの人が覚っていることなのです。

 選挙も終わったことですし、もう「時効」だと考えますので書きますが、拉致問題に積極的に取り組んできた自民党の有力議員(すでに元議員になった人もいますが)から、オフレコを条件に話を聞いた折、いまの力と制裁一本槍では拉致被害者を救うことにはつながらない!いまやっていることはそれを阻害することばかりだと明言したのでした。

 「しかし、こんなことは一歩この部屋を出たらとても言えません!」と襟の青いバッジを見やりながら言ったものでした。

 歴史的な政権交代という画期に立ったいま、まさにいまこそ私たち一人ひとり、あるいはメディアに携わるすべての人びとが、日本の北朝鮮政策のあり方を真摯にとらえ直してみなければならないと思います。

 勇気を振るって、発言し議論を巻き起こさなければならないと思います。

 こうして見てきたように、米・中・韓の動きを冷静に直視する勇気とそれらを的確に解析する力が、いまこそ必要とされています。

 価値観や思想を同じくする「仲良し」との間にではなく、それをまったく異にする「間柄」だからこそ外交の果たすべき役割があるのです。外交力の問われるフィールドがあるのです。

 好き嫌いや、親しみをもてるか否か、信用できるかどうかなど「好みの問題」で考えるのなら、それこそ「サルでもできる」業というべきでしょう。

 事は、国の成り立ちや体制、思想や価値観のまったく異なる国との間の問題なのです。

 しかも近代には否定しがたい負の歴史を負っている、われわれなのです。

 ここは真剣に、真摯に歴史と向き合い、現在のアジアで、アジアの中の日本として、針路をどう定めるべきなのか、はっきりとさせていかなければならないと考えます。

 ズルズルと状況、情勢に引きずられながら、いつも「米国頼みの不満タラタラ」、中国、韓国へは不信と嘲りの塊りというような情けないあり方を、きっぱりと断ち切らなければならないと思います。(つづく)
















posted by 木村知義 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

動く!朝鮮半島、長白山で考えたこと・・・

 政権交代、民主党政権発足という、国内の「激動」ともいうべき動きを追うことが先になって、先月下旬からの中国・東北地方、中朝国境地帯への旅の報告が手つかずのままとなっていました。

 瀋陽から長春、延吉、龍井、長白山(白頭山)一帯、集安、鴨緑江沿いに丹東、そして大連まで、走行距離2600キロに及ぶ今回の旅は、あらためて近代日本と東アジアの関係を見つめ直し思索を深める旅になりました。

 同時に中国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の国境地域をめぐりながら、あらためて朝鮮半島問題、とりわけ北朝鮮をめぐるさまざまな問題について考える旅になりました。

 今回は旅先のネット事情が分からなかったのでパソコンを持参しなかったため、現地、現場からの即時的なレポートをこのブログに載せることができませんでした。

 結果的にはどこでもネット環境は不自由なく整備されていて、情報ツールを持ってこなかったことを反省したのでしたが、その分PCに向かうのではなく、人や街との出会い、語らいそしてウオッチに時間を割くことができて、「旅」に集中できたと思いました。

 さてそこで、旅の中で見聞し、考えたことを書く際、単なる『旅行の記録』ではなく、できるだけ「いま」の動きに即して、そこにかかわる点にふれながら記してみたいと考えます。

 まず、旅に出る前後から朝鮮半島をめぐる動きは慌ただしくなっていました。

 すでに伝えられているように、「六カ国協議再開に向けた努力の一環として」という「留保」つきながら、米朝2国間の直接「対話」(協議)が現実のものになりつつあります。

 この間、米国側からもたらされた情報によるものですが、北朝鮮・朝鮮半島情勢は動くということを確信させる「うごき」になっています。

 とりわけ、米国が朝鮮半島の非核化にむけて「包括的」提案をする意向であることが伝えられ、目の離せない段階にきていることを痛感させられます。

 この動きに対して、依然として日本のメディアでは、「関係国の間では、北朝鮮との関係で『自国だけがバスに乗り遅れないか、関係国同士で疑心暗鬼になる』といった空気も漂い始めている。こうした事情から、米朝対話で米国側が『包括提案』を提示できるかどうかは微妙な情勢だ。」と「六者協議筋」という実体のわからない「スジ」をソースとして、ネガティブな伝えられ方もしています。

 そこで、私自身の頭の整理ということも含めて、この間の動きのポイントを時系列で整理してみます。

 いつも言っていることですが、ジャーナリズムというものは、「後証文」で、結果を見てから「実はそう思っていたのだ・・・」などともっともらしく語るのは恥ずかしいことで、動いている事態の真っただ中で、いまの「うごき」が何を意味するのかを的確に分析し今後どう動くのかを論理的に示す、まさに歴史の検証に耐えうる正確な解析、予測ができなければなりません。

 その意味で、さかのぼって動きを整理するという際にも、そうした点をわきまえて、自制しながら行うということが大事だと考えます。

 ある「情報誌」の9月号で「いまだに不可解なのは8月4日にクリントン元米大統領が訪朝し、金正日総書記と会談したことだ。国連安保理が6月12日に採択した対北朝鮮制裁決議を米国を中心に各国が実施しつつある最中、不法越境した米人記者2人の釈放を要請するために、大統領の経験者、しかも夫人は現在の国務長官である人物が『政府と無関係』に平壌を訪れた。米側が何らかの譲歩をしたと考えて当然だろう。」というくだりに出くわしました。
 
 クリントン訪朝を「不可解」とし「奇妙な動き」とするこの筆者のスタンスは、この間の米国の動きを懐疑的に見ているものであることは確かですが「米側が何らかの譲歩をしたと考えて当然だろう」という指摘は的を射ているというべきです。

 やはり、クリントン元大統領の訪朝の意味(と「限界」)を、その後の「動き」を見る中で確認しておくことは不可欠だと考えます。

8月10日 韓国現代グループ玄貞恩会長訪朝
北朝鮮の金永日(キム・ヨンイル)外務次官が、モンゴル・ウランバートルで同国の外交当局者らと会談した席で、近いうちに米朝関係に重大な進展があるとの立場を示し、米朝対話に向けた作業が最終段階にあることを示唆。

13日 3月30日以来開城工業団地で身柄を拘束されていた現代峨山の社員が四カ月半ぶりに解放され帰国。

16日 玄貞恩会長、金正日総書記と会見。会見後、現代グループと北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会は、ことしの秋夕(旧盆)の金剛山での南北離散家族面会など、5項目からなる交流事業に合意し、これらを盛り込んだ共同報道文を発表。
主な内容は、
・毘盧峰観光を含めた金剛山観光の早期再開
・金剛山観光の便宜と安全保障
・陸路通行と滞在に関する制限の解除
・開城観光の再開と開城工業団地の活性化
・白頭山観光の開始
・旧盆の南北離散家族再会

18日 金大中・韓国元大統領死去
    クリントン元大統領、ホワイトハスでオバマ大統領に「訪朝」報告。オバマ大統領は「ホワイトハウスの緊急対応室(シチュエーションルーム)でビル・クリントン元大統領と約40分にわたって会談し、クリントン氏が今月北朝鮮を訪問したことにより、同国に拘束されていた2人の米国人記者の解放が実現したことに謝意を表した。」「その後大統領は、同氏を大統領執務室に招き、さらに30分ほど会談したという。」会談後「夫人のヒラリー・クリントン国務長官は記者団に対し「夫と同行者の報告は北朝鮮の情勢を理解する手がかりとして極めて有用だった」と述べた。(ロイター)
注:シチュエーションルームはホワイトハウス西ウイング、盗聴などを防ぐ特殊保安装置のある部屋。
 
19日 リチャードソン・米ニューメキシコ州知事、北朝鮮国連代表部の金明吉公使と会談。北朝鮮側は核問題で「新たな対話」の用意があると表明。ただし「6カ国協議の枠組みではなく、明確に直接対話を求めている」とした。

21日 金大中元大統領を弔問する北朝鮮代表団が平壌から特別機で空路ソウル入り。2008年2月の李明博政権発足後、北朝鮮高官が訪韓したのは初めて。弔問団は閣僚級の金己男朝鮮労働党書記を団長とする6人。

23日 金大中元大統領国葬
李明博韓国大統領、北朝鮮弔問団の金己男朝鮮労働党書記、金養建朝鮮労働党統一戦線部長(アジア太平洋平和委員会委員長)らと青瓦台(大統領府)で会談。金書記らは南北協力の進展に関する金正日総書記の口頭メッセージを李大統領に伝えた。

26日 南北赤十字会談、北朝鮮金剛山ではじまる。離散家族再会問題を協議。
最終日の28日、離散家族の再会を9月26日から10月1日に実施することで合意。離散家族の再会は、約2年ぶり。


 
 さて、そこで、今回の旅です。

 金大中元大統領の国葬がソウルで執り行われた日、長白山にいました。

 延吉にいた前日まで抜けるような青空だったのですが、この日は一転朝から雲が低く垂れこめ、ほどなく雨になりました。

 長白山に着いた昼すぎには雨も強まり風も出てきて気温が下がりました。

 長白山には4年前にはじめて登ったのですが、その折は素晴らしい青空で、頂上の天池は引きこまれるような深い青の水をたたえ、北朝鮮側までぐるっと見渡す360度のパノラマに感激したものでした。

 しかし今回は頂上に登ってみると、まさに一寸先も見えない深い霧。氷雨のような冷たい雨に強い風が加わって体温を奪い、震えながら頂上をあとにしました。

 そして少し下りたところにある温泉で身体を温めてようやく人心地ついたのでした。

 長白山には、北朝鮮側から登れないという事情から、韓国からのツアー客が大勢来ています。「死ぬまでに一度は白頭山(中国名・長白山)に登りたい」という韓国人が、まさに押し寄せている状況です。

 温泉にもそんな韓国人の一団が訪れていました。
 霧に包まれた露天風呂で身体を伸ばしていると「DJの葬儀に行かずこんなところに来てしまったので雨になったのだ!」というため息混じりの話声が聞こえてきました。
 
 ここまで来ても金大中元大統領への尊敬と思慕の念を忘れない「普通の人々」がいるのだと感じ入ったものでした。

 李明博大統領への辛口なもの言いとあわせ、韓国での金大中元大統領の包容政策(太陽政策)が韓国社会にもたらした深い影響について考えさせられました。

 また、長白山麓のホテルでは韓国KBSの衛星放送が伝える国葬の中継(録画で何度も放送された)に見入る人もいて、葬儀だけでなく北朝鮮の金己男書記と李明博大統領の会談(会見)のニュースにも注目が集まっていました。

 「金正日総書記からのメッセージはどんなものだろうか」
 「これで南北関係も少しは変わるのではないか」
 「いや、変わらざるを得ない!」
 などという会話が、食堂での夕食の際、交わされるのでした。

 「普通の人びと」の感覚の確かさを思い、あらためてメディアのあり方をふり返らざるをえなくなりました。

 こうした「変化のきざし」を導き出す「糸口」になったのは、やはり、クリントン元大統領の「完全にプライベートな」電撃訪朝だったことは明らかです。

 この訪朝に、日本のあるテレビのモーニングショーで、「日米同盟というのだからクリントンさんには日本の拉致被害者の解放についてもしっかりやってもらいたい・・・」などと、エコノミストとしての肩書で知られる?コメンテーターが言っているのを目にして驚いたものでした。

 なにを寝ぼけたことを言っているのだ!「しっかりやってもらいたい」と言うべき相手は日本の総理大臣であり、政治家でしょう!と怒鳴りつけたくなりましたが、スタジオでなんら恥じることなくこんなバカげたことを言い放ち、しかも、まわりのキャスターと呼ばれる人や他のゲストも「そうですねぇー」と言うに至って、唖然としたのでした。

 救い難いというべきメディア状況ではないでしょうか・・・。

 まさに、長白山麓で出会った韓国の「普通の人びと」の感覚に、朝鮮半島問題を考える際の重要なカギ(のひとつ)があると痛感したものでした。(つづく)



 








posted by 木村知義 at 02:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録

2009年09月11日

「政権交代」に何を見るべきなのか?!

 仙台から戻って、中国に出かけていた10日間も含めて、この三週間ほどの国内と世界、とりわけ北東アジア、中国、朝鮮半島の「動き」をトレースしていますが、「動き」と情報の脈絡を押さえるのが大変で、あらためて8月下旬から、アジアそして日本が激動のなかにあることを痛感しています。

 言うまでもないことですが、世界が歴史的な大転換期にあるいま、その「渦中」に身を置いていると、変化あるいは「転換」というものの歴史的な意味を的確に認識することがとても難しいということをあらためて痛感します。

 後から振り返って意味づけることは誰でもできる、といえば語弊がありますが、比較的たやすくできるのでしょうが、問題は動きの真っただ中で後の評価に耐えうる分析と問題の提示ができるか、さらには展望を語ることができるかどうか、まさに言論が厳しく問われるところだと思います。

 その意味ではこのコラムを書く筆が重くなってしまいます。

 以前にも述べましたが、書くべきことは「山積」していますが、まず政権交代です。

 民主、社民、国民新党の「連立合意」がなんとか成立して、メディアは新内閣の顔ぶれの予想と人物月旦に「懸命」です。

 またテレビやスポーツ紙では「芸能情報」として民主党の新人議員の「経歴」が面白おかしく伝えられています。

 「マスコミは、ただ批判すればよいという風潮が出来てしまって、『批判のための批判』という報道が多くなったことも、戦後の弊害ではあります。わたくしからみれば、『批判』でもなく、『評論』でもなく『面白おかしく茶化している』という感じです。別にNHKのようなスタイルがよいとも思っていませんが。『批判』も『批評』もだれのためのものなのか、視点が一番大事です。政治も、誰のための政治なのか。それが一番問題です。」

 これは日頃から私のブログのコラムやホームページの記事について厳しく読み込んで叱咤してくれている人物からきのう届いたメールに記されていたものです。

 また、「とにかく、自民党『一党独裁』ではないにしろ、『自民党ごまかし政権』を続けてきたツケを、解決していかねばならないわけで、政権交代を引き受けた民主党には、期待をするだけではなく、国民がみなで支える努力をしないといけません。」ともありました。

 いまのメディアのあり方を鋭く衝く指摘だと思います。

 誰が大臣になるのかの予想で盛り上がるのも、それはそれで重要な意味もあるわけですが、まさにどういう視点で関心を持つのか、なぜ、なんのために人事に注目するのかが問われます。

 一週間余りの仙台滞在中、夫妻で力を合わせて「コリア文庫」を主宰し優れた翻訳活動を重ねている青柳純一氏と2夜にわたって日本の政治状況、文化をめぐる状況、朝鮮半島情勢について意見を交わす機会を持ちました。
 
 また青柳氏の配意で、毎月、月刊総合誌を読み真摯な議論を重ねている年配の方々とも話し合う時間を持つことができました。

 そのいずれの場でも、当然のことながら、今回の「政権交代」をどうとらえるのかが最大のテーマになりました。

 そこから浮かび上がってくるのは、今回の「政権交代」が必ずしも民主党の掲げるマニフェストに盛られた「政策」のひとつひとつに同意、賛成したがゆえに実現したわけではないということです。
 
 いわば個別には賛成できないこともあるがそれでも民主党に投票したということで、民主党の掲げるものをすべてよしとしたわけではないということです。

 この点は極めて重要なところだと思います。

 つまり、それだけ多くの人に、なんとかして現状を変えなければならないという思いが強く、切実に働いたということであり、それが選挙を通じた「政権交代」を現実のものにしたということです。

 従って、そこには当の民主党がこの「政権交代」にこめられた国民の思いを誠実、正確に受けとめることができるかどうかという重い課題と、さまざまな留保をのりこえて票を投じた有権者、国民の側にも相応の重い責任が生じたということです。

 この点について青柳氏との討論では、「楽観の青柳、悲観の木村ですね、二人を足して二で割るとちょうどいいでしょうか・・・」と笑い話になったのですが、論点は「市民の力」という問題に集中しました。

 つまり、民主党の構成や政治思想、志向するものにはさまざま異論や問題があるが、それでも民主党を政権に押し上げた「市民の力」というものは、民主党自身が決して無視できるものではなく、大きな力として民主党を取り巻いていくことになるはずで、そこにこそ今回の「政権交代」の意味があるというのです。

 楽観と悲観について言うならば、青柳氏と私で考え方が異なるというのではなく、この日本で「市民の力」というものに期待と希望を持ちたいという点では一致するのですが、私は、本当にそれだけの「市民の力」が日本の社会に根付いているだろうかという点で、それほど楽観できないのではないかというものでした。

 もちろん青柳氏も楽観はしていないのですが、希望を持つことこそがこれからの歴史をひらく力になるという立場でした。

 そして、意見を交わす機会を持った年配の方々も、やはり「政権交代」を後退させないために市民の力が大事になる、問われるということで一致していました。

 こうして書いてみると、いかにもメディアの取り上げている問題や「論調」(これをもって本当に「論」というに値する質的深まりがあるかどうかはなはだこころもとないのでカギカッコに入れているのですが)などとかけ離れた、ユートピアのような議論をしているように響くかもしれません。
 
 現実の政治というのはそんなもんじゃないんだよ!という「玄人筋」の声が聞こえてきそうです。

 しかし、ここはまさに私たちもまたその一人である「市民」の声に誠実に耳をそば立て、耳を傾けてみなければならないのではないかと思います。

 つまり、政治をふつうの市民の感覚で考え、行っていくという、これまたごくごく普通のあり方を取り戻すことが、今回の「政権交代」にこめられた民意だったというべきではないでしょうか。
 
 そのような「玄人筋」の政治を転換するべきだというのが、今回の「政権交代」にこめられた意味だったというべきです。

 ここまで政権交代にもまたカギカッコをつけて語ってきたのはそうした意味を込めたもので、従来の政治屋的感覚で権力の移動をとらえ、「器」が変わっただけでここぞとばかり党利党略、私利私欲に走る構造を続けるならば、それこそ市民からのしっぺ返しに会うことを覚悟すべきだと考えます。

 またその意味で、われわれの一人ひとりが等しく、今回の政権交代を実現させた責任を自覚する必要があると思うのです。

 つまり、その意味で、そうした「われわれ」の一構成要素としてのメディアもまた等しく責を負うべきだという認識が問われてくるのだと思います。

 こうして考えてくると、民主党が政権についてまずしなければならないことは、「55年体制」といわれるものを含め、戦後の日本がたどった道筋のなかで、私たちの目から隠され、口をつぐんで覆い隠されてきたさまざまな「仕組み」や「問題」をどこまで洗いざらい白日の下にさらすことができるのか、そしてわれわれの検証に委ねることができるのかということではないでしょうか。

 週刊誌でさえが『民主党革命・日本が変わる』と表紙に掲げたのはこういうことを言うのではないでしょうか。

 もちろん私は、今回の選挙を通じての「政権交代」をもって革命だなどと夢のようなことを考えているのではありません。

 しかし、少なくとも「いまを変えなければならない」という多くの人びとの切実な思いの結集がこの「政権交代」であったという、この一点について、戦後日本社会のあり方を批判的に検証する立場から、あるいはもっと言えば近代日本のあり方を見据えながら、いましっかりと考えてみなければならなのではないかと痛切に思うのです。

 メディアで働く人びとの歴史意識もまた、その意味で厳しく問われているのだろうと思います。

 さて、スポーツ紙やテレビもまた、新人議員が「濡れ場」を演じていたなどと面白おかしくあげつらっている場合でしょうか。

 あるいは大臣の予想をあたかも競馬の勝ち馬予想のごとく語ることでしょうか。

 メディアであれ、われわれであれ、いま試されているのは、愚直なまでの真剣さ、誠実さではないでしょうか。

 そうした「ふつうの感覚」を取り戻すことの大事さをこそ、今回の選挙が、そしてその結果としての「政権交代」が語りかけているのだと確信するのです。



追伸、私の運営するホームページのなかの「小島正憲の凝視中国」のページに、小島氏からの最新レポート「民主党大勝:中国マスコミの意外な論評」をアップしました。
 また9月4日付の「ウルムチ暴動緊急短信」も掲載しています。せひご一読ください。

Webサイトは
http://www.shakaidotai.com/index.html
です。








posted by 木村知義 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時々日録